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昨日の続きです。「講演会の録音はしてよいのか?」という問題です。著作権法では、講演は著作物に含まれます。(著作物の例示)第十条 この法律にいう著作物を例示すると、おおむね次のとおりである。 一 小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物著作物であるならば、それは守られる権利があります。(目的)第一条 この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。私たちはまず、「著作者等の権利の保護」を考えなければならない。そしてそれが、「文化の発展に寄与する」かどうかと照らし合わせなければならない、ということですね。----ところで、PTAが行なう講演会って、なんのためにやるんでしょうね。最終的な目的は、「健全な子育てをするための親の勉強会」と言っていいですかね。それならば、当日会場に来られなかった親に広報紙で内容を伝えるのは、講演会の目的に一致している。PTAのターゲットって本当は、役員にならないで逃げ回る、こういう講演会になんか絶対来ない人たちだと思うんですよ。そう考えると、講演会に来て聞いている親はわりとどうでもよくて、それをどうやって来ていない人に伝えるかということのほうが大事かもしれない、と私は思います。講演者としても、本来はPTA会員の全員に聞いてもらうものだけれど、会場の都合で一部の人にしか聞いてもらえないだけである。だから、PTA内部にはその講演内容を伝えていい。↑この辺は、講演者への確認が必要ですね。普段は有料で講演しているけれど、知人のPTAの人に頼まれて、今回に限って無料で講演会をした。それの全文テープ起こしを広報紙に載せる、なんてことは著作者の許可が下りないでしょう。ここが「著作者等の権利の保護」です。では、「だいたいこんな内容で、こんないいことをしゃべって、私はこれからこうしようと思った」という感想の記事を広報紙に載せたい。これに関して、講演者の許可が下りたとしますね。そのため、メモだけでは心もとない、補助として録音を録りたい。これは著作権法に関係がありますかね。----ネットをぐるぐる回ってみましたが、何が正しいのかどうかよくわからないんですけれど、PTA会員のために開く講演会をPTA会員に広く知らせる行為に問題があるなら、そんな講演会、開く必要がないと思うんですよね。講演会主催者には、「せっかくお越しいただいて、すばらしいお話を聞かせていただくので、この会場に来ていない人にもぜひこのお話をお知らせしたい」という方向で動いてほしい。著作権法というのは、「誰かの著作物は使ってはいけない」という禁止の法律ではありません。「誰かの著作物を使うには本人の許可が必要です」という法律です。だから、PTAの講演会で、・PTA会員にのみ配付するPTA広報紙に掲載する・全文起こしではない・メモだけでは聞きとれない言葉もあるかもしれないので、予備として録音をしたいということで講演者の了解が得られれば、録音したほうがいいと思うんだけどな。どうでしょう?
2007年11月29日
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今年は小学校でPTAで広報委員をやっています。役はありません。平の委員さん。一応、「6年間で1回は役員をやる」というルールになっていて、もちろん6年間逃げおおせる人もいるし、2回も3回もやる羽目になる人もいます。ここのPTAには、学年成人、保健、広報という三つの委員会がありますが、私はこんな仕事をしていますので、選ぶのは当然広報。また都合のいいことに、広報はやる人が少ないんだ。「役員をやるなら保健で、駄目なら学年成人で、広報だったら今年はやりません」という人のなんと多いこと。学年成人、保健が何をやっているのか、実はよくわかっていませんが、ベルマーク集めたり、カーテンの洗濯をしたりと、わりと事務的な仕事が多い。それに比べて広報は、企画を考えて、写真を撮って、文章を書いて、レイアウトして、ということですから、決まっていることを真面目にこなせば済むわけではない。好き嫌い、得意不得意がはっきり分かれる分野ではあります。それにしたってそんなに嫌がらなくてもねえ。学園祭の準備みたいなノリでわいわいがや作るから、1年すぎると仲良くなりますよ。「やったら結構楽しかった」という人が多いのも広報です。----さて、毎年入れ替わる役員なので、広報委員といってもどんな記事を書いたらいいのか全くわからない人がほぼ全員。過去の広報紙をめくりながら、「これとこれとこれをやってみようか」という感じで企画会議は進みます。それで、区P連や市P連(PTAの上部組織ね)あたりが主催する講演会や講習会のレポートが書けたらネタになるなあと思って、区P連主催の講演会に取材依頼をしました。私 → 広報委員長 → 自校PTA会長 → 区P連会長というルートですね。(遠い)講演会数日前になって、PTA副会長から電話がありました。・当日は受付で腕章を受け取り、それを着用すること。・自分の学校が指定された席に座ること。・写真を撮るときは、他校の人の迷惑にならないようにすること。……いや、なんか注意が怖い。そんな厳粛な会なんですかいな?「当日、区P連の事務局の方は、どなたとお話しすればいいですか?」「いえ、区P連は当日忙しいので、お話ししている時間はないと思います」「あー、別にインタビューしようということではなくて、事務的なことで確認事項とかあるので」「当日は皆さん忙しいので」「できれば録音したいので、その許可をいただきたいんですよね」「録音については広報委員長から話がありませんでしたので、できません」とまあ、私もPTAという組織を侮っていたわけですが、自校の本部役員に取材方法まで申請しろと言われて、開いた口がふさがりませんでね。「じゃ、この電話で依頼します。当日の取材で録音をしたいんですが」「広報委員長からのものしか受け付けません」----たぶんですね、録音してよいのかどうか、副会長さんが判断できなかったんだと思うんですね。個人情報保護法とか著作権法とか、この場合全然関係ないと思うんですが、学校やPTAの現場は非常に混乱していて、「よくわからないことはやらないほうがいい」という方向に極端に傾いています。だから私も「いやいや、録音はちょっと」と言われることは想定していたんですが、そういう本質論をせずに、「正式なルートの依頼でないから駄目」という権力で押さえ込んできたので、私も一瞬で沸点に達しましてねえ(笑)。PTAって責任規程がないんですよね。「校外への取材は、PTA会長を通す」「取材方法については広報委員長の判断に任せる」みたいな責任分界点を決定する明文化されたものがないんです。どこの学校もないんじゃないですかね? これをつくると、下の者にとっては、「ここまでは勝手に判断していい」という自由の尺度になりますが、上の者には責任の所在が明確になるものですから、こんなものつくれないですよね。つくったってPTAには責任がとれない。とりようがない、ポランティアなんだから。そこでの活動は、ともすると一番上の人が全責任を負う形になってしまいがちなんでしょうね。うちの副会長さんは、よかれと思って、責任感を持って制止したんですよ。でも、そのやり方には強い権力体質を感じます。いろいろなところでいろいろな活動をしますが、PTAが一番動きにくい。何かを判断しにくい。理不尽な感じを持ちます。広報委員会は楽しいし、広報紙をつくるのは楽しいのでいいんですけれど。
2007年11月28日
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話し言葉では普通だけれど、書き言葉では違和感がある表現の中に、数字にまつわる言い回しがあります。最近出会ったやっかいな話し言葉から。【ジュウシゴ 倍 から ニジュウニサン 倍】 当時から比べると、物価はジュウシゴ 倍 から ニジュウニサン 倍ぐらいになっています。縦書きだったら、そんなに悩みません。 十四、五倍から二十二、三倍発言どおりという点でも安心。(※1)でも横書きの場合は、 14、5倍から22、3倍 → 14.5倍から22.3倍の誤読を招くので、数字の省略はしないほうが好ましい。 14~15倍から22~23倍とりあえずこれでいいのですが、見た感じ、書き言葉として洗練されていない感は否めません。(もともと話し言葉そのままの文章は、書き言葉としては洗練されていないんですけどね)話し言葉では違和感のない表現でも、書き言葉では違和感が強くなる。14、22、23という数字が半端な数だからですね。ところで、「ジュウヨン から ジュウゴ 倍」と言ったときも、「14~15倍」と表記することがあるので、それに倣うと、 14~15倍~22~23倍 or 14~15~22~23倍 んなアホな。さらに変な書き言葉になっていきますね。それじゃ真ん中は省略して、 14~23倍これですっきりします………………………………表記としてはね。見掛けはすっきりしますが、話し手にこの原稿を見せたら戸惑いますよね、確実に。最初の文章の意味は、「当時から比べると、物価は15倍ぐらいのものもあるし、20倍ちょっとになっているものもある」というものです。ものによって物価上昇率はちがうから、そこを丁寧に表現しただけであって、裏付けデータがあってこの数字を選んだわけではない。 当時から比べると、物価は14~23倍ぐらいになっています。という文章にしてしまうと、「14」「23」の持つ意味が強くなりすぎてしまいませんか。一応「ぐらい」がついていますが、読み手は、「この14と23にはどんな根拠があるのかな」と思うかもしれない。----ぐだぐだ書いてみましたが、考えている時間は一瞬に近いですね。「んお゛っ」みたいな奇声を上げて、迷ったら実際に幾つか書いて選びます。原発言に忠実に起こしたほうがいい原稿の場合は、「う~~かなり変」と思いつつも、「14~15倍から22~23倍」を採用します。ある程度のリライトが可能ならば、いっそ「20倍程度」「20倍前後」にしてしまうこともあります。※1 縦書きでも、「十四-十五倍から二十二-二十三倍」と,数字を省略しない表記法もあります。(これをそのまま縦書きレイアウトに入れると、ハイフン「-」は横棒のままですので、縦ハイフンにする必要あり)【ロクロクサンジュウロク】九九です(笑)。これってどう書く? 1回6個もらっていたので、6回だとロクロクサンジュウロクで、36個もらいました。話し言葉には、案外九九の表現が出てきます。そのまま書くと、 6636 or 6・6・36いや。さすがにこれは読めない。 6×6=36とするしかないでしょう。 1回6個もらっていたので、6回だと6×6=36で、36個もらいました。この場合も、話した言葉そのものを残す必要のある原稿なら、 1回6個もらっていたので、6回だと6×6=36(ロクロクサンジュウロク)で、36個もらいました。と読み方を残しておきます。逆に、リライトを強くしていいなら、カットしてしまう手もある。 1回6個もらっていたので、6回で36個もらいました。---かようにいろいろ迷うわけですが、概して大局に影響がない部分だったりするところが物悲しい。
2007年11月21日
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6年前に辞めた会社から大きめの封筒が届いた。なんの間違いかと思ったら、会社情報を持っていないかのチェックと削除依頼だった。Winny等のファイル交換ソフトが悪さをしたがために会社情報が漏洩してしまう危険性は、確かにある。自分の身に覚えがなくても、家族とパソコンを共有していて、十代の子供がWinnyを入れてしまって、顧客データ漏洩のため親は懲戒免職、という悲惨な事例も確かにある。しかし、何年前の退職者までさかのぼっているのだろう? Windows95が出てからだとすると12年か。1995年にはまだ全社員にパソコンは貸与していなかったと思うけど。いずれにせよ、6年前の退職社員の名簿を持っているわけね。まだちゃんと読んでいないのだけど、会社関連のキーワードを100個も200個も集めてきて、それとパソコン内のファイル名を突合するのだと思う。関係ないファイルも拾っちゃうだろうから、削除は手作業だろう。それで、調査結果報告を会社にバックするのだが、ソフトつくってCDに焼いて、郵送で退職社員に送って、また結果を郵送でもらう。えらい金のかかったプロジェクトだな。この6年の間にパソコンは更改しているし、データベース的なものは当時扱っていなかったので、現在のパソコンに会社員時代のファイルはない。メールが数個残っているかもしれない。そのぐらいだと思う。めんどっちいから、「"パソコンが故障していた"の欄にチェックして返送しちゃおうかな」と言ったら、夫に、それはまずい、と言われた。「ちゃんと調べたとかパソコンが故障していたと嘘をついた上でデータ流出すると、嘘ついた分、罪が重くなるぞ」だそうです。いやいや、それほど本気で言ったわけじゃないんだからさ、そんなふうに脅かさなくても。
2007年11月16日
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統計をとっているわけではないんですけれど、ここ二、三年で、テープ起こしで聞いている話題に出てくる作家で一番登場回数が多いのは、もしかしたらドストエフスキーです。私がやっているジャンルが偏っているせいでもあるんですけれど、文学関係の仕事をやっているわけではないんです。強いて言えば、年長者が多いということですね。ドストエフスキーそのものの話題がメインなのではなくて、「若い頃はよく読んだ」とか、「『罪と罰』のラスコーリニコフだったら」とか、一種のシンボルというか、ある種の共通体験として、ちょこっちょこっと話の中に挿入されることが多いです。夏頃も、『罪と罰』の引用箇所のために文庫を探しているって書きましたよねえ。ある世代の人にとって、ロシア文学がとてもメジャーだったということだと思います。一定のボリュームを起こしていると、時代の空気を感じるようになることがあります。何に役立つというわけでもないんですが、だんだん話し手に共感できるようになってくるとでもいいますか。起こしていて、「ああ、わかるわかる」「ふーん、そうなんだね」という感覚があると、単調な起こし作業も楽しくなります。全くわからないジャンルを起こすのは苦行ですからねえ。いやいや、起こすことで初めて知るのも、それはそれで楽しいですが、一度目の粗起こしの段階は結構しんどい作業です。例えば国民総動員体制とか、安保闘争時代の熱狂とか、その後のシラケた雰囲気とか、そこまではっきりした時代の空気ではなくても、ふっと感じる何かはあったりします。その一つに、「ドストエフスキー」は入れてもいいかもしれない。でも、今の時代はロシア文学はそんなに注目を浴びていない。それは、旧ロシア、ソ連、ロシアと変容していくなかで、国家自体の注目のされ方が変わったことと無関係ではないのだろうと思います。などと書いている私は、ロシア文学は全然読んだことがないのですが(スマン)、どうもドストエフスキーという名前すら知らない大学生が数多くいるらしいことが判明。そうか、そうなのか。3年前の依頼なのでこそっと書いちゃうけど、添付されてきた講義メモに「チエコク」って書いてあったことがあって、聞いてみると、「チェーホフ」でした。ロシアは遠くなってしまったのですね。
2007年11月14日
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