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先日、尾崎喜八の「山の絵本」をブログに書いた。そうしたらすぐに cherry fuwanekoさんやカスタードPurinnさんから 本を入手してみる、あるいは図書館で予約してきた というコメントを頂いた。私が感激したことがすぐ伝わり、そしてすぐ共感して下さるこの行為、ほんとに嬉しいですね。これこそブログ冥利につきるということだと思いました。文章は半世紀以上も前のものですが、きっと心を打つことは変わらないのではないかと思う。また表現されている情景は現在多少変わっているかもしれないが、心豊かに想像できるのではないかなと、かえってその方が美しく見えるのではないのかなぁ と思ったりする。今夜、リコーダーのレッスンを終えて帰宅し、好きなワインを傾けつつキーボードに向かっているので、心地よい酔いで感動もひとしお。 幸福な気持ちにさせて頂いています。お二人さん、有難う。私も入手してもう一度じっくりと読みたいと思っています。
2006.01.29
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今朝の富士は霞がかかったような薄ぼんやりの姿だった。相変わらず右側の裾野の黒い三角形、雪が付かない。なぜ、何故?
2006.01.28
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いつも見に来てくださる Cherry fuwanekoさんのホームページを表敬訪問したとき、掲示板にコメントを書こうと思ったら、「心に残っている本または絵本は」という設問があった。そのときとっさに浮かんだのが尾崎喜八の「山の絵本」だった。この本は高校生のとき、たしか角川文庫版で読んだと思う。小学生のときから捕虫網を持って野山を駆けずり回っていた私には彼の書いたこの自然や風景の描写はたまらない魅力にあふれていた。「山の絵本」といいながら絵は全く入っていない文章だけの本。そのなかに「神津牧場」が出ていた。 彼のその神津牧場の紀行記は牧場へ至るまでの風景がこと細かくの描写され、いやが上にも想像力をかき立て、自分も行って見たいという気になっていった。そこでクラスの修学旅行先として提案し、自分がリーダーとなって行くことにした。終戦から何年も経っていない時期にあっては今のように泊りがけでの関西旅行などおよびも付かないことだった。夜行日帰りである。夜行列車で北軽井沢まで行き、そこから歩いて地図片手に牧場へ向かった。当時北軽井沢は民家はほとんどなく、葦が生えている沼地が随分あるんだなぁと思ったものだ。兎も角歩いて歩いてお昼ごろやっと牧場に着いた。広い牧場だ。緑がきれいに広がっていた。 同級生にカメラを持っている奴がいて記念写真を写したことを覚えている。帰りは市野萱部落まで歩いてそこからバスに乗って下仁田へ行き、電車で帰ったのではないかと思うが、全く思い出せない。ただ、「山の絵本」に出ていたとおりの風景だなぁ、またなんと妙義山は奇怪な姿だろうなどと確認しながら市野萱まで歩いた記憶がぼーと出てくる。この牧場からの道は、現在市野萱から内山峠を経て佐久(中込)への国道で寸断され、その一部が旧道として残るのみとなっているようだ。数年前この道を通って神津牧場へ行ってみたが、国道から分かれた牧場への道はがたがた道で下手をすると車の底をすりそうだった。 牧場そのものも寂れた感じ。ただ売店のアイスクリームは美味しかった。この牧場は昔からジャージー種の牛の育成で知られており、脂肪分の濃い牛乳が得られるのだ。これもずうっと後で聞いたことだが、この牧場は中村メイコのご主人神津善行氏の実家だったとのこと。しかし、この旅行は歩きに歩いたものでそのとき全員はもうくたくた。学校へ帰ってからはもう皆から非難を轟々と浴びたものだった。私は社会人になってから、「山小屋倶楽部」という山岳団体に入会したが(現在も会員)、月例会で尾崎喜八氏をお招きしてお話をしてもらう機会に出くわした。結構体の大きながっちりした人だったように思う。話の内容は覚えていないが、話の途中なにも悲しいシチュエーションではないのに自分の話す言葉に感動して涙を流すシーンがあった。 あぁ詩人というのはこのような細やかな神経の持ち主でないとだめなのだなと思ったものだ。 体の大きさに反し、非常に繊細な人という印象が強かった。串田孫一のエッセイだったとおもうが、はじめて尾崎喜八の家を訪れたとき、彼は竹で作ったリコーダーで出迎え、吹いてくれたとあった。たしかヘンデルのソナタの一節だったと記憶しているのだが。それが契機となったのかその後串田孫一は仲間を集め、リコーダーアンサンブルを作って1小節ずつ暗譜して演奏をしたという。その後仲間がなかなか集まらなくなり、リコーダーにカビが生えてきたとかというリコーダーにまつわるエッセイを読んだことがある。今「山の絵本」があったら、買ってもう一度読み直してみたいのだ。音楽の話も結構出てくる。ブクステフーデなる大作曲家を知ったのもこの本からであった。
2006.01.27
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夕暮れの富士はどうなのかな?昼間は快晴だったので、夕方期待して出かけていった。寒~い。 昼間も寒かったが太陽の高度が下がった今はさらにきつい。手袋している手が凍えて固くなっている。 感じがあまりないくらい。富士の左側(西側)が赤味を帯びてきた。宝永山の右上の方は雪煙が舞っているのだろう、白い煙がたなびいている。 頂上もそうだ。そうこうするうちに太陽が箱根外輪山の明星岳と金時山との間に没しようとしている。箱根が影絵のように浮かんでいた。
2006.01.24
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今日は久しぶりの快晴。富士が良く見えるだろうといつもの場所へ向かう。雪の上を通ってくる風は身を切るように冷たい。富士の右側は大山(おおやま)。富士には薄い雲がかかっていた。今日の夕焼けの富士が期待出来そう。
2006.01.23
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昨夜は雪の中ボイストレーニングに出掛けた。発声が高い音域に入ったとたん、喉の奥が痛くなった。唾を飲み込まざるを得ない状態。しかし、先生の発声を促すピアノの音は容赦なく響いてくる。どうしても発声が遅れる。のどは痛い。そのうち涙が出てきた。先生に「喉が痛いんです」というと「ぴりぴりですか?」と訊かれる。「ぴりぴり、いがいが」です と答える。「それでは大丈夫でしょう」とのこと、そのまま発声練習を続ける。気のせいか少し手加減してくれているようだ。 話の間練習が途切れ、喉が休まったせいか、手加減のせいかだいぶ痛みが和らいできた。そのうちに正常に戻った。先生の話では、「第九」の練習をしていたときは毎週の合唱練習の後、発声練習に来て喉のトレーニング回数が多かった。しかし「第九」が終わったあと間が空いたので、新しく開発された声帯の部分がまた元に戻りかけたためではないのだろうか、ということだった。今までの経験ではよくこのような症状が見られるようだ。したがって生徒さんの状態を良く聞いた上で練習方法を判断するとのことだった。あまり神経質になって練習を中断するのは良くないことが多いとも。そんなことで練習が進むうちに声も良くなって来たような感じだった。今日は「コンコーネ50番(中声用)」の第1番を行う。 最高音のEの時の発声の注意を受ける。続いて「冬の旅」の「Gute Nacht」に入る。33小節までとその繰返しの部分の練習に終始する。ドイツ語の発音と次の言葉へのつなぎの注意を受ける。だいぶ歌い回しが良くなってきたような感じ。「冬の旅」をみっちりやっていきましょうね、ということで今回のレッスンは終了。雪は相変わらず降り続いており、さらに積もってきた。道路の轍で踏み固められた部分が凍ってきている。だがタイヤはスタッドレスに履き替えてあるので安心して走れる。やはり専用のタイヤの威力は素晴らしい。雪が降っても安心してレッスンに来ることが出来る。もっともタイヤが埋まるくらいに積もったらダメだけど。
2006.01.22
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今朝起きてみたら一面の雪。昨日の天気予報の通りだ。午前10時ごろには10~12センチぐらい積もった。我が県央地方は久々の大雪。なおも降り続いている。水分をたっぷり含んだ重い雪だ。これ以上積もったらガレージの雪かきをしないと風にあおられ屋根がつぶれるかも。
2006.01.21
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私の関係先の企業で業務に使用しているソニーのパソコン「VAIO」が急に立ち上がらなくなった。前日正常に終了して、次の日、朝立ち上げようしたら全然だめだったとのこと。なるほど電源をONにしても「VAIO」という画面は出てくるが、その後Windowが立ち上がらない。 つまりROMは立ち上がるが、その後のハードディスクが全然立ち上がらず、「・・Windows\SYSTEMのファイルが見当たりません」とかいうエラーメッセージが出て止まってしまう(このエラーメッセージは正確には覚えていない)。ちなみにセーフモードで起動しようとするが全然起動しない。仕方なくソニーのテクニカルサポートに電話する。一部始終を話す。セーフモードで起動してくれというので、それはダメだったというとハードディスクが壊れているのだろうという。なんとかデータだけをすくい出せないかと尋ねるがその方法はないという(データのバックアップは一部だけはしてあったが全部ではなかった!)。それではリカバリーCDで起動してファイラーでデータを取り出せないかと聞くと、上司に訊きに行って、それは出来ませんとの答。仕方がないのでデータ救出は諦めてリカバリーCDで初期状態に出来るかどうか尋ねるとリカバリーCDの内容はハードディスクに書き込んであってCD自体は購入時提供していないのだという。どうりで事務所中探しても見当たらなかったはずだ。そしてたとえリカバリーCDの部分が立ち上がったとしても、ハードディスクの状態では正常にリカバリーできるかどうかは分からないとのこと。えぇ? じゃぁ ハードディスクが壊れたらどうするの?? 自分でリカバリーして様子を見ることも出来ないじゃん。ソニーに送り返してただひたすら交換して貰うまで待たなければならないのか。このパソコンのハードディスクは回転中に異常音が出ているわけでもないので(日立ではハードディスクの異常音を何種類かWeb上で紹介している)、何かの拍子にファイルの一部を書き換えたか、消去したのかもしれない。リカバリーCDがあれば、ディスク上の損傷部分があればそこをすっ飛ばして、また正常にWindowsをインストールできるかもしれない。しかし、そのCDがないのだ。 他のパソコンメーカーでは大抵購入時の付属品としてついているのに。仕方がないので通常郵送で送るというリカバリーCD購入申込書を特別に頼み込んでFAXで送ってもらい、5000円弱を払い込みパソコンの保証書を同封して申込書をソニーに送った。その後入手したリカバリーCDでパソコンを初期状態に戻し、現在異常なく稼動している。しかし、故障頻度の高いハードディスクになぜリカバリーCD部分をインストールし、ユーザーに提供しているのだろうか。ソニーの商品企画に非常に疑問を持った。 技術者としておかしいと思わないのだろうか? ある人にその話をすると、「サービスの収益を上げるためにそうしているんじゃないの」と軽くいなされてしまった。その他にもLANの設定方法にも疑問を持ったが、設定を教えて貰ったのでそれはいいだろう。ちなみに機種名は VAIO PCV-HX-61B7 WindowsXpHome Edition である。画質はとてもよい。私としては自分でVAIOを使う気はないが、今後、人にも決して薦めないだろう。
2006.01.19
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今日は神奈川県の屋根と呼ばれる丹沢山塊を紹介しよう。この丹沢山塊は神奈川県の北西部、山梨県との県境付近に位置する1600メートルクラスの山々の総称である。またここは丹沢大山国定公園にもなっている。私の住んでいる綾瀬市からはその丹沢山塊の丹沢主脈といわれる山々を望み見ることが出来る。それは小田急線渋沢駅より大倉尾根(通称馬鹿尾根と呼ばれる登り一方の尾根)に取り付き、塔ノ岳(1490m)、丹沢山(1567m)、丹沢最高峰の蛭ケ岳(1673m)、姫次が原、黍殻山(1273m)、焼山(1059m)を経て道志川沿いの山梨県との県境青根に下りる一連の山々である。写真では塔ノ岳から蛭ケ岳までしか写してないが、実際には焼山まで綾瀬市から良く見える。なお丹沢三つ峰は丹沢山より派生している尾根で煤ケ谷という部落に下りている。三つの大きなピークがあることからこの名前で呼ばれている。年齢の高い方は覚えておられるかと思うが、上述の青根部落はNHK第1放送の連続劇「おらぁは三太だ」の舞台になったところ。「花荻先生」という女の先生が懐かしく想い出されるのでは。ひなびてはいるがなんとも新鮮感のある印象に残る連続劇であった。余談になるがこの道志川を上流へと遡って行くと富士五湖の一つ「山中湖」へ出る。また道志川の水は横浜市の水道の水源地となっている。 ここからパイプで延々と横浜まで送水されており、このパイプの道は水道道と呼ばれている。この道志川の水は世界一美味しい水として、横浜港に入港する外国船が競って貯水することでも有名である。 腐りにくい水としても喜ばれている。私もこの丹沢主脈を何回か縦走している。通常は1泊コースで塔ノ岳か丹沢山にある山小屋に泊まるのが一般的であるが、貧乏だった私は夜小田急線の最終電車で渋沢駅に降り、そのまま馬鹿尾根を登り、夜明けを塔ノ岳か、丹沢山で向かえ、そのまま蛭が岳、姫次が原、黍殻山、焼山、青根、相模湖駅を常としていた。つつじの頃はこの尾根筋には沢山の花が見られたが最近はどうなのだろうか。また、蛭ケ岳から直角に西へ向かう尾根があり、この尾根は丹沢主稜と呼ばれている。その盟主は檜洞丸(ひのきぼらまる)(1600m)でここから水晶沢を下り、神奈川県営の山小屋ユーシン休泊所を経て、今は丹沢湖となっている人造湖のほとりを渋沢まで戻るコースもある。丹沢湖のほとりには中川温泉という武田信玄隠しの湯もある。信玄が傷病兵を癒した温泉として有名である。若かりし頃の夏、渋沢の駅を夕方の4時に降り、例の馬鹿尾根を登り、丹沢山付近の尾根を夜半に歩いていたとき「ぶっぽんぽん、ぶっぽんぽん」と仏法僧の鳴き声が聞こえてきた。ちょうど月夜だった。すると別の谷から別の仏法僧が鳴き始め、二羽掛け合いでしばらく鳴き続けていたのを聞きながら縦走を続けたことがある。まさに山登りの醍醐味。その時は蛭が岳から檜洞丸を経てユーシンに降り、また出発点の渋沢に戻るコースで丁度渋沢駅に着いたのが午後の5時だった。連続25時間の山歩きだった。 私の最長徒歩時間記録だ。今から半世紀以上も前の懐かしい思い出。
2006.01.17
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昨晩は今年初めてのリコーダーのレッスンだった。いつものようにスケールの練習から入る。何か今日は上のFの出が良くない。息の速さ・強さ・サミングの位置などを微妙に変えてトライ。なんとかきれいに出るようになる。ト長調では最初の下のGが一寸強すぎるとの指摘を受ける。Gは良く鳴ってくれるので注意して軽く吹く。どうも上のFがでにくいので全般的に息を強く入れすぎる傾向にあるのだ。もうすこし軽く吹いて笛を鳴らす意識が必要と反省しきり。今回で2回目のレッスンに入ったテレマンのC Durのソナタ(忠実なる音楽の師の)の第1楽章と第2楽章を吹く。第1楽章はブレスの位置を直される。 私のフレーズ取りが間違っていたようだ。また、8分音符の音価が短いところがあり、リズムが違うと指摘される。第2楽章についてもブレスの位置を修正された。 それと指がもつれるところがあり、そこを重点的に練習。なんでもないところなのだが何故そうなってしまうんだろう?かくしてこれらの楽章はリズムが正確になり、隋分吹きやすくなってきた。あとは音をどう響かすか、特に第2楽章の分散和音の主音のところ、これが今後の私の課題と自覚した次第。さあ、もっともっと練習しなければ!
2006.01.16
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2006年最初の練習日。 我がリコーダーグループ「ぽこ あ ぽこ」のお吹き初めだ。 今年から全員アルトリコーダーで基礎練習をみっちりやっていこうということになった。 まずはアルトリコーダーの全音域2オクターブの音階練習を行う。 最初はゆっくり目のテンポで、そして徐々にテンポを上げていく。 さて新しい練習曲は コレット作曲 カノン と モーツアルトの「魔笛」のアリアを編曲した「なんと素晴らしい音だろう」のアルト用の2曲。 いずれも3声部の曲なので、7人ずつの3グループに分けて演奏。 そして各声部を3~4回練習した後、違う声部に移り、全員が全声部を経験する。 これで曲全体を把握させると同時に今まで自分が経験してなかった声部での演奏の仕方を習得させるのが先生のねらいのようだ。 しかしバスリコを離れて、いつもと違う楽器を演奏するのも良いものだ。 今年はモーツアルト生誕250周年のモーツアルト・イヤーなので、今年のメインの曲は「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」にするとのこと。 この曲は私がこのグループに入り、生まれてはじめてリコーダーなるものに挑戦したときにやっていた曲だ。 いきなりこの曲ではどうしようもなく、自分が吹ける簡単なところに来た時だけ鳴らしていた想い出の曲。 今度はアルトではなくバスリコで吹く。 再挑戦に今から張り切っている。
2006.01.13
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今年初めてのレッスンはボイストレーニング。昨年12月17日の「第九」以来全然歌っていないので、最初はあまり調子が出なかった。先生からは「肩の力を抜いて」とすぐに注意が出る。1度ずつのオクターブ上昇・下降の発声では、「まず第1音から第5音まではしっかり確実に出すこと、そこから上は勢いで出すように」とも。先生の発声を注意深く見ながら、そのまねをしてみる。ともかく最初の5音に神経を集中させ、下支えのある声を意識して発声。今年はシューベルトの「冬の旅」をやりましょうということでボイトレ終了後、早速第1曲目の「おやすみ (Gute Nacht)」に挑戦。「第九」でドイツ語の子音の発音について合唱の先生からうるさく言われていたので、子音を注意深く発音。先生からは「もっとフレーズをつなげるように!」との注意。度が過ぎて、フレーズがぶつぶつ子音ごとに切れるとのこと。「過ぎたるは及ばざるがごとし」か。また、「子音も大事だが母音の方がもっと大事」との注意も出る。発音に注意しながら一応終わりまで歌ってみた。先生からは参考のために、一流歌手の「おやすみ」を良く聴いておくようにとのアドバイスを頂く。 手持ちは「ゲルハルト・ヒッシュ」、「マティアス・ゲルネ」と「フィシャー・ディスカウ」だ。 これらを良く聴いてみよう。
2006.01.09
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今朝消防団の出初式があるというので会場へ足を運んだ。いつも富士を見に行くところのそばだった。今朝なんとほぼ全姿を現さんばかりの「真白き富士の嶺」だった。やっと冬の、雪に覆われた本格的な姿になった。しかしこの姿も、はや1時間後には雲に覆われ全く見えなくなってしまっていた。
2006.01.08
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神奈川県綾瀬市から撮れたての夕暮れの富士を紹介する。今日はちょっと雲が多く、全容は見えなかったが暮れ行く富士の姿が良かった。そのうち赤をバックの全容の富士をご紹介したい。
2006.01.07
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3日のサントリーホールでのニューイヤー・コンサートで思わぬ発見をしてしまった。3人の独唱があったわけだが、その歌いだしの部分でもう「この人はうま~い」、「この人はちょっと?」と感じてしまったのである。全体を通してみてもやはりこの自分なりの評価は当っていたように思う。実にこわ~い。NHKの「のど自慢」も最初の1フレーズで審査員は鐘いくつかを判断しているのではなかろうか。そしてこれは何も歌に限ったことではないだろう。リコーダーだって最初のひと笛で評価されてしまうのだろう。私はアマチュアだが、しかし、心して吹かねばと今更ながら思った。昨年、テレマンのリコーダーソナタへ短調をやったが、これの第1楽章の出だしが実に難しかった。先生が吹くと実にリズムに合ってスムーズに出る。自分がやるとどうも納得がいかない。何回も何回も練習したがいまだ自信がない。もっともっと練習を積まねば!今度は気持ち良かった話。サントリーホールはオーケストラの後ろにも客席がある。そこは料金も安い。そして指揮者の表情を見ながら曲を聴くにはとても良いのではないかと思っている。特に私は演奏者の演奏中の表情やしぐさを見るのが好きなので機会があればそこで聴きたいと思っていた。だが今回は独唱者がいるので、その席では独唱者の後姿しか見えず声もあまり届かないだろうと思い、正面の席にした。今回の独唱者の一人天羽明恵、私ははじめて聴く人だがすっかり気に入ってしまった。歌もうまいが、マナーも素敵だった。独唱中での長い休止の時は、わざわざ後ろを振り向き、そして後ろの客席に眼をやりながら歩いていくのだ。それがごく自然に歌の流れのように感じさせるのだ。そして歌い終わって拍手のときも、その後ろの席に向かって一礼していた。やはり余裕があるのだろう。その細かい気配りが大変気持ちよかった。 そして嬉しかった。どうも歳をとると感動しやすくなるのかもしれないが。
2006.01.06
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この3日に久しぶりにサントリーホールへ行ってきた。サントリーホール20周年記念公演「サントリーホール ニューイヤー・コンサート 2006」と銘打ったウイーン・フォルクスオパー交響楽団と3人の歌手による「ウイーンの男と女」を聴いてきた(観てきた)。ご多分にもれずヨハン・シュトラウスのワルツとポルカ、それにフォルクス・オパーらしくオペレッタからのアリアや重唱が中心だ。なかでもテノールのヘルベルト・リッパートが歌ったカールマンのオペレッタ「マリッツァ伯爵令嬢」からの「ウイーンによろしく」というアリアは圧巻だった。初めて聴く曲であったが、彼の伸びのあるそして遠くまで響く抑揚を利かせた歌唱に圧倒された。 このような歌い方がウイーン・オペレッタの味なのであろうか。拍手がなりやまず、「ブラボー」も多かった。ソプラノの天羽明恵は前半では「こうもり」から「伯爵様、あなたのようなお方は」、後半では「春の声」を歌った。両方とも丁寧な素晴らしい歌唱だった。特に「春の声」のコロラトゥーラは耳にびんびん響きわたり、また品の良いお色気でチャーミングだった。 フルートの助奏もきれいだったなぁ。彼女にも惜しみない拍手が続き、鳴り止まなかった。ただ残念だったのは予告にあったレハールの「メリー・ウイドウ」のあの有名なヴィリアの歌が別の歌に変わっていたことだ。 テノールが良かっただけにがっかりだった。 せっかく本場のオペレッタのヴィリアを味わいたかったのに。 もう一人のソプラノ歌手の都合だったのかもしれない。しかし、楽団員全員の「明けましておめでとうございます」コール、そしてなり続ける拍手に応えての「美しき蒼きドナウ」、ソリスト3人による「こうもり」からの「シャンパンの歌」と「ラデツキー行進曲」の大サービスに満足。「ラデツキー行進曲」では皆さんご存知の聴衆による拍手、指揮者の指示で軽く打ったり、大きく打ったりでもうすっかりニューイヤーコンサートを満喫、楽しい夕べだった。ちょうど翌4日に「?回目」の誕生日を迎える我がつれあいも大喜び。良かった!
2006.01.05
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この元旦と二日は天候が悪く、わが町から富士を見ることは全く出来なかった。昨三日は晴天となったが、富士方面は雲が多く、残念ながらその裾野だけを時たま見せるだけだった。今日は朝からどんよりした曇り空、丹沢山塊もごく薄くしか見えない。これでは富士は無理かなと思いつつも、ままよと出て行ってみた。ごく薄くだが、幸いにも全容を見せてくれていたのだ。今年初めての富士山。
2006.01.04
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今朝は今冬最低の気温だった。昨日の雨で濡れた道路はかちんかちんに凍っていた。富士は見えるのか? 気になって見に行く途中、道路上をねこが下を向いたままじっと佇んでいて動かない。何か元気がない、眼が虚ろ。カメラを向けるとこわくなったのかゆっくり歩き始めて道路を横断していった。人間の私には、猫が何かに思い悩んでいるように見えたのだがどうだったのだろうか?
2006.01.03
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例年1月2日の郵便配達はお休みだった。ところが今年は違う。朝、遊びに来ている孫たちとショッピングに出かけるとき、門の郵便受けをみると年賀状の束があった。おぉ、今日も配達をしているんだ!昨年の暮れはなにかと忙しく、年賀状の投函が27日になってしまった。 これでは元旦には着かないかもしれない。3日になってしまうかも と思っていた。ところが元旦には着かなかったかもしれないが、ひょっとすると今日の2日には配達されているかも知れないと期待が高まる。 郵政民営化で市場競争の論理に立てば、いやでも消費者の目線まで降りて戦略・戦術を考えなければいけない。 経営者がその視点で方針を出せば出来るのだ。今後の日本郵政公社のさらなるサービス向上に期待したい。
2006.01.02
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歩いて50分ぐらいのところに五社神社という神社がある。いわれは天照大神ほか四神を祀ってあることのようだ。参道の脇には日本武尊が東征の折、ここに立ち寄り霊気を感じて座ったという腰掛石が置かれている。何年も前の昔、元旦にこの神社を訪れたことがある。そのときは結構な人出で、帰りには甘酒を振舞ってくれた。それを思い出し、なにかBLOGのネタになるかもしれないと動機不純で御参りしてみたわけ。「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ「BLOGに引かれて五社神社参り」と相成った。結構な人出、お参りするのに待ち行列が出来ている。願い事は子供たちや孫たちのことになってしまう。戌年のせいではなかろうが、ワンちゃんも結構お参りに来ている。中でも威儀を正して、ご主人様が引いたおみくじのご宣託を聞いている律儀なワンちゃんもいた。 きっと大吉ならぬ「ワン吉」を引き当てたのだろう。帰りにはそつなくぐい飲みに入った樽酒と甘酒を頂く。杉の香りの漂うお酒と、米麹から作った本格的な甘酒の自然の甘みが懐かしく嬉しかった。
2006.01.01
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