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海は「生命の源」美しくて神秘的で、そしてちょっと怖い。昔、私はあるビーチで土用波に巻き込まれたが、九死に一生を得た。土用波は、砂がどんどん沖に向けて流れていく。最初は浅瀬に立っていた。ふと気がつくと、最初は足首までだった海水が、いつのまにか胸のところまで来ていた。ぐいぐい沖へ引き込まれていく。あの時どんなに頑張っても、足元の砂が外海に向けて流れ、どんどん身体が沖に運ばれていった。流砂に巻き込まれたのだ。自然の力は本当に凄いと思った。海、地球、宇宙。自分よりも遥かに大きな、とてもかなわない力があるのだと思った。怖かった。頭で怖いと思うのではなく、本当に身体の全細胞が恐怖に震えあがった。命に固執する本能だと思った。絶対に死ぬものか・・・と思った。「助けて~!」一生懸命、砂浜にいる人に必死で手を振った。「おっ!沖で手を振っている!」砂浜にいた人たちが、手を振り返してくれたっけ・・・・今では笑い話だが、沖にどんどん流されていたあの瞬間は、笑うに笑えなかった・・・・死にかけた時に、今までの自分の過去が走馬灯のように思い浮かんだという人もいるが、私の場合は、「土用波で死亡!」と書かれた翌日の新聞記事が頭に浮かんだ。必死で砂浜の人たちに手を振り続けた。もう海水は首筋のところまで来ている。波が大きく高くなって、頭の上から降り注ぐ。その時やっと砂浜にいる人が、私が沖に流されているのだと気づき、浮き輪を持って、数人がかりで沖から引き戻してくれた。翌日新聞を見たら、そのビーチの土用波で5人死んでいた。あの恐怖は忘れない。自然への畏怖。この自然から、海から、地球から、宇宙から、他の生命体と共に生まれてきた人間の私の身体。大自然の前で、とてもちっぽけな自分。海は「生命の源」美しくて神秘的で、そしてちょっと怖い。
2009.08.18
昔、上智外英には、各地の英語方言の発音を完璧に真似できるアメリカ人のM神父様という英語担当の教授がいらっしゃった。標準アメリカ英語だろうが、米国東部エリート層(Establishment)の英語だろうが、ニューヨークの英語だろうが、米国西海岸の英語だろうが、オーストラリア英語だろうが、英国の上流階級の英語だろうが、労働階級のコックニー英語だろうが、何でもござれ。現在、英国ではこの2つのイギリス英語の中間に位置するエステュアリー英語(Estuary English)が広く使われているそうだが、今M神父様が生きていらっしゃったら、これも真似できただろう。(残念なことに、M神父様は数年前に癌で亡くなられた。)彼が真似できなかった唯一の英語は、日本人英語の発音だった。笑。(英語のネイティブの人が非ネイティブの英語を真似るのは失礼なので、 礼儀上、真似しなかったという話もあるが・・・)確かに英語のネイティブの人の英語と比べて、日本人英語の発音は、子音は弱く、母音は強い。アクセントやイントネーションも違う。おまけに、RとLを「ごちゃ混ぜ」にしなくてはならない。確かにM神父様が日本人英語の発音を真似るのは、至難の技だったのだろう・・・・
2009.08.17
ロンドンの下町ではコックニー英語(Cockney)を話すと言われている。そういえば、昔ロンドンに行った時、切手を買おうとして、郵便局の職員の人とこんな会話をしたっけ・・・何せ映画「マイ・フェア・レディ」のコックニー英語の箇所を速攻で理解できずに、四苦八苦した私である。「え・・この発音、何?」と考えているうちに、既に話が先に進んでいるのだ・・・(涙!)コックニー英語での会話に自信があるわけがない。ローレンス・オリビエがハムレットを演じる映画「ハムレット」(墓堀りの場面は除く)や、ジェレミー・ブレットがシャーロック・ホームズを演じる「TV番組(グラナダ放送制作版)シャーロック・ホームズ」の英語は速攻で理解できたのに・・・映画ハムレットの英語は、シェークスピアの中世英語(正確にはEarly Modern English) (you, your, you, yoursではなく、 thou, thy(子音の前)/thine(母音の前), thee, thineなどを使っている)、TV番組「シャーロック・ホームズ」の英語は、おそらく標準的な現代イギリス英語である。つまり、これらは日本人が学校その他で学んでいる「正当」と言われる英語である。ちなみに、コックニー英語では、eightはエイトではなく、アイトと発音する。以下、郵便局での会話:私、「切手8枚(エイト・スタンプス=eight stamps)ください」と言う。郵便局の職員さん、私の顔を見ながら、確認するように「アイト?」と言う。私、郵便局の職員さんの顔を見ながら、確認するように、「ええ、エイト」と言う。郵便局の職員さん、「・・・アイトですね?」私、「・・・ええ、エイトです」郵便局の職員さん、「はい、どうぞ、アイト・スタンプスです」私、「・・・ありがとう・・・」この話を昔イギリスに数年間住んだことがある日本人女性にしてみた。彼女曰く、「あ・・・私も、ロンドンの下町でコックニー英語の人としばらく話したら、 まじまじと顔を見られて、感心したように言われたわよ・・・」『君の英語の発音、僕よりいいね・・・・』
2009.08.16
私がこの種の本のレビューを書くのは、これが最初で最後だと思う。この本はとにかく重い。同じアメリカでも、原爆を投下して数10万人を殺したことを、義務を果たして誇りに思っていると語るポール・ティベットの話よりも明るくて楽しいマリリン・モンローの映画の方が、私は好きである。日本人もいろいろいるが、アメリカ人も本当にいろいろな人がいると思う。コラムニスト、ボブ・グリーンのDuty[デューティ]わが父、そして原爆を落とした男の物語(光文社)を読んだ。デューティとは義務という意味である。おそらく、この本では命令を遂行する義務、祖国に対する義務のことだろう。ボブ・グリーンはこの本で、自分と父親とのやりとりと広島への原爆投下を指揮したティベットという男のインタビューを織り交ぜて描いている。自分の父親を織り込むことで、ティベットと同世代である「ボブ・グリーンの父親の世代」の世相と価値観が鮮やかに描かれている。これは義務と倫理観の葛藤を考えさせる本である。ずっしりと重い。おそらく原爆投下に関する米国の一般見解は、(軍人ではない数10万人の広島の一般市民を一瞬のうちに殲滅することと引き換えに)多数の米国人兵士を救うため、早期に終戦させるために、原爆投下は必要であった・・・である。だが、原爆投下によって救われたであろう米国人兵士の数は、広島で死んだ市民の数より、遥かに少ないはずである。原爆投下の作戦を立て、自ら広島にB29で原爆を落としたティベットは、心からこの米国の見解を信じているか、または信じたいようだ。彼は命令遂行という義務だけで動き、彼の倫理観は全く作動しなかった。原爆投下は、戦争中の日本の殺戮を止めるために必要だったとも発言しているが、数10万人を一瞬にして殺害した原爆投下は、それより凄まじい殺戮ではないのか。それに米国だって第2次世界大戦中はメチャクチャやったのではないか。米国は戦勝国だから、殺戮行為が表立って暴露されなかっただけだろう。米国はベトナム戦争ではわざわざベトナムまで行って、かなりむごい殺戮を行っているではないか。しかし、このボブ・グリーンのコラムが発表されると、「原爆投下によって日本の本土に出陣せずに済んだ。死なずに済んだ。 原爆投下は正しかった。ティベットありがとう」という反響が、生存する米国軍人やその子孫から相次いで寄せられたそうだ。確かに彼らにとってはそうだろう。だが、彼らの命は、数10万人の非戦闘員の広島市民の犠牲の上に成り立っていることを彼らは絶対に忘れてはならない。しかも、原爆投下がなければ、日本から頼まれもしないのに(←当たり前の話だが)、わざわざ米国軍が日本まで来てやる本土決戦によって米国側で死ぬのは、戦うことを仕事とする米国軍人のはずだった。軍人が死ぬのと、数10万人の非戦闘員の一般市民が死ぬのでは全く異なる。非戦闘員の広島市民にとっては、数千人、数万人の米国軍人が死ぬべきだったのだ。殺戮された数10万人の広島の一般市民にとっては、米国軍人とその子孫が死んで、自分達とその子孫が幸せな人生を生きるべきだったのだ。しかし、この本で最も戦慄を覚えたのは、原爆を投下した爆撃機B29に、ティベットが母親の名前(エノラ・ゲイ)をつけて、それを誇りにしていることだった。少しでも倫理観があれば、たとえ義務で原爆を投下したのであっても、大量殺人兵器、大量殺人の道具に、母親の名前をつけたりするだろうか。もし、母親の名前をつけていなければ、国家に対する建前や軍人としての建前として、「原爆投下という義務を果たしたことを誇りにしている」と言っているのだと倫理的に好意的な解釈もできただろう。しかし、この男、こともあろうに、原爆投下したB29に母親の名前をつけている・・・このティベットという男、自ら発言している通り、本当に原爆投下、数10万人の殺戮を誇りにしているのだと思った。大量殺戮兵器に母親の名前をつけて誇りにしているなど、狂気の沙汰だ。命令遂行の義務や祖国への義務の名のもとに、大喜びで大量殺人を肯定しているとしか思えない。この男には、義務と倫理観の間の葛藤が恐ろしいほどない。少しでも倫理観があれば、多少は葛藤があるはずだろう。葛藤のうえで、義務履行を選んだのだろう。しかし、ティベットは原爆投下という義務を誇りにしていると繰り返し言っている。多分、この人は国や上司の命令であれば、義務であれば、捕虜虐待も、ユダヤ人殲滅も平気で実施する。ナチス・ドイツ側にいれば、おそらくユダヤ人皆殺し作戦を立てて、「誇りを持って」ユダヤ人殲滅という義務を実施していたのではないだろうか。果たしてアメリカ人は、もしティベットがナチス・ドイツ側で非戦闘員のユダヤ人大量殺人を実施して、ユダヤ人抹殺の義務を果たしたことを誇りにしていると言ったら、どう思うだろうか。敗戦国ドイツでユダヤ人大量殺人を実行したナチの将校は、第2次世界大戦後、裁判で罪を問われたが、戦勝国アメリカのティベットは、非戦闘員の広島市民を数10万人殺しても、その罪を問われなかった。もしアメリカが負けていれば、ティベットの行為は数10万人の民間人を殺戮したとして、裁判で有罪を宣告されているはずである。敗戦国であるドイツの無差別攻撃も、日本の真珠湾攻撃も批判され、その義務を遂行した軍人は、戦後責められたはずだが、戦勝国アメリカのティベットは責められず、英雄扱いされている。ちなみに日本の真珠湾攻撃は、一般市民ではなく、軍事設備だけを狙った。この理由の1つとして、日本に資源がなかったことが挙げられるだろう。つまり、効率的な戦略として、先制攻撃を行い、攻撃対象を軍事施設に特化せざるを得なかったのだ。一般市民を巻き添えにして、戦局や戦争交渉や和平を有利に運ぶ余裕がなかったのだろう。その一方で、原爆投下は実際に一般市民を巻き添えにして、和平の交渉カードに使った。「言うことをきかなければ、一般市民を殺すぞ」という現代の無差別テロと同じ。倫理的に見れば、何と卑怯なやり方か。「降伏しなければ、また原爆を落として多数の一般市民を殺すぞ」そう言って脅す戦法なのだ。原爆投下では、戦闘員の軍人が、自らが助かるために、非戦闘員の一般市民を盾に使った。民間人を守る立場の軍人が、たとえ敵国側の民間人とはいえ、多数の民間人を犠牲にしたことを軍人として誇りにしていると言う。これが「軍人としての厳しい規律に基づき、義務を果たしたのだ」と、厳粛でカッコ良い軍人を気取るティベットの本質だった。無差別攻撃や真珠湾攻撃をしたドイツや日本の軍人が、大喜びで殺人兵器に母親の名前をつけたとは思えない。そんなことをしたのは、おそらくティベットだけである。最も倫理観のないティベットが、戦勝国の軍人というだけで英雄扱いされている。ティベットは真珠湾攻撃をした日本の軍人と会ったことがあるが、厳格な軍人同士、何か通じるものがあったと言う。おそらく両国共通の軍人文化というものがあるのだろうが、同時に倫理観ある人々から批判された者同士で、「同病、相哀れむ(Misery loves company.)」という感情もあるのではないか。ティベットは義務を遂行したことを誇りにしていると言う。祖国のため、厳しい軍の戒律のもと任務・義務を遂行したのだと言う。誇りを持って、命じられた通り、やるべきことをやっただけだと。いかにもカッコ良い。ボブ・グリーンの口調にも、それを称える心が感じられる。パーセプション・ギャップ(認識の差)とは恐ろしい。おそらく、かなりの数の米国人が、ボブ・グリーン同様、この「見せかけのカッコ良さ」に感動するのだろうと思った。だが、いくら「勝てば官軍(Winners are always right.)」でも、カッコ良さの影で、ティベットが数10万人の殺害を実行したことを忘れてはならない。広島市の爆心地近くで被爆した人間は、一瞬のうちに、身体の全細胞が燃えて、炭素化または蒸発した。しばらく生存した者も、全身火傷で焼けただれて、水が欲しいと言いながら、阿鼻叫喚のうちに悶え苦しんだ。生き残った者も、ガンにかかりやすくなったり、遺伝子が狂う可能性があるとも言われている。ティベットは、このような大量殺人行為をしておきながら、その大量殺人行為について、義務を果たしたのだと誇りにしていると言う。せめてティベットは「やりたくなかったけど、義務だから仕方なかった」と言えなかったのか。米国の国家プログラムで原爆を開発した「原爆の父」オッペンハイマーでさえ、第2次世界大戦後に、原爆開発に対して後悔の念を吐露している。本書のどこかにちらりと「戦争だったから仕方なかった」というティベットの発言があった。しかし、これはおそらく倫理観ある人から、自分の行為や発言を批判されて、やっと出てきた発言である可能性が強い。他の箇所では繰り返し、原爆投下を誇りにしていると、くどいくらい述べている。ティベットの母親にちなんで命名したB29のエノラ・ゲイという名前は、米国では、英雄的行為の名前なのかもしれないが、日本では、大量殺人をした「鬼・悪魔・人でなし」の名前である。ある意味では、ティベットは、倫理観のなさを露呈する自業自得の凄まじいネーミングを自らの母親にしたといえる。たとえ原爆投下は当時戦争中の国家的義務であっても、自分はやるべきことをやって、それを誇りにしているなどとは、戦後、絶対に言ってはならない行為だろう。ある集団を率いる長(ヘッド)として、その集団の非倫理的な義務を果たした時、部下として非倫理的な義務に従った時、非倫理的な義務を果たしたことを誇りにしているとは、口が裂けても言ってはならないと思う。ただし、被害者感情抜きで正当な評価が下されるのは、おそらく被害者の家族・親戚が死んで、次の次の世代になった時だ。このような発想に対しては、被害者の家族・親戚が死ぬのを待つのかという批判もあるだろうが、3世代後に被害者感情がかなり消えるのは事実である。おそらく今の世代にできることは、事実やインタビューを残し、被害者感情抜きで後世の世代に判断させることなのだろう。だが、やはり後世の世代でも、原爆投下は国益追求やヘッドとしての義務を果たしたが、人類としての倫理観には反する行為だったという結論に達するという気がする。おそらく戦争は、どの国家がどのような大義名分でどのような戦法で行っても、非倫理的である。ボブ・グリーンは、本書で原爆投下の倫理性を正面から問うのではなく、原爆投下計画を立てて原爆投下したポール・ティベットにインタビューして、歴史の語り部として、記録として残したのではないか。そしてこれは同時に、ティベットが義務の名のもとに、全く何の倫理観の葛藤もなく、原爆投下という任務を遂行した記録にもなっている。米国では、戦争の英雄が重い口を開いて語った英雄物語、日本では、大量殺人犯の告白物語。原爆投下の道義性が問われるべきだろうとボブ・グリーンが思っているのはわかる。だが同時に、ボブ・グリーンがティベットに対して、尊敬や同情の念を感じているのもわかる。明らかに、ティベットの「見せかけのカッコ良さ」に取り込まれている。明らかに、ティベットと老いた父親世代と重ね合わせて、数10万人殺したティベットを心情的に英雄扱いしている。個人が1人を殺すと違法で、国家が100万人を殺すと合法。だが、どちらの殺人実行者も、世論次第で英雄になりうる。アメリカはいつまでティベットを英雄にしておくのか。「1人を殺すと殺人者だが、戦争で100万人を殺すと英雄である」昔チャップリンが何かの映画で言っていたようだが、それを実感できる本である。Duty[デューティ]、一読に値する。
2009.08.15
俺っち、栗。10ヶ月のロビンがウチに来た。人間にすると10代後半かな。ロシアン・ブルーの血が半分入っているんだって。俺と同じ猫エイズで、元気いっぱい夢いっぱいの灰色猫でさ、俺のことが大好きなんだ。一日に何回も、ロビンとキス! えへへ。俺っち、嬉しー!でも、実はロビンが来た初日、飼い主がロビンの世話ばかりするから、俺ちょっとヤキモチ焼いて、飼い主のところに行って、「灰色猫ばっかじゃなくて、俺もかまえよ~!」って、がっぷり飼い主を甘噛みしたんだ。笑それからは、俺もシッポも、ロビンと同じくらいかまってくれるようになったから、俺、今は満足してる。ロビンは「しちゃいけないこと」をまだいろいろ学習中で、飼い主によく叱られてる。ロビンは叱られるたび、俺のところに来て、「栗兄ちゃ~ん。また飼い主に叱られた~。え~ん(涙!)」て嘆くからさ、俺、いつもロビンと鼻キスして、ロビンの頭なめて慰めてやるんだ。そうすると、ロビン、安心するみたいなんだ。でも、ロビンはシッポが大嫌い。ロビンがシッポに挨拶に行った時、猫嫌いのシッポは、「私、猫嫌いなの!寄って来ないで!シャー」って言って、ロビンにも威嚇したからなんだ。ロビンは、何回一生懸命シッポに挨拶に行っても威嚇されて、完全に怒っちまった・・・しかも、俺がシッポをかまいに行って、シッポに猫パンチされてるのをロビンは見てたしな。それで、ロビンは「シッポは悪い猫!」だと思ってるんだ。でも、シッポは甘かったなぁ・・・ロビンを威嚇すれば、ロビンが寄ってこないと思ったんだろ?気の強いロビンは威嚇されたら、必ずやり返すんだぜ・・・それにオス猫の俺とメス猫のシッポが戦うのと違って、メス猫同士の戦いは熾烈、メス猫のロビンは、メス猫のシッポに情け容赦しない。「栗兄ちゃん、性悪猫のシッポは、ロビンが退治してあげるからね!」って感じなんだ・・・しかも、新しい猫が来たストレスで、シッポがクッションにお手洗いをしたのに、飼い主はロビンがしたと勘違いして、ロビンを叱っちまったんだ。ロビンはシッポのせいで自分が叱られたと思って、更にシッポに怒り狂った。ありゃ、遂にプッツン、堪忍袋の尾が切れたんだな、ロビン。あっと言う間に、ロビンはシッポに攻撃を開始した・・・・確かに俺も、シッポは性格悪いと思うけど・・・だって、猫づき合いが悪すぎるぜ、シッポ!お前一体、何歳なんだよ!7歳だろ!7歳!7歳って、人間にしたら30代だろ~が!?ちっとは他人(=他猫)との付き合い方を学べよ~!俺の方からは絶対シッポに猫パンチしなかったけど、シッポは俺によく猫パンチしてた。シッポは猫パンチで爪を出すから、シッポの猫パンチで、俺、実は傷だらけだった。でも、俺の方からシッポにじゃれてたから、俺も飼い主も、仕方ないと思ってた。でも、ロビンは俺とは違う。ロビンは、シッポと同じで、猫パンチで爪を出すんだ。しかも、俺の3倍メシ食って(!)、オス猫の俺と同じくらい、ぐんぐん大きくなった10ヶ月のロビンと、もう7歳の小柄で太身のシッポでは、勝負にならない。すらっとして細身で敏捷なロビン。ロビンはシッポより、動きが遥かに速い。ああ・・・メス同士の戦いって、ホントに熾烈なんだぜ~毎日、毎日、凄まじい死闘が繰り広げられてる。今朝も朝の5時に壮絶な死闘・・・今じゃ俺じゃなくて、シッポがロビンの爪だし猫パンチで傷だらけだ。シッポより前足が遥かに長いロビンは、もちろん無傷だ。 (←シッポの猫パンチは、ロビンに届かない。)それで飼い主は仕方なく、2匹が馴れるまで、今度はシッポを猫ハウスに入れた。ロビンはまだ若くて部屋中走り回るけど、シッポは一日中ほとんど動かないし、シッポは猫ハウスの中にいれば、ロビンの猫パンチで怪我しないから。俺をめぐって争うんなら、まだ気分が良いかもしれないけど、違うんだな、これが。俺、もうハラハラしながら、いつも見てる。昔「俺とシッポのケンカ」を見てたチロの気持ちが、今になってわかる・・・俺、時々ケンカに負けたシッポを慰めに行くんだ。あ~突然、大きな兄貴になった気分だ、俺っち・・・
2009.08.14
人間に威嚇するのが当たり前の世界から来たわずか10ヶ月のロビン姫。まだ子猫。覚えることがいっぱい。ここ、他の猫はくつろいでいて、ゆったりとした音楽が流れていて、時間が静かに流れていて、とても不思議な空間。でも、飼い主や他の猫に馴れるまで、ロビンは、部屋全体を見渡せる猫ハウスに入ってた。朝から晩まで、猫ハウスから、飼い主や他の猫をじっと見てた。最初は人間のことが怖くて、飼い主にシャーシャー威嚇してた。でも、毎日毎日、他の猫が飼い主とイチャイチャしてるのを見てると・・・「あの人間、怖くないの?何か楽しそう・・・私もなでてもらおうかな・・・」何か羨ましくなってきた。他の猫はスノコやカーペットで爪とぎしてる・・・爪とぎはあそこでするのね。了解!もう飼い主怖くない!飼い主に頭やお腹をなでられても平気!喉や首筋をゆっくりなでられると、何だかとっても良い気持ち~♪気分が落ち着いてくる。部屋の中に置かれた猫ハウスにいるうちに、ここのルールを一通り学習して、2週間弱で猫ハウスから出ちゃった。だってロビン、毎日飼い主や他の猫が「部屋でしていること」を猫ハウスから見ていたから。でもロビン、猫ハウスから出た初日は、メチャクチャやっちゃった・・・何をしたかって?一通り、部屋を探検した後、猫おもちゃで遊んだり、早速、みんなと同じお皿(洗面器)からドライフードを食べたり、お水を飲んだりして・・・・その後・・・カーテン登りをする。観葉植物によじ登る(椰子の木・葉が折れる!!)。 (←怒られた!)観葉植物の植木鉢の土の上で、お手洗いを試みる。 (←また怒られた!)水遊びに失敗して水が入っている洗面器をひっくり返し、カーペットを2メートル四方、べちょべちょに濡らす。 (←また怒られた!)観葉植物の受け皿のお水(←泥水!)に、前足を突っ込んで遊ぶ。 (←また怒られた!)観葉植物の土を引っ掻き回した汚い前足で、水のみ用のお水を引っ掻き回して、さざなみを作って遊び、水飲み用のお水を泥水にする。 (←また怒られた!)飼い主が飲むつもりで、テーブルの上に置いていたアイスミント・ティーを一口二口ペロペロ飲んでみて「何これ?変な味・・・」と前足を突っ込んでみる。 (←またまた怒られた!)飼い主のシチュー皿に前足を突っ込んで、ぐるぐる引っかき回し、お肉だけ引っ張り出して食べた!(←またまた飼い主からロビンに凄まじい雷が落ちた・・)もしかして、お水に前足を突っ込んじゃいけないのね???了解!でも・・・爪とぎ用スノコに良く似た家具で、爪とぎを試みる・・・ (←また怒られた!)力いっぱい爪とぎして、カーペットを剥がす・・・ (←また怒られた!)だし袋を戸棚から引っ張りだして、散らかして遊ぶ・・・ (←また怒られた!)紅茶缶を落として、紅茶をカーペット一面に散らす・・・ (←また怒られた!)楊枝の容器の蓋をこじ開けて、楊枝を床一面に散らかして遊ぶ・・・ (←またまた怒られた!)でも、飼い主が一生懸命片付けてたのを、ロビンじぃーっと見てたから、もうロビン、だし袋や紅茶缶や楊枝容器で遊ばない・・・電話機のボタンをプッシュし、誰かに電話をかける・・・ (飼い主:一体誰に電話をかけたんだろう。電話をかけられた方、すみません。)そんなロビンをじっと見ていた栗坊曰く、「俺、そんなことしろなんて、ロビンに教えてないぜ~。」未だかつて、水に前足を突っ込んだ猫は、ロビンだけ。家具で爪とぎしようとした猫も、ロビンだけ。テーブルの上に乗った猫も、おてんばファファと栗とロビンの3匹だけ・・・他の猫は、飼い主の食事を置くテーブルに絶対に乗らなかった。ましてや、ロビン以外はどの猫も、飼い主の食べ物や飲み物に前足を突っ込むなんてことは、絶対しなかったって・・・飼い主や、猫みんなで食べる食べ物や飲み物に、植木鉢の泥だらけの前足を突っ込んで引っかき回した猫は、未だかつてロビンだけなんだって・・・ごめんね、飼い主。飼い主が前回子猫を飼ったのは、遥か昔のサーシャやチロの子供時代。そのあとで来た猫は、みんな大人の猫。でも、どの子もみんな、私より躾が良かったみたい・・・それで今ロビンは、ここで一緒に暮らすルールを一生懸命覚えている。でも、あれもしちゃ駄目、これもしちゃ駄目・・・これも駄目なの?つまんない・・・ロビン、面白くなぁ~い!!それに、覚えることがいっぱい。2日目のロビン、朝はまず栗に寄って行って、鼻キスでご挨拶。茶猫の栗も嬉しそう。「シッポが自分から寄ってきてくれたことなんてないもんな~♪ 俺、この灰色猫ロビン、気に入った! 俺、人間や他の猫とベタベタ・イチャイチャするの、大好きだしさ~♪」ロビン、一日何回も栗に近づいて、キスしてご挨拶。「栗、優しいから好き!」白黒ぶち猫のシッポは、近づくとシャーっと威嚇するの。シッポ、きっと私のこと嫌いなんだ・・・栗は時々心配して、ロビンの様子を見にきてくれる。このお兄ちゃん猫、優しい・・・以下、栗とロビンのキス写真・・・・ねっ、栗とロビン、ラブラブでしょ?うふふ。でも、ちょっとロビンの方が積極的かな。
2009.08.13
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