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EU圏のギリシャでは、自国の債権カットを喜ぶよりも、反感が吹き出している。自分の国の借金を「徳政令よろしく」減らして貰うのだから、借金国は感謝するはずであり、むしろ、債権国が踏み倒しを怒る、のが普通である。債権国側では、いやしくも、国が支払い義務を確約した国債であるから、支払うものであると固く信じて購入している。とくに、EU圏に加入できる国であるから、その国もさることながら、EU圏が保証したも同然の立派な国であるに違いない、という認識であったに違いない。本来は、EU圏に加入する時点で、EU圏が一つの国のように、財政を統一して行い、債権債務を圏として責任を持って対外的に当たらなくてはならないくらいの覚悟で加盟を認めるべきではなかったか。今回、ギリシャ側では加入したので、きっと、EU圏が「救ってくれる」と思っていたのではあるまいか。簡単に50%の債権を切り捨てるというEU圏の行動は、ギリシャ国民のSOSとは違った回答であろう。海でおぼれかけている人に、救助ボートや浮き輪を投げるのではなく、違ったもの(発泡スチロールなどのような遠くに飛ばない、耐久力のないもの)を投げているように見える。ギリシャ国民には再生に必要な改革案をきちんと示し、守るべき事は守らせて、EU圏としての財政支援や、ギリシャ国債の肩代わり(新EU債の発行・乗換、ギリシャ政府からの超長期返済条件確約、極端だが、世界遺産租借権・貿易港湾租借権担保など)を行うのが筋ではなかったかと思う。今頃になって、フランス大統領は加盟を認めるべきではなかったと言っているが、嘘を言うギリシャ政府も悪いが、管理者・EU圏がきちんと調べないと、圏外では全く解らないことなのである。今後は、EU圏が纏まるためにも、ポンド圏のイギリスなどは除いても、圏外に対する債権債務は圏として責任を持つような協定を結んで欲しいと思う。通貨の流通だけが共通という現在の仕組みでは、国ごとにバラバラな無責任政府の運営となってしまうのではないかと思う。国ごとが、自国民みんなの幸福のために国策を遂行するのは当然だが、他国民を犠牲にした幸福は国際社会では通用しないであろう。日本の財政赤字累積が膨張して世界から顰蹙を買っているが、国民貯蓄や対外純資産はあるのだから、何らかの方法で、-を+で置換する工夫をすればよい。円高のメリットを受けて政府・日銀(またはその代行者)が大量の資源(原油・レアメタルなど)をこの際に大量備蓄して、その資金を民間貯蓄からの投資で賄うようなシステム(利率を高めに政府が保証する)をつくり、資源を民間投資者に供給・販売(還元)することも行ったらいいのではないか。要するに、上記の大量資源輸入については、「個人の輸入代行」の代わりに、政府・日銀が、大々的に行うことで、その資金を「貯蓄」から「投資」に振り替えさせる工夫である。「貯蓄者」は、日銀のゼロ金利という、足かせに苦しんでおり、投資先を失っており、日本政府が保証する安全な備蓄債であれば安心して「投資」するに違いない。外国投資家に悪用させないように、備蓄債の購入には、日本の郵便貯金や銀行預金からと限定すればよい。民業圧迫ばかり言っていると、折角のメリットを外国に持ち去られる憂き目に遭うのは当然であり、逆の国賊である。脳幹梗塞なのでこの程度しか考えられないが、もっとよい方法を外遊から帰国した優秀な教授達は考えてくれるだろう。小生は、身内(義父)の容態が悪く、しばらくは高知市に帰省し、多忙となるので、当分、日記は休むこととする。家内は今、ヨーロッパ(ポルトガル)にいるが、明朝には帰国の予定である。とても、気になっていること1つある。東北大震災のガレキの中間処理施設ばかり言っているが、袋詰めのままでなくて、耐火煉瓦などの固形耐久物体に処理・加工することで、防潮堤などの地下深く埋め込む方法(地中の増量剤)などが何故考えられないのか、理解に苦しむ。「よそに持っていって貰いたい」は、JOKERと同じ扱いであり、何の解決にもならない。どこかの島国の無人島を購入しておくことを考えても、いずれは、その地域の自然破壊になる。もっと、日本人らしい、工業的な解決策を、「日本の賢人達」は30年掛けてでも見いだして貰いたい。
Oct 31, 2011
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今朝は、5時半起きで、準備して6時50分から始まる早朝テニスに出かけた。15分間のコート周りを含めての清掃活動の後に、いつもは「1番コート:上級組」、「2番コート:中級組」、「3番コート:初級組(コーチ付き)」と3面に分かれるのが、今日は「交流日」でごちゃ混ぜになる。小生は、1番コート、問題児は3番コートにわかれた。先日、統括コーチが不幸にして癌で病死されたので、現在はコーチが2名(正コーチA、臨時コーチB)となってしまった。早稲田の名監督の名言を背中にプリントした練習着を身につけた、正コーチは、近くの中学校のコーチを兼任しているためか、最近休んでいて、今朝は、声が大きい、馬力のある臨時コーチだけである。問題児のいる第3コートを遠くから眺めると、臨時コーチと、最も巧い選手数人が3番コートで威勢良く動き回っている。これだけ巧いのが第3コートに集まったから、問題児も自分の未熟さを認める、いい機会になるだろう、と思った。小生のコートは、女性の最強選手(ハードヒッター)がいるが、上級選手は2名のみで、会長と小生が高齢者として動きが今一であるほか、それほどの変わり映えはしない。2~3年前には、小生も上級組で練習していたので、おなじみの顔立ちである。ラリーの練習が始まった。今日の練習は、コート内の上級者の指導なので、いきなりショートラリー抜きで始まった。準備運動無しに近いので、そのせいか、今も右ひじが少し痛い。少し経って、息せき切って臨時コーチが第一コートに現れた。「問題児がコートの周りに立ったままで、練習に参加しないので、第一コートで引き取るように」、という指示である。第一コートのみんなは、今日は交流日なので、初心者でも参加させてやればいいと言う意見だが、仕方がないので、本来は第一コートの指導者のひとりが、問題児との「交換トレード」となった。問題児に聞くと、いつもなら、場所取りに積極なのだが、「あまりにレベルが違うので、見とれてしまった」という。つまりは、自分がでるのが気後れするぐらいに、スピードと回転を使う選手が多くて、出る幕がないのである。初級者でも、問題児に比べて格段に巧くて、本来、問題児は加入する前に、テニススクールに行くなりして、勉強すべきなのに、まったくその意志がなくて、壁打ち練習板の前で初心者にラケットの握り方を習っただけという豪傑なのだ。要するに、自分が野球をやっているので、同じ球だから楽しく処理できるはず、と思っている。第一コートでは彼を仕方なく受け入れた。試合の段になって、いつもは第3コートでは行わない「タイ・ブレーク」方式が今日は採用されたこともあるが、カウントの仕方をしきりと「No.1女性」に聞いている。「No.1女性」は以前にも、小生が「ラケットの張替」に訪れたテニススクールで一生懸命に練習していたのを見かけたが、それだけ熱心な練習生である。彼女は、「あなたはテニススクールに行った方がいい」と仕切りに薦めているようであるが、問題児は耳が遠いこともあり、平行線のままで終わったようだった。なんとか練習を終えて、シャワー室に入ると、執行役員にあたる部員がいて、「今、問題児のことで揉めていて、間もなくシーズンオフとなるから、今年は我慢するが、このままであると早朝クラブの運営に支障が出るので、来年は入部を断るつもりである。あなたから、来年までにテニススクールに行って水準を上げてくるなどの本人努力が認められるような実績を積むようにいってくれないか。」という。シャワー室をでたら、会長も心配した顔で待っていてくれた。会長との話で、次回は第2コートで、会長と執行役員部員が、問題児と立ち会い練習を行い、現在の習熟程度を見極めて、もう一度、問題児に自覚を促そう、ということになった。会長も、執行役員も直接に問題児を指導したことがないので、彼の行動ぶりを再評価してもらい、問題児の行動基準を決めて貰うしかないと思う。決して、集団いじめではなく、早朝クラブの入部資格の「ラリーが出来ること」という最低条件に抵触して入部した問題児が、少しは上達したとは言え、自分でテニスを学ぶ意志がないなら、これは致し方がないことなのである。小生と彼が所属する、地域振興テニスクラブでは、地域住民の健康維持という目的もあるので、問題児のテニススクールに行かない自己流の行動は甘んじて受け入れている。しかし、本人が、自覚してテニススクールに行くとか、ルールブックを勉強することなしには、早朝クラブでは受け入れを拒否されるであろう。またまた、来週は気が重いことになりそうである。
Oct 30, 2011
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つまらないことであるが、自分の気持の整理として日記する。またまた、初心者部門で問題児が問題を起こした。わずかの不注意なのだが、以前からの積み重なる不満が皆から噴き出したのである。以前は、女性陣は問題児とのラリーなどの練習を嫌い、問題児が相手に出たときは、女性達はラリーの相手には出ようとせずに、問題児はコートで立ちつくさざるをえなかった。彼を迎え入れたという責任と、初心者の練習責任者(コーチではない)としての小生に、問題児の相手をさせようという皆の魂胆が丸見えであった。小生達の早朝クラブは、テニス教室ではなく親睦のクラブであり、入部には「ラリーが出来ること」が最低条件である。小生と彼が入っている地域振興テニスクラブで、脳幹梗塞前は小生も初心者コーチをしていた関係から彼を知っており、他の真面目な4人を早朝クラブに紹介した経緯がある。彼がそれを知って、自分も入れてもらいたいと、言ってきた。もちろん、他の4人は若いときにテニスの経験があり、ラリーも充分できる仲間である。ちょうどその頃、市のテニス教室が開催される予定があり、問題児も参加する意志があるとのことだったので、それで何とかなるだろうと思っていた。しかし、そのテニス教室を突然、仕事が理由(?)で理事長に不参加を申し出ていた。小生などは、自分の水準を保つために毎年、初心者教室を受けている。仲間から不要だと言われても、脳幹梗塞を理由にして、続けさせて貰っている。教室の先生も、自分の水準を高めるためにも良いことだと言って受け入れてくれる。問題児の彼とは、今日は1時間もの立ち話となってしまった。彼の言い分は、「自分はもう70歳なので、今更、基礎から勉強してからコートに立っていては人生の時間がない。自分は野球をやっていたので、テニスはやっていれば楽しむくらいは十分出来るはずである。(まったく、基礎も出来ていないので狙われると返せない球がある。)自分が楽しいのであるから、なんで他人から文句を言われることがあるだろうか。人の楽しみを奪うようなことを言うのは、その人の成長を阻害するようなものに等しく、市民というクラブにはそぐわない話である。ただ、入って最初の頃に、女性達が敬遠していたことは知っていた。おかげで、いまは巧くなっていると思う。(基礎を知らないので、決して巧くはない。ただ、なんとか返球しているだけである。力はあるので、ときどき、決まることはあるだけ。)今日は、太陽が眩しくて、やっていられないと、大声で確かに言った。また、ラリーの順番で迷ったが、いつものくせで、一番先に自分が場所を取ってしまい、女性がいやな顔をして譲ってくれたようだが、あれで良かったのかとは思った。皆が球を拾っている時、ネット際に溜まっている球をたくさん撥ねてしまい、作業を妨げたのは、野球と同じように思ってやってしまった。(彼はなんでも野球を理由にするが、小生も中学時代に野球はしたことがあり、彼の言うことが理解不能である。)自分はスライスの巧いAさんみたいになりたい。彼のスライスは魅力的である。(自己流でそれほど巧くはないのだが。)それはそうと、自分の家には銀杏の実がたくさん採れるので、市のテニス協会の理事長に今日プレゼントするが、コーチ(いまは違うのだが彼はそう呼ぶ)も要らないか。」と。これを聞いていると、自分が嫌われている事、練習はしたいこと、仲間には嫌われたら練習が出来なくなること、何とかしたいこと、努力してみたいこと」は問題児にも解りつつあり、前向きの意志が生まれているようである。銀杏の実は要らないが、問題児にも反省の気持ちが芽生えてきているので、もう少し我慢して育成しようと思った。自分は脳幹梗塞なので、いまは、問題児には模範的な姿を見せられないが、皆の練習熱心さと、技量の躍進を目の当たりにして、問題児が少しずつ成長していることは間違いないと信じよう。明日は、月に1回だけのコート三面の交流日であり、上級から初級までの合同練習であるから、自分の技量の未熟さがはっきり解るので、もっと反省するだろう。時間だけが解決する問題児の成長を気長に見守ろう。
Oct 29, 2011
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EUの首脳会議で決まったことであるが、民間銀行が持つギリシャ国債の50%ヘアーカットで、わずか全体の1%の日本14億ドルが対象となった。読売新聞は日本の負担はほとんど無いと言っているが、わずか14億ドルといっても少ない金ではない。先日述べた、ギリシャ政府および鉄道公団へのサムライ債権(円建て)は1,087億円と、上記とは別にあり、具体的なヘアーカットの対象としては明示されていない。明示されていないと言うだけで、危ない債権であることには間違いなくなった。日銀は、円高対策で一生懸命であるが、どうせやるなら、このようなギリシャ債権を、持つていて困っている日本の投資家から買い取ってもらえないのか。安心できる国債という銀行の勧めで買ったギリシャ国債であろう。ユーロ建てのギリシャ国債14億ドル、サムライ債権1,087億円を「買いオペレーション」として処理すべきではないだろうか。なぜなら、これにより、死蔵化した債権が生き返り、ギリシャおよび自国民を助けることになるからである。どのように考えても、ギリシャが国を挙げての再建策を考えて行動しているようには見えず、再建が軌道に乗るには、とてつもなく長い時間が必要であろう。下記のWEBの記事からも、ギリシャの再建はほど遠い。国として日本がギリシャを救うのなら、まずは、日銀がギリシャ国債を持つ自国民の保有する分を買い付ければいいのではないか。いやな人は日銀に売らなければいいが、だれも持ちたくないはずである。円高で失う利益を考えれば、ギリシャ国債の日銀買いオペレーションで失う方がバランスは取れると思う。とにかく、国の信用を国々が相互に認めるのは良いことではあるが、一国民の負担を他国民に押しつけるような政府間の取り決めは、政府の責任で処理すべきと考える。ギリシャ国債の所有者は証券業協会などで、すでに判明しているはずであろう。WEBの記事:【アテネ】欧州連合(EU)の首脳陣は、ギリシャを破綻から、ユーロ加盟17カ国を危機深化から救う策で合意したと誇らしげだ。しかし、ギリシャ人の大半に安堵感はない。 銀行はギリシャ国債の50%を自主的に償却することになったが、日常的なストや失業者の増加でまひしたこの国が活気を取り戻すには至っていない。 金融市場は反発したが、ギリシャ人の多くは合意が時間稼ぎであり、国のデフォルトは避けられず、自国の目に見える回復は数年先だとみている。 49歳の書店経営者は「負担するのは大手銀行であって国民ではない、パパンドレウ首相は交渉に成功した、債務が半分消えるのだから新たなページをめくることになる、などとふざけたことを言っているのは誰だ」と訴えた。店の売り上げが70%も落ち込み賃貸料が払えないため、17年借りている店舗を追い出されそうだといい、「子どもが2人いる。どうすればいいのか」と困惑している。 若年層の失業率が40%を上回り、店舗の4つに1つが廃業し閉鎖されたアテネは、ブリュッセルにただよう勝利感とは全く無縁だ。先週は中心部で緊縮策に抗議するデモが発生した。 月謝を払えない親が多く生徒が3人に減った56歳のピアノ教師は「ギリシャ人であることが恥ずかしい。はらわたが煮えくり返っている。この国はいったいどんな国なのか。EU加盟国ではない」と怒りをぶちまけた。
Oct 28, 2011
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小生は、脳幹梗塞になって1年少し経つが、なんとかテニスを続けている。 ウィーク・デイ中心の市民のテニスなので、ご婦人方と老人が多い。 組合せは、乱数表で組むのだが、昨日は、ある婦人の方と組む表示がでた。その婦人から、小生と組みたくないと言われた。 組合せを変えると次の組合せにも影響するので本来はしてはならないが、市民テニスの試合なので、4人で相談することとなった。 その婦人と小生が別れて、婦人の方にはすこしだけ上手な選手が付いて試合は始まった。 その婦人は、良く足を怪我するらしくて、もう何回も足の大手術をしている。 半年間もテニスが出来ずに、口だけでもテニスをしたくて、良くコートに来ていた。 だから、テニスが大好きであり、テニスのフォームも綺麗さを売り物にしている。 勝つのが好きで、負けると大変である。 着る物にも気を遣い、コートに来る婦人メンバー達のために新着のウエアを格安で紹介してくれる、いい意味での「お節介や」でもある。 そんな彼女だけに、言い分は、「小生と組むと負けるのは確実であるからやりたくない」、というもので、実にはっきりしている。 しかし、その理由がふるっている。 小生は、「ロブを多発し、ロブしか攻撃法を持たない」からだ、と彼女は言明する。 たしかに、小生達のレベルの試合では、相手の「オープンスペース」が大きく、「ロブ」や「ストレート」攻撃が有効であるように思う。 脳幹梗塞になる前なら、かなり確実に球のコントロールが旨く行ったが、現在は右手・右足が痺れ気味で、良く注意しないと狙った方向から、左・右に少しずれて球が飛ぶようである。 ラケットのインパクト面がかなりずれるので、相手がロブを打ちやすい球になることが多い。 試合は、特に、彼女が嫌うロブを躊躇したのではないが、小生の球が浮いて、彼女がスマッシュで決めて終わった。 結果は上等である。 気持ちよさそうに引き上げる彼女を見送ったのだった。 小生は、少しは回復しているが、厳暑、厳冬には無理しないように、医者には注意されている。 無理しない方がいいのだ。 だから、4時間の練習でも、最後の1時間は止めている。 パソコンの前でじっとしていると、立ち上がったとき、腰や膝がガクガクに固まるような気がする。 右手に力を入れるのも、左手に同時に力を入れないと力が入らない。 太極拳の練習でも、片足立ちが旨くできないくらいにゴチゴチに固まっている。 しかし、友人達は、「以前と変わらないね」、「見ても判らないよ」と言ってくれる。 「裸の王様」のように、小生を庇ってくれている、のかもしれない。 小生としては、以前よりも、基本に忠実に体を使っていても、このような有様である。 件の彼女が正直に言うのが、自分の実態かも知れない。 ただ、もうダメだったと思っていたのだが、なんとかテニスがつづけられるのは有り難いことだとおもい、努力しよう。 件の彼女も、半年間のブランクの後に、走力は付いていなくとも、手の届く範囲の動きは、「見ても綺麗な動き」に変わってきたのだから。 とても彼女には、自分の姿勢制御や勝負以外のことなど考える余裕はないから、今回の組合せ変更の申し出などは、小生が気にしてはいけない、のである。 明日も市民の練習がある。 継続することに意義があるように、自分のリハビリを中心にして、無理をしないで、体力の回復を心がけたい。 「攻撃的テニス」を心がけてみよう。 体の動きが鈍くなっているので、相手には球の方向が予測しやすくなっていること、に充分注意して、努力してみようと思う。攻撃はできるが、逆にロブを上げられたり、ドロップショットをやられる事も考えて、配球を工夫しよう。体が動かなくなった方が、失敗や成功の面白さがわかるようになったことでありがたい。
Oct 27, 2011
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今日は、まだ、EU首脳会議の前日で明日の朝にならないと、なにも現れていない。読売新聞では、経済面に、「独が伊・スペインに財政再建の圧力」という見出しで、欧州主要国と日本の「財政赤字/GDP %」、「債務残高/GDP %」を公表(11年度末見込み)している。日本(10.5%;189.0%)、ギリシャ(10.6%、144.9%)、イタリア(4.6%、118.4%)、スペイン(9.3%、61.0%)、アイルランド(31.3%、94.9%)、ポルトガル(9.8%、93.3%)などである。(%)の分母が各国のGDPなので、実数でないとぴんと来ない。債務残高では、ギリシャ3,293億ユーロ、イタリア1兆8,428億ユーロ、スペイン6,418億ユーロで、日本は894兆円(本日換算8兆4563億ユーロ)である。 さて、比較という言葉を使うときに、債務だけでAさん、Bさんを比較するだろうか。「Aさんは資産家」というが、負債家とは言わないように、資産と負債を斟酌して、つまり、「純資産」を計算して、あの人は資産家なのか、借金まみれという判断をする。財務省の公表している、「本邦対外純資産」(2010年末現在)を見てみよう。251.5兆円(=資産合計563.5―負債312.0)であり、内訳は公的部門46.4兆円、民間部門205.1兆円で、民間のうち銀行部門は45.7兆円である。つまり、日本は、国民の預け金を含めると、ほとんどが国民の所有に属する預金(貯金)である。また、日本の外貨準備高(すぐに使える金)は1兆962億ドルである。 「純資産概念」で比較した資料がWEBにあるが、2008年末(*印はその前年)の数字(単位は兆円)である。日本(225.5兆円)、中国(137.8)、ドイツ(82.4),スイス(55.9),香港(*55.1),フランス(*42.7),カナダ(1.0),イギリス(ー8.8),ロシア(*ー14.5),イタリア(ー25.7),アメリカ(*ー278.4) もちろん、資産、負債のなかには、国際的な軍事力などは計上しようがないので、無形の資産は除いての比較となるから、アメリカなどは度外視しておいた方がよいだろう。あまり、真に迫った数字は外交的にも表現しづらいのであろうが、こと、外国からの債務カットという国際的な不義理を国として遂行するには債務の公表と、財務体質の本格的な改善策と、自国民の痛みを伴わなくしては国際的な信用が失墜するのである。ギリシャは簡単に片付けて、イタリアからきっちりやりたいなどと、あいまいに扱えるような問題ではないだろうとおもう。 明日からの、賢人達の本格的な采配を見守りたい。
Oct 26, 2011
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日本の債券市場には、外国政府(地方政府を含む)の発行する「(ソブリン・)サムライ債権」と外国企業が発行する「ショーグン債」があるという。これらは、さきのギリシャ債務問題でBISが公表した、国別の公表データ(ドルベース)には含まれているだろうか。23日の読売新聞朝刊3面では各国が保有するルギリシャ向け債権(6月末現在)・・国債保有や民間企業向け融資などをBISが公表したもの、として掲載している・・1,311億ドル(うち日本は14億ドル)である。WEBの報道を拾ってみると、次のような数字が見える。1. 民間投資家のギリシャ国債保有高 : 2,060億ユーロ2. 関連するサムライ債権(円建て外債): 1,087億円日本のソブリン・サムライ債権の残高(2004年3月末) 1兆5932億円BISが公表した日本のギリシャ債権14億ドルは上記のサムライ債権の金額にほぼ近いが、それに含まれているのかが不明である。円建てなので含まれていないかもしれず、なら倍となる。ショーグン債はどうなのか。日本国内は、ゼロ金利政策で誘導されているので、庶民でも仕方なく、円建て外国債をたくさん持っているかも知れない。個人的な保有は保有者の自由意志なのだが、年金などの管理機関が間違って少しでも金利の高い所を狙って、「ソブリン・サムライ債権の残高」に含まれていないかが心配である。もしそうなら、こちらの国の年金が50%カットされて、ギリシャの年金は変わらず支給されるのは、なにか釈然としないように思われるからである。このように考えると、ギリシャ国は債務カットを願うのなら、自分でも身を削ってでも、国を挙げての改革を遂行するしかないのではないかと思う。デモで国を麻痺させるよりも、自分たちの生き方を考え直すべきではないのだろうか。ローマの哲学者「キケロ」も言っている。「人の失敗について口を出す必要はない。ただし、他人が悪いことをしようとしている時に黙っていてはいけない。」古代の地中海の栄光をかさに、ヨーロッパという、仕切り人に管財人の役を押しつけ、他国民を不幸に陥らせるのは、キケロでも許せないはずである。「もし人がこの世界から、人間を結合している親切のきずなをたち切ってしまうならば、どんな家も、どんな都市も存続することは出来ない。」
Oct 25, 2011
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ギリシャ、ローマというと地中海世界を風靡した古代文化の担い手国である。そのギリシャが財政的危機というと、なにかヨーロッパ全体が危機であるかの錯覚を受けるのは、小生の知識が浅いのだろう。地中海世界がイスラムの包囲により沈滞し、おりしも、気候変動によりゲルマン民族の西方への大移動でヨーロッパ地域が大混乱の暗黒時代に入って、カオスの中から「ヨーロッパ世界」が誕生したのである(アンリ・ピレンヌの説によれば)。古代ギリシャ、ローマの世界は、いまなお、文化・芸術・遺跡として存在しても、政治・経済の中では、消えているのだろうか。古代ギリシャは、ポリス(都市)が競い合っていたので、ギリシャ全体の概念よりも、アテネ、コリントス、テーバイ、スパルタなどの都市間の同盟や対戦であり、その後に出たアレクサンダー大王も隣国・マケドニア王国であって、ローマ帝国(イタリア・ローマ)や、東ローマ帝国(ビザンツ帝国・コンスタンチノーブル)でも、いわば「辺境地域」としてしか認識されていなかったようである。むしろ、イタリア東部のヴェニスなどの海軍都市が中世では活躍している。また、キリスト教には、ローマ・カトリック教会を中心とする「西方教会」(バチカン)と、ギリシャ・東ローマの伝統を守る「ギリシャ正教」・「東方教会」(コンスタンチノーブル)がある。ギリシャ民族の独立運動は、英仏露の介入により結実し、アドリアノープル条約によって、ギリシャは国として独立した。宗教的にも、「ギリシャ正教」を独立宣言して独自の教会をギリシャの国内に持つ。しかし、「東方教会」そのものは、コンスタンチノーブルにコンスタディヌポリ総主教がいて、「ギリシャ正教」は「アテネ大主教」のまま、という複雑な組織になっている。 ギリシャの国土は、日本の1/3程度の大きさで、そこに、人口1,120万人くらいしか住んでおらず、人口密度は薄い。アテネでオリンピックの開かれた2004年の観光客は16,251千人(日本からは56千人)であった。海運、移民による送金、観光が三大収入源と化している。観光地が多くて、工業化や都市開発が進まないのだろうか。 相互貿易を見ると、日本、ギリシャ双方とも、それぞれの貿易額に占める相手国のシェアは低い。ギリシャはEU15ヶ国のうち、日本の輸出先及び輸入先としては各々第13位及び第14位に位置する。日・ギリシャ間での貿易バランスは日本側の輸出超過である。日本からギリシャへの主要輸出品目は、貨客船(40.3%)、乗用自動車(29.1%)、貨物自動車(4.9%)などである。ギリシャから日本への主要輸出品目は、石油(36.9%)、たばこ(15.3%)、装飾用貴金属(11.1%)などである。政府はエネルギー供給安定化のため、供給源の多様化に努めている。2007年3月には長年の懸案であったブルガス(ブルガリア)-アレクサンドルポリ(ギリシャ)間の石油パイプライン協定が3カ国首脳により署名された。また、天然ガスに関しては、供給先の多角化に向けトルコ・ギリシャ・パイプラインの運用を開始したほか、TGIパイプライン(ギリシャ-トルコ-イタリア)、サウスストリーム・パイプライン(ロシア-ブルガリア-ギリシャ-イタリア)等の計画が進められている。加盟しているEU27国の中の位置づけを見てみよう。EU圏のGDP(2007年)は12兆17百億ユーロであり、その構成はドイツ19.2%、イギリス15.2%、フランス14.3%、イタリア12.3%、スペイン9.2%(以上で70.2%)がずば抜けておおきく、ギリシャは2.0%にすぎない。2008年秋以降の世界的な経済危機の影響を契機にギリシャの経済状況は低迷し、財政赤字の大きさ、低調な経済成長率や高い失業率等が問題視されてきた。パパンドレウ新政権は、前政権が財政赤字を過小評価していたとして、2008年財政赤字が実は7.75%であったことを公表するとともに、2009年財政赤字も12.7%となる見込みである旨表明した。これを受け、市場におけるギリシャ国債の利回りが上昇し、現在は22.7%にも達する等(ポルトガルは10.4%、アイルランドは6.3%)、ギリシャ財政への不安が拡大した。(ドイツ国債の利回りが年2.1%であるのに対してギリシャ国債の募集が如何に困難なのかがわかる。)2011年10月にはEUは域内の銀行が、債務危機に陥ったギリシャの国債を大量に保有していることで、金融不安とならぬように1,000億ユーロの「資本増強」を求める意向を示している。今年6月末現在のギリシャ債務(各国の金融機関がもつ国債保有や民間企業向け融資など)はBISによると、1,311億ドルであり、その保有国が発表されたが、そのうちEU諸国が9割以上(フランス42%、ドイツ16%、イギリス10%、ポルトガル8%、その他24%)で、米国6%、日本1%である。ギリシャの「債務削減」は大筋で合意し、26日には50%カットで、EUは50億ユーロの追加支援を余儀なくされそうだという。「資本増強」「債務削減」とともに、時限設置の欧州金融安定化基金(EFSF。4,400億ユーロ)の後継・「欧州安定メカニズム」(ESM.5,000億ユーロ)の強化がギリシャ危機を救う切り札となっている。この26日には具体的に解決策が明示されるはずである。さて、上記の新聞報道を見ていると、脳梗塞の小生には、「ギリシャ債務1311億ドル」を50%カットなら656億ドル(換算470億ユーロ)であり、「金融機関・追加支援50億ユーロ」の桁が一つ少ないように思える。本当にすべてを50%カットすると考えているのか、50%カットを受け入れる金融機関は1割程度と踏んでいるのか、または、小生の考える方法が違うのか(金融機関の損失の1割を政府が補填するのか)、新聞報道では判らない。新聞報道が、どうもそのような判断を曖昧にしているように感じるのは、脳幹梗塞の小生だけなら良いが、いずれは債務の正体と、対処方法は判るので、ここ数日注意しておこう。日本のこともいろいろ言われるが、日本政府は、国民の貯蓄志向が勝っており、国の債務もあるが、国内貯蓄もある我が国と同じ比較をしてはならないとおもう。ギリシャの基本データ(主に2010年)をWEBから説明する。首都: アテネ(300万人)公用語: ギリシャ語通貨: ユーロ総面積: 131,940km^2(94位/200)人口 : 11,180千人(72位/179)人口密度: 86(人/平方km)(78位/179)実質GDP成長率: -4.35%(182位/183)名目GDP総額A: 3,054億ドル(32位/182)一人あたりの名目GDP: 27,311ドル(30位/179)インフレ率: 5.08%(79位/181)失業率: 12.46%,(今年見通し16.48%)輸出額: 143億ユーロ主輸出品目: 衣料等繊維製品、果実・同加工品、タバコ等、機械類・部品主輸出相手国: ドイツ、イタリア、イギリス、ブルガリア、米国輸入額: 443億ユーロ主輸入品目: 鉱油、機械類、電気機器、船舶等主輸入相手国: ドイツ、イタリア、フランス、ロシア、イギリス主要産業: 海運、観光、農業、軽工業、製鉄、造船財政赤字/GDP比: -2.9%国際収支B: -319億ドル(174位/183)B/A : -10.5%債務残高/GDP: 1.45 倍
Oct 24, 2011
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今週の水曜日にお世話になったテニスのコーチが亡くなったという訃報を聞いた。 昨年、小生が脳幹梗塞で入院したころに、鼻腔癌で入院されていたという。 その後、癌の除去手術や、放射線療法を続けており、全快したとのことで、二回ほどコーチにお出でになったことがある。 鼻を手術した跡は痛々しかったが、体の動きは以前と同じく豪快そのものであり、全快されているとばかり思っていた。 ただ、病気で休んだために、今はお仕事で忙しいだろうとばかり思っていた。 コーチはサーブの練習で、前方のフェンスに直撃するような思い切った打法を奨励しており、小生のようなチョマチョマした打ち方を根本的に直して貰ったものである。 ストロークの練習でも、すべての球をフォアで処理させられたり、すべてバックで処理させられた。 とにかく、体の動きを俊敏にして、球を追いかけることを鍛えられた。 小生は、自分ではバックが打ちやすいと思っていたが、彼から見ると、「フォアはまあまあだが、バックがとてもまずい」そうである。 プロの目から見ると弱点がよく見えるのである。 サーブ&ボレーの特訓もあったし、スマッシュの練習が一番厳しかった。 彼のスマッシュは豪快そのもので、二列の練習では、受けるのはとてもできなくて、体に当たりそうで逃げるのにも大変であった。 小生が通う早朝テニスでは、数人の優秀なコーチがいるが、筆頭コーチを、元・大学のテニス部の主将である彼に依存していた。 練習生達は、豪快かつ高速スピードで球が重い、彼のテニスに憧れて会員になったものが多い。 3面のコートを次々と見回りに来るのを楽しみにしていたのだが、これからは、もう、あの豪快なテニスは見られないのである。 いまは、安らかにお休みになり、われわれ残された者達の早朝テニス練習が少しでも健康と長生きに役立つように、見守っていただきたいと思う次第である。 今朝は、亡きコーチの思い出の趣旨として、コーチの大好きだったスマッシュの球出しを手伝ったので、今はグッタリしている。
Oct 23, 2011
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昨日は、リビアのカダフィ独裁長期(42年間の最長であった)政権が崩壊したというニュースが新聞の一面をほぼ埋めている。まだ、生存中と思われる、拘束されたばかりのカダフィ氏が映っていて、拘束後に頭を打たれて死亡か、と掲載されているのだから、間違いなく死亡したのだろう。彼の生い立ちは、中部のシルテ生まれ、遊牧民・ベドウィン出身で、陸軍士官学校出の大尉の時に、青年将校団を率いて、トルコで療養中の国王を無血クーデターで追放して、軍事政権を樹立、反帝国主義を掲げて、石油資本の国有化などを行った。豊富な石油資源による外貨収入を背景に、側近を親族で固めて、反対派を粛清した。パレスチナ過激派を公然として支援し、米パンナム機爆破事件にも関わり、米軍・NATOから反感を買い、米国とは一時和解も見られたが、カダフィ氏の国連会議・対米非難演説で、中・ロ以外の支持を失い、NATO空爆と反カダフィ派部隊の攻撃で劣勢に追いやられていた。中国、ロシアもすでに見放さざるをえない状況にあった。リビアは北アフリカの地中海沿岸諸国の一つであり、古代から、地中海の覇者達(フェニキア、カルタゴ、ギリシャ、ローマ帝国、ヴァンダル、ビザンチン帝国、アラブ系諸国、オスマン・トルコ帝国など)の植民都市として支配を受けた地域である。サブラタ遺跡(トリポリの西65km)、レプティス・マグナ遺跡(トリポリの東130km)、キレーネ遺跡(シルフィウムという絶滅した薬草で繁栄。ギリシャの対岸、リビア東部のベンガジ地方)という古代遺跡があるが、古代には繁栄したものの、地震によってか、衰退して、うち捨てられ砂漠に埋もれたままで発掘されている。現在は、砂漠(サハラ)が大半を占めるこの国は、石油資源が豊富であることが生命線になっている。リビアの反体制蜂起は、隣国チュニジアやエジプトの政変に触発されたものである。リビアの独裁政権からの解放運動は、国民の中から自然に発生したものではないだけに、暫定政府の中でも内紛が起きかねず、また、暫定政府を支持するNATO諸国(英仏など)、米国、および、ロシア・中国なども石油資源を巡った思惑が見え隠れしている。古代から独裁政権が倒れたのをみると、ジュリアス・シーザー(BC100~BC44刺殺)、ナポレオン(1769~1821ヒ素毒殺)、ヒットラー(1889~1945拳銃自殺)、ムッソリーニ(1883~1945銃殺)、サダム・フセイン(1937~2006絞首刑)、チャウシエスク(1918~1989銃殺)、アミン(1925~2003亡命先・多臓器不全)、ポルポト(1928~1998毒殺or服毒自殺)などがあげられるが、いずれも50歳から70歳での死亡であり、独裁者はほとんど殺されるまで元気で長生きしており、生命力は強かった。新聞の報道のように、「アラブの春」が来ればよいが、と願っている。
Oct 22, 2011
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昔、旅行で訪れて楽しんだ、アユタヤの遺跡が水害に遭っているとのことで驚いた。地平線も見えないような、だだっ広い平野が水浸しであるとは、どこに逃げればいいのだろう。北部のチェンマイあたりを上流とするチャオプラヤ川が、バンコックの直ぐ上流のアヤタヤ辺りで氾濫し、日系工業団地の多くが水浸しになり、操業停止状態が続いている。聞けば、上流にはダムがいくつかあるのだが、豪雨で満杯になっており、ダムを解放しているという。ダムは雨期に水を貯めて、渇水期には水を放流して灌漑に役立てるのであるが、予想もしないような豪雨が降って満杯になり、放流しないとダムが危険であるという。ダムの管理として、なぜ、もっと前に放流しておかなかったのだろう。または、ダムが少なくて、管理にも不十分だったのだろうか。 タイの水事情を説明しているWEBからの説明をみると、水稲が主体のこの国として、下流域は灌漑用施設が進んでいるのだが、水源部の上流での森林荒廃が著しいという。国土に占める森林の面積は、1955年に6割あったが、1976年には4割となり、1988年にはわずかに3割弱となっている。不法開墾による森林面積の減少が年率4%ずつ続いている。他方で、上流からの水量が減った分だけ、下流域では塩分を含む海水の遡上(勾配が緩いので100kmも遡上するらしい)が見られており、農業に深刻な打撃を与えていたのである。1980年代から、急激な経済発展に伴う工業用水の需要増大に加えて、年間降雨量の減少が続いたため、今までは、「水不足の深刻な悩み」を抱えていたのである。 そこに、この度の集中豪雨である。一気に逆の現象が発生した。上流の森林は豪雨を貯水できず、泥水はすぐさま流れ出すので、ダムは即座に満杯になる。水不足は一時的に解決されたが、激流は下流を洪水となって襲い、灌漑するよりも作物まで流し去り、道路や住宅や工業団地などすべてを浸してしまう事となったのである。 我が国はどのような援助ができるだろうか。 上流のダムの建設を助力すればいいのだろうか。いや、上流は森林破壊で水を貯水する能力を失いつつある。広大な平野はあるのだが、乾燥した乾期には水は大半が蒸発し、下流までに辿り着く水は少ないという。長い時間がかかるが、まずは、植林事業から始めなければならない。タイ国の水資源保護政策が軌道に乗らなければ、ダム建設などの土木工事・資金援助だけでは無駄になろう。水資源保護政策・教育については先進国の日本が協力できるのではないか。 東北大震災ではタイは援助してくれた恩人でもあり、山田長政以来の友人でもある。また、聞けば、広大な平野を浚渫して、運河を造っているようなので、多様な水の利用・排水方法や遊水池・人工池建設もありそうである。 もっと有効な植林事業や、ダム建設や運河の設計・建設で日本企業がたくさん参加できる雰囲気ができたらいいとおもう。 タイの復興と、日系企業の操業の早期復帰を祈るばかりである。 素人で、呆け状態の小生などよりも、日本には賢人がたくさんいるのだから。
Oct 21, 2011
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たとえば、「高知」や「仙台」は音読みであるが、日本の古語(アイヌ語)ではこれはともに川の流れる谷間を意味する 「かはうち」に由来するという。大阪の河内(かわち)、や広島の河内(こうち)、鹿児島の川内(せんだい)も同義である。 小生の生まれた高知市では、江戸時代には、お城を守るための治水工事の一貫として、荒れ狂う鏡川の水流域では、お城と反対側の堤防を低くしていた。この地域は、急峻な山が街に迫っており、台風などの大雨では水を貯める森林が無く、すぐに鏡川に激流が押し寄せるのであった。 つまりは、そのための緊急時の遊水池として、人の住まない空白の場所を設けていたのである。意に沿わず、近江の国から土佐藩の統治に派遣された、外様殿様一族が、人とはみなさない土着の人々の棲む方角に向けて水を流したと言った方が正確かもしれないのである。現在の高知市内では、この鏡川堤防の両側は同じ高さである。堤防の高さも高くなっている。それだけ、人口が増えて県都に集中し、お城側と、お城と反対側でも同じように民家が増えてしまっているのである。江戸時代には、殿様や上級武士だけを守った堤防は、いまは、両側に住むすべての人を平等に守ってくれている。しかし、自然の脅威は無くなったわけではなく、遊水池が失われてしまったのであるから、大きな水害(台風や高潮、津波など)が来た場合の対策は苦しく、対処は難しい。つまり、人口の集中で遊水池が失われてしまったことの対策が出来ていないようにおもう。今回、東北大震災で、万里の長城ともいわれた「津波防潮堤」が一瞬のうちに壊れ去ったが、津波の大きさが巨大であった事もあるが(地殻変動を伴う巨大地震は想定外ではなく、想定できない大きさなのだ)、あまりにも総花的で全員を守るための防波堤ではなかったのかと思う。むしろ、まもるべき拠点を定めて防波堤をお城のように築き、津波が来たら広大な「遊水池」に海水の勢いを避ける工夫があれば、多少は時間を稼げたかも知れない。 できるだけ高台に住宅(山の上など)を建設することは必要であるが、高い防波堤で囲んだ地域「お城地域」を限定的に造り、堅固な中高層住宅を建設し、防波堤で遮られ、行き場を失った荒波を受け入れる遊水池を造っておくことが必要ではないかと思う。 平地に設置した漁業や工業を担う産業区域には人が住まないように規制して、緊急時には「お城地域」に逃げ込む方策を考えたい。 「お城地域」に逃げ込む手段は、トンネルに門を設置して、たとえば、日立造機が開発中の「陸上設置型フラップゲート式防潮堤」のようなものを、自動開閉門として組み込ませるなど、シンプルな自動化を図ることが望ましい。 停電で使い物にならないように、非常電源を自動閉門のために使えるよう、緊急放送の津波到達時間までに、または、即座にセットできないか。 逃げ遅れた人は、自分で防潮堤に入れるように、高層階段を使用してのぼり、ダッシュボードで滑り降りる工夫も必要であろう。 「お城地域」の中には、緊急離発着が出来るヘリポートや、救助ゴムボート、救急車両、医療施設、緊急物資倉庫なども設置しておけば、より使いやすい。 また、「お城地域」が危なくなれば、さらにより高台に逃げられるような、避難回路(脱走経路)を用意しておくことも大切であろう。土地の嵩上げも必要なのだから、ガレキをよそに持って行かずに、現地で粉砕処理してコンクリートなどで固めて下地に敷き詰めると一挙に片付くであろう。 なにも、東京湾の埋め立てに使って貰うような、無駄遣いをしない方がよいとおもう。東京でも危ないならガレキは受け入れできないし、自分の方がもっと資源はいるのだから。呆けが、考えることはこの程度だから、頭がやわらかい賢人ならもっと良いことを思いつくはずである。 民営化、民営化とあまり叫びすぎて、規制が悪い印象であるが、こと天災のほうでは民営か、公営化の差別はしない。 みんなのための規制が必要なら、東北の地域はいまが最も対策が図られやすい時期にある。 賢人達が集まって、よりよい先例を早く創ってもらいたいものだ。
Oct 20, 2011
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No.16/16やっと、無事に36日にわたる調査が終わり日本に帰ることになった。 家内におみやげとして、この国の宝石の「オパール」を街に買いに出かけたが、「信用のある所」を紹介して貰わないと、今度こそ危ない。 できるだけ形と色のよいものを選び、残った残金を皆はたいて支払った。 ほかの大きなおみやげは、お世話になった陶磁器職人のお宅で買い求めた「鯉の皿鉢の置物」、「綺麗な貝殻を張り付けた錫制のプレート」程度である。 会社関係は数を頼りに買い集めた。 アディオス メヒコ ! である。 帰りの航空機は、メキシコ空港からロスまではメヒカーナ航空、ロスから再びグランドキャニオンの上を飛び、バンクーバーに行って、JALで新東京国際空港(1978年5月20日に竣工した成田国際空港)へ向かった、・・・はず。 実は、日本のどこから飛んで、どこに帰ったのかの記録がない。 「出発は羽田発で、アンカレッジ経由」と書いたが、30年前なので違っているかも知れない。 パスポートは、通常のパスポートではなく、支給された特別のものだったので、帰国と同時に取り上げられたので、手元にないのである。 バンクーバーから「なかなか沈み行かない夕日」を4時間以上も眺めながら、機内サービスをたっぷり受けて眠りについた。 JET機は光速よりも遅いが、それでも時間がなかなか進まないような気がして、年をとるのが遅くなるような、退屈で奇妙な錯覚、を憶えたものだった。 さて、明日から524ページもの分厚い報告書を読み返しながら、資料を中心にして、呆けの頭で振り返ってみようかと思い、100ページ(16回分)はすでに整理済みであるが、著作権の問題はあり、原本はあるのだから、その場所をお知らせした方が良いと考え直した。 詳しくは、下記の原本を参照されたい。メキシコ合衆国工業開発基礎調査-メキシコの工業開発と金属・機械工業 (1981年) 国際開発センター (著) WEBで調べたら、国立国会図書館、大阪府立中央図書館の蔵書にあるので、ぜひご利用願えればとおもう。ただし、市販ではAMAZON でも今は取り扱いしていないようである。 また、今年の今頃、群馬県から金型工業界の方達がメキシコのある州に調査に行っているらしい。 円高で、国内産業の採算が悪化している現状を打開すべく、海外に工場を移転する動きが強まっているようなのだ。 今後は、消極的に国内にいるだけでは産業は縮んでしまうばかりであり、コアとなる最先端技術の研究・実装は国内で行い、汎用的な技術の産業化は海外で行う、グローバルな企業戦略をとっていくべき時代を迎えたのだろう。
Oct 19, 2011
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Prolog 15/16「親しい日墨関係」とアンケート調査 日本(日)とメキシコ(墨)は、江戸時代初期から友好な関係があった。 1609年7月に、スペイン領であったフィリッピン・マニラからメキシコ・アカプルコに向かっていた帆船3隻のうち、サン・フランシスコ号(千トン)が千葉県御宿の沖で台風のため座礁し、大半の人が救助され、フィリッピン臨時総督ドン・ロドリコは徳川家康(駿府城)、将軍秀忠(江戸城)に面会している。 この返礼として、スペイン国王フェリーペ三世は、1611年に、浦賀港にスペイン極東艦隊の船で、ビスカイノを使節として送ったが、幕府のキリシタン弾圧政策により、オランダ以外の接触を断られ、彼は、支倉常長使節団の船に乗り、1613年にメキシコに帰国している。 親善国交こそ叶わなかったが、メキシコではこの難破事故での日本の親切を大変感謝している。 難破船乗組員426人のうち、370人が救助されて、日本人に手厚くもてなされており、その中にはメキシコ人も大勢いたのだろう。 日本人は、この難破事故以来メキシコ人から親愛なる民族と信じられ、日墨関係は堅いのである。 話は異なるが、日露大戦でロシアを破った日本に、好意を持っているトルコ民族(ロシアに支配されていた)とは、また違った直接の親愛の情である。 レオン洲では、親日家の社長の工場を訪問した後で、豪邸に招待された。 社長は、自動車部品製造業者であり、ロデイオ(騎馬ショー)兼レストラン経営者でもある。 当国No.1の騎手を抱えており、ショーをみせてくれ、従業員達との食事会も催してくれた。 また、グアナファトでは、女子大学生達と懇談会をもつことができたが、それは小生達の中に、南米研究の第一人者の先生がいたからであった。 どこにいっても、小生達の日本人調査団を親切に受け入れてくれた。 話は変わるが、日本国内では、企業からは、融資先でもあり、審査で既にかなりの情報は入手してあるので、正確な答えを「アンケート」でも期待できた。 その延長で、この国にも、勇んで、大量のアンケートを準備し持参したのであるが、この国では、言葉の壁もあるが、折角作成した「アンケート」にはあまり回答が無く、また、どこまで「アンケート」で本当のことを言っているのかも、見当がつかず、一緒に行ったお偉方(その分野の、日本の第一人者)の「現場視察での見識」を信用するしかない、のが実情で、小生達のアンケート整理の出番は少なくて残念だった。 通訳を通して、すべてをメモしたのだが、本当のことを言っているのか、いい加減なことを言っているのか、冗談を言っているのか、工学関係の分野になると、「判断」が専門家でないと怪しくなる。 小生のメモは、あとでコピーして専門家に渡しておいたが、通訳ミスや、聞き間違いなどに加えて、「アスタマニアーナ」風の回答もあったようである。 このように、かなり、いい加減な答えがあったので、現地企業の数字的説明には、大変協力してくれた、日系進出企業での「アンケートの実数値」や「詳しい説明」と比較して理解する必要があった。 最終的には、日系企業を除いた「日本国内企業向けと同等の詳細なアンケート」は失敗(徒労)に終わったと言ってもよかろう。 逆に、親切な日系企業群から得られた「アンケート回答」や「情報収集」が調査の生命線になったように小生は思っている。 この国での優秀なる日系企業の生産体制と、現地企業の生産体制を比較する(さらには、出張前に日本国内の優秀な企業群訪問で得た情報と比較する)ことで、実態をよりよく把握できたように思う。
Oct 18, 2011
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調査と放送番組の違い 今朝のNHK番組「あさいち」で良い放送を見せて貰った。 日本の数カ所(北海道、福島、東京、大阪、広島など)の「一般的な家庭」の食事献立で「放射能」被害が懸念されるかの、「測定時間をかけた調査」である。 幸いこの調査では、「家庭での放射能」は無視できる範囲であり、特に福島のある家庭では「全く問題なかった」。 しかし、このような調査を、むかし、小生達は調査部で発表できただろうか、サンプルの「母集団」をどのように選んだのかから始まり、サンプル数は偏り無く集められているのか、有意であるのか、特異なサンプルではありえないのか、などは当たり前の話で、調査結果で得られた事実の原因までも詳しく報告するように、記者達から厳しい質問が飛んだものだ。 数カ所の家庭での、本当に少ないサンプルから、ほんとうに幸いな結果しか出ず、幸いな放送なのである。 しかし、これは、食生活なのだから、その人の好みの、「食物の摂取に基づくサンプル」でもあり、互いの比較は可能ではない。 まるで抜き打ち、抜き取り検査であるのである。 あさの目覚めの放送番組としては、成立するが、調査ではないことを強調すべきである。 もし、福島で悪い結果がでていたら放送はしない方が良かったであろう。 本当に、良い結果が出て、安心して見ていられた。 しかし、このような安心感は何も解決には向かず、「本格的な厚労省の調査を期待する気持を国民に与えた」のではないだろうか。 国民は、それほど、単純に、教育され、育てられてはいないのだから。 しかし、「あさいち」はいつも良い番組を提供してくれるありがたい番組である。 ただ、このような、サンプル数の少ない結果の放送を続けていると、危ない結果が出たときの、NHKとしての「公共放送」での対処を考えておくことも必要である、と痛感する次第である。 NHKは、優良番組「あさいち」の「長生きのためにも」番組予算や人材ををもっと追加してやって欲しいとおもう。
Oct 17, 2011
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Prolog 14/16:「外注工場が見あたらない不便」 1980年の話である。 アルミなどの溶融点が低い、鋳物などは、町工場で簡単な設備により製品として生産されていた。 鍛冶屋みたいなものもあちこちにあった。 町工場同士のつながり(外注加工・仕入れなど)の必要があまりなかった。 零細企業はかなりの数があり(厚みがあり)、地場産業としてその地域の需要を満たすものは存在する。 しかし、日本のように地場産業がそれぞれ特徴を持って存在して、互いに補完し合うような「協業体勢」や「下請体制」はあまりみられない。 つまり、日本のように、互いに自分の不得意であったり、共通部分であったりする分野を、外注・仕入れとして有効利用し、各工場が、自分の工場内に「独特の技術・高い効率などの工程」をもち、自分の特異とする技術分野に特化していく方が有利な構造にはなっていないのだ。 このように、小企業が、ばらばらと存在するだけなので、現地企業は、日本のような外注政策や下請体制をとることができず、自分の工場内にほとんどの工程を抱えた巨大工場を持たねば運営・機能できず、外注・下請活用などは思いも寄らなかった。 したがって、巨大工場では、工程間の連携にバラツキがあり、稼働率の低い部門をずいぶんと抱えることで、日本から見れば、「奇妙な巨大一貫生産工程」を維持することとなる。 現地に進出した、外国(米国を含めて)企業や自国の国営企業についても同じような無駄があちこちにあったようにおもう。 これを憂えた政府や企業団体も、欧州の例に見習い、外部企業を下請として活用する制度に興味を持っており、「ボルサ下請制度」等をグアダラハラなどで強力に推進していた時代である。
Oct 17, 2011
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Prolog13/16「強力な中央集権と大統領の一期・再選禁止制」 この国でなくとも同じようなことがおこるかも知れない。兎に角、大統領が替わると、政府機関の重要・非重要ポストがほとんど代わってしまう。今まで築いてきた、話のルートなどはすべて消え去り、無駄になりそうである。日本では、官庁のトップくらいが代わるだけであるが、この国では、とにかく「心機一転」である。日本のような「腐れ縁」は消えるが、新たな関係がまた生まれる可能性が高いので、進出企業は油断できない。メキシコの大統領は、全閣僚の任命権と罷免権、メキシコ連邦区知事の任命権、州知事の罷免権を有するなど、周辺諸国の大統領と比べて強い権限を保持している。大統領に強い権限を持たせる制度がメキシコの政局安定に寄与しているという見方がある。大統領の任期は1期6年限りで、一切の再選が禁止されている。これは、ポルフィリオ・ディアス長期独裁政権への反省からきている。 最近の、日本の首相の頻繁な交代劇は、どのように反省した方がいいのだろうか? あまりに短命な内閣だと、むしろ独裁・長期政権の方がいいなどと、変な勘ぐりが出てきても困る。 だれかさんが言っていたが、あまりにも太平に浮かれたために大震災という、神からの罰が降りたのだ。 しかし、不幸にも、罰が降りたのは罰を最も受けいれるべき人たちではなく、罰とは、ほど遠い人たちであって、罰を最も受けるべき人たちは、いまも、のうのうとしているかもしれない。 つまり、いま受けている罰は、「本当に起こる厳罰の予兆かも知れない」のである。 このことを踏まえて、現政権・どぜう内閣には、「みんなのための」、真面目な政治を貫き、生命線のはっきりした政策運営を、長期の目線で、しっかりと行って貰いたいものである。「みんなのため」とは、利益があちこちで衝突する時代であるからこそ、短期的な利益よりも、長期的な利益を優先し、短期的には損失を被るものには、前もって準備・対応を促す努力をする、旗振り役リーダーであり、かつ優秀なコーチであって貰いたいものである。太平の世の中で、いつまでも環太平洋TPPなどに迷っている場合ではないのである。
Oct 16, 2011
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WEBのメキシコ事情でメキシコ人の労働者についての経営者のコメントがあったので、一つの理解の仕方として記述しておく。 この、不得意な面や、良い点は別にメキシコ人すべてに当てはまるものではなく、日本人だってこのような労働者は、小生を含めて、十分いるようである。日系企業の現地人スタッフには目を見張るような素晴らしい人物が沢山働いていたのだった。(もちろん、かれらは、日本での研修を終えているが。)ただ、現地労働者には、ここにあげた特色を持ったものが、割合として多そうだという意識でもって、現地では、丁寧に向かい合ってもらいたいものである。 メキシコ人の不得意な面1.チームワーク2.報告・連絡・相談3.部下を育てない4.自分の領域しか仕事をしない5.非を認めない(言い訳が多い)6.定着しない7.欧米風縦割り経営8.客との交渉力が弱い、 メキシコ人の良い点1.日本人と同じ価値観を共有(一つの目的に一緒に向かう)2.心の壁は低い3.任せると結構出来る4.やる時はやる5.従順6.明るい7.個人の能力は高い8.プレゼン資料作りが上手9.向上心が強い、
Oct 15, 2011
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Prolog 12/16:「輸入代替の無駄な部分」当時は、輸入代替工業の政策色が強かった。国内で生産できるものは、多少、安全上で問題があろうとも、国産品採用が原則である。これは日本企業にとっては大問題となった。国内で生産できるものは、国内調達が原則ながら、技術上や、強度上などからみて、国産品が自動車の安全運転に耐えられそうにない、と日本企業が判断したものについては、現地で生産した「現地鋳鍛造部品」を選別して日本に輸出し、「交換(バーター)」として、強度・技術などで「優秀で安全な鋳鍛造部品」を日本から輸入し、「置換する」という、「不便と費用」を余儀なくされたのである。 この制約は、当国の企業が成長する上では、無駄な抵抗でしか無いのであった。その後は、「輸入代替」よりも「関税」に重点が置かれているので、上記のような無駄な抵抗も薄れてきていると思われる。 むしろ、対米輸出により部品がメキシコに持ち込まれて、賃加工で組み込まれて、正当に米国輸出されるか、誤って不正に無関税でメキシコに留まるかの検査が重要となっているようにも思われる。下記の、企業への不定期査察の頻繁さと会計の複雑さに顕れているようにおもわれるからである。もちろん、これまでにメキシコ製品が上記のような、安全を懸念するような品質から脱却している可能性の方が高いとも思われる。推定で言える話ではないが、ここは単なる、呆けのお話しの場である。WEBで、メキシコの最近事情(2007年)をみると、次の説明がある。 「まず、自動車の国内生産台数は200万台で、うち国内市場向け40万台、うち輸出160万台(内訳北米130、欧州20、南米10)、国内供給100万台は上記国産40万台と、輸入60万台(内訳北米30、欧州10、ブラジル10、日本10)の合計である。 (以下は、日産のメキシコ事業についての説明) 日産メヒカーナ社は、1961年設立、日産自動車(株)100%子会社でこの国最大の自動車メーカー。2007年には、従業員9,380名、乗用車生産49.6万台、市場シェア19.5%で第二位、エンジン生産台数は44.9万台。本社はメキシコシティ、部品倉庫・研究開発センターはトルーカにある。工場は2つある。 アグアスカリエンテス工場は従業員約5,600名、組立工場では約31万台のプラティーノ、ルノー・クリオ、ティーダ、セントラなどの車種を組み立てる。また部品工場では、エンジン、アルミ・キャスティング、スタンピングなどを製造する。 クエルナバカ工場は従業員約2,500名、組立工場は約18万台のツル、ティーダ、ピックアップトラックの車種を組み立てる。 グローバルでの販売体制については、北米および欧州との間では相互に供給、日本からは輸入のみ、ラテンアメリカ市場へは輸出のみを行っている。 国内生産から、輸出に向かう比率は近年高まっており、6割を越えた。 従業員に対する評価は、PDCAや5Sを指導してきたため従業員の質は高い。但し、自発的なものに頼りがたく、何年も掛けてマネジメントすることが必要である。」別の会社社長達の話も紹介されている。1. 優秀な従業員の確保で留意するべきは、日給1ペソの賃金格差で周辺の企業に移動することである。地域差も考慮しないといけない。(ある会社では、インセンティブ制度の活用は効果的という。)2.経理が煩雑であり企業会計、ISR税務会計、IETU税務会計、PTU利益分配金の4つの経理業務がある。毎年のように税制改正があり、これらの税制に堪能で、優秀な経理スタッフがほしい、さらに本社との意思疎通が必要であるが、これらを満足できる人材が不足。ホワイトカラーの給与レベルは日本と同等。人によっては月5~6千ドルとなる。3.労務に関して、この国は従業員保護の立場から不定期に査察が入る。従業員のクレームには敏感に対応し、その都度報告書を作成し、会社都合の退職時にも十分に注意が必要。 4.保税関連(輸出入業務)の査察も不定期に入る。移転価格税制の制裁金は関税以上の罰金となる場合もあり得る。5.労働組合については、地域の組合(複数)の情報収集が不可欠。 (ある会社では、CTMという全国的な組合を推奨している)6.この国特有の事業環境に対する日本本社の理解と、現地責任者への権限の明示が必要。
Oct 15, 2011
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Prolog 11/16:「鉄鋼業での歩留まりの悪さの原因」日本は、鉄鉱石から高炉を使用して製鉄するのが、当時は普通であった。この国は、自動車、機械類などの、「屑鉄」(鉄スクラップ)がアメリカから大量に持ち込まれる。キューポラや電炉もたくさん見た。鉄鉱石のペレット(ピンポン球より小さく加工)がゴロゴロしていた。日本では、「屑鉄」からの製鉄でも、特定工場から出たものという、素材成分が明確なものを多く使用するから、特殊鋼の生産についても、投入する添加物の量を容易に制御(コントロール)できた。しかし、この国の「屑鉄」には銅などの不純物が多く含まれ、良質の製品を創るのには、高価で優秀な米国製などの分析器をもってしても、なお限界があり、製品の不良率が高止まった。当時は、製鉄工場や鋳鍛造工場が「国営企業(国営が悪いというわけではないが)」であったためか、品質管理、歩留まり管理などの改善が遅れていたようにおもう。日本では不良率は3%以下というよりも、1%以下に抑えていたようにおもう。この国では、当時は、素材そのものの純度も問題であるので、加工上の歩留まりも加算すると、けたたましい不良率となっていたようである。
Oct 14, 2011
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メキシコでは、従業員(工員)の縦のラインの統制はうまくいっても、横の連携がとりづらいと言ったが、日系進出企業(乗用車)敷地内の工場を増棟(無段変速機工場)している日本の大手建設所長の話が、現地作業員との対応で現実味を帯びているので、あえて言葉を代えて引用する。「これまで海外赴任してきた中で、マレーシアでは建築にBS(英国)スタンダードがあり、韓国、フィリピンではASTM(米国建設基準)がある。中国でも法律が有り、職人はそれに則り作業を進めている。ところが、メキシコでは法律、規格はあるが、その順守姿勢にルーズな印象がある。ラテン気質からか、性格的に自分勝手で、協調性がない。言い方を変えると、物事に対し忠実でない。そのために、一番留意しているのが、基本技術の繰り返し、挨拶などの基本所作の徹底で、基本技術を反復、徹底する事で、ともすればおざなりになりがちな品質管理、工程管理、安全管理のレベルアップを図っている。相手に根気よく、我慢強く、そして笑顔を持って毎日接している。」 このような悩みを「苦労」と捉えると大変ではあるが、見方を変えれば、この国ではお互いが少しでも、改善の努力をすることで、一定の成長が約束される訳であり、入札価格競争だけが熾烈な我が国よりも、やり甲斐があろうかと思う。 オリンピック・レベルの陸上競技もあるが、それ以外のレベルであっても、スポーツは楽しいものであり、コーチにとっても楽しいものである。 5年前のお話(会社のHP)であるが、所長はコーチよろしく、頑張っておられることと思う次第である。
Oct 13, 2011
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Prolog 10:「工場内統制の困難」1980年のことで、今ではない。 工場内の、工員の統制については、当時は、縦の関係のみが重視されていた。 直属の上役からの命令はほぼ絶対的に受け入れられるが、隣の工程管理者の命令は無視される。 例を言うと、旋盤工は旋盤工の仕事、フライス工はフライス工の仕事しかできない、か、しない。 この国では、人も融通が利かないと思わないといけない。 このため、流れ作業のような作業があると、それぞれの工程が、分離しがちとなるので、統制がぎくしゃくする。 流れ作業全体をひっくるめて、効率化を図るのは難しい話となる。 日本のような、QCや全体のTQC活動などはなかなか望めない。 日本企業にはこれを克服したものもいたが、たいへんな努力と工夫が必要だったようだ。 日本からの進出工場では、乗用車エンジンブロック工場や完成車組立工場、大型トラクター一貫生産工場、冷凍設備工場などを見学させて貰ったが、日本国内では思いもつかない、材料調達・加工問題、労働者問題、顧客対応問題などへの対処に苦慮し、完璧とは行かないまでも、次善の策として、なんとか克服している姿には敬服した。
Oct 13, 2011
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Prolog 9/16:「古代遺跡は新しい都市の地下に眠る」 (すこしダブったかも知れない。なにしろ、脳幹梗塞なのだから。) メキシコシティでも、スペインの征服によって、「アステカ文明」などの、遺跡は壊されて、そのうえに教会や、市庁舎などが建設されたという。 広大なコルテス広場などもその上に築かれていたのだろうか。 メキシコシティはもともと湖であり、その中の島にチャペルテペック城(現在は国立歴史博物館)があったと聞いていたが、まだまだ遺跡は発掘され尽くしてはいないようだ。 全貌はいつになったらはっきりするのだろう。 小生達が訪問した時期には、太陽のピラミッド、月のピラミッドなどは、隠しおおせないくらいに大きいためか、見ることが出来た。 スペインによる征服過程の事実は、治世者により都合が悪いところは、当然ながら歴史の闇に消される。 小生達が訪れた時には、かなりの遺跡が発掘されてはいたが、驚くことに、その後に、メキシコ・シティのほとんどが、遺跡の上に建設されていることがわかり、再度、遺跡の発掘作業に追われているという。 歴史の真実とはなにか。 残った形跡(伝承、伝記本、遺跡など)でしか推測できないが、形跡が重なっていたり、部分的に消滅させられたりすると、推測もつかなくなる。 この古代地下シティの発見は幸運であったようだ。
Oct 12, 2011
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Prolog 8/16:「1980年の36日間ホテル生活」ホテルでは、毎朝、枕の下にかならずチップをいれておく。部屋を長期間にわたり綺麗にしておいてくれるからだ。出かけるときは、調査資料の入ったスーツケースをベッドにチェーンで結び、鍵を掛けておいたものである。お金はと言うと、スーツケースにいくらか残して、お恥ずかしいが、胴(腹)巻きに大金(トラベラーズチェックを含む)を忍ばせて、小銭はポケットに小分けして入れておいた。それを時々確認する際に、自分のお腹をごそごそと探っている様は、現地人には、奇妙に見えたに違いない。われわれ若者二人で、大金を大事に持ち運んだ経験の方が、仕事よりも懐かしく思い出す。ホテルで、地震にあって、イギリス人と一緒にエレベーターに閉じこめられたが、知らせるため「どんどん」と中からたたくと、彼には大変嫌がられた。西洋では、あまり騒がぬ方がいいらしい。帰国後、数年たって、泊まった由緒ある石造りのホテルなどはメキシコ大震災(1985年)で崩壊したらしいと聞いた。 ホテル名はメモを見ると、「Geneve Quality Inn 」とあるが、いまは、存在していないようだ。メキシコ・オリンピックはもう、その10年以上前に終わっていた時代である。
Oct 11, 2011
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Prolog 7/16:「食事問題」 すでに述べたように、1980年に戻ってのお話である。 (誤解のないように!) 食べ物では苦労した。地元の食べ物では、「サボテン」を素材にしたものが主食であったが、そのままでは、日本人には多分、口に合わない。 一日だけ、レオン洲で陶芸家の日本人の奥さんが手料理を、日本人好みに工夫してくれ、おいしかったが、灰汁を抜くのに、随分と手間がかかったようだ。 ファーストフードのお店だと、日本と同じような風味であるので、朝食はアメリカ系の「デニーズ」のフランチャイズ店をよく利用したものだ。 「日本人向けの高級料理店」もあり、日本酒などはメキシコ高原の雰囲気によくあった銘柄(高級な吟醸酒・冷酒)が輸入されていて、たいへん美味しいが、そこばかりだと、「薄給取りの懐」が寂しくなるので、たまにしか利用できなかった。 偶には美味しいものを食べたいと思い、肉料理を地方のレストランでオーダーしたのだが、日本の数倍の大きさと、厚さのものがでてきた。(まるでわらじのよう。) しかし堅いのと、筋が多いのには閉口したものだ。日本では、柔らかくておいしいのは、お金さえ出せば、どこでも食べられる。 この国では、地方に行くと、高くはないが、まずいものもあるので、オーダーの際には注意が必要だった。 また、この国では、当時は昼休みが長かった。 レストランなどは開いているが、「職場」は昼間の食事時間(午後2時頃まで)を長くとっていて、その間は職場(オフィス)はどこも閉まっている。 日本人の早飯食いは、ここでは全く合わない。 また、夜は夜で、夜中の2時頃まで騒ぎ続ける。 陽気でエネルギッシュな国であった。 「江戸っ子は宵越しの金は持たない」と言ったところだろうか。 夜中までの、ギターとトランペットの高い音が妙に印象に残っている。
Oct 10, 2011
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Prolog 6/16:「車の排気ガス」 場所はメヒコ、時代は1980年である。 街には、古い年代物の大型乗用車がたくさん走っていた。 なかには、ドアなどが閉まらないものさえある。 古いものを大切にしているのではない。 車の前には、おおきなガード(今の日本車の硬質ウレタンや薄い鉄板の飾り物ではない、大型鋳物製のガード)が付いていて、まるで、馬などとの衝突から防御しているようなのだ。 駐車場はあまりないので、道路に並んで駐車している車を、そのガードで押して駐車余地を創るのだ。 日本のように、新車を「こすった」、「当てた」などの紛争話はない。この地では、自動車は見せるためでなく、乗るためにあるのである。 当時は、排気ガスがおおくて閉口したものだ。 ついでに、タクシーは、当時はメーターがないので、乗る前に乗車賃を交渉しておくことが必要だった。 または、一日や半日借り切り(日割り)で約束すべきだった。 前日に、約束すると、ホテルの前でニコニコと待っていてくれる。 調査には、工場を回るために、バン型の大型乗用車を日割りで借りた。 日本には当時、見かけないくらいの大きい車である。 借用料金をケチったため、オンボロにちかく、ドアが閉まりにくいし、クッショッンが堅い。 著名な重役クラスが数人いたので、この待遇には不満を漏らされたものである。 レオン洲でチェコ系米国人女性(メキシコシティーに本部のあるカナシントラという企業振興団体「全国製造業会議所」の支部長)が調査に協力してくれたが、彼女の米国製・新車の超大型クルーザーだけは、別世界で、夢心地になったことを憶えている。ホンの最近の日本にもそのようなランドクルーザーが現れたようではある。
Oct 9, 2011
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Prolog 5/16「陰の人口の存在」と「国境の巨大な保税貿易工場群」 街の「山の手」には、東京の「山の手」のような給料の高い住民ではなく、極貧民層がたくさん暮らしていた。 彼らは、電線から勝手に電線を分岐する。水道から勝手に水を分岐する。 これらは、彼らが、生命を維持(ライフライン)するための電気・水道の利用である。 このような行為は、日本では違法行為として、一定の通告期間の後に、冷酷にも、電気・水道を止められるが、この国では、当たり前の行為であるかのように放任される。 彼等は街に暮らしていても、アウト・カウントの人口だ。人口が急に増えているのはこれらの人をカウントし直したかも知れない。 また、豊かなアメリカに憧れて、メキシコ国境に近づいたり、アメリカのよりよい生活を求めて脱走する人々もいる。 産業的にも、国境に接してマキラドーラ(保税措置を受けて加工・組み立てする工場)という保税工場が多数並んでいる。この制度は1966年に開始され、優遇制度は2001年に廃止された。 製品を輸出する場合は、使用する原材料の輸入関税が免除される制度があり、最大の輸出国である米国側に立地した工場と、ほぼパラレルに立地したメキシコ側の借地(信託期間30年、30年延長可能)にマキラドーラが建設されて、米国に比べて格安な労働力が使用されている。 この、マキラドーラが米・墨関係をいかに支配していたかは、国境付近に多くの米国企業が設置されたことや、多くの原料、中間財が関税なしで当国に輸入され、完成品として米国に輸出されていたことでわかる。 WEBの「内多 充教授の研究ノート」によると、 「2004年、メキシコ側のマキラドーラは当国の輸出総額の46%を占め、工業品(輸出の84%)では55%をしめる。 米墨間の輸出構成をマキラドーラ・非マキラドーラで比較すると、米国側でそれぞれ40%と60%、当国側では54%と46%である。 マキラドーラの輸入額は当国の輸入総額の35%である。 この輸入材のほとんどは、輸出のための中間財の受け入れであって、輸出部品の80%を米国からの輸入に依存している。 自国の中間財の使用はわずかに3%程度でしかない。 隣国の米国は、メキシコのマキラドーラの効用を格安な労働力の付加価値としてしか考慮していないように見える。 しかし、このマキラドーラも、生産性の低下、賃金率の相対的上昇が顕著となり、問題になった。 つまり、その後、マキラドーラは米国経済の浮き沈みや、賃金の安い中国などからの輸入の急増などで苦境に立たされることになった。」 このように、当国は、「極貧民層の存在」、「米国国境を中心に米国に依存した経済」という特殊性を抱えている事を忘れてはならない。
Oct 8, 2011
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Prolog 4/16:「神は貧しいものに施しを与えるとの考え方」 宗教は、ローマ・カトリック教徒がほとんどである。 グアダルーペ寺院にも行った。 WEBから説明:「グアダルーペ寺院は、16世紀かつてアステカの神殿があったテペヤックの丘に建てられたカトリックの寺院である。(コルテス達侵入者が神殿を略奪・打ち壊した後で、その上に建設したと言い換えるべきかも知れないが、上品にいうとこうなる。)<グアダルーペの奇跡>1531年12月9日先住民ファン・ディエゴの前に褐色の肌の聖母マリアがあらわれ、聖堂を建てるように告げた。 ディエゴはこのことを司祭に伝えたが信じてもらえなかったため、再度丘を訪れた。 そしてそこで聖母から与えられたバラの花束をマントに包んでもち帰り、司祭に届けると、マントに褐色のマリアが現れた。 冬には咲かないバラ、マントに浮かぶマリアの絵を見た司祭は奇跡を信じ、この地に寺院を建てた。」 さらに、WEBに別の説明もある。 「現地の神をキリスト教の聖人などと意図的に混合させて、現地人が従来の神を信仰しているつもりでいたらいつのまにかカトリックになってしまったりする事も多くあった。その典型が、「黒い聖母マリア」である。黒い聖母マリアは、ローマ時代に広く信仰されていたエジプトのイシス神で、イシス神をキリスト教に取り込む過程で、聖母マリアと混合して生まれた。さらにその黒いマリア(グアダルーペ)は、メキシコに渡り、アスティカの豊穣神トナンチン(シュワコアルト)と意図的に混合され、メキシコでのカトリックの拡大に大いに貢献した。」 なお、小生が聴いたところでは、ヨーロッパのキリスト教徒が「盗み」にはた だ「罪悪感」を感じるのみに対して、この地では、少なからず祈りや、懺悔の趣旨が 異なるという。 「生きていくこと」が最善であるので、「自分の身を守る糧を求める」行為には、「悪」よりも「善」がすこしだけ傾くのである。 このために、この地を旅行するものは、かならず、「めぐみのお金」を別のポケットに忍ばせるべきである。 さもないと、怪我をするか、不幸にも命を落とすことになる。 他の国でも同じ事が言えるかも知れない。無駄な抵抗をしないで、躊躇せず、さっさと用意した小銭を渡すことで、その人が、「恐喝の懺悔」はしても、「人殺しまでの懺悔」をしないですむのだから。 銀行の警備員は防御・防犯上ピストルを所持している。 しかし、警備員はみんながみんな警官のように(いや警官でも安心できないが)潔癖とは言えないようだ。 日本でも、警官の痴漢行為が報道される。職業が正当なので行為も正当であるとは言えない。そのひとの人格が問題なのだ。 明治以降の日本で、「武士は食わねど高楊枝」とかで、餓死する武士も出たようである。 「武家の商法」でも、なんでも、本人が努力することで、食い扶持を探すことが人間としては大切なのであり、意地のみでは生活は出来ないのである。 この国の「褐色のまたは、ブラックのマリアさま」の許しこそ、「人間」にとって大事なものである。
Oct 7, 2011
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プロローグ 3の補足 マヤの文明は、ユカタン半島の狭いところに人口が集中して、食料や水の供給が地球環境の急激な変化(干魃など)で壊滅的な被害を受け、崩壊している。 また、アステカ文明は、スペイン人・コルテスの進軍に破れているが、実際には進軍に伴って、攻撃を受けるアステカ側で、コルテス達がもたらし、蔓延した天然痘が猛威を奮ったために、人口が1/10以下に減るほどの壊滅的な打撃を受け、戦う気力を失ったのである。(インカ文明も同様な運命に遭った。) このように、人類の民族の盛・衰には、人類同士の戦いよりも、気候変動要因や、病原菌発生要因などという、「自然の猛威」がはるかに勝っていることを意識しないといけないのだろう。 マヤ文明、アステカ文明、インカ文明などは、長期の暦で占っていたのであり、小生は「太陽が西に沈み、東にのぼるためのエネルギーとして生け贄の血」を捧げたと言ってみたが、そのようなことは宇宙を知る彼等は、百も承知であり、むしろ、長期の暦で見てもよく合致する、地軸の「ぶれ」で少氷河期などの発生する地球に「元気を与えなければ大変だ」とばかりに、生き血を捧げるべく、懸命であったのかも知れない。 この時期は、地球の軸は、「ぶれつづけていた」やもしれない。 無知な、脳幹梗塞の呆けのつぶやきなので、無視して結構である。
Oct 6, 2011
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PROLOG3/16:「勝利者は生け贄となりて神の側に行く」 国立人類学博物館にも行った。 このアステカはマヤ、インカなどと同様に、生け贄の儀式が行われていた。 「アステカ民族は、特に好戦的であり、生け贄の風習(西に沈んだ太陽は生け贄の血・エネルギーがないと、東に蘇れられない、とする土着信仰)があったので、まわりの部族から恐れられていた。 アステカ伝承では、心優しい農耕と文化の神「ケツァルコアトル」は生け贄習慣を止めて「美しい蝶の羽」を神に捧げるように人間に求めたが、生け贄を好む軍神「テスカポリカ」はこれを許さず、神「ケツァルコアトル」は蛇の筏で海の彼方に追放された。 追放時に「一の葦の年」に必ず戻るとの言葉通りに「色が白く、黒く美しい鬚を生やしたケツァルコアトル」にそっくりな、スペイン人コルテスが4百人の兵隊と敵対する隣国軍百人を連れて1519年に、この盆地に進軍したのである。 アステカ民族は、神話に伝承された人物が現れて、彼が連れてきた、南米にはいない「馬」、見知らぬ武器の「銃や大砲」に驚愕し、わずか3年半で滅亡した。 首都テノチティトランはスペイン人に金銀財宝を奪われたばかりでなく、破壊し尽くされて、遺構のうえに新しい植民地都市・メキシコシティが建設されたが、人口は免疫のない疫病の発生で1/10以下に減ったという。」 たしかに、アステカ民族は、好戦的といっても、生け贄を求めることが優先する戦争を行い、殺すよりも、捕まえて、優秀な生け贄を神に供えるという努力をしている。 古代ローマでは、皇帝の前で奴隷達が剣をとって、猛獣や、人間と戦って、勝利者は自由人になるなどの恩恵を受けた。 しかし、マヤの遺跡では、人間同士の勝利者は、神のもとに行けるという神託があり、勝利者の方が「生け贄」として自ら死を喜んで選んだのである。 古代ローマ文化では、最も優秀な戦士は生き残り、ダーウィンの進化論が当てはまるのだが、マヤ文化では最も優秀な戦士は逆に死を選んだのであった。 マヤもアステカも太陽神に生け贄を捧げていることでは同一であると思う。 これでは、武器の優劣もあったかもしれないが、あくまで呆けの私見では、マヤの思想を受け継ぐアステカ文化は「この世では」、戦いで負けるべくして、負けたのではないか、と思う。 優秀な人ほど、長期の暦で生活を見透していたので、この世の自分の人生などよりも、「あの世の人生に期待した」のだろうか。 とにかく、ノンビリした民族だが、数学にも強い「マヤやアステカ文化」のバックボーン(背景)を思い起こせば、「長い目で見て」尊敬しなければならない人たちだ。 (ユカタン半島のマヤ文化は狭い地形への人口集中と干魃から滅亡し、その後のメキシコ高原・アステカ文化との歴史は人類史的には不連続であるが、歴史的に判らないだけであり、なにかおおきな天変地異がこの地に発生したことが考えられないだろうか。魔の三角地帯、巨大な隕石跡など不思議が一杯の地域が付近にあるのだから。大西洋の「アトランチス大陸」、日本海でも「渤海国」などの未解明な国があるように天変地異が地球を支配している。)
Oct 6, 2011
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Prolog 2/16:「のんびり民族」と「せっかち日本人」「アスタ・マニヤーナ」街で道を尋ねると、かれらの純朴さから、彼等の知りうる限り以上に、積極的に道を教えてくれる。日本なら誤った道を教えようものなら、明日からは人間として信用されなくなり、「隣近所5人組」から「村八分」になるような狭い世間体があるが、この国にはそれがない。広大なこの地では、拳銃を持って道を聞く、「荒野や夕日のガンマン」から身を守るには、親切に教える「瞬時の姿勢」が大切であった。決して、現地人の道案内が誤っていても、怒り給うなかれ。道は自分が前もって調べるべきであり、現地人に聴くべきではない。他人に寄りかかる気持を捨てよ!「アスタ・マニヤーナ・・・明日は明日の風が吹くから、気楽に行こうぜ!」の国であることを忘れないように。忘れ物をして、仲間との待ち合わせ時間に遅れないように、空気の薄い、当時は自動車の排気ガス(スモッグ)で覆われた、レフォルマ通りの街路を汗だくで、ゼイゼイと走っていると、ノンビリとした街の人から笑われたものだ。小生は、決して、せっかちではないが、現地人には「せっかちな日本人」と映るようだ。現地の人は、「日本人よ! そんなに急いでどこへ行く !」と、「日本の高度成長」を指して、小生に質問したものだ。小生は、「みんなが幸せになるために !」と言いたかったのだが。土・日曜日は仕事が無くて、折角だからと、近隣を探訪した。テオティワカン(古代に人口20万人もいたとされる巨大都市)の太陽・月の両ピラミッドの頂上に登ると、下界の人が点にみえた。若かったので、大きな階段をはしゃいで、少し飛び跳ねてみた。現地人は、だれも神聖な階段では、そんなむちゃな行為はしない。よほど、月面のような空気の薄さで、この神秘な「月のピラミッド」の雰囲気に呑みこまれたのかも知れない。一緒した重役もピラミッドの近くで事故にあった。大事な高級カメラを落として壊してしまったのである。以後は写真が撮れずに困ったようだ。外地では、だれも浮かれることが多くて失敗するようだった。また、小生は、ソニーの超小型のテープレコーダーを持参して、会議などを録音したが、帰国して再生すると、「機内放送」、「水郷の里・ソチミルコのギター・トランペット音楽隊の演奏」程度しか、残っていなかった。読み取り装置の部分に、澱んだ排気ガスや、湿度などが悪さをきたしたらしい。 技術国日本の粋といわれる「ソニー」でもこの国の「公害」には勝てないようであった。
Oct 5, 2011
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No.3-1 この国の「当時」の印象雑感(PROLOG)この国の人々は、古代からの現地人の雰囲気を醸し出す純朴な人、政府機関にはスペイン人との混血であろう、ものすごい美人が溢れているなど、多様である。国の花は、強烈な情熱を示す「ダリヤ」であるが、小生には、この国で最も美しい花は「赤やピンクと言うよりも、やや薄紫色がかった オシロイバナ科の ”ブーゲンビリア(Bougainvillea)”」の方が、さわやかなメヒコ高原に最もよく似合っているという印象、が強く残っている。とりあえず、本題に入る前に、思いつくまま、「無知と偏見」に満ちているかも知れないが、「1980年当時のメヒコの雑感」を、「オフレコのPrologue/Prolog」とし「順不同」で列記する。Prolog は16で終わるか未定だが、我慢して欲しい。過去の話を雑多に記述しただけであり、今はすっかり変わっていようが、この国を理解するうえで、また、これからの過去の調査を、自分なりに理解する上で、すこしでも役立てばと思う。Prolog 1:「ロスで最初の荷物行方不明事件」出発は、「羽田発」(成田はまだない)で1980年10月25日(帰国は11月末日のロスからの直行便を予定)。団員は8名であり、団長は元国連のお偉方、団員は、南米アメリカを専門分野とする有名大学の先生、有名企業の鋳・鍛造専門家、機械組立工学の専門家、進出企業専門調査員を主調査員とし、それに加えて若者は、コーディネーターの友人と、小生達の調査員(うち1名は大手製鉄会社からの派遣生)3名であった。超お偉方5名、元気が取り柄の若者3名の組合せである。ジェット機は東の太陽に向かって高く飛び、JET気流に乗って太平洋上を順調に就航した。中継地である、米国アラスカ洲「アンカレッジ」に予定より早く着き、すぐさま、同空港を出発し、北米大陸を南下、「ロサンゼルス」に向かった。アンカレッジからは、内陸に向かい、しばらくすると、なにか大きな山脈の上を飛んでいるような気がしたが、大きな渓谷(グランド・キャニオンだったとおもう)の空からの眺めは広大で、狭い日本に暮らした自分には、このような未開のままの自然が今も残されているなんて不思議な思いがした。日本では山奥まで棚田のような耕作地が食い入っているではないか。このような、広大な地域を巨大ダムの利用や、観光のため程度にしか活用しない余裕がある国は羨ましいとおもった。巨大なダムが破壊されたら、下流の街々は計り知れない被害を受けるだろうが、日本とは桁違いの規模なので、見当もつかない。ロスで、しばらく休んで、小さな・・国際線に比べて、とても小さく不安に憶えた・・国内航空機「メヒカーナ」に乗り換えてメキシコシティに移動した。さて、この旅行では、小生達の荷物はけたたましく重い。金塊でも入っていそうだが、小生達の身なりではだれもそうは思わないだろう。中身が、調査のための、本類や未使用調査アンケートなどがほとんどで制限重量ギリギリ一杯なのだ。ロスで国際線から国内線への乗換にあたり、ポーターにチップをケチったためか、重いスーツケースがメキシコ空港で消えていた。問い合わせると、別の米国空港に行ったという。真夜中の問い合わせの間に、得体の知れないグループが小生達を遠巻きにしているようだ。小生達は、お金持ちには見えないが、小生達がなにかトラぶっているようなので、真夜中だというのに、彼等はなかなか離れてくれない。トイレも交代で行くことにした。結局、夜明け以降でないと、荷物の到着はないと言うことで、全員、ホテルに向かうこととなった。明くる日、再び、若者達は、空港に出向き、「滞留貨物受取所」で重い荷物を受け取った。他人様には全く価値がない荷物だったが、小生達はその姿を見てほっとしたものだった。最初から、これだから、先が思いやられた。
Oct 4, 2011
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本日は、資料を早く掲載すべく思っていたが、国立病院で脳梗塞患者の「バイアスピリン」の胃潰瘍・後遺症を調べる(今はタケプロンがあるがその後継新薬)候補者選びに加えられて、9時半から14時まで検査等で多忙であったため遅れたことをお詫びする。幸い軽い炎症程度で、治験の候補から除外されたので、BLOG書きの「頭のリハビリ」に無理しない範囲で専念したい。No.2 メヒコ国の基本資料 (1)Table 1 :2010年のメキシコの基本データ(JETRO資料から加工)首都 : メキシコ・シティ(人口集中率) : (17.9%) 公用語 : スペイン 語通貨 : ペソ宗教 : ローマ・カトリック(96%)総面積 : 1,964,375平方キロメートル(同・対日本) : (5.2倍) 人口 : 112,340 千人人口密度 : 57人/平方キロメートル実質GDP成長率 : 5.5%名目GDP総額 : 10,348 億ドル 一人当たりGDP(名目): 9,566ドル消費者物価上昇率 :4.40% 失業率 : 5.37%輸出額 : 2,984億ドル (うち米国) : 2,386 (80.0%)(うち日本) : 19 ( 0.6%) (うち中国) : 42 ( 1.4%) : (うち韓国) : 9 ( 0.3%)(うちその他) : 528 (17.7%)輸出品目別:(自動車・同部品) : 649 (21.8%)(産業用機械機器): 336 (11.2%)(電気・電子機器) : 671 (22.5%)(その他製造業) : 801 (26.8%) (鉱業・・・原油など): 441 (14.8%)(農林水産) : 85 ( 2.9%)輸入額 :3,015億ドル(うち米国) :1,450 (48.1%)(うち日本) : 150 ( 5.0%)(うち中国) : 456 (15.1%)(うち韓国) : 127 ( 4.2%)(うちその他) : 832 (27.6%) 輸入品目別:(自動車・同部品) : 333 (11.0%)(産業用機械機器) : 413 (13.7%)(電気・電子機器) : 701 (23.2%)(その他製造業) :1,155 (38.4%) (鉱業・・ガソリンなど): 314 (10.4%)(農林水産) : 98 ( 3.3%)貿易額(輸出入合計): 5,999億ドル(うち米国) : 3,836 (63.9%)(うち日本) : 169 ( 2.8%) (うち中国) : 498 ( 8.3%) : (うち韓国) : 136 ( 2.3%)(うちその他) : 1,360 (22.7%)輸入超過・総計 :31億ドル(-) 対米国・輸出超過 : 936億ドル(+)対中国・輸入超過 : 414億ドル(ー)対日本・輸入超過 : 131億ドル(ー対韓国・輸入超過 : 118億ドル(ー)対その他輸入超過: 304億ドル(ー)経常収支 : -57億ドル貿易収支 : -30億ドル外貨準備高E :1,203億ドル対外債務残高F :1,892億ドルE-F :-689億ドル直接投資受入額 :177億ドル
Oct 3, 2011
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No.1 メキシコ国の現況 あまり知られていないメキシコについて思いつくままに記載する。呆けの予防に、現在の状況を把握しておいて、BACK to the past age‘1980’ in MEXICO、に明後日から、のんびりと出発したい。Let’ begin (the begin) !この国「メキシコ」または「メヒコ」の国花は菊科のダリヤである。国旗の説明はウィキペディアによる。メキシコの国旗は、緑、白、赤の縦三色の中央に国章を配した旗。緑は独立・希望、白はカトリック・宗教的な純粋さ、赤は統一を表しているという。中央の国章は1325年のアステカの首都「テノチティトラン(現在のメキシコシティ)」の創設を示している。なお、国章の「湖の中央の岩に生えるサボテンに蛇をくわえた鷲がとまっている」図は、アステカ神話にあった「そこに首都を創設せよ」という予言を示している。現況 (一部の数字は別紙のTable 1 を参照・・明日準備する )・メキシコの国土は、日本国土の5倍強の196万平方キロ、人口は2010年現在で、1億1234万人(後述の訪問時である1980年の7千万人と比べて6割増加)、2010年の統計では、名目GDPが1兆ドルの大国であり、所得水準は9,566ドル(同じく1,731ドルで、その5.5倍となっている)である。以下では主にJETRO資料を利用する。・工業力では、自動車生産が 235万台で世界第9位(同じく28万台でその8.4倍となっている。当時は世界第12位)、鉄鋼生産では17百万トンで世界第13位(同じく7百万トンでその2倍強となっている。当時は世界第16位)と、ランキングの順位を上げている。・鉄鋼については、中国627百万トンは別格として、欧州連合173百万トン、日本110百万トン、米国81,ロシア67,インド67,韓国59,ドイツ44,ウクライナ34,ブラジル33,トルコ29,イタリア26,台湾20百万トンに次ぐ規模である。・産業構造でみて、石油・鉱物資源に恵まれて、工業化が進んでいる。・輸出の8割を米国に依存しており、日本・中国・韓国(以下ここではアジア3先進国という)は2%足らずである。・輸出品目は、製造業が82%である。電気・電子機器や自動車・同部品がそれぞれ約22%ずつを占め、原油等の鉱業が15%を占める。・輸入は、その約半分48%を米国が占める、アジア3先進国は24%である。・ 輸入は製造業が86%である。電気・電子機器が23%、産業用機械機器14%、自動車・同部品11%である。・訪問時点では、自動車について、日本企業は重要保安部品を輸入するために、バーターとして自動車部品の対日輸出を余儀なくされていたが、品目データで見る限り、輸出1億ドルに対して、輸入17.5億ドルと計上されており、この制約はなくなっているかと思う。・貿易額(輸出入)は、米国が64%を占めて、アジア3先進国は13%を占める。・全体として輸入超過は31億ドルだが、対米貿易では936億ドルの出超、対アジア3先進国貿易からは、663億ドルの入超である。・石油資源を自国に確保したことと、米国への輸出が如何にこの国の経済力を高めているかがわかる。・貿易の不均衡が、なお継続しており、外貨準備高1,203億ドルに対して、対外債務残高を比較すると、689億ドルのマイナスである。・ 投資受入額は177億ドルで製造業60%、商業15%、金融保険9%、不動産8%であり、当年はオランダ・ハイネケン(ビール)の28%が突出している。・直接対内投資(国際収支ベース)を1999年~2010年までの累積で見ると、地域別で北米55.5%(米国51.5%)、EU25国35.4%(オランダ14.0%)、その他9.1%(日本0.8%)である。
Oct 2, 2011
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エルサレム付近では、十字軍遠征やレコンキスタなどという、「キリスト教」と「イスラム教」の鬩ぎ合いの時代が、今もなお、続いているような錯覚が起こる。 「ユダヤ教」、「キリスト教」、「イスラム教」はともに、異なる宗教でありながら、同じような始発原点を、教義や地理などに有しているために、かえって互いに反発し合い勝ちで、衝突が絶えないようである。 ・商業活動などを通して、ギリシャ・ローマ帝国、ヨーロッパに西進したゲルマン民族国家など、に浸透していった「キリスト教」は、「ユダヤ教」とは近いようである。・他方で、アラビヤ商人などに広まった、「イスラム教」はかなり異なった教義(偶像崇拝を拒否、毎日の礼拝、断食など)を有しているようである。 また、これらの宗教はまた、それぞれのなかに異なる教義などを求めるので、極めて複雑な分派がある。 ・「イスラエル国」・・昔々、居住地からローマ人に追放され、世界に散らばっていた、ユダヤ民族がシオニズム(エルサレムのシオンの丘に帰る意味、ユダヤ文化を復興・ルネサンスする意味)で建国した「イスラエル国」。・「パレスチナ申請国」・・パレスチナ地方に住み続けていたアラビヤ系現地人でイスラム教信者の多い「パレスチナ申請国」。 ・この両者を隔てる「イスラエルの分離壁」。 ・両者をそれぞれ支持する「列強」と「過激なアラブ」。 ・静観する「穏健なアラブ」、「その他の宗教国」。 なかなか、宗教問題は難しいものである。 宗教問題だけでなく、「OIL(原油)」、その他の「希少資源問題」なども絡んでくる。 熱意をむき出しの「資源確保狙いの国々」などがあれば、余計に難しくなる。 唯一の国際問題・調停機関の国際連合でもって、なんとか解決願いたいものである。 日本でも、ユダヤ民族とは無関係ではない。はるばる高度の技術をもたらした、秦の始皇帝末裔という日本の秦氏、ナチス・ドイツ迫害を逃れた難民に対して、訓令に違反してまで、大量のビザを切った「日本のシンドラー」杉原 千畝など、無関係ではなく、なんらかの関係が深い。 なんとか、良い方向に動かないものか。 いろいろな「壁」を並べてみる。 「ハドリアヌスの長城」と「アントニヌスの長城」:ケルト人の侵入を抑止するために、ハドリアヌス帝がイングランド北部、スコットランドとの境界線近くに建設した。工事は122年に開始、完成には10年の歳月を要した。ローマ帝国が拡張政策を断念した転換点でもある。長さ118km、壁高4から5m、厚さ約3m。当初は土塁、後に石垣。6km間隔の要塞には5百人から千人のローマ兵を配備。現在のイングランド・スコットランド境界線に影響を与えている。アントニヌス帝が、さらに、その長城よりも160km北に、北側に幅広の堀と南に軍道を備えた高さ4mの土塁を60kmの長さで建設した。142年からわずか2年間でのことである。 「万里の長城」この長城の起源は紀元前657年に、匈奴の侵入を防備するべく春秋・戦国時代に各国が険しい場所に長城を建設した。さらに大規模となったのは、全国統一を果たした、秦の始皇帝の時代からで、北の異民族・野蛮人の侵入を避けるために万里の長城を建設した。その後の明の時代に最長大となった。この長城は総延長8851.8kmに上り、高さ5~8mの城壁である。 「日本の太宰府の水城」水城は、唐・新羅の攻撃から大宰府を守るための防御線となる直線状の堀と土塁。土塁の高さ10m以上、幅80m、長さはわずかに、1.2kmである。建設は664年。 「ベルリンの壁」冷戦崩壊とともに壊された、あのベルリンの壁である。東・西ドイツ国境を分ける長大な壁ではない。東ドイツ国の中にあるベルリン市の「東ベルリン」・「西ベルリン」を隔てる、空白の分離帯を挟んで両立するコンクリートの壁である。西ベルリンを囲む円周155kmのうち、東・西ベルリンを隔てる壁は43kmである。壁が最も厚いところは1.2mで、高さ3.6mもあった。1961年~1980年に建設され、1989年11月に破壊された。 「イスラエルの分離壁」当初は高さが2m程度で、女性でもなんとか乗り越えられた壁だったが、現在は2002年から建設を始めた分離壁(イスラエルは「自爆テロを防ぐための安全フェンス」と呼ぶ)が、高さ12m、長さは440kmにも延長されている。堀・有刺鉄線・電気フェンス・巾60~100m警備道路の部分と、コンクリート壁で構成されている。 「ヴァン・アレン帯」(ウィキペディアによる)ヴァン・アレン帯は地球を360度ドーナツ状にとりまいており、内帯と外帯との二層構造になっている。赤道付近が最も層が厚く、極軸付近は層が極めて薄い。内帯は赤道上高度2000~5000kmに位置する比較的小さな帯で、陽子が多い。外帯は10000~20000kmに位置する大きな帯で、電子が多い。太陽風などからの粒子が地球の磁場に捕らわれて形成されると考えられている。地球以外にも磁場を持つ惑星である木星、土星で存在が確認されている。 「オゾン層」・・・・・「大気圏」・・・ これらがなくなると、人類は生きていけない。だんだん呆けてきたので、これで止める。 一つ思い出した。スペインの島の街、世界遺産の「非要塞都市」ラ・ラグーナである。サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島北部の都市である。スペインが占領した植民地であるが、生き残った先住民との共和を図るべく、街を二つに分けてつくり、中心に教会を置き、「境界のかわりの道路両側には椰子の木が並ぶ」。その道は「愛の小径」といわれて、椰子の幹には、スペイン人と原住民の結婚の「プレート」が堂々と並ぶ。融和政策の成功である。しかし、これは、融和政策の成功例ではあっても、中南米にもたくさん応用された、キリスト教支配の成功例である。似たものながら、非なる、キリスト教徒・イスラム教徒の友好・共存の成功例ではない。しかし、なにか、応用は出来ないのか。 やはり、呆けの小生には考えが及ばないことに気がついた。脳幹梗塞の小生には、頭が痛くなると、考えることを止めればよいが、これからの世界の平和のためにはそうはいくまい。 世界の叡智の出番である。「エース」の登場をみんなが待っている。
Oct 1, 2011
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