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2023.02.28
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カテゴリ: 歴史
毛利元就の三男として誕生した

​小早川 隆景 (1533年~1597年)



12歳で竹原小早川家の養子となり18歳には
沼田小早川家も継承し小早川家の当主として
毛利家を支えた。

​​
豊臣政権では5大老まで上り詰めた戦国武将、
隆景は広島県三原市にある三原城にて
最後を迎えた。(65歳)

毛利元就「三本の矢」で有名な「三子教訓状」には
毛利隆元(長男)吉川元春(次男)小早川隆景(三男)
に長文の教訓が書かれています。
①毛利家を守る事
②一族の結束
③厳島信仰
④身をわきまえる(程度を知る)
この教えを守り小早川隆景は生涯を
毛利家存続に尽くしました。

隆景が訪れた場所
今回は福岡を訪問しました



出張帰りは福岡空港着でした
予定にはなかったですが急遽隆景ゆかりの
場所を訪問する事にしました。
午前中の便で午後から時間があり
名島城が博多駅から近かった為



地下鉄と西鉄を乗り継ぎ名島駅に到着



櫓のような駅
雰囲気がある、私鉄ならではの配慮



名島城跡まで徒歩15分
大名屋敷があった通り



城跡まで真っ直ぐ伸びた道
今では少し狭い道ですが隆景も通った道



本能寺の変以降
徐々に豊臣秀吉に従属した隆景と毛利
秀吉の命で九州征伐にも参加し勝利した
秀吉から筑前・築後・肥前の37万石を
与えられた。



1589年に名島城に入城
一部石垣が残る



名島城跡
現在は公園として整備
ウオーキングコースとして賑わっている



本丸のあった場所に建つ



三原城と同じ様に半分は海を自然の
堀としたつくり



朝鮮出兵ではこの城が物流の拠点にもなった
1589年から1595年まで隆景の居城となる
以降は三原城(広島県三原市)で隠居



隆景は秀吉の甥の秀秋を養子に向え家督を譲り
竹原小早川・沼田小早川時代の家臣を連れて
三原城に隠居する。

関ケ原の戦いでは小早川秀秋が西軍を裏切り
東軍の勝利に導いたと歴史的には有名ですが

このころは秀秋と毛利家との交流はほとんど
なく、秀秋も毛利方で戦う理由もなかった。
(隆景も亡くなっている)


城は半分海にせり出している自然の要塞


反対側の街側も遠くまで見渡せる
小高い丘



つぎに立ち寄ったのが筥崎宮
筥崎宮は日本三大八幡宮に数えられている
現在の福岡県宇美町で生まれた応神天皇(第15第天皇)
を主祭神として祀られています。



現存する本殿は1546年大内義隆が建立



この日訪問した目的は
この先に見える桜門(国指定重要文化財)



1594年筑前領主  小早川隆景 が建立
建坪は12坪ですが、83坪あまりの
雄大な屋根を有した建物



敵国降伏
亀山上皇の書を小早川隆景が模写拡大した物
「武力で相手を降伏させるのではなく、徳の力を
もって導き、相手が自ら降伏すること」



どちらも重要文化財



桜門から先は入れなかった為本殿の写真なし
お祓いする人のみ本殿に入れます。



太宰府天満宮にも行こうとしましたが
(本殿を隆景が建立)
西鉄電車、バス共に博多駅乗り場で満員大行列
の為諦めました。国内、海外旅行で太宰府天満宮
に訪れる人が激増しています。

ちなみに福岡国際空港の搭乗手続き、荷物の
セキュリティチェックが現在激込み中、特に
朝の出国ラッシュでは最低2時間、最悪3時間
掛かる状況、出国審査(自動)ですが審査官
はアップアップでした(日本人にしては段取り悪い)

その⑥に続く











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最終更新日  2023.02.28 00:10:09
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