草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2011年02月06日
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前回、人が生きるとは吸ったり吐いたりする



呼吸が楽にできる事が基本だ、と書きました。


息の乱れが生活の乱れを誘発し、更にマイナスの



スパイラル(負の螺旋状進行)へと悪循環に陥る危険もある。


人間として生きるからには、ただ息をしているだけでは



詰まらない、もっと積極的に「生甲斐」を感じながら生活したい。



そう自然に思いますね。しかし、生甲斐とはそもそも何でありましょうか。



それこそ人によって千差万別、価値観や物の見方によって



様々な生甲斐がありうる事でしょう。しかしながら基本は一つ








そのためには何が必要か。自分が本来居るべき処にいる。そんな



実感・充実感に包まれる ― 安心立命の境地。こんな風に



表現するとなんだかひどく難しいことのように感じられるかも



知れませんが、本来は(元々は)極簡単で容易いこと。世の中



全体が妙な方向に捻じ曲がってしまっている所為で、ちょっとや



そっとでは手が届きそうも無い、特殊な生き方に変質してしまっている。



それが実情でしょう。宗教心を涵養するなどというと大変難しく



特殊なことのように思われがちですが、要はこの生きるための



中心軸を確認する作業のこと。特定の宗教の教義や戒律を



教えたり、学ばせたりする事ではない筈のものです。何物かに



しっかりと支えられて自分がこの世に存在している。くよくよしたり







小さな子供たちに実感させる。そのためには先ず親たちが



「楽に呼吸」できる状態になくてはいけませんね。大人たちの



心を正すことが先決だと考えますが、如何でしょうか?



人間は煩悩に支配され、小さなことにくよくよと拘泥し最後の時



が来るまであれこれ悩み続ける「哀れ」な存在ですが、今申し上げた







その生き方に雲泥の差が生じますね。本来の宗教心とはそうした



有難い「宗(むね)」となる教えの意味で、専門的な学びを必ずしも



必要としないものでした。その意味では日本人に宗教心が無い



あるいは日本人は無宗教だとの主張は、見当違いも甚だしいというべきこと。



豊か過ぎるほど恵まれた自然環境の日本列島に育まれて生活する



私たちは何処のどんな国や民族にも劣らず、極めて宗教心の篤い人間集団



だったわけです。そして今も本質的には変わりがないのですが



様々な要因に災いされて自覚が不十分なだけ。もっと自信を持ちましょう。



自虐的な「反省癖」にはいい加減におさらばして、健全で正しい



自己認識を恢復させようではありませんか、皆さん方。



蛇足ながら付け加えますが、自分に自信を持つのには難しい作業は



少しも要りません。他人との比較は有害無益で全く不必要。ただ在りの儘の自分を



素直に肯定すればよいだけの話し。そして、自分が生きてこの世にある



その事実に感謝するだけで十分なのです。ほかには何も要りはしない。




本来の素直で正しい心を目覚めさせる努力を、今日からでも



始めてみませんか、どうでしょう……。











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最終更新日  2011年02月07日 04時11分08秒
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