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何と10日連続で日記を書き続けていた。飽き性の僕にとっては初の快挙だ。って、この話題で今日は回数を稼いでしまった(苦笑)
2006年01月30日
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久々の鉄ネタ。東京・神田にある交通博物館が埼玉・大宮に移転するとのことで、今年5月の閉館までの間、旧萬世橋(まんせいばし)駅を公開しているとのことで行ってきた。交通博物館のある場所は、もともと中央線の始発駅だった萬世橋という駅だった。すぐそばを流れる神田川にかかる中央通りの橋が「万世橋」で、これが駅名の由来。この駅が開業した当時は、周辺には繁華街が広がり、路面電車の主要な系統が集まってたいそう賑わっていたそうな。その後、今の東京駅が開業したため路線も伸び、単なる通過駅に。直後の関東大震災で立派な駅舎が焼け落ち、その後再建されたものの、近くに秋葉原駅が開業したこともあって往年のにぎわいが廃れてしまい、戦時中の昭和18年に廃止された。まだ駅が営業していた昭和初期に、駅に隣接して交通博物館が開業。廃止された駅は、博物館に覆い隠されて眠り続けている。見学するには、入口でまずエントリーが必要。時間になると集合場所から職員の引率で一列に並んで駅跡へ向かう。↓駅跡の入口は、何の変哲もないこの扉の向こう。扉を開けると、普通の事務部屋がありそうな感じで、とても駅構内への入口とは思えない。職員用の通路を歩いて高架下のドーム内へ案内される。ここは出札所だったのか?それはわからないけど、中央線の鉄桁がむき出しで、思い出したように電車が通過する音が響く。 ここで萬世橋駅の歴史を紹介した映画を鑑賞し、いよいよ旧駅ホームへ向かうべく、通路を歩く。至る所に「まんせいばし」と書かれたホーロー製の駅名板が。これはたぶんレプリカだろう。おもむろに目の前にホームへ上がる階段が登場。 よく見ると、階段の滑り止めがない。戦時中の鉄不足のさなか、軍からの命令で供出させられたらしい。駅は戦争中の昭和18年に廃止されているから、供出されたままの姿で残っているわけだ。このほかにも、今は剥がされて保存処理されているが、階段の踊り場に『不要不急の旅行は控えませう』といったような、戦時中を思わせるスローガンポスターが階段に貼ってあったそうだ。 実際の電車が運転されているので、残念ながらホーム跡へ踏み入れることはできなかったが、階段越しにホーム跡をのぞき見る。中央線の車内からは何度となく通過して見知っていた地点だけど、アングルが違うだけで新鮮な感じ。階段からは秋葉原の電気街も望むことができた。とてもレトロな雰囲気の萬世橋駅跡。見学者も鉄ちゃんよりむしろ年配のおじさんやおばさんが多かったような。古き良き時代を彷彿とさせる光景に、かなり癒された。
2006年01月29日
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認定コーチ試験リベンジに向けて、いろいろと取り組んでいる今日この頃。そうした中で、周囲のアドバイスを総合すると「やっぱり自分にもコーチをつけなきゃ」という一つの結論が。で、そう思ったとき、先日お会いした一人の方がフッと浮かんだ。安心して話を聴いてもらえそうな安心感。含蓄のあるさまざまな情報。初めてお会いした気がしなかった。一も二もなく「私のコーチになってください!」と連絡をとったところ、二つ返事で引き受けてくれた。石橋を叩いてもなかなか渡ろうとしない自分。あるコーチが「アクセルを踏みながらブレーキをかけている人が多い」とおっしゃっていたが、自分がまさにそのタイプだ。「コーチをつける」ここに到達するのに、どれほど時間がかかったことだろう。でも、ゆっくりゆっくりではあるけど、何とか少しずつステップアップしていることに、とりあえず及第点をつけたい。それでも、以前の自分には考えられないことだったから。
2006年01月28日
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大阪のコーチ仲間から協力依頼された。CTPのクラスコーチとしてデビューする方のリハーサルクラスに参加してくれないか、と。そんなクラスがあるのは初めて知った。クラスコーチになるには、試験を通過してからもいろいろカリキュラムがある、とは聞いていたけど、リハーサルクラスというハードルも用意されてるのか。改めて、クラスコーチの価値の高さに気づいた。さてくだんのクラスコーチ。無理もないけど、まだまだ初心者の域を出ていない。まず滑舌が今ひとつで、語尾が聞きにくい。「自分も電話でこんなしゃべりをしているかも」。クラスに参加しながら、そんなことを考えていた。
2006年01月27日
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24日放映のNHK「プロフェッショナル-仕事の流儀」。ようやく今日、録画を見た。今回は銀座の裏通りで店を開いている、その道では有名なパティシエ。洋菓子を作っている、というより、失礼ながら「とび職」でもしているんじゃないか、というオッサンだった。でも、菓子を作る上でのこだわりはすごい。コーティングするチョコレートの温度や粘り気に秒単位で気を配り、ここぞというタイミングで一気にコーティング。いかにツヤを出すかは、一瞬の判断で決まるらしい。「『当たり前のこと』が難しい…」くだんのパティシエの言葉。まさに言い得て妙である。
2006年01月26日
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昨年夏に購入。iPodシャッフルよりボディの質感が洗練されていて、気に入った。取り込み用ソフトウェアが使いづらいといった酷評もあったし、最近のSONYはどの製品もパッとしない、という評判だったけど、僕にとってはそれ以上に商品の価値を見いだしたので気になることなく、ポータブル・ミュージック・ライフを堪能していた。ところがここに来て、どうも機械の調子が悪い。PCを通して充電するのだが、充電が終わってしばらく放っておくといつのまにか電池切れ状態になってしまい、まったく動作しないのだ。いろいろとマニュアルを繰っているのだが、残念ながら今のところ解決策はどこにも示されていない。やっぱりSONYブランドは地に落ちたのか…?しばらくはこの小さなスティックを相手に憂鬱な日々が続きそうだ。
2006年01月25日
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今年になって初めての「コーチング・プログラム説明会」へのサポーター参加。僕が受講者の立場で参加したのは1年半ほど前。その時に既にCTPを受講している人たちのナマの声が貴重だったので、逆に今はメッセンジャー役をやっている。約1か月ぶりの参加だったが、スタッフも入れ替わり何となく雰囲気も違っていた。それにしても今回も受講者はほぼ満席御礼の状態。いつも多くの参加者で教室が埋まる。それだけ「コーチングを学ぼう」という人が多い、ということだ。ということは、コミュニケーションについて前向きな課題を抱えている人がそれだけ存在している、ということ。そしてその大半が20~30歳代のフレッシュな人たち。日本も捨てたもんじゃないね。
2006年01月24日
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コーチ21のCTP。実は今日1月23日はCTPのストロング・スタートが行われて1周年という、僕にとっては記念すべき日。この1年、あっという間だったと思えば、ストロング・スタート・プログラムに参加したのはずいぶん前のこととも思う。と感傷にふけっている場合ではない。自分にとっては前代未聞のトラブルが発生した。というのも、今日から1月度の新しいクラスが始まったのだが、何と電話をかける寸前にモジュール間違いが発覚!(笑)自分はK17を履修するつもりだったのに、実際にリザーブしていたのはK18だったのだ!(すみません、K17だのK18だの、CTPに参加している人にしかわかりませんね)予習もK17をきっちりやっていた。K18はまるっきりテキストにすら目を通してない。クラス参加中に何とか体制を整えることができたけど、終始冷や汗ものだった。しっかりしているように見えて、当たり前のところが抜けている。それが自分という人間。消費者金融のCMじゃないけど「もっとちゃんと確認しないと!」
2006年01月23日
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日本中を騒がせているライブドア。自殺した元役員(エイチ・エス証券副社長)と、以前名刺交換をしたことがあった。名刺は残っているけど、どんな人だったか思い出せない。ほとんど記憶のかなた。当人を知る人によれば、彼は「親分肌」だったらしい。どんなことでも親身に相談に乗り、話を聴き、ひと言ひと言が頼もしい。多くの人から慕われていたとか。それがいろんなものを背負い込むことにつながったのだろう。彼にコーチがいたら、背負い込んだものを整理できただろうに。そして。ホリエモンにコーチがいたら、粉飾なんて犯罪に足をつっこむことはなかっただろう。今までの活躍が痛快だっただけに、このまま巷間に埋もれていくのはあまりにも惜しい。もう一度スタート点に戻って、コーチを雇って、再起を図って欲しい。
2006年01月22日
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北国の方には申し訳ないが、ようやくこの冬初めて雪が積もった。家の裏の畑には、シンシンとボタン雪が降り積もり、いつの間にかまっ白に。ウッドデッキもうっすらと。これくらいのあんばいの雪だと、気持ちが凛として引き締まる。これ以上降り積もると、こたつの中で丸くなる(笑)。ちなみに今日は用事で都心へ出たけど、東京都内のほうがもっと積もっていた。
2006年01月21日
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大学時代、ゼミで同窓だったO君と久々に酒を酌み交わした。彼は卒業後すぐに東京で就職。約10年前の結婚式で顔を合わせて以来、年賀状だけのやりとりに終始していた。僕が転勤で関東に移り住んでからも、僕のおっくうな性格が災いして、とうとう会わずじまい。それが、今このタイミングで突然会うことになったのには、実はとてもサプライズなできごとがきっかけだ。というのも、そのO君が住んでいる家と間に3~4軒ほど置いて、僕と同じ職場のYさんが住んでいる(!)ことが、年賀状を整理していてわかったのだ。町名はもちろん、地番までほぼ同じ。違うのは最後の住居番号だけ。こんな偶然があるだろうか。しかも僕もO君もYさんも大阪出身と来ている(笑)O君とYさんは直接面識はないようだけど、ご近所さんには間違いないので、何度となくすれ違っているだろう。この10年間のO君と僕とのブランクを埋めるために、1杯目の乾杯をしてからの3時間は、あっという間だった。でも、まだ埋めきれていない。そのうちに再度会うことになるだろうね。
2006年01月20日
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先週から始まったNHK「プロフェッショナル-仕事の流儀」。今回もすごい人だった。心臓外科医。年間の手術数が何と300回!ほぼ毎日、患者の胸を開いて心臓の手術をしていることになる。日本全国のみならず、世界中からこの先生の手術を受けようとする心臓疾患の患者が引きも切らない。立ち会う医師や看護士が舌を巻くほどのスピード。縫合に至っては芸術家並みの仕上がり。「ウデは修羅場の数で決まる」「1%の可能性があれば、それに賭ける」ドキリとする言葉が並ぶ。果たして僕は、修羅場をどれだけくぐり抜けてきたのか、10%の可能性でも逃げてきたことはないか。
2006年01月18日
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勤務先のすぐ近くにある建築中のマンションです。マンション名には「目白」が冠されてますが、どちらかといえば高田馬場です(^^;;;防塵カバーがはずされ、ようやく外壁が現れてきました。一番良い区画は1戸2億以上するんですって!
2006年01月17日
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今日は本当に久しぶりの雨。「コーチングの練習相手になって!」という申し出を受けてくれて、同じ狭山に住む会社の人に狭山市駅横のドトールでセッション。でもほとんど、相手の話を聴くだけで終わってしまった(^^;;;その後、コーチングの自主勉強会に参加するために、遠路はるばる船橋まで移動。コーチング・ライブでもそうだけど、こういう勉強会や研修会では、初めて会う方が多い。年齢も職業もさまざま。でも『コーチング』というキーワードで結びついているご縁なので、とても初めて会ったとは思えないくらい、めいめいが意見を言い合い、それを共有することができる。自分の世界が広がるというか、えもいわれぬ心地よさが残る。今日も大半が初対面。でもたくさんの意見交換をして、多くの「気づき」をもらった。お開きになった後、近くの居酒屋で二次会。話がはずみ、時計を見れば夜10時。案の定、帰りの西武線は久々の終電でした。午前0時50分帰宅!
2006年01月14日
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勤務先の裏手で一昨年あたりからマンションが建設されている。今年の3月竣工予定で、ようやく外壁が見えてきた。そこは学習院の下。もともと学習院大学の職員寮があった土地だ。そこを住友不動産が買い取って約400戸のマンションを開発することになったもの。その名も『目白ガーデンコート』。どう考えても高田馬場なんだけど(笑)。で、今になってこの物件、大きな話題になっている。耐震偽造とかそういうことではない。何と、黒田慶樹&清子夫妻が居を構えるらしい。3月には、仮住まいのワンルームマンションから、都内に建築中の新築マンションに引っ越す、というニュースが婚礼時に流されていたが、そのマンションが、何と職場の真裏だったわけでビックリ!たぶんこの物件は、この事実だけで資産価値が相当上がるのではないだろうか。契約した人たちは万々歳だろう。ただ反面、SPなどもウロウロするだろうから、窮屈な生活も強いられるだろうけど。それにしても、自分の行動範囲のすぐそばに、世間の耳目を集める人が住むなんて。今でも大阪に住んでいたら、こんなことに遭遇するわけもなかった。やっぱり関東に来ると、いろんなことがあるね。
2006年01月12日
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NHKの看板番組だった『プロジェクトX-挑戦者たち』が昨年末に終了し、後枠として10日から『プロフェッショナル-仕事の流儀』が始まった。1回目は星野リゾートの星野佳路(よしはる)氏。経営の傾いた旅館やホテルなど、リゾート施設の再建請負人だ。以前からビジネス誌では取り上げられている人だけど、素顔は初めて見た。軽井沢の老舗旅館の御曹司で、米国留学など、学歴は華やか。でもこの人にも相当な苦難があったらしい。父親から経営を任され、すべての業務をマニュアル化し、トップダウンで米国流の経営手法を取り入れたところ、古参社員が猛反発し、どんどんと職場をやめていった。最悪期には3分の1の優秀な社員がいなくなり、残ったのは若手ばかり。挙げ句に、人員募集で職安に行くと『星野旅館に行くと殺される』との落書きが。当然、経営にも赤信号が灯る。悩みに悩み抜いた末、星野氏が到達したところが「上意下達ではなく、人に任せる」こと。それからは、一切自分の指示を押しつけないようにし、本人たちのモチベーションアップに気を配る。すると社員は自分たちの考えで業務を行えることに喜びを感じ、その後は自動的に業績回復。その成果を聞きつけて、全国各地から経営の行き詰まった旅館・ホテルの再建話が持ち込まれ、それらもことごとく復活させてきた。番組では、伊豆のある老舗旅館の再建を追っていた。社員たちのクレーム処理の会議では、「私は一生懸命やっているのに○○さんがやってくれない」「それはあんたたちの仕事でしょ」と、責任のなすりつけあい。雰囲気は最悪。そこへ星野氏が入り、旅館の新しいコンセプトを設定することに。熟年女性のリピーターが多いことに目をつけ、それを深堀りしていく。これは、と思う社員をピックアップして都内のオフィスに集め、熟年女性から求められるサービスをテーマに模造紙にいろんな条件を書き込ませていって、ファシリテーション形式でディスカッション。そこで「熟年女性を感動させるための旅館にする」というコンセプトをみんなで編み出した、という演出をする。コーチングの世界と一緒だ。で、おそらく星野氏は自らの苦い体験を通して、そのスキルを会得したことに感嘆してしまった。星野氏曰く『プロフェッショナルとは、人を信じること』だそうである。
2006年01月10日
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スーパーの菓子売り場で、こんな商品が並んでいた。さらにあんなのやこんなのも。数年前からネスレのキットカットの語呂が『きっと勝つ』に似ていることから、ゲンを担ぎたい受験生がこぞって買い込むというブームが起きた。おそらく、今日見つけた菓子類は、逆にその受験生に対してゲンを担ぐために開発したのだろう。ちなみに「ウカール」とか「カナエルコーン」とか、ネーミングがまるでオヤジギャグだが、「コアラのマーチ」だけはそのままだ。なぜだろう?思わず手にとってみると「コアラは眠っていても木から落ちないのです」と書かれてあった。「そんなん、受験生が寝てたら試験に落ちるやんけ!」と思わず頭の中でツッコミを入れる。キットカットは、メーカーであるネスレのあずかり知らぬところで、主人公の受験生らのゲン担ぎから、ブームが始まった。今日見た他の菓子は、メーカー主導でわざと開発している。どこまで受験生にウケるのだろうか。節操がない、と思うのは僕だけか?
2006年01月09日
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年末までにラティスを建てるための支柱のベースを取り付けていたが、ようやく揃ったラティスと現物合わせしてみると……ガビーン( ̄□ ̄;)!!ベース間にラティスが入らない(ーー;)ラティスが規定の寸法より若干大きめに作られているようだ。嘆いていても始まらないので、ベースを取り外し、再度現物合わせしながら穴空け。ところが前回の穴の至近に新しい穴を空けるので、ドリルがすべって前回の穴へ引きずられてしまい、うまく空けられない。…で、家具で使われるダボ(↓)というものを買ってきて、埋め木を試みると何とかうまく穴を空けることができた。やっぱりこういう工作は、いかに設計図がしっかり書けていたとしても、現物合わせが肝心だ。…反省\(__ )
2006年01月09日
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「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を見てきた。いつもながらSFXに感嘆し、ハリーやハーマイオニー、ロンの3人がどんどん大人びてきているのも見ていて楽しい。しかし、相変わらずこのシリーズのストーリーが僕には難解(^^;;;何というか、一気に場面が切り替わってしまって、自分の頭が追いつくのが必死なのだ。しかも今回のシリーズは上映時間が3時間弱。よく隣の息子は飽きもせずに見ていられるものだ。感心した。こっちは途中でまぶたが重くなってしまい、不覚にも一部分のシーンを見落とした。で、場面が次から次へとジャンプしていくので、余計にわからなくなった。でも次のシリーズも結局は見に行くんだろうねぇ…。
2006年01月08日
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正月に大阪城に行ったときのこと。天守閣前の広場にこんなものを見つけた。タイムカプセルだ。1970年の大阪万博の時に松下電器が企画したもので、当時、小学校一年だった僕は、パビリオンの松下館で展示されていたカプセルを見たのを思い出す。当時のさまざまなアイテムがこのカプセルに詰め込まれ、ここ大阪城に埋められた。で、このカプセルが開封されるのは、1970年から数えて5000年後の西暦6970年!果たしてその時に人類は存在しているのか!?
2006年01月07日
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会社は明日からだが、顧客である金融機関は今日から仕事始め。ということで、午前中は出勤だった。そのために昨日一日かけて帰省先の大阪からわが家へ帰還したわけで。いつもながら年末年始休暇明けは気が重い。『サザエさん症候群』ほどではないにしても、昨日一日、車を走らせながら気持ちはどんよりとしていた。でも悲しいかな、サラリーマンの性(さが)で、今朝はいつも起床する5時半に目が覚める。新聞に目を通し、ニュースを見ながら朝食をとり、歯を磨き、背広に着替えて家を出る。ここまでほとんど無意識(^^;;;そして重い足取りで駅へと向かう。世間の大多数は5日が仕事始めのようで、1日前の今日はホームで電車を待つ人影もチラホラ。電車もいつもの休日よりも乗客が少なかった。高田馬場に着き、会社までの道すがら、いつもの見慣れた景色を見ているうちに、ようやく身体もマインドも正月気分が抜けていつもの感覚に戻っていくのがわかる。今日は顧客へのあいさつ回りなので会社には立ち寄る程度。しかも半ドン。年始めのウォーミングアップにはちょうど良い。本当に明日から出勤する他の社員たちは、僕が今日感じた気の重さよりもっと重いだろう。
2006年01月04日
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ウォーキングをしているとこんなバス停が。「ここ、埼玉です」と言われても、一瞬疑うことがない。実家のある富田林の隣は昔「狭山町」という町だった。20年くらい前に市に昇格するときに、埼玉県の狭山市とかぶるので、公募の結果「大阪狭山市」に。普通なら「豊後高田市」とか「大和郡山市」のように旧国名を冠して、「河内狭山市」となるところだが、「大阪府の中の狭山」を意味づけしたかったらしい。当時は違和感を持ったけど、今にしてみればそれもありかな?こちらは実家の最寄り駅。小学校の頃に引っ越してきて、結婚するまで20年間お世話になった駅。当時は人口数万人を擁するニュータウンの玄関駅なのに急行さえ停まらなかった。何度か地元の自治会とか商店会が南海電鉄に請願したけど「駅長を置いていない駅には急行は停車させない」という内規を盾にかたくなに拒否していたとか。南海は昔の国鉄に負けず劣らず保守的だった。それが今では特急まで停まる駅に変貌した。南海電鉄の利用客数ベスト5に入る駅らしいから、当然といえば当然か。
2006年01月03日
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戦国時代に興味を持っている息子のリクエストで、大阪城に行ってきた。大阪生まれ・大阪育ちなのに、実は大阪城には数えるしか行ったことがない。久々の大阪城はリフォームされていて、以前より小綺麗になった。内装もけっこうモダンな様相に。正月二日というのに人出は多い。欧米系の外国人に混じって、韓国や香港からとおぼしき面々も。韓国の人たちにとって、にっくき豊臣秀吉を奉っている大阪城内の展示物はどのように見えるのだろう。近くにある馬場町(ばんばちょう)のNHK大阪放送局も近代的な高層ビルに生まれ変わっていた。外壁の湾曲具合が、東京・日本橋一丁目ビル(コレド日本橋)とそっくり。ひょっとして設計者は一緒なのか?
2006年01月02日
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帰省先の実家に居候しているネコとご対面。ネコのほうは、チョロチョロしているハムを見ても、無反応。まるで『アルプスの少女ハイジ』に出てくる犬のヨーゼフみたい。
2006年01月02日
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雨天の予報が覆り、ここ帰省中の大阪も雲一つない上天気。その天気に誘われて朝食後にプラッと外へ出る。実家の金剛団地の周囲をぐるっと一周。途中で南海電車をまたぐちっぽけな橋まで足を伸ばした。その昔、中学生の頃に塾へ通うのに自転車でよく通った橋だ。30年たった今も健在なのはすごい。よくよくあたりを見回すと、周囲の光景もあまり変わってないように感じる。伏山台(ふしやまだい)小学校脇に「伏山神社」と書かれた石柱が。こんなところに神社があったんだ。鳥居をくぐって坂道を上ってみた。ほこらに毛の生えた程度の小さな小さなお社。初詣に参る人すらいない。そこから大阪狭山方面の景色が広がる。初めて見るアングル。団地周りの戸建て住宅も、最近建て替えられた家が目立つ。中には廃屋もちらほら。30年の月日は過ぎてしまえばあっという間だけど、家屋の光景一つとっても時代の流れを感じてしまう。2時間弱のウォーキング。懐かしくもあり、新たな発見もある、貴重な時間だった。
2006年01月01日
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