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身内の恥なので詳細は書きませんが、三弟と義絶状態になりました。 タイトルにも書きましたが、怒髪天を突くといった有り様です。 こんな感情を抱いたのは何年ぶりでしょう。いま精神的にな抑圧感から抜け出しています。気力が復活してるみたいです。 ただ、汚い感情です。 うつに苦しんでいたときの方が純粋であったような気がして、少し寂しい夜です。
2005.12.26
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今夜、父が「ルミナリエを見に行こう」と言い出しました。 神戸ルミナリエは今月22日に終わっています。 話を聞いたら、近在の民間住宅で自主的にやっているとのことです。しかし父の車で、息子・母・妹・私ら四人が乗せられて行ってみたら、電球を残して真っ暗でした。 考えてみたら、クリスマスイルミネーションは昨日でう終わっています。 残念気分をまぎらわせるために、帰りにスーパーに寄って、各自の好きなお菓子を買ってきてました。父がいかくんなど酒の肴も買ったので、小宴会になりました。もっとも飲んでいたのは私だけでしたが。 久しぶりにジョニ黒を出してきて飲みました。美味しいかったです。 お酒が飲めるのも、回復してきて、主治医が許可してくれたからです。抗うつ剤の減薬出来ているからでもあります。 久しぶりに家族大勢が集まって、楽しく過ごすことが出来ました。 健康でいてくれる家族みんなに感謝です。 携帯からのはもどかしいですが、良い一日でした。
2005.12.26
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携帯からの更新です。 楽天はいいですね。パソコンが使えなくても、携帯からブログに投稿出来るんですから。 クリスマスのその日、宝物が私のところにやって来ました。 小学6年生のひとり息子です。 夏休みと比べて身長は伸びましたが、父親である私の前では甘えん坊の男の子です。 一緒に歳三(父の愛犬)の散歩に行き、冬休みの宿題をやって、カードゲームで遊びました。 インターネットにこだわらなくても、一日を楽しく過ごす方法はいくらでもあります。 今年の夏に、帰省中の妹に感じていた嫉妬のような気持ちを克服することが出来たようです。 携帯の入力は慣れていませんのでもどかしさは感じますが、大した問題はありません。 この後、小説『竜馬がゆく』を少しだけ読んでから寝ます。
2005.12.25
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いきなりですが、この冬休みシーズンの私にとっての障害、妹が帰郷して来ました。私より16歳下の妹で、2浪半したので、まだ大学生です。いまは九州にある大学に通っています。その妹が、昨夜九州を出発したフェリーに乗り、今朝早くに家に辿り着きました。私が歳三(父の愛犬)と散歩に出かけていた間に、もう家の中でくつろいでいました。妹が帰ってくると、彼女の部屋を借りている私は、物理的な身の置き所がなくなります。散歩から戻って、二階にある妹の部屋から布団を担ぎ下ろして、両親がリビング兼寝室にしている(家族の多さに比べて、家の部屋数が少ないのです)場所に運び込みます。朝御飯をいただいた後は、とにかく眠くて、その布団で高いびきでした。昼前に起き出してみたら、「アカン、米切らしたワ」とつぶやいている母がいました。普段なら母の買い物のことなど放っておくのですが、さすがに日本人の主食である“米”がないというのは、私にとっても一大事です(ちなみに今日の朝はトーストにさせられてました)。最初は仕方がないという意識が強かったのですが、自ら買い物を名乗り出ました。母は足腰が弱っているので、わざわざ米を買いにスーパーまで行きたくなかった様子。「ワシが買うてくるワ」と言うと、喜んで「ホナ、一番安い米を10キロ買うてきて」とのこと。先日は大寒波で外に出るだけでしんどかったですが、今日はそれと比較すると、まだ暖かいです。最寄のスーパーまで鼻歌をうたいながら出かけ、見切り品の「こしひかり」10キロ2,980円也を買って帰ります。この1年間以上怠けて暮らしてきた私なので、身体(特に上半身)の筋力が衰えています。米の入ったスーパー袋を下げて歩くのは、正直言ってキツかったです。仕方がないので、肩に担いで歩きました。これをやっていると、適度な付加がかかった感じで、爽快でした。ここで反省点。いままでの私は“こころ”を楽にすることばかりに気を取られていて、身体の機能向上には無関心でした。ですが、そんな私も38歳。これからは身体機能の維持向上に努めなければいけないな、と強く感じました。とりあえず犬の散歩以外に、腕立て伏せ&腹筋にトライしてみます。最初は10回ずつ程度から・・・結果として、今日は買い物に行ったきり何もしないで、眠ってばかりいました。いまは妹が外出しているので、こうやってPCを触っています。この夏に妹が帰省してきたときは、「PC触れない、ネットに繋げない」と、嘆くばかりの日々を送っていました。でも、それは愚かなことです。PCを使いたければ、妹に交渉して使えばいいだけなんです。妹は九州にワンルームマンションを借りていて、この部屋は私がメインで使っているのですから。そんな感じで、精神的に開き直りつつある中年のお話でした。人気blogランキングへ
2005.12.24
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今日の早朝4時30分に携帯メール着信。バーの店長を営んでいる三弟からでした。「まだ閉店してないけど、お客さんに勧められて深酒をして酔っ払ってます。悪いけど今日も手伝いに来てください」とのこと。それはいいのですが、さすがに午前4時台に起こされると、ビックリします。もっとも三弟からのメールは、すぐに気がつくように、「威風堂々」のメロディが大音量で流れるように設定しているのは、私なんですが。「今日もお店に行きます」と返事して、再び寝ます。次に目が覚めたのは、午前7時10分でした。“幸いのソフト作りの唱和”をやるべく、午前6時45分に鳴るように設定しているアラームには、反応できていません。飛び起きてすぐに、歳三(父の愛犬)の散歩に行くべく支度します。昨日よりはマシとは言え、寒風吹きすさぶ中、公園を2周してきました。最近は同じ時間帯に散歩していても、以前に見かけたほど犬の散歩をしている人がいません。やはり、この寒さを嫌って出かけなくなっているのでしょうか。戻ってきて、すぐに布団に逆戻りです。しこたま寝ました。朝食を摂るべく起き出したのが、午前10時でした。弟の店の片付けに行かねばという意識は持っているのですが、身体が言うことを聞いてくれません。朝食の後に抗うつ剤をのんで、すぐにまた寝ます。母に起こされても起きなかったらしく、12時20分まで惰眠を貪っていました。そこでようやく意識がハッキリして、「いかん。お店に行かねば」と気付きます。13時前のバスに乗って、地下鉄に乗り換え、一路三宮へ。お店では大量のグラスが私を待っていました。お店のドアの鍵を開けようとしていたら、内側から施錠が外されました。見ると三弟でした。どうやら深酒のあと、私がお店に着く13時半近くまで、店内で眠っていたようです。「全部片付けなくていいから、店内清掃を優先してやって」と言われます。仕事の要領をようやく覚えかけてきたみたいで、最初にやった頃よりスムーズに作業が進みます。これまでの私は“バカ丁寧”で、グラスを洗うにしても、同じところを何度も何度も磨いていました。「念入りにすること」が「丁寧にやっていること」だと錯覚していたのです。物事にはコツとか要領とかがあります。いくら時間をかけて作業をやっていても、効果が上がらなければ意味が希薄です。そのことを体験的に知ったのが、この前オーバーワークをしてしまった翌日です。別に手を抜くのではなく、必要な動作を必要な箇所に応じておこなう。たったこれだけのことを心底気付くのに、かなり長い年月を費やしていたようです。これはバーの後片付けに限った話ではなくて、すべての物事・作業について言えることです。こうやって些細な作業をやりながらも、意識の深いところでは、過去の自分の「過剰」だった心のクセについての反省がおこなわれていました。これに気付いたものですから、効率よく作業できるのが嬉しくなっていました。出かける前までは、「どうせなら仕事をサボって眠っていたい」という気持ちに満ち満ちていましたが、実際に作業をやってみると、これが結構楽しいのです。いままで自分は「怠け者」だと信じ込んでいたのに、それに反する意識が働いていたことに驚きながら、作業を終えてきました。単純なことしかしていませんし、作業量も他人様と比べたら断然に少ない私です。そんな中でも、過去の自分を反省しながら受け入れ、認めることが出来つつあります。自分や周囲を非難したり否定したりする気持ちは、まったく起こりません。周囲に不平ばかり漏らしていたから、いままでの私は苦しんでいたのだと思います。煩雑なこと、手間を取らせることは、正直いって好きではありません。その意味では、私はまだまだ怠け者です。しかし、そのことを嫌悪したり否定したりする気持ちはなくなりました。逆にそれらを受け入れ、自分の存在や価値も認めることが出来る、「両立した心」を持つようになれてきている。そんな気分で帰ってきました。人気blogランキングへ
2005.12.23
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今日も寝たきりの一日でした。朝6時45分に第1アラームが鳴って、すかさず“幸いのソフト作りの唱和”をします。5分後に第2アラームが鳴るので、それを合図にパタリと眠り込みます。今朝はとても寒いです。昨夜の天気予報では、また日本に寒気団が押し寄せてくるとのことでした。昨夜も0時半ごろに眠剤をのんで就寝したのですが、夜中に窓の外を吹く風の音がピュウピュウと唸って、途中何度も目が覚めました(もっとも、その度に寝直しましたけど)。午前8時半になって、ようやく意識がハッキリしてきます。歳三(父の愛犬)の散歩に行かねば・・・と起き出します。もう本当に寒いので、いつも来ているジャンパーの下にフリースまで着込んで出かけました。ドアを開けて呆然。吹雪いています。先週も雪が積もっただの書きましたが、今日ほど酷くありません。豪雪地帯からみたら、まだまだ序の口であることは分かっています。神戸で長年育ってきましたが、この地でこれほどたくさんの雪が降って積もっていく様は、初めて見ました。私より人生が豊富な母も、「神戸でこれだけの雪が降るのんは、初めてやデ」と言っていました。そんな中、公園へお出かけして、犬の散歩です。正直、やってられません。公園には人影がありません。唯一の例外は、なぜか朝から詩吟をしているおじいさんがいたことです。バラバラと降りしきる雪の中、ジャンパーだけ着て、傘も差さずに吟じています。その声を聞いて、歳三が怯えていました。公園から戻って朝食が済んだら、また寝ました。寝ようとも起きていようとも意識はしていなかったのですが、あまりの寒さに布団に潜り込んでいたら、いつの間にか眠り込んでいました。もう今日は、寝たり起きたりの繰り返しをしていただけです。そんな中、布団の中で意識があったときの反省です。昨日の日記で、「私は天に愛されている」と書きました。間違いではありません。が、この考えは「舌足らず」です。天に愛されているのは、何も私一人じゃありません。ただ私が、天に愛されている私を実感できたに過ぎないのです。よくよく思いを致せば、大変なことが起こっている、私と親しくしてくださっている人ご本人が、もっと過激に天に愛されています。うつ病などのテーマで、この日記を読んでくださっている読者の方々。皆様方も、やはり天に愛されていると、私は確信します。私がうつ病になって、生きているだけでつらいと苦しみぬいた挙句に獲得したのは、激しく実感を伴ったシンパシィです。誰かがつらいと言っているとすれば、その話を聞くだけで、その方の苦しみに同調できるというのが、この慎太郎の「ウリ」です。でも・・・そのシンパシィを、苦しさだけに焦点をあてているだけでいいのか?こう問いかけたときに、「否」の返事が帰ってきます。自分のなかからの返事です。人間の感情を大雑把に分ければ、喜怒哀楽になります。それら総てに対するシンパシィを持てるようになっているのではないのか?そういう問いかけが自分におこなわれました。話が変わるようですが、私はかつて、コンピュータゲームのプランナー(企画立案および制作進行)を生業としていました。この必須条件として、「広汎で浅い知識」および「専門分野での深い知識と実感」を、私は指摘していました。欲を言えば、広汎で深い知識のほうがいいに決まっています。ですが、それを有することの難しさも知っています。専門分野での深い知識と実感。これが、広汎で浅い知識と結びつくと、いざ自分が考えるべきゲームの主題が、自分の専門分野以外であっても、追及することが出来ます。広く浅くだけでは駄目なのです。何かひとつ、深い実感を伴ったレベルにまで降りていった経験が必要です。それがあれば、自分の専門分野以外に足を踏み入れる場合でも、新たに深く掘り下げていくことが出来ます。話を戻します。私がうつ病になって獲得したのは、苦しいということに付いての、深い実感です。当事者として苦しみましたので、当然といえば当然です。ですから、苦しみの渦のなかにいる人に対しては、簡単にシンパシィを働かせることが出来ます。でも、それだけが人間ではありません。喜怒哀楽、すべてを併せ持つからこそ、人間だと私は信じています。そうすれば、その喜怒哀楽すべてに対するシンパシィを抱いて、はじめて完結性を持つことが出来ると考えるようになりました。そうやって視野を広げていったとき、「嗚呼、自分だけが天に愛されているのではない」と気付きました。「天」のなかに含まれる総ての存在に、天からの愛が降り注いでいるのが見えたのです。私は天に愛されています。それと同時に、あなたも天に愛されています。たいせつなのは、天から降り注ぐ愛に気付くこと。言葉にすれば簡単ですが、理解するのに、私は38年以上の人生を費やしてきました。人気blogランキングへ
2005.12.22
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天という言葉をご存知でしょうか?戦国時代の日本では「天下統一」とか「天下一」とかいうように使われていたそうですね。私は「天下」というのは、あまねく天の下という意味だと考えています。もともと、この「天」という概念は、中国の古代王朝の周(しゅう)という国を建てた民族が持ち込んだものらしいです。それまでの中国では「帝(てい)」という祖先神みたいなものを信仰していたそうです。周王朝によって「天」の概念が導入され、いま(昔から)の日本に伝わっていようです。さて、この「天」。これは古代の信仰の用語ですが、いまでも残っています。古代周王朝の人々が考えていた「天」を、現代日本に生きる私が少し言い換えます。「我々が住んでいる宇宙を含めた総ての存在」これを「天」と言い換えてもいいように考えます。キリスト教などの一神教の用語を借りれば、すなわち「神」ということになるでしょうか。なぜ今日はこのような宗教問答とも受け取られかねないことを書いているのかと申しますと、いまの私は「天」によって生かされていると、強く感じているからです。断っておきますが、気が狂ったわけではありませんよ。さきほど、深く感得するところがあったのです。西洋の言葉でいうと“インスピレイション”ということになるでしょうか。今日のタイトルにも書きましたように、「天に愛されている」と深く感得した私が、ここにいるのです。いまの私には、とても深く親しくお付き合いさせていただいている方がいます。その方のことを、とても大事に想っています。詳しい事情を書いてしまうと、その方のプライバシーを侵害してしまいますので、ここでは書きません。とにかく親しくしているひとはがいるのだとだけ、お知りください。その方が、とても言い表せない困難な状況に陥っています。(ここでもピントをぼかすために、曖昧に書いています)そのことを間接的に伝えられて、私もとても苦しい気持ちになりました。これでもうつ病患者の端くれですから、人様の痛みを、あたかも自分のものであるように感覚できるようになったことが、この病気にかかった“利点”でもあります。ひとつのシンパシィの能力と言ってもいいでしょう。とにかく相手も苦しい、それを知った私も深く悲しい、そんな状況です。ちょっと前までの私なら、そのような苦しい自体からは逃げ出していたことでしょう。でも、いまは違います。その事実を、真正面から受け止めたいと願っています。ですが、心持ちはどうであれ、苦しい状況に変わりはありません。実は先ほど途方に暮れて、呆然としていました。そこに天啓が来たと言っていいでしょう。「天に愛されるもの」それはこの私、慎太郎です。しかしこれは、天に与えられた試練でもあります。(実はこの日記を書いているときにあるメールが届いて、自体が急変して警察のお世話になっています)いくら苦しくてもいいです。この試練を乗り越えられますように。そして、天からの愛情が、たくさんの人々に降り注ぎますように。人気blogランキングへ
2005.12.21
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今日も三弟(バーのオーナー店長)のお店を手伝いに行ってました。昨日を完全休養日に当てていたのですが、今日まで疲れを引きずっています。昨夜は0時半ごろ就寝。弟からの出勤要請は、だいたい朝の5時過ぎに携帯メールに届きます。今日もそうでした。メールの着信音で目覚めます。見たら、弟からの出勤要請。正直、「今日は勘弁してくれ、まだ眠たいんだ」と思いながらも、「作業量は多いの?」という質問を書きます。すぐに返事があって、「かなり多め」との知らせが届きます。それならば早く起き上がって、お店に行かなければ・・・と思うのですが、それは思考にとどまっていて、実際に起き出すことができません。“幸いのソフト作りの唱和”をするためにセットしているアラームが鳴っていた筈なのですが、それには気付かずに熟睡していました。歳三(父の愛犬)の散歩に行けと母が起こしに来ていたようですが、何度呼びかけても、私は目覚めなかったらしいです。そんなこんなで、実際に起き出したのは12時20分です。(あ、その前に、一旦は午前9時ごろに起きて、朝御飯をいただいています)そこから支度をして、一路、三宮に向かいます。お店に着いたのは、13時40分ごろ。店内に入ってみると、それなりの作業量が残っていました。でも、今日は出来るだけやってみようという、挑戦の意欲がありました。身体は疲れているのですが、精神的にはめげていませんでした。グラスを洗い拭いてを繰り返し、どんどん食器棚にグラスを戻していきます。それが済んだら、今度は陶磁器の皿類を洗って乾かして、仕舞います。それが済んだら、鍋類やタッパウェアを同様に・・・食器を全て仕舞い込んだら、店内の床清掃とトイレ清掃。最後にゴミ出しをして、ドアに鍵をかけて帰ります。終わったのは17時20分ごろでした。途中、タバコ休憩をこまめにとりました。精神的に疲れそうになったら、タバコを吸っての気分転換です。これで楽に行きましたが、口の中はヤニで気持ち悪いです。(それでもタバコを止められないのが愛煙家…)地下鉄とバスに揺られて帰って参りました。家に戻ってから気付いたのですが、腰の痛みが酷いです。あと、土踏まずのあたりの筋が痛いです。立ちっぱなしの仕事だから仕方がないのですが、帰り着くまでは、緊張感からか意識に上ってきませんでした。とにかく、今日はメルマガを発行しなければなりません。号外を昨日に出していて、今日の19時を目標に発行しますと、発行延期の宣言をしていた後なのです。しかし、家に着いたら、18時半になろうとしています。19時発行は諦め、少し休憩をとります。精神的なダメージはなかったのですが、家に帰りついたことで、緊張感から開放されて、疲れが出ていたのを感じていましたから。それから一所懸命メルマガを書きます。ネタはすでにあったので、後は書くだけでした。今日は精神病の方には読んで欲しい内容になっています。「こうやって自分自身を追い詰めていったら、精神分裂しそうになるほどツライよ」ということを書いてあります。そして、そこから私が脱却した思考のルートを示してあります。ただ、書いているときは長い文章のような気がしたのですが、改行を多用したので行数が増えただけで、読み返してみるとあっけないです。本日の21時に配信しました。メルマガ読者でない方、以下のURLで読んでみてください。 「うつ病患者と泣きぼくろに弱い男の往復書簡」メルマガの配信予約が終わって一安心。晩御飯をいただきに台所へ下りました。昼間では寝ていましたが、ハードワークであっても精神的に自分を追い詰めなかったことが、ひとつの自信になりました。とりあえずメルマガも(自分としては)有意義なものが書けたので、そこでも満足感があります。ただ欲を言えば、一昨日から読むのを再開した小説『竜馬がゆく』を、もっとたくさん読みたいです。だから弟よ、なるべく俺を呼ばなくていい程度に繁盛してください。人気blogランキングへ
2005.12.20
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今日は、とことん休みました。毎週月曜日に発行予定のメルマガも休みました。1日のほとんどの時間を布団のなかで過ごしました。昼間は窓越しに青空を眺め、退屈したらMP3プレイヤーで音楽を聴きます。良いですね、MP3プレイヤー。コンパクトなのでお腹の上に置いて、布団の中に潜り込んだまま操作します。そうやって、だらしなく過ごしていると、知らずに眠り込んでいる時間も多かったです。ちなみに昨日の作業は私にとって過酷でしたが、精神的には全然疲れていません。立ちっぱなしの仕事なので、腰・膝・足の裏の筋肉(?)に、痛みがかなり残っています。問題は体力や筋力でしょうか。精神的には、慣れればどうってことはない、そんな気もします。ただし、いま三弟(バーのオーナー店長)から回してもらっている仕事に、満足しているわけではありません。リハビリの機会とお小遣いをくれる三弟には、はなはだ感謝しておりますが、私の能力を活かしきれる舞台は、やはり、ゲーム製作などのクリエイティブな作業です。今やっていることも次第にそこに繋がっていくと勝手に解釈して、明日を夢みて生きて行きます。そうなったら、現実には企画書を書かないとね。明日以降、頑張ります。今日は休養日なので、日記も短く終わります。コメントくださった方々、ありがとうございます。私のペースでゆっくりと返事を書かせてください。よろしくお願いします。人気blogランキングへ
2005.12.19
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昨夜も調子に乗って、午前2時ごろに就寝しました。今日が日曜日なので、三弟(バーのオーナー店長)からの出勤要請はないもの、と高をくくっていたのです。夜中が寒すぎて、2回はトイレに目覚めました。せっかく投入した電気アンカが効果を発揮してくれません。たしか昨日の天気予報では、マイナス42度の寒気が日本にやって来るとのこと。朝も寒すぎたのでしょうか、6時45分の第1アラームで、ぱっちりと目覚めてしまいました。条件反射的に“幸いのソフト作りの唱和”をします。5分続けたら、今日はちゃんと目が覚めて、そのまま着替えて歳三(父の愛犬)の散歩に出かけます。外に出たら、神戸にしては珍しいくらいの積雪(うっすら地表を覆っている程度なんですけれどね)。昨日、公園の芝生や土の地面の上だけに積もっていたのとは、わけが違います。アスファルトもなんもかんも、すべて雪で覆われています。歳三を連れて公園を歩きますが、あまりの寒さに、まともに歩けません。今日みたいな寒い朝は、通気性の良い靴なんて要らないですから…帰ってきて、今日は珍しく、特撮TV番組の「仮面ライダー響」をリアルタイムで見ます。その分、朝の瞑想をサボってしまいました。このころには、すでにして寒さによって血行障害が起こり、うっすら意識が遠のいていますので、瞑想やったら、そのまま沈み込んで眠ってしまう恐れがありましたので。その後、朝御飯をいただきます。食材を切らしていたので、納豆ご飯だけをいただきます。しばらく母とぼんやりTVを見て会話したあと、部屋に戻ります。まだ午前9時台なのに、もう二度寝する気満々です。澄んだ冬の空気を通して、まぶしいくらいに空が青いです。窓ガラス越しにそれを眺めながら、自分はひとりぬくぬく布団の中。至福の時間です。ところが、午前10を過ぎた辺りで携帯の着信音が、高らかに鳴ります。この着メロは三弟からのものです。慌ててチェックすると、「いきなりで悪いけど、今日も手伝って欲しい」とのこと。今月に入ったころ、「客足が少なすぎてヒマだ~」と三弟が嘆いたのを、父に伝えておきました。それを伝え聞いた四弟(父の会社の経理を司っている、実質経営者)が心配して、「俺の友達集めて、店を貸切にして飲みに行く!」と申し出ていたそうです。その貸切パーティ(?)が行われるのが今夜です。本来ならお店は休みの予定の日曜日。しかし四弟の好意に喜んだ三弟は、風邪なんかどこにいったという感じで、嬉々として受諾していたみたいです。「午後には着く」と返信しておいて、眠りそこなった感じで出かけます。13時前に出発、13時半にはお店に到着していました。お店の扉の前で鍵を差し込んでいたら、いきなり内側から施錠が外されました。ちょっとびっくりして立ちすくんでいたら、三弟の奥さんでした。てっきり店には誰もいないと思っていたのですが、今夜の準備を万端に整えるべく、奥さんまで手伝いに来て、夫婦寄り添って仕事をしていました。それでも彼らは、せっかくの日曜日に家族で過ごせる時間を確保すべく(彼らの間には二男一女が授かっています)、早く家路につくための支度でした。私はその横でグラス洗いにグラス拭きをこなしていきますが、彼ら夫婦は、家族で過ごす時間を少しでも長くしたいみたいでした。ある程度の時間が過ぎたら、弟夫婦は帰り支度を整えています。三弟は私に、「今日は食器洗いだけじゃなく、奥の厨房の中にあるフライパンや鍋類を洗うのも頼むワ。全部やっておいて」と告げ、あわただしく帰っていきました。残された作業量を見ると、昨日より少ないものの、結構な分量があります。まずはグラスだけでも完璧に片付けておこう、そう考えて作業を進めます。昨日から続いている手あれと腰痛を感じながらも、そんなことで泣き言をいってられない切迫感に支配されていました。グラスを洗っては濯ぎ洗っては濯ぎ、隣の乾燥棚で乾きかけてきたグラスを綺麗に磨いては、食器棚に戻します。この作業を延々と繰り返した後、ようやく陶磁器の食器類の洗いにとりかかります。この時点で15時半、まだ今日は昼食をとっていませんでした。泣きそうな思いで食器を洗い、灰皿(お客様に出すための小さな皿をたくさん)を洗います。あっという間に1時間以上が経過していました。異変は、そんなときに起こりました。立ち眩みです。洗ったお皿を布巾で拭いているときに、目の前が真っ暗になってきました。「皿を落として割ったらヤバイ!」私の危険信号は、そっちの方向に向かってしまいました。何度も視界が暗くなるのが去るのを待ち、皿を拭いてはカウンターの上に積み上げていきます。それらが終わって棚に戻そうかと思った頃には、眩暈までしていました。「この状態で食器を触るのが怖い」そんなことを感じていましたが、その次にようやく気付きました。「自分の体調が悪くなっているじゃないか」「昨日は自重できたのに、今日は気付かずに無理をしていた」自責の念とともに、焦りが湧き上がってきます。「どうしようか」と悩みましたが、もうこれ以上、いまの自分に負担をかけては後日が悪い。そう判断しました。10分くらい躊躇した後、三弟の携帯に電話をかけます。「兄ちゃん、どうないしたん?」「作業はだいぶん進んだけど、皿をしまおうとしたら、眩暈に襲われてナ・・・」「大丈夫か?」「いや、しんどい。なので電話した」それから弟に自分の状態や残りの作業量を報告します。弟は私の体調を気遣ってはくれましたが、四弟がくるための準備に怠りを出したくない様子でもありました。幸い、それほどの作業は残っていないので、後からくる弟に指示を仰いで、彼が作業を引き継ぎやすい状況までセッティングしました。それからゴミ出しをして、家路につきました。気分が悪くなって、地下鉄の駅で電車待ちをしている行列に入ったときは、倒れそうにも感じましたが、なんとか立っていました。地下鉄で座れるように、一台遅らせたのがよかったみたいです。最寄り駅に着いて、そこからさらにバスに揺られるのはつらいので、親に泣きつきました。家に電話して、父にクルマで迎えに来てもらいました。もうすっかり暗くなった空の下に立ちながら、冷気で頭が冷やされていくのを感じながら、「ああ。緊張感して、頭のほうに血の気が回っていたんだ」と気付きました。頭が冷えていくのは気持ちいいですが、足元が冷え切って、背中に悪寒がしています。永遠に思えるほどの10分間が経過し、父のクルマが駅前まで来ました。それに乗り込んで運ばれながら、「今日はオーバーワークを、自分に課してしまった」「弟夫婦の期待感に応えようとしか考えていなくて、自分の状況を無視していた」反省点です。それでも、今日最後に三弟と電話を交わしたときに、その背後で甥(弟の息子です)が、「お父さん、なあお父さん!」と、幼い声を上げていたのが、耳に残っています。ごめんな。おじさん、君らの家族団らんの時間を守ってやれなかった。人気blogランキングへ
2005.12.18
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昨夜はいろいろあって、午前2時に眠剤をのんで就寝。寝る前に電気アンカを足元にセットしたので、もう寒さに震えながら眠らなくてもいいようになりました。科学の進歩(って、アンカは私が生まれる前からあるけど)に感謝ですね。早朝5時に携帯メール着信。三弟からでした。三弟からのメールは、特別に大音量がなる着メロにしているので、一発で目覚めます。仕事の依頼でした。昨夜はかなりのお客様にお越しいただいて、もう片付けが大変とのこと。なるべく早く店に行く旨を伝えて、また眠ります。午前6時45分に第1アラーム発動。飛び起きて“幸いのソフト作りの唱和”をします。それから5分経過。第2アラームが鳴ったので、バタリと倒れるように、再びの眠りに就きます。だって朝が寒いから。自然に目が覚めたら、もう午前8時を回っていました。「春眠暁を覚えず」とありますが、冬の朝も布団が恋しいですね。とにかく、歳三(父の愛犬)の散歩があるので、飛び起きて着替えます。昨夜もしくは今日の早朝に、降水があったのでしょう。家の前の地面が濡れていましたが、実際に踏んでみると表面が凍りついていました。公園に着いたら、芝生や土の道など一面が薄い雪に覆われていました。ここ神戸では、この冬の初雪です。散歩が終わって、しばらくくつろいだら、支度を整えて弟の店(神戸は三宮にあるバーです)に出発です。のんびりして出かけた分、到着が遅れましたが、午前中にお店の前に立っていました。店のドアの施錠を外してみると、ドアを開けていきなりのところに、誰かが寝ています。いつものパターンで、仕事に疲れた弟が仮眠をとっているのだろうと思い、静かに入ります。そうしたら、もっと奥のほうから「慎太郎兄ちゃん、もう来たん」という声が聞こえます。ふとそちらを見ると、実物の弟がいるではありませんか。驚いて入り口の人影を見ると、全然別人が爆睡しています。「???」と首をかしげていたら、「ああ、その人、お客さん」との弟の声。ようやく店内の灯りをつけてみたら、弟とお客さんのふたりが、椅子を連ねて横たわっていました。どうやら深酒をしたお客さんも一緒に、仮眠をしていたようです。弟は私の気配で起きましたが、お客さんは眠ったまま、ピクリともしません。起こさないようにそーっと動いて、カウンター内に入ります。カウンターの中は、おびただしい数のグラスと食器が、積まれ並んでいます。一目で分かりましたが、いままで一番多い作業量です。「こりゃ気合を入れねば!」と思うと、眠っているお客さんのことは、気にならなくなっています。まだ寝ぼけ眼の弟を尻目に、どんどんグラスを洗って拭いて、片付けていきます。そのうち弟もちゃんと目を覚まして、店内の伝票整理や在庫確認をしています。お客さんも目覚め、弟も店内の整理がついて、前後してふたりが去っていきました(弟は、私が店の片付けをしている間に仕入れです)。残された私は、黙々と作業をこなしていきます。はじめてのころと比べると、格段にグラスの扱い方が素早くなっています。それでも、なかなか減ってくれないグラスの数。気が遠くなります。途中何度かタバコ休憩を入れましたが、延々と働き続けて、あっという間に16時を迎えました。全部を片付けられませんが、一応の区切りも見えてきました。区切りが見えたとはいえ、まだ作業は残っています。「しんどいな」「でも、これ全部を片付けたら、弟は楽できるだろうな」そんな考えが浮かび、なかなか作業をやめられません。弟からは、「これを全部ひとりでやろうとしたらアカンで」と、釘をさされていました。そのことを思い出し、なおかつ自分の疲労の度合いを考えて、作業を中断する決意をしました。この「中断」の決意が出来ずに、どんどん自分を追い込んでいたから、うつ病になった私がいたのです。ひとつ、大きな反省をしました。「ようし、今日はここまで頑張ったから、そのぶん弟も楽できる」「あとは店内とトイレの清掃だけしてから帰ろう」そう考えると、作業を中断する後ろめたさもなくなっていました。店を後にして、三宮の街に出ます。神戸では、震災以降、「神戸ルミナリエ」なるものを毎年開催しています。私は実際に見たことがありませんが、ものすごく綺麗なイルミネーションで、元町から三宮(どちらも神戸市のなかの地名です)に続く道が飾られ、ライトアップされているそうです。そのルミナリエに向かうお客さんたちでしょうか。もう寒い風が吹いている夕暮れの街中を、駅を背にしてすごい数の人々が、どんどんと通りに吸い込まれていきます。それを見ながらの私は、「うへぇ、こんな人ごみは勘弁」と思いながら、地下鉄のホームに向かいます。実際に働いたのは、11時半から16時40分くらいまで。タバコ休憩はありましたが、昼食は抜きでした。くたびれて乗った地下鉄に揺られながら、弟にメールを書きます。「慎太郎です。区切りがついたので帰ります。まだシンクに皿などが残っています。グラスはたいがい洗いました。掃除も済んでいます。残りを頼みます。」それからバスに乗り換えて、一路家路に向かいます。そんなバスの中、携帯にメール着信がありました。バスを降りた後に確認してみると、弟からでした。「お疲れさま、ありがとう」この一言に、ほっと暖かいものを感じた、冬の日没後でした。人気blogランキングへ
2005.12.17
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昨日行けなかった(行かなかった)ので、今日、心療内科へ通院してきました。朝はまたもや寝坊して、7時18分起きです。それから大急ぎで“幸いのソフト作りの唱和”をします。ただ途中で、焦って唱えても意味がないと判断し、今日は3分間で切り上げました。それで急いで、歳三(父の愛犬)の散歩へ出かけます。帰ってきて朝食、メールチェックなどを簡単に済ませてから、風呂に入ります。うちは男どもが帰ってくるのが遅いので、夜に風呂に入る者はおりません。なんとなくその風潮に染まってしまって、私まで夜に風呂に入りません。暇なのに・・・そんな次第で、このところめっきり冷え込んでいた身体を、湯船に沈めて温めます。今更ながら、熱いお風呂に入る快感を実感してきました。今日も寒いですが、身体が冷えないように十分に乾かしてから、病院に出発。向こうに着いてからはとんとん拍子で、診察券を受付に出して、ソファに腰掛けた瞬間に、名前を呼ばれます。診察室では、このところの精神状態の向上と安定を報告します。また、まだ睡眠がたくさん必要で、よく昼間まで眠っていることも報告します。結果的には、主治医からは安心材料ばかりを教えられてきました。まず眠気ですが、これは不安障害からくるもので、緊張を強いられた後などに強い疲れがでるので、それが眠気となって現れていること。その眠気は、いずれ働くようになれば、昼間に疲れが集中して、そうなれば夜にまとめて熟睡できるようになるとのこと。私のうつ病は、さらに細分化すると、「全般性不安障害」と「気分変調症」に分類されるそうです。その不安を強くする精神傾向から、自分を客観視できずに、不当に低い自己評価しかしていなくて、それがために苦しんでいたことを諭されます。この前受けた「職業適性検査」は、「慎太郎さんの能力は、ご自分で思っているほど低くはないですよ」ということを数値で証明するために実施したことを打ち明けられました。「本音を言えば、それほど能力が高いのに、なぜ『働けない』ばかりを繰り返していたのか、怒鳴ってやりたい気持ちを抑えていたんです」とも言われました。ここまで言われて、「俺は大丈夫」ということを、強く再認識してきました。去年の春過ぎに新潟の県立病院で診断された「境界性人格障害」は、「どう考えても誤診」だそうです。その証明にと、アメリカと日本と、それぞれ出版されている精神病の病名一覧の本を見せられ、「アメリカでは学界的に境界性人格障害というコトバを使っていますが、日本の医学会には、その言葉自体が存在していないのです」と説得されました。また、「今日これまでの経過を振り返ると、慎太郎さんはキレイなうつ病で、それ以外のなにものとも診断できません」とも言われてきました。去年は「境界性人格障害」という診断名を見下して考えている妻に、散々ののしられけなされて、自分の存在を自分で否定するしかない精神状態まで追い込まれていました。自分でも追い込んでいました。でもほんとうは、どんな病名でも、自分を否定する必要なんかないんです。他人の価値観にあわせて、自分に対する評価を低くする必要なんか、まったくなかったんです。そのことに気付いて、主治医に対する深い畏敬の念が湧いてきました。私は「医者」という人は、医療点数でお金を稼いでいる商売人だと、なかば諦めのような感覚で接していました。だから、この日記で言葉を使うときも用心して、「医者」としか書かないことが多かったと思います。しかし、今日は私の主治医がこの先生でよかった、と思いを改めてきました。ですから、その場で考えを入れ替え、初めて主治医のことを「先生」と呼んでみました。そのことに気付いたのでしょう、主治医も嬉しそうに笑ってくれました。医師と患者、心が通いあった瞬間でした。もうこれからの私は、一進一退はあっても、うつ病からの回帰に向かっていくことでしょう。ただ治っていくだけではありません。この病気になったからこそ感じられる、“すべてのものへの感謝”を抱いて、この先の人生を歩んでいけます。その意味では、「先生、ありがとう!」と、心の中で叫んできました。後は追記ですが・・・診察を終えた待合室で清算とカルテを待っているとき、TVから、野球の球団オリックスの前監督・仰木彬さんの死去のニュースを見ました。この方は、阪神淡路大震災のあとに「がんばろう神戸」の呼び声のもとに、オリックスブルーウェイブ(当時)をリーグ優勝、翌年には日本一に導いた監督です。「がんばろう神戸」。この言葉に、震災後の神戸に生きる私たちは、訳の分からん混乱のなかで、大きな勇気をもらっていました。そのことを思い出していたら、涙が出てきました。主治医への感謝もあるでしょう。当時のオリックスならびに仰木監督に対する懐かしい喜びと感謝もあります。それから、それから・・・数え上げればきりがない感謝が、たくさん溢れています。もちろん、この日記を読んでくださっているあなたにも、いっぱい感謝です。ありがとう×ありがとう!さらに追記。今日は抗うつ剤の減薬までしてもらって来ました。これから良くなって行くぞ!人気blogランキングへ
2005.12.16
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昨夜は、0時半ごろに眠剤をのんで就寝。例によって、スコンと眠りに入ります。多分明け方ですが、変な夢を見ました。なぜか学者みたいな人たちに混ざって、私がシルクロードの研究をしているのです。東洋史と西洋史の学者の、共同研究みたいでした。私たち東洋史研究者が何かの発表をしていると、西洋史側の研究者が、途中でどんどん口を挟んできました。そんなフランクな感じでいいんだ、と思って、妙に親密感を覚えました。こんどは西洋史側の発表です。途中で意見を述べたくなったので、軽口みたいに喋りだしました。すると発表していた西洋史の学者(さっき、こちらの発表に口を挟んでいた人)が激怒して、「他人の話の途中に、口出しするな!」と怒鳴られました。理不尽だなぁ、と気落ちしたところで、目が覚めました。まだ午前5時にもなっていませんでした。幸い、昨日苦しめられた眩暈がなくなっていたので、トイレに用を足しに行きました。歳三(父の愛犬)が玄関で吠えていたので、何事かと思って見てみると、当の本人(本犬?)は健やかに寝ています。犬も夢を見て、吠えるということがあるのでしょうか。それから二度寝し、午前6時45分のアラームで起き出し、“幸いのソフト作りの唱和”をします。ただし、5分後に鳴る終了のアラームで、また布団に潜り込みました。そこからの記憶がありません。目が覚めると、午前10時35分くらいでした。母と歳三がいません。どうやら私の代行で、母が散歩に行ってくれていたようです。戻ってきた母にそのことを確認したら、「アンタ、何遍起こしても、起きひんかったやん」と言われました。起こされた自覚が全くないので、ちょっとびっくりでした。今日は木曜日で、隔週木曜日に通院することになっているのですが、午前の診察に間に合いません。なにせ、ウチからかかりつけの心療内科まで、1時間半以上かかりますから。午前の通院を諦めて、朝御飯をいただいてから、また寝ます。昨日も書きましたが、私の布団は万年床状態です。昼間起きていて、夜にもぐるとむちゃくちゃ冷えていて悪寒を感じるのですが、しばらく潜り込んでいると、体温が浸透して、暖かく気持ちよくなり、抜け出すことが出来ません。今日がまさしくこのピークで、布団の誘惑に負けてしまって、起き出そうという意識が、これっぽっちも働きませんでした。今度起きたら、15時を回っています。午後の診察は17時からですが、外出しようという意欲がありません。母には「通院は明日にする」と言って、16時からの犬の散歩にだけは行ってきました。今日は、昨日一昨日よりも暖かかったみたいで、16時の夕日を浴びていると、うなじがぽかぽかしていました。しかし冬の日暮れは早いです。すぐに日陰になって、どんどん冷えてきました。歳三に引っ張られるというより、歳三を引っ張る感じで、どんどん歩いて身体を温め、冷えないようにして帰ってきました。まだ、ちょっと偏頭痛が残っていますが、身体は昨日より、はるかに楽です。夕方からは音楽を聴いたり、メルマガを読んだりしました。ただ、最近、このパターンがマンネリにもなっていますので、変化が欲しいところでした。そこでふと思い出して、読みかけだった『竜馬がゆく』の第二巻を取り出して、読み返しました。かなりの期間、中断していましたので、ストーリーの続きが分かりませんでした。とくにいつまでに読み終えなくてはいけないという期限もありません。そこで、以前読んだ箇所から、読み直しました。薩摩藩の攘夷派が京の寺田屋に結集しているのですが、これを鎮圧するために、藩主の父(薩摩藩の実説的な支配者)が、同じ攘夷派の藩士たちを暗殺団として送り込んできました。過激分子は処分されますが、竜馬はこれを悼みます。そこで寺田屋に行き、三味線を弾きながら唄をうたったところまででした。うーん、新しいことをやっていないので、ちょっと不満が残る一日でした。が、『竜馬がゆく』を久しぶりに読めました。以前読んだ箇所なのに、竜馬の気持ちが深く伝わってきて、もらい泣きしてしまいました。小説って、面白いですね。人気blogランキングへ
2005.12.15
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お寒うございます、慎太郎です。いやー、今日はきつい寒さでしたね。もともと血圧が低い私には、過酷な一日でした。実をいうと、昨日と今日は朝定刻に起きられてないんですよ。アラームが午前6時45分と50分に鳴るのですが、まったく気が付かずに熟睡していました。昨日も今日も、起きられたのは午前7時18分でした。そこで慌てて“幸いのソフト作りの唱和”をしました。毎日続けられている、自分を良くするための習慣は、これだけです(とほほ)。昨日からヤバイなと感じていたんですが、布団に横たわったあとに、すごい眩暈がしています。あと、たまに視界がブラックアウトします。ともに意識はしっかりとしているんですがね。今日なんかは寒気を感じたので、敷きっぱなしの布団(万年床ともいう)に潜り込んだら、その布団が冷え切っていて、横になったとたんに悪寒に襲われるんですよね。次の瞬間には、眩暈です。寝転んで見上げた天井(というより屋根裏)が、グルグル回っています。気分が悪くなって目を閉じるのですが、回っている感覚は続いていたりします。で、布団から抜け出すと、起き上がったときに、また眩暈です。階段を下っていると、視界がブラックアウトします。精神的には全然つらくなくて、「遊びたい」という気持ちに満ち溢れていたのですが、こういった症状には閉口しました。先々週の通院時に、主治医から「セロトニン不足による抑うつ感は、いまのあなたの中で2割です」とは言われています。だから、これがうつ病でつらい精神状態だとも思いません。むしろ、抗うつ剤の副作用でしょうか?この強い寒さも、大いに影響していると思うのですが。とにかく、眩暈がしていないときでも、手や足の末端がつめたく冷えていて、おかしくなりそうでした。借りている部屋に設置されたエアコンをフル稼働させているのですが、床に近い低いところは、全然、暖まりません。21時前に台所に下りて行き、ガスファンヒーターにあぶられながら、晩御飯をいただいてきました。食事そのものの時間は短く済んだのですが、ファンヒーターの前から離れたくありませんでした。なのでずっと、台所に置かれた小型TVで、ドラマ「相棒」を見ていました。謎解きをする警部さんの台詞が古典的なのですが、主演の水谷豊さんが淡々と演じておられて、抵抗感なく楽しめます。うーん、今日も何にもしませんでした。強いて言えば、布団のなかで眩暈に襲われているときに、昨日ご紹介したMP3プレイヤーで、平原綾香さんの「ジュピター」を聴いて、慰められていたくらいです。深みがあって、包み込んでくれるような、いい曲です。人気blogランキングへ
2005.12.14
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先週の末に、四弟(父の会社の経理)からお小遣いを貰っていました。その前から欲しいものがあったのです。Rio Rio Unite 130 256MB スカイブルーそうです。最近主流になってきたMP3プレーヤーです。iPodが欲しいところですが、値段が高くて手が出せません。そこで価格比較サイトとにらめっこしながら、「お金が入ったら、コレが欲しいな・・・」と妄想ショッピングしていました。そこへ四弟からのお小遣いです。上記商品のお値段は8,500円。しかも税込みで送料・代引手数料とも無料です。在庫数が限定でしたので、急いで注文しました。そしたら昨日の午前中に届きました。昨日やろうとしていたことを全部中断して、遊びます。MP3ファイルを作ろうとしたら、マイクロソフトのメディアプレイヤーVer.10で簡単に、CDから変換できます。時間もそんなにかかりません。後はUSB接続して、エクスプローラーでコピーするだけで、音楽を持ち運べます。今日は事情があって、最寄の総合病院(以前は国立病院でした)に行ってまいりました。昨年1月に発症した「突発性難聴」の治療をしに行けと、これまた四弟から命令され、別途治療費も渡されていたのです。ちょっとだけ悲しい話を書きます。この「突発性難聴」は、新潟県にいたときに発症していたものです。そのときも、その地の総合病院の耳鼻咽喉科に通い(その前に個人開業の耳鼻科に診てもらったのですが、「ウチでは治療できない」と拒否されて、紹介状を書かれたのです)ました。最初の10日間は、濃い~点滴を打たれました。かなりドロっとした液体薬を2時間かけて点滴されていたのです。その後、ようやく投薬治療でした。いっぺんに2か月分処方されます。うつ病などの精神病と違って、「32条」などが適用されませんから、無職でも3割負担です。1回の通院で、6千円以上かかっていたように思います。昨年1月に発症して、3月、5月と通院しました。7月になっても、ちっとも治りません。当時同居していた妻が、それにブチ切れました。「治る見込みないんだから、もう病院に行かないで。お金の無駄よ!」そんな次第で、昨年7月に薬がなくなってしまったのですが、通院はさせてもらえませんでした。妻は“お金を持っている人間が一番偉い”という思想に染まっていました。その後、ネットで「突発性難聴」について調べました。「突発性」と表現されていますが、医学的には「原因不明」という意味だそうです。そして、これは一度なると治療が困難で、もう一生治らないケースが多いとも知りました。妻の言葉がショックだったのに、ネットで調べた知識が追い討ちをかけます。だから私は、右耳が大音量の耳鳴りしかせず、それ以外の音は全く聞こえないことが「当たり前」だと思おうとしていたのです。しかし四弟は、それを認めませんでした。折りしも四弟に会ったのは、私をスカウトしたがってくれている社長さんと待ち合わせしていた前でした。「これから働くんやったら、片耳が聞こえへんかったら、困るやろが!」、四弟は激怒していました。その激怒に、母が怯えてしまったので、私は耳鼻咽喉科に行かねばならなくなりました。個人的な偏見ですが、総合病院というのは官僚的で、型どおりの診察しかしてくれないところです。そんなところに通っても、私の耳が聞こえるようになるとは限りません。贅沢で買ったMP3プレイヤーを供にして、寒波が押し寄せてきているなか、総合病院まで行ってきました。受付で初診の手続きに時間がかかり、さらに診察室の前の待合室で大量の時間を消費しました。ようやく診察室に呼ばれたと思いきや、前にかかっていた病院でのことを訊かれただけです。上記のような次第を話したら、「突発性難聴が治るのは、全体の3分の1です。残りの他人は治りません」と、あっけらかんと宣言されてしまいました。医者は、私の思い込みの正しさを証明してくれただけで、薬も処方しません。しても無駄ですから。数千円の無駄遣いをしたと割り切りながら、帰路に着きます。帰ってきてから、1時間ほど眠りました。昨夜は、またよんどころない用事があって午前3時頃まで起きていたので、合計の睡眠時間は短いです。それでも、新しい道具(前述のMP3プレイヤー)があるので、ワクワクしています。手持ちの古いCDをMP3ファイルに変換し、一体どれだけコピーできるのかも試しました。個人的な感覚では、アルバム3枚分は入ります。256MBですが、結構使えます。あと、FMチューナーも付いていて、受信感度もなかなか良いです。まだ試していませんが、FMラジオを、タイマー予約で録音することも出来るそうです。普通にボイスレコーダーとしても使えます。右耳は聞こえませんが、音楽は楽しいです。これから、このMP3プレイヤーと仲良くしていきます。人気blogランキングへ
2005.12.13
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お寒うございます。もうすっかり冬の寒さがやって来ましたね。夕方、TVの天気予報を見ていたら、明日は関西地方に大寒波が訪れ、今日より寒くなるのだそうです。皆様、風邪などにはご注意くださいませ。外から帰ってきたら、まずは洗面所で手洗い・うがいですよ。とくにのどうがいを3回やると、かなりの確率で風邪を防げます。うつ病になってから、他の薬をのむのが怖いので、風邪にかからないよう注意している慎太郎です。今日は、結果から書くと、たくさん眠った1日でした。昨夜は0時半ごろ眠剤をのんで、スコンと就寝。いつ聴いている「眠る前に聴くスピリチュアルCD」の冒頭のところから意識がありません。途中で覚醒することもなく、アラームが鳴るまで寝こけていました。起きたら、すぐさま“幸いのソフト作りの唱和”を5分間します。こればかりは、すっかり日常化することが出来ました。7時から歳三(父の愛犬)を連れて、公園に散歩です。日に日に歳三が公園慣れしてきて、大胆に振舞うようになっているのが分かります。悪意はなくて、純粋に遊びたいのが伝わってくるので、こちらもあまり邪険に出来ません。付き合って小走りになったり、飛び掛かってくる歳三に立ち向かったりしていると、この寒さのなかで息が弾み、薄っすら汗までかいてきます。これはこれで健康の維持には貢献しているのでしょうが、とにかく疲れます。もちろん、単純な肉体疲労です。散歩に出かける前に、借りている部屋の窓を開けて換気しているので、戻ってくるとむちゃくちゃ寒いです。汗をかいた後の身体には毒ですね。一気に冷え込みます。で、今日は眠気が強かったので、すぐさま布団に潜り込んで、眠ろうとします。本当は瞑想をやったほうがいいのですが、最近の私の賢い(?)ところは、予定を実行できなくても、自分を責めないところです。「ま、明日やればいいさ~♪」と、気楽な心理状態です。こんな風に考えられるのは、個人的に150歳まで生き抜いてやろうとの決意からです。私はうつ病になって、失うものは失ってきました。社会では中堅社員として組織を引っ張っていくような年代に、家に篭りきりで過ごしてきました。結果として、だからこそ得られたものもあります。ただ、負けず嫌いな一面も併せ持つ私としては、やはり「生きてて良かった」「あのとき死なないで得した」という人生を送ってから、あの世に逝きたいのです。そのためには、150年くらい人生の時間がないと、やっていけません。もっとも、それは時間管理が下手な私だから、それくらいの年月が欲しいのかも知れません。たまたま今日届いたメルマガを読んでいたら、同じような考えをもつ人がいることを知りました。まだ詳しくは読んでいないので、簡単にご紹介するにとどめておきます。 【心の闇から抜け出す方法】メルマガ版 http://www.mag2.com/m/0000173330.html話は逸れましたが、とにかく眠りました。いま借りている部屋は、南側に大きなサッシ窓があります。この部屋の構造は変わっていて、天井がないのです。元来天井があるべき高さに板はなく、そのまま三角に尖った屋根の裏側が見えています。そのぶん壁も高く、そこに嵌められたサッシ窓も高い大きなものになっています。遮るものが少ないので、熱伝導がかなりいいです。それは利点ではなくて、不便な点です。夏は、むせ返るような、腹が立つような暑さが襲ってきます。冬は、もう動くのが億劫になるほどの寒波が忍び込んできます。そんな次第で、これを書いている今も、エアコンを稼動させているにもかかわらず、足元がガンガン冷えます。とにかく朝の散歩から帰ってきた後、すべてを放棄して眠りました。さっき述べたようなサッシ窓が、私の右側にあります。カーテンを開けたまま寝転んでいます。私の頭がある枕の位置から、視線だけを南にやると、抜けるような青空が広がっています。関西の冬らしい、もこもこした雲も、あちこちに浮かんでいます。冬場の冷え込んで不純物の少ない空気のおかげでしょうか、空の景色が、泣けるほど青さで胸に染み込んできます。勝手に思い込んでいますが、いいですよね、哀しいこと以外で流せる涙があるなんて。今日は大したことは、何一つやっていません。でも、あの青さは忘れないと思います。人気blogランキングへ
2005.12.12
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昨夜はよんどころない用事があって、就寝は午前3時。それなのに朝6時過ぎに目覚めてしまって、二度寝をしようとしても目が冴えてます。そのまま起き出して、ちょっと早めの“幸いのソフト作りの唱和”を5分間。それから階下に行き、昨夜父が持ち帰ったお歳暮(ケーニヒス・クローネのお菓子詰合せ)をちょびちょびとつまみます。朝の散歩の前からちょっと食べすぎかな、と反省しながらタバコを吸います。そうしているうちに歳三(父の愛犬)が近づいてくるので、一緒に散歩に出かけます。今日の当地は、朝のうちは曇り空でした。そのためか、午前7時の賑わう時間帯なのに、公園は人影がまばらです。もしかして日曜日ということもあって、のんびり家で過ごしている人が多かったのかも知れません。帰ってきて、メールチェックやWebサイトの定期巡回をします。その後、録画しておいたTVアニメ「交響詩篇エウレカセブン」の録画をチェックして、携帯サイトからしか申し込めないプレゼントに応募します。そのとき初めて立ち寄った公式サイトには、メルマガの案内もあるので申し込んでおきました。いやー、息子が一緒にいないのにアニメにはまってしまうとは。元ゲームプランナーで、近未来的にもゲームプランナーを志望している私は「なんちゃってオタク」です。それから朝の瞑想を30分間。それから朝食をいただきました。その後、借りている部屋に戻って、競馬ブログの更新をします。今日もG1レースがあったので、遅ればせながら出馬表だけを掲載しました。そのあと、またお歳暮のケーニヒス・クローネに手を出します。抑えた甘みのソフトクッキーの大型みたいなお菓子なんですが、これが美味しいんです。父が洋風お菓子を好みにしていないことに目をつけて、結構、食べ込んでしまいました。食べ終わると、なんだか眠いです。敷きっぱなしの布団に潜り込んで、スコンと眠ってしまいました。目が覚めると13時を回っています。「あー、また寝すぎた」と自分を責めかけましたが、昨夜は3時間あまりしか眠っていません。それにさきほどの昼寝を追加しても、合計6時間に満たない睡眠時間です。あ、これなら反省することないや。眠けりゃ、まだまだ眠っていてもいいんだし。しかしTVで競馬中継を放映する時間が近付いてきます。今日のメインレースの予想もブログに書きたいな~と考えていました。が、情報不足で、どの馬がくるのか、さっぱり分かりません。手をこまねいているうちにタイムアップです。仕方なくTVをつけたのですが、借りている部屋に設置されているTVは、ブラウン管の正面に座るのが無理な配置になっています。なぜかリビング用のテーブルが置いてあるのですが、それと壁の間にTVが置かれており、人が座れる場所から見ると、横を向いています。毎回この姿勢でTVを見るのはツライんだよな~と愚痴っていると、ひらめきました。大したことではないんですが、私が使っているPCにTVチューナーが付いていることを思い出したのです(今まで意識すらしていませんでした)。早速アンテナケーブルをPCに接続し、専用ソフトをインストールしました。こうやって眠気をあまり感じることがないまま、「ドリーム競馬」の時間を迎えました。PC用の液晶モニタで見るTV映像は綺麗です。ただ、受信状態がやや悪いのが玉にキズで、不要なにじみまで、くっきりと再現されていたのには呆れました。解像度の低い従来型のTVを見ているときには気が付かなかった画面の乱れまでが、よく分かります。競馬が終わって、16時からは福山雅治さんのラジオ番組「トーキングFM」を聴きます。そうしながら、また性懲りもなく、ケーニヒス・クローネのお菓子を食べます。さすがに食べ過ぎたなと反省して、夕方の犬の散歩は早足で、みっちり歩きます。早足で歩いていると、随伴している歳三も喜んで、積極的に公園内を周回していました。2周目が終わって帰ろうと呼びかけているのに、まったく公園から出る気配がありません。最後は力づくで引っ張り出しました。昨日はうまいこと宥めて・・・みたいなことを書いていたのに、今日はエネルギーを消費させようとして、結構ムキになっての散歩でした。夕方の瞑想をし損ねたまま、夜に突入します。今日は、NHK大河ドラマ「義経」の最終回です。第1話を見てあまり期待しなかった番組でしたが、終盤の盛り上がりはすごかったです。義経主従の関係が、あまりにもあっけらかんとしていて、それでいて強固なので、妙な感動に襲われました。殺伐とした現代では求められなくなった、古典的な人間関係が描かれていました。充実した人生を送るきっかけをくれた主人だから、家臣として命を差し出してまで貢献する・・・美化して描かれていますが、こんな主観を抱いて生きていく凄まじさはいかほどのものか・・・などと考え込んでしまいました。そんなこんなで、久々に、ただの日記みたいな文章になりました。ただ、甘いお菓子の誘惑には負けないようにしたいです。それより、運動量を増やすために、1度の散歩で公園を3周とかしたほうが、いいのかな?人気blogランキングへ
2005.12.11
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タイトルにあるのは、歳三(父の愛犬)のことです。実際に喋ったわけではありません。ですが、毎日、朝と夕方の散歩をし続けて、お互いにパートナーシップが芽生えてきているようです。この前も歳三に語りかけている効用みたいなことを書きましたが、今日は少し違った角度から考えさせられました。その前知識として、以下の書籍があります。うつをなおそう!この本は、うつ病になって4年目くらいに出会いました。うつ病を心の中に住む「黒い犬」に見立て、イラストを交えて書かれた、読みやすい本です。うつ病である「黒い犬」どうやって付き合っていくか、どうやって「黒い犬」に支配されないで済むかが説かれています。正直な話をすると、病状が深刻なときに読んでも参考になりません。初期の頃か、状態が上向いてきたときに読むと、おそらく共感を覚えるでしょう。で、歳三の話です。この1週間くらいの間に、歳三はすっかり公園にいるのがお気に入りになっています。行きたい所には、こちらを引っ張ってでも行こうとします。動きたくなければ、いくらリードを引っ張っても、ビクともしません。他の犬が来ると、喜んで飛びつきにいきそうになります。それらをすべて力ずくで制御しようとすると、どれだけの労力を要するか。大変なものです。リードを持つほうの腕は絶えず緊張していますし、よその犬に飛びかかろうとするのを静止するためには、肘や膝にかなりの負担がかかります。それを歩きながら、時には立ち止まっておこなうので、スタミナも必要となってきます。このように、力に力で対抗すると、思うようにことが運びません。今日の朝の散歩で、歳三と私は、まさにこのような状況でした。非常に疲れます。その帰りに、ふと今日紹介した本のことを思い出しました。歳三が黒っぽい犬であることも、一助になっているのでしょうが。で、“力”に対抗しようとせずに、うまく宥めて方向付けることは出来ないか、という疑問が浮かんできました。今回の私は、物理的な力(筋力や瞬発力)関係で、犬との関係を考えたのですが、これは精神的な部分にも通用しそうだ、そう判断したのです。ちなみに夕方の散歩の折りに、力任せに進もうとする歳三を、物理的には弱い力で引っ張りながら、ふんだんに言葉をかけました。「ゆっくり、ゆっくり」「そんなに急ぐな、もっと落ち着いて」犬に語りかけている言葉が、そのまま自分の治療にも影響を与えそうです。歳三が行きたがる方向がこちらにとって不都合なものであれば、力ずくで対抗せずに、穏やかに声をかけ、ゆるやかに力を入れて方向性を示し、自分が苦しくない方向に誘導すればよいのです。このようなアプローチは、物理的な犬の散歩にも、精神的な私の病気にも、どうやら有効なようです。具体的にどうやって病気のときの思考に直結させるかとなると、それは今後の私の課題になります。しかし、今日紹介した本の内容は、犬を飼ってみれば、実感として理解できるものであったことを思い知りました。ちなみに、書籍『うつをなおそう!』で知った、うつ病にとって励みになる事実を紹介します。第2次世界大戦のときのイギリスの首相チャーチルは、私と同じうつ病患者だったそうです。そのうつ病を「黒い犬」と名づけて、どう対処していくかに心を傾けたようです。あのヒトラーと争っていたチャーチルが、このような病気だったなんて、ちょっと誇り高くなりませんか?人気blogランキングへ
2005.12.10
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昨日は午前様で帰ってきて、PCを触らずに寝てしまったので、この日記を更新できませんでした。ここ1週間ぐらい、とてもたくさんの時間を睡眠にあてがっています。心当たりがあるのは、歳三(父の愛犬)の散歩です。最近は公園の中がよくなってきたのか、歳三は散歩を終えようとこちらが言い出しても、無視して公園の中を駆け巡りたいような態度をとります。とにかくハッスルしているので、1回50分間の散歩の最中は、とにかく歳三が暴走するのをくい止めるかの格闘になっています。そんな次第ですので、一度散歩に出かけると、もうすっかり外は冬の空気が吹きすさいでいるのですが、私一人は汗びっしょりになって帰ってきます。そのせいだと思いますが、散歩が終わると、肉体の疲労をどっと感じています。疲労の反動は、素直に睡眠時間に反映されてしまいます。この頃は、朝の散歩から帰ってきての瞑想が済むと、朝食をいただいて抗うつ剤をのんで、布団に潜り込んでぐっすり寝ています。さすがに夕方の散歩のあとは瞑想をしても眠気を感じませんが、日付が変わる頃には、もうおねむの中年がそこにいます。さて、昨日は2件、今日は1件の用事があり、外出してきました。まずは、昨日の出来事。過去に中古マンションを購入してローンを返済できなくなった(うつ病で職を失ったので)ために、自己破産をしました。それが今年の10月です。それでマンションの所有権は、実質的には住宅金融公庫のものとなっているのですが、まだ具体的に売却先が見つかっていません。それを探すのを引き受けてくれる不動産屋の担当の方にお越しいただいて、必要書類に住所氏名を記入し、捺印してきました。それをおこなうのが現地、つまりはかつて私が所有していたマンションでした。夜逃げ同然にその部屋を後にして、もう3年以上経過しています。誰も住んでない部屋で、もう内装がボロボロになってしまいましたが、懐かしい我が家でした。たぶん、もう二度と足を踏み入れることはないでしょう。で、夕方からは神戸一の繁華街・三宮にて、人と会っていました。これは三弟(バーのオーナー店長)の店の常連さんで、中国を舞台に事業を展開している社長さんです。会ってみると、さらに「うちの親会社の取締役も神戸に来るんで、のちほど会ってもらえませんか?」とのこと。その取締役の方を待っている間は喫茶店でコーヒーを飲み、合流して3人になってからは、居酒屋に陣取りました。もう私にとっては、8年ぶりくらいの居酒屋です。私がまだ働いていたときは、社内での宴会があっても、経理などに忙殺されていて、飲み会に参加すること自体が出来なかったからです。お二人から、中国でのビジネス展開の将来性と危険なポイントなどを伺って、ほろ酔い気分の私もどんどん発言して、大いに盛り上がってきました。個人的に興味を持ったのが、「中国でゲームを作りたいのだけど、プランナーがいない。プログラマやデザイナーは吐いて捨てるほどいる。日本人でゲームのディレクション経験がある人材を探しています」という告白を受けたこと。その社長さんによれば、今すぐにではないけれども、優先順位の高い仕事を終えたら、ゲーム部門の長になって欲しいと頼むかも知れない、と言われてきました。久しぶりの酒の席で皆酔っ払っていますので、おそらく話半分に聞いていたほうがよさそうです。しかし、親しく人とじっくり話し合う機会なんてものが、ほんとうに久しぶりでしたので、楽しく気持ちよく過ごしてきました。宴も終わりになってきた頃、時計を見ればすでに23時台後半です。慌てて居酒屋をあとにしました。私の親の家へ向かう地下鉄の最終電車に、かろうじて乗ることができました。帰宅後、酒を飲みすぎたせいで、のどがからからでした。水を何杯ものみ、インスタントラーメンをいただいて、酔いが醒めてから寝ました。眠剤をのんで布団にもぐれば、一発でスコンでした。それで今日。朝早く、携帯にメールが届きました。三弟からでした。「昨夜はむちゃくちゃお客さんが来て、とても一人では片付けられない。全部片付けなくてもいいから、手伝いに来て欲しい」との内容。店が繁盛するのは嬉しい悲鳴ですので、よろこんで引き受けます。が、起き出せません。昨夜の深酒が効いているようです。起きなきゃ、行かなきゃ・・・そう思いながら、全然、目は覚めません。睡魔の虜です。昨日は2件もの用事で外出し、外にいる時間がながかったからだ・・・そうは理屈で理解しますが、なにせ久々の体験のあとです。布団の心地いいことと言ったらありゃしない!そうやって眠りの甘~い誘惑から抜け出したのが、12時20分ごろです。タバコを吸って着替えして、ぼんやりしていると、例の超過疎ダイヤのバスの発車時刻が近づいてきたので、家を出ます。13時40分ごろ、お店に到着。そんな時間だったのですが、店長である弟が、椅子を4脚ならべて熟睡しておりました。彼の睡眠を妨げないようにしながらカウンターに入ってみると、いままで経験したことのない、莫大な作業がまっていました。いままで同じ時間に出勤しても、17時には片付けられる作業量しか見ていなかったのですが、こんなに洗い物が溜まっている流し台&カウンターを見るのは初めてです。途中で起き出してきた弟曰く、「昨日は大爆発やったで!」のこと。ものすごいお客さんをこなした余韻が残っているのか、疲れているだろうに上機嫌の弟でした。彼はいったん、今夜の支度を整えるために家に戻って行きましたが、「来て手伝ってくれるだけでも助かるワ。荒いものは全部しなくていいから、掃除だけは頼むデ」と言ってくれました。それからの私は、働くこと働くこと。腰と右肩が痛くなってきました。さらにスタミナ切れも痛感しました。それでも17時半ごろに、ここまでやっておけば洗い物が残っていても、後は弟が何とかしてくれる、ということろまで漕ぎ着けました。ちょっと未練は残りますが、私自身の疲労も考慮すると、今日はこの辺で手を止めておいたほうが賢明です。帰宅すると、18時半ごろ。歳三の散歩は、母が代行してくれました。これで犬の散歩は、昨日の夕方(私が午前様だったので母が代行)と今朝(私が起きて来ないので母が代行)をあわせて、3回連続、母に代わってもらいました。スタミナ不足を感じてきたので、明日からはみっちりと歳三を連れて歩きます。陽の光が当あたる時間帯に、外に出て、とにかく歩く。今の私は、最低限、これだけのことは実行して行きたい。そう誓いなおした一日でした。人気blogランキングへ
2005.12.09
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懐かしいコピーをタイトルに使ってしまいました。これを知っている人は、確実に昭和末期を生きていた人たちです。先週木曜日の通院で、眠剤を減薬してもらってきました。今夜寝る前にのむ薬が、処方され直してから7夜目になります。さて、効果のほどですが、まだ自覚するものがありません。たとえば今日一日をどう過ごしたか、書いてみます。朝は6時45分にアラームで起床。その1時間半ほど前に途中覚醒していましたが、難なく二度寝が出来ました。起きてすぐに“幸いのソフト作りの唱和”を5分間。それから支度をして歳三(父の愛犬)の散歩に出かけます。例によって50分ほど寒空の下を歩き回って、汗ばんで帰ってきます。帰ってきてから、朝のメールチェックとWebサイトの定期巡回。その後、瞑想を30分間。それから朝食をいただきます。今日はとても寒い朝でした。昼間は借りている部屋に陽光が注ぎ込まれるのですが、それでも薄い外壁の住宅は冷えます。こんな日は布団に入っているのが一番。そう思いながらリラクゼーション音楽を聴いていたら、知らぬ間に熟睡してしまいます。次に起きたのが13時。昼食にラーメンとおにぎりをいただいて、部屋に戻ると、また眠ってしまいます。きちんと起きたのが15時過ぎ。ぼんやり過ごして、16時から夕方の犬の散歩。やはり50分、公園の中を引きずり回されて、汗かいて帰ってきます。その後、ようやく今日の新聞を読みます。とは言っても、まともに記事は読んでいません。必ずチェックするのは、連載小説とスポーツ欄です。夕刊のコラムも楽しみにしています。19時台に、夜の分の瞑想。このところ、瞑想で体験できる「空(くう)」の感覚が気持ちいいので、朝夕の2回はやっています。記憶が曖昧ですが、その前後に、この前の日曜日にTVで放映されていた「仮面ライダー響」の録画を見ました。その後に晩御飯をいただきながら、TVドラマ「相棒」を見てました。面白いドラマです。それが終わったら、歯磨きです。さてさて、そんな次第で、生産的なことは全くしないで、1日を終えようとしています。こういう生活には、私はかつて、罪悪感を感じていました。ところが、いまはそれを楽しく受け止めて暮らしています。今日のタイトルにも書きましたが、「くうねるあそぶ」の1日でした。それも悪くないじゃないか。いま、そんなことを実感しながら生きています。うつ病になって失った(と思い込んでいた)もの、取り戻したくて死にそうにつらかった時間がありました。でも、私が精神的に成長するためには、こういう経験をすることが必要だったみたいです。このことを、いまの私は、上手く表現できません。でも、それを受け入れることが出来たら、生きていることが楽しく、嬉しくなってきます。もちろん、まだまだ病気療養中の身です。これから経験を積み重ねて、「もう大丈夫」という日を迎える日を待ち望んでいます。ただ、焦りはありません。焦ると返って苦しくなるし、楽しくないから。だから今日も、「くうねるあそぶ」です。人気blogランキングへ
2005.12.07
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昨日は更新できずに失礼しました。うちで使っているADSL回線の不具合で、ネットに繋ぐことが出来ませんでした。毎日書くのを習慣付けている日記ですが、1日でも書かない日があるっているのは、結構なストレスですね。さて、私は毎日、相変わらず歳三(父の愛犬)の散歩に出かけています。朝と夕方の2回です。散歩をはじめた頃は、近所の公園を1周するだけでした。時間にして、1回20分程度のものでした。歳三が公園に慣れてくるに連れ、もっと長時間、公園に居たがるようになりました。なので、公園を周回する数を2周に増やしました。それでも、ただ公園の遊歩道を歩くだけでしたので、1回にかかる時間は35分程度で済んでいました。ところが、最近の歳三は公園にも慣れ、私にも気安さを見せるようになってきました。遊歩道を外れて、草地や山の中に入りたがります。全部拒否するのは可哀想だし、かなり力強く引っ張られることもあって、私も歳三の行きたがるところへ行ってやることにしました。そうしたら、1回の散歩に費やす時間が、50~60分に増えました。これは無職でないと、1日に2回も付き合っていられない時間でではないでうか。そういう次第で、ただの散歩にしか外出しない日も多いですが、この寒風の下、汗ばんでくるまで歩き回っています。今日、ふとした気付きがありました。歳三に対する不満に対して、私がかなり厳しい口調になっていることに気付いたのです。このごろの歳三は、歩き回る範囲だけでなく、他にお散歩をしているよそのワンちゃんにまで関心を示すようになってきました。興味の幅が広がることは良いことだと思うのですが、歳三の場合、気になったワンちゃんには、唸りながら素早く近づいていきます。歳三が他所様に噛み付く訳はないのですが、中型犬としては大きい部類の歳三が勢いつけて近づいていくと、まるで襲い掛かろうとしているみたいな印象を受ける方が多いです。中には、悲鳴を上げて逃げていくおばさんもいました。それでは誤解されているようで悲しいので、散歩のパートナーとして、歳三を躾けようとする私がいます。精神的に余裕があるときには、笑いながら相手の飼い主に謝り、まだ歳三がほかの犬に慣れていないこと、それでも相手に関心があることを説明していました。けれども、ここ3日間の歳三は、ちょっと元気が良すぎます。引っ張られているこちらも疲れますし、サイズの小さいワンちゃんの場合は、かなりの恐怖を感じている様子も伺えます。手に負えなくなった感じの私としては、だんだん歳三を頭ごなしに叱り付けるようになっていました。そうすると歳三も反感をもって、こちらを睨みますし、その静止を振りほどこうともがきます。今朝の散歩をしているときに、ハッと気付きました。これでは、相互に不信感とイライラを募らせているばかりだと。そのときから、再び、歳三を宥めるように、やさしく語りかけるように心がけました。「もっとゆっくり歩こうね」「よそのワンちゃんと仲良くしたければ、もっとやさしく近付こうね」夕方の散歩は、ほとんどそれに終始しました。16時に出発したこともあって、公園を2周していても、まだまだよそのワンちゃんたちがお散歩しています。何頭かに近付いていって、飼い主さんともゆっくり話できる時間を設けました。そうすると、相手のワンちゃんも怯えた表情は見せずに、歳三が近付いていくのを、待っていてくれたりしました。これが今日の成果です。相手の(この場合、歳三)気持ちをないがしろにして、一方的に怒鳴りつけるだけでは、こちらの真意を伝えることは出来ません。かなり難しいことだと思います。相手の立場に立って、その視点からのアプローチをするほうが、よほど楽に確実に、こちらの意思を伝えることが出来ます。これだけでは犬の散歩の注意点ですが、うつ病を患っている自分にも通用することではないか、そう考えました。これは私が自分におこなってきたことを反省しての言ですが、必要以上に自分を貶めて、相手だけが正しいと信じ込もうとする傾向がありました。結果、悲鳴を上げている自分の心を、踏みにじってきたのです。どんどん自分を苦しい方向に追い込んでいたのは、自分自身だったのです。主治医は「自分を苦しめる思考の悪循環」と指摘してくれました。犬の散歩を自分の「義務」と感じとめるようになっていた私は、歳三を叱り付けることしか出来ない、心に余裕がない状態になっていたのです。毎日の心の慣れ、日常化というものは、悪い方向に出れば怖いものだと、思い知らされました。それでも視点を変え、今していることを精一杯楽しもうとすれば、他人との交流もできる、素敵な場でした。犬の散歩をするのっていいなと、改めて感じてきました。知らず知らずのうちに、自分の日常を「義務化」してしまう心の傾向も、怖いな、と感じました。最初に世話になった精神科医が言っていました。「自分に鞭打たん程度に、身体を動かしてな」これは、体力維持のための運動にだけ限定した言葉ではないな、と気付きました。はじめ自分がやりたいと思った「目標」が、それを続けていくうちに「義務」や「ノルマ」になってしまっていました。そんな意識を持つと、自分の精神に鞭打っているようなものです。ゆっくりゆっくり。今の自分に出来る最低限のこと。そこからはじめて行っても、いいじゃないですか。自分で自分を追い込まない、自分を責めない。そうやって生きて行きたいです。人気blogランキングへ
2005.12.06
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昨夜は午前1時ごろ就寝。スコン、と眠りに就きました。いままでと違っていることは、眠剤が減薬されたことです。ミンザインという薬をのまないようにし、デパスを半分に減らしてもらいました(このことは12月1日の日記に書いています)。それで肝心の睡眠のほうはどうかと言うと、寝つきの良さは今までと変わりません。私の経験上、マイスリーが体質に合っているのだと思います。これは短期睡眠型のお薬ですが、入眠をスムーズにしてくれています。ちょっと不安な面もあります。朝方に目覚める頻度が高くなったような気が、しないでもありません。ただ、いまの季節は、すっかり明け方前が一番寒いので、そのころにトイレに行きたくなって目覚めているだけかも知れません。用を足したら、すんなり二度寝が出来ていますから。この前の通院時に、病院に置いてある、無料冊子を貰ってきました。タイトルは「心地よい眠りのための睡眠手帳」、アステラル製薬という会社が出しているようです。この中から、印象に残っている部分をピックアップします。1.睡眠時間の目安は「日中の眠気で困らない」必要な睡眠時間には個人差があります。8時間にこわだわらず、日中に眠気を感じずに起きていられるかどうかを目安としましょう。また、歳をとると必要な睡眠時間は短くなります。3.床につくのは眠くなってから床につく時間にこだわりすぎないで、その日の眠気に応じて眠くなってから床につきましょう。床についても寝付けないときは、いったん床をはなれましょう。眠ろうとする意気込みが、よけいに寝つきを悪くします。8、眠りが浅いときは遅寝・早起き必要以上に長く床にいると、かえって眠りは浅くなります。なるべく床にいる時間を減らすことで熟睡感が増すことも。こんな感じです。もし、皆さんが通っておられる病院にも置いてあれば、一度手にとって読んで欲しいです。薄い冊子で内容も分かりやすいので、簡単に読めます。また同時に、「睡眠日誌」というのも、同じ会社が無料配布しています。これは、毎日の睡眠時間を記録することで、自分の睡眠の状態を知るためのものです。中は見開き2ページで1週間分、1冊で1か月分が記入できるようになっています。私は欲張って、これを2冊もらってきました。今日からこの「睡眠日誌」をつけていこうかと思います。あと、入眠時と、朝起きた後にお勧めのものを紹介しておきます。入眠時には、ある書籍(文庫本)に付録で付いているCDを聴いています。スピリチュアリストの江原啓之さんの『スピリチュアルセルフ・ヒーリング 幸運を呼ぶ「たましいのサプリメント」』に収められています。私は、このCDを毎晩聴いています。これを続けている効果か、一日の終わりに未練がなくなり、「よい人生を送りたい」という意欲とともに眠りに就くことが出来るようになりました。江原さんは有名な方ですので、それなりの規模をもった書店だと、平積みしているのではないかと思います。1冊700円です。もし書店で見かけたときは、一度、手にとってみてください。朝起きた直後は、ここで何度か触れている、“幸いのソフト作りの唱和”をやっています。この前、復帰させてから、もう1週間以上続いています。これの内容をもう一度書きます。まず、以下の文章を書き写してください。「今日一日 親切にしようと想う」「今日一日 明るく朗らかにしようと想う」「今日一日 謙虚にしようと想う」「今日一日 素直になろうと想う」「今日一日 感謝しようと想う」この5つの文章です。これを朝、目覚めた直後に5分間、声に出して読み上げます。ただし、読んだらそれで終わりです。ここに書かれていることを「その日に実践しよう」という意識は捨ててください。ただ、この5文を毎朝繰り返し、自分の潜在意識に染み込ませるのです。この音読を半年も続けると、すっかり染み付いて、意識せずとも幸せに暮らせるようになって来るらしいです。とりあえず私が実践して、その真価を確かめてみようと思います。追記:“幸いのソフト作りの唱和”は、中川昌蔵さんという方の著書、『不運より脱出する運命の法則』という本に書かれているそうです。楽天ブックスで見つけたので購入を申し込みましたが、在庫なしとのことでキャンセルされました。良い本だそうですが、希少本です。アマゾンマーケットプレイズでは高価で取引されています。人気blogランキングへ
2005.12.04
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昨日は、悲しいと感じたニュースについてのみ、触れました。実際の私はというと、昨日今日と、かなりの時間を寝て過ごしました。おそらく、一昨日、新神戸にあるホテルでのパーティにスーツ姿で参加し、その後に通院もおこなってきたせいでしょう。かなり長時間を外で過ごしたので、緊張しての疲れが出たのでしょう。昨日の朝は眠っており、歳三(父の愛犬)の散歩に行けませんでした。代わりに母がやってくれました。午前9時をまわっても私が起き出さない(何度起こしても起きない)ので、仕方なく行ってきた、とのことでした。膝を痛めている母ですが、整体治療院に足繁く通っているので、ここ2~3日は、痛みも少なくなってきたそうです。私はというと、毎朝の“幸いのソフト作りの唱和”だけは、欠かさずやっています。毎朝6時45分と50分に、アラームが鳴るようにしています。1回目のアラームで起き出し、寝ぼけ眼のまま、唱和をします。何にも考えないで、壁にはってある唱和の文章を繰り返し音読します。5分後にもう一度アラームが鳴るので、それを合図に唱和をやめます。それからは歳三の散歩です。今朝は怠けずに行ってきました。が、帰ってきてすぐに寝てしまいました。多分、昨日の午後から、ずっと「XOOPS(ズープス)」というものと格闘していた影響でしょう。XOOPS独習マニュアルこれは、インターネットでウェブサイトを簡単に構築するためのツールらしいです。一度マスターしてしまえば、サイト作成ソフトを使って1ページずつの作成をしないでも、プログラム的に手間が少なくサイト作成ができるらしいです。昨日は、このXOOPSのインストールのための前準備に時間を割かれていました。XOOPSを利用できるサーバー、それも出来れば無料のものを探しました。現状では存在します。が、現在は新規受付停止中で、事実上は使えません。仕方がないので、ロリポップというレンタルサーバーを使いました。ここなら10日間は体験版として無料で利用できるのです。そんなこんなで、昨夜になってから、ようらくXOOPSのインストールに成功しました。で、実際に使ってみようというところまで、やっと進めることが出来たのですが、疲れてそこで眠ってしまいました。今日はも午前中はほとんど寝ていて、夕方になってようやく、昨夜獲得したロリポップの自分のドメインにアクセスしてみました。すると、今度はエラーです。昨日はデータベースサーバーというものが作動していたらしいのですが、今日は停止しているみたいです。このように断定できるのは、表示されたエラーを元にGoogleで検索しまくって、同様の体験をした人のQ&Aを読んだからです。それまでは、「え~、何もしていないのに、なんで今日はエラーなの?」と焦りまくっていました。そんな次第で、楽しくやっています。他にもしたいこと、人と約束したのに遅れていることなど、自分にとっては多々あります。それらを着実にこなして行きたいです。そうそう、この前のメルマガに書いたことですが、精神病からの「連鎖寛解」を目指そうとしている私に、賛同者が現れました。ここでは仮にSさんとしておきますが、来週月曜日のメルマガで、ある程度の情報を提供できそうです。人気blogランキングへ
2005.12.03
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今日の夕方、母とふたりで、TVのニュースを見ていました。18時半以降のローカルニュースだったと思います。私たちが見ていたのは、大阪から発信される、関西地方のニュースでした。大阪府のある市で、障害者センターの建設に反対する地元住民と、センターを建設予定している市側との対立が、報道されていました。これは市側が、知的障害者および精神障害者の支援のための障害者センターを、市の所有地に建設する予定の土地の調査をおこなっているシーンでした。地元住民が退去して押し寄せ、市側の「障害者センター建設にご理解ください」という趣旨に、真っ向から反対するものでした。やや悪意をこめて書けば、「そんなイカれた奴らを集める建物を、わしらの住んでいる土地に建てるのは物騒だし、町のイメージも低下する」というのが、反対派住民の意見です。これを見ていて、久しぶりに腹が立ちました。私も精神障害者です。精神障害2級の障害者手帳を給付されている立場です。いま住んでいる兵庫県のお隣の大阪府に行けば、「物騒」「イメージが悪くなる」と非難されるのでは、という恐怖感も湧きあがりました。TVでながされていた映像では、市側の立場にいるひとを、殴りつけているおばあさんがいました。殴られているのは中年女性で、「反対だからって、市の人間に暴力を振るうのですか?」と嘆いていました。暴力で知的障害者・精神障害者を追放する町、大阪府門真市。私はこのことを深く悲しみ、一生覚えていることでしょう。
2005.12.02
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えー、今日はいろいろと時間を奪われて、日記を書き始める時間が遅くなっています。なので、なるべく簡潔にします。最近の自分への不満は、睡眠時間が多いこと。やりたいことが増えてきたのに、寝ている時間が多ければ、実行できる時間が減るわけでして・・・で、今日の通院時に、主治医にその点を相談しました。こちらの希望としては、眠剤の減薬です。主治医はこの2週間の私の経過を聞きながら、満足そうに快諾してくれました。結果、ミンザインという薬をのまなくすること、デパスを半分に減らすことに決めてもらいました。これで入眠時にのむ薬は、マイスリー10mg、ドグマチール100mg、デパス0.5mgになります。それにしても今の主治医の良いところは、後に他の患者さんが待っていても、診察時時間を短縮しないで、こちらの話を最後まで聞いてくれることです。越後にいたときに通っていた民間の心療内科は、「こっちはアンタだけを診察しているわけじゃないんだ。診察に時間を取られるのは迷惑なんだ。甘えるんじゃないよ!」と怒鳴られたことがあり、その医師の前で話すのが怖くなってしまい、返って病状を悪化させました。今の主治医は話をきちんと聞いた後に、「それは~ということですよ」と、丁寧に説明してくれます。自分の病状を客観視するのに、すごい助けになってくれています。今日は、こうも言われました。「いまの慎太郎さんは、セロトニン不足による抑うつ症状が20%、残りの80%は不安障害です」「不安障害はつらい出来事から逃避しようとする態度が、自分は何も出来ないという否定間を増長させているのです」「今日の話を聞くと、意欲が出てきているようだから、そのまま継続した生活を送ってください」「昼間に眠くなるのは、不安障害のせいです。何かを実行するたびに疲労しているから眠くなるのです」「いまは眠くなったら寝るの生活でいいです。それで実行できることを増やしていく訓練をしていると、次第に夜にまとまって眠れるようになります。そうすると、昼間の眠気も減ります」「とにかく、いまの状態を継続させることです。それが快復への正しい道です!」この言葉に、すごい安心感を覚えて帰ってきました。それを母に報告しているだけで、1時間が経過していたほどです。そうそう。病院で会計待ちをしているときに、無料配布のパンフレットをもらいました。パラパラめくっていると参考になる内容でした。そのことは、明日以降に報告します。追記:昨日の更新分から、Blogランキングに参加することにしました。私のメルマガを購読してくれている方はご存知でしょうが、いまの私は「ネットでの連鎖寛解」を、ひとつの目標にしています。そのためには、自分のブログを売ることも必要だと考えるようになった次第です。(ちなみに昨日のリンクは、間違えて私の競馬ブログを宣伝する方のURLを記入していました。訂正しておきましたので、ご協力をお願いします)m(_ _)m人気blogランキングへ
2005.12.01
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