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ゴミ出しに行くと雪が舞ってました。道理で寒いはずです・・・ 大寒の真っ最中、今日で一月は終わり、速いですね~ お正月を迎えたと思ったらもうひと月が経ちました。 カレンダーの立春はすぐそこです。でもまあ先のことは考えんとこ! ところで、この日記も今日で開設以来3094日目です。記入率は99.1% ですから3066回目ですか。2006年8月12日スタートですから9年目に なりますね。 まあ、長い間続いたもんです。これも多分身体まず強健にして弱い胃を だましだまし、神経が鈍感でおおさおおさの性格、ちゃらんぽらんとも言う。 そんなことで続いているのだろう。後は意地と惰性です。それだけのこと。 2006年と言えば丁度仕事を辞めた年。さあてこれから何をすべえ~と考え 取り敢えずブログでもすっかと始めたのがエンエンと今日まで・・・ 仕事上英文タイプをやっていたのでパソコンは馴染みがあった所為もある。 何を書くべきかのテーマが一番の問題。これが難儀ですが、図書館で借りた 本やら手持ちの広辞苑などをめくりながらタイトルを見つけます。 それも出来るだけキャッチフレーズで訴求力のあるものを探します。 例をあげると「品のはなし」「界隈と横丁」「みだしなみ」「ニオイの事」 「恋にやぶれた」「たかが遊び、されど・・・」とか、読んでくれる人がナニ ナニ、どれどれ・・・と膝をのりだすテーマがいい。 日本語は幅が広いから便利ですね~、表現の仕方がいくらでも出来る。 仮名もひらかな、かたかながあるし、漢字もある。この漢字がいいですね~、 奥が深い。四文字熟語なんて最高♫ 大好きです。生まれてこのかた、まだ 知らない四文字熟語が出てきます。例えば、倶会一処(ぐえいっしょ)とか、 明窓浄机(めいそうじょうき)、落葉帰根(らくようきこん)など、これらは 最近読んだ本に出ていました。新しい知らん言葉が出てくると必ず書き 留めておきます。 知らなくてもいいのですが日本人として知ってた方がいいので調べて覚える 努力をする。うわあ~こんな言葉があるんだとこんちくしょうと思うのです。 まあそんなことで駄文拙文をエンエンと書き続けているわけであります。 皆様どうぞこれからも序ででいいですからお付き合いくださいね。それと 外野で電柱やら木に登って球場を覗き込んでいる方々もどうぞよろしく。
2015年01月31日
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虹の架け橋とか橋には夢がまつわる。ロマンといえばロマンである。 徳島県鳴門海峡にかかる鳴門大橋、瀬戸の渦潮をひとまたぎ。奈良県 は十津川の谷瀬の吊り橋は全長297mもあり高さは熊野川の水面から 54mもある。 大のタイガースファンであった故国際政治学者の高坂正堯先生は高所 恐怖症でその先生が阪神が優勝したらばあの谷瀬の吊り橋を渡って見 せると見栄を切った。そして1985年に阪神が奇しくも優勝を果たした時、 先生は意を決して渡ったのであった。恐る恐る・・それでも阪神の優勝 が嬉しくて嬉しくてと後日テレビで話ていた。 私も3~4年前に十津川温泉に行く途中でバスがその橋の所で小休止 するから渡ってみたが途中で目がくらんで引き返してきた。あの吊り橋は 高くて揺れるし私にはふさわしくないと思ったのである。 この私も何を隠そう、大の高所恐怖症で高い所は下から見上げるだけで 足がすくむ。スカイツリーなどとんでもない、何故あんな高いものを作って 喜んでいるのだろう。私は金輪際そばに寄ることもない。だからとび職の 兄ちゃんがヒョイヒョイと遥か工事中のビルの高所を鳥のように渡っている のを見ると唯々尊敬するのである。 行きつ戻りつ思案橋。あのクワイ河マーチで有名になった戦場にかける橋、 明日に架ける橋、橋はあっちに渡りたい希望である。だからロマンと言って いいだろう。 日本の架橋の技術は素晴らしい。トンネルの穴掘り技術も凄い。お隣の国 の様に崩落するようなことはない。これからもどんどんと橋を作って行って ほしい。高いビルやタワーは要らんから。
2015年01月30日
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完敗に近かったですね。第三セットからリカバーするかと思っていたけど 相手を突き崩すことは出来ませんでした。昨年の覇者の前に本来の実力 を発揮することなく準々決勝で姿を消しました。 出だしから硬くなったのか凡ミスが多くネットに引っ掛けたり相手コートを オーバーしたりでそれまでの四試合とは見違えて悪かった。サービスエース も少なく相手のワウリンカにとっては楽だったろう。 一方のワウリンカは全米オープンで負けた反省を生かし錦織の試合運びを 読んでいたみたいだった。それに右手一本のバックハンドが良くて強い打球 が錦織陣に突き刺さった。それとサーブ、ファーストサーブの成功率が高くて 最速220キロを錦織くんは殆ど打ち返すことが出来ず失点を重ねた。 錦織がたまに見せるドロップショット(相手陣に軽く落とす)も読まれていて 殆ど拾われた。第三セットに入って錦織くんは得意のサーブ&ボレー(サー ブで相手を崩しネット際で勝負する)を多用して得点を重ねたが願わくば 第一、第二セットからそれを使って相手をかく乱すべきではなかったか。 今回の全豪オープンは負けたが昨年の全米オープンでは勝っているのだし 今年も全仏、ウインブルドン、全米とメジャートーナメントがあるし25才の 若者には洋々たる先がある。反省し研鑽し、現在の世界ランキング第5位 から更に頂点目指して期待に応えてほしいものだ。 準々決勝までの四試合、スペインのアルマグロ選手、クロアチアのドデイグ、 アメリカのジョンソン、スペインのフェレールを次々に破った試合は日本中を 湧かせてくれた。 大騒ぎして格下のUAE(アラブ首長国)に負けたサッカー に比べたらどれだけスポーツファンを楽しませてくれたか。立派だった。
2015年01月29日
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布団の温もりから出られず、もう五分あと十分とダラダラ、とうとう結局は 七時半に諦めて布団と決別。 布団の温もりが恋しい季節である。 カーテンを開くと陽光がキラキラと・・もう少しで立春だから寒気はあっても ひと頃より暗い感じはないみたい。 新聞を開くとまた殺人のニュース。名古屋では名門名古屋大学の女子学生 (19才)が同じマンションの77才の女性を殺害したという。何やしつっこく 宗教への勧誘をされて腹立ったという。「一度人を殺してみたかった」と言う から恐ろしい。それも恐ろしいが宗教への勧誘もしつこさが度を越すと困った ものである。自分は自分、他人は他人なんだから勧誘も大概にするもんだ。 私の姉の一人も宗教に入信し他の姉をしつこく誘い断られて姉妹の仲が絶縁 状態。宗教というのは仲間を広げ布教することを義務づけられているみたい だが新興のものは殆ど教祖様への貢物が増えるだけの様だ。信ずる者は救わ れると言うが信ずる者は嫌われると置き換えてもいい程人間が変化しちゃう。 亡くなった桂枝雀さんの落語にある様に「あなたはあなた、わたしはわたし、 わたしはあなた、あなたはわたし」 なにか訳のわからん様な話であるが 他人(ひと)のことは放っといてほしいものだ。 もう一つのニュースは13才の男子中学生が16才の男子高校生を撲殺したと 言うニュース。昨日のこの小欄でも似たような話を取り上げたが何と短絡なと 呆れ果てる。多感で揺れ動く年代だから何らかの齟齬(そご=食い違い)でも あったのか撲殺すると言う結果を招くのは素手ではあるまいし尋常ではない。 素手で張った、殴った、足で蹴ったくらいでは死に至ることはないからきっと 何か道具を使ったのだろう。 我々だってそんな時代、殴り合いの喧嘩をした事もあったが、どこかが切れて 血がでたり顔面が腫れ上がったりしたことはあっても打撲傷とかそんな程度で あった。時代が変われば喧嘩もこんな生死につながるのだなあと複雑である。 さて今日はそんなニュースは忘れて、全豪オープン準々決勝、我が錦織くんの 登場だ。これまで4試合全部中継を楽しませてもらった。今日の相手は昨年の 全豪オープンの覇者スイスのワウリンカ選手である。ランクは錦織くんより上 であるが昨年の全米オープンで4時間半の熱戦で勝利している相手だ。 絶好調同士の対戦だから今からワクワクしている。 サッカーが呆気なく格下に負けたが同じオーストラリアの舞台で錦織くんは 期待に違わず日本のファンに応えてくれている。有難い、嬉しい活躍である。 ガンバ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~レ、ニ・シ・コ・リ エイエイ、オ~!
2015年01月28日
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結婚しているのに独身と偽り相手に近づいて関係をもつ。どんな人間 なんだろうと思う。 つまりは道徳観念がなく右脳だけで動く感覚人間 なんでしょうな。 或いは同時期に二人と並行恋愛をするヤカラ。これ は男だけでなく女にもいる。どっちにしようかな~と迷っているうちに どんどんと深みにはまって行ってにっちもさっちもいかなくなる。 そこで痴情事件に発展する。大体に於いて優柔不断で右脳だけで動く 人間にはそうしたことが起こり易いのではあるまいか。しっかりと理性で 行動できるタイプはケジメがつけられるから痴情のもつれなんて起こらな いだろう。 近頃は貞操観念が希薄で低俗な雑誌などのメデイアが囃し立てるのに 影響されて簡単に同化されている。もっと人間、左脳を働かせてしっかり した考えを持つことだ。そうすればダメージを受ける前に関係を断ち切る 事だってできるしそれ以前に相手を見抜く力も備わるというものである。 簡単に深入りするからどうしようもなくなりバカな事件に巻き込まれる。 それと近年顕著な事は簡単に殺人行為を犯す風潮。これは時代性もあり アニメとか漫画とか卑近にそんな殺人場面が堂々と露出されているから 右脳人間は簡単に自分に置き換えてしまう。架空と現実がゴッチャに なる単細胞がいっぱいいるのである。 もっと、ブスッ、ドスッ、ババ~ン、 ギャ~を規制すべきではないのか。余りに放縦で野放しすぎる。 何だかムチャクチャ腹が立ってしょうない、誰かを殺(や)らないと気が済ま んとか言って無差別に刃物を振り回して周りの人を殺傷したバカもいた。 一体他人(ひと)を殺めたら捕まって自分も破綻することが読めないものか、 右脳人間は感情が高じてそれどころでなくなる。手に負えない人間が増殖 している。 我々だっていつそんな災禍に巻き込まれないとも限らない。 恐ろしい世の中である。
2015年01月27日
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大寒の真っ最中で寒威酷烈。古いですなあ~、この言葉はこう使います。 「気候は冬季寒威酷烈にして春季四月の候まで山上雪を頂き・・・」とか。 昔の人、特に明治・大正の人たちはこんな言葉をよくよく使ったものの様 です。夏目漱石、森鴎外、谷崎潤一郎などそうそうたる明治の文豪たちは。 この時期春はまだ遠いようですが梢(こずえ)によってはもう小さな青い芽 を蓄え花の準備をしている木々もあります。生命の息吹は外の寒さとは別に 体内で着実にその準備をしているのです。 冬至を過ぎてからは少しずつ日足はのびている。近くの雑木林はまだ蕭条 として葉を落とした侭の姿でいる。立春(節分)ももう十日足らず陽射しも 少しずつキラキラと明るくなり気温も一度、二度と上がってゆくでしょう。 北国にいた頃はこの時期はまだまだそれこそ寒威酷烈で吹雪や豪雪で人々 は家中で蟄居を余儀なくされることが多かった。生活が自然の厳しさに押し 込まれひたすら春の訪れを渇望するのみである。二月三月とそんな厳冬の 時期を通り過ぎようやく春の兆しを感じるのは三月末から四月に入ってから である。 四月に入ると気温が温(ぬる)む日が多くなり雪が溶け始めるのである。 三月の卒業式と四月の入学式はそんな季節の変わり目にあるから人々の 別れと出会いは自然の起伏と深く関係しているもののように思った。 「蛍雪時代」という本がなつかしい。受験に深く関わった雑誌である。 あれはもうないのであろうか。ないのだろうなぁ~本屋でお目にかかった ことがない。多感な青春時代の象徴のようだった。岩波書店という出版社 も聞かないからこれもなくなったのであろう。時は茫々である。
2015年01月26日
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「老兵は唯、消えるのみ」と言ったのはマッカーサーであったか? 政治でもスポーツでもどんな業界でも世代交代は必要だと思う。 いつやるかが問題で、長嶋でも王でも潔かった。阪神の金本は潔よく なかった。晩節を汚すという言葉を貰ってはいけません。 サッカーのアジア予選で日本はUAE(アラブ首長国)にPK戦で破れた。 一番手の本田が外し最後は香川が外して万事休す。ご覧になった人は 多いと思うけど日本は圧倒的に押していた試合。シュート数が日本35本 に対しUAEはわずか3本で延長戦を含め120分戦い1:1でPK決着。 FIFAブラジルで負けた反省が生かされていなかった。監督ザッケローニ からアギーレに替わって一からのスタートだったが出場メンバーは殆ど 代わり映えしなかった。相変わらず本田だ、香川だ、長友だ、長谷部だ、 岡崎だ、川島だ~と同じ顔ぶれ。アギーレにとっては初めてかも知れない が期待して見るファンからすれば新鮮味のないメンバーばかり。 予選3試合で交代の3人も同じ選手。何のためにベンチに他の選手がいる のかさっぱり意図が分からん。勝ちたいのは分かるが各試合11人のうち 半分は新メンバーを試すくらいでやってほしかった。 もう本田、香川、長谷部などなど外してもいいだろう。新生ニッポンを目指し てはどうだ。世代交代をスムースにやっていかなければガタンと落ちる時期 がやってくる。 プロ野球でもそう、V9時代の巨人を参考にしても分かる。 八百長疑惑のアギーレを切ってそろそろ日本人の監督に変えてもいいの ではないか。 政治でも70才過ぎて80才近くまでもしつこくしがみついているのがいる。 後援会や事務所の人たちの延命もあるだろうが一般の退職年齢と近い ところで潔く後進に道を譲ってほしいものだ。それも世襲でなく他人に! 特にサッカーの世代交代は急務だろう。「昔の名前で出ています」は要り ません。下克上、新陳代謝、元気のいい若い者に替えていってほしい。 我が阪神タイガースの監督も「昔の名前」を頼りにする傾向がある。 アタマのいい監督なら”帰納的思考”(過去がそうであったからこれからも そうだろうという考え方)ではなく”演繹的思考”(原理原則に基づきそれを 重視した考え方)を採用するだろう。新人たちの能力を見抜き彼らに期待 をかける登用の仕方である。 あの監督じゃ、できないだろうなあ~!
2015年01月25日
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昨日午後2時50分が72時間拘束期限の筈であったがその後の成り行き が不明である。どうなったのだろう、説得工作が成功したのだろうか? イスラム国による日本人、後藤健二氏と湯川遥菜の二人の行方。 人騒がせな大迷惑な話である。後藤健二氏は全ては自己責任だと言って 危険なシリアのアレッポに入ったという。湯川遥菜なる男はそれより先に シリアで拘束されていて行方不明になっていた。この男は軍事会社社長 を名乗る得体の知れないアホだ。フリージャーナリストの後藤健二氏は 報道によると戦争に巻き込まれる人たちの悲惨な生活を世の中に知ら しめるマトモなジャーナリストらしい。 それにしても安倍総理が中東諸国を訪問してイスラエルとパレスチナの 和平を仲介したり、ヨルダンに2億ドルの難民援助を申し出たのが反イス ラムだという理屈はどうしたって理解に苦しむ。人道援助以外のなにもの でもない筈である。 一説には米英の石油施設空爆でイスラム国の収入が激減したのが原因 で人質による補償金収入を目論んでいるというが事実だろうか。 イスラム国と国を名乗ってはいるが国である筈はない。宗教に凝り固まる ゴロツキ集団にしか過ぎない。世界のマトモなイスラム教徒からすれば迷惑 極まりない話だろう。穏健なイスラム教徒は日本にもたくさん居て心を痛め ている。 今回の人質事件で中東訪問に出た安倍総理の行動がその引き金になった という論調があるがこれは全くバカげている。日本の立ち位置を明確にした 歴訪は世界が認めるだろうし、飽くまでも中庸な立場で出来る援助を申し出 たり、イスラエルとパレスチナの紛争回避の仲介をしたりしていたのである。 習近平や朴クネの様に告げ口で他を陥れるような下劣で卑怯な外交でなく、 先進国の一員としての自覚と責任を果たす外交訪問をしていたと私には 思えるのである。 安倍総理の大事な外交日程まで変更させた人質二人であるがなんとか 無事であってほしいと思うのは当然ではあるが、一方では釈然としない。
2015年01月24日
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北海道に住んでいたころ冬になればストーブが必須である。ストーブと 言っても温かい地方の人は分からんかも知れない。暖房用のでもある が、炊事用でもある。今ではガスとか灯油があるけど昔は薪か石炭か どちらかであった。何れにしてもその燃料はどこからか調達(購入)しな ければならなかった。 何年か薪ストーブを使った時代があってその頃は薪割りという仕事が確か 中学生の頃だったと思うがあって大部分私の仕事であった。今の人たちは 知らないと思うが薪割りには鉞(まさかり)と鉈(なた)という道具が 必須であった。 鉞(まさかり) 鉈(なた) 鉞は大きな頑丈な木の株を台にしてその上に輪切りにした木を置き 上段から振り下ろして割るのである。そうしてストーブに入る大きさに なるまで割ってゆく。時代劇など古い映画でそんな場面が出てくるから 憶えている人もいるだろう。あれはかなりの重労働だった。 鉈(なた)はそれを更に細かく切ってゆく時に使う。つまり焚付の時に 火が付き易いように細く切るのだ。焚付にはガン皮という白樺か何かの 木の皮を使った。これはマッチで火がつけやすいのである。新聞紙を丸 めて使う場合もあった。 寒い朝に起きて部屋がまだ冷たい時にストーブに火をつけ暖まるまで、 寒くて大変である。部屋が暖まるまで30分やそこらはかかるからである。 今みたいに冷暖房完備の時代とは違ってそりゃ~大変だった。 極楽とんぼは楽でいいが、人間が軟弱になる。艱難辛苦、臥薪嘗胆は 人間を強くするものである。その割りにはこの私も大したことはないのは 一体どうしたことか・・・
2015年01月23日
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「横丁」というひびきがいい。オモテだってなくて控え目な感じがする。 脇役みたいな感じで表通りの主役を引き立てるようなそんな感じだ。 どこの街でも横丁がある。それは大抵細い路地になっていて毛細血管 のように蔓延っているのが普通である。 そこにあるのは戦後ヤミ市時代から続くのもあれば商店街が出来た 後でアミーバのように派生したものもある。もつ焼き屋とか煮込みおでん とか串カツ、うなぎの肝、ラーメン、カレー屋、一膳めし屋などが軒を連ね たりしている。 だからそんなニオイが入り混じってプンプンと鼻腔を刺激 する。 ところどころに神社の鳥居のマークがあったりして、”立ちしょんべん禁止” などと落書きしてる場所もある。そんな横丁に灯りがともる頃になるとどこ からか一人、二人と仕事終わりのサラリーマンやラッパズボンを穿いた兄 さんおじさんが集まってくる。汁のニオイ、魚の焼けるニオイ、肉の焦げる ニオイ、人の声、さんざめきがどこからか聞こえてくる。 私が生まれ育った北海道の岩見沢市にもそんなところがあった。三条小路。 大学に通うようになって初めて友達と足を踏み入れた。まだ酒ものめなかっ たが大人の世界に憧れた頃だった。あんな小さな街でもそんな界隈があった のだった。思えば懐かしい。友達に連れられて行ったある一軒の飲み屋。 その店の主人は若く奥さんと共に店をやっていた。この奥さんがまた色っぽく 着物を着ていたがいつも寝乱れた風で参った。客に冷やかされるままに 旦那の方は閨房の話を赤裸々にするもんだからこっちはその色っぽい奥さん を前に飲みながら目の遣りどころに困ったもんだ。 札幌に引越してからは狸小路やらススキノの横丁などがホームグランドに なってよくウロウロした。中には学生割引をしてくれる店もあったりして勉強 そっちのけで麻雀と酒に浸って無為徒食の学生時代を送った。アホだった。 そんな学生時代を今になって後悔している情けない男なのだ。 まあ、覆水盆に返らずで今更嘆いたところでしょうがない。今朝の話は横丁の 話である。街には界隈という猥雑なところがどうしても必要でこれは働く者達 の憂さの捨てどころとして必要だ。その一翼を担っているのが横丁である。 何となく庶民的なひびきがして親しみがあるのではないか。焼き鳥で生ビール 一杯とか寒い夜にオデンで熱燗なんて雰囲気にぴったしの場所だろう。 皆様は如何なもんでしょうか。
2015年01月22日
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いいですね~、大好きです、こんな話。ハニカミなんて言葉はもう現世では 風化しちゃったのかと思う。含羞とも言う。恥じらいとか恥ずかしいと思う 気持ちなどの意味である。 文化をハニカミというのは、文化は節度や慎み、忍耐や我慢、自制や寛容、 の言葉がふさわしい感じがするのである。それに対し文明とは贅沢や豪華、 浪費や強気、開拓や自信の感じがしませんか。 我が日本はこの文化と文明の二律背反的なものを戦後は維持して来た様に 思うがこの意味は世界でリーデイングカントリー(主要国?)として誰も が認めるところではあるまいか。口幅ったいがアメリカに文化は乏しい。 建国高々240年の歴史しかないので気の毒ではあるが・・だ。 お隣の中国はその文化を否定しちゃった。顕著なのは文化大革命という 得体の知れない革命。それを主導した毛沢東をまだ頭に頂いている。 そして共産思想というものに凝り固まって現在に至っている。 ところで敗戦後の日本は文明を追求する余り文化を蔑(ないがし)ろにした 傾向もなかったとは言えない。 戦争に国の資産を搾り取られ、おまけに 壊滅的にダメージを受けたので止むを得ない部分もある。だがこの優秀な 国民はひとたび文明という目的を定めると目覚しい進歩と革新を遂げた。 傍らで文化という地に足のついたしっかりとした支えを感じながら・・・ 「人見知り」子供は恥ずかしがる。他人が近づいたり声をかけたりすると 不安がって母親の背中の後ろに隠れたり懐に抱きついたりする。 本能的であり本然的な動態であろう。文化の本質とよく似ているといったら 間違いであろうか。文化とは奥ゆかしいハニカミのようなものである。
2015年01月21日
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”傘かしげ” とは何じゃろかいな~と思うじゃろう。”かしげ”とは”かしげる” ことである。首をかしげるのかしげるである。漢字は傾(かし)げる。 つまり雨降りの時に狭い道で傘をさした同士がすれ違う時に片方が傘を 傾けてぶつからない様にすることだ。 ”肩引き”という言葉もあった。両方とも自然のマナーというかエチケットで あったのである。当たり前だろう、どちらかが譲らなければ傘同士がぶっつ かるし肩もぶつかってしまう。昔は道路も狭かったから尚更だったのだろう。 日本ではそうして昔から譲り合いの精神が根付いていたのだ。相手への 思いやりである。私は読んでいないが中国の「菜根譚」なる人生の書にも ”終身路を譲るも、百歩枉(ま)げず”という言葉があり「一生路を譲りつづけ ても、合計すれば百歩に満たない。つまりこの世を生きる為には一歩、人を 待て。狭い道を行く人には道を譲ってやれ、と教えていたという。 かの国でも一緒だったのである。今の中国では余り考えられないが・・・ ところで今の日本。中には傘かしげを自然にする人もいるがそうでない人間 もいる。肩がふれた、ぶつかったと言って喧嘩をふっかける人間もいる。 どちらかが譲ればこんな些細なトラブルは起こらないのだがどちらも譲らん かった場合は血の雨が降ることもある。情けない話だ。謙譲の美といったが それがすっかり薄れてきている。また言いたくない事だが戦後教育に修身 なる人の道の教えをする科目を抹殺したのが左傾連中だ。 歩道を自転車に乗りこっちに向かってくる人によけて道を譲る時もある。 でも半分は当然の様に知らん顔して通り過ぎてゆく。半分は会釈なり 感謝を表して行く。 有難うくらい言えんのかバ~カ!
2015年01月20日
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見知らぬ土地を旅している時、車窓の景色を見るのは楽しいものだ。 新しい発見もあるし、いつも見慣れた景色と違うから見飽きない。 私の小さい頃はまだ蒸気機関車だったから窓も手で開けられた。 でも機関車の吐くススが飛んで窓から入ってくることもあるから注意が 必要だった。特にトンネルに入った時は絶対に窓を開けてはならなかった。 旅は新しい見聞だから兎に角目を見開き何があるか見たり聞いたりして 何にでも興味を持つことであると言われる。 電車に乗ったら窓から外を見よ、田畑には何が植えられどんな建物や風景 があるのか。駅に着いたら家々はどんなだ、どんな人たちが乗降しているか、 カネがあったらその土地の名物か食べ物を食べてみなさい。時間があれば 出来るだけ歩いてその町はどんなもんかを知るがいいと。 中学生の頃初めて北海道の岩見澤から兵庫県明石の伯母の家に伯父に連れ られ旅行したことがあった。あの時は見るもの聞くもの珍しくキョロキョロ のしっぱなしであった。途中日光へ寄ったり伊勢神宮に寄ったりして長い旅で あったが子供心に大変楽しかった。兎に角初物づくしだったのだ。田舎の腕白 坊主が初めて大海に出たのだから無理もない。 もう半世紀は疾うに過ぎているから記憶はすっかり風化しているがセピア色の 写真を見れば少しづつ思い出す。兎に角当時は井の中の蛙、田舎の悪ガキの 様なものだから推して知るべしだ。当時の見聞は一種のカルチュアショック と同じで夢を見てる様なものだった。 それから高校に入り大学を出て初めて大阪の土を踏んだ時は感無量で、 毎日が無我夢中だったのを覚えている。爾来、大阪の船場という生き馬の目 を抜く様な会社でもまれ、二年目から海外出張に出だすようになっては私の 人生は目まぐるしく変化していったものだ。 車窓の景色のように私の人生は著しく転変し今日に至っている。またまた 自分の人生の回想のような話になってしまったけどどうか許してたもれ。 皆様にもそれぞれ移りゆく車窓の景色のような人生がおありだったでしょう。
2015年01月19日
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「お前さん、あの人とどうして一緒ンなってんの?」「だって寒いんだもん」 とは古今亭志ん生の話。今年は20日から大寒。TBSの気象予報士、森さんの 予想とは大いに食い違って寒いのなんの。 「寒い晩だな、寒い晩です。妻のなぐさめとはかくの如きものなり」と言った のは斎藤緑雨さん。 「寒いね」と話かければ「寒いね」と応える人のいる あたたかさがあるのは幸せだろう。 立春の前までが寒の内で、でもこの時期は寒ブリとか寒ダラ、寒シジミなど 脂ののった海産物がある。いわゆる旬(しゅん)なのである。私個人は寒ブリ はそう評価しないが寒ダラは堪らん。白子を入れたジャッパ汁なんて美味い なんてもんじゃないし暖まるし白子のトロっとした味は言いようがない程だ。 また白子ポン酢は熱燗の肴として最高のものである。 宍道湖など汽水湖のシジミも美味いらしいがこの頃は収獲量も減っている からあまり口に入ることはないし、よう分からん。でもみそ汁の具としては 酒を飲んだあとなど美味いに違いない。 ナベの季節でもある。最近は一人鍋というのも多いらしくスーパーでもそれ用 の魚や肉のセットが売られている。この時期、受験生を持つ親は重宝している のではあるまいか。 昨日からセンター一次試験が始まっている。私の時代は一発勝負だったから 随分と感覚は違うが当事者の気持ちはよくわかる。やるだけのことをやったら あとは運を天に任せるだけだ。やるだけのことをやらん人間には相応の結果 しか出ないだろうし。
2015年01月18日
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エッセイ。随筆のことは言うまでもない。つまり筆に任せて書き連ねること と解釈してもいいだろう。私が毎朝書く拙文が果たしてエッセイと言えるか どうかは分からない。 けど、エッセイはどこから読んでもいいし、どこを読 んでもいいものである。 近頃この年齢(とし)になると小説とか長文はどうも読み続けることが億劫 になっている。従って図書館から借りるのはもっぱらエッセイが中心である。 どうも我慢とか辛抱が足りなくなっていく様で、ああオレもダメになったなあ と嘆息している。 ところで笑門来福という言葉があって目出度い時に例えばお正月などの 挨拶言葉にも使う。笑いは身体にいいと言われる。そりゃ~怒るよりはいい に違いない。アッハハ、アッハハと兎に角笑うのである。態(わざ)とでいい から笑うのである。笑えばドーパミンかなんか知らんけど分泌されて明るく 前向きになるそうな。 「笑うサークル」もあるらしい。兎に角そこに集まった老若男女、否、若い人 は少なくオヂイ、オバアばっかりらしいが先日もテレビでやっていた。 プロレスのワッハハおじさんもいるがあれも身体にいいから続くのだろう。 鹿爪らしい顔をしていると嫌われる。いつもニコニコしていれば周りに人も 寄ってくるものだ。でもニコニコはいいけどニヤニヤはいけませんぞ~、 今年も一年ニコニコして過ごしたいものだ。何があってもいつもプラス思考 で行けば自ずと顔にも表れるだろう。 私の朝の拙文には二通りあって、世の中の不条理を取り上げるものと、もう 一つはどうでもいいことをごちゃごちゃ並び立てるバカバカしいことだろう。 バカバカしい事をさも大切なことの様に書くのは難しい。これが上手く出来る 様になったらいいのですがね~、そんなことを今朝はそこはかとなく考えて いました。
2015年01月17日
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文化人と称する中に大学教授、それに順ずる者とか評論家がいる。 彼らがテレビとかラジオや雑誌で結構もてはやされる今の日本である。 大体共通するのは学生時代にマルクスなどにかぶれ左翼的思考に 傾きインテリを装うのが多い。 そして大抵は死刑廃止論者である。そんなのが政権の法務大臣など に就任して死刑のハンコを押さない。民主党政権時代はそうだった。 平岡某もそう。大体死刑廃止論者は被害者の気持ちを斟酌しないで 加害者に味方する。そんなバカな話があるかいなと思うのである。 人権、人権と喚きたて、それじゃ不運の死を被った被害者はどうなんだ。 それに一様に東京裁判を信じその歴史観を丸呑みにして自分の祖国、 日本を悪者にして憚らない。アメリカは、フランスは、と外国を引き合い に出し日本という自国を糾弾する。その日本にのうのうと住んでいる。 自国をさげすみ、おとしめ、いやしめる精神はどこからそうなるのだろう。 自虐史観という。テレビに時折出てくる元明大教授の田嶋陽子などはその 典型。嬉々として日本の過去を悪一色に染め平気なのである。 あれは自分が知性的であり良心的であるかのように錯覚しているのだ。 私たちは日本人として歴史を複眼的に見て、且つ歴史的必然性も同時に 理解しなければならない。どの列強国にも誤りがありそれをすり替えたり 糊塗したりしている。米国が日本に落として35万人もの殺戮を犯した原爆 もその一つである。米国は東京裁判で懸命にそれを外らしたのだ。戦敗国 の日本を糾弾することによって! 橋下市長が慰安婦問題はどこの国にも共通すると公言して総スカンを 食った。口に出して言っちゃならないけどあれは真実なのである。どこの 国でも若い兵士たちの健全な性欲を処理する為には然るべき場所が 必要なのである。必要悪とでも言うべきか。そうでないと必ず現地で 民間人に害悪を及ぼすことになるのだ。こんなことはギリシャ・ローマ 時代から自明のことだった。 人権、人権と騒ぎ立てるが戦争の陰には貧しさに苦しむ人たちがおり、 自らそうした環境に身を投じる女性は数え切れない。強制などなくても いくらでも集まった筈である。従軍慰安婦などと言うがかの国の女性は 当時先を争って生活費を稼いだのは間違いない。その証拠に平成の今 でもかの国の女性が日本でも米国でも豪州でも売春に従事している ではないか。その数、日本に2万人、世界に計8万人と言われている。 googleで検索してご覧なさい。 ちょっと横道に外れたが世の中にはキレイ事で済まされない実態がある のだ。メデイアも露出していいこととそうでない事があるが少なくとも 朝日新聞のように間違った情報を調べもしないで公開してはいけない。 況して我が祖国日本を貶めることだけは言論の自由とは言え許される ことではないと思うのである。
2015年01月16日
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漢字では蘊蓄と書く。 ”こだわり” とでも訳すべきだろうか。 世の中にはこのウンチク屋さんが結構いるものだ。自分が他人に迷惑 をかけないで勝手にウンチクをたれるならいいが他人を巻き込むのは いかがなものかと思うのである。 先日もテレビを見ていたらとある蕎麦屋が新そばを打って客にだして ”先ずは塩で!” とのたもうた。 ざるそばに塩を少し振りかけ食べた お客は、”う~む美味い” と言った。塩なら蕎麦の香りが立つのだそうだ。 主人がそばに来て、”先ずは塩で” などと言われたらそうして食わにゃ 叱られそうに思うだろう。 こんなウンチク蕎麦屋には行きたくない。蕎麦はそば猪口のタレに浸けて ズ~ズ~ズ~と食べるのが一番だろう。 北海道の小樽には頑固オヤジがいる寿司屋が有名で、それでも観光客が 列をなすらしい。函館の湯の川にもウンチク寿司屋があるという。寿司ネタ や食べ方にいちいちウンチクをタレるそうな。いやだね~、そんな寿司屋! 折角食べるのだから好きな様に食べたいもんだ。食べるものは個人個人 好き嫌いがある。自分のカネで食べるのだから好きにしたい。 大阪の串カツ屋でタレの二度つけ禁止などと言う店が得意げに宣伝する。 あんなもん別の小皿にタレを給すれば済むことである。二度漬けすると 一度口に入れたものをみんなが漬けるタレに漬けると不潔だからという 積りだろうが理屈っぽくて厭味だ、タレ皿を客別にすれば済むことである。 これもウンチクの類だろう。 私の好きなラーメン屋でもウンチクラーメンがあるらしいが黙ってこだわる のならいいが客に強要するのはどうかと思うのである。
2015年01月15日
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ご存知でしょうけど中国(シナ)にはかつて歴史上も民主主義の市民社会 も法治国家も経験していません。選挙で選ばれる代議員制はなかったの です。現在の全国人民代表だって中央の共産党が各省から非選挙で選ん だ代表です。つい最近香港で暴動が起こりましたがあれも中央が選んだ 候補者(共産党)を代表候補にしなさいと言うから香港人民は怒ったのです。 天安門事件だって起こり得べくして起こったし台湾もオレのもんだと攻勢を かけています。尖閣諸島もオレのもんだと日本を脅かしています。この国は 19世紀以前の領土と地図を広げ、これもあれもオレのもんだと覇権主義的 にしか考えない単細胞と言っていいでしょう。だからチベットも内モンゴルも 新疆ウイグルも自分のもんにして漢民族を送り込み現地民族の文化も伝統 も否定して自分流に同化させようとして紛争になるのです。 まあ、あれだけ広大な国なので民主主義にして選挙で代表をといっても 欧米や日本の様に簡単にはいきません。米独の様な共和制を採るにして も地域格差や文化格差、経済格差があって地域の独立など到底無理な 話でしょう。こんな狭い日本でさえ地域格差で地方の独立などは難しいの ですから広大な中国(シナ)に於いては況しておや、ということ出しょう。 毛沢東文化大革命が失敗しト小平の一国二制度(共産主義と資本主義の 共存)が成功し曲がりなりにも貧富の差はあれ世界第2位のGDPを持つに 至ったのは評価していい。あとはこの国がどれだけ覇権主義を抑え世界に 及ぼす我が儘を控え協調姿勢を採っていくかによる。 唯、資本主義をこれからも二制度の一つとして標榜するのなら諸外国との 穏便な関係は必須である。あとは国内がどうあろうと周りがどうこう言うのは 控えねばならん。何よりもあの国がバラバラになって求心力が失われるのが 恐い。イデイオロギーが時代遅れだとしても傍観するしかないのだ。 それにしても世界のパワーバランスは大事である。その意味でもレイムダック オバマの米国の力がこのところ落ちているのが困る。国力から言っても米国が 世界の主導権を握らなければ安定しないのははっきりしているのだから。
2015年01月14日
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関西では干渉してくれるなと言うことを、”ほっといてくれるか!”と言う。 ”ほっとけ”と言うのは干渉しなでそのままにしておけと言うことである。 「靖国神社に行くな!」シナや韓国がうるさい。”ほっといてくれ”日本が どうしようが内政問題だろう。日本がシナや韓国にそれやめろ、あれ止めろ なんて言ったことがあるか? このところシナの習近平と韓国の朴クネがつるんでことある度に歴史認識 をはっきりせいと言う。これまで何度言ってきたことか、中には謝罪まで 繰り返した村山総理や河野なんてのもいた。 シナとは田中角栄と周恩来の日中共同宣言1978以来もう解決済み納得済 の筈だし、韓国だって朴のオヤジと日韓平和条約1965で賠償も何もすべて 解決済みなのである。 そんなの”ほっとけ”と言いたい。ほっといたらいいのだ。韓国はこのところ 政官財の癒着(賄賂構造)でグチャグチャであり虎の子のサムスンの業績が 急降下し経済に赤信号が灯っている。 十大財閥主体の経済構造の世襲 体制が反発を喰らい、現在あのナッツ問題やロッテの創業者息子の罷免に まで騒ぎが広がっている。ほっとけば自壊するのだ。 そんな国内状態の混乱を韓国政権は外らそうとして懸命に歴史認識がどう、 朝日が謝罪してウソと判明した従軍慰安婦問題がどうと国民に訴えている。 日本のメデイアもニュースにしないで”ほっといたら”いい。兎に角うるさい。 スポーツでもなんでも日本に張り合ってくる。ホントしつこい国だ。 2018年韓国平昌冬季五輪もカネが足りなくて開催が危ぶまれている。 IOCが心配して日本に助けて貰えとでも言ったのだろう、韓国はあわてて、 否、助けなど要らんと言ってるらしい。そんなものほっとけばいい。勝手に エエカッコして開催に名乗り出たんだから自分で解決しろ。
2015年01月13日
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いつも悩んでいることである。書いてみてどうも気に食わん。もっと上手く 書けんもんかと・・・ものの本を読んでいるとこんなことが書いてあった。 1)短く書く事。 文章は生きている人間の肉体と同じで呼吸している。息をしている。 だから目で読んでも口で朗読しても快いテンポとリズムが必要。 ブツブツ切れたりつっかえたりはよくない。また長すぎても息が切れる のである。一つのセンテンスは40字から50字くらいが快いという。 長くなる原因は節と節をつなぐ「・・・が」などの接続の助詞で文章が 続いている。日常の会話でもそう、接続詞を使って延々と牛のヨダレ の様につづける。相手が口を挟む余地がない。スピーチとスカートは 短いほどよいというのは文章でもいっしょ。 2) 鋭く書くこと。 パンチの効いた文章こそ訴求力がある。ワサビの効いた文章は人を しびれさせる。比喩を使いメリハリを出すとか直喩と言って「・・の 様な」の言い方でなく違ったものに喩えて効果を出す作用である。 例えば「課長さんは鶴のように痩せている」を「課長さんはエンピツの 様に痩せている」とまったく違うものに置き換える。 3) 素直に書くこと。 気負いなく無心に書く。やさしく言えばいいものをわざわざ難しく表現 したり持って回った難解な言い方をしたりしない方がいい。 野球でもチカラを入れてバットを振るとあまり当たらない様に無心に振 った方がいい結果が出るのと似ているという。 どうなんだろう。文章を書き他人に読んでもらう場合に分かり易く気持ちよく す~っとアタマに入って喜んでもらうのが本意だろう。いつも書いていて反省 するがこれでいいと言う到達点には程遠いのである。勉強勉強なんだろう。
2015年01月12日
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相変わらずお笑いがゲームをやったりバカをやったり街中でグルメと 称してレストランなどで食い散らかし「うめ~」とか「やばい」とか失語症 みたいな画一な言葉しか表現出来ないタレントどもが出演料を貰って やってる番組。それか決まりきったタレントが優位に立つクイズ番組が ハバを利かせている。子供達が悪影響しか受けない様なものばかり。 一方の傾向として「ユーは何しにニッポンへ」とか「こんな所に日本人」の 様に外国人のインタビューを中心にしたものから発展途上国などの文化 レベルの遥かに日本より低い国に嫁いだ日本人妻を訪問してインタビュー する番組などなどが多くなってきた。 こういう番組は制作するのに費用もかかるだろうけど見ていて面白いし カルチャーギャップがあって少しでも世界の実態が分かるし大変好もしい。 テレビという媒体の最大の特徴は世界のニュースを含めて情報を知ると いうことだから知らない世界の国々の実情、人々、文化などが映し出され るのは大人にも子供にも大変興味もあるし役に立つと思う。 それぞれの外国人がどれだけ日本の事を知っているのか、日本のことを どう思っているのか知ることが出来るのも嬉しい。来日する外国人は何を 求めて日本に来るのか、日本の何に興味を持っているのか、などなどが 分かるし、それに日本人と違ってシャイでなくオープンな性格だから包み 隠さず思っていることが分かって見ていて大変面白い。 決まりきった漫才や落語家、芸能人が足りない知識でどうどう巡りの話や 他人のうわさ等を得々としゃべっているのを見ると堪らん気持ちになる。 ああいうのに高いカネを払い視聴率を上げスポンサーにカネを払わせる 悪循環を誰かが断ち切ってくれないものか。 国内でもあちこち地方を訪問し地元の人たちと交わり方言が飛び交う 和やかな番組は見ていてほこっとするものだ。近頃は鶴Beも鼻について きたからそろそろ番組を下りてもらったほうがいい。有名人ふりがいかん。 高が落語家なんだからそれをやっとけばいいのに出張り過ぎである。
2015年01月11日
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N〇Kの朝ドラ「マッサン」を毎朝楽しみにして見ています。ニッカ ウイスキーの創業者竹鶴さんの立志伝の話です。 北海道の余市(小樽市から電車で15分くらい)は元々は何にもないリンゴの 産地であった。竹鶴さんはそこがスコットランドの地勢と良く似ているという ことで余市に工場を造る決心をする。余市には水のキレイな川がながれ、 泥炭質の土壌があり背景には大麦の出来る大地があったからでした。 1934年、洋酒寿屋(サントリーの前身)を退社した竹鶴政孝氏は北海道、 余市にウイスキーの蒸留所を開設する。そこで重厚なシングルモルトを を造り現在では千葉県柏市の工場でブレンドしニッカブランドで「余市」とか 「竹鶴」を初め「ブラックニッカ」などのウイスキーを生産している。 私が札幌の大学生の時代にちょうど洋酒の寿屋からあのアンクル・トリスで 有名なトリスウイスキーが大々的に売られ出した。学生時代でカネがなかった ので友達と飲みに行く時には酒屋でトリスのポケット瓶を買ってそれを二人で 半分ずつラッパ飲みしていっぱい飲み屋まで走るのである。 「あ~、酔った、酔った」と言いながら飲み屋に入る。そうするとそこで銚子 1~2本で済むからである。 ニッカウヰスキーはそんなことでサントリーから一歩遅れて製造に入った のである。当時はオーシャンウイスキーというのもあったがそれはいつの 間にか姿を消した。北海道の余市に製造所があるということもあってニッカ ウイスキーは私には親しみがあるのである。 昨年にはサントリーの「響」とニッカの「竹鶴」が本場のスコットランドや アメリカケンタッキーのバーボンを抑えて世界一美味いウヰスキーという 称号を頂いたのは記憶に新しい。日本の技術はそこでも証明されている のである。
2015年01月10日
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食品異物混入問題 マクドナルドの問題から急にあちこちと騒がしくなった。こういう問題が 起こると必ず愉快犯が便乗してくる。勿論どこの会社だって店だって 細心の注意を払って生産しているのだし、それでもこうした問題は起こり 得るのである。被害に遭った人には気の毒ではあるが出来るだけ穏便 にして上げたいものだ。 味方する訳じゃないけど普段恩恵を蒙っているのだしギブアンドテイクの 面もあるのだから必要以上に虐めるべきではない。 まあ、時折こうした 問題をクローズアップして提供する側の意識を喚起する意味ではよかろう が程度問題であろう。そうでなくても日本の食品管理は世界でもしっかりと している方に違いないのだし。 沖縄振興予算 2014の予算は3500億円であった。先の知事選で反自公政府の翁長氏が 当選し前仲井真氏が退いて沖縄は辺野古移転もなにも反対一色の様相に なった。翁長氏は2015年度予算を獲得すべしで政府詣でをしてるが旗色 悪しで各大臣から総スカンを食っている。当たり前のことだろう。政府のやる ことに何でも反対しておきながら予算だけは呉れ、では話にならんだろう。 沖縄は左翼一色で何かあると本土からオルグが出張って反対運動をする。 在日米軍キャンプには30000人もの日本人が働いて恩恵を受けているのに その言論は一切封殺している。もう少し現実的な対応が出来ないものかと 思っているのだが・・・ 鳥谷選手残留決定 トラキチとしてはよかった良かった。鳥谷くんもいい決断をしてくれた。 これで今季の阪神タイガースは監督の能力を除いては先ず一安心。 余計な采配をしないで選手の馬なりに任せればそこそこはやれる。 阪神のガンはGM中村勝広と監督和田豊なのはフアンなら誰でも 知っているがフロントの目が節穴なのである。 巨人ドラフト1位岡本和真への心配 マスコミの前でしゃべれないそうで巨人幹部は困っているという。まだ18才 なんだし、野球バカでそっちの能力がないのかも知れない。高校通算73本 のスラッガーなんだからひょっとして清原並のパワーヒッターにだってなる 可能性がある。無口だっていいじゃないか、巨人好みでなくたっていいじゃ ないか。長い目で見てやれよ!
2015年01月09日
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お正月三ヶ日も過ぎ昨日は七草粥。速い速い・・・この調子でいくと 45倍すると年末になる。その間を端折(はしょ)る訳にはいかんから また今年一年ぼちぼちと進んでいくのであるが暦(こよみ)を見れば もうあちこちと予定が入っているからそれらを追っかけていくのだろう。 さてまたフランスでテロが起こって雑誌社の人たちが12人も亡くなった。 何と無謀なことか。発行する雑誌でムスリムを揶揄したからという理由 である。自分たちの崇める神を少々からかわれたとて、ふんふんと鼻で 笑い飛ばせないものか。我が日本では新興のS学会でもS如苑でも少々 触られても馬耳東風だろう。お釈迦様や如来様、菩薩様がどうこう言われ てもああそうかいってどうこうない。 なにしろ日本には八百万も神様がましますゆえに。いちいちあ~でもない、 こ~でもないって関与してるヒマはないのである。いいじゃないのシワワセ ならばで何をとうしようがどう言われようが沒問題。勝手なのである。 彼の国々の人たちは日本に来ても一日5回か6回メッカの方向にひれ伏して お祈りしている。彼らの為に日本ではそんなお祈りが出来る場所を増やして いってる様である。したいことはさせてあげたらいいのだ。その代わり他人が したいことも認めてあげなくてはならない。 難儀なことだ。書かれたら書き返せばいいのに、テッポウを使うのは卑怯だ。 この狭くなった地球で目くじら立てていたらキリがあるまい。もっとフトコロ 深くして受け止めるか右の耳から聞いて左の耳に抜かし無視できないものか。 自分たちの信じるものは正しい。相手だって自分たちが正しいと思ってるのが 何故悪い。書かれたら書き返せ。テッポウは卑怯だ。 アメリカの原爆だって 卑怯の極みだった。 フランス雑誌社の12人のご冥福をお祈りいたします。
2015年01月08日
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惜しい人を失くしたと思った。作詞家、阿久悠さん(1937~2007) 本名深田公之、淡路島津名郡出身、父君は警察官で幼少から決して 裕福な育ちではなく厳格で実直な家に生まれた。明治大学文学部を卒業し 広告宣伝会社に勤めるもやがて辞めて独立す。時流に乗って作詞家として 頭角を現しその作詞は5000曲を越える。レコード大賞も最多で5つも獲得 している。 「また逢う日まで」 尾崎紀世彦 「北の宿から」 都 はるみ 「勝手にしやがれ」 沢田研二 「U F O」 ピンクレデイ 「雨の慕情」 八代 亜紀 主なものでもそれだけで、まだまだキラ星の如く作詞。特にピンクレデイの曲 は阿久悠さんの手にかかったものが多い。作詞の傍ら「瀬戸内少年野球団」 という小説も書き映画化もされた。甲子園の高校野球のファンとしても有名。 阿久悠さんは時流に乗った作詞家であり彼が書く詞にはどれも日本の国を 憂う心情が底流として流れ、歌い過ごすには惜しい意味を持っていたと思う。 歌は感覚的部分が多くてシンガーソングライターが手軽に作詞作曲して歌うが 阿久悠さんの詞は時代を洞察した心情がどれにも吐露されている。 例えば 下記の「時代おくれ」という歌。作詞阿久悠、作曲森田公一で1986年作。 歌ってるのは今は亡き河島英五である。 一日二杯の酒を飲み~ さかなは特にこだわらず~ マイクが来たなら微笑んで~ 十八番を一つ歌うだけ~ 妻には涙を見せないで~ 子供に愚痴をきかせずに~ 男の嘆きはほろ酔いで~ 酒場の隅に置いてゆく~ 目立たぬようにはしゃがぬように~ 似合わぬことは無理をせず~ 人の心を見つめつづける~ 時代おくれの男になりたい~ 不器用だけどしらけずに~ 純粋だけど野暮じゃなく~ 上手なお酒を飲みながら~ 一年一度酔っ払う~ 昔の友にはやさしくて~ 変わらぬ友と信じ込み~ あれこれ仕事もあるくせに~ 自分のことはあとにする~ ねたまぬように焦らぬように~ 飾った世界に流されず~ 好きな誰かを思い続ける~ 時代おくれの男になりたい~ 目立たぬようにはしゃがぬように~ 似合わぬことは無理をせず~ 人の心を見つめつづける~ 時代おくれの男になりたい~ 1986年と言えばバブルを迎える3年ほど前になるか、人々は三種の神器も 手に入れカネ、カネ、カネで浮かれていた頃だろう。 阿久悠さんはそんな 正体を失って隣近所もどうでもいい、オレはオレの道をゆく、お前はお前の 道を行けの時代を何かが足りない、こんな日本になってしまったのかと心の 中で憂えていたに違いない。 阿久悠さんは憂国の人だったのです。 一人の男として周りがどう言おうが時代遅れでもいい、しっかり地に足つけ まともに家庭を守る男でありたい。カネがある訳でもないが友を信じ、友を 立て、仕事を愛して目立たなくていいから自分のペースでやっていこう。 思えば、日本がアメリカに追いつけ、追い越せの時代は国民一丸となって チームワークよく仕事に精進したのではなかったか。年功序列でもあり終身 雇用でもあった時代である。それがいつの頃からか能率、能率と言い出して 下克上の格差社会に変貌してしまっている。 アメリカ型が間違っているとは言うつもりはない。ないのだが日本古来と 言うスパイスがあってもいいのではないか。竹中平蔵氏に今少しアメリカ型 の様でそうではない日本型を期待したかった。 皆様はどうお考えなのだろう?
2015年01月07日
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国際化、国際化と言われる。何でもグローバル・スタンダード(地球基準) とかグローバルとかインターナショナルをつけるのが流行っている。 国際人とはなんぞや?そんな人種はおらんぞよ。あたしはヘソが曲がっ てるからそう思うのである。 これからの日本人は国際人とし英語くらい話さねばならないと言って今は 小学校から英会話を導入している。それは悪いとは言わんが本末転倒の きらいがあると言いたい人間なのだ。国際人になる前に先ず日本人として の知識・素養を身に付けるべきだと思うのである。 日本の伝統や歴史、文化や芸能などの知識、場合によってはそれらの中の いくつかに精通し体得することがあれば言うことはない。それを外国に向かい 発信できることである。英語や外国語にいくら堪能でも我がの日本の事を 知らずしては日本人として失格だからである。 かつての私の周りにもその類の人間がいた。どこかの外国語に堪能でも肝心 の日本人としての理解・素養がないのである。これは困るし淋しい根無し草で あった。勘違いしているのだ。商社マンとして貿易マンとして華々しく海外と の仕事にペラペラしゃべって奔走する。それはそれでいいが、君は一体何人 なの?と疑われる国籍不明人なのである。 かく言う私とてまだまだ国際人たり得ない。勉強不足である。日本人としての 知識・素養が足りない。まあこの年齢(とし)だから先は知れてるしこんな事 を老婆心で書いているがやり直しが利くなら元に戻ってみたいくらいだ。 頼むから文科省のエラい先生方よ、小中学生に英語をやらせるなとは言わん が、日本人としての素養教育も忘れてはなるまいぞ。修身教育を含めて!
2015年01月06日
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暮れの26日から昨日まで9日間のお休みは終わりました。今週から私の 2015年の年が始まります。毎日ご馳走を食べて酒を飲んでパソコンを見 たりTVを見たり本を読んだりしてのんべんだらりとしていたらいけまへん。 覿面(てきめん)に太りました。 朝のジョギングは冬眠に入って休んでいますがお昼のウオーキングはやら なくちゃ~と思っていてもなかなか行きそびれます。ダメですねえ~本来の 怠けぐせは治りまへん。 今週からボランテイアの仕事が始まります。中国語のお勉強は来週から・・・ またこの一年間外国人相手の日本語のレッスンとそれを補完すべく中国語 のお勉強が始まります。中国語は兎に角、語彙(単語)を覚えるのが大事。 語学は言葉をいかに多く覚えるかにかかっています。 私の脳細胞のシワも猛烈な勢いで減ってきているので覚えては忘れ覚えて は忘れの繰り返しです。大学受験で英語の辞書一冊を覚えたのは夢の様で あの頃は私の脳細胞も絶好調でどんどん増えていったのだろうなぁと隔世の 感ありである。 ともあれ今年一年、教えている阪大生の中国人B君に何とか日常会話が 出来る程度にはさせたいと思っているからそれが第一目標である。 彼で三人目だけど一人目のバングラデシュの青年も二人目のネパールの 青年もみんな一様に真面目で感心する。豊かになった日本の青年たちとは 随分違いを感ずる。かつての日本も追いつけ追い越せの時代にはそうだった のに世の中が豊かになって変わってしまうと青年たちも目標を失うのだろう。
2015年01月05日
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お正月は倅夫婦と孫が遊びに来て賑やかだった。私はもっぱら孫相手 にトランプ(これは英語ではありませんぞ、英語では playing card) や百人一首それに将棋などで遊んだ。そのあと孫二人はサッカーゲーム やアスレチックゲームなどの遊具を使って遊んでいた。 これらの遊び道具は倅兄弟(私の二人の息子)が幼少の頃に使ったもの である。それらがまだ現役で孫たちの遊び道具になっている。エライもん だ。だからもう30年以上経っている。まだ十分使えるのである。 二人の息子たちの着古したものなどは疾(とう)に処分してしまったが、遊び 道具などはいづれ孫たちが使うだろうと仕舞っておいたのである。子供が いればモノはどんどん溜まる。だから殆どは処分してしまったがまだ一部 は残っている。 断捨離。これはなかなか思い切れない。特に一戸建てにお住まいのお家 ではなまじ収納場所があるだけにそれがもっと難しい。我が家は二回 引越しをしたので、特に二回目は行く末のこともあるし思い切ってどんどん 処分してきた。大型ゴミになる家具や家電製品は引き取り料が必要だった。 そうでない衣類、雑貨類はゴミ収集日に合わせて2~3ヶ月前から小出しに して出したものだ。本類はダンボールで5ケース、古本屋に取りに来て貰い 二束三文で売却してきた。今また溜まりだしたので早晩処分の時が来る。 だから今はすっきりしているが、時々あった筈のものがないのでありゃ~、 勿体無い事をしたと後悔することもある。でも諦めて、衣料品なんかで欲しい ものがあれば買い足している。 テレビを見ていると日用品などどんどん新しい便利なものが出てくるし、 どうしても欲しいものがあれば我慢できなくなって買うことになる。 モノのない時代に育ったからそう簡単には飛びつかないがそれでも少し ずつ溜まっていくものだ。心して増やすまいと思っている。
2015年01月04日
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「いやだ~っつうのにオバマは間に入って仲直りさせようとするスミダ。 おまけに下手なハングルで”お会い出来て嬉しい”なんて歯の浮くようなことを 言うんだから・・あたし嫌いなのよ、この2才年下の若造!親の七光りの クセして~、あたしも七光りだけど大統領だから首相より上だからね~、 あたしの父さんは朴正煕。知ってるでしょ?旧日本帝国陸軍の軍人だったの。 日本人と違ってアタマが良かったんだから、満州国軍官予科を主席で卒業して 日本国天皇に血書で忠誠を誓ったくらいなんだから。あたしはその血を引いて んのよ。 だけど戦前、戦中まで韓国は散々日本に利用されつくしたでしょ。その恨みは 韓国人から消えないの。あたしがハンナラ党を率いて大統領になった以上は 率先して恨みを消すことは出来ないスミダ。親が親だけに親日と見られちゃ~ まずいのよ。分かる~? 安倍は年下のくせに慇懃無礼なのよ。歴史認識でも靖国神社参拝でも大きな 顔で当たり前のつもりでしょ? あれが気に食わんのよ~! 村山や宮沢や 河野みたいに韓国にアタマ下げりゃいいのに・・・小沢や鳩山や菅もよかった わね~従順で、正直で。その点、安倍はナニさ! そりゃ~今はヒュンダイ(現代自動車)もサムソン・エレクトロニクスも良く ないから日本と仲良くせいと言って突き上げられるけどそれはそれスミダ。 あたしにも意地も誇りもあるじゃない。 おまけに日本の産経があたしの 個人的なアバンチュールを暴くし、あたしだって独身の63才の女なんだから 男の一人や二人くらいあるわよ~!癪に障るから刑事告発しちゃったスミダ。 韓国は言論の自由はあるのかなどと他国は五月蝿いけど余計なことを 言うからそうなるのよ。女って恐いのよ~!
2015年01月03日
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う 「やだな~オレ、こんな人間と握手するのは・・・骨だよ、ホネ、のどの骨! オレの国はもう世界2位だよ~そのうちアメリカ抜いて一位になるんだよ~、 な~んでこんな日本なんてちっぽけな国とニコニコ仲良くしなけりゃいかん のな~! オレは小さい頃から日本は嫌いだった。あんな国がエラそうに我がシナを 攻めて蹂躙するなんて許せんかった。だから今オレはこの立場になって 絶対に日本は許せんのだ。 小日本め! 以前の村山や宮沢や河野はまだ可愛げがあったがこの安倍はどうだ! 可愛くない、顔はニコニコしてるが腹ではナニ考えてるかよ~分からん。 以前、80人も引き連れて我が国の子分になりますと言った小沢は可愛い。 その子分の鳩山や菅も許してやるが、そのアトがいかん。 小日本の安倍奴! オレは絶対ニコニコしてやらんぞ~、初めだけはちと 笑い顔を見せるがアトは知らん。尖閣だってト小平先輩がどっちの領土でも ないから棚上げしようと言ったではないか。あの海域には地下資源がよ~け 埋まっとるから簡単には譲れんのだ。 我が国は一国二制度といって社会主義と資本主義を両立させとる。周りの 国たちは矛盾しとると言うけど、立派に国家が成り立っとるじゃないかい。 そりゃ~、社会主義だから出る釘は打つよ。おかしな宗教が出てきて政府を 脅かしたら潰すよ。チベットや新疆ウイグルなんか許せるかい。 まあ、小日本の後ろにアメリカがついとるからな~、これが難儀だ! ウチの 娘もアメリカの世話になっとるしぃ~ウカウカ日本に手え出したらアメリカに ぴしゃっとやられるしなぁ~、尖閣には船や飛行機をチョロチョロ動かして、 上手いこといけば既成事実にして乗っ取ればいいしぃ~当分はそれで行くべ。 いろいろ考えているうちに写真みたいな顔になっちゃった。どっちみちいい顔 する積りはないよってに、これでいいべさ。それにしてもオレは写真写りが悪 いなぁ~」
2015年01月02日
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新 春 万 福 本年も変わりませずよろしくお願い致します 2015年1月元旦
2015年01月01日
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