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おっ、悠ちゃん、自分でパックの牛乳をコップにつげるようになったの。おっとっとっと。 あっ、ちょっと、こぼしちゃったね。 いいよいいよ。どんどん飲んで、はやく大きくなりなよ。コタツは熱くないかい? そう、ちょうどいいかい。これから、叔父ちゃんが怖~いお話をするよ。 いいかい?えっ、へっちゃらだって。さあ、どうかなあ?おしっこチビっても知らないぞ。悠ちゃんのお祖母(ばあ)ちゃんのことなんだけどね。えっ、悠ちゃんのお母さんのお母さんのことだよ。叔父ちゃんのお母さんでもあるんだけどね。なに、知らないって?そうだよね。 悠ちゃんが生まれるず~っと前に死んじゃってるからね。そのお祖母ちゃんはねえ、うわさ話が好きだったんだよ。えっ、うわさ話って何かって……、そうだなあ、その場にいない人のことをあれこれ話すことかな。あれは、きょうみたいにポカポカ天気の春だったかな。そうそう、今みたいにお祖母ちゃんと叔父ちゃんはコタツに入ってたんだ。叔父ちゃんがせんべいをパリパリ食べながらテレビを観てると、お祖母ちゃんは話し出したんだ。「お隣のおタキ婆さんは、いやなひとだよ」また始まったかあ、と思いながら、叔父ちゃんは、ふんふんと適当に相槌をうってたんだ。「……草むしりしたあとの草をなあ、うちに放り投げるんだよ。 まったく……」叔父ちゃんは「あっ、そう」 「そりゃ、やだねえ」とか言って、テレビを観ながら何度もうなづいていたんだ。お祖母ちゃんは、20分以上、同じことを何回も何回も繰り返すんだよ。しつこいなあ、と思いながら、ふと、お祖母ちゃんの方に視線を走らせたんだ。すると、するとだよ、お祖母ちゃんの背中越しの窓に、ちょうど話題にしていたタキ婆さんがふぁ~っと立ってこちらを見ていたんだよ。白い寝巻きを着てさあ、恨めしそうな顔してたよ。叔父ちゃん、ゾクゾクっとしちゃってさあ、こおりついたよ。ほら、ちょうどいま、悠ちゃんがすわっているうしろの窓だよ。あれ、なにやってるの。恐るおそる振り返ったりしてさ。で、ね、そのタキ婆さんだけどね、その日のお昼に亡くなってさ。夕方にお通夜をやって、次の日に葬式をやったんだ。あとから分かったことなんだけどね、お祖母ちゃんがうわさ話をしていたときにはね、タキ婆さんは少し離れた市内の病院に入院していたんだってさ。まったく、お祖母ちゃんのうわさ話好きのせいで、叔父ちゃん、怖い思いさせられたよ。あれえ、悠ちゃん、震えてるのかい。どうしたの? くちパクパクさせて、叔父ちゃんのうしろの方を指差したりしてさあ。怖がりだなあ。
2005年01月31日
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突然、ドン!と激しい音をたててエレベーターが停まった。同時に天井の照明も消えた。閉店間際のデパートの地下2階からの上昇中、おそらく、地下1階と地上1階の間くらいだろう。「あら、やだ」と、奥で中年らしき女性の声がした。「なんだよ! 停電かあ?!」 ドアのあたりで若い男性が叫び、カチャカチャと非常ボタンを押しているようだ。パッとほのかに前が明るくなった。 前の若い女性が折りたたみ式携帯電話を開いたようだ。 その明かりで、まわりの様子が分かった。私は真ん中あたりに立っている。 2メートル四方のエレベーター内には10人ほどのお客がいるようだ。 肩がかすかにふれあう。「携帯が通じないわ」 女性はそう言ったあと、あきらめきれずにボタンを押しまくっている。 他の人たちも携帯を取り出したので、だいぶ明るくなった。「出せー! 出してくれえ!」 ドアの横にいた青年が叫んだ。「落ちつけ!」 近くにいた中年の男性がドスのきいた声で諭した。「うるせえ! じじい」 青年が中年の男性につかみかかろうとしたとき、ギッ、ギギギーっと音がして、身体がふぁっと浮いたような気がした。そして、軽いめまいとともに、ズズズズズズズズズズズズーと壁をこするような金属音がつづいた。「わあ! 落ちてるうううう!」 「きゃあああああああああ!」「うわああああああああ!」ダダアーン!激しい衝撃とともに、エレベーターは停まった。私も含め、みんな床に尻もちをついたり、うつぶせに倒れこんでいる。「なんだなんだあ」 「どうしたんだあ」 「痛ててててて」幸い、短い距離の落下だったので、大怪我をしたものはいないようだ。「た、ただ事じゃないぞ」 うしろの初老の男性が腰をさすりながら言った。「そうよ。 地上でなにかが起こったのよ」 前の女性が携帯を拾いながら叫んだ。「最終戦争だわ」 「地上にミサイルが落とされたのよ」 「地球の破滅だわ」みんな恐怖心にかられ、くちぐちに叫ぶ中、「落ちつけ。 早まるな」 ドアの近くで、中年男性が立ち上がりながら怒鳴った。「すぐに回復するさあ! 心配するなあ」 その言葉に逆らうかのように、ドドドドドドドドドドっと激しく揺れだした。「地上は火の海だあ! もうすぐここにも放射能が浸入してくるううう!」そう叫んだ直後、青年の頭がボン!っと破裂した。「きゃああああ!」 血しぶきで顔面を真っ赤に染めた近くの女性が叫んだ。そして、その女性の頭もボン!っと破裂する。直後、カサコソコソ、カサコソコソっとなにかが壁を這い登っていった。「いったいどうしたんだよ! なにが起こったんだよおおおお」 奥の隅で叫んだ青年の頭もボン! そして、カサコソコソ、カサコソコソ。おもわず見上げると、通風孔へとなにかが消えていくのが見えた。「助けてえええええ」 うしろの女性もボン!っと音をたてて、私の背中を血だらけにした。ボン! ボン! ボン! まるでスイカを爆竹で破裂させているかのように、まわりの人間の頭がふっ飛んでいった。──コウシチャイラレナイ。──私モ、コノ人間ノ殻ヲ脱イデ、早クココカラ脱出シナケレバ……。ボン!──セッカク、ホボ地球ヲ制圧シタトイウノニ……、忌々シイ人間ドモメ。カサコソコソ、カサコソコソ……。
2005年01月30日
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クルマで行った出張の帰りに、道に迷った。 いつのまにか山道に入ったようだ。生来、方向音痴だ。 太陽が出ていない夜だと、なおさら迷う。腹も減ってきた。 このままどこまで走っても真っ暗道なのかと不安になりかけたとき、前方に明かりが見えた。 近づいてみると、山村には不似合いな瀟洒な造りの食堂だった。レストランと言ってもいいくらいのしゃれた建物だ。道を聞くついでに、ここで食事を摂ることにし、クルマを降りる。重そうな銅製のドアの上に、『未来食堂』 と看板がかかっていた。ドアを押し開け、足を踏み入れる。「いらっしゃいまーせー!」カウンターだけの細長い店内、厨房に白い調理服の男がいた。「当店はタイムマシーンを使って未来から食材を取り寄せまーす!」そう言って、男は八の字ヒゲを器用に両手でしごいた。「どうぞ、おすわりくださーい」男に促され、手前のいすに座る。「なお、当店は経費節約のため、セルフサービスになっております」見回すと、店内は男以外、店員も客もいなかった。セルフサービスってことは、食べ終えた食器を厨房に運べ、ということか。あたまのうえにぶら下がっているメニュー札を見る。安い! どれもこれも500円前後だ。「じゃあ、ステーキとみそラーメン」「はい、かしこまりました! しばらくお待ちください。 ただいま、タイムマシーンで食材を取り寄せますんで」おもしろい男だ。 冗談のつもりだろうか。 おもわず、クッと笑ってしまう。カウンターにあった新聞を読んでいると、やがて、「はい! お待ちどーさまー!」目の前におおきな皿とどんぶりが、ドン!と置かれた。わあ! おいしそう!皿の上にはぶ厚いステーキ、そして、どんぶりからはいい匂いの湯気が立ち上っている。「いっただっきまーす!」 おもわず声に出し、がっつく。肉はやわらかく、ほどよい歯ごたえ。 そしてラーメンは麺に腰があって、スープには、いいダシがきいている。「いい肉、使ってるねえ! スープのダシも最高だよ!」「ありがとうございます」食べ進んでいくと、ガリっと変な歯ごたえがした。口中から取り出して見ると、指輪だった。見覚えがあるぞ。よく見ると、自分のイニシャルが彫ってある。おもわず、左手薬指を見る。寸分たがわず、おなじ指輪がそこにあった。「おい! ラーメンから、オレのとそっくりの指輪が出てきたぞ! どういうことだあ!?」「あっ、失礼しました。 お客様の体から取り除くのを忘れました」「え? なんだあ? どういうことだ?」「ですから、当店はセルフサービスになっていまして。 未来からお客様の体を取り寄せまして……」
2005年01月29日
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笑快亭 花丸・紅子(しょうかいてい はなまる・べにこ)は夫婦だ。最初、花丸はピン芸人として売り出した。 当時流行の一発芸の連発は、けっこうウケた。 聞き手の低俗化に合わせるように、軽薄で中身のない芸や芸人が大量生産された。 それは、さながら、出版界において、薄っぺらな恋愛小説や自己啓発本がもてはやされる構図に似ていた。ある日、花丸は空しさを感じた。 カネはある程度貯まり、オンナたちにはちやほやされる。 しかし、自分が歩いたあとに何も残らない。時事や芸能ネタをおりまぜたその場限りの芸を披露し、それを観た客たちは笑いを消費する。 ひと月前の自分のネタをいったい何人の観客が覚えているか。 自分さえ忘れているというのに。≪このまま流されるわけには、いかない≫そんな時、紅子に出会った。 彼女は花丸が所属している芸能プロダクションに事務員として入社してきた。 けして華やかではなかったが、花丸は紅子の奇癖に強く引かれた。飲み会の席で、前に座った紅子と会話を交わすうちに、花丸はその奇癖に気づいた。「よろしくおねがいします」ぎこちなく挨拶する紅子。花丸が冗談を交えて答えると、そのあと紅子は、「すてきな蝶ネクタイ」と言った。「えっ、あ、これね」「イケてますよ。 いい趣味してますね」「そうかい。 照れるなあ」「根っから、センスがいいのね。 きっと」「君こそ、すてきだよ。 そのイヤリング」「とーんでもなーい」紅子は考えながら、ゆっくりしゃべる。 会話を交わすうちに、これはひょっとして、と思った。「このあと、ふたりっきりで、どこかで飲もうよ」「ええ! どうしようかなあ」「いいじゃないか」「あーーーした(明日)なら、いいわ」間違いない。 紅子は、自分自身の言葉を ‘しりとり’ している。ふたりでしりとりしながら掛け合い漫才すれば、画期的でおもしろいんじゃないのか。翌日、花丸は紅子に、自分の構想を語った。紅子はOKした。『しりとり漫才』 の始まりだ。やがて、一発芸人たちが消え去っても、花丸・紅子の 『しりとり漫才』 は廃れることはなかった。「こんにちはー! 花丸・紅子でーす!」紅:「すっかり冬めいてきましたねえ。 冬といえば──」花:「──婆さんがポックリあの世へ(え)」紅:「縁起わるいこと、いわんとお!」花:「おっと、こりゃ失礼」紅:「いいでっかあ。 冬と言えば、木枯らし。 木枯らし紋次郎が楊枝をヒュ~~~ っと飛ばして……。 はよー、止めー! いつまで言わせるんや! アホ!」花:「ほんまに、あんた、アホやなあ」紅:「アホはそっちや! なに聞いとんの」花:「飲んじゃったよー。 酔っぱらたあ。 ウエッ! 布団しけ!」紅:「けったいな人やなあ。 なんや、突然。 話がつながらへんよ」花:「酔った酔った。 (両手を突き出し) 寝るぞー!」紅:「ソンビかあ! キショクわるい」花:「いっそ殺して! ねえ、おねがい……」それは、けしてテンポのいい掛け合いとはいえない。しかし、不思議に聞くものに緊張を強いる。つぎは何を言うの? どんなふうに繋がっていくの?そして、観客は、ふたりの掛け合いと話の内容に不自然さが無いことを認め、惜しみない拍手をおくる。ふたりは日常会話も ‘しりとり’ で交わす。考えながらゆっくり話す。感情に流されない。時には、相手のことを思いやって、自分の語尾を考える。もうすぐ、芸能生活60年だ。来月、ひ孫ができる。
2005年01月28日
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「ねえ、あなたー! 見て、これこれ」妻が朝刊をテーブルに置いた。「どうしたんだよ、そんなにあわてて」「ほら、ここ」妻が指さす 『本日の精神異常認定者』 欄に目をやる。「お隣の竹田さんよ」「あの奥さんか?」「そうよ。 いつも赤いエプロンつけて、あたまのてっぺんから黄色い声 発して、ご近所を徘徊してた、あの変人よ」「そうか。 やっと精神病院に行ってくれたか」そう言いながら、目を下に移す。「あっ!」「どうしたの、あなた」「鋤本雄三って、これ、うちの会社の部長だよ」鋤本部長の血走った目が思い浮かぶ。「ほら、一度、年始の挨拶に行ったことがあるだろ。 小がらで丸太みたいな人」「あっ、思い出した。 いつも夢みたいなこと喚いてた人ね」妻の言うとおり、鋤本部長は机上の空論を振り回し、新規に事業部を立ち上げては、片っ端からつぶしていた。あの調子でやられたら会社がつぶれると思っていた矢先、やっと精神病院に行ってくれた。 まずは一安心。「ねえ、あなたー! たいへんよー!」妻がテーブルに置いた朝刊に、目をやる。そこには、トップに大見出しで、『精神異常者、集団脱走! 宇宙船を強奪し、逃亡!!!』の文字。「じきに捕まるだろ」「そんなのんきなこと言ってないでよ。 ほら、ここ、読んで」小見出しを読む。『強奪された宇宙船は、最新鋭の高速ワープ航法船。 追跡は不可能。 国際連合宇宙防衛軍は……』 「ねえ、あなたー! たいへんたいへんたいへん!」妻がテーブルに置いた朝刊に、目をやる。『半年前に精神異常者により強奪された高速ワープ船が、船隊を率いて航行中。 地球に向かっている模様』開錠される音がし、鋼鉄製の重い扉が開き、朝食が運ばれてきた。わたしは今、妻とともに精神病院に入院している。そのわけを手短に説明する。半年前に脱走した精神異常者が、宇宙で出会った異星人とウマが合い、手を組んで地球を侵略したのだ。やつらから見れば、わたしたちが精神異常者になるらしい。
2005年01月27日
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「中島ぁ! なに、もたもたやってんだあ!」部長の怒鳴り声が脳天に響く。早朝ミーティング──それは、前日の成果と問題点、今日これからの予定と目標を発表する時間だ。わたしはひとり立たされ、他の社員の面前で、自己批判を強いられている。──タダめし食ってんじゃねえ! ──カネは現場に埋まってるんだあ!──やる気あんのかあ!──やめちまえ! ボケ!わたしは、「はい、はい」 「がんばります 「善処します」 「努力します」と、ひたすら平身低頭する。──遊んでんじゃねえ!──あたまは生きてるうちに使え!──根性だ! 気合だ! いのち懸けろ!──さっさとやれ!胃がきりきり痛む。いっそ消えてなくなりたい。「よし、次ぃ!」やっと嵐が去った。ちからなく座り込む。動悸がおさまるのを静かに待つ。「中島ぁ! なに、もたもたやってんだあ!」な、なんだなんだ?!気が付くと、わたしは立っていた。──タダめし食ってんじゃねえ! ──カネは現場に埋まってるんだあ!……さっきの繰り返しじゃないか!ふたたび動悸が激しくなる。わけが分からない。どうして、繰り返すんだ。──遊んでんじゃねえ!──あたまは生きてるうちに使え!部長の表情も声もさっきと同じだ。「よし、次ぃ!」座り込む。呼吸するのが苦しいくらい、心臓がバクバクいっている。「中島ぁ! なに、もたもたやってんだあ!」またかよ!わたしは、なぜか、立っている。──タダめし食ってんじゃねえ! ──カネは現場に埋まってるんだあ!過去にタイムトリップして同じことを繰り返してる。記憶は改まることなく、積み重なっていく。──タダめし食ってんじゃねえ! ──カネは現場に埋まってるんだあ!ま、まさか、永遠に繰り返すんじゃないだろうな?──遊んでんじゃねえ!──あたまは生きてるうちに使え!「よし、次ぃ!」座り込む。すぐに、となりの席の先輩が起立する。「えー、わたくしは……」どうやら、もう繰り返さないようだ。ふ~っと溜息をもらし、ゴクリと唾を飲む。今のはなんだったんだ?!気のせいなんかじゃ、ない。わたしだけに起こったのか? もう、起こらないでくれよ。 キ~ン、コ~ン、カ~ン、コ~ン……。午前中いっぱい、仕事にならなかった。お昼休みを告げるチャイムが鳴ると、急いで食堂に向かった。社食を摂りながらボォーとできる時間──わたしの至福のひとときだ。いのちの洗濯の時間だ。キ~ン、コ~ン、カ~ン、コ~ン……。ええええ!!!わたしは、つくえに向かっていた。もう、昼休みは終わりかよ!お腹は満たされているような気がする。しかし、なにかを食べた記憶がない。なんてこった! きょう一日、仕事にならなかった。幸い、きょうは金曜日、明日は休みだ。恋人の幸江との待ち合わせの場所に急ぐ。幸江、慰めてくれ! あたまが変になりそうだよ。いつもの喫茶店に入ると、先に来ていた幸江が手を振る。「やあ! 待った?」「楽しかったわ」駅の改札。ええええ!!!もう、デートは終わってるのかよ!幸江は改札を抜けて人ごみの中に消えていく。ドン! と誰かが肩にぶつかる。「ボサっと、突っ立ってんじゃねえ!」ふり向きざま、顔面にパンチをうける。「痛てえ!」うずくまる。ドン! 誰かが肩にぶつかる。「ボサっと、突っ立ってんじゃねえ!」ふり向きざま、顔面にパンチ。「痛てえ」と、うずくまる。ドン!「ボサっと、突っ立ってんじゃねえ!」ふり向きざま、顔面にパンチ。「痛てえ」と、うずくまる。人々が通り過ぎていく。無数の足音が聞こえる。悪いことは3回繰り返し、良いことはあっというまに過ぎ去る。わたしの人生って、いったい何なんだああああああ!
2005年01月26日
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郵便局に入ろうとしたら、入り口で、うちの向かいの篠塚さんの奥さんが屈んで叫んでいた。「マーちゃーん! マーちゃーん!」よく見ると、彼女の足元に、飼い犬のマルチーズが横たわっていた。絶命しているようだ。「ど、どうしたんですか?!」「郵便局で用を足して出てきたら、自転車につないでいたマーちゃんが、 倒れていて……、マーちゃーん! マーちゃーん!」最後まで言わずに泣き崩れた。「ちょっと、見せてください」屈んで、マーちゃんの状態を詳細に確認する。頭頂部と腹部からわずかに出血している。状況からして、交通事故には思えない。おそらく、なにものかが、棒かなにかで数回殴打したのだろう。「何分くらい、目を放していたんですか?」「2,3分です」 篠塚さんの奥さんは、泣きながら答えた。短時間の犯行か。とすると、尾行してきたものによる計画的犯行の可能性が濃厚だな。あたりを見回す。 犯人が何かを残していったかもしれない。おや?ドアの近くに、スーパーのビニール袋が落ちている。この町はクリーン運動模範地区として、ゴミのポイ捨てはめったにない。おかしいぞ。ビニール袋を拾い上げ、確認する。おもった通りだ。外側の中央にわずかな血痕と犬の毛らしきものが見られる。袋の中に目をやる。空っぽだ。 しかし、顔をつっこんで良く見えると……。そのとき、自動ドアが開いて、うちのお隣の中村のお婆ちゃんが出てきた。彼女の手にしているものを見て、私はピーンと来た。泣き崩れている篠塚の奥さんをそこに置き、私は中村のお婆ちゃんのあとを追った。しばらくすると、歩道にでた。まわりに誰もいないのを確認して、私は声をかけた。「ちょっと、中村の婆ちゃん!」婆ちゃんがふり向く。「なんじゃ、びっくりした! となりのヤン坊じゃないか。 驚かすな!」この婆さんは、私のことを生まれたときから知っている。私のことをいくつになっても「ヤン坊、ヤン坊」と呼ぶ。「婆ちゃんですね。 さっきのマルチーズを殺したのは」「なんのこっちゃろか?」曲がった腰をすこし反らしぎみにして言った。「とぼけないで、婆ちゃん。 篠塚さんちの飼い犬のマーちゃんですよ」「はてえ? さっぱり分からん」「相変わらずだな、婆ちゃん。 いくらとぼけてもボクには通用しませんよ」婆ちゃんの目がきらりと光ったような気がした。「わしが犬を殺したじゃとぉ? か弱い老人をつかまえてえ。 なにを証拠に、そんなこと言うんじゃ?」「婆ちゃんの手にしている巾着袋ですよ!」婆ちゃんが少し動揺した。「な、なんじゃとぉ? こ、これが、どうかしたんかあ?」「それで、あのマルチーズを打ち殺したんです」「ば、ばかも休みやすみ言え! こんな軽いもんで、どうやって殺すんじゃ!」そう言って、婆ちゃんは巾着袋のくちを開き、逆さにして上下に振った。「空っぽじゃよ」そして、ふぁふぁふぁ~と、入れ歯のあいだから笑い声を吐き出した。「これを見て! 婆ちゃん!」私は、さっき拾ったスーパーのビニール袋を婆ちゃんの顔前につきだした。「それが、どうした?」「これの外側には、マーちゃんのものと思われる血痕が付着しています。 そして、この中に、ほら、紫色の糸があるでしょ!」婆ちゃんは、この期に及んで、首をかしげてすっとぼけている。「これは、その巾着袋に使われている糸と同じものでしょ。 つまり、婆ちゃんは、たくさんの硬貨を入れて重くした巾着袋を スーパーのビニール袋に包み、マルチーズを連れた篠塚さんの あとをつけたのです。 そして、篠塚さんがマルチーズから目を放したほんのわずかな時間に、 その巾着袋の紐の端を持って、ぐるぐる振り回して、マルチーズを 殴打したんです。 遠心力によって、相当な力が発生しますからね」「な、なにをばかなことを」「最後まで聞いて、婆ちゃん! それから、なにくわぬ顔で、その硬貨をATMの硬貨受け入れ口に入れて、 自分の口座に入金したんです」「な、なんじゃとぉ! そ、それは、単なる状況証拠じゃろ!」婆ちゃんは、娘さんが嫁ぎ、旦那さんに先立たれてから、一人暮らしだ。そんな婆ちゃんの趣味が、推理小説を読むってことは、古本屋の推理小説コーナーでうろちょろしている姿をよく見かけるので、察しがついている。じゃなきゃ、‘状況証拠’ なんて言葉が、すらすら出てくるわけがない。「いいですか! 婆ちゃん! 婆ちゃんがさっきATMに入れた硬貨には、 調べてみると、わずかだけど、犬を殴打したときの衝撃反応が出るはずです!」「な、なんじゃとぉ!」「硬貨を一度に大量に入金する人は、めったにいないでしょう。 銀行に入金された時間と、婆ちゃんの入金履歴を調べれば、 結果は明らかです!」婆ちゃんは、声も出せず、うつむいてしょんぼりしていた。「婆ちゃん。 向かいの篠塚さんとこのマルチーズが、ワンワンワンワン むやみに吠えて迷惑だったのは、うちも同じです。 あの犬と飼い主の篠塚さんには悪いけど、ボクだって殺したいくらいでしたよ」婆ちゃんはわずかに顔をあげて、わたしを見た。「このことは誰にも言いません! これからは、あまり、あぶないことしないでね」そう言って、わたしは踵を返した。「ヤン坊! たまに、うちに来いや。 くずもち食わせっからよ。 うめえぞ」婆ちゃんの声を背中で聞きながら、郵便局へと歩いた。
2005年01月25日
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社員旅行で泊まった旅館で、夜、お婆さんが昔話をするという。おもしろそうなので、同僚を誘って聴くことにした。仲居さんに連れられて行ったのは、離れの小さな茅葺き屋根の家屋だった。入ると、3人の先客が背中を向けて座っていた。軽くあいさつをして、となりに並んでいる座布団に座る。中央に囲炉裏があり、そのむこうに小さなお婆さんが座っていた。囲炉裏には大きな鉄瓶がつるされいて、白い湯気をたてていた。「この村の由来を知っておるかのぅ」お婆さんは唐突に話を始めた。私たちが首をかしげるのを確認したのかしないのか、話はつづく。「‘茂る蔵’ と書いて茂蔵(もぐら)と読む。 ここ、茂蔵村の守り神は、その名のとおり、もぐらなのじゃ。 ケケケケケ」ケケケケケと小さな声で笑ったあと、お婆さんは一息ついた。「室町のご時世のことじゃ。 京の都では飢餓に苦しむ民もおったそうじゃがのぅ、 この村には山芋やら椎茸が豊富にあったもんでのぅ、 食うには困らんかった。 ケケケケケ」 そこで、手元の湯飲み茶碗をくちに運び、ズズズーとすすった。「ある日のぅ、村のはずれに、どこから流れてきおったのか、 小僧っ子が住みつきはじめてのう。 掘っ立て小屋を建てて、畑まで耕しはじめたのじゃ。 そこで、村の長老が若けぇしを何人か連れてのぅ、 『あいさつも無しに、けしからん』って、押しかけていったのじゃ。 ケケケケケ」胸元からちり紙を出して、チーンと鼻を噛んだ。噛みおわった紙を開いてしばらく見つめ、丸めて胸元にねじこんだ。「すると、小僧っ子がのぅ、畑にしゃがんで、なにやらやっておったんじゃ。 長老たちが近づいて見ると、畑の真ん中に穴があいておってのぅ、 そこからもぐらが顔を出しておったんじゃ。 小僧っ子は、そのもぐらにミミズを与えておったわ。 ケケケケケ」目を瞑ってじっとしていた。首をこっくりさせると、驚いたように目をみひらいた。眠っていたようだ。「長老たちが、なにを言っても、小僧っ子は無視してのぅ。 怒った若けぇしたちが、『なんだ、こんなもぐら!』って、 もぐらを踏んずけたのじゃ。 するとのぅ、 ドドドドドっと、もぐらが地表に出てきおったんじゃ。 長老たちは腰を抜かしたわ。 なんと、地表に出てきたもぐらの体長が、300メートル以上あったからのぅ。 長老たちが泡を食っている間に、もぐらは小僧っ子を乗せたまま、また、 地下にもぐっていったんじゃと。 それ以来、そのもぐら様は、地面の下から、この村を守ってくれてるのじゃ。 ケケケケケ、ケケケケケケケケケケケケケケケケケ」 お婆さんの笑い声に合わせるかのように、地面が、 ドドドドドド、ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドっと、大きく震えた。
2005年01月24日
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いつもの習慣で、就寝前にパソコンを立ち上げ、受信トレイを開いてメイルを確認した。エッチサイトからの宣伝メイル2通とデジカメサイトからのメイル1通を開かずにゴミ箱に送り、残ったメイルを開いて確認していった。最後に、送信者:かくれんぼちゃん 件名:かくれんぼしましょが、残った。さて、どうしようか、ウイルスメイルだったらイヤだなあ、などと思いつつ、おもしろそうなので、ダブルクリックして開いた。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽は~い! はじめまして!いやな事件が頻発する昨今、いかがお過ごしですか~?気分転換に、かくれんぼは、いかがですか?以下のURLをクリックしてみて!http//kakurennbo.mikke.***jp∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽迷わず、URLをクリックする。ごく一般的なデザインの掲示板に跳んだ。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽おや、お客さん、さっそく来ましたね!ありがとさ~ん。でも、わたしは、もう、ここには、いません。以下のサイトに隠れました。http//uhauha.dokodadokoda.***jp∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽あっ、そういうことね、と思いながら、URLをクリックする。画面いっぱいが日本地図のサイトに跳んだ。画面下に、≪あなたの近くにいます≫の文字が現れ、点滅していた。地図上の自分の在籍地である栃木県をクリックした。画面左上の縮尺が1/10000から、1/2000に変わり、栃木県の地図が現れた。さらに的を絞るべく、クリックしていく。縮尺が1/2000から、1/1000……、1/200になったところで自宅周辺の詳細地図が現れた。緑色の丸い点が点滅しながら道なりに移動している。むかし流行ったTVゲームのパックマンのようだ。緑色の点を待ち伏せしてクリックする。すると、また、別のサイトに跳んだ。左右が2分割されていて、それぞれに同じような絵があった。画面左上に、≪間違い探しです。 左右の絵で違う箇所が7つあります。 左右どちらでもいいですから、違う部分をクリックしてね!≫という説明文があった。20分ほどかかって、7つ全部をみつけだした。7つ目の箇所をクリックすると、また別のサイトに飛んだ。………こんなふうにゲームを数回つづけた。ああ、もう厭きたなあと思った頃、突然ドカーンと大きな文字が現れた。≪はーい、ごくろうさまでーす! あなたがネットで処理している郵便口座(ぱるる)と銀行口座の 残高は、ゼロになりました! 空き巣や強盗にもご用心!≫な、なんだああああああああ!あわててネット内の郵便口座と銀行口座の残高を確認する。どちらも異常はない。ふーっと安堵のため息をもらし、「冗談もほどほどにしろ! バカ!」と、おもわず怒鳴っていた。2日後、私の郵便口座と銀行口座の残高は、ゼロになっていた。いまさら分かっても、もう遅い。あの一連のかくれんぼゲームの最後に、わたしの口座番号や暗証番号をキー入力するように、うまく誘導されたんだ。そして、そのキーの動きが、なんらかの方法で相手に送信された。あっ!いま、下の階で物音がした。だれもいないはずだ。そういえば、あのゲームの最後に、こんな警告文があったな。≪空き巣や強盗にもご用心!≫
2005年01月23日
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ドーナツ型の惑星 『ツーナド』 と、円錐型の惑星 『スイーン』 が同一軌道上を公転していた。公転の中心にある太陽から眺めると、常に、『ツーナド』 は縦方向(公転の軌跡が作る面に垂直方向)に長い長方形に、『スイーン』 は公転の軌道で線対称に2分される二等辺三角形(とんがった方が公転の進行方向をさしている)に見える。どちらの惑星も自転軸は公転の軌道上(公転の軌跡上)にある。『スイーン』 は 『ツーナド』 の2倍の速度で公転する。 だから、『ツイード』にとって年1回、『スイーン』 にしてみれば年2回、ふたつの惑星は交錯する。交錯といっても衝突するわけではない。『ツーナド』 の内円の輪の径は、『スイーン』 の底面の円の径よりわずかに大きい。つまり、円錐型 『スイーン』 は掘削機の先端のようにグリグリと回転しながら、ドーナツ型 『ツーナド』 の内円の輪をくぐっていく。『スイーン』 の尖塔部が 『ツーナド』 の輪の中心に到達してから底面が通過するまで、『スイーン』 の時間で15日を要する。そのあいだ、ふたつの惑星はお祭り騒ぎになる。それぞれの住民が宇宙船で行き来し、歌い踊り酔い、そして愛し合う。文化が交流し、食料や鉱石などの特産物が交換される。肉体の祭典であるオリンピックが開かれるのも、この時だ。こうしてふたつの惑星は何億年も交流し、助け合ってきた。ある時──。『ツーナド』 内部に激しい地殻変動が起こった。大地震のさなか、わずかな住民が宇宙船に乗り込み、大気圏外へ逃げた。最初の大爆発でひとつの地域が完全に吹っ飛び、「C」型になった。その後の数回の大爆発で、内包されていた力のエネルギーが解放され、完全な「円柱」になった。それは、公転の中心にある太陽から眺めると、以前と同じ、縦方向(公転の軌跡が作る面に垂直方向)に長い長方形であった。自転軸は下面と上面の円の中心を結ぶ線になった。さて、『ツーナド』 の突然の形状変化に、『スイーン』 の住民は恐れをなした。≪このままでは、やがて衝突する≫パニックのさなか、わずかな住民が宇宙船に乗り込み、大気圏外へ逃げた。やがて、『スイーン』 の尖塔部が、円柱型 『ツーナド』 の側面に突き刺さった。そして、ゆっくりめり込んでいき、反対側の側面に尖塔部が七分の一ほど突き出て、止まった。そのままもとの軌道上を公転するかに見えたが、違った。衝突の際、『ツーナド』 の自転に流され、『スイーン』 の尖塔部がわずかに内側(公転の中心側)に向いた。そのため、公転の軌道が内側(公転の中心側)にずれた。2ヵ月後、内側を公転運動していた球形の惑星 『テリラ』 に、尖塔部が追いかけるかたちで突き刺さった。これがすなわち、夜空にひときわ生彩を放つ惑星 『マダーケン』──愛称 ‘けん玉星’ の由来だ。
2005年01月22日
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国文学者、金田一大地(きんだいち・だいち)は憂えている。いったい何を?それは、彼の叫び声を聞いてみれば分かる。ほら、繁華街のど真ん中で、狂ったようにわめいているでしょう。 「おまえらあ! よーく聞けい! 日本人は、素行以前に、言葉が乱れとる! 特に抑揚がおかしい。 彼氏(ドレファ)じゃなくて、彼氏(ミレド)だろー! ※以下、( )内はひとつのオクターブ内の音階を示す。 パンツゥ(ドレファ)じゃなくて、パンツ(ミレド)だろー! ドキドキしたぁ(ドレミファミファ)じゃなくて、ドキドキした(ソファファミミファ)だろー! 良くない?(ドレミソ)じゃなくて、良くない?(ソミミファ)だろー! かなり(ドレファ)じゃなくて、かなり(ミレド)だろー! あかちゃん(ドレミ~)じゃなくて、あかちゃん(ミレド~)だろー! 銀行(ミレド~)じゃなくて、銀行(ドレミ~)だろー!」 そこにカップルが通りかかった。 「うるさいなあ、じいさん」 長髪の青年が怒鳴った。 「なんじゃ、おまえらは」 「戦闘にいった帰りで、気持ちよく歩いてんのに、雰囲気ぶちこわすな!」 「戦闘? それを言うなら ‘銭湯’ だろう?」 「うるせえんだよ! おめえの言うことなんか、菊耳持たねえ!」 「菊耳? そりゃ、‘聞く耳’ だろ?」 「だまれえ! じじい!」 青年が怒りに駆られて頭をゆすると、長いもみあげがはだけ、 ニョキっと菊の花が現れた。 「だまらねえと、こうしてやるぞ!」 青年は小脇にかかえた風呂桶から拳銃を取り出す。 バピューン! 金田一の足もとを威嚇射撃する。 「ひゃ~!」 「戦闘帰りで、いらだってんだあ!」 バピューン! バピューン! 「わあ、たすけてくれえええ!」 「秘境だぞー! 逃げるなあ!」 「わああ、そ、それを言うなら ‘卑怯’ だろう?」 金田一は逃げながらも指摘した。
2005年01月21日
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いつものように始業時刻10分前にデスクにつき、帳簿をひろげる。タバコは吸わない。 コーヒーもくちにしない。あごに手を当て、ひたすら帳簿に目をやる。しかし、田中一郎の目は、数字も文字も見ていない。ぼーっとして、ひたすら時が過ぎるのを待つ。3週間後に定年退職する予定の彼には、仕事は無い。後輩や後任者への仕事の受け継ぎはもう済んだ。彼は暇なのだ。残った有給休暇を使って、退職日まで全休することも出来る。しかし、休んだとて、暇だ。 これといった趣味もない彼には時間のつぶし方がわからない。「おはようございます」と言って、部下たちが入室してくる。始業ベルが鳴る。さて、きょうは何をして過ごそうか。鼻毛はおおかた抜いた。 壁のキズも数えつくした。お菓子も食べ飽きた。ああ、暇だなあ。ふと、胸の社員章に目をやる。『経理部・部長補佐・田中一郎』部長補佐、おれもここまでか……。そう思った瞬間、胸が締め付けられるように痛んだ。うっ! なんだ、この痛みは。そして、誰かの思念が頭に飛び込んできた。≪あ~あ、お祖母ちゃんは寝たきりだし、母さんは……≫すぐにそれは、前の席の入社12年目の女子社員のものだとわかった。≪嫁さん帰ってきてくれ~≫今度はドアの前の席の中堅男子社員のものだ。≪お金がねえよおおおお≫ ≪弟のやつ、親父の……≫なんてこった! 今ごろになって……。≪客先のSさんが……≫ ≪辞めようかなあ。だって……≫わき目もふらず働いてきた。 出世のため、いや、家族のためだ。そして、2人の子どもをりっぱに成人させ、大学にもやった。≪ああ、胃が痛い≫ ≪いじめに……≫その代償か? 今になって──出世をあきらめた今頃になって、 ‘他人の痛み’ が分かるなんて!これらの思念は、部下の家族構成表を丹念に読めば、推し量れたんじゃないのか?飲み会のときの愚痴を親身になって聞いてやれば、想像できたんじゃないのか? あああ、なんで今頃になって……。そうだ! まだ遅くは無い。これから、他人の痛みが分かる人間になれるよう努力しよう。遅くは無いさ。‘人間、学ぶのに遅すぎることはない’って、誰かが言ったじゃないか。ドアが開いた。うっ! 田中一郎の右足に激痛が走った。「やあ、遅れてすみません! けさ、事故っちゃったもんで」部下が松葉杖をつきながら入ってきた。田中一郎に、他人の心の痛みだけでなく、肉体の痛みも分かるようにしたのは、神様のちょっとしたいたずらだ。
2005年01月20日
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旅先の骨董屋で絵を買った。それは葉書より少し大きめで、写真入れにおさまっていた。寝室の出窓に置いた。不気味な絵だ。全体的にセピア色で、年代を感じさせる。季節は冬。一面、枯れた雑木林。 枝々に細く雪がのっている──まるで骸骨だ。左中央よりに洋館の2階部分が見え、両開き窓が大きく開いている。左下から右上にかけて、くねった道があり、洋館の前を通って山奥へと続いている。ヨーロッパあたりの別荘だろうか。 洋館の中にはどんな人が住んでいるのだろう。この山道はあまり人は通らないようだな。 山から薪を拾ってくるのかな。毎晩、そんなふうに想像をふくらませて遊び、床に就く。3ヶ月ほど経ったころだろうか。絵の中、山道の向こうに黒い点が出来ているのに気づいた。絵の具の自然劣化だろうか。 初めて目にする。不思議なことに、それは日を追うごとに少しずつこちら側に近づいてくる。遠近法に従い、少しずつ大きくなりながら。4日目。 その黒い点は人間らしいことが判る。 棒のようなものを手にしている。7日目。 その人間は上半身はだかの男だと判る。 どんどん近づいてくる。おそろしい形相だ。 9日目。男は道の中央あたりに来た。 手にしているのは斧のようだ。 ふりかざして何か叫んでいる。10日目。 男が消えた。13日目。 絵の下のほうに黒光りするものが出現した。あっ、動いてる。 ズンズン上がってきた。 斧だ!続いて鬼のような顔が!わっ! 絵の枠に手がかかってる!ガシャン!恐ろしくなり、絵を床に叩きつけ、何度も何度も踏みつける。ズタズタになったそいつを拾い上げ、窓外に投げ捨てようとしてブラインドを上げると──。うわああああああああああああああああああああ!
2005年01月19日
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北朝鮮の親友、イム・パオクーからE・メイルがあった。『決死の思いで創作した小説を読んでくれ』 とのこと。彼の職業や国家的立場を明かすことは出来ないが、自称‘作家’であることは、お教えしても差し支えないだろう。(もちろん ‘イム・パオクー’ は本名ではなく、ペンネームなので ご心配なく)以下は、彼の小説を日本風アレンジを加えつつ和訳したものだ。∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ランチを摂るため喫茶店に入り、スパゲッティを注文した。店内はほぼ満員だ。ビジネスマンが10人あまり、学生が7,8人といったところか。ひとつ前のテーブルで、とびきり美しいOLが、細くたたんだ新聞を読みながらグラタンを食べている。私同様、正面の席には誰もいないので、向き合うかっこうだ。魅力的な女性だ。私は気づかれないように、窓の外を見ているふりをして横目で彼女を観察することにした。突然、ぞわ~っと、冷気を感じた。なにかが私の横──窓と反対側の通路──を通りすぎていった。おもわず見上げる。ボロきれが、いや、浮浪者のうしろ姿が目に入った。浮浪者は前のテーブルの横で立ち止まり、OLを見下ろした。そしてグラタンの皿を覗き込みながら、両手でグシャグシャの髪の毛を数回かきむしった。パラパラとフケが落ちる。OLは気づかないのか、新聞に目をやりながら食事を続けている。やがて浮浪者は屈みこんだ。 その時、ボロきれのような胸元が開き、肋骨が浮き出たガリガリの胸部が見えた。浮浪者は、OLが持っているスプーンの動きに合わせ、目を上下させている。クンクン、クンクンと鼻をひくつかせている。OLは全く気づいた様子がない。あっ! 浮浪者のくちからヨダレが垂れた。しかし、そのヨダレはテーブルを通過して床に落ちた。 いや、床も通過していった。どういうことだ?あっ! OLの肩に手をかけたぞ! しかし、その手は雲をつかむようにふわぁ~っとOLの体を通り抜けた。ヤ、ヤツは、ひょっとすると──。突然、ヤツがジロッとこっちを見た。とっさに目をそらす。その時、折りよくテーブルにスパゲッティが運ばれてきた。落ち着け。 前を見るな。 自分のテーブルだけを見るんだ。震える手でスプーンをつかみ、スパゲッティをほおばる。ヤツを見ちゃダメだ。 気づかないふりをするんだ。あわてて食べていたので喉がつかえた。コップに手を伸ばそうとすると、先にそのコップを黒い手がつかんだ。うぎゃああああ!コップのむこうにヤツの顔がああああ!ヤ、ヤツが、前の席に座っている!!!「おまえ、オレが見えるだろ?」心臓がくちから飛び出しそうになる。 落ち着け。 落ち着くんだ。 目を合わせるな。ごくりと唾を飲む。「なあ、見えるんだろ?」無視するんだ。答えちゃいけない。必死にスパゲッティをくちにほうりこむ。早くどこかに行ってくれ。 お願いだあ。その時、横に別の冷気を感じた。「やあ! ここにいたのか」ま、まさかあ!恐るおそる横に目をやる。うわわわわ。もうひとり同じようなのが現れたあ。 ヤツの仲間だあ。「ちょっと暇つぶしだよ」 前のヤツが立ち上がりながら言った。「こんなやつら、相手にするな! さあ、行くぞ」 横のヤツが前のヤツの手を引く。「可哀相なやつらなんだけどな。 そうだな。 相手に しないほうがいいな」「そうだよ。 オレたちは生きるんだ。 こいつらみたいに、死んで、のほほんと ‘あの世の喫茶店’ とやらで 空しい食事をしているより、飢餓に苦しみながらでも生きているほうがマシだよ」∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽このE・メイルが届いてから3ヵ月後、ある消息筋から、『イム・パオクー、脱北に失敗し、自害!』 の報を入手した。彼は今ごろ、たらふく食事を摂っていることと思う。
2005年01月18日
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≪芝浦倉庫付近で銃撃戦≫の無線を受け、たまたま近くをパトカーで走っていた元川警部と部下の和井川巡査は、あわててUターンして現場にむかった。ふたりが駆けつけたときには、すでに銃撃戦は終わっていた。あたりには死体がゴロゴロころがっていた。「警部。 こいつら、だいぶ派手にやらかしましたねえ」ざっと見ただけでも20体以上の血まみれの死体があった。「そのようだな」元川警部は、足もとでうつぶせに倒れている死体(ホトケ)の横顔に目をやった。「こ、これは!」「どうしたんですか、警部」和井川巡査が歩み寄る。「見ろ! こいつの顔(メン)を。 角刈りの頭にゲジゲジ眉毛、そして きれいに生(は)え揃ったチョビ髭。 こ、こいつは、まさしく──」「──ドリフターズの加トちゃん」「バカ! ヒトラーだ」「え?」「ドイツ・ナチス党のアドルフ・ヒトラーだよ」「ま、まさか!」「こいつも、こいつも。 ああ、こいつもだ」元川警部は、ころがっている死体に走り寄っては屈(かが)み込み、顔を確認していった。「みんな、みんな、ヒトラーだあ!」「ど、どういうことですか?!」元川警部はあごに手を当て、考え込む。やがて、「クローンだ!」「なんですってえ!」「こいつらはクローンだよ。 おそらく、なんらかの陰謀により 第二次世界大戦で戦死したヒトラーのDNAが保存され、 現代によみがえったんだあ!」「うぎょー!」「そして、成人してから結集し、世界征服をたくらんだ」「で、でも。 どうして、こいつらは殺しあったんですか?」「こいつらは、顔や体型などの外形を継承しただけでなく、 性格まで継承したんだ。 それで殺しあったんだ」「ど、どういうことですか?」「わからないのか、鈍感だなあ。 かのユダヤ系ドイツ人のブッケン・バウワー・シュタイン博士が ‘ヒトラー性格分析’ で語っているように」和井川巡査は、鼻くそをほじりだした。「よく聞きたまえ! いいか。 ヒトラーは、‘天上天下唯我独尊’、‘オレがオレが’ の 『オレ様主義』 だったんだ。 だから、常に自分がトップでいなければ 気がすまないんだよ」「ふ、あ~~~~~~あ」和井川巡査が大きなあくびをした。元川警部は、あきれた。まったく、なんて出来の悪いやつ。しかしその反面、安心もした。両雄並び立たず。すぐれたもの──しかも、まったく同じもの──は共存しえない。そう、このヒトラーたちのように。しかし、和井川巡査のように、マヌケだが個性的なやつらは……。ピーポー、ピーポー、ピーポー。そばに3台のパトカーが止まった。ぞろぞろと警官が降りてきて、「ごくろうさまです!」と言いながら元川警部に歩み寄る。そして敬礼し、「芝浦署、巡査のP川です」「おなじく、巡査のS川です」「巡査部長のM川です」………「ごくろう!」 元川警部も軽く敬礼した。「ごくろうさまです!」 和井(Y)川巡査も遅ればせながら敬礼した。みんなみんな同じ顔、同じ体型。
2005年01月17日
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「さて、みなさん!」東和大学ミステリィ同好会の部室には、総勢23名の部員のうちの12名がいた。雑多な文化系同好会で占めるアーチ状建物の2階の一画。狭い部屋だ。 半分の部員がやっと肩を触れ合わない程度に座っていられる。「1階の集会所では、残りの11名(1,2,3年生)により ‘4年生歓送会’ の準備が着々と進められていまーす」幹事役の茶屋ノ小路 幹夫(3年生)は、ひとつしかないドアの前に立ち、緊張気味に話をつづけた。「では、ここで、毎年恒例の謎解き遊びのご説明をしまーす」そこでくちびるをちょっと舐めた。「えー、今年は ‘そしてふたり以外だれもいなくなった’ と題しまして、 人抜けゲームをしまーす。 私が出て行ったあと、残りの11人 のうちの9人が1人づつ、ある決まりに則って部屋を出ていきまーす。 つまり、残された2人以外の9人はグルでーす」「なにー、それぇ! 信じらんなーい!」 3年生の毛塚裕子が叫んだ。「ご静粛にー! さあ、なにも知らない2人は、残りの9人がすべて出て行く前に、 ‘ある決まり’ を解明できるでしょうかー?!」「おもしろそうじゃん」 と4年生の小森香織。「では、はじめまーす。 このタイマーは2分おきにアラームが鳴るようにセットされてまーす。 鳴るたびに1人づつ抜けていきまーす。 ペチッっと!」茶屋ノ小路 幹夫は、セットした携帯型タイマーを古づくえの上に置いて部屋を出た。「ここにいる11人のうち、9人が真相を知っているんですよね」最初に2年生の田中始がくちを開いた。「最後まで2人が残されたとしたら、その2人は相当マヌケってことになる」と、4年生の松本健太郎。「そうねえ」 と、4年生の水越弓枝がタバコに火をつけながら言う。その水越をちらっとにらみ、3年生の六本木幸一が言った。「最初のひとりが水越さんじゃないってことは、決まりですね!」「えっ、 どうして?」と水越。「だって、水越さん、タバコは最後まで吸うほうだし、歩きタバコはしないでしょ。 あと1分あまりで吸い終わるとは思えないから」水越はニィっと笑いながらゆっくり紫煙を吐いた。しばらく沈黙がつづいた。ピロ~ン、ピロ~ン、ピロ~ン。最初のアラーム。「では、歓送会会場でお待ちしてまーす!」3年生の毛塚裕子が出て行った。「なーに、あの人。 最初に叫んでたじゃん!」4年生の榊原郁子があきれ顔で言った。「お芝居のセンスも試されるってことですね」1年生の中ノ島健斗が遠慮気味に言った。会話が途絶えがちになる。「みんな、ボロを出さないように寡黙だねえ」 と、4年生の海老原豊。「そういう先輩だって、それ、お芝居じゃないの?」2年生の神林秀子が喰ってかかる。ピロ~ン、ピロ~ン、ピロ~ン。2回目のアラーム。「じゃ、さらばじゃ~~~~~!」4年生の五木高志が投げキッスをして出て行った。「ぶっ! あいかわらず陽気なやつ」 4年生の松本健太郎がつぶやく。ひとり去り、ふたり去り、さんにんが去り……。7回のアラームを経て、中ノ島健斗(1年生)、海老原豊(4年生)、松本健太郎(4年生)、榊原郁子(4年生)の4人が残った。「ここで、まとめてみましょう」1年生の中ノ島健斗が会議用黒板の前に立ち、水性マジックをつかんでキャップを取った。1.毛塚裕子(けづかひろこ)(KEDUKAHIROKO)・女・3年2.五木高志(いつきたかし)(ITUKITAKASHI)・男・4年3.水越弓枝(みずこしゆみえ)(MIZUKOSHIYUMIE)・女・4年4.六本木幸一(ろっぽんぎこういち)(ROPPONGIKOICHI)・男・3年5.小森香織(こもりかおり)(KOMORIKAORI)・女・4年6.田中始(たなかはじめ)(TANAKAHAJIME)・男・2年7.神林秀子(かんばやしひでこ)(KANBAYASHIHIDEKO)・女・2年「あれえ、女・男・女・男……って交互になってる。 これが法則かなあ。 っとすると、次は……」ピロ~ン、ピロ~ン、ピロ~ン。8回目のアラーム。「では~!」中ノ島健斗は静かにマジックを置き、ペコリと頭をさげて出て行った。──と思いきや、ほどなくドアが開いた。中ノ島の顔がニョキ~っと現れ、「4番目の六本木さんは2番目のほうがベストでした。 これヒント!」バタンッ!中ノ島は去った。しばらくの沈黙のあと、4年生の榊原郁子が立ち上がってマジックを取り、書き足した。8.中ノ島健斗(なかのしまけんと)(NAKANOSHIMAKENTO)・男・1年「残りは4年生3人ね。 さあ、どちらかしら」榊原郁子が2人の男を交互に見ながら言った。「な、なに言ってるんだよ、『どちらかしら』なんて! 君かもしれないだろ」松本健太郎があわてて叫ぶ。そして沈黙。3人は黒板をみつめて考え込む。やがて、「松本さんね」ぽつんと、榊原郁子が言った。「ぼくもそう思う」海老原豊が立ち上がって榊原郁子に歩み寄る。「な、なにを根拠に!」 松本はさっきから落ち着きが無い。「ゲームの謎解きは出来ないけど」榊原郁子はうつむき、左手の薬指の指輪に目をやる。「なんとなくそう思うの」「なんとなくじゃ、ダメだよ!」「だって……」海老原豊も自分の左手の薬指に目をやる。「だって、ぼくたちには隠し事なんてありえないから!」ピロ~ン、ピロ~ン、ピロ~ン。最後のアラーム。松本健太郎は、そそくさと部屋を出て行く。「いや~、まいった、まいった。 のろけられたあ」 と頭をかきながら。ふたりが1階の会場に恐るおそる足を踏み入れたとたん、パァ~ン! パァ~ン! パァ~ン! パァ~ン! パァ~ン!たくさんのクラッカーが鳴った。「おめでとう!」 祝福の言葉がふりかかる。ふたりは目を丸くしながらはるか前方の黒板を仰ぎ見た。『 ★★★4年生歓送会★★★ 』 の文字の下に『 及び ★★★榊原郁子さん&海老原豊さん、結婚祝賀会★★★ 』の文字が見えた。「みずくさいぞー!」 「教務課の知り合いに聞いたんだよ」「先輩、おめでとうございます!」 「隠すなんて、ずるいぞー!」「こいつこいつこいつー!」 「籍だけ入れたのかあ」「あんな謎も解けないなんて、恋は盲目状態かあ?!」言葉やひじ鉄の嵐をかきわけ、ふたりは奥へ奥へと進んだ。黒板の下のほうが見えてきた。さっきのゲームの謎解きだ。1.毛塚裕子 (け)づかひろこ2.五木高志 い(つ)きたかし3.水越弓枝 みず(こ)しゆみえ4.六本木幸一 ろっぽ(ん)ぎこういち5.小森香織 こもりか(お)り6.田中始 たなかはじ(め)7.神林秀子 かんばやしひ(で)こ8.中ノ島健斗 なかのしまけん(と)9.松本健太郎 まつもとけんたろ(う)
2005年01月16日
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お風呂上り。パッチン、パッチン……。手の爪を切るタケルくん。≪‘夜、爪を切ると親の死に目にあえない’ っていう迷信があるなあ。 でもへっちゃら。 両親なんていないもん≫パッチン、パッチン……。タケルくんは3年前に両親を事故で亡くし、いま、おばあちゃんとふたり暮らしだ。≪ついでに足の爪も切っておこう≫パッチン、パッチン……。≪そういえば、ばあちゃん、いろんな迷信を教えてくれるよなあ≫パッチン、パッチン……。ばあちゃんは、いま、となりの台所で夕飯をつくっている。≪‘朝、出掛けに目の前を黒猫が通ると縁起が悪い’ とか、 ‘犬の夢をみた次の日は悪いことが起こる’ とか、 ‘3人で写真におさまった時、真ん中の人が一番先に死ぬ’ とか ‘夜、笛を吹くと……、ええとお……、なんだっけ?≫「おとなしくしろおおおお!」≪な、なんだあ?≫声がした台所のほうを見る。包丁を持った男が立っている。≪うわあああ! 強盗だあああああ!≫タケルくん、とっさにランドセルから縦笛を引っこ抜き、ピィ~~~~~~~~~~~~~~~~!ドサドサドサドサドサドサ……。強盗の頭上から何千匹もの蛇が落ち続けていた。
2005年01月15日
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本屋さんで本をさがしていると、ドンっと背中に誰かがぶつかった。右横を見ると、赤いジャージ姿の青年が通り過ぎていくところだった。痛いなあ。≪失礼≫くらい言えないのか? 非常識なヤツだ。「ハァ~ックション!」うわ!後頭部に軽い風圧とともに細かい水滴がかかったようだ。思わず身を引きながら左側を見る。「ファ~ックション!」こんどは顔面直撃だ。 それも至近距離、30センチも離れてないぞ。なんでわざわざこっちに顔をむけてクシャミするんだよ!「ハッ、ハッ、ハァ~クション!」だはあ! 痰が肩にかかったあ! 汚いなあ。怒鳴りつけようと思ったが、背広でびしっと決めたヤクザの幹部のようだったのでやめた。パシッ!な、なんだあ?! 右側が光ったぞ。パシッ!さっきの赤いジャージの兄ちゃんが、カメラ付き携帯で文献書のページを写してるぞ。パシッ! パシッ!まずいぞ、それ。ドンッ!痛たぁ。今度はお尻に何かがぶつかった。ふと見ると、ランドセルを背負った小学生が右横に立った。「先生、こんにちは!」えええ! あの赤ジャージの兄ちゃん、先生かよ。パシッ! パシッ!「おっ! なんだあ? 参考書か?」赤ジャージは写真を撮りながら少年に言う。「違ぁうよお。 コミックを2、3冊、万引きしようかなって思ってさ」パシッ! パシッ!「あ、そうか。 みつからないように、うまくやれよ」な、なんだとー! それが教育者の言うことか?!「へへへ、だいじょうぶ。 先生に教えてもらったとおりにやるから」ビリビリビリ~。 グシャグシャグシャ。 ブハ~~~~~~!ぎょっ。左側で背広のおっさんが、破いてしごいた辞書の紙片で鼻をかんでる。ブハ~~~~~! グハ~~~~~~~!ガァ~~~~~、ペッ!くるくる、ポイッ!その紙片を丸めてうしろに捨てたぞ。ドンッ!痛たっ!また誰かがぶつかった。「やっと見つけましたよ!」よれよれの背広姿の男が息を切らしながら左側の男に言った。「あっ、見つかっちゃった」「ダメですよ! 市長! お忍びでこんなところに来ちゃ」「すまんすまん」「午後から市議会ですよ」ビリビリビリ~。 グシャグシャグシャ。 ブハ~~~~~~!くるくる、ポイッ!市長はもう一度鼻をかむと、秘書とともに出て行った。パシッ! パシッ!「あ~、面倒だあ!」ガッコのセンエイは、文献書をコートの内側にしのばせ、出て行った。小学生は空のランドセルにコミックを10冊ほど詰め込み、出て行った。「どうなってんだあーーーー!」おもわず叫ぶと、「おい! このクソ客ぅ! 静かにしろ!」アルバイトの店員に頭をどつかれた。
2005年01月14日
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家の奥のトイレの横に部屋がある。そこは、まるで ‘座敷牢’ か ‘開かずの間’ のように不気味だ。薄暗くジメジメしている。そこの住人が無精なのか、唯一ある西側の戸はめったに開けられることはない。その部屋のドアをトントンとノックした。しばらく待ったが返事は無い。わたしは廊下に晩御飯をのせたお盆を置き、自分の部屋にもどった。「あー、楽しかった。 そろそろ帰るわ」幸江が言った。「そうか、近くまで送るよ」駅前でキスをして別れた。家にもどり、‘座敷牢’ の前をみた。お盆は無い。 起きているようだ。自分の部屋に行こうときびすを返した瞬間、腰に電流が走った。「痛てぇ!」その場にもんどりうって倒れた。腰の両側を押し付けるような痛み。 こんなの初めてだ。あおむけのままじっとして呼吸をととのえる。痛みが少しおさまり、起きようとして上半身を浮かした瞬間、ビリッ!「うぎゃぁあああああああ!」さっきより痛い。 涙が出た。どうにか半回転してうつぶせになり、這っていく。ゆっくり、ゆっくり。部屋にたどりつくが、ベッドに上がることができない。たおれたままジーパンのポケットから携帯を取り出し、ボタンを押す。≪はい、幸江よ≫≪あっ、オレだよ。 祐一だよ≫≪どうしたの、苦しそうな声出して≫≪ぎっくり腰で動けないんだ。 わるいけど、来てくれないか≫わずかな沈黙。≪えー! あたし、明日から友だちと旅行って言ったじゃない。 準備で忙しいの。 じゃあねえ!≫あっさり切れた。なんて冷たいやつ。 それでも将来を約束した仲か?さあ、どうしよう。 動けない。「どうしたんじゃ?」え!おどろいてドアのほうを見る。ばあちゃん!‘座敷牢’ で寝たきりだったんじゃ……。ばあちゃんは、どこにそんなちからがあるのか、わたしをよっこらしょと持ち上げ、ベッドに横たえてくれた。「ぎっくり腰じゃなあ、祐ぅ! ちっと安静にしとらぁ」それから1週間、ばあちゃんはわたしを看病してくれた。どこにそんなちからがあるんだい。半年前から寝たきりだったじゃないか。ばあちゃん、ありがとう!夜、天井をみつめて泣いた。ばあちゃん、ありがとう!最後のちからをふりしぼって、わたしを看病してくれたばあちゃん。ありがとう!いまも時々、思い出して泣く。
2005年01月13日
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はるか前方の教壇では、教授が 『フロイトの夢判断』 の講義をしている。なんて退屈なんだ。フロイトがどんなに偉い人か知らないが、私の夢はもっとすごい。登場人物が成長していくのだ。初めてその夢をみたのは10歳のときだ。明け方、起きる寸前にみたから覚えていたのかもしれない。夢の中で、赤ちゃんがカーペットの上を這い這いしていた。1歳に満たない子だろうか。 近くに両親とおぼしき男女がいた。ふたりは、「ゆみちゃん、ゆみちゃん、ゆみちゃん」 って言いながら手を叩いていた。 それで、赤ちゃんの名前が ‘ゆみちゃん ’だということがわかった。 ひとみがきれいな子だ。次にみたのは12歳のとき。小学校の卒業式の日、校長先生の長い訓示の最中にうとうとしてしまった。一面の花畑。 そこで赤ちゃんがよちよち歩きしていた。「ゆみちゃ~ん」って近くで呼ぶお母さんの声。あっ、この子、2年前にみた夢の赤ちゃんだなって判った。それから20歳になるまでの10年間、年に2回くらいのペースだから通算20回くらい、ゆみちゃんの夢をみた。ゆみちゃんは今10歳で小学校4年生。 本名は相田裕美子。北海道富良野に住んでいる。 海無しのちまちました栃木生まれの私と比べると、大自然の中で育った彼女はおおらかでたくましい。 夢とはいえ、うらやましいくらいだ。友だちと雪合戦をするゆみちゃん、ドサンコにまたがってさっそうと牧場を走るゆみちゃん、手づくりのスキー板に乗って雪原をすべるゆみちゃん……。ああ、なんだか眠くなってきたぞ。あっ、ゆみちゃんだ。授業中に居眠りしてるぞ。 ダメだなあ~って、他人のこと言えないか。どんな夢をみてるのかな?あれ? ま、まさか!ゆみちゃんは──私の夢の中のゆみちゃんは、私の夢をみている。そんな!授業中のゆみちゃが目覚めた。首をかしげている。≪お兄ちゃん、マコトお兄ちゃん!≫ゆみちゃんが私に意識を送ってきた。ためしに答えてみる。≪なんだい、ゆみちゃん≫≪あっ、マコトお兄ちゃん!≫≪きこえるのかい?≫≪きこえるわ!≫驚いて、私は目覚める。机によだれが垂れている。≪ゆみちゃん、きこえる?≫≪きこえるわ、マコトお兄ちゃん! あたし、ずっとお兄ちゃんの 夢をみてきたわ!≫な、なんだって! ゆみちゃんも私と同じように夢をみてきたのか。ゆみちゃんは、ひょっとして実在するんじゃないのか。「そう、あたしが相田裕美子!」前の席の女性がふりむきざま言った。私は腰が抜けそうになった。「つまり──」キャンパス内の喫茶店の隅の席で、ふたりは向かい合った。「つまり、ボクは10年前の君とテレパシーで意志伝達できるってことだね?」「そう、あたしから言うと、10年後のマコトお兄ちゃ──、マコトさんと テレパシーで意志伝達してきたってこと」「してきたって……、じゃあ、今もしてるっとこと?」「そうよ。 マコトさんもやってみれば」やってみればって、簡単に言われても。やってみるか。≪ゆみちゃん、ゆみちゃん。 きこえる?≫≪あっ、マコトお兄ちゃん。 きこえるわ≫「で、いまやったことが、君の中で10年前の記憶として残っているんだね」「そうよ」裕美(ゆみ)ちゃんは、さっきコーヒーに砂糖を入れてからずっとスプーンをまわしている。 顔は私に向けたまま。北海道育ちのおおらかな瞳、ピアスもしていない飾り気の無い笑顔。「なんだか複雑で頭が痛くなってきたよ」「しかたないわ。 わたしも最初は、そうだったもの」コーヒーをひとくちすすった。 だいぶ冷めていた。「じゃあ、じゃあさあ──」私は一番気になっていることを、思い切って聞いてみることにした。「じゃあ、もし、君が10年後のボクとテレパスしている時に、そのボクの前に 今みたいに君がいたとするよ。 その君は更に10年後のボクとテレパス できるってことだよね」彼女は静かにうなずいた。「ってことは、そうやって君が介在することによって、君はボクの一生を 知ることができるっとことだよね?」彼女は、今度は目だけでうなずいた。「まさか、もう知っていたりして」彼女はうつむいて答えなかった。代わりに、「マコトさんの目を通して、未来のいろいろな出来事を知ることが できるわ」と言って、コーヒーをくちにした。「君だけボクのことを知っているなんてズルイな」そのあとが、なかなか言えない。だから、≪ゆみちゃん! ゆみちゃんのこと、ずっとみつめていくからね≫10年前のゆみちゃんにテレパスした。
2005年01月12日
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こたつに入って昼食をとっていると、中庭の池がぱしゃぱしゃ鳴った。また近所のネコがいたずらしているのか?縁側に出て、庭を見た。しゃがみこんでいる少年の背中が見えた。ぱしゃ、ぱしゃぱしゃ。笹で水面を叩いている。どこの子だ?「ぼくぅ~、ダメですよー」少年は立ち上がると、ふり向きもせず駆け出した。サンダルをつっかけ、追いかける。少年は門を出て左に曲がった。わたしが門を出て見ると、むこうの角を右に曲がる少年の背中が見えた。すばしっこい子だ。庭にもどり、池に浮かんでいる笹を拾い上げていると、「ひゅ~!」声がした門のほうを見ると、さきほどの少年が後ろ向きに両手を開き大の字になって立っていた。こいつー!からかっているのか?「こらー!」手にした笹を放り投げ、再び追いかける。少年は今度は右に走った。私が門にたどりついて見たときには、少年はむこうの角を左に曲がっていくところだった。今度はあきらめないぞ。サンダルを深めに履き、寝巻きをはしょって──起きたばかりなのだ──大股で走った。曲がり角までいくとむこうの角を右に曲がる少年の背中、その角にたどりつくとむこうの角を左に曲がる少年の背中、その角にいくと……。走りながらわたしはふと思った。≪むかし、これと同じ経験をしたことがあるぞ≫そうだ。 小学生のとき──。放課後、忘れ物を取りにもどり、教室のうしろのドアを開けて入ると、まえのドアから誰かが出て行くところだった。おや?っと思い、なにげなく後ずさり、廊下をみると、むこうの壁の前で右に折れ階段を下りていった少年の背中が見えた。あのときと同じ背中だ!その背中は今、わたしを街中に導いた。人波をかき分けながら追いかける。寝巻き姿のまま。そうだ。社会人になりたてのときも──。通勤電車を降りてホームを歩いていると、ドン!っと何かがお尻にぶつかった。 その直後、少年が前を走り抜けていった。おそろしくすばしっこい少年で、あっというまに階段を駆け上っていった。あの背中だ。おっとっと。 サンダルが脱げそうになった。少年は息を切らすことなく走り続けている。たくみに人波を縫っている。ん?なにか異様な景色。なにかか変だ。 なんだろう?あっ! 街を行く人がみんなうしろ姿だ。 みんな同じ方向に歩いているのか? いや違う。うしろ向きのままこちらに向かって歩いている人もいる。通り過ぎてからチラッとうしろに目をやってみる。ぎゃ!こちらもうしろ姿だ!街中みんなうしろ姿だ。 黒い後頭部(禿げのおっさんも稀にいるけど)と背中とお尻だらけだ。顔がない!少年はどこだ?あっ、むこのスナックに入っていった。しばらくして、わたしも入る。カウンター席と、ボックス席が3つの小さなスナックだ。「み、水をくれ!」カウンターのむこうでシェーカーをふっているマスターに頼む。「はい、どうぞ」マスターはうしろ姿のままコップを置いた。まるでこちらに正面をむけているようにひじが曲がった。この世界で生きるのにたいぶ慣れた。少年はみつからなかったが、代わりにいい友ができた。「よ! きてたのか」すっかり馴染みになったスナックに友が来た。わたしはグラスを持ってカウンターからボックス席に移る。友の笑顔が近づいてくる。「マスター、水割りね」友はテーブルの前に立ち、回れ右をした。「きょうは、こっちでいってみようかな」反対側にも顔があった。うらおもての無い、いいヤツだ。
2005年01月11日
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さきほど、みなさんの所に訪問しました。長く座っているとツライのでレスは、しませんでした。すみません。毎日、天井を見ながら、お話を考えています。では。
2005年01月10日
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1月5日朝より、突然、ぎっくり腰で、動けず。今、1階のベッドから、2階のパソコンまではって来ました。快復するまで、休みます。では。
2005年01月08日
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坂田巡査部長は、おぼえたてのパソコンを開き、ウイルス検出ソフトを起動させた。画面の≪スキャン中≫の文字とスキャンファイルの数字をながめながら、タバコに火をつけ大きく吸い込んだ。プファ~~~。ため息とともに紫煙を吐き、すぐにもみ消す。素早く帰り支度をし、もう一度パソコンをにらみつけ、顔を上げ、「お先ぃ~!」と言って署を出た。翌朝、坂田は自分のデスクにつくと、タバコに火をつけパソコンの画面に目をやった。≪ウイルススキャン終了≫≪感染ファイル:6≫そして、くわえタバコのまま、≪スキャン詳細情報≫に素早く目を走らせ、≪ウイルスを消去しますか?≫の横の≪はい≫をクリックした。その瞬間、管轄内で銀行強盗を計画していたもの4名と放火犯2名が消滅した。
2005年01月04日
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都会の喧騒は夜も続く。電車の走行音、酔っ払いの叫び声、飲み屋の呼び込み、24時間営業の駐車場での会合、バイクの暴走音……。無音の場所など、どこにもない。そう、どこにもなかった──10年前までは。1995年夏、東京目黒のごく狭い地域に緑色の雨が降った。それはゼリー状の無臭な物体で、その時点では人々に直接危害を加えることは無かった。しかし、時がたつにつれ、人々は驚愕した。その緑の物体は自然消滅することなく、それどころか、徐々にではあるが増殖していった。行政はその物体の除去にいろいろな方法を試した。熱湯、合成洗剤、化学薬品、火炎放射、爆破、凍結……、現代科学で考えられうる、ありとあらゆる手段をほどこした。しかし、その物体は、そのいずれの攻撃にも屈することなく、むしろその刺激をうけて増殖していった。田畑が使い物にならなくなり、交通機関が麻痺した。その頃になり、ようやく科学者たちの手により、その物体の増殖メカニズムが解明された。≪その物体は音で繁殖する≫音? 音だってえ?人々の絶叫により、その物体はまた増殖した。その物体は ‘音喰い原生動物’ と命名された。 (かなりダサい)俗に ‘音喰い虫’ と呼ばれた。その町はただちに放棄され、人々は別の町に疎開した。もっとも、その町の機能はほぼ破壊されてはいたのだが。音喰い虫は、人や動物の服や体に付着したり、風に飛ばされたりして、増殖を続けた。人々は都心から外へ外へと移動していった。≪声を出すな!≫ ≪物音をたてるな!≫ ≪ひっそり生きるんだ!≫保守的な人々がささやいた。(叫ぶことはできないのだ)しかし、文明が発達した現在、無音で生きることなどできるだろうか?守銭奴たる資本家に工場を眠らせることなどできようか。狂った若者と元々狂っている若者はCDコンポで音楽を鳴らし、街中を集団で練り歩く。暴走族は以前にも増し、改造マフラーを鳴り響かせながら無意味に走り続ける。いたいけな赤ちゃんは泣くのが仕事だ。 ヒステリーの嫁は叫ばずにはいられない。酒を飲まずにいられない人だっている。飲めば叫ぶ歌う手拍子する足踏みする。パトカーだってサイレンを鳴らさなきゃカッコがつかない。やけになって花火を打ち上げる人だっている。≪静かにしろ!≫ ≪ぶっとばすぞ!≫ ≪動くんじゃない≫そんなささやきや筆談が効力を発揮するわけが無い。地球はあっというまに緑色になった。アフリカやアマゾンの密林の地下で、テレパシーによる意志伝達のできるわずかな新人類だけが生き残った。
2005年01月03日
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わたしの体は粘着性。なんでもペッタンくっつきます。おまけに生来きれい好き。ほこりやちりが許せません。あっち行ってペッタン、こっち来てペッタン。あらゆるゴミをくっつけて、街中いつでもピッカピカ。代わりにわたしは真っ黒け。だれにも感謝されません。吸塵車がやってきた。いまや、わたしもただのゴミ。それではみなさんさようなら! ヒョイ!筆者注 : 酔ってるので短く済ませたのだあ! ゴミんなさい。
2005年01月02日
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ススキが風になびく。オレは7人の侍に囲まれている。前方右斜めのやつが上段のかまえのまま突っ込んできた。かわして振り向きざまバサッ!そして左にまわりグサッ!体勢を沈めて水平にシュパッ!ザザザッ! サッ、ガッ、ズズズ、ドドド、グサッ!!7つの屍が足元にころがる。刀についた血を払い、鞘におさめる。「カァアーーーーーーーット!」カチンッ!助監督がカチンコを鳴らす。「はーい。きょうはここまで!」撮影用脚立の上で、メガホンを持った監督が叫ぶ。「いいよー。 いつもながら迫真の演技だねー!」監督が肩を叩く。撮影所を出て、自宅マンションに帰る。「ただいまあ」「おかえりなさい」抑揚の無い妻の声。リビングルームのソファにすわり、さきほどの台本をペラペラとめくる。妻がテーブルにビールとコップをぞんざいに置き、となりの部屋に去る。冷め切った家庭。 ぬくもりも会話も無い。離婚──。そんな言葉が頭をよぎる。「あなた!」顔を上げると、妻がテーブルのむこうに立っていた。「お話があるの」「ん? なんだ?」むこうから別れを切り出すのか?「実は……」「カァアーーーーーーーット!」カチンッ!助監督がカチンコを鳴らす。おもわず、我に返る。「はーい。きょうはここまで!」ドアのむこうで、メガホンを持った監督が叫ぶ。そうだ。 これはドラマの撮影だったんだ。オレは、いま、‘俳優業に熱中するあまり、家庭を顧みなくなった男’を演じていたんだ。あまりにも役になりきったため、これがオレの本当の家庭だと思い込んでしまった。「つぎの撮影は、明朝7時、京都撮影所ね。 じゃ、解散!」監督が叫ぶ。カメラマンや照明などのスタッフが部屋を出て行く。オレも撮影用マンションを出る。オレはいつから俳優になったんだろう。 記憶に無い。いままで、サラリーマン・中学教師・ホスト・やくざ・浮浪者……、いろいろなキャラクターを演じてきた。そのつど精一杯演じ、役になりきるあまり現実と虚構の区別がつかなくなることがたびたびあった。今もそうだ。こうして歩いていると、突然、路地裏から「カァアーーーーーーーット!」カチンッ!と助監督がとび出してくるような気がする。いけない。 働きすぎか。 ノイローゼ気味になっている。早いとこ自宅に帰って休むことにしよう。自宅? 自宅ってどこだったっけ? 思い出せない。オレは、いま、どこに向かって歩いているんだ?わからないわからない。だいたいオレはいったい何ものだ?人波にぶつかりながら走る。どこに帰ればいいんだ? けさ出てきた家は、どうなんだ? あれは撮影用の家だったのか。 それとも本当の自宅だったのか?わからないわからない。うつむいて、がむしゃらに走る。あたりが静かになる。ふと立ち止まる。ひゅーっと風がほおにあたる。足もとでススキが揺れている。「龍之進! なんじゃ、そのかっこうは?」え!顔を上げると7人の侍がオレを囲んでいた。いつのまにか撮影所に戻ってしまったのか?いや、違う。「変装して、われらが目をくらまそうとしたのか!」オレはジーパンにTシャツだ。 刀すら持っていない。「龍之進! 覚悟ぉー!」前方右斜めのやつが上段のかまえのまま突っ込んできた。かわしたが、振り向きざまバサッ!や、やられた。 本当に斬られた。そうだ! オレは侍だったんだ。こいつらに囲まれ、刀を抜いたとき、200年後にタイムスリップして、そこで殺陣(たて)の腕を買われて俳優になったんだ。そして再び200年前にタイムスリップしてもどって来たんだ。「とどめだー!」グサッ!「ウギャアアアアア!」もう、カチンコは鳴らない。
2005年01月01日
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