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朝、何となく切なく、悲しい気持ちで目が覚めた。夢のせいだ。あるイベントに参加していた。たくさんの人がまわりにいるのだが、ぼくはとても孤独だった。知っている顔もあったけど、ちょっとあいさつする程度で、孤独は癒されない。不思議なトイレに入る。使い方がよくわからない。ししおどしのようなトイレ。それも三段になっている。一番上の板におしっこをすると、板が傾いて奥へ流れていく。それが下へ落ちて、また板が傾き、最後は、大きなタンクのようなところへ流れて行く。どんなからくりかわからないが、ある程度たまると、タンクが傾いて、おしっこはきれいになくなってしまう。ぼくは使い方がわからず、おしっこがしたいのに戸惑ってしまっている。隣で用を足している人が教えてくれて、何とかセーフ。ちょうど朝方で尿意をもよおしていたので、そんな夢になったのだろうが、あのからくりトイレ、何だったのだろう。そのあと。ぼくは、寒風吹きすさぶビルの谷間に一人で立っている。まわりにはだれもいない。そこで、ぼくは思う。「もうすぐ62歳か。ずっと一人ぼっちだったなあ」寂しさが心の底から湧き上がってくる。「結婚もしなかったし」(奥さんいるじゃん)「子どももいないし」(3人もかわいい娘がいるじゃないか)「友だちもいない」(いるよ、いる)今、高齢者の独り暮らしが増えてきているそうだ。「年取ったら一人で静かに暮らすよ」なんて、娘たちには強がっているけど、本当はそんなの寂しくて嫌なんだよね。そして、最後に出てきたのは、昔の友だちがマムシにかまれて病院のベッドに横たわっている写真。怖い物知らずの横着者だったから、足もとでもすくわれているのだろうか。目が覚めて、しばらくベッドで目をつむっていた。夢の中で感じた切なさ、かなしみを反すうしながら。人間の本質は「かなしみ」なのだそうだ。ぼくの中の、深い意識が浮き出てきたのか。たまには、かなしみの余韻の中で過ごす一日もいいのかもしれない。
2018年01月26日
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ここ数日、家にこもっている。冬眠しているわけではない。一所懸命に仕事をしている。だけど、なかなか進んでいかないというジレンマにいて、締切日ばかりが迫ってくる焦りもある。ただ、追い込まれると、思わぬ力が湧いてくることがある。あんなにもたもたとしていたのに、一気に進み始めるのだ。今日はそんな日だと、朝、目が覚めると思う。昨日は、残念ながらそうではなかった。今日は、そうかもしれない。そんな気がする。
2018年01月25日
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東京は大雪だし、草津では火山が噴火するし。アラスカ沖では大きな地震があったみたいだし。日常では起こらないことがあちこちで頻発している。わが家では、今年88歳になる父親の体調が思わしくない。去年の後半からガタガタときた。暮れに退院して元気になりつつあるときに転んで背中の圧迫骨折。そこからも復活してきたら、また痛みが出てきて、さらにはインフルエンザ。落ち着いてはきているようだが、アクティブだった父親だけに、自分の体が思うように動かないのはさぞかしもどかしいだろうと思う。人生の晩期に差し掛かっているのは間違いない。何を思う日々だろうか。ぼくは長男だから父親の支えにならないといけないのだが、離れていると何もできない。妹や弟に任せるばかりだ。そんな自分がもどかしくもあるが、詳しい状況もわからず口をはさむのもはばかられる。ここは見守るしかない。人は年老いて死んでいく。その自然の摂理を父親は見せてくれている。いろいろと迷い、悩み、思い残すこともあり、不安もあるだろう。たぶん、少しずつ体が衰弱していく中で、執着が少なくなって、覚悟とか諦めが生まれてくる。その過程の中に父はいる。やがてはぼくもそういう立場になる。せっかく、父が生から死へと向かう中でもがいてくれているのだから、参考にさせてもらおうと思う。写真:桃をがんばって作っていた時期があった。自然栽培の話には耳をかさなかったけど。
2018年01月24日
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元プロ野球選手の片平晋作さんがすい臓がんで亡くなったそうだ。この間は星野仙一さん。やっぱりすい臓がんだった。10代20代のころは野球が大好きで、星野さんも片平さんの現役時代の姿はテレビでよく見ていた。スポーツ選手は、30歳を過ぎればベテランと呼ばれる。いわゆる老境だ。引退というのは「死」に当たるんだろうな。イチロー選手や松坂大輔選手も、選手人生としては晩期だ。彼らは、数年後には選手として一度死ぬ。そして、そのあとスポーツ選手ではない新しい人生を生きるのだが、今度は肉体の死が訪れる。二度、死なないといけない。いや、二度も死ねる。よく諦めるな!というけれど、松坂投手は、まだ諦めずに挑戦するわけだけど、来年、復活することができたとしても、いつかは現役で投げることを諦めなければならない。肉体の死もそうだ。がんになっても諦めるなというけれども、たとえ、そのがんが治っても、いつか何かで死ぬことになる。いくら諦めるものかとがんばっても、人はいつか死ぬものだ。ひょっとしたら、死というのは、ぼくたちに諦めることを教えてくれるための現象かもしれない。もはやここまでという潔さ。とことんがんばるのもいいけれども、どんなにがんばっても、どこかで「ここまで」と見切りをつけるときは必ずくる。死を通して、その体験をすることができるのだ。星野さんにしても片平さんにしても一流選手で、だった。それなりの決断が必要だっただろうと思う。潔くマウンドを降りる、バットを置く。そんな体験があったから、ひょっとしたら肉体の死を迎えても悪あがきをしなかったかもしれない。この一球、この一打席に、いかにエネルギーを注げたか。それが彼らの二度の死にざまに影響を与えている。ぼくたちも、今という一瞬にどれだけ情熱を燃やせるか。たとえどんな状況であろうと、今に生きること。それが死に方にもつながっていく。生と死はひとつながりのもの。生きたように人は死んでいく。
2018年01月23日
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今年の小笠原ツアーは7月31日からに決まった。もう毎夏の恒例行事だ。わが家は初めて家族5人で参加する。10日間のぜいたくな旅だ。31日の午前11時に出港する。24時間の船旅。天気が良ければ満天の星を見ることができる。翌1日の午前11時に父島に着く。ウエルカムランチのあと、海に慣れるために近くの海岸へ。2日は、自由行動。いろいろな遊びがあって、毎年行っているのがカヤック。早くもイルカと泳ぎに行く人もいる。3日は、みんなでドルフィンスイム。クルーザー貸切でイルカと泳いだり、海を楽しんだり。4日以降は、自由に遊んでもらえばいい。去年は、何人かは母島へ行った。山の散策もあり。イルカと泳ぎに行ってもいい。島でのんびりとするのもいい。今年は、宿でワイワイとお酒を飲んだり食事をする時間が増えそうな気がする。これが楽しい。毎年メンバーが違うから、雰囲気が変わる。これも楽しみだ。今年はどんな人が参加してくれるのか。わが家にとって一年で最高の楽しみが小笠原だ。
2018年01月22日
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世の中の流れを敏感に感じ取るというのは、少し高いところから町をながめるようなもの。道路に立っていると、その先にある曲がり角の向こうで何が起こっているかわからない。しかし、3階くらいの高さから見下ろすと、かなりの広い部分が見渡せる。曲がり角の向こうがどうなっているかもわかる。世の中の流れをドローンの視点で見れば、これからの世の中はこうなるということがわかってきて、そんな流れの中で自分はどうすればいいのかが決められる。ぼくは、意識はしていないけれども、けっこういい視点をもって生きてきたなと思う。ぼくが今楽しみにしているのは、農業と福祉の連携。それも、福祉事業所が自然栽培に取り組んでいる動きは、これからますます注目されるはずだ。自慢話になるが、ぼくは、1988年にすでに気功に着目している。その流れから、代替療法、統合医療、さらにはイルカの癒しというところに目をつけた。奇跡のリンゴの木村秋則さんにお会いしたのが1996年。これはすごいと思ったけど、世間はあまり関心をもたなかった。けっこう時代の先取りをしているのだ。ぼくの欠点は、ぱっとつかんでも、それが続かないこと。1988年から気功一筋にやっていたら、今では気功の世界の第一人者になっているはず。イルカも徹底的にやっていれば、レジェンドだ。木村さんや自然栽培も、ずっと取材をしていれば、専門家になっていたかもしれない。それがぼくのいいところなのだろうが、今は、これまで興味をもってきたことがつながり始めていて面白い。ひょっとしたら、欠点だと思っていたことが欠点ではなかったのかもしれないと思い始めている。気功は、ぼくにとってはすべてのベースになっている。代替療法や統合医療は、ほかのことに興味を持ったことで、より深く見られるようになった。今度、ちょっと面白い本を出すので、期待していただきたい。イルカは、毎年、小笠原へ行って遊んでもらっている。家族で動いているのが大きい。そして、自然栽培や木村さんは、農福連携という形でかかわり始めた。これからは、こういう自分の特性をうまく生かしていこうと思う。(写真)木村さんと初めて会ったとき。1996年6月1日。貴重な写真が見つかりました。左から弁護士の村松先生、木村さん、無農薬でリンゴを栽培している農家の人、小原田です。
2018年01月21日
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なぜ、「ありがとう」を言うと体調や運が良くなるのか。ぼくは、あんまり「ありがとう」という言葉をありがたがる風潮は好きじゃなかった。心の底から感謝する気持ちがわいてきての「ありがとう」だと思っていた。口先だけで「ありがとう」を言ってもあまり意味はないというのがぼくの考え方だった。ぼくは、基本的には自分なりに理屈を組み立てられないと、それをやろうとは思わないタイプだ。特に見えない世界のことに関しては、まず否定から入る。今では、ぼくから切り離せない気功もそうだった。「そんなので病気が治るはずがない」「氣なんかあるかどうかわからない」「UFO? 嘘くさい話だ」正直なところ、スピリチュアルな世界ではぼくはベテランの部類に入るが、もとはそんなところからだった。ただ、氣については嫌というほど体験させられた。自分で体験したものは否定できない。UFOは、木村さんの話を聞いていて、これからの時代、地球の外に目を向けないと、本当の平和とか幸せは手に入らないのではと思えるようになった。地球外に高度な文明をもった生命体がいるのは当たり前となったとき、人類は大きく進化する。死後の世界も同じだ。そんなことに納得ができて、ぼくは受け入れた。「ありがとう」は、この間、すとんと納得できた。正しいとか間違っているということではなく、自分なりに「そうなんだ」と思えた。つまり、「ありがとう」と自分で言ったとき、その言葉は振動として、骨を響かせ、鼓膜に届き、そこから脳に行って、その振動を「ありがとう」と翻訳するわけだ。つまりは、振動に意味がある。「ありがとう」と言われればだれもがうれしくなる。そういう振動を、「ありがとう」はもっている。それが、体全体に響く。音は空気を伝わるものだと思っていたが、水の方がはるかに伝わりやすいし、固体はもっとよく伝わるのだそうだ。その通りだ。イルカは水の中で音でコミュニケーションをとっている。人間は50%以上が水だから、振動はとても伝わりやすい。特に、言葉のように自分から発しているものは伝わりやすいんじゃないかな。ある人は、「背骨に響かせるように『ありがとう』を言うといい」と言っていた。これも納得できる。背骨は神経が走っている。神経はすべての臓器、組織につながっている。「ありがとう」という言葉の振動が、神経を通して、全身の細胞に伝わるわけだ。細胞は、「ありがとう」の振動をもらって元気になる。言葉だけで「ありがとう」を言っていたとしても、振動は細胞に伝わるから、体は元気になっていくわけだ。細胞が元気になれば、その振動はまわりにも伝わるから運も良くなる。ということじゃないかな。さらに、頭で考えたことも、これも振動をもっている。言葉よりもはるかに微細な振動だろうが、これも全細胞に伝わる。たぶん、言葉による影響力と想念による影響力は違うかもしれない。ただ、「ありがとう」を言葉にするとき、ありがとうを言ったから振動が起こる部分もあるけれども、まず、ぼくたちの頭の中では、「ありがとう」の振動が発生し、それを脳が「ありがとう」という言葉に変換しているのだろうから、すでに、想念のレベルの「ありがとう」の振動は、言葉を出す前に発生しているわけだ。だから、「ありがとう」と言葉を出したときには、言葉のレベルの振動と想念レベルの振動が細胞に伝わる。心の底から「ありがたい」と思えたときの振動は、もっと微細なのかもしれない。「ありがとう」が幸せを呼ぶ入り口の理屈はとらえた。これからいろいろと考えていこうと思う。ぼくの独自の理屈。歩くときに、一歩足を出すたびに「ありがとう」と言う。今言った、振動の理屈で、いいことは起こってくる。同時に、歩くこと=ありがとうという回路ができるんじゃないか。「ありがとう」と言わなくても、歩くだけでありがとうを言っているのと同じような振動が生じるかもしれない。すべての行為に「ありがとう」をくっつけてしまう。そうすれば、何をしているときにでも「ありがとう」の振動が発生する。まだぼくの中でも消化されていない理屈なので、ちょっとわかりにくいけれども、「ありがとう」と口癖にするのは、絶対にいい!
2018年01月20日
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いいひらめきだと思ったらすぐに動く。仕事も、やらなければならないことはさっさとやってしまう。これは今年のテーマだ。すぐに動かないと、いろいろな否定的な考えが浮かんできてしまう。そんなのできっこない。無理だよ。人に迷惑をかけてしまうかも。そんな考えがブレーキになって、大きなチャンスを逃してしまう。仕事はだらだらやっていると、気持ちに余裕がなくなる。どうせやらないといけないのだから、早くやってしまえばいい。そんなに難しいことではないけど、ぼくは、ずっとそこでつまづいてきた。今朝見た夢。大事な会議が行われていて、ぼくは記録係。ところが、会議が終わったら、重要なことが書かれていた黒板を、だれかが消してしまった。メモもしてない。「どうしよう!!!!」あせって、参加者に「覚えている?」と聞いて回っている。その間に、携帯が壊れたり、合うべき人とすれ違ったり。やらないといけないことがたくさんあって、気持ちがあせっている。追い込まれている。それが夢になったのだと思う。こんな状態から脱出しよう!
2018年01月19日
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宇宙の力というのはすごいと思う。地球は、一日に一回転しているし、一年で太陽のまわりを一周するわけだけど、どういう力がこの正確な動きをコントロールしているのだろうか。それも、すごいスピードで動きながら、その表面にへばりついているぼくたちは振動も感じないし、外へ吹き飛ばされることもない。何なのだろうと思う。地球の動きによる遠心力ってすごいんじゃないの。それを帳消しにするくらいの重力が働いている。ホントなら、強力な磁石にくっついた釘のように動けなくなるんじゃないの。なのに、平気な顔をして歩いたりジャンプをしたりするわけだ。どうしてそんなことができるのか。すごい精密で想像できないような力が働いているんだろうと思う。佐伯さんのところで自然栽培を見させてもらったけど、彼は、きっとそういう計り知れない宇宙の力を感じ取っていると、ぼくは感じた。植物のもっている生命力。それを支える大地の力。さらには、宇宙から注ぎ込むエネルギー。人間の可能性も限りない。それを生かすこと。自分の力を生かし、人を生かし、動植物を生かす。そういう使命の中で、彼は、その使命通りに生きている。そして、その使命を目覚めさせてくれたのは、脳性まひとして生まれてきた三つ子ちゃんたち。自分の身のまわりのことにしか意識がいかない人間。地球的な視野で世の中を見られる人間。宇宙的な視野で見られる人間。それぞれ、その人なりの幸せ感があると思う。でも、少なくとも地球的、できれば宇宙的な幸せを感じて生きてみたいね。一般的に言われている不幸なんて、佐伯さんのところには、脳性まひの子が3人いるんだよ。「大変ですね」ですむような話じゃない。佐伯さん夫婦だって、いっぱい苦労をした。でも、今は、佐伯さん一家は、夫婦も三つ子ちゃんも、みんな幸せだ。まわりの人まで幸せにしている。佐伯さんの視野が、三つ子ちゃんを授かることで一気に広がっていったから。今、地球は危ない。人類だって、ぎりぎりのところにいると思う。だけど、だからこそチャンスなんじゃないかな。自分の視野を広げて、幸せの幅を大きくするチャンス。2泊3日で愛媛へ行ってきたけど、ぼくの視野も少しは広がった。今、すごく幸せを感じている。(写真)青空ベジーの店長・大ちゃんと副店長・智ちゃん
2018年01月18日
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正月休みに仕事の遅れを取り戻そうとしたが、なかなかそういうわけにはいかなかった。結局、大した進捗もなく仕事始めを迎え、朝、起きるたびに「今日中に仕上げないと」という焦りから一日がスタート。あまりこんなのは良くないなと思うけど、どうしようもない。やっとひとつ仕事が終わる、次へのちょっとした間がうれしいひととき。昨日から松山へ来ている。農福連携の佐伯康人さんの取材だ。自然栽培と福祉というのは、ぼくにとってはとても重要なテーマ。それを実践している佐伯さんの存在からは目が離せない。昨日、畑の見学をさせてもらった。イチゴが色づき始めている。「木村さんが奇跡のリンゴを成功させたとき、まわりは不可能を可能にしたとびっくりしました。木村さんは、私のような苦労はさせたくないと、自分のノウハウをだれにでも教えました。そのおかげで自然栽培はものすごい勢いで広がっています。 ぼくの役割は、奇跡を当たり前にすることのお手伝いです。ぼくのような農業をやったことがない人間でも自然栽培ができるようになったし、ぼくの仲間である障害者の人たちも、超一流のレストランで使われる食材を作っています。これまでは、だれでもできる仕事を、お情けでもらっていほた人がほとんどでした。それが自然栽培をすることで自分の作ったものに誇りがもてるです。人から褒められるし、尊敬もされる。給料も増える。自信ももてる。そういう社会が当たり前となるよう、これからも活動を続けていきます」しびれるような話だ。木村さんだからできる、佐伯さんだからできるでは、いつまでも「特別」なままで、広がっていかない。いいことは広がらないと。佐伯さんの活動、ぼくは精いっぱい、応援したいと思う。
2018年01月15日
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学校は今日から新学期。新学期にはいつも思う。つらい思いをしている子がいるんだろうなと。わが家は長女が中2の3学期から、三女は中3から不登校だった。結局、中学校は卒業するまで不登校。今春、長女は大学を、三女は高校を卒業する。わが家にとっては不登校は過去の出来事だ。しかし、今でも悩んでいる子どもも親もたくさんいるだろうと思うと、胸が痛むこともある。特に新学期。学校へ行きたくない子どもと学校へ行かせたい親と。大変な葛藤の渦の中で、両方が悩む。親が大らかに構えるのが一番だと思う。自分に言い聞かせる。学校へ行く行かないで幸不幸は決まらないと。これは事実だから。きちんと学校へ行った人はみんな幸せになっているか?否。学校へ行かなかった人はみんな不幸になっているか?否。学校と幸不幸は関係ない。学校へ行かないという選択した子は、何もそれでせいせいとしているわけではない。行かないこと、行けないことにコンプレックスをもつ。親の期待に応えられなかったことに罪悪感をもつ。どうして行けないんだろうと悩む。興味は内側に向かう。自分を見つめることになる。ひょっとしたら、そういう時期を過ごすことはとても大切なのかもしれない。ぼくは、子どもの運命を信じた。こいつらは、こいつらの人生を自分で決めて生まれてきている。すばらしい結果になるシナリオをもっている。ドラマでも映画でも、順風満帆のシナリオはつまらない。まわりをハラハラドキドキさせながら、すばらしいラストシーンを用意する。そんな運命のもと、子どもたちは生まれてきた。ハラハラドキドキするのも親の役割だ。振り回されたっていい。でも、根っ子で運命を信じる。ぼくもさんざん振り回された。思わぬ感情が出てくることに戸惑った。そこで学んだのが、このことだった。学校へ行かないことよりも、学校へ行かないことが悪いと思い込んでいることの方が、親にも子どもにも悪影響を与える。大らかに構えていよう。学校以外にもいくらでも学ぶ場はある。学校へ行かなくても、人はきちんと育っていく。
2018年01月09日
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ある方向に物事が動き出している気がする。核心に近いところまで迫っている。あとは覚悟か。覚悟を決めて準備を始める。時期がきたら一気に大きな動きが起こってくるはずだ。次女が成人式だった。自分が20歳だったころ。目先のことしか考えてなかった。決まりきった毎日を送って。あれから40数年。ずいぶんと広く世の中を見られるようになったし、行動もできるようになった。成長したなあ。今年、新しい領域に足を踏み入れた感じがする。何かが変わった。スイッチが入った。ギアが一段上がった。あとは覚悟だ。
2018年01月08日
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5年日誌を買ってきた。こういうスタイルの日記は、20代のときと40代のときに挑戦したことがある。20代のときは5年間、ずっと何かしら書き続けた。今でも残っている。40代のころは途中で挫折した。もっとも大きな変化があったのが20代だった。大学を出て就職をして2年ほどで辞めた。思い出深い2年間だった。今でもいろいろなことを思い出す。そこからアルバイト生活。そして再就職。どうしていいかわからない混乱の時期。ひょんな縁で東京へ出ることになる。そこからフリーライターというなんともつかみどころのない仕事に入った。ここからしばらく、まるで何かに動かされているかのように、次々と新しい出会いが出てきた。動くことが面白くてたまらなかった。その後、30代で確実にある動きに組み込まれ、40代から比重が家庭に置かれるようになって、徐々に地に足がついていった。そうした歴史が今の自分を作り上げている。むちゃくちゃ面白くなりそうだと、わくわくしながら60代に突入してまる3年なろうとしている。その兆候は確実に出てきている。これからの変化をメモ程度でいいから残しておこう。今年から5年間、毎日の出来事を記録しておくことにする。
2018年01月07日
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スポーツではよく、「ピンチはチャンス」と言う。野球でもサッカーでもラグビーでも、ピンチをしのいだあとには絶好のチャンスが訪れることがよくある。チャンスはうれしいもの。ピンチは歓迎したくないもの。しかし、スポーツだけではなく、実生活の中でも、ピンチもあればチャンスもあって、チャンスばかりお願いしますというのは無理な話だ。あるラグビーの試合で、一人のスター選手がうれしそうに笑っていたそうだ。試合は、彼のチームが大ピンチを迎えていた。うれしそうにする場面ではない。そのときのことを記者が聞くと、彼はこう答えた。「覚えていますよ。あのときは、このピンチを守り切ればチャンスがくると思ったらうれしくなってきたんです」ただのポジティブシンキングではない。彼は、「ピンチのあとにはチャンスがある」という宇宙の真理を知っていたからこそ、ピンチに笑うことができた。ピンチに立たされたことでチャンスを感じた。この記事を読んで、彼の感覚をぼくは見習いたいと思った。何か好ましくない出来事が起こったり、切羽詰ることがあったら、「このピンチを乗り切れば、大きなチャンスが訪れる」とチャンスに意識を向けてニコッと笑う。そうすることでエネルギーが湧き上がってきて、ピンチも乗り越えやすくなる。これがピンチをチャンスにするコツだ。結局、生きることもスポーツも、ゲームだと思えばいい。ピンチもチャンスも楽しんでしまえばいいのだ。
2018年01月06日
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今日から日常が始まる。11時過ぎに緊急地震速報がなった。びっくりした。茨城で震度3。大地震ではなくて良かったが、気持ちがきゅっと引き締まった。ぼくにとっては、高校野球のプレイボールのサイレン、競馬のファンファーレみたいなものだった。2018年がいよいよ始まる。これまで、いい師、出会い、経験、独特の思考パターンを手に入れてきた。すばらしい材料が手もとにいっぱいある。本にしたり、イベントを開いたり、それを料理する腕もそこそこは身に付けた。今年のテーマは、これを実際においしい料理として披露していくことだ。ぼく一人でやるわけではない。家内という頼もしいパートナーがいる。3人の娘も戦力になる。手伝ってくれる仲間もいる。家族会社(アットホームカンパニー)として、いい作品を作っていく、大きな一歩となる年だ。それが年初の意気込みだけど、何もそこに向けて必死こいてやるというのは、ぼくにはできないこと。大事なのは力まないこと。物事には気楽に取り組むこと。楽しくやること。その結果、自分もまわりも楽しめる状況を作る。いよいよ機(氣)が熟してきた! と、ぼくは感じている。
2018年01月05日
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今年最初のブログです。あけましておめでとうございます。3ヶ日が終わりました。いかがお過ごしですか。ぼくは、1日に札幌から三重に。実家で両親と晩御飯を食べて、2日は伊勢神宮、そのまま鳥羽の義弟の会社の保養所へ行き、3日は長女の奈良の部屋で引っ越しの準備。明日は、三女と一緒に奈良市内の散策。春日大社にお参りしてくるか。東大寺とか興福寺とかも行ってみよう。やらないといけない仕事があって、それも気になるけれども、せっかくの正月休み、楽しませてもらおう。5日から仕事!なんか、いつになくやる気になっている自分が頼もしいかもね。今はのほほんと生きているぼくだけど、若いころのことを振り返ると、けっこう上昇志向でストイックなところがあった。自分にも人にも厳しかった。しんどい時期だったなと思う。でも、あのころの自分は、嫌いではない。狭い視界の中だったけど、懸命にやってたな。今はちょっと緩くなりすぎたかもしれない。少し、あのころを思い出して、アクセルを踏んでみるか。2日の夜の夢が初夢なら、自分の中のネガティブなものがふわっと浮かび上がってきたような感じだった。ひとつ前に進む年なのかも。いずれにせよ、いい年になるのは決まっているので、ちょっとくらいはネガがあった方がバランスがいいってことだ。ぼくにとっても皆様にとっても良い年になりますように。良い年になります。良い年になりました!ありがとうございます。
2018年01月03日
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