全4件 (4件中 1-4件目)
1
「ぼくたちが小さかったころねえ、おふくろは映画館に子どもを連れていくときは、小銭を掌に握ってたもんだ。それで、ラブシーンとか、あんまり子どもに見せたくない場面が出てきたらどうしてたと思う? 小銭を床にばらまくんだよ。ぼくたちはあっちこっち探りながら必死になって小銭探しにはげむ。そのあいだ、情熱的なシーンはもう済んじゃってるってことだったんだ」 あるメキシコ人から聞いた話。 (2008/04/29)
2009.10.18
コメント(0)
いまのニホンをどう分析すればいいのか。 以前にとりあげた岡田斗司夫「いつまでもデブだと思うなよ」では、 明治から始まってニホン社会の価値観はどう動いてきたか。 「家柄主義社会」 「学歴主義社会」 「ブランド主義社会」 と変遷してきたが、今から先は、 「見た目主義社会」 に移りつつあるという。 つまり、学歴社会とは過去のものという認識がある。 なぜなら、「バブル経済とITバブル」によって、一流企業よりもベンチャー企業のほうがかっこいいという見方がうまれたからである。 安定した収入や地位よりも、本人の自由にできる財力や自由にできる時間、経済や時間の「自由さ」が、人間の価値を表す基準と考えられるようになってきた。 しかしながら、いまのニホンでの貧困の問題は、「特定の人々」についてであるとも語られている。(これもすでにレヴューを記した岩田正美「現代の貧困」)。 そのひとつが、「成熟学歴社会」での「低学歴」なのであるという。 ポスト工業化社会では、高度な知識や技術を要する金融や情報などのサービス産業と、ぞくにマクドナルド・プロレタリアートとよばれる熟練を必要としない(マニュアル)サービス産業に二極化する傾向がある。 人的資本=学歴こそが、その振り分けを決定するということになるらしい。 マニュアル・サービス産業では、使い捨て的な使われ方がされ、いったんこちら側に振り分けられると、向こう側に移ることがきわめてむずかしくなる。 このことは、おなじく工藤庸子・岩永雅也「大人のための「学問のススメ」」でも、 1.従来型の「熟練」(学歴の対抗コンセプト)の価値がさがったこと。 2.労働力の非正規化がすすんだこと。 これらによって、学歴、ないし、企業内教育力の重視がうたわれていた。 このへんが、格差社会のひとつの原因になっているらしい。 見た目主義か、学歴か、社会をどうとらえるかでこうまで異なってきてしまうというのも興味深い。 では、学歴をこえるものはないのだろうか。 たとえば放送大学にもそのような想いがこめられていたのかもしれないが、その生涯教育論は、あまりにも、貧困論とかけはなれているように思える。 自分だったらどちら側に立ちたいか(あるいは、現にどちら側にたっているか)。 (これ、大学生のレポートの課題としてだされたら、おもしろいでしょうね) (2008/04/22)
2009.10.11
コメント(0)
(ちょっとあわただしい。遅く帰ってきて、いそいで明日のお弁当を用意。ツナの卵焼きにチャーハン、ハムとチーズのトルタに、メロン、パパイヤ、オレンジのフルーツというミニマム。だもんで、日記もむかしの引用ですませてしまう、スマン!) ・・・・・・・・・・ (アン・バンクロフトおばさまのミニ・オマージュ、または英語なんてムズカシクないわい、の巻) 翻訳家の柴田元幸さんはひところ、やさしくておもしろい英文小説に「卒業」をあげてたんだそうな。 たとえば、”Benjamin,I want you know I’m available to you"、なんていうフレーズ、というかavailableの使い方に感心したんだそうな。 なるほど、そういうものなのか、ナットク。 とにかく、ミセス・ロビンソンとはそういう方なのデス。 「卒業」の映画を見たのはずっとずっと昔。 でもS&Gの音楽の影響が強くて、なんかイメージが合わなかったような気も。 「奇跡の人」はTVでも、ずっと昔によくやってたような気がするけど、見たような見なかったような。 英語の教科書にヘレン・ケラーのことが出てて、たしか写真がこの映画バージョンだったはずで、それで見たつもりになってるのかな。 (ちなみに、いまでは柴田さんはおなじことを問われると、ポール・オースターのNY三部作を勧めてるんだそうな。その「シティ・オブ・グラス」と「幽霊」を読んだけど(もちろん邦訳)、そう言われてみると英文オリジナル、やさしそうな気もする。いつかジュンク堂の英文書売り場で手に取ったことがあって、ああ、これをすっかり読んだらシアワセな気分になるだろうな、とか思ったけど。。。。。うむ、ただの思わせぶりなことを綴ってはやっぱりイケナイんだろうな) (2005/06/11) 外国語でユーワクのヴァリエーションがしぜんと出てくるようになれば、ホンモノなんだろうなあ。 あと、ニホン語の本を読みながら同時進行で外国語で怒鳴りあえるようになればこれまた、ホンモノかな? (2009/04/18)
2009.10.05
コメント(0)
ゼッタイゼツメイ、という境地にひとは陥ることがある。 一週間ぐらいまえに、車がしゃっくりをするような動きを繰り返すので、困った。 近所の自動車修理屋さんにみてもらうと、いつ停まってしまうかわからないから、明日みてあげるから車を置いてけ、という。 朝が早いんだから、車がないと困るが、かといっていきなり道で停まってしまっては、手がつけられない。 しかたなくミクロとメトロで出かけ、修理代は1400ペソかかった。 それから一週間、こんどはエンジンが過熱する。 不凍液がたりないのかと思って加えてみると、ちょっとはよくなった具合。 それが、今朝は、おそろしい様相をおびた。 エンジンの温度計がぐんぐんあがっていく。 なぜかこの時間なのに渋滞があり、難儀する。 温度計をはらはらしながら見守る。 もちろん蒼くなっているし、ボンネットから湯気が出ている。 注意の赤印のゾーンのなかをのぼっていく。 ついには赤いゾーンを越えてしまう。 いつ、火が噴き出してもおかしくない状態らしい。 消火器はトランクにはいっているはずだけど、使い方がわからない。 火が噴き出した車から命からがら飛び出す自分の姿が眼にうかぶ。 しかしここまでくれば、度胸もついてしまう(特攻隊の心境だ、といえばお叱りをうけると思うけど)。 だましだまし、それでも命からがら、目的地にたどりつく。 ボンネットをあけると、不凍液はぐつぐつ沸騰してた。 さて、帰り、なんとか近所の修理屋さんまでたどり着けるだろうか。 そのために、一時間はやく早退したのだ。 さらに不凍液を加えてみたが、温度があがる。 大事をみて、途中で停める。 十分ぐらいすると、沸騰がおさまるが、走り出すとまたすぐあがる。 赤信号のときはエンジンを止めるようにしたが、まったく効果ない。 それでもなんとか修理屋さんに駆け込む。 自慢じゃないが、車のメカにはまるっきり無知である。 昔は、見えない馬が車を引いてたんじゃないかと思ってたくらいである。 ニホンで車の免許をとったことはない。 修理屋さんで、先週、手をいれてもらったばかりなのにと文句をいう。 「生きた心地がしなかった」 不凍液がエンジンにはいるまえに、サーモスタットがあって、それは寒冷地などでは役にたつが、じっさいは、不凍液を通さなかったりで、いらないものだという。 それさえとれば、いいらしい。 というわけで、なんとか一件落着。 疲労コンパイ! しかし、ここでは終わらない。 昨日は、身辺があわただしいと記した。 大事な書類が見つからないのだ。 きょうはそのことでがっこーでさんざん文句をいわれる。 昨日も探したが、今日も、もう見つからないとは思うけど、探し続けなければ。 時間のあるかぎり。。。 さんざん、あちこちかき回したすえに、あるはずのないようなところから、ひょっこり出てきた。 そう、出てきたのだ。 ああ、ふたつの試練が。。。 あとはただ絶句のみ。 (2008/04/17)
2009.10.04
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

![]()