全26件 (26件中 1-26件目)
1

スモモのせん定がほぼ終わった。素人ながら、3年目となると、ぼんやりとせん定の意味もわかってきた。まずは栄養を樹木全体に巡るように枝を切る。ものすごい勢いで天に向かって伸びる枝がある。徒長枝と言う。たぶん、勢いがある分、栄養をたくさんとるだろうと思う。ここには実がならないから、全部切ってしまう。枝分かれしていて、片方に栄養を集中した方がいいと思えたら、もう一方の枝は切ってしまう。さらに、樹木全体の形を整える。あまりにも枝がいびつに伸びていたり、枝が混雑してるような木は、病気にもなりやすいし、おいしい実ができない。そんな気がする。といったことを考えながら(正解かどうかはわからない)、電動のせん定ばさみを使って作業した。妻の弘美が手伝ってくれた。主に、ぼくがせん定をして、妻が枝拾いをする。これでずいぶんと助かっている。一年目、二年目は一週間くらいかかった。今年は三日ですんだ。ぼくは、家族で一緒に働けるという形にあこがれをもっている。昔の農家はそうだった。ところが、高度成長になって、男は外で働き始めた。サラリーマンという人種が増えてきたのだ。家族のつながりが薄くなってきた。そのうちに、共稼ぎになった。子どもが家にポツンと残されてしまう。ますます家族のつながりが希薄になってしまった。夫婦が一緒に田んぼや畑へ行く。一日作業をして、今日はこうだったと話しながら夕飯を食べる。子どもたちもたまには手伝う。農業じゃなくてもいい、何か商売をするにも、家族でやってみたらどうだろう。新しい世界が見えてくるはずだ。↓これは桃かな。摘果作業だ。去年もがんばった
2024年01月31日
コメント(0)

真氣光(気功の一流派)の機関誌「ハイゲンキ」の仕事を、1988年からだから、35年くらいやっている。巻頭の中川会長対談、山梨での生活のコラム、帯津先生や中川会長のページと、けっこうな量の原稿を書いている。巻頭対談は、対談相手を探すのが大変。会長からOKが出ないといけないし、相手も受けてくれる必要がある。かなりハードルが高いのに、よくぞ毎月穴をあけずにできたものだと、我ながら感心する。この仕事はきついけれども面白い。縁があるからだろうと思うが、いい人ばかりにつながる。前回は、若き炭焼き職人の原伸介さん。彼につながったのも、面白い流れだった。まずは、鈴鹿で炭焼きをやっているグループと縁ができた。南伊勢に右田さんという90歳の炭焼き職人がいると聞いた。鈴鹿のグループの師匠に当たる。電話で話をすることができた。炭を焼くというのは、単にエネルギー源を作り出すということではない。山を健全に管理すること。山が整備されていれば、川も海もきれいになり、魚がたくさん獲れる。「戦争のころ、食糧難だったわな。そのときも、このあたりの人は、魚があったから飢えんですんだ。山がきれいやったから、海も守られていたんやな」右田さんの貴重な体験だ。鈴鹿に右田さんが手がけた炭窯があるというので見学に行った。実家のすぐそばだった。規模はまったく違うが、ぼくが子どものころ、父親がそばの竹藪に小さな炭焼き窯(穴を掘っただけのように思っていたが)を作って、冬になると炭を焼いていたのを思い出した。急に炭焼きに興味が出てきた。山梨へ帰って、歯医者さん(七沢歯科医院)に行った。そこの待合室にチラシがあった。何気なく見たら、何と、原さんの講演会のお知らせだった。原さんも、七沢歯科に通っていたのだ。こういう偶然は、会ってみたら、というメッセージ。真氣光の中川会長に、こんな方がいるので対談はどうでしょう? と聞いたところ、「面白そうですね」ということで、対談をすることになったのだ。対談はこちら。原さんとの対談の中で、仕事の範囲が広がってきていろいろな人とコラボするようになったという話が出てきた。「たとえばどういう人とですか?」と質問したときに、「わびし」という言葉が出てきた。よくわからない。でも、そこはメインの話ではないので、スルーしたのだが気になって仕方ない。話の流れからすると、花火師と関係があるようだ。そこで調べた。あった。和火師。山梨の人だ。日本の伝統的な花火を「和火」というらしい。明治になって、西洋花火(洋火)が入ってきて、花火というと、あの派手で華々しいものになったが、もともとは、地味だけれども、暖かみがあって、いつまでも飽きがこない和火だった。そして、鑑賞用というよりも、慰霊・鎮魂の意味合いがあったと言うのだ。こういうのがぼくは大好き。さっそく、中川会長に「こういう人がいますよ」と連絡をした。「いいですね」ということで対談が決まって、この間、彼の花火工場を訪ねた。世界でただ一人、和火師を名乗る佐々木厳さん。まだ30代の若さだが、自分の人生は和火に捧げるというくらいの覚悟がある。それでいて、とても温和な性格で、話をしていて気持ちがいい。原さんといい佐々木さんといい、素直で謙虚で、それでいて腹が座っている人は、ぼくは好きだな。6月ごろには、原さんを連れて右田さんに会いに行くつもりだ。佐々木さんには、どこかで和火を上げてもらおうかな。
2024年01月30日
コメント(0)

能登の地震から一か月近くになる。いまだ不自由な生活をしている人がたくさんいる。雪も多いみたいで、寒さにも耐えて暮らしているそうだ。一度、大きな地震が起これば、ぼくたちは日常の生活が送れなくなってしまう。昨日は、東京も揺れたようだ。山梨でも少しだけ感じた。東京の震度は4。知り合いに聞いたら、「相当揺れたよ」とのことだった。揺れた瞬間、「ついにきたか!」と身構えたみたいだ。東京直下型地震。太平洋岸だったら「南海トラフだ!」と身がすくむはずだ。ぼくたちは、本当に危うい中で暮らしていると実感する。極地的な地震なら、まだ援助の手も届くが、広い範囲、あるいは同時多発的に起こったとしたら、もう手がつけられない。そんなこともあり得るわけだ。どうしたらいいのか?まずは最低限の準備はすること。食料や水、防災グッズは用意しておかないと。家族で連絡が取り合えるようにしておくことも大切だ。それ以上は何ができるか。できることはほとんどないのではないか。ここは、人事を尽くして天命を待つしかない。今を一所懸命に生きるしかない。ぼくなら、スモモのせん定の時期だから、できれば今月中には終わらせてしまう。今年は、桃の木の下に野菜を作ろうと思っているので、3月ごろに種がまけるように準備する。電子書籍の原稿を仕上げる。目先のことをやるしかない。それが、天命を待つということ。そして、大地震があったら、なるべく慌てず、対処していくということだろう。それに、能登の人たちに対して、どういう援助ができるか、今、困っている人たちに手を差し伸べることが大事だろうと思う。不安が広がるときだからこそ、「今」に意識を向けること。後悔が少なくてすむよう、今できることを、きちんとやろうと思う。
2024年01月29日
コメント(0)

昨日は本の愚痴を言ったけれども、30代40代のころは、本屋さんへ行くのが好きで、タイトルを見て、ペラペラとめくって、面白そうだと思ったらすぐに買った。しかし、買っただけで満足してしまって、読まないまま本棚や床に積まれて眠っている本がたくさんあった。もったいなと思ったし、本は保存も大変、引っ越しになると、本だけで何十箱にもなってしまう。50代になって、できるだけ買わないようにした。図書館で借りることも多くなった。60代後半になって考え方が変わった。本は、情報、知識、体験、ものの見方の塊で、そこから得られるひらめきはたくさんある。どの本からピピッとくるかわからない。だから、買った本すべてに、面白さとか、有益さといったことを求めない。10冊買って、1冊いいなと思える本があれば、それで正解としようという気持ちになり、気になった本は買うようになった。昨日の本は、ネットの記事がすばらしくて、期待が高かったので、その分、がっかりも大きかった。そんなことは始終あることだ。今、ぼくの仕事場の机の上、まわりには、30冊ほどの本が散らばってる。読んでいる本、読み終えた本、読みたいと思いつつ、まだ開いてない本。今年は電子書籍に力を入れていきたいと思っているが、紙の本は紙の本で、囲まれていると豊かな気持ちにさせてくれる。段ボールがまた増えるな。
2024年01月28日
コメント(0)

こうすれば願望が実現するという本は相変わらずたくさん出ている。古くはナポレオン・ヒルの『思考は実現する』がヒットした。そういう類のセミナーもたくさんある。ぼくは、あまり好きじゃないから、こういう類の本はあまり読まないし、セミナーにも出たいと思わない。たぶん、願望実現というのは、西洋から入ってきたノウハウだと思う。あくまでも自分が中心だから。自分のことは自分でコントロールできるという考え方が根底にある。自分というものがこの世に誕生したのは、個を超えた大きな意志が働いてのことだと、ぼくは思っている。大きな意志があった上での、自分の選択。願望というのは、「我」が入ってくる。かなりの割合を占めているのではないか。年収1億円ほしいとか、有名になりたいとか、100歳まで生きたいとか、子どもを有名大学に入れたいとか、そんなことのために生まれてきたのだろうか?その前に考えてほしいのは、願望が実現すると言われると、いいことばりをイメージしてしまうが、それが真実だったら、「がんになったらどうしよう」「大地震がきたら大変だ」といった不安も実現することになると思う。人は、だいたいポジよりもネガを強く思うもの。成功の前に、不安や恐怖が実現してしまうよと、ぼくは言いたい。たぶん、願望や思考が実現するのは間違ってないけれども、願ったり考えたりするエネルギーが、相当たまらないと、現実化はしないのではないか。そこまで自力でがんばるのもいいけれども、他力に頼った方がいいように、ぼくは思う。自分を超えた大きな力が求めているものは、我に振り回されなければ、きちんと実現するようになっているのだから。願望実現のメソッドで、この世的な成功を得たとしても、それが本当に自分のやるべきことだとは限らない。かえって真の願望に近づくのに遠回りになってしまうこともある。ネットで、ある人の記事を読んで、本を買った。1870円もした。「世界を変える本」と宣伝していた。結局、願望実現の本だった。潜在意識の話だ。つまらなかった。これがベストセラーになっているというのだから驚く。ぼくには、強い願望はないから、自分で「こうしたい」と願っていることは実現しないと思う。だけど、ぼくがやるべきことにはたどり着く。そこに向かう現象が、きちんと目の前に現れて、それを一つひとつこなしていけば、自分の願望をはるかに超えた、すてきな世界にたどりつけると信じている。
2024年01月27日
コメント(0)

我が家は、甲州市の山間部の農家を借りている。7DKの大きな家。倉庫もある。玄関を開けると正面に富士山が見える。広い庭もある。庭木は切られているが、立派な庭石があって、うちの父親もそうだったが、庭作りを楽しんでいたのだろうと思う。この庭がヤギーずの住処。単管パイプと呼ばれる、建設現場の足場などに使われる鋼管で、大きな庭石のある部分を囲って、ワイヤーメッシュを張って、なかなか快適なスペースが作ってある。奥の方の、竹藪に近いところの倉庫の壁に沿って、屋根を作り、下に小屋が置かれている。ここが彼らの寝床となっている。ところが、このごろ、白ヤギのあかりが、夜になっても小屋に入らないことがある。彼女は、気が弱いのか、みんながご飯を食べていても、遠巻きに見ていて、空いているエサ箱を見つけて、やっと食べられるという状態だ。「ひょっとしたらいじめられているんじゃないの?」妻の弘美が心配する。あかりが小屋以外で寝ているのは、ちょうど、枯草が残っているところだ。地べたに寝るより暖かいのだと思う。ただ、吹きっつさらしなので、風よけだけは作ってあげた。ヤギたちも、関係性があって、強い子から順番にいい思いをするようになっている。我が家で一番強いのは、男の子のかっくん。二番目が、2歳になるさわり。見るからに気の強そうな子。2ヶ月で妊娠して、あんりを産んだ。たくましさが身に付いたのかもしれない。母親であるあかりにもきつく当たる。あかりはさわりが近づくと逃げて行く。出産のとき、ずっとさわりのそばにいて、あんりが生まれたらぺろぺろとなめていたあかりの姿を思い出すと、なんでお世話になった実の母親につれなくするんだろうと思ってしまうが、そこには野生の掟があるのだろう。たぶん、ぼくたち人間の理屈ではわからない中で、彼らは生きている。それでバランスを保っている。だから、あまり余計なことはせずに、さりげなくサポートするのが、ぼくたちの役割だ。一番弱いあかりも、上手にエサを食べて、丸々太っているのだから大丈夫だろう。
2024年01月26日
コメント(0)

昨夜は、アマゾンプライムタイムでボクシングを見ていた。すごかった。特にメインイベントの寺地拳四朗の防衛戦。挑戦者のカニサレス選手のパンチがすごくて、早い回に倒されるのではとハラハラした。結局、判定で勝つのだが、まあすごいスポーツだなと思う。スポーツの原点というのは、かけっこと殴り合いなのではないか。どちらが速いか、どちらが強いか。道具もいらないし、見ていて面白い。それにしても、ボクシングはぼくに絶対にできない。殴られるのは恐ろしいし、殴るのも怖い。若いころ、渋谷の行きつけの飲み屋さんで、もう一歩で世界チャンピオンに手が届きそうだった、村田英次郎選手と飲む機会があった。「怖くないですか?」と聞いてみた。「シューズのひもを結んでいるときに恐怖がある」グローブをはめるころになれば腹が決まる。しかし、その前に恐怖が襲ってくるのだと言う。人によって違うだろうが、まさに命をかける戦いに臨むわけで、恐怖がないはずがない。実際、12月に穴口一輝という若くて有望な選手が、試合後に倒れて、いまだに意識不明だということもある。早く回復することを祈っている。レベルは違うが、大学のころ、ぼくもラグビーをやっていて、弱っちくてへぼなラガーだったぼくは、試合に出るのが怖かった。いつもグランドへ入るときには、「無事に終わりますように」という、祈るような気持ちだった。思い出したが、高校のとき、練習でタックルをされて、後頭部を強打して、泡を吹いて気絶し、3日ほど入院したことがあった。そのあと、成績が一気に上がった。別に勉強したわけでもないのに。頭を打った効用だったのだろう。ボクシングの話に戻るが、井上尚弥が登場して、ボクサーたちの意識が変わったと思う。同じ日本人で、あれほど強いのがいるというのは、ボクシング界という場のエネルギーに影響を与える。関係者が自信をつける。メジャーリーガーの大谷もそうだし、一人のスーパースターが誕生すると、まわりの人が引っ張られてレベルアップするようだ。たかがスポーツという見方もできるが、井上にしろ、大谷にしろ、日本人選手が世界で活躍することで、ぼくたち平凡な日本人も、自信と勇気をもらえる。昨日、ユーリ阿久井政悟選手が、無敗のチャンピオンを破ったのは感動だったし、拳四朗選手の根性にも脱帽だし、那須川天心選手にも底知れない強さを感じるし、2月には、ぼくの故郷である三重県出身の中谷潤人選手が世界戦を戦うし、ボクシングから目が離せない。
2024年01月24日
コメント(0)

人は、少しでも便利に生きようと、たくさんのものを発明してきた。しかし、便利さというのは、ときに不自由を産み出す。たとえばお金。便利な生活をするために人が作り出したもの。お金があればいろいろなものが買える。ところが、便利さと裏腹に、お金に縛られている生活が始まった。お金を稼ぐために嫌な仕事でもやらないといけない。人に頭を下げないといけない。命を失ってしまう人もいる。時間というのも、人間が作り出した概念で、どんどん自由を奪っていく。新幹線や飛行機も、長距離を短時間で移動できるすばらしい手段だが、窮屈になっていないだろうか。今、最大の便利で不自由はスマホ。ぼくも一度だけ、東京へ行くとき、駅でスマホを忘れたことに気がついた。すごく不安になる。なければないで何とかなるとわかっていても、落ち着かない。まだ時間に余裕があったので、電車をひとつ遅らせ、妻に駅までもってきてもらってほっとしたわけだが、スマホに縛られている自分を痛感した。どこへ行くにも、まずはスマホがあるかどうかを確認している。これって、すごく不自由かもしれない。昔、大海原で自由に泳いでいるイルカたちを、狭い水槽に閉じ込めて、芸をさせるなんてとんでもないことだと、本に書いたことがあった。しかし、ひょっとしたら、水族館のイルカたちは、窮屈な思いはしているけれども、天敵はいないし、エサもきちんともらえる水族館の生活に満足しているかもしれない。ぼくたち人間も、狭いオリの中、水槽の中で、飼育員に管理されながらも、とりあえずは、便利な生活を楽しんでいるのかも。
2024年01月22日
コメント(0)

白石一文さんの「神秘」という小説を読んでいる。末期のすい臓がんと診断された編集者が主人公。もう有効な治療法はないと言われ、余命も宣告される。彼は、かつてある一人の女性から電話をもらったことを思い出す。難病を治癒させるという特殊能力をもっている女性で、電話を受けたときに、彼の足の痛みを瞬時に取ってくれた。彼は、彼女を探し出すことにした。彼女なら末期のがんを治癒させることができるかもしれない。一縷の希望だった。そんな中で、人生の不思議さ、命の神秘に触れていく。上下巻の文庫。4分の3くらい読んだかな。病気には意味があって、がんという病気は、「生まれ変わる」ためのものだと言う。だから、実際に死んで生まれ変わってもいいし、生きながら生まれ変わることもできる。生まれ変われば、がんは必要ないから消えてしまう。つまり、人生をリセットしたがっている人ががんになるということ。ぼくは、人間は肉体だけの存在ではなく、心もあれば魂もあると信じている。魂は、小原田泰久という肉体を使ってこんな生き方をしたいと、シナリオをもっている。しかし、肉体や心はやっかいな存在で、さまざまな欲に引っ張られて、魂の思いとは違った方向に進むことがある。常に魂はそれを修正しようとする。しかし、あまりにもずれが大きくなると、修正ができなくなり、リセットするしかないかということになってしまう。それががんの原因だと言うわけだ。「自分自身に忠実に生きればよかった。あんなに一生懸命働かなくてもよかった。もっと自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった。友人関係をもっと続けていればよかった。自分をもっと幸せにしてあげればよかった」という嘆きががんなのだ。これがすべてはないが、これくらいの深さまで考えないと、病気は克服できないのではないか。まじめだとか品行方正ということではなく、自分がこう生きようと決めた生き方をしているかどうかだ。がんになって、治すことばかりを考えていると、生まれ変わりに失敗することがある。なぜがんになったかをはっきりさせておかないと、輪廻転生で新しい人生が始まっても、また同じ失敗を繰り返してしまうことがある。尊敬する帯津良一先生は、「がんはからだだけの病気ではない。こころにもいのちにもかかわっている。だから、こころやいのちに対するアプローチが大切だ」とおっしゃっている。そのキーワードが、これまでの人生を振り返り、生まれ変わるきっかけとする、ではないか。がんに限らず、病気というのは、「こういう生き方でいいの?」という魂からの問いではないか。世の中には、不思議な治癒を体験している人がたくさんいる。意識的か無意識かはわからないが、生き直し、生まれ変わりができた人が、奇跡的治癒を体験できるのではないか。あとは、人生の幕引きとしてがんになることもある。だれもが必ず死ぬわけだから、「もうそろそろだね」というメッセージをがんが届けることもあるだろう。たぶん、この小説は前にも読んだことがある。白石さんの作品は大好きだし、「神秘」はぼくの関心のあるテーマだから、読んでないはずがない。しかし、本も映画も、しばらくすると、その中身を忘れてしまうという「特殊能力」がぼくにはある。だから、何度でも楽しめる。今、奇跡的治癒に興味をもっていいるので、いいタイミングで再読することができた。
2024年01月21日
コメント(0)

「実はスモモが大好きなんです」妻が知り合いから言われたそうだ。ぼくたちがスモモを作っていることは知っていて、連絡しようと思っていたらしいのだが、販売しているのか、家で消費するだけなのか、はっきりしないので、言いそびれていたようだ。こちらの態度をはっきりさせないと、まわりに気を使わせてしまう。80代のおじいちゃんが大切に育てていたスモモ畑を借りて、今年が3年目になる。おじいちゃんは、肥料も農薬も使う、普通の農法で栽培してきた。ぼくは、いきなり無肥料、無農薬にした。1年目。12本のうち、半分は病気で落ちてしまった。それでも、けっこうな量がとれたし、とてもおいしかった。2年目。病気で落ちたのは3分の1くらい。味はバツグン。お中元として使った。買ってくれた人もいた。プレゼントもした。もちろん、自分でもたらふく食べた。今年3年目は、希望する人に買っていただこうと思っている。鈴鹿へももっていって、直販しよう。枯露柿(干し柿)もおいしくできた。来年はもっとたくさん作ろう。軽トラに野菜や果樹を積んで、売り歩くって、面白そうじゃないか。山梨から直送の桃やスモモって最高だ。
2024年01月20日
コメント(0)

果樹のせん定の時期。もう、よその畑はみんな始めている。ぼくは、まだ足が向かない。去年は、もう少し早めに始めた気がする。2月いっぱいで終わらせるのが目途。ただ、今年は暖かいので、もっと早くやった方がいいかもしれない。スモモは、徒長枝と言って、上に向かって新しい枝がぼんぼん伸びている。これを切らないといけない。去年から電動のせん定ばさみを使っているので、かなり楽になったが、それでも12本あるので、けっこうな仕事量だ。徒長枝を切ってから、木を整えるせん定に入るのだが、ぼくは、徒長枝だけでギブアップしている。それでも、去年、一昨年とけっこういいスモモがたくさんなったので、これで良しとしようと思う。今年は、とれたスモモを鈴鹿に運んで販売しようかと思っている。「山梨直送の無農薬スモモ」これはいいよ。楽しみながらやっていきたい。↓ 去年もたくさんとれた
2024年01月19日
コメント(0)

お釈迦様が説いた「四苦八苦」。人には、生老病死に加えて、あと4つの苦しみがあるという悟りだ。生老病死の四苦は、文字通り、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみ、とぼくは理解してきた。この間、布団の中でうつらうつらしているときに、解釈が少し違うのではないかとひらめいた。命の循環のことを言っているのではないか。生は、「誕生」のことではないか。老は、老いるということよりも、年を取ること。それこそ生きることではないか。病は、肉体や精神が衰えていいくこと。死は、破壊のこと。次の生への始まりだ。その循環の中でぼくたちは生きていて、死んだらまた新しい生命の誕生に向かって、ぼくたちは進んでいって、また生老病死を繰り返す。そして、大事なことは、この循環を回すエネルギーは、ぼくたちがネガティブにとらえている、苦しみであったり、かなしみであったりする。だから、人生から苦しみ、かなしみを取り去ろうとするのは無駄な努力で、苦しみがあればこそ、かなしみがあればこそ、ぼくたちは前へ進める。もっと高いレベルで考えるなら、苦しみやかなしみさえも喜びに変えられる生き方、考え方をしてみたらどうだろう。あるいは、喜怒哀楽は、自分で作り出しているもの。実際には、苦しみもかなしみも喜びも存在しない。そこまでの境地にはいけないとしても、つらいこと、苦しいことがあれば、これが生きるエネルギーになっているんだなと思えばいい。今回の元旦の能登地震。家屋が倒壊し、たくさんの人が亡くなった。避難を余儀なくされて、家族が離れ離れになって、食べ物、飲み物にも困る。なんでそんなことが起こるのだと言いたくなる。被災していない人間が、外野から言うのも失礼かもしれないが、この最大とも言える困難から、どう立ち直っていくかで、生命のエネルギーの高まり方も違ってくるのではないだろうか。破壊は終わりではない、次の物語への序章だと考えて、今の状況を受け容れた上で、今できることを精いっぱいやっていくしかないと思う。ぼくたち外野にいる人間は、つらさ、苦しみの中にいる人たちの役に少しでも立ちたいと思う。さらには、傷だらけになりながら立ち上がろうとしている人たちの姿から、さまざまなことを学べる。自分たちの身に同じことが起こったとき、たくましく乗り越えていく術を身につけられる。昨日は阪神淡路大震災から29年目だった。今でも記憶に残っている。大変な被害だった。テレビでは、あのときのかなしみ、苦しみを涙を流しながら思い出し、語ってくれた人がいた。そして、神戸の人たちがどうやって立ち直ったのかをこの目で見て、これからの能登の参考にしたいと、能登の被災地から駆けつけた人もいた。そうやって、災害も人が生きるための糧となって受け継がれていく。日本人が成長していく。世界が成長する。災害も戦争もない世の中になってほしいと願う。しかし、それが実現するには、ぼくたちはまだまだたくさんのことを体験しないといけない。エネルギーを高めていく必要がある。四苦八苦がその原動力となる。だからこそ、天は、ぼくたちの四苦八苦を与えたのだろう。
2024年01月18日
コメント(0)

15日、娘夫婦、長女の氣子と一緒に伊勢に行ってきた。協生農法の講習会があったからだ。ここに行き着くには、縁のつながりがあった。伊勢を本拠地としている今野華津子先生が、フェイスブックで農業のことを紹介していたのを見たのが始まりかな。それが協生農法とは知らなかった。次に、東京の櫻井本子さんの紹介で、伊勢で整体師をしている新垣玄龍さんにお会いした。その後、本子さんから、玄龍も面白いけれども、そのまわりにもユニークな人がいっぱいるよという話があって、そこに出てきたのが、ムーさんという方だった。しばらくして、今野先生がフェイスブックに協生農法がテレビ(報道特集)で紹介されるよという話をアップしていた。今野先生が応援している農法で、ぼくの故郷である三重県から生まれたものだからということで、その番組を見た。そしたら、何と、協生農法の創始者というのが、本子さんの話に出てきたムーさんだったのだ。これでつながった。今野先生とムーさんは親しくて、玄龍さんとムーさんとも親しくて、ぼくは、今野先生や玄龍さんと親しい。この流れだったら、ぼくにとって、ムーさんはとても大事な人に違いない。それで、講習会の日程を調べたら、1月14日15日と行われることを知り、空きのあった15日に参加したというわけだ。協生農法をひと口で話すのは難しい。畑にさまざまな種類の野菜や果樹が植えられていて、そこには虫も鳥もやってくる。野菜たちが育つ森が出来上がっている。そこには、外からは何も持ち込まない。自然が作り出す環境の中で、そこに適した野菜が、適した形で生育するわけだ。つまりは、生命エネルギーの高い場を畑に作るということ。アフリカの荒れ地が、数ヶ月で豊かな野菜と果樹の畑によみがえったそうだ。そして、貧しい農民たちが、普通の人たちの100倍の収入を得るまでになったとムーさんは話していた。面白いじゃないか。ほかにも、面白いことがいっぱいある。たとえば、協生農法だと、毎日何らかの野菜が収穫できるということ。ある程度の基礎さえしっかりすれば、草取りも必要ないし、ほとんど手がかからないそうだ。収穫さえしていればいい。朝、畑に行って採れた野菜を袋に詰めて、軽トラに積んで売りに行く。すべて無農薬無肥料。大きかったり小さかったり曲がっていたり、スーパーの野菜みたいに形がそろっていなくても、肥料をあげると、どうしても水っぽくなるので、無肥料だとしっかりした野菜の味を楽しむことができる。上手にやれば、それで生活を成り立たせることができる。農業、環境、健康、経済。問題がクリアされていく。大きなスペースではできないが、山梨と鈴鹿で試してみようと思っている。講習を聞いたり、ネットや本で勉強をするだけでは、わかった気になるだけ。実際にやってみると、わからないことがわかる。わからないことがわかると、質問もできるし、次に進める。まずは、今借りている桃畑の下を野菜畑にしようと思う。ムーさんブログ。
2024年01月17日
コメント(0)

氣というものは、自分の内部だけでは完結しないまわりの人とか、環境と密接な関係をもっている。たとえば、家族の中で一人でも落ち込んでいるとしたら、ほかの家族も影響を受ける。集団の中に、一人だけ強烈に明るい人がいれば、全体が盛り上がることもある。どちらかと言うと、人はネガティブなエネルギーに引っ張られやすいもの。だから今、新年早々、大きな地震という出来事があって、被災地の人たちは、重いエネルギーの中で生きている。そのエネルギーの影響を受けて、日本中が重くなっているはずだ。義援金や援助物資、人的援助はできるだけのことをやり、その上で、氣の部分からも応援したいものだ。ぼく自身も、重さは感じていて、ついつい暗い気持ちになってしまう。それでも、重さに飲み込まれないでいられるのは、氣が影響を与え合うということを知っているからかもしれない。知っていれば、たとえば、気功をやるとか、エネルギーの高い人のそばにいるようにするとかして、影響を小さくすることができるが、知らない人は、「なんか変だな」と重い方向に引っ張られてしまうものだ。よく「祈り」の効果を言う人がいる。祈りのエネルギーは被災地にまで届くのだと思う。しかし、もともとエネルギーの低い人が祈っても、氣が逆流して、体調を崩したり、落ち込んだりすることもありうるので気をつけたい。集団で祈ったり、適切な指導者のもとでエネルギーを送るなど、効果的な方法を考えた方がいいだろう。大事なのは、自分の氣を高めること。氣のレベルが高くなれば、自分の身を守ることにもなるし、祈りの効果も高くなる。氣を高めるにはどうしたらいいのか?氣は意識と連動すると言われている。こういう悲惨な出来事が起こったときには、意識を変えるきっかけとすることだ。地震で、突然、家族を亡くした人がたくさんいる。自分にもあり得ること。それなら、今、平穏なときに、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えておく。喧嘩していたりウソをついていたりするなら、「ごめんなさい」と謝る。これだけでも、エネルギーは大きく高まるはずだ。自分さえ良ければいいと思っているなら、ちょっとだけ意識を広げて、隣近所の人のことも気にしてあげる。恨み事があるなら、恨みをもっているとエネルギーは重くなって、死んだあと、いろいろ困ることがあるそうだから、早く解消してしまうことだ。地震や事故があって、被害にあわれた方は本当に気の毒だったが、被害のなかったぼくたちも、自分事としてとらえて、意識を変え、成長するチャンスにさせてもらう。災害を機に、自分を変えていく。そうすれば、エネルギーも高まり、その影響は被災地にも及ぶのだ。一人の力では無理でも、多くの人が意識を変えて、思いを届ければ、被災地のエネルギーも高まり、被災者の方々が前向きになれる助けとなるはずだ。何もできないと嘆くのではなく、この災害によって、自分が何を学んだかを見つめてほしい。そして、学んだことを行動で示し、学べたことへの感謝の気持ちを、被災地に届けたい。
2024年01月13日
コメント(0)

一昨年は母が、昨年は義父が亡くなったこともあったが、年賀状、さぼっている。いただいた方には、寒中お見舞いを、今出しているところだ。子どものころは、年賀状書きは楽しみのひとつだった。小学校のときは、クラスの友だちだけ。中学校になると、範囲が少し広がり、高校になると、市外にも出すようになり、交友範囲が広がっていくのがうれしくてたまらなかった。大学生のときは年賀状はどうしていただろう。たぶん、書いていたと思うが、忘れてしまった。子どもが小さいころは、家族写真を印刷してせっせと出していた。しかし、手書きの年賀状が減っていって、それに、付き合いが広がって、出す人と出さない人とどこで線引きしていいのかわからなくなり、書いたりもらったりするのがつまらなくなってきた。facebookに「明けましておめでとうございます」と書いて終わりというのも味気ない。メールもそうだ。今年は、早めに年賀状を買って、ぼちぼちと書いてみるか。68年間、ご縁のあった人たちだ。古い年賀状を引っ張り出して、一枚一枚ながめてみると、「ああ、こんなことあったな」と思い出すこともあるだろう。過去はどんどん消えていく。たまには掘り起こさないと。
2024年01月12日
コメント(0)

28歳の長女と話していて思った。ぼくは、28歳のときの東京へ出た。1トン車に鉄の塊を乗せて、工場から工場へ運んでいたぼくが、いきなりフリーライターというカッコいいカタカナ職業となったのだ。今から40年前のこと。よく決断したと思う。あのころは、お金と出世、それに女にもてれば最高だった。ぼくだけではない。ほとんどの若者はそう思っていたはずだ。だから、仕事もがんばったし、冒険もできた。いくら稼いでいるとか、どういう地位にいるとか、そんなことで成功度が計れた。とても単純な社会だった。その分、生きやすかった。物欲にエネルギーを注ぎ込めばいいのだから。そこに、生きがいとか、社会への貢献とか、数字では計れない価値観が入り込んできた。生きる喜びが複雑化してきたのだ。物欲だけでは満たされない、精神的な充足感を求める人が増えてきた。いまだに物欲だけに走っている人は、単純な構造の中で、けっこういい目をしているかもしれない。精神性を求め始めた人は、今はまだ転換期ということもあって、迷いや悩みが尽きない。ただ、時代の流れは、後者に味方するはず。もう少しの辛抱だ。今の迷いや悩みも、必ず生きてくる。物質を神様とする道を歩み続ける人は、底なしの崖に落ちてしまう。本来、人間が歩むべき、心や魂を大切にした道に戻ろうとする人は、いっときの苦しみはあっても、必ず輝く未来に行ける。今はそんな時期だという預言もある。28歳の長女も、のん気に暮らしているようで、いろいろ考えている。20代後半というのは、人生の節目になりやすい時期なのかもしれない。
2024年01月11日
コメント(0)

「今日できることを今日やらない奴は、明日になってもできない」今、「メジャー」というマンガをネットで読んでいる。なかなか熱くていい。主人公のゴローの態度、言葉にはしびれるね。ぼくくらいの年齢になると、「もう年だから」と言う人が増えてくる。70歳近くなってくると、できることは限られてくる。それでも、できることはいっぱいある。若ければ、野球選手になるのも、会社を起業するのも、たくさんの女性と浮名を流すのも、可能性は大きいかもしれない。それでも、いくつものことを同時にやろうなんて無理な話だ。一つのことを一生懸命にやるので精いっぱい。そういう意味では、70歳になって、「死ぬまでにこういうことをやろう」と決めて、それに打ち込めば、年齢に関係なく、面白いことができるはず。「年だから」なんて、あきらめる必要などない。「養生訓」の貝原益軒は、70歳から著述を始めて、200冊の本を出した。それも、300年以上も残る本を出しているわけだ。すごいなと思うよ。年を取れば、確実に明日は少なくなる。だからこそ、19歳のゴローが言うように、「今日できることをやる」のが一番。老年よ大志を抱け!だと思う。世間でよく言われる「終活」なんかを本気にしてしまうと、しぼんでいくばかりで、つまらん老年になると思うけどね。人生100年時代と言うけれども、つまらん老年を、70代、80代、90代と30年も続けるのって、どうなのと思う。それでいいならいいけど、やりたいことやって、とっ散らかしてバイバイでいいんじゃないかと、ぼくは思うんだけど、それじゃダメかね。↓帯津先生の生き方がお手本です。今年、88歳になります。
2024年01月10日
コメント(0)

ときどき、81歳のおじいちゃんが、ヤギーずに竹を切ってもってきてくれる。彼は30年ほど前に東京から移住してきた。ずっと、ヤギと暮らしたい。養蜂をしたい。ニワトリを飼いたい。そう思っていたそうだ。タクシーの運転手で忙しく働いていたこともあって、なかなか実現できなかったが、我が家のヤギーずを見て、「ヤギがほしい」と相談にくるのだ。しかし、81歳という高齢で一人暮らし。ヤギを飼うのは厳しいかもしれない。「倒れたらだれかにもらってもらう」そんな簡単なものではない。彼がほしいのはザーネンという大きなヤギ。子どものころ、親がヤギの乳をしぼっていたのをよく覚えていて、自分もやってみたいのだそうだ。大きなヤギは、力が強くて、とても高齢者の手には負えない。それでぼくは、「ニワトリにしたらどうですか」と話してみた。最初は渋っていたが、「ぼくの知り合いが烏骨鶏を飼っているんですよ」と話すと、少しだけ興味を持ち始めた。烏骨鶏は、真っ白な体に目のまわりが真っ黒で、なかなかかっこいい。おじいちゃんも、ひょっとして思い出があるのか、その気になりつつある。高齢者が動物を飼うのはいいことだと思う。ただ、犬や猫は、どうしても寿命の問題があって、高齢者はほしくてもがまんしているようだ。その点、ニワトリなら飼いやすい。ある80代の男性がニワトリを飼い始めた。パーキンソン病を患っていて、ほとんど毎日、家でゴロゴロしている。ところが、ニワトリを飼い出したら、早起きするようになった。ニワトリの鳴き声を聞くと、ウキウキしてきて、すぐにニワトリ小屋の前に向かうのだと言う。そして、朝ごはんをあげて、しばらくはニワトリを見て過ごす。それが楽しくて仕方なくなって、いつもニコニコして過ごせるようになったのだ。お年寄りがニコニコしていると、まわりの人も声をかけたくなる。近所との関係も良くなってきて、烏骨鶏の卵は高価だから、たまにあげるととても喜ばれる。自分も産みたてのたまごを食べるものだから、元気になってきたと喜んでいる。うちに訪ねてくるおじいちゃんも、病気をして右手が少し震えている。「あまり話をする人がいなくて」と孤独を訴える。ニワトリが役に立ってくれるかもしれない。「チャボでもいいですか?」と聞いたら、「やっぱり烏骨鶏がいい」と照れ臭そうに言う。今、知り合いに烏骨鶏が手に入らないか頼んでいるところだ。
2024年01月09日
コメント(0)

北陸は大雪だそうだ。ぼくは2年間、富山で暮らしたことがある。記憶では、あちらの雪は横に降る。北アルプスからの強風のせいだ。めったに雪の降らないところで生まれ育ったぼくは、最初こそ、雪に浮かれていたが、毎日毎日、カーテンを開けると横殴りの雪。これには気分が滅入った。妻が札幌の生まれなので、北海道の雪も知っている。猛吹雪の日、札幌の街中を歩いていて、ぼくは、地面から吹き上がる雪を初めて体験した。まわりに人もいるし、ビルもあるし、いつでも地下に逃げ込める。それでも恐怖を感じた。大地震のあとの雪。被災地の人は、どんな思いで見ているのだろうか。寒いだろう。お腹も空いているかもしれない。それよりも、これからどうなるのかという不安と恐怖。家族が亡くなったり、行方不明の人もいるだろうし。ある小説の中に、「神様はどうしてこんなつらいことを課すのだろう」というつぶやきがあった。「すべてのことには意味がある」ぼくは、そんなメッセージをあちこちで発してきた。その通りだと思っている。しかし、頭ではわかっても、現実につらい中にいる人の心には染みていかないかもしれない。ぼくも、そんな状況の中に放置されたら、「どうして・・・」と神様への恨み言を言うだろう。かなしみの大地にぼくたちは立っていて、かつての北海道の開拓民のように、凍てついた土地を耕して、畑を作り、種をまき、作物を収穫する。ああ、今年も芽が出なかった。花が咲かなかった。そんな繰り返しの中で、いろいろなことを学んでいく。いつか、たくさんの作物がとれて、お腹いっぱい食べられる。家族にも食べさせてあげられる。そんな希望をもって、今日も、厳寒、猛暑の中、鍬を打つ。かなしみの中であっても、ちっちゃな灯であっても、明日へのエネルギーはある。手を取り合って、励まし合って、助け合って、希望の種をまき続けていこう。
2024年01月08日
コメント(0)

物事は、ある程度のエネルギーがたまらないと動き出さない。自転車でもこぎ始めは力がいる。最初からすいすいといくことはまずないと考えた方がいいだろう。エネルギーがたまるまではやり続けないといけない。やり続けていれば、ある時期になると、急にさまざまなことが展開を始める。今、電子出版に向けて、この3年間の体験をまとめている。本当なら12月半ばに仕上げるつもりだった。それが、なかなか進まない。進まないというよりも、書き直しばかりしている。書いても書いても気に入らない。気持ちが入れば入るほどまとまらなくなってくる。あれもこれもと欲張っているのが良くないのかもしれない。もっとしぼってみるか。月に一冊出そうという目標を立てたが、最初からつまづいてしまった。まだエネルギーが足りないのだろう。もう少し試行錯誤しようと思う。これまでの経験から言えば、うまくいかないと頭を抱えていると、あるとき、突然、ぱっとひらめきが降りてくることがある。がまん、がまんだ。早く出したい気持ちはすごくある。これを仕上げれば、次からはどんどん出せる予感もある。しかし、あせってはいいものができない。がまん、がまん。
2024年01月07日
コメント(0)

次女にすすめられて「シグナル」というドラマを見た。若い刑事がいて、ある日、彼は無線機を拾う。そこからはある男の声が聞こえてくる。彼も刑事だと言う。話しているうちに、その無線機が過去とつながっていることがわかる。「過去は変えられる」無線機からの声が言う。果たして過去は変わるのか。過去が変わると現在は?そして未来は?時間というのは、人間が作った概念でしかなくて、時間は過去、現在、未来と一方通行で流れるというのも、思い込みかもしれない。ぼくたちは、人間が過去とか現在とか未来と言っている、瞬間、瞬間が混在している中で生きていて、それぞれの瞬間は影響をし合っているという考え方もできる。意識とも連動していて、今の意識が、過去や未来に影響を与えて、常に変化し続けている中で、ぼくたちは生きているのかもしれない。脳が、わかりやすい形にしているだけのことで、ぼくたちは洗濯機の中で撹拌されながら生きているのではないか。原因があって結果があるというのも、脳の機能によるものじゃないか。パソコンで文章が綴れるのも。もとをたどれば、0と1の2種類の信号に過ぎないわけで、さらに言えば、文字も言葉も、人間が作ったルールでしかない。だから、ドラマのようなことはあると思う。ひょっとしたら、常にぼくたちは、過去や未来と連絡を取り合っていて、過去も未来も変えながら、今を生きているのかもしれない。過去とか現在とか未来など、存在しないのかもしれない。よくわからないけれども、何が起こっても不思議ではない時代を生き抜くには、固定観念をはずすこと。頭を柔軟にしないと。荒唐無稽だと思われていることに、真実があることだっていっぱいある。
2024年01月06日
コメント(0)

元旦の地震は、ぼくの生活には直接の影響はなかったが、心に重くのしかかっている。新しい世界が始まるときには破壊的な出来事が起こる。新しい世界は楽しみだけれども、その前が大変なんだろうな。節目のときというのは、各地で地震がもっと頻繁に災害や事故が起こるのか、それとも、一気に日本沈没のようなことがあるのか。よく、何が起こるかは人間の考え方次第だと言われる。つまり、地球の健康状態にとって、人間の存在はとても大きな意味をもっている。これまでのように、環境を汚すようなことをやっていては、地球はどんどん弱っていくから、それを防ぐには、大きな災害が起こる。しかし、人間が行動を改め、地球とともに健全に生きていこうとするなら、大難は小難になり、小難は無難になる。人間がいなくなればいいという人もいるが、ぼくは違うと思う。細菌やウイルスがいなくなれば病気がなくなるという考えと一緒で、そういう姿勢が、今の危機的状況を産み出したのではないか。地球は決して人間を滅亡させたいとは思っいてない。ぼくは信じる。地球にとって、人間を滅ぼすなんて簡単なことなのに、それをしようとしないのだから。局地的な地震ですませてくれているのだから。今のうちに、なぜ人間が地球にいるのか。その意味を考えないといけない。地球が幸せになるために、人間も役に立つことができるはずだ。ぼくはこう思っている。自然は循環の中で出来上がっている。人間が手を加えることで、森の木は常に若々しくいられて、森全体が生き生きして、そこに暮らす生き物の命を養うことができる。人間も木を使って家を建てたり、生活の基盤を作ることができる。森から食物を得ることができる。生産的な頭脳と器用な手先が与えられているのは、道具を上手に作って、それを使うことで、循環をどんどん促進するためではないか。だけれども、地球が予測していたよりも、人間の技術は進み過ぎた。人間が、我欲を膨らませて、生産性や経済性、便利さばかりを追いかけ過ぎた。人間は地球を支配しようとした。地球にとっては誤算だったかもしれない。AIが暴走して、産みの親である人間を支配するようなものだ。これまで自分たちのためだけに使っていた知識や技術を、地球のために使わないと。自分に知識や技術がない人は、ある人を応援すればいい。それも大切な仕事だ。元旦に大きな地震が起こるなんて、尋常なことではない。大事なことを、地球はぼくたちに伝えようとしている。だれの心にも響いているはずだ。その響きに耳を傾けたい。
2024年01月05日
コメント(0)

妻と二人だけの会社「株式会社Office Oharada」と設立したのは2011年10月。東日本大震災のあとだった。なけなしの100万円を資本金にして、ぼくの原稿料と講演料、弘美のヒーリングセッションが商品だった。だいたい、新設された会社のほとんどは3年で倒産してしまうそうだ。うちのように大した売り上げもない会社がまる12年ももっているのは、奇跡のようなもの。2人だけで細々とやってきたのが正解だったのだと思う。身の丈を知っていたのが良かった。キッチンカー事業は身の丈を超えた決断だった。会社があったからこそ、融資も受けられた。収益がほとんどない会社によく貸してくれたものだと思う。あのときの借金を綱渡りで返却しつつだけれども、キッチンカーは大事な役割を果たしてくれている。これからのことだが、利益第一では面白くないし、うちのようなちっぽけな会社は行き詰まってしまう。わが社ならではの特徴を出さないと。特徴、得意なこと。何だろう?ぼくは、いいエネルギーの場を作ることが大切だと思っている。いい場を作れば、人は集まってくる。人が集まれば、そこに事業が生まれる。いい場というのは、ここに来ると気持ちいい、元気になるとか、この人と話していると楽しいとか、面白い人と出会えてうれしいとか、考え方が変わるとか、そういった場のこと。ここでキッチンカーが生きてきている。娘たちは、村はずれの畑を整地して出店している。村のお年寄りが楽しみにしていて、出店の日には、何人かが2時間ほど過ごしていく。娘たちが移り住む前は、そんな場所などなかった。みんなが喜んでやってきて、楽しく過ごしている。小さいけれども、間違いなくいい場ができつつある。さらに発展させるにはどうしたらいいか。もっとたくさんの人に喜んでもららうには。経済をどう回せばいいか。気持ちいい場がどんどん広がっていくにはどうするか。仲間、応援団をどう作っていくか。小さな村で起こっていることを世に知らしめるには。テーマはいくらでもある。ちっちゃくていいから、核がないと広がらない。その核がキッチンカーを上手に動かせて、いい場を作っていくことだと思っている。とりあえず、会社にかかわるのは小原田家の5人だけ。ぼくたちが食べていけるだけ稼げればいい。重要なのは、どれだけ稼ぐかではなく、どれだけいい場ができるか。そして、今回のような大きな地震があったとき、村の人たちの支えになれるような場になれるといい。そのことを、自分にしっかり言い聞かせて動かないと、ついつい儲かる方に走って、お金の奴隷になってしまう危険性がある。ソーラーシェアリングがあり、ワンコやネコやヤギたち動物がいる。これもわが社の持ち味だ。今年は、干支もひと回りして13年目に入る。どこにもないような変わった会社にしてみたいものだ。
2024年01月04日
コメント(0)

1日に北陸で大きな地震。被災地の人は大変なお正月を送っている。こういうときこそ支え合わないといけない。ぼくは何をすればいいのか。情報を集めたいと思う。羽田での事故にも驚いた。乗客に死者が出なかったのは、不幸中の幸い。乗員の方たちの適切な判断や誘導があったのだろう。地震では数十人が、羽田の事故では海保の方が5人亡くなった。心より哀悼の意を表したい。ご家族の方の心の痛みを思うと、切ない気持ちでいっぱいになる。妻や長女と、「どうしてお正月早々、こんなことが起こるんだろう?」そんな話をした。いつ、災害や事故に巻き込まれるかわからないのはだれでも同じ。病気になることもある。「今日も一日、無事に生かさせてもらったことに感謝しないと」妻が言う。ついつい不平不満や愚痴が出てしまうが、今朝も何事もなく目が覚めた。ありがたいことではないか。地震や事故があったから思うことだけれども、持続させたい。今、こうやって生きていて、平穏に今日を迎えられて、やることがあって、明日があると信じられる。そういうことに感謝できる自分でありたい。襟を正し、身が引き締まる思いの2024年の1日2日。忘れないようにしないと。
2024年01月03日
コメント(0)

元旦からの大地震。まだ被害の状況はわからないが、石川県をはじめ、被災された方、心よりお見舞い申し上げます。大学を卒業して、最初に就職した先が富山県黒部市だった。海も山も近くていいところだったが、若いぼくにとっては、のんびりした田舎ではなく、都会へのあこがれが大きかった。会社の寮に2年間住んだ。会社は2年で辞めた。あのころ、地震があったらどうしようなんて、考えてもみなかった。車で5分も走れば海だったけれども、津波があるかもしれないなど、思ったこともなかった。あのときお世話になった先輩や上司、一緒に遊んだ仲間たち、大好きだった彼女は、大丈夫だろうかと、一瞬のうちに40年前にタイムスリップした思いだった。「どうして元旦に」と言いたくもなるが、元旦だからこそ、メッセージ性は大きい。今回は北陸だったが、いつ自分が住んでいる場所が揺れるかわからない。自分事としてとらえて、どうしたらいいか、考えることだろうな。避難場所を確認したり、防災グッズをそろえるのも大事だ。同時に、「生き方」に興味を向けることも必要だろうと思う。よく言われている、「今だけ、金だけ、自分だけ」になってないか。ぼくは、地震も異常気象も洪水も戦争も、地球の自然治癒力の発動だと思っている。ホピ族に伝わる預言によると、ぼくたち人類は、あるときから物質を神様とする道を歩き始めた。そのひずみが、さまざまな災害や戦争につながったとされている。ぼくたちの行動や考え方が、地球にダメージを与えてきた。地球も生命体なので、健康体に戻そうとする力が働く。それが地球の自然治癒力。ぼくたちも、小さなけがならば傷口が自然にふさがるのを体験している。自然治癒力があるからだ。自然治癒力が働くときには、出血があったり、痛みがあったり、膿が出たり、かさぶたができたりする。たぶん、地球のダメ―ジは、たまりたまって、小さな傷くらいではないだろうと思う。だからこそ、ぼくたちからすれば「災い」と思えるようなことが、次々と起こってくる。しかし、地球から見れば、さまざまな災いは浄化現象で、地球が健康になるためのステップなのだ。ぼくたちが、地球の自然治癒力を助けるような行動をすれば、災いは小さくてすむ。地球を痛めつけようとすればするほど、自然治癒力の力は強くなって、大きな災いが起こる。地球が健康になるお手伝いをするにはどうしたらいいか。それが、今のぼくたちのテーマだと思う。ホピ族の言い伝えによると、今、たくさんの人がそのこと(生き方、考え方を変える大切さ)に気づき、物質を神様とする道から、本来、人類が歩むべき道に移り始めている。自らを浄化する行動をとり始めている。この数を増やし、質を高めないといけない。そのためにも、まずは自分の意識を高めていく。祈りとは、自分の思いを天に伝え、行動すること。安全な場所にいて、手を合わせていればいいということではない。↓彼らも一緒にがんばってくれるって。
2024年01月02日
コメント(0)

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。去年の元旦のブログを読んでみた。故郷の村をよみがえらせよう!そのために、実家を改装して文化の発信地にする。ソーラーシェアリングを建設する。ヤギを飼う。といったことが書かれていた。あの時点では、氣恵たちが実家に住むことは決まってなかったと思う。実現しつつあるからびっくりだ。特に、ソーラーシェアリングを建てたのは、大きな転機だった。行動することで変化が起こる。計算を超えた展開になってくる。今から35年も前、1988年に、ぼくは、大した目的もなく中国を旅した。上海から東北地方、北京、内モンゴル、敦煌、ウイグルまで足を伸ばし、北京、上海へ戻るという4ヵ月ほどの旅だった。旅の途中、ぼくは気功を知った。ヘビの毒から作った抗がん漢方薬を見つけた。上海で、気功の国際学術大会に出て、中川先生、帯津先生という生涯の師と知り合った。人生が激変した。中国の旅がなかったら、とうの昔に、野垂れ死にしていたかもしれない。とにかく「これだ!」と思ったら動くこと。そこから物語は始まる。今年は、去年の続き。次女夫婦のおかげで、村が動き始めている。この勢いで一気に活性化させる。その手段。1.協生農法を習って野菜、果物作り2.米作り(婿がやる気になってくれている)3.佐伯さんの農学校も考えてみよう4.村の人たちと一緒に野菜や米の直売所(ヤギーずマルシェ)を作る5.大音寺ヤギーずカレッジの開校6.ソーラーシェアリング2号機の建設ぼくは、電子出版を覚えて、本を出す。移住の話、原発の話、不登校の話、ヤギの話、イルカの話、自然栽培の話、気功の話、占星術の話などなど。こうやって並べると、やることはいっぱいあって、幸せだな。来年の元旦、これを読み直して、どんなことを思うだろうか。
2024年01月01日
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1