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私は幼い頃から無意識のうちに「他人に期待される姿」になろうとしてきました。で、昨日の日記に書きましたが、父の仕事の手伝いをしていて、立ちくらみがして倒れてしまいました。それが私の心を、ものすごく後ろめたいものにしています。昨日家に帰されてから、ネットで少し調べてみたんです。すると、いわゆる「貧血」と「脳貧血」は違うことが分かりました。私の場合は明らかに脳に血液が巡らなくなったことによる失神ですので、脳貧血です。でも、その原因となると、ちょっと調べただけでは分かりませんでした。一部に「自律神経の失調による」云々と書かれてありました。うつ病になってからか、抗鬱剤をたくさん服用するようになってからかは分かりませんが、私の自律神経はたぶんボロボロです。まだ同居していたときの妻が、「うつ病って自律神経と関係あるらしいから」と言って、背骨のすぐ脇をマッサージしてくれていた時期がありました。いま自分の手で背骨の脇を押しても分かりますが、これが痛気持ちいいのです。別居される前の私は、自発的に「治ろう」と、将来に希望を描いて生きていました。もう妻子との別居から半年以上経過して、今日、ふと自分のありかたを振り返ってしまいました。自分は自分の意思で「良くなりたい」と願っているだろうか、と。妻子との別居はつらいです。とくに最愛の息子と離れて住んで、彼の成長を見ることが出来ないのが何よりも悔しいです。別居当初は毎晩のように妻に電話をかけて、返って冷たくあしらわれたり罵られたりしていました。やがてそれに耐えられなくなり、妻に電話することをしなくなっていきました。その頃の私は、別居が嫌だから、その別居を解消するための条件が病気を治すことだったから、必死になって治療法を模索していたように思います。催眠療法、前世療法、脳呼吸(気功)と、いくつかに手を出してみましたが、結果として思うような効果は得られませんでした。これらの療法はお金がかかります。両親に要らぬ散財をさせてしまったのでは、という悔やみもあります。それほどまでに焦っていなければ・・・今となってはそう感じています。脳呼吸の気功教室に通っていた頃が、まだ私は元気でした。院長先生が「1年通ったら、あなたを普通の生活が出来るようにしてみせる」と言ってくれましたが、そのことを父に報告すると「1年では長すぎる」と言われました。私も当時は1年も先のことなんてそんな悠長な、と諦めみたいな感情に支配されていました。5月には、ある宗教の練成会に行ってきました。義母の強い願いがあって、それを断ると離婚されかねないと恐れがあったからですが、とにもかくにも参加してきました。そこでは「病気はない」「病気は神の創造の無を現すだけにすぎない」「自分が『神の子』であることを自覚すれば、病はおのずから消えてゆく」・・・このようなことをみっちりと教わってきました。これも、このことが自分のなかで新鮮であったときは、こころを気丈にしてくれました。ただ、続けていても効果がないのはどういうことだろう、と疑問を感じてしまうと先へとは進めなくなってしまいます。5月の下旬からは、働くためのリハビリとして、父の仕事を手伝わせてもらうことになりました。はじめは週3日の約束だったのに、しんどくて眠くて、実質は毎週2日間だけ手伝ってきたに過ぎません。そして、先週の土曜日と昨日と、働く機会2連続で倒れてしまいました。それまでも立ちくらみには散々悩まされてきたのですが、まさか自分が意識を失って倒れてしまうなんて、想像だにしていませんでした。父に言われて、昨日、内科医へ行って来ました。血液検査もしてもらいました。今日その結果を聞きましたが、中性脂肪が多いのと、GDPとか言って(不確かな記憶です)肝機能が低下していることを告げられました。「これでは疲れやすいでしょう」とは、内科医の弁です。おそらく抗鬱剤とかの薬が肝機能を低下させているだろうから、精神科の主治医に薬の処方を減らしてもらいないか相談してはどうだろうと言われてきました。今日の午後からは「やる気なし」の自分がいました。何かしなければいけないだろうと自分に言い聞かせ、少しばかり小説を読みました。しかし、気分は沈んだままです。「疲れていますよ」といった内科医の言葉に対して、思い当たるフシがあるような気がして仕方ありません。とくに父の仕事の手伝いをするようになってからは、休みの日はほとんど寝たきりでした。さっき晩御飯をいただいて歯磨きをした後、洗面所の鏡で、自分の顔をよく見てきました。生気のない表情をしていました。目の下には濃いクマがくっきりと出ていました。私の日記を振り返ってみると分かったことですが、誰かに言われたから何かをしたという記述が多いです。自分の主張はあるのかと自問してみても、確かなものは心の中に浮かび上がってきません。この市場主義の社会の中で、経済的に無力であると言うことが、私の自信を失わせていることは分かっています。そのため、自分で判断することをやめ、他人の求める「一刻もはやく健康な状態に戻る」自分を演じ続けてきたように思います。正直にいいます。「しんどい、もっと休ませてくれないかなぁ」
2005.06.30
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しばらく更新できませんでした。その間は、ほとんど寝て過ごしてました。日曜日、気力の低下が始まりました。午前5時過ぎに寝て、朝の恒例行事をやっていたのですが、TV中国語会話が見れません。見ようという意思を働かせると、気分が重くなってきてしまいます。集中力の低下でしょうか。その後も寝て過ごし、食事のときだけ起きました。あ、競馬でG1の宝塚記念があったので、その時間だけTVを見てました。TVというと、私は「THE 鉄腕DASH」が大好きなのですが、この日に限っては見る気力が出てきませんでした。結果、晩御飯は食べずに寝てしまいました。月曜日、精神科へ通院しました。本来なら父の仕事を手伝う予定だったのですが、この日の現場は素人がいてはかえって邪魔だったようです。あらかじめ父から「月曜に医者に行って、火曜日に働いてくれ」と言われていましたので。主治医には、先週土曜日に立ちくらみから意識を失い倒れてしまったことを告げました。その場で血圧を測ってみると、上が80で下が50でした。「低いな~」と嘆きながら医師が、「起立性貧血だろう」と診断しました。新たにリズミック錠という、血圧を上げる薬を処方されてきました。暑い中の通院で、かなりへたばって帰ってきました。それからは寝たきりで、また晩御飯を抜いてしまうところでしたが、かろうじてバナナ1本を食べてから食後の薬をのんで、眠剤ものんで、すぐに寝ました。火曜日は、文字通り寝たきりで過ごしました。朝出かける前の父に、「今日はしんどいから休ませて」と頼み込み、承諾を得るや否や布団に戻りました。この日も食欲がなく過ごしました。夜中に目覚めたとき、またバナナを1本食べて食後の薬をのみ、眠剤ものんで寝ました。そして今日。働きに出なければという義務感がピークに達していました。なので早めに起きだしてシャワーします。相変わらず食欲はありませんでしたが、トースト1枚を食べて、食後の薬をのみます。そしていつものように、父の車の助手席に乗って出かけました。「ようやく働きに出られた」というのが安心材料になっていたのでしょうか。今日は気が弛んでいたように思います。いつものように、私が覚えた作業をやって、タンクの中の気体(今日は水素ガスが溜まっていました)を抜いていきます。気体が抜けるのをなっているときに、不意に立ち上がりました。そしたらその後の意識がありません。父に抱えられて意識を取り戻してみると、どうやら仰向けざまに倒れこんだようです。一緒に働きに出る機会でいうと、2日連続でぶっ倒れましたので、目撃者である父は、かなり驚いたようです。午前中の現場の作業が終わると、家に戻されました。「もしお客さんのところで救急車を呼ばなければいけなくなるのは、会社としても避けたい」と、父には言われました。でも心配もしてくれていますから、お金を渡され、「これで内科に行って診てもらえ」とも言ってくれました。電話で確認したら、近所の内科医が17時からだったので、時間が来るまで寝て過ごし、行って来ました。医師に状況を説明すると、「起立性貧血もあるけど、うつ病の薬で身体のほうがやられとるんちゃうかな?」と案じていました。次いで尿検査と血液採取を受けました。尿検査の結果はすぐに出て、ウロビリノーゲンというのが検出されました。医師は「疲れがたまっとるね」と言ってました。血液検査の結果は、明日にならないと出ません。なので、明日また内科医へ行って来ます。ちなみに、今日は仰向けに倒れたので、まず後頭部をコンクリートの地面(ビルの屋上)に、しこたま打ち付けました。直後から激痛が走っているのですが、家に帰って確認してみたら、頭頂部のやや後ろ下に、直径5センチくらいの「タンコブ」が出来ていました。これを書いている今も腫れています。布団に仰向けになると、ちょうど枕に当たって痛みが増します・・・
2005.06.29
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今日は土曜日ですが、変則的に父の仕事の手伝いです。そのため、昨夜は「探偵!ナイトスクープ」を見終わってから、すぐに眠剤のんで寝ました。熟睡できた訳ではないのですが、いつまで経っても起きられず、午前8時まで寝ていました。これで毎朝の恒例行事を2日連続でサボってしまいました。一応、アラームを2個、午前5時過ぎに合わせておいたのですが、まったく気づかずに眠っておりました。で、起きてからのんびりしたくして、午前9時に父の車の助手席に乗って出かけます。行き先は水曜日にも行った、異人館のある北野です。でも今日の現場は一般のマンションなので異人館の風情はありません。しかも相手は全館空調の室外機ですから、むちゃ殺風景です。不思議なんですが、分譲マンションなのに、全館空調機をつかっているんです、ここ。普通なら、個々の部屋で個人向けのエアコンなんかを買ってきたりすると思うのですが、それをやっていないのです。気の毒なことに、築年数もかなりいっている古くからのマンションみたいで、全館空調の室外機もかなり旧式です。素人目にも、見ただけで「うわっ、古っ!」と分かってしまいます。この道34年の父も、「このタイプはもう見ないですねぇ」とマンション管理の人に言ってました。これを新しいのに取り替えるとなると、かなりの費用と工事日数がかかります。しかも今日は30度を超す真夏日。とにかく1週間でも動いたらいいとの要請で、応急手当をすることになりました。事件(?)は、その最中にやってきました。周囲の物音が聞こえなくなってきたと思ったら、目の前が真っ暗になって、気がついたら地面に激突していました。そうです。立ちくらみなんですが、そこから意識を失い、倒れてしまったのです。数瞬、まったく意識を失っておりました。どこか遠くで知らないおっさんの呼ぶ声が聞こえる・・・と思ったら、父が心配して声をかけてくれていたのでした。父の声まで、知らんおっさんに聞こえてしまうのって、不可思議な体験でしたよ。意識を取り戻してみたら、あごの左側と左ひざとに激痛が走っていました。どうやらその二箇所をコンクリートの地面に強打したみたいです。ただ不幸中の幸いは、倒れた場所が何もないコンクリートだったこと。これが機材のポンプやガラス瓶、または特殊な溶液を入れたバケツの上に倒れていたりしたら、もっと酷い怪我をしていたはずですし、作業にも支障をきたしていたでしょう。何にもないところに倒れて良かった・・・傍目から見ていると、いきなり私が倒れたので、作業に立ち会っていたマンション管理の人がかなり動揺していました。こちらは何が起こったか理解するのに一所懸命で、あごやひざの痛みで、「ああ、ぶっ倒れたんだなぁ」と認識するのが精一杯でした。まだ痛みはありますが、大した怪我もなく、身体は元気です。作業のほうも、目論見の8割がたは成功したといってよく、旧式空調機がなんとか作動してくれるようにはなりました。ただ、父の言では「もう寿命が来ている機械ですから、いつまで動いてくれるかは保障できませんよ」とのこと。頑張って動いてくれぃ、旧式くん!そして作業が終わり、帰りの車の中。父は私の体力が落ちているから倒れているんじゃないかと、しきりに心配してくれました。ただ、私は予備知識で、抗うつ剤の副作用で「目眩」「立ちくらみ」などがあることを知っていましたので、そのように主張しておきました。帰って来てから、いま服用している薬を出してくれている調剤薬局に電話して尋ねてみると、案の定、私が服用している薬は「どれも立ちくらみの可能性があります」とのことでした。以下、現在処方されている抗うつ剤を列挙して、今日の日記を終わります。(眠剤は除く) ベタマックT50 トフラニール錠25mg ソラナックス0.4mg錠 ルボックス錠25上記を朝夜食後に、1錠ずつ服用しています。
2005.06.25
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父が今、中耳炎を患ってます。昨日は市内の耳鼻科が軒並み「木曜休診」で、どこにも相手されませんでした。父は仕事優先な人間なので、「金曜の夜なら、どこか診てくれるだろう」と言っていたので、予定では、今日は父の仕事を手伝うことになってました。が、実際に耳鼻科に問い合わせしてみると、都合よく夜診てくれるところがありません。父は今日の仕事は取りやめにして、昼間に耳鼻科に行くことにしました。そのため急遽、私は今日休みになりました。代わりに明日仕事ですが。自分の「つもり」では今日は働きに出ることにしていたので、予定変更に戸惑います。気持ちの切り替えが出来たのが午前11時ごろ。それから小一時間、小説を読んでいましたが、やはり文章が頭に入ってきません。すごくもどかしいです。午後からは寝て過ごしました。身体は疲れていないのですが、意識がはっきりしないと言うか、思考が形を成しません。まだ脳が休みを必要としているのかなぁ、なんて思いながら布団に横になっていたら、眠れました。19時半ごろ目が覚めて、慌てて「クレヨンしんちゃん」を見ました。好きなんです、このアニメ。今日は2本とも愉快で、あっという間の30分でした。
2005.06.24
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昨夜は夜になって、父が「中耳炎になった」と言って、しきりに右耳を抑えて痛がっていました。私も中耳炎になったことがあるのですが、それは保育所に通っていた幼児の頃でしたので、どんな病気だったか、実感が残っていません。父を見ると、氷を巻いたタオルで耳の後ろを押さえながら、しきりにティッシュを耳にあてがっています。どうやら膿みたいなものが出続けているようです。夜も診てくれる耳鼻科を探したのですが、近辺では見つかりません。一夜明けて、母がタウンページを見ながら片っ端から耳鼻科に電話しましたが、当地は木曜休診の耳鼻科ばかりでどこも休診案内の録音テープが流れるばかりでした。結局、父は「今日やらんとあかん仕事あるさかい」と言って、そのまま出かけて行ってしまいました。私はうつ病の身の上とはいえ、正業に就いていなく、父の仕事を手伝う名目でリハビリをさせてもらっているので、なんだか後ろめたいです。その所為もあってか、働いた翌日なのに、いつものように寝たきりにはなりませんでした。あるいはこれまでの過緊張がとれてきたのかも知れません。起きているなら時間を活かそうと思い、読書に挑んだのですが、集中力が欠如していて、読んだ内容が頭の中に入ってきません。これって、うつ病を発症する前の症状と同じなので、かなり焦ります。同じところを何度読み返しても、その文章の内容が頭に入ってこないのです。昔から私は読書好きでした。学生の頃から食費を削っても本を買って、働くようになってからは貯蓄もせずに本ばかり買っていました。費やしたお金は総額で一千万円を超えていると思います。(ただしその本たちも、中古マンションを手放したときに、田舎の叔母の蔵に預かってもらっているので、死蔵状態です)去年の夏過ぎくらいから、調子が良くなっていましたので、再び活字が読めるようになっていました。その頃から図書館通いをして、失業してから出版された気になる本たちを借りては読んでいました。別居して親元に引き取られてきてから、図書館が歩いていける距離にはなくなっていたので、しばらく図書館通いは途絶えていました。でも、精神科に通う途中に図書館があることを発見し、最近は利用するようになっていました(ただし人口が多い地区の図書館ですので、日参でもしない限り、新刊書や話題の図書は読めません)。いまは、大好きな作家の一人である宮城谷昌光さんの『子産』上下巻を借りています。今日はこれを読んでいました。大好きな中国古代史の小説にも関わらず、集中できません。読み進めていくうちに内容も面白くなっているような気がするのですが、楽しさよりも疲れを感じます。かと言って、本を閉じて布団に横になっても、眠れません。退屈なので再びおきだして本を開くのですが、やはり疲れています。そんな次第で、すかすかな印象のまま、本日の午前中を過ごしてしまいました。13時ごろに昼食をいただいて、無理矢理寝ようと決意しました。昨日の過緊張が残っているのか、すんなりと眠りに落ちません。眠れたのは14時を回ってからだと思います。眠りも浅くて、疲労感の残るものでした。起きたのは20時ごろ。さっき晩御飯をいただいてきましたが、あまり食欲もありませんでした。肉体的な過労働はしていないので、精神的な疲れが出ているのかなぁと感じる、不完全燃焼の一日でした。
2005.06.23
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この前の土日から続けて4日間、家で寝たきりに近い状態でした。今日は父の仕事を手伝うと約束している日。このままずるずると休んでしまうと、自分が駄目になってしまうという危機感がありました。でもしんどくて、もう1週間も風呂に入ってなかったのを諦めて、昨夜は午前1時に眠剤をのんで寝てしまいました。昨日の夜起きたのが23時ですから、夜間は2時間しか起きてなかった計算になります。ところが寝すぎた所為か、眠剤がきちんと効いてくれていないのか、午前3時には目が覚めてしまいました。二度寝に失敗して、布団のなかでうだうだと考えていました。父に頼んで、今週は仕事の手伝いを休ませてもらおうかどうしようか。そのときは、本当に「やる気」というものが湧いてきませんでした。昨日も書きましたが、私の主治医が「就労可能証明書」を書いてくれないのは手抜きとかではなく、正直なところ、私がまだ社会に復帰して働ける段階ではないと判断していることが、前回の通院時に判ってしまいました。だから主治医は、「父が(赤字ながらも)会社を経営していて、その仕事を手伝うように勧めてくれている」と報告したときには、手放しで喜んでくれました。「人間、半年もあれば順応します。とにかく段々慣らすつもりで続けてください」と言われました。また、主治医は次のようにも言ってくれていたことを思い出しました。「あなたが家族を養うだけの収入を得られれば、例えうつ病が治らなくても、再び同居することに問題はないでしょう!」そうなんです。私は一時、私の主治医が精神論を振りかざす嫌な医師だと思い込んでいたのですが、私が解決したい問題に対して、すでに結論を提示していてくれたのです。今朝、布団の中で悶々としていたときに、不意にそのことに気づきました。「そうなんだ。例え病気が治らなくても、働けるようになってしまえばいいんだ」そう考えたとき、一時的かもしれませんが、気持ちが楽になりました。「だったら、その未来につながる一歩のためにも、今日は父の仕事の手伝いをしよう」そう決意もしました。そう決まると、あとは行動です。1週間も風呂に入っていなくて身体が不潔なので、朝の4時からシャワーです。シャンプー3回、石鹸たっぷりの洗顔、たわしとボディーソープで身体を磨き上げ、フィニッシュです。身体がさっぱりすると、気分もさっぱりするもんですね。そんな次第で、今日は元気に働きに行ってきました。相変わらず素人で、まだひとつの作業しか覚えていないけど、出来る限りのことはやってきました。ちなみに今日出かけたのは、六甲山と、異人館で有名な北野でしたが、相手にするのは観光名所ではなく全館空調機の親玉(室外機)です。目的地に向かう車の中から見える景色だけが、観光気分でした。
2005.06.22
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今日も一日寝てました。昨日あたりから食欲もなく、昨日の晩御飯も今日の朝御飯も、母が知り合いの店からもらってきた菓子パン2個で済ませました。なにせ、処方されている抗うつ剤が朝夜食後となっているので、昼は食べなくても、朝夜には何か口にしないという義務感があって食べています。もう朝の恒例行事もなにもあったものではなく、2つのアラームが鳴っても目が覚めません。昨日休んだ穴埋めに、今日は父の仕事を手伝う予定だったのですが、それも休ませてもらいました。午前6時ごろに起きて菓子パンを食べていると、父も起き出してきたので、「ゴメン、今日も休ませて」と言って、了承を得るとまた眠っていました。父の仕事を手伝わない日は、母が不機嫌です。「布団にばかり潜っているから、余計に悪くなってる」みたいな小言を繰り返し聞かされます。それが精神的につらい。そんなこんなで、今日は、昨日配信できなかったメルマガを書くために17時頃に起き出して、配信予約をしたらまた寝ました。次に目が覚めたのは、なんと23時過ぎでした。話を変えますが、無職でいることの罪悪感から、まだ働ける状態ではないのに、インターネットの求人サイトに衝動的に応募しています。先月申し込んだ会社からようやく不採用の通知が来ました。今日も2社に応募したのですが、どちらも即日「不採用」の通知が届きました。リクナビNEXTに載せている会社って、敷居が高いですね。一社はゲームのプランナーを募集していたので「もしかしたら」という期待があったのですが、駄目でした。やはり丸6年近くのブランクがいけないのでしょうか。主治医は「あなたの学歴なら就職なんてどこでもいけるでしょう」と時代遅れなことを言ってくれますが、それは健常者またはまともな経歴の持ち主に当てはまることで、私のような経歴になってしまうと、どの会社も触手を伸ばしてくれません。ここで初めて告白しますが、私、これでも早稲田大学を卒業しているんです。主治医はそれにこだわって、再就職の話をすれば「あなたの学歴なら・・・」の言葉ばかり繰り返します。ちなみに以前この日記で、医師が「就労可能証明書」を書いてくれないと愚痴りましたが、それはこちらの認識が甘かったです。医師はいじわるとかで書かないのではなくて、今の私の状態では「就労可能証明書」を責任を持って書くことが出来ないことが、前回の通院でわかりました。主治医が私の学歴にこだわるような発言を繰り返すのも、私に希望を持たせようとしてくれているんだなぁということが、ようやく理解できました。希望・・・私の希望はありますが、門が狭い上に、脳味噌がもっとまともに働いてくれないと、どうにもなりそうにありません。
2005.06.21
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20日の日記、当日中に更新できませんでした。理由は寝すぎていたことと、いざPCに向かったら、楽天さんがメインテナンス中で更新作業ができなかったことにあります。もうダメダメの1日でしたね。朝起きてみたら、頭の左側(左脳?)がものすごくいたくて、まともに歩けません。父に頼んで、仕事の手伝いを休ませてもらうことにしました。それからはもう寝たきりです。14時くらいに昼食を摂りに起きたのですが、その後も寝てしまい、次に目が覚めたら20時半でした。ふと気づいたのは、何の用意もしていないのにメルマガの配信予定時間を大きく過ぎていること!慌ててPCに向かい、「本日配信休止」のお知らせだけを書いて、送信しておきました。今回は「薬でうつ病が治るかどうか」の問いを読者の方からいただいているので、その辺、きちんと答えるつもりです。1日遅れで、本日の19時に配信予定です。メルマガ配信休止のお知らせを送信した後も寝てました。気づいたら午前1時。眠剤をのんで急速な眠りに就きます。ちょっとショックな事実に気づいてしまったので、いま、落ち込んでいます。このあたりは、今晩の日記にでも改めて書きます。
2005.06.20
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昨日も書きましたが、私はいま「過緊張の疲れの荷降ろし」をやってます。どういうことかは昨日の日記を読んでください。昨夜は週末感を味わいたくて、本を読んだりして午前2時に就寝。でも午前4時に目覚めてしまいます。ちゃんと眠剤のんで寝たのに!二度寝も出来ません。「昼間寝すぎたので夜眠れなくなっているのかな」と自分なりに判断し、起きていることにします。ただし頭の中はぼんやりしていて、集中力がありません。午前5時過ぎにアラームが鳴るので朝の恒例行事をします。幸いのソフト作りの唱和、神想観、金井メソッドの瞑想です。集中力が抜けているので、TV中国語会話はやりませんでした。今日の午前中は、比較的起きていられたほうです。頭がぼんやりしているので、布団にもぐり「寝よう寝よう」としたのですが、午前11時過ぎまで起きていました。その間、少しは小説を読み進めたりはしたのですが、内容があまり頭の中に入ってきません。起きたら16時5分でした。慌ててラジオをつけ、福山雅治さんの番組を聴きます。すると母がやって来て、妻から電話がかかってきたとのこと。最近は疲れていて、妻から来たメールに返事もしていなかったので、こちらの近況が気になっていたみたいです。義母とも話しました。二人とも、私が週に3日間、父の仕事の手伝いをしていることを伝えると喜んでいました。私個人としては、「過緊張の疲れの荷降ろし」のために眠っている休みの日がもったいなくて、最近、焦り出してきているのですが、そこまで伝えて心配させる必要もないなと思い、都合のいいところだけ話しておきました。本音を書くと、私の左脳はもっと休息を欲しがっているみたいです。でも周囲の人間は、「いつまでも寝てばかりいたら駄目になる」という論調で、私を労働の方向へと持って行きたがります。それらの人々の思いは、私に対する心配や「良くなって欲しい」という気持ちから来ていることは承知しています。でも、昨日も寝たきりで、今日は少しは起きていられたものの半分は寝たきりでした。福山さんのラジオ番組が終わった17時から、しばらく小説を読んでいたのですが、やはり内容が頭に入ってきません。気づいたら読むのを放棄して眠っていました。20時過ぎに目が覚めたのですが、大好きなTV番組「THE 鉄腕DASH」は見損ねてしまいました。夜にきちんと熟睡して、昼間は起きていられるようになりたいです。去年の10月頃はそういう生活が出来ていたのですが、その感覚が今となっては掴めません。自分で考えるに、妻から別居を申し立てられたとき、もう私の意見は誰も聞いてくれずに無理矢理の別居でした。そのときに、もう自分の中では現実が受け入れられなくて抗うだけ抗ったのですが、私の要求は何一つ通らずに別居が成立しました。そのときのショックで、相当、頭がおかしくなっていた時期があります。今だから書けるのですが、そのとき充分な量の睡眠薬を所持していたので、ODをやったことがあります。睡眠薬を大量服薬した後、「これから死んでやる」みたいなことを妻に電話したのが良かったのか悪かったのか。妻からの通報で、父母が救急車を呼び、病院で丸一日点滴を受けて、一命をとりとめました。妻の通報を受けて父母が私のところに来たときは、すでに昏睡状態で、何をどう呼びかけても反応がなかったらしいのですが。ははは・・・今日は文章がまとまっていませんね。全く、何を書いていることやら。要は、いまはまだゆっくり生活して満足できる睡眠をとりたいの一語に尽きるのですが、もう周囲がそれを許してくれません。
2005.06.19
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変なタイトルですが、この前の火曜日に通院したときに、医師から言われた言葉です。今の私は、毎週月水金曜日に父の仕事の手伝いをしています。しかし丸6年も無職生活(一昨年の4ヶ月間だけゲームセンターで店員バイトしてましたが)を続けているので、健常者の人が毎日働いているという「あたりまえ」のことが出来ません。この日記をお読みの方はご存知でしょうが、今の私は、働いてはその翌日寝たきりという生活をしています。昨夜はしんどくて仕方がなかったので、22時になる前に眠剤をのんで寝ました。一旦、0時半に目が覚めましたが、この時点ですでに2時間半眠っているので、「寝なきゃ」という焦りが少ないです。トイレに行ったら、すんなり二度寝できました。目が覚めたのが午前3時過ぎ。5時間は通して眠ったことになります。薬剤師さんが言っていたロヒプノールの効き目が切れる時間と合致しているので、夜中に目覚めたにしては安堵感があります。それに昨夜寝たのが早すぎたというのもありますし。起きてからしばらくはボーっとしていましたが、段々頭が冴えてきたので録画しておいたドラマを見ます。草なぎ剛君主演の「恋におちたら ~僕の成功の秘密~」の第7話です。今回は、取締役に出世した主人公が、最後は非情な手段を使って自分の会社の利益を守るという筋立てでした。他人を陥れても勝ちに行くというのが草なぎ君にはミスマッチで、かえってカッコよかった。こういう非情の人、好きですねぇ。もっともドラマや映画の中だけに限りますが・・・5時過ぎにアラームが鳴って、朝の恒例行事をします。幸いのソフト作りの唱和、神想観、TV中国語会話、金井メソッドの瞑想です。神想観の呼吸法が難しく、もう1ヶ月以上はやっているはずなのに、まだ上手く出来てません。それでも今日は少しコツを掴めかけてきた感じで、丹田のあたりに熱気を感じられました。と、ここまでは非常に爽快な感じで朝の時間を過ごしていたのですが、朝食を摂ったあとから調子が下降していきます。とにかく意識がぼんやりします。薬剤師さんの話では、ロヒプノールの副作用として、目が覚めた後も強い眠気が残ることがあるということでしたが、それかも知れません。この薬を服用しはじめてからまだ1週間も経っていません。毎日、効果が異なって現れています。身体が(頭が)薬になじんできて、眠気を強く感じるようになったのでしょうか。それとも、医師が言ったように、「働いているその日は過緊張(強すぎる緊張感)のせいで一日元気に過ごせているけど、その翌日に疲れの荷降ろしがやってきて寝たきりになるんです」この現象が起きているのでしょうか。朝食後は、なんだか眠るのが損みたいな気がして、図書館で借りてきていた『子産』の上巻を読み始めました。大好きな宮城谷昌光さんの小説なのですが、出だしは小粒な印象の人物ばかりが登場していて、ちょっと読み進めるのがしんどいです。主人公の僑(子産)はまだ子供で、史官に勉強を教わっている描写ばかりだし。それとも、意識がぼんやりしているから、文章を読む能力が落ちているのでしょうか。ともあれ、3章ほど読んだら、眠ってしまいました(それでも午前10時くらいまで起きていられました)。でも、寝たらもう寝続けです。目が覚めたら21時を回っていました。今日の眠気はロヒプノールの副作用かな、それとも昨日の過緊張の荷降ろしが起きているのかな。そのどちらもが一気にやってきているのだったら、嫌だな。
2005.06.18
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昨夜はだらしなかったです。日記を書いたあと寝転んで小説を読もうとしながら、知らず知らず眠っていました。気づいたら午前1時を回っています。「風呂に入りそこねた~」と後悔しましたが、これから風呂に入っていたのでは就寝がかなり遅れるので、「朝起きたらシャワーする!」と決め付けて、眠剤をのんで寝ました。昨日の眠り具合から、新しく処方してもらったロヒプノールの効き目に期待してなったからです。当然のように、夜中の3時ごろに、一旦寝が覚めてしまいました。しかし、トイレで小用を足し布団に戻ると、すんなりと二度寝が出来ました。しかも、朝が起きれません。午前5時過ぎに2度アラームがなっているはずなのですが、ちっとも気づかずに寝ていました。午前7時前に一旦起き出してタバコを吸ったのですが、まだまだ眠くて食欲が湧きません。ふら~っと布団に戻って横たわっていたら、またもやすっかり眠り込んでいました。そんな次第で、今日は朝の恒例行事を何一つやってません。それはそれで残念だけど、夜から長時間眠れた喜びが大きいです。ただ、寝すぎの弊害も。母が起こしに来てくれましたが、時間を尋ねるともう8時半。半時間で食事(インスタントラーメンで手早く!)と身支度を整えて、9時に出発です。シャワーなんて浴びている時間もありませんでした。今日の仕事は、大した時間を取られないものが各方面で3箇所ありました。作業自体は楽でしたが、移動の車の中がしんどかったです。しかも予定では今日の最後の作業が終わった後、父の携帯電話がなって、お得意先から緊急に来て欲しいとのコールが。空調の冷却水を通している天井裏のパイプのどこかに漏れがあって、天井から水が滴り落ちているとの事。狭い場所なので父一人が作業しましたが、機材の都合上、別の現場で働いていた弟や従業員を呼びつけて、都合5人で押しかけました。応急措置は済ませましたが、きちんとした修理が必要で、そのための予算に許可を下す責任者が休んでいるとのことで、そのまま引き下がってきました。そんな次第で、今日は移動でくたびれた一日でした。入梅したのに雨もあまり降りませんし、晴天の下、あちこちの屋上で陽にさらされて帰ってきました。もうすでに晩御飯もいただいた後なので、この後「探偵!ナイトスクープ」を見てから寝ます。今夜もロヒプノールが効いて、長時間眠れますように。
2005.06.17
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この前処方してもらったロヒプノール、効いていません。昨夜は肉体的にも疲労していたので、23時台には眠剤をのんでおとなしく寝ました。ところが夜中にぱっちりと目が覚めてしまいました。ロヒプノールが加わっているので結構寝たんだろうな~と思って満足げに時計を見たら・・・まだ午前1時半じゃありませんか。認めたくありませんが、一昨日医師に指摘されたように、父の仕事を手伝ってきた日には「過緊張」しているみたいで、夜になってもリラックス出来ていません。その反動は翌朝に来ます。リラックスしたと言うより、疲労がようやくピークに達したので眠れるという感じでしょうか。夜中に二度寝をしたのですが午前3時ごろから眠れずに、朝を迎えてしまいました。5時過ぎにアラームが鳴るので、朝の恒例行事をします。幸いのソフト作りの唱和、神想観、TV中国語会話、金井メソッドの瞑想。それらが済んで、父や弟が起き出してくる前に、インスタントラーメンを食べてから部屋に戻ります。ここでようやく緊張の糸が切れて眠れました。これが午前7時過ぎ。次に起きたのは20時半。寝すぎです。が、意識していても眠りが浅くなってしんどいだけなので、何も考えないようにして寝ました。そんな次第で、今日は、より良い人生を送るための一歩が踏み出せないまま終わってしまいそうです。
2005.06.16
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今日は父の仕事の手伝いです。それが分かっていてとても眠かったので、昨夜は日付が変わる前に眠剤をのんで就寝です。新しく加わった睡眠薬の効果に期待していました。薬剤師さんの話によると、5時間は睡眠が持続するそうなので。でも、気がついたら午前2時に目が覚めてます。焦りましたがトイレで小用を足してから、「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせながら再び床に就きます。すると・・・すんなり二度寝が出来ました。これまでは夜中に目覚めてしまうと再び眠ることが困難で、密かにコンプレックスになっていたのですが、それがなくなりました。(まだ薬に頼って睡眠を調節していること自体が不自然なのですが、もう6年以上続いていますので、常人の感覚とは大きく隔たっているのでしょうね)朝はアラームで午前5時過ぎに目覚めました。いつもなら朝の恒例行事をするのですが、昨夜風呂に入らずに寝てしまったので、早朝からシャワーです。身体がさっぱりしたところで、少し時間に余裕があるので、金井メソッドの瞑想だけは実践しました。これで身体も心もすっきりです。午前7時から、父と弟が起きてくる前に、納豆ご飯で朝食をいただきます。彼らが起き出してくると、母がふたりの対応に追われるので、私は部屋に戻っておとなしくします。すると腹が満ちたためか安心感のためか眠くなってきました。気がつけば眠ってました。次に目が覚めたのが8時45分。慌てて身支度をして9時に迎えにきた父(父は一度、自宅から離れた事務所に寄っています)の車の助手席に乗って出発です。今日の現場は「フラワーフルーツパーク」というところ。市が運営している素敵な場所なのですが、地理的に都市部とも住宅地とも離れている上に、テーマが限られているのでいつも赤字だそうです。そんな楽しげなところで、こちらは屋外空調機と格闘です。今回は私にとって初めての作業で、屋外空調機に入っている巨大モーターを取り出し、それを分解して中に入っているベアリングパーツを交換するというもの。肝心なのは、直径6センチほどのベアリングを2個と、それに付随する部品を交換する作業で、20分ほどで済みました。が実際は、この巨大モーターを取り出すのと戻すのとにかなりの労力と時間を奪われます。屋外機のパネルを外し、モーターが繋がっているコードを探し出し、そのコードを引き伸ばしてモーターを取り外してもコードが切れないように余裕を持たせます。それからモーターの周囲を取り囲んでいる配管(太い、重い!)を二人がかりで外してやっとモーターとご対面です。全館用空調の室外機ってかなり見た目は大きいのですが、それでもまだ「コンパクト」に設計されていて、普段のメンテナンスのことを度外視しているとしか思えません。そこに見えているモーターを取り外すのに、それを囲っている金属ケースを外してからモーターを取り出します。しかしそれらを留めているボルトナットが、「どうやってこんな位置にはめることが出来たんだ?」と声に出してしまうほどの無茶な位置についています。それらをことごとくクリアして行き、モーターを解体します。それからようやく肝心の作業です。目的の作業自体がすぐに終わってしまって、一瞬放心しましたが、今度はこれまで書いてきた行程の逆の作業が待っています。いつもは父の足手まといな印象を自分に受けながらの仕事手伝いですが、今日ばかりは違います。どう考えても、男手が二人いないと作業が進められません。そんな次第で、今日はたくさん身体を動かしてきました。なんとか17時よりはやく全作業を終え、帰路につきます。でも、親の家から遠い現場でしたので、帰り着いたら18時半頃でした。いつもなら、父の仕事を手伝ったあとは緊張感が残っていて起きていられるのですが、今日は肉体的にも疲れました。帰りの助手席で居眠りし、帰ってからも寝ていました。何とか20時前に起き出して、メールチェックをしていたら、滅茶苦茶沢山メールマガジンが届いていました。受信する時間だけでも馬鹿になりませんね。それでも「無料」に弱い私は「ウィまぐ」を毎日チェックしています。というわけで今日は久しぶりの肉体疲労をしてきたのですが、私の身体には、変な癖があります。肉体が極度に疲労すると、口の中、上前歯の裏の歯茎がめくれ上がったようになって、歯の露出部分が増えるのです。これがバロメーターになって、「お、今日は疲れているな」というのが分かるのですが、こんな現象が起きるのは私だけでしょうか?
2005.06.15
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最近、眠剤をのんで寝ても、夜中に目が覚めてしまうことが多いです。昨夜も0時過ぎには寝たのに、午前3時ごろには目が覚めてしまって、そこから眠れません。布団の中で「寝なきゃ」と焦っても逆効果です。あきらめて午前4時ごろから布団を出ますが、何をするわけでもなくボーっとしています。午前5時過ぎにアラームが鳴るので、朝の行事の開始です。幸いのソフト作りの唱和、神想観、TV中国語会話、金井メソッドの瞑想です。それからおもむろにPCに向かってメールチェックです。届くのは無数に購読している無料メルマガばかりですけど。今日は通院日なので、ゆったりめに身支度してから出かけます。ほんとは午前中は眠くって仕方が無いのですが、切れた薬を処方してもらうため出かけます。通っている病院にはバスを2本乗り継いで行きますが、2本目のバスまでに余裕があったので、先に図書館によって小説を借りました。宮城谷昌光さんの『子産』上下巻です。以前に書きましたが、古本の通販で宮城谷さんの『三国志』1~3巻を買っていてそれはすでに届いているのですが、この前借りて読んだ『沙中の回廊』の続きの時代が気になって借りてきました。今日は病院の待合室で待たされました。前回は空いていて、診察券を出したらすぐに呼ばれたのに、今日は1時間以上の待ちです。なんだか大変そうな患者さんが先にいて、家族らしき人ふたりに付き添われて診察室に入って行ってました。その人だけで半時間以上費やしていたように思います。ようやく自分の番が来て、診察室に入ります。医師には「父の仕事を手伝っているが、休みの日には一日中眠ってしまっていること」「眠剤をのんで0時過ぎには寝ているのに、2時間~2時間半くらいで目が覚めてしまうこと」を訴えました。するとすんなりと、「休みの日に寝てばかりなのは、働いている日に『過緊張』しているからです。その反動が休みの日に反動として1日寝ている状態なのです」「人間が環境に順応するまで半年かかります。まだ4週間でなれる訳がありませんから、いまはそんなものだと割り切って月日をかけて慣らしていきましょう」という説明が返ってきました。個人的には休みの日に昼間も寝ているのが勿体無いのでそこで食い下がったのですが、「慣れるのを待ちましょう。それまで寝てばかりの休日でもいいじゃないですか」とのこと。ちょっと不満ですが、仕方ありません。なにせアルコール類禁止、車の運転禁止がいまだに解けていない私ですから。あと、夜中に寝が覚めてしまうことには、薬を追加するという対応が採られました。ロヒプノール錠という長めの効果がある睡眠薬です。これで1日にのむ薬の種類が9種類になってしまいました。病院の帰りに、足を延ばして駅前までバスに乗り、電気店のコジマに寄ってきました。目的はヘッドセットです。ヘッドフォンにマイクが付いているものです。一番安いのでいいやと探していたら、片耳タイプが1270円で売っていたので、即座に決めて買って帰りました。このヘッドセットは、Skypeで誰かとお話しするために買いました。「Skypeで新しい仲間さがし」というメルマガが発行されたので、それを通じて、話友達が欲しいと思ったのです。ちなみに、メルマガ「Skypeで新しい仲間さがし~スカイピア~」は、以下のURLから登録できます。 http://www.sitecatcher.net/skypia2.htmだれか話し相手になってくれませんか?
2005.06.14
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結果からいうと、今日も一日寝ていました。昨夜はこの日記を書いた後も眠ってしまって、午前1時ごろに「これではいかん」と思い、眠剤をのんで就寝しました。例によって、先週の水曜日から風呂に入ってなくて汗まみれなので、とても寝苦しいです。やはり「これではいかん」と思い、目覚ましのアラームを午前6時にセットしていたのに、午前5時には起き出して風呂場に向かいます。シャンプー2回、石鹸で丁寧に洗顔、たわしにボディーソープをしみこませて身体を磨き上げます。「さあ、これで今日の仕事に出かけるのに不都合ないぞ」と意気込みましたが、今日父が向かう現場は素人が入るとややこしいらしくて、「今日は出なくていい」の連絡が。朝の行事をほったらかしにしてまで身体を清めたのに、と思いながらも、「じゃあ、せめて瞑想だけでもしよう」と、金井メソッドのイメージの導入を実践。すると気持ちよくなって眠ってしまいました。瞑想を続けていると睡眠時間が少なくても済むようになると聞いていたし、去年の後半はそうだったのに、このところ眠っているばかりの自分に半ば焦り、半ばあきれています。結局、18時前まで寝ていて、そこで起き出してメルマガの執筆と配信予約をします。内容はすでに昨日考えていたので、書くだけでよかったから手短に終わらせられました。そんな次第で、昨日より良くなるために何かが出来た訳ではありません。思いついたので、自分の性格の分析めいたことをやってみたいと思います。私は、物心ついたときから、「今を生きる」ということを真面目にしてこなかった。いつも周囲の目を気にして生きてきました。特に小学校にあがったあたりから、教員に言われたことは絶対にしなければいけないと、誰に言われるでもなく、強く意識していました。当時の社会の影響でしょう。「良い成績をとって良い大学に入り、良い企業に就職する」こんな生き方を植えつけられて、それが絶対善であるかのように生きてきました。だから、今が楽しいかどうかは別にして、明日のために将来のためにと、幼い心を犠牲にして生きてきたように思います。そんな考え方に囚われて日常を無難に過ごしている子供に、なにか魅力的な人格が宿るわけはありません。私の小学・中学時代はつまらないものでした。中学生のときは、通っていた学校の教員たちの間で「体罰」が流行り、テストで60点以下をとったら体罰、授業中に出された問題に正解できなければ体罰でした。私は体罰そのものが怖かったのではなく、皆の前でさらし者にされる感覚が怖くて、「体罰は受けまい」と念じていました。しかし、それも脆くも崩れ去ります。中学1年生との時、数学を教えている教員の授業のやりかたについて行けなくなりました。授業開始と同時に5分間の小テストをさせられるのですが、これに1問でも不正解を出すと「ダメな奴」の烙印を押され、分からないところを質問しに行っても相手にされなくなるのです。当時は、これで数学についていける生徒が続々と減っていきました。ついて行ってるのは、学習塾に通っている金持ちの子弟くらいなものでした。私も1学期のある日に、小テストに全問正解出来なくなって、「慎太郎もダメな奴」と言われました。胆力のある生徒なら、そこで精神的反抗でも起こしていたのでしょうが、私にはそれすら出来ません。「ダメ」の烙印を押されたことで、将来が真っ暗になっていくような感覚に怯えていました。そんなある日、その就学の授業中に、黒板に書かれた問題を解くように指名されました。前述のような心境になっていた私が怯えながら書いた答えは不正解でした。ここで体罰の登場です。数学の教員ですから、黒板用の長い物差しが奴の武器です。これで体罰の対象になった生徒は、尻を叩かれるのが恒例でした。が、私の場合は違いました。件の教員の手がぶれて、右膝の真裏をしこたま打たれました。私の右膝には激痛が走りました。その日を境に、私の右膝は壊れてしまいました。当時はとにかく膝を動かすことをすると激痛が走るので、両親にそのことを言いました。当時は親に、学校での教員の不始末を告白するのはとても罪悪感のあることでした。親は当然心配してくれ、取り急ぎ病院に連れて行ってくれました。整形外科で診察を受け、関節炎と診断されました。成長期の子供にはまま見られる症状で、短期間で治るとの事でした。ところが、私の右膝の痛みは1年経っても治りません。不審に思った父が、近くの総合病院に行って相談してきて、検査入院することになりました。一晩の入院でしたが学校を休みました。手術室に入れられ、麻酔を受けた後、右膝の下にメスを入れて切れ目をつくり、そこからファイバースコープを入れて膝の様子を診察されました。結果、私の右膝の半月版が破壊されていることを知りました。完治には時間がかかるとの事でした。その間に、件の数学教員は転任になってしまいました。去り際に私のところに来て、「慎太郎君の膝、私の所為じゃないよね」と言ってきました。「あなたの所為です」と答えたかったのですが、奴はそれより先に、私から走り去っていきました。この間、私は右膝に痛みを抱えて、びっこを引いて歩かねばなりませんでした。周囲は、まだ精神的な成長の幼い中学生ばかりです。びっこを引いて歩いている私の姿が滑稽だったのでしょう。私に近づいてくる奴といえば、目の前でわざとびっこを引いて見せて、「慎太郎の真似」といって笑いものにする連中ばかりでした。このびっこのおかげで、私は周囲から「異質」な者として認識されてるようになっていました。小学時代からの友人も私を避けるようになりました。孤独に耐え切れなくなり、「学校には行きたくない」と親にせがみましたが、親はそれを許してくれません。毎日、奇異の目で見られるために通学しているようなものでした。体育の授業はありましたが、ずっと見学ばかりでした。ははは・・・何を書いているんでしょうね。とにかく、自分の過去を振り返ってみたとき、この体罰が元での「びっこ」が私の人生の方向性を大きく決めてしまいました。誰であれ、教員には心を開きませんでした。こちらから「友達になってくれ」と頼んでも、「お前は特別な奴だから」と言って断らればかりでした。このとき以来、人間として誰かとコミュニケーションをとる能力が、私の中では育ちませんでした。
2005.06.13
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昨夜は週末感を味わいたくて、いつもより遅くまで起きていました。23時から桑田佳祐さんのFMラジオを聴きます。もう御大といっても過言ではないサザンの桑田さんが、時には腰低く時には下ネタを交え、賑やかに楽しい番組です。妻子と別居後にこの番組の存在を知ったのですが、仲間で和気あいあいとやっている雰囲気が大好きになってしまって、今年になってから毎週聞いています。その後、この前から録画しておいたのを見始めたドラマ「恋におちたら ~僕の成功の秘密~」の第5話を見ました。ストーリー自体はありふれたものなんですが、出演者の演技がいい。主人公の草なぎ君に反感を持つ上司がひょんなことから重要な取引をフイにしてしまうのですが、草なぎ君がマイペースで「社長さんに会って謝りましょう」と、東京から那須の別荘地まで出かけていきます。案の定、目的の社長さんにはなかなか会えません。会えるのは出入りしている老家政婦さんのみ(これが最後に目的の社長さんだったと分かる訳ですが)。4日間も泊り込みをしていても無駄だということを教えるために件の老家政婦(実は社長)が、おにぎりと味噌汁を草なぎ君と上司に差し入れしてあげます。草なぎ君はすぐに飛びつき「美味しいですよ」を連呼するのですが、エリートの上司はすんなり受け入れられません。しばらく経ってからようやくおにぎりを口にするのですが、そのときの表情の変化がすごくいい。見ているだけで、「あ、おいしそう!」と伝わってくる、なんとも優しい表情になっていました。演じているのは谷原章介さん。脇役が多い人ですが、実力派です。いいもの見せてもらったという感じで、ストーリーより、谷原さんの表情に感動してました。さて、話が脇道にそれましたが、そんなこんなで午前2時ごろに就寝です。でも午前4時前には目が覚めてしまって、再び眠れません。布団の中で焦りますが、昨日昼間に延々と寝てしまったツケか、夜に熟睡できません。そのまま起きていて、午前5時を回ってから、恒例の朝の行事です。幸のソフト作りの唱和、神想観、TV中国語会話、金井メソッドの瞑想をこなします。もしかしたら、これらを実践しているこの朝の時間帯が、今の私の生活のなかでは一番充実しているのかも知れません。朝食に納豆ご飯をいただいて、仮面ライダーを見たら、なんだか安心(慢心)してしまって、再び眠りに就きます。次に目が覚めたのが、もう16時前。競馬中継のメーンレース部分は終わっています。なんとか福山雅治さんのFM番組だけは聴けました。何週間か前に、番組の中で福山さんが即興で「恋のビッグバン、ビッグバン・・・それは突然、ビッグバン♪」という歌を歌ったのですが、それが本人や番組スタッフに受けたので、それ以何度も使っていました。いよいよ今日はリスナーからの投書で、「恋のビッグバン」を今度のアルバムに入れてください、みたいな要望が何通も届いていました。福山さん本人は慌てて取り繕っていましたが。結構楽しく聞けていたのに、気づいたら、また眠っていました。なので番組の後半を覚えていません。なんだか悔しい。次に目が覚めたのは19時前です。その間、寝てはいけない、起きようという意識は働いていました。なので余計に中途半端な眠りになってしまったのでしょう。これは反省材料です。今度から眠るときは「きちんと脳を休める」という自覚を持って寝ないと、せっかくの睡眠時間が脳の休養にならないと感じました。自分に言い聞かせるためにも、ハッキリ書きます。「寝るときは熟睡しよう」「睡眠の生活パターンを確立できるまでは、眠いと感じたときに眠れるのであれば、そこに責任感をもって寝よう」「時間はともかく、熟睡できるようになってから、眠る時間の調整をしよう」こんなところでしょうか・・・
2005.06.12
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昨日はここで入浴すると宣言していましたが、0時を回ると眠くて仕方なくなってしまいました。「探偵!ナイトスクープ」が終わった頃にはねむねむです。おとなしく眠剤をのんで寝ます。江原啓之さんの「スピリチュアルCD」を聴いている最中に眠りに落ちてしまいました。いつもなら最後まで聴けているのに。5時過ぎにアラームで起床です。幸のソフト作りの唱和、神想観、TV中国語会話、金井メソッドの瞑想をして、朝のメニューを全てこなします。今日は珍しく、父が全日オフでした。そのため父も母も朝はゆっくりしていて、7時を過ぎても起き出してきません。インスタントラーメンで朝食をいただきます。その後は何かしようと思っていたのですが、外は強い雨。何となく布団に戻ってしまうと、そこから延々、寝続けてしまいました。次に目が覚めたのが16時。遅い昼御飯をいただいて、さて何かしようとPCに向かいますが、気分が乗りません。決して抑うつ感が強く出ているという訳ではないのですが、とにかく眠いです。そして布団に逆戻り。次に目が覚めたら21時を回っていました。つまり、つい今しがた目が覚めた訳です。しかし、これだけ眠っても、まだ寝足りた感じがしません。私の脳は、まだまだ休息を必要としているのでしょうか。
2005.06.11
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今日は午前9時から父の仕事の手伝いの予定なので、昨夜は0時に眠剤をのんですぐに寝ます。ただ、まだ睡眠のバランスが上手く行ってなくて、一度目が覚めたときに時計を見てビックリ。まだ午前1時半でした。そこから必死になって眠りにトライしますが、1時間おきに目が覚めてしまいます。ついに午前3時半で諦めがついて、起き出して、昨日見ていたドラマの続き(録画)を見ます。草なぎ剛(嗚呼、ナギの字は打てるのに、楽天のサーバーから「機種依存文字です」のエラーメッセージが出ます)くんの「恋におちたら ~僕の成功の秘密~」です。彼の主演するドラマは、主人公が温かい人柄に描かれているものが多く、見ていて安らぎます。これで、録り溜めしていいた分のうち、第1話から第4話まで見てしまいました。もうすっかりハマっています。そのまま起きていて、5時過ぎから恒例の朝の行事に移ります。幸のソフト作りの唱和、神想観、金井メソッドの瞑想です。眠くなったので、TV中国語会話は見ませんでした。変わりに矢野惣一さんの「自分をあきらめないで。絶対上手くいく!」の付属CDの前半を聴きます。聴いているうちに段々と気持ちよくなってきたので寝ました。8時前に母が起こしに来てくれたので助かりましたが。それにしても『金井メソッド』の瞑想はいいです。これも書籍があって、それに付属しているCDを聴きながら、瞑想の誘導に入っていくのですが、初心者でも取り組みやすいです。私はこれを始めて、もうすぐで丸1年になります。今気に入ってるのは、CDの2番目に入っているイメージへの誘導です。これは単に瞑想状態に入るだけではなくて、冒頭に、身体が宙に浮かび、白い雲を通り抜け、青空の真っ只中で光り輝いている「ほんとうの自分」と融合するところから始まります。それからもとの場所に戻ってきて瞑想に入るのですが、これをやると自然と無心(に近い?)状態になり、心がさっぱりしたように感じます。『金井メソッド』を購入してから半年ぐらいは、CDの1番目にある基本的な瞑想ばかりを繰り返していましたが、そのときは眉間のチャクラが開いた感じを得ました。次の半年間は、主に前述のイメージへの誘導をやっているのですが、最近になって胸のチャクラが開きつつある感じがしています。そのおかげか、最近、抑うつ状態で胸がふさがった嫌な感じが消えつつあります。さて、9時前には支度を済ませて、父の車の助手席に座って出発です。今日の現場は、比較的小さな屋外機をなんと屋内に設置してあり、直射日光にさらされて飢える状態にならずに済みました。この仕事を手伝い始めてから私が唯一覚えた作業に、「真空抜き」というのがあります。これは空調機のなかにある大きなタンクを真空状態にしておかないといけないのですが、長年使用していると水素ガスが発生したり、場合によっては亀裂から空気が入り込んだりするので、それを抜くという作業です。小型ですが重たいポンプを運んでいって、チューブを何本も取り付けて、タンク内を真空にします。今日担当したタンクは、「なんでこんなに空気が入っているの?」と驚きたくなるほどの量の泡(一度、水を通過させて泡が見えるようにして確認しています)が出てきてきました。いつもなら200mlのシリンダーに2本か3本溜まれば多いほうだったのですが、今日は30本を超えてもまだ空気が出てきます。チェックシートの関係上、気体が6リットルを超えた場合は、それ以上計測しなくても良いのだそうですが、アホほど(←関西弁)泡が出続けました。その間に、父がどんどん作業を続けて行きます。今日行った場所は役所関係(法務局)の建物だったのですが、1件の業者だけが出入りしているのではなく、別のメーカーの機械も置いてありました。そちらの担当の人が昼前にやってきたので、こちらの区切りがついたところでバトンタッチです。午後はどこに行くのかな、と思い父に尋ねると、「今日はこれで仕舞いや」とのこと。思いがけず、午後の時間が手に入りました。帰宅したのは13時過ぎ。それからお昼御飯をいただいて、まずはPCに向かいます。これまで、私自身、自分の生活に右往左往していた感があって、この日記を書いていても、つけていただいたコメントに返事を書く余裕がありませんでした。ずっとそのことが気になっていたので、今日、ようやく返事を書きました。5月19日以降のコメントは、全部チェックしたつもりです。コメントをいただいていた方々、遅くなって申し訳ありません。大した文章を書いた訳ではありませんので、お暇なときにでも読んでやってください。コメントへの返事を書き終えた後、本でも読もうかと思ったのですが、暑くてダルいので、ラジオを聴いていました。手持ちのAMラジオのダイアルは、いつもはNHK第一にあわせてあります。漠然と聴いていたら、夕方になって、女子バレボールの指導者めいた人がインタビュー(対談?)を受けていて、長い時間にわたって今後の日本のバレーについて熱く語っていたので、思わず聞き入ってしまいました。年配の方なんでしょうが、自分の生きる道を明確にして邁進しているというのは、うらやましくも素敵だなと感じました。19時から金井メソッドの基本の瞑想をやってさっぱりした後、アニメの「クレヨンしんちゃん」を見ました。今日のは面白かったです。それから、父の愛犬を散歩に連れて行って、帰ってから晩御飯をいただきます。(うちは晩御飯が21時くらいが標準ですので)それが済んだので、こうやって日記を書いています。起きている時間が長いと、一日が充実した感じを受けますね。この後、「探偵!ナイトスクープ」を見てから、入浴する予定です。
2005.06.10
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昨夜は1週間ぶりに入浴しました。シャンプー3回、顔も石鹸を塗りたくって洗い、身体はたわし&ボディソープでゴシゴシと磨き上げます。しかし季節柄、暑い気候に突入していて、風呂から出ても、温められた身体からは、汗が滴り落ちます。暑い!入浴が0時過ぎ、風呂を出たのが午前1時過ぎ。すると父がタバコを吸いに起きて来ました。ちょうどよいタイミングなので、「明日(今日のことです)は何時に出発するのん?」と尋ねると、「明日はちょっとキツイ現場やから出んでいい」とのこと。私のような素人が紛れ込むと、かえって迷惑をかけるみたいです。そんな次第で、昨日の日記を書いた時点では、今日は働きに出るつもりが、オフの日になりました。開放感とともに寝ようと思い、眠剤をのんで床に就きます。が、昨日はさすがに寝すぎたのでしょう。全然、眠くなりません。布団の中で寝返りをうっていると、午前5時を迎えてしまいました。これを逆にチャンスにしようと、これまで1週間サボっていた、朝の恒例行事を復活させます。5時過ぎから幸のソフト作りの唱和、5時10分から神想観、その後、金井メソッドでの瞑想、TV中国語会話の録画を見る。ここまでこなして、午前6時40分ごろ。それからPCをつけて、この日記の管理画面を見ました。なんだかんだ言っても、自分の書いているブログが、皆様にどれだけ見ていただいているか、気になっているんです。昨日1日のアクセス数を見て嬉しい悲鳴。なんと「113」でした。その前2日間が90台でしたので、「100を越えたら嬉しいなぁ」なんて思っていたのですが、一気に実現しました。この日記を読みに来てくださっている皆様、ありがとうございます。朝食の後に部屋でのんびりしていたら、眠ってしまいました。昨日の20時過ぎから寝ていないという、なんとも不自然な生活パターンを送っているので、これを矯正することを今日の課題にしました。眠ってしまったのは13時までだったので、そこからは夜まで寝ないように強く意識します。とは言っても、やっていることは非常にのんびり。宮城谷昌光さんの小説『楽毅』第1巻(文庫本)をのんびり読み、飽きたらラジオを聴き、さらに録画しておいたドラマを見て過ごします。最近になかった贅沢な一日です。昼過ぎにタバコが切れかけていたので、買いに行こうかとも思いましたが、今日はものすごく暑くて、普段はエアコンに頼らない主義の私も、ドライ運転で湿気をとり快適な空間のお世話になります。19時前には涼しい空気に変わっていたのですが、金井メソッドの基本瞑想を30分みっちりやって、心も軽くなってからお出かけです。家にいる母に「タバコ買いにいってくるわ」というと、「ほんならついでに砂糖も買うできて」との返事。母も今日の暑さに外出をためらっていた様子です。帰宅してタバコを吸って、さらにドラマの録画を見てから、夕食にありつこうと思ってダイニングに降りていくと、父が帰っていました。私の顔を見るなり「明日は9時に出発な」とのこと。昨日は休んで寝てばかりでしたので、今週2日目の労働ですが、もはや週末です。こういう環境を整えてくれている父には、「ありがたい」の感謝の念が湧きます。どうもうつ病になってからの私は、自分のこと以外が見えなくなっていて、周囲の人に感謝するということがなくなっていたようです。私の息子はまだ小学生ですが、彼のことを思うと「慈しみ」の感情が湧きます。いまの私は中年男ですが、父からすれば、いつまで経っても自分の「息子」であることには違いない訳で・・・そのあたりのことを想像していたら、この上なく父母がありがたい存在に思えてきました。まだ言葉に出せば、ぶっきらぼうに「ありがとう」というのが照れ隠しの精一杯ですが、もっと自然に感謝の念を表現できるようになっていきたいです。
2005.06.09
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本来なら、今日水曜日は父の仕事を手伝う日でした。そのため昨夜は0時には眠剤をのんで、すぐに就寝しました。途中、午前3時ごろ目が覚めましたが、「仕事があるから寝なくちゃ」と必死で寝ます。一応、午前6時に目覚ましをセットしておいたのですが、それを切って、また眠りこけていました。8時になって起き出してはみたのですが、なぜか身体がだるくてだるくて仕方ありません。また眠気も強く残っていたので、父に頼んで、今日の仕事を休ませてもらいました。そこから眠りに眠って、20時過ぎまで眠っていました。途中、16時ごろに起きて、遅めの昼食をいただいたのですが、その後も眠っていたのです。20時過ぎに目が覚めたのは、携帯電話が鳴ったから。この前、インターネットから資料請求をしていた、社会保険労務士の講座の会社からでした。簡単なアンケートが用件だったのですが、それで起こされても、まだ眠いです。自分でも、この眠さはどうなっているのだろう、と不安に感じるくらい眠くて仕方ないです。ちなみに、社会保険労務士の資格には、興味があります。私は無職歴もうすぐ丸6年。うつ病生活は7年目に突入です。前職は家庭用ゲームソフトのプランナーだけでして、他の職種は経験がありません。今年の7月で38歳になりますので、再就職するには高齢です。そんな次第で、なにか資格を取っておいたほうが有利かな、なんて焦りがあって、とりあえず無料でもらえる資料を、この前から請求しまくっています。社労士にこだわっているのは、前の会社で取締役をやっていて、その都合上、社労士めいたことを経験しており、本も何冊か買って読んでいたので、全くの守備範囲外ではないからです。(悔しかったのは、自腹で買った社労士関係の書籍数冊を、うつで休業している間に、当時の社長に持ち逃げされたことです。)そんな次第で、今日は活動めいたことは、全くしていません。寝ていただけです。朝、「仕事を休む」と言ったときには、やはり母に怒られてしまいました。週3日の労働もままならないのは、見ている家族としては歯がゆいのでしょうね。攻められたことで罪悪感もあり、寝ているときには奇天烈な夢を何度か見て、その都度目覚めましたが、すぐに眠ってしまい、内容は覚えていません。ただ、一日眠っていたのに、まだしんどいというのが、自分にとって不安材料になってしまっています。明日は、今日の穴埋めのためにも、働きに出なければ。早く元気になれますように。
2005.06.08
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昨夜はもう眠くって、0時過ぎに眠剤をのんですぐに就寝。一旦は午前3時過ぎに目が覚めてしまって焦りましたが、疲れていたので、すぐにまた眠ったようです。その後も何度か目覚めましたが、眠りに眠って、起きたのは正午を回ってから。そんな次第で日課にしていたことが、ここ1週間、実践できていません。でも、今の自分には睡眠が必要なんだと割り切って、「また明日」と一日延ばしにしていくのでした。食事をいただいてから、朝の筈だったお薬を服用。まだどこかに不安があって、薬を欠かすことが出来ません。今日は父の仕事の手伝いはお休みですが、食後に出支度をします。実はいま、自己破産の申請をしている最中でして、そのための必要書類を弁護士さんに送るために、郵便局までお出かけです。この申請は去年の7月にはじめたのですが、その後の別居、妻の引越しなどが重なり、私の住民票が二転三転しているので、その都度、申請をやりなおしていたので、ここまで遅くなってしまったのです。(ちなみに自己破産の申請は、住民票のある都道府県でないと出来ないそうです)私の場合は、現在は兵庫県に住んでいますが、住民票は妻子の住む新潟県にしていますので、新潟の弁護士さんとやりとりしています。今回届け出たのが、通帳のコピーで、おそらくこれが最後の提出物になるでしょう。あとは弁護士さんの手によって、むこうの裁判所で手続きされるのを待つのみです。もしかすると、私自身が、一度、管轄の裁判所まで足を運ばねばならないかもしれませんが。ともかく自己破産で免責が確定すると、うつ病による失業のために支払えなくなっていた中古マンションのローンが消えます。住宅金公庫さんには悪いですが、6年近く返済していたのに、まだほとんどの額が残っているローンを支払う能力は、私にはありません。申請をしたあとで、自己破産したら悲惨な境遇が待っていると聞かされましたが、もはや手遅れ。あとは債権者に追い詰められないことを祈るばかりです。
2005.06.07
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昨夜は12時半に就寝。ほんとは入浴しようと思っていたのですが、しんどいのでそれもパス。告白しますと、先週の水曜日の夜に入浴してから、ずっとお風呂サボってます。もう中年なので頭皮に脂汗が出ていて不潔な状態なのですが、今の私には睡眠時間には代えられません。なので、きっぱり判断して入浴してません。眠剤をのんで寝たのですが、午前2時半には目覚めてしまいました。布団のなかでもんどりをうっているうちに、午前4時です。なんだか変な表現ですが、そこからは必死になって寝ました。寝なきゃいけないという強迫観念でも持っているのでしょうか。妹が大学に戻って、再び部屋を使わせてもらえる状況に戻っているのですが、今朝は眠くて、恒例にしていた朝の行事は全てサボります。今日は月曜なので、父の仕事を手伝う日です。昨夜、父から「出発は9時半でいい」と聞いていたので、8時半に起きればいいやと決め込んで、6時に目覚めても「あと2時間半は眠れる」、7時に目覚めても「あと1時間半は眠れる」と、なんだかんだ言って眠り続けました。それでもきちんと9時過ぎには出支度を終え、迎えに来た父(先に一度、事務所に寄ってから迎えに来てくれるのです)に連れられて、仕事の手伝いをしてきました。今日は市内の病院の屋上で作業です。大きな建物なので屋上も広いのですが、その分、冷暖房の装置の周囲にはびっしりと配管がなされており、歩くのだけでも苦労します。なかには、四つんばいになってパイプの下をくぐらないと行けない場所もあります。さすがに3週目に突入しているので、機械のことや手順が、それなりに掴めてきています。しかし、タンクへの窒素ガスの注入や、別のタンクからの溶液抜きなど、手間と時間がかかるものが多いです。今日もよいお天気で、屋上で陽にさらされながら汗まみれになって帰ってきました。幸というと言葉が悪いのでしょうが、今日の作業は、明日の工事のための下準備だけでよかったので、運び上げた機材を降ろさなくて済みました。その分、楽に時間も早く終われました。そんな次第で16時過ぎには帰宅できました。帰宅してからはメルマガの執筆です。私の「つもり」では、毎週日曜日に書いておいて、月曜はその推敲をしてから配信予約したいのですが、このところ日曜に何かすることが稀になってきているので、今日も慌てて執筆です。先週まで、私が妻から別居を申し渡されるまでを書いていて、書いている本人もダークでしたので、今日は気軽な文章を書いてみました。書き終えて、配信予約をしたら、眠気が襲ってきました。例によってすぐに敷ける布団を引っ張り出し、横たわります。19時前までは記憶があったのですが、次に気づいたら20時になるところでした。時間を見るために(弟が料金を払ってくれている)携帯を見ると、大切な友人からの着信履歴がありましたので、こちらからかけなおします。あたたかい時間を過ごせました。こうやって、曲がりなりにも労働をし、友人と電話している自分がいるということに気づき、「俺って恵まれているなぁ」と。しみじみ感じ入りました。ただ、この「恵まれている」環境でいいのか?という疑問も湧きます。それは、このブログでお気に入りリンクさせてもらっている勇飛さんからの情報によります。はじめてトラックバックというものを使いますが、その楽天日記の内容が凄まじいからです。(勇飛さん、ありがとうございます)「ぴろまりん ─普通に生きない─」というブログで、「自分で治せるよウツは」と掲げられた文章が、対話形式で書かれています。詳しい内容は現物をご覧いただくとして、個人的には衝撃でした。もう6月になってますので、うつ病発症から6年を満了し、7年目に突入している私です。しかし、ぴろまりんさんの日記を読めば、ちょっと焦りを感じてしまいます。そうそう、焦りつながりで、今日の話題をもうひとつ。昨夜寝る前に、インターネットの求人情報サイトから送られてきたメールを読んでいました。そこには「家庭用ゲームソフトのディレクター募集」の案内が載っているではありませんか! しかも年齢制限なし!妻から提示されている同居の条件である「病気を治して、社会に出て働いてお金を稼ぐ」ということは、濃淡はあっても、一日たりとも心の中でくすぶっています。そんな次第で、前職で経験した内容の求人情報を見ると、つい衝動的に応募してしまう私がいます。過去にもなんどか同じ職種に応募したことがあったのですが、全部無視されていて、いつまで経っても返事がきません。それに比べて、昨夜応募したところは、今日帰宅してからメールチェックをしていると、「確かに応募を受け取りました。この後、書類選考します」との簡単ながらも懇切なメッセージが届いていました。採用が決まったわけでもないのに、反応してくれた事実が、ちょっと嬉しかったです。個人的には、父の仕事を手伝えるようになってきている自分に、わずかながら自信が宿りつつあります。大学を卒業して、そこしか経験していないゲーム業界。愛着もありますし、まだ挑みたいアイディアも温めています。良い方向にむかいますように。
2005.06.06
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こんばんは、お久しぶりの慎太郎です。いま借りている部屋の持ち主の妹は、今夕、九州に戻っていきました。おかげでようやくPCを触れています。話は先日になりますが、3日(金曜日)はハードでした。例によって、月水金は父の仕事の手伝いなのですが、この日は豊岡・城崎まで行ってきました。父の会社のサービスエリアは神戸市なのですが、例外的に豊岡地方が組み込まれています。これは何故かというと、父と同業であった豊岡の下請け会社が廃業したため、そこと親しかったうちの父が請け負うことになっているのです。目的地へは車で向かうので、朝6時半には出発です。7時ごろ、同地へ向かう弟(彼も父の会社の社員で別居)と合流して、1台の車で走ります。そのほうが高速道路代が軽減できるから。豊岡で弟を降ろして、父と私は、さらに城崎へ向かいます。現地での作業は困難なく、2件の仕事を終えて、15時ごろには豊岡に戻って弟の作業を手伝います。でも、こちらもかなりの進捗でしたので、大した手伝いは不要で終わりました。そこから家路へつきましたが、何せ兵庫県の北岸から南岸へと移動しているので、往復の時間だけでも大変です。こういうときは、作業機材がたくさん積めるハイエースという車に乗っていくのだそうですが、私が座らされた後部座席は硬く、まだまだ治っていない尾てい骨がさらに痛くなって帰ってきました。やはり金曜日でしたので、1週間が終わったという充足感があったのですが、自動車での移動で疲れてしまったので、TVで「探偵!ナイトスクープ」を見終わったら寝ました。翌土曜日は寝たきりでした。妹が外出予定だったので、その頃合を見計らってPCを触ろうとしていたのですが、もう朝から晩まで眠りこけていて、起きたら妹が戻ってきた後でした。PCも触れず、本を読む気力もなく、何かしたいと思いながら、FMで桑田佳祐さんの番組を聴いただけの一日でした。でも、翌日(今日ですね)に期すところがあったので、日付が変わった時点で、おとなしく眠剤をのんで寝ました。今日は朝早めに目覚めたのですが、することがありません。厳密に言うと、妹が戻っている間に私が居られるのはダイニングか雑魚寝用の居間(せまい!)しかありませんので、CDが聴けないしビデオも見れないのです。そのような次第で、このところ朝の日課にしていた神想観も瞑想も出来ません(どちらもCDのガイドに従ってやってます)し、TV中国語会話の録画も見れません。7時まで寝たり起きたりを繰り返し、それからTVを見ます。日曜の朝はアニメや特撮ものが多く、息子が見ているであろう番組を私も見ています。これは、私が元ゲームプランナーで、なんちゃってオタクだったことと、同居していた頃に息子に付き合ってTVを見ているうちに(チャンネルの主導権は息子でしたので)、そういった番組が面白いと感じるようになっていたからです。その後、図書館で借りてきた小説『沙中の回路』を読み、ようやく読了しました。7日には返却しないといけないので、そこだけ頑張って読みました。感想としては、春秋の覇者であった晋の文公の時代から始まっているのに、どんどんマイナーな時代に行ってしまって、盛り上がりに欠けた感じでした。主人公の士会という人も、若い頃から、分かる人にはその才覚を認められていたのに、歴史の表舞台で活躍しているところの描写はあっけなく、「もう終わり?」という感じでした。その前に読んでいた、同じ宮城谷昌光さんの『管仲』が私にとっては非常に感動的であっただけに、ちょっと肩透かしでした。ただ、今日やったことといえば、その読書だけ。読み終わったら眠気がやってきて、布団に逆戻りです。その後も寝たり起きたりを繰り返しましたが、何かをやったという達成感はありません。今日は競馬でG1の安田記念があったのですが、ギリギリ目が覚めてレース部分を見ただけだし、そのあと聴くつもりだった福山雅治さんのFM番組も、始まった途端に眠ってしまい、本当に冒頭と最後の部分の音を聞いただけでした。今日は野球中継で、大好きなTV番組の「THE 鉄腕DASH」もないし、退屈な一日を過ごしてしまいました。ただひとつ救いなのが、晩御飯をいただく前に、妹の部屋に陣取って、金井メソッドの瞑想をやりました。初級編の30分かかるやつを丹念にしました。気持ちが良かったです。さて、また明日、父の仕事の手伝いが出来ますように。いまは働いては翌日寝込むという生活をしていますが、徐々に連続して働けますように。そして妻子と再び、同居できますように。
2005.06.05
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今日は意識して朝ゆっくり寝て、きちんと父の仕事を手伝いに行って来ました。なんとか元気です。ですが本日、大学生の妹が短期休暇を利用して、帰郷してきました。今私が借りている部屋は、元は妹の部屋ですので、彼女の滞在中は返さねばなりません。そのような次第でして、いま、ちょっとだけ部屋を借りて更新していますが、妹が下宿先に戻るまでの約1週間の間、更新がままならないとおもいます。せっかく訪問者の方が増えてきたところで喜んでいるのに、申し訳ないです。隙を見て更新しますが、毎日ではなくなるかと思います。復活するまで、しばしの間、お待ちください。m(_ _)m
2005.06.01
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