今日も元気で

今日も元気で

2006.12.03
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  てんてこmyさんが、りうりうには弱点があるのか? と
  先日お訊ねになられましたが(笑)、それはもう山ほどあるなかで。

  1番のそれは、傲岸不遜であった過去の私の無神経さや言の葉不足で、
  やらかした数々の極悪非道な振る舞い。

  かつて、幾多のひとを傷つけ、踏みにじって来たであろう
  我が身の無神経さを省みれば、未だに脇に冷や汗が滲む。



  そのなかでも、いじめ問題について、多少でもブログで語っている以上、
  いつか懺悔しなくては、と、ずっとこころ重かった事件。

  それは、小2の私のこころない言の葉で、クラスメイトが転校していったこと。






  どの学年も1クラスしかない、こじんまりした学校だった。

  なかでも、私の学年は人数が1番少なく、男子17名、女子8名。

  私は、明朗活発を絵に描いたような少女で、
  女子よりは男子と遊び、いつも運動場を走り回っていた。

  1年生のくせに、上級生ともタメ口を利き、
  生意気だと叩かれながらも受け入れられていき、可愛がって貰うようになり、
  校長先生を始め、(自分の担任以外の)先生方とも仲良しで。


  傍若無人、怖いものなしのような私の唯一の悩みは、 給食

    自校式の給食で、いつも熱々をいただけるのに。
    給食のおばちゃんたちとも仲良しだったけれど。



  私の時代は、ミルクは粉乳で、熱々の粉乳もアルマイトの食器に注がれて、
  合掌していただくころには、膜が張って生温く、ミルクだけでも撃沈。

  おかずは温野菜、煮物、酢の物中心で、
  味付けやにおいがどうにも私にはダメ。 食べられるのはパンだけ。
  もう少し醤油味でも効いてればもっと違ったのでは、と思うのだが。。



     食生活に気を遣う母は、おやつまで全て手づくり。
     家で偏食など許されなかったが、それでも少しでも私が食べ易いように
     母はあれこれと工夫をしてくれていたのだなぁと実感する。

     例えば、キャベツの芯なども、芯だけを削ぎ取って細く刻んであったり、
     人参は薄く薄く切ってあったり、
     胡麻油を使い、野菜固有のにおいをできるだけ消してあったり、と。


  当時の担任の給食指導は厳しくて、何があっても、絶対に残すことは許されなかった。

  給食時間が終わっても、お昼の大休憩時間も、ずっと給食と向かい合う。
  このまま5時間目を迎えては大変なので、
  私はひたすら吐き気と闘いながら、懸命に食べようとする。

  献立によっては、その献立が苦手のクラスメイトたちが、
  私同様、お昼の大休憩時間も頑張って一緒に悪戦苦闘する。

  だが、私の場合は、それが、ほぼ、毎日。。。orz....
  学校は大好きだったけれど、3時間目位から憂鬱になってくる毎日。

  卒業式には、クラスメイトたちが全員泣いているなかで、私はただひとり、
  給食と別れられることから、嬉しくて嬉しくてたまらなかった程である。





  クラスにもうひとり、私同様、給食が苦手な女子が居た。

  私よりもっと苦手で、毎日1番最後になる。
  5時間目に突入することも多々あった。

  私は彼女のお蔭で、不名誉な「1番最後」を免れていた。

  ひとから見れば、私も彼女も五十歩百歩であるのに、
  不遜にも、私は『 彼女と私と一緒にしないで 』と感じていた。

  時には泣きながら。 時には、トイレで吐いてでも。
  5時間目に突入させないことが、私のできる最大の努力だったし、
  それを突入させてしまう彼女をダメダメだと感じていた。

  やっとのことで片付けた、考えたくない、思い出したくない給食のにおい。
  思い出せば吐気を催しそうな食感を、
  5時間目の授業中に、彼女の机からまだ突きつけられることを、憎んでもいた。


     どうしてそのとき、相身互いだと。
    「 辛いけど一緒に頑張ろうね 」と。
     彼女とこころ寄り添いあえなかったのか。

    「 1番最後ぢゃない 」
    「 授業時間には突入させない 」ということにしがみつく、
     ちっぽけな私の、なけなしの矜持。

  なんとか給食時間中に食べられた日は嬉しくて、大休憩を運動場でめいっぱい遊び、
  チャイムが鳴り、教室へ戻り、給食と格闘する彼女の姿に、
  優越感さえ覚えていた、さもしい記憶が残っている。。。。。



  或る日、ついに、5時間目の授業中、彼女は盛大に嘔吐してしまった。

  彼女の机の周りのクラスメイトたちは大混乱に陥り、担任は激怒。

  そして担任は、私に後始末を命じるのである。

  どうして私なのか、何といって命じられたかは、既に正確には覚えていない。
  「 同類同士 」とかなんとか、そんなようなことを言われたのだったが、
  ただただ理不尽に感じつつ、雑巾を手に取り、
  彼女の汚物を拭いていて、そのにおいに溜まらず私も嘔吐し。

  担任の重ねての激怒に、私も爆発し、その怒りは彼女へと向かい。

      「 貴女のお蔭ですごい迷惑! 」と怒鳴った。。。( ┬_┬)

  それから、彼女は1日欠席したものの、
  翌々日からは出席し、普段と変わりない日々が続き、
  すっかり私もこの事件を忘れてしまった頃。


  1学期の終業式の日、
  彼女は、市外のおばあさんたちと一家で一緒に住むことになった、と
  転校の挨拶を皆の前でした。

       ふーん、そーなんだーと思いつつ、
       あ、給食、頑張らなくては、私が1番最後になっちゃう。などと思い。

  帰宅して、母に、○○さん、転校するんだって、と告げると、母はみるみる眉を曇らせる。


      「 ? 」

      「 りうちゃん、貴女には黙ってたけどね… 」


     彼女は、あのときの私の言の葉にいたく傷ついていたこと。
     卒業までクラス替えがないから、
     これからずっと私と共に在るのは、とても耐えられないと思ったこと。
     だから、おばあさんのところへ行くことにしたのだ、とのこと。

  そのことを、母は、彼女のおかあさんから告げられたらしい。
  母がいつ頃、それを告げられたのか、
  そして、何故、この日まで母が私に黙っていたのかは判らない。
  もう、覆せない決定事項として聞かされたためだったからか?

      「 りうちゃん、貴女は強いから、貴女の言の葉にも強い力がある。
        これから、それを決して忘れてはダメよ? 」

  仰天した私は、ランドセルを放り投げて、彼女の家に走る。

  私の小学校は3つの地区から成っており、
  彼女は隣の地区の山を少し登ったところにある。

     かなりの距離を走りながら、心臓がばくばくし、
     我ながら、彼女の家に行ってどうするのか、
     何が自分に言えるのか、何ができるのか、
     どうしていいのか判らない、どうしよう、と混乱しつつ、でも、走る。

     早く、早く、と思いながら、
     着くな、着くな、とも思いながら、
     混乱しながら、とうとう彼女の家に着く。

  彼女の家は引っ越し準備の真っ最中だった。
  南側の掃き出し窓が全て外され、
  ソファや本棚、タンスなどが、運び出されようとしている。

  庭の畑に植えられたトマトの木の間から、
  なす術もなく、声を掛ける勇気もなく、私は突っ立っていた。

     、、、どのくらい、そうしていただろう。

  彼女のおかあさんが私を見つけ、私を手招きする。

     しりごみしながら、でも抗えず、吸い寄せられるように
     彼女のおかあさんのもとへ行った。


     「 来てくれたんじゃね、有難う 」


    耳を疑った。
    どんなに詰られるだろう、どんなに叱られるだろう、と私は脅えきっていたのに。


     「 ごめん、なさい 」


    自然とその言の葉が口から出た後は、涙が後から後からこぼれ落ちるだけ。


   彼女のおかあさんは、私の顔をじっと観て、
   それから、ぎゅっと、私を抱きしめる。


     「 もう、○子は居ないんじゃけど、
       こうして、りうさんが来てくれただけで、もういい。

       ○子がね、転校するのは、りうさんのことだけじゃないんよ。
       △先生のこともあるんよ。

       またね、きっと帰ってくるけん、
       そのときは、○子と仲良くしてやってね。

       あ、トマトを持ってお帰り 」





   この事件を、当時のクラスメイトたちがどれだけ識っていたのか判らない。
   保護者間でどのように噂され、私の両親がどんな想いをしたか、判らない。


   ただ、私が、彼女を転校させた張本人として、
   クラスメイトたちから、吊るし上げを喰らったり、
   蔭で悪口を言われて、つまはじきされるようなことはなかった。


   思い返す度に、額や脇に汗が滲む想いがし、
   「 いじめ 」に関して語る度に、この苦い体験が渦を巻く。

   まぎれもなく、私の精神構造はいじめっ子であり、彼女は被害者だった。

   彼女に対して申し訳ない想いでいっぱいになりつつも、
   連鎖を止め、私を救って下さった彼女のおかあさんに感謝し、
   識っていた、としたなら、当時のクラスメイトたちに感謝し、
   そして、クラスメイトのおとうさん、おかあさんに感謝する。

   彼女と彼女のおかあさんは、
   当時の私には考えられないほど、優しく、深い配慮をしてくれたのだと思う。






                              副級長だった私は、余りにバラバラで酷いクラスをなんとかしたい、と
                              級長と2人で結託して叛乱を起こす。
                              授業ボイコットで学級会が続き、私たちは担任の支持を得るが、
                              担任ぐるみの出来レースでは?と、クラスメイトたちだけでなく、
                              保護者たちからも吊るし上げられた結果、
                              見事なクラスとしてまとまっていった。

                              このとき、副級長のバトンを私は彼女に渡す。。。。


ペン涙。





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Last updated  2006.12.03 01:18:07
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りうりう* @ Re:(*≧m≦*)ププッ(04/01) おじゃりんさん  > ワタシ 自分の…
りうりう* @ 「 お年頃 」 お互いに > パクチのねぃさん  >…
りうりう* @ 「 つまり現在既に 」 やっぱり そなのかな^o^;?? > やじ…
りうりう* @ Re:熟慮に熟慮を重ねた末(05/07) あそびすとさん  > なんてことを言…
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