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ビートたけしのコロナに対する発言が話題になっているそうだ。「冬に風邪が流行ったときと同じ状態で考えたほうがいいって。あと、重症化する人は自分で自覚があるんだから。その人たちだけ一生懸命サポートしてやればいい」そんなふうに思っている人、けっこう多いのではないか。思っていても言えない。あっぱれな発言だ。風邪と同じと言っているわけではない。そう考えた方がいいんじゃないかという提言。いくらインフルが流行っていても、体温が37度では普通は慌てない。インフルかどうかの検査だって受けない。温かくして寝ていればいいというくらいのものだ。たまご酒が効いたりする。コロナは大変だと聞かされているから、微熱があるだけで、あせってあわてて、病院に駆け込む。大したことのない人が病院へ行くから、医療崩壊と騒がれる。コロナをあなどってはいけないが、もっと冷静になって対処するには、こういう発言は必要だと思う。専門家も含めて、いろいろな意見を出し合って、真相を究明していくべきだろう。ぼくは自分自身で考えて行動を決めたいと思うけど。自分の身を守るのは、鋭い直観と豊かなイマジネーション。
2022年01月31日
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高校野球の選抜大会。出場校が決まったが、東海地方の不可解選考が話題になっている。準優勝だった聖隷クリストファー高校が落選して、ベスト4だった大垣日大が選ばれた。従来なら優勝校、準優勝校がすんなりと決まる。もっともらしい理由が発表されているが、裏事情が絡んでいるのではとかんぐりたくなる。社会では日常茶飯事の不可解さだろうが、「これが大人になることさ」という高校生の学びだとしたら、なんだか悲しいね。上村監督は選手たちにこんなことを言ったそうだ。徒然草の一節だそうだ。「期待していたことはうまくいかず、思ってもいないことがうまくいく。(人生は)どうなるか分からないものと考えることだけが、真実である」野球というゲームを通して、選手たちは、嫌というほど体験してきたことだろう。でも、実際に期待がぶち崩されて、絶望の中にいるからこそ、響いたのではないだろうか。不条理な出来事に涙を流すことで、人は深みを得る。人生どうなるかわからないから、現実を受け入れつつも、あせらず、あきらめず、一歩一歩前へ進んでいくしかないのだ。聖隷クリストファー高校という名前、ぼくはずっと覚えていると思う。
2022年01月30日
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今年はすももの栽培にチャレンジしている。無農薬でやりたいと思う。むろん、初めてのことだ。だいたい、すももを食べたことは、ほんの数回くらいしかない。なぜすももなの? と聞かれたら、畑を貸してくれる人がいたからという答えしかない。今は剪定の時期。去年はやってないのではないか。青空に向かって伸びる徒長枝(とちょうし)の勢いがすごい。11本お借りしているが、あと残すは4本。「2月いっぱいくらいで終わればいい」とオーナーには言われている。1日1本のペースでできるので(だいたい2時間ほど)、筋肉痛と相談しながらやっていこう。はさみを使って枝を切るので、腕が痛いし、常に上を向いているので、首から肩が筋肉痛になるのだ。畑が斜面になっているので、足もふくらはぎも疲れる。6月あたりから収穫ができるそうだが、一体、どれくらいの数のすももができるのか、想像もつかない。できたすももはどうするの?これも考えてない。すもも狩りでもやるかな。先を考えずに、ただただ枝を切るばかりの日々だ。かっこよく言えば、今を生きるだが、結局は、行き当たりばったりということなんだろうな。ただ、何かをやるときは、目的なり目標を決めて、計画的に進めていくという生き方は、ぼくにはできない。それが、ぼくの人生がうまく流れているポイントであり、でも、なかなか結果が出ない原因でもある。もう、66歳になろうとしているのだから、頑固に自分のやり方を突き通そうと思っている。それでだめなら「ごめんなさい」だ。来世は、もう少し計画的に生きることにする。すももがたわわに実っていることをイメージして、今日は剪定はお休みにするが、来週からもうひとがんばりだ。
2022年01月29日
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1970年代から80年代に、プロ野球の大洋ホエールズで活躍した高木由一さんの記事をネットで読んだ。野球部のない高校に入って、自分で作って、卒業後は相模原市役所に就職し、弱小野球部の四番でエース。友だちに誘われて大洋の入団テストを受けたら合格してしまった。こんな球歴の人がプロ野球選手になるだけでも珍しいのに、打率3割を打ったり、オールスターゲームにも出るし、打ったヒットの数は957本、ホームランも102本だから、野球選手として大成功したと言える。こういうドラマチックな選手は、今の時代では期待できないね。彼がプロ入りするかどうか迷ったときの話。安定した公務員からいつクビになるかわからないプロ野球稼業。結婚を意識した恋人もいたみたいだ。彼はプロを断るつもりだったようだ。父に相談した。やめろと言われるのを期待してのことだった。ところが、このお父さん、大したものだ。「行ってこい。若さの特権というのは、やり直しがきくことだ。2~3年兵役に行くつもりで行ってきたらどうだ?」兵役というのが時代を感じさせるが、こう言える親でありたいなと思った。安定を求めるのは悪いことではない。でも、こんなすごいチャンスが巡ってきたのだから、思い切った選択をした方がいい、とぼくは思う。失敗に終わっても、「やり直しがきく」。特に、不安定極まりない今。嵐の中で大揺れに揺れる船に乗っているようなもの。いくら探し回っても、揺れない場所なんてない。不安定を生きる覚悟をもつこと。時間はかかりそうだが、いつかは嵐から抜け出せる。今は揺れを受け入れるしかない。こういう時代だからこそ、高木さんみたいなエキサイティングな人生を送れるチャンスにあふれている。せっかく生まれてきたのだから、「生きた!」という実感をもって、あの世に行きたいではないか。
2022年01月28日
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山梨の礎は武田信玄という立派なリーダーが作った。にもかかわらず、今のリーダーのおそまつなこと。そう思わせるニュースが流れている。じっくりと考えればわかることで、山梨県内で80パーセントも人が予防接種を2回受けている。にもかかわらず、感染者がこんなにも増えている。未接種の人ばかりが感染しているなら、予防接種の意味はわかるけれども、それもデータを出すのは簡単だと思う。ちょっと調べてみれば、あんな発言は出ないよね。信玄さんも泣いているか、笑っているか、もうあきれてそっぽを向いているかもしれない。山梨の人は、もっと誇りをもたないと。信玄は、死期が迫っていることを知った上で、京へ上った。私利私欲でやったことだと、ぼくには思えない。やらないといけないという使命感があったはずだ。どんな使命感か。甲斐の国のことではなく、日本全体を考えての行動だったと、ぼくは感じる。甲州市の雲峰寺には、日本最古の日の丸の旗がある。武田家の家宝だった。平安時代の後期、陸奥の国の平定に活躍した源頼義が後冷泉天皇から下賜されたもので、頼義から三男の義光に託された。義光こそ、甲斐源氏の始祖であり、武田家へとつながる。武田滅亡の天目山の戦いのとき、勝頼は息子の信勝を元服させた後、息子ともども自害をするのだが、そのときに、部下に日の丸の御旗と無楯鎧、風林火山の旗などを、雲峰寺に運ばせた。命よりも大切なものだった。武田家には、日の丸とともに、後世に残すべき日本の精神というのが秘められていたのではないか。山梨はずっとゼロとか一桁で推移してきた。どうしてなのか?もっと深く追求してもいいのでは。信玄生誕500年。少しは喜ばせてあげようよ。
2022年01月27日
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コロナ禍も終盤に入っている気がする。落としどころは決まっているはずだ。感染し発病した方は大変だったと思う。お見舞い申し上げたい。とにかくこの2年間。だれもが振り回された。100年後200年後、この騒ぎはどんなふうに伝えられているのだろうか。世界で4億人が感染し、600万人が亡くなった。数字からすれば、2億人の死者が出たペストに比べると大したことはないと言えるかもしれないが、社会の混乱やコロナに関連した多数の死者、さらにはコロナを契機として大きく世の中が変わることを考えると、歴史に残る大事件だと思う。コロナが終息すれば、次は何がくるか。天災、インフレ、食糧難、戦争・・・。人類受難の引き金が引かれたようなものかもしれない。いつからだろうか。人類は、自分たちも自然の一部だということを忘れて、自然を自分たちに都合のいい形で支配・利用し、都合の悪いものは排除することばかりを考えるようになったのは。地球の秩序が乱れ、その兆候は常にあったにもかかわらず、見て見ぬふりをしてきた。ひたすら物質的な豊かさと便利さを求め、支配者になったつもりが、いつしか欲望の奴隷になってしまっていた。この方向性を変えないことには、幸せはないだろうな。「自分は違う」と言っても、これは長年にわたっての人類全体の選択だ。一部の人だけが責任逃れをすることはできない。ただし、方向性を変えるためには、一人ひとりが変化しないといけない。人類の一人としてこうなった現実を受け入れ、その上で、自分はどうしたらいいかを考え行動することだろうなと思う。大したことはできなくても、人類が救われる道はそれしかないわけで、とにかくやれることをやるということ。それでだめなら仕方がない。何をやればいいか。冷静になってまわりを見回せばいい。やるべきことは、まだまだ少数だが、同時多発的にあちこちで始まっているから。その小さな流れに乗ること。それしかないと思うな。コロナは大変だったけど、本当は大きなチャンスだと思う。ぼくたちは、人為的な大きな力に振り回されず、自分らしく生きられるはずだ。
2022年01月26日
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山梨県人に、「山梨が生んだ英雄と言えば?」と聞けば、100%が「武田信玄」と答えると思う。山梨県人にとって、武田信玄は誇りであり、神だ。これだけ県民に人気があるのは、戦国大名なら、宮城県の伊達政宗、新潟県の上杉謙信くらいじゃないか。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は?愛知県で信玄ほどの熱量があるだろうか?ほかには、高知県の坂本龍馬に鹿児島県の西郷隆盛かな。ぼくは三重県で生まれ育ったが、郷土の英雄と言ったらだれだろう?ぱっとは浮かばない。せっかく山梨に移住してきたのだからと、少しずつ武田信玄について勉強している。信玄は日本を統一するだけの力があったし、本人もやる気満々だった。彼は、どんな日本を作ろうとしていたのだろうか。
2022年01月25日
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人には、一つのことをどんどん掘り下げていくタイプと、いろいろなことに興味をもつタイプがいる。いい悪いではなく、掘り下げていくタイプの人は、そのことにしか興味がもてないし、あちこちきょろきょろしながら生きている人は、ひとつに集中しろと言ってもできない。両者ともに不完全で、2つのタイプがうまく組むと、お互いの良さが生かせて、いい結果が生まれる。ぼくは、いつも何か面白いことないかなと、きょろきょろとまわりを見回しているタイプ。「小原田さんは何をやろうとしているかわからない」と言われることもあるけれども、面白いと感じたことにはぱっとくいつくのがぼくの特徴。ただし、最近になって思うのは、ただきょろきょろしているだけではいけない。とっちらかったものを、どこかで整理しないと。ぼくには、文章で表現するという手段があったから、きょろきょろ落ち着きなく生きていても、こうやって生き延びてこられたのだと思う。ここは、ぼくにとっての肝だ。ヤギさんに癒される。桃の無農薬栽培をしてみよう。不思議な山がある。どうして山梨には丸石の道祖神が多いのだろう。武田信玄ってすごい武将だったみたいだ。ぼくが興味をもつことは、何のつながりもないことに思える。本を読んだり、人に話を聞くのはいいけれども、ただ雑知識が増えるだけだよね。その通りだ。でも、いろいろ調べていくうちに、もし仮に、ヤギと武田信玄のつながりが見えてきたらどうだろう?ぼくなりに情報を整理する切り口がひらめくことがある。武田信玄を深く掘り下げている人には見えないものが、ヤギにも自然栽培にも興味をもっていることで、思わぬ展開を生み出したりするのだ(ヤギと信玄との関連性はまだひらめかないが)。ぼくのような研究者タイプではない、やじ馬タイプの人間は、広く浅く知識を集めるだけでなく、人が思いつかないひらめきを引き出すことが楽しみになってくる。66歳間近になって、そんなことに気づいた。持ち込まは山ほどある。これをどう生かすか。人生ラストスパートの切り札にしないと。
2022年01月24日
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三女の氣歩にすすめられたアニメ「王様ランキング」。世界にはたくさんの国があって、それぞれ王様がいる。王様は、強さとか人格、リーダーシップなど、いくつかの指標をもとに、ランキングされている。トップになることが、各国の王様の目指すところだ。トップ3に入る王様が亡くなった。主人公は、その王の長男のボッチという王子。彼は、生まれつき耳が聞こえず、言葉を発することもできない。小さくて非力。とても王様の器ではない。しかし、やさしさではだれにも負けない。腕力も知力もはるかにすぐれた弟がいて、彼が後継者に決まるが、ボッジは独自の道で仲間を増やし、これまでとは違う王様像を作り上げていく。「やさしさだけではダメだ! 強くないと」よく言われる。強さもいろいろあるが、やさしさを極めれば本当の強さが手に入ることを、このアニメでは言わんとしているのではないか。含蓄のある言葉が出てくる。不老不死となったことで、もともと穏やかでやさしい性格をなくし、残虐な兵士となった男。その男に向かって、兄が語る。「不老不死の弊害でしょうね。病気もなく年も取らず、まして死なないなら、生物から一番初めに失われていくものが心だと。われわれは死にます。だからこそ、子孫を残し、命をつなげていく。それがかなしみや思いやりにつながり、人間性をはぐくでいくのではないでしょうか。不老不死を得たものは、そんなものは必要ない。もはや自我さえなくしている。人間でなくなる」やさしさよりも強さを求める人がたくさんいる。その究極の形が不老不死であり、人間として生きることの放棄ということになる。三女はとてもやさしい子だ。でも、高校時代は、「それじゃだめだ。もっと強くなれ」と先生に言われて、徹底的に反発していたのを思い出す。
2022年01月23日
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アマゾンプライムで『バンクーバーの朝日』という映画を観た。第二次世界大戦が迫っているころの話。カナダへたくさんの日本人が移住した。海外で一旗揚げようという思いで海を渡ったが、日本人差別もあり、安い賃金でこき使われ、苦しい生活をしている。日本人街の若者たちが朝日という日本人だけの野球チームを作っていた。野球が好きで好きでたまらない若者たち。地域のリーグに加入しているが、体が大きなカナダチームには歯が立たない。仕事を求めてバンクーバーを出て行くメンバーもいて、チームは弱体化するばかり。しかし、日本人らしい小技を使った野球をするようになって、どんどん勝てるようになった。日本人街の人たちも大興奮。日ごろの厳しい生活を忘れて、チームを応援し、カフェに集まっては野球の話で盛り上がる。よく、スポーツ選手が「子どもたちに夢や勇気、元気を与える」とコメントしているが、改めてスポーツの役割ってこういうことなのだと、この映画を観て感じた次第だ。スポーツは、見ている人、応援している人に勇気や感動を与えるためにある。一流のスポーツ選手が大金を稼ぐのはいいが、そこだけに夢や希望を見出そうとするとおかしくなる。カナダチームは、怪力にまかせてドカーンとホームランを打って点を取るが、朝日は、バントをしたり盗塁をしてコツコツと点を取る。ピッチャーも、快速球は投げられないが、コーナーをていねいについて凡打に仕留める。日本人の特性を発揮して戦う姿に、「ジャップ」と馬鹿にされ差別される日々を送る人たちは拍手を送る。「俺たちも俺たちらしく生きようぜ!」気持ちが高まっていく。オリンピックもワールドカップもぼくは好きだけど、このままだと、お金と国の威信というエネルギーに押しつぶされてしまうんじゃないか。
2022年01月22日
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当たり前が多ければ多いほど、気づきや感動は少なくなる。毎朝、昇ってくる太陽。感動する人はどれくらいいいるだろうか。ぼくは、手を合わせたり、ありがたいなと思っても、感動するかと言われると自信はない。当たり前だと思っているから。本当に当たり前だろうか?大規模噴火のあったトンガでは太陽が見えるのだろうか?漫然と日々を過ごしていると、感動の種を見逃してしまう。気づきや感動こそ、魂が成長する養分なのに、何ともったいないことか。ぼくが住んでいる近辺には、丸い石の道祖神があちこちにある。何だろう? と思う。鈴鹿市で生まれて、名古屋や富山、埼玉、東京に住んだが、道祖神というのは、言葉こそ知っていたけれども、見たこともなかった。ところがこちらでは何か集会があると、「道祖神場に集まってください」となる。とても身近に道祖神があるのだ。それも、山梨の道祖神の特徴は「丸い石」。一個だけだったり何個もあったり、丸い石が村のあちこちに鎮座している。ここに住んでいる人たちは、そんなの当たり前だから、なんとも思わない。でも、外から来たぼくたちにしてみれば、「何なのだろう?」と不思議に思う。丸い石に手を合わせていると、遠い昔の人たちの思いとつながれる気がする。願いごとだったり感謝だったり、石には、ここで生きた人たちの長い歴史が刻み込まれている。神社やお寺ができるはるか昔から、丸い石が神様の役割をしてきた。どうして丸い石なのか、何か霊力があるのか。「どうして」が次々と出てくる。「北杜市にある縄文時代の遺跡から、祭祀に使われたと思われる丸い石がたくさん出土しています」と聞くと、すぐにでも行ってみたくなる。ワクワクしてくる。よそ者だからこそ感じられる特権だ。旅をすること、移住すること、知らない人と会うこと、何かにチャレンジすること。当たり前から脱するためのもので、そこから気づきを感動を得ることができる。ぼくたち外から来た人間は、ずっとここに住んでいる人に刺激を与えることができる。そうやって、人はお互いに心を動かし合いながら、魂のエネルギーを高めているのではないか。道祖神、巨石、不思議な山・・・。このあたりには、刺激になるものがいっぱいある。そんなツアーをやってみるか。
2022年01月21日
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やっと年賀状の返事を書き終えた。くださった方に返事を出すという、横着なスタイルになって何年かになる。日本に古くからある儀式をもっと大切にしないといけないと思いつつ、ついつい後回しになってしまう。ただ、年賀状も表も裏も印刷。味気ないものが多い。ぼくは不義理をしつつも、手書きで送るのを心掛けている。宛名を書くときには、相手のことをイメージするから、そこには相手を思う気持ちが入るだろうと思う。そして、自分の近況をひと言でも書く。これからは年賀状に限らず(年賀状は偉そうなことは言えないが)、何をするにしても、気持ちを込めることを心掛けていきたいな。
2022年01月20日
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「人や動物って、何のために生きているんだろうね」朝っぱらから、娘がやっかいな質問をしてきた。「何のためって。子孫を残すためかな。どんな生き物も種を繁栄させたいから」「なんで種が繁栄しないといけないの」「やっぱり、地球が成熟するには、一つひとつの種が繁栄しないといけないんじゃないの」「どうして地球は成熟しないといけないの」「地球は宇宙の一部で・・・」もう勘弁してくれ。そんな高尚なこと、ぼくにはわからない。だけど、しばらくして答えがわかった。人も動物も植物も、「自分が何のために生きているのかを知るために生きている」どうだ!何のために生きているかとか、愛とは何かとか、命ってどこから来たのとか、神様は本当にいるのかといったことって、訳知り顔で言う人もいるけれども、とんでもなく深くて大きな命題だと思う。これまでの人類の歴史の中で、たくさんの人が、その答えを模索してきた。でも、結局はわからない。遠藤周作さんの『沈黙』という小説がある。キリスト教の神父が、キリスト教を弾圧している時代の日本にやってきて、大変な弾圧を受ける、「棄教しろ」と拷問にあう。しかし、どんなひどい目に合わされようと、彼らは宗教を捨てない。神を信じる。神は、彼らの強い信仰心にどう応えたか。沈黙だった。こんなにも神を信じ、神に祈りを捧げているのに、どうして救ってくれないんだ。神は本当にいるのか。葛藤の中で、彼らは死んでいく。「愛とはね・・・」「神とはね・・・」あっさりと語る人には、この小説の深み重みはわからないのではないだろうか。ぼくたちは、何千回、何万回と生きる死ぬを繰り返し、数えきれない体験をして、やっと、その一端がわかるのではないか。でも、本質にはまだまだ届かない。肉体を必要としない存在になり、そこでも、さまざまな喜怒哀楽を繰り返し、やっと5合目に到着。まだ半分だ。永遠とも思える時(時が存在するのかどうかわからないが)を超えて、「何のために生きているのか」がおぼろげにわかってくる。それでいいのではないか。何のために生きているのか?ぼくたちは、それを知るためにこの世に生まれてきて、果てしなく続く命を生きていく。だから、今はわからなくていい。
2022年01月19日
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ヤギーずビレッジでは、妻の発案で「占いの日」というイベントを開催した。そもそもの始まりは、月刊「ムー」の編集者、細江さんが、西洋占星術をはじめいろいろな占いができて、雑誌でも占いコーナーを担当している、森さんをビレッジに連れて来てくれたことから始まった。細江さんは、何度もビレッジへ遊びに来てくれている。実は細江さんも知る人ぞ知る敏腕占い師だ。この2人がなんとも気さくでいい。ぼくは、占い師にしてもヒーラーにしても、自分のやり方に固執することなく、ほかの人の占いやヒーリングに興味をもって、実際に受けてみようという好奇心が必要だと思っている。占い師やヒーラー、代替療法をやっている人たちには、独善的(自分が一番。自分はわかっていると思っている)な人が多くて(ぼくの勝手な感想です)、あまり積極的にはお付き合いしなかった。ぼくは、表には出さないけれども、けっこうシビアに人を感じるところがあって、まわりに同調できるエネルギーをもっているかどうかは、受け入れるかどうかの大事な基準にしている。この人たちは殻がない、あるいはとても薄くて、風通しがとてもいい。弘美も含めた3人は、お互いの力を尊重し合えて、とても話が盛り上がった。前にも手相を観てくれる方が来てくれたが、彼女もオープンな人だった。きっと、ビレッジへ来てくれる人は、そういう人なんだと、ぼくは思っている。だいたい、自分が一番だと思っている人は、何をやっているかよくわからないぼくたちのところを訪ねてこないだろうと思う。そんな出会いから、3人で占いをやりましょう! ということになった。お互い尊重し合ってないと、こういう話にはならない。参加する人も、3人の占いを受けることもできていいんじゃないかということで、15日に実現した。いい企画だったと思う。延べ30人の方が、3人の占いを受けた。みなさん、ニコニコして帰って行かれた。占い師の2人も、満足して東京へ戻った。自分が一番だと思って人とだと、こういう企画は成り立たない。占いというのは、人生の羅針盤、カーナビのようなもので、スムーズに生きる上で、とても役に立つ。「占いなんか」と馬鹿にするのではなく、せっかくの道具だから、うまく活用すればいいと、ぼくは思っている。また企画してみよう。
2022年01月18日
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トンガの大噴火は、すごい規模らしい。トンガの島々をはじめ、その近辺での地震や津波はどうだったのだろうと、3・11の強烈な映像が頭をよぎる。今日1月17日は、「阪神淡路大震災」があった日だ。ぼくは、前の日まで奈良県の生駒山にいた。生駒から鈴鹿に移動し、実家で一泊した早朝の出来事だった。鈴鹿でもけっこう揺れたが、テレビの映像にはびっくりした。神戸の街が燃え、高速道路が壊れ、たくさんの方が亡くなったりケガをした。本当に巨大な地震が起こるだ、こんなにも大きな被害が出るのだと、ぼくが実感した最初の体験だった。その前年、ぼくはアメリカインディアンのホピ族を訪ね、予言の岩絵を見て、長老からもお話を聞く機会があった。そのとき言われた。「日本は沈むよ。こちらへ引っ越してきなさい」冗談のようにぼくは聞いていた。日本が沈むのはSF小説の世界の中だけだと思っていたから。神戸の悲惨な映像で、長老の言葉が生々しさをもってよみがえってきた。深刻な顔が浮かんできた。冗談なんかではない。フィクションなんかではない。彼は現実をしっかりと見た上で、ぼくたちに警告を与えていたのだ。でも、やがて危機感は風化していく。そして2011年の東日本大震災。鈍感なぼくの頭の中でも日本沈没が現実化してきた。危険だと口では言っていたが、心のどこかでは「ありえない」と思っていた原発事故まで起こった。ホピの予言では、原子力の怖さも盛んに言われていたではないか。もう日本沈没のレベルではなくなっている。人類が生き残れるかどうかの岐路に立っているのだ。トンガの人たちの無事を願いたい。同時に、まだ災害は次々と起こる可能性がある。そういう時代の中でどう生きていくのか。一人ひとりが考えないと。
2022年01月17日
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昨日はどんど焼きがあって、ちょっとだけ顔を出した。ぶどうや桃の剪定した枝を中に入れて、外をヒノキの枝で覆う。火をつける。ぶわーっと燃え上がる。ヒノキの葉がシューシューと音を立て火と一体化していく。火の粉が舞い上がる。神聖な空間ができる。炎の暖かさが、心の中に凍り付いたものを溶かしてくれる。いろいろな思いが湧き上がる。ぼくは、この世はかなしみに満ちていると思っている。かなしみというと、ネガティブにとらえられてしまうが、かなしみは、ただ悲嘆するということを超えた命の本質の味わいがある。かなしみを漢字にすると、「悲しみ」ばかりではなく、「哀しみ」「愛しみ」。もっとあるのかもしれない。人はかなしみがあるからこそ、物事を深く考えることができるのではないか。芸術はその最たるものだ。文学だって絵画だって音楽だって、神の世界を表現する手法だ。そして、すぐれた芸術作品からは、だれもが「かなしみ」を感じ取るはず。つまり、神の世界の根底にはかなしみがあるということだ。どんど焼きに人が集まってくる。お札だったり正月飾りを燃やす人が多い中、ある高齢の男性が小さな金屏風を箱から取り出した。「お雛様のなんですよ」そう言いつつ、数秒間、愛しそうにながめたあと、火に投げ入れた。炎が、男性の顔を照らす。ぼくは思った。この人は、昔の思い出を燃やしたんだ。娘さんがいたんだろう。お雛様を買って、毎年、飾ってはごちそうを食べた。「灯りをつけましょ・・・」娘さんがかわいい声で歌う。その娘さんも、とっくに成人して遠くにお嫁に行った。今は、奥さんも亡くなり、一人暮らしの日々。家族がにぎやかに笑い合っていたころの思い出が詰まっているひな人形。屏風だけを燃やすってどういうことなんだろうか。人形は残してあるのだろうか。娘さんが人形だけをもって嫁いだのだろうか。燃え盛る火を見ながら、センチメンタルな想像をする。思い出も、多すぎると収納できなくなる。だから、どんど焼きの日、思い出にまつわる品を火にくべて、思い出の断捨離をする。そんな意味もあるのかな。人はかなしみを積み上げて年老いていき、少しずつ、神様に近づくことができる。でも、重すぎるかなしみに前へ進めなくなっては困る。いろいろな神事があるが、どんど焼きも、ちょっとだけかなしみを軽くしてくれる、神様の好意かもしれないな。
2022年01月16日
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3ヵ月に1度、東京で「帯津先生を囲む会」というのを開いている。神田にある老舗のうなぎ屋で、おいしいうなぎ料理に舌鼓を打つ。参加者は6~7人。そのうちの3人は、帯津先生を含めて今年86歳になる。小石川高校の同級生。すごいのは3人とも現役で働いているということ。帯津先生は医師、寺門さんは作家、小野さんは経営者だ。3人とも、食べることが好き、人と会うのも好き、おしゃべりも好き、勉強も好き、そして何より働くのが好き。ぼくよりも20歳年上。ああいう80代になれるといいなと、いつも思う。「年は取りたくない」と思う人は、はつらつと生きている80代、90代と会ってないから。死が怖いと思うのは、すてきな死に方をしている人を知らないから。年を取れば、肉体的に衰えるのは仕方ないこと。だけど、いいことを探せばいっぱいある。ぼくは60代を、エンジョイしている。同世代の人は、退職金や年金でのんびり暮らしているのかもしれないが、ぼくはいつもあたふたしている。きちんとサラリーマンを続けていれば悠々自適の老後だったのに、と気の毒がられたりもするが、ぼくとしては、刺激がいっぱいで、ここから先に何が待っているか、楽しみで仕方ない。それも、帯津先生のようなすばらしい先輩を見ているからだろう。あんなふうにはなれないにしても、老いも病も死も、貴重な体験と受け入れて、今日が最後の日だと、エネルギーを出し惜しみせずに生きていきたいね。月に一度、先生とお会いして、おいしいお酒をいただく。ぼくにとってはかけがえのない大切な時間だ。(11月に山梨市で開催した帯津先生講演会)
2022年01月13日
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ハーッ。ため息が出る。市民病院へ電話をした。母が入院している。「今週の面会を予約したいのですが」週に一度、15分だけ。2人に限っての面会が許可されている。まだ話をすることはできないが、面会に行くと、母はうれしそうな顔をする。それがだめになった。「コロナが増えたので面会は全面中止になりました」山梨は、感染者数がずっとゼロとか一桁の前半で推移していた。ここ数日、20人台になってあたふたしている様子が伝わってくる。土日のキッチンカーイベントも中止になった。どうなったらみんな安心するのだろうか?日本で、あるいは世界で、感染者がゼロになるってあるのだろうか?特効薬ができればいいいのか。ウイルスなんていくらでもあるし、コロナが消えたとしても、また新しい感染症が広がるのは、だれでもわかっていると思う。自分に都合の悪いものは徹底的に排除しようという発想から早く抜け出さないと。生苦。老苦。病苦。死苦。愛別離苦(あいべつりく)。大切な人ともいつかは離れなければならない、別れなければならない苦しみ。怨憎会苦(おんぞうえく)。大嫌いな人でも出会ってしまう苦しみ。求不得苦(ぐふとっく)。求める物や事が手に入らない苦しみ。五おん盛苦(ごおんじょうく)。肉体も精神も自分の思い通りにならない苦しみ。この四苦八苦からはだれも逃れられないとお釈迦様は悟った。我々とは比べ物にならないほどの偉い人の悟りだから、参考にすべきだ。ただ、四苦八苦からは逃れらえないからあきらめろとお釈迦様は言っているわけではないと、ぼくは思うね。まずは逃れられないということを知ること。じたばたしても仕方ない。諦観(あきらめの気持ち)も大切だ。四苦八苦があることを前提にして、ぼくたちが苦と感じることとどう付き合っていくか。それが知恵なんだと思う。幸せに生きるための知恵。四苦八苦を取り除こうとすると、そもそも取り除けないものなのだから、苦はますます増幅される。いくらアンチエイジングに励んでも、確実に年は取っていく。60代なのに40代に見えたからと言って、そんなのどうでもいいと、ぼくは思うけど。60年生きた証が顔にしわとして刻まれているって、すてきじゃないか。大病をして大切なことに気づく人はたくさんいる。好んで病気になる必要はないけれども、病むことが人生を豊かにする大切なきっかけになる場合がある。ぼくたちのとりあえずのゴールは「死」だ。マラソンランナーがゴールインして倒れ込むことがある。本当にきついんだろうな。でも、そこには走り切れた安ど感、喜び、満足感といったもののあるはずだ。尊い死という言葉があるが、すべての死は尊いと思う。コロナは、ウイルスを撲滅することを、ぼくたちに課しているのではなく、コロナ禍の中でどう生きるか、一人ひとりの知恵を試されているのではないか。感染者数の増減に一喜一憂するのも人生。あくまでもこれまでの生き方に固執するのも人生。いさぎよくコロナに降参して、新しい生き方を模索するのも人生。幸せになるにはどうしたらいいのか、自分で考えて、行動する。そんなことが求められている時代ではないだろうか。
2022年01月11日
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5年連用日記を買った。前に買ったのは1980年ごろ。大学を出て就職して、きっとドラマチックな5年だろうと予測して、きちんと5年間書き続けた。大きな会社に就職して、「こんなはずじゃなかった」と悩みつつ、2年でやめて、アルバイト生活を1年、小さな会社に再就職して、企業社会のいびつさを痛感したくらいまでの時期かな。その後、東京へ出るのだが、ぼくにとっては貴重な5年間だった。あの日記帳は捨ててしまったが、5年あれば、人はさまざまな体験をすることができる。今回は、これからの5年。60代の後半が、ぼくの人生のクライマックスになると感じたからだ。ぼくは、昔からかっこよく生きるのがあこがれだった。何がかっこいいのか、若いころは、ちょっと有名になって、お金もあってといった、物質的な面でのかっこよさを求めていた。本が売れたり、講演であちこちを回ったり、それなりの稼ぎがあった時期もあり、ぼくなりのかっこよさは「まあまあ」だったかな。でも、60代後半のかっこよさはちょっと違うな。同級生の多くが、飛行機で言えば、着陸体勢に入ったり、すでに着陸してターミナルに向かっていたりする。だけど、ぼくはもうひとつの目的地に向けて離陸しようとしている。目的地がどこかはよくわかっていないのだが、とにかく、燃料が切れるまで飛んでやろうじゃないか。それがぼくの60代のかっこよさ。記録を残す価値がある。というわけで、5年連用日記を買ったということだ。
2022年01月10日
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ついてる話。年末、家族はみんなで弘美の実家のある札幌へ出かけた。元旦に山梨へ帰る予定。ぼくは、一人で年末年始を過ごした。元旦。三女の氣歩が前日から体調不良。「私と氣歩は2日に帰るね」弘美から連絡があった。すでに飛行機の予定を変更したらしい。長女の氣子と次女の氣恵が新千歳空港へ向かった。氣恵から電話が入った。「飛行機、欠航になった」大雪のために、新千歳空港は飛行機の発着がストップしているのだそうだ。結局、氣恵だけがやっと飛んだ最終の飛行機で羽田へ向かうことができた。氣子はぎりぎり翌日の便に振り替えることができた。「もし、氣歩が元気で4人だったら、大変なことになってたよ」氣子が電話で話してくれた。つまり、4人が翌日の飛行機に振り替えられる可能性は限りなくゼロに近かった。早くても6日の便になるそうだ。全員が大幅に遅れるかもしれなかったのだ。3日にはイベントでキッチンカーの出店が決まっている。4人で空港に向かっていたらどうなっていただろうか?氣歩が体調を崩したことで、弘美と氣歩はスムーズに2日の便に変更できた。氣恵はぎりぎり1日に乗れた。氣子も粘って翌日の便を確保。4人とも2日には山梨に到着した。正月早々、体調を崩すというアンラッキーと思ってしまいがちですが、その部分だけでは見えてこないものがあるということだ。正月は、家族でそんな話をしていた。
2022年01月09日
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2022年が始まった。どんな一年になるか、だれにもわからない。2021年1月1日。1年後の今を予想できたか。できなかったな。すでに山梨へは移住していた。でも、場所が変わっただけで、東京にいたときの続きを過ごしていた。3月にヤギさんがやってきた。このあたりから予測不能領域に入っていく。一緒にやろうと思っていた農園から出ることになった。とんだぼたんの掛け違いだった。ひょんな出会いから、塩山の山間の村で農家を借りれることになった。庭が広くて、ヤギさん4頭も飼うことができる。すずちゃんがここに住み、ぼくたちは町中の自宅から毎日通うという生活が始まった。「ヤギーずビレッジ」と名付けた。そんなときに、82歳の和菓子職人と出会った。氣恵のことを気に入ってくれて、自分の技をすべて伝授すると、ヤギーずビレッジに通ってくれた。氣恵とすずちゃんがめきめきと腕を上げ、本当においしい和菓子が作れるようになった。「キッチンカーで売ったらどうだろう」いいアイデアだ。珍しさも手伝って、けっこう評判になっている。今年はヤギーず牧場を作りたい。ヤギーずビレッジを和菓子カフェにしたい。そんなことを思いつつ、新しい年に突入した。考えてもいなかった一年後になった。とにかく、何が起こるかわからない。特に、大きな節目の時代だから、柔軟に考え、行動しないと。これまでの価値観がますます通用しなくなる。変化を喜んで受け入れる。こうしないといけないという考えを捨てる。そうすれば、面白い一年になるはずだ。
2022年01月02日
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