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こちらのブログをやめてアメブロに引っ越してから随分経ちますが、最近、引越ししたことをご存知でない方からお問い合わせをいくつか頂いておりますので、引越し先(こちら)をお知らせします。http://ameblo.jp/sakamann/しかし、今でもアクセス数が30ほどあるのにはビックリ。アフィリ中心でしょうが・・・。
September 21, 2010
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http://ameblo.jp/sakamann/entry-10495679882.html
March 30, 2010
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以前も似たようなテーマで書いたかもしれない。しかし、民主党が政権を取ってからこと、エコについて何か違うような路線を歩み出したような気もするのでもう一度自分の考えをまとめてみようと思う。エコロジーというのは我々が住む地球上の環境が(主に人間の活動によって)変えられていくのを防ぎ、祖先から頂いてきたこの自然環境を次世代以降につなげていこうという考えだと思っている。この考え方には無論、賛同するのであるが、「エコ」と略されると何か違うものに捻じ曲げられてしまうような気がする。あまりにも白黒はっきりつけたがるというか、「エコ」様がこの世で一番偉く尊い存在であるが如く扱われているような気がするのは私だけだろうか?中でも一番胡散臭いのは「二酸化炭素の温室効果」という点だ。温室効果というのは地球上の大気が熱せられて気温が上昇し、我々の住環境を変えてしまう効果のことをいうらしいが、確かにそれはそれで危惧すべきことではある。しかし、本当に大気中に存在する気体の中で二酸化炭素だけが極端に温室効果が大きいのか?もっと他にも温室効果が大きいものがあるんじゃないか?それとも、そんなに温室効果のある気体自体がもともと存在しない?一つ仮説を立ててみることにする。実は、温室効果というのは人間の活動に関係なく長い周期で見るとここ数十年は何もしなくても地球上の気温が高くなる時期であり、二酸化炭素にもそんなに温室効果はないとしよう。すると二酸化炭素を悪者に仕立て上げた者、それに乗った政府や各産業団体はかつての富士山噴火説を唱えた学者のようにバツの悪い時期を過ごさなければならなくなるが、逆にこの「二酸化炭素の温室効果」と「地球温暖化」を結びつけた誰かの本当の目的は何かを考えてみると面白い。本来、エコというのは人間の気まま勝手な活動により消費、ときには浪費される限りある物資をもっと大切に使うようにして、資源をあまり消費しないことにより地球環境を保持しようとする考えに立っているのは間違いない。私はエコはとても地味で、経済とは対立軸にあるものだと思っていた。人間の消費活動を抑制し、もって地球環境のためになることをしようというのだから至極当然だと思う。しかし、経済とエコの利害を一致させるとどうなるか?先ほどの仮説が真実に近いものとするならば、エコを言い出したのはおそらく経済との利害を一致させたい者がいろんな学者を口説き落としてこの世に広めていったものと思われる。その筋道はこうだ。今や先進国では食べるものはおろか、耐久消費財に至るまで隅々まで行き渡り、もはや欲しいものはなくなってしまった。これは経済成長や世界景気というものを考えるとそれらの牽引役である先進国が早晩、経済的に行き詰まってじり貧になることを意味する。そうなるといずれその影響は新興国や開発途上国にまで及び世界経済は破綻の憂き目にあうことになる。それは困るから先進国でもこれまで同様、経済需要を喚起しなければならない。そこでにわかに懸念されていたのがオゾンホールの拡大や地球温暖化という環境汚染だ。これに経済を結びつければ需要が引き起こすことができると考えた頭のいい人がいたのだろう。つまり、「今すでにいろんな耐久消費財(車、テレビ、エアコン、冷蔵庫など)をお持ちだろうが、それらは地球環境に配慮しなくてもいい時代に作られたものだ。だから、それらをそのまま使い続けると地球環境に良いはずがない。よって、それらを手放して地球環境に配慮された新製品を買うことによってエコロジーに寄与するのだ」とした訳だ。エコには道徳心がつきまとうから、買換えすることによって自身の善良さが自覚できる。しかし、古い時代に作られたものと今の時代に作られたもので地球環境にどれだけ影響の違いがあるかというと殆どないに等しいという寸法だ。エコが経済需要を引き起こす買い替え需要のエサにされてしまったという訳だ。では、何故二酸化炭素だけが悪者になるのか?確かに二酸化炭素には温室効果があるらしい。しかし、それの何十倍も温室効果のある気体が我々の周りに存在している。それは何かというと水蒸気だ。やかんを火にかけておくとしばらくすると沸いて出てくるあれだ。その様を見ていると(目に見えるのは水蒸気ではなく、湯気であるが)確かに熱を伝える力は相当なものがありそうだ。湿度が高いときも蒸し暑く感じるとともに、その状態が続くと温帯も亜熱帯くらいになってしまうと言われるとそうかな、と納得してしまう。それほどの物質なのに何故かエコにはとんと登場しない。まず、二酸化炭素以上に身近な水蒸気を悪者にすると俄にエコ自体が胡散臭さを放ち、人々への広まりが困難になってしまう懸念が出てくる。そんなことを政府が発表するとその国でパニックが起こるかもしれない。何せ、「明日からお湯を沸かすことを禁止する。湯沸しはエコに反するからだ・・・」なんてことになりかねないから・・・。それと、水蒸気には温室効果とともにマイナスの温室効果をも兼備している。つまり、水蒸気が多くなるとやがて雲になり地球に太陽光が届かないようにする効果が出てくるということだ。だから水蒸気自体は大きな温室効果を持っているが、マイナスに働く場合もあるためいろんな面でややこしくなるから悪者にされなかったのだろう。では何故二酸化炭素なのか?やはり化石燃料から出る気体だからだろう。化石燃料の大量消費国はこれから先進国より新興国にシフトする。人口も経済規模も大きいし、何といっても経済の延びしろがあるから当然の成り行きだと思う。しかし、これまでの世界経済を牛耳ってきた先進国としてはそれを座して見守るというのはとてもじゃないができることではなかった。そこでこれから延びてくる新興国に一定の消費枠をエコを使って設けたのではないだろうか?「我々先進国はこれまでたくさん化石燃料を使ってきたけど、これからは地球環境のことも考えないといけないから君達新興国はこれまでとは違うよ」という筋道を作ったのだ。ここでもエコの持つ道徳心をくすぐる力というのは大きい。二酸化炭素を悪者にすることによって買換え需要が起こるのはどんな商品か?車、バイク、機械に至るまで化石燃料を消費するものは全てにこの需要が起こり得る。なかなかよく考えたものだと思う。実際、現在の我が国でもエコカー減税とかいってエコカーに買換えた者に税の特典という形で買換えのインセンティヴを与えている(私は税のために買い換えるというのは本末転倒であると常々思っているが・・・)。もともと、日本というのは資源がない国だからこの小さな島の上にあるものでしか生活ができなかった。だから我々のDNAには「もったいない」という意識が深く刻み込まれている。このことが戦後の経済成長にうまく利用され、モノづくり国家として巨万の富を手に入れることができたのだと思う。これはこれからも未来永劫、我々の民族の武器となっていくであろう。その「もったいない」という精神があるから我が国のエネルギー効率は世界でもトップクラスだ。つまり、少ない資源で大きなエネルギーを手にすることができる、太古からのエコロジー国家なのかもしれない。前政権時の誤った国土計画により山林などの自然破壊が進み、また、工業化により公害を引き起こすなど我が国も環境汚染が進んでしまったからことさらエコを言いたくなるのは分かる。しかし、我が国はもともと「もったいない精神」に富んだ国であり、エネルギー効率は世界一高いといっても過言でないくらいエネルギーを消費しない国だ。そこにきてエネルギーを25%削減とか乾いた雑巾を絞るようなことを言っても何かぴんとこない。数字をいうのは格好いいが、もともと資源を消費しない国が25%削減したところで全世界的な見地でどれだけ地球環境に貢献するのだろうか?この高いエネルギー効率を駆使した機械なりシステムなりを世界に輸出してこの分野のリーダーになることこそが本当の意味での我が国の地球環境に対する貢献だと思うがいかがだろうか?少なくとも国内ではもったいないことはやめようというかつての「省エネ」のような国民活動で十分だと思うが。ここでもエコが政治に利用されているのだろうか?(注)この仮説はあくまで仮説であり、真実は不明。
September 21, 2009
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標題のようなことを聞かれたらどう答えるだろうか?確かに日本人に限らず、国民性というのはいろいろあってこれだ、と一つに絞ることはなかなか難しい。しかし、私は日本人の特性を聞かれたら迷わずこう答えると思う。「周りと同じであろうとすること」。今まで何度もここに書いてきたが、私の仮説によると日本人は大陸から追い出された者が東の端に見つけた島に住み着き、いじめられた苦い経験のある者同士一定のルールを作って暮らし始めた。このルールというのは「みんな仲良く」すること。二度と大陸のような争いに巻き込まれないためにも、そもそも争いごとをなくせばみんなうまくいく、という発想だったのだろう。だから「みんな仲良く」暮らすことが何より大切な訳だ。では、「みんな仲良く」するためにどのような知恵が出てきたか。やはり、平等であろう。みんな同じであれば仲たがいすることもない。平等の実現がなされたことはなかったにせよ、どの時代の日本人もそれを目指してきたと思う。そうでないと、恵まれている層と恵まれない層との間でいつも仲たがいが起こる。この理想と現実のギャップを「身分」というもので納得させられてきたのであろう。そこで、「仕方がない」という仲良しグループを維持するのにとても都合のいい感情を表す表現ができたのだと思う。また、仲良しグループを恒久的に維持していくためには嘘つきを廃除しなければならない。嘘つきを野放しにしておくといつグループ内の信頼が崩れ、ひいてはグループ自体が崩壊する危機につながるかもしれないからだ。日本人は実害の有無にかかわらず嘘つきを非難する。これはいいことなのだが、いきすぎる部分もある。最近の例でいえば、産地偽装など。それによって食中毒が起こるとかいう訳でもないのに、また、数日の賞味期限を過ぎたものを売ったということで会社が潰れることもある。これも偏に日本人の嘘つき嫌いのなせることであろう。もう一度言うが、日本人の最大の特徴は「周りと同じであろうとすること」だ。つまり、みんなと同じ色でい続けるということ。それによって大陸という怖いところとは隔離された、自分達だけの弱い者パラダイスを維持できるのだ。この特性もいいところもあれば悪いところもある。いいところの例は、やはり教育と道徳が同じ方向性で教えられ(最近はそうでもないかもしれないが・・・)、国民全体の底上げができることだろう。戦後の経済成長はこの国民性なしではここまで成功しなかったと思う。この国民の上に優秀な「お上」が立ってリードしていけばその方向が間違っていない限り全体が向上していく。この「全体」を考えた場合、日本人のこの特性はかなり大きなアドバンテージとなる。しかし、最近ではこの国民性の悪いところも露呈している。どうしても周りと同じ色でいようとするため、ちょっと変わったことをする人や妙な感じで優れている人を叩いてしまうのだ。「出る杭は打たれる」ってやつだ。出る杭は周りとは違った色となる。これはどんなに優秀でも周りの色とは違った色になり、全体の和を壊す可能性が出てくる。だから打ってしまえ、ということだ。これは現在のように社会が変化を求めるときに足を引っ張る。何か今までどおりではないことをしようとしても、妙に保守的な年長者によってその芽を摘み取られてしまうのだ。2週間ほど前、この国で信じられないことが起こった。衆議院総選挙で今までこの国を支配してきた「お上」にNoを突きつけたのだ。国の支配者を国民自身の手で変えたのはある意味、日本史上初のことではないか。我が国にも他の民主主義国家並みの経験値が加わったのかと思う。自由や民主を標榜する欧米諸国はほとんどが国の体制を国民の力で変えた歴史があったり、国の成立に携わった経験があったりする共通点がある。だから我が国ほど「お上」が偉くならない。車を降りれば運転者も歩行者という交通弱者になるのと同じで、「お上」もその立場を離れれば一国民であるということを我が国よりはよく分かっているのだろう。しかし、我が国では「お上」は一般国民とはかけ離れた特権階級だ。よっぽど極悪な犯罪でも犯さない限りニュースでも名前は出ないし、仮にそのようなことがあっても仲間が国家権力というとてつもない力を使って全力で守ってくれる。そして、何といっても仕事の最終責任を取らなくていい。選挙で落選すればただの人となってしまう与党議員が代わりに責任を取ってくれるからだ。中学生の頃、インドではカースト制度という身分制度があると習ったが、我が国にも今だに極端な身分制度が存在するのだ。こんなパラダイスのような身分で、実際に行われているのは学生時代の延長線上にある出世競争だけ。はっきりいうと、こんなの自己満足にすぎない。「お上」の本分は国民の奉仕ということになっているが、そんなのはおかまいなしだ。「英語で98点取った、お前は90点か、俺の勝ちだな」。こんなことと大差ないことが各省庁で行われているのだろう。そこに仕事の「本当の」成果は関係ない。そんな「お上」が今まで守ってくれた与党議員が下野することとなり、代わって自分達を攻撃する人達が与党となるということで戦々恐々としているようだ。まさしく、国民がこの国の上層部をひっくり返したと言っていいだろう。与党の派閥の長と言われる議員といい、「お上」といい、その立場に安穏としていた人たちにとってはこれからずっと向かい風が吹くだろう。自分たちの本分を忘れて(というか、棚に上げて?)自分に向かってだけ仕事をしてきた報いだ。それにしても現与党の混乱ぶりを見ると長らくこの人達に政治を託してきた我々の間違いに滑稽さすら感じる。何はともあれ、こういう特性を持ち、「長い物には巻かれろ」主義の仲良し軍団が本当に自分達の意思で国を変えたというのは感心した。これからうまくいくかどうかは分からないが、国民が自分達で選んだ道。「お上」と与党議員の馴れ合いのために費消されていた我々の財産(=税金など)が本当に我々のために使われる日が近いかもしれない。いいことばかりではないにせよ、来週から与党となる党の議員の皆さんに淡い期待を抱く。
September 10, 2009
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今年も忌わしい夏の高校野球の季節が終わった。伏兵というと失礼かもしれないが、隣県の新潟県代表、日本文理高校が最後まで粘り強く反撃し、準優勝ながら人々の記憶に残るいい野球をして、県の高校野球史に間違いなく大きな足跡を残した。関係者はもちろん、度重なる震災の難を乗り越えてこられた新潟県の皆さんには心からお祝いを申し上げたい。このブログを以前から読んで下さっている皆さんは何故私が「忌わしい」というのかはお分かり頂けると思うが、今回は平成21年8月7日の北日本新聞朝刊に興味深い記事があったのでご紹介しようと思う。これは「目指せ県勢21勝目」と題して富山県高校野球連盟の関係者の方がまとめられた記事であるが、この資料が秀逸な切り口を呈している。どんな資料かというと「夏の甲子園での1県1校制導入前後の勝利数」である。1県1校の代表が夏の甲子園に出て行くのは今では当たり前であるが、実はこの制度が実施されたのは昭和53年の第60回大会からだそうだ。私がちょうど小学校3年生で(今の私の上の子供とちょうど同じ年)、我が県の栄えある第一校目は石動高校だったと記憶している。この前の年までは県大会で優勝した後、二次予選があり、そこで優勝した高校のみが夏の甲子園に出場できていたとのこと。今のように1県に必ず代表が送れる訳ではないからそれこそ「出ることが目標」という学校も多かったと思う。さて、本制度導入の前後で県別の勝利数はどうなったか。まずは昭和52年(1県1校ではなかった時代)までの勝利数を下から数えてみると・・・47位滋賀県(0勝)、46位山形県(2勝)、45位山梨県(4勝)、43位佐賀県と新潟県(6勝)、42位石川県(7勝)、41位福島県(8勝)、39位茨城県と青森県(9勝)、38位三重県(10勝)、37位長崎県(11勝)、36位富山県(13勝)・・・・だそうで、我が県よりも勝利数の少ない県が11もあったようだ。ところが、1県1校となってからは様子ががらりと変わる。今年の夏の大会が始まる前までの通算勝利数では47位が新潟県(16勝)、46位が山形県(17勝)、45位が富山県(20勝)・・・となり我が県はワースト3位となってしまう。引き算とすると分かるが、我が県は1県1校制が導入されてから去年まで31年間でわずか7勝しかしていない。5年に一度しか勝てないのだ!これは1県1校制になった後だけを見てみるとダントツの最下位だ。しかも、同一大会で2勝以上を上げた最も最近の大会は何と、昭和33年に魚津高校が初出場で3勝し準々決勝であの板東英二投手率いる徳島商業と延長18回引き分け再試合を演じたあの時まで遡るのだ。つまり、私が生まれてからというもの、夏の甲子園で2勝した富山県代表校は存在しない。4~5年に一度しか勝てず、しかも2勝することは不可能な状態では昭和52年までは最下位の滋賀県と13勝差あったものが、今では逆に5勝差をつけられているというのも半ば当たり前のことだと思う(滋賀県は25勝、平成13年には近江高校が準優勝している)。何故ここまで高校野球が弱くなってしまったのか?私は高校野球に携わったこともなければ、高校野球をやっている子供を持ったりしたこともないが、素人目で言わせてもらえるならばいくつかの要因があると思う。最大の要因は、「出場することが県下各校の最大の目標」となっていることだ。これは選手だけでなく、各校の指導者、県高野連、そして我々県民もそう思っている節がある。富山県は、以前もちらっと書いたが、大変排他的で保守的な土地柄である。ある意味、日本の中で最も日本らしい県だと思う。長いものにはまかれろ、勝てば官軍負ければ賊軍、寄らば大樹の陰・・・・。このような県の代表が二次予選の北陸大会あるいは北越大会で優勝し晴れて甲子園の土を踏みしめる栄誉を浴したときはそりゃ、拍手喝さいで「出れば結果は二の次・・・」というところもあっただろう。ところが、1県1校制となり必ず富山県からも代表が送り出されることとなったにもかかわらずこの辺の価値観が変わらなかったのではないか。富山県大会優勝校=官軍(上に認められたチーム)となり、あとは負けても「官軍」であるが故に「惜敗」「全力でプレイ」などと美辞麗句でごまかされるようになった。高校野球という全国挙げての国民的行事に毎年一回戦ころりで帰ってくるのを半ば当たり前のことと捉えるようになって久しい。また、一時期問題となった「越境入学生」を最終的に拒んだことも要因として挙げられると思う。越境入学生とは他県の中学を卒業しているが、甲子園へのルートが近いと思われる県(つまり、弱い県)の高校に特待生などとして入学して野球をする生徒であるが、最近の北海道や東北地方の私立高校が突如として強くなったのもこの影響と言われる。今ではどこの県にもこのような私立高校はあると思う。しかし、我が県はこれを頑として受け入れなかった(色眼鏡で見てきた?)。確かに県内の私立高校にも越境入学生はいる。大阪弁の飛び交う野球部もあると聞いているが、どういう訳か我が県は県立が強い。私立で夏の甲子園に行ったのは高岡第一高校と不二越工業高校がそれぞれ1回ずつだけだ。やはり越境入学生と地元出身者とまぜこぜにするのも難しいところがあるということか・・・。私は越境入学生は全く悪いことだとは思わないし、これだけで甲子園で活躍することができるようになるとは思わない。しかし、我が県はあまりにもこれを廃除したがる向きが大きすぎるように思う。我が県にはプロ野球独立リーグ、BCリーグの(私が愛してやまない)富山サンダーバーズというチームがある。このサンダーバーズも殆どが県外出身者である。エースの小山内は岐阜出身者だし、今年から阪神タイガースに行った野原は埼玉出身で富山には縁もゆかりもない。現在25名の登録選手のうち県出身者は8名だけ。だけどファンは皆サンダーバーズが優勝すると我がチームが優勝したといって喜ぶ。何故高校野球はそれがダメでプロならいいのか、大変理解に苦しむ。プロは生活をかけていわば「転勤」してきたんだからしょうがないが高校生はまだ子供だから・・とでもいいたいのであろうが、高校生だって将来プロに行きたいと思ったら当然に甲子園で活躍しアピールできる環境が整っている高校に行きたいに決まっている。例えば、私が尊敬する東京大学に行きたい高校生がいるとして、その生徒が住んでいる県には東京大学に進学できるレベルの高校がないとする。その生徒が勉強のために隣の県の私立高校に入って東京大学に合格したらこの生徒を非難しますか?このような訳の分からない、意味のない地元純血主義者の方に聞いてみたいのは、将来、富山県に越境入学生がエースや4番を務める私立高校が代表として甲子園に行き今年の日本文理高校のような活躍をしたら喜ばないんだろうか、ということだ。私は妙な大義にこだわって勝てない甲子園に毎年恥をさらしに行く(表現はきついが)よりもこっちの方が数100倍いいと思う。突き詰めるに、我が県の高校には全国の舞台で勝つ方法、喜び、楽しさを知っている生徒、指導者、保護者、その他関係者が極端に少ないのだと思う。シーズンになれば毎週のように遠征に出かけ試合をしている高校も多くあるが、甲子園という全国の舞台に上がったとき、目的を果たしたと思って試合に臨むか、これからが自分の人生をかけた舞台だと思って試合に臨むかで勝敗がどちらに傾くかは火を見るより明らかだ。これはちょっと趣を異にするが、サッカーの日本代表がワールドカップに出るまではいいが、本戦で勝てないのと何か共通するのではないか。確かに外国でプレーし、エース級の活躍をする選手も出てきたし、ブラジルから選手を帰化させ日本人としてワールドカップに出る選手も古くからいるから富山県の高校野球とは少し勝手が違うが、やはりワールドクラスに入るには決定的な何かが足りないのだろう。日本代表がワールドカップ本戦で勝てないことのくやしさには富山県民は高校野球で慣れているから割と耐えやすいのかもしれない。越境入学生が少ないということはただでさえ閉鎖的な富山県という中しか知らない人が殆どであることを意味する。これは日本人がこの島国の外で何が世界の常識とされているかを知らないのに大変よく似ている。日本人は閉鎖的だ。これは歴史的にも紛れもない事実で、支配する側には大変都合がよかった。自分達のやっていること=常識としておけば容易に人々を納得させることができたからだ。このような経緯を辿って我が国の「お上」は今日の地位を確立してき訳だが、もはや、「自分たちだけが知っている」という時代ではなくなった。「お上」の不祥事とその不祥事に対する大甘の対応が国民に知れる時代となってしまった。もはやトップダウンで全て物事が片付くほど単純な時代ではない。外を知らないことと外を薄々ながら知っていることはこれほど違う。あっという間に人々の価値観は180度向きを変える。無論、今からどうなっていくかについては良くなるという保証はない。今まで考えもしなかった事柄に対処しなければならないことも多々あるだろう。しかし、変えていかなければ国がもたない時期にきてしまった。それが今、実行の期を迎えているのだろう。保守王国富山県も2年前の参議院選挙では自民候補を破って民主候補が当選した。これがいいことかどうかはともかく、県民の意識も大きく変わってきているようだ。高校野球についてもたかが・・・などと思わず思い切ったことをする学校の出現と県高野連の施策に期待したい。
August 25, 2009
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私が半年余りの沈黙を破ってこのブログに時々投稿するようになったのも菅家さんの冤罪事件が発端であった。だんだんこの国の支配体制が分かるようになるにつれ、何かもやもやとしていたものが「そうだったのか!」と腹にすとんと落ちるような考え方を身につけることができるようになった。本当かどうかは定かではないが、こう考えると全てつじつまがあう・・・・というような考え方だ。先ほど、楽天infoseekのニュースでこの菅家さんの今回の総選挙の選挙権が認められないということがトピックとして出ていた。ここでも、我が国の「お上」の考え方が見て取れる。このニュースが伝えるところによると、何でも公職選挙法では禁固以上の刑が確定しその執行が終わらない者は選挙権を有しないと定められているためまだ再審で無罪が確定していない菅家さんについては今回の選挙権は与えられないとのこと。法律を守るのは市民・国民の務めだし、それを執行していくのは行政の仕事だ。ところが、悲しいかな、法律は万能ではない。法律は条文となっており、このケースについては・・・、このケースについては・・・と事細かに書いてある訳ではない。無論、全ての出来事を想定してそれらに対応するなど度台無理な話なので「解釈」というものが出てきて個別のケースに当てはめて考えることになる。今回は公職選挙法以前の話に端を発するので少し話がややこしくなる。菅家さんは冤罪で刑に服役させられた。やっていないのだ。やっていないことを栃木県警察と東京地検が「やった」とでっちあげ、無能な司法セクションが右から左に「黒」としたために何も悪くない人が17年も牢屋に入れられたのだ。これは人ごとではない。これは何もやましいことがなくても警察に目をつけられたら何が何でも服役の憂き目に遭う可能性が誰にもあるということを意味する。このことだけについて考えれば刑法の適用誤りを犯したのは警察であり、検察であり、裁判所だ。ところが、後からそうではないということが明らかになってそれを「釈放」という形で取り消した。これから再審となり無罪が言い渡される予定だそうであるが、それまでの間の菅家さんの市民権はどうなるのか。「釈放」=無罪を意味するのでなければ釈放とは何なのか?単なる「お上」の照れ隠しなのか?確かに、法律の文言を字づらで辿っていくと「再審による無罪が確定していない」=「刑の執行が終わった訳ではない」となるから選挙権はないのであろう。しかし、これについては足利市の選管の態度に大きな疑問を感じる。今言った部分だけを見れば確かに選管の処分が正しいように見える。しかし、これは近視眼的な法律を大きく捉えることができない、単に「頭が良さそうに見える人」がやることだ。何を言いたいのか。選管は「菅家さんには落ち度がないということを司法が認めようとしている」ということを全く考えていないのだ。今回の事件の顛末の落ち度は完全に「お上」にある。市民である菅家さんには落ち度は全くないどころか、完全な被害者である。なのに、法律を近視眼的に解釈し「お宅に選挙権はありません」とどのような顔をして説明したものか。この場合の正解は、せっかく時の総理が40日ものできる限りの長い選挙期間を用意してくれたのだからこの被害者である一市民の民主主義最大の権利について司法と協議し、何らかの処置を施すことだ。「それは法律でできないことになっているから・・・」と唱えるのは小学生でもできる。しかし、今回は「お上」が法律を破ったのだ。それの後始末をする義務があるのは「お上」にあることくらいウチの小学3年の娘でも容易に理解できる。この事例でも分かる通り、日本の法律運用の落ち度がどこにあるのかというと「お上」が法律を破ったときの後始末なのだ。洋の東西を問わず、「法は一般市民を規制する。しかし、上流階級の人間については法が彼らを守るように変化する」などと言われるが、我が国ではそれに加え、堂々と「お上」による法律無視が行われる。年金問題で我々の拠出したお金の記録はどうなっていたんだっけか?公務員は巷の損得からは完全に独立しており、デキのいい人間の集まりだという前提で、「悪いことをしない」とされた上で法律が施行されてきたと思うが、その「悪いことをしない」人たちがこともあろうか人様の拠出した年金保険料をこっそり自分の懐に入れたり、免除にならない人を免除にして収納率を上げようとしたり、実態よりずっと低い標準報酬月額にして労働者の将来年金を受け取る権利を奪ってみたり・・・。全て「自分達の都合のいいように仕向けた収納率アップの秘策」だ。誰も国民のことなんて考えていない、自分達に向かって仕事をしていることの典型だ。舛添厚生労働大臣もこの件については「盗人は牢屋に入ってもらう」と意気揚々だったが、調べてみると、役人の悪事については罰することがなかなかできない法律になっていたらしい。大臣の感覚はまともなものだ。しかし、法律を決める「お上」は自分達が都合が悪くなったときのことは誠にぬかりなく対応する法律となっている。つまり、お手盛りの法律を作っているということだ。それを戦後長らくこの国を支配してきたある政党の議員に議場で賛成の挙手をさせ、見返りに議員の地元にお金を落とすというやり方をしてきたのではないか。こう考えると、人口100万人あまりの我が県に不要不急の道路や橋、トンネル、新幹線がたくさん作られてきた訳が納得できる。土井たか子さんの「マドンナブーム」により参議院選挙でこの政党が大敗したときも地方区でこの政党が勝ったのは我が富山県と和歌山県、佐賀県の3つだけだったことを記憶している。つまり、富山県はそれだけJM党が強い県だということだ。だから社会インフラも十分すぎるくらい行き届いている訳だ。お金が国内に有り余っていた時代はそれでいい。しかし、お金がなくなって久しくなった今、借金をしてまでかつての金満大国だった頃の無駄遣いを続けようとしている「お上」にはそろそろ考えを変えてもらわないと。まさか、「お金を使わないと自分達の威厳にかかわるから・・・」などとは言わないだろうな。確かに、今の我が国の官僚制度はお金が回らないと持たないようになっているように見える。話はそれたが、「楽な仕事」というのは法律に逃げることだ。それが仕事だと信じて疑わない公務員の皆さんは多いと思う。多いというよりも殆どがそうだろう。確かに、法律を守ることは大変なことだ。しかし、全てにおいてそうでなくても、今回の菅家さんのようにかなり特殊なことについてまでいつも通り「法律にそうなっているから・・・」で通すのは市民感覚というか、社会常識から言っておかしいとは思わないのか。法律というのはその時その時の社会常識の塊ではなかったのか。いやしくも、自分の仕事を厄介なものにしたくないためそのように解釈したなどということはあってはならないと思う。確かに「お上」の仕事は大変だ。法律にがんじがらめにされているし、何といっても仕事を断ることやお客を選ぶことができない。だから事細かに対応するときりがなくなり、自然、自分に向かって仕事をするようになるのも分からないことではない。しかし、だからといって市民の権利を平気で侵害したり、小役人よろしく高圧的な態度で市民に接したりするのはご法度だ。誰があなたのスポンサーなのか。日の丸ではない。市民、国民だ。それが嫌なら公務員にならなければよかっただけのこと(よく、公務員から逆のことを言われたりするが・・・「年金もらいたければあなたも公務員になればよかったじゃない」・・・)。私も法律で飯を食っているが、法律の文言を杓子定規に捉えて解釈することだけはしてはならないと開業以来思っている。法律は我々の社会生活に重要なものではあるが、絶対のものでもない。「たかが法律、されど法律」といったところか・・・。
August 18, 2009
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夕べ、フジテレビ系列で放送していた「硫黄島からの手紙」を観た。この作品は映画館で観ようと思っていつつ、ついつい見逃して今に至った作品だ。8月15日の終戦記念日に放映することができたのは大変意義深いことだと思う。この作品が世に出る前からも硫黄島の攻防については悲惨を極めるということで語り継がれてきたが、やはり映像になると戦争の悲惨さ、無意味さ、そして人間というものの本質について大いに考えさせられる。私もこのブログで日本人の本質に近づこうと、日々考えていることを綴っている訳だが、先の大戦を部分的に過ぎないが知るにつれ、今の日本政府と当時の大日本帝国政府は本質的には全く変わらないのではないかと思う。さらに、極論と言われるかもしれないが、今の北朝鮮政府と今の日本政府もかなり似通っている部分があると思う。まずこの三者(現日本政府、当時の帝国政府、現北朝鮮政府)に共通しているのは、権威主義による人民統制だ。恐怖政治となっているかどうかは別として、「お上」を絶対のものとしてその体裁を守ることを第一の使命としている。人民の命や権利などはどちらかというと二の次になっているように思えてならない。その「お上」の一員となればゆりかごから墓場まで国家が相応の面倒を見てくれるため、エリートと呼ばれる人は「お上」のメンバーになりたがる傾向がある。そのためのルートが我が国では東京大学⇒国家一種試験などであり、北の国では金日成総合大学⇒朝鮮労働党幹部候補なのだろう。若者はどの国でもまじめで情熱的だから、このルートに入ることに己の全精力を傾ける。そこで出される課題が実に無意味なもので、困難なものであってもそれを乗り越えようと努力する。このような権威主義に決定的に欠けているものがある。それは「人間、誰しも間違いを犯す」ということに対する答えである。「お上」が絶対に誤りのない存在ということになっている世界では、「お上」が道を誤ると当然に国家全体が誤った方向に進んでいってしまう。一旦誤った方向に進んでしまうとそれを過ちと認めて軌道を修正することが難しくなる。「間違える」=「権威の失墜」を意味すると考えられているからだ。為政者(ここでは、政治家ではなく官僚のこと)が最も恐れるのは自分達の立場が危うくなることだ。これに直接つながるのは「権威の失墜」とこれら三者の政府は昔から考えているようだ。その証拠に、間違いがあっても絶対に謝らない。以前、薬害エイズ事件で政府の対応に当時の管厚生大臣が頭を下げたことがあったが、霞ヶ関から相当、非難があったとか。これらの世界では「お上」が頭を下げることは自分達の立場を危うくするから「やってはならないこと」とされているようだ。本来、政府というものは国民の生活を規制し、保護し、調整する役割を国民からの委託を受けるという形で存在しているべきものだと思う。こう書いても霞ヶ関の人々がこれを見ていたらどう思われるかは分からないが、もし今書いたようなことが政府というもののあるべき姿だとしたら、少なくとも現在の我が国の政府とかつての帝国政府は「そのようなことをやっているつもりだけれども実は全く違うことをやっている」といわざるを得ないことが多々出てくる。じゃ、何をやっているの?と問われると「己の保身」というのが一番しっくりくる答えであることが多い。やはり、どう考えても特定の人、ましてや同じ学府の卒業生という共通点のある特定の人の保身から出る政策というのは怖い。ときに暴走したりすると取り返しのつかないことになったりする。先の大戦がどうであったかは分からないが、例えば戦況が不利になった時に「捕虜になるのは恥であり、皇軍の軍人は誇りある最期を遂げよ」と命令するのは若者に自爆テロを促しておきながら自分達は安全なところにいる悪い大人たちと大差ないように思う。そこには合理性の欠片などみじんもない。ただ、精神論を唱え、それなりに説得力のある戦術もないままに己の振り上げた拳の下ろしどころがなくなったからといってそれを無碍に国民に負担を強いるやり方は今の政府も共通したやり方と言えないだろうか?話は変わるが、昨今、国内の製造業が極端に業績を悪化させている。この現状を政府はどう捉え、どうしていこうと考えているのだろうか?いうまでもなく、製造業は我が国の基幹産業である。我が国の国民はモノづくり(大きすぎるものを除く)にかけては世界でも屈指のレベルにある。何故かというと、我が国は資源がない島国だ。例えるならば海に浮かぶ船である。船の中にあるものはごく限られている。だから船の中で起きるできごとには船の中にあるモノで全て解決しないといけない。たとえ鉛筆一本でも船内においては限りなく貴重な財産だ。このような状況では効率的に物事に対処していくことが要求される。資源(=モノ)がない訳だから、あるモノで全てに対処しなければならない。自然、「モノを粗末にするな」、「もったいない」という思想が生まれてくる。そして、それに我々がご先祖様から与えられた手先の器用さが加わり、少量の資源から最大限の成果を生み出すようになる。これが我が国が工業国として成功した大きな原因だと思う。これが戦後の我が国の国富につながってきたのだ。このことはこれから先も変わらないと思う。日本にしかできないことはいつの世になろうが存在し続けると思う。もちろん、黙って口を開けているだけではジリ貧になるであろうが。何故か。地球そのものが船となってきていることに世界が気付き始めてきているからだ。地球の上に存在するモノ以上に消費することはできないという単純なことにようやく気付いたのだ。そうなると、我々祖先から受け継いできた「船理論」がある意味脚光を浴びることとなり、一日の長がある我が国にアドバンテージがある。つまり、省エネルギーなもの、目に見えないほど小さいもの、大きくないとできないとされていたことなどについては我が国が今から世界をリードしていく分野だ。これを産学官で力を合わせてどこまで推進できるかに我々の将来の相当部分がかかっているといっても過言でななかろう。しかし、ここで懸念されるのが「お上」のミステイクである。大陸から追い出された古い記憶を持つ我々にとって外交というのはやらなくていいならばやりたくないことである。いつまでも日本丸という船の上だけで物事をしていたい。他の国々がどうなろうと船の上さえ安泰ならそれでいいという考えが我々のDNAに記録されている。そういった性質を持つ国民の上に立つ「お上」にそれ以上のことを求めるのは無理としても、彼らがミステイクを犯したとき、非合理的な保身に走ってしまうと道を誤ってしまう恐れがある。権威主義的な体制がかなり劇的に変わらない限り我々下々の者にとって軌道修正を彼らに促す手段はない。それで世界から総スカンを食らってもそれに甘んじるしか方法がないのが現状だ。輸出に関してはいろんな問題が存在するのはとてもよく分かる。しかし、だからといって我が国の根幹である製造業に輸出規制などのしわ寄せをしてはならない。いつだったかトヨタ自動車の社長が「政府は額に汗してモノを生産している我々製造業にばかり圧力をかけ、モノを生産しない金融関係に圧力をかけることはしない」といってぼやいている新聞記事を読んだことがあったが、これは本当のことだと思う。我が国が世界でやっていこうと思うとやはり製造業抜きでは話にならない。これを戦略的に皆で(合理的に、納得を得ながら)推し進めようとするのか、それとも半ばエイヤで方向性を決め、失敗したときに国民にだけ責任を取らせ、旗振り役の自分達は免責とばかりにシカトを決め込むのか。今のようなフクザツな社会では誰しも満点ではありえない。間違うことが当たり前で間違わずにい続けるなどというのはもはや不可能だというのは小学生でも分かりそうなものだ。にもかかわらず「我々だけは絶対だ、間違うことはあり得ない」という態度を取り続ける政府に本当の信頼が寄せられるのはいつの日のことになるのだろうか。終戦の日を過ぎて、無意味で精神論的な命令により命を落とした何の罪もない我々の先輩方が今の世を見たらどう思うだろうかと考えるのだが、残念ながら、国家のあり方に関してはあまり進歩していないように思う。世が世なら「非合理的な保身」のために上げた拳の下ろしどころがなくなり、その拳が私にも向けられていたのであろう。毎年、この時期になると今日ここに書いたことを考え、胸が痛くなる。
August 16, 2009
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(神が国境を定めし国のお上神話1からの続き)お上にとって都合のいい(例えば特殊法人や税などに関するもの)法案にはほぼ「Yes」で通し、見返りとばかりに選挙の地元に不要不急の道路や橋などの建築物をプレゼントされてきたこれまでのナァナァというか、ズブズブの政官の関係はもう既に継続不可能なところまで来ているのではないか。そのプレゼントたるや、国民の血税と無計画な借金である。このようなエリートの保身のために不要な金がばら撒かれて「さらに足りませんから消費税率を上げる」とはどのようなツラで言うのか。さすが、かつて選挙カーの上から有権者に「下々の方・・・」と呼びかけ落選した人だけあるなぁ、と思う。今日は余談ばかりであるが、私のイメージし、理解している「日本人」と「お上神話」について長々と書かせて頂いた。そろそろこの国も変わっていく頃だろうと思いながら、国民一人一人が「どうあるべきか」を真剣に考えていく時期に来ていると思う。この夏は後々歴史の教科書に載るような、大きな転換点となるかもしれない。そうなったとき、我々はその生き証人となるであろう。(注)私は保守でも革新でもなく、特定の政党や政治家を応援している訳でもないので誤解のないようにされたい。
August 6, 2009
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どこかで書いたような気がするが、前回もおさらいだったので今回も(もし、以前どこかで書いていれば)おさらいということで少し内容を加えたものを書くこととする。サミットなどを見ているとよく分かるが、日本という国は国際舞台での発言力が比較的弱いとされる。それは先の大戦で負けたから・・・というのもあるが、イタリアやドイツはどうなのだろうと考えた場合、それだけではないような気がする。今や世界の一部となっている「日米関係」の主従関係のうち「従」の国だから「主」を差し置いて大きな発言をすることができないから?それもあるだろう。先日、面白い本を読んだ。日本人というものは世界でもかなり特殊な価値観をもっているというのだ。それが世界の常識とはかけ離れているからなかなか外国人とは話がかみ合わないのだとか。その特殊な価値観というもののうち、私が特に興味を持った部分は2つあって、いずれも今日の日本社会・日本人を考えるとなるほど、と膝を打つものであった。まず一つは国境である。世界地図を見るとよく分かるが、普通、国境というのは陸地にある。それが川の上だったり分水嶺(つまり、山)であったりする訳であるが、これらに共通しているのは「人為的にラインを引いたこと」と「人が作ったラインだから何かのもつれで移動することがあり得る(=国境が侵害される)」ということだ。だから洋の東西を問わずどの国も軍隊が国境を必死に守っている。しかし、我が国はどうか。我が国は言わずと知れた島国だ。国土を自分達の力で勝ち取ったものでは決してない(私が唱える、日本人の大陸からの移動説の後のこととして)。その後の国境も19世紀頃からの戦争により取ったり取られたりした島々は別として、古来より本土は侵されていない。つまり、侵略の危機という目に遭ったこともほとんどない。ということは、日本人の価値観による「国」というものと世界の標準的な価値観による「国」というものとの間には大きな隔たりがあるのではないか。日本人のそれは「神から与えられしもの」で世界のそれは「自分達の力で一度は勝ち取った、又は創り上げたという歴史のあるもの」。この差は大きい。金満な家庭に育った子が考える「お金」というものと、今日明日食うにも困る貧乏な家庭に育った子が考える「お金」というものが違うように、日本人は安定した国土があることを当然と信じて疑わず、世界中の国々についても同様だと思っているだろう。このような国についての価値観が異なる人たちが例えば世界平和について協議したとき、果たして本当に実のある話合いができるのだろうか?もう一つは意外であるが、「家畜の肉を食べるかどうか」だそうだ。我が国に獣の肉を食してきた歴史は殆どない。歴代の為政者がそれを禁じてきたからだ。我が国は粗食を基本とし、穀物や野菜などの植物と魚、せいぜい肉は鳥しか食する機会がなかったといえる。余談ではあるが、ウサギを一匹、二匹・・・ではなく一羽、二羽・・・と数えるのはウサギの肉を食べると獣の肉を食したということで罰せられるため、「これはウサギではなく、鳥の肉でございます」とごまかすために鳥と同じ単位で数えるようになったとか・・・。実際、ウサギと鳥の肉は脂分が少なく白身なので似ていると聞いたことがある。さて、これが民族の価値観にどう影響したのか。ちょっと宗教を持ち出して恐縮ではあるが、キリスト教の聖書に「さまよえる子羊たちよ・・・」という一節があるのはよく知られているところだと思う。ここでいう「子羊たち」というのは一般民衆というか、今現世に生きている人間のことを指しているのは容易に想像がつくが、我々日本人には今ひとつピンとこない表現である。なぜか。日本人は羊を飼いならす習慣がないから。世界の大部分の国々では羊を家畜にしているそうだ。羊は毛が洋服になり乳と肉は食用になる。大変飼いならしやすくおとなしいので長年人間とともに暮らしてきた。さて、この「飼いならしやすい」ということであるが、どうしてかというと「群れのリーダーさえ手下にしてしまえばあとのその他大勢はそれについてくるから」。アルプスの少女ハイジなどを見ているとよく分かるが、年端もいかないペーター少年(おそらく小学校低学年~中学年くらい)の家での仕事は羊の群れを操り草を食べさせたり小屋に誘導したりすることである。何故年端もいかない少年に何百匹もの羊を操ることができるのかというと、リーダーをてなづけてしまえばその他大勢はそのリーダーの後を何も考えずに追うからだ。「さまよえる子羊」というのは人間をこのことに例えているのだ。しかも、飼い主は最後はその羊(全部ではないにせよ)を食ってしまう。草や魚などと違い、四本足で歩き人間と同じく毛で覆われた動物、しかも毎日行動をともにした半ば家族ともいえる家畜を最後は殺して自分の腹に収めてしまう。この感覚は我が国では養豚業者や肉牛を育てる業者を除いては今でも我々には想像だにできないことである。この羊の群れを国家、それぞれの羊を国民と考えたとき、「人間というもの」に対する価値観が異なったものとなる。国益をかけて複数の国家間で揉め事があったとき、発言力の強い国家が他の国家に不利益を与え、これでもかとばかりの制裁を行うことがあるが、我々からすると「何もそこまでしなくても・・・」と思うのであるが、昨日まで家族同然だった家畜を今日は殺して食ってしまう世界の常識ではそういったこともありなのだろう。我々はこういう意味でも違った価値観を持っている。そして、外のことや世界の常識を知らない。かつてアインシュタインが来日したとき、我が国を「一つの由緒ある家系に守られた神の国」と評したらしい。彼も祖国ドイツを追われ、人種のるつぼといわれるアメリカで生涯を過ごすこととなった運命を持っていたため、このような国をうらやましく思ったのであろう。帰るべき田舎がない人が田舎がある人をうらやむのに少し似ている。私も我が国は歴史的に「恵まれた国」だと考える。神から国土を与えられ、さしたる侵略の危機も数度しかなく、侵略された歴史がない。資源は乏しいかもしれないが、ないならないで節約する精神を身につけ不平不満は言わない。何といっても世界標準(と私が勝手に思っている)羊のような殺伐とした価値観がない。このような、いい意味で一種独特の環境下にあるのが我が国だといえるだろう。さて、いつもの「お上について考える」のコーナーとなるが、このような国を支配してきたお上が恐れることは何だろうか?国土は神から与えられ、常に変わらぬ状態で「ある」のが当たり前とお上も下々も思っている。さらに侵略者もそうそういないとする。そういう状況にあってお上が恐れるものは「他国からの異なる価値観の人が領土に入ってくること」であろう。これは今でもそうだと思う。お上に属する人の境遇を考えてみる。私の住む富山県では「お上」になるルートはごく、限られていておおよそ次の通りである。1.御三家プラス2と言われるTY高校、TC高校、TA高校、UO高校、TN高校のいずれかを卒業する 2.東京大学(文科1類⇒法学部)に入学する 3.国家1種か外交員試験に合格する 4.入省式で大臣のお言葉を聞いてその後「大過なく」過ごす こんなところであろう。ここで強調したいのは、「お上」の人となるには上記のいずれをも突破しなければならない(もちろん東京大学OB以外にもたくさんいるが、いずれも難関大学)ということだ。つまり、1~4全てをパスする必要があり、そこから外れた時点で「落ちこぼれ」となるということだ。「お上」にとって「お上」になれなかった人は全て下々の者であり、お上の仲間ではない。ゆえにお上は必ず強いエリート意識を持っている。かく言う私は一応、1.は該当したのであるが、そこでこのルートからは外れてしまった。頭が悪いのだから仕方がない。お上にはなれない人間であったということだ。しかし、私も高校生のときはいわゆる「御三家」と言われる進学校であったこともあり、勉強にそれなりに必死だったからはっきり言うとエリート意識が当時はあった。他の高校生とは違う、選ばれた人達なんだと恐らく皆そう思っていたと思う。私は2.には進むことができなかったためエリート意識というのは社会人になって割とすぐにギャフンと言わせられたこともありなくなっていったが、そのまま2.に進んでいたらどうたるのか。おそらく、私の高校時と同じように周りの連中は皆仲間兼ライバルだろう。そして、自分達以外の人は下に見えることだろう。すなわち、ずっとエリート意識を持ったまま自分との戦いに明け暮れることとなる。こういう法律を作ったら国民がどうなるかではなく、自分の出世がどうなるかとか、自分の省益がどうなるかとかしか考えられなくなるのではないか。つまり、社会人になってもずっと学生の状況のままだ。この国ではエリートは強い。下々がそう思っているからだ。こう考えると、30代の某〇〇省の職員がホテルに連泊し、100万円近くの宿泊料金を払わないという事件が起こったのも何となく分かる。彼らの意識の中では先ほどの1.~4.の全てをパスした人が偉いのであり、パスできなかった人とは違う。ゆえに偉い人は何をしてもいいから金は払わないと。また、お上は国会議員より偉い。国会議員は下々の者の代表であり、選挙に落ちればただの人だし、何といっても1.~4.を全てパスすることができなかった「落ちこぼれ」だ。国民の代表という都合のいい立場を逆利用してお上が自分達に一方的に都合のいい法案を作って自民党の議員(=下々の者)に言い訳をさせ、何か悪いことがあっても罰せられるのは国会議員であり、お上の自分達は顔すらさらすことがない。「くやしかったら1.~4.を全てパスしてお上になればよかったんじゃない」これがお上の本音であろう。ちょっと余談が長くなったが、お上が恐れるものという話。下々の多くはあまり海外に出ることはない。旅行に行くことはあっても諸外国の政治やものの駆け引きという場面に出会うことはまずない。しかし、外務省に限らずキャリアと呼ばれるお上は留学や海外出張により外の世界を知っている。これがまたエリート意識を強くさせるのであるが、せまい島国で仲良く暮らしている国民を支配するのは「我が国で起こっていることは世界の常識」とばかりにお山の大将を気取っていれば「大過なく」過ごすことができる。お上は予想外の変化が起きて自分の立場が危うくなるのをとても恐れるのでこの島国がずっと今の状態を維持し続けてくれることが彼らの願いである。しかし、そこに外の世界を知る人が入ってきたらどうなるか。その人達がお上自身の立場を危うくさせる存在となる可能性がある。だから外人とか帰国子女を厄介もの扱いしたくなるのだろう。留学生や帰国子女は大学の入学に際して特別枠があるのはご承知の通りだと思う。それは日本の(無駄に厳しい)教育を受けられなかった人にも大学で学ぶ機会を与えようということだと思うが、本音は、「お上の立場を危うくする可能性のある存在には先に恩を与えておいても損はないだろう」というところではないだろうか。だって、この国では「疑問に思うこと」はお上がよしとしないことだから何かにつけ疑問に思ううるさい人達がギャーギャー騒ぎ出したらお上も支配がしにくくなるでしょ?そして彼らは「お上」が世界標準では一番偉いものとされていないということを知っている。私が勝手に思うには、我が国はお上神話があり官僚支配の国である。しかし、このお上の本当の上層部は今でも学生と同じ競争社会を生きており、それが必ずしも国民のためとはなっていない部分がある。何といってもこの人たちの舵取りが間違えたとき、誰もその間違いを正すことができないシステムとなっている。このお山の大将を気取り続けたい人達も間違いはあるのだからそれを自覚させ、優しく導いてやる組織が必要だ。それが我々の代表である国会議員ではないのか。
August 6, 2009
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これまで日本人というものの本質、心理などについて私見を書かせて頂いた。割と批判的な面を捉えて書いてきたように思うが、別にそれがいい悪いという2元的な結論を導きたいとは思わない。結局、現代の日本人はどこを目指すべきなのかということも私なりに意見は持っている。いつかここでご披露させて頂くことになると思うが、今日ここでそれをやってしまうとまたこのブログが長い眠りにつき、下手をすると永眠してしまうのではないかと思うのでもう少し後のこととしたい。さて、今日はここまでのおさらい。私が日本人をどう思っているのかということについて今一度確認してみることとする。まず第一義に、日本人は東アジア出身の農耕民族であるということだ。農耕民族とは「土地に縛りつけられ、絶えず遊牧(狩猟)民族の脅威や争いに巻き込まれ、生産物については自然環境に左右されやすい」という特徴を持つ。一方で遊牧民族は「特定の土地に留まることはせず、獲物を求めて移動しながら生活する」という特徴があり、移動するため農耕民族より他民族との触れ合いが多いためいろんな知識や物資を持っている。その遊牧民族が移動するときに農耕民族の縄張りを侵すため争いが耐えない訳だ。我々の祖先はもともとは大陸にいた。ところが、これらの争いにことごとく負けたか何かで住む土地がなくなってしまった。つまり、大陸に居場所がなく追い出された格好となった。そこで行き着いた先が東の果てにある資源の乏しい日本列島だったという訳だ。そこには大陸に比べて文化レベルの低い(文字を持たないので弱かったと思われる)先住民しかいなかったので、大陸出身の弱い者でも自分達のルールで版図を広げていくことができたのだと思う。この弱い者たちが列島で生活を始めてからというもの、傷をなめ合いながら生きていくうちに独自のルールができた。それは「みんな、仲良く」である。このことは聖徳太子の作った十七条の憲法で「和」を最も尊いものとしていることからも分かる。争いは大陸で嫌というほど見てきたから侵略者のいない(実は、自分達が侵略者であるが)この新しい場所では争いのない、意見の食い違いがあっても本音を言わず勝者と敗者を作らないための仕組みをこしらえたのであろう。今でも外国人と話すとき、「日本人ははっきり者を言わなかったり本音(本当に伝えたいこと)を言わないから何を考えているのか分からない」などと言われることがあるが、きっとこの辺に起因しているのだろう。このようなルールで生活を営んでいくうちに「奥歯にものがはさまったような言い方」とか「ツーといえばカー」というような状況が出てきたものと思われる。この島国ではこのルールは絶対で、これを破ろうとしようものなら村八分にされた。ここにも東アジアの農耕民族らしく、「全体を守るために個を犠牲にする」という精神が表れているように思う。また、狩猟民族社会と農耕民族社会の大きな違いとしてリーダーの位置づけがあると思う。狩猟民族社会ではリーダーが集団の先頭となって戦略を練り、各人がそれぞれの役割を果たして獲物を捕らえる。捕らえた獲物はリーダーがいいところを好きなだけ取り、集団の重要な役割の者の順に配分される。その代わり狩りが失敗すればリーダーは追放される。つまり、責任を取らされる訳だ。一方、農耕民族は収穫の成否は「お天道様」が握っているとされ、リーダーたる長は責任を取ることがない。豊作のときの成果は狩猟民族に比べて長の功績度は低いかもしれないが、凶作のときには「お天道様には勝てない」ということで責任を取らなくていいシステムなのだ。このようなシステムの社会では支配層に一旦身をおくと責任を取らなくていいため、ずっと支配側に居続けることになる。この支配層のことを我々は「お上」と呼んでいる。特に我が国では独自の「仲良しルール」があり、全体の和を脅かす行為は絶対ご法度で村八分という仕打ちが待っているため「お上のいうことは絶対」というお上神話なるものを作っておけばこんなに支配しやすいことはない。さらに我が国では大陸で負けた者同士という大きな共通点があるため「ツーといえばカー」というような全て言わなくても共通の価値観を持つ異常ともいえる一体感がある。このような状態で「お上が間違えるはずはない、もし間違えてもお上に責任はない」という意識が芽生えていくのは自然であろう。このようなお上と民衆の関係がいいか悪いかと言われるととても難しい。全体がいいときはこのようなシステムが十分に機能し、国全体がものすごいスピードで豊かになっていく。余計なことを考えなくていいため、お上の言うことを全員で守っていれば効率よく生産活動が進められる。しかし、このシステムの致命的欠点は全体が悪くなったときだ。お上に意見する者がいないか、お上が下々のいうことを聞く耳を持たないため、誰にも状況を打開することができなくなってしまう。このことは我々も体験している最中である。我々の祖先がこの国に移ってきて以来、大陸では飽きもせず民族間や国家間の争いが続いており、生産活動や文化的な進歩も少し進んでは振り出しに戻り、また少し進んでは振り出しに戻り・・・を繰り返していた。一方で我が国では資源の乏しいことが幸いし、大陸に住む連中からは見向きもされなかったため数度の被侵略の危機を除いては殆ど侵略されることがなかった。すなわち、誰にも邪魔されずに独歩的に文明の進歩を進めることができたのだ。これを我々は当たり前のことと思っているが、地続きで人為的に国境を定めてきた世界中の大多数の国家とはこの辺の意識というのは全く異にする。こういう背景もあって、「自分たちの発展は自分達だけが享受するのは当たり前。大陸で何が起こっていようが我々だけが発展すればそれはそれでいい」と考える民族になっていった。現代を見てみると、終戦の後しばらくしてからバブル経済までの間、東西冷戦の恵みが我が国にもたらされた。アメリカ合衆国という大国の下で金のなる木を与えられ、何も考えなくても一生懸命まじめに働いてさえいれば目に見えて豊かになっていった時代である。その金のなる木を牛耳っていたのは我が国の中ではやはり「お上」ということになろう。このお上のいうことさえ聞いていれば「何も考えなくても」お金が入ってきた。その恩恵の見返りのような形で税金を納め、また金のなる木をゆすってもらい下々に金がもたらされたのだ。こんな世界史上でも唯一とも言えるいびつな経済発展の形がもたらされているうちは「お上」も豊作のときの長のように得意でいられたし、国民も独自の「仲良しルール」を絶対のものとしてお上に物申すことがタブー視されていたのだと思う。座右の銘は「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」という時代であっただろう。ところが、ベルリンの壁が崩壊して以来、東西冷戦が終結し世界の歴史が大きく変わった。我が国の金のなる木も次第にこれまでのような役割を果たさなくなり、変わって大陸の大きな国の金のなる木が急激に大きくなり始めた。我が国でも10年ほど前までは考えられなかったような社会現象が起こり、いくらまじめに働いていても必ずしもおまんまにたどり着くことができない時代が到来している。「貧乏暇なし」というのはとても恵まれている状態で、「貧乏暇あり」という人も増えてきている。このような時代で「何も考えない」「考えることはお上にやってもらい我々はそれに文句を言わずただついていくだけ」というのはさすがに危機感を下々では持ち始めている。先ほども述べた通り、我が国には「お上神話」が存在する。「お上」は失敗しても責任をとらなくていいためその地位は一度就いた者は死ぬまでその地位から無縁となることはない。つまり、親方日の丸の人は死ぬまで日の丸に面倒を見てもらえるということだ。さらにはお上に意見することはできないか、もしくは無意味なこととなっており実質的な独裁政治になっているためお上のお手盛りのルールを作られても下々はそれを受け入れなければならない。具体的にいうと、官僚OBに老後の安心を与えるための特殊法人や公的な役割を担う法人の天下り先を確保する法律を後輩の現役官僚が作り、それらの役員に天下ったOBが書類に判を押し(しかも、この判を押すこと自体に責任はない)、あとは仕事時間に新聞を読んで公費で研修旅行という名の観光旅行に行くだけで年間数千万円の報酬が入ってくるようなシステムを作られても我々はそれにNOを突きつける手段がないということだ。当然、それらの費用を負担しているのは我々の税金。その恩恵に預かる当人たちは多少の後ろめたさを感じながらも「法律で国民の代表が決めたこと」「予算についても国民の代表の承認がある(実は、承認されていない特別会計から出ているものも少なくない)」、何といっても「みんなやっている」、ひどいものになると「我々は若い頃、安月給で苦労してきたから」という感想を持ちながらその地位にしがみついている。ン千万円という退職金(何度ももらうから通算するとすぐに億単位になる)や共済年金をもらいながらよく言えたものだと思うが、自分達「お上集団」はエリート集団なんだから下々とは違って当然という意識が共通しているようだ。このような仕組みは右肩上がりの経済成長によって興味の対象から久しく外れていたこともあるが、教育システムを利用して国民には「難しいことには興味を持たせない」ことに成功した。政治・法律・経済のことについては専門的な用語を並べ立て、頭のいい者だけの所有物としてこれらのことは「雲の上の人」だけが取り扱うものなのだということにしてしまったのだ。結局、右肩上がりの経済成長によりお金しか判断の基準に置くことができず本質的な思考をすることができない国民が出来上がってしまった。国民性というのは時代によって変わっていくものとは知りつつ、太古の昔に大陸から新天地を求めて海を渡ってきた我々の祖先が今の状態を見たらどう思うかな、と思う。自分達の生活、子孫達の未来すら考えることを放棄し目の前のお金の計算に追われ大事な時間を犠牲にしている現代の生活に大きな転換点が差し迫っているように思えてならない。
August 1, 2009
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どの国においても次代を担う子供や若者の教育は必ず行われている。当然だ。自分(=親)はいつまでも生きてはいない。子供はいつか親を離れ自分で餌を取ってきて生活をするようになる。これが教育、子育ての大きな目標であると思う。次第に親が年老いていきいつかの時点で世代交代が起こる。これが繰り返されるために教育というのはなされているのだと思う。国によって教育の目指すところは実に様々だ。例えば、近代国家とはいえない昔ながらの原始生活を送っている地域の教育の目指すところは「子供が自分で魚を採ることができるようになる」ということだったりするのではないか。そのために自分で釣り具や銛などをこしらえること、魚のいそうな場所を探すこと、餌はどのようなものをどのタイミングで水に入れるか・・・などなどを大人(=先生)から教わるのだろう。これはこれでレベルの高低はともかく、教育の目指すところがはっきりしている。もちろん、この例は分かりやすくするために私が空想したものではあるが。さて、我が国の教育は何を目指しているのか。根本である「大人から子供への生活力の伝達」という最終目標はあるのだが、そこにたどり着くまでに具体的にどのような思いがこめられているのか?私は長らくこれが疑問であった。何故、歴史の年号を覚えなければならないのか?歴史的事象の流れをこれによって把握できるようにするのであろうが、学者レベルならまだしも子供にこれを強いると流れが把握できるようになるどころか、事象の一つ一つが年号を覚えることによって頭の中で完結してしまい、事象を数字化してはい終わり、となってしまう。でも、この年号が試験に出るから覚えない訳にはいかない。歴史は本当は物語であるにもかかわらず年号の記憶という数字化によりその本分から学生を遠ざけているような気がしてならない。また、英語についても会話できるようには決してならないのにそのような教え方をし、単語はともかく、文章体のグラマーを押し付けるのは何故だろうか?英語の必要性は痛いほど分かる。しかし、肝心の話すことができるようにならなければあまり意味はないのでないか。人間は書くことより言うことの方が先にできるようになったのだから。大多数の人が苦手だったという数学。ものの原則やことわりを定理などとして教えるのはいい。これが実生活で何に当てはまるのか、簡単にいうとどういう意味なのかを教えないから回答パターンの暗記とその組み合わせによる応用でこれに耐えられない人が続出し、「苦手科目」となる。ほんの一例だが、たとえば山道にある勾配5%の標識。これは1メートル水平に進んだら5センチ高さが高くなるということであるが、これが勾配角度の「タンジェント」だと教えればまだ苦手意識も幾分やわらぐのではないか。数学が得意だった人も「これが何」という意識が少なければ今のように応用はできないであろう。いくつか科目ごとの疑問点などを挙げてみたが、共通して我が国の教育について言えるのは「頭でっかちになってしまい、それを応用して使いこなすことができない」のではないかということだ。これではせっかくの知識が宝の持ち腐れとなってしまう。知識は知識。知恵とは違う。知恵こそが人類の宝なのだ。さて、我が国の教育は何故このような知識偏重で知恵に結び付かないことを一生懸命にやらせるのか。私見ではあるが、「我が国の教育システムは官僚を作りだすことを最終的な目標としている」から。つまり、官僚にふさわしい人間を見出すために半ば無意味なこと、やたらと苦しいことを若者にやらせて知識を問う。その知識たるや、振り落とすのが目的の試験を通るためだけに一時的に頭の片隅に置いておくものも少なからずある訳であるが、この無駄な「知識」を持っている者に高得点を与え、優秀な学生としているのだ。これはこう考えるとすっと胸に落ちる。官僚に必要なものは何か。1.上意には疑問を持たず淡々と業務を遂行するまじめさ 2.下の者(一般国民)に対して説得や言い訳をするときに必要な「難しい言葉や専門用語」。これを同時に満たすことができる教育が我が国の教育ではないか。特に1.の「疑問を持たず」というのは国民性もあってか、上から下まで万延している。「これはこういうものだから・・・」「役所の人がこう言ったから・・・」など誰しも持つ意識ではないかと思う。もちろん、これはこれでいいところもあるのであるが、このような国民の態度が官僚に好き放題に金を使わせ役所のどこを開けても不正の臭いがするという状態を招いているのは否めないところだと思う。為政者(=官僚)にしてみれば国民というのは疑問を持たない方が都合がいい。右を向けといったら右を向く大衆というのは支配しやすい。ただし、昨今のように外国からフリーで人が入ってくると右を向けと言っても「なぜ?」という輩に直面し、警戒しなければならなくなる。日本人がこのような疑問を呈したらその瞬間「変な奴」ということになりこれが続くと村八分にされてしまうだろう。特に我々の専門領域である税に関しては疑問を持たれない方がいい。「上が決めたことだから・・・」で通ってしまえばいくらでも好きなだけ税を取ることができるからだ。我々も租税教育事業をやっているが、本当は税について国民に興味を持たれて一番困るのはほかならぬ日本政府ではないか。次に難しい用語についてであるが、先ほどの例で挙げたタンジェント。これ自体が半ば専門用語だと思うが、これを漢字に置き換えて「正接」と言ったりすると言った人自体が高貴だという印象を与える。大体、漢字や訳の分からない英語で説明されるのは言った人を「雲の上の人」とすることにより分かったんだか分からなかったんだかすら分からないうちに説得されてしまう、さらには反論できなくしてしまうという国民支配術にかけられているといっても過言ではないだろう。説明している本人(=官僚)だってつつかれたくないところは多々あるはず。それをごまかすという働きも難しい用語や専門用語にはある。このような教育をしてその「疑問をもたないまじめさ」と「難しい用語、専門用語」をどの程度習熟しているかを試験で計り、頭でっかちで学んだ知識がない人も点数が高ければ「優等生」として東京大学(北朝鮮でいえば金日成総合大学)というところに「仲間入り」させ凝り固まった官僚システムへのご招待、となっていくのだろう。私は官僚が憎い訳ではなく、官僚システムを変えていかないと我が国の未来は暗いものになると考えている。世界は刻々と変化し続けているのに「我々政府が決めたことは間違いがない」とばかりに国民に意見をさせず疑問すら持たせないやり方というのは日本が島国であった時代はお山の大将でよかったのであろうが、世界の日本となって久しい昨今、これではあまりにもお粗末ではないか。我が国は官僚の国だということは受け入れざるを得ないが、教育の「なぜ?」にもこのような意図が施されていたのかな、と思い書いてみた。
July 29, 2009
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日本列島は言わずと知れた島国で、世界の中でもごくまれな環境におかれていると思う。もちろん、原住民はこの島国にもいた訳でそれが今のアイヌの祖先なのだろう。では、我々アイヌ以外の日本人とはどのようなルーツを持つ人たちなのか。我々の祖先ははるか昔、大陸からやってきた。長い年月に渡り朝鮮半島や台湾、琉球などを経由してこの島国を目指したのだと思う。そこでふと疑問に思うのが、我々の祖先はこの資源に乏しい(資源らしい資源といえば水と水産物くらいしかない)この島に何を思って移住してきたかということである。我々の祖先を勇敢な野心あふれる人々だと仮定すると、何もない貧しい島国に移住する理由はない。水欲しさにわざわざ肥沃な大陸の農地を捨ててまで移住するだろうか?そう考えるより、我々の祖先は大陸にいられなくなったと考える方が自然だろう。つまり、弱かったため行先を失ってしまったのだ。大陸では土地に縛り付けられて暮らすことを余儀なくされる農耕民族と食べ物を求めて移動するのがライフワークとなっている遊牧民族が混在し、絶え間なく争いごとが起きている。我々の祖先は農耕民族だから遊牧民族にやられては土地を奪われ、いい農地から悪い農地への移動を余儀なくされついには大陸にいることができなくなり、海を渡ったのではないか。海の先にある島国では大陸より文明の遅れた原住民がいた。この人たちは自分たちよりさらに弱い立場にあるので自分たちを襲ってくることはない。何よりも争いごとがきらいで弱い我々の祖先はこの島で暮らすことを決めた。幸い、大陸から海を越えてやってくるのは大陸にいられなくなった弱い者ばかりで遊牧民族など強い者たちはこの資源のない東の端っぱしにある島には目もくれなかった。そこで我々の祖先はこの新天地でルールを作った。それは「みんなで仲良くすること」。大陸での苦い経験を共有する我々の祖先はもう争いごとが起こるということがないようにといろんな知恵をしぼった。「ぬけがけは許さない」「出る杭は打ってみんな平等に」「悪いことが起こってもそれは個人ではなく全体の責任とする」などなど・・・。後に聖徳太子が十七条の憲法の第一条で「和を以て貴しとなす」と定めているが、その後に続く「仏」よりも「和」の方を優先するのは正しくこのことの現れだと思う。このように我々の祖先が長い時間をかけてこの島国に移住し、独自の文化を作るに至る訳だが、島国の一番恵まれている点は侵略者が極端に少ない点であろう(2度の元寇、日露戦争、そして先の大戦が危機であっただろうか)。いわば、気の弱い者同士が傷をなめあって国家を作り上げることを誰も邪魔しなかったのだ。大陸では覇権を争う戦いが日常茶飯事になっているのに対し、この島国ではそんなこととは全く無縁でいられた訳だ。そんな中、朝鮮や中国に使いを出し、物事を学んでは独自に発展させることがたやすくできたのである。そのうちにいつの間にかありとあらゆる面において発展・発達を成し遂げ、文化の親や兄である大陸諸国をしのぐような水準になっていったのだ。今ここに書いたことは全て私の私見であり、このように空想しながら我々日本人というものを考えているということであるが、冒頭の問いに対する答えをまとめると1.日本人の祖先は元々、大陸では弱い立場にあり居場所がなくなったため新天地をこの資源のない貧しい島国に求めた 2.その島国にはその祖先よりさらに弱い立場の原住民しかいなかった 3.幸い、貧しい島国に興味を持ったのは弱い人たちだけだったため大陸から泣く泣く渡ってきた人たちだけで争いを避けるルールを作ってきた 4.大きな争いごとがない、他の国と完全に隔離された空間で我々の祖先は独自の文化を発展させることができた。日本には皆がうらやむような資源がない。このことが幸いして侵略者に目をつけられることなく独自の仲良し社会を作ることができた。さらに「もったいない」という言葉に象徴されるように、「今ある資源」に感謝し、フル活用する知恵を積み重ねてきた。そして今では世界でも大国と言われる存在となるに至ったのである。弱かった民族が独自の環境下で強い民族となったと言えるだろう。
June 18, 2009
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ジェネレーションギャップというのはいつの世も一定の時間的間隔を置いて生じるものであるが、ここ数年来、非常に大きな世代交代の波が押し寄せているのが実感できる。想像するに、私(昭和45年生まれ)の祖父から父の世代のそれは戦前の軍隊中心の社会と戦後の自由民主社会の差であったり、ヨーロッパ崇拝とアメリカ崇拝の差であったりしたのであろう。おそらく、祖父たちの世代の話を聞いた父たちは育った環境や社会が全く違うものであることを実感しつつ、祖父たちのことを苦労人と思ったに違いない。耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた世代であるからだ。父たちの世代はどうであったか。子供の頃は戦後直後ということもあって食うにも困った幼少期を過ごした人達が大半であったろう。しかし、青年期を迎えるあたりから世界史上まれに見る経済発展を目の当たりにし、働くこと=生きることであるかのようにがむしゃらに仕事をした。一億総国民が皆豊かになるという夢を共有しつつ一生懸命になれた時代だったのだと思う。そして物質的に豊かになるという夢が少しずつ実現し、明治以来、欧米に追いつき追い越せという国家目標をこなしていったのである。さて、時を超えて現代。我々が働き盛りとなった今においては「不景気」が日常用語となり、「景気が回復した」と政府が言っても実感なき景気回復と言われるようになった。では、どのようになれば景気回復を実感できるのか?おそらく、先に述べた父たちの働き盛りだった頃の経済成長を見なければそう感じないという人が多いのではないか。父たちの時代と今の時代で変わったことを思いつくままに羅列してみる。1.上場企業の倒産は原則として考えられなかったが今は日常茶飯事 2.終身雇用制度が崩壊し、ゆりかごから墓場までというのは幻想となってしまった 3.ボーナスは生活給と思われていたが、今や出ない中小企業も珍しくなくなってしまった 4.貯金していれば10年で元金が倍になる利率で運用できたが、今やそのようなローリスクハイリターン商品がなくなってしまった 5.まじめにさえやっていれば仕事はあったが、今は失業率も高くなってしまった 6.何と言っても、仕事をしていて利益率が低くなってしまった などなど。今となっては父たちの時代がうらやましいと思うことが多々ある。こんなうらやましい状態にならないと景気回復を実感できないという方が多い中、今からこれらの状態が実現する可能性はあるのか?私の私見では、残念ながら日本の領土・領海から資源でも出てこない限り不可能であろう。なぜか。父たちの時代に数十年に渡り右肩上がりの経済成長を遂げてきたわが国。このようなことを実現できたのは何故かということを考えてみればその再現は不可能であるということはすぐに分かる。私の親父にその理由を聞くと多分、「アメリカが戦後、助けてくれたのと、日本人が勤勉だったから」という分かったような分からないような答えが返ってくると思う。誰に聞いても大体、このような感じの答えになると思う。もちろん、日本人が勤勉だとか、識字率が高いだとか、教育が他国に比べ一環しておりある程度のレベルのものであったということは大きく寄与している。しかし、この右肩上がりの経済成長をもたらしたのはいうまでもなくアメリカだ。アメリカが日本に何をしてくれたからこのような世界史上まれにみる経済成長を遂げることができたのか?大きく2つあると思う。一つは戦後アフガニスタンのようになっていた(そこまでひどくないかも・・・)焼け野原のわが国の社会環境を整えてくれたこと。憲法を作り、民主的な社会となるべく法整備や資金・物資の援助などありとあらゆる手をかけてくれた。これも経済成長の一因であることは確かである。しかし、これだけでは今日本が経済援助を行っている東南アジア諸国がかつての日本のようにならないように、日本もこのような経済発展はできなかったであろう。物資などの支援については私の親父もよく知るところであるが、戦後の経済発展の本当の原動力は実はこれではなく、もう一つの原因によるところが大きいのである。もう一つの原因とは・・・・?先日、アメリカの自動車メーカーのダイムラークライスラーとゼネラルモータースが経営破たんしたのは記憶に新しいところである。特にゼネラルモータースについてはあのトヨタより規模が大きく(販売台数はここ数年でトヨタが逆転していたが)、世界に君臨し続けてきたということだから、その会社が破綻したというのはとても大きなニュースとなった。しかし、日本を離れたことのない私にはピンとこなかった。何故か。ゼネラルモータースの車が走っている姿を見たことがないから。日本にいるとゼネラルモーターズよりスズキ、ダイハツの方が大きい会社に見えてしまうのだ(ちょっと極端かもしれないが、実際によく見る車を作っている会社の方が大きく見える)。このことが戦後の経済成長をもたらしたもう一つの、そして最大の原因だ。つまり、戦後アメリカは日本に対して一方的な「市場開放」をしたのである。「戦争に負けて一文無しのようになってしまった日本よ、私(=アメリカ)が立ち直る準備をしてあげるよ。まずは資金援助などでその弱った足腰を立て直しなさい。そしてわが国に入ってきて好きなように物を売ってもかまわないよ。かといって、君の国で商売するようなことはしないから」と。長年にわたり、日本は東南アジア諸国に経済援助をしているが、それらの国に同じようなことをするだろうか。「日本で好きなだけ物を売ってもいいよ、逆に君達の国で物を売るようなことはしないから」などという政策を今とろうものなら、恐らく総理大臣の首が飛ぶであろう。外貨が流出し、国内産業が低コストの新興国により壊滅的なダメージを受けるからだ。実際、このような政策をとったのは世界史上でも戦後のアメリカしかないそうだ。そりゃそうだろう。普通は自国の市場を特定の国に一方的に開放し外貨を流出させるような無謀な政策はとらない。しかし、アメリカは日本に対してそれをした。日本にしてみればアメリカは「金の成る木」だった訳だ。何せ、市場規模が大きい。そこで好きなようにモノを売ることができる。一日24時間体を粉にして働けばその分の利益はいくらでも取ってくることができたのだ。今でもそのような関係は続いている。日本でアメリカの車は走っていないが、アメリカではトヨタやホンダの車が走っているというのがこの関係の象徴的なものといえるだろう。また、ベトナム戦争や朝鮮戦争の特需で我が国にアメリカンマネーが落ちていることも事実である。では、何故アメリカがそこまで日本に肩入れしたのか。答えは一つ。「日本を共産国家にしたくなかったから」。これに尽きる。当時はソ連とアメリカの東西冷戦が長く続いておりアジアにどうしても自由主義国家を置いておく必要があった。アメリカののど元にはキューバという共産主義国があるのと同様、日本や韓国、台湾などは地理的にもソ連の近くにあるため、アメリカの同盟国としての役割を担わせたかったのである。まとめると、日本の戦後の経済成長は次の要因が重なったから実現したといえよう。1.自由主義国家と共産主義国家という世界を二分するイデオロギー対立があったこと 2.日本が地理的にアメリカの同盟国となるに都合のいい場所に存在したこと 3.第一次大戦、第二時大戦ともに勝利したアメリカが富を蓄えていたこと 4.アメリカが日本に対しお人よし過ぎる厚遇をしてまで自国の国益を守ろうとしてくれたことしかし、その後日本がどんどん大きくなって世界第2位の経済大国になろうとは夢にも思わなかったと思われるが、バブル経済の時代にそれが極まり日米貿易摩擦とかオレンジ輸入交渉とかスーパー301条とか(どれも懐かしい言葉・・)、優遇しすぎてきた制度の見直しを迫る外交交渉が行われたのだ。さて冒頭の問いに戻るが、このような父たちの時代のような恵まれた経済環境がもう一度出現して景気回復を皆で実感できる日はくるのだろうか。今や東西冷戦というイデオロギー対立がなくなって20年を経過しており、アメリカにとっても日本を優遇する理由がなくなった。だからアメリカも在日軍隊の規模を縮小する方向に入っている。経済も東アジアでは日本一辺倒だったのが規模的な魅力から中国にシフトした。つまり、日本のかつての「金の成る木」はみるみるやせ細っていってしまっているのだ。かといって他に「金の成る木」というのはあるのか。海洋資源でも出てこればそれに取って代わるだろうが、そんなものあるのかどうかも分からずすぐに期待できるシロモノではない。つまり、日本の「金の成る木」はもはや姿を消しつつあるということだ。「金の成る木」に支えられた父たちの恵まれた時代は遠い昔の話となり、いまや年金をはじめとした政府の財源も枯渇してきている。「実感できる規模の景気回復」というのはもはや幻想であり、あの時代の経済成長は世界史上唯一の異常事態だったということを認識して前向きに生きていくのがこれからの時代を生きる我々の選択ではないだろうか。
June 10, 2009
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昨日、足利事件で無期懲役が確定し服役していた菅家さんが釈放された。この国の刑事裁判ってどうなっているんだろうと思ってしまう。わが国の有罪率は99%を超える高い水準を誇って(?)いるようだ。これはどこぞの国の与党の得票率といい勝負だと思う。こんな高い支持を得る政党が国を動かしているから平気で核実験やミサイル訓練を実施できるのであろう。地方では民が飢えているというのに・・・。ちょっと異次元の話のように聞こえるが、この事実に直面したとき、我々の国はかの国を笑えないな、って思う。かの国は国民が皆同じ方向を向いており、同じ考え方だってことを誇りたいんだと思うが、人が2人集まれば考え方が違って当たり前だということや、もし大多数に選ばれた政党の施策が間違っていたときに抑止力がなくなるということから得票率99%というのは「ありえない」ことであり、それが実現するということは為政者が選挙人に何らかの「細工」をしているということが容易に想像できる。わが国の刑事裁判も同じ。有罪率99%を誇りたいのは、わが国では犯罪を犯した者は確実に罰せられるのだという理想を実現していると言いたいのであろう。これによりわが国では治安が安定し、安心して過ごすことができると・・・。しかし、有罪率99%ってあり得る話なのか?間違いは絶対にないのか?人間がやる捜査で、現行犯以外のものについては誰かが見ている訳ではないので絶対はないはず。だから物証や真犯人しか知りえない情報などが決め手となるのだ。これがないまま検察が起訴して裁判が行われ、天ぷらのようにほいほいと揚げていったら冤罪が多発するのは明らか。ところが、わが国は冤罪はあってはならないと言ってるけれどもそれをなくすための努力はしない。金を払ってはい、終わり。菅家さんの件だってあんなに人一人の人生を狂わせておきながら誰も責任はとらない、謝罪はしない。裁判所のいう「慎重に審理した」という人ごとのようなコメントを聞いているとまるで学生がテストで間違った解答をしてしまって、あちゃーと言っている感じにしか思えない。裁判所に限らずわが国の官僚は大体こんな感じではあるが。わが国の刑事裁判は官僚裁判であり、同じ官僚機構の中にいる検察から上げられた情報は裁判所は疑うことなく採用する傾向にあるそうだ。裁判所は検察に恥をかかせる訳にいかないから。もちろん、裁判所も検察も一生懸命事件の解決に向かって日夜努力しているのは分かる。しかし、有罪率99%、量刑は検察求刑の8掛けが相場となっているとすれば刑事裁判は単なるセレモニーであって実際に罰しているのは検察ということになりはしないか。冤罪の恐ろしさは2つあると思う。一つはもちろん、今回の菅家さんのように無実の善良なる市民が犯人に仕立て上げられ、その人権が完全に踏みにじられること。もう一つはそれで事件は解決したとされ、真犯人の無罪放免が確定し、娑婆でのうのうと暮らすことを許してしまうということ。言い換えれば真犯人を野放しにして解決してしまうということだ。我々の日々の生活の脅威となるのはむしろ後者で、もしそれが隣に暮らす殺人鬼だとしたら・・・と思うと背筋が寒くなる。時効問題と合わせてわが国の刑事事件の処理について考える必要がある。さて、検察の上げてきた証拠うんぬんというところに戻るが、その中に自白調書というのがあるらしい。これは密室の中で被疑者が事件について検察取調べ官の面前で自白(?)したことを取りまとめたものであるが、よく言われるのはこの調書は「強要された」自白が書かれてあることも少なくないということ。今回の菅家さんも自白を強要されたと言っている。よく、事件で逮捕された人が「取調べでは全面的に罪を認め・・・」「裁判では一転容疑を否認、無罪を主張・・・」などという報道がなされる。全部とは言わないが、この中には相当数の「強要自白」が含まれているのではないか。やってないことをやったと言わせるテクニックは警察、検察ともにプロだから相当なものがあるのは容易に想像できる。ものの本によると拘束中は自殺防止という名目で24時間白昼のような明るい部屋におき、熟睡させない、1週間ほど前のことを1分刻みで何をしてたか思い出させ、言えなかったら(っていうか、言える人なんていない)その記憶力は信用できないと言い出す・・・などなど、実際にやっていないのに逮捕された人にとっては逃げようのない状況になってしまう。ここで早くこの監獄のようなところ(俗にこの拘留場のことを代用監獄というらしい・・・)から抜け出したいという気持ちが勝ってしまい、うその自白(つまり、やってもいないということをやってと言ってしまうこと)をしてしまう。真実は裁判で明らかになるだろうという淡い期待をもって。しかし、裁判所は同じ官僚機構の中にある検察から上がってきたもの、特にこの自白調書については絶対のものとする扱いをする。「あなた(=被疑者)が誰の邪魔も入らない密室で本当のことを取調官に言ったんでしょ、あなたのサインもありますよ」ってな具合。「それは自白を強要されたから・・・」と言っても「公平な立場にある公務員がそんな自白を強要なんてするはずないでしょ。」とけんもほろろ。その後有罪率99%を誇る立派な刑事裁判で有罪とされてしまうのである。このような仕組みの中、裁判員制度がスタートした。これは何のために設けられた制度なのか?バブル期までの古き良き時代と比べると我が国もずいぶん変わった。猫も杓子も自家用車で移動し、高速道路網の整備により速く遠くまで行けるようになるとともに外国人定住者も多くなった。価値観も多様化し、当時と比べると本当に同じ日本人なのかと思えるようなところも多々あると思う。こと、犯罪捜査についても昔であれば地域のコミュニティが今とは比べものにならないくらい堅固であったし、遠隔地への移動も公共交通が主であったため犯罪捜査は今と比べると割と簡単に(?)足がついていたのではないか。今は自家用車がある。遺体だってやろうと思えば北海道から沖縄まで運ぶことができてしまう。このように移動手段が格段に進歩し、地域コミュニティも希薄となれば捜査も難航を極めることが少なくない。だから証拠集めも難しくなる。従って刑事裁判の拠り所は自白中心になってしまう。そこで冤罪が増えてしまうのである。このことは最高裁も当然身にしみて分かっていると思う。だからこその裁判員制度なのではないか。「我々が下した決定に市民の意見も入っている・・・・」。もし冤罪が判明しても「我々プロだけじゃなく、素人である市民も一緒に審理したから間違えた・・・」などと裁判所の免罪符に使われるのだと思う。巷で言われている裁判員制度の目的は専門バカになっているかもしれない裁判官の判断に市民感覚を入れてより公正な裁判にすることだと言われているが、そうだとするとこの制度には矛盾が多すぎる。何故指名されたら強制なのか、何故3日間で審理は終了してしまうのか、何故公判前整理手続のときは裁判官と検察だけで行われ裁判員は加わらないのか、何故裁判員には厳しい守秘義務が課せられるのか(守秘義務は当然であるが、裁判の仕組みや何が行われたかなどにまで守秘義務を課するのは何か他に意図があると勘ぐってしまう。我々も税務調査がどのように進行したかなどは納税者の情報に触れない限りOKなのに)???実は裁判員制度導入の目的はこの免罪符の他にもう一つの重要な目的があるとのこと。ここでは書けないが、本当にそうであれば恐ろしいことだと思う。何はともあれ、始まってしまったこの裁判員制度。有罪率99%はかの国の選挙と同じようにおかしなことだということを肝に命じてこの制度を見守る必要があろう。繰り返し言う。有罪率99%は人間の世界では有り得ない。遠山の金さんや大岡越前を見てきた我々は刑事裁判というものを大きく誤解している。裁判では真実は分からない。真実を知っているのは真犯人だけだからだ(ときには、真犯人すら真実が分からないことがある)。仮に本当に罰せられるべき人が罰せられる割合を75%とすると99%との差24%強は冤罪ということになる。自白重視の刑事裁判はこのような悲惨な結果を招くことが少なからずあり、裁判員はその片棒をかつぐことになる。とはいえ、裁判員は国民の義務だそうであるから(憲法には納税・勤労・子女教育の3つしかないと小学校のときに習ったがその後何か変わったのだろうか・・・)、指名を受けたら自分の良心に基づいて真実は何かということに迫らなければならない。決して官僚組織のメンツを保つことに利用されてはならないと考える。
June 5, 2009
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沈黙は金だそうです。出すぎたことをしてもいけないようです。2005年1月29日にティーカップから楽天にブログを移してきて3年半くらい、入院していた時期を除き毎朝毎朝更新してきましたが、間違ったことを書いちゃいかんという窮屈さに耐えられなくなってきました。今まで間違いだらけの本文だったかもしれませんが、ご指摘頂いた方々、励ましのコメントを頂いた方々、そして何よりつたない文章にお付き合い頂いた皆さんにお礼を申し上げたいと思います。有難うございました。(完)
September 19, 2008
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昨日アメリカのAIGが政府の公的資金の注入を受け入れ何とか当面の危機を脱したように報道されています。AIGはいわずと知れた世界最大の生命保険会社で130カ国以上にも及ぶ広範囲で事業を展開しているそうです。わが国でも当然、事業をしており生命保険ではアリコジャパン、AIGスター生命、AIGエジソン生命など、損害保険ではAIU保険、アメリカンホーム保険などがあり、他にも金融関係を中心に活動しています。中でもアリコジャパンは格付けがトリプルAと保険金支払能力が最高の評価を受けています。これらのAIGのグループ企業の保険契約はこの先どうなっていくのでしょうか?私もアリコジャパンに年金資産などをいくらか預けているのと終身保険、終身医療保険に加入しているのとがあり、これらがどのようになるのか心配です。これらの契約の可能性を探ると・・・1.AIGが時間をかけて経営の立て直しに成功し、保険契約はずっとそのまま今まで通り2.AIGが受け入れた公的資金の返済は自己財産の売却からということなので各国の保険会社を切り売りし(例えばアリコジャパンを〇〇生命に売却など)引き受け先の保険会社が年金、終身保険などの貯蓄性保険の内容を一律2割くらいカットして契約を継続3.AIGが破綻してしまい、これに伴い各国の保険会社も引き受けてがない場合破綻となり生命保険契約者保護機構のお世話になる(この場合、責任準備金の9割が支払われることになるようです)極端な例も上げましたが、今朝の報道をみると当面、3.はないようです。アリコジャパンなどは独立した法人としてわが国の保険法に基づいて運営されているため本体のAIGがどうなろうと自分の会社さえうまくやっていけば影響はないというということでした。その報道と同時におばちゃんがインタビューに応えており「AIGのニュースを聞いて解約しにきた」というようなことを言っている人がいました。銀行の取り付け騒ぎじゃあるまいし、慌てて解約すると損をするのは契約者だと思うのですが・・・。早まったことはしない方がいいと思いました。人気ブログランキングへ
September 18, 2008
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かねてから傷めている背中の筋肉痛ですが、少しずつよくなってきました。聞くところによると風呂などで温めて筋肉がほぐれている状態で前屈姿勢をとるのがいいそうなので今朝は少し早起きして近所の朝風呂をやっている越乃庭さんに行ってみました。朝6時ちょうどくらいに着いたのですが、既にお客さんが数名入っておられ、社長も風呂の中から「お早うございます」と声をかけて下さいました(さすがです。社長はいつ寝ていらっしゃるのでしょうか、疑問です・・・)。朝の涼しい風にさらされながらの露天風呂温泉浴。目の前には富山湾に浮かぶ朝日。海面には太陽の日が美しく映えています。上記のリンク先の下の方に朝日が海に映えている写真がありますが、本当にこれがナマで見られるのです。早起き三文の徳といいますが、近くにこんなにいい自然を満喫できる風呂があるというのは幸せなことです。何の決心をしなくても朝起きて「行ってみようか」で車で5分。タオルと財布を持っていくだけです。ちょっとした人生の悦びというのでしょうか、今朝は味わってきました。帰りに朝風呂特典(?)のゆで卵を頂いてきました。背筋の治療にと思って行ってみたのですが、何か癖になりそうです。明日は上の双子を連れて行く約束をして学校に送り出しました。これが本当の怪我の功名?人気ブログランキングへ
September 17, 2008
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昨日、私が大学に入学したときに秋葉原で買った14インチのブラウン管テレビをついに買い換えました。ですから20年間ずっと使ってきたことになります。最近では映りも悪くなり、ときには自動で(?)勝手に電源が切れることもたびたびありました。というわけで知人が勤務している大型電気量販店に地上波デジタル放送対応のテレビを買いに出かけたというわけです。今までホテルの室内にあった、チャンネルの切り替えに一呼吸置かなければならないあの地上波デジタル放送がついに我が家にもやってきた瞬間でした。チャンネル設定も面倒なのかな、と思いきや郵便番号を入力するだけであとは勝手に設定してくれるというのは大変有難いことでした。まだあまり使ってませんが、いろいろできるようです。いろんなことができるようになると機能の使いこなしが大変でついていけなくなるのですが、少しずつ慣れていこうと思います。しかし、昔アマチュア無線をやっていた元電波少年もデジタルの時代になるとさすがにテレビがブラックボックスとなってしまったことに一抹の悲しみを覚えます。人気ブログランキングへ
September 16, 2008
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2泊3日の東京・神戸出張から昨日帰途につきましたが、実はこの間ずっと背筋の筋肉痛に苛まれており、今もそうです。日に日にひどくなっていくような気がします。おそらく、平泳ぎのストローク(手の動き)のときか、プールエクササイズでバーベルを動かしたときに背筋を使いすぎたのでしょう。右の太い背筋が肩から腰に至るまで激痛が走ることがあります。普段起きているときは無理に体をひねったりしない限りは気にならないのですが、問題は寝るとき。仰向け以外はNGです。私の寝相が悪いのは古くからの友人なら誰もが知っているところですが、寝返りを打つたびに激痛が走り目を覚まします。お陰で最近は睡眠時間の確保はできているにもかかわらず睡眠不足気味です。ずっと仰向けで寝ていると右の背筋のみならず左の背筋、両肩、腰にまで無理がかかり痛くなります。寝ることができない状態のつらさを始めて知りました。フィットネスを始めて以来、何度か背筋の筋肉痛になりその都度反省していたのですが、今回ほどひどいのはありません。治るのにどれだけかかるか分かりませんが、しばらく運動はお休みになるかもしれません。人気ブログランキングへ
September 15, 2008
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昨日は神戸国際会館で第6回ブロガーサミットが開催されました。このサミットは会計系のブロガーの方々が集まりパネラーのディスカッションを聴くというもので半年に一度開催都市を変えて行われています。今回のテーマは「社長の心に入り込め!セミナー開催の極意!」ということでセミナーについての話しを4人のパネラーの方々の体験談などで盛り上がりました。2時間のパネルディスカッションがとても短く感じられ大変ためになりました。その後第2部としてワインバーで懇親会、3次会はカラオケに行って最後は2時過ぎでした。今回も幹事の皆さん、お疲れ様でした。今回も東京、神戸で事務所経営関係のセミナーが2つでしたが、大変ためになったばかりでなくこれからの事務所運営方針を変えていく大きなものとなりました。人気ブログランキングへ
September 14, 2008
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今池袋のホテルです。この後少し原稿を進めてのぞみで新大阪まで行き神戸入りします。神戸は3年ぶりでしょうか。楽しみです。昨日は池袋東武デパートの12階にあるレストランで夕食を取りました。サンシャイン60とアムラックスが目の前に見える眺めのいい店でした。意外だったのは東武デパートの方が東口の西武デパートより高かったこと。駅からはいつも見上げているパルコの文字を眼下に置いての眺めだったので斬新な感じがしました。東武デパートは殆ど行ったことがないのでたまたま行ってみたのですが、ちょっとした発見があって嬉しかったです。人気ブログランキングへ
September 13, 2008
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今日はこれから出張です。といってもいつもの東京出張ではなく今回は2箇所です。今日は午後から東京で明日は神戸。神戸は夕方の会合なので明日一日はのんびりです。という訳で東京と神戸のプールでも行ってみようかなと思いました。こちらのいつも行っているプールとは広さ、料金などが違うようでやはり都会だな、と感じます。しかし、昨日寝ていたときに体のあちこちが痛くなったのでたまには体を休めてやろうと水着は持っていかないことにしました。昨日もプールに2時間。いつものように千メートル泳ぎ、水中バーベルのエクササイズをやったところで体重は66.30キロ。僅かに先日の最低体重を更新してました。今回の出張で食べてまた少しリバウンドするのでしょう。余談ですが、高岡から東京へ行って新幹線で神戸まで行って高岡に帰ってくるとき、乗車券は一枚につなげると安いです。つまり、高岡から高岡までの切符を買うのです。経由は(直江津)、ほくほく線、上越線、高崎線、東北本線、東海道本線、(京都の山科)、湖西線、北陸本線、(金沢)となります。本州の中央部を時計回りにぐるっと一周する感じになります。一枚の切符にするときは一筆書きのルートにしないといけないので京都の山科から三ノ宮までは別途切符を買うことになります。で、東京と神戸は途中下車。経由が多すぎて切符に印刷しきれず、一部手書きになっていました。レガシィさんの原稿も仕上げの場面に入ってきました。この出張の間にまとめます。人気ブログランキングへ
September 12, 2008
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社会に出てから十数年ちんたらと続けてきたあることをやめることにしました。新しいことを始めるのは割と簡単にできるのですが、長くやってきたことをやめるというのはいろんなことを考えるものです。でも、ここにきてそれをやり続ける意味がなくなってしまったように思えるのでやめようと思ったのです。一言でいうとバカバカしくなってしまったのです。今すぐやめるといろんな方に迷惑がかかってしまいますので早ければ今年いっぱい、遅くとも来春までには終えようと思っています。それが完全にできなくなった時点でこのことについてまたここに書きたいと思います。人気ブログランキングへ
September 11, 2008
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昨日に引き続き教育関係のネタを。富山県のことだったか、大分県のことだったかよく聴いていなかったのですが、教員の採用試験に一部民間人を委員に任命するとか。民間人といっても元県立か市立の学校の教員経験者で定年後私立の学校にいらっしゃる方だと思うのですが。このニュースを聞いてちょっとした気づきがありました。官は本当に公正なのか、民は本当に公正でないのか、ということです。民はお金の成る木を持っているわけではありませんのでそれこそ食うに困れば悪いことでもなんでもやる。ルールを作っておかないと何をしでかすか分からない。それに比べ身分が保証されておりお金の成る木があるから食うには困らない官は民の薄汚い損得に巻き込まれることなく公正な判断、指導ができるから権力を持ち指導・制定ができる。これはこれで分かるような気がしてこれまで生きてきました。しかし、官の内部腐敗となると自浄能力がいかに官といえども身分争いのようなところがありますから冷静に事を運ぶことには限界があるようです。そこで官のお家騒動には無関係の民間人を損得に関係のない人ということで起用するとなった訳です。このことは教育界のみならず社会保険関係でも取り入れられてきたことですが、官=公正、民=不公正というのはケースバイケースということになります。それでも、民を判断する側に加えたからといって単に批判をかわすためだけにやるのではなく官の中の公正を図るために大いにその存在感を発揮してもらいたいものです。人気ブログランキングへ
September 10, 2008
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昨日、大分の教員採用試験に関する不祥事をめぐって採用取消の処分が行われたことが報じられていました。とかく教育界は独自の世界を持ち独立した機関で事が行われるため特に田舎の方では悪いことと知りつつも議員さんなどの有力者をたどって口ぞえをしてもらい便宜を図ってもらうというのは以前から半ば常識としてあるようです。教員に限らずウチのあたりでも普通の就職先のあっせんは地元の市会議員さんの仕事の一つでした。これが公務員である教員の採用試験に行われていたらやはり不祥事ということになってしまいます。しかし、いずれの場合も有力者に頼みにいくのは本人ではないことが圧倒的に多いです。殆どの場合、親が頼みに行くことになっていると思います。ここに問題がある。親心からやることではあっても、厳しい採用試験を愚弄した行為です。本人には寝耳に水のことが多いと思います。私も今になって税理士試験の合格取り消し通知が来たりしたら何かの病になってしまうでしょう。こうした大人たちの愚行が悲劇を呼んだのです。悪いのは本人ではなく頼んだ親とそれを受け入れた教育委員会。大人たちが勝手にやったことで悪くない本人や学校の子供達に大きな悲しみを植えつけてしまいました。この罪は大きいと思います。人気ブログランキングへ
September 9, 2008
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消費税は平成元年4月1日に施行されて以来、平成9年に一度だけ税率が引き上げられました。今、平成20年ですから3%の時期より5%の時期の方が既に長くなっていることになります。その間、消費税の免税点が3千万円から1千万円に引き下げられたり簡易課税の適用も4億円から2億円、さらに5千万円とされてきました。また、総額表示が義務付けられたのも今は昔の感があります。さて、11月ともいわれる衆議院の解散総選挙では今月下旬に決まる新しい首相が誰になるかにもよるのですが、やはり消費税は一つの論点となってくると思います。税率を引き上げるのか、据え置くのか。社会福祉目的税にして税率アップということも考えられているようですが、今の時期はタイミングが悪く国内消費がさらに冷え込むことは必至です。消費税は理屈上では損益に影響しないこととされていますが、それはあくまで完全に転嫁しての話。中小零細企業では得意先である大企業などに消費税を転嫁できない例も非常に多く、自腹を切って消費税を納めているというのが現状です。このところの仕組みを何とかしないとこの国の中小零細企業は経営が立ち行かなくなってしまいます。税率を上げれば上げるほど転嫁できない会社の自腹納税額は大きくなる訳ですから倒産や廃業が相次ぐという懸念が予想されます。こういうことも考えて免税点というものを定めており3千万円以下とされていたのがこういう実体を理解していない消費者からの声で「益税をできるだけ小さくする」という大過なく事を済ませようとする政府の判断で1千万円に引き下げられました。消費者も自分達の負担した5%が国庫に入っていかない仕組みに疑問を感じるのは十分に分かるのですが、この国の中小零細企業が転嫁できていないという実情をもっと知る必要があると思います。中小零細企業がなくなったら・・・・・ガソリンも入れられませんし、車の部品も作る人がいなくなります。コンビニも全て直営になるから数が激減しますし、タクシーにも乗れなくなります。今度の新しい我が国政権がこの厄介な問題にどう対処するのか見ものだと思っています。人気ブログランキングへ
September 8, 2008
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昨日は富山で会合があったのですが、北陸本線の下りが遅れているということでした。何でも、石川県と富山県の県境付近でゲリラ豪雨があり徐行運転をしているとか。今朝の新聞でみると冠水した道路で身動きがとれなくなっている自動車の写真が載っていました。先ほどもこれでもかというくらいの大雨。今からゴルフなんですけど・・・・。人気ブログランキングへ
September 7, 2008
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今週半ばに最低体重を更新してからと言うもの、昨日から夜に酒を飲む機会が続きます。酒を飲むと一遍で体重にはね返ります。プールの中でも疲れがきやすくなりますし、いいことはありません。昨日は事務所のビアガーデン。今日も地元青年部会のビアガーデン。明日は商工会議所の会頭杯コンペでその後飲み会があるようです。この3連荘でいきなり3キロや4キロ増えたりする訳ではありませんが、一時的に2キロくらいは増えると思います。そんなことよりも月に1、2度の体重減少期に入っていたのにこの飲酒ロードと重なったのが痛い・・・。また地道に少しずつ減らしていきます!人気ブログランキングへ
September 6, 2008
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お盆が過ぎてからというもの、行ける日は毎日プールに行って泳いでいます。それこそ、週5~6日ペースですから半ば水泳部員のような感じです。25メートル×4本のクロールでアップし、その後ドルフィンキックの練習をするのですが、それ以外は特に決めずに自由に泳いでいます。最近よくやるのが変則的な泳ぎ。特に「手だけクロール」と「足だけ平泳ぎ」をやります。手だけクロールは足を少し開き気味にしてバタ足をせずに手だけで25メートル泳ぎきるってやつで、足だけ平泳ぎは手を前に伸ばしたまま足だけで泳ぎきるってやつです。これをやると自分の悪いところが分かり直すべきところを修正できるのと、意外と疲れない、連続で泳ぐことができるというのがありよくやっています。やはり、平泳ぎは全体的に難しいのですが、特にキックはうまく水を捉えるのが難しくすーっと延びてくれません。経験者が泳いでいるのを見るととても優雅に見えるのですが、その領域にたどり着くのにはまだまだ時間と努力を要するのでしょう。おかげさまでクロールは手の使い方を教わってからすーっと延びてくる感じになってきました。泳ぎも本格的にやってことはありませんが、時にはこのように変則的な泳ぎをするとパーツ練習になり悪いところが見えてきます。ドルフィンキックもいわば「足だけバタフライ」ですが、まずは基礎固めということでじっくりやっていきたいと思っています。人気ブログランキングへ
September 5, 2008
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例年今の時期は残暑たけなわで「いつまで続くこの暑さ」とばかりに夜もエアコンをつけて寝ているところですが、今年はお盆を過ぎてゲリラ豪雨が頻発するようになってからというもの、暑さとはほぼ無縁の生活が続いています。今日も高岡はくもり空。大変に涼しい朝を迎えています。朝夕が涼しくなると夏の疲れがどっと出てくるのですが、今年はすでに涼しい時期に入ってから長いので今の時期はそれをもう通り越してしまっているようです。涼しいのは大変有難いのですが、こんなときに誰も言わなくなるのが地球温暖化による影響のこと。本当にここ数年の猛暑は地球温暖化と関係があるのか、と言いたくなります。そもそも、ここ10年来の平均気温が少し上がっているというだけで地球が温暖化しているといえるのでしょうか。そんなことを考えながらも夕べプールの帰りにジャスコに寄ってジュースを8本買ってきました。このスーパーは石油の余った部分で作られるレジ袋を下さいと言うと5円取られるので8本の500ミリペットボトルを両手の指にはさんで持ってきました。これがジャスコのいうエコなのだそうです。どこの飲食店が木材の余った部分で作られている割り箸を使うのにお金を要求するのでしょうか。エコをお金儲けの道具に使っている一番悪い例だと思います。それはともあれ、涼しくなっていろんなことにチャレンジできる季節になってきました。私も早いとこ原稿を仕上げてスポーツの秋、読書の秋(私の場合、芸術の秋はありません)を楽しみたいものです。人気ブログランキングへ
September 4, 2008
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昨日プールで泳いだ後体重を量ってみると66.45キロ。一昨年スポーツジムに通い出して以来、最も体重が軽くなりました。これまでは去年の9月に体調を少し崩す直前に67.00キロというのがあったので66キロ台になると新記録でしたが、その後1年越しで一気に達成となりました。去年2月に82.5キロだった体重を9月までに半年余りで67キロまで落とした反動からか一度ひいた風邪が2ヶ月くらい引きずってちょっとやめていたのですが、その後今年の正月には72キロまで戻りました。6月末くらいに70キロを切り出してからは再びやる気になり今の体重となった訳です。このままのペースで体重が減っていくと今度は違う問題に直面します。遅くとも2ヵ月後くらいに64キロくらいになったときに今度は体重を維持していかなければならなくなるという、今までと逆のことを考えなければならなくなるのです。食べながらも増えないようにしていくというのは今までやったことがありませんからまた新しいことへの挑戦が始まります。そんな後のことより今は泳ぐことに体を慣らすこと。肺活量も日々増えてきているのがなんとなく分かります。息を止めることが少し苦ではなくなってきました。あまり頑張らない程度に続けていければ、と思っています。人気ブログランキングへ
September 3, 2008
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民主党の代表選が回避され小沢氏の再選が色濃くなったと報じられた日にまさかの自民総裁選のスタートが切られようとは・・。思ってもみませんでした。奇しくも辞任会見のあった9月1日は大正12年に関東大震災のあった日。今年亡くなった祖母が幼少の頃この大震災に遭い、地割れした畑の中を命からがら家まで逃げてきた日だと聞いています。これを期に防災の日とされた経緯がある日ですが、これに先んじて行われた防災訓練にこの辞任を表明した方はどのような気持ちで参加しておられたのでしょうか?85年前ほどではないにせよ、東京地方に激震を起こした訳です。我が国には天皇陛下という唯一無二の国家のトップが太古の昔からいらっしゃるのでアメリカの大統領などのように「トップが替わる」という意味がこれらの国々よりは小さいのかもしれませんが、やはり世界の中でも大国の一つな訳ですからこれは一大ニュースです。お父さんが官僚出身の偉大な総理大臣だったことを考えるとこの方も官僚のいうことにNOとは言えない総理だったでしょう。この構図は近代日本史を見てもまことに優秀と言えるくらい我が国の政治としては同じことの繰り返しと言えます。冠がいてそれを取り巻く身分的には下だけれども実際の権力を握っている終身保証された身分の方々がその冠を利用して実利をむさぼる。農耕民族の国家にありがちな「長を担ぎ上げてその神輿の下でほくそえんでいる権力層」というモデルがより一層強くなったような気がします。聖域なき構造改革を打ち上げてどのくらい実現できたかはともかく、小泉元首相が改革路線を実施してきました。安倍前(?)首相はその路線を維持すべくやろうとしたら若い首相だったこともあり、おそらく先に述べた権力層につぶされてしまった。しかし、昨日辞任会見を行った人はこの路線に協力してきた政治家を舞台裏に追いやり権力層に有利な舞台を整えてしまった。この国がいつまでも右肩上がりの経済成長を続けられればこの構造もあまり問題ではないのですが、そうではない今日においてもそのような構造を続けていこうとするとこの国は破綻に向けて毎日毎日前身にしていることになります。ガソリン税にしてみても一旦、暫定税率をやめて国民の生産活動を停滞させないようにするのがトータルで考えると国民、政府にとってベストであるように思うのですが、それではある権力層の影響力が薄れてしまうので今まで通りを政府に要求した。国民の代表ということになっている議会とそれを実行する政府が出来レースの議決により権力層に貢いだ。権力層は終身安泰な身分だから保身さえ考えておればよい。何か、紀元前のギリシアの元老院のようなものがこの国の一大勢力となっている。さて、次は誰になるのか。麻生さんがなるとまた改革路線となり権力層は身構えるのではないか。さらに8月15日には靖国参拝を行い(これは私も歓迎)、世界でも3カ国しかない靖国に批判的な隣国が騒ぎ出すのは必至でしょう。しかし、お金が一番という価値観となって久しいこの国を治めていくにはお金なしではうまくいかないものですなぁ。人気ブログランキングへ
September 2, 2008
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昨日で長かった夏休みが終わり今日から2学期です。子供たちには朝6時半起床の生活が戻ってきました。今朝は久しぶりにもかかわらず二人ともぱっと起きて朝ごはんもこれまでにない速さで済ませました。毎日こうあって欲しいものです。今日は初日ということで給食はないそうですが、明日から完全に普通の授業体系に戻ります。気持ちを切り替えて早く生活のリズムを取り戻していってもらいたいものです。とはいっても、夏休みのない我々社会人にはあまり関係のない話。9月になっても気候がぱっと変わる訳でもなく昨日までと同じ暑さ寒さの延長です。しかし、月の変わり目は一つの区切りですからまた気を引き締めて夏バテに負けないよう頑張りましょう。人気ブログランキングへ
September 1, 2008
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今日は8月31日。夏休み最終日です。昨日は長野まで野球観戦に行ってきました。雨も多少降りましたが、何とか試合は行われ5対2で我が富山サンダーバーズの勝利。アウェーに滅法弱いのですが、わざわざ足を運んだ甲斐がありました。今日は今からゴルフ。晴れてよかったです。帰ってきたら双子をプールに連れて行ってやろうかな。人気ブログランキングへ
August 31, 2008
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長かった夏休みのいよいよ今日明日でおしまい。今から息子と娘と3人で長野オリンピックスタジアムまで日帰りで行ってきます。富山サンダーバーズ対信濃グランセローズ。1時プレーボールですが、雨が持ってくれればいいと思います。人気ブログランキングへ
August 30, 2008
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去年の9月に体調を壊してから現状維持を目標に切り替えてきた体重ですが、今年の7月にまた下降線を辿り始め昨日、ついに去年の最小値に並びました。一時、4キロ余りのリバウンドがありましたが、そのリバウンドを解消した形となります。最近では専らプールで、ジムトレーニングはお休み状態です。負荷数値や消費カロリーが分かるジムと違いプールでの運動は数字的なものが全く見えないため少し不安ではありましたが、やってみるとかなり疲れるため相当のエネルギーを消費しているのでしょう。大体、のらりくらりと1時間泳いでいますが、今週初めに地元青年部会のH君に教えてもらってからはかなり楽に泳ぐことができるようになりました。クロール25メートル×4本くらいでアップしそこから黙々とパーツ練習をしています。クロールの手だけで泳いでみたりビート版を使っていろんな足の動作の練習をしてみたり。でも、一番多く時間を割いているのはドルフィンキックです。本やインターネットでいろんな情報を仕入れつつ、それを実践しているのですが、少しずつ形にはなりつつあるものの、今一パッとしない状態です。でも、インターネットを見ていても始めはみんなそんなもんらしいのであわてずあせらずやっていきたいと思います。H君、またドルフィンキックがそれなりに進むようになったら一緒にプールに付き合って下さい!人気ブログランキングへ
August 29, 2008
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7月決算法人の決算の進み具合が順調です。7月決算法人は9月申告ですから本当は来月末が申告期限なのですが、今日午前の決算の打ち合わせが終わると6社中4社目の決算が確定することになります。これもスタッフの前倒しの仕事のお陰だと思っています。一番早かったのは8月20日でした。40日決算ならぬ20日決算。この日は2社の決算が確定し、申告も既に終わっています。決算月の翌月に決算が締まるといいことがあります。まずは、翌期の月次決算の開始が本決算により遅れるということが避けられること。お客様にとっても会計事務所にとっても早くヤマを越えることになるためもやもやしたものを抱える時間が短くなること、そして万が一決算内容に重大な錯誤があった場合でも修正する時間が残されていることです。6月決算でも7月中に締まったお客様が何社かありました。やはり翌月に決算が締まるというのは余裕も生まれいいことだらけです。もちろん、請求の締めなどの関係で翌月に締まらない会社の方が多いとは思いますが、このいい流れを継続して年末からの繁忙期に備えたいものです。人気ブログランキングへ
August 28, 2008
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私は昨日できなかったことが今日はできるようになった、ということが好きです。逆に昨日も今日も一緒とか昨日まではできていたんだけど今日はできなくなったというのは嫌なのです。しかし、体の方は徐々にではありますが衰え始めているようです。私の家の玄関は天井が高く、2メートル30~40センチくらいあります。中学生のときから垂直飛びが得意でこの天井にジャンプで手が届くのは朝飯前くらいに思っていました。大学を卒業してしばらくまで届いていたと思います。しかし、38となった今ではこの天井には手が届きません。これは寂しいことながら、一生手が届くことがないということを意味します。あんなに楽に届いていたのに・・・。また、私が会計業界に入りたての頃、毎日顔出し平泳ぎで1キロ泳いでいました。大体20分余りで泳いでいたと思います。これが10年経った今ではできません。100メートルも泳げば苦しくなります。こちらは一生できないということはないかもしれませんが、「今までできていたけど今はできないこと」の一つです。その少し前に2年間で19キロのダイエットをしました。これは去年体重を落としたときに「今でもできる」ことを確認しました。しかし、当時と比べると体重は格段に落ちにくくなっています。このような現状にあって「今までできなかったことが今できるようになった」ということを作るのは非常に難しいものがあります。そこでチャレンジしようと思ったのが水泳でした。今までできなかった正しいフォームで楽に泳ぐということをあの手この手でやってみようと思ったのです。ゴルフと一緒で、習うより慣れろ。もちろん、正しいことを身に着けるためには我流では限界がありますから教えてもらわないといけないのですが、基本的なことの反復を繰り返しやっていこうと思います。今日できていないことを将来できるようになるために。人気ブログランキングへ
August 27, 2008
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一昨日、立山に登ろうと思っていたのですが、雨が降っていたため午前中に高岡に帰ってきて映画を観ることにしました。お目当ての映画が3時半からだったのでショッピングセンターでゆっくりし、息子と娘を連れて3人での鑑賞となりました。お目当ての映画は「劇場版仮面ライダーキバ 魔界城の王」。お決まりの東映の夏休み映画で「炎神戦隊ゴーオンジャー BUNBUN BANBAN劇場BANG」との2本立てでしたが、特に仮面ライダーキバは感動ものに仕立てられていました。今年のこの仮面ライダーは今年2008年に活躍する主人公とその主人公の亡き父が活躍していた1986年の場面が同時進行で描かれています。また、ヒロインも母を亡くしており、主人公の父と一緒に戦っているという設定になっており、1986年の事件が2008年に連動して起こってくるのです。去年の仮面ライダー電王のテーマは「いじめ」で、変身するたびに人から忘れられ存在そのものが無くなっていくライダーも登場しましたが、今年のテーマは「親子の絆」。まだ上映中の映画なので詳しくは書きませんが、2008年の主人公、ヒロインからすれば亡き父、母の若い頃、1986年の父、母からすればまだ見ぬわが子たち。子供は親の顔を覚えているからお父さん、お母さんと呼ぶけれども若い父母は子供がいない時期のため子供と認めてもらえない。しかし、共通の持ち物や記憶の中から未来の我が子と知り母と娘が一緒にライダーに変身して戦う。そして父と息子が一緒にライダーに変身して戦う。この辺の演出が見事だったと思います。最後はバイオリン弾きの父と息子が学校の演奏会で共演して幕が下ろされたときに「お別れだ」と言って父と母が過去に帰っていくシーンが描かれ終劇。子供向けの映画とはいえ、涙、涙の一作でした。私の年になると恥ずかしくて一人でこのような映画は観に行けませんが、子供を連れて一緒に観る映画としてはかなりいい映画だったと思います。人気ブログランキングへ
August 26, 2008
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中学校の同窓会をやってから2週間が経ちましたが、当日は一応挨拶をするだけの会長ということになっていましたので一通り酒をついで回りました。その中でいろんな懐かしい面々と話しをする機会があったのですが、びっくりすることを言われました。その人とは保育園、小学校、中学校は同じだったのですが、小学校に入学以来同じクラスになったことはありませんでした。彼も小さいときから大男で有名でしたが、成績はあまりぱっとしなかったようです。話をしたことはないわけではないけれども親しい間柄ではありませんでした。その彼に酒をつぎに行ったときに開口一番こう言われたのです。「俺、今土木作業員をやってるけど、困ったことに直面したらずっとお前(つまり、私)だったらどのように考えるかというふうに考えてきた」。中学卒業以来23年に渡ってこちらは忘れかけていた人にずっとその人の中では頼りにされていたことになります。大変な感激でした。今では子を持つ父親になっているようですが、「お前の考え、行動はお前の親が教えたものだと思うから、俺も子供にお前のように考えられる人になるよう教えていくつもりだ」と付け加えてくれました。損得や上下関係のない同窓会だからこそこんな話も出てくるのだと思いますが、今年一番嬉しかった一言ではなかったでしょうか。来年も同じ集まりがありますが、これからの大事にしていきたい仲間です。人気ブログランキングへ
August 25, 2008
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昨日の夕方から家族で立山に一泊旅行に行ってきました。私と子供3人は富山駅で車を降りて富山地方鉄道で立山まで行くことにしました。直通もあったのですが、途中の岩峅寺(いわくらじ)駅行きに乗って立山行きを待つことにしました。待ち時間は20分ほどでしたが、ホームで待っていると駅員さんが「中で待っとられ」と声を掛けてくれ、駅舎に入りました。この駅舎がとても懐かしく、券売機もなければ料金表もマジックで手書き。改札兼駅務室の裏が宿直室になっているというもので国鉄時代の地元の駅舎にそっくりでした。乗り換えだったので切符は買う機会がありませんでしたが、ひょっとしたら硬券で出てくるのでしょうか?またいつか訪れたい駅でありました。人気ブログランキングへ
August 24, 2008
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今朝の9時半から高岡市勤労者福祉サービスセンターさんの招きで高岡市本丸会館にて生命保険に関するライフプランセミナーの講師を務めてきました。実は4年ほど前に同じテーマでやったことがあり、その時の内容をパワーアップさせて今回のセミナーとさせていただきました。今回の特徴は必要保障額の考え方をグラフにして目で見て分かるようにしたところにあります。目的別に細かく保障額を分け、その目的別に加入するのが得策という私なりの結論で進めました。毎年勤労者福祉サービスセンターさんからはこのようなライフプランセミナーの講師の依頼を頂くのですが、私は必ずアンケートをとることにしています。今回のアンケートを見ていると概ね満足していただけたようでした。しかし、やはりテーマがテーマだけあって個別の相談に乗って欲しいいう要望もありました。大体の考え方を説明することはできても個別の具体例にまで踏み込むことができないのがこの世界です。やはり我が国でもファイナンシャルプランナー事務所の必要性が増えてきているのかな、と思います。今年も何とかライフプランセミナーの仕事が終わりました。午後から立山に行って明日は登山。ちょっとバタバタしますが、子供の夏休みの思い出づくりに貢献してきます。人気ブログランキングへ
August 23, 2008
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税務調査というのは嫌なものですが、会計事務所によって入りやすいところ、入りにくいところってあるのでしょうか?あるとすればどのようなところに違いがあるのでしょうか?来月、レガシィさんでこのような内容のテープの収録があります。今そのレジュメを作成中です。昨日、業界の集まりがありいろいろ情報を仕入れてきました。秋ころに発売になると思いますので興味のある方は是非お聞き頂きたいと思います。人気ブログランキングへ
August 22, 2008
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お盆が明けてからというもの、朝夕がとても涼しく夜はエアコンと無縁の生活となりました。毎年お彼岸くらいまではたびたび夜はエアコンをつけたりつけなかったりということだったのですが、今年はどうしてしまったのでしょう?ひきかえ、集中豪雨の多いこと。一週間おきくらいに冠水か浸水が県内のどこかであるような状況です。稲刈りを1ヶ月後に控え農家の方々も気が気でないでしょう。今年は空梅雨でその分夏が暑いと思っていましたが、結果は逆でした。冷夏とまではいかないでしょうが、夜が涼しいのは嬉しい誤算です。お陰で体が既に秋モードとなっています。夏の疲れが出てきて朝起きるとすごく疲れてますし、この時期特有のアレルギー性鼻炎も早くもでてきてます。オリンピックも終盤に入っており、今年の夏は早くも終わってしまうのでしょうか?人気ブログランキングへ
August 21, 2008
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昨日は星野ジャパンが中国にコールド勝ちし準決勝にコマを進めました。韓国がキューバを破っているため、今日アメリカ戦に勝つと準決勝はキューバと対戦することになります。どの競技を見ていても日本チームが負けるときって何か共通点があるように思います。野球にしろ、サッカーにしろ、型にこだわりすぎているような気がするのです。勝つことにこだわるなら相手が嫌がることをやるのが勝負の常道です。そこをあえてやらずにきれいな試合にしようとするきらいが無意識のうちに顔を出すのです。やはり武士道の精神なのでしょう。そこで負けたときの今度は見る側の価値観です。マスコミは負けた、メダルを逃したなどと白黒だけを強調するものですから勝つことだけに価値を見出せなくなりますが、勝ち負けはともあれ、きれいな試合をさせたらどの競技でも日本チームの右に出る国は少ないと思います。もともと、日本人は無意識のうちにその辺を目指して競技をすることになっている訳ですからその評価はあまり重視されていないのが残念です。ロス五輪の柔道無差別級決勝で優勝した山下泰裕選手の(負傷している)右足をあえて狙わず銀メダルとなったエジプトのラシュワン選手に対するような評価が自然と出てくると負けても気分がいいものだと思います。人気ブログランキングへ
August 20, 2008
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相変わらず北京オリンピックに夢中となる日が続いています。冬のオリンピックと違い夏のオリンピックは雪や氷と無縁の人々も含めて全世界の人ができるスポーツが行われますから競技も多種多彩です。その中で最も尊い競技は何か考えてみました。もちろん、競技に優劣がある訳ではないのですが一つの視点として自分ができそうかどうかという点で考えてみました。私も38歳ですから今からどうということではないのですが、もし、何度も生まれ変わってこの競技に懸ける人生をやり直せたらというのも含めると陸上競技は何とか全部できそうです。オリンピック出場レベルにはならないとしても地域大会などでそこそこの成績を残すことはできそうな気がします。水泳しかり、球技しかり、です。しかし、これだけは絶対にできないだろうという競技があります。体操です。特にあん馬とつり輪。先日からずっと続いている体操競技ですが、選手が競技をしている姿を見ると国を超えて応援したくなります。これが人間の最高峰の技だと思うと本当に目を奪われます。加えてあの肩から腕にかけての筋肉。美というとやはり体操なのだと思います。今日は種目別の男子鉄棒と女子平均台。天井くらいの高さとわずか10センチ余りの幅で繰り広げられる超人技に今日も魅了されることでしょう。人気ブログランキングへ
August 19, 2008
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オリンピックを観ていて思うのです。オリンピック競技には対戦型の競技と記録型の競技があります。対戦型というと1対1で対戦し、トーナメントなどで勝敗を決し順位をつけていくもので記録型というと多数で競技をし記録の順に順位をつけていくものです。柔道、レスリング、野球、卓球、サッカーなどが対戦型、陸上、競泳、体操などが記録型となります。銀メダルというのは2位という意味ですが、その順位決定の課程が対戦型と記録型で全然違います。記録型においては決勝レースでヨーイドンして2番目の記録を出した人が銀メダルなのですが、対戦型においては決勝戦で負けた人が銀メダルです。よく「金と銅は勝って取るメダル、銀は負けて取るメダル」と言われるのはこの対戦型のことです。昨日、一昨日と女子レスリングを観ていましたが銀メダルの表彰台に上る人の表情はやはり冴えません。時にはかわいそうですらあります。そういった対戦型の表彰式において伊調千春の銀メダルは残念ではありましたが、すがすがしい表情は立派だったと思います。やるだけやって北京で一区切りつけたいと言っていた伊調姉妹の姉ですが、苦しい練習に耐えて出した結果に一定の納得を得た表情だったと思います。金より良いと書いて銀。改めてその偉大さを教えてもらったような気がしました。人気ブログランキングへ
August 18, 2008
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夏休みということでオリンピックばかり観ていて遅寝遅起き。今日までですが、お盆休みをぐうたら生活させていただきました。トレーニングも全くせずゴルフに一回行ったっきり。これじゃいかんということで昨日の午後から大雨の降る中、息子と一緒にプールに行って来ました。しかし、ほんの数日体を動かさなかっただけですぐに息が上がる状態になってしまっていました。誠に体が動かず、25メートル泳ぐだけで1分を超えるインターバルが必要となるくらい。ちょっとなまくらをした体を元に戻すには相当の時間がかかると思いますが、ぐうたらモードから早く通常モードに切り替えることの必要を感じました。人気ブログランキングへ
August 17, 2008
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旧盆で田舎に帰省していらっしゃる方も多いと思いますが、都会と違い田舎はお盆になると活気づきます。帰省してきた学生や若い人たちで街がにぎわうのです。当然、今の時期はどこへいってもお盆の特別料金。道も他県ナンバーが入り乱れて混雑しています。従って、どこへ行くのも高いしうんざりする結果となります。ですから、お盆は仕事をするか家の中でのんびりするのが正解といえそうです。幸い、今年はオリンピックイヤーで連日熱戦が繰り広げられています。アテネほどではなくとも我が国の金メダルが期待される競技が多いですからこれを観るのが今年のお盆の過ごし方なのでしょうか。高校野球?都会のチームばかり残ってしまった感があります。田舎ではあまり楽しめないかもしれませんね。人気ブログランキングへ
August 16, 2008
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昨日は朝4時まで同窓会の関係で飲んでました。今起きたところです。その同窓会に先立ってゴルフを同窓会の面々とやってました。スコア自体はあまり進歩しないのですが、バーディを2つ取ることができました。ロングホールとショートホール。ショートホールのやつは1打目がピン1メートルについて楽々バーディでした。いつもあんなのができれば苦労しないんですが・・・。人気ブログランキングへ
August 15, 2008
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