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今日も快晴。BSでオータムインニューヨークを視た。お洗濯をしていたので、残念ながら、9時からしか視れなかったが…リチャードギア渋くってすご~く好き!でも、トムハンクスの方がずっとずっと好き!(笑)彼女は死んじゃう前にすごく幸せだった、何だか、その時母の事を思った。母は、幸せな時はあったのだろうか?親の反対を押し切って父と結婚したばかりに、ずっと働きづめだった。やっと定年し静かな老後を迎えるべく旅行にでも行きたいと思っていたであろうに…健康診断で、C型肝炎を患っていることが判明し、その後は闘病生活。定年しても、行くのは病院だけだった。その上、私は親不孝の塊だったし、同性の私しか母を助けてあげれなかったのに…母の愚痴すら聞いてあげれなかった。父に殴られてもののしかれても、私と弟のために必死で耐え続けた母。物心付いた時には、両親の喧嘩は日常茶飯時、本当に嫌だった。父の事で愚痴る母に「そんなにイヤなら、離婚すればよかったのに!何で離婚しなかった訳?」と言い放って突き放した私。「そうすれば良かったかもしれないね、でも、お母さんは1人であんた達を育てていける自信がなかった、金銭的に無理だと思ったから、辛抱したのよ」と初めて私に話してくれ、辛かった胸の内を打ち明けてくれた。母にはいつも叱られてばかり、褒められたり、抱きしめられたり、微笑んでくれたり、そんな事は夢にも思わないほど、縁遠い空想だけの世界だった。厳しいばかりの母親だった。私は母を何時の頃からか否定して生きるようになった。ずっと母の敷いたレールの上を疑うことなく進んでいた頃の自分を思い返しては、そうさせた母を恨んだ。愛情を感じる事は1度もなかった。それは母が死ぬまで続いた。私は何度も入退院を繰り返していた母のお見舞いに行った事がなかった。最初で最後のお見舞いが意識を失う2H前だった。最後の入院になるとは思わなかったあの日、家を出る母に私は「あ~、やっと静かになる、早く出て行けばいい!」と聞こえよがしに言ったのである。どれほど、母は辛かったであろう。入院した翌日、病院から帰った父が2Fへ上がり、声を上げて泣いているのが聞こえてきた。夏休み…息子が心配して様子を見に行き「お祖父ちゃんが泣いてるよ」と心配そうに言った。その後、父が降りてきて「お母さんを親と思うなら、病院へ行ってやれ、もうダメだそうだ」と言った。近所の母の友人も私に「もうお母さんを許してやって、とにかくお母さんに会わなくっちゃ」と言ってきてくれた。私は息子を連れて、病院へ行った。母はベッドにいて、簡易トイレが置いてあるのしきりに気にして息子に声を掛けていた。「臭いでしょ?」と。言葉もなかった、母はこの期に及んでも他人行儀な言葉しか私には言えなかったのだ。可愛そうに…ひどい娘。買い物はないかと尋ねると母は「うん、ティッシュもあるし」と…遠慮がちに、でも嬉しそうに言った。紙おむつがいると看護師に言われたので薬局へ走った。暫くして母が息子に「もう帰りなさい」と、私には直接言えなくて息子を通して伝えたのだ。私は、いたたまれなくなり、家へ帰った。その後2Hほどして、母は静脈瘤破裂で意識を失った。処置をしている時、母の苦しそうなうめき声が病院中に響いていた。立派な機械はあるのだが、それを扱える経験を積んだDrがいないのである、母は不慣れなDrの処置に苦しんだのである。弟は死期はまだ先と思っていたので、電話をしても信じなかった。結局、弟は最終の飛行機に乗れず母の最後は看取れなかった。母が心停止をした時、処置をしたのは、当直の皮膚科のDrだった。担当医は自宅へ帰っており、間に合わなかった。最後を看取ってくれた、若い看護師が涙を流してくれた。救われた気がした、機械仕掛けのように淡々と仕事をこなす中に、1人でも、母のために涙を流してくれた看護師が居てくれた事に…その母の形見の時計を私は身につけていた。しかし、同僚のお父さんの葬儀へ行こうとして着けようとしたら、止まっていた。何だか、無性に悲しくなった、母が生きている時から時を刻んでいた時計が母の様に動くのを止めてしまったのだ。リチャードギアが最後にプレゼントの箱を開けた。入っていたのが時計だった。その、彼が持った時計を見て、母を思い出してしまった。母は幸せな時はあったのだろうか?私は一生、母への懺悔を心に刻んで生きなくてはいけないと思っている。何時も母を思っている。可愛そうなお母さん、ごめんね、ホントにごめんね。いつか、お母さんの側に行ったら、思いっきり親孝行するからね!約束するから!待っててね!
2003年10月31日
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今日も快晴。昨日ホームセンターへワンコのご飯を買いに行った。家のワンコはドッグフードしか食べさせないようにしている。前の、ワンコは人間食だったので、体に良くない食事ばかりだった。だから、このワンコは生まれてからずっとドッグフード。いつもお留守番ばっかりだから、何かおみやを買って帰ってあげようと思い、ジャーキーとかを見て回っていた。そしたら、「ひずめ」とか「ぶたのみみ」とかが普通に売ってあんの!ビックリィ!もろ、「ぶたのみみ」なの!スモークしたような干したようなカパカパの三角形。これだ!と思って「ぶたのみみ」を買って帰ってあげた。でもって、「ハイ、ぶたのみみ」ってあげたら、「クンクン」って嗅いでそのままどっか行っちゃった!「え~、198円もしたのに(ははっ!安い!)…なんでぇ~」って感じだった。ところが、暫くして「ガリッガリッ」って何処からか音が…そ~っと覗いてみたら、めだかが…あっ!違った(笑)ワンコが自分のベッドで「ぶたのみみ」をかじってた!息子が「くうちゃ~ん」って手を出そうとしたら、これまで聞いた事がない声で「う~ぅ」って唸って凄い形相になってて…「おぅ!くうも狼の祖先を持つ犬だったんだ」って少し見直した。ホントは手を出しても大丈夫なように躾けないといけないらしかったんだろうけど、家はそんな物食べさせた事がないから、初めて彼の唸りを聞いた訳で…まっ!餌を食べてる時は手を近づけても全然平気な顔してて唸ったりした事ないからいいとしよう!でもって、普通のワンコは飼い主が呼ぶと飛んでやってくるのに、家は「くうちゃん、おいで~」と言うと知らん顔してどっか行くんだよね!酷くない?飼い主は誰?みたいな…(T_T)だから、何があってもお外にだけは出せない!(-_-;)お嫁さんでも見つけてあげたら少しは落ち着くかな?スッゴイ顔は可愛いんだけどね、飼い主に似た性格が災いしたようだね~、ごめんね!くうちゃん(*^_^*)そうそう、今朝の朝刊にそのホームセンターのチラシが入ってて、昨日買ったワンコの餌が500円も安く出ていたのだぁ~、「ショーック!」だった!(*^_^*)ガクッ!
2003年10月30日
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今日も快晴。今夜久しぶりに友人から電話が入った。女の友情とはもろいもので、彼氏が出来た途端ぷっつりと連絡が来なくなった。毎日1~2Hの長電話はざらだったのに…(-_-;)でもって、今仕事に燃えてるんだ(保育士)と彼女!今年から、事務所で園長の補佐役を仰せつかっているため、保育の仕事の他に事務のお仕事まで抱え込んでいるのだ。しかし、彼女はとても有能な秘書であり、行事に関して企画立案の出来る保育士でもある。賢い人間はそうはいない、仕事は出来ないのに、口はとてもお達者なベテラン保育士はた~んといる。彼女はその点、素晴らしい保育士である。ピアノは上手だし、体格も良いし(笑)美人(本人曰く:ごりえ似:笑)だし、言う事なしなのだ。その彼女に彼氏が出来たのが半年前。今は、とても幸せみたいだ。で、温泉に行ったお話しをしてくれた。とても、羨ましく聞いた(ムカッ:笑)このまま、うまく行ってくれるといいんだけど…温泉情報をくれるのは嬉しいけど、行く人がいないの知ってるのに…トホホ…「一応、行く時のために教えとくね!」ですって~(笑)はいはい、いつか行きますよぉ~だ!お幸せにネ!短大の時、私のBDにコーヒカップを彼女はくれた。今でも大事に食器棚に置いてある。明日はあれで、コーヒーでも飲んでみようかな?幸せのご利益があるかもしれない…(*^_^*)
2003年10月29日
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今日も快晴。お風呂に入っていて…そうそう私は髪が長い。硬くて、黒くて、太くて、くせっ毛。実に嫌な髪の毛。それで、数ヶ月に1度のストパーとカラーリングで矯正。見た目は柔らかげで茶色い髪の毛。ところが、もう数ヶ月、退院後くらいから抜けるのなんのって…大事な髪の毛がガンガン抜ける…(T_T)シャンプーしたらお岩さんみたくゴッソリ排水溝に髪の毛が溜まってる、キモイ!トリートメントをすれば、マッサージ後髪を梳くでしょ?そしたら、指に髪が絡まって「パー」が出来ないんだから!髪が長いから短い人よりたくさん抜けてる様に感じるだけなんて話もあるけど、私のは確実に抜けてる。ドライヤー(マイナスイオン)で乾燥させて床を見ると落ちてる事!落ちてる事!ワンコの毛なんて全く抜けてないのに、私の毛はそこいら中に落ちてる。1年近くの貧血、それが貧血とは知らずに過ごしていた日々(笑)貧血なんて縁がないって思ってたから、症状なんて知らなくて、知ってたらかなり前にすでに気持ちの上で病人になってたはず!(笑)だって、検査で私の数値は女性の貧血最低数値の半分もなかったらしくて、Drが目を丸くした位だったからね。普通に話してるだけで息は切れるし、坂は登れないし、異常に体がだるいし、それは仕事の疲れだと思ってたから病気とは思わないで保育のきつい仕事を続けていたしね。でも、その頃からやせて行ってたし、炭水化物ダイエットはしてたし、髪に行く栄養は徐々に減って行ってた訳だよね!そして今頃になって髪の毛が異常に抜け、細くなり、少なくなって来たんだわ。どうしましょ!生え際が薄いのね…ショック!仕方ないから、育毛剤買って来て「プシュワー」ってスプレーして、揉み揉みしてマッサージをしてる悲しい現実(T_T)髪の毛の毛根が栄養失調だったのね~ごめんね~。せっせと、髪に栄養を与える食べ物食べなくっちゃ!(笑)
2003年10月28日
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今日も快晴。今朝、息子の寝顔を見ていたら、起こすのが可愛そうになってしまい、お休みさせてしまった!(笑)昨日、かなりのストレスだったみたいだったから何だか今日1日くらい、まっいいっか!なんて…それで、気になっていた「たん」の原因を調べたくて総合病院へ行く事にした。9時過ぎに受付した、きっと何時もの様にお昼過ぎまでなが~い待ち時間がかかるのだろうと覚悟して…ところが、今日は患者の待ち時間を調べると言う調査日だったらしく、その対象者に無作為で選ばれてしまった。ナント!スムーズスムーズ!こんな事今までなかったと言うくらい早いの何のって!ところで、若~い茶髪のDrに症状を伝えた。私が「結核ではないでしょうか?」と言うと「えっ?結核?」と微笑んだ(かなり、私をバカなやつだな~って風に見て:笑)「近くに、そう言う方がおられなければマズ感染はないです、いらっしゃいますか?」「いえ、見える範囲ではおりません」「では、大丈夫です」「じゃ、なんでたんと咳が出るのでしょうか?」「アレルギーが考えられますので、血液検査をしておきます、それとレントゲンもとっておきましょうね」だって…レントゲンの結果が出て、結果を聞いた。「ん~、胸が汚いですね、原因はまだ血液検査の結果が出ていないので言えないです、一応たんをきるお薬を出しておきます」「胸が汚いって?肺炎って言う事ですか?」「いえ、アレルギーでもこうなりますから」で、処方箋を出してもらって市内の調剤薬局で受け取った。薬剤師さんが「肺炎なの?」と尋ねたので、初めて肺炎と気管支喘息のお薬まで出ている事を知った。全くぅ、Drは何にも言わないんだから、マイコプラズマの抗生物質を出すならそう言ってくれればいいのに。肺炎とも、気管支喘息とも言わないからお薬見てビックリしたよ。取りあえず、金曜日に血液検査の結果を聞きに行って治療法を聞いてこようと思っている。帰りに、体験学習施設へお詫びに行って来た。美味しいケーキを買って…遠かった!(笑)息子は元気を取り戻していた。良かった!
2003年10月27日
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今日も快晴。息子が帰って来た。元気一杯、楽しげにニコニコして帰って来る…はずだった。そうに違いないと疑わずに帰りを楽しみに待っていた…ところが、帰宅した息子は「えっ?」と言うくらい、表情は暗く、目は充血し、顔が一回り小さくなったかな?と思う位暗い表情だった。私は疲れたのだろうと思い別に理由は聞かなかった。部屋に入った息子はゴロゴロしたりため息をついたり、私と一緒にいるのを嫌がるかのように、別の部屋へ行きTVを視たりしていた。私は、体験学習のお話しを聞かせてと側へ呼んだ。「どうだった?」と尋ねてもウキウキした返事もなければ自分から活動の内容を話そうともしなかった。息子の表情が硬かった理由が分かったのは、息子の帰宅後1H程してかかって来た1本の電話…だった。施設から息子に聞きたいことがあると電話がかかってきたのである。私は何が何だか分からないまま、息子に電話を代わった。電話で話す息子の返答から、息子が喧嘩をしたのだと容易に理解出来た。暫くして、息子が電話を代わると言うので担当者と言う男性と話をした。息子と同じグループの下級生が息子に叩かれて鼻血を出したと言う事だった。帰宅後、服についた血液にビックリした相手の子の母親が施設に連絡をして来たので、直接息子に事情を聞かせてもらったのだという事だった。それで、息子は浮かない顔をしていたのだった。せっかく、楽しみにして行ったのになんて事だろう。息子に事情を聞き、そばに居た同級生が一部始終始終を見ていたと息子が言うので、その児童宅へ電話をして事情を聞き、その旨を施設に連絡した。たまたま息子の同級生が同じグループになっていたのだった。整列する様に指導員に指示され並んでいた息子達が列からはみ出した児童に注意をしたらしい。それを不愉快に思ったのか、その児童が息子の所へやって来てちょっかいを出したり「お前ムカツク!」と言ったりして止めるように言う息子にしつこく嫌がらせをして来たのだそうだ。終には、息子に手を出して来たので、息子は耐えられなくなって顔を叩いてしまったらしい。相手の子が鼻血を出している所に指導員(ボランティア)がやって来て仲直りをさせ2人は別れ、その後は会っていないと言う事だった。電話で何故喧嘩をしている時に指導員は駆けつけなかったのか指導員の数は足りていたのか、どう言う状況だったのか担当者は把握していないのか尋ねてみたが何も知らなかった。全て、ボランティアに任せていて事実確認は出来ていないと言う事であった。県内色々な地域からの参加で、色々な子ども達が集まって来ていたのだから、衝突は避けられないのは現状であろう。たまたま、息子のグループには同級生の男児がいたから事情が良く分かったが、他児は他校の生徒だった。今回150名定員が170名の参加だったそうだ。定員がオーバーしているせいもあり、目が行き届かなかったのではないだろうか?それにしても、意見の衝突は仕方ない、喧嘩も仕方ない、ただ、自分より小さい子に手を出した息子にはしっかりと言って聞かせた。保育園に通っていた頃、ある時期、息子は毎日、顔を引っ掛かれたり、噛み付かれたり、つねられたりして帰って来る様になった。それでも、私はどんな事をされても、絶対に相手に手を出してはいけないと教えた。息子はそれを守り通した。ある日、私は「やられたら、やり返しなさい」と言った。あまりにも、息子がかわいそうだったのである。息子は「お母さん、やられてもやり返したらイカンって言うたわ」と…「うん。でももういいと!男の子なんだからやり返してやんなさい」と…でも、私が保育園に相談したのでそのイジメはなんとか収まり、息子が我慢できる範囲になった様だった。卒園式の時、その男児に噛まれたり、引っ掛かれたりした子の保護者がたくさんいたと知り、息子に泣き寝入りをさせないで良かったと心から思った。そう言う経過もあり、息子は私の言いつけを守ったのだと思うと逆に心が痛んだ。今夜は「喧嘩はしても手は出してはいけない」ときつく言って聞かせた空しい夜だった。息子は、喧嘩の後、仲直りまでしていたし、施設からまさかそんな電話がは入るとは思わなかったのだろう、夕飯は殆ど食しなかった。余程、つらい出来事であり電話であったのだろう、小さな胸を痛めたのだと思うと可愛そうでならない。父親に会えなくなった5歳の息子の頭に円形脱毛が出来た頃を思い出してしまった。次回参加する時はきっと楽しい思い出を作ってもらいたい。明日にでも、施設へ出向きお詫びしておこう。
2003年10月26日
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今日も快晴。10時過ぎに息子は体験学習へ。私は一人ぼっちになってしまった!午後から知人に誘われていたのでカネボウの下着を扱っている方の所へ…お布団を干して行ったので、日の高いうちに帰ろうと思っていたが3時半位になってしまっていた。慌ててお暇し、お買い物をして帰った。今夜はおでんにした。明日息子が帰って来た時、美味しく出来ている様に今夜から煮込んでおこうと思って(笑)ところで、そのお邪魔したお宅で思いがけない人に会った。私が時々大事な物を出しているクリーニング屋さん。そのクリーニング屋さん(46歳女性)はご両親と一緒にお店をしている。その女性のお子さんを保育した縁で顔見知りだったのだ。こんな所で…とびっくりした。まだまだ、びっくりした事があった。彼女、離婚したそうなのだ、優しそうなご主人で保育園にも時々お迎えに来ていたので顔は良く知っていた。何だか不思議な気分だったし、びっくりもした。もう1つ、彼女乳がんで乳房を切除していると今日初めて知った。彼女はふくよかで色白で眼鏡を掛けてていつも朗らかでなんていいお母さん、いいご夫婦といつも思っていたのでショックだった。彼女がふくよかなのは副作用からだと言う。今、服用中のお薬の副作用だから仕方がないのだそうだ。全くそんな素振りは見せず、サラリと言ってのける彼女の、人としての大きさに参った!と言う感じだった。息子さんはまだ小学1年生、もっともっと長生きして彼の行く末を見守ってあげて欲しいと切に願う。今夜、1人でお風呂に入っていて…お出かけするのに大事な指輪をつけて来るのを忘れてきた様な、大事な何かをなくした様なそんな寂しい、悲しい、物足りなさを感じた。息子とべったりの生活、彼も親離れして行く、その時、私はどうなるのだろう。
2003年10月25日
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今日も快晴。友人から電話があり午後から遊びに来ると言う。私は、ずっとずっとケーキが食べたかったのに、何故か買いに行かないまま過ごしていた事にハタ!と気付いた!「あっ!そうだった!ケーキが食べたかったんだ!今日は買いに行くって言う大義名分があるから絶対行くぞぉ~」と車に乗った。駅前にあるお店で買っていたので、行ってみたが暫く行っていなかった間に様変わりしていて、和菓子とお土産物しか販売していなかった。「えっ?ケーキないの?」「はい、本店の方にありますので本店へ行って下さい」と…仕方がないので、大義名分のために本店へ行った。そこは、ここいらでは見た事がないくらいお洒落な店内へと変わっていた。”ビフォーアフター”で言えば…「何と言う事でしょう…」とイワンばかりの変貌であった。ケーキや和菓子を買いそのまま店内でお茶出来るスペースが出来ていた。結構、お客さんも入っていてビックリしてしまった。モンブランを買い、友人のお持たせ用の洋菓子、そして今日はピアノのレッスンなので、ピアノの先生用のプチケーキを数個買った。息子に持たせたのだが、先生が見せたらしく「ズル~イ、僕も食べたい」って、帰るなり言われてしまった。そう言えば息子の分を忘れていた!だって、お母さんはずっとずっとケーキが食べたかったんだもん!ビスコを買って来ていたんだからそれで我慢してね(笑)明日から、体験学習。防犯ブザーを鳴らしてみたが電池切れ。仕方がないので、買って来た。2日間、自分の力で頑張ってネ!
2003年10月24日
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今日も快晴。このところ晴れの日が続き、お布団干しやお洗濯物干しで外に出るのに日焼け止めを塗らないでやっている自分が怖い!夏は朝起きるとすぐに…外に出ようが出まいが関係なく塗って過ごしていた。ところが、9月に入って寒い日が続いたりしたので、そう言うマメな事をするのが面倒になって来ていた。10月は快晴が多いのに、面倒さはそのまま…今頃の紫外線は強いのになぁ~!明日からはキチンとしてお外に出るぞぉ!そうそう、今夜はハヤシライスにした。冷蔵庫のドアに冷凍室・冷蔵室に入っている物を書いているのだが、ハヤシライス用の材料が使わずにあったので…先日、手抜き料理ってやつでやっていたハヤシライス。トマトを摩り下ろしなべに入れ、味噌とみりんで味付け。家は一応ルーを入れ、トマトの缶詰と味噌とヨーグルト(我が家オリジナル:味噌汁に入れると美味しいらしいからハヤシライスも美味しいかも?)とソースを入れて作った。食べ終わった息子が「一応、参考までに言いたい事があるっちゃけど…でも別に気にせんでもいいからね?」と気を遣う様に(恐る恐る?:笑)言った。「えっ?何?」「あのね、少し酸っぱいわ!」「あ゛~ぁぁぁ、そうだったわ、みりん入れるんだったわ、みりん入れると酸っぱさが軽減されるって言ってたんだった、忘れてた~、ごめんね」と答えた。息子が気を遣った訳…夕食時に「給食は毎日すっごく美味しくてお母さんのはまぁまぁ」と言ってので、私が大人気なく「じゃぁ、給食ばかり食べてたら?」とわざと口を尖らしたのだった。ふふふっ、可愛い!男の子は…それに、むぎゅ~って抱っこしてあげるといまだに嬉しそうな顔をする。さぁ、カレーを作ると数日続く如く明日もハヤシライスかなぁ~。
2003年10月23日
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今日も快晴。息子が1泊2日で体験学習に行くのに必要な物を買いに行って来た。お着替えとか洗面道具とかを入れるのに便利な「チャック付き収納袋」を買うのにダイソーへ・・・私ってホント!おバカだから、あれもこれもって21個もなにやら買ってしまっていた!米びつの虫除けとか。お茶パック(出汁を取るのにいりこをいれる)、ぬめり取り、その他モロモロ!あ~ぁ!必要な物以外買わないって言う人になりたい!美味しい紅茶が飲みたい、私はコーヒー党だが何だかこの頃紅茶が飲みたい。先日、ランチで行ったお店で紅茶が食後に出たのだが、その紅茶が美味しかったので、買って来た。フレーバーティーで、チェリーとオレンジとアップル、香りが凄く良いのでゆったりした気分になる。だが、その紅茶がなくなったのでバニラ&キャラメル風味をご近所のお店で買って来た。ただ、フレーバーティーでなくて本物の美味しい紅茶を本式に入れて飲んでみたいな!一昨日息子のお友達が来ていたので、ホットケーキミックスに黒糖とビスケットを粉末に砕いて入れ、アルミホイルに入れ蒸し器で蒸した。お友達にはオミヤとしてお持たせにしてあげた。でも、息子は全く食べないのだ…こう言う手作りおやつ(T_T)仕方ないので、私がダイエット中にもかかわらずしっかり食べちゃった。それで、余計に紅茶が飲みたくなったのだ。悪循環!もう間食はしない!ゾ!(^.^)/~~~
2003年10月22日
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今日は快晴、日中は暑いくらいだった。ここの所、毎日お布団が干せて気持ち良い!さて、今日は息子のスイミングの日。今週は駐車場で暮らしている、あのノラ猫ちゃん達に差し入れをしてあげる事にしていたので、ホームワイドでネコ缶と猫用ドライフードをたくさん買って持って行った。ノラちゃんの面倒を見ているドライバーのおじちゃまは生徒の送迎でいなかったので、息子のスイミングの見学をしながら待つ事にした。今日は進級テストだったらしい。私が椅子に座るとガラス越しにプールから指でokマークを送ってくれた(笑)6級合格!だったようだ(*^_^*)おめでとう!!!平泳ぎで1分10秒を切れれば5級合格…バタフライで1分10秒を切れれば4級合格…もう少しで黒帽になる、頑張ってね!とにかく中途半端が1番良くないから出来れば1級まで続けてくれる事を祈っている。それにしても、この頃体つきが丸くなってきている(-_-;)いいのだろうか!元夫が174/90あったので、太るDNAは持っているのだがそれにしても…ご飯も間食もたくさんは食べない方なのだが、と言うか離乳食をやり直しなさいと言われた位食の細い子で、保育園からずっと最近までお掃除が始まってほこりの舞う中で給食を食していた子なのに…何故に…???悲しいかな顔も体型も私とは全く似ていない(T_T)息子と2人でお風呂に入った時、似ている所は「指の形よね~(悲)」といつも自分を慰めている私である(T_T)そうこうしている内に送迎バスが到着、おじちゃまを探してネコ缶を渡す。おじちゃまはとても喜んでくれた、良かった!帰って夕飯の支度をした。白身魚のホイル焼きだったので、時間が気になったがとにかく息子がお腹を減らしていたので急いで作った。ところが、オーブンの設定時間では短かったらしく、お魚にしっかり火が通っていなかった(-_-;)恥ずかしながら、再度チンしなおして食した。べーコンの塩分が効いてて結構美味しかった。夕飯が8時前になってしまい、息子はお風呂に入ると眠かったようだ。だが、宅習とピアノのレッスンはキチンと終わらせ早めに休んだ。スイミングで疲れたようだった。
2003年10月21日
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今日は薄曇り。息子がこの頃、咳払いと言うか喉を鳴らす(?:ネコじゃない:笑)彼は小学1年生の時、高熱を出した折、痙攣を起こし救急車で病院へ運ばれた事があった。2歳時にも急性腸炎からの高熱で痙攣を起こし、そのまま入院した。小学1年生時の痙攣は、癲癇の可能性ありとの事で脳波やら何やらの検査を受ける事となった。熱性痙攣は幼児期に起こる事が殆どで学童期におきるのは変と言う事だった。運良く、脳波に異常は見られず、癲癇ではないとの検査結果が出た。入学後初めてBCGツ反が行われた。息子の持って帰った問診表を書き込んだ。数日後、痙攣を1年以内に起こした生徒は受けられないとの判断が下された。次のBCGは中学1年生時だと言われた。昨今、結核が学校で集団発生した事があったので、私は役所へその旨を尋ねた。役所の係員は「そうですね、そう言う事もありましたね」「では、息子が結核に罹ったらどうするのですか?」「罹らない様に祈って下さい」と係員は言った。何て無責任な言葉だろうと思い呆れてしまった。自分の息子は自分で守るしかないのだと実感した。その後自費でしなければいけないと思いつつ母の死や、自分の病気で息子の事をそのままにしてしまっていた。息子が喉を鳴らすのはもしかして結核ではないのだろうか?とても不安を感じている。今週末、息子は「どんぐりチャレンジ」と言う1泊2日の体験学習に出かける。帰ってきたら病院へ行ってみよう。そうそう、この体験学習は往復のバスから1人で行動しなければいけないのが規則。往路のバス停までと、復路のバス停からは徒歩!危険はどこにでもある。もちろん、彼には防犯ブザーを持たせるつもりである。自分の息子は自分で守らなければ・・・
2003年10月20日
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今日も快晴。この頃、着物に興味を覚えてしまった。8月の終わりに、着物の展示会のお手伝いをしたのだが、それに刺激された感もアリ!か?!2日間、数十万円~5百万円までの訪問着から振袖から色々な着物・小物を見せて頂いた。本当に目の保養となった。ここぞとばかりに袖を通して試着をさせて頂き(-_-;)写メールで記念撮影!パシャッ!それでも、数百万円以上の着物はデザインも独創的だし、私の様な俗人が理解できる物ではない様だった。やっぱり、私には、家庭で洗えるポりエステルの着物で十分と言う事なのだろう(-_-;)色んな着物屋さんのメルマガを配信してもらっているが、結構なお値段がして貧乏症の私は皮のコートと両天秤!悩んでしまう。ところが、何時ものメルマガでない所で福袋を見つけたのだ(*^_^*)お値段は破格値!一応、希望と体型とをメールでお知らせしたのだが福袋であるがゆえにドキドキもの!母が買ってくれた訪問着はクリーニングを考えると着たくない。ポリなら何時でも洗えるし、柄も冒険できる。ドキドキの福袋!早く来ないかな~(^.^)/~~~ドッキドキドン福袋!♪~
2003年10月19日
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本日も晴天。昨夜、お洗濯をして干すのを忘れてしまっていた。夜中に思い出し洗濯機から出しておいた。今朝干したけど、息子の給食着はしっかり皺になってしまっていた。今夜お風呂に入っていつも通りにシャンプーをしてトリートメントをした。でも、トリートメントの前に何時もは使わないリンスをしてしまった。で、その後にトリートメントをしたのだ。私はトリートメントをした後、少し時間を置く癖がついている。体を洗ってお風呂を出た。タオルドライの後、ドライヤーで髪を乾燥させ始めた。オカシイ!何時もと違って髪がベタッとしている!「ん~?あ゛ーーーマズィ!もしかしてトリートメント流してないかも?」しっかり、洗い流すのを忘れてしまっていた!(-_-;)リンスをして洗い流したのでてっきり終わったもの!と勘違いして忘れてしまったのだ。よく、私は時間を置いてる間に「え?!お湯で流したっけ?」と自問する。体を拭いている時に大体思い出していたのだが今夜はすり抜けたらしい(笑)お洗濯は忘れるし、トリートメントを流したかを忘れるし、どうなっているんだろう!「ボケ!?」なの?ショック!
2003年10月18日
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今日も快晴。息子の祖母より先日会った折の写真が郵送されて来た。写真の中にお小遣いも入っていた。息子にとって初めての経験。少しずつ違う世界を広げて行って欲しい。息子は今、10歳。4歳からピアノを習っている。最初の先生は国立音大を出た立派な先生。息子には少し、荷が重かったようだ。毎週家へ来て貰いレッスン、だが、なんと言うか出来て当たり前みたいな所が先生にはあるらしかった。私は息子は男の子だし、音大に行かせたい訳でもなかったので簡単なものなら初見である程度弾けるような程度の力さえつけばそれで良いと思っていた。息子はレッスンを嫌がるようになった。辞めさせるのはもったいないと思い少しお休みする旨を先生にお話しして了解を頂いた。その後半年程はピアノに触る事もなく過ぎた。ある日の学級参観で、ご近所に良い先生がいて家の子はそこに通っていますとあるお母様が教えて下さった。早速、ご紹介頂き息子と尋ねてみた。広いレッスン場にグランドピアノがど~んと置いてあった。息子は何か弾いてみる様に言われピアノに向かった。弾いた後、先生は手放しに息子を褒めた。別段上手でも流暢でもない息子のピアノをとても褒めて下さったのだ。息子はそれがとても嬉しかったらしく、先生が気に入った様子だった。先生は○ワ○音楽教室のグループレッスンを長くされていたそうで子どものやる気を起こす術をご存知だったのだ。褒めて褒めてやる気を起こし、CDの伴奏を使い興味関心を引き出し飽きさせない。息子は嫌がることなく今も毎週レッスンに通っている。自転車で5分ほどだがレッスンに通うと言うのも心地よいらしく雨の日以外は頑張って通っている。課題曲でショパンの「子犬のワルツ」を練習している。メトロノームが欲しくてオークションに何度も挑戦するが何かカラクリがあるのか決して落札出来ないでいる(T_T)息子のために早く準備してあげなくては・・・
2003年10月17日
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私たち親子は地元から殆ど出た事がない。何の自慢にもなりはしないが、私の運転技術の未熟さゆえ仕方が無いのである。休日の行き先といえば、図書館か買い物かゲームソフトのお店くらいのものである。可愛そうな息子!両親揃っていれば観光地へも連れて行ってもらえるであろうに…一昨年の秋だったか、一大決心をして息子と2人高千穂へ行ってみることにした。TR高千穂鉄道に乗り、高千穂へ。そこから高千穂峡まで徒歩で行くと言う計画。息子と2人TRに乗り出発!高千穂へ着くと早速歩き始めた。息子が生まれた頃、元夫の転勤で高千穂に住んでいた事があったので、少しは地理に明るかった。歩き始めて感じた事が1つあった。排気ガスが凄くって気分が悪くなったと言う事!2人で歩道を歩き、高千穂神社の前に着いた。息子がお宮参りをした神社だった。懐かしかった、息子にも言って聞かせた。高千穂神社を過ぎると、下り坂が続く。急な勾配を行く、直ぐ側を車が通る、怖かった。それでも、息子と2人楽しく歩いた。歩く道々、どんぐりがたくさん落ちていた。2人でどんぐりを拾ってはポッケへ・・・ポッケはいっぱいになった。高千穂峡へ着き、休憩。暫くして、帰りのTRに間に合うように高千穂駅へ。TRの中で、何十年ぶりかに里帰りをすると言うオジサマと相席になった。退屈する事なく高千穂へ着き、帰りの電車では観光客のオバサマと一緒になり、退屈する事なく帰り着いた。本当に思い切って出かけて良かった。今年の秋も2人して出かけてみようかな?2人で出かけてくれるのももう何年もないであろう。男の子は親離れが早いと聞く。母はさびしくなるのかぁ~(T_T)
2003年10月16日
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コムデギャルソン、モガ、ピンクハウス、メルローズ、ビギ、D・グレース、セットアップ等を扱うブティックで働いた事があった…懐かしい、遠い思い出!(*_*)DCブランド全盛期の頃だったかなぁ~。ある日、母と喧嘩をした私は絶対に家を出てやるぅ~と決心をした。その日の朝刊の新聞広告を頼りに面接へ行き、即日採用決定の知らせがあった。面接から帰り着くまでに自宅へ採用の知らせが届いていた。母は驚いていた。そのブティックの3Fに住み込む事となった。自宅からは100km程離れていて初めての1人暮らしだった。仕事が終わると先輩達に色んなトコへ連れて行ってもらった。本当に本当に仕事以外でも楽しい日々だった。補正屋さんへ行くのに、先輩の慣れないバイクに乗って信号待ちをするために止まろうとした。しかし、ブレーキが効かずタクシーに激突した事もあった。先輩がブレーキが効かない事を私に言い忘れたらしい(笑)お洋服が好きだったので、ノルマはあったが結構楽しい毎日であった。ボディーに自分がコーディネートしたお洋服を着せる。そのボディーのお洋服が丸ごと売れる!快感だった(~o~)なぁ~。でも、自分のお洋服も揃えなくっちゃいけなくって、結構な金額になって行った。それでも好きなお洋服を着れるのだし働けば支払いはどうにでもなると思っていた。ある日、母が尋ねてきた。実家の近くの会社が事務員を募集しているから帰って来て試験を受けなさいと言う事だった。私はそんな気持ちは全く無かった。だが、受けるだけ受けて欲しいと懇願されたので取りあえず試験だけは受けることにした。私はメルローズのミントブルーのアンゴラアンサンブルにメルローズの真っ赤なミニスカート、メルローズの真っ赤なスウェードのシューズで試験会場へ出向いた。見るからに試験をバカにした様な格好だった。私は真剣に取り組むつもりは無かったのだった。面接もその格好で臨んだ。当然、試験は落ちるはずだった、どう考えてもそんな姿で臨んだ私が合格なぞするはずなどなかった。ところが、持ち前の負けん気が仇になったのか学科試験の結果が最高点だったらしく合格してしまったのだ。面接で普通はダメだと思われたが、その会社には両親、叔父のコネクションが張り巡らされており、1次試験に合格した私は問題なく合格だったのだそうだ。後で知らされ愕然としたが…(*_*)母は私のお洋服の借金は全て払ってあげるから帰って来てあの会社に就職しなさいと迫った。どうしたものか迷ったが、借金を払ってくれると言う言葉に負けてしまいその会社で受付事務員として働く事になった。会社への通勤も私はビギだのメルローズだのを着て通勤した。ある日、先輩の男性社員がかなり厳しい口調で「もっとましな格好で通勤しろ!」と私に説教した。頭ごなしに怒鳴る男性社員の言う事など、聞く気は毛頭無かった。自称、個性派の私は人並みと言う言葉が大嫌いだったから…今思えば、私は相当はみ出し者で鼻つまみ者だったのだ。私が今そう言う社員をみたら同じ事を言ったであろう。常識人と言うか型にはまって「まぁ何て人なのかしら?常識って物は無いの?親の顔が見たいわ!」なんて言うだろう。若かった時代があったのだ、私にも…(*^_^*)10年程前から、コムサデモード・コムサイズムのお洋服を愛用している。息子の物も一緒に揃えられるのが利点でもあった。ところが、この頃は先日も書いたかもしれないが色がダークすぎて私の年齢では合わなくなってきた。もう少し、キレイ目の色使いや柔らかい素材の物が着たくなってきたのだ。それに、息子は140サイズ、コムサイズムではサイズがもうない。コムサウォークにはあるらしいが、取り寄せになるとの事、面倒。もう、私も息子もコムサを卒業する年齢になったと言う事なのだろう。出来れば、年齢層を広げて展開してくれると嬉しいのだが…若い頃にお洒落を楽しんだ年齢層が満足して着れるお洋服が少ないように思う。私達が満足出来るお洋服に巡り合いたい物だ。来週コートが入ってくるので来店下さいとのDMとお電話を頂いた。マメなフォローには感謝しているが…私の心を惹きつける程のコート、品揃え、期待出来るのであろうか…かえって和服に興味を覚える今日この頃である。
2003年10月15日
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今日も雨だった・・・夕方、5時過ぎにスイミングのお迎えに行った。駐車場に入り止める場所を探していたら、息子を迎えに来てくれるバスの運転手さんが駐車場にいた。バスはスイミングスクール前の駐車場に置くのでここにいるのは変だなぁ~と思った。で、何気に彼を見ていたら、彼の足元に5匹ほどのネコがいるのに気付いた。私はくうを抱き彼の元へ近づいて行った。「こんにちは~、何時もお世話になりますぅ」と声を掛けた。「いえいえ、どうも~」と彼は答えた。彼は手に何かを持って地面に置いた容器に入れていた。餌をあげているんだわ!と私は思い、「ネコちゃんに餌をあげているんですか?」と尋ねた。「そうなんですよ~、これ達もせっかく生きてるんだからほっては置けないからですねぇ~、保健所にはようやらんですわ!私がここ(スイミングスクールの送迎バスの運転のお仕事)に来る間は餌をやらんとと思ってるんですわぁ~」と優しい笑顔で答えてくれた。その中の1匹のネコちゃんは赤ちゃんを産んだばかりだそうだ。どのネコちゃんも痩せて骨がましかった。「でも、どうもこうならんなったら持っていかなならん(保健所に)かもしれんですがね」とも言った。彼は自宅にチワワを飼っている。いつか私がくうを抱いて息子と一緒にお迎えのバスを待っていた時、「家にもおるんですわ、チワワが!」とバスの運転席からニコニコして話してくれた事があったのだ。「お宅にはワンちゃんがいるんでしたよね?」と聞くと、彼は「は~い、あれは座敷犬で大事大事に育てられて良い物食っててここのに比べたらホント・・・」と餌を一心に食べているネコちゃんを見守りながら答えてくれた。ご近所の人が餌付けするのを嫌がるらしく、彼も大変らしかった。でも、どんなに小さな命でも大切に思う人が息子のバスの運転手さんで本当に良かったと思っている。今度、私も彼のボランティアのお役に立てるならネコ缶の1つでも持って行ってあげようかな?
2003年10月14日
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今日は午前中は曇り空、午後になって小雨がぱらつく。1日、家で過ごす。息子はTUTAYAへ行きビデオを借りたり、本を読んだり、ゲームをしたりして過ごした。実は今日、私はゆっくり朝寝をした。起きると、息子は既に朝食を食べお勉強をしていた。何て立派な息子であろうか・・・(T_T)だから、ご褒美にビデオを借りるのをokしたのだ(笑)ゲームも好きなだけさせてあげた。まぁ家は一人っ子だから余程の事がないと時間制限はしないのだが・・・それでも、何時も私が言わなくてもある程度の時間ゲームをするとさっさと止めてマンガを読んでいる。私は小さい頃にマンガ、雑誌を買ったもらった事がなく、マンガ、雑誌を読む習慣がない。だから、息子にもマンガを買うと言う気持ちは一切起きなかった、と言うか考えもつかなかった。ところが、息子のピアの先生のお宅にマンガ本がどっさりあって、何時の頃からかマンガを必ず2~3冊借りて帰るようになってしまった。マンガも悪い事ばかりじゃないし、マンガから得る物もあるのかもしれないと思っている。息子は絵を描くのが好きなのでマンガは少なからず息子の感性に影響は与えているのかもしれない。高校時代の同級生ががマンガが好きで良くマンガを描いていた。似顔絵も上手で、私はすごく羨ましいと思ったのを痛切に憶えている。彼女は高校卒業後、新聞社に就職しローカル紙(夕刊)のイラストレーターとして紙面を飾る事もしばしばであった。本当に羨ましかった。私の思い込みかも知れないがマンガを読むと絵を上手に描くコツを掴めるのではないか?なんて訳であまり煩くは言っていないのである。小さい頃から何事にも厳しく言ってきた。4年生の夏休みまでは結構眉間に皺を寄せる事も多かった。だが、夏休み後は本当にお利巧さんになった。今までの事が実を結んだのであろうか?そうであったら嬉しいのだが・・・(*^_^*)ところで、昼食後にコーヒーを点てて、チョコを食べた。美味しかった!幸せ!だった。チョコを置いたまま、PCでネットショッピングを楽しむのに熱中していた。「フング、フグ」と音がするのでふと、見るとくうちゃんがチョコを食べていた!「こっ、こっ、こっらあああぁぁ~\(◎o◎)/!」くうちゃんが食べるなんて考えもしないで置いていたのが悪かったのね~。さっき、庭のくうちゃんのウンチを片していたら、ティッシュの入ったウンチがあってビックリした。くうちゃんは良くティッシュを食べる。見つけた時は追っかけて取り上げるが取られると分かると凄いスピードで飲み込むのだ。何であんなの食べるのかね~。味も付いていないのに・・・今日も寒かった。そうそう、今朝玄関を開けたら、キンモクセイの香りがしました。
2003年10月13日
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モデムを交換し、とある事情から復旧したと思っていたBBフォンがやっぱりダメ!以前よりは頻繁ではないにしても接続できない時がある。モジュラーケーブルが長いからダメなのかな~。NTTに接続口を移動させてもらった場合の費用を聞いたら「1万円」程だと言う事だった。以前、2Fに付けて貰った時は「5千円」だったのだが、2倍になっていた、凄い!高くなっていた。もおぉ、どうしよっかな?くうの9種混合ワクチンも「1万円」そろそろしなくっちゃいけないしなぁ~、迷うなぁ~(-_-;)今日、息子の祖母(元夫の母)が来た。食事をしたり、運動会のビデオをみたり、息子のピアノを聞いたり、写真を撮ったりして過ごした。くうがケージの中で鳴くので祖母が出してやったら?と息子に。ところが、犬を見ていたら自分家のネコに餌をやるのを忘れたからと言って帰ると言い出した。最初に言っていた時間より2時間も早く帰って行った。元夫は県庁職員だが、お金に細かく事ある毎に「お前を食わせてるのは俺だ、文句があるなら今から出て行け、その代わり車は使うなよ、歩いてでも出て行け」と真夜中だろうが関係なく良く言われたものだった。怒りに任せ、元夫は息子を膝に乗せたまま立ち上がり首の据わっていない息子が床に落とされた事もあった。その時、息子が殺されてしまうと思いとっさに哺乳瓶とお財布をつかみ駅へ逃げた。何度、高千穂から実家へ逃げ帰った事か…雪の中、息子を抱っこしやっとの事で荷物を抱え涙をこらえ駅まで歩いた事もあった。暴力はエスカレートし、骨折もした。実家の母には事実は言えなかった。それでも息子に父親が居ないのは不憫だと思い必死で耐えた。離婚の意思が決まっても元夫が養育費を払いたくない、それだけの理由から親権が決まらず、数回の調停を経て裁判へ。調停委員の男性方に立った物の考え方には閉口し何度も泣いた。産後太りは一気に痩せた。生後10ヵ月で手術をし退院したばかり息子を抱えた私は婚姻費用分担の義務があるのだから働きなさいと男性の調停委員に情け容赦なく厳しく言い渡された。泣く泣く病後の息子をC型肝炎で弱りきった母に預け必死で働いた。息子の祖母は当時「孫より息子の方が断然可愛い、娘よりネコの方が可愛い」そう言って私を驚かせた。その彼女が今は「娘と暮らせるのが1番幸せ、私の大事な孫」と言った。気付くのが遅すぎだよね、とは言え、今日もネコ大事で早く帰って行ったけど!息子に「宮崎のおばあちゃんにお電話したら?」と言えるまで5年かかった。私は自分のエゴで息子から5年も祖母を取り上げてしまっていた。逃げ場所が1つ増え息子が精神衛生上健全であればそれで良いと今は思っている。誰にも息子を傷つけて欲しくない事に変わりはないが…
2003年10月12日
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11時前に美容院へ行った。お嫁さんの「おすべらかし」をおばちゃまが作るのを手伝う。地毛で結ってるので凄く素敵!だった。前撮りの時より良く出来たとおばちゃまは言う。髪が出来上がったので2Fへ行き、白無垢を着付けるのを手伝う。胸の辺りに補正ガーゼを置き着付けていく。帯を結ぶ。日本人って凄い文化を持っているなぁ~っとつくづく感心した。それとおばちゃまの魔法の様な滑らかな手さばきにも心打たれた。着付け特に花嫁の着付けの技術・・・素晴らしい!!!「おすべらかし」日本髪を結う技術も素晴らしかった!1時過ぎに結婚式場のあるホテルへ移動。お嫁さん専用のでっかいタクシーだった。今日はこれからあと2組お嫁さんを乗せると言う事だった。お日柄がいいのかな?何も知らないでお手伝いしてる(笑)控え室で新郎が待っていた。新郎の羽織袴を着付けて式の時間まで待つ。ところが、その時綿帽子をお店に忘れてきている事に気付きおばちゃまが取りに帰るというハプニング発生!その後無事に2時半に式が始まった、その間に控え室で軽く昼食を取った。2度のお色直しを何とか済ませた。慣れない手だったが少しは役に立ったのかな?控え室に居て分からなかったが、外はどしゃ降りだった。2次会はどうだったろう?濡れただろうなぁ~。色々あったが無事に披露宴も終了し帰宅。息子はおりこうにお留守番!明日、運動会に来れなかった息子の祖母(元夫の母)が来ると言う連絡が今朝入っていた。明日はどうなるのであろうか・・・複雑な心境だが、息子のために歓迎しなくては・・・今日は疲れた!花嫁の下着は今日も黒だった・・・白にして欲しかったな(-_-;)
2003年10月11日
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ニュースを視て泣いてしまった。なんて酷い教員なんだろう。私が以前働いていた保育所に、給食を絶対に残させない保育士がいた。仕事は出来るし、早いし、仕切れるし、とても尊敬出来る保育士なのである。だが、いかんせん厳し過ぎるきらいがあった。1歳児のクラス担任を彼女が、私はサブ。給食を残そうとする、偏食しようとする、そう言う1歳児の口に無理やり給食を押し込む。当然泣いて嫌がる、そうすると泣くために大きく口が開く。その開いた口にここぞとばかりに押し込む。子どもは泣いているのだからそのままむせ込む。咳き込みそのまま吐き出そうとする。のけぞって嫌がる、のけぞって上を向いて開いた口に詰める。これが毎日繰り返される。私はもちろん、園長はじめ誰も彼女に逆らえなかった。彼女は保育士いじめでも相当だった。いじめの対象になる保育士は1人で何をするにしてものけ者にされ、何をしても無視され怒鳴られ続けた。給食の時間は1歳児のクラスだけ泣き叫ぶ子ども達の声が響いていた。彼女はそう言う人であったけれど、仕事は本当に良く出来たので何も言えないのもあったのである。感情のみで子ども達に接し、支配しようとしていなかっただろうか?何も言えない子ども達を威圧し脅しその存在は脅威ではなかっただろうか?福岡の教員もそうではなかったろうか?息子が2年生の時、お友達とけんかをしたらしい。担任は罰として、休み時間と昼休み時間に外へ出ることを禁じたそうだ。11月のある日、息子に「校庭に落ちてるどんぐり拾ってきてくんない?クリスマスリース作ろうと思ってるから」と言った。「え~、外に出られないから、拾えない」と息子は答えた。母:「何でぇ~?お昼休みに出ればいいじゃん!」息子:「だって先生が僕に外に出たらいけないって、でも、これは聞かなかったことにして、大ちゃん(息子の同級生)から聞いたって事にしてくんない?でないと先生に叱られるから」母:「え~っ、それってどう言う事?」息子:「ダメ、言ったら叱られるから、聞かないで!」私は息子が何を言ってるのか良く理解できなかった。しかし、口を開こうとしない息子を説得しようやく意味を理解した。つまり、けんかをした2人の生徒に罰として「一歩も教室から出てはいけない、親にこの事は言ってはいけない」と口止めをされていたらしいのだ。給食とお昼休みが楽しみで通っている学校でお昼に遊べないなんて酷すぎると思った。それも、彼が罰を受けて2ヶ月も経っているのに親には何の連絡もなかった事に強い怒りを覚えた。2ヶ月も私は息子の苦しみを知らなかった。可愛そうで仕方が無かった、気付いてあげれなかった事を悔やんだ。一緒に罰を受けた生徒の保護者が先生に事情を聞いたらしい。彼女は「子ども達が謝ってくるまで罰を続けるつもりだった」と言ったそうだ。2年生で先生に「外に出るな」と言われたらきっと言いつけを守って、絶対に外へはでなかったであろう。誰かが、「先生にごめんなさいって言ったら許してくれると思うよ」と教えないでそんな考えが浮かんだであろうか。何故、親には言ってはいけなかったかと言うと「子どもが話すと事実が伝わらないから」と答えたそうである。では事実を早く保護者に連絡してくるべきではなかったろうか。2ヶ月間も息子達は教室の中だけで学校生活を過ごしたのであった。
2003年10月10日
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今日、先日前撮りのお手伝いをした親戚のオバちゃまから「土曜日はお願いね」と電話が入った。10時半から夕方6時くらいまでらしい。ハードだなぁ~、大丈夫かなぁ~!でもって、こないだは私なりに考えて動きやすいようにとジーンズで行ったのだが、「前撮りだったから良かったけど当日はジーンズはダメよ!」って言われてしまった(-_-;)えっ?一体何を着てお手伝いすればいいのかしら?動きやすいのはジーンズだよね!パンツはダメってことなのかな?別に私は御呼ばれしている訳じゃないし表には出ないのだから格好なんてどうでもいいんじゃないのかな?お祝いの席って事でタブーなんだろうか・・・まぁ取り合えずなんか見繕って着ていこう!それにしても、BBフォン早いトコ何とかして欲しいんだけどなぁ~、すっごい不便!明日は取替え品が届くかなぁ~・・・モデム早く届いてぇ~(*^_^*)
2003年10月09日
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一昨日よりBBフォンの調子が悪い!モデムのBBフォンランプが点滅してその度に「カチッ」っと音がする。ランプが消えている間はインターネットはつながらないし、電話は通話中に雑音が入るし、参っている。モデムの交換をするらしいが果たして改善されるのであろうか?インターネットへの接続が度々出来ないので、不便!極まりない。ケーブルテレビのインターネットサービスの方がいいのかなぁ~(-_-;)この頃、ワンピースを見逃す事が多い。中途半端な時間に放映されているのもあるが、番組改編時期なのかちょくちょく放映時間が変更になっていたりする。親子で大好きなのでマジ不満たらたら!UMK何とかして下さい、子どもの楽しみを奪わないで下さい。土曜日とか日曜日とかのゆっくり見れる期間帯に変更して下さい、お願いしますm(__)m
2003年10月08日
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火曜日はスイミングの日、金曜日はピアノの日。他の運動はさせていない、サッカーも野球も興味はあるようだが今のところ行かせるつもりはない。体全体をしっかり作る全身運動をさせてあげればいいと思っている。私は「学研教室」を開塾している。以前通ってきていた5年生の双子ちゃんは野球をやっていた。野球のない日が塾の日だった。2人とも体のあちこちに不具合があり、病院通いは欠かせない子ども達であった。特に、整形外科へはよく通っていた。この年齢から故障があちこちに見られて将来はどうなるのであろうか?私は、この子たちを知る前から体がしっかり出来ていない子ども達がある偏った運動をする事には抵抗があった。そのような思いから息子は1年生時からスイミング教室に通わせている。幸か不幸か息子は泳ぐ事が好きで4年間頑張って通っている。通い始めは体が弱かったせいも手伝ってか、よく熱を出し月に1~2回はお休みしたりもした。だが、必ず振り替え教室に通って遅れを取り戻していた。今は、クロール・平泳ぎ・背泳・バタフライを泳ぎこなす。母親は到底真似できない域へ達した。息子を褒めてあげたい、本当に頑張っている。中途半端に終わる事は何事に置いても良くないと思っている。彼のファイトと頑張りとスイミング好きには感心する、と共に何事をもやり遂げる達成感と満足感を是非味わって欲しい。その心地よさや自信を身につけて欲しいと心から思っている。ところで、今日お迎えに行って見学している時の出来事である。ある母親が2人(2歳?・4歳?)の男児を連れて来ていた。私はガラス越しに息子の良く見える位置に座り、小説を読んでいた。その子ども達は保護者のために置いてある数多くの椅子や長いすの上を奇声を上げて走り回っていた、椅子の上に乗ったまま指導員の写真の入った額を狙って靴下を投げたり暴れたりそれはひどいあり様だった。時々、息子の泳ぐ姿を眺めるために身を乗り出していると、その男児は浅く腰掛けて身を乗り出した私の後ろを走って通るのである。本を読んで深く腰掛けていると足元をくぐって歩くのである。他にも見学の保護者はいたが同じ様な思いをしているようであった。私は黙っていたが、いつか母親がきちんと注意し息子達をおとなしく黙らせてお行儀よくしなさいとでも言うと期待していたのだが教室が終わるまで注意らしい注意は殆ど聞かれなかった。保育士もしているので、凄く感じるがこの頃子どもを注意する親が少なくなった。公共の場できちんと出来る躾けは最低限度の保護者の責務ではなかろうか?息子にああ言う態度で過ごさせた事は1度もない。躾けは厳しかった方だし、出かける前に周りの人に迷惑を掛けないようにときちんと「お約束」をさせたものだ。子どもが飽きて暴れるのは分かった事であるから、事前に絵本やお絵かきノートを準備するなどして母親も先を考えて行動すべきであろう。ましてや、彼女は2人の息子に加え教室でプールに入っていたもう1人の男児の母親、つまり3人の男児の母親なのであった。3人も育てていれば子育てはお得意ではないだろうか!もう少し、周りへの配慮・気配り・心配りが・・・欲しかった。
2003年10月07日
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はははっ、今朝お弁当作るのさぼっちゃった!昨日は運動会のお弁当作りで5時起き!前夜も遅くまで下ごしらえや仕込みで頑張った!運動会当日はビデオとデジカメ持って息子を追いかけまくった!帰宅後はお片付けやお洗濯…疲れた!で、今朝は6時半起きで父しか食べないお味噌汁を作った。毎朝、6時に起きてお弁当を作るのだが、今朝は6時起きは止めた!でもってお弁当は「熱がある」と嘘をついてサボった!!(^.^)/~~~私と息子はお味噌汁はなくて全然構わないのだが、父は必ず食べるので仕方なく作っている。私と息子だけなら、シリアルとかトーストとかにコーンスープ・ポタージュ・コンソメスープで済ませるのだが…父1人のために作るお味噌汁を逆にもったいないとさえ思うことがある。今日は、朝から雨ですご~く寒かった。私は寒がりなのでこの寒さがこれからも続くのかと思うと憂鬱になってしう。マジ、真剣にホットカーペットを出すか、ファンヒーターをつけようかとさえ思ったくらいだ。南国とは言え私は寒がりなので何時でも使えるように、ファンヒーターは出しっぱなしにしてあるのだ!(~o~)今夜からはパジャマにくつ下とガウンで寝なくっちゃ!息子は暑いとか言ってお布団から出てしまうので湯たんぽ代わりにはならないし、ワンコは顔の横でお尻を向けて寝るから頼りにはならないし、頼れるのはやっぱり着込む事だよね、ババシャツもお洗濯して準備しとかなくっちゃ!明日は晴れるかな?晴れたら冬物をお洗濯して準備しトコ!今日は運動会の代休で息子はお休みだったが、さっ!明日からは学校、また1人とワンコでお留守番!さびしいなぁ~!(T_T)
2003年10月06日
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今日は、素晴らしい秋晴れで運動会日和だった!息子が入学してからの4年間で初めての晴天となり、思い出に残る1日だった。息子は青団、優勝だった。私がこの小学校に通っていた頃は旭化成が全盛期で全校生徒数は1200名余り、マンモス校と言われていた。団も、赤白青黄とあり、とにかく子どもが溢れていた。今は、テントの中で椅子に座っての待機、応援である。全校生徒数は480人弱、寂しい運動会。子どもの数より、カメラを持つ保護者の数の方が多い!学校の生徒数も寂しいが、市内も寂しい(-_-;)地元百貨店は倒産、ダイエーは撤退、某デパートも本社が倒産のため閉店、あるのは頑張ってる小さなお店やスーパーと独占企業状態のジャスコのみ。某デパートがある頃はその商店街界隈は繁盛していて私も良くワンコを連れて散歩がてら買い物に行った。勤務していた保育所もその商店街の中にあったのでお昼休みはお野菜やお花を買うためによく利用した物だ。ここ数年は殆ど足を向けていない。ところが、その某デパート跡地を地元のスーパー(スーパーと言えるか分かんない位チッコイけど:笑)が買収しそこにお店が出来る事になった。もう、頑張って!って感じですごい嬉しい!少しは活気が出てくるはず!なんてね(^.^)/~~~くうは今日はお留守番だった。私が昼寝をするとすぐに側に来て寝る、私が横になってTVをみてると側に来て寝る、座ると側に来て座る、共通するのは必ず私の体に自分の体のどこかをくっつけている事。寂しがりやさんなのかなぁ~(*^_^*)吠えなきゃ申し分のない犬なんだけど、無駄吠えは治んないし、複雑(-_-;)私が入院してる時、くうを息子の同級生のお家に預かってもらったことは書いたが、その同級生のお祖父ちゃんお祖母ちゃんもくうを可愛がって下さったらしく、今日の運動会で初めてお会いした。可愛がって頂いたお礼を言ったら、また連れてきて下さいとお願いされてしまった。以前可愛がっていた犬に良く似ているのだそうだ。また、行こうね!くうちゃん!
2003年10月05日
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友達がある程度のお料理は今夜作っといて、明日の朝「チン」したらいいのに、と教えてくれたのでそうする事にした。チキンスティックと豚唐ときんぴらごぼうとサツマイモのはちみつ煮とエビボイルは作った。あと、チーズと細ソーセージの餃子の皮包みは明日揚げるだけにした。ウインナー(赤いのがいいんだよね!)は切り目を入れて明日焼くだけ。玉子焼きに入れる大葉とカニカマは買ってるから明日玉子焼きに巻き込むだけ。こんなもんなんだけどよそのお家のお弁当はどうなのかな?気になるなぁ~、昨年は雨でお昼時に大移動があったからお弁当どころじゃなかったんだよね。ふぅ~、何だか品数が足りない気がする。きゅうりとにんじんのスティックとパセリとトマトとチェリーは色さしに入れるとして、準備は終わったし。お魚がないんだ!あっ、塩さば買おうって思ってたんだ!忘れた!缶詰のストックで活用できる物はないかな?探してみよう!コーンがあったから、あれ入れても明るくなるね?今日、午後から整理してなかったビデオをダビングしてたら5時間もかかってしまった。最初、ダビングが出来なくてすっごいもたついて、やっと「な~んだ!」って初歩的なミスに気付いてそれから始めたから5時間!でも、息子がちっちゃくて可愛かったのを再認識!この頃、母は疲れてて息子をないがしろにしてなかったか!母は息子が生まれてきてくれた事をとても感謝してるのに、粗末にしていないか!母は反省したよ!ごめんね、生まれてきてくれてありがとう、お母さん頑張っていいお母さんになるからね!怒ってばかりでごめんねm(__)m今日は算数100点!国語は2枚とも100点!頑張ってきたね!偉いよ!さすがぁ~お母さんの息子だ!その調子で明日の運動会も頑張って!1等賞でなくていいから、楽しんで走っておいで!美味しいお弁当作ってあげるからね!お昼お楽しみに(~o~)¥ところで、お祖母ちゃんはキャンセルして来た。
2003年10月04日
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先月の21日に行って来たばかり…ハンドパワーの講演会。それが今夜の「ニュースの森」で取り上げられていた。私も疑問だったジュースの味が変わるってパワー、雲が消えるってパワー、末期がんが治ると言うパワー、その他の病気が治ると言うパワー、50年間聞こえなかった耳が聞こえるようになったと言うパワー、とにかく信じがたい体験談ばかりを聞かされた。実際、会場でパワーを送り込まれたジュースを飲んだが、味は変わっていなかった。きっと集団催眠のような効果があったのであろう。空を見上げてずっと眺めた事のある人は解ると思うが、雲は形を変えたり、消えたりしながら風に流されていくのだ。じっと待っていれば雲は自然に消えて行くのだ。以前、ぼんやりと空を見ていて雲って少しずつ消えながら流れていくんだなぁ~と思った私は、何故、手をかざして雲が消えると言う話を驚きをもって信じるのか理解出来なかった。それって、自然現象なのに…来週、今夜の続編が放送される、楽しみである。昨夜の続き…元夫の母親が息子の運動会に来ると言う。私が再婚でもしたら、こう言う機会は作れないのだからいいのかもしれない。息子も、お祖母ちゃんが来ると分かって徒競走を頑張ると張り切っている。息子にとっても、精神衛生上いい効果となるであろう。ただ、再び息子が傷つかないような配慮をお互い持つ事を彼女と約束はしたい。息子が10ヶ月で別居、2歳で離婚。その後5歳の時、復縁の申し出があったが性格は変わらないと言うのが分かり結局止めにした。彼のDVが原因で離婚したので、再発が怖かった。復縁の申し出があった際、生後始めて息子は父親の存在を知り父親を求め父親に慣れて行った。それが、復縁の話しが壊れ親の勝手で再度会うことが出来なくなった。息子は保育園の年中さんだったが、父親に会えなくなった事がすごいストレスだったのであろう円形脱毛症になってしまったのだ。私は息子が小学校1年の時、円形脱毛が治らない事を深く悩み父親に相談するため思い切って℡をしてみた。彼は私の相談を聞いた後で「再婚の相手が嫌がるから連絡はもうしないで欲しい」そう言って息子の事には触れようとしなかった。息子は父親に捨てられてしまった形になってしまった。今回、お祖母ちゃんと会う事で、再度息子が傷つく事がないようにしなくてはならないと心から思っている。
2003年10月03日
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先週末、何気なく息子に「お祖母ちゃんにお電話してみる?」と尋ねてみた。もちろん、私の母は亡くなっているので元夫の母親にである。すると彼は首をかしげてどうしようかな~と言った。先月、1度℡をしたのだが留守だったのである。彼は5年以上お祖母ちゃんに会っていない。それもあってか躊躇したのかもしれない。「お母さんとお祖母ちゃんは関係ないけどあなたにとってはたった1人きりのお祖母ちゃんなんだから遠慮なんかしなくていいのに…声だけ聞いてみてもいいんじゃない?」と言う私に、息子が思いもよらない言葉を口にした。「でも、会えないわけでしょ?声聞いたら切なくなるよ」と言うのである、わずか10歳の息子がである。私は胸が痛くなった、10歳の男の子が「切ない」なんて単語を使うほど小さい胸を痛めていたのか。もっと早くに気付いてあげるべきだったのかもしれない。℡でお互い連絡を取っていれば彼が1人で会いにいける年齢を迎えればお祖母ちゃんに会う事は現実のものとなるはずである。思い切って電話してみた。息子が名乗っている、唐突だったせいか孫からだと言う事が、なかなか伝わらないようであった。しかし、突然息子の顔が明るくなった、孫からだと理解したようだった。息子はニコニコしながら5年ぶりにお祖母ちゃんとの会話を楽しんでいた。息子が「お母さんに代わってだって」と受話器を差し出した。私は迷ったが受話器を取った。彼女は私にねぎらいの言葉をかけ、孫の声が優しくて女の子の声に聞こえ誰だか分からなかったと言った。彼女は孫に会いに行っても良いかと尋ねた。私は「はい、どうぞ、ですがこの事はあなたの息子さんには黙っていてください。」と言った。何故なら、彼女の息子(私の息子の父親:私の元夫)の再婚相手が息子(私の息子)と会うのを嫌がっているので連絡はしないで欲しいと連絡が昔あったのである。夫婦は離婚すれば他人だが、親子関係は切れないのに、もう息子とは会わないと約束をさせるような女性と再婚する元夫の人間の小ささ、懐の狭さを改めて感じた連絡であった。ちなみに、別居中・離婚後息子のお誕生日もクリスマスも1度もプレゼントは届いた事はない。つまり、息子は父親から生まれてから1度も愛情もプレゼントももらった事がないのである。息子の記憶の中には愛情のひとかけらすら注いでもらった記憶はないのである。しかし、お祖母ちゃんは息子にとっては別の存在なのかもしれないと私は実母が亡くなって3年経ち、始めて気付いた。私の都合で、息子はお祖母ちゃんの存在すら否定して生きてきたのである。これからは、好きなときにお祖母ちゃんと連絡を取り合って欲しいと思っている。息子のあの明るい笑顔を何度も見たい、その笑顔は私にとっても最高の幸せと言う贈り物である。ごめんね、お母さんが間違っていたね。
2003年10月02日
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午後から眠くなったので、横になったら起きれなくなってしまった。何もしないのに疲れている。出かけようと思ってお化粧したのに結局眠ってしまっていた。肌寒くなってきて、昨日綿毛布と敷き布団を出した。これまでは薄手の敷き布団に寝ていたのだが明け方冷え込んで眠れないことがあったので昨日、日に干した。昨夜は普通の敷き布団に綿毛布・アクリル毛布・羽毛布団を着て寝た。日に干しておいたのですっごい暖かかった!幸せ!今日も干したのできっとホッカホッカのはず!くうは明け方必ず私の布団に入ってくる。しかし、いつもお尻を私の顔のほうに向けて寝る。何でかなぁ~!
2003年10月01日
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