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2020.07.25
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カテゴリ: 旅行 香川県
高松の栗林公園と高松城に行ってきました。

 沿革

①16世紀後半にこの地の豪族佐藤氏によって
 築庭されたのがはじめ
②1625年讃岐国領主生駒氏によって造園
③1642年生駒氏に代わり初代高松藩藩主松平氏
 に引き継がれる




国の特別名勝にしている文化財庭園

背景に紫雲山に6つの池と13の築山



回遊式大名庭園。





池には蓮が一面に広がっている




時期によっては花が一斉に咲き

見事な景色になるそうです。



白い蓮





庭園内は作られた当時から松で構成

されています。園内には1400本の松が

あり、そのうち約1000本が職人が手を

加える手入れ松です。

約300年にわたり手入れされた松は

巨大な盆栽のように見事です。









徳川11代将軍家斉公から賜った盆栽の

五葉松が大きく成長したもの




園内にいくつものお茶が飲める茶屋が

ありますが一番趣きのある建物

この日は時間がなかったので寄り






池に面したお茶屋さん






背景の山と一体になりとても

綺麗な景色です、常に職人さんが

松を手入れされています。
(300年続いている)


園内には落ち葉やごみも綺麗に

されています、除草や刈込みも

丁寧に作業されています。




池の中には立派な鯉

今後増やす予定だそうです




園内のベスト写真スポット

飛来峰からの1枚








「男はつらいよ」の撮影も園内であった

マドンナ約は松阪慶子さん




つづいて高松城跡に行ってきました

別名を玉藻城とも呼ばれその由来は

万葉集で柿本人磨が讃岐の国の枕言葉

に「玉藻よし」と詠んだことに因ます。





天守閣より左側は琴電の駅になっており

なくなっていますが右側は大部分現在も

敷地が残っています。



海に面した城の為

堀の中には海水、魚もチヌや鯛などが

泳いでいました、餌槍もあり(有料)



大正6年に再建された披雲閣

昭和天皇も宿泊された



二之丸と本丸の連絡橋



艮櫓
1677年完成の櫓、重要文化財指定



月見櫓
1676年完成の櫓、海側に面していた



艮櫓
綺麗に修復されています



桜の馬場から三の丸につづく橋



三の丸にある陳列館






初代高松藩主、松平頼重は徳川家康の孫

水戸黄門の兄にあたります。



生駒氏4代、松平氏11代にあたり城主を務めた




ケンブリッジ大学所蔵の天守閣写真



古地図
海に面していた事がわかります。



海水を活かして3重の堀を形成



三の丸に建てられた披雲閣

大正6年に完成、現在は貸し茶会や華会

会議などに利用されている。









月見櫓


昔はこの櫓の向こうは海
(現在は埋め立て道路)







鞘橋
二之丸から本丸につながる橋



本丸、奥にみえるのが天守閣跡



天守閣跡



天守閣跡から見える景色
鞘橋



天守閣跡から瀬戸内海方面
奥に白くなっているのは海



琴電の駅も城の隣にあります。





西の丸が現在の琴電駅



石垣の修復には多大な時間と費用が

かかるそうです、丸亀城の石垣も昨年の

豪雨で崩れ現在修復中ですが、基本的に

全ての石を元の位置に戻す為時間が莫大

かかるそうです。





天守閣跡

水に反射してなかなかの景色





ここから1km位離れた栗林公園まで昔は水路で

繋がっており、お殿様は船で庭園まで向かいお茶会

を開いたそうです。





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最終更新日  2024.06.09 06:21:08
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