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仕事を一段落させて、久々にDVDを見た。「画家と庭師とカンパーニュ」というフランス映画。パリで成功した画家が田舎へ帰ってきた。広い庭があって、そこの手入れをしてくれる庭師を探したのだが、現れたのは、小学校時代の悪ガキ仲間。その庭師は、鉄道会社で肉体労働に長年従事していて、退職して念願の庭師になったのだ。華やかな社会で生きていた画家と、社会の底辺で汗を流してきた庭師。バイクに乗って週に何度か庭師はやってくる。そして、二人はいろんな話をする。教養ある画家の話は、庭師には通用しない。しかし、庭師は自分が生きてきた中で得た哲学を訥々と語る。2人のアンバランスがハラハラさせて良かったな。画家は、絵を描くために生まれてきている。しかし、それなりの評価は受けているけれども、どういう絵を描くかで、ずっと悩み続けている。その悩みが、庭師によって解決してしまう。庭師は、遠回りしたけど、庭師になるために生まれてきた。だから、彼は、植物たちと語り合えるようになっていた。本は読まないけど、野菜たちからいろいろなことを教えてもらってきている。実と虚の関係かなと思う。実というのは、土をいじって野菜や樹木、花を育てるという庭師の生き方。虚というのは、イメージを膨らませて絵を描く画家の生き方。このふたつは、相反するようで、お互いに補い合っている。ぼくは、昔からずっと気になっていることがある。それは、数学の虚数のこと。複素数というのがあって、a+biで表現する。ここにあるiというのは、2乗すると-1になる数だから、現実にはあり得ない数字で虚数と言われる。a+biというのは、きっと世の中の仕組みだよ。見える世界である(実数)aと、見えない世界である(虚数)biの両方からできている。ひょっとしたら、足し算のような単純なものではないかもしれないけど、この映画を見ていて、複素数が思い浮かんだ。ぼくは、数学は得意ではないし、複素数も虚数も、本当のところはわからないけど、感覚として、この数式は好きだな。淡々と流れる映画だったけど、印象に残るね。ある年代以上の人でないとつまらないかもしれないけど。
2011年01月31日
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「坂の上の雲」のころ、日本は、国際社会の中で、植民地にされる寸前にあったみたい。日本を狙っていたのは、ロシア。ずっとロシア(ソ連)は、日本を狙っているよね。第二次世界大戦でも、終戦間際に宣戦布告してきて、死にそうな日本をぼこぼこにして、領土を取っていったわけだから。明治の日本人は、何とか日本を守ろうとした。その手段は、軍事の充実しかなかった。国費のうちのかなりの割合が軍事費として使われたそうだ。それは、国民の税金だった。国民は、日本を守るためならということで、きつい負担に耐えたのだそうだ。それが、日露戦争の勝利に結びついたらしい。今の日本も、そのころのように、国際社会の中での立場は低下してきている。それは経済力での評価だけど、ここからどう持ち直すか、とても重要な岐路に立っているのだろうと思うな。その手段は、軍事でも経済でもないと思う。また、別の価値基準でもって、自己主張をし、世界に日本ありと存在を示さないといけないだろう。サッカーでも、日本らしさを出せばアジア一になれる。国家レベルでも、いかにして日本らしさを出すかだ。アメリカ流では、このまましぼんでいくしかない。大いなる決断が必要となるだろう。2012年は、大きなことが起こると言われているが、日本の決断も、関係してくるかもしれない。
2011年01月30日
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3月14日、横浜で講演会が入っている。イートハーブクリニックというがんの統合医療をやっている萩原先生が主催するNPOの講演会だ。これもタイミングがいいというか、今、「前世を癒す医師たち」という企画を考えているんだけど、その一番目に取材しようと思っていた先生で、連絡をとろうかなと思っていた矢先に、あちらからご連絡いただいたという経緯がある。きっと、いいご縁なのだろうと思う。対象はがんの患者さんや家族の方、関係者が多いらしいが、「イルカみたいに生きてみよう」というテーマでお話することにした。あらためて自分を振り返ってみると、あんまり深く考えず、自分のペースで動いていれば、いろいろな縁が生じて、それが次の動きを作ってくれるという流れがあった。肩に力が入ると、本来の流れとは少しずつずれてしまって、いつの間にか、しんどいところにはまり込んでしまう。20年ほど前、考えられないような展開で、物事が進んでいった時期があった。今、ぼくがかかわっている癒しの世界への入り口だった。家庭をもって、なかなか流れに身を任せる生き方というのは難しくなったが、やっとこのごろ、あのころの感覚がよみがえってきた。じたばたしない、あくせくしない、おたおたしない。あんまり責任感に縛られるのもよそう。そんな気持ちだ。世の中、何が良くて何が悪いのか、ぜんぜんわからないんだから。●NPO法人ほあーがんネットワークサポート3月定例会テーマ/イルカみたいに生きてみよう 内容/「なんて疲れる生き方をしているんだろう。生きるってことは楽しいことなのに。眉間にしわを寄せて苦しんでいる。かわいそうだね、人間って」イルカたちは、あくせく働く人間を見て、そう思っているかもしれません。「もっと楽しめば。もっと肩の力を抜いて」イルカたちは笑っていますよ。イルカが教えてくれたことを実行すれば、悩みなんかどこかへすっ飛んでしまいます。イルカのこと、癒しのこと、氣功のこと、代替療法のこと、イルカみたいにのんびりと気楽に話します。 プロフィール1956年三重県生まれ。作家・ジャーナリスト。1988年に上海で帯津良一先生、中川雅仁先生に出あい、人生は激変。帯津先生監修の「がんを治す大事典」で、日本中のがん治療を取材して回った。今年、その改訂版のため、取材を始める。氣功師だった中川先生からは、氣による奇跡の数々、霊的な現象をたくさん見せてもらった。イルカとの縁も、中川先生から広がった。中川先生、帯津先生とともにホピ族の村へ行ったことも、生き方に大きな変化を与えた。現在、高江洲薫先生の自己探求セミナーを受講中。主な著書「イルカが人を癒す」「イルカみたいに生きてみよう」「ヒーリング・ドクター」「がんを克服した最新の代替療法」「犬と話ができる!」「木村さんのリンゴ 奇跡の秘密」ほか3月14日 午後1時30分から4時30分場所 横浜市市民支援活動センター 4F桜木町より徒歩7分参加費 2000円お申込み、問合せ イーハトーブクリニック 045-902-7240
2011年01月29日
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ずいぶんと昔の話になるが、真氣光の合宿を取材しているとき、今で言う統合失調症(当時は精神分裂症)の若者がたくさん来ていた。親と一緒に来ているのだが、彼らに話を聞く機会があって、ぼくは、自分の過去を思い出して、自分もひとつ間違っていればこうなっていたなと思った。例外なくいい子だった。親も、「この子は、本当にいい子で」と、涙をためながら言っていた。ぼくの体験から言えば、この「いい子」が曲者なんだ。ぼくもいい子だった。親も、いい子だと思っていた。でも、いい子であるのは、演技がかなり入っていて、ぼくの胸中では、けっこう、親に反発するものもあったのだ。それを押さえつけて、いい子を演じていた。押さえつけたものはモンスター化すると言う。ぼくは、モンスター化する前に、逃げ出すことができた。高校2年生くらいのとき、ぼくが部屋にいると、近所のおばさんがやってきた。母親と話していたのだが、その内容は、すっかりぼくに聞こえている。おばさんが言った。「やっちゃん(ぼくのこと)は、ええ子やねえ。よう勉強するし」すると、母が答えた。「親が言うのもおかしいけど、ほんまにええ子なんや。反抗期もないし、素直やし」ちょっとくらい謙遜してくれやと思った。と、同時に、ぼくは、自分を何か見えない縄が縛り付けているのを感じた。急に息苦しくなってきたのだ。そのときぼくは思った。逃げ出さないといけないと。それで、ぼくは、名古屋の大学へ行き、ちょっと時間はかかるが通えたけれども、下宿をするという形で、非常にやわらかな家出をすることができたのだ。土日にはいつも家へ帰っていたし、大した独立ではなかったが、それだけのことで、ものすごく心が軽くなったのである。以来、ずっと実家から離れて暮らしている。お盆と正月は帰っているし、親との関係も良好だ。あのとき、もし家を出てなかったら、大変なことになっていたかもしれない。親との関係も、崩れていた可能性もある。ちょうど、いい距離をとることができたのだと思う。人間関係は、距離が大切だと思う。つかず離れず。親であろうと、子であろうと。友だちであろうと、師匠であろうと。そんなことを思い出した。
2011年01月28日
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インドの占星術から見ると、ぼくは苦難の連続という運命を選んで生まれてきているらしい。そう言われれば、そういう傾向はあるかもしれない。ただ、自分の人生が苦難の連続だったかと言うと、ぼくには自覚がない。実家へ帰ると、母が言う。「お前は本当に苦労してきた」どこが苦労だったのだろうと思うのだが、どちらかと言うと、平穏無事に生きることを旨としている母から見れば、理解できないことが多かったんだろうな。だから、ぼくの苦労というより、息子の行動が理解できなかった母の苦労だと思う。そういう意味では心配をかけた。高校のとき、ラグビーの練習中に頭を打って入院した。両親は、「もうやめろ!」ときつく言ってた。親戚のおじさんまでやってきて、ぼくを説得しようとした。でも、頭を強打したおかげで、成績が上がって、希望の大学へ入ることができた。受験のときは、冬休みに、わざわざ福岡の予備校へ行った。もちろん、寮に入っての一人暮らしだ。そんなことする必要あったのだろうかと思うけど、そうしないでいられない自分がいた。福岡へ行って、がむしゃらになって勉強して成績が上がったという話ならともなく、なんとなく日々を過ごして、帰ってきた。ただ、一人で暮らしたというのが、あのころのぼくにとっては、大きな体験だっただろなと思う。まだ、新幹線がなかったから、夜行の寝台列車。名古屋まで父が送ってくれて、列車が出るまで父はホームにいてくれたけど、列車が動き出したときは、すごく不安だった。途中で、珍しく福岡に雪が降って、列車が止まったりした。わが家には電話もなくて、母が、親せきに家で電話を借りて、毎晩、電話をしてきた。大学も大変だった。授業がわからないんだから。ぼくは、文系の頭だと思う。でも、行ったのは工学部。完全にミスマッチ。でも、あのときの劣等生体験は、今も生きていると思うな。就職も、家から離れた富山へ行った。冬になると毎日毎日雪。最初は楽しかったけど、しばらくすると、朝起きてカーテンを開けるたびに、ため息が出た。どんよりとした曇り空にも頭が痛くなる。それに、小さな町にある大企業というのは、息が詰まる。24時間365日、会社の中にいる感じだもの。寮の窓から、北陸線が見えた。雪でかすんでいる中、列車が走って行く。それを見ながら、ぼくの頭の中では、「遠くで汽笛が聞きながら」というアリスの曲が流れていた。2年で辞めた。アルバイトをして、先輩の誘いで小さな会社に再就職、3年間、ストレスを限界に近いほどまでためながら働いた。そして、東京へ。そこで安定すればいいものを、ふらっと中国へ行った。一人でふらふらとあちこちを回ったが、冷静に考えれば、危険極まりない。自分の娘が、そんな旅をすると言い出したら、ぼくは反対するかもしれない。だけど、そこから、ぼくの苦難だとされていた運命が、きらきら輝き出してきたと思う。中国で、中川先生に会い、帯津先生に会い、気功の取材もできた。それが、今につながっている。もうあれから30年近くたつ。ぼくにとって、苦難の道(本人はそう思っていないのだが)から逃れる唯一の方法は、文章を書き続けることらしいけど、図らずも、その方向へきている。ということは、ぼくは、すごくついているということだと思う。どんな人生でも、最後はきちんと花が咲くようになっている。だから、その途中で、いいとか悪いとか、騒ぎ立てることはないということだ。そのときに与えられたことを一生懸命にやっていれば、自然に花の咲く時期がきて、良かった、良かったということになるのだ。ぼくにきれいな花が咲くのは、本当に晩年になってかららしい。自分としては、もうすでに、十分に花が咲いていると、満足しているのだが。
2011年01月27日
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長女の不登校が始まったのが、もう2年も前のことになる。あのときは、まさかうちの子がと思った。お腹が痛いとか、気分が悪いと、学校を休みがちになって気にはなっていたんだけど。ある朝、ぼくが仕事をしていると、学校を休んだ長女が、ふらっとぼくの部屋へ入ってきて、「お父さん、聞いてほしいことがある」と言って、泣き始めた。どきっとした。彼女が手に持っていたのは、英和辞典のカバーだった。「これ見て」と見せられた、そのカバーには、半分に破かれて、それをテープで補修した跡があった。「だれかに破られたの」そう言って、長女は下を向いた。そして、「それだけじゃないんだ」と、最近、自分の身に起こった不快な不気味な出来事を話し始めたのだ。すぐに学校へ相談に行ったが、正直、がっかり。「そんなのよくあるんですよ」というような対応だったから。家内は、かんかんに怒って、校長に食ってかかっていた。それからしばらく行くようになったのだが、また、いやがらせがあって、それが決定的だった。だれがそれをやっているかわからないというのが気味悪い。別の教室で授業があって、教室へ戻ったら、何かが起こっているというのだから、教室をあけるのが怖かったと思うな。だけど、彼女自身、学校があまり面白くなかったのは事実で、そんな事件がなければ、嫌々通っていて、もっと根の深いことが起こっていたかもしれないなと思う。そんなことがあって、ぼくたちは行動したのだけれども、その行動は間違ってなかったと思う。引っ越し、転校、新しい学校へも行けなかったけど、適応教室は予想以上に、彼女にとっては快適な場所だったし、今は、高校受験に向けて、気持ちも盛り上がっている。さて、次は三女だ。週に1度の割合で学校は休んでいる。あまり面白くないんだと思う。ちょっと変わった子なので、普通の学校は合わないのかもしれない。今は、休みたいと言えば、休ませている。これから、もっと休みが増えるようになれば、違った方向も考えないと。ぼくの頭の中にあるのは、フリースクールという道。ただ、近くにいいフリースクールがあるかどうかわからないし、これから少しずつ情報を集めていこうと思っている。でも、意外と、こんなペースで続くのかもしれないし、公立の中学校へ行っても、何か楽しみを見つけるかもしれないし、どうなるかはわからないが、いろいろな選択肢を視野に入れておいて、いざというときに、動けるようにしておきたいと思っている。子どもたちがみんな優秀で、子育てに何の苦労もないという人をうらやましくも思うけど、でも、いろいろ問題があると、それを乗り越えるたびに、子どもたちがかわいく、愛おしくなってくる。問題のない子がかわいくないという意味ではないけど、子育て親育て、これは共同作業なんだよね、きっと。問題のない子も、小さいながらも、声を発しているはず。それを聞きとるのは、けっこう難しくて、それが将来の大きな問題の火種になることもある。苦難があればあるほど、戦友というか、仲間というか、その絆は強くなっていくのは間違いないと思う。ただ、「どうして自分がこんな目にあわなければならないの」という被害者、悲劇の主人公になってしまうと、いい絆ができないのかなと思っている。
2011年01月26日
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先日、天外伺朗さんにインタビューして、それを原稿にまとめている(真氣光の株式会社エスエーエスの会報誌・会長対談)。天外さんは、ソニーの技術者でCDやアイボを開発した。重役まで務めた人だが、同時に、アメリカ・インディアンの長老から聖なるパイプを授与されるなど、精神世界への造詣も深い。ぼくも、天外さんが本を書き始めたころ、何冊か読ませていただいたが、見えない世界をサイエンティフィックに語っているということで、とても安心感を感じた覚えがあるが、彼が言うには、最初のころに書いた本は、多くの人に誤解を与えたそうだ。氣にしても超能力にしても、現代科学ではとても歯が立つものではない。科学というまな板の上では語り切れないものだ。天外さんは、それを前提に発言しているのだが、ぼくもよく覚えているけれども、見えない世界を信じない連中に、「ソニーでも研究しているんだぞ。重役がこんな本を書いているだから」と、いかにも科学や大企業が後押ししているんだからと、自分の言っていることの正当性を押し付けようとしたものだ。そんな話をすると、「それが誤解なんですよ」と、困った顔をされてしまった。今は、自分が言っていることでは、科学でもないし、科学的な仮説でもない、あくまでも科学的ロマンだという言い方をしているそうだ。見えない世界というのは、ある意味、言ったもの勝ちという面がある。裏の取りようがないのだから。「死後の世界はこうですよ」と、だれかが言ったとする。どう確認するの。死ぬしかない。でも、死んだら、それが本当かどうか報告もできない。結局、真実はわからないということだ。だから、あんまり突き詰めることではないのではと、ぼくは思う。科学的ロマンとして語るのが精いっぱいで、それを語れるのも限られた人で、ほとんどの人は、ロマンとかファンタジーで見て行けばいいんだろうと思う。だけど、ロマンとかファンタジーは虚構かというと、決してそうではない。そこにも真実はいくらでもあるはずだ。科学的な研究が高等で、ファンタジーは低級だという見方はおかしくて、ファンタジーの中にこそ、非常に深遠なメッセージがあることは、決して珍しくないと思う。これは、江戸時代に本居宣長だって言っているみたいで、だからこそ、彼は、一生懸命に源氏物語や古事記を研究したのだそうだ。物語を通して、いのちの本質とか、人間の本性とか、宇宙の神秘、あの世の世界などが、宣長には見えていたんだろうと思うね。だって、「古事記伝」というのは、35歳のときに書き始めて、35年かかって書き終え、その翌年に亡くなっているんだから。それくらい打ち込む価値があったということだろうね。引き込まれるものがあったのだと思う。古事記伝は読んでないけど、そこには、たぶん深い真理が書かれているのではと、ぼくは勝手に思っている。天外さんの新しい本を何冊か読ませてもらったが、彼の考え方は、○○すれば成功するという安っぽいものでもないし、宇宙はこうだという断定的なものでもないし、押しつけがましくもないし、非常にいいスタンスで、見えない世界を感じておられるなと思う。3月6日、ぼくの誕生日だけど、天外さんの主催するネットワークの「いのちが躍動するとき」というイベントが開かれる。講演者は、天外さん、龍村仁さん、池川明さん、帯津良一さん。みんなよく知っている先生方だ。天外さんのお話のひとつ。死に代表されるわれわれがネガティブなことと考えているものは、それを見ないようにすると、心の深いところで、モンスター化して、それに振り回されることになるのだそうだ。死を怖がるなではなく、死を怖がっている自分をきちんと見ることで、実物大の死が現れるわけだ。怖いからと目をつむってモンスター化させてしまうと、あとが大変なのだそうだ。人を恨んで殺すにしても、恨みがモンスター化してしまっているのではないだろうか。もっときちんとある人を恨んでいる自分をしっかりと見つめれば、等身大の恨みですむのかもしれない。殺人を犯すまではいかなくてすむ。ぼくたちのまわりでは、モンスター化によって、右往左往させられることは、けっこう起こっているような気がするね。これは、科学的ロマンではなく、古典的な深層心理学できちんと言われていることだそうだ。モンスター化を予防しないとね。
2011年01月25日
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数年前から、自己探求というセミナーを受けている。高江洲先生という、過去世をリーディングしたり、動物とお話をしたり、その人の使命を導き出すという特殊な能力をもった方が指導してくださっている。ぼくは、「犬と話ができる!」とか「犬たちのネバーエンディングストーリー」という本で、その先生のことは紹介した。誘導瞑想で、意識を過去に運んだり、インナーチャイルド(幼いころの自分)やハイヤーセルフ(高い存在の自分、つまり何度も生まれ変わって最高の状態になった将来の自分)と会ったりといったことを体験させてもらう。この間は、ハイヤーセルフからメッセージをもらうというセッションを行ったが、これが難しい。どこが難しいかというと、ハイヤーセルフからのメッセージだと思ったものが、実は、今の自分の願望だったりすることが多いからだ。ぼくも、メッセージをもらったが、それが果たしてハイヤーセルフかというと、どうも違うみたいだ。自分の潜在意識と対話しているようなのだ。潜在意識まで行ってないかもれないな。顕在意識の中で、都合よく作り出している部分も多いと思う。どうすればいいんだろう?ぼくは混乱してしまった。しかし、先生の説明をいろいろ振り返ってみると、自分が答えを出せない質問をすればいいということで、それを続ければ、あるパターンが見えてくるのではと思った。声で聞こえてくるような気がしてしまうのだが、ぼくの場合は、映像が浮かんでくることが多く、それを言葉にしようと思うと、自分の意識がブロックになってきて、自分の都合のいい言葉が作られてしまう。意味のわからない映像でも、そのまま受け入れ、わからなければ、さらに質問するという繰り返しなんだろうなというところまではわかった。昨日、ハイアーセルフに質問して見た。「もののあはれ」というのをわかりやすく教えてくれませんか。今、原稿を書いていて苦戦しているテーマなのだ。インターネットでいろいろ調べたり、本を読んだりするのだけれども、ぴたっとはまるものがないのだ。さて、どんな形でその答えがくるのだろう。自分の意識では答えが出せないのだから。そしたら、思わぬ形で答えはやってきた。ぼくの部屋の入口の脇に、小さな本箱が置いている。けっこう、たくさんの本が詰まっている。意味なく適当に並んでいるのだが、ふっと目についた本があった。2年ほど前に買って、読むこともなく、ずっとそこに置かれていた本だ。「かなしみ」をテーマにしている本だから、「もののあはれ」についての記述もあるかなと、わずかな期待はあった。それを手に取った。そして、目次を見ると、何と何と、「もののあはれ」のことが書かれているではないか。それもけっこうページをさいている。そこを読むと、何と何と、ぼくがもっとも必要としていたことが、わかりやすく書かれているではないか。「「かなしみ」の哲学」(NHKブックス)たまたまとか偶然として片付けることもできるけれども、ひとつには、ハイアーセルフからのメッセージは、こういう形もありだなと思う。明確なメッセージばかりを求めるのではなく(もっとレベルが上がればそうなるかもしれないが)、身のまわりで起こる現象やひらめきも、一種のメッセージだろうと思う。高江洲先生が言った。「すべてのことは宝物ですよ」理解できないことは捨て去ってしまうけれども、それがいかにもったいないことか、何となくわかった気がする。ハイアーセルフには、どんなつまらないことでも質問していいそうだ。ぜったいに怒ったリしない。もし、怒るようだったら、それはハイアーセルフではなく、もっと低級なものだと思った方がいい。困ったことがあったり、選択を迫られたときには、ハイアーセルフに聞くという方法をマスターすれば、悩みは半減するね。そして、それが自分の使命を果たすための近道にもなるはずだ。ちょっとだけ、コツをつかんだかなと思っている。
2011年01月24日
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江戸時代、儒教が道徳規範だったころ、もっと日本独自の世界観を知る必要があると研究と啓蒙を行ったのが本居宣長だった。歴史で習ったから、その名前はよく知られている。特に、ぼくは三重県の生まれで、宣長も三重県だから、親近感をもって名前を覚えた。しかし、どういう思想で、何をやったのかとなると、授業ではほとんど教えてもらえなかった。本居宣長と国学を線で結べば丸がもらえるという程度の知識だ。「もののあはれ」というのが、彼の思想の重要なものである。これが漠然としていてよくわからない。感じる心のことかなと思ったりもする。たぶん、あの時代、儒教道徳を覚えることに重きが置かれていて、感じる心はあまり重視されてなかったんじゃないだろうか。今でも同じ傾向がある。知識は詰め込んでも、感性は磨かれていかない。宣長は医師だった。人の命を預かる者にとって、知識は大切だ。しかし、知識だけでは医師とは言えない。人間の心の機微に敏感であらなければならない。彼は、そこに気づいて、日本の古い文学を研究し、そこに「もののあはれ」を感じ取ったのだろう。そんな気がする。なかなか奥深くて、ぼくには手に負えない部分があるが、非常に興味深い人ではあるな。安藤昌益も、なかなか手に負えないが、面白い人だ。
2011年01月23日
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「家は港みたいなものです。安心して帰れる港があるから、船も出港できます。子どもたちも、安心して帰れる家があれば、安心して外へ出られます。不登校とか引きこもりの子というのは、家を一歩出たら、もう帰れなくなるのではという不安をもっている場合がけっこう多いんですよ」昨日は、そんなことを教えてもらった。わが家の長女の場合、学校や友だちなど、外部に原因を求めてきた。それはあったと思うが、安心して出港できる家ではなかったのかもしれないというのは、考えてもみなかった。取り立てて、特別なことがなくても、小さなことの積み重ねで、彼女なりに不安を感じる要素が、家の中にあったのかもしれない。今、彼女が、生き生きとしているのは、それがかなり解消されたからだろうか。三女が、週に1度くらいに割合で休むようになっているが、彼女も、家庭内に不安を感じているのかもしれない。三女にとっては、学校は、苦手な勉強をさせられる居心地の悪いところだ。家へ帰れば、勉強のことも言われないし、安心してごろごろしていられる。いい港だったのだろう。しかし、このごろ、何も言わなかった父親から、宿題のことをうるさく言われるようになった。横に座って、やり終えるまで見張られていることもある。片付けろと、うるさくも言われる。なんだか居心地が悪いなということかもしれない。お父さんは、宿題をしない自分が嫌いなのかもしれないと、彼女は思っているかもしれない。お父さんに嫌われたら、私は家にいられないかもしれないと、潜在意識の中では思っていたりする。すると、家を出ると帰ってくる場所がなくなるかもという恐怖が芽生える。それなら、出ない方がいいということになる。あくまでも、深い意識の中でのことだから、いくら話しあったって答えは出ないが。そんな理屈なのだろう。この説に、ぼくは納得しているわけではないが、その視点から見てみることも必要なことだとは思う。と言うか、外の環境はそう簡単には変えられないのだから、港である家庭を見直すきっかけとしてみたい。家庭とか家というのは面白いよね。ぼくも家内も娘たちも、一日の仕事なり学校が終われば、何の疑問もなく、ここへ帰ってくるんだもの。「なんで、自分はいつもあそこへ帰るんだろう?」って疑問を感じないのかね。ぼくも、感じたことはないけど。家庭って、不思議なところだなあ。
2011年01月22日
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次女は、何事も順序立てて考え、納得して動きたいタイプ。将来のこともそうだ。今は、スタイリストになりたいと言っている。自分がファッションのことにとても興味があるから。親から見ると、とてもいい選択に思える。なかなかいいセンスを彼女はもっているから。「スタイリストになるにはどうしたらいいの。高校はどういうところへ行けばいいの」と、よく質問してくる。これから、いろいろ調べてあげないと。ぼくは、ファッションには、まったく興味もセンスもない。家内が買ってくれた洋服を、適当に着ているだけだ。だから、次女に、「今度、お父さんの洋服選んでくれよ」と頼んでみた。それも、スタイリストとしての仕事だから。次女に言ったのは、スタイリストというのは、その人に似合う洋服を選ぶだけでなくて、あなたに服をコーディネイトしてもらって、その洋服を着て、幸せな気持ちになれるようにしないといけないよということ。スタイリストも、ヒーラーでありセラピストなんだよね。家内が、来年には独立してサロンを立ち上げるというプランをもって動いているけど、3人の娘が、長女はイルカや動物で、次女はファッションで、三女は、何だろうな、彼女独特の癒しのエネルギーでかな、家内をサポートできる体制になると面白いことになるなと思っている。ぼくも、もちろん、文章を書くことで役に立つだろうと思う。そんなことを思ったりもしているのだけれども、要は、子どもたちがどう考えるかで、親の思い通りにはいかないものだということはよくわかっている。だけど、大きな流れはそんな方向に向かっていると、ぼくは感じている。
2011年01月21日
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家内が、「ほら、あのつぶれてしまった出版社から出した本、何だっけ?」と、突然聞いてきた。つぶれてしまった出版社ねえ。なつかしいよ。「わがままなあなたがいちばん」という短い物語を、絵本の形式で出したことがあった。本はできたのだが、そのあと、原稿料の振り込みがなかなかない。どうしたのだろうと思っていたところ、会社がつぶれてしまった。結局、原稿料ゼロの仕事だった。本棚を探して、やっと1冊見つけた。17歳の女の子が主人公。彼女は不登校で、親とのこと、学校のこと、将来のこと、いろいろと悩みつつも、ある夢がきっかけで、きちんと自分なりに答えを出すという話。あのころ、まさか、自分の娘が不登校になるとは思ってもみなかった。一度、長女に読まそうと思っている。どんな感想を語ってくれるだろうか。次女は、昨夜、その物語を読んで、「すごく良かった」と、感動してくれた。ああいった小説形式というのは、ぼくには向いているのかもしれないと、改めて思った。今は、ソフトボールの物語を書いているところだ。第一話は、作家になりたいと思っているキャプテンの話。不思議な体験で、彼女は夢をかなえ、作家になった。現在と未来を行ったり来たり、ちょっとせわしないけど、なかなか面白く書けた。そして、第二話は、チームの柱である四番キャッチャーの女の子がモデル。語りは、作家になったキャプテン。あるとき、一人の転校生が入部する。ある強豪私立中学校でソフトボールをやっていた子だ。その子は、とても生意気で、性格が悪く、みんなを見下して、総すかんを食らう。ポジションはキャッチャー、バッティングも四番を打てるほどの力がある。四番バッターに宣戦布告。そんなときに、四番バッターがけがをしてしまう。控えのキャッチャーはいない。そこで、転校生がキャッチャーに。技術はあるけど、ほかのメンバーとの間に深い溝があって、チームはばらばらになる。そんな中で、彼女の心の闇が少しずつ明らかになってくる。なぜ、そこまで挑戦的な態度をとるのか。みんなと協調しようとしないのか。父への反発もあったりする。それが、次第に解決していくところが、感動のシーンになっていくはずだ。クライマックスでは、四番バッターの子に、長セリフを言わせよう。みんなが息をのんで聞けるセリフにしないと。そして、そこに絡んでくるのが、不思議なお守りの話。間違いなく面白い話になるぞ。本になるかどうかはわからないので、ホームページで紹介するとか、発表の仕方は考えてみたいと思っている。
2011年01月20日
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天外伺朗さんにお会いした(真氣光の機関誌の対談)。なかなか会えないと思っていたのだが、ヨガの龍村修先生の紹介で、対談が決まった。もともとは、ソニーの技術者で、CDとかアイボを開発した方だ。父親が不思議な能力者だったことから、目に見えない世界にも触れることが多く、科学という分野と、目に見えない世界の両方を視野に入れて、ビジネスの世界でがんばってきた。今は、医療、教育、経営という3つの分野に、新たなる価値観を植え付けようと、精力的に活動されている。ネガティブなものというのは、われわれは、なるべく見ないようにしてしまうが、そこにふたをしてしまうと、一気に、そのエネルギーはモンスター化するのだそうだ。たとえば、死についても、病気になったとき、どうしても死を怖がってしまうが、怖がる自分も含めて、そこから逃げないで、真正面から向かい合うことで、モンスター化は防げるのだそうだ。モンスター化を防ぐどころか、そこから、重要な意識の変容を得ることもできると言うのだ。だから、病気になるのはチャンスだよ。そういう医療があってもいいんじゃないのという考え方だ。教育は何をすべきか。それは、「生きる力をつける」ことだと言う。今の教育は、「生きる力とは」という論文でいい点はとれるけれども、本当に生きる力がつく教育ではないというのが天外さんの意見だった。東京シューレというフリースクールの草分け的な学校があるが、そこは、東京シューレ葛飾中学という学校を設立したそうだ。中身はフリースクール、それで学校としてきちんと認められている。そこへ通う不登校だった中学生が、いかに生き生きとしているか。そこに、生きる力を養う教育があると、天外さんは言っていた。一度、見学に行ってみたいものだ。3月6日、ぼくの誕生日だが、浜離宮朝日小ホールで、天外さん、帯津先生、龍村仁さん、池川明さんによる、講演会がある。いのちが躍動するとき
2011年01月19日
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長女は、おかげさまで、適応教室へ毎日通い、受験に対しても前向きな気持ちになってきている。彼女は言う。毎年、イルカと泳ぐことで、一年分のエネルギーを蓄えるんだと。だから、今年も、小笠原へ連れて行ってくれないといけないよと、プレッシャーをかけてくるのだ。今年は、小6になる三女も行きたいと言っている。長女が、あおっているところはあるけれども、徐々にその気になってきている。長女は、もう世話もかからないから(荷物を運ぶのはお父さんの役割だが)、三女が一緒でも大丈夫だろう。三女にとっても、何かいいきっかけになるといいなと思う。今日は、長女が具合が悪いとベッドから出てこない。前みたいに、学校へ行きたくないという精神的なものが体調の悪さにつながっているということではないと思う。昨日、インフルエンザの予防注射を打った。さっき、適応教室の先生に電話をしたら、先生の娘さんも、翌日は気分が悪くなって学校を休んだそうだ。一種の副作用だね。ぼくは、予防注射というのは、あまり好きじゃないけど、今年は受験なので、一応は、受けさせてみたわけだ。テレビを見ていたら、インフルエンザばかりではなく、ノロウイルスも、何とか肺炎も、いろいろな感染症がはやっているらしい。インフルエンザにならなければいいということではない状態だ。とにかく、基本的な免疫力、生命力をつけないと、生きづらい時代になってきた。健康ばかりではなく、経済も、政治も、教育も、生き方も、小手先ではごまかせなくなりつつある。その根底には、自分がどう生きるのか、しっかりした土台が必要なのだろうと思う。今日もいい天気だ。きっといい一日になるはずだ。
2011年01月18日
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家内は、毎日ブログを書くと心に決めて、実際に、遅くに帰ってきても、がんばって書いてから寝ているみたいだ。http://plaza.rakuten.co.jp/onmi924ぼくは、夜は苦手なので、先に寝ているが。リーディングによると、来年は、独立するのに一番、いい時期なのだそうだ。この何年間か、その準備をしてきたのだろうと思う。自分のひどい鞭打ち症が、真氣光で治ったのがきっかけで氣の勉強をし、そこで、自分に中にあった意外な能力に気がつく。それから、出産、子育てを通して、さまざまなことを学び、経済的に大変だった時期もあったし、母親の目が不自由になって、さらに脳こうそくで倒れて、ずっと介護に通っていたときもあった。先行きが見えずに、イライラした時期もあっただろう。しかし、それが、ヒーリングという世界で生きて行くには、大きな武器になるのだ。子どもの不登校で悩んでいる親がいれば、彼女なら、自分がとことん悩んだから、適切なアドバイスができるだろうし。家内の独立に向けて、今年は、彼女と一緒に本を作ろうと思っている。家族をテーマにした、きれいごとではないものを、うまく表現できたらいいなと思っている。だって、長女が学校へ行きたくないと言い出したとき、理屈では割り切れない、どうしようもないネガティブな感情が湧きあがってきたもの。今になれば、あれも意味があったと言えるけれども、渦中にいるときには、そんな余裕などなかったね。これは、一部の達観した人、鈍感な人をのぞいて、ほとんどの人が感じるものだと思う。これを本にするのは、立派な意味があると思う。去年から、自分の本ということで企画を出していたが、もうひとつ、ぱっと決まらない。それは、家内を巻き込んだものにしろということだったのかもしれない。数日で、企画書を仕上げようと思う。
2011年01月17日
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原稿用紙10枚書くというノルマ。曲がりなりにも何とか続けている(休みの日もあるけど)。ここで大事なのは、たとえば、午前中に10枚を書き終えたら、もう書かないということ。ついつい、10枚書いたら、もう10枚書くかと欲張ってしまうが、それをやると、このノルマの意味がない。つまり、10枚書いたことで、仕事は終わったと自分にインプットする。つまり、一日のメリハリをつけるのだ。10枚書いたら、ほかのことをやる。仕事の準備の資料整理でもいいし、読書でもいいし、掃除でもいいし。なんでもいいから原稿書き以外のことをやる。おとといは、「メモリー・キーパーの娘」という映画のDVDを見た。なかなかいい映画だった。ある整形外科医が、妻の出産に立ち会って、双子を取り上げる。しかし、後から生まれてきた女の子(男の子と女の子の二卵性双生児だった)は、ダウン症だった。それで、その医師は、看護師に、そのまま施設へ預けてきてほしいと頼む。しかし、看護師は、それが忍びなくて、医師に内緒で自分で育てることにした。医師としては、将来、自分の家族に不幸をもたらせるかもしれない要素を取り除いたわけだが、実は、そんな単純に物事は運ばず、どんどんと家族は壊れていく。メモリー・キーパーというのはカメラのことらしい。その医師の趣味がカメラで、娘を捨てたという彼の思いが、彼の撮った写真には残されていたということになるのかな。都合悪いと思う事を捨てて、これで安心だと思っていると、思いもよらぬことが起こってきて、それが自分や周りを振り回すことになる。自分に都合の悪いことは末梢してしまえという考え方そのものが、不幸の大きな原因かもしれない。
2011年01月16日
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気が重くて、なかなかやる気になれないことへの対処の仕方。一つ目は、やめてしまうこと。いつも、今日はどうしようかと、迷っているなら、もう潔く、ぱっとやめてしまう。すっきりするものだ。もうひとつが、本気になって取り組むこと。中途半端にやっているから、迷いが出るわけで、腹を据えて、全力で取り組んでみる。このどちらかだね。どちらにするか、早めに決めて、決めたらすぐに実行する。それが一番だ。
2011年01月15日
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病気の妻を看取るという物語がはやっているようだ。「死にゆく妻との旅路」という本を読んだ。知り合いの保証人になって大きな借金を抱えてしまった男が、がんの妻と一緒に、車で旅に出る。お金がないから、車で寝泊まりしながら、あちこち行くんだけど、彼らは、苦しかったと思うし、悩んだと思うけど、中身の濃い数カ月を過ごしたのだと思う。結局、妻は、車の中で息を引き取り、夫は、不審死ということで、警察に調べられる。病院で、管だらけになって死んでいくというのは、やっぱり味気ない。どういう死に方をするのか、これから、考える人は増えてくるだろうな。映画でも、「妻にささげた1778話」というのが今日から始まる。がんの妻に、1日1話のショートショートを書いた眉村卓さんの実話。最高の妻へのプレゼントだろうな。これからは、夫婦や家族がキーワードになってくるだろうな。そこに、死が絡んでくるのかな。
2011年01月14日
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30年以上も前、ラグビーの試合中に手首を骨折した。それが50歳過ぎてから痛み出して、今は腕立て伏せができないし、ときどき、何もしていないのに、ずきずきと痛むことがある。三女が足にけがをして整形外科へ連れて行ったので、どうなっているのか、レントゲンを撮ってもらった。そしたら、ちょっとずれてくっついていたみたいで、そのずれが原因で、手首に変形があるのだそうだ。そして、軟骨に負担がかかって、かなりすり減ってしまっていると言う。医者も、「大事に使ってください」としか言いようがないらしい。もし、昔のように、ペンで原稿を書かなければならないと、けっこうきついよね。少しずつ、体に不具合が出てくるのは仕方ない。そんな中で、どう工夫して生きて行くか。それも、大事なことだと思うね。痛みをなくすことも含めて、いろいろと考えてみることにしよう。
2011年01月13日
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週刊朝日に、境屋太一さんが、「好老文化」を確立せよという文を寄稿していた。高齢社会は、ネガティブにとらえられているけれども、それは、戦争とか経済成長といったことに重点が置かれていた時代を基準にしているからだ。年を取れば、運動能力も生産性も低下するのは当たり前。それは戦闘や経済活動にはマイナスだが、プラスに働く面は、いくらでもあるはずだ。血の気が多くて、お金があれば幸せだと思っていた若い時代から、もっと違う生き方、幸福があるのではと考えられるようになった熟年世代への移行だと思う。年をとることは人間として駄目になっていくこだという、大きな勘違いがある。年寄りには年寄りにしかできないことはいっぱいあって、そこに気づいて、エネルギーを注げる人は、まさに生きがいをもった魅力的な年寄りになれる。日本そのものが、成熟した文化を作り、その上で、また、子どもが増えて、若者文化が花咲いていくことが、本当の意味の発展になるのではないだろうか。今日は、娘がけがをしたので、整形外科へ行ってきた。老人が、リハビリにやってきている。確かに、体にガタはきている部分はあるが、まだまだエネルギーは有り余っている。それを上手に使っていくのが、日本の将来の鍵を握っているのではないだろうか。堺屋さんが言うには、昔は、年寄りというのはだいたい偉い人のことで、相撲でも引退して指導者になれば年寄りだし、幕府の幹部は、大老だったり老中だったり、若年寄と呼ばれた。企業も、お金もなく人数も少ない若者を相手にしていては伸びるはずもなく、高齢者が喜ぶような商品やサービスを開発していかないと。日本は、どうがんばったって、高齢社会であることは間違いないので、その中で、日本らしい文化を作り上げていくこと。これからは、それしかないと、ぼくは思う。
2011年01月12日
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娘が東野圭吾の本にはまっている。今は、「白夜行」という分厚い本を読んでいる。冬休みに買って、本棚に置いたままになっていた「白銀ジャック」をこっそりと借りて、今朝、読み終わった。100万部も売れている本らしい。スキー場に爆弾が仕掛けられて、脅迫状が送られてくるという話。なかなかスリルがあって、本がとじられない。ただ、最後はちょっと物足りなかったかもね。だけど、東野圭吾は、中毒になるところはある。ぼくも、「白夜行」は読んだから、今度は、「幻夜」かな。何年か前に読んだことがあるけど、忘れてしまったから、もう一度読んでみようと思う。
2011年01月11日
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今日は成人式だ。成人式というと、やっぱり1月15日だな。ラグビーの日本選手権があって、国立競技場には、着物姿の女性がたくさん来ているというのが、風物詩だった。まだ、日本選手権が、社会人1位と大学1位の間で行われていたころ、毎年、1月15日は、国立競技場に行っていた。仲間の分まで、並んでチケットを取ってね。懐かしい時代だ。今は、娘のソフトボールの応援。この間は、行けなかったけど、娘が1試合投げたらしい。なかなかいいピッチングをしたと、応援に行った父兄の方からメールをもらった。1年生だから、まだどこへ行くかわからないへろへろ球だけど、それでも、一生懸命に練習している分は、成長しているようだ。今日も、これから応援に行ってくる。
2011年01月10日
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家内がブログを再開した。ヒーリングの世界に入って20年になると言う。交通事故でむち打ち症になり、どんな治療を受けても治らなかったのが、中川先生の治療で一発で治ってしまったことがきっかけだった。伊豆下田で行われていた真氣光研修講座(当時は、氣功師養成講座)に参加し、自分の中にあった、スピリチュアルな能力が目覚めた。ぼくが、スピリチュアルな世界に足を踏み入れたのは1988年のこと。中川先生との縁だった。今年で23年目だ。ちなみに、1988年というのは、マー君や斉藤祐樹の生まれた年だ。中川先生というのは、すごい人で、奇跡的な治癒や霊的な現象を、山ほど見せてくれた。下田や生駒の合宿には、ありとあらゆる病気の人がやってきた。担架に乗せられ、あと1週間しか生きられないと言われましたというような重病の人までやってきた。そういう人が簡単に治るわけではないが、1週間後に笑顔で帰って行って、翌月の合宿に顔を出すようなこともあった。結果的には亡くなるわけだが、延命したことばかりでなく、最後の数カ月で、その人は、それまでとはまったく別人のようになり、小さな悟りを得て旅立っていくのだから、これは奇跡と呼べると思う。病気が治るとか治らないを超えた、命の在り方のようなものを、さまざまな現象の中から見ることができた。憑依している霊との対話というのも、たくさん見ることができた。ある霊的なセラピーをやっている知り合いが、クライアントが無意識の中で、暴れ出したり、不思議なことを言い出したと、興奮しながら語ってくれたことがあったが、ぼくにとっては、さんざん見てきた世界でもある。「すごいですね」と相槌は打ったけれども、どこかで、「よくあることさ」と冷めた感覚をもってしまう。それに加えて、帯津先生の達観した人生観の影響も受けているから、ぼくは、非常にいいバランスで、スピリチュアルな世界を学べたと思う。これからは、その実践となる。自己探求というセミナーで、自分の使命を知るというトレーニングも受けている。非常に難しいテーマだが、少しずつ高めていきたい。
2011年01月09日
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熱が出て、寝たり起きたりだった。起きている時間も、なんだかぼーっとしている。せっかくだから、見ていないDVDを見ることにした。「最後の初恋」という映画。旦那が浮気をして出て行き、難しい年頃の長女と、ぜんそくの持病をもつ長男と暮らす女(ダイアン・レイン)と、優秀な外科医だが、手術中に患者が亡くなったことが原因で、同じく外科医だった息子と仲たがいしてしまった男(リチャード・ギア)。海辺のホテル。オーナーに頼まれて、女はたった一人で留守番をし、そこへやってきた一人だけの客である男。それぞれ、自分の事情を打ち明け合い、嵐の夜に、恋に落ちる。悲しい最後が待っていたけれども、それでも、お互い、着陸に向かっていた人生が、再浮上する喜びを感じあう。単純な話だけど、こんな出会いがあったら、どんなにか心がわくわくするだろうかと思わせるものはあった。でも、実際にああいう場面になっても、そのまま通り過ぎていくという気がする。確かに、恋は、若者だけの特権ではない。いくつになっても、理屈を超えて、恋心は芽生えてくるものだ。それをどう表現してくか。なかなかコントロールできないのが常だが、それを無縁のものと、放り投げてしまいたくはない。すてきな女性に出会えば、行動はできなくても、恋ができればいいなと思うな。大人の恋は、プラトニックラブではなく、プラトニウム(プルトニウム)ラブと言うらしい。ちょっとしたきっかけで、原爆になってしまう。
2011年01月08日
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昨日は、早速、仕事の電話があった。今年は、仕事の内容が、少し変わるんじゃないかなと思っていた矢先だ。詳しい内容は聞いてないが、面白い話だと思う。まったく新しいつながりだし。なんだかんだ、声をかけてもらって、ありがたいことだ。こんな調子でやっていけばいい。ただ、今までと違って、自分の作品作りをやるというのを忘れないようにしないと。1日10枚、原稿を書くというのを、そろそろ復活させないと。正月はすっかりさぼってしまった。
2011年01月07日
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この正月はゆっくりとさせてもらった。姪っ子が結婚したので、若夫婦との食事会もあった。若者はいいね。自分もそんなに昔のことではないような気もするけど、20年も前だからな。温泉も行ったし、ごろごろもしたし、同級生とも飲んだし。こんな正月もいいもんだ。
2011年01月06日
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年末は、札幌に行って、おじいちゃんが、定山渓の温泉へ連れて行ってくれたので、そこで1泊、ゆっくりとした。そして、31日は札幌国際スキー場へ行った。久しぶりのスキーだった。娘たちは、初めてのスキー場で、転んでばかりだろうと思っていたが、なかなかの上達ぶりを見せてくれた。特に、次女はとてもバランス感覚がいいので、すぐにうまくなって、初級者コースなら、転ばないでずっとすべってこられるようになった。長女と三女は、最初はだめだったが、ずいぶんとうまくなった。もう一回行きたいと、楽しさがわかったみたいだ。ぼくは、ひざと太ももが痛いよ。でも、思ったより楽しかった。来年は、もっと時間をかけて、ゆっくりと遊びたいものだ。
2011年01月02日
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あけましておめでとうございます。今年がみなさまにとって、すばらしい年になりますこと、心より祈っています。ぼくにとっても、いい年であることを、祈ります。いろいろあると思いますが、一つ一つ乗り越えて、また、気持ちのいい年末を迎えたいと思っています。今年もよろしくお願いします。
2011年01月01日
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