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今日、大学からの帰り道、交差点で右折信号が青になるのを待っている間、ふと横を見ると、民家の庭先に実をたわわにつけた柿の木があるのが見えました。実はまだ青かったですけど、もう柿の実がなる時期なんですなー。 ところで、最近、庭の果樹についた実を、収穫しないまま放置している家が多くなりましたね。今年の夏はどこも琵琶が豊作だったようですが、びっしりと実をつけた琵琶の木が、そのまま放っておかれているのを、あちこちで見かけました。また去年の秋にも、収穫されない柿の実が道路に落ちて腐り、独特の臭気を放っているのをそこここで見かけたような気がします。琵琶にしろ、柿にしろ、せっかく実がなっているのに、どうして取らないんでしょう? わけ分からんなあ。自分の家の庭に何か実のなる木があったら、楽しくないですか? 私だったら嬉々として収穫しちゃうけどな。 ま、人の家の庭のことなら仕方がないですが、所有者が曖昧な土地に生えている果樹の実が放置されているの見ると、実にもったいない気がします。私の家の周辺にはまだまだ家の建っていない造成地があって、そういう造成地にどういうわけか果樹が植えられていたりする。梅とか琵琶とか栗とか、そんな感じのものですね。こういうのは多分、税金対策なんでしょう。それだけに最初から収穫する気なんかないらしく、花が咲こうが、実がなろうが、そのまま放置してある。そういうのを散歩の途中で見かけたりすると、「今夜、闇にまぎれて収穫に来よう!」なんて、よく家内と人聞きの悪い相談をします。とは言え、そんな果樹でもやっぱり誰かの所有物なんだろうし、勝手に取ったら窃盗になるのかしらと思って、さすがに「夜の収穫祭」を決行したことはないんですけどね。 木になった実がそのまま放置されているというのは、この国が食べることに困らなくなったことの証拠でもあり、それはそれで喜ぶべきことなのかも知れません。しかし、それはそれとして、大地の恵みを受けることの喜び、しかも労せずしてそれを受けることの楽しみというのは、また別にあるはず。いかに豊かになったとはいえ、何もそういうものまで忘れることはないんじゃないかなー。 ま、いいや、人のことは。いつの日か、小さいながらも自分の庭を持ち、そこに沢山果樹を植えましょう。柿よりも桃か琵琶を。あと梅も。実がなるのかどうか分かりませんが、アーモンドの花も好きだからアーモンドも植えましょう。それから、オリーブ、これははずせない。 さ、果樹一杯の庭が持てるよう、頑張ろう。仕事、仕事!
September 30, 2005
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今日は何かドタバタと忙しかった割に、この時点になって振り返ってみると、何をやっていたんだかよく分からないうちに終わってしまった、という一日でした。 お昼前から午後にかけては原稿書き。ま、それはいいんですが、その後お茶を飲み、手紙を2本書き、メールを20本くらいやりとりし、弔電を1本打ち、書類を幾つか書いているうちに、あらら、もう夕食の時間。 そして食後、借りていた『オーシャンズ12』のDVDを見たら、もうこの時間です。あーあ、何やってんだか・・・。 それにしても、『オーシャンズ12』はいかんですなぁ。前作の『11』の方はそれなりに娯楽作としてまとまっていたのに、今回は完全な駄作。登場人物それぞれの個性がまったく活かされていない。今回の作戦を遂行するためだったら、12人も必要ないですよ。あの身軽な中国人の役の人なんて、今回なんの役にも立ってないし・・・。それからセリフにしたって、ジョージ・クルーニーとブラット・ピット、それにマット・デイモンの間で交わされる内輪受けみたいなセリフも全然受けないし・・・。いくら親が伝説の大泥棒だったからって、警察サイドから泥棒サイドに簡単に回ってしまうキャサリン・ゼタ=ジョーンズの役どころもいま一つ分からないし・・・。ジュリア・ロバーツのことをちっともいい女だと思っていないのは私個人の趣味ですが、そのジュリア・ロバーツ本人に劇中でジュリア・ロバーツの振りをさせるのは悪趣味だと思うし・・・。また同じく本人役のブルース・ウィリスとジュリア・ロバーツを絡ませるというのも、全然いけてないと思うし・・・。 ということで『オーシャンズ12』は映画として論じる価値なし! この映画への私の印象批評点は・・・31点! 今年度最低点ですから! 論じる価値なしでも敢えて点をつけるのは、故淀川長治氏の教えです。彼はどんな駄作の映画でも、途中で席を立つことをしなかったと言いますからね。ただそれが作られたということ、そのこと一つに免じて、すべての映画を許していたんでしょう。ソダーバーグ監督、淀長さんに感謝しなよ。本来なら、あんた、0点つけられても文句は言えんよ。 ということで、今日は、充実していたんだか、いないんだかよく分からない一日だったのでした。明日は、もっと頑張ります。以上。
September 29, 2005
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今日は前回のことを受けまして、ハーレクイン・ロマンスにおける「おとぎ話的要素」について、というところからお話しを始めましょう。 さて、ハーレクイン・ロマンスに限らず、「ロマンス小説」なるもの全般に係わる一番重要なおとぎ話は、もちろん「シンデレラ」です。継母にいじめられ、異母姉妹の中でも一番地味で見すぼらしいなりをさせられていたシンデレラが、あるきっかけからその真の美しさを王子に認められ、結婚を申し込まれて妃になるというストーリーですね。童話としてはシャルル・ペロー(17世紀)やグリム(19世紀)が伝えたものが有名ですが、民間伝承としてはもちろんそれ以前から存在していました。「王子との結婚により、一夜にして身分が上昇する」という「シンデレラ」のストーリー展開がいかに魅力のある夢物語だったかは、それが大昔から伝承されている話であるという一事からも明らかでしょう。 で、先程も言いましたように、「シンデレラ」のストーリー展開というのは、18世紀半ば以降に登場するいわゆる「ロマンス小説」全般の中に様々な形で組み込まれることになります。例のロマンス小説の祖たる『パミラ』(1740)からして、召使の小娘が上流階級に属する雇い主から求婚される話であって、純然たるシンデレラ・ストーリーだったということは、もう何度も言及しましたよね。そしてそのことの背景として、18世紀半ばにおける「中産階級の勃興と貴族階級の没落」があったということも、これまた既に述べました。事実、『パミラ』の出版とほぼ同時期にウィリアム・ホガースという画家が「当世風の結婚」(1742-43)という一連の絵画作品を残していますが、この連作絵画には、金に困った貴族が裕福な商人階級の娘を嫁にとることで、当面の金の工面をするといった「政略結婚」の様子が風刺的に描かれている。つまり動機はいささか邪なものであれ、平民の娘が上流階級の男性から求婚されるということが、18世紀半ばという時代には「当世風」だったんですね。で、こういう「当世風」が蔓延していた時代にロマンスが描かれるとしたら、それがシンデレラ・ストーリーになるというのも、何となく頷けるではないですか。 かくして、ロマンス小説の基本的なストーリー展開というのは、伝統的に「シンデレラ」のそれを踏襲したものになっていきます。それはたとえば19世紀半ば、シャーロット・ブロンテによって書かれたロマンス小説の傑作『ジェーン・エア』(1847)などを通過しつつ、20世紀に至るまで続いている伝統です。その辺のロマンス小説の系譜ということについては、またあらためて論じる予定ですが、今、ハーレクイン・ロマンスに話題を限定するにしても、この伝統はここに脈々と受け継がれている。そしてそのことは、前回までに述べてきたハーレクイン・ロマンスにおけるヒロイン像とヒーロー像を対比することによっても明らかでしょう。つまりハーレクイン・ロマンスにおいて、身寄りもなく決して裕福でもないヒロインの小娘は、莫大な資産家でありまた社会的地位もある全知全能のヒーローに求婚されるのであって、そこには必ずや「結婚による身分の上昇」という側面があるんです。 しかし、ハーレクイン・ロマンスに仕組まれたおとぎ話の要素というのは、実はこれだけに留まりません。たとえばハーレクイン・ロマンスに登場する王子様、すなわちヒーローは、「シンデレラ」の王子様のように最初からヒロインの真価を見抜けるような炯眼の持ち主ではない。もちろん本能的にはヒロインに惹かれていたとしても、それを認識し、求婚という形で表に出せるまでには、全部で192ページほどのハーレクイン・ロマンスにして少なくとも180ページほどはかかるわけ。つまりヒーローの「本当は善良な心根」は、何らかの魔法によって眠らされているのであって、その間のヒーローの行いというのは決して褒められたものではない。むしろ野獣的で、残忍で、醜いんです。だからこそ、どこかの美しく優しいヒロインのキスによって、魔法を解かれ、目覚めさせられる必要がある・・・。とまぁそんなふうに見ていくと、ここにはやはりグリム童話の『蛙の王様』でしたっけ? 何かの罰で蛙に変えられた王子が、ヒロインのキスで人間に戻るというのがあったではないですか。まさに、あの話のエッセンスがここに形を変えて残っていることが分かります。またそう考えると、ハーレクイン・ロマンスのヒーローがしばしば性格の悪い継母に悩まされた経験を持っていたり、あるいはまた、時に腹黒い美女の魔の手に落ちそうになる理由も分かります。ハーレクイン・ロマンスに必ず登場する女の悪役たち、あれは要するにヒーローの善良な心根を眠らせ、残忍な醜い野獣に変えた魔女だったんですな。そしてもちろんハーレクイン・ロマンスのヒロインに、ヒーローにかけられた魔女の呪いを解く役回りが与えられることは、言うまでもないでしょう。 しかし野獣にかけられた呪いを解くヒロイン、ということになれば、『蛙の王様』以上にロマンティックなもう一つの異種婚姻譚、すなわち「美女と野獣」(1756年・ボーモン夫人作)のことが思い浮かびます。この話、商売に失敗したか何かで無一文になった父親が、ほうほうの体で家に帰る途中、たまたま野獣の家に迷い込み、その庭にあった美しいバラを一輪盗んできてしまう、というところから話が始まります。で、バラを盗んだことを咎めた野獣に「お前の命を差し出すか、娘を差し出せ」と言われて、商人が悩んでいると、娘の方から人身御供になることを申し出る。そんなふうにして、最初は父を助けるためだけに野獣のものとなった娘は、次第に彼を愛するようになり、そしてその彼女の愛によって、魔法によって野獣に変えられていた王子が元の姿を取り戻す・・・とまあ、そんな話ですよね。さて、この話を以前、私が粗筋をお話ししたハーレクインのストーリー展開と比べてみて下さい。あの時私は、ハーレクイン・ロマンスではヒロインはしばしば「借金を帳消しにする」のと引き換えに「偽装結婚」させられる、ということを言いました。そしてその結果、最初はいやいや彼と行動を共にしていたものの、次第に彼に心惹かれるようになり、最後には・・・というストーリーが展開する、と言いましたでしょ? どうです、この話の展開は、まさに「美女と野獣」そのものじゃないですか。 とまあ、以上見てきたように、ハーレクイン・ロマンスの筋書きというのは、一見、荒唐無稽のように見えて、実は複数のおとぎ話の要素を巧みにアレンジしながら採り入れた、とても賢い筋書きなんですね。いや、もっとはっきり、「ハーレクイン・ロマンスというのは、恋愛小説に見えるけれど、実はおとぎ話なんだ」と言ってしまった方がいいのかも知れない。このことは、実は、ハーレクイン・ロマンスがいかに現代の読者に受容されているのか、という問題を論じる時に重要な視点になってくるのですが、そのことはまた、いずれお話しすることにいたしましょう。 しかし、最初にもお話ししたように、この種の「おとぎ話」的要素というのは、ロマンス小説全般に見られることであって、決してハーレクイン・ロマンスの発明ということではありません。むしろ、ロマンス小説が発展していく中で受け継がれてきた伝統を、ハーレクイン・ロマンスもまた受け継いだ、という話なんですね。ということもありまして、次回はこの問題について、すなわち、先にも少し触れました「ロマンス小説の系譜」というあたりにつきまして、もう少し詳しくお話ししていく予定です。それでは次回もお楽しみに。「お気楽日記」は夜、更新しますね!
September 29, 2005
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今日は教授会の日。夏期休暇中には教授連が一同に集まる機会が少ないこともあって、教授会の開かれる日には、前後に様々な会議が行われます。というわけで、今日は会議だけで3つ、その他に、これは自由参加ですが、学内講演会が1つあって、私も朝から大童です。 ちなみに今日の学内講演会は「セクハラ」に関するものでした。この問題に詳しい方に講演していただき、我々教授連の蒙を啓いていただこうというわけ。 実際、新聞なんかを見ていると、いい歳をした大学教授がセクハラ問題を起こしてどーのこーの・・・といった報道がなされることがしばしばありますからね。ま、象牙の塔には社会通念とは無縁の人が沢山居るからなあ・・・。 それで、今日講演して下さった方もおっしゃっていましたけど、大学などで講演すると、時々思わず仰け反るような意見を言い出す教授がいるのだそうですね。例えば、ある大学で講演した時には、その方が一通り話し終えたところで男の教授がサッと挙手し、次のような意見を吐いたというのです。曰く、「あなたは大学の実状が全然分かってない! 今や大学っちゅーところはひどいことになっていて、女子学生などは露出度の高いキャミソール一枚で授業に出てきたりする。あんな連中は自分からセクハラしてくれと言っているようなものなんだから、そういう輩のお尻くらい触ったっていいんだ!」。本気でそう獅子吼したというのですから、新聞ネタになってしまう教授が絶えないことも頷けます。 ただ、この教授のような例は問題外として、「セクハラ」というのはなかなか難しい問題ではありますね。たとえば私の場合でも、ゼミ学生の指導は基本的に研究室で行っていますが、学生が複数いる場合はいいとして、たまに女子学生と二人だけになる場合もある。で、セクハラ防止マニュアルなんかを見ると、そのような場合は教授自ら立って研究室のドアを開けに行く、ということが奨励されています。最近では私もそうしていますが、しかし、「私にはあなたを襲う気はないですからね」という意志をいちいち露骨に行動で示すというのも、むしろそういう意識を表面化させるようで、私の感覚としては逆に嫌らしい感じがするんですけどねー。 また私は授業で時代錯誤的にシェイクスピアを読んでいるんですけど、シェイクスピア作品というのはどれも性的なギャグ満載でありまして、そういうのを学生に訳させたり、私自身が意味を説明したりする時、「それはセクハラだ」と言われたら、私はどうすればいいんでしょう。「ここを訳すとセクハラになるから、訳しません」なんて言っていたら、シェイクスピアの面白いところを全部すっ飛ばすことになるんですが・・・。 あともう一つ、セクハラと同じく、最近、喧しく言われているのが「個人情報保護法」です。これも本気で遵守するとなると、結構大変ですよ。例えば、今までのように自分のゼミ生に向かって「お互い、急な連絡をすることがあるかも知れないから、携帯番号教えておいて」なんていうのも、まずいのかも知れない。「教授に無理矢理、携帯番号を言わされました」なんてゼミ生から訴えられたらどうしよう? うーん、やっかいだなぁ・・・。 結局セクハラ防止策にしても、個人情報保護法にしても、「セクハラをする奴」や「個人情報を悪用する奴」を牽制するためにやるわけですよね。でも、それを押し進めていくと、結局、良い人間の社会がどんどん窮屈になっていくのは必定です。そうやって出来上がった窮屈な社会というのも、嫌なもんですよ。 公園で遊ぶ子供がとても可愛かったので、「お嬢ちゃん、お歳はいくつ?」なんてつい聞いたら、その子の母親にキッと睨まれた、なんていう可哀想なおじいちゃんの話、よく耳にします。ま、確かにこのおじいちゃんの問いかけは、厳密に言ったら「セクハラ」であり「個人情報保護法」に違反しているのかも知れません。しかし、近所に住むおじいちゃんが、同じ町内に住む子らに気軽に話しかけることもできないような、そういう社会が良い社会とはとても思えないんだけどなー。 しかし、そうは言っても、これが世の趨勢。私もせっせとセクハラ講演会に出席して、新聞ネタになるような大学教授にならないよう、せいぜい気をつけることといたしましょう。クワバラ、クワバラ。
September 28, 2005
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今日は久々に外出しました。 昼を家で済ませてから、今日は少し遠くのスーパーまでお買物です。久々に車を運転したかったということもありますが、そのスーパーの近くにある古本屋さんに寄りたかったんですね。小林書店というのですけれど、ここはたまに来るとそれなりに発見のあるお店です。 このお店に関して、まず私の気に入っているところは、店の前の100円均一棚が割と充実しているところです。ここで客を惹き付けられない古本屋さんというのは、私の目から見ると失格なんですね。で、今日、ここで私が入手したのは保育社が出しているカラーブックスの1冊、『日本画入門』です。私はカラーブックスのシリーズが割と好きで、『油絵入門』『水彩画入門』『版画入門』などといった絵画関連の入門書をポチポチ買っては楽しんでいるのですが、今回買った『日本画入門』で欲しいと思っていたものは全冊揃ったかな? それから、家内が塩野七生さんの『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』という本(ハードカバー)を100円で買っていました。ボルジア家に興味があるようですが、あまり深入りさせないようにしようっと・・・。 さて、ここで2冊を掘り出してから店内に入り、さらに探索を続けました。このお店は割と美術関係の本が多く、美術展の図録が沢山、無造作に置いてある。で、私は随分前から1955年にブリジストン美術館で行なわれた「ヘンリー・ミラー水彩画展」、あるいは1968年に伊勢丹百貨店で行なわれた「ヘンリー・ミラー絵画展」など、日本で行なわれたヘンリー・ミラーの絵画展の図録を手に入れたくて、こういう美術展の図録を沢山置いてある店に来る度に、そればかり探してしまうんです。今日も随分探しました。ですが、たまに「あった!」なんて胸をときめかせると、よく見たら『ヘンリー・ムーア展』の図録だったりするんだなー、これが。紛らわしいからやめてくれって! で、結局、今日は店内での収穫はなし。高橋康也氏の名著『エクスタシーの系譜』を売っているのを見かけたけれど、まだ同氏の『ノンセンス大全』を買ったまま読んでいないからなー。あれを読んでからにするか・・・。このままでは「積ん読」のままの本が増える一方ですからね。 さて、古本探索を堪能した後、買物をし、帰りに新刊書店に立ち寄って愛読している雑誌を買ったり、ビデオを借りたりして帰宅。午後のお茶を飲みながら、買ったばかりの雑誌にパラパラと目を通したりして、しばしのんびり。 そして今日は夕方からも外出です。実は知人のご夫妻が経営していたレストランが今度お店を閉めることになったので、今日はそこで夕食をとる予定だったのです。 このお店、特別に高価な食材を使っているわけではありませんが、一品一品の料理にちょっとした工夫があって、いつも「おや、これは?」と思わせるような快い驚きがある。もちろん味は抜群です。料理人(ご主人)の腕がいいんでしょうね。それでいて値段はごくごくリーズナブル。ところが、残念ながら弱点が一つあって、お店の立地がやや悪く、どこの駅からも遠いんです。となると必然的に車での来客が多くなるのですが、そうなると今度はお酒の売れ行きが悪くなる。特に飲酒運転の罰金が30万円になってから、めっきりお酒が出なくなったらしいのですね。これがお店にとっては痛かった。 しかもこれに追い打ちをかけるように、ご夫妻のお子さんが病気で入院されることになり、その看病とお店の経営が両立しなくなってしまったんですね。お店を始めて5年、ご夫妻はもちろん残念でしょうが、私たちにとっても残念至極。今日いただいた料理もとてもおいしかっただけに、名残り惜しくお店を後にしました。しかし、そう思っているのは私たちだけではないようで、私たちが店を出るのと同時に、常連客らしい方が花束を持ってお店に入って行かれました。私たちも花束の一つも持っていけばよかったなぁ! さて、そんなわけで今日は勉強の時間が少なくなってしまいました。これからもうちょい頑張って、少しでも原稿を書きますか。それでは、また明日!追伸: ふと気が付くと、今日でこの「お気楽日記」は200回目なんですね。我ながら、よくまあ続いたもんです。次はとりあえず300回を目指して更新を続けて行きたいと思います。ご愛読の皆様には、これからもご贔屓のほど、よろしくお願いいたしまするーーー。
September 27, 2005
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この2、3日というもの、すっかり出無精になってしまって、今日など一度も玄関から外に出ませんでした。気候も大分過ごし易くなったのだし、少しは散歩でもすればいいようなものなのですが・・・。 ま、そんなこんなで、仕事の合間に読むちょっとした読み物にも事欠くような状態なのですが、そんな中、この数日、ちょっと面白い英会話教本をパラパラとめくって楽しんでいます。後期の英語の授業のテキストになるような本を探すべく、候補になりそうな英会話の本を何冊か買っておいたのですが、そのうちの一冊が結構面白かったんです。 その本はアルクが出している『英会話ペラペラビジネス100』というもの。ビジネスという言葉が入っていることからも分かるように、とりあえずビジネスマンを対象として書かれているようで、例文などもビジネスの場で役立つようなフレーズが沢山盛り込んである。しかし、要するに人と接しながら何かをしたい時に、英語ではどういう言い方をするか、ということですから、ビジネスマン以外の人が読んでも十分役に立つと思います。 ちなみに私はこの種の会話本、すなわち「こういう時、英語ではこう言う」というようなことを書いた本というのが、昔からあまり好きではありません。というのも、その本に書かれたシチュエーション以外には使えない英語のフレーズなんか習ってどうするの? というような偏見を持っているからです。しかし、今どきの学生に聞くと、私とは逆に、むしろこの種のテキストの方がいい、というのですね。ですから私も、しぶしぶ、そういうことが書いてある本を教科書として選ばざるを得ないわけ。 ま、この『英会話ペラペラビジネス100』という本を買ってみたのも、一つにはそんな学生の要望に応えるためでもあったんです。でも、読んでみたらこれが結構面白かった。 この本のいいところは、著者のスティーブ・ソレイシィという人(まだ若い人のようですが)の教育方針がはっきりしている、ということですかね。彼の方針というのは、「実践的な、大人の英語」を教える、というものです。 「実践的」という意味では、たとえば「just という言葉を使えば完了形は覚える必要なし」なんてことを言っています。「たった今、~したところだ」なんていうと、日本人はすぐ「現在完了形だ!」なんて思ってびびってしまいますが、スティーブ君は「そういう場合に完了形なんか使っている人、いないよ」というわけ。その代わり「just」を使って「I just got your message about tomorrow.」と単なる過去形で言えばいい、というんですね。また、日本人は「疑問文や否定文の時は some ではなくany を使う」なんていう細々した英文法を覚えているけど、どちらの時でもsome で押し通してしまえば大抵OK、なんて言っています。なるほど、そう言われると気が楽になります。 また「大人の」という意味では、たとえば、よく日本人は「I'm sorry.」というフレーズを連発するけれど、これは「あ、ごめん!」というようなニュアンスなのであって、大人の、つまりビジネスマン同士の交渉では「I'm sorry about that.」というふうに「about that」まで言わないとおかしいよ、なんて言っています。同じく、「~のことをご存じですか?」という時に「Do you know ~?」というのは失礼なので、「Have you ever heard of ~?」と言った方がいいよ、と教えてくれる。とまあ、そんな感じで、なるほど! と思わされることが多いんです。 スティーブ君はこんな調子で、100の役立つフレーズ、「パワーフレーズ」をこの本で紹介してくれているのですが、数が多すぎず、少なすぎないところもいい。読む気になれば、それこそ半日で読み切ってしまいますが、そんなふうに一度読み切っておいて、思い出した頃に何度か読み返すだけでも随分役に立ちそうです。 今まで、この種の英会話本には興味がなかった私も、スティーブ君のこの本を読んで、少し気が変わりました。ま、実際にこの本を後期の授業で使うかどうかはまだ決めていませんが、とりあえず自分のためにはなりましたしね。 というわけで、スティーブ・ソレイシィ君の『英会話ペラペラビジネス100』(アルク)、教授のおすすめ! です。これです! ↓
September 26, 2005
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昨日、ハーレクイン・ロマンスのヒーロー像についてお話しし、現在では「アルファ・マン」と呼ばれる全知・全能の高圧的なヒーロー像がハーレクイン・ロマンスの売り物になっている、というようなことを言いました。しかしアルファ・マン的なヒーロー像というのは、実はここ3、40年ほどの間に確立した産物なのであって、それ以前、つまりミルズ&ブーン社が独自にロマンスを出版していた時代には、必ずしもアルファ・マンばかりがヒーローではなかった。今日は、その辺りのことを補足説明したいと思います。「20世紀大衆ロマンス小説史におけるヒーロー像の変遷」ってヤツですね。 さて、前回、ハーレクイン・ロマンスのヒーローというのは、肌の色が浅黒く、黒目・黒髪で、人種的にはラテン系・アラブ系・ジプシー系であることを窺わせるような人物が多い、というようなことを述べました。つまり、アングロ・サクソン系ではないというところがミソでありまして、そこにエキゾチックな魅力が生じてくる。 ところがミルズ&ブーン社が1910年代くらいに出していた初期のロマンス小説ですと、ヒーローははっきりイギリス人、しかも落ち着いた紳士であることが多いんですね。思想的には帝国主義的かつ封建的、一見、動かざること大地の如しに見えるのだけど、それでも時々、その強面の陰にある弱い部分をチラッと覗かせ、それでヒロインの愛情を勝ち得る。そのあたりはちょっと現代のアルファ・マン的なところはありますが、少なくとも「エキゾチックな魅力」の持ち主ではなかった。 それが1920年代になりますと、そういう自信に満ちあふれたヒーローというのは姿を消すんです。男臭さでヒロインを圧倒するようなヒーローに代わって、この時代のロマンスの主流になるのは「ボーイ・ヒーロー」と呼ばれるタイプ。身体も小柄で、どちらかというと繊細で優しい、フェミニンな特質を持ったヒーローです。 こうした1920年代のヒーロー像の変化については色々な説があって、たとえば第1次世界大戦で肉体的にも精神的にもダメージを受けた世の男性たちの多くが、その男性性を一時的に失っていたからだ、というようなことが言われたりする。しかし、それよりももう少し直接的な要因として指摘されるのは、1919年に有名になった「アラビアのロレンス」の影響です。小型爆弾を活用したゲリラ戦という斬新な戦法を用い、アラビアの広大な砂漠を舞台に小柄でハンサムなロレンスが活躍するというイメージ、これが「ボーイ・ヒーロー」の原型ではないか、というわけ。ふーむ、なるほど・・・。 そしてもう一つ、アラビアのロレンスの登場によって、がたいが大きく、紳士然とした色白きイギリス人ヒーローよりも、日に焼けた褐色の肌をし、身軽で、情熱的な地中海的ヒーローの方がステキ、という意識が生み出されたことも、言っておかなくてはなりません。そしてこの傾向をさらに高めることに貢献したのが、E・M・ハルという人の書いた大ベストセラー、『ザ・シーク』(1919)です。現在までも続くエキゾチック・ヒーローの系譜というのは、実はアラビアのロレンスと『ザ・シーク』あたりから発しているんです。 ところが流行というのは、振り子のように振幅が大きいもので、ボーイ・ヒーロー時代が10年続いた後、続く1930~1940年代には再び「ファーザー・ヒーロー」の時代となります。これは田舎に広大な土地を持つ大地主であり、かつロンドンで仕事もしている、というような押しも押されぬジェントルマンのヒーローです。ちなみに、ボーイ・ヒーローからファーザー・ヒーローへの流行の移り変わりについても色々ともっともらしいことが言われていて、曰く、第2次世界大戦の混乱の後、人々は落ち着きを求めたのだ、と。ま、それはそうなのかも知れません。そう考えると、ロマンスの変遷を知れば、その時代その時代のツァイトガイスト(時代精神)が見えてくる、なんてことも言えそうですね。ま、後で述べるように、ロマンスの流行と時代精神の変遷とは、必ずしも一致しないところもあるのですが・・・。 ところで、ここで一つ面白いことがあります。それは1940年代を通し、直接戦時中の風俗を描き込んだロマンスというのがほとんどない、ということです。これ、なぜだか分かりますか? 現実生活の中で様々な困難に直面しているのだから、せめて空想の中では戦争と関係のないことが読みたいと読者が思ったから? うーん、鋭い。それも一つにはあるでしょう。しかしですね、一番大きい理由は「再刊する時に都合が悪いから」なんです。第2次世界大戦に限らず、その種の時事ネタというのは、ちょっと時代を経るとすぐに古臭くなってしまう。ですから、戦争ロマンスなんていうのを出してしまうと、10年後くらいに再刊しようと思うと、もう古臭くって使い物にならないんですね。ですから、過去に出版したロマンスを定期的に再刊する慣行があったミルズ&ブーン社では、時代が特定できてしまうような要素をロマンスの中からできるだけ排除しようとしてきた。そこで、あまりにも戦争とリンクしたロマンスというのは、書かせなかったんですね。ビジネス、ビジネス。 ところで、現実生活の中の困難を、ロマンスの中まで持ち込んでもらいたくない、ということについて言いますと、これは1950年代のロマンスについて当てはまるところがあります。この時代、第2次世界大戦後がもたらした社会的混乱・価値観の混乱を背景に、若い世代の人たちが親の世代に反抗し始め、出世コースから意識的にドロップアウトしたり、あるいは不良のグループに入ってその日暮らしの荒んだ生活を始める若者たちが現れ出し、それが社会問題になってきた、というようなことがありました。で、一般の文学の世界ではこの時代、そうした世相を反映した小説が続々と出版され、文学史的には「アングリー・ヤングメン(怒れる若者たち)」の時代と呼ばれているわけ。懐かしいですね、アングリー・ヤングメン。私も若い頃、アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』とか、そういうのに夢中になった時期がありました。 しかしながらロマンスの分野では、「アングリー・ヤングメン・ロマンス」というのはありません。もちろんロマンスですから、最後はヒロインとヒーローが結婚してハッピーにならなきゃいかんわけで、そもそもそういう中産階級的制度に反抗しているヒーローでは描きようがない、というところがある。と同時に、この種の粗暴な労働者階級の怒れる若者たちというのは、現実生活の上であまりにも身近すぎて、ファンタジーの対象にならなかったんですね。 それからもう一つ、1950年代のミルズ&ブーン・ロマンスのヒーロー像で多いのは、社会的成功者です。フェミニンな少年でもなく、かといって郷紳タイプでもない、新しいビジネスマン・タイプのヒーローです。このあたりからミルズ&ブーン社のロマンスのヒーローは、大会社の社長(たとえそれが大伯父さんから譲られたものであろうと)といったような「パワー・エリート」になっていくんですね。そして言うまでもなく、この傾向は現在も続いています。 そして1960年代後半になると、再び肌の色浅黒き、ラテン・アラブ・ジプシー系ヒーローの人気が高まってきます。そしてその決定版となったのが、1969年にヴィオレット・ウィンスピアという人気作家の書いた『ブルー・ジャスミン』なるベストセラー。1919年に出された『ザ・シーク』を明確に意識し、そのちょうど50年後に書かれたこの作品は、エキゾチックでマッチョ、しかも高圧的で無慈悲なボスタイプというヒーロー像を確定し、1970年代以降のロマンスの方向性を決めた作品と言われています。 で、ここで思い出していただきたいのは、ちょうどこのあたり、すなわち1971年という時点で、ハーレクイン社によるミルズ&ブーン社の買収が行なわれた、ということです。つまり、ハーレクイン・ロマンスのヒーロー像というのは、ミルズ&ブーン社がその半世紀を越えるロマンス出版の歴史の中で、様々な紆余曲折を経ながら作り上げてきたヒーロー像の、その最後のパターンを踏襲し、これを発展させたものなんですな。そしてその結果誕生した「アルファ・マン」の何たるかは、前回お話しした通りです。 さて、これでようやく一通り、ロマンス・ヒーローの条件についてお話しし終えました。次回こそは、ヒロインとヒーローの恋愛におけるおとぎ話的要素、というところに話を進めることといたしましょう。ということで、次回もお楽しみに! 「お気楽日記」は夜更新しまーす。
September 26, 2005
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大相撲秋場所、千秋楽が終わりましたね。結局、朝青龍の6連覇か。やれやれ。 ま、確かに朝青龍はダントツに強い。それに、あの勝負への執念は大したもんだと思います。しかし、個人的に好きな相撲取りかというと、決してそうではないんだなー。 それは一つには、彼のこれまでの言動に、私の目から見て好ましからぬところが多々あるからなんですね。たとえばいかに利き腕とはいえ、懸賞金を受け取る時に左手を使うことも気に入らない。これは相撲の一つの型なんですから、それを守らないというのはどうかと思います。また、かつてモンゴル人力士の先輩たる旭鷲山関に対して彼がとった態度も、横綱の品格に大いに欠けるものでした。 また今場所でも何度か見せましたが、相手力士に思わず攻め込まれた時など、明らかに顔面を狙った張手を繰り出すことも見苦しい。相撲は喧嘩じゃないんだ。見苦しいと言えば、土俵の上で怒りを露わにしたり、逆にしてやったりの得意気な表情を見せるのも、はっきり言って下品です。 木鶏たらんと精進を重ねた双葉山のことは言うまでもなく、大鵬や北の海、あるいは千代の富士といった横綱たちは、土俵上でああいう態度を見せることなどなかったですよ。相撲というのは一種の神事であって、単なる格闘技ではないんです。勝った負けたで喜んだり悔しがったりするざまを、土俵の上で見せないで欲しい。もはやすっかり天狗になった朝青龍は、師匠の言うことなど聞かなくなってしまったとも聞いていますが、それならそれで、相撲協会がその辺のところをしっかり教育しなくちゃ。 ま、朝青龍のファンというのだって沢山いるはずで、そういう人たちはまた私とは異なった意見を持っているでしょうが、上に述べたような理由もあって、今場所もまた朝青龍の優勝かよ、というガッカリした気持ちを抑えることができませんなあ。 それにしても琴欧州は残念でしたけど、先場所、今場所と大分力をつけてきたようですから、来場所以降、また頑張って欲しいですね。琴欧州の場合、相撲自体よりも精神面だよなー。あと負け越したけれど、横綱をものの見事に倒した安美錦は、体も大きくなって面白い相撲取りになりましたね。足の怪我を直して、頑張ってもらいたいです。ちなみに今場所一番面白かったのは、時天空対安馬の水入り相撲かな。私からベストマッチ賞を進呈しましょう。 さて、秋の入りの楽しみの大相撲の千秋楽を見終えた私は、家内に付き合って夕食の買物に近所のスーパーに行きました。一日中家に居るのも何なので。そうしたら、栗ご飯用なのか、剥き栗のパックが割と安い値段で売っているではないですか! おーし、これを私が煮てやろうじゃないの! 栗を水と砂糖で煮る。ただそれだけなんですが、私はこれが好きでね。簡単に出来て、とてもおいしいおやつになります。先程ちょっと仕事が一段落ついたので、この日記を書き終えたらすぐに煮始めようと思っています。そして一晩味を含ませて、明日食べましょう。うーん、今から楽しみです。 あ、そういえば私はダイエット中なんだった! ま、この際、栗はノーカウントということにしましょう! 段々、ノーカウントの甘味が増えていくような気がしますが、気にしないようにしましょう。今日は千秋楽なんですから! (意味不明・・・)
September 25, 2005
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前回までハーレクイン・ロマンスに登場するヒロイン像がどのようなものか、ということについて説明してきましたが、今回はヒーロー像について若干の説明をしておきましょう。既にお話ししたように、ロマンス小説におけるヒロインとは、(女性)読者が自己没入する器ですから、これが重要なのは当然です。しかしヒロイン(=女性読者)が恋愛の対象とするヒーロー像もまたそれと同様、非常に重要な要素になってくることは言うを待たないでしょう。何しろ、ハーレクイン・ロマンスを読んでいる世界中の女性たちの心を等しく虜にしなければならないのですから、ヒーロー役も大変です。それだけにハーレクイン社としても、そのヒーロー像について周到な造形を用意しているはず。 ところが・・・ハーレクイン・ロマンスのヒーローというのがまた、実に一本調子なんですなー。それはもう情けなくなるほどのものでして・・・。 まず外見ですが、全員、見上げるほど背が高いです。感じとしては185センチから195センチの間という感じ。ハーレクイン・ロマンスには背の低いヒーローというのは絶対に出てきません。また当該のストーリーに他に男の登場人物がいる場合、特にその登場人物がヒロインに恋心を抱いている「ライバル男」である場合には、そいつよりヒーローの方が背が高いということが必ずどこかに明記されます。要するにヒーローというのは、すべての登場人物の中で一番背が高い奴なんですね。 しかも背が高いだけでなく、「胸板が厚い」男でないとダメなんです。ハーレクイン・ロマンスでは筋骨隆々のマッチョマンしかヒーローにはなれません。しかも彼らの大半は肌の色浅黒く、瞳は黒、髪も黒ということになっている。さらにこうした体格・体色にふさわしく、顔つきもまた精悍で野性的、もちろんとんでもない美形です。人種的には、コーカサス系というのはあまりなくて、ラテン系、いや、アラブ系? いやいや、ジプシー系? ま、よく分かりませんが、とにかくそっち系の、情熱的な性格の男が圧倒的多数。実際、ハーレクイン・ロマンスのヒーローは皆、血の気が多くて、何かというとすぐ感情を爆発させます。しかもそんなふうでいて、じゃあオツムの方はお馬鹿さんなのかと思うとそんなことはなくて、大抵、とんでもなく頭がいいということになっている。要するに天がたまたま二物を与えてしまった男なわけですよ、ハーレクイン・ロマンスのヒーローっちゅーのは。 しかもそれだけではない。彼らは皆、揃いも揃って大金持ちです。それも自分の額に汗して稼いだお金ではなく、大叔父さんからの遺産としてもらった資産です。あるいは、大会社の社長の地位を大伯父さんから譲られたとか、そんな感じ・・・と言うと、何だか「大叔父さん」から譲られてばかりいるようですが、実はここがまたミソなんですね。ハーレクイン・ロマンスのヒーローは、大抵、直接の両親とは折り合いが悪いんです。実の母親が死んで、親父は再婚、で、この継母が最低の女で・・・とか、まあそんな事情です。で、そんな事情ですから、幼少の時からヒーローは直接の肉親から愛情を注がれたことがない。心の底では愛情に飢えていながら、その愛情を人に求める術を知らず、自分の愛情を人に示す術も知らないんですね。だからこそ彼の心は荒んでいて、それを隠すために荒々しい行動をとったりするわけ。つまり、ハーレクイン・ロマンスのヒーローというのは、大金持ちの「傷ついた野獣」なんです。 いずれにせよ彼らは、ハンサムで文武両道、大金持ち、人に命令することはあっても、人から命令されることはないという男ばかり。で、こういうタイプのヒーロー像をロマンス・ファンは通常、「アルファ・マン」と呼びます。ですから、「ハーレクイン・ロマンスのヒーロー? ああ、アルファ・マンね」と軽く言っておけば、あなたもロマンス小説愛好家たちの会話に加われるんです。もし加わりたければ、の話ですが。 ところで、こうしたヒーロー像を頭に置いた上で確認しておかなくてはならないのは、ハーレクイン・ロマンスにおけるヒロインとヒーローの際立つ対比です。ヒロインが金髪・碧眼・小柄で華奢、どこにでもいそうな「ちょっと可愛い」タイプで、財産も何もない、ただのOLであるのに対し、方やヒーローは全知全能のアルファ・マンですからね。しかもそれに加えて二人の年齢差という問題もある。先にハーレクイン・ロマンスのヒロインというのは、10代・20代の小娘だと言いましたが、対するヒーローはそれよりもよっぽど年上です。世の中には暇な人がいて、両者の平均的な年齢差を計算した人がいるのですが、その人のデータを拝借すると、二人の歳の差は平均して12歳だそうですから、つまり一回りばかり年上ということになる。まあ、大人と子供ですね。 ですから、ハーレクイン・ロマンスのヒロイン像・ヒーロー像の設定における重要なポイントは、二人が「釣り合わないカップル」である、というところにあるんです。どう見ても釣り合わない二人、どう見ても出会いのなさそうな二人、どう見ても気が合わなそうな二人、この二人が何と恋に落ちる! というところに、ハーレクイン・ロマンスのヒロイン・ヒーロー像の設定の妙があるんですなー。 というのも、「釣り合わないカップル」が結ばれるということこそ、実はロマンス小説で一番大事なところだからです。「シンデレラ」のことを思い出して下さい。王子様が最終的に惚れるのは、お金持ちの娘ではなくて、継母にいじめ抜かれ、灰をかぶって家の掃除をさせられていた惨めな女の子だったでしょ? そういう地味な、目立たない、一番自己主張の少ない女の子が、最終的に王子様に選ばれるというところにこそ、ロマンス小説の奥義があるわけですよ。 ところで、今、シンデレラの話を出したのは偶然ではありません。この種のおとぎ話的要素というのは、ロマンス小説の構造にとって非常に重要なんですね。というか、ロマンス小説というのは、まさにそうしたおとぎ話の組み合わせで出来上がっていると言ってもいい。そこがまた面白いのですが、その辺のことについては、また明日以降にお話ししていきましょう。それでは、次回もお楽しみに! お気楽日記は、また夜、更新します。そちらも乞うご期待!
September 25, 2005
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今日はさしたるイベントがなかったのですが、そんな中、先日から暇な時間にポツポツと読んでいた新井潤美(めぐみ)さんの『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)を読み終わったので、そのことを少しだけ書いておきましょう。 この本は、イギリスの有名な文学作品の中から、特に映画化されたことによって多くの日本人にも親しまれている作品を幾つか選び、原作と映画版の異同なども比較しつつ、その中に描かれた「階級意識」に焦点を当てながら、分かり易く解説を加えたものです。取り上げられた作品には『メアリー・ポピンズ』をはじめ『レベッカ』『時計じかけのオレンジ』のようなちょっと古めのものもあれば、『ブリジット・ジョーンズの日記』とか『ハリー・ポッター』のように若い人向けの新しい作品もあるといった調子で、どの世代の人が読んでも、興味が持てるようになっている。 と言っても、内容はなかなか高尚です。新井さんによれば、イギリスでも「階級なき社会」が広まって来ているとは言え、「階級意識」自体は依然として残っており、それは特に「言葉遣い」に如実に現れてしまう。つまり、服装がどんなに華美で、またどんなに財産を持っていようとも、その人の言葉遣い一つで、お里が知れてしまうということがあるし、逆にどんなにぼろい服を着、ぼろい家に住んでいても、ちょっとした言葉の発音一つで、あ、この人は上流社会の出身だな、ということが分かってしまったりする、ということらしいんですね。 ですから、小説でも映画でも、それぞれの登場人物が話す言葉遣いや発音といったものは、その登場人物が属する社会階級を表しているのであって、当然のことながら作家も映画製作者も、ちゃんとそれを計算しているわけ。それも小説・映画の設定のうちであって、そこにはちゃんと意味がある。ですから、そういった言葉遣いや発音の違いを敏感に察知できないと、その小説や映画の言わんとしていることを見逃してしまうかも知れないわけです。うーん、恐ろしいではないですか! ひょっとして、今まで分かったつもりになっていた作品でも、実はそうした言葉遣いや発音の違いに気づかず、それが表しているはずの微妙なニュアンスをすべてすっ飛ばしていたのかも知れないわけだ・・・。 しかもさらにこんがらがるのは、そういった言葉遣いや発音が示す微妙なニュアンスも、小説が映画化される時にカットされることがある、ということなんですね。それは、たとえば外国ではその種のニュアンスが理解されないから、という理由によることもあるし、また映画の舞台がイギリスからアメリカに変えられたから、ということもある。しかし、いずれにしても、登場人物の言葉遣いや発音が示す微妙なニュアンスをカットしたり、別な設定に置き換えたりしていること自体、そこには映画製作者の意図が込められているわけですから、原作と比べて、どこがどう変えられているかということまで飲み込んでいないと、映画版に込められた意図もまた、理解できないということになる。オー、マイガッ! もちろんそういった微妙なニュアンスは、翻訳で本を読み、字幕で映画を見ている我々日本人にとっては、察知できるはずがありません。ましてや、イギリス社会における階級差や階級意識というもの自体についての基礎知識がない者にとっては、お手上げです。 で、新井潤美さんのこの本は、その辺のところを上手に解説してくれているわけ。ですから、読んでいると「なーるほど、そうだったのか!」と気づかされることが多々あります。まさに目からウロコ! それにしても、我々に分からないことが、なぜ新井さんには分かるのか。それは、彼女が幼少のみぎりからイギリスで暮らし、ほとんどあちらで教育を受けて育ってきたからです。つまり、彼女はほとんどイギリス人と同等の英語のセンスとイギリス体験があるんですな。だから、イギリス英語のニュアンスの違い、イギリス人の階級意識というものを、普通のイギリス人と同じように察知できるわけ。あー、羨ましいこって。 というわけで、イギリス文学の名作にある程度親しみがあり、また映画好きな人にとって、この本は、それらの作品に込められたイギリス特有の階級意識についての基本的な知識を得られるという点で、それなりに楽しめる本だとは思います・・・。 アレ? 何だか奥歯にモノの挟まったような褒め方だな・・・。そう思った人は鋭い! 最後の方まで褒め上げておいて、最後の最後で欠点をあげつらって落とすというのは、書評の風上にも置けない最低のものだ、と、どこかで小谷野敦さんが書いていました。しかも新井さんのこの本は小谷野さん絶賛だそうですから、さらに気が引けますが、最後に少し、この本に関して私が不満に思う点をあげつらっておきましょう。 この本は、確かに日本人の盲点をついていて、面白いテーマを扱っているんです。実際、上で述べてきたように、とても勉強にはなる。しかし、この本を最後まで読んでも、私は一度もニコニコすることがなかった。それどころか、ニヤリとすることすらなかった。むしろ、顔が青ざめることの方が多かったんですね。この人の書いていることを読んで、さらにこういったことについての知識を得たいという、ワクワクした気持ちにさせられるよりも、むしろ「この人には分かるかも知れないけど、私には分からないよ」と思わされることが多かった。つまり、この本を読んでいると、何とはなしに萎縮させられてしまうんですよ。「いかにも頭のいい若い学者さんの書いた本だなー」とは思うのですけど、そこで終わってしまう。 でも、私が思うに、頭がいいということを読者に察知されるようじゃ、その著者はあんまり頭よくないんじゃないかなー? あー! 言ってしまった! でも、読者を萎縮させるような書き方というのは、結局、自分が高いところにいて、読者が低いところにいるということを、当の読者に気取らせてしまうような書き方なんですよ。それは、いわば子供の自慢みたいなもので、私から見れば、子供っぽい書き方なんだなー。私が『不機嫌なメアリー・ポピンズ』を読んで、若干不機嫌になった原因は、そこにあるんです。 ま、新井さんだって、こんな本、ある意味、手慰みに書いたのだろうから、それでこんなこと言われたくないかな? でも、一人の読者として思ったことを言わないと、個人的なブログでの書評の意味ないですから。 ということで、この本、ちょっと不満もあるけれど、と添え書きした上で、「教授のおすすめ!」です、ということにしておきましょう。実際、よく書けてはいるんですよ・・・なんて、いまさらフォローしても遅いか!
September 24, 2005
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ロマンス小説史の続きです。数えてみたら今回で19回目なんですね。ですから、今回から標題に回数を記しておきましょう。 さて、ロマンス小説というものは、その文学ジャンルが生まれた時からして既に「女性向け」のものであるということが強く意識されたものだったということをお話ししてきました。だからこそ、ロマンス小説というのは基本的にヒロインの視点から物語が綴られるわけですが、ハーレクイン・ロマンスではこのルールは鉄の掟となっていて、それ以外のパターン、たとえばヒーローの視点から語られる物語なんていうのはありません。 ちなみに「ヒロインの視点」ということは、実は、かなり早くから意識されてきたことではあります。1921年にパーシー・ルボックという人が『小説の技巧』という本を書いていて、この中でルボックはフローベールの『ボヴァリー夫人』を例に挙げながら、成功する小説はヒロインの視点から描かれる、というようなことを主張しているんですね。ですから、ヒロインの視点で描く、というロマンス小説の一つの約束事のことを、「ルボックの法則」なんていうふうに言い表すことがあります。ハーレクイン・ロマンスは、まさにこの「ルボックの法則」を遵守しているわけ。 ところで、ハーレクイン・ロマンスにおいてそのストーリーが常にヒロインの視点から語られるとなると、当然、それを読んでいる女性読者は、ヒロインと同じ立場からヒーローの行動に一喜一憂することになります。ですからヒロインに自己投影できるか否かというのは、ハーレクイン・ロマンスにとって非常に重要な問題なんですね。ですからハーレクイン社では、ヒロインの設定にはとても気を使います。読者調査を頻繁に行なって、どういう設定だと読者の受けがいいかを見極めながら、これぞ! というヒロインの造形を完成させてきたんです。 そのヒロイン像をここでもう一度復習しておきますと、まず重要なポイントは「若い」ということ。実際、ハーレクイン・ロマンスに登場するヒロインの大半は、ハイティーンから20代はじめ、といったところです。ハーレクイン・ロマンスの愛読者には既婚者が多いので、ヒロインの年齢は平均的な読者の年齢層よりもかなり下、ということになるのですが、実はそこがミソなんですね。つまり、現在ヒロインが経験しつつあるような恋のトキメキ、あるいはそこから結婚に至るプロセスのすべてを、読者の方は既に経験しており、その点、読者はヒロインより常に「経験豊富」ということになる。そこが重要なんですよ。 要するに読者はヒロインよりもはるかに「恋のベテラン」なんですね。だから読者にはヒロインが置かれている状況が、ヒロイン以上に見通せるわけ。それゆえに「ヒーローがああいうことを言ったのは、あなた(ヒロイン)のことが嫌いだからではなくて、関心があるからなの! がっかりすることなんかないのよ!」などとヒロインを励ましながら、彼女の恋を応援できるんです。そしてそれはまた、かつて自分が経験した甘く切ない恋の思い出をヒロインと共に追体験することでもある。ハーレクイン・ロマンスの読者というのは、まさにそういうことを求めてこれを読んでいるので、若かりし日の自分と重ね合わすことができるよう、ハーレクイン・ロマンスのヒロインは若くないとまずいんですね。 しかし、ただ単に若いだけでもダメなんです。そこはそれ、ロマンスの主人公なんですから、ハーレクイン・ロマンスのヒロインは可愛くなくてはいけない。しかし、実はここも匙加減が難しいところで、ヒロインが「絶世の美女」、というのではダメなんですね。何せ、ハーレクイン・ロマンスの読者はヒロインに自己投影しますから、それが「絶世の美女」ではちょっとまずい。いくらなんでも自分が間違いなく「絶世の美女」だと思っている読者は、そう多くはないですからね。 でも、女性なら誰だって人生のどこかの時点で、人から「可愛いね」の一言くらい言われた経験はあるでしょう? そんなこと一度もないという方だって、ほら、七五三で初めて着物を着た時とか、小学校に上がって初めてランドセルを背負った時とか、近所のおばさんに「可愛い(着物・ランドセル)!」と言われたことがあるでしょう?(ボカッ) ・・・で、その一言が生涯の心の支えになっていたりするでしょう? (ボカボカッ!) ・・・ アレ、なんか私、まずいこと言ってますか・・・。ま、それはともかく、誰でも「可愛い」程度の形容詞なら自分のこととして容認できるので、ヒロインが「可愛い」女の子であるのはまったく問題がないわけです。 ただ、ハーレクイン・ロマンスのヒロインの可愛さのポイントが目もとにあるところにはご注目下さい。「目は心の窓」と言いますように、ヒロインの可愛さというのは、顔の造作というよりもむしろ心映えの美しさにこそあるということが、こういうところに暗示されているんです。だってそうしておいた方がより多くの読者の共感を得られるでしょ? ハーレクイン・ロマンスを嘗めてはいけません。こういう些細なところでの芸が細かいんですから。ついでに言うと、ハーレクイン・ロマンスのヒロインは大抵金髪・碧眼で小柄で華奢だ、ということも押さえておかなければなりません。もっともこれは大柄で黒目・黒髪の逞しい男であることの多いハーレクイン・ロマンスのヒーローとの対比で考えるべき問題ですので、またその辺りのことをお話しするときに言及することにします。 それからヒロインの造形に関してもう一つ重要なのは、その出自・家柄です。実はこれはヒロインのルックスよりもはるかに重大な問題なんですね。というのも、思い出していただきたいのですが、ハーレクイン・ロマンスというのは、もともとイギリスのミルズ&ブーン社が編集したブリティッシュ・ロマンスなのであって、階級制度の依然として厳しいイギリスでは、ヒロインの出自・家柄というのが問題にならないはずはないんです。 たとえば、19世紀の著名なイギリス作家ジェイン・オースティンの諸作品、たとえば有名な『高慢と偏見』などを読むと、ここで描かれる様々な恋愛模様の中で、登場人物たちが互いに恋愛対象の社会階級のことをやたらに気にし、また口にする。で、すったもんだの末に、大体同じくらいの社会的地位にあるもの同士が結婚して丸く納まる、という結末になる。アレ? 恋愛っちゅーのはそもそも身分・階級を超越するものなんじゃないの? と思っている我々日本人読者としては、オースティン作品に描かれるこういう側面に今一つピンと来ないことが多いのではないかと思いますが、とにかくイギリス生まれのロマンス小説の中では、ヒロインとヒーローの社会的な階級が常に問題になるんですね。 では、ハーレクイン・ロマンスの場合はどうかと言いますと、どうもそこが曖昧です。私の印象としては、ヒロインの出自は労働者階級ではないように思われる。かといって明らかに上流階級出身でもない。となると中流階級ということですが、その割に貧しい感じがしますから、正確には下層中流階級くらいかな? しかし、実はその辺のことはハーレクイン・ロマンスのストーリー展開にはあまり係わらないんですね。というのも、小説がスタートする時点で、ヒロインの両親は大抵死んでいるからです。しかも、「二人とも病死」という設定だとやや不自然になるため、大概は交通事故で一遍に死んだことになっている。つまり、ハーレクイン・ロマンスのヒロインというのは、天涯孤独という立場に置かれることで、半ば、出自・階級のしがらみから解放されているんです。 「ヒロインには親がいない」というこの設定に関しては、しかしながら、実は他にも色々と複雑な事情が絡まりあっているんです。たとえば「ロマンスのルールに抵触しなくて済む」というのも、その一つ。 たとえば、ヒロインの親が存命だった場合を考えてみましょう。その場合、ヒロインの危なっかしい恋に口を出して来ない方がむしろ不自然です。事実、ハーレクイン・ロマンスのヒーローというのは人格的にどうかと思うような人が多いので、私が親だったら娘がそんな男と付き合うのには大反対です。しかし、そんなことを考慮していると、ハーレクイン・ロマンスの中に「ヒロイン側の親の反対」という要素が入ってきてしまう。でもそれではロマンスがロマンスでなくなってしまうんですね。 実は、ロマンス小説には「ヒロイン側の親の反対があってはいけない」というルールがあるんです。このルールが守られないと、小説はどうしても悲劇になってしまうからです。ほら、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を思い出して下さい。ジュリエットの両親(特にオヤジ)がヒロインの恋に反対して口を出すもんだから、ジュリエットもロミオも死んじゃうじゃないですか。だから『ロミオとジュリエット』という作品はロマンスではなく、悲劇なんです。18世紀半ば以降に生まれたロマンス小説というのは、最後にヒロインとヒーローが結婚して幸福になる小説のことを指すのですから、ヒロインの親の反対で主役の二人が死んでしまったら、それこそ「お話しにならない」わけ。 ですから、ロマンス小説ではヒロインの親が口を出さないような状況というのが必要になってくるわけ。たとえば先に挙げた『高慢と偏見』では、ヒロインのオヤジが家のことに異常に無関心という設定にすることで、「親の反対」という障害を回避しています。なかなか面白いオヤジなんですけどね。ま、それはともかく、ヒロインの親がヒロインの恋に干渉しない工夫がロマンス小説には必要なんですが、この解決法として一番簡単なのが、ヒロインの両親を殺してしまうことであるのは、誰にも思いつくことでしょう。で、だからこその「交通事故」なわけですよ。ハーレクイン社はロマンスにも効率を重んじますから、できるだけ簡単な解決法を選択するんですね。第一、これは後でも述べますが、ハーレクイン・ロマンスというのは大体どれも192ページ前後で終わることになっているので、ヒロインの両親は生きているけれど、なぜかヒロインを放りっぱなしにする、そのあたりの事情をくだくだしく説明している暇はないんです。 とまあ、そういう色々な事情が背景にあって、それでハーレクイン・ロマンスのヒロインには両親がなく、天涯孤独で自立して生きているという設定になっているんですね。で、先にも言いましたように、そのことによって彼女の身分・階級は曖昧にされ、ただ「自分で働かないと食べていけない若い女の子」という部分だけが設定として残されるわけなんです。ここがうまいところなんで、なんとなれば「自分で働かないと食べていけない若い女の子」なんて、世界中どこにでも存在しますからね。もちろん実際に両親が揃っていたとしても、都会で一人暮らしをしながら働いている若いOL、心情的に天涯孤独な思いをしている若いOLなんて、世界中、どこでもいる。日本にだって沢山いるでしょう。だからこそ、ハーレクイン・ロマンスのヒロインは、世界中の女性たちから共感されるわけなんです。ハーレクイン・ロマンスが、イギリス生まれのロマンスという地域性を一方で持ちながら、他方、世界中どこへ持って行っても通用する普遍性を持っているのは、こういうヒロインの設定に理由があるんですね。 最後に、ハーレクイン・ロマンスのヒロインが世界中どこへ行っても共感される理由をもう一つだけ付け加えるとするならば、それは彼女の性格がいい、ということです。しかも、ただ優しいとか、ただ朗らかとか、そういうのではダメなんです。ハーレクイン・ロマンスのヒロインは、それらにプラスして「正義感」と「元気」を持っているんですね。この二つがあってこそ、小説の半ばあたりで必ず登場してくる「ライバル女」との対決に勝利することができるんです。しかし、その辺りのことについては、また次回以降にお話ししていきましょう。 今日は長くなってしまいましたので、この辺でおしまいにしますね。「お気楽日記」はまた後で更新します。こちらの方もお楽しみに!
September 24, 2005
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今日は夕方から名古屋駅前のJR高島屋で行なわれているパティスリー展と、愛知県美術館で開かれているゴッホ展という、二つの「展」に行ってきました。 ちなみにわざわざ名古屋の街中までパティスリー展に行こうと思ったのは、先日のブログに書きましたように、私の教え子のNさんが「パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウ」のブースでケーキを売っているという知らせを受けたので、ぜひ顔を見に行こうと思ったためです。 で、実際に行ってみるとJR高島屋10階の特設会場は黒山の人だかり。日本全国のケーキの名店ばかりが一同に集まっているのですから、すごい人気なのも当然でしょう。で、肝心の「フジウ」のブースは、と探すと・・・おう! 会場入り口付近の一等地にあるじゃないですか。見るとNさんも元気にお客さんの応対をしています。 あまりにも忙しそうだったので、彼女に声を掛ける前にとりあえずケーキの品定め・・・。うーん、どれもおいしそうなケーキです。でも今日はこの後さらにゴッホ展に向かう予定なので、生クリーム系のものは避けた方がいいかな・・・。ということで、アーモンドや果物などを焼き込んだ焼き菓子とチョコケーキ、そしてガレットを買うことにしました。そして、一瞬、手の空いたところを見計らって声を掛けると、Nさんもこちらに気づいてニッコリ。そして私の前のお客さんを捌いてから、私の注文したケーキを箱に詰めてくれました。こっそりサービスで紅白のおいしそうなマシュマロを入れてくれたりして。次のお客さんが待っているので、ほんの一言二言だけ言葉を交わしただけで、あまり長々とお話しはできませんでしたが、それでも元気そうなNさんの笑顔が見られたから、わざわざここまでやってきた甲斐があったというものです。また今度、実家に戻った時に、高幡不動のお店に寄るからね! かくしてNさんのところでケーキを買ってから、今度は名古屋一の繁華街・栄の外れにある愛知県美術館へ。今開かれているゴッホ展は愛・地球博とのジョイント開催なので、こちらも9月25日で終了なんです。ですから、こちらの方も一応駆け込みで見ておこうかなと。通常とは異なり、昨日から会期の終わる25日まで、連日8時までオープンしているので、昼間の混雑を避けて6時頃に入館しようというのが私と家内の狙いです。 しかし、やっぱりゴッホ展というのは、どのタイミングで行こうが混雑するもんなんですね。今日も、午後6時過ぎという、美術館に行くにしては妙な時間帯に訪れたのに、会場は相当な人数の人でごった返しています。やれやれ、一昨日の万博に続いてここも人込みかと思ったら、見る前から意気消沈! トホホ・・・。 ちなみに今回の演し物は、「ゴッホ美術館」と「クレラー=ミュラー美術館」が所蔵しているゴッホの作品なんだそうですが、その割にゴッホ本人が描いた作品が少なく、3分の1くらいはゴッホ以外の画家の作品でした。つまりゴッホに色々な点で影響を与えた画家たちの作品を、ゴッホ自身の絵と並行して展示してあるので、ミレーだとかセザンヌだとか、シニャックだとかゴーギャンだとか、あるいは日本の浮世絵だとか、そういったものが全展示に占める割合がかなり高いんです。ですから、正確には「ゴッホ展」というより、「ゴッホとその周辺展」と言った方がいいんじゃないかな・・・。 で、今回の展覧会を見た私の感想はと言いますと・・・、「もう、わしゃ『ゴッホ展』には行かん!」です。 いや、もちろんゴッホに罪はないんです。今回の展示だって、ゴッホの代表作と言えるものが何点かはありましたし、またゴッホの初期の作品から晩年の作品まで一通りは見られるので、その間の異様な成長ぶり、というか、ゴッホがすごい勢いでゴッホになっていく過程が見られて面白いことは面白い。 しかーし! 黒山の人だかりの、その頭越しに名画を見たって、なーんの感慨も湧きゃしませんって! あーあ。もう、アレですね。ゴッホっていうのは、もう鑑賞不可能になってしまったんじゃないか知らん。それは日本においてだけでなく、多分アメリカに持って行っても事情は同じだろうと思います。私がロサンゼルスに留学していた時、ロサンゼルス現代美術館で「ピカソ展」をやったことがあったのですが、あまりの混雑ゆえに、同美術館の会員としてその展覧会を見る権利があったにも係わらず、ついに私は美術館の中に入ることすらできませんでしたから。ゴッホもピカソも、もはや珍獣パンダと同じになってしまった。ギュウギュウ押しまくられながら、一瞬だけ拝顔の栄を賜って、その瞬間「あ! 見えた!」なんて言って小躍りするために美術館に行くなんて、私はゴメンです。もうこの先、私がゴッホ展を見に行くことは、多分ないですね。あるいはうーんと偉くなって、展覧会の会期前にこっそり見せてもらうかですな。そっちの方がもっと可能性は少ないですけど。 ということで、他人の後頭部を鑑賞することにすっかりうんざりしてしまった私と家内は、いつもなら4、5枚は買うお土産の絵葉書一つ買うことなく、美術館を後にしたのでした。 さて、帰宅してから簡単に夕食を済ませ、その後、気を取り直して手間をかけてコーヒーを淹れ、Nさんのところで買ったケーキをデザートとして食べましたが、こいつはうまかった! 花より団子、ゴッホよりパティスリー・ドゥ・シェフ・フジウのケーキですわ! 今日は二つの「展」を見に行って、そのうちの一つは私の期待を裏切らなかったですから、まあ、今日もいい日だったんじゃないかな? ゴッホ展はともかくも、フジウのケーキは「教授のおすすめ!」です。それでは最後はラップ風に。YO、YO、YO、名古屋の皆さん、27日までですYO! JR高島屋に急いでGO! (あー、恥ずかし!)
September 23, 2005
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ロマンス小説史の続きです。 さてこのところずっとサミュエル・リチャードソンという人の書いた『パミラ』(1740)という作品に言及し、この作品が18世紀半ばという時代にイギリスの女性たちに非常によく読まれていたということを述べてきました。しかし、そもそも「女性が本を読む」ということの意義について、これまであまり触れてこなかったような気がしています。そこで今日は、特にそのことについて若干の解説を加えておきましょう。 よく指摘されることですが、「女性が本を読む」ということもまた、中産階級の勃興と共に考え合わせなければならないことの一つです。というのは、それ以前の社会では農業に携わるにしろ、商業に携わるにしろ、完全な「男女共同参画社会」だったのであって、夫も妻も同じ職場で朝から晩まで働き、本など読んでいる暇はなかったからです。しかし17世紀から18世紀にかけて産業革命が起こると、中産階級の家庭においては、夫が会社なり工場なりに行って稼いできた給与でもって家族が不足なく暮らせるようになってしまいます。つまり妻は生計を立てるための仕事から解放されることになるんですね。さらにまた召使を雇う経済的な余裕のある家庭ともなると、妻は家事全般からも解放されてしまう。もはや家庭の中の女性は、家の内でも外でも引き受けるべき「仕事」がなくなってしまうわけです。で、すっかり暇を持て余すようになってしまった女性たちは、その暇を潰すのに「読書」にふけるようになった。それが中産階級の女性の読書習慣を形成する大きな要素だったというわけ。かくして18世紀半ばには、中産階級に属する女性たちが本を読むということは、ごく普通のことになったんですね。 ところで、この時代における「女性読者」の存在を確認する資料として、「絵画」というのも重要です。というのも、18世紀の半ばから後半にかけて、本を読んでいる女性を描いた絵画というのがやたらに登場するからです。 中でも一番有名なのは、フランス・ロココ時代の代表的な画家フラゴナールが描いた「読書する若い女性」(1775)の絵でしょう。これはフランスの絵ですが、探せばこのモチーフを扱った西欧絵画というのは、フランスに限らず、いくらでも出てくる。ですから「女性が本を読む」ということは、18世紀の西欧諸国においては、珍しい風俗ではなくなっていたとことが分かるんですね。といって、もしそれがもっと以前からごく普通に見られたことであれば、わざわざ絵画の画題にはしないでしょうから、女性が本を読むということが当時それなりに新しいファッションと考えられていたであろうことも分かるわけ。 そのような視点で絵画の中の女性たちのことを考えてみると、その時代その時代の事情というものが窺われて面白いのですが、例えば17世紀には「手紙を読む女」がしばしば画題になっている。代表的なのは、オランダの画家・フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」ですね。当時オランダは海洋王国でしたから、フェルメールの絵に出てくる「手紙を読む女」たちは、船に乗って海外に行っている夫や恋人からの手紙でも読んでいるのかも知れません。 さて、話を18世紀に戻しますが、18世紀に頻繁に描かれた「本を読む女」の絵を見ると、大抵、女性が一人で本を黙読していることに気付きます。実はここがもう一つのポイントです。というのも、本を黙読するというのは、実はそんなに昔から行なわれてきた風習ではないからです。 それ以前、本を読むというのは、つまり「本を声に出して朗読する」ということでした。識字率が低かった時代には、文字を読める人が本を朗読し、それを文字の読めない人々が聞くというスタイルしか取れなかったということもありますが、それ以後も本(あるいは新聞など)というものは大勢で読むものだという概念は根強く残った。特に男性にはこの嗜好が強かったらしく、例えば18世紀のイギリスでも、当時流行していた女人禁制の「コーヒーハウス」などで、一人の人が『タトラー』紙や『スペクテイター』紙といった新聞を朗読し、それを聞いていた人々がその内容について激論を交わす、なんていうことが盛んに行なわれていたと言います。当時の男性にとって本を読むということは「社交」の一部であって、社交としての読書でない読書、つまり部屋に籠もって一人で本を黙読することなぞ、何のためにするのか分からないような、つまらないことだったのでしょう。 ですから「一人で私室に籠もって本を黙読する」というのは、女性ならではの楽しみだったんですね。100年前の17世紀の時点から「一人で私室に籠もって手紙を読む(書く)」ことをしてきて、「文字に親しむ」ということと「一人きりになる」ということがほぼ同義だった女性たちにとって、本を一人で黙読する楽しみというのは、ほとんどもって生まれた嗜好だったのかも知れません。 そういう点から考えていくと、このところずっと話題に上せている『パミラ』という小説が、書簡体小説であるということもちょっと興味深いところです。この小説、パミラという召使の少女が、自分を誘惑しようとしている雇い主の主人との関係を親に宛てた手紙の中で逐一報告をする形で進んでいくのですが、ということはつまり、この小説を読む女性読者は、「私信を書く」という女性的かつ個人的な行為を、「黙読」というもう一つの女性的かつ個人的な行為でもって追体験する、ということに携わることになる。「誘惑」や「結婚」といった小説の主題自体もさることながら、『パミラ』という小説が当時のイギリスの女性たちを虜にしたもう一つの理由は、この小説にはこうした何重もの「女性好み」の仕組みがあって、それがこの『パミラ』という小説を、はっきり「女性読者向け」にしていたことにあるのではないかと、私は思っています。そして、このことはまた、現代の「ハーレクイン・ロマンス」の読者がほぼ100%女性であること、さらにはハーレクイン・ロマンスを読む女性たちが、ハーレクイン・ロマンスを読んでいること自体を恥じ、家族にすら隠れてこっそりと「私室に籠もって」読んでいることなどとも係わることなのではないかと思っています。しかし、その辺のことについては、また稿を改めましょう。 いずれにせよ、18世紀に登場した恋愛小説なるものが、色々な意味で「女性」をターゲットにしたものであったことは確かです。ですから恋愛小説がこの先、「女性読者に気に入られるにはどうしたらいいか」ということだけを追求して発展していくのも当然で、その結果として誕生したのがまさにハーレクイン・ロマンスなわけ。あれは、いわばもうこれ以上発展のしようがなくなってしまった恋愛小説の最終形なんです。ですから、ハーレクイン・ロマンスを分析することは、恋愛小説の何たるかを考える上で、非常に有意義なんですね。 ということで、次回からまた、別な側面からハーレクイン・ロマンスなるものを考えていきたいと思います。お楽しみに! 教授の「お気楽日記」は、また夜更新します。そちらも読んで下さいね!
September 23, 2005
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夕方、家内に付き合って近所のスーパーに夕食の食材を買いに行ったら、おはぎの出店が出ていました。そう言えば明日は秋分ですから、今はお彼岸の真っ只中なんですね。ということで、今日のおやつはおはぎに決定! 実は私はおはぎというと目がない方なんです。押し潰したもち米のモチモチした食感と小豆が織りなすハーモニー、あれはたまらんですなあ。食べろといわれれば、一度に4つくらいペロリです。といって、私は特にもち米が好きというわけではないんですよ。正月に食べるお餅もそれほど好きではないし、また同じもち米と小豆で作るものでも赤飯となると、これはもうはっきり嫌いの部類に入ります。それでいて、おはぎだけは大好きというのですから、人間の味覚(というか私の味覚?)は妙なもんです。 しかし、そんなおはぎの中でも、私の母の作ったおはぎにかなうものはないな。今日買ったおはぎもまあおいしかったけれど、あればかりは手作りが一番。第一、商売人の作る小豆餡には多少なりとも塩が入っていて気に入らない。甘味を出すために小豆に加える少量の塩、私はあれが大嫌いなんです。塩が入った餡というのは、どうしても甘さに厭味が出てしまう。そういう点でも、砂糖だけを使った小豆で作る母の素朴なおはぎ、これが一番ですわ。 それにしても、スーパーでおはぎを売っているのを見てお彼岸に気づくなんて、どうも私もいかんですな。本当は実家に帰ってお墓参りでもしなくてはいけないのに。私も実家にいた頃は、この時期ちゃんと両親と共にお墓参りしたものですけどねー。 そうそう、それで思い出しましたけれど、大相撲の秋場所の千秋楽前後と秋分の日というのは大体いつも重なるんですよね。それで楽しみにしていた秋場所が終わってしまうという一抹の寂しさと秋の日の寂しさ、それにお墓参りの感慨と大好きなおはぎ、この4つが重なるところに、私にとっての「秋の入り」があったのでした。 最近、そうした季節の行事に対する思いというのが、薄れてきてしまいましたなぁ。それが現代っちゅーもんなんでしょうが。 せめて大好きなおはぎでも食べて、味覚だけでも秋を満喫することにしますか・・・あ! 私はダイエット中なんだった! でも、ま、そのことはしばらく忘れましょう。おはぎのために! そして季節感を取り戻すという大義のために!
September 22, 2005
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連載している「ロマンス小説史」の続きです。 前回、18世紀の半ばという時代に、イギリスにおいて恋に悩む男の「恋愛物語」が女の恋の物語たる「恋愛小説」へと大きく変化したこと、および、その背景としてこの時代におけるブルジョア(中産階級)の勃興があった、というお話しをしました。今日はその続きです。 先にも述べたように、「恋愛小説」なるものが登場する前の「恋愛物語」は、結婚という制度の枠外で行なわれる恋、すなわち「実らぬ恋」が描かれたのであって、それこそが真の恋だと思われていたフシがある。つまり恋愛の末に結婚するのではなく、結婚した後で配偶者以外の人とする恋こそが、語るべき価値のある恋だったわけです。しかし、そのように言ってしまうと、ではその頃の結婚というのは何だったのか? という疑問が浮かんでくる。 この疑問を考える上で参考になるのは、1700年、つまり17世紀と18世紀の端境期に、イギリスにおけるフェミニストの草分けたるメアリー・アステルという人によって書かれた『結婚について』という本です。彼女のこの本によると、当時イギリスにおいて男が結婚するのは「親族を喜ばすため」「財産を殖やすため」「義務を果たすため」というのがその主な理由であるというのですね。で、それに続けて「その珍しさのために世間を驚かすことになろうが、愛のために」結婚する場合もある、と書かれている。つまりイギリス17世紀末においては、「愛のために」結婚すると世間の耳目を驚かすことになったというのです。言い換えるならば、結婚とは恋愛の延長線上にあるものではなく、まったく別なものだった。結婚は、身分・家柄・世間体、そういったものを十分に踏まえた上で、ほとんど親に決められていたんですな。 しかし18世紀が進むにつれ、親に決められて結婚するのではなく、当人同士の恋愛感情を基準として結婚を目指す、といったケースが増えていく。となると、それは親の意に沿わない結婚となるわけですから、当然、結果として生じてくるのが「駆け落ち」です。 この辺の事情については、岩田託子(よりこ)さんのお書きになった『イギリス式結婚狂騒曲』(中公文庫)に詳しいのですが、この本によるとイギリス18世紀というのは、従来の「親が決める結婚」と、当人同士に意志によって決める「恋愛結婚」が、せめぎ合っていた時代だというのですね。 例えば、資産家の一族の娘が、親の目を盗んでどこの馬の骨とも分からぬ男と秘密裏に結婚してしまったとしましょう。すると、いずれ遺産相続の際に、一族の財産の相当部分が、その男のものになってしまうことになります。となれば、財産目当てのいかがわしい男たちが、資産家のおぼこ娘をたぶらかすことに精を出すようになるのも当然といえば当然。またそうなれば、年頃の娘を持つ資産家の親たちが、自分たち一族の資産を守るという意味からも、娘が身勝手な結婚をしないよう目を光らせるようになるのも当然です。 とまあ、そんな有力者サイド(=親サイド)からのプレッシャーもあって、イギリス(イングランド)では1754年に「ハードウィック婚姻法」というのが成立します。で、この法律によって親(または保護者)の同意のない結婚や21歳未満の結婚は無効とされ、また正式な結婚をする場合には事前に3回は予告されるべきことなどが義務づけられることになる。つまり、親の目の届かぬところで密かに結婚することが厳重に取り締まられるようになったのです。もちろんこういう法律が出来たということは、裏を返せばこの時代、その種の結婚がいかに横行していたかの証左でもあるわけですけれどね。 ところが、この法律が幅を利かせたのはイングランドの話でありまして、もともとイングランドに対して激しい対抗意識を持つスコットランドではこの種の法律を作らなかった。となれば、イングランドで駆け落ちすることが出来なくなった恋する男と女は、スコットランドへの逃避行を目指すようになるのも当然でしょう。かくしてイングランドで許されぬ恋に身を焦がした男女は、追手を振り切ってスコットランドに入った途端に手近な教会で結婚するようになったんですな。そしてそのスコットランド駆け落ち婚の象徴となったのがイングランドとの境にある「グレトナ・グリーン」というところにある教会で、そのために「グレトナ・グリーン」という地名は「駆け落ち婚」の代名詞となります。何しろグレトナ・グリーンの教会の周辺には駆け落ちカップルのための宿屋なども出来て、教会で結婚した後、すぐにそこに投宿して結婚を既成事実化できるようにしてあったというのですから、これはもう「駆け落ち産業」が成立していたと言ってもいい。 とまあ、そんな駆け落ち婚をめぐるイギリス18世紀のごたごたというのは、それ自体とても面白い事象なんですけど、とりあえず今私が論じている事柄に話題を引き戻すと、とにかくこの時代、「親の決めた結婚」から「当人同士が恋愛の果てにする結婚」へと、結婚をめぐる趨勢が変化しつつあったことが、これらの事象からも推測されるんですね。 で、そういう時代の真ん中で、サミュエル・リチャードソンという人が『パミラ』という小説を書いたんです。この小説の主人公となるパミラという小娘は、身分の高いヒーローの愛人になることをきっぱりと断り、最終的に彼から結婚の申し込みを受けるまで操を守り切ります。つまりこのパミラという少女は、結婚の枠外で営まれる恋を描く「恋愛物語」のヒロインになることを拒絶し、「ヒロインが愛欲の対象ではなく、恋愛の対象として扱われること」、それに「最後に『結婚』という結末を迎えること」という二つの条件を満たした新しい「恋愛小説」のヒロインになることを要求したのです。ですからこのパミラの行為は、それまで、親の決めた結婚に従わされてきたイングランド中の女性たちにとって、快哉を叫びたくなるようなものだった。 だからこそこの時代のイギリスの女性たちは、こぞってパミラを支持したんですね。そして自らを主人公のパミラになぞらえ、彼女の貞操が蹂躙されそうになれば手に汗握ってハラハラし、また彼女の感化によってヒーローの男性が心を入れ替え、愛人としてではなく、妻としてパミラを迎えるとなったときには歓呼の声をあげ、拍手喝采した。つまり、近代小説の祖とも言うべき『パミラ』という作品の登場によって、「恋愛小説」と近代的な意識を持った女性読者との強固な連帯の礎が築かれた、というわけなのです。 しかし、もちろん『パミラ』に当時のイギリスの女性たちが熱狂したのには、他にも色々な理由がありますし、またそれは現代のハーレクイン・ロマンス(ミルズ&ブーン・ロマンス)の人気を説明するものでもある。その辺のことについては、また次回以降に説明していきたいと思います。それでは、また次回を乞うご期待! 「お気楽日記」はまた夜、更新する予定です。
September 22, 2005
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ついに行ってしまいました、愛知万博。もう終了間際。会場のすぐ近くに住んでいるのだから、6ヶ月の会期の間、行く気になればいつでも行けたのに、閉幕直前に駆け込みですよ。計画性のなさ、バレバレですね。 で、朝10時に家を出発、パーク・アンド・ライドで11時過ぎには現地到着。ここまではまったくノートラブルですいすい来たのですが、会場に来てみれば既に相当な混雑ぶり。「並んでまで見たくない」の精神で、並ばずに見られる外国パヴィリオンだけ見ようと決意していたプライド高き我ら夫婦も、並ばなきゃ何一つ見られないんだという現実を前にしていきなり撃沈! しかし、そうは言っても、ここまで来るのだって相当な投資を必要としたのだという別な現実をもって勇気を奮い起こした我らは、まずはグローバル・コモン3の「トルコ館」あたりから見学開始! とりあえずここが空いていたもんで・・・。 で、その後、ドイツ館とかイタリア館とか、人気のあるパヴィリオンは素通りして、あんまり待たなくても入れるパヴィリオンばかり見学したわけですが・・・ま、結局万博っていうのは、アレですな。参加することに意義があると言いますか・・・展示の内容に期待しちゃいけませんな。前半戦に見たグローバル・コモン3とグローバル・コモン4で、少し見応えがあったのは「北欧共同館」くらいなもんだったしなー。ここはたまたま我々が入った時にちょっとしたコンサートをやっていて、北欧美人のお姉さんがきれいな歌声を聴かせてくれたので、ちょっと面白かったんですね。 さて、コーカサス共同館でケバブとコーカサス・シチューなるものを食べてお昼を終えた我らは、今度はキッコロ・ゴンドラに乗って万博会場をひと跨ぎ、グローバル・コモン1の会場へ向かいました。ここは中東からインドあたりの国々のパヴィリオンが揃っているところ。 しかし、これらのパヴィリオンはもう展示がどうのこうのという問題ではなく、とにかく「まず商売」という感じ。特にイエメン館なんて売り手のおじさんたちが口八丁手八丁のものすごい販売攻勢でアクセサリーなどを売ってたなぁ。どのアクセサリーを手にしても、「あ、それ、特別セール。あなただけに安くします。あなた美人だから! すごく似合う!」の猛アタックですからね。でもそれはある意味、異国情緒があって面白かった。 そしてお次はグローバル・コモン2、南北中央アメリカ系のパヴィリオン群です。本当はここで国際赤十字館を見たかったのですが、我々が着いた時には既に入場制限をしていたので、残念! ここで良かったのはアンデス共同館かな。渇いた喉を潤すために飲んだ「カムカム・ジュース」というのがおいしかったし、また何と言っても「シサイ」という名のバンドの生演奏がすごく良かった! これはかなり楽しめましたね。そして、ま、私の専門がアメリカですから、一応は見ておこうとアメリカ館にも(並んで)入りました。ここは、まあまあというところですね。 で、アメリカ館を出たら、もう外は真っ暗。秋の日は落ちるのが早い! で、どこかで夕食を食べようということになり、中米共同館で「チキン&豆ライス」というのをとって食べたら、これが結構おいしかった。 かくしてグローバル・コモン2も大体見終わったので、次へ移ろうかと思ったのですが、よく考えてみたら我々はまだ万博の記念になるようなものを何一つ買ってないではないですか! これは一大事ということで、ここでもう一度アンデス共同館に戻り、前に見た時にちょっと気になっていたポンチョ風セーターを家内のために買いました。会期の終了が近いためか、半額セールになっていたものでね。 そして、今度は愛・地球広場に行き、そこでアルバイトをしている家内の友人を冷やかしてから、次はグローバル・コモン6、オセアニア系パヴィリオンのところへ行くことに。しかし、午前中から歩き回っていた我々「へたれ系」夫婦は、そろそろ体力の限界が近づきつつあり、人気のオーストラリア館などを見る気力もなく、偶然、その前で始まったバンドの演奏を聞いて楽しんだ後、もう帰宅の途に着くことに。今日は10時まで会場にいるぞ! と予定していたのですが、1時間早い帰宅となりました。帰り客の誘導などはうまいもので、案外あっさり家まで帰り着くことが出来たのは感心、感心。 それにしても、今回、初めて愛知万博に見参してみて、印象に残っているのはあちこちで見た音楽の生演奏だけですなぁ。展示とか食事ということなら、昔から名古屋にある「リトルワールド」の方がよっぽどためになるし、入場料に見合うだけのアトラクションを求めるなら、ディズニーランドとかユニヴァーサルスタジオの方がよっぽど良い。最初に述べたように、万博というのは、後々の話の種として「行ったよ」と言えるために行くようなもんですね。ま、それでいいのかな。 とにかく、今日は一日人込みの中を歩いてくたくたです。もう寝ます。それでは皆さん、おやすみなさーい! グーグー。
September 21, 2005
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今日、東京は京王線「高幡不動」駅前にある洋菓子の名店、パティスリー・ドゥ・シェフ・フジウに勤めている、あるお菓子職人さんからお便りをもらいました。 実は、その職人さんというのは私の教え子なんです。と言っても、ゼミ生とか、そういうのでもないんですが・・・。 私と彼女(Nさん)は、ちょっと面白い形で出会ったんです。今からもう7、8年ほど前のことですが、当時大学3年生だったNさんはお菓子職人の道を目指して大学を中途退学しようとしていたんですね。それで大学をやめることについて、担任の先生と相談をしていた。 で、そこへたまたま通りかかった私は、Nさんの話を傍で聞いていて、せっかく大学3年まで通ったのに、ここでやめてしまうのは惜しい、と思ったんです。で、担任の先生そっちのけで彼女とかなり激しい話し合いをし、口を酸っぱくして後1年我慢しなさい、大学の学位をとってからお菓子職人の道に進んでも決して遅くないんだから、というふうに説得したわけ。 ところがNさんもNさんで頑固なところがあって、なかなか自説を曲げないんです。曰く、中卒や高卒でお菓子の道に入って、立派な職人になった人も沢山いる。大学の学位なんかより、一刻も早く自分がやりたいことをやりたい、と。なぜ、それを邪魔するのか、と。まあ、そう言うわけです。一方、私は私で、お菓子の修行にはいつでも入れるけど、大学を卒業するのは今しか出来ない。やりかけたことを途中で投げ出すのは良くないし、大学に在籍していたってお菓子に係わることは出来るではないか。例えば西欧におけるお菓子の歴史、なんてことを卒論のテーマにして、そういう知的なバックグラウンドを持った職人になればいいではないか・・、と、そう説得したわけ。 私とNさんの激しい押し問答は1時間以上も続いたでしょうか。でも、Nさんの決意は固く、私にはとうとう説得できませんでした。かくしてNさんは大学を中途退学してお菓子の修行に入ったんですね。 さて、それから1年と少し経って、Nさんと同期の学生たちが卒業式を迎える日が来ました。そしてその日、当時長野県で修行をしていたNさんはわざわざ名古屋まで出てきて、友人たちの晴れの日のお祝いに駆けつけれくれたんです。そして、私のところにもやってきて、「あの時、先生が言ってくれたことは、後になってよく分かった。今日、友人たちの晴れ姿を見ていて、本当に羨ましい。もし先生の言った通り、後1年我慢していれば、今、私もこの場できれいな着物を着て、皆と一緒に卒業のお祝いを出来たのにと思うと、とても残念です」と、そう言ったんですね。そこには、皆より先に社会へ出て厳しい修行をし、その分、頑さも気負いもとれて、素直に自分を見つめることが出来るようになったNさんがいました。私はその時、Nさんは素晴らしいな、と思ったんです。ですから、「いや、あなたは今、立派に自分の道を歩んでいるのだから、後悔することはない。自分の選んだ道を信じて頑張りなさい」と心からのエールを送ったのでした。 その後、Nさんは長野での修行を終え、先程言った東京・高幡不動にある名店で修行することになったのですが、この高幡不動というのは、私の実家からさほど遠くなく、しかもこのお不動さんは私の守り本尊なんです。そこで、前に実家に帰った時、ふらりとパティスリー・ドゥ・シェフ・フジウに立ち寄ったら、いました、いました! Nさんが頑張って働いているではないですか! 彼女も何の前触れもなく突然私が店に現れたので、相当驚いたようですが、とても喜んでくれ、私も彼女が作ったお菓子をいくつか買いましたが、とてもおいしかった。 そして今日、彼女から受け取った手紙には、今度9月の22日から27日まで、名古屋駅前のJR高島屋のパティスリー展に、彼女の勤めているお店が出店するということが記してありました。で、久々に名古屋を訪れるので、良かったらぜひ見に来て下さいとのこと。これはもう、ぜひとも行ってあげなければなりますまい! 大学をやめる、やめるなで、それこそ互いに口角泡を飛ばして話し合いをしたNさんと、今もこうして「おかしな」縁でつながっていることを思うと、あの時、私なりに精一杯、彼女を大学に引き止めようとして良かったな、と思います。こちらが真剣に、誠意をもって向かい合ったからこそ、それが彼女に通じたんでしょうからね。あの時、「あ、そう、やめるの。じゃ、さよなら」と言っていたら、多分、それで縁は切れたはず。人間たるもの、時には真剣にならなければならないことがありますな。私なぞ、時々それをせずに失敗することも多いのですが。 とにかく、元気にお菓子職人の道を歩んでいるNさんから嬉しいお便りをもらって、いい気分のワタクシなのでした。今日も、いい日だ。
September 20, 2005
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今日も「お気楽日記」に先だって、「ロマンス小説史」の続きを書きます。 昨日、ハーレクイン・ロマンスのストーリー展開というのは、大体こんな感じである、というところを述べました。そして一見、荒唐無稽かつ時代錯誤的なその内容が、実は「ロマンス」なるものの本質を突いている、というようなことをお話ししました。今日はそのあたりのことについて、もう少し具体的に説明していきましょう。 まず「ハーレクイン・ロマンスではすべてのストーリーがヒロインの視点から語られる」という点について考えてみます。 ハーレクイン・ロマンスを読んだことがある方ならお分かりのことと思いますが、「ヒロインの視点」というのはまさに鉄の掟であって、ハーレクイン・ロマンスにはヒーローの視点から語られたストーリーというのはありません。常にヒロインがヒーローに出会うのであって、その逆ではないんですね。といってそのことが特殊だ、というわけではなく、実はこれこそが「ロマンス小説」の伝統的な約束事の一つなんです。つまりハーレクイン・ロマンスは、そうしたロマンス小説の約束事を非常に忠実に踏襲しているということなんですね。 え? ロマンス小説なんだからそんなの当たり前じゃない? と思われるかも知れません。しかしかつて、と言っても本当にずっと昔、ということですが、かつて、西欧文学における恋愛の描き方というのは、この逆でした。つまりヒーローがヒロインに出会うのであって、恋というのは常に男の側の視点から描かれてきたんです。恋に悶々とするのは男の方であって、掴み難いのはヒロインの女心の方。ですから、読者もまたヒーローと共に、ヒロインの心が奈辺にあるのか、その仕種や行動を見て一喜一憂することになる。それが昔の恋愛物語だった。 しかも大昔の恋愛物語の場合、たいてい恋する二人の間には越えられない垣根があります。たとえば身分が違う(男の方が低い)ということもあるし、それよりもっと多いのはヒロインが既婚者だったり、婚約していたりするというパターン。ですから、昔の恋愛物語で描かれる恋というのは、元から実らぬ恋なわけ。で、その実らぬ恋のためにヒーローはさんざん悩まされた挙げ句、思い余って英雄的かつ自殺的行為に及んで死んでしまったりする。憧れの貴婦人のために命を落とす、つまり、それが騎士道なんですね。 ま、イギリスの場合、「アーサー王伝説」あたりからしてこの手の恋愛物語で満ちていますし、またその後もこの手のもの、すなわち貴族的な恋愛というか、結婚制度の枠外で営まれる不毛の愛の物語が続きます。結婚という落ち着きどころがないんですから、それは時にはフシダラな方向に行くことも多く、ほとんどポルノ的な恋愛物語というのも18世紀半ば以前には随分出版され、これが上流階級の間で楽しまれていたというようなこともあったようです。 もっともこういう騎士道風恋愛、あるいは宮廷風恋愛というものは、その後も結構長い間、「正統」な文学の間に強い影響力を保っていて、例えば18世紀末に書かれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774)にしても、その痕跡はありありと残っています。何しろウェルテルは婚約者のある女性を思って悶々とした挙げ句、ついには自殺しちゃうんですから。 ま、『若きウェルテルの悩み』という名作の名を挙げたついでに一つだけ言っておきますが、この作品にはそれ以前の恋愛物語にはない特色もあります。それは恋に悩む主人公・ウェルテルが作中やたらに泣く、ということです。皆さんも暇があったらこの作品の中で主人公のウェルテルが何回泣くか、数えながら読んでみて下さい。まあ、泣く、泣く。いい歳をした若者が、恋に悩んでひっきりなしに泣いてばかりいる。で、こういうのを「センチメンタル」な小説、と言うんですね。男が自分の感情を表に出しても恥ずかしくないし、そういう人間の感情は尊いものだ、という発想がここにはある。『ウェルテル』という作品が後世の文学に与えた影響力の一つは、「男も泣いていいんだ」ということを確認した、ということなんですな。 ま、それはともかく、ヒーローがヒロインに恋をし、これが悲劇的に終わる、というのが、古の恋愛物語の定石だったわけ。 で、そういうことを踏まえて、ハーレクイン・ロマンスのことを考えると、事情がまさ逆になっていることに気づくでしょう。先に述べたように、ハーレクイン・ロマンスというのは常にヒロインの視点からヒーローとの関係が描かれ、しかもハッピーエンドで終わるんですから。しかも、これは後でも述べますが、昔の恋愛物語とは逆に、ハーレクイン・ロマンスでは常にヒーローの方がヒロインより身分・財力が上という設定になっている。で、これらのことはハーレクイン・ロマンスの典型であるばかりでなく、一般に現代のロマンス小説の典型でもあります。と言うことはつまり、昔風の恋愛物語の定石が、文学史上のどこかの時点でひっくり返ったんですね。 で、イギリスにおいて、そんなロマンスの転回点の一つと見なされているのが、18世紀半ばに書かれた『パミラ』(1740)という作品なんです。これ、通常の文学史では「散文小説(ノベル)」という新たな文学形式を作り出した画期的作品と考えられてきたものなんですが、これがまさにヒロインの視点からヒーローとの関係が描かれ、しかも最終的には身分が上のヒーローと結婚してハッピーエンドで終わる一種のロマンスだった。そしてこの作品あたりを起点としながら、伝統的な「男の恋の物語」たる恋愛物語とはまた別の、「女の恋の物語」としての恋愛小説(=ロマンス)の伝統が始まるんですね。ま、言い方を変えると、イギリスにおける小説(ノベル)という文学史上の新しい形式は、「女の恋の物語」から始まったというふうにも言えるわけ。 ちなみに、こうした事情には18世紀イギリスにおけるブルジョアの台頭、および貴族の没落という、大きな社会的変革のうねりが大きく係わっています。 先にも述べたように、かつて貴族社会に力があって、その中で恋愛物語が紡がれていた時代には、「恋愛」というのはむしろ結婚制度の外側で、結婚とは別個に営まれるものだった。そこだけとると、ちょっと日本の近代小説と似ていますけど、とにかく貴族社会において恋愛というのは結婚の先にあるものであって、前にあるものではなかった。ところが、ブルジョア社会というのは平民の市民から成り立つ社会ですから、一夫一婦制のモラルを堅持する、というのが結婚生活の基本です。ブルジョア社会というのは、結婚制度の外側で恋愛なんてしていてはいけない社会なんですね。 つまり、「結婚」というものを視点にして社会の趨勢を眺めれば、イギリス18世紀半ばという時代は、結婚という制度の拘束力を無視してもあまり咎め立てされなかった貴族的世界から、結婚をもっと神聖で不可侵なものと見なす代わりに、それだけ束縛も強くなるブルジョア的(平民的)世界へと移行しつつあった時期だったというふうに言えるわけです。そして、このイギリス社会の一大転機を文学の上で象徴するのが、先に挙げた『パミラ』という恋愛小説だったんですね。言い換えれば、ブルジョアの台頭と共に「結婚」という制度が神聖なものとなり、生涯を通じて夫と妻を束縛するものとなった時、すなわち「結婚」が人生の一つの「ゴール」となった時、それ以前の男の恋の物語たる「恋愛物語」は、結婚を目指すヒロインを主人公にした女の恋の物語たる「恋愛小説」へと変わっていった、というわけです。 ですから、恋の物語をヒーローの目から描写するか、それともヒロインの目から描写するかという問題は、これで結構、大きな問題を孕んでいるんです。 この話、もう少し続けます。また次回をお楽しみに! 「お気楽日記」の方はまた夜に更新しますね!
September 20, 2005
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今朝起きて新聞を開けたら、先日の選挙の際、愛知7区で出馬し、落選した前衆議院議員の小林某が、覚醒剤常用の罪で逮捕されたとの報が載っていました。 愛知7区・・・。それ、私の選挙区ですから! 愛知7区と言えば、小泉さんに反旗を翻して自民党の公認を取り消され、後援会の意向を無視して田中康夫氏の「新党日本」に鞍替えし、見事落選した青山丘氏の選挙区でもあります。いつも当該選挙区で1位当選を争っていたこの二人の耳には、今頃祇園精舎の鐘の声が響いていることでしょう。 そしてもう一つ、今朝の新聞に載っていたガックリくるニュースと言えば、愛知万博の混雑ぶりを報じたもの。入場するのに5時間待ち? パビリオンを見るのもままならず、まともに食事もできない? マジっすか・・・。 実は私はまだ愛知万博に行っていないんです。会場からごく近いところに住んでいるというのに。いつでも行けるという心の油断が仇となったなぁ。万博をやる、やらないで揉めていた時には、今頃万博なんてやったって誰も来ないだろうというようなことが言われていて、私もそう思っていたのに・・・。万博っていうのは「科学の進歩によって人類は幸せになれる」というような幻想が多くの人々に共有されていた時代の産物であって、それは1970年の大阪万博で終わったんじゃないの? その後各地で勃発した公害問題とか、宇宙開発に先が見えたこと、あるいは依然として止まない各地の紛争など、「人類の進歩」への期待なんてものが地に堕ちた時代に敢えて万博やるなんて、ジョークにしても酔狂過ぎないか? ・・と私なんぞは思っていたし、実際、去年の今頃、各種イベントで「モリゾー」「キッコロ」の着ぐるみが登場し、来るべき万博を必死で盛り上げようとしていても、何だか誰も見向きもしないという感じだったんだけどなー。 で、だからこそ天の邪鬼の私としては、その人の見向きもしない万博に行って、閑散とした会場で手持ち無沙汰にしているモリゾーやキッコロと戯れつつ、時代錯誤の万博をシュールに楽しもうと思っていたのにー! さて、残り1週間となってしまったけれど、どうしよう。万博開催者の前に膝を屈し、私の予想が間違っておりました! 日本人の物見高さを過小評価しておりました! と謝りながら、敵の軍門に下って万博を見に行くか・・・。でも5時間待ちはつらいなぁ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここからはロマンス小説史の続きです。 昨日、1971年の買収でハーレクイン社がミルズ&ブーン社の親会社になったことにより、ミルズ&ブーン社の編集方針にハーレクイン社の意向が強く働くようになってきた、というようなことをお話ししました。そこで今日は、ではそもそも「ハーレクイン社好みのロマンス」とは一体いかなるものなのか、という辺りのことについて、お話ししましょう。 しかしそのことをお話しする前に、とりあえず現代の典型的なハーレクイン・ロマンスというものがどのような感じでストーリー展開するか、それを一通り説明しておきますね。もちろん以下に述べるのはハーレクイン・ロマンスによく使われるパターンの一つに過ぎませんが、ハーレクイン・ロマンスの筋書きというのは基本的にはどれも皆同じようなものですから、このパターンを認識しておくと、後の説明が非常に楽なんです。 で、ハーレクイン・ロマンスというのは、まず大体こんな感じで話が進みます。 ヒロインはたいてい金髪碧眼、華奢な体型で、絶世の美女というほどではなく、ただ目元に愛敬のある十代後半から二十代前半の可愛らしい娘さんです。ご両親は大概二人とも交通事故で亡くなったことになっているので、独り暮らしであることが多い。気の合わない叔父さん夫婦と同居というケースもありますが、いずれにせよ精神的には孤独で経済的にはあまり余裕のない、ごく平凡なOLというところ。 と、そこへヒーローが登場します。典型的なヒーローは年齢の点でヒロインより一回りほど上。背は高く、筋肉質の引き締まった体型、肌は浅黒く、黒目黒髪。もちろん美形です。野性味を帯びたその風貌からも窺える通り、落ち着いた人格者というよりは、しばしば感情を爆発させる未熟者タイプなんですが、にもかかわらず大半が一流企業の若き社長さんです。親から勘当されて世界中を放浪していたところ、死んだ伯父さんの遺言で一族経営の大企業を受け継ぐことになり、急遽故郷に戻ってきたというわけ(大抵そうです)。ここで重要なのは、彼が先祖代々の莫大な資産を譲り受けるというところで、ハーレクイン・ロマンスの場合、自らの手で稼いだ金よりも「遺産」の方が重視される。苦労人ではなく、生まれながらの王子様、というところがいいんですね。 さてこのようにヒロインとヒーローが出揃えば、後は二人が運命的な出会いをすれば良いのですが、ハーレクイン・ロマンスでは「両者とも初対面の時から好印象」なんてことはまずありません。むしろ両者が何らかの形で敵対しつつ、しかもヒーローの方が圧倒的に有利な立場で出会う、という設定が普通なんですね。よくあるのが、ヒロインの叔父が賭博で負けてヒーローに莫大な借金をしてしまい、その支払いの猶予を乞いにヒロインがヒーローのもとを訪れる、というようなケース。そしてそういう状況の中、ヒーローはヒロインに対し、偽装結婚をしてくれたら借金を帳消しにしてもいい、というような申し出をする(えっ?)。 「偽装結婚」とはまた突拍子もない申し出です。しかし、互いに好意を持っているわけでもない男女が、とにかく常に一緒に居なければならないという状況を作り出すためには恰好の口実であって、ハーレクイン・ロマンスではこの種のシチュエーションが頻繁に登場します。なぜヒーローが偽装結婚をしなくてはならないのか、その理由づけは色々あって、例えばビジネスをする上では既婚者の方が取引先から信用され易いから、といったようないい加減なものも多い。要するにヒーローは、本当の結婚をする気はないものの、とりあえず既婚者の肩書が必要な状況に置かれるのであって、それゆえに偽装結婚、というわけなんですね。でもこんなことで驚くのはまだ早いですよ。何とヒロインはこの手の申し出をあっさり受けるんです(えっ?)。何だかんだ言ってヒロインも女性、野性味たっぷりな伊達男との冒険には惹かれる(らしい)のですな。 で、とにかくこんなふうにヒロインとヒーローは夫婦を「演じる」ことになるのですが、そこから先はヒーローによる「ヒロインいびり」の場面が延々と続きます。例えば取引先が主宰するパーティーなどではヒーローは優しくエレガントな夫役を見事にこなすものの、そこでヒロインが少しうっとりしたりすると、帰路についた途端、彼は冷淡で意地の悪いビジネスマンに豹変したりする。お雇い妻のくせにいい気になるな、というわけです。かつて恋人に手ひどく裏切られたことがあるといったような理由から、ハーレクイン・ロマンスのヒーローたちは女性に対して一様に根深い悪意を持っているんです。しかし、そっちがその気なら、とヒロインの方が冷淡に振る舞うと、途端にヒーローはヒロインに飛び掛かり、「お仕置き」などと称してヒロインが涙をこぼすまでお尻を叩く。それでヒロインがさらに口答えすると今度は強引に口づけして黙らせる。どう考えてもセクハラです。ところが、こんな仕打ちを受けながらもヒロインはヒーローに惹かれ始め、ヒーローの存在を身近に感じる度に彼女の心拍数は急上昇するわけですわ(えっ?)。 と、この辺りで登場してくるのが、ハーレクイン・ロマンスでは欠かせないキャラクター、つまりヒロインのライバルです。このライバル女、ヒロインとは対照的に背の高いブルネット美人で、才能・家柄にも優れ、客観的に見ればヒーローの恋人として申し分なしという感じの「大人の女性」として描かれることが多い。実際、彼女は事ある毎にヒーローにまとわりつき、一応ヒーローの妻ということになっているヒロインそっちのけで彼といちゃつきます。ヒロインとしては当然悔しいわけですが、彼女自身、こんな完璧な女性がライバルでは勝ち目なしと半ば諦めているところもある。ところがこのダークレディー、実は腹黒い女なんですね(やっぱり!)。きゃつはヒーローを騙して取引先との契約を横取りするつもりだったんですな。そして、その奸計に気付いたヒロインはヒーローにことの次第を告げ、彼の窮地を救うわけ。で、かくしてヒロインのおかげでめでたく大口の契約も取り付けたヒーローは、彼女に告白するんです。「実は出会った時から君のことを愛していた。もうこれ以上偽装する必要はない、僕たちは本当の夫婦だ」と(・・・)。そして二人は熱烈なキスでこの愛を共に寿ぎ、以後豪勢で幸せな結婚生活を送りました、となって小説一巻の幕が降りる。 ま、こんな感じのロマンスなんですよ、ハーレクイン・ロマンスっちゅーのは。 さて、以上のことを読まれた方、特にハーレクイン・ロマンスというものに親しんだことのない方は、一体どのような感想を持たれるのでしょうか? 私自身はハーレクイン・ロマンスのことを調べていて、これが世界中の女性たちにものすごい人気があるということを知った上で実物を読み始めたわけですが、正直、最初はちょっとびっくりしましたね。え? こんな荒唐無稽なロマンスを、ホントに世の女性たちは喜んで読んでいるの? こんなセクハラ的要素満載の物語が、現代社会で受け容れられているの? しかし、さらにハーレクイン・ロマンスのことを知るにつれ、このストーリー展開がいかに優れたものか、ということも分かってきました。実は、この荒唐無稽なセクハラ満載ロマンスこそ、ロマンスという文学ジャンルの本質を突いているんですね。 では、なぜそうなのか。その辺りのことについては、また次回お話ししましょう。次回も乞うご期待です!
September 19, 2005
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今日はお月見泥棒の当日。先日のブログでお話ししたように、お月見泥棒というのは、実に空恐ろしい行事なので、これを何とか回避するために夕方から家を空けることにしました。 ところで、お月見泥棒に関して思い出したことを一つ。確か林望さんがどこかで書いていたのですが、イギリスのとある小学校にも、我が街のお月見泥棒にちょっと似た行事があるというのです。それはその小学校の児童が近所の商店を回ってお金をもらうというものなんですが、ただお金をもらうというのではなく、単語の書き取りをいくつやったかというような、学校の勉強をやった量の多寡によって、それに見合った額のお金をもらえるシステムになっているそうなんです。つまり、沢山勉強すれば、それだけ沢山のお金がもらえるんですね。で、子供たちはその期間中、勉強をするにも張り合いがあるので、競い合って一生懸命勉強をするんです。 で、そうやって地元の商店から子供たちが集めてきたお金は、全部合計して、それを恵まれない人たちのために送るわけ。 どうです、これ。つまりこの学校では、我が街とは異なって、モノやお金をただでもらう、なんて行事は作らないんですな。そんなことは、言ってみれば「卑しい」ことなんです。で、その代わりに、勉強をするという、子供たち一人一人の努力によって、お金を勝ち取らせるんですね。それも自分のためではなく、恵まれない人たちのために。勉強を沢山すればそれだけ沢山のお金がもらえるという形で勉強に張り合いをもたせながら、同時に、恵まれない人たちのために自分は何ができるかということも考えさせているんです。またそれに加えて、子供たちを地元商店に派遣し、そこのオヤジさんたちと顔見知りにさせることで子供たちの地元への帰属感を高め、ひいては地元の活性化をも図っているわけですよ。うーん、イギリス人は賢い! どうもイギリスの小学校のチャリティー行事と、我が街のお月見泥棒では、根底に横たわる思想の深さが違うようですなぁ。 閑話休題。 さて、逃避行に出た我々がまず向かったのは星ケ丘テラスというショッピングモールです。先日ここで折り畳み自転車を買ったことはお話ししましたが、それが届いたとの知らせを数日前に受けていたので、ことのついでにそれを受け取りに行ったわけ。ローバー製、ブリティッシュグリーンのそれは、なかなかカッコいいですぞ。その他、ここに入っているギャップで服をちょっと見ましたが、今日は収穫なし。 で、これで星ケ丘テラスでの用事が終わったので、自転車を折り畳んで車に積み、今度は会員制漫画喫茶に向かいました。ここでしばらく時間をつぶすつもりだったんです。 ところで、「漫画喫茶」なるものは名古屋が発祥の地だそうですが、私たちが向かったのは、その中でもちょっとハイソな(?)会員制の奴。ドリンク飲み放題、インターネット使いたい放題、そしてもちろん漫画や雑誌読み放題で15分105円というシステムです。この料金がリーズナブルなのかどうか、私にはよく分かりませんが、去年、お月見泥棒から逃げ出すためもあってここの会員となり、以後、ごくごくたまに使っていたんですね。私は漫画は読みませんが雑誌は結構色々なものを読む方なので、今日もここで1時間ほど雑誌をむさぼり読もうという魂胆です。2、3種の雑誌をざっと読み切り、コーヒーやジュースを飲めば、まあ元はとれるかな、と。 しかし15分いくら、という料金制で、利用時間がそのまま料金に直結していると、1時間なんてあっという間に経ってしまいますね。それでも雑誌5冊を読み切り、カフェラテとココアとオレンジジュースを飲みきってやりました。伊達に普段から速読の修行をしているわけじゃないのダ! それにしてもこのお店、いつ来ても大入り満員ですなぁ。客の大部分は若い男女ですが、こんなところにシケこんで漫画なんか読んでいるより他にやることないのかね、と思ってしまいます。そう言っている私自身がここを利用しているのですから、全然説得力ないんですが・・・。 ま、とにかくここですっかり雑誌を堪能した我ら放浪夫婦は、次にサンドイッチ・チェーンの「サブウェイ」に向かい、ここのおいしく、またヘルシーなサブウェイ・サンドで夕食を済ませたのでした。今日は私は「シーザーBLT」を、そして家内は「クリームチーズ&ローストチキン」を注文しましたが、それにしてもここのサンドイッチはうまいなあ! 合わせて食べたミネストローネスープも、それからポテト(チーズ味)もおいしかった。それで二人でしめて1320円ナリ。ダイエット中ゆえ、カロリー控えめなものを食べたとはいえ、夕食としては随分安上がりでした。 そして、お月見泥棒も終わった頃を見計らって8時半に帰宅。これで今日の逃避行の旅は終了です。やあ、疲れた。 とまあ、今日は少し外出が長くなってしまったので、これから少し勉強をするつもりです。それでは、また明日!
September 18, 2005
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さて、今日は「お気楽日記」に先だって、連載しているロマンス小説出版史を綴っておきましょう。 昨日はミルズ&ブーン社側から見た買収劇について述べましたが、今日はハーレクイン社側から見た買収の顛末についてお話ししますね。 1957年にミルズ&ブーン社と紳士協定を結び、また1964年からはミルズ&ブーン社のロマンスだけをリプリント出版するようになったハーレクイン社ですが、この後、同社にはかなり大きな経営体制の変化がありました。というのも、1968年に同社の創業者であるリチャード・ボニーキャッスルが亡くなったんですね。彼は60歳を越えてから飛行機の操縦をマスターしていたのですが、ある日、操縦を終えた直後に発作でポックリと・・・。「極地探検家」の肩書を持つ創業者らしい最期となったのでした。 ところで、こういうと失礼になりますが、この創業者の死はハーレクイン社にとってはむしろ吉と出るんです。前にもお話ししたように、元来リチャード・ボニーキャッスルという人は、ハーレクイン社の経営にはそれほど貢献してこなかったんですが、彼の死後、後を継いだ息子さんのリチャード・ボニーキャッスル・ジュニアという人がなかなか頭のいい人で、彼の打ち出した新方針のもと、同社はさらなる飛躍を迎えることになるからです。 結局、リチャード・ボニーキャッスル・ジュニアという人には、自分のことも会社のことも、よく見えていたのでしょうな。彼は、「ハーレクイン・ロマンス」というペーパーバック・ロマンス叢書がそれなりに世間の認知を受けるようになってきた今、会社経営の素人である自分がハーレクイン社の舵取りをするより、プロに任せた方が良いだろうと判断するわけ。うーん、賢い! で、彼は1971年、社外からW・L・ハイジーという経営のプロをヘッドハントしてきて、新社長の座に据えるんですね。 このハイジーという男、ハーバード大大学院(ビジネススクール)出で、ハーレクイン社に来る前はアメリカの有名な洗剤会社プロクター&ギャンブルのマーケティング部に勤めていた人物。ここが重要なところなんです。ハイジーは、そもそも出版畑の人ではなく、石鹸・洗剤を売る販売のプロだった。そんな人が、リチャード・ボニーキャッスル・ジュニアに引っ張られて、ロマンス小説の販売を手がけることになった、というわけ。つまり、ハイジーには「文学出版とはかくあるべし」といった幻想もなければ、「本というのは、こういうふうに売るものだ」といった斯界の常識の持ち合わせもなかった。ただ「モノ」を売ることに関してだけ、プロだったんですね。そういう人をヘッドハントして自分の会社の社長の座に据えたリチャード・ボニーキャッスル・ジュニアも、ある意味、思い切ったことをしたもんだと私は思います。先見の明があったんですな。 で、ハイジーは経営のプロですから、社長の座に座るやいなや、ハーレクイン社の経営上の弱点が奈辺にあるかを徹底的に洗い出します。そしてその結果、たちまちその弱点を発見してしまう。つまり、ミルズ&ブーン社との業務提携の曖昧さ、ですね。 前にも述べたように、ミルズ&ブーン社とハーレクイン社の業務提携は一本の手紙から始まりました。ミルズ&ブーン社のロマンスのリプリント権を譲って欲しいという趣旨の依頼を、リチャード・ボニーキャッスルの秘書、ルース・パーマーが認めた手紙です。で、これをきっかけにして両社の間には紳士協定が結ばれ、毎年一度両社の首脳が昼食会を開き、来年も一緒にやっていきましょう、という口約束を交わす。この口約束が両社の結びつきの唯一の礎だったわけです。しかし、経営のプロたるハイジーから見れば、こんな素人っぽい紳士協定で両社の結びつきが維持されていること自体、歯痒く思えたわけですよ。もしハーレクイン社よりももっと有力な出版社が現れ、はるかにいい条件を提示してリプリント権を買いつけにきて、それをミルズ&ブーン社が飲んでしまったら、ハーレクイン社としては、たちまちその命の綱たるロマンスの供給源を失ってしまうことになる。それでいいのか? とハイジーは考えた。 だからこそ、ハイジーがハーレクイン社に来て最初にやったことは、ミルズ&ブーン社の買収だったんです。これをやらないとハーレクイン社の経営は安定しない、と、そう思ったんですな。そこで1200万ポンドという思い切った額を提示してミルズ&ブーン社の買収に出た。で、このハイジーの申し出は、ちょうどその頃、そろそろ老後のことを考えて社の売却を考えていたミルズ&ブーン社首脳陣の思惑と見事に合致して、タイミングよく買収成立とあいなったわけ。その辺のことは、先日述べた通りです。 ま、イギリスのミルズ&ブーン社とカナダのハーレクイン社という、ある意味非常によく似た成り立ちのロマンス出版社は、このようにして一つになったんですね。ちなみにミルズ&ブーン社では、同社とハーレクイン社との関係を「油田」と「掘削会社」に譬えていて、ミルズ&ブーン社という油田から沸き出すロマンスを、ハーレクイン社という掘削会社が掘り出して売る、というふうにその役割分担を説明していましたが、両社が一体になったことにより、今後、ハーレクイン社としては、もはや誰にも邪魔されずに優良なロマンスの油田を独り占めにできることになったわけです。 しかし、この油田と掘削会社の比喩は、1970年代以降、若干当てはまらなくなってくる。というのも、それ以前には、油田(ミルズ&ブーン社)側としては自分たちの好きな原油(ロマンス)を勝手に出していれば良かったわけですが、1970年代になって掘削会社たるハーレクイン社の方が親会社ということになると、今度はその親会社の望むような原油を出さなければならなくなってくるからです。つまり、ミルズ&ブーン社の編集に対する自由度が減ってきて、ハーレクイン社が望むようなロマンスを出版せざるを得なくなってくるんですね。前に、イギリスのロマンス読者と北米大陸のロマンス読者では若干好みが異なるということをお話ししましたが、1970年代になるとその北米大陸のロマンス読者の好みに合わせたロマンスを、ミルズ&ブーン社としても編集・出版せざるを得なくなってきたわけ。ま、そこが「買収された側」の悲劇であって、ブーン一族も後には買収に応じたことを少しばかり後悔した、ということも伝えられています。 それにしても、新たにミルズ&ブーン社の親会社となったハーレクイン社は、一体どんなロマンスを出版することをミルズ&ブーン社に要求していったのか。これはなかなか興味ある問題なんですが、もう大分長くなりましたので、その辺りのことについては、また後日、お話しすることにいたしましょう。次回をお楽しみに! さて、中秋の名月の日である今日18日、私の住む街では夕方から夜にかけて「お月見泥棒」という行事が行なわれます。これがいかに恐ろしい行事であるかは先日のブログでもお話ししましたが、これを避けるため、これから私と家内はしばらく家を空けて逃避行に入ります。夜まで、探さないで下さい。「お気楽日記」はまた夜にでも更新しますね。それでは、しばしのお別れでござる。皆さん、ご機嫌よう!
September 18, 2005
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昨夜は、私のゼミの卒業生二人と飲み会をしました。 昨夜会ったAさんとSさんは、この3月の卒業生です。ですから社会人になって半年、そろそろ仕事にも馴れた頃、というところ。実は彼女たち、卒業旅行としてオーストラリアに行き、その時私にお土産を買ってきてくれたらしいのですが、ずっとそれを渡しそびれていたんですね。で、そのお土産をようやく昨日、私にくれた、というわけなんです。 ということで、昨夜は仕事帰りの彼女たちと居酒屋で待ち合わせ、久々に一緒に飲んだというわけなのですけど、わずか半年とはいえ、やはり社会の荒波に揉まれてきた彼女たちは、学生時代よりもほんの少しだけ大人びて見えました。 ちなみにAさんは銀行に勤めており、Sさんは英会話スクールのキッズクラスの先生です。 私の教え子には金融業に進んだ卒業生が何人かいますが、彼らは皆、口を揃えて業界の厳しさのことを言います。で、Aさんにも「銀行業務、どうよ?」と尋ねてみたのですが、同期に入行した人たちとも気が合うし、職場の環境もいいとの答え。まだ1年目なのでカウンターに座ることはできず、奥の方での仕事をこなしているのだそうですが、そうは言ってもたまにはお客様と直に接することもあるようで、そんな時には緊張しまくり、1オクターヴ高い声で「お、お客さまぁ・・」などとやっているのだとか。「お客さま、なんて言っている自分に照れちゃうんですよ!」などと言っていましたが、いかにも新入社員しているAさん、なかなか頑張っているようです。 一方、Sさんはと言いますと、こちらは子供たちに英語を教える仕事で、年中子供たちと接していなくてはならないので、大変です。しかも最近の子供たちというのは何しろマセていて、小学校の低学年の女の子たちですら、「あの子も、変な男にひっかかったものよね」「あたしだったら、あんな男、絶対お断りだわ」なんていう会話を交わしているのだとか。「私があのくらいの年頃には、もっと純粋でした!」とのたまうS嬢は、扱い難いガキどもに手を焼きつつ、現在の日本の教育現場の困難さを身をもって体験しているのだそうです。アハハ、そうだろう、そうだろう。その扱い難いガキの、ちょっとだけ大きくなった奴らを相手にしている私の苦労も、少しは分かってくれたかな? ところで、彼女らと話している時、私は一つこんな質問をしました。「OLになって自由に使えるお金が増えたと思うのだけど、二人とも何か大きな買い物した?」 するとAさんもSさんも「ないですね」と即答。しかしちょっと考えてからAさんが、「でも私、英会話スクールに通うことにしたんです。で、そのスクールに支払った入学金、それが一番高い買物だったかな」と、そう言ったんですね。Aさんによれば、社会人となってから、大学の時にもっと勉強しておけば良かったとつくづく思った。勉強ができる環境というのがいかに貴重なものか、その環境を離れてみて初めて分かった、と言うのです。だからこそ、今度は自分の力で稼いだお金を使って、もう一度勉強する環境を作ろうと思った、と。おお、成長したではないの! さすが我が弟子、「自分へのご褒美にヴィトンのバッグ買っちゃいました!」なんて言う連中とは、やっぱり違うなあ。偉い、偉い。 一方、Sさんに関して感心するのは、彼女が仕事と両立させて「女優業」もこなしていることです。Sさんは学生時代から地元の劇団に入っていて、つい先日も劇場を借りてオリジナル脚本による芝居の公演を行ない、大入り満員、黒字で幕を閉じたのだとか。で、その芝居をAさんも見に行ったそうですが、演じる側の立場から芝居を語るSさんと、見る側の立場から公演の感想を聞かせてくれたAさんの漫才の掛け合いのような爆笑トークを聞いているうちに、私もその場に居合わせたような気にさせられて、もう爆笑につぐ爆笑! いや、仕事の顔の他にもう一つ別な顔を持っているSさんの生き方も、なかなか良いじゃないですか! で、そんな感じで二人の話に大笑いしつつ、また感心しつつ夜は更け、最後に二人がオーストラリアで買ってきてくれたお土産を、爆笑旅行トークと共にようやく受け取って、お開きとなりました。お土産はフォトフレームだったのですけど、これが色もデザインもセンスがよく、すっかり気に入ってしまった! どうもありがとう! というわけで、昨夜は卒業後半年経ったAさん、Sさん、それぞれの成長ぶり、そして現在の生活ぶりが分かって、昨夜は楽しい飲み会となりました。持つべきものは、よき卒業生、ですね。こんな日は、教師というのもまんざら悪くない、と、ちょっと思ったりするのでした。今日も・・・いや、昨日も、いい日だ!
September 17, 2005
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今日はロマンス小説史の方を先にします。 先日、ミルズ&ブーン社がペーパーバック出版に関してカナダのハーレクイン社と業務提携を結び、その結果、1960年代末には押しも押されぬロマンス小説出版の大手になって行った、というところまでお話ししました。そして、その得意の絶頂にあった1968年、さらなる追い風がミルズ&ブーン社に向かって吹いてきた、ということも言いましたね。今日はその続きです。 さて、では1968年に何が起こったかと言いますと・・・この年、ロマンス小説にまつわる学術的な調査が行なわれたんです。そして、その調査結果が公にされ、巷の話題になったんですね。何しろそれまで「女子供の読むもの」として蔑まれてきたところのあるロマンス小説が、この時初めて学術的な研究対象になり、その結果が公表されたというのですから、いわばこれは「ロマンス小説」に関する「キンゼイ・レポート」みたいなものだったわけ。その意味で、これはなかなか画期的な出来事だった。 で、その調査を行なったのはシェフィールド大学の社会学の先生で、ピーター・マンという人です。ピーター・パンじゃないですよ、ピーター・マン。彼はミルズ&ブーン社の顧客リストから9300人を選び、彼女らを対象として25問のアンケート調査を行ったんです。で、回答してくれたおよそ3000人分のアンケート結果から、「ロマンス読者」の傾向というものがおおよそ分かってきた。 それによると、ロマンス小説を読む層というのは15歳から80歳と幅広いものの、メインとなる読者層は25歳から44歳の女性なんですね。で、読者の38%は主婦、37%はOLで、「ブルーカラー」の範疇にある読者は予想外に少なく、9%という結果が出た。さらに教育面から言うと、読者の44%が高校卒業、17%が専門学校卒業資格を持っていることが分かり、当時のイギリス女性の教育状況から言えば、平均以上の学歴を持っていることが分かった。 つまり、それまでロマンス小説を読む人なんて、よほど学歴・教養のない連中だろうと思われていたところがあったのですけれど、この調査によって、この偏見が根拠のないものであることが明らかになった。ミルズ&ブーン社のロマンスを読む女性たちの典型というのは、中程度以上の教育を受け、中流の仕事についている女性たちであり、またそういう仕事を経て結婚した主婦たちであって、どこから見てもごく健全な読者層だったわけ。ここが重要なんですね。しかも、そういう健全な読者層からの評価として、ミルズ&ブーン社のロマンスは「読み易く、かつ健康的である」というお墨付きも、この調査で得ることができた。 ミルズ&ブーン社のロマンスは健全な娯楽であり、またそれを読んでいる読者層もきわめて健全な人たちである。ピーター・マンの調査によって明らかになったこの結論は、ミルズ&ブーン社にとって非常に重要な転機となりました。え? この程度のことが転機になるの? と思われるかも知れませんが、少なくともミルズ&ブーン社の経営陣にとってはそうだったようで、同社の経営部門を率いていたジョン・ブーン自身、ピーター・マンのレポートは「センセーション」だったと回想しています。なぜなら、このレポートの後、ロマンス小説という文学ジャンルに対する一般社会の軽蔑的・揶揄的な態度が少なくなったからです。ま、逆に言えば、ロマンス小説を主力商品としてきたミルズ&ブーン社が、それまでいかに業界内外からのいわれなき揶揄を受けてきたか、ということの証左でもあります。それほど、ロマンス小説というものの文学的評価は低かったんですね。それだけに、そういう評価に耐えながら良質のロマンス小説を出版し続けた甲斐があった、ようやく報われた、という感慨があったのでしょう。 さて、このような社外からの予期せぬサポートのせいか、この後もミルズ&ブーン社のロマンス小説は売り上げを伸ばし続けます。1969年には年間セールスが1500部を突破しましたが、この勢いは止まらず、1970年には1800万部、翌1971年には2500万部となる。しかもこの年にはミルズ&ブーン社のロマンス小説は14カ国語(フランス語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語・オランダ語・デンマーク語・ノルウェー語・スウェーデン語・フィンランド語・ギリシャ語・マルタ語・ヘブライ語・アフリカ語)に翻訳され、海外への輸出も順調でした。ペーパーバックの売り上げも450万部となり、これはイギリスのペーパーバック出版社の中でも第9位に位置するもの。トータルの純益は21万2千ポンドと、こちらもまずまず。イギリスでも数少ない家族経営の出版社として、これは錚々たる実績と言ってよいでしょう。 で、これだけ順調に利益を上げる出版社となると、他の会社から目をつけられるようになるのも当然で、この頃から同社は大手出版社から買収の話を持ちかけられるようになります。たとえば1971年にはハイネマン社という大手がミルズ&ブーン社に対して買収を持ちかけている。ま、既に専属の人気ロマンス作家を数多く擁しているミルズ&ブーン社を買収すれば、すぐにでもこの市場に参入できますからね。もっとも、この申し出に関しては、結局ハイネマン社の方からキャンセルすることになりました。下世話なロマンスなどを出版してはハイネマン社の名折れだ、という意見が社内の趨勢を占めたんですね。先程、ピーター・マンのレポートでロマンス小説の株が上がったということを言いましたが、それでもやはり、貴族的なイギリスの大出版社の目から見れば、ロマンス小説の出版社なんていうのは、この程度に見られていたわけです。 しかし、この頃になると、ミルズ&ブーン社の方でも真剣に買収のことを考えるようになっていました。一族経営でやってきた同社の首脳陣も大分歳をとってきたんですね。1971年といえばアラン・ブーンが58歳、ジョン・ブーンが55歳。そろそろ引退を考えても良い頃です。となれば、老後の生活のための蓄えということも考えなければならない。そのためには会社を売って、多額のお金を手にするというのも決して悪い選択ではない・・・。 とまあ、そんなことを考え始めた矢先、カナダのハーレクイン社がミルズ&ブーン社に対して買収の申し出をしてきたんですね。まさに渡りに舟のタイミングです。で、ミルズ&ブーン社はこの話に乗り、1971年10月、ミルズ&ブーン社はハーレクイン社の買収を受けることとなります。買収価格は1200万ポンド。と同時に、アラン・ブーンとジョン・ブーンはハーレクイン社の社外重役に納まるわけ。かくして、二人の野心溢れる出版人が興し、後にはブーン一族のファミリー・ビジネスとなったミルズ&ブーン社は、その創業から60年と少しの時間を経て、一つの区切りの時期を迎えたのであります。 さて、次回はこの買収劇について、今度はハーレクイン社の立場から振り返ってみたいと思います。それでは、続きはまた! 今日は午後から学会なんです。この地方のアメリカ文学の専門家が集る定期研究会。「お気楽日記」はまた夜更新しますので、そちらの方もお楽しみに!
September 17, 2005
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大分、秋らしい気候になってきましたね。お月見のシーズンですなぁ。 ところで、今私が住んでいる地域では、月見のシーズンに恐ろしいことが起こります。「お月見泥棒」という行事が行なわれるんですね。今年は明後日、中秋の名月たる18日の夜に決まったらしい。で、私なぞ、もう今から戦々恐々です。 今から10年くらい前にこのあたりに引っ越してきて、初めてこの「お月見泥棒」という行事を体験した時は、それなりに面白い行事だなと思ったものでした。要するにこれ、この辺に住んでいる子供たちが近所の家を一軒一軒回って、月見団子を、というかお菓子をねだるというものなんです。もっともそう言うと何だか伝統的な行事みたいに聞こえますが、別にそう言うわけでもなく、また名古屋地方全般で行なわれているものでもありません。長年名古屋に住んでいる同僚に聞いても、「お月見泥棒」なんて聞いたことがないと言いますからね。どうやら今私が住んでいるあたりだけで行なわれている行事らしいんです。それにしても、私が住んでいるところは、ごく最近開発されたばかりの新興住宅地で、昔は狸がよく出たという以外、歴史なんて何にもないところなんですよ。一体、何がきっかけでこの地域にこんな風習が始まったのか、見当もつきません。 しかし、恐ろしいですよ、このお月見泥棒。何しろ近所の小学生が三々五々やってきては、当然のごとくお菓子を要求してくるのですから。挨拶もなし、お礼もなし、ただ「お月見泥棒でーす」といってお菓子を強奪していくわけ。できるだけ沢山のお菓子をもらおうと競いあっている子供たちの強欲ぶりたるや、まあ目も当てられないほどで、めいめいが大きな袋を持ち、あちこちから強奪してきたお菓子をそれに入れて得意になっているのですからたまりません。それでも少し前までは「お月見泥棒は日が暮れてから」という暗黙の了解があったようですが、最近では学校が終わった途端に来るので、低学年の子らになるとまだ日の高い午後3時頃からピンポン、ピンポン、チャイムを鳴らしてくる。で、そんなのが夜の8時ごろまで続くんです。しかも子供たちの親がそれを放任しているどころか、むしろ彼らを車に乗せ、あちらこちらへ泥棒の送迎をやっているんですからどうしようもない・・・。それにしても大きな車にふんぞり返るように乗ってやってくるお月見泥棒って、そもそも可愛くないよなー! もっとも親が一緒でない場合はさらにコワイんだ、これが。私は一度子供たちが大挙してコンビニエンスストアに入って行って、そこのお菓子を勝手に持っていこうとし、店主のおじさんに怒られているのを見たことがあります。店を追い出されながら、「チェッ、ダメなんだってさ、ケチ!」などと口々に捨てぜりふを吐いているのを見ると、子供らしい可愛げなんてあったもんじゃない。世間体がないだけに余計露骨に「欲の固まり」ぶりを発揮しているこれらの子供たちを見ていると、本当に気味が悪くなります。 で、ここ数年、私と家内はこの日になると、どうやってこの小さな強奪者たちと顔を合わせなくて済むかで四苦八苦します。去年は夕方から喫茶店に逃げ込んで時間を潰し、夕食も外食で済ませ、お月見泥棒が一段落した頃を見計らってこっそり家に戻りました。今年も多分、そんな感じで過ごすことになると思います。泥棒の方は恥も外聞もなく堂々と近隣を荒し回っているというのに、なんで私がコソコソ逃げ回らなくてはならないのか・・・。 きっと大昔には日本の各地で月見の風習があり、縁側に月見団子をお供えするなんてことはごく普通のことだったのでしょう。で、それを子供たちが夜こっそり食べにくるのだけれど、食べられた団子は神様が食べたのだろうということにされ、不問に付されるどころか、むしろ縁起がいいということになる。とまあ、そんなようなことが各地で行なわれていたのだと思います。そしてそれはきっと、いたいけな子供たちにとって心楽しい秋の行事だったのでしょう。しかし、それに似たようなことを現在の日本でやろうとすると、かくも醜い事態になってしまう。古の日本の国の美しき風俗を、現在を生きる我々が取り戻すために、我々は一体何をすればいいのか、私には分かりません。 私に分かっているのは、明後日、秋の夜空に満月がかかる頃、私と家内がそれこそ泥棒のようにコソコソしながら、あちらへ、またこちらへと、逃げ回っているだろうということです。嗚呼恨めしや、中秋の名月。まったく、わけ分からん!
September 16, 2005
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ダイエット生活を始めて三日目、かな? 昨日までで1.5キロ、痩せました。なかなか良い調子です。 現在ダイエット中ということもあって、今日はグレープフルーツ半分と紅茶だけという朝食から始まりました。で、その後は原稿書き。最近、原稿は『1-800-NEW-FUNK』というCDに乗って書いています。これ、表には出ていませんが、プリンスがプロデュースしているアルバムなんです。なかなかいいですよ。 そして昼食。今日はパスタでしたが、いつもなら100グラム食べる麺を70グラムに減量。ここがつらいところ。でもそこをぐっと堪えて午後からまた原稿書き。 4時ごろ、一段落ついたので、家内の買物に付き合って車で20分ほどのところにあるショッピングモールへ。そして買物ついでに、モール内の書店で『不機嫌なメアリー・ポピンズ』(平凡社新書)を購入しました。「小説と映画から、イギリス社会とイギリス人の心理に深く重く沈潜する「階級意識」を読み解く」本らしいですが、それよりもこの本がそもそも「メアリー・ポピンズ」について書かれた本であるというところについ興味を惹かれたもので。実は子供の頃「メアリー・ポピンズ」は読んだのですが、あまりよく理解できなかったんです。で、ひょっとしてこの本でも読めば、なぜ理解できなかったか、分かるようになるのかなーと思って・・・。 ただ、そんな私にも「メアリー・ポピンズ」で一ヶ所だけよく覚えている場面があります。それは、一日中理由もなく機嫌が悪く、ぐずっている子供に向かって、お守り役のメアリー・ポピンズが「あなたは今日、ベッドの悪い方から起き上がってしまいましたね!」と決めつけるところ。といっても、その子のベッドは片側が壁に押しつけられているので、いつもと同じ側からしか起き上がれないんです。「悪い側」も「良い側」もあったもんじゃない。で、子供もそのように反論するのですが、メアリー・ポピンズはいつもながら不機嫌そうに、「いいえ、あなたは今日、悪い方から起きたんです!」と言い続ける。 私はこのメアリー・ポピンズの説明は素晴らしいと思うんですね。実は私も子供の頃、朝からどうしようもなく機嫌が悪い日がごくたまにあって、そういう日は一日中、何をやってもむしゃくしゃする。なんとも言えず嫌な気分なんですよ。でも「メアリー・ポピンズ」のその部分を読んで、子供が不機嫌になる理由は「ベッドの悪い方から起きてしまった」からなんだ、という説明を聞いた時、私は子供心にすごく感心したんです。いや、もちろん、その説明に納得した、ということではなくて、ある心の状態からくる表現しようのない苛立ちや苦しみに、なんでもいいから言葉による説明を与えると、それなりに癒されるものだ、という感覚を得て、言葉の持つ力に感心したわけ。そういう時に必要なのは、「説明」そのものであって、その説明が正しいか正しくないかは二の次なんだ、ということを私はメアリー・ポピンズから学んだんです。 ま、そんなことがあるもので、私は「メアリー・ポピンズ」という童話には少なからぬ興味があったんですね。それに、この本の著者である新井潤美(めぐみ)さんという人は、少壮の英国学者だそうですから、そのお手並み拝見、という興味もある。ちなみに、この新井さんは1961年生まれだそうです。今、44歳ですね。なんでそんなことを言うかといいますと、女性の学者さんで、本を出す時に年齢を示さない人が多いのに、新井さんは堂々と公表しているので、ちょっと感心したため。女性に年齢を聞くのは・・・などと言う人もいますが、少なくとも物書きたるものがそんなこと言ってどうするんですか。私は読者として、自分の読んでいる本の著者が何歳なのか、自分より年上なのか年下なのか、常に知りたい。言葉の重みは、それによって変わってきますからね。70歳の方に「生きるということは、つらいもんだ」と言われたら、そうかなと思いますし、17歳のガキに「生きるということは、つらいもんだ」と言われたら、「ラジオ体操でもして来い!」と言い返したくなります。 さて、買物が終わってから、帰り際に「ビアード・パパ」というお店に立ち寄り、シュークリームを買いました。これがうまいんだ! で、家に戻ってから紅茶を淹れ、シュークリームを食べておやつにしました。ダイエット中でも、おやつは欠かせません。 そしてその後少し学会関係の仕事をして、夕食。今日も主食のご飯はカット。でも野菜と肉、そして厚揚げの煮物は沢山食べてお腹は一杯。 で、食後、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を少し読みました。実際に本を読んでみると、映画版はかなり原作に忠実であることが分かります。映画を見ていてよく理解できなかったところが分かるようになって、面白いですよ。 で、その後また少し原稿を書いて、今日の勉強は終了! これから夜のお茶を飲み、少しステッパーでも踏んで運動をし、そして風呂に入って寝ることにしましょうか。そうそう、この「ステッパー」については、また後日、お話ししますね! それでは、今日はこの辺で!
September 15, 2005
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今日は「お気楽日記」よりも先に、ロマンス小説史の続きです。 さて、先日、1950年代のペーパーバック・ブームに乗り遅れたミルズ&ブーン社が、カナダのハーレクイン社からの慫慂によってようやく重い腰を上げ、同社との提携によってペーパーバック産業への参入を果たした、というあたりまでお話ししましたが、今日はその先の話をいたしましょう。 が、その前にミルズ&ブーン社とハーレクイン社の提携について、もう少し詳しくお話ししておきます。 前にも言いましたように、この両社の関係は、ミルズ&ブーン社からハードカバーとして出版されたロマンス小説のリプリント権をハーレクイン社が買い取り、それをペーパーバック化して、「ハーレクイン・ロマンス」として北米大陸で売り出すということでした。つまりハーレクイン・ロマンスというのは、実は「ミルズ&ブーン・ロマンス」の2番煎じなのです。ハーレクイン・ロマンスの登場人物の大半がイギリス人であり、その舞台がイギリスかオーストラリアかニュージーランドなのは、そのためです。 しかし、そう言うと何だかミルズ&ブーン社の方がハーレクイン社より立場が強いような印象を与えてしまいますが、ことペーパーバックの生産に関して言えば、主導権を握っているのは常にハーレクイン社の方です。ミルズ&ブーン社が出版したロマンスをハーレクイン社が下請け的にカナダでペーパーバック化する、ということではないんですね。ハーレクイン社はミルズ&ブーン社のロマンスの中から気に入った作品だけを選んでペーパーバック化したのであって、作品の選定に関してハーレクイン社は決して妥協しなかった。ですから、ミルズ&ブーン社の都合で「この作品をペーパーバック化して」とは言えなかったんですね。 ところで、ハーレクイン社が出版するロマンスの選択にそれほど厳しかったのは、イギリスと北米大陸、とりわけ次第にハーレクイン社の主たる市場になりつつあったアメリカにおけるロマンスの好みが異なっていたからです。ま、「好み」が異なると同時に「許容範囲」が異なっていた、と言うところもあるんですけどね。 どういうことかと言いますと、まずアメリカ市場の方がイギリス市場よりも、ロマンスのあり方に関して保守的だったということですね。イギリスでは許容されるシチュエーションやシーンが、アメリカでは許容されないわけ。たとえば、結婚の約束をする前にヒロインとヒーローが相互に同意してベッド・イン! なんていうシーンは、アメリカでは保守的な女性読者層に「不道徳!」として総スカンを食ってしまうので、絶対に許されません。もっとも、ここでは「相互に同意して」という部分が不道徳なのであって、ヒーローがヒロインの同意なしに思い余ってレイプするというシチュエーションならば、「不可抗力」として割と許されるんです。ここが不思議なところなんですが。もちろん、どんな場合であれ露骨な描写を伴うベッドシーンは御法度です。また多少とも不倫の匂いのするロマンスなんていうのもアメリカでは絶対に受けませんし、ヒロインに離婚歴があるという設定もダメ。ヒロインは「まっさら」な状態でないとダメなんです。 要するにアメリカのロマンス読者の方がイギリスのロマンス読者より、はるかに堅物なんですね。だから、ミルズ&ブーン社の出すロマンスの中でもそういった不道徳要因が若干でも含まれているものはハーレクイン社の(つまりメアリー・ボニーキャッスルの)お眼鏡にかなわず、つまりはペーパーバック化されないということになります。ですからヴァイオレット・ウィンスペアとかロザリンド・ブレッツ、あるいはキャスリン・ブレアズといった作家の手になるちょっとエロティックなロマンスは、イギリスでは大受けなのに、北米大陸では当面、日の目を見ることはなかったんです。 一方、ハーレクイン社が積極的に北米大陸に導入しようとしたロマンスのジャンルがあります。それは病院を舞台に医師と看護婦の間で育まれる恋を描いたロマンスです。一般に「ドクター・ナースもの」と呼ばれるヤツ。イギリスでは1950年代にこの手のロマンスが流行していたんですね。その背景には、当時イギリスで『救急10番病棟』とか『メディック』といった病院もののテレビドラマが流行していた影響があるのではないかと言われていますが、ミルズ&ブーン社でもアラン・ブーンが専属ライターに勧めてどんどんドクター・ナースものを書かせていたと言います。しかし、イギリスにおけるドクター・ナースものの人気は、1950年代末には一時ほどのものではなくなっていた。 でも、ハーレクイン社は、このドクター・ナースものに魅了されてしまったんですね。ま、メアリー・ボニーキャッスルの好みでもあったのでしょうが、ハーレクイン社はミルズ&ブーン社の過去の作品群の中から、この手のロマンスばかりひっぱり出してきて、これをペーパーバック化したんです。事実、1957年7月にミルズ&ブーン社とハーレクイン社の提携が始まって最初に出版された作品、『Doctor in Buwambo』という作品からしてドクター・ナースものでしたからね。ちなみに翌年の1958年には16冊、2年後の1959年には34冊のミルズ&ブーン・ロマンスをハーレクイン社はペーパーバック化して出版していますが、これらのほぼすべてがドクター・ナースものでした。で、実際、これが北米で、とりわけアメリカ市場で、馬鹿受けだったんですね。かくして1950年代末から60年代にかけて、アメリカ中の女性が白衣のロマンスの虜になるんです。そういえば、1960年代前半といえばアメリカでも『ベン・ケーシー』や『ジェネラル・ホスピタル』なんていう病院もののテレビドラマが人気でしたから、そんな影響もあるのかも知れません。 とまあそんな感じで、1960年代になると「ドクター・ナースもの」をはじめとして、ハーレクイン社はミルズ&ブーン社のロマンスをどんどんペーパーバック化するようになり、以後10年以上にわたっておおよそ年間100タイトルほどをペーパーバックとして出版しています。平均すれば月に8冊のロマンスを出版したことになりますから、これはなかなか大した数です。しかもそのプリントラン(初版の部数)も当時、1タイトルにつき3万部から4万部ですから、これまた相当なもの。もちろん売り上げも好調で、かくしてハーレクイン社は1964年以降、ミルズ&ブーン社以外の出版社から出た本をリプリントすることがなくなります。もう、ミルズ&ブーン社とだけ付き合っていればそれで十分、という状態になってしまったんですな。 他方、ハーレクイン・ロマンスが売れれば、その分ミルズ&ブーン社と著者にも印税(1冊につき1.4セント)が入ってきますから、両社の結びつきは互恵的なものだったと言ってよいでしょう。事実、ミルズ&ブーン社の方でも、自社のロマンスのリプリント権をハーレクイン社以外の出版社に譲ることはありませんでしたが、ことほど左様にミルズ&ブーン社のロマンスは北米大陸でよく売れたんですね。長年ミルズ&ブーン社の専属ライターをしていたある作家など、カナダで自分の作品がどのくらい売れているかを知らず、突然9千ポンドもの印税を受け取って目を白黒させた、なんて話も残っています。 そして、1960年からは、今度は逆にミルズ&ブーン社の方がハーレクイン社のペーパーバックを1タイトルにつき4000部ほど逆輸入し、これをイギリスで売るということも始めます。つまり1960年代のミルズ&ブーン社の戦略として、新刊本はハードカバーで今まで通り出版・販売し、その一方、過去の作品はハーレクイン社にペーパーバック化してもらい、それをカナダから輸入して、主に「ウルワース」や「セーフウェイ」といった雑貨店で売ることにしたわけ。つまりミルズ&ブーン社は、そういう形でようやく、イギリスにおけるペーパーバック・ブームの流れに棹さしたわけです。 かくしてハーレクイン社との提携によって莫大な利益を上げ始めたミルズ&ブーン社は、他のロマンス系出版社との競争にも勝利し、1960年代にはイギリスにおけるロマンス出版の大手の地位に君臨することになります。たとえば1968年に、ロマンス出版では長い経験を持つ「ウォード・ロック社」が、もはやミルズ&ブーン社には太刀打ちできないと見てロマンス出版部門を断念していることなども、同社の躍進ぶりを物語っている。で、このように他のロマンス出版社がつぶれたとなると、そこが抱えていた専属ライターは当然のことながらそのほとんどがミルズ&ブーン社に移籍するので、同社のお抱え売れっ子作家はますます増えることになり、そうなればますます他社は太刀打ちできないことになるわけですから、まさに勝利のスパイラルという感じです。 そして、こんなふうにミルズ&ブーン社が得意の絶頂にあった1960年代末、さらにもう一つの追い風が同社に吹くことになります。この風は「ロマンス」という文学ジャンルそのものの再評価にもつながる大きなものだったのですが、・・・・その辺りのお話しは、また次回ということにいたしましょう。それでは次回もお楽しみに! 今日の「お気楽日記」は後で更新しますね。
September 15, 2005
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昨夜遅く、『銀河ヒッチハイク・ガイド』という映画を見てきました。以下、その感想などを書きますが、ネタバレですので、ご注意下さい。 ところで皆さん、この映画、ご存じですか? そもそも『銀河ヒッチハイク・ガイド』という映画が今、ロードショー公開されているということにお気づきの方すら少ないんじゃないでしょうか。それもそのはず、何しろ日本で上映されているのはわずかに8館(東宝系)というマイナーぶり。映画評を見ても「今年見た映画のワースト1決定!」とか「まったくお金の無駄!」という否定的な評価が目立つ中、「モンティ・パイソン流のギャグが最高!」というような評価もチラホラ。つまり、理解出来る人と出来ない人がはっきり分かれる映画らしいんですな。となれば、私のような天の邪鬼としては、自分が「理解出来る」側に立てるかどうかの試金石としてだけでも、見たくなるというものじゃないですか、この映画! というわけで、昨夜10時近くから始まるレイトショーを見に、車を1時間も飛ばして上映館まで駆けつけたというのですから、私も家内も相当な酔狂と言わざるを得ません。 で、この映画のストーリーですが、銀河系にバイパスを造る計画があって、たまたま地球がその道筋にあった。で、仕方がないので地球を取り壊すことになる、というところから話が始まります。もちろん、一つの惑星を破壊するとなればこれは一大事であって、そのことは前もって地球に通知してあった。しかし地球上で3番目に知能的な動物である人類はそのことに気づかなかったんですね。で、地球上で2番目に知能的な動物であるイルカはとっくに気づいていて、仲良しの人間にそのことを知らせようとしたのだけど(イルカ・ショーでジャンプしたり、空中のボールをつついたりするのは、実は地球の危機を知らせるボディ・ランゲージだったらしいんですが・・・)、アホな人間には全然通じないわけ。かくして、地球は工事用の発破をかけられて宇宙の藻屑となります。 ところが、たまたま地球に来ていたベテルギウス星人のフォードが、命の恩人である地球人のアーサー・デントを連れて、地球爆破の寸前に「銀河ヒッチハイク」に連れ出してくれるんですね。ちなみに、何でアーサーがフォードの命の恩人になったかというと、フォードが地球に来たばかりの頃、往来を我が者顔に走り回る自動車を見て、自動車こそがこの星の支配者なのかと思い込み、猛スピードで走ってくる自動車に握手を求めて突っ立っていたのを、アーサーが助けたからなんです。そのことにフォードは恩義を感じていたんですな。 ま、そんなわけで銀河ヒッチハイクの旅に出た二人ですが、ヒッチハイカーというのは宇宙でも嫌われ者らしく、最初にヒッチハイクした宇宙船からは追い出されてしまいます。しかし2番目にヒッチハイクした宇宙船がたまたま銀河系の大統領の宇宙船だったことから、またまた妙な話になっていきます。何しろ銀河系の大統領といっても、「ワースト・ドレッサー」の投票と間違えられたためにたまたま選ばれてしまった大統領ですから、かなりいい加減な人なんですよ、この人が。実際、今乗っている宇宙船にしても、彼が勝手に盗んだもので、彼はこれに乗ってあちこちの星に行き、女の子をナンパしまくっているんですけど、公式には彼は「誘拐」されたことになっていて、追っ手がかけられている。しかも彼を追いかけている大統領秘書の女性は、彼があちこちで女の子をナンパしまくっているのに相当腹を立てているので、彼を見つけるやすぐに発砲してくる。アブナイ、アブナイ! しかもこの大統領、ただそれを知っていたらカッコイイから、という理由で「宇宙の究極の問」の「答え」を探しているのですが、その答えの方は「42」だということが分かってしまう。しかし今度は逆に、この「42」という答えが当てはまる「宇宙の究極の問」がそもそも何であるかを探す必要に迫られ、ヒッチハイカーのアーサーもそれを探す冒険に巻き込まれてしまいます。しかも大統領の一行には、大統領が地球でナンパしてきたトリシアという女性がいて、彼女こそ実はアーサーの恋いこがれていた女性だったもので、アーサーとしては彼女を守る騎士の役目も果たさなくてはならないわけ。 ちなみに、アーサーたちの冒険の過程で、地球創造の神秘も明らかにされるんですけど、実は地球で最も知能があり、かつ、そもそも地球を某惑星製造工場に注文したのは、なんとネズミだったんですな。人間がネズミで実験していたのではなく、ネズミが人間を使って地球の実験をしていたらしいんです。で、その地球には予備があり、アーサーも望めばその予備の地球の方で元通りの暮らしをすることも出来たんですけど、彼はそんな保守的な道は選ばず、冒険的な人生を選ぶことになる・・・。 とまあ、わけの分からないストーリーをご紹介するだけでおわかりになると思いますが、お馬鹿なギャグ満載の超B級SF映画なわけですよ、この『銀河ヒッチハイク・ガイド』というのは。もともとイギリスのBBC放送の番組として作られ、それが後に本になって世界的なヒットとなった爆笑SFなんですね。そもそもこの原作を書いたダグラス・アダムズという人は、イギリス伝統の高級お馬鹿番組『モンティ・パイソン』のライターだったと言いますから、このSFも高級な世相批判とお下劣なギャグがないまぜとなった作品で、本の方に盛り込まれた全てを映画化するのは不可能だろうと言われてきた。それを今回、果敢にも映画化してみた、というのがこの『銀河ヒッチハイク・ガイド』なんです。 で、実際見てみてどうだった、と言われますと、決して面白くなくはないです。B級映画として酔狂で見るには、それなりに面白かった。どこで笑えばいいか分からない、というモンではありません。しかし、ではこれを万人に薦めるかというと・・・うーん、ちょっと厳しいかなー! 一番ダメなのは、アーサーたちの冒険が途中で終わってしまうことですね。しかもこの上映状況では、続編が作られるのかどうか、すっごい不安。 しかし、少なくともこの映画見たら原作が読みたくなることは請け合いです。イギリス流のシビアなユーモアを体現するような、相当な傑作らしいですからね。映画版からはその片鱗しか窺えませんので、私も原作をぜひ読んでみたい! ということで、『銀河ヒッチハイク・ガイド』、映画版は私程度に酔狂な人に、原作はまったく無責任に、教授のおすすめ!です。
September 14, 2005
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昨夜、ふと気になって風呂に入る前に体重計に乗ってみましたが・・・やっぱりなー! 体重増加傾向の著しい兆候が! そりゃそうだ。毎日、好きなだけ食べてるんだもの。そろそろダイエットしなくてはいかんなー・・・。 しかーし! 私はダイエットには自信があるんです。昨年、毎日の食事から炭水化物だけを抜くダイエットにトライしてみたんですが、最初の3日間ほどは確実にきっちり1キロ痩せることができました。野菜と肉はたらふく食べて、ですよ。後半は体重の減るペースが落ちましたが、それでも結局、1週間で3・5キロ痩せることに成功。これって、結構すごいでしょ?! ただねー、このダイエット方法、それなりにきついことはきついんです。いくら肉と野菜でお腹が一杯でも、炭水化物をとらないと独特の飢餓感があるんですよねー。多少、頭もぼんやりしてしまう。 そこで、そこまで厳密にカットせずに、しかし、極力炭水化物を避けることで、緩やかなダイエットをすることを私は定期的にやっています。で、昨夜、体重が増えてしまったことが明らかになったので、今日から早速、このマイルド・ダイエット期間に突入するつもり。今日は野菜や豆腐が沢山入ったスープを作る予定ですが、こういうものでお腹を満たして、主食をできるだけ食べないようにしようかな。さて、1週間後、どのくらいのダイエットに成功したか、乞うご期待です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここからは連日掲載しているロマンス小説史の続きとまいりましょう。 昨日、貸本業界の衰退に伴うミルズ&ブーン社の経営戦略の転換について述べましたが、1950年代にはこの他にもう一つ別な状況がイギリスの出版業界に生じていました。それは、「ペーパーバック・ブーム」の到来です。 「ペーパーバック」というのは表紙がペラペラの紙でできた軽い装丁の本のことで、しっかりした堅い厚紙などでできた表紙の本を「ハードカバー」と呼ぶのに対し、通常、このように呼ばれます。日本で言えば、新書本や文庫本がペーパーバックに当たりますね。 で、ペーパーバックのメリットというのは、一にも二にも値段が安いということ。日本以上にハードカバーの本とペーパーバックの本の値段の格差が大きい欧米各地では、それまで本を読もうと思えば、一般庶民は図書館や貸本屋で借りるしかありませんでした。しかし安価なペーパーバックが登場してからというもの、ごく普通の庶民でも比較的気軽に自腹を切って本を買うことができるようになった。この差は、とても大きい。本というのは借りて読むのと買って読むのでは大違いですから、ペーパーバックの登場というのは、文化史的に言って非常に重要な出来事なんです。 さて、ならば、イギリス出版史においてペーパーバックが登場してきたのはいつ頃かといいますと、正確なところは分かりません。ただイギリスは出版技術に関して世界で最も早く近代化を成し遂げ、1830年代には高速大量印刷を可能にするだけの製紙技術と印刷技術を作り上げていたので、遅くとも19世紀半ばには安価なペーパーバックを出版する体制は整っていただろうと言われています。実際、この時代には鉄道の駅の売店などで大衆小説がペーパーバックとして売られていたという記録が残っていますし、また1885年以降は文化的に価値のある本のリプリント本も6ペンスほどの安い値段で売られていたといいます。 しかし、全国的な規模で、しかもきちんとした継続的な出版計画のもとに出版されたペーパーバックの嚆矢といえば、やはり1935年に創刊された「ペンギンブックス」を挙げなくてはなりません。アレン・レインというイギリス出版界の異端児によって創設されたこのペンギンブックスは、娯楽的な小説から古今東西の文学的傑作、あるいは真摯な研究成果に基づいた教養書から図鑑的なものに至るまで、統一した体裁(新書判)、統一した価格(6ペンス)で販売し、その後の世界中のペーパーバックのあり方に大きな影響を与えたばかりでなく、実際にこのペンギンブックスの登場が契機となって、世界的なペーパーブック・ブームが到来した。 そして1935年以降のペーパーバック・ブームをさらに加速させることになったのが、第2次世界大戦の勃発です。 何となく意外な感じがしますが、一般に戦争というのは、広く読書習慣を普及させる上で大きな役割を果たすことが多いんですね。というのも、戦争中は娯楽自体が少なくなりますし、とりわけ歌舞音曲の類は御法度となりますので、銃後にいる人々は家で静かにしている他ない。となると、活字というのはすごく魅力的な娯楽になってくるわけ。また戦場に駆り出された兵士たちにしても、年柄年中戦闘をしているわけではなく、一日の大半は移動であったり、待機であったりする。で、そうした合間の暇な時間をつぶすのに読書というのはもってこいだったんです。本を読めば、その時間だけでも殺すか殺されるかの過酷な現実を逃避できますからね。とまあ、そんなわけで第2次世界大戦中、イギリスでは書店の棚が払底するほど本が売れた。とりわけ安価で軽く、持ち運び易いペンギンブックスは民間人の間でも、兵士たちの間でも愛読されました。特にペンギンブックスの縦長で小振りな判型は、イギリス軍の軍服のポケットにぴったり収まる大きさだったので、兵士たちの多くは軍服のポケットにペンギンブックスを一冊忍ばせて戦場に出ていったというようなことも伝わっています。 そして戦後、ペンギンブックスを愛読することで読書習慣を身につけた兵士たちが大挙して社会復帰してくると、当然本の市場、とりわけペーパーバックの市場は活気づきます。1950年代のイギリスにおいて、ペーパーバック・ブームが生じたのはこういう事情があったんですな。で、そういうことになれば、もちろんペンギンブックスの市場独占は崩れ、ライバル出版社というのが現れてくる。有力なところでは「パン」「コルギ」「フォンタナ」「パンサー」「スフィア」「チェリートゥリー」なんていうペーパーバック出版社が次々と市場参入し、ペンギンブックスに追従してくるわけ。 ところで、一般にペーパーバックというのは、基本的にはリプリント本です。つまり、過去にハードカバーとして出版された本を、体裁を変えて再刊したものなんですね。ですから、ペーパーバック出版社というのは、原則として自ら新刊本を出版することはなく、ハードカバー出版社から既存の本のリプリント権を買い取って、それをリプリント本として出版するわけです。日本の文庫本がそうであるように、その本は「2番煎じ」なんです。 つまりペーパーバック出版社の出版事業というのは、ハードカバー出版社からリプリント権を譲ってもらって、初めて成り立つ、ということになるんですね。ですから、イギリスで1950年代に登場してきた多くの新興のペーパーバック出版社が、それぞれハードカバー出版社に接触し、なるべく沢山の、そして売れ行きの良さそうな本のリプリント権を売ってもらうのに躍起になっていたというのも、うなづけるでしょう。それだけに、当時のハードカバー出版社は、既刊本のリプリント権をペーパーバック出版社に売ることで得た収入だけでも相当なものがあったんですね。イギリスだけでなく、アメリカでもそうなんですけど、1950年代というのは、出版社が儲かった時代なんです。 では、時代がこういう状況になっていた時に、我らがミルズ&ブーン社はどうなっていたかといいますと、・・・これが、どうにもなっていなかったんですなぁ。 なんとなれば、リプリント権が欲しくて欲しくて仕方がない新興のペーパーバック出版社ですら、ミルズ&ブーン社が出すようなロマンス小説のリプリント権を得よう、なんていうところはなかったからなんです。年に1冊か2冊、コルギ社がミルズ&ブーン社のロマンスのリプリント権を買いつけにきたぐらいなもんで、ペンギンブックス社やパン社など、ペーパーバック大手はどこもミルズ&ブーン社には目もくれなかった。女性向けのロマンス小説なんて、出すだけ出版社の名折れだ、というのが当時のイギリス出版界の通念だったんですね。 とまあ、そんなわけで、ミルズ&ブーン社としては、ペーパーバック・ブームの真っ只中の1950年代にあって、それとはほとんど無縁の出版活動をしていました。もちろん、同じ出版界にいるわけですから、ペーパーバック・ブームのことを知らなかったわけではありませんが、いかに衰退の一途を辿っていたとはいえ、まだイギリスには貸本屋チェーンがありましたし、そういうチェーン店といまだに付き合いの深かったミルズ&ブーン社としては、2ペンスとか3ペンスという料金でロマンス小説を借りられるというのに、わざわざその倍以上のお金を出して人々はロマンス小説のペーパーバック版を買うものだろうか、というところに疑念を持っていた。他社もそうですが、ミルズ&ブーン社自らにしたって、自社製品のペーパーバック化には、消極的だったんですね。それゆえ、ミルズ&ブーン社は、イギリスにおけるペーパーバック・ブームの波に完全に乗り遅れるんです。 ところがこの状況は1957年に激変します。この年、ミルズ&ブーン社のもとにカナダの名も知らぬ出版社から一通の手紙を受け取ることになるんですね。で、その「ハーレクイン社」という名の出版社から届いた手紙には、ミルズ&ブーン社のロマンスをカナダでペーパーバック化するためのリプリント権を売ってくれ、という内容が書かれていた。そうです、このブログの「8月28日」の項で書いた、ハーレクイン社とミルズ&ブーン社の提携というのがここで生じるのです。そして、これをきっかけとして、ミルズ&ブーン社がようやく、遅ればせながら、ペーパーバック・ブームに参入していくことになるわけ。 で、そうなれば当然、このミルズ&ブーンとハーレクインの連合軍の運命やいかに、ということに話は向いていくわけですけど、もう大分長くなってしまいました。そろそろ今日はおしまいにいたしましょう。この続きはまた次回!
September 13, 2005
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先程テレビを見ていたら、今度の選挙で落選した土井たか子さんが「こんなんじゃ自民党はなんでもやりたい放題で、このままでは民主主義の危機だ!」と言っていました。しかしこの発言は、政治家としておかしくないですかね。 民主主義というのは多数決の論理のもとに動くのであって、多数派、しかも圧倒的多数派となった自民党が「やりたい放題」するのは、民主主義の原理として当然です。民主主義の原理の中で社民党が独自の政策を実施したいなら、まず国会の中で多数派をとらなくてはならない。当たり前のことでしょう? だったら、土井さん、相も変わらず意味のない自民党批判をする前に、まず社民党の議席を増やしなさいって。それができないなら、自分たちの政策がまるで国民にアピールしていない事実を反省しなさい。自らの人気に安住し、政策論議抜きで「ねえ、皆さん、消費税は嫌ですよね」のワンフレーズ・ポリティクスで押し通し、わけの分からん女性候補者の刺客をやたらに擁立した「マドンナ旋風」で一時的に多くの議席を獲得したご自分のことはすっかり棚に上げておられるようですが、長い目で見て、かつては大政党だった社会党を議席わずかに7つの弱小政党・社民党に貶めたA級戦犯は、土井さん、あなたです! あなたの言う「民主主義の危機」とやらを実際にもたらしたのは、土井さん、あなたなんですよ!! 閑話休題。 人間にとって一番大事なことは、次の飯をどうするかだ、と言ったのは、『北回帰線』で有名なアメリカ作家ヘンリー・ミラーでした。昨夜は各種特番を通じて衆議院選挙の行方を夜遅くまで追っていた私も、自民党大勝という予想通りの結果が判明してしまえば、次に大事なのは今日の昼飯です。 で、今日の昼食は、我が家にしてもちょっと珍しいものでした。ベーグルだったんです。これがおいしかったんだ! ところで皆さん、ベーグルってご存じですか? 最近ではこれを売っているパン屋さんも珍しくなくなったので、ご存じの方も多いとは思いますが、ちょっと太めのドーナツのような形をしたパンのこと。もともとはユダヤ系の人たちの食べ物ですが、作り方がちょっと変わっていて、発酵させたパン生地をそのまま焼くのではなく、一旦お湯で茹でるんですね。で、この「茹でる」というひと手間が加わるため、焼き上がったベーグルは独特のモチモチとした歯ごたえをもったパンとなります。これが好きな人にはたまらないんですなぁ。もちろん、私も大ファンです。 ちなみにベーグルの食べ方で一番オーソドックスなのは、横に輪切りにして軽くトーストしてからクリームチーズを塗って食べることでしょう。もちろん、これだけでも十分おいしい。で、もう少しリッチに行こうという時は、これに生ハムやスモークサーモンのスライスなんかを挟むわけ。朝食として食べるならこれで十分。 しかし今日は、これを昼食として食べようというのですから、もうワンランク、リッチに行こうということになり、輪切りにしてクリームチーズを塗ったアツアツのベーグルにスモークサーモンとタマネギのスライス、さらに茹で卵をつぶしマヨネーズで和えたものを挟み、ケイパー(ケッパー)をトッピングして食卓に上せたわけ。で、この具だくさんなベーグル・サンドをカップスープとコーヒーと共に食したわけですから、これがうまくないわけがない! もっちもちのベーグル・サンド、教授のおすすめ! です。 さて、おいしい昼食をいただいた後、午後からはひと勉強して、ここ数日の不勉強を挽回することとしました。途中、頻繁に舞い込む卒論指導学生からの相談メールに返信したりしながら、ね。そして5時頃、大相撲を見ながら紅茶を楽しみ、その後また少し勉強です。 とまあそんな具合で、昨日から大騒ぎの永田町とは異なって、今日の我が家は静かな一日でした。ま、たまにはそう日もないとね。それでは、また明日!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここから先はロマンス小説史の続きです。 先日お話ししたように、1930年代以降のミルズ&ブーン社がロマンス出版社として業績を上げていった背景には、貸本屋との提携ということが非常に大きかった。つまり、ミルズ&ブーン社が出版したロマンスを貸本屋チェーンが大口購入し、それをロマンス・ファンの女性読者が借り出すという形で、出版社と貸本業者と女性読者のそれぞれが利益を得るシステムが出来上がっていたわけです。 ところが、昨日もお話ししたように、1950年代に入ってから貸本業が全体的に低迷し始めた。このことの背景にはテレビの発達・廉価かつ多様な雑誌の登場・本の値段の低価格化などがあって娯楽が多様化し、貸本屋から借りる小説本が庶民の唯一の楽しみ、というような状況が変わってきたことがあると言われています。が、何はともあれ、とにかくミルズ&ブーン社にとって貸本屋という大口顧客の喪失は、大いに危機的な状況であったはず。 で、この状況に対し、ミルズ&ブーン社は一体どのような対応をしたかと言いますと・・・「女性誌」とのタイアップをやったんですね。これが大きかった。 もっとも女性誌とのタイアップに関しては、同社は既に1920年代からやってはいたんです。しかし、先に述べたように、第2次世界大戦後、ブーン一族の第2世代(アラン・ブーン、ジョン・ブーン)がミルズ&ブーン社の経営の主導権を握るようになってから、この戦略がより明確に打ち出されたわけ。で、同社は当時のイギリスにおける人気女性雑誌3誌、すなわち『Woman』『Woman’s Own』『Woman’s Weekly』の3誌とタイアップして、ここにロマンス小説を連載させてもらったんですね。「連載させてもらった」と言っても、無論、商品を提供するのですから、お金はもらいます。つまり連載が決まった段階で、ミルズ&ブーン社のもとには連載料が入ってくる。しかし、それだけではないんです。(女性)読者の心理というのは面白いもので、雑誌に掲載されていたものを全部読んでしまえばそれで満足するかというとそんなことはなく、今度はそのお気に入りの連載小説を単行本の形でまとめて読みたくなるもんなんですね。ですから、連載が終わった小説を単行本として出版すれば、その本は確実に売れるわけですよ。ですから、ミルズ&ブーン社は、まず女性誌にロマンス小説を連載する段階で一度儲け、さらに連載終了後にはそれを単行本として出版・販売し、そこでまた一儲けする、ということをやり始めた。つまり、女性誌にロマンス小説を連載するということは、お金をもらって自社製品の広告を打っているようなもんなんです。ビジネスのあり方として、こいつは賢い! このことを、もう一度整理してみましょう。 それまでミルズ&ブーン社は、女性客目当てにロマンス小説を主力商品とし、それを女性客の頻繁に出入りする貸本屋に卸していた。つまり、同社にとって貸本屋は、自分たちと客とを結ぶ媒体(=メディア)であったわけで、それがうまく機能している間は何の問題もなかった。しかし貸本屋という媒体自体が機能し始めなくなったとなれば、また別な媒体を探さなくてはならないのは当然です。そして、そういう状況の中からミルズ&ブーン社が当時華やかな発展を遂げていた「女性誌」を次の媒体と見なし、これを通じて自社のロマンス小説の実質的な広告・紹介を行なったとすれば、それは同社の伝統的な経営戦略を正統進化させたことに他ならない。要するに同社は、うまく「バスを乗り換えた」んですね。 しかも、女性誌とのタイアップの結果、もともとミルズ&ブーン社の専属ライターでなかった女性作家が、ミルズ&ブーン社と縁の深い女性誌に小説を連載した後、それを同社から単行本として出版したいと申し出てくるケースも増えてきた。後にミルズ&ブーン社の人気専属作家となったリリアン・ウォレンやエスター・ウィンダムなどはこういう形で同社の専属ライターとなった作家たちですが、かくのごとく、ミルズ&ブーン社にとって「女性誌」という媒体は、作品の発表・広告の場としてだけでなく、専属ライター獲得の場としても機能したんですね。しかも、この方式でライターをリクルートするとなれば、その時点での女性誌の流行に合わせた小説が書けるライターを獲得できることになるので、その点でも非常に都合が良かった。もう、いいことづくめです。ミルズ&ブーン社はとても上手に「脱・貸本屋」をやってのけたと言うほかない。 しかし、1950年代のミルズ&ブーン社が取り組んだ「脱・貸本屋」戦略は、女性誌とのタイアップだけではありませんでした。同社はこの時期からもう一つ、興味深い経営戦略を打ち出しています。それは、「カタログ販売」という戦略です。 先に貸本業とロマンス小説の相性の良さを説明した際、ロマンス小説の読者は、一度気に入ったロマンスを見つけると、それと同じような小説を求めがちだ、ということを言いました。だったら、ミルズ&ブーン社の本を一度でも注文し、同社のロマンスによって至福の読書体験をしたことのある(女性)読者のもとに同社の出版カタログを送れば、そのカタログの中からまた本を選んで買ってくれるのではないかと考えてもおかしくはない。少なくともミルズ&ブーン社ではそんなふうに考えたんですね。つまり、女性誌のような外部メディアに頼るのではなく、自社製品そのものを自社のメディアにしてしまおうという魂胆ですな。で、同社はその名も「ハッピーリーディング」と名付けられたカタログを作り、顧客のもとに送ってみた。すると大体14%ほどの顧客がこのカタログに反応し、注文をしてくれたといいます。14%の反応というのは、これはカタログ販売としてはなかなかいい数字です。この「カタログ販売」戦略は、以後、ミルズ&ブーン社の販売戦略の中で非常に大きな部分を占めることになるのですが、それについてはまた別に言及しましょう。 とにかく、かくのごとくしてミルズ&ブーン社は、「貸本業界の衰退」という現象が見られた1950年代の荒波を、「女性誌とのタイアップ」、そして「カタログ販売の強化」という二つの経営戦略によって乗り越え、1930年代以降の好調の波を維持したんですね。 しかし、1950年代も後半に至ると、今度はまた別な社会現象が生じてきて、ミルズ&ブーン社は、再びその現象への対処を強いられることになる。その辺のお話しは、また次回ということにいたしましょうか。それでは、次回もお楽しみに!
September 12, 2005
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昨日、「今日から心を入れ替えて勉強に専念します」なんて言ってしまいましたが、その舌の根も乾かぬ内に、今日は瀬戸で開かれている「瀬戸物まつり」に行ってしまいました。何せこのお祭り、二日間のみの開催で、今日がその最終日だったものですから・・・。 ちなみにこの瀬戸物まつり、昨日は18万人の人出だったそうですが、それでも例年に比べて8万人ほど少なかったのだそうです。愛知万博に客を奪われたとのことですが、それにしても18万人といえばすごい。このあたりでは相当大きなイベントです。 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、瀬戸というのは町の真ん中を川が流れていて、その川の両岸に細長く開けた町なんです。で、瀬戸物まつりでは、その川沿いの道にさらに特設の露天がずらりと並んで、そこで定価よりも大分安い値段で瀬戸物を販売するわけ。またそれと同時に「たこ焼き」やら「焼きそば」やら、とにかくそういった類のお店が随所に軒を連ねますから、会場はお祭りそのものの賑やかさです。 さて、そんな活気のあるお祭り会場に到着した私と家内は、早速、沿道のお店を一件一件見て回ることに。何しろ私も家内も陶器といえば目がない方なので、もう心はワクワク、ドキドキです。ちなみに今日の我々の狙い目は「湯飲み茶碗」。来客用の揃いの湯飲み茶碗のいいのがなかったものでね。 しかしこういう瀬戸物市で買物をするというのは、これで案外難しいものですね。古書市なんかでもそうですが、もっといい出物があるのではないか、もっと安いのがあるのではないかという思いに心が急かされてしまって、最初の内はなかなかじっくりと品定めができない。それでも見ているうちに何点かちょっといいなと思う皿に出くわしたのですが、そういうのに限って値段が高かったり、枚数が揃わなかったり。そんなこんなで、一緒に行った家内の友人たちはあちこちで品物を買っているというのに、我々だけは何も買わないうちにお昼になってしまいました。 ところで瀬戸というのは鰻料理が有名な土地柄で、香ばしい蒲焼の煙をもうもうと通りに扇ぎ出すような、そんな庶民的な鰻の店があちこちにある。おそらくは、窯の熱気で体力を消耗する陶工たちのエネルギー源ということなんでしょう。で、何ならそういう店で鰻丼でも食べようか、とも前もって考えていたのですが、しかし結局お祭りの雰囲気を堪能すべく、会場の各所にある屋台で買い食いすることになりました。何しろ瀬戸物まつりの会場にいると段々貨幣価値の感覚がおかしくなってきて、「500円あれば袋一杯の瀬戸物が買えるのに、ここで鰻を食うのか?」なんてつい思ってしまってね。そんなわけで結局我々は屋台をはしごして「リング焼き」(一種のお好み焼きですな)と「焼きそば」、それに串カツを食べたわけですけど、ま、たまにはそういう昼食も楽しいものです。この中では焼きそばが一番おいしかったかな。今から考えると、たこ焼きも食べておけばよかった! そして腹ごしらえをした後は、後半戦の開始です。しかし、後半戦も我々は苦戦が続きます。織部や黄瀬戸の小振りな茶碗ならいくらでも売っているのですが、こういうのはやはりある程度高い値段のものを買わないとすぐ飽きてしまうような気がしますしね。かといって厚手のごっつい湯飲みは、何だか寿司屋の湯飲み茶碗みたいで我々の趣味ではない。さらに、柄がいいなと思うと日本酒用の「ぐい飲み」だったり、大きさが丁度いいなと思うと、「蕎麦猪口」だったりして・・・。ま、蕎麦猪口をお茶用の湯飲みに使う、なんていうのは、最近では別におかしなことではなくなりましたけどね。 ま、そんなわけでなかなか「これ!」というものを見つけられなかったのですが、それでも粘って粘って、最後の最後で見つけましたよ、我々好みの湯飲みを! 細かなひびの入った繊細な白い湯飲みで、デザインもモダンです。大きさも丁度いいくらい。これで緑茶を淹れたら、緑の色が映えそうな感じ。しかも一つ350円と値段も安い! よーし、これだ! というわけで、これを6客買いました。本来2100円のところ、100円まけてもらって2000円ナリ。今日の収穫はこれだけでしたけど、なかなかいい買物をしたのではないでしょうか。家内の友人たちは、それぞれ家使いの瀬戸物をごっそり買って大満足の様子。それにしても、ごったがえす人をかき分けての買物に少々疲れたので、近くの喫茶店でコーヒーとケーキを食べながらしばしおしゃべりを楽しみ、そして今日はここで解散となりました。 そして帰りがけ、国民の権利を行使するために衆議院選の投票を行い、家に帰ってからは早速今日買った茶碗を使って緑茶を淹れ、昨日買ってきた「又一きんつば」を食べておやつとしました。うーん、見れば見るほどなかなかいい茶碗ではないですか! 満足の行く収穫があった分、やっぱり今日、思い切って瀬戸物まつりに出かけて良かった。 さて、今日はこれから世界柔道もあるし、選挙速報もあるし、そして夜中にはF1ベルギーグランプリもある。なかなか盛り沢山ですね。特に選挙速報に関しては、多分、日本中の人が、夜遅くまで興味津々で結果を見守ることになるのでしょう。それでは、皆さん、お互いに寝不足にご注意あれ! それでは、また明日!
September 11, 2005
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今日はまた妙な夢を見ました。夢の中で、なぜか私はザ・ドリフターズのメンバーになっているのです。で、加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんと一緒に飲んでいるわけ。 それで、どういう話の流れからか、どこかの過疎の村の話になった。その村では今度立派な公民館を作ったのだけど、なにせ過疎ですから人が集らない。で、すごく困っているというのです。そこで、どうしたもんかねぇ、という話になったので、私が「じゃあ、俺たちがそこで一発、全員集合しようよ! そうすりゃ、きっと人も集るよ!」と言ってみたら、加藤さんが「おう、そうだ! やろう、やろう!」と賛同してくれ、仲本さんが「じゃ、俺、長さんに電話してくるわ!」とか言って、電話をかけに行ってくれる。で、仲本さんが座をはずしている間、加藤さんとブーさんと私で、早速どんなネタをやるか、わいわい相談し始めたのですが、話をしながら、なんかどうも妙な気がしてくるわけ。あれ、待てよ。長さんって、亡くなったんじゃなかったっけ・・・。そう思ったら、目が覚めました。 変な夢! さて、今日、再び東名を愛車プジョーでかっ飛ばして名古屋に戻ってきました。途中、牧ノ原サービスエリアに寄り、「又一きんつば」と「富士山高原いでぼくの牛乳ジャム」をお土産に購入。これ、うまいんですよー。 それにしてもゼミ合宿から今日までの数日間、まあよくあちこちに出かけたもんです。その分、あまり勉強ができませんでしたが、明日からまた心を入れ替えて、少し勉強に力を入れましょう。それでは、また!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ しばし休載しましたが、ここから先はロマンス小説史の続きです。 さて、前回までで1930年代あたりまでのミルズ&ブーン社の動向について云々してきましたが、今日はその続き。 1930年代に業績を上げていた同社は、1940年代が近づくと若干の低迷を余儀なくされます。一つには第2次世界大戦の影響で、印刷用の紙が不足し始めていたこともありますし、またチャールズ・ブーンの息子たちで、同社の社員になっていたアランとジョンが徴兵されてしまったことなどの影響もある。しかし、同社にとってこの時期最も大きな損失となったのは、創業者の一人、チャールズ・ブーンが1943年に66歳で亡くなったことでしょう。もう一人の創業者であるジェラルド・ミルズは、既に1928年に51歳で亡くなっていて、彼が亡くなった時は彼が同社の資本金の出資者だったことから多少の問題が生じたのですが、それは別な出資者を確保したことで解決する問題でした。しかし、次第に総合出版社からロマンス小説専門出版社への変貌を遂げつつあった同社にとって、小説部門の総帥であったチャールズ・ブーンの死は、ミルズが亡くなった時以上の混乱をもたらすことになります。何しろ前回述べたように、チャールズ・ブーンは同社の専属女性ロマンス・ライターにとっての「慈父」であり、彼がいたからこそ優秀な女性作家たちも同社との契約に満足していたところがあった。その慈父がいなくなったとなれば、それは同社にとって非常に大きな問題です。 実際、チャールズ・ブーンの死後、ジョゼフ・ヘンリーという人が同社の指揮をとるようになると、やはり予期されたような問題が生じてしまいます。このジョゼフ・ヘンリーという人はジェラルド・ミルズが亡くなった時、彼に代わってミルズ&ブーン社の出資者となった人ですが、彼はチャールズのような人を逸らさぬ社交家というのとはまったく逆の性格の人だった。そのため、ミルズ&ブーン社の専属ライターの中からは彼に対する不満が噴出するようになるんですね。 しかし、この危機はチャールズ・ブーンの息子たちが戦場から戻ることで、何とか解決されます。というのも、長男のアラン・ブーンという人が父親と同じく編集の才があり、また社交的でもあって、それまでチャールズ・ブーンが引き受けていた仕事をそっくりそのまま引き継ぐような形になったからです。また弟のジョンの方も経営の才のある人で、こちらも同社の近代化に大きく貢献することになった。一方、ジョゼフ・ヘンリーの方はやがて「チェアマン兼ゼネラル・マネージャー」という、いわば「お飾り」の地位に押し上げられ、体よく同社の経営から手を引かされることになる。ま、そんな感じで、ミルズ&ブーン社は第2次世界大戦時の混乱の中から、アランとジョンの兄弟を中心にしたブーン一族経営の出版社、というふうな色合いを強めることに成功するわけ。 そしてこのような経営陣の一新に加え、1947年から段階的に戦時下の印刷用紙の割り当て制が解除されたことにより、ミルズ&ブーン社は1948年に過去最高益を記録します。また1949年には出版点数においてイギリスで第37番目の中堅出版社になるなど、その経営状況は好調をキープ。かくしてミルズ&ブーン社は、黄金の1930年代に続き、バラ色の50年代を迎える準備を整えることになります。 もっとも、イギリスの1950年代は、ミルズ&ブーン社にとって必ずしも安寧な時代というわけでもありませんでした。というのも、戦後の物価高により出版コストはさらに上昇を続け、引き続き同社の経営を圧迫し続けていましたし、またテレビという名のライバルが、それまで庶民の娯楽としての「読書」の地位を脅かし始めたということもある。 しかし、こういった出版社全体への様々な逆風の中で、特にミルズ&ブーン社にとって痛かったのは、テレビの普及によって、かつて隆盛を誇っていた「貸本屋」の没落がそろそろこの時期から始まった、ということです。既に何度も述べてきたように、ミルズ&ブーン社がこれまで順調な経営を続けて来られたのは、同社が貸本屋向けにロマンス小説を次々と出版し、これが好評を得ていたからであって、貸本屋は同社の土台骨を支えていた。その土台骨が崩れて出したとなれば、これは一大事。 ならばミルズ&ブーン社は、いかなる方法で貸本屋への依存体質から抜け出し、新たなマーケットを開拓したのか。その辺の事情についてはまた次回、お話しすることにいたしましょう。それでは、また!
September 10, 2005
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今日は両親を連れて東京郊外の府中市にある、府中市美術館というところに行ってきました。家から車で40分ほどですね。 これを見ようと思ったのは、丁度今「ホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔」という展覧会をやっていたからなんです。私はアメリカ美術についてその善き理解者といえるかどうか、いささか心もとないところがありますが、それにしてもニューヨークまで行かずしてホイットニー美術館収蔵の作品が見られるとすれば、一応は見ておきたいですからね。 ちなみに、このホイットニー美術館というのは、ホイットニー夫人という方が個人的に集めたコレクションをもとに作られています。20世紀のはじめ、彼女はアメリカの若い画家たちのパトロンとなって、無名の彼らの絵をどんどん買ってあげていた。ところが彼女のコレクションが5000点ほどになったところで例の有名なメトロポリタン美術館に寄贈しようとしたら、あっさり断られてしまったというんですね。メトロポリタンの学芸員の目から見れば、当時のアメリカ美術なんて、無価値に思えたのでしょう。で、クヤシー!と思った(かどうかは分かりませんが)ホイットニー夫人は、だったら自分で美術館作るからいいわ! ってな感じで「ホイットニー美術館」を作ってしまった。それが1930年の話。大不況のさなか、そんなことができるのですから、ホイットニー夫人というのはよほどのお金持ちだったんでしょうな。ミドルネームが「ヴァンダービルト」ですから、ひょっとするとアメリカ南部の鉄道王ヴァンダービルト一族の出なのかも知れません。それにしても、メトロポリタン美術館が断ったホイットニー夫人のコレクションこそ、今となってはアメリカ現代美術の代表作ばかりなのですから、大したもんです。えらい、えらい。こういう奇特なパトロンがいるから、美術史というのは作られていくんですな。 さて、そんなわけでホイットニー夫人の審美眼やいかにとばかり展覧会場に乗り込むと、のっけからエドワード・ホッパーの佳作があるではないですか。今回の展示の目玉ですね。ホッパーというのは、ご存じの方も多いと思いますが、独特の画風を持った画家で、私の好きなアメリカ画家の一人です。ま、その画風を私なりに表現すれば、「音のない風景」を描く画家、とでも言いましょうか。彼が描くのは何気ない、むしろ平和な、と言っていいような日常の風景なのに、なぜかその風景からは人間のたてる「音」が聞こえてこないような感じがするんです。静謐な、という意味ではなく、音が暴力的に遮断されている感じ。そういう意味での「音のない風景」というのは、見るものを不安にします。 また彼はしばしば穏やかな日差しの中に佇む郊外住宅などを画題にするのですが、その「日差し」の描写が一種独特で、明るく健康的な太陽から放射されたものとは思えないような、冷たい日差しなんです。つまりホッパーの絵には音がなく、また熱がないんですな。それは、単純な言葉に置き換えてしまえば「アメリカ生活における人間性の蹂躙」を象徴しているのかも知れない。しかし、そんなふうに言葉で言ってしまったら、一体なぜ、彼の絵が私を惹き付けるのか、その説明がつかなくなります。ま、ホッパーはなにやら独自の不思議な世界を作り上げているなぁ、ということだけを言っておきましょうか。今回の展覧会では、ホッパー作品2点はどちらもよかった。 それにしてもいつも思うのですが、エドワード・ホッパーの作品というのは、ある意味、アメリカ美術を代表しているように思うんですよね。つまりアメリカの絵には、人間のぬくもりとか、人間の笑顔とか、要するに人間性の自然な発露が描かれていなくて、むしろそういうものが抜き取られた後の、きわめて「無・人間的」な世界が描かれているように、私には思われるのです。アメリカ人というのは、すごく陽気な国民性を持っていると思うのに、彼らの描く絵は決して陽気ではない。ハリウッド映画なんて能天気なほど人間性賛美の映画ばかりなのに、アメリカ絵画は決してそうではない。不思議なところです。 ま、それはともかく、この他今回の展覧会で見られるのは、ジョージア・オキーフ、ジャクソン・ポロック、ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、キース・ヘリング、フランク・ステラ、ジャン=ミシェル・バスキア、ジャスパー・ジョーンズ、マーク・ロスコといった面々の作品です。要するにアメリカのモダニズム画家全員集合! ということなんですが、ま、私の好みからすると、(ホッパーとウォーホルを除いて)これらのアーチストの作品の中の代表的なものが展示してある・・・とは言えないです。私の好きなバスキアにしても、もっといい作品があるはずなのに。それに展示作品がちょっと少な過ぎますよ。オキーフもポロックもたった1点ずつですしね。今回は作品自体が大きなものを選んで持ってきたとのことですが、それよりもっと多くの点数を見せてもらいたかったな。 ところで、今回のようなモダニズム画家の作品の何たるかということについて、おおよそのところを理解したいという方のために最適の本があります。中ザワヒデキという人の書いた『近代美術史テキスト』という500円くらいで買える黒い小さな小冊子なんですけど、一般の書店というよりは、美術館のミュージアムショップなどで売っていることが多い。中ザワヒデキという人は、確か医学部か何かを出た人なんですが、その後アーチストに転向したという妙な肩書の人で、確か私と同じくらいの(若い!)年齢の人なんじゃないかと思います。随所に彼一流のヘタウマ技法で描かれた名画の模倣が散りばめられ、本文は手書きの文字で書かれたこの本は、読んで面白く、見て楽しく、それでいて「モダン」というものの本質を上手に捉えながら、モダニズム絵画について見事に解説しています。これだけの小冊子で、これだけの内容のものを、これだけ面白く語れるというのは、並の才能ではないですよ。今後もし展覧会を見に美術館を訪れるようなことがありましたら、ぜひミュージアムショップを覗いて、この本を手に取ってみて下さい。『近代美術史テキスト』、「教授のおすすめ!」です。 で、この企画展を見終わった後、常設展も見て、そして美術館併設のカフェで簡単に昼食を済ませた後、今日はあっさり帰宅しました。何しろ連日出歩いているので、私も少々疲れてしまいましてね。で、家に帰ってからお昼寝。これで少し、疲れが取れたかな? 明日はまた名古屋に戻ります。このところロマンス小説史の方をお休みしていますが、名古屋に戻ったら復活させますので、乞うご期待!
September 9, 2005
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今、東京に戻っています。昨日お話ししたように、とある学会の設立についての準備委員会に参加するためです。 ちなみに、今度設立する学会というのは、私の卒業した大学に縁が深い学会なので、当然、設立準備委員会に参加された先生方というのは、私の恩師たちであり、また先輩たちということになります。ですから、今日はそういうかつてお世話になった方々に久しぶりにお目にかかるチャンスだったんですね。 とはいえ、大学・大学院在籍当時の私は特に目立つ方ではなく、華々しく活躍されている先生方や先輩たちをただまぶしく仰ぎ見ているだけ、という感じの地味な学生・院生でしたから、今日、久しぶりにお会いするにあたって、恩師の先生方や先輩たちの中には私のことを覚えている方なんか一人もいないんじゃないかと、ちょっと心配していたんです。 しかし実際に議場に行ってみると、恩師の先生からも、また先輩方からも声をかけていただき、また私の書いた本などもちゃんと読んでいただいていたようで、ちょっと感激してしまいました。私の方としては、自分の書いたものなど興味ないだろうと思って、それらの方々に著書の献呈もしなかったというのに・・・。 で、会議の後、恩師の先生方に連れられて中華料理をご馳走にまでなってしまいました。で、またこの中華料理がおいしかったんですよ。出された料理のすべてがおいしかったですけど、一番おいしかったのは「北京ダック」ですね。ちなみに、そもそも私は北京ダックという料理をさほど珍重する方ではなく、「この料理、そんなにうまいか?」とずっと思っていたんです。しかし、今日のはうまかった! 噛むと皮がカリカリ、サクサクと音を立てるほどしっかり火を通してある感じ。味も実にしっかりしている。ああ、北京ダックって、本当はこういうものだったのか! と思わされましたね。これなら、人がこれを賞味するのも無理もない。 というわけで、おいしい料理もご馳走になってしまい、また久しぶりにお目にかかった恩師の先生方や先輩方と楽しいおしゃべりができ、また今後の仕事につながるようなお話しもできて、今日はとても有意義な時間を過ごすことができたのでした。と同時に、今までむしろ自分の方から背を向けて不義理をしていたようなところのある我が母校に対し、今後は少し義理を果たすことを考えなくてはいけないなぁと、反省させられもしたのでした。うーん、今日も、いい日だ!
September 8, 2005
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さて、合宿二日目の朝は9時に明けました。近づきつつある台風が心配ではありましたが、幸い晴れ間が見え始め、むしろ暑いほど。 朝食は菓子パンです。しかしコテージで食べても面白くないので、50メートルほど行ったところを流れている長良川の河原まで行き、川の流れを眺めながら食べることに。悠々たる大河の長良川もこのあたりでは歩いて向こう岸まで渡れるほど。元気な男子学生M君は頻りに泳ぎたがりましたが、昨日からの雨で若干水量も多かったので、同僚のO先生が用心して中に入らせませんでした。 さて、朝食を食べ終わるとコテージに戻り、もぞもぞと支度をして11時チェックアウト。今日は一般道を通って郡上八幡へ向かいます。 一夏を踊り明かす「郡上踊り」でも有名な小京都・郡上八幡。今日はここにある有名な蕎麦屋「平甚」でニシン蕎麦を昼食に食べるつもりだったのです。 しかし適当なところに駐車場に止めたところ、駐車場の目の前が「飛び込み」で有名な新橋じゃあーりませんか。見ると地元の若者や他県からやってきた肝自慢たちが、次々と高い橋の上から川へ飛び込んでいます。そしてそれを見るために橋の周辺は見物客で一杯。 となれば、うちの元気者のM君を引き止めることはもうできません。さっそく車の中で水着に着替えた彼は、颯爽と橋の欄干に立ち、一瞬もためらうことなくジャンプ! 見事な飛び込みっぷりに観客も拍手喝采でした。 ところでこの飛び込みで感心するのは、誰かが橋から川に飛び込むと、下で待ち構えている数人の少年たちの一人が浮輪を持って近くまで泳いで行って、その飛び込んだ人を助けてあげることです。もちろん飛び込むような人は泳ぎにも自信があるのでしょうが、飛び込んだ衝撃で足がつったりする人もいるでしょうから、その用心なんでしょうね。そして、飛び込んだ人の勇気をたたえながら、岩場まで浮輪ごと引っぱっていってやるわけ。おそらくは自然発生的に生じたと思われるこの互助システム、見ていてなかなか気持ちのいいもんですよ。 で、元気者のM君がすっかり満足したところで、我々一行は郡上八幡の蕎麦の名店・平甚でニシン蕎麦に舌鼓を打ちました。ここのニシン蕎麦はうまいんだ! このお店、「蕎麦食い教授のおすすめ!」です。 そうそう、おすすめついでにもう一つ、郡上八幡には私が声を大にしておすすめしたいものがもう一つあります。それは郡上八幡博物館へ向かう道筋にあるあまりパッとしない食料品店で売っている「しみず味噌」という地味噌です。小さい袋で315円、大きい袋(多分1キロ)が500円という安さですが、これぞ手作り味噌という味でホントにうまい! 我が家なんか、この味噌で作った味噌汁さえあれば他におかずは何もいらないとさえ思うほど、この味噌の大ファンなんです。で、今回もここに立ち寄ってお味噌を二袋も買い込んでしまいました。 さて、平甚で満腹し、しみず味噌も買い込んだ我々が次に向かったのは、郡上八幡の町中から車で10分ほど行ったところにある「大滝鍾乳洞」というところ。今回の合宿で「ワイルダー(ワイルドな男)」の異名を取った先程のM君の発案です。郡上八幡には何度か足を運んだことのある私も、ここは初めて。 で、行ってみるとこれがまた昭和の匂いぷんぷんの、渋ーい観光地なんですなぁ。小さな釣り堀があって、釣った魚を焼いて食べる「焼き場」があって、土産物店が数店あって・・・というようなもの。すべてが色あせ、すべてが時代後れという感じ。これで観光客で賑わってでもいたら、少しはうら寂れた感じも気にならないのでしょうが、見渡せば観光客はほぼ我々10人だけ。ひゃー、こりゃどうなんだろうか・・・。 それでも何とか気を取り直した我々は、大枚1千円を注ぎ込んで鍾乳洞へのチケットを購入しました。すると何故かチケットの他に「おみくじサービス券」なるものも付いてくる。なぜ鍾乳洞を見た後におみくじを引かなければならないのか、その辺の理論的整合性がいまひとつ理解できませんでしたが、ま、気にしないことにしていざ鍾乳洞へ。 と、ここは鍾乳洞の入り口が高いところにあるので、そこまで行くのにケーブルカーに乗らなければならないんですね。ケーブルカーったって木製のもので、わずか100メートルくらい乗るだけなんですが。(でも、このケーブルカーには「グリーンライナー」みたいな感じの大層な名前が付いていて笑えました)。 で、このケーブルカーに乗って鍾乳洞入り口まで行ってみてびっくり! 夏だというのに真冬並の冷気が鍾乳洞の中から吹き出しているではありませんか! その寒さと言ったら、半袖のまま中に入るのが躊躇われるほどのもの。ほう、こりゃすごいな。 そして鍾乳洞の中に入ってみてさらにびっくり。歩く距離といい、高低差といい、鍾乳石が作り成す奇観といい、今までに私が入ったことのある鍾乳洞の中でもベスト3にランクインするようなものだったんです。特に感銘を受けたのは、鍾乳洞の中で落差10メートルほどの滝があったこと。いやー、これはまいった。「うら寂れた観光地」なんて言ってごめんなさい! ってなもんです。 ま、そんなこんなで、かなりの距離を体をかがめて歩き、高低差もあったりしたので、出口にたどり着いた時は膝もガクガク。でも面白かったですよ。大滝鍾乳洞、教授のおすすめ! です。昨日の高鷲といい、今日の大滝鍾乳洞といい、どうもこのあたりの観光地は、人に期待させないでおいて、おもむろにいいモンを見せるという点で共通してますね。まさか、狙ってのことではないでしょうが。 それから、鍾乳洞を出たところにある土産物店でおみくじを引きました。なるほど、おみくじで誘って、土産物を買わせようという腹でしたか。なかなか賢いな。でも郡上八幡でお味噌のお土産を買っていたルンルンの私に、この術は通用しないのだ! おみくじだけ引いて、土産物には目もくれませんでした。おみくじは吉でしたぞ。それによると、「決して安定した一生ではありませんが、やることなすことすべてが吉へと向かっていきます」ですと。なかなか良い事言ってくれるじゃないですか。それから、ふさわしい仕事は医師・ホテル業務・建築家・僧侶、そして骨董商だそうです。この中で私がなれそうなのは「骨董商」だけだな。フリーページの「教授のアンティーク」で実際に骨董を扱っているし。 さて、鍾乳洞にすっかり満足した我らは、東海北陸自動車道に乗り、そこから東海環状道路に乗り換えて土岐へと向かいました。今回の最後の目的地、「土岐アウトレット」に行くためです。このアウトレットは私は前に来た事がありますが、女子学生たちからの熱烈なリクエストがあったもので、ちょっとだけ立ち寄ろうということになったんですね。 しかし現地に到着した時には既に3時半になっていたので、一時間だけ自由行動にすることにし、学生たちは嬉々として三々五々散っていきました。私は同僚のO先生と「タリーズ」コーヒーショップでしばらく休憩し、その後それぞれ分かれて少しだけ店を冷やかしました。ま、今日は別になにかを買うつもりもなかったので、ホントにちょっと冷やかしただけでしたが。 で、4時半に再び集合し、ここで今回のゼミ合宿を解散することに。伝統の「一本締め」をしてけじめをつけた後、帰る方向によってバスで帰るもの、そのまま車に分乗するもの、というふうに分かれることにしました。私も同方向に帰る男子学生を一人乗せて自宅に向かいました。 とまあ、かくして今年度のゼミ合宿は終了です。わずか一泊二日の旅行でしたが、元気な若い連中と一緒に旅をすると若返りますね。こちらが歳をとるにつれ、正直なところ、年々合宿に行くのがおっくうになってきたところもありますが、やはり実際に行ってしまえば楽しいのも事実。また今回の旅行でうちのゼミ生たちの気心も今まで以上に知る事ができたので、それを今後の卒論指導に活かすこともできそうです。よかった、よかった。 さて、こうして旅から戻ったワタクシですが、実は今日、これからまた車を飛ばして東京の実家に戻らなくてはなりません。明日、ある学会の創設のための話し合いがあり、それに参加するためです。なんだか旅から旅への旅烏みたいになってしまいますが、仕方ありませんね。それでは、また明日!
September 7, 2005
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ひゃー、ゼミ合宿から戻ってまいりました! 疲れた! でも気力を振り絞って日程報告です。 今回のゼミ合宿は、私のゼミと同僚のO先生のゼミとの合同合宿。ですから参加人数も10人と多く、3台の車に分乗して岐阜県・高鷲(たかす)というところを目指しました。 朝、10時大学正門前出発、東名・名神と乗り継いで、東海北陸道に入り、ここを北上して高鷲インターへ。スキーの時期にはかなり混み合うこの自動車道ですが、シーズンオフということで閑散としてましたね。で、高鷲インターを下りたのは12時前でしたから、2時間かからずに現地到着。 今回の合宿の宿泊先は「湯の平温泉」というところにある某コテージ。インターから5分も走れば着いてしまうほどの好立地です。近い、近い。ちなみに、今回の合宿を企画したゼミ代表の学生が「コテージに泊まりまーす」と言っていたので、私は勝手にログキャビンのようなものに泊まるのかと想像していたのですが、実際にはそういうバタ臭いものではなく、田んぼに挟まれたちょっとした敷地に、小さな民家みたいなのが3棟ぽんぽんぽんと建っているというものでした。で、ちょっと「ガク、ガク」となりましたが、しかし中に入ってみると案外こぎれいなもんで、1階は10畳くらいの大きさ、近代的なトイレとキッチンがあり、冷蔵庫や電子レンジ、トースターや湯沸かしなどが一通り揃っています。そして2階がロフトになっていて、詰めれば3人寝られるくらいの大きさ。なかなか快適そうです。で、我々一行はここを2棟借り切って、男子棟・女子棟にしたわけ。 さて、我々はお昼に現地到着してしまったので、とりあえずお昼ご飯を食べなくてはなりません。でも夜のバーベQがあるので、昼は近場で簡単に済ませるか、ということになり、コテージから徒歩50メートルのところにあるうどん屋さんに行くことに。 ところで、そのうどん屋さんに着いて何を食べようかとメニューを見ると、そこに「ケイちゃん定食890円」とあるではないですか! ははあ、これが噂の「ケイちゃん」か! 実は昼飯のメニューを決めるべく、コテージの管理人さんにこの辺の名物は何ですかと尋ねておいたんです。すると、「うーん、そうね、ケイちゃんかな?」というお答えで、「ケイちゃん? 誰それ?」と要領を得なかったんです。そうか、「ケイちゃん」というのは、高鷲近辺のマドンナとかではなくて、食べ物だったんですな。というわけで、うどん屋さんに行ったのに、ほぼ全員がうどんを無視して「ケイちゃん」注文、決定! で、鉄板をじゅうじゅういわせながら出てきたその「ケイちゃん」は、鶏肉とタマネギとキャベツを味噌で炒めたものでした。つまり「鶏肉のちゃんちゃん焼き」、略して「鶏ちゃん」だったのであります。で、これが実際にうまかったんですよ。添えられていたご飯の量が半端じゃなかったので、女子学生たちが「こんなに食べれーん!」などと言っていたのですが、10分後には全員完食。 さて、そこで満腹した我々は、一旦コテージに入って荷物の整理をした後、腹ごなしに車を20分ほど飛ばして、この近くにある滝を見に行くことにしました。ここには「駒ヶ滝」と「夫婦滝」という二つの滝があるのです。ま、そんなこと言ったって、大した滝ではないだろうと思ったらこれが大間違い。水量といい、落差といい、なかなかの名瀑でした。水しぶきがチメターイ! で、この2つの滝を愛でた後、今度は近くのスーパーへ。もちろん夜のバーベQ用食材の調達です。何せ今年は人数が多いので、買い物の量も半端じゃありません。焼き肉要員はもとより、各種お酒、お菓子、アイスクリーム、明日の朝食用の菓子パンと、大きな買物籠6杯分も買ってしまった。 さて、コテージに戻って一休み。そして5時から男子学生たちと私で炭火を起こし、そしていよいよバーベQのスタートです。バーベQサイトはコテージの庭先にあり、ビニールシートが屋根代わりにかかっているので、あいにくの小雨もさほど気になりません。 バーベQ、もちろんうまかった! 牛肉・豚肉・ソーセージ、海老や帆立などの魚介類、野菜などを鉄板と網を使ってじゃんじゃん焼いて行きます。それからもちろん焼きそばですよね。ちょっと焼き肉のタレをからめて食べる焼きそばがまたうまいんだ。そして、最後にアルミ箔を巻いて炭火の中に放り込んでおいたジャガイモとサツマイモを取り出すと、これがホックホクに仕上がっていて、どちらもうまかった! バターを買い忘れていたのが惜しいところ。これで2種の焼き芋にバターがかかったら、さらにうまかったはずなんですが。 そしてこの酒池肉林(この場合の「肉」は「食肉」の意味ですから!)の宴が8時まで続いたところで、いそいそと撤収。というのは、実は近くにある温泉が8時半までに入湯しないと、閉められてしまうからなんです。 さて、満腹の我々が向かった「湯の平温泉」というのは、実は渋い銭湯が1軒あるだけの温泉です。入湯料は500両。ま、田んぼの中にぽつんと建っているだけのモンです。それに料金を支払うところには、地元の農家が作った野菜などが安く売られていたりして、なんかいかにも「地元の人たちの社交場」という感じ。 ところが、これまたいい温泉だったんですよ。どうも高鷲というところは、期待しないで行くと案外いいモン出してくるところですなぁ。何しろ、まずお湯がいい! ここは露天風呂もあるのですが、ざぶんと浸かった途端、肌がとろりとしてくるほど、湯の効能がしっかりしている。打たせ湯なんかもあったりして、日頃ワープロ打ちで凝った肩を揉みほぐすこともでき、存分に温泉の醍醐味を楽しませてもらいました。あまりの気持ちよさに少しぼんやりしながら、湯上がりに飲んだポカリスエットのうまかったこと! とまあ、そんな具合で温泉をたっぷり楽しんだ後、今度はコテージに戻って夜の宴会です。何せお酒とお菓子とアイスクリームは売るほどありますからね。で、わいわいと飲み、かつお菓子をつまみ、おしゃべりに花を咲かせます。しかし長距離を移動し、食べ疲れ、湯疲れしていただけに、ある程度アルコールが入ったらもう眠くて、眠くて。夜も11時頃になると、一人、また一人と不覚にもばたりと横になってしまう学生がチラホラ・・・。 しかし、私たちのゼミの合宿がここで解散になるはずはありません。 しらじらと夜が明けたのを確認するまでは終わらない。これがゼミ合宿の不文律なのです! で、うまいことにたまたま昨夜11時から、わがゼミ生たちが相当感情移入して毎週楽しみにしている「あいのり」なる恋愛ものテレビ番組があったのを機に、全員復活! して番組を熟視。そしてここから深夜の恋愛トークが始まり、宴はいよいよ佳境に入っていきます。そしてトークが一段落すると今度は学生たちが三々五々分かれて、あちらでトランプが始まれば、こちらではさらなる恋愛トークが進行する、という具合。もちろんこれはゼミ合宿ですから、卒論で行き詰まった学生が、突破口を求めて我々教授陣のところに相談に来たりもする。この辺が面白いところなんですね。 そしていい加減盛り上がってきたところで、深夜3時からは全員揃っての「Yes/Noクエスチョン」というゲームに突入! ま、これはコインの裏表を使って、誰が「Yes」を出したか、誰が「No」を出したかが分からないようにしつつ、色々な質問を出しては皆で答えていくというもの。もちろん勘所は質問の仕方で、「恋人がいるのに、隠れて別な人とも付き合ったことがある。Yes/No どっち?!」とか、「今日、合宿をしたことによって、ちょっと興味が出てきた異性がいる。Yes/No どっち?!」というような質問をして、それに「Yes」と答えた人が何人かいたりすると、「キャー!」「誰? 誰?」という感じで盛り上がるという他愛のないもの。しかしこれが合宿という特殊な環境で、しかも身体も相当疲れ、アルコールも入り・・というような特殊な状況下では異常に盛り上がるんですなー! かくしてゼミ合宿の夜の宴はきっかり明け方の5時まで続き、空が白々と明るくなってきたのを確認して、ようやく解散となったのでした。 あーもう時間切れ。二日目の日程については、また明日!
September 6, 2005
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今日5日から一泊二日の予定で今年度のゼミ合宿に行ってきます。 私のゼミでは、毎年夏休みの時期に合宿を行ないます。何かの都合でやらない年もありますが、大体毎年行なっているかな。最近では合宿の日程等はすべて学生任せなのですが、学生たちはあまりお金がないですから、たいていは貸別荘とかコテージみたいなところに泊まって、夕食はバーベQということになります。ま、そうやってワイワイやった方が楽しいですからね。で、今年は岐阜県の高鷲というところに行くことに決まった模様。周辺はスキー場だらけですが、夏場はどうなんでしょうか。それなりに賑わっているのかな? ゼミ合宿というと、何か行った先で勉強会でも開くように聞こえますが、あまりその方面は追求しません。むしろ、皆でバーベQを食べたり、ゲームをしたり、一緒に観光することでゼミ生それぞれのキャラクターを掴み、互いに気心を通じ合わせるのが主たる目的ですね。これをやるのとやらないのとでは、その後の指導のし易さが変わってきますから。 というわけで、今日・明日は勉強はお休みで、楽しんできます。後日、旅の報告をしますね!
September 5, 2005
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高速道路で大型バイクの二人乗りが許されるようになったのは、確かごく最近のことでしたよね。先日も、愛車プジョーを飛ばして東名高速に乗るためインターに進入したところ、目の前に同じく東名高速に乗ろうとしていた二人乗りの大型バイクを見かけました。 ま、それはいいんです。しかし、ちょっとびっくりしたのは、その大型バイクの後ろに座っていたのが小学校3、4年生くらいの小さな女の子だったことです。どうやらお父さんが小さな娘さんを乗っけてバイクでツーリングするところだったらしいんですね。私なんぞは心配性ですから、「あんな小さな女の子を後ろに乗せて、時速100キロ出すのかよ!?」と思ってしまいましたが、見ているとその女の子も馴れたもんで、別に怖がっているふうでもなく、お父さんの肩にちょこんと両手を乗せてうまいこと背中にしがみついている。なんだか現代版の「子連れ狼」みたいな感じで、子供なりにちゃんと考えながら、無謀な父について行くといった風情です。 もちろん、客観的に言えば、少し危ない。でも、その時私が思ったのは、もし私があのお父さんの立場だったらどうかな? ということでした。もし私がものすごいバイク好きだったとして、自分の娘の小さな手が自分の肩をしっかり掴んでいるのを感じながら高速道路をバイクでのんびり走るとしたら、それはひょっとして、かなり楽しいことなのではないかと・・・。 ま、私にはバイクの免許もないし、まだ子供もいないので、そんなこと考えたって仕方ないのですけれど。 ところが、ごく最近、私の親友が大型バイクの免許をとり始めましてね。それでつい昨日もその教習初日のことを電話で詳しく聞かせてくれたんですが、そんな話を聞いていると、先日の「子連れ狼バイク父娘」の姿とも重なって、私もバイクに乗ってみたいなーなんて、ちらっと思ったり・・。 乗馬の楽しさというのがあるように、バイクという名の鉄の馬に乗って、その強大なパワーを自分の意のままに操ることができたら、それは多分、楽しいことなんじゃないかと思うのです。それに、何と言っても私は映画『イージーライダー』世代であって、心の中ではステッペンウルフの「ワイルドで行こう」が鳴り響いているわけですし。腕時計を投げ捨てて、レッツ・ゴー!ってなもんですわ。 さて、いつの日か、私も免許をとって鉄の馬に跨がり、「ワイルドで行く」ようなことがあるのでしょうか。ま、ないかな・・・。事故を起こしたらどうしようという恐れはもちろんありますし、あるいはもっと具体的に、免許とる時間はあるのか? とか、大型バイクを買うお金はあるのか? という懸念もある。さらに、大型バイクなんて買っちゃってどこに置くんだよ、という心配もありますし。そんなことをいちいち考えていたら、ちょっとこの夢は実現しそうにないなーという気がしてくる。残念ですけどね。 でも実現の可能性の薄い、儚い夢とはいえ、それを持ち続けていれば、何かの拍子にひょいと実現することもあるかも知れません。無理やり放棄することなく、心の片隅にそっと置いておくことにしましょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、ここからはロマンス小説史の続きです。 前回および前々回のあたりで、ミルズ&ブーン社が貸本屋さんで本を借りて読むような女性読者をターゲットとし、パターンの決まったロマンス小説を次々と出版して、1930年代あたりから業績を急速に上げて行ったというお話しをしました。つまり、総合出版社として1908年に創業した同社が、この頃から次第に「女性のためのロマンス出版社」の色合いを強めていったということなんですね。 ところで、この種の女性向けロマンス小説を書く著者の多くは、そのほとんどが女性です。しかもその大半が、いわば素人(主婦)作家。それは今も昔も変わらない圧倒的な傾向で、ミルズ&ブーン社のロマンスに関してもこの傾向がはっきりと当てはまります。実際、創業から間もない1912年の数字を見ると、この年同社は1000ものロマンス小説の原稿の送付を受けており、このうち75%は女性から、しかもその95%は無名の作家からのものでした。 ですからこの傾向を見てとったミルズ&ブーン社が、これからの時代、小説の執筆者として「女性」がよりクローズアップされるに違いないと考えたとしても不思議はないでしょう。実際、同社の小説部門を統括していたチャールズ・ブーンは、1913年に開かれたとある講演会の中で、はっきりとそのことを述べています。曰く、「貸本屋の状況を見ても分かるように、今や「小説」を享受している読者の大半は女性であるし、また小説を書く方面に関しても今や男性はその分野から身を引いてしまっているので、出版社としては(新興勢力たる)女性作家に頼らざるを得なくなるだろう」と。つまりチャールズ・ブーンは「素人女性作家」がミルズ&ブーン社にとってますます重要な位置を占めるようになるだろうということを、早くから明確に意識していたんです。 で、こういう女性作家重視の方向性ゆえにと言うべきか、ミルズ&ブーン社は1912年に面白い企画を打ち出しています。ま、一種の奨学金制度の導入なんですが、きっかけはメイシー・ベネットという21歳の女性が『輝かしき虚栄』というロマンスを書いてミルズ&ブーン社から出版し、これが好評をもって市場に迎えられたことでした。ちなみに、このベネットという人は貸本屋の店員さんで、その職業柄、どういうストーリー展開のロマンスが女性読者に受けるかよく知っていた。だからその辺の勘所をうまくついて、処女作にして評判になるようなロマンスを書くことができたんですね。ま、そんなこんなでミルズ&ブーン社はこのメイシー・ベネットのことを有望新人作家と見なし、彼女に対して第2作目の執筆に専念するようにと、1年分の奨学金を出すことにしたわけです。もっともこれは永続的な制度というよりは一回きりの思いつきだったようですが、このことが案外大々的に伝えられることになってしまって、世間の評判になったというわけ。当時、そういう新人作家助成制度自体が珍しかったのでしょうな。 もっとも、年額78ポンドの奨学金を得たにも係わらず、ベネットさんの第2作はものになりませんでした。で、こういう奨学金制度も長く続くことはなかった。しかし、ミルズ&ブーン社が一人の無名新人作家に示したこの気前の良さは、同社のイメージアップのために絶大な効果を上げることになったのは事実で、この後、多くの無名新人作家たちが自作原稿の投稿先の筆頭候補としてミルズ&ブーン社を選ぶようになったというのですから、同社は78ポンドというお金を上手に会社の宣伝費に用いたというべきでしょう。 それはともかく、このようにしてミルズ&ブーン社のもとには無数の無名女性作家たちから大量のロマンス原稿が持ち込まれることになったわけですが、同社ではこれらすべての投稿原稿に目を通すというのを「公約」にしており、実際、その公約を果たしていたと言います。彼らはこういう投稿原稿の中に将来のドル箱作家の卵を探していたんですね。たとえば1935年の数字を見ると、同社は531の原稿を受け取っていて、このうち37作を出版しています。そして採用された37人の新人作家の中には、後にミルズ&ブーン社の専属スターライターとなる4人の女性作家、すなわちエリノア・ファーンズ、ヤン・テンペスト、シルヴィア・サーク、ヴァレリー・ネルソンが含まれていた。ミルズ&ブーン社にとって、投稿原稿は宝の山だったんですな。 ところで、積極的に新人女性作家を発掘していこうというミルズ&ブーン社のもくろみは、以前お話しした「ジャック・ロンドン・コンプレックス」の産物でもありました。要するに、流行(男性)作家一人に頼っていては、出版社の土台を安定させることはできないという痛い教訓が、その根本にあるんですね。ましてや、1930年代のミルズ&ブーン社は2週間おきに数冊の新刊を出版していましたから、何年かに一度作品を書くような有名作家に頼ってなんかいられない。かくしてミルズ&ブーン社は、一人の有名(男性)作家への志向をあっさり捨て去り、多数の(無名)女性作家への依存を強めていったわけなんです。ま、悪い言い方をすれば、質より量で勝負する戦略をとったと言ってもいい。 で、質より量をとったからには、発掘した新人女性作家たちには是非とも沢山作品を書いてもらわないといけません。そこでミルズ&ブーン社ではとにかく彼女らを励まし、次から次へと作品を書くよう促すことにしていました。それでまた実際、ロマンス小説というのは一度コツを覚えてしまうと、書ける人ならいくらでも書けるものらしいんですな。例えば1936年組(1936年に同社が発掘した新人女性作家たち)の一人、フランシス・ウェルズリー=スミスは同社のために全部で89冊のロマンスを書いていますし、また同じく1936年組のメアリー・バーチェルとジーン・マクロードは、それぞれ130冊ものロマンスを同社に提供しています。彼女たちは、年間7作とか8作とかいうペースで書き続けたんですね。 ちなみに、こんな感じで多くの作品を書き飛ばしていた女性作家たちの収入は年間1000ポンドほどあったと言われています。これは当時の働く女性の収入としては相当なもので、ミルズ&ブーン社とその専属女性作家たちは、その意味で相互に互恵的な関係を築いていたと言っていいでしょう。本稿の冒頭で私は、ミルズ&ブーン社が「女性のためのロマンス出版社」の方向をとりつつあったということを言いましたが、この「女性のための」というのは、「女性読者のための」という意味だけではなく、書き手の側、すなわち「女性作家のための」という意味合いもあったんですね。 そして、この「女性作家のための」という側面を積極的に担っていたのが、ミルズ&ブーン社の小説部門を率いるチャールズ・ブーンその人でした。彼は自ら発掘した女性作家たちを励まし、彼女たちの創作上の相談を受けて、筋書き上のアドバイスをしたり、作品のタイトルを考えてあげたりしたばかりでなく、彼女らが望めば私生活上の相談にも乗った。彼女らから手紙がくれば必ず返事を出し、彼女らが彼に会いに来れば、たとえどんなに忙しくとも時間を割いて会った。で、そんなふうですから、もちろん彼は自社の専属女性作家たちからこぞって愛されたんですね。チャールズ・ブーンを喜ばすために良いロマンスを沢山書く。そんな意識が、多かれ少なかれミルズ&ブーン社の専属女性作家たちの間にはあったと言います。つまりそこには、「善き父親」と「父親の箱入り娘たち」というような、独特の親密な関係が築かれていたんですね。 ちなみに、これは余談になりますが、後の時代のロマンス批評の中には、「ロマンスは女性のための文学だ」などと言いつつ、ロマンスを出版している出版社に女性重役が少ないではないか、というようなことを批判する人がいます。しかし、そういうよく分からない批判を目にする度に、私は世界初のロマンス専門出版社であるミルズ&ブーン社における、チャールズ・ブーンとその秘蔵っ子たちの間の関係のことを思い出してしまうんです。女性の女性による女性のための文学、それがロマンス小説なのだから、女性が主体となって出版すべきだというフェミニストたちの理論的主張よりも、チャールズ・ブーンと彼の秘蔵っ子作家たちとの間で交わされた細やかな交流という現実の方が、ロマンス小説出版の原点としてふさわしいような気が私にはするのです。 ま、このことには異論もあるでしょうが、それはさておき、このように同社に忠実な専属女性作家を増やしつつ、出版社としての体力をつけていったミルズ&ブーン社ですが、その後1940年代を通過し、1950年代に至って、更なる転換点を迎えることとなります。しかし、もう長くなりましたから、その辺りのことについてはまた次回、ということにいたしましょうかね。それでは、また次回をお楽しみに!
September 4, 2005
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今日は私の昔の教え子であるK君が、奥さんと1歳半になる坊やを連れて、家まで遊びに来てくれました。 K君は私が今勤めている大学に赴任して一番最初に教えた学生の一人です。ま、何であれ「一番最初」というのは印象が強いものですが、K君、およびその学年の学生たちというのは、私にとってはとりわけ忘れられない連中でありましてね。 何しろ当時、私も20代で若かったですから。K君たちと私の歳の差も7つくらいで、教官と学生という関係というよりは、むしろ先輩・後輩の関係でした。実際、彼らも私のことを呼ぶ時、時々間違えて「先輩!」などと言っていましたからね。それで、つい私も先輩面して、彼らをあちこち連れ回しては夕食を奢ってやったりして。それこそ給料の半分くらいを外食費に使ってたんじゃないかなあ。 それにしても、K君の学年の連中とはホントによく一緒に遊んだものです。私も名古屋に赴任したばかりで、他に遊ぶ相手もおらず、独身でしたから急いで帰るべき家があるわけでもなし。それに、彼らも彼らで、皆で遊ぶ時には必ず私にも声をかけてくれましたしね。夏など、夜遅く自宅に連中から電話がかかってきて、「これから皆で花火やるんですけど、先生も来ませんか」なんて言ってきやがる。私も「おう、待ってろ、俺が行くまで火を点けるなよ!」なんて言ってね。それで、こちらも血気盛んですから、並大抵の花火の遊び方なんかしないわけ。ロケット花火はもちろん、連発花火で逃げまどう男子学生たちを狙い撃ちなんて危ないことも平気でやりましたし、火を噴くドラゴン花火を両手に持って舞い踊る超一級の美技、「火の舞」を披露したりして。(よいこのみなさんは、まねをしないように) それでまた、私のゼミ生にして弟分であるK君のアパートが大学の正門前から歩いて30秒という至便なところにあって、そこにはいつも男女問わず数人の学生がたむろしていた。で、気が向くと私も帰りがけにそこに立ち寄って、深夜に至るまで連中と語り合っちゃったりするわけですよ。もちろん、こういう場で出るのは恋の噂が中心ですから、K君の学年の誰が誰のことを好きだとか、誰が現在失恋中、なんてことを私は皆知っていました。これが面白いんだ! で、そんな話で盛り上がって、いい加減ハイになってくると、誰かが「これから海を見に行こう!」なんて言い出す。そうなれば私も「おーし、皆、俺の車に乗れ!」なんて言わざるを得ないじゃないですか。で、学生たちを車に詰め込み、深夜12時にK君のアパートを出発して、わざわざ浜松にある中田島砂丘まで深夜のドライブ! 夜中の2時に見た中田島砂丘のきれいだったことは、今でも忘れませんなぁ。で、そこからK君の下宿に戻った時には既に明け方の5時。そこから少し仮眠して、9時からの1限の授業をやるのですが、教える方も教わる方もヘロヘロで、呂律が回らなかったりして。そんなことも、いい思い出です。 思えば、彼らと遊んでいた頃が、私にとっての青春時代だったのかも知れません。 あれから10年と少しの時が経ち、私の遊び仲間だった彼らももう立派な社会人です。K君にしても、今や中堅の働き盛りというところ。彼はもともとギターが好きで、大学卒業後、一度ギターのメーカーに就職しましたが、そこの社長と喧嘩して会社を飛び出し、郵便局に再就職。もともと頭の切れる、極めて有能な奴でしたから、その後メキメキと頭角を現して、今では郵政公社の幹部候補生として東京でばりばり働いています。つい最近も海外研修を終えて凱旋帰国したばかり。で、今日はその報告も兼ねて、我が家に遊びに来てくれたというわけ。美人の奥さんと、可愛い坊やも得て、これから彼もますます仕事に力が入るというところでしょう。 何にせよ、卒業生が卒業後に顔を見せに来てくれることほど、教師冥利に尽きることはありません。しかもK君のように、昔一緒に遊び回った仲間であれば、なおさらのこと。今日は、段々いい大人になってきた若い友人とその家族の顔を見ることができて、私もまたパワーをもらうことができたのでした。今日も、いい日だ!
September 3, 2005
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このところ連日掲載している「ロマンス小説史」の続きです。 さて、昨日の回でイギリスにおける貸本業の隆盛についてお話しし、また貸本屋さんの顧客として、軽いロマンス小説などを好んで借り出していたのが女性だった、というようなこともお話ししました。ですからこうした状況の中で、ミルズ&ブーン社が「女性」と「貸本屋」の組み合わせを有望な市場として捉え、この両者に気に入られるような出版スタイルを1920年代末頃から1930年代にかけて取り始めたのも、なかなか賢い選択だったと言えるわけなんです。 ところで、ここで言う「女性と貸本屋に気に入られるような出版スタイル」とは、一体いかなるものだったのでしょうか。 その点について、まず一つには「出版のサイクルを早める」ということがあります。何しろ前に言いましたように、平均的な貸本屋利用者は週に一度は貸本屋を訪れ、その都度2冊ほどを借りていくというのですから、客の回転はとても早い。ですから、月に一度新刊を出していたのでは、貸本屋の顧客からは忘れられてしまいます。とにかく、なるべくしょっちゅう「新刊が出ました!」という宣伝を打った方が有利であることは確かんですね。 で、ミルズ&ブーン社では1930年代半ばあたりから、2週間おきに2冊から4冊程度の本を出版する、というスケジュールを作ります。もともとミルズ&ブーン社は迅速な出版が売り物で、それゆえ、かつてアメリカの人気作家ジャック・ロンドンが、イギリスにおける自分の出版元として同社を指定したこともあったわけですが、1930年代にはこの旺盛な出版ペースにさらに拍車をかけ、ついに月に2回新刊を出すという過密スケジュールを立てて、せっかちな貸本屋の女性顧客の心を捉えるという挙に打って出たんですね。 しかし、このような過密出版スケジュール以上に、ミルズ&ブーン社が「女性顧客&貸本屋」対策として打ち出した決定的な出版哲学というのがあったんです。それは何かと言いますと・・・ 「商品」の均質化です。ガーン! つまり、ミルズ&ブーンが出版するロマンス小説を、面白さの点で均質化し、ある作品は突出して面白いけれど、別な作品はあまり面白くないということが無いようにしたんです。そしてロマンス小説のストーリーをパターン化し、皆、大体同じようなストーリー展開になるようにしたんですね。これは、考えてみるとかなり思い切ったやり方ですが、そもそも女性読者というのは、「読んでみたらガッカリ」という状況を極度に嫌うものですから、出版する小説の質を揃え、「一度気に入れば、どの本も皆気に入る」というふうにしておくのは、ある意味とても賢いやり方でもあるのですな。 ところで、こうした「均質化」の戦略を正当なものとして裏付ける資料に、Q・D・リーヴィスという人の書いた『小説とその読者層』(Fiction and the Reading Public, 1932) という本があります。この本はイギリスにおける一般大衆の読書傾向を分析したものなのですが、貸本屋に通う人々の読書傾向についての言及も若干あって、それによると貸本屋の顧客というのは、一度気に入った本を見つけると、「これと同じような本はありますか?」というふうに貸本屋の人に尋ねる、というのですね。で、貸本屋の人が大体同じような小説を差し出すと、内容を確かめもしないで借りていく。これは、貸本屋の側にすれば楽な商売です。 ですから貸本屋の方でも、そういう問い合わせの多い本を沢山購入することになるわけで、そうなれば必然的に「同じような本」が加速度的に貸本屋の書架を占めるようになる。先にも述べた通り、読者から評判の良かった本と同じようなストーリー展開、同じような結末をとり、同じような満足感を与える本を大量に出版することは、貸本屋全盛の時代、適者生存をかける出版社にとって、非常に賢いやり方なんです。 で、ミルズ&ブーン社はまさにそれをやった。つまり、同じようなストーリー展開をする、そして最後にはハッピーエンドが待っているような、そういうロマンス小説を量産し始めたんですね。本という商品について、その内容を思い切って均質化してしまったわけ。 しかも、ミルズ&ブーン社が得意としたのは、内容面の均質化ばかりではありません。本の体裁も均質化してしまった。前に、ミルズ&ブーン社の本はその創立当初から叢書形式にして体裁を揃えていた、ということについて言及しておきましたが、そういう「外側」の均質化にもさらに磨きをかけていったんですね。つまり「ブラウン・ブック」と綽名されたミルズ&ブーン社特有の茶色の地の製本の上に、ハリウッドの映画ポスターばりの派手なジャケットをまとわせ、それを同社のロマンスのトレード・マークにした。公共図書館の場合と違って、貸本屋では本はジャケットをつけたまま書架に置かれるので、こういう派手なジャケットがずらりと揃っていると、顧客からは「あ、あそこにミルズ&ブーンの本が並べてある!」という感じで、見つけてもらい易かったんですね。効果はてきめんなんです。 内容に出来不出来の差がなく、ストーリー展開も大体同じような、質の揃ったロマンス小説を、デザインに共通性を持たせた派手なジャケットに包み、これを「ミルズ&ブーン」という出版社の「商品」としてマーケティングを進める。これは、ロマンス小説の「ブランド化」だと言っていいと思いますが、ミルズ&ブーン社が1930年代の貸本業界の隆盛の中で選びとった戦略は、まさにその「ブランド化」だったんです。ライバル出版社との競争の中でミルズ&ブーン社は、個々の本の内容や著名な作家のネームバリューで勝負するというような伝統的な方法を止め、「ミルズ&ブーン」というブランド自体を売るという方法をとり始めたんですね。 実際、本を出版社のブランドで販売しようという戦略が意識的なものであったことは、1930年代の同社の広告を見るとよく分かる。そこには大体こんなようなことが書いてありました。曰く、「世は出版ラッシュで、巷は新刊本で溢れています。しかし大手出版社が出す小説には出来不出来の差があるし、ベストセラーといわれる小説もそうしょっちゅう出るわけではない。それに比べて我が社が出す小説は内容をよく吟味してあるので、どれを買っても面白さは保証付き。新刊本の洪水に溺れることなく、よい本を楽しみたいと思うなら、(わが社のように)内容をよく吟味した本を出す出版社の本の中からだけお選びになるとよろしいかと思います」。とにかくミルズ&ブーン社の本をお探しなさい、そうすればどれを読んでも同じくらい面白いですよ。そしてそれが気に入ったら、「これと同じような本を下さい」と貸本屋のカウンターで言って下さい・・・この広告文は、要するにそういうことを言っているわけです。 そしてこのミルズ&ブーン社のブランド戦略は見事成功し、同社の売り上げは急速に伸びて行った。1930年代、同社の平均的なプリントラン(初版の発行部数)は1タイトルにつき6000部から8000部。これは弱小出版社としては、なかなか景気のいい数字です。で、このうちの半分ほどは、貸本業各社がその規模に応じて300部、500部、700部単位で大口購入してくれるのですから、在庫や返本の心配もあまりしなくて済む。かくして、この調子で女性と貸本屋に気に入られるような本を出し続けた同社は、1934年には過去最高の収益を達成するまでに業績を上げて行きます。1920年代前半には青息吐息だった弱小出版社ミルズ&ブーン社は、こうして少しずつロマンス出版に強い中堅どころの出版社というあたりまで、その名を高めて行ったんですね。 ところで、小説内容の均質化といっても、それは小説の著者が係わらざるを得ないことであって、出版社の一存で決められるものでもありません。では、その辺の事情、つまりミルズ&ブーン社と同社から作品を出していた著者たちとの関係は一体どうなっていたのでしょうか。次回はその辺のことについて、お話ししましょう。それでは、今日はこの辺で。
September 2, 2005
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筑摩書房のPR誌『ちくま』の9月号をパラパラとめくっていたら、渡辺照宏という人の「釈尊は何を食べていたのか」という文が載っていて、その中にこんなことが書いてありました。曰く、「釈尊は城を出て六年間苦行した結果、それが最高の悟りに達する方法でないことに気が付き、苦行を捨てて、村の娘・スジャーターから乳粥の供養を受ける。その乳粥は、若牛の乳を七度煮詰めて、その中の精分だけを取り、米をその精製した牛乳で煮て作ったものである」・・・。 なるほど、コーヒーに入れるクリームの老舗「スジャータ」というのは、釈尊に乳粥を供した娘さんの名前から来ていたのでありますか! 仏教にまつわる様々な誤解を一掃したいという趣旨でこの文を書かれた渡辺氏には申し訳ないのですが、私は文全体のいわんとするところとは別に、妙なところで悟りを開いてしまったのでした。それにしても、あれはなかなか高尚なネーミングだったんだなぁ・・・。 ちなみに、私が「これはすごい!」と思った商品名のナンバーワンは植毛・育毛・かつらメーカーの「アデランス」です。私の勝手な思い込みかも知れませんが、この言葉は多分、ラテン語におけるbe動詞の三人称・複数・過去の活用から来ているのではないかと思うんです。つまり「アデランス」というのはラテン語で「それらは・かつて・そこにあった」という意味なんですね。抜けてしまった髪の毛に関係の深い会社の名前として、あまりにもふさわしいではありませんか! ま、それはともかく、私はこの『ちくま』誌のような出版社のPR誌というのが好きで、今までに色々な種類のものを定期購読してきました。現在とっているのは岩波書店の『図書』と上記『ちくま』の2誌。両誌とも、もう随分長いこととっています。また新潮社の『波』や集英社の『青春と読書』、講談社の『本』などをとっていた時期もありましたね。この他にもこの種のPR誌は沢山あって、小学館の『本の窓』、みすず書房の『みすず』、丸善の『学燈』、東大出版会の『UP』、有斐閣の『書斎の窓』あたりが有名かな。こういう雑誌は一応一部100円前後の値段がついていますが、たいていは書店のレジカウンターに山積みしてあって、欲しい人はただで持って行ってよい場合が多い。私なんて、もらえるものは皆もらってしまうタイプなので、カウンターに置いてあれば必ずもらってしまいます。で、そんな値段があるような、無いような小冊子であるにも係わらず、内容はそこそこ充実していて、下手な雑誌よりよっぽど面白かったりする。 で、私は『図書』と『ちくま』を長い間定期購読しているといいましたが、面白いのは、その時々の連載記事によって『図書』の方が面白いなと思う時期があったり、『ちくま』の方が面白いなと思う時期があったりすることです。現在は若干『図書』の方が私にとっては面白いかな。でも十年ほど前、まだ堀田善衛氏がご存命で、『ちくま』誌の巻頭言を書かれていた時には、『ちくま』の方が面白かった。堀田さん独特の捏ね繰り回すような文体で書かれたこの巻頭言は、一見時流とは無関係なことを書いているようで、読み終わってみると、ずばり時代の矛盾を突いている!と思わせるような、名巻頭言だったと思います。この巻頭言は後に『誰も不思議に思わない』『時空の端ッコ』『未来からの挨拶』『空の空なればこそ』として本にまとめられ、さらにそれらが『天上大風』としてまとめられましたので、興味のある方はぜひお読み下さい。(下にご紹介しておきました。) しかし、堀田善衛氏に比べてしまうと、現在『ちくま』誌で巻頭言を書いていらっしゃる方の文は、どうも、いかんですなぁ。「そうそう、こういうこと言う人って、いるよね」の一言で片づけられるような、薄っぺらい時流批判ばっかりなんですもん。批判に奥行きが何もない、そして何もない。 ま、多くの人目に曝される巻頭言を毎月書く、しかもそれで人を感心させるようなものを書くなんて、とんでもなく難しいもんでしょうけどね。 「スジャータ」の話から、変な方向に話が向いてしまいました。ま、「出版社のPR誌、『教授のおすすめ!』です」という結論にしておきましょうか。また、もし「今このPR誌が面白い」というようなことをご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントをお寄せ下さい。それでは、また!堀田善衛の本をご紹介! ↓追記:今日の「ロマンス小説談義」は、また後ほどアップすると思いますので、お楽しみに!
September 2, 2005
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今日は私の勤務先大学で今度設立する「大学出版会」の設立委員会に出席してきました。 このブログをお読み下さっている方は既にご承知と思いますが、そもそも私は「出版事業」ということに興味津々なので、大学出版会を立ち上げるという、この度の企画を楽しみにしていました。で、同じような志をお持ちの先生方と協議しながら、我が大学出版会の運営方針についての原案を作り、今日の委員会での審議にかけたわけ。 ところが、大学上層部の人たちというのは頭が固いというのか、なかなか我々設立委員会の原案を飲んでくれないんですなー。 我々委員会のメンバーとしては、学内に限らず広く有能なライターを発掘し、学術的にレベルが高く、かつ読んで面白いというような本を出版しようという志がある。そしてそれを全国販売し、出版会独自の収入を得ようという気満々です。ま、もちろんすぐにベストセラーなんて生まれるはずはないですけど、少なくとも1タイトルにつき500部から1000部程度は売って、生産コストくらいは回収したいと思っている。かなり控えめな目標でしょ? でも、いいんです、最初の目標はコスト回収で。で、仮に若干でも黒字になれば、もう万々歳ですよ。たとえ1円でも、それが出版会独自の収入になるのですから。もし1円でも黒字が出れば、また次の本を出すためのモチベーションも上がるってもんです。 ところが悲しいことに、我が大学の上層部の人たちは、その程度の志も無いんだなぁ・・・。 彼らはまず原案にあった「学内に限らず広くライターを発掘し」という箇所の修正を強要してくる。つまり、執筆者を学外にまで求める必要はないではないか、学内に優秀な先生が沢山いらっしゃるのだから、その先生方に本を書かせればいいではないか、ということなんですね。で、本が出版されたら、それを学内の生協ででも売ればいい、と。あるいは執筆者の知り合いにでも「配れば」いい、と。全国販売なんか無理、無理、と言うわけです。 確かに、上層部の人たちがおっしゃる通り、うちの大学には優秀な研究者が沢山います。しかし、「優秀な研究者」が必ずしも「優秀なライター」ではないんですよ。一般の人が読んで面白いと思ってもらえるものを書けるかどうかは、これは論文を書く才能とはまた少し違った才能に依るんです。一般論としてね。だからこそ、継続的な良書の出版のためには、執筆者を学内に限定するべきではないと判断して、「学内に限らず広くライターを発掘し」っていう原案を作成しているのに・・・。 これでもし上層部の人たちの言うなりになって、ライターを学内の先生方に限ってしまったら、誰も読まない紀要論文みたいな本ばかり出版することになりますよ、きっと。そうなれば当然全国的には売れないから、せいぜい学内の生協で教科書代わりに売るしかない。となれば、もちろん出版コストも回収できない。だから、やっぱりうちの大学では儲けを狙った出版なんて無理だ、ということになり、外部の団体から出版助成金をもらっている人にだけ「本を出版しませんか」と声をかけるしか手はない、ということになってくる。となれば、面白い本・売れる本を出版することなんて、ますますもって期待できなくなる。もう、悪循環に陥るのは目に見えています。なんであの人たちには、この理屈が分からないのかなぁ! 私はここで身内の恥をさらしつつ、その部分だけを取り出して批判しようと思っているわけではありません。しかし、一般論として、ここには「仕事をつまらなくするプロセス」、あるいは「やる気のある人のやる気を削ぐプロセス」がはっきり見てとれる。私はこのプロセス自体を批判したいんです。今まで私は大学の運営に直接係わるような委員会の仕事を引き受けたことがなかったのであまり意識しませんでしたけど、今回の件で「新しい企画」とか「チャレンジ精神」というものが日本の企業風土の中で上からでつぶされていく過程がよく分かった。そしてそのことが私にはとても「新鮮」な認識だったんです。 こういうプロセスというのは、きっとどんな企業にでもあると思うのですよ、大学に限らずにね。でも、このプロセスを打ち破らなかったら、大学であろうと企業であろうと、先行きは暗いだろうとも思うのです。だから、私はまだまだ頑張ります。とにかく限られた条件の中でできるだけ良い本を出版し、黒字にして見せる。おーよ、やったろうじゃないの! というわけで、今日はいささか気の張っているワタクシなのでした。今日も、わけ分からん!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それでは、ここからはロマンス小説談義の続きです。興味のある方はぜひ! さて、昨日、ロマンス小説のような軽い娯楽小説が「貸本屋」で持て囃されたというお話しをしかけましたが、今日はその「貸本屋」なるものがどのようなものだったのか、というあたりからお話しをしましょう。 イギリスで貸本業が盛んになるのは、19世紀の半ばあたりからです。で、当時イギリスで圧倒的な影響力を持っていた貸本屋は「ミューディ」(Mudie's Select Library) というチェーン店。ここは 1842年創業、蔵書750万冊、会員数2万5千人を誇った老舗で、貸し出し用に小説を1タイトルにつき1000冊から3000冊購入していたといいますから、まさに貸本屋業界の「怪物」です。で、これに続くのが駅の売店でもお馴染み「W・H・スミス」の貸本部門。ここは1860年の創業。もう少し時代が下ると、薬局チェーンとして有名な「ブーツ」なんていうところが、この業界に参入してくる(1900年)。ちなみに、薬局と貸本業の結びつきというのも妙ですが、これは調剤の待ち時間を貸本で潰すという意味合いがあったんだそうです。もっとも後には「本は心の薬である」ということを謳い文句にしたらしいですけどね。 ところで、一体なぜ19世紀半ばのイギリスで貸本業が栄えたのかと言いますと、当時本の値段が高過ぎて、庶民には買うことができなかったからです。本を読もうと思ったら、貸本屋から借りるしかなかった。もっともこれは「卵が先か、ニワトリが先か」といった側面があり、貸本屋が栄えていたから本の値段が高くなってしまったという説もある。 どういうことかと言いますと、当時貸本屋では1度に借りられる本の冊数によって年会費が高くなるのが普通で、それゆえ1巻本よりも長大な3巻本の小説が貸本屋業界からは歓迎されたんですね。つまり3巻本だと利用者は1度に3冊借りなければならず、それゆえ貸本屋はそれだけ高い会員費を徴収することができた。そこで貸本屋は、出版社に対し長大な(つまりは高価な)3巻本ばかり出版することを要求するようになる。当時3巻本の本の値段は31シリング6ペンス(1ギニ半)程度であったと言われ、これは当時の庶民の1週間分の稼ぎと同じです。当然、庶民はこんな高いものを買うことはできない。となれば貸本屋で借りる以外ないわけで、貸本屋が当時の一般市民の読書欲を満たす中心的な機関となったのも当然です。 また逆に言うと、出版社の方としても3巻本を出せば貸本屋が大量に買い取ってくれるのが分かっているので、わざわざ短い小説を1巻本として出すような賭は敢えてしないわけ。イギリス19世紀の小説がどれもこれも長大であることの大きな理由がここにあります。例えばシャーロット・ブロンテの処女作である『教授』という小説は、短すぎるという理由で出版社から出版を断られており、それに奮発した彼女は、かの傑作長編『ジェーン・エア』を書いたと言われている。ことほど左様に貸本屋の影響というのは、出版社側にも、読者に対しても、また作者に対してすらも大きかったんですな。 ところでこういうことを言いますと、本を借りるなら「公共図書館」から借りるという手もあったのではないか、と思う方がいらっしゃるかも知れません。しかし、イギリスの図書館というのは庶民が娯楽のための読書をしたり、そういう種類の本を借りたりするところではなかったんです。何しろ20世紀前半まで、イギリス公共図書館は「安上がりな警察」と呼ばれていたんですから。つまり図書館には「公共のモラルを高めるような本」、つまり「良書」しか置いていなかった。で、もちろん「小説本」などはこの「良書」の範疇に入っておらず、ましてや「恋愛小説」なんてもっての外だったんですね。ですから、公共図書館というのは、庶民の読書欲を満足させる場所ではなかったわけ。彼らが公共図書館に背を向け、貸本屋に足繁く通ったのも当然なんですね。 ところで、「書店」ではなく「貸本屋」が当時の庶民の読書欲を満たした機関であったことから、実は一つ面白いことが分かってくる。当時、どんな人が盛んに本を読んでいたか、ということの推測がつくんです。というのも、貸本屋で本を借りるにはまず「会員」にならなければなりませんから、当時の貸本屋の会員名簿を見れば、どんな人が本を貸りたかということが分かってしまうんですね。書店での販売では、「誰が買ったか」というところまで記録を付けませんから、こうは行きません。 で、この貸本屋の貸し出し記録を見て、どういうことが分かったかといいますと、「女性会員」の数が多いということが分かったんですな。つまり、顧客として貸本業界を支えていたのは、実は「本好きの女性」だったんです。ま、最近ではこれが訂正されて、貸本屋の顧客に占める女性の割合はせいぜい3割程度だったのではないかという説もありますが、それにしても女性の会員数が相当数あったことは確かなようです。実際、当時の貸本屋の様子を描いた絵などを見ても、そこに大勢の女性客の姿が当然のように描かれていて、そんなところからも貸本屋から本を借りる女性が多かったことが窺われます。 とまあこんな具合で、貸本屋さんというのはイギリス庶民から、とりわけ女性から愛されたわけですが、この傾向は20世紀に入っても続きます。特に1930年代における貸本業の発展は目覚ましいものがあった。何しろ世界的な大不況の時期でしたから、庶民は本を買うよりも借りることをまず考えたんですね。貸本屋に通う人々の多くは、週に2冊の本を借りていたと言います。 だからこそ、当時次第に「女性向けロマンス」のジャンルを充実させつつあった我らがミルズ&ブーン社が、極度の業績不振から回復し始めた1920年代後半あたりから、貸本屋を自社の有望なマーケットであると考え始めたのも無理はないんですね。そして、この狙いは見事図に当たり、貸本屋業界との結託によって、同社はまさにバラ色の1930年代を迎えることとなるわけ。ま、その辺のことについては、また後日、詳しくお話ししましょうかね。 それでは、皆さん、ご機嫌よう!
September 1, 2005
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