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2024.02.04
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カテゴリ: 旅行 フィリピン
フィリピンの国民的英雄  ホセ・リサール
(1861年6月19日~1896年12月30日35歳)

医師であり革命家、フィリピンの独立運動の指導者
スペインの植民地政府当局により逮捕、軍法会議に
かけられ銃殺刑となる。

日本で例えると坂本龍馬のような存在、今でも
国民的英雄として学校教育でも伝えられている。




マニラの中心にあるリサール公園
2023年12月訪問





地下にはホセリサールの遺体が葬られており
多くのフィリピン人や外国人観光客が訪問していました。



ホセリサールの父は中国系のフィリピン人であり
母は日本の血が入ったフィリピン人 どと言われている



24時間衛兵によって守られている
丁度交代式が行われていた



次に向かったのはサンチャゴ要塞跡
敷地内にあるホセリサール像



サンチャゴ砦内にあるホセリサール資料館



1888年渡米途中に日本にも立ち寄っています。
そこで出会ったのが「臼井勢以子」 おせいさん
おせいさんは貿易商の娘で英語、フランス語が出来た

二人は恋に落ち2日間滞在予定が1カ月半もの間日本で
過ごします、その間日光や箱根、歌舞伎など日本の
文化に触れます。




資料館が保管しているおせいさんの絵

訪問された時に展示したとの事
(写真は知り合いからいただいた)



次に向かったのはホセリサールの出身地「カランバ」
車をチャーターし向かいます、マニラから1時間

地図上のカランバの隣に2つのハートマークがついて
いる場所は山下奉文将軍、本間雅晴将軍の慰霊碑の場所



カランバにあるホセリサールの生家
現在は資料館として資料展示されており
入場無料

修学旅行でしょうか大きなバスに乗って
中学生の団体が見学していました。

お土産物屋さんや食堂など賑やかな観光地
になっている。






ホセリサールの両親
父は中国系、母は日本系の血が入っている
資料館の学芸員に聞くと日本の血は入ってないと言う
写真をみると日本人の感じがするが?




ここでも日本訪問時の資料が展示されている
おせいさんの事は触れていない。

おせいさんの存在が明らかになったのはリサールの
死後遺族がリサールの日記やおせいさんの写真が発見
され事による



日本の日比谷公園内にあるホセリサール像
(24年2月訪問)



ホセリサールが日本滞在時に宿泊したホテルがあった
場所に建てられた。
「医師ホセリサール」
     1861年~1896年






在りし日の東京ホテル



​おせいさん(臼井勢以子)​
ホセ・リサールの遺品の中にあった写真

発見された日記には日本での思い出や
おせいさんへの深い愛情や想いが書かれています



最後に向かったのはおせいさんの墓がある
雑司ケ谷霊園
(24年2月訪問)



おせいさんの墓

おせいさんは1898年にイギリス人教師(学習院大学)
アルフレッド・チャールストンさんと結婚しています



おせいさんが結婚したのはホセが亡くなった翌年
おせいさん30歳の時、その時代としては遅い結婚




おせいさんは昭和22年80歳で亡くなる

未確認情報ですが毎年ホセリサールの誕生日6月19日には
フィリピン大使館から花が供えられているらしい。

マニラのリサール公園に行った事がきっかけでここまで
繋がり色々知る事が出来、おせいさんまで繋がった

日本人が関連する世界の歴史(教科書が教えない)
は面白い、次はキリシタン大名としてフィリピンに
渡った高山右近について調べてみたい。

江戸時代の1615年にフィリピンに渡った高山右近
その時すでにマニラには日本人街があり3000人位
の日本人が暮らしており右近が大歓迎されます。


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最終更新日  2024.02.04 00:10:09 コメントを書く


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