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この日記を更新するのは、いつもネガティブな心理状態のときばかりです。読むと不快な内容ですから、そのようなものが嫌いな方は読まないでください。さて、金銭的に困り果てています。私は中国大連で働く身。こちらに来る前には拒否の姿勢を取っていたのですが、実の父に騙され、自民党員の弟から暴行を受けて、拒否すること自体が間違えていると教えられました。そうやって、日本から家族から捨てられるようにして、大連にやって来ました。私は付和雷同型の意気地のない人間なものですから、なんとか今与えられた境遇で結果を出さねばと力んで働いてきました。色々と与えられた環境の中で、その時々の自分に出来ることはしてきたつもりです。が、結果が伴わない。いくつか社長に要求したのですが、「でも大連は稼いでないやろ」の決め台詞で、手も足も出せなくなりました。予算などはロクにない会社で、そこの責任者めいた位置に据えられたのですが、決裁権もなにもなし。去年の夏から、ある日本向けの仕事をするようになりました。社長と繋がりのある専門職の協業者と毎日長時間連絡を取り合って、なんとか軌道に乗るところまで来ました。専門的な仕事ですから、そのための技術者を確保する必要があります。が、自社でスタッフを抱えることは、金銭的な理由から止められていますので、どうしても外注さんを使うことになります。その仕事の成果は、日本の顧客に納品します。協業者を通じて、うちの会社の本社にお金が振込まれます。今度はそれを大連に送ってもらって、実際に仕事をした外注さんに払わねばなりません。当然、日本にある本社に請求をします。が、今年になってから、そのお金が届きません。去年の12月末締めの代金は、今年の2月末に支払う予定でした。それが3月になっても、本社からは届かない。経理の社員が本社に請求している金額です。予定の期日を過ぎてもお金が届かないので、その人が問い合せをします。返ってきた返事は、「もう銀行から送ったから、待つように」でしたが、後になって送金した事実がないことが判明します。結局、2月末に外注さんに支払う分は、経理の人が個人的に借金をして、立て替えて払いました。それと同じことが、今月も発生しています。仕事の量が増えているので、先月末支払分よりずっと大きい金額です。その他にも、会社経費などが届かなくなりました。唯一届いたお金は、私たちの人件費です。書き出すと、色々不足があって困り果てているのですが、最近になって、薄々気づいたことがあります。大連に来る前は色々と面白い話を聞かされていましたが、結局は、金を稼いでいないことに不満なのでしょう。だから切り捨てる。こちらには言い訳したいことがいっぱいあります。要求してくる業務が多種にわたっていること。それをインターネットだけを使って勉強しながらの業務遂行でした。もっと他の資料などが欲しかったのですが、そのような経費は与えられていませんので、すべて無料での学習です。また、雇うことを許されたのは、これから教育が必要な若者ばかり。中国人の通訳をつけるという条件でしたが、日常会話だけで実際の業務には役に立たないレベル。彼らを教育しながら、それだけでは間に合わない部分を、残業したり持ち帰り仕事したりして進めてきました。ただ、もう分かりました。求める結果は大きいのに、与えられる環境は金銭的に安く抑える。結局、私一人が負担せねばならない状況しか与えられなかったのだと。そして、今回の経費などの遅配です。経理の社員が電話などをすると、「送ったから」または「送るから」と口頭での返事はありますが、それが果たされなくなりました。二階に上って梯子を外される、これを強く実感しています。
2007.03.31
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うつ病が本格的に再発したようです。今とても苦しい。今月に入ったあたりから、キーボードのタイプミスが多くなっていて、何度も打ち直さねばまともな文章になりません。つらつら考えてみると、この前も書きましたが、私には「自分」がない。もちろん動物ですから三欲は存在していて、衣食住の快適を求める本能もあります。でも、「自分の人生を自分の意思に従って生きていく」という、根本的な思想が欠落しているように思います。現在の私の日常は、会社に行って、会社の指示に従って、会社に利益をもたらすことばかり考えています。そして、いまだに黒字をもたらしていない大連支社に対する不満を持っているであろう社長の心を忖度し、それに怯えながら満足な眠りにもつけない状態です。愚痴を言い出すときりがありません。利益を追求するなら、もう少し優れたスタッフをあと3~4人加えて、会社がいつでも仕事の出来る状態にしておく。安い人件費で、教育ばかりが必要な社員への対応は、とてもしんどいです。いや、まだ彼らを教育するだけの役割なら、私もここまで酷くはならなかったかも知れない。次々にやってくる案件に対応する時間も必要ですので、私自身が業務を遂行する時間が、ひとつの案件に対して、どんどん少なくなっていく。会社にいる人間の数は増えないのに、仕事ばかりが増える。部下やスタッフが多ければ、彼らに任せて私は舵取りということも可能かもしれない。しかし、こと技術に関する業務は、ほとんど私が実践しないと、先に進まない。現時刻、本当なら会社に行って、たまった業務を少しでも進捗させねばならないのですが、部屋の中で起き出すのがやっとです。今年の2月くらいからですが、胸の辺りに違和感が広がるようになりました。それは消えることがなく、かえって強さを増し、毎日どこにいても苦しさと痛みを私に与えています。疲労からくる頭痛も、日々やってきます。キーボードを打つときに一番苦労するのですが、手や腕がしびれて震えがくることも、次第に長引くようになりました。なんと言っても、思考に霞がかかったようになり、自己の意識が薄れていくのが怖いです。会社所属の道具のような生き方を結果的に自分に課しながら、それを全うすることが出来ない出来損ないが、ここにいます。
2007.03.08
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ご無沙汰してます。慎太郎です。ずっと仕事が忙しくて、ブログを書く暇もありませんでした。ちなみに昨年の当社の仕事納めは12月29日でしたが、30日朝から飛行機に乗って、別の都市にある関連会社のヘルプをやっていました。まったく休みがないままに、大連に戻って来たのが1月5日の夜。翌日も出勤、基本的には日曜日にしか休めていません。1日12時間くらいは働いているし。さて、たまに自分のことを振り返って眠れない夜があります。「どうして自分は、今ここに立っているんだろう?」って。昔人から教わったことに、「たとえどんな人生を歩んでも、それは結果として自分で選択したんだから、誰かの所為にしてはいけない」というのがあります。だから私は、基本的には、「あいつの所為でこんな酷い目に遭った」ということが出来ません。自分自身で禁忌にしていると、気付きました。それと関連付けて語りたいことがあるんですが、私は「生き抜き方」がド下手だなぁと、自分でも可笑しくなっています。自分の身の上に起こった辛いこと嫌なことは、すべて自分の責任。何か嬉しいことがあったら、これは何かの間違いではないのか、喜ぶところを他人に見せたら嫌われてしまう。そんな風に、ずっと思ってきました。今回の記事のタイトルに「人権」という言葉を使いましたが、微妙に違うような気がしています。でも、自ら進んで「自分のため」に行動することに、罪悪感というか後ろめたさを感じる私がいます。多分ですが、根底に「自分を良く見せては駄目、喜びのある人生を求めては駄目」という意識がこびりついているのだと思います。これから機会があれば、どうしてそのように感じているのか、自分なりに自分に説明してやりたいと思います。うーん。本当は、中学生だった私が、当時の教員から体罰を受けて半月板損傷になり、それが原因で学校中の「鼻ツマミ者」としてしか生きられなくなったことを書きたくなっただけなのですが、うまく書き進められません。なるべく早いうちに、機会を作って書きます。誰か待っていてくれるのかな。ま、自分で書きたいと思っているので、必ず書きます。まだここに慎太郎がいるぞってことだけは伝えて行きたいです。クリックして、そのことのお手伝いをして下さると嬉しいです。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2007.01.25
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久しぶりの更新です。これを書き始めている現在、中国は午前2時40分です。2週間前くらいにひどい風邪にかかってしまい、それ以来体調がすぐれません。風邪は治まってきたようなんですが、なんだか妙な咳が続いています。肺が痛いというわけではなく、胸の真ん中辺りに力がなく、油断すると激しく咳き込んでしまい、体力ばかりを消耗しています。ここ数日、気分的にもすぐれないまま、至極つまらない日常を過ごしています。体が弱っているのが先なのか、心が弱っているのが先なのか。ともあれ、始終くよくよとしています。昨日(土曜日)は出勤しなければならなかったのですが、外に出るという決断もつかずに、家で無為に過ごしていました。今日日曜日はおおっぴらに休んでいい日だったのですが、それでも何をするわけでもなく、一日が終わってしまいました。こうやって身も心も弱り果てたときには、決まって過去にあったつらい思いが繰り返し頭の中に去来します。それでも、日本にいたときのことは、かなり忘れてきました。もう日本に戻ることを許されない身の上ですから、どこか気づかぬところで忘れようとした結果なのかも知れません。今の私を苛んでいるのは、どうやら妻の側からは、精神的にはすっかり「切られて」いるだろうこと。もちろん、「お前は不要だ」という言質を与えてくれるような相手ではありません。それでも私が中国に着てから伝えられたことは、そういった扱いをされているという実感を、しみじみと与えてくれます。振り返って、今年の夏。制度上、まだ妻である人の両親が、大連に来ました。ちょうど無理難題に等しい業務が与えられていた頃だったので、土日も休まずに働いていたときでした。彼らが大連に来る前に妻を通じてメールが着ており、「もし時間が取れたら会って欲しい」と書かれていました。しかし業務でそれどころではなかったので、「時間は取れないかも知れません」というような返事を送っていたと思います。それでも「あなたの携帯電話の番号を教えて」というので書き添えて送っておいたのが、間違いだったかも知れません。彼らが大連に到着してきた頃、一度電話が鳴りました。業務中だったので、ロクな対応はしてなかったと思います。「週末にでも会えない?」という呼びかけにも、「無理だと思います」と答えていました。でも、実際には断りきれなくて、会ってしまうんですが。会ったのは日曜日でした。その日は複数抱えている業務の案件を調べるために、外出していました。なんとか区切りがついて、会社の人たちと遅い昼食をとっていたら、また電話が鳴りました。「私たちは明日日本へ帰るから、あなたは会いに来るべきよ」と強く言われました。そうなると断りきれませんでしたので、会社の人には理由を説明して、その場を離れました。彼らが宿泊しているホテルで、今度は早めの夕食を頂くことになったのですが、その席上でなにげのない決定打を浴びせられました。表面上は、いたって穏やかです。中国という外国にやってきたからでしょうか、義父があれこれと中国や中国人のよくない点をあげつらって語り続けます。さらに話題は韓国人のよくない点を指摘するのに移行して行きました。その話が一段落した直後です。義父が出し抜けにこう言いました。「そういやあんたは韓国人に似ているな」発言の意図は分かりません。ただし、そのときもそれからも、韓国人に事寄せて私を批判したんだろうと受け止めています。義父達から見て、私は批判の対象でしかなくなっていることの表れなんだろうということです。さらに追い討ちをかける義母の発言もありました。私と別居してからの妻子の話を軽くした後、「もうあの子たちは、ただの母子家庭だからね。心配で心配でならないのよ」と言っていました。そういうときに、どういった反応をすればいいのか分からないので、私は卑屈に笑っていたんだろうと思います。内心では、「法律上はまだ家族であっても、すでに彼らの娘と孫は、すでに私がいない現実を生きていて、精神的には私が不要になっている。それを母子家庭という言葉で表現したんだろう」と受け止めざるを得ませんでした。うつ病になってから7年近く、私には稼ぎらしいものがありませんでした。中古で購入したマンションも、ローンが払えなくなり自己破産。妻の実家からの借金と妻のパートなどで、経済的には生きさせてもらっていました。ただし、これは迷惑なだけの粗大ゴミの生き方です。ゴミですから、捨てる場所が見つかったら、早く手放してしまいたい。そういうことだったのではないでしょうか。あ、今日の最後にもうひとつ。ここに書いたようなことを彼らが目にすると、「私たちはそんなことはこれっぽっちも思っていなかった」と言うのは目に見えていますし、むしろ当然でしょう。ただし、受け止める側の私としては、ここに書いた以外の思考を辿ることは出来なかった。それは以前に書いた、妻の「あなたのことは、お友達だと思っている」という発言ともリンクしています。これについてはまたの機会に書きますが、別居するときに言われた再同居の条件が、いつの間にか変更されて無くなっていました。意地悪く受け止めれば、妻は「もう同居なんてしたくない。ただしそれを直接伝えたらどう反応するか分からないので、穏便にきりを見て既成事実を積み上げていく」と考えたのではないか。そんな思惑の末に、今のような状況に流れ着いたような気がしています。あ、訂正しておきますが、ここでは便宜上「妻」とか「義父」とか表記していますが、それは法律上だけの関係です。おそらく彼らの認識は、そういったものだとしか考えられないというところまで、伝えられてしまったと感じていますので。
2006.12.03
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慎太郎です。いま大連の自宅です。先週に体調を崩してしまい、それからずっと会社を休んでいます。そろそろ復帰せねばならないのですが、出来そうにありません。今回患った病気とは関係ないところで、過去のことがリフレインされてしまい、いま精神的にかなりの消耗をしています。私のことを否定していた人々の言葉が、何度もやってきて、自分に生きる価値がないことを思い知らせてくれます。自分への否定を拒絶することが出来れば楽なのでしょうが、自分にはそんなことをする権利がないことも教えられていますので、もう悄然とうなだれているしか方法を知りません。このまま消えてしまえば楽になれるんでしょうけど。いまは自殺するだけのエネルギーもありません。でも、疲れました。人気blogランキングへ
2006.09.06
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もう今日は」、ほとほと弱り果てています。自分では出来ないと思い詰めている仕事が気になって仕方がなく、日曜日というのに会社に来ています。胸が苦しくて動悸が激しく、集中力という物もなくなってしまい、全然仕事は進んでいません。ただただ苦しさから逃れたくて、Skypeを使って、別居中の妻に交信しました。今の苦しい状況を伝えてみたのですが、「それで、私にどうしろと?」という疑問しか返ってきません。出来れば何がしか私を助ける言葉をかけて欲しかったのですが、それは拒否されました。「だって薬を飲んでも、治らなかったでしょう」「普通のうつ病患者と同じ扱いをしてあげていたけど、あなたは酷いことばかりして全然良くならなかったじゃない」このように過去の事実だけに焦点を定められ、苦しんでいるのに、さらに責め続けられます。途中でつらくなって、怒鳴りながら交信を断ってしまいましたが、他に頼れる人もないので、すぐに繋ぎ直して謝りました。でも、今の境遇が苦しくなって逃げ出したいことを伝えても、「今の境遇も何かのご縁でしょ」とか、「仕事がどうしようもなくなったら、謝って叱られるしかないじゃないの」とか、観念的な話しかしてくれません。話は色々したと思うのですが、細部は覚えていません。一番記憶に残っていることは、「貴女にとっての、俺はどういう存在なの?」という質問に対し、「友達だと思ってる」という答え。そうか、やはりもう、制度上の夫婦でしかないんだ。ということを、まざまざと実感させられました。その後もしばらく何か話しましたが、「貴方が(これまでの間違った)考えを改めて生きるようにしなければ、何も解決しない」という念押しをされただけでした。インターネットのうつ病を扱ったサイトに載っている「うつ病患者に対する家族の接し方」を要求しましたが、「あなたのうつ病はサイトに載っているようなキレイなうつ病じゃないから、そいういう接し方は無駄でしょ」みたいにも言われました。どうやったら自分を受け入れてもらえるのかを聞きましたが、「今の考え方を改めるしか道はない」とも言われました。ははは。もう終わってますね。私たち夫婦は。無力感だけが増していく、日曜日の昼でした。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.30
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今日3回目です。タイトルは、最近苦しくなって逃げ出したくなって、それも叶わないどうしようもない存在としての実感です。うつ病になって会社を辞めさせられました。(1999年)蓄えもなかったのに、ローンで購入した中古マンションから出て行くことを考えなかったことが、そもそもの間違いでした。やがてマンションを立ち退き、妻の実家近くに引き取られました。ゲームセンターでバイトを始めましたが、病気が悪化したので、3ヶ月くらいで辞めてしまいました。それでも収入が欲しかったので、どうにか自宅で収入をと、マルチ商法やネットビジネスに手を出しては、何の成果も上げられませんでした。そして、それに怒った妻に、家を追い出されました。親の家に引き取られましたが、当初は別居を受け入れられず、気が狂ったような状態にまでなりました。まだ病気が治らない段階でしたが、私が日本に存在することを嫌った三弟が今の社長に口利きして、中国に連れ出されました。大連での生活は悪くないと思いこもうとしましたが、現実は通院することを断たれた生活です。日本から持ってきた薬もなくなりました。こちらで精神科は存在しますが、日本語での治療はおこなっていません。しかも、毎日の業務をしているだけで、通院する時間がないのが現実です。さらに聞いたところでは、まだ中国で使われている抗うつ剤などは種類が少なく、私が日本で投薬されていた物は、そろわないそうです。うつ病であっても、金銭的に他人に迷惑をかけていないと、存在することが許されるのでしょうね。私の場合は、「(金銭的に)迷惑しかかけていない」と言われて、四弟に殴る蹴るされました。日本にいることを許されませんでした。本当は投薬治療を続けて受けたかったのに、家族も社長も、「薬を飲むからうつ病が治らないんやで」と説得されるばかりでした。少しばかりは反論しましたが、「間違った独りよがりなことを言っている」との烙印を母から押され、沈黙するしかありませんでした。お金が欲しいです。苦しまなくてもいいだけのお金が欲しいです。矛盾していますが、それを得るには、たとえ病気になっても我慢して働かないといけないのですよね。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.30
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本日2度目の更新です。早朝の日記を書いた後、少しでも眠ろうとベッドに入ってました。そうしたら、なんだかかつて経験したような感覚がありました。嬉しいものではありません。胸の辺りが重く塞がって気分が優れず、手先から腕にかけてが痺れます。頭と言うか胸と言うか、どこかに焦りが強くあって、何かしなければという脅迫感があるのですが、出来ることなら何もしたくありません。今こうやって起き出していますが、早くベッドに戻りたい。だけど、それをやることに罪悪感が伴って、いてもたってもいられません。そう。この感覚。1999年に「重度のうつ病です」と診断される前に経験していたものと、酷似しています。3月中旬に中国にやって来て、もうすぐ4ヵ月半。かなり疲れたなぁ。出来れば期限を決めずに休みたいなぁ。どうやったらそんなことが実現できるのかは、とんと見当がつきませんが。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.30
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夜中の3時前(中国時間)に目が覚めてしまって、そこから眠れません。今の私の中には、締め切りまであと2日しか残されていない仕事のことで一杯です。眠っていても、やらなければいけないことに圧倒されて、そればかりが夢に出てきます。苦しくなって、眠るのを止めてしまいました。どうもね、無理があるんですよ。うつ病が完治した訳ではない私が、何がしかの現場責任を持たされて仕事をすることに。誰かに助けてほしいので、弱音を吐きます。愚痴を書きます。一般的な会社って、2つも3つも業種を股にかけているのでしょうか。そりゃ経営の多角化ということは知っていますが、毎日毎日の個人の業務に、二重三重の業種が実務として圧し掛かってくるものなんでしょうか。今の会社に誘われたときに提示された仕事内容と比べて、扱っている業種自体が増えています。今までやったことも無い仕事をしなければいけなくなり、無理やり頑張っています。いや、愚痴を書き出すとキリがありません。とにかくもう限界です。逃げ出したいです。でも思い出してみると、会社なんてこんなものですね。社長から指示された仕事を期日までに終わらせなくてはという責任感みたいなものを感じてやっているのに、それを間に合わせるためのサポートを依頼しても、「今忙しいから、それは出来ない」なんて電話越しに言われてしまって。ここに来て働き始めてから、常に複数(最初は2業種からでしたが)の業務に対面しているのですが、物理的にはどちらか一方しかこなせていません。そのため、次に別の業種(業務だけではなくて、別の業種)が入ってくると、何かが後回しになります。そんなことを繰り返して働いていると、この前社長から小言をもらいました。「どうしていつまでも何一つ達成できないの?」もう、これで俺には無理だと思いました。要求が多すぎる。最近は日記の更新が滞っていますが、何を書きたいのかも分からなくなってきました。以前は逃げ出したいって思っていましたが、いまは自分の価値基準すら分かりません。妻子と暮らしたいかと問われれば、すでに妻から拒絶されていて戻れませんし。かと言って、卑劣な手段で私を騙して今の境遇に追い込んだ父の家には戻りたくありません。仮に戻ったとしても、父の最愛の息子である四弟に殴る蹴るの暴行を受けるだけの日常が待っていますし。逃げたいな。死のうかな。生まれてきてごめんなさい。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.30
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この前から書いてみたいと考えていたことがありますでの、ちょっと試みに書いてみます。精神的に疲れてくると、他人と接することから逃げ出したくなります。例えば、会社でハキハキと働いている部下を見ると、それだけで気圧されてしまって申し訳ない気分になります。さらに言えば、今現在は日本にいる社長のことを考えると、それだけで苦しくなってしまう場合もあります。どういうことかと言いますと、私が働いている大連の会社は、まだ自社での収益を上げていません。それが心の負い目になって、社長のことを意識すると、もう逃げ出したくなっている自分がいます。最近、このような「逃げ」の心の動きが、自分の中でどうしようもなく大きくなってしまう時があります。さらにこの心理を自分なりに追求してみると、ものごとを考え判断する基準になる「自分」というのもが、すっかり薄い存在でしかなくなっている自分に気づきました。「自分は何をやりたい」「自分はかくありたい」と、自らが生きる道を指し示すような心の動きは、すっかり絶えて無くなっています。このような心の指針がない私のような人間は、しっかりと自己の座標を持って日々生きている人間と接すると、臆して逃げ出したくなるのです。表層的な気分では、「ああ、この人にいま軽蔑されている」「見下されている」という、焦燥感・不安感が大きくなっていきます。今の会社には、役に立つべき人間として雇われているはずなのに、それを達成していないという劣等感もあり、それがますます自己評価を下げてしまいます。このことについては、今後また考えて書き直さなければならないかも知れませんが、つまるところ「自己意識」が、かなり希薄になっているようです。さらに言えば、「自分の意識を他人に表明するのは悪いことだ」「自分が持っている意欲を他人に見せるのはその人を不快にさせるだけで、それは許されないことだ」という認識が、いまの私の中には、びっしりと植えつけられています。どうしてこうなってしまったんだろう。理由を考えると複合的なのでしょうが、いまの私は、「この人の影響だ」と断言できる人物がいます。妻です。もう2年半ほど会ってもいませんから、私の中では「自分の妻である」という認識が薄れてしまっています。でもそれは、彼女から逃げ出してしまいたい、その存在をなかったことにしたいという、負の心の動きがあるからです。私がうつ病になってからしばらくの間は、妻は私を支えよう助けようとしてくれていました。しかし無職暮らしが長引きすぎました。端的に言えば経済的に貧窮してしまって、身動きが取れなくなっていました。それでも私はうつ病を理由に、働こうとはしませんでした。次第に、そんな私を妻は責め立てるようになりました。直接的に金銭を稼いでいないことを非難することは少なかったように思います。それよりもつらかったのは、私がうつ病になる前の過去の話を持ち出してきて、「あのときあなたは、こんな酷いことをしていたのよ」「あなたの生活態度が許せなかった」と叫ぶことが多かったです。これを書いている今も、つらいです。過去は過去と、割り切って切り捨てるつもりではありません。ただし、過去は消し去ることも出来ないのです。すでに存在してしまっている以上、私が生きてきてしまった過去は、消すことを許されずに存在しています。妻は、同じことを取り出しては、何度も何度も私を非難しました。病気で苦しかったのに、それを和らげるために接してくれるのではなく、非難をされ続けました。「あなたに酷いことを言われた」「あのときのあなたが許せない」同じ過去を、何度も何度も掘り返してです。私は、それをやめて欲しかった。だから妻に尋ねました。「いまの俺はうつ病で苦しんでいて、そうやって非難されると苦しくなる。頼むからやめてくれ」妻は答えました。「病気になる前のあなたは怖い人間だったから、言いたくても言えなかったことなの。いまは病気で弱っているから言えるようになったのよ。だからやめる訳には行かないの」こうして、逃れることも許されずに、妻の怨み言を受け止めさせられました。もう本当につらかった。だからやめて欲しかった。だから、妻には頼みました。「そうやって責め立てられると、ただでさえつらいうつ病がもっとつらくなる。頼むからやめてくれ」妻は許しません。「そうやって、うつ病が酷くなると言って私を脅すのね。その手には乗らないわ」そのようなことが何回も繰り返されました。その結果なんでしょう。「うつ病は、その病気になった患者が悪いから」「うつ病になったからと言って、周囲が甘やかしてくれると思い込むのは間違い」うつ病で苦しんでいるは自業自得。うつ病になった本人が一番悪い。助けを求めること自体が、許されない甘え。このような妻の精神教育が、すっかりと思考に定着してしまっていて、そこから離れられない自分がいます。うつ病になってから、およそ6年近く妻と同居していました。その後半の期間、上記のような徹底した教育を受けていたのですね。自分が悪い。助けを求めるのはいけないこと。この考えが、私には根付いています。そのためか、他人が怖いです。逃げ出したいです。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.20
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今晩は。今日に限って妙にやる気になっている慎太郎です。19日の朝に日記を更新した後、ようやく眠れました。午前6時台に眠ってしまったので、会社に間に合うように8時過ぎに起きるのが非常につらかったですが。眠っている間に夢を見ました。後になって気づいたのですが、とても懐かしい人物が出てきてくれました。その人物は、私が最初に勤めていたときの先輩社員の方です。夢の中とはいえ、むちゃくちゃ久しぶりの対面でした。いえ、この先輩には、夢の中でしか会えないのですけれど。と言いますのは、彼はすでにこの世の人ではないからです。死者の魂を云々するつもりはありませんが、彼は自殺してしまった人なのです。一緒に勤めていた会社で、私はゲームプランナー(ひよっこでしたが)、先輩は凄腕のプログラマでした。先例に無いアイディアを出しては周囲の人間に煙たがられていた私を、唯一その先輩だけは受け入れてくれて、「いまのプログラム技術やゲーム機の能力では慎太郎クンのアイディアは実現できないけど、やがて時代が追いついてくるよ」などと言って、いつも私を励ましてくださっていました。だけどその先輩は会社でリストカットをして、病院に運び込まれた末にあの世へ行ってしまいました。命を絶とうとした理由なんて、本人以外には解るものではありません。ただし、当時、会社の上層部から痛めつけられていた私には、同じような境遇にあった先輩の苦しさの一片は分かるつもりです。いきなり飛躍してしまえば、周囲に追い詰められる形で、先輩はうつ病のような状態になってしまっていたのかも知れません。ただし、その先輩が亡くなった前と後とで、当時勤めていた会社の中に「恐怖政治」みたいな嵐が吹き荒れていたこともあり、それへの恐怖から、私は先輩のことを考えないように努めていました。卑怯ですよね、私。すっかり忘却の彼方に追いやってしまった記憶のはずだったのに、その先輩が、今朝になって私の夢の中に出てきました。シチュエーションは荒唐無稽です。前後の脈絡なんてものもありません。ただ、いま仕事に追われている私に向かって、「仕事なんて定時が終わる頃には片付けてしまって、夜には好きなことをやるんだぞ」というアドバイスをくれていました。このアドバイスは、いまの私が望んでいることをそのまま言葉にしたようなものですから、やはり私の脳内電流が作り上げた記憶になるのでしょう。ただ、夢の中に出てきた先輩が素敵でした。もともと背が高い人でしたが、夢の中でもスマートでお洒落でした。繊細な顎鬚を生やしていて、それが微妙にカーブを描いているのが、ちょっと昔の西洋人風でした。なんだか遠い世界の人になってしまったな、なんて感じていると、それが夢であることに気づいて目が覚めました。夢は自分の脳が作り出した記憶の一部であることは知っていますが、思いもかけなかった人物の登場で、目が覚めた後は新鮮な気持ちでした。たまには悪くないな。あの世で格好よくいてくれるのなら、いつかまた会える日まで、こちらも精進しなければという気になるものですから。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.19
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どうも。早朝更新の慎太郎です。夜中の2時半に目が覚めてから、眠れません。いやいやいやいや。これって悪い兆候ですよ。身に覚えがあるのですが、うつ病になる前の状況に似ています。あの頃は大車輪で働き続けて、家に帰ってから引き続き仕事。さらにはその後にインターネットで気晴らしをしていました。端的に言うと、睡眠時間を削ってでも気分転換をしようとして、「何か」を求めていたのです。それは何か。身近な言葉で表現すると、「娯楽」です。娯楽が足りていなかった。話を少し逸らしますが、身体が汚れたら風呂に入ったりシャワーを浴びたりしますよね。私個人は風呂に入るのが嫌いな不潔な中年ですが、こちら大連で過ごすようになってみて、頻繁にシャワーをするようになりました。だって汗まみれになると気持ち悪いですものね。つまりは、汗をかいて気持ち悪いから、その気持ち悪い状態から脱するために身体を洗うのですね。これは、身体のケアです。皮膚や頭皮についた汗や老廃物を、洗い流すことで、身体から落とすのです。精神にも、シャワーって必要なんですよね。多分。これを満足にしてこなかったから、うつ病になってしまったんではないかと、今更ながら実感している次第です。精神のシャワー。もうちょっと言葉を変えれば、精神に溜まった老廃物のようなものを洗い流す。そういうケアは必要です。うん。振り返ってみれば、私はこれが足りていませんでした。当時は仕事仕事で頭がいっぱい。終電で家に帰っても、さらに持ち帰り仕事。大好きなこととして読書がありましたが、本を買う金はあっても読む時間がありませんでした。映画も観たかったけど、その時間すら勿体無いと感じながら働いていました。仕事がゲーム開発だったのでゲームソフトもたくさん買いましたが、それすらプレイすることが出来ませんでした。傾向としては、時間と頭の働きが必要な娯楽しか持っていませんでしたが、でも当時の私は、それすらしていませんでした。ここで自分に宣言。娯楽を持とう。それを実践できる時間を捻出しよう。いまの私を振り返ってみれば、仕事に追われて余裕の無い暮らしに陥っています。うつ病になっている人は、もしかして似たような傾向の生活態度をして、精神にシャワーを浴びせてない状況が続いてしまっていたのではないでしょうか。さて。中国時間で午前5時を回ってしまいました。でも現時点での私は、なんとなく心落ち着かない状態で過ごしています。娯楽が足りない。そのための時間が必要です。娯楽に裂くための時間が要るのであれば、それを捻出しなければなりません。生活態度を、自分の都合のいいように変えたほうがいいのでしょうね。ただ自堕落にするのが、自分に都合がいいのではありません。身体のケアもするように、精神のケアも出来る状況を作り出せるように、必要な時間を持つゆとり。それを確保する必要があります。ただし、今度はそれに追われてあたふたしないように。日常を暮らす自分の意識も、うまく宥めてやりながらの変化が必要ですね。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.19
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ご無沙汰している慎太郎です。前回、たまには怠けてみると書いてからが、鬼のように忙しくなりました。雇われた後に指示された仕事があるのですが、それが一気に具体化して、しかもサービス開始が8月1日。提携者の「友引は縁起がいい」との発言からです。しかも愚痴ってみると、この仕事は中国の人件費の安さだけが「売り」なので、先行他社の価格を下回ることが前提なので、やってる人間にはかなり高負担です。それ以外にも社外の人間には口外できない仕事が増えてきていますので、なかなか息をつく暇がありません。もう書いていない期間のことは忘れながら生きています。ちなみに18日は朝から激しい下痢。何か悪いものを食べたわけではないので、おそらくは疲労の蓄積によるものでしょう。厳密に言うと、その前の晩にかなりの腹痛を感じてトイレに行ったのですが、そのとき血便のようなものが出ていました。その後も何度もトイレに駆け込み、やたらに体力を消費してしまいました。そんな次第で、18日の朝は、会社に行こうと起き出すことも出来ずに、ベッドの上で消耗しきっていました。会社の人に電話して「定時には出社できない」と侘びを入れ、そこで安心して、また眠ってしまいました。それでも仕事はなくなりませんので、昼前には会社から電話がかかってきます。そのときに私の通訳をしている中国人を家まで寄こしてもらうことにして、ようやく起き出します。それから家でメールチェックをしていたら、問題発生。書くと長くなるので割愛しますが、ひとつ愚痴をいうと、「どうして日本にいる者同士を引き合わせるのに、大連からメールや電話をして世話しなくちゃいけないんだよ!」。互いに連絡先を教えているのに、取引先からはメールしかきません。毎回これなので、疲れてしまいます。そんなこんなをしているうちに通訳の人がやって来てくれました。電話で「お粥なら食べられそう」と言っておいたら、なんと4杯も買ってきてくれて、ありがた迷惑。下痢止め薬も買ってきてくれたので、それを飲んで、しばらく雑談をします。しかし仕事が残っていることが頭から離れませんので、「トイレ行ってシャワーして、それから夕方までには出社するから」と言い、通訳を先に会社に戻します。それから言葉どおりに支度して、16時になるまでには会社に着いていました。主に連絡仕事をこなしました。急ぎの仕事をもっとこなすつもりでしたが、またぞろ腹の具合が悪化してきたので、19時には帰り支度をして会社を出ます。帰りにコンビニでジャンクフードと果汁入りのジュースを買って、少しだけ栄養を摂ったつもりになります。夏だというのに悪寒がするので、21時にはベッドに入りました。そのまま眠っていたようで、ある程度落ち着いて目覚めてみたら、夜中の2時半でした。ぼんやりとパソコンを触って、気が向いたので、こうやって日記を更新しています。ちなみに、リンク友達の「じるしん」さんにコメントを頂いていたのですが、生存確認ができてよかったという意味のことを書いてくださっていました。今日の日記は生存確認以外には、役立たないかも知れません。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.18
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今週も予想していた以上に大変です。こちらで買った、精神を落ち着かせるための薬も切らせてしまいました。おかげで日曜日の夜は、23時過ぎにベッドに入ったのですが午前1時ごろまで寝付けず、午前3時には目覚めてしまいました。もう本当に、摂れる睡眠時間が少ないです。会社の椅子などに座っていても、眩暈がして倒れそうになります。それでも仕事は増え続けます。社長が頑張って仕事を請けてくるので、働いても働いても、仕事の量は増え続けます。昨日からも、新たな仕事が入って来ました。今日それが本決まりになり、明日大連にやってくる社長から、詳細を聞かされることになりました。はっきり言って専門外の仕事なのですが、依頼主からは「慎太郎という人物は、まるで分かっていない」と、何度も駄目出しをされています。それ以外に、雇われたときからすることになっている仕事も、当然ながら続いています。私にとっては、こちらが本業なので、それなりに精出しているのですが、いつ達成できるのかが見えないほど、作業は多いです。今日も吐き気を我慢しながら、働き続けました。サボりたかったのに、見る見る増えていく作業量に怯んでしまって、サボることが出来ませんでした。本当は、このまま会社に残って、少しでも作業を進捗させた方がいいのは知っています。でも、もう限界です。たまには、早めに家に帰って、疲れを癒してもいいよね。なんてフザけたことを言って、自分を慰めてみます。人気blogランキングへFC2 Blog Ranking
2006.07.04
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昨日は21時くらいまで会社にいました。最近愚痴ばかりですが、社長が推し進めようとしているビジネスモデルが、他社の成果を転がして中国に持ってくることで弊社も利益を得ようというもの。本来であれば、成果を出している企業様が独自に動いてしまえば私などの出る幕はないようなことばかりなのですが、敢えてそこに割り込もうとしているので、無理がたくさん生じています。具体的に何をすればいいのか見当もつかない状況なのですが、それだからと言って足踏みしていると上海の副社長から怒られます。曰く、「社長がむちゃくちゃしんどい目に遭っているのだから、慎太郎さんも、もっとしんどい目に遭ってもらわないと」。いやはや、疲れました。中国に来る前は、「通院の必要があれば日本への帰国も認めますので…」ということだったのですが、知らない間に、「薬をのむからうつ病が治らないんでしょ。だったら日本に戻らないで、中国にいたほうがあなたの為でしょ」と言われてから、もう2ヶ月くらいは経過したでしょうか。ちなみに昨日の帰宅後、トイレで小用を足したら、ちょびっとだけ血尿が出ました。わが人生、初めての体験でした。幸い血尿はそれ一度きりで、以降は濃い黄色の尿ばかりが出ています。今日は土曜日、お休みです。ほんとはたくさんたくさん眠るつもりだったのですが、夜中の1時を過ぎても寝つけず、朝は6時過ぎに目覚めてしまいました。この日記では書いていませんでしたが、睡眠状態も、かなりやばいです。会社で居眠りでも出来ればマシなのでしょうが、若い頃に身に付いた習性で、居眠りが出来ません。かなり眠くて吐きそうな瞬間が多々あるのですが、そんなときはコーヒーを飲んで、眠気を覚ましています。ちなみに今日は不本意な早起きの後、以前に入手しておいたDVDでドラマを見ました。海賊版というのか不正コピー品なのですが、かなり廉価で入手した、日本のドラマが入ったものです。身体にも垢や老廃物が溜まるように、精神にも錆びが生じるはずだとの見解から、たとえ不正品でも心をリフレッシュできればいいと考えていましたが、効き目があるのは見ている瞬間だけでした。その後、生活に必要なものを買いに、一番近場のスーパーまで行ってきました。その前に、こちらに来て大好きになった「ミーシェン(ミーは米という漢字を書きます)」を食べに行ったのですが、途中で吐き気に襲われて完食を断念。そういえば出かける前、歯磨き後に台所から出てきて、身体の制御がうまくいかずに、ドア枠に思いっきり身体を擦り付けました。スーパーで買い物している最中も、眩暈ばかりで、レジを済ませた後にほっとしました。今日は趣味だけにネットを使おうとネットカフェに来ての更新です。まあ、情報が欠如しているので当たるかどうか分からない競馬予想などをしまして、その瞬間だけ楽しみました。それにつけても、ここのネットカフェもキーボードの具合が悪いです。叩き付けるようにタイピングをしているのですが、なかなか「T」が反映されません。むちゃくちゃ、もどかしいです。はやく自分のパソコンが欲しい。人気blogランキングへ☆モブログランキング☆
2006.07.01
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今日もお仕事の慎太郎です。のっけから愚痴ですが、しんどいです。つらいです。今日は朝7時に起床。最近、栄養不足を感じているので、買っておいた西瓜で少しでもビタミンを摂ろうとします。あと果物類は水分が多いので、食べやすいという理由もあります。このところ疲れていて家でシャワーをしていなかったので、今日は出勤前にシャワーです。ちなみに中国の住居というのは、一般的には、風呂トイレがセパレートしていません。また風呂には浴槽という概念がないので、風呂と言うより、トイレの横にシャワーもついているというのが実情です。なのでシャワーをしても、日本の家についているような浴槽に浸るということは出来ず、疲れを癒してくれるわけではありません。そんなこんなで、9時前に出勤。午前中の早い時期に、日本にいる社長から電話がかかってきて指示を受けました。もうそれを実行するのだけで精一杯です。なにせ、家を出る前に歯磨きもしたのですが、立って歯ブラシを揺すぶっているだけで倒れそうでしたから。さらに愚痴を言うと、社長からの指示はありますが、現状で「何が起こっていて、何がどれだけ必要とされているのか」という報告がありません。「慎太郎さん、これやっておいて」という短い電話がかかってくるのみです。現実を申せば国際電話料金が高いので、どうしても短時間で用件を済ませたいということは分かります。しかし、社長が日本で具体的にどんな動きをして、その後の対策として何を望んでいるのかが、とても伝わりにくいです。今日はもう内容が散文になってしまいますが、もう食欲も湧いてこない。食べると吐きそうです。なので、昼休みがきて社員たちがビルの食堂に出かけていくときも、「気分悪いから、昼食はいらない」と言って、部屋に残ります。まあ今日は、後になって空腹感だけは湧いてきて、ついでに腕や頭が痺れてしまってどうしようもなかったので、近くのコンビにまで行って、カップラーメンを購入しました。もう、カップめんのようなジャンクフードしか受け付けられない胃袋になってしまったようです。こういうのは、そのときだけは食べやすいものを胃袋に流し込むので、一時の充足感を得られはしますが、根本的に栄養が偏りますので、身体のつらさは解消されません。ついでに言うと、最近は空腹感を誤魔化すために、コーラばかり飲んでいます。朝出かけるときに、最寄のコンビニで600mlのペットボトルを買ってから、会社に来ます。これをダラダラと、お昼くらいまでかかって飲みます。口当たりが良くて、疲れきっている身体であっても、おいしく飲めます。また糖分を過剰摂取しているので、しんどい身体がラクになったような気分を味わえます。もうこのコーラを飲む生活が、3週間続いています。なんだかその場しのぎ的な食生活です。ついでに、会社にいるときは、椅子から立ち上がると倒れそうなので、ついついパソコンを使っての仕事を進めてしまいがちです。まあ雇われて給料ももらっているので働かない方がおかしいのでしょうが、疲れきった身体を、正直、鞭打っています。以前日本にいた頃に、TV番組で見た松井秀喜選手(メジャーリーグ)のお話、「100%の力で生きよう」という教えを書いたことがあります。今の私は、他人様から見れば本当に役立たずですが、それでも今の自分の「100%」を、とっくにオーバーしています。うつ病発症前は、自分の限界を超えるようなことを日常的に繰り返していたので、取り返しのつかないところまで、うつ病に蝕まれてしまったように思います。この1ヶ月くらいの私自身を振り返ってみると、なんだか、その道を再び繰り返しているような気がしてきました。それとも1日12時間程度しか働いていない現状では、まだまだ甘えているのでしょうか。ともあれ、まともに暮らしている健常者の方の働き方というのが、どうしても分かりません。人気blogランキングへ☆モブログランキング☆
2006.06.30
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こんばんはの慎太郎です。今日は短めに。今日は朝寝坊をしてしまって、かなりぎりぎりの出社でした。で、今日も仕事をサボっているような、それでいて必要なことをこなしているような、不思議な感覚で過ごしておりました。夕方近くになって、「ああ、ようやく週の半ばの水曜日が終わるよ」と、安堵の息を漏らしていましたところ、私の通訳をしてくれている中国人スタッフがやってきて、「今日はもう木曜日ですよ」とのご指摘。こういう時だけは、何だか得した気持ちになりますね。もう明日一日だけ働けば、その後は休日。でもね、逆転現象が来ましたよ。上海の副社長からの電話。「いま社長がむちゃむちゃしんどくなるまで働いているから、新太郎さんももっと先々のことを考えて、今以上に頑張らないと駄目なんだよ」とのお説教。あまつさえ、「今の俺だって、先を見据えて、どれだけしんどくても頑張って働いているんだ」という体験談まで付け加えられました。そうやって電話でお説教されているうちに、日本にいる社長が電話をかけていたらしく、説教が終わって自分の席まで戻ってみたら、PCに「至急電話をかけてくれ」とのメールが2通も。あわてて電話をしたら、開口一番「かけてくるのが遅い!」とのお叱りを頂きました。あ~、何をやっているんだろう。結局、残業が増えるだけだったし。人気blogランキングへ☆モブログランキング☆
2006.06.29
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ちょっと汚いタイトルでしたね。こんばんはの慎太郎です。腹が痛いです。下痢しています。別に特別のことではありません、うつ病患者に多く見られる「過敏性腸症候群」です。抗うつ剤などを切らしてしまったので精神状態を、安定させるための補助的手段がありません。これまで7年間以上、精神科や心療内科で処方される薬に依存して生きてきましたので、それが急になくなるとキツいです。また、ずっと継続していた抗うつ剤を、医師の判断も仰がずに急に止めてしまったので、いわゆる「リバウンド」にも苦しめられています。ありきたりに書くと、精神状態が非常に悪くて低いままで固定され、もう生きているだけでしんどいです。症状としましては、眩暈がします。手や頭が痺れています。正常な思考が出来ません。食欲がありません。当然ながら、気分が塞がり込んで、自分に価値観を求められません。薬のない生活は、もう1ヶ月は続いているのではないかと思います。だから薬をのまずに「ただただツライ」という生活には、すっかり慣れてしまいました。そんな状況で、いちばん体感できるつらさは、腹が痛いことです。何かを食べると、てきめんにお腹が痛くなります。食べなくても、いつもお腹ににぶい痛みが存在しています。今日などは、猛烈に差し込むように腸が痛みました。会社の皆が昼食の時間に食堂に行きましたが、私は不参加でした。行ったとしても、この3週間以上は、必ずと言っていいほど、最後まで食べられません。残飯を出しては捨てています。腹が痛いです。まともに食べられないので、このところ自分自身が栄養不足であることは、身体で実感しています。知識にしたがって栄養があるものを食べようと、もう何度も挑戦したのですが、吐き気がしてしまい摂食を中断してばかりです。ときには吐くこともあります。もう最近は、「純粋に食べることの喜び」がありません。義務感で食べていますが、食べてもつらい、食べなくてもつらいです。どうやれば食欲や消化器官が良くなってくれるのでしょうか。もう分かりません。人気blogランキングへ☆モブログランキング☆
2006.06.28
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このところ、私の人間性がどんどん低俗になっています。最近は、昨日書いた日記にもありますように、三弟への殺意・父への復讐心でいっぱいです。うつ病になった過去をもつ人間としましては、どうも自分のことを「理屈だけで自分の人生を律しようとしていた」のではないか、と考えています。最近は三弟への殺意が渦を巻いていますので、すごく自分の持つ情念に突き動かされる時間が、長くなっています。しかし元来怠け者の私です。1日12時間程度も仕事に追われる人生も疲れてきましたし、復讐心だけに突き動かされている生き方というのも面倒くさいです。私が大好きだった、江原啓之さんの「スピリチュアルCD」について、このブログでも何度も取り上げました。より幸せに生きていける人生を求め、その大きな助力になってくれることを期待して「スピリチュアルCD」を聴いていました。が、最近になって気づいたのですが、この1ヶ月くらい、もしかするとそれ以上の期間、すでに「スピリチュアルCD」を聴いていません。理由は単純で、持ってきたCDプレーヤーが壊れたこと。さらには、会社のPCでこのCDをMP3に落とし込んだのですが、それを入れたMP3プレーヤーまでもが壊れてしまったこと。なんだかタイムリーですね。あのCDを毎日聞いていた頃は、うつ病に苦しみながらも、前途が開けていく自分を夢想していたものです。しかし前途が閉ざされたとしか感じられない現在では、「スピリチュアルCD」を聴く必要がなくなってしまったのでしょうか。今日は午後から、今の会社で作っているショッピングサイト(私がプロデュースして、中国人の若者に作ってもらっています)の提携店舗に、取材に行ってきました。久しぶりにデスクワークを離れての作業でしたので、楽しかったです。が、17時半の定時を迎えて、自分ひとりが会社に残っている状況になると、次第に楽しまなくなっている自分がいます。これはすでに社長から聞かされていることなのですが、三弟と四弟とは、以下のような話をしているそうです。「慎太郎がこの先どれだけたくさんの金を稼いでも、その金は俺たちが自由に使っていい金だ」「慎太郎がどれだけ抵抗しても、俺たち二人でむしりとって、慎太郎には経済的な自由を与えてはいけない」・・・いやぁ、これを思い出すたびにしんどくなります。金だけが人生だなんていうつもりはないのですが、それなりに稼ぐことが出来たら、それを自分の生活に反映したいじゃないですか。この考えって、もうすでに間違えているのでしょうか。ともあれ、この先稼ぐ金は、三弟と四弟の自由になります。それを知らされてからは、一生懸命働いて稼ぐことも、なんだか馬鹿らしくなりました。稼がないと、日本に行って薬を処方してもらうことが出来ない。しかし金を稼いでから日本に行くと、四弟がやってきて暴力を加えられ、稼いだ金を奪われてします。そんな至極シンプルな未来図が見えてきました。ちうか、それしか未来図が描けません。やっぱり四弟をこの世から抹殺するしか、ラクに生きていく道は無いのでしょうか。考えは堂々巡りをします。人気blogランキングへ
2006.06.27
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このところ更新をしてない日記でしたが、昨日はネットカフェから久しぶりに更新しました。前にも一度書いたことがある心情でしたが、私はいま、四弟に対して、強い殺意を抱いています、でも言い訳をすると、これって、私の中で自然発酵的に出てきたものではありません。日本にいたときに、そして大連にやってきた後に、四弟から植えつけられた考え方です。気に入らないことがあると、部屋まで乗り込んできて「殺すぞ!」と喚きながら、殴る蹴るを繰り返す。妻に別居を言い渡されて、神戸市にある親元に引き取られてから、何度「殺すぞ!」と怒鳴られたことでしょう。挙句、中国に来て、社長から告白されたのですが、私を雇ったのは、「もう兄貴には日本に居て欲しくない」「お願いだから中国に連れ出してください」と頼んだ三弟の言葉に応えるため。三弟と仲良しの四弟も同じ事を考えているのか、とにかく早く私を日本から追い出したかったみたいです。三弟は暴力主義者じゃないので、表向きはいろいろと建設的なことを言っていました。でもね、後になって四弟がやってきて、「お前を日本から追い出すために、T(三弟)が社長さんを動かしてくれたんじゃ!」と、その心情を暴露してもいましたね。社長からも聞かされることで、裏づけをとったような気分になりましたが。ともあれ日本から出ることを渋っていた私のところに来た四弟は、もう殴る蹴る首を絞めるのオンパレードでしたね。やはり日ごろから四弟に「ワシに逆らったら殺すぞ!」と怒鳴られ続けている母は、横で怯えているだけでしたし、父は四弟に屈していて、そのために私を騙して社長さんに身請けをしてきた後だったので、至極当然そうに、私が暴行を受けるのを眺めていましたっけか。そのような次第で、元々は体面だけを気にしていた私にとって、他人様の前で「殺してやる」なんてマイナスイメージの言葉を吐くことは、考えられないことでした。しかしいつの間にか、「殺すぞ!」という言葉が、心のどこかにこびりついてしまったようです。大連で静かに過ごしているはずの今でも、四弟の「殺すぞ!」という叫び声が聞こえてきます。それに対する怯えと反発から、四弟を殺せば「すっきり」するのではないかと感じるようにまでなってしまいました。私はまだ、自分の手で直接他人に暴力を振るったことはありません。でも、心の中では、四弟がぼろぼろになっていく様を見たがっています。ちなみに彼は議員になりたいそうです。私を殴りながら、「ワシは偉くなるんじゃ。そのために自民党に出入りしているんじゃ」「お前みたいな他人に迷惑しかかけていない人間には、議員と言う高みは理解できんだろう!」と叫んでいました。名古屋の自民党は、四弟に何を教えているんだろう。母の言では、「やはり自民党の実力者とコネが出来ないといけないから、わざわざ名古屋まで行っている」と自慢していたそうです。もう一回訊きます。名古屋の自民党の偉い方、四弟に何を教えているんですか?「殺すぞ!」と喚く電話は日常茶飯事だし、会えば暴力を振るうし、気に入らないメールを父に書いたら(父もそれをしっかりとプリントアウトして四弟に読ませているんですけれどね)それを読んで、「俺は被害を受た。同害報復をしてやるから覚悟しておけ!」という脅迫メールは届くし。同害報復って、歴史をかじった私の知識では、「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典にいきつくんですが、自民党というか、現代日本の政治家さんたちも使っているのでしょうか?うーむ、四弟のおかげで、世界が広くはなりましたが。ともあれ、四弟が「こんなことなら生まれてくるのではなかった」と嘆くくらいまで奴を追い込んでから、第三者の手を使って、奴を葬り去ります。四弟が自分より先に死んだ後の、父の嘆く顔も見てみたいし。人気blogランキングへ
2006.06.26
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最近ずっと更新が滞っています。こんばんはの慎太郎です。もう仕事が忙しくって、会社のPCからの更新が出来ません。ほんとうはこの土日も会社に行って、少しでも仕事をこなしておきたかったのですが、もう身体が言うことを聞いてくれないので、夕方になって近所のネットカフェに入り浸ってます。一応、報告としまして、PCを買う算段をつけました。とても安価な低スペックのものですが、家にADSL回線を引くことが出来れば、ブログやメルマガの更新ぐらいは出来るだろうと。それでも無事にPCが届けば、の話です。ともかく安月給なので、普通にショップに売られているマシンは買えません。なのでebay中国で注文しました。周囲からは「危ない。騙される」との忠告を山ほど受けていますが、もう背に腹は変えられん、といった感じです。ともあれこの慎太郎。ぼろぼろです。もう1ヶ月ほど、まともに食事が出来てません。安月給ですが、中国では人並みの暮らしが出来る金額をもらってます。食費が無いのではありません。もうしんどくてしんどくて、食欲が湧かないのです。平日は会社の手当てで食堂に通っているのですが、以前のように健全な食欲が失せてしまいました。最近はラーメンやジャンクフードばかり食っています。まともな食事をしていると、吐き気がします。朝に歯磨きしていると、その勢いで吐くこともあります。平日は、だいたい12時間は仕事しています。2重3重に仕事を与えられているので、「今日はこれをやったら終わり」なんてことは有り得ません。それとも、1日12時間程度の労働でしんどいと言っている私が甘いのでしょうか。うつ病になる前は、1日3時間程度の睡眠で、終電まで働いていましたから。それと愚痴になりますが、薬がのみたいです。もうとっくに無くなっています。日本にいたときの主治医のHPを探し出して、メールを出しました。ある程度の現状を書いて、薬がなくても生活していく術を教わろうとしました。が、もらった返事には、「投薬治療が必要です。どうにか家族のご理解を得て、日本に戻り診察を受けてください」と書かれていました。それを受けて、日本にいる家族に打診しました。母は熱心な仏教徒でして、投薬治療が余計に私のうつ病を悪くすると、頭から信じきっています。なので「大連に行かせてもらったおかげで、薬と縁を切ることができてよかった。もう薬が欲しいなんて弱気なことは、今後一切言わないように」とのことでした。父は話し相手になりません。彼は、私を日本から居なくしたかった三弟・四弟と結託して、私が日本に居られなくした張本人です。四弟の仕打ちが酷いということを伝えたメールをプリントアウトして、それを当の四弟に読ませる人です。それがために私の人生が悪化しても、何ら感じることがありません。三弟・四弟、それと父。彼らは、私がうつ病になったその内面にはまったく興味がなく、7年間も無職生活を続け、経済的に大迷惑を与えた邪魔な人間としか、私のことを認識していません。つい先日、たまりかねて新潟県にいる別居中の妻に電話をしてしましました。「最近、調子はどう?」と尋ねてきたので、正直に「しんどい、調子が悪い」と言ったら、それ以上のことは言わせてもらずに、説教されました。曰く、「働いていない人間が、治療費が必要な病院へ行こうと希望するのが甘えている」曰く、「生活できるだけの賃金をもらっているのだから、それに感謝しないといけない」いや・・・待ってください。私は、いまの社長には感謝していますよ。ただお金が無いから、部屋に引いた電話代金が払えないだけです。だから回線を停止されて、彼女が電話をかけてきても出ることが出来なかっただけです。「せっかく電話をかけても繋がらなかった」と責められたので、事情を説明しただけです。そうしたら、「お金をもらっていながら不平を言っている」と責められました。これが、この前の金曜日。私は、妻の言ったことをきちんと理解しているのでしょうか。正直、ちんぷんかんぷんです。身体がいうことを聞かない上に、頭が混乱してしまって、もう崩壊寸前です。無理やり日本から出て行かされて、病院にも通えずに、うつ病にための薬ものめない。その状況には、感謝しないといけない義務があるようです。病気になったのは悪いことで、それを言い訳にしてお金を稼いでこなかったのは、もっと家畜的に悪いこと、そう教えられているような気になっています。とにかく、お金を稼いでいない人間は、なんらかを主張すること自体が許されない思い上がり。病院に通えるということ自体が、傲慢な甘え。金銭的に迷惑をかけた相手には、今後彼らからどんな仕打ちを受けても、受け入れなければならない。詰まらん御託ですね。ああ、なんだか殺意が湧いてきた。もう最近のことを正直に書きますと、四弟と父と妻への殺意があるから、どんなにしんどくても生きています。あほらしい生き様ですね。
2006.06.25
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ちょっと間隔が開いてしまいました。相変わらず仕事が忙しい慎太郎です。日本から持ってきた薬が尽きかけて、無理して薬に頼らない生活を続けておりました。本人の渇望は別として、薬がないと勤務を続けることが困難な状態まで落ち込んで、かなりな難儀を経験いたしました。そのような経過があったので、この週末は意図して「自分の生活に仕事を持ち込まない」をモットーにしました。告白すると、つい最近までの私だと、「もうこれだけ仕事が溜まっていると、休みが欲しいなんて甘えたことは言っておれない!」と、悲壮感に染まりながらも自分を酷使していたことだと思います。しかし、「ここで我慢したら、あのときより酷い状態に逆戻りだ」という自己保身の念が湧いてきたみたいで、「溜まった仕事であっても、週明け以降に持ち込む」と決めました。それで割り切って、昨日今日と休んでいます。昨日はこちらで出来た朋友と「別れる別れない」の大喧嘩をしたのですが、それも何とか乗り越えて、二人で仲良く電子城(パソコンや携帯ショップの一台集合地帯)を見物してきました。出来れば個人用のPCを入手したいのですが、まともな性能のやつは高額なので、冷やかすだけで終わりましたが。夕方には、日本から戻ってきた当社社長とも合流して、家の近所を散策します。前から興味があった水餃子の店に入って、ビールも頼んで、店内のTVで「ワールドカップ」観戦しました。社長が中学生の頃にサッカーをやっていたので、解説もしてもらって大いに楽しみました。さらに社長には、「もう体のほうが限界だったので、最優先の仕事があるけど休日出勤しないで、リラックスに勤めていました」とも報告します。社長は、「それでいいんだよ」と、あっさりと容認してくれました。夜は、相変わらず眠剤なしで眠ります。これまでは困難だった入眠も、昨夜はすんなりといきました。夜中に中途覚醒もありますが、煙草で気分転換すれば、焦らずに二度寝・三度寝・四度寝が出来ました。ここのところの睡眠時間は、1日あたり4~5時間だったのですが、今日は6時間眠れました。寝起きも爽やかです。起きて窓の外を見てみると、ものすごく青く広がった空が見渡せます。こんなときは、30階建ての高層マンションの28階に住んでいて、ラッキーだったなと感じます。もう大好きな空を見渡しながら、日本からMP3にして持ってきた歌、V6の「UTAO-UTAO」を聴きました。TVドラマ「タイガー&ドラゴン」のエンディング曲で使われていた歌です。自分のなかで「素直になれて来た」と感じる喜びと、大連の青く澄み渡った広い空がマッチします。その中から、勝手に歌詞を引用します。 いつの間にか 変わりゆく街並み どうして僕ら 風に吹かれてたんだろう 想像以上の未来へ 相当ハードなWAY越え クセになるね 僕ら出会えた奇跡とか 広がる無限のそら もうどうしようもない気持ちさ いつの日にか 愛に届くUTAO-UTAO気がついたら、お気に入りの窓から景色を眺めながら、泣いていました。悲しくはないのです。むしろ、その逆です。なんだか嬉しくなってしまって。生きているのって、結構いいもんなんだなぁ、と。もうちょっと時間がかかりますが、やります。いつぞや連呼していた「連鎖寛解」。うつ病になったからこそ、見えてきた世界があります。おそらくうつ病患者になる「資質」を持っていないと、やって来れなかった世界でもあります。敢えて書きます。「この苦しみと、この喜びを分かち合おう」と。待っている人はいないかも知れませんが、待っていてください。慎太郎、やります。人気blogランキングへ
2006.06.11
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辛苦了とは、「お疲れ様でした」を意味する中国語です。そうです、今とっても疲れています。こんばんはの慎太郎です。私が日本に行って、上手く進ませた仕事に、いまブレーキがかかろうとしています。それをなんとか解除するための方法を見出し、対策の手を打っているところです。えーっと、ここで予告しておきますが、もう少しすれば、ブログを分離します。うつ病との、楽で楽しい「連鎖完寛」を目指すブログ(この楽天日記でやります)と、大連の会社で働きながら生きがいを見つけ、社長を目指して屹立してく私を描くブログ。この2本立てでやります。とは言え、急がしいー!そして、しんどいー!!何せもう、会社の連中が定時の17時半で帰ってしまっても、最高技術責任者である私は、まだまだこなすべき仕事が山積しているのであるのですよ。今日も関係会社の社長さん(日本の方)と、長々とネットでやり取りして、その結果をうちの社長(これまた、現在は日本へ出張)に報告しなければいけないのです。しかし、社長が電話に出ない!帰れない!そうやっている間も、抗うつ剤をストップしたリバウンドが、私を襲っています。眩暈と頭痛。主に腕を主とした、身体の痺れ。あー、薬のみたい。この前の日記では、薬局で買った薬が良いと書きましたが、どちらにせよ症状の緩和しかしてくれないわけで、それならば私に特化して処方された薬の集合体のほうが、効き目としては安定していた事実が、いまとなって明らかになった次第で。今日もブログはサボるつもりだったのですが、日本にいる社長の携帯が応答してくれないので、帰るに帰れない状況が出来てしまったのですよ。薬くれー!仕事も上手く行けー!家に帰れなくてもいいから、この頭痛と眩暈をどうにかしてくれー!とか何とか書きながらも、椅子から立ち上がることが出来ない慎太郎でしたっ。人気blogランキングへ
2006.06.07
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今日からまた新しい1週間の始まりですね。昨日は大変でした。このところの日記に、「抗うつ剤をのんでいない」ということを書き続けてきましたが、昨日は残りの数も無視してのみました。それだけ体調が悪かったからです。とにかくこのところ、眩暈・腕などの痺れが酷いです。吐き気も度々襲ってきますし。一昨日の夜は、眠剤をのんで寝ました。ただし抗うつ剤をずっと我慢していたので、ついに限界が来ました。目を開いても、なんだか痺れたみたいになって、ずっと視界が暗いのです。頭はくらくらして何も考えられませんし、食欲も湧かない。病院に行きたいところなのですが、日本語で対応してくれる精神科医がどこにあるか、まったく以って分かりません。そこで薬局に行って、パッケージ裏の効能書を見比べて、どうにかいまの症状を緩和してくれそうな薬を購入してきました。ラッキーだったのは、それが効果を発揮しているところです。もう眠剤が1回分しか残っていないので、昨日は寂しくなってしまって、のむのを我慢しました。ところが眠剤なしでベッドに転がり込んでも、知らぬ間に眠れてしまえたのです。朝までに何回かは目が覚めましたし、眠りが浅くて夢も見ました。でも一昨日までと比べると、格段に、気持ちも身体も楽になっているのです。今日は朝7時半に起きて支度をし、余裕で定時までに会社に着きました。ただ疲れていたので、午前中は怠けて仕事をしていました。ただし、いつぞやの日記に書いたように「松井秀樹先生の教え」に従って、いまの自分に出来る100%を保つことに留意はしました。ところが、夕方になって、日本にいる社長から、至急の電話が。詳しくは企業機密なので書きませんが、これから忙しくなりそうです。私が日本出張に行った折に確定させてきた仕事なのですが、それが進む分、摩擦も生じてきているとだけ、書いておきます。大連事務所の責任者をやっているだけに、負担も大きいです。これだけしんどいのだから、月給もたくさん欲しいですよ。いまは4,000人民元ですから。日本円にして6万円未満です。もっと収入があれば、自宅用のパソコンも買えるのになぁ…と、常日頃思っております。そんな鬱憤をためるのも嫌ですので、決めました。eebay中国(オークションサイト)に行って、安い安いパソコンを落札してきました。中国語Windowsのやつを。こうなったら、出来る範囲の中で、やるだけのことをやるまでです。儲けて、日本語Windows正規版がインストールされた、ハイエンドのゲームスペックマシンを購入してやる。人気blogランキングへ
2006.06.05
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こんにちはの慎太郎です。今日は会社に行っていないのですが、ネットカフェに立ち寄っての更新です。今日の大連は暑いです。朝方は15度くらいまで冷え込むのですが、お昼は30度以上にもなっています。いまお昼ごはんを食べてきた後なのですが、もう汗でびっしょりです。乾燥した空気の大連ですらこうなるのですから、私が日本に行ったら、そりゃもう大変でしょう。昨日は会社からの更新でした。やっぱり夕方を過ぎると、吐き気がして死にそうな気持ちでいっぱいでしたが、家に帰ると、途端に救われました。最近いただいたコメントへの返事は、次の月曜日以降にさせてもらいますが、さっき友達の放蕩詩人さんがくれた一文を読んで、なんだかほっとしました。で、どうして休日にネットカフェまできて更新しているかというと、一大構想が浮かんだからです。最近バージョンアップしたばかりの慎太郎ですが、また近々、再度のバージョンアップをします。家で時代物のTVドラマ(清朝の台湾統一がテーマ)を見て気がついたのですが、現代の国境を越えて生きる私は、国家に従属して生きる者ではありません。もちろん国家が私に奉仕してくれているわけでもありません。おそらく、相互依存の関係でしかないと思います。中国はかなり「個人主義」の国民性ですが、そこで感じたこと・気づいたことがあります。それを一言で表現するのは、いまの私では困難です。また、こうやって中国のネットカフェから日本のブログを更新できるようになるまで、ネットの存在によって、個人とほかの個人とが結びつくことが容易になっているようにも思います。いまはお説教めいたことは控えますが、私がこれまで個人のなかで蓄積してきた知識・経験・技術などを、これからネットを通じて、発信していきたいと願うようになりました。なので、これからこのブログに書いていく内容を、拡大していきます。もちろん、もとは「うつ病慎太郎」のブログでしたから、うつ病についてのスタンスを保ち続けても行きます。あー、今は上手く書けませんが、やります。この慎太郎、やります。今日は、そこことを宣言したくて、ブログ更新にやって参りました。これからもご愛顧のほど、よろしくお願い致します。人気blogランキングへ
2006.06.03
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こんばんは。慎太郎です。昨日はめちゃくちゃな日記を書きました。コメントをつけて下さった方々もおられますが、まだきちんと返事を書く度胸がありません。あんなことを書いておきながら、まだ生きております。詳しいことは次回以降に書こうかと思いますが、現在の私には、生きる支えになってくれる人物が存在します。ありていに書いてしまうと人間の倫理に反することをしながら生きていますので、いまは書きません。それでも有り難いです。私という存在を、何のためらいも無く受け入れてくれる人がいます。またその人は、ただ私を受け入れてくれるだけではなく、対等な立場で、私に受け入れられようという努力もしてくれています。双方向での「存在」を認め合う、双方向の「想い」が、ここにはあります。そこで初めて気がつきました。これがほんとうに私が求めていた「受け入れる」という行為なんだと。なので支えられています。そうやって生きています。前にも書きましたが、「うつ病万歳」・・・なのかも知れません。例えそれが、国家の定めた法を犯しているとしても。私はいま、生きています。人気blogランキングへ
2006.06.02
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お久しぶりの慎太郎です。相変わらず会社からの更新です。もう愚痴りますが、この前日本へ行って帰ってきてから、非常に忙しくなって来ております。原因のひとつが、手前味噌ですが、日本での仕事に収穫があったから。まだ私が勤めている大連の会社は、具体的な収益を上げていません。いまは社長が経営している系列企業からの資金注入(経済的な用語を知らないので不正確かも知れませんが、雰囲気は合っています)で動いています。それが、どうにか8月くらいには大き目の収益を上げられそうな気配が、ぷんぷんとしてきたのですから、さあ大変。社長は日本と中国国内での移動に目まぐるしく動き回っていますし、私は抱えている仕事に対する責任感が大きくなっていっています。そんな中、もう持っている薬(抗うつ剤および眠剤)の備蓄が、そろそろ底を尽きそうです。昨夜は疲れて帰って、23時には眠剤をのんで寝たのですが、そのとき確認したら、残された夜は5日でした。あ、ちょっと不親切な文章でしたね。残っている眠剤は、あと5回分だと言うことです。これには、結構なショックを受けました。そのためかどうかは分かりませんが、明け方に集中して、明確に記憶できるような夢を、いくつもいくつも見ました。中でもカラーつきで明確に覚えているのが、次弟に「俺は四弟を殺すために日本に戻って来たんや」と叫ぶ夢です。怯える次弟の目の前で、「あいつを目茶目茶になるまで刺し殺してやらんと、俺が浮かばれん!」と宣言したところで、目が覚めました。気がついたら、腕を振り上げてからまるで包丁でも振り下ろすかのように動いていて、思いっきりベッドの縁を叩きつけていました。その痛みで、目が覚めました。どうやら、明確すぎる声で叫びながらの寝言を口走ってしまったらしく、横で寝ていた中国人が怯えていました。そうやって、眠剤はのんだのですが、昨日の朝を最後に、抗うつ剤をのんでいません。いまは丸一日と半分が過ぎ去った頃なのですが、もうかなり気持ち悪いです。実は今日の仕事を、ロクにこなしていません。ロクにこなせていないと書いたほうが、より正確なのですが。しんどいです。気持ち悪いです。眩暈がします。助けて欲しいです。悪寒がします。吐き気に襲われています。家に帰りたいのに、会社の椅子から立ち上がる気力がないです。横たわりたいです。でもここは日本じゃないので、畳の上に敷いた布団なんて、金持ち日本人の家にしかありません。抗うつ剤を36時間以上のまないでいるのは、うつ病を発症してから初めての体験です。この前日本に行ったときに心療内科へ行けなかったことが、暗澹たる気持ちで悔やまれます。ご同病の方、自分の判断だけで薬をのんだりのまなかったりするのは、止めてください。病状が安定しているようでも、薬に助けられているところが大きいかも知れません。私の場合は、確実にそのようです。こういうときは考えが後ろ向きになってしまうのですが、人生が面白くありません。日本では「精神病32条」が改悪されて、別の制度になって2ヶ月が経過したところでしょうか。私が日本を去ったのが今年の3月でしたので、申請をしている途中で、結果が出ないままにしてきました。私には4月からの新しい制度が適用されませんので、もし日本で心療内科や精神科にかかったとしても、1割負担だけでは済まなくなっていることでしょう。それに、また中国に帰ってくる身です。またまとめて5ヶ月分の薬を処方してもらうことが可能であっても、それを薬局から買う「日本円」が、私にはありません。前回は1万円近くかかったでしょうか、5千円程度だったでしょうか。ともあれ、月給4千人民元の私には、払うことが困難な金額です。いま考えているのですが、中国で、抗うつ剤ではないにしても、気分を沈静化させてくれる薬は入手できないものでしょうか。部下を使って探させようかとも考えたのですが、私が抗うつ剤さ眠剤をのむことへ、社長が強い不満感を明らかにしていますので、協力してくれる社員はいません。こう考えると、やはり三弟が私に復讐して日本から追い出すために、私は雇われて来たのでしょうか。しんどいです。気持ち悪いです。眩暈がします。助けて欲しいです。悪寒がします。吐き気に襲われています。家に帰りたいのに、会社の椅子から立ち上がる気力がないです。横たわりたいです。でもここは日本じゃないので、畳の上に敷いた布団なんて、金持ち日本人の家にしかありません。逃げ出したいです。そのための金が欲しいです。そのためのPCが欲しいです。私が今使っているPCでは駄目です。日本語WindowsXP正規版が入ったPCが欲しいです。かつて日本でPCを所有していました。しかしそれは中国に来る前に四弟に取り上げられました。そのときは殴る蹴るの暴行を受けました。力ずくで奪われました。中国に来てからそのことを親に訴えました。そうしたら父は四弟にそのことを書いたメールをプリントアウトして読ませました。四弟からは「同害報復」というタイトルのメールが来て、散々に罵られました。「お前のPCのデータを消去して破棄する」と書かれていました。日本に行ったときには、親にから私のPCが無くなっていました。だけど私には収入が無く、周囲の人間のお金を奪い去るという迷惑的な行為しかしてこなかったので、それに対する報復を受けることはあっても、抗議をしてはいけないそうです。人間としての権利や尊厳は残されていると思っていました。でもそのようなことを発言すること自体が、迷惑しかかけてこなかった私には許されないそうです。もうだめですしんどいです。日本には、すでに帰るところがありません。住んでいたマンションは、自己破産のカタに失いました。妻子が住んでいる家からは追い出されました。日本に立ち寄ったときに親の家に泊まりましたが、三弟と四弟には逆らうなと、母から釘を刺されました。私に復讐しようとしている彼らに対する一切の弁明を禁じられました。ですから逃げ出したくなりました。戻りたい家なんて、日本にはありません。大連にしか居場所がありません。助けてください。助けてください、もう疲れました。みんなが言うので、私が悪人なんです問題ある存在なんです。誰か私を殺してください。殺してください。怖くて死ねません。まだ生きていたいです。でも生きているのには疲れました。殺してください。眠っている間に、そっと殺してください。そして私がいたことを、私を知っている人間たちの記憶から消し去ってください。人気blogランキングへ
2006.06.01
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このところ連日嘆いているようですが、現在、中国に持ってきている「抗うつ剤」「眠剤」のストックが、底を尽きかけています。残りあと2週間を切りました。今後の私の仕事としましては、ちょこちょこと日本に用事が発生するかどうか、おそらく明日以降に決まると思います。出来れば早めに日本に行って、しかも日程の余裕もつけてもらって、主治医のいる心療内科へ行きたいのですが、なかなか思うようには行きません。そんな次第で、薬が減り続ける不安と、昨夜も戦っていました。負けたのは私の方でした。23時半までは、「今夜は眠剤をのまないぞ」と決め込んでベッドの上にいたのですが、折悪しく、尿意を催しトイレへ。その後、気分転換にと煙草を吸っていたのですが、そこで不安が爆発してしまって、眠剤をのんでしまいました。残っているのは、あと9日分くらいでしょうか。事前に正確に知ってしまうのが怖いので、残りの数は勘定していません。だいたいの目分量で数を書いています。その間に、もう一度日本への出張があって欲しいところなのですが、先週の私の段取りが良すぎたみたいで、社長だけが日本滞在を延期しても、こちらの仕事はうまく進んでいます。このままでは、機会が増えると思っていた日本出張が、逆に減るかも知れません。まあ、いま住んでいる大連を大好きになってしまったので、出来れば薬の心配をせずに、このまま暮らして行きたいところなのですが。人生って、ちょっと先に何があるのか、分からんものですね。人気blogランキングへ
2006.05.26
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こんにちはの慎太郎です。激務の息抜きに、部下には内緒で楽天広場にやってきて、自分のブログの管理ページを見ていました。そしたら、ついに達成しました。1日の平均アクセス数「60」を突破!ありがとうございます。これも読んでくださる方がいらっしゃるからです。最初はつまらないことばかり書いていた(今でも?)ので、極端にアクセス数の少ないブログでした。また50台に入ってから、遅々としてアクセス数が伸び悩んでいた時期もありました。それが、先日「59」になったとばかり思っていたら、1週間もしないうちに「60」ですよ。もう慎太郎、欣喜雀躍!これからも、会社のパソコンから頑張ります!人気blogランキングへ
2006.05.26
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昨日の日記でも、もうすぐ抗うつ剤がなくなることへの不安を書きました。初めての方のために簡単に書きますが、私は現在でもうつ病患者です。1999年5月に強度のうつ病を発症し、それが原因で、取締役をしていた会社から強制的に辞表を書かされました。以降、無職暮らしを7年近く過ごしました。働いていたときに購入した中古マンションを手放し、妻の実家がある新潟県に一時的に保護されましたが、いつまで経っても症状が好転しない私を我慢できなくなった妻から、別居を申し出されました。それで実の両親の家に引き取られましたが、収入が無いことを理由に私を憎む四弟から、色々と惨い仕打ちを受けたりもしました。さらに三弟が「もう兄貴を日本に置いておきたくない」という主張をして、中国に会社を持つ社長さんに引き取られました。一時は日本国内の企業に就職したいと祈念し、内定をもらうまで進展させたのですが、それも実の父の詐術によって無残に砕かれ、中国にやって来ることになりました。なので、通っていた心療内科の主治医に頼んで、約5ヶ月分の抗うつ剤・眠剤を処方してもらいました。先週、仕事の都合で日本に一時帰国(出張)をしたのですが、そのときは時間が合わずに、主治医のもとへと行くことが出来ませんでした。手元に残された薬は、あと2週間分。どうやら、それまでに日本出張があるかどうか、微妙なところです。いま住んでいる大連自体は、大好きです。これほど街に愛着を感じたことは、私のこれまでの人生では初めてです。会社の仕事はきついですが、自分の采配で動かせる部分が大きいので、それはそれで楽しいです。欲を言えば、日本に送金できるだけの給料が欲しいのですが、私が所有していたパソコンを取り上げてデータを破棄し、PC自体を処分してしまった四弟の手で、見事にその希望は砕かれました。周囲の中国人は優しいです。私を慕ってくれる部下、私を愛してくれる女性・・・日本にいたときには考えることすら出来なかった、人間の暖かさに、いまの私は支えられています。中国に来るつもりは無かったのですが、いまでは来てよかったと実感しています。ただし、薬が切れること自体に対する、強い恐怖感があります。昨夜は眠剤をのむことですんなり眠れました。が、その眠剤をのむまでに、「これをのんだら残りが少なくなる」という葛藤が起こり、2時間ぐらい動けなくなりました。複雑な気分で過ごしています。人気blogランキングへ
2006.05.25
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今日の朝食を済ませた後、例によって抗うつ剤をのみました。いくつかの種類を服用しているのですが、とうとう最後の1シートに手をつけることになりました。あと2週間で、手持ちの抗うつ剤・眠剤が底を尽いてしまいます。「コップ半分の水」の例え話のように、「まだ2週間も残っている」と考えれば楽になれるのでしょうが、先週、日本に一時帰国したときに通院できなかったのが精神的な痛手になっており、徐々に焦燥感に駆られていっています。ちなみに今週はずっと激務でした。昨日などは疲れが残っているのに、すぐに寝ないで、日本から持ち込んだ吉川英二『三国志』の第1巻を読み進めていました。知り尽くしたストーリーで内容も古臭いものですが、格調高い文章が気持ちよく、ついつい寝るのを後回しにしてしまいました。たぶん、そのままベッドに転がっても、すこんと眠ってしまえたのでしょうが、習慣とは恐ろしいものですね。やはり不安になって、眠剤をのんでからの就寝になりました。「眠剤」をのんだ、という事実が、私に安心感を与えてくれているようです。この先、日本への出張も十分考えられますが、あと2週間以内となると難しいです。それまでに薬が不要になるでしょうか。人気blogランキングへ
2006.05.24
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こんばんはの慎太郎です。もう昨日のことになってしまいましたが、ちょっとだけ残業をして、19時半(中国時間)ごろに会社を出ました。昼間はそのようなことが無かったのですが、夜には濃密な霧に取り囲まれていました。19時台というと、近頃の大連では、ようやく夜の帳が降りかけた頃といった具合です。その薄明るい夜空の下に、たくさんの高層ビルが建ち並んでいます。それだけではなくて、大連は夜のイルミネーションやライトアップの盛んな美しい街です。私が勤めている会社が入っているビルも、28階建ての高層ビルです。すぐ隣には、現在建設中の30階以上の高さがある双子ビルが建てられています。ここに書いてもご存知ない方が多いでしょうが、会社の近くにある「星海広場」は、アジア最大の広場です。その星海広場にはたくさんの緑があり、その周囲は街灯と、ファンタジックなライトアップがなされています。ビルの窓からの灯り、建設中のビルの屋上のライト、臨海広場での明かりの数々。それらが垂れ込めた雲のような霧に反射して、空が光っているかのようでした。この日ほど、デジカメを購入していないことを悔やんだ日もありません。毎日の習慣なのですが、会社が入っているビルを出たら、煙草をくわえて火を点けます。いつものように歩き出そうとはしないで、煙をくゆらせながら、空を見上げたり遠くを眺めたり。いつまでも、そこにいたいような気持ちになって、それだけで泣きたくなるような夜でした。人気blogランキングへ
2006.05.23
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後出し日記の慎太郎です。現地時間5月20日15時ごろ、大連に戻ってきました。その日は、私専属の通訳が迎えに来てくれていて、そのまま会社に直行しました。なにせ五一労働節の時にとった休暇の代替を、この日にもやっていたのです。しかし経理の女の子(中国人)が、「今日は慎太郎さん、疲れているだろうから、先に帰ってもいいよ」と嬉しい進言。しかし、留守中のケアをそれなりに実行していたら、帰るに帰れなくなって、結局定時より20分だけ早い帰宅となりました。翌21日は完全休養です。朝起きていきなり、「ハウルの動く城」DVDを観ました。DVDプレイヤーは、上海駐在の副社長が補助して買ってくれたので、ソフトがあれば何でも見れます。ちなみに「ハウルの動く城」DVD自体は、私が日本に住んでいたときに購入しおいたもの。この日は、親しくしている中国人がやって来てくれていました。私がぼんやりTV画面を見つめているうちに、簡単な朝食を用意してくれました。それを頂きながら、ゆっくりと食べます。映画を観終わってから、その友人と日本語と中国語が入り混じった会話をします。曰く、「日本はどうだった?」みたいな質問を浴びせかけられました。やはり日本人と知っても親しくしてくれるので、日本には強い興味があるようです。その後、ベッドで眠ってしまったのですが、友人は帰らずにTVを見て時間を潰していました。夕方が近づいたので、「湯食の買出しに行こう」と誘われます。大連に来た当初はタクシーでしか移動できなかったのですが、近在で大きなスーパーマーケットなら、なんとか徒歩でも行けるとのことです。タクシーで8元ですから3キロ以内の距離を、約30分かけて歩きます。こちらに来てからの私は、運動不足と食欲過多で、かなり太りました。それを気にした友人が、歩ける範囲なら減量に役立つと言って、案内してくれました。行った先は「ニューマート」という、かなり大規模なショッピングセンターの中にあるスーパー。たいていの地元小売店なら、日本人だとバレると、現地価格の3倍ほどを吹っ掛けられます。しかし大規模スーパーでは、等しくみんなに同じ値段で売るので、在住の外国人にはもってこいだと説明をしてくれました。そこで安く買った(というか定価が安い)包子(肉まん野菜まん)や水餃子などを、帰りはタクシーで持って帰ります。それから簡単に調理して、TVを見ながら頂きます。どうやら中国には、TV以外に身近で手軽な娯楽は無いらしく、何かあれば友人はTVばかり見たがります。そんなこんなで夜も更けていったので、お別れを言ってから、寝室に行きます。23時には眠りました。ただし、付記するべきことが一点。最近の私の太りぶりを心配してくれた友人が、プーアル茶を買ってくれました。減肥に効果があるというやつです。それを昼間からがぶ飲みしていたのですが、このお茶は排尿作用が強いみたいです。夜は約1時間おきに尿意で目が覚めてしまいました。5時になって、確実に起きてしまいましたので、それからシャワーをしました。あれっ、これって、もう今日の分の日記ではないですか。しからば御免。人気blogランキングへ
2006.05.22
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こんにちは、大連に帰り着いた慎太郎です。昨日の日記、「残念ッ!」ってタイトルにしておいたのに、一番残念だったことを書いていませんでした。昨日の午後は、予定外にぽっかりと時間が空いてしまったので、「そうだ、京都に行こう」「そうだ、通院しよう」と思い立ちました。前回の通院時に、中国に行ってしまう可能性があるから、手持ちのお金で払える分だけ、薬を処方をお願いしていました。主治医は私の大連行きに大賛成だったので、すんなりと処方してくれました。むしろ薬局の薬剤師さんが「本当はダメなんですけれどね…」と渋りながら出してくれました。そんな薬が、あと2週間ほどで尽きてしまいそうになっています。日本に戻っているときは、凄まじい湿気にやられて、正直グロッキーでした。空地が乾燥した大連で楽しく暮らしていく分には、これからバシバシ減薬していっても大丈夫という、根拠のない自信があります。そのような次第で、主治医にその報告をして、減薬に対応した処方を出してもらおうとしました。ところがです。金曜日は、私の行きつけだった心療内科は、午後休診でした。午前中は、絶対に中国総領事館に行かねばならなかったので、選択の余地はありませんでした。すなわち、今回の一時帰国では病院に行けないという結論が、昨日の午後一番で発覚しました。正直、これまで7年間、種類は変わってものみ続けてきた抗うつ剤です。なくなるのが怖いです。最初に診断してもらった医師に、「勝手に薬を止めると反動が出て、もっと酷い症状になるでぇ」と言われたことへの恐怖感が、いまだに抜けていません。「それでも、なるようになるさ」そう開き直ります。夜になると、無事に眠れるようになることを夢見て。人気blogランキングへ
2006.05.20
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今日も早起きの慎太郎です。昨日は大阪市にある中国総領事館まで行って、1年モノの就労ビザ(Zビザ)を申請してきました。すでに大連で滞在延長を2回していて、そのときに必要な書類を作っていたので、昨日の手続き自体は楽チンでした。しかし、ここで日程の問題が浮上。昨日18日に申請したビザは、23日にならないと発給されないと言われたのです。私の航空チケットは明日20日に大連に戻る予定になっています。そこで咄嗟に領事館の人に、「明後日の飛行機で大連に戻らなければならないのですが」と、ゴネてみました。すると結果はあっけないものでした。「余分に3千円払っていただきますと、特別に明日発給します」とのこと。それくらいなら誰に相談しないでも払えるので、「はい、それでお願いします」と頼むと、即座に「発給日5月19日」と書かれた引換書を作ってくれました。昨日はその後、夕方まで大阪駅前で粘って社長と合流。それから取引先の社長さんと会って、話し合って来ました。ついでに三弟が営むバーにも連れて行かれて、夜中まで飲んでいました。その翌日が今日です。平日に深酒をしてしまってダルダルのところに、母が早めに起こしに来てくれます。朝7時に起こしてくれるように頼んでいたので、それを実行してくれただけですけど。午前中に中国総領事館に行かねばならないので、必死で飛び起きます。相変わらず曇天で湿度が高いのが煩わしいです。大連の朝はもっと爽やかなのに。兎にも角にも、バス・地下鉄・電車・地下鉄を乗り継いで、大阪は中之島にある阿波座という土地まで、2日連続の往復です。私が寄宿している両親の家が神戸市内の僻地ですので、都会の真ん中に行き着くまでが大変です。日本は交通費がとても高いのも打撃ですね。新たなビザの用紙が貼られたパスポートを受け取って、ひとまず任務完了。引き続き、昨日会った社長さんに電話して、作業の進展具合を見せてもらう予定でしたが、「申し訳ないがこちらの用意が思うように進んでいない」ということを聞かされ、神戸に撤退。当社社長は別の仕事に出張っているので、今日の私の業務は、事実上、お昼まででした。昨夜まとまった仕事を解決してきただけに、それとは別の案件を引っ張ってこれなかったのが悔しいです。ともあれ、日本での業務は今日でお仕舞い。明日はお昼の飛行機で、我が街・大連に帰ります。ちなみに親の家に帰り着いて、PCを起動してMSNメッセンジャーに繋ぎました。これには会社の部下たちのユーザーネームが登録されています。そうしたら、PCを与えている部下たちが、全員アクセスしてきているではないですか。日本語が堪能な社員によると、「慎太郎さんがいきなりメッセンジャーに現れたので、こちらではみんな大騒ぎですよ」と嬉しすぎる情報。一度に4つも開いたウィンドウを相手に、それぞれに指示を与えたり、挨拶をしたりします。明日の到着予定時刻には、私専属の通訳が、大連空港まで迎えに来てくれることになりました。しかも明日は給料日です。今の会社に再就職してから、はじめてまともに1か月分を受け取ることが出来ます。あー、今まで金銭的に我慢して暮らしてきましたが、ようやく一息つけます。人気blogランキングへ
2006.05.19
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こんばんはの慎太郎です。私はいま日本です。2ヶ月ちょっと前まで住んでいた、神戸市の僻地にある両親の家です。私の使っていたパソコンは四弟によって破壊されたのか、どこにも姿がありません。いまは妹のPCを使っています。羨ましいですよ、妹。1年間で数週間しか滞在しない実家に、DELLのハイスペックマシン。勝手にMozillaのFierfoxをインストールして、自分用のブラウザとして使っています。それはさておき、戻ってまいりましたニッポン。しかし今の私は、大連が大好き。一人で飛行場で搭乗手続きをして、一人で神戸市内まで帰ってきました。若い頃に飛行機に乗る機会はなかったので、社員旅行とかで利用したことしかありませんでした。そういう意味では、ちょっとどきどき、中年の一人旅でした。関西空港が近づいてきて飛行機が高度を下げたら、土砂降りの雨の中にいました。大連は乾燥した気候の街なので、久しぶりにみた猛烈な雨に、げんなりしました。傘も持ってこなかったし。財布の中には日本円が一銭もなかったので、空港内の郵便局を探して、ようやく現金を引き出します。それからシャトルバスに乗って、一路、神戸三宮へ。しかしこのバス、片道だけで1,800円もするんですよ。中国元に換算すると、120元。そんなに取るのか~と叫びたくなりました。うーん、日本は総じて物価が高い。ともあれ三宮で、先発で日本に戻っていた社長と合流し、これまであったことの報告を聞かせてもらいます。社長は国内を仕事で駆け回りくたくた、私は昨夜までの激務と湿度が異常に高い日本の風土にくたくた。二人とも疲れているので、明日に備えて体力を回復させようということになり、解散しました。それでも、明日は大阪の中国総領事館に行って、就労ビザの延長申請をします。「Zビザ」と呼ばれる、有効期限が1年間のものが欲しいのです。なので明日は朝早いうちに出発する約束なのですが、久しぶりに、個人の趣味のためだけにPCを扱えるのが嬉しくて、なかなか離れられません。そうそう、今日のタイトルにした「歳三」ですが、2ヶ月余り離れていたら、私を見て、すっかり怯えたような表情・態度を取るようになっていました。何箇月も、ほぼ毎日の散歩に連れて行っていたパートナーなのに、この対応はいかんのではないのかとも思いましたが、飼い主である父が甘やかしてしまったらしくて、もう賢かったころの歳三には戻れないかも知れません。私がかまってやれる時間は、実質的にはないのですから。そんな訳で、犬を楽しみながらも、どこかがっかりした気分で、1日が終わってしまいました。明日は中国領事館に行くぞ。1年モノのビザを獲得して、ずっと大連に住んでいられるようにするんだぃ!人気blogランキングへ
2006.05.17
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最近、またブログを書くのが楽しくなっている慎太郎です。昨夜は21時過ぎに会社を出たのですが、帰りのタクシーの中で、上海在住の副社長から電話があり、仕事の話になりました。どうやら社長がいま日本でやっている営業が芳しくなく、専門知識と経験を持った私が出なければ、分が悪いとの事。お話は帰宅後も延々と続きました。さらに、その仕事の関係で、こちらで懇意にしてもらっている中国人社長さんのところに電話。仕事の話に区切りがついたのが、23時半でした。もう、くたくた。しんどいのでシャワーもせずに、眠剤をのんで寝てしまいます。しかし思わぬ誤算が。帰りのコンビニで、晩飯用のパンを買ったのですが、同時にコカコーラも買っていたのです。仕事の話をしながら、ぐいぐいと飲んでいました。そしたら、そのカフェインの効果でしょうか。目がさえて眠れないのです。ペプシをがぶ飲みしていたときもありましたが、目が冴えて眠れないなんてことはありませんでした。コカコーラはキツいのでしょうか。ともあれ、途中からは熟睡できました。で、朝起きてみると、今日は8時。簡単に支度をする余裕はありました。通勤途中のタクシーからの風景。大連は、街路樹と広場・公園の街です。私が初めて大連にやってきた3月は、街路樹は枯れ枝だらけでした。しかし、それらが粛然と枝を天に伸ばしているので、素晴らしい景観ではありました。また大連市内は、各所でライトアップがなされているので、葉をつけていない木々でも、整然と並んで照らされているので、それを見る私に感動を与えてくれたものです。季節が変わって5月。ここ数日で、昼間の気温が、一気に高くなりました。空気が乾燥してるので体感しにくいのですが、天気予報では摂氏30度ちかく上がっている日もあります。その影響でしょうか、枯れ枝だとばかり思っていた木々が、一斉に緑の葉を吹き出させました。ちょっと前までは、ちらほらと芽吹いている程度だったのですが、今朝の晴天の下で、もうあふれんばかりの緑の葉っぱたちが、生命の喜びを吹き出させていました。とてもよい景色です。いつの間にか、すっかり大連を愛する心が、私の中で出来上がっています。いい街ですよ、大連。これを読まれた方が、観光にでも訪れて下さると嬉しい限りです。人気blogランキングへ
2006.05.16
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本日2回目の慎太郎です。近づく日本出張に向けての準備をしていたら、なかなか家に帰れません。上海にある系列企業からメールが届いているのですが、なにせ中国の劣悪な、安価のメールサーバーを使っているので、画像を添付した容量の大きいメールが、全然受信できません。かれこれ4時間は待っているのですが。その間に、今日の作業も終わっているのですけれどね。さて、今日はまだ抗うつ剤をのんでいません。昨夜は23時(中国時間)に眠剤をのんで眠ったのですが、すっかり熟睡してしまい、朝7時に鳴らした筈の目覚ましを止めて二度寝です。おかげで、ここしばらくシャワーしていなかったのを解消しようとした計画が、雲散霧消してしまいました。そろそろシャワーせずに1週間で臭いです。ちなみに中国の一般家庭用住居では、そのほとんどがユニットバス形式です。いや浴槽がついているのは珍しいほうで、トイレがある空間に、シャワーと洗面台がついているところが殆どです。我が家はバスがあるのですが、ただのお湯ためです。もちろん追い炊きは出来ませんので、お湯に浸ったことがありません。そんな私の夢は、バス・トイレ分離の住居に住むことです。ここ大連でも、数は少ないですが日本人向けに、そういう住居があります。ただし高額ですので、こちらで一儲けしてからでないと住めません。とほほ。。。風呂の話はさておき、今朝は二度寝のおかげで寝坊してしまい、目が覚めたのが8時40分。通勤手段のタクシーでも15分はかかる距離にオフィスがありますので、どう考えても遅刻です。朝飯も食わずに、着替えだけしてタクシーに飛び乗りました。事前に遅刻する旨の電話をしていたのと、私が最高責任者である職場であることとが合わさって、事なきを得ました。ただし遅刻すると、その分、仕事のエンドが遅くなりますので、なるべくなら定刻に出勤したいところ。なのに、最近は熟睡がたっぷり取れ、その余波で朝も起きられません。ここ何度か眠剤なしで眠ってしまったこと、中途覚醒がほとんどなくなったことなどを考え合わせると、生活態度は健常者に近づいているのでしょう。しかも今日は、事情があったにせよ、抗うつ剤なしです。いつも薬はバッグに入れて持ち歩いているのですが、今日は忙しさにかまけている内に、昼食後にすら薬の服用を忘れていました。遅くなりましたが、この後、帰宅次第に晩飯を食うつもりです。たぶんコンビニでパンかカップラーメンを買うことになりそうですが。肉体的には健康っぽい生活をしていますが、中国に来てから太る一方の慎太郎でしたっ。はやくお家に帰りたい~!人気blogランキングへ
2006.05.15
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喫煙者の慎太郎です。いまから4年ほど前でしたか、新潟県の僻地に住んでいたときに、ちょっとだけうつ病の状態が良くなっていた時期がありました。その頃は調子に乗って、お金が欲しいと思ってアルバイトをしたことがあります。ゲームセンターの店員さんです。もう新潟県の最低賃金で働いていたので、自給は650円でした。それでも常勤で働いていましたので、1ヶ月に7万円くらいの収入がありました。そのときはお金を使いたくて仕方がなかったので、すぐに散財してしまいました。そのとき買ったもので、現在も残っている数少ないものの中に、ジッポーライターがあります。ずっと使っていて、中国に来るときも持ってきていました。ただし、ライター用オイルの缶は、持って来ていませんでした。中国でも簡単に買えると聞いていたからです。しかし実際には、買うことが困難でした。売っていないわけではありません。売っている店に行くだけの時間的余裕が取れなかっただけなのです。最初は「コンビにでも手に入る」と聞いていたのですが、これはハズレでした。大連市内に住む部屋が決まって、近所のコンビニをあらかた探してみたのですが、売っていません。売っている現場を見つけたのは、一昨日の土曜日です。たまたま「勝利広場」という買い物スポットに行く機会があったのですが、そこでは何軒ものお店で売っていました。値段は、ひと缶で20人民元。日本円にして焼く300円です。中国での買い物にしては値段が高いな、と感じていたのですが、ボられました。あとで中国人の恋人に聞いたのですが、「日本人だからボられた」とのこと。「中国人が買えば、8人民元で手に入る」とも言われました。まあそれでも、干からびたライターに、じゅくじゅくになるまでオイルを染み込ませて、ようやく昨晩から使えるように復活させました。一昨夜は、どれだけオイルを注いでも、まったく火がつかない状態だったので、ちょっと不安になっていたんです。今日は、この愛用のジッポーを会社にも持って来ています。安物でちょっと火がつきにくいけど、日本にいたときと変わらぬ働きをしてくれています。何だか、しばらくの間会えなかった相棒が戻ってきた感じがします。人気blogランキングへ
2006.05.15
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えー、日曜日だというのに、会社にやって来てネットをしている慎太郎です。ちなみにバージョンは1.75になっていますので、よろしくお願い致します。さてさて、いきなりですが、今週、日本に一時帰国します。理由は単純で、ビザの延長期限が切れるからです。最初は「中国に渡った後に申請すれば、就労ビザを取得できる」との事だったのですが、共産党政府の方針が変わったらしく、日本にある中国大使館か領事館に行かねばならなくなりました。たまたま、今私が中心になって推進しているプロジェクトがあって、その橋渡しを、日本に住んでいる社長さん(懇意な友人)にしなければならないので、好機会ではあるのですが、本音を書けば、もう日本には帰りたくないかも知れません。矛盾しますが、日本に戻ってビザを取得しないと、中国での滞在を続けられません。以前に、コメント欄に「日本へ帰国する場合、近畿圏へは入らないこと」みたいなアドバイスを下さった方がおられましたが、それは物理的に不可能です。仕事相手に会うのは、日本の大阪府。中国領事館は大阪市。さらに移動費用は、会社から支給されます。自動的に、大連空港から関西空港へ。まだ月給が4000人民元(約6万円)なので、日本に行っても、経済的に行動の自由がありません。中国でなら、この金額で、余裕で人並みの生活が送れているんですけれどねぇ。ともあれ、帰国は5月17日(水)、大連への帰還が20日(土)の予定です。行く前から何ですが、一刻も早く大連に戻りたいです。人気blogランキングへ
2006.05.14
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古くからこのブログをご覧になっておられる方、または現在配信が滞っている私どものメルマガ読者の方、これらの方々にしか分からないと思いますが、この慎太郎、改名をいたしました。なんのことはない、バージョンが1.5から1.75に上がっただけなんですがね。今日は土曜日なのですが、先週あった大型連休(五一労働節)に振り替え休日して休暇日を増やしたために、その余波で出勤しているのです。なので、こうやってちょこちょこと会社のPC触ってます。今日の大連はいいお天気です。このところ、大連に来たおかげで人生楽しくなっていますし、仕事面でも、将来に大きな展望が描けています。分かりやすく金銭面だけを書きますが、この慎太郎、来年には「年収1億円」も夢ではないかもよ!ぶっちゃけ自慢すれば、それだけの貢献を会社に果たしつつある訳です。それもこれもあって、久方ぶりのバージョンアップです。相棒の「泣きぼくろの弱い男」は、この日記を読んでいてくれるのだろうか?おーい、相棒。一言でいいからコメント書いてよ!それと、このところコメントを下さっている皆様。申し訳ありません。日記の執筆時間を会社にいながら捻出していますので、コメントへの返事が困難な状況です。いずれ日本語WindowsXP正規版が入ったコンピュータを入手したら、大連の自宅にもネットを引きます。そうしたら、ある程度きとんとお返事が書けると思います。期待しないで待っていてくださいね!人気blogランキングへ
2006.05.13
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朝ちょっと早めに出勤しました。少しでも余分な時間を作って、ネットに繋がりたかったからです。それでもって、自分のブログの管理画面にアクセスします。昨日のアクセスカウンタの件が気になっていたので、「アクセスカウンターに不具合がある場合は、ボタンをクリックして修正してください。」という文字の横の「修正する」ボタンをクリックします。そしたら、あっという間に、カウンタが元に戻ってくれました。いやー、えがったえがった。昨日の日記のコメントに、友人のjyunnnyannさんが「一から仕切りなおし」みたいなメッセージを下さっていて、それでもいいかなぁという気になっていたのですが、あっけなく復活です。ちなみにもうひとつ嬉しい報告をば。昨夜は疲れていたので、さくっと寝ました。何せその前夜に日付が変わるくらいまで働いていたので、昨日はくたくたでした。やらねばならない仕事を、1日勝手に延期して(ここが事務所責任者の都合のいいことろ)、昨夜は19時に会社を出ました。それで安心したのか、23時くらいには、正体不明になっていました。朝の5時に、すぐ近所にある大連市政府が揚げる旗と同時に鳴るファンファーレが響き渡りましたので、それで起こされてしまいましたが、すぐに2度寝も出来ました。ハッキリと起き出したのは8時です。で、何が嬉しかったかと言えば、昨日は眠剤をのみ忘れていたんです。それでもしっかりと眠れましたよ!かなり熟睡したのか、夢も見ずに眠っていたようです。今日になって、午前中にちょっと気分が悪くなったけど、それなりに良化しながら生きています。人気blogランキングへ
2006.05.12
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やられた、やられてしまいましたっ!久々に自分の管理ページにやって来て、これまでの総アクセス数を見ようとしたら、なな、なんと「0」に戻っているではありませんか!まあ、人生においては微小すぎる出来事ですが、このブログ開設から413日経過。かなりかなりの愛着が湧いておりまして、1日あたりのアクセス数も「58」に乗せていて、もうすぐ60の大台に突入させようかとも期待していたのですが・・・現象的には何のプラスにもならない数字なのですが、心象的には大きな支えになってくれていた数字でもありました。もういっかい、ゼロからやり直しですか。。。ちょっとしょぼーん。ちょっとどころか、実はかなりしょぼーん。皆さん、こんな慎太郎ですが、大連の自宅にPC導入したら、また積極的にやりますよ。それまでは会社からの不定期更新ですが。なのでなので、見守ってやってくださいまし。お願い致しますぅ。m(_ _)m人気blogランキングへ
2006.05.11
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こんばんはの慎太郎です。今日、うちの会社の社長が、日本から大連に戻って(?)きました。約1週間半ぶりに会う社長です。しかも社長がいない間、日本人とまともに、日本語で会話していなかったので、ものすごくエキサイトしてきました。社長はいま、彼の恩人と大連で食事中です。その両人に水を差すのは悪い気がしたのと、こうやって会社でネットをしたいから、食事には参加しないでいます。さてさて、このところ、日本にいる四弟から受けている圧力に苦しんでいましたが、それはそれとして置いておきます。別に私の人生の主題が、四弟との確執ではないと思いますので。で、で、久しぶりに「人生を楽しもう!【うつ病からの再出発】」を選択しました。皆さん、お待たせしました。(って、待ってる人はいないですよね?)なんと言っても、うちの社長は凄い人です。そのことに、今日感謝して喜んできました。久しぶりに日本語で会話した楽しさと書きましたが、別に日本語が無くても大丈夫です。どうやら私個人の蓄積によるものみたいですが、最近は言語を使わないでも思考できます。なので、ボキャブラリが激しく乏しい中国語ですが、それでも中国人と意思疎通しています。仲良しさんもできました。ちなみにいま中国は「五・一労働節」という大型連休のさなかです。昨日5月1日からなのですが、その前に土曜日曜があったので、実質的には9連休になっています(その代わり、うちの会社は5月8日から12日連続で勤務日になりますが・・・)。うーん、久しぶりの更新を繰り返していると、以前のように地味に長い日記が書けませんが、今日うちの社長と会って、働く喜びをかみ締めて来ました。正確には、「おもしろくてやりがいがある仕事」に出会えた喜びですが、こういう喜びが自分にやって来るとは、ついこの前まで想像だにしませんでした。今日の会話の内容は、企業秘密と社長の身の安全が絡まっているので、ここでは書きません。勿体ぶった文章ですみません。でもでも、この慎太郎が喜んでいる事実もお伝えしたくて、こうやって下手な文章を書いているわけなんです。いまは休暇を満喫していますので、連休中に、今度いつ会社に来るのか分かりません。また余裕があれば更新します。私は経験者なので、誤解を恐れずこう書けます。「うつ病万歳。人生万歳。」人気blogランキングへ
2006.05.03
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最近、ここの日記を書くことが生きがいになってきている慎太郎です。一昨日の日記に書きましたが、中国にやってきて以来、最大の抑うつ感に襲われています。一昨日の夜から昨日にかけてが最悪の状態で、ベッドから起き出すことが出来ませんでした。支給されている携帯で会社に電話をかけ、「発熱が酷くて起き出せない」と嘘の理由をついて、休みにしてもらいました。原因になったものはハッキリしています。繰り返し書きますが、四弟から送られてきたメールです。そういうものを気にしていてはいけないと知識では理解していながらも、実際問題となると、とうてい払拭できません。中国時間の17時半(日本だともう18時半ですね)を過ぎて、会社のスタッフのほとんどが帰っていったいま、妙に気分が緩んで、また苦しさに悶えています。家に帰るのは、このしんどさが消えてからになるでしょう。ちなみに、贔屓して欲しい心丸出しで、ここに四弟から届いたメールを掲載しておきます。これを読んだ貴方は、何をどう感じるか、コメントにしていただければ幸いです。四弟からのメール:件名:同害報復> 工藤シンタロウへ>> たびたび、父親にメールを入れておるようだが> かなり独りよがりではないか。>> 我々がいまの時期どれほど多忙かしらないのか。> 休みはなく、朝の9時~22時ごろまで現場でどろまみれになり> 疲れもたまっておる所にだ、やれパソコンだの、本だの頼むのは甚だ迷惑である。> 父親は、英語やインターネットなど不得手のなか、忙しい時期に我々に頼むのは控え> 合間を見て、インタネットーで本を送る手段を探したり、パソコンを2回程送る試み> をして> おる(梱包の問題や重量などで手古摺っておるが、当方は一切関与しないため現状送> れていない)> あきらめろ。>> たまたま、父親のメール印刷文をみたが、貴公何様か?> 調子に乗るのもいい加減にしたらいかがか。> あの携帯電話は当方名義であり、中身が必要であるならば事前にPCにデータ取るな> り、> 事前に貴公において解約手続きをして、携帯本体を授与したい旨を伝えるなりする事> ができなのではないか。> > 何年も収入がなく、身内に散々迷惑をかけておきながら「あやつは社会人としての常> 識がない」か。よく言えたものだな貴様。> > 今回のことで貴公の考えはよく理解できた。> 従って今後、当方としては貴公に一切関与しないし協力はしない。> また貸与しておったPCは、小社所有物であり郵送するつもりはまったくない。> データ等も一切破棄する。(本メール送信後、3時間以内に実行する)> 最後にいっておくが両親に対してクレーム・申し開きを一切するな。僅かでも耳にし> た場合、> 貴公に実害が及ぶように多々模索する。> > > 以上私としては、四弟が、私のことを「何年も収入がなく、身内に散々迷惑をかけて」いたということで非難しているのは理解できます。経済的には、まず一番に義父母、次いで実の両親に、かなり助けてもらいましたから。しかし、それ以上の根拠を示すこともなく、とにかく私のしようとしていることを妨害しようとしているとしか感じられません。中国に来て、日本語WindowsXP(しかも正規版)が入ったパソコンを身近に置きたくて、何度も父にメールを出し、国際電話をかけました。しかし、そのことが直接の理由となって、四弟が激怒しているようなのです。ともあれ、私が自分の金で買ったパソコンを、「また貸与しておったPCは、小社所有物であり郵送するつもりはまったくない。」「データ等も一切破棄する。(本メール送信後、3時間以内に実行する)」と、かなり一方的な解釈の上にデータを破棄してしまいました。このメールを受け取る前は、「せっかく拾ってくれた会社があるんだから、御返しになる程度は働こう」という感じで湧いていた「やる気」も、すっかりマイナス値に逆戻りしています。ちなみに私所有のパソコンについては、最初は「手荷物として中国に持ち込むしかない」という覚悟を決めていたのですが、そこにやって来て、「外付けのHDDを買ってやるから、パソコンを日本に置いていけ」と変更させたのは四弟です。あ、疲れた。また今度、続きを書きます。人気blogランキングへ
2006.04.28
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やられました。中国に来てから初めての、巨大な抑うつ感に襲われています。原因は、かなりハッキリ分かっています。昨日朝に読んだ、日本からのメールです。四弟からのものでした。これに、私のことを逆恨み(しているとしか思えない)事実曲解および、「何年も収入がなく、身内に散々迷惑をかけておきながら」(原文より引用)と書いて、いまだに私の過去の旧悪を責め立てて来ます。これですっかり調子が狂いました。日本にいる両親に、私が日本で自費購入したパソコンを送ってくれるよう頼んでいたのですが、それすら四弟は、> 我々がいまの時期どれほど多忙かしらないのか。> はなく、朝の9時~22時ごろまで現場でどろまみれになり> もたまっておる所にだ、やれパソコンだの、本だの頼むのは甚だ迷惑である。私の要求が迷惑以外の何者でもないと示唆しています。その上、> また貸与しておったPCは、小社所有物であり郵送するつもりはまったくない。> データ等も一切破棄する。(本メール送信後、3時間以内に実行する)自費購入したパソコンを、いつの間にか「貸与していた」「小社所有物」と勝手に決め付けられ、挙句の果てに「データ等も一切破棄する」という処分が実行されています。(四弟からのメールは、一昨夜の21時過ぎに送信されているので、 文面通りだとすると、昨日朝にメールを受信した時点では、データは 消え去っています)もう、なにをどうしていいのか、分かりません。日本にいたときは、四弟から届いた脅迫メール(携帯)を父に見せると、父はさっくりその場で削除して、そのメールが無かったことにしました。今度は、四弟の仕打ちに苦情を書いたメールを送ったのですが、> 父親のメール印刷文をみたが、貴公何様か?> に乗るのもいい加減にしたらいかがか。父はしっかり私からのメールをプリントアウトして、四弟に読ませていたのですね。あー、扱いが違うな~せめて拾ってくれた今の会社の社長に恩返ししたいと思うようになって、正規の日本語WindowsXPが入ったマシンを手元に置きたかったのですけど、(中国では違法コピー品を掴まされてばかりで、ソフトがインストールできない)それも「迷惑」としか、受け取ってもらえないようです。そんなこんなで、昨夕は会社から帰宅して、誰と話すでもなく、ベッドに寝転んでいるうちに、昏睡していました。その代わり、今朝起きてみたら、酷い抑うつ感です。つらいなぁ。人気blogランキングへ
2006.04.26
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はい、今日は2回目の慎太郎です。久しぶりに待ったりネットしていたので、リンクさせていただいている方々のブログを読んでいました。でもって、自分の管理ページに戻ってきてみてびっくり。かなり無礼な人物がいました。詳しい事情は後にして、以下のHNの男に、私のブログへの足跡を残されたくないです。「訪問をしたら挨拶くらいはして下さい。迷惑な素通りは楽天に通報します!!」 ↑これが、問題の人物のHNです。こうやって書くからには、彼はきちんと人様のブログにコメントを残してくれるのではないか、と期待した私の善意が甘かったです。彼は、奇妙な足跡だけを残して、訪問した先のブログ管理人を、自分のブログに誘導することだけが目的です。でもって、訪問した人へのメッセージとして、「僕のブログがアクセスを集める理由はここから知ることが出来ます」と書いてあるリンクがあります。このリンクは罠です。人気ブログランキングみたいな場所に誘導され、無駄に彼のブログの宣伝をすることを手伝わされるだけです。ああー、腹立つ。よくもここまで理性的に文章が書けたよ。>俺「訪問をしたら挨拶くらいはして下さい。迷惑な素通りは楽天に通報します!!」 ↑彼は、単なるテクニックを駆使するだけで、ブログを弄んでいる輩です。私自身も、ブログにアクセスを集める方法を書いた情報商材を買ったクチなので、その悪辣さが、手に取るように分かります。私のブログを汚したことを、逆に非難したい。楽天に通報したい。どなたか、楽天に通報して、このような侮辱的行為を消滅させる方法を知っている方、おられませんか?文面からは伝わりにくいかも知れませんが、いまの私は本当に激怒しています。「訪問をしたら挨拶くらいはして下さい。迷惑な素通りは楽天に通報します!!」に、謝罪を強く求めます。ええかげんにせえよ、コラ。人気blogランキングへ
2006.04.23
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中国に来てからは初の2日連続更新です。慎太郎です。今日も性懲りもなく会社に来て、ネットやっています。中国に来てからずっと続いているのですが、最近はとみに睡眠障害が酷いです。昨日は少しだけ昼寝をしましたが、総じて睡眠不足です。この状態で肥え続けているのですから、よっぽど食事でストレス解消をしているのだなと、改めて感じています。とにかく眠いです。昨日は小一時間おきに目が覚めてしまい、ロクに眠れませんでした。薬はちゃんと飲んでいるのですけれどね。関係ないけど、大連はいま風が強いです。もともと大陸の気候のせいか、それとも海が近いせいか、大連では大風が吹くことが多いです。いまの会社のビル(うちは23階です)の窓が、フューフューーーーーと、不気味な連続音をたてて鳴っています。それと、今日は黄砂が多いです。たいていはこの黄砂のおかげで、くすんだ空の色です。昨日の青空は珍しかったみたいですね。さてさて、この睡眠障害、根本的な解決手段がありません。薬が効かなくなってきているので、正直、焦っています。こちらでは医師にかかっていないし、社長は「慎太郎さん、もう薬なんて必要ないんとちゃうん」と圧力をかけてきますし、理解者が欲しいところです。それに、中国への渡航前に、日本に戻る日(一時帰国)を決めていましたが、どうやら会社の都合で変更になりそうです。こっちへ持ってきている薬は、事前に聞かされた予定にあわせての分しか処方されていませんので、たぶん一時帰国の前に切れてしまいます。もう7年間は薬漬けの身体ですから、切れたときにどうなるのか、それが不安です。仕事自体は楽しいんですがね。日本円が欲しいです。ばくしーし!人気blogランキングへ
2006.04.23
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またもやご無沙汰しています。慎太郎です。昨日、社長が日本に戻ったので、ようやく「ひとりの時間」を持つことができました。ただ、会社が借りていくれているマンションにいても、娯楽が何もないので、パソコンが触れるオフィスに来ています。こうやって自由な時間が出来たら、もっともっとやりたいことがあったという気がしているのですが、実際は羽を伸ばすのが精一杯で、成果がありません。我儘を書きますが、なんにもしないで、畳の上に敷かれた布団の中で、のんびりしたいです。いま、大連の空は晴れています。オフィスの窓越しに降り注ぐ日差しが、とても暖かです。大連は北海道並みの緯度なので、朝晩などは結構冷えます。また大陸特有の気候のせいか、空気が乾燥していて、風がとても強く吹きます。えっと・・・このところ溜まっていたストレスを愚痴にするつもりで、この日記を書いています。が、あまりにも日差しが気持ちいいので、何を書くべきか、忘れてしまいました。個人的なことを申せば、この1ヶ月以上で、かなり太りました。まだブタには達してはいませんが、「クマさん」といった感じです。ぷくぷくしています。その理由を自分なりに考えてみると、・まず食べ物が美味しいこと (そこいらの汚いお店でも、安くて美味い食事が出来ます)・ストレスが溜まりに溜まったことこの2つが組み合わさって、中国に来て1週間ぐらい経過してからこちら、あまりにも食べすぎな日々が続きました。食べるの大好きな副社長が、うちに泊まっていて、それに付き合って食べ過ぎたと言うのもありますが。。。なんというか、今の私には、自制心がありませんね。ふう、また書きます。いま、正規の日本語WindowsXPが入ったパソコンを手元に取り寄せるべく、策を巡らせています。それが叶えば、家にインターネットを引いて、もっとこまめに更新したいです。では、また!人気blogランキングへ
2006.04.22
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慎太郎です。こころが悲鳴をあげていますので、会社の昼休みを使って書いています。今の私は、うつ病の症状がありません。厳密に言えば、どんなに苦しくても、それを表面に出すことを許されない環境にいます。なので、内面に食い込んでくる抑圧は、かなり激しいものがあります。端的に書けば、今の私は中間管理職です。会社の上司と言えば、社長と副社長しかいません。社長は、三弟の願いを聞き入れて、「うつ病で絶望の淵にいた人間を救ってやった」という、ある種の達成感に浸っているようです。副社長とは、中国に来て、初めて会いました。いまは私に「幹部教育」をしている真っ最中です。なにせ大連の会社では、実質トップになった私を動かしているのは、彼ら二人だからです。社長は会社の拡大路線をひた走っていて、会う度に仕事が増えていきます。副社長は、社長が私に要求しなかった(採用の際の条件)課題を、次々と私に突きつけてきます。ところが、社員は私を含めて、社長のコネで拾ってきた「寄せ集め」がほとんどです。他の会社では末席にすら居られない人間が集まっています。日本とはまったく異なる市場を抱えている国ですので、そんな私たちでも働くことは出来ます。逆に言うと、日本では通用しない人材が、トップ両人の思考によって、次々と仕事にさらされているような状況です。多分私は、うつ病を再発します。今の自分にかかってくるプレッシャーが、半端なものではないからです。いまは必死に耐えています。「もう直ってるじゃないの?」という社長に隠れて、日本から持ち込んだ抗うつ剤をのんでいます。ああ、何を書きたいのか分かっているのに、思考がとまります。もう私はただの人形です。自分の意思を保有することが認められていません。家族から売り飛ばされた屑です。お金を稼いでこなかった事実は、ただの罪でしかありません。そのために日本にいたときに、四弟から殴る蹴るの暴行をうけ、「素っ裸にして山の中に捨てるぞ」と脅迫され、「俺がお前を殴ることは合法的だが、金を稼いでいないゴミ屑であるお前が、俺に恨みを持つことは、社会常識上許されない」と踏みつけられました。親は四弟を味方しました。もっとはやく死んでいればよかった。
2006.04.17
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