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盛夏の半分くらいの大きさのゴーヤをJAで買ってきた。1.大豆を圧力釜で茹でたものがあったので、少しだけ潰してミンチ肉のようにした。2.調味料は、しょうゆ10CC、砂糖大1、酒大23.香辛料として、にんにく1かけをスライス、生の赤トウガラシ1つを小口切り。4.ゴーヤ1個は、半分に切って5mmの薄さにスライス。5.エリンギは、細めの短冊に。6.フライパンに油を入れ、3の材料を入れ、弱火でゆっくり。7.香りが出てきたら、1を加えて少し炒め、8.4、5を加えて炒め、9.ほぼ火が通ったら、2の調味料を加えて水気がなくなる程度に炒める。季節はずれのゴーヤは、肉厚ではなく、キュートに締まっている。苦味もそれほど強くないように思う。季節の変わり目の間延びしそうな感覚に ほんの少しの刺激が心地いい。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活ty
2019年09月30日
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お彼岸に行けなかったお墓参り。そろそろ、掃除もしなきゃいけないしと思っていたら・・昨晩から泊まっていた息子が、「天気もいいし、どっかに行こうかな?」と言う。景色がいいことを理由に、生駒らくらく登山道から往生院のお墓参りに行こうと誘った。姑が亡くなってから、一つの手続きが済むごとに、見えない力に助けられているような気持ちになる。どの手続きもすんなりと運ぶことが無いけれど、滞っていたことが急に進展していく瞬間に感じるものがあるのだ。息子の気持ちの中には姑に対する複雑なものもあることを知っているので、気持ちをほぐしてやりたいという想いもずっとあった。。二人で歩きながら話すとき、台所とは違い、ただ話すことだけに集中できる。普段は仕事で、ハルカスからこの辺りの景色が目に入るという息子。大阪平野を眺めながら、方向音痴の私に山や海の方向を教えてくれる。ここから見下ろせば、ハルカスはもう遥か彼方にあった。つかの間の森林浴は、久しぶりに ここに戻ってきたのだという気持ちにもさせる。木々の放つヒンヤリとした空気にはそんな神秘さがある。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月29日
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チャドに学校を・・という夢が、彼の中に湧き上がってたきた頃から、天国への階段を上り始めていたのかもしれない。今は、そのために生まれてきたひとのような気がしてならない。その優しさと強さを受け継いで、私にもできる何かを見つけていけるなら、出会いにも別れにも意味がある。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月29日
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「相続税の加算税」の振込用紙が届いた。その少し前には、「相続税の延滞税」の振込用紙も届いてる。こんなことになってしまった理由は、調停に時間がかかり相続税の申告が期限を過ぎたことだ。その罰則という加算税なるものは、相続税の100分の5なのだ。今のところ、不服を申し立てても棄却される確率は高いようだ。防ぐ方法があるとしたら、決定事項ではない内容の申告書を出すべきだった。ただ、申告の際には遺産分割協議書や実印、マイナンバーなど、相手が拒否して手元にないものもある。揃えられないから、申告ができない・・と思っていた。全ては、私の無知のせいだろう・・国民として知っておくのが義務がだったのだ。ひとの生涯は、知ることのためにあるようだ・・にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月28日
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このドラマがどうしても見たくて必死だった。理由は忘れたけれど、自宅では見ることができず、妹に録画を頼んだ。傍から見れば、何を熱狂的になっているんだ・・と、冷ややかな反応になる。だからこそ、ファン仲間と集うときは熱くなる。あの頃はきっと、女学生のようだった。まるで青春時代の想い出でもあるかのように、ドラマは・・・にほんブログ村別窓で開きます
2019年09月27日
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友だちとスーパーに寄った。今日はあまり買い物が無いからと、トイレットペーパーをかごに入れた友達。次に、「胡瓜が安い。」とかごへ。レジが終わって、こちらへ向かう友達は、トイレットペーパーの入った袋をさげている。トイレットペーパーといえば、いつもテープと決まってる。「あれっ!」と思って見ていたら・・「胡瓜と一緒に入れてくれたよ。」と友達。いいなあ・・ひとまとめにして持ちやすくしてくれる優しさと トイレットペーパーと食べ物を一緒にできる柔軟さ。使用前のトイレットペーパーと漏れないはずの洗剤の中途半端な立ち位置は、しなやかな心に救われる。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月27日
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骨盤底筋を鍛えることが大切なことは、ずっと言われ続けてる。 先日、わかりやすい本をみつけたので借りてきた。 膀胱のしくみも解説されていて、膀胱は風船と 同じだと考え、思いっきり膨らんでから萎ませる。しっかり溜めるための我慢も必要なので、骨盤底筋を鍛えるということもわかった。 身体の柔軟性や関節の状態には個人差があるので、それに合わせた方法も紹介されている。私は今、両脚の内腿をくっつけるような力の加え方で 歩くことで鍛え始めている。風船のような膀胱を維持するためのおしっこの話もある。正しいおしっこは、お腹に圧力を掛けるのでは無く、脱力する必要があるのだそうだ。和式トイレを汚すようなとき、力の入れ方は全開で、無理なおしっこになっているのかも・・? しゃがむだけ!尿もれ解消法 [ 山田典子 ] にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月27日
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ひっ算を定規を使って書け・・という。綺麗に書ける・・とか、間違わないとか、定規で線を引くのがうまくなる・・とか、理由はあるらしい。けれど・・・ひっ算は算数には違いない。煩わしいと感じる子供もいるし、それはおかしいと感じる子供もいる。それはそれでいいではないか・・定規を使うのがいいというアドバイスをすれば、あとは子供の裁量に任せることで、子供たちは様々な思考と経験を積んでいく。フリーハンドで書けば、フリーハンドの応用が大人になってから、役立つこともある。最近、道端で道を聞かれて、手帳に地図を描いて渡すということが実際にあった。ひっ算に限らず、学校で細かく指示されることが多いらしい。ひと昔前は、自らは動けない、子供の指示行動が問題視されていたけれど・・ひっ算の話で一番驚いたのは、16の完成したひっ算を定規を当てて書き直せと、保護者に電話する先生がいたという事実だ。学校は子供の意思を尊重するどころか、追い詰めていく。いつの日か、子供たちが感情を押し殺したロボットに成長する日がやってきてもおかしくはない・・・にほんブログ村別窓で開きます
2019年09月26日
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行政機関のサービスには様々なものがある。すべては、税金で成り立っている。働いている人たちの給料も税金だ。さらに手数料を払うものも数多くある。国民は行政機関のサービスのオーナーであり、利用者でもあると思う。だから・・サービス機関で不利益を被ることがあるなら、意見してもいいのだと思う。ご意見箱なるものもちゃんと置かれている。先日、ある行政機関を訪れた。受付の職員に質問を一つしたら、門前払いに近い態度。その日は、別の親切な職員に出会えて助かった。ところが・・翌日、全く違う時間に訪ねると、士業の人には愛想よく笑顔で、しかも質問されたときも丁重に断りを入れている。おそらく、素人を相手にすることが面倒だったのだろう。けれども、行政機関のサービスは誰もが当然受けるべきものであっていいはず。「接客はサービスの基本です。」と書いて、意見箱に放り込んだ。橋本知事の時代に、「一般企業なら通用しない!」とおっしゃっていたことが、また起こり始めている。国民が、しっかり行政機関を監視することも時には必要では・・と思ったりもする。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月26日
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「憲法第9条は削除すべき」・・と、ケントギルバート。独立国が軍をもつのは、当たり前だからだ・・と言う。確かに・・・独立国は自国で守るしかない。日本は独立国であることを、いつしか忘れてしまっていたのだ。アメリカがずっと守っていてくれるような幻想に取付かれて。けれども・・アメリカはもうその役目はごめんだ・・と、国民自らも叫んでる。防衛費はもちろん、アメリカ兵がなぜそこまで日本のためにしなくてはならないのか・・と。日本人は平和ボケだと言われている。国土まで攻められてから防衛を始めても手遅れであることすら気付かない・・と。憲法が平和を守ってくれるわけでもないと・・家に鍵をかけるように、あるいはセキュリティを強化するように、国にも防衛が必要だ。それは極々自然な流れの中にある日常と変わりのないことだから、あえて憲法に示す必要もないのだと・・・憲法には、不文憲法も含まれる。それは、人の中にある道理にも似ているように思う。言葉としては表現しない部分に本質が隠れているような・・・にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月25日
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この一年余り、主婦らしからぬ行動をしている。と言っても、不良主婦をしているわけではない。裁判所に出す書類を作って申請したり、税務署に相続税の申告をしたり、法務局へ登記申請に出向いたりである。何れも、仕事としてではなく、自分事のためだ。けれども、第一歩目で面食らう。何がって・・「無理でしょう・・」で始まって、門前払いされそうな雰囲気になるのだ。要するに、「あなたでは能力が無いから、専門家に頼みなさい。」と言わんばかりになる。初対面の人にいきなり・・である。だからこそ、食い下がる。粘り強く、最後までやり抜く。誰にだって、可能性は無限にあるのだ。あきらめなければ、道は開けていく。主婦 = 無能こんな図式は返上だ!!男女参画センターに何度も足を運んで感じたことがある。平凡な主婦が、困りごとを解決することから始まって、大きな事業を立ち上げていくという話がとても多いということだ。主婦だから、家計簿をつける感覚で事業費も把握するのが上手い。だから経営も安定しているし、これを機に経営コンサルタントとして活躍されてる方もいらっしゃる。主婦である日々の連続が、粘り強さと多くの知恵を与えてくれる。「主婦」という肩書が先頭を切っても不思議はないのだ。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月24日
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「自分にご褒美」を与えてる自分が切ないなあ・・と感じる。「ご褒美」をもらうために頑張る自分もやっぱり虚しいなあ・・と感じる。何かと引き換えに何かをする・・ってことに、疑問を感じてる。自分が今やるべきことをしている・・・と感じるものをずっと選び取っていけたらいいな・・と思う。積み重ねの日々の中で、「ご褒美かもしれない」という瞬間のときめきを感じられたらいいな・・と思う。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月21日
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夫婦で会話していると、お互いに理解不可能なことにぶち当たることがある。最初は、どちらか一方が変わるべきだという話に至る。けれど、時間の経過とともに、同じことが理解し難くはあっても、何か別のものを生み出していることに気付く。そんな時、(私は、これを得るために結婚したんだろうな・・)と、納得してしまう。ユダヤ人は、恋愛結婚はしないし、結婚の相手を選ぶことに全力を注ぐ。だから、離婚率も低いのだという。重要視するのは家庭円満であり、違った個性を持つもの同士が刺激し合って新しいものを生み出すことができると考えている。学生時代の友達に、なぜ結婚しようと思ったのか・・を聞いてみた。答えは、「気になったから。」違う個性を持つからこそ、気になるのだろう。私が主人と論争になるのも、やはり、自分と違うということが大きな理由だ。ひとには、争うべき相手が必要なようだ。その相手が家庭内に存在するからこそ、社会での争いは減り、平和が保たれるというユダヤ人は考える。「気が合わない」という言葉をよく使うけれど、「気を合わす」こともできるのだ・・・にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月18日
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若い時に大病をされて、這うことが精いっぱいだった女性が、最後にたどり着いたのが一日に1杯の野菜のジュースを飲むだけの食事だったという。後の研究でこの女性の腸内細菌が、牛の胃の細菌と同じだとわかったらしい。飽食の時代の今、腸に隙間ができる腸もれ症の人も多いらしい。食べ過ぎると、腸に負担がかかり、宿便ができるという。この毒素が、血液に流れ込み、ガンや脳梗塞、糖尿病のもとになるとも、東洋医学では言われているらしい。彼女曰く、少食にするだけで、食べ物にかかるお金も少なくて済み、暑さ寒さにもつよくなるので冷暖房費も減り、自然治癒力が高まるので治療費も要らなくなる。結果的に、無理に嫌な仕事をしなくて済み、好きな仕事をして、気持ちもやさしくなれるから、全てがハッピーになるという。彼女の柔らかな笑顔、優しい声、美しい肌は、 地球のこれからを物語っているようだ・・・にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月16日
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瀬戸内寂聴は、井上荒野の父、井上光晴の何十年来かの愛人だったらしい。読売新聞の芦屋サロンで、井上荒野さんの講演を聴いて知ったことだった。あの日、大人になるまで知らなかったということや、お母さんが何一つ変わらず接してくれたことも聴いた。けれども、作家として作品を描き続けることで、家族の心境に答えを求めていることを知ったとき、彼女の本心が聴きたくて質問してしまった。結局、本心は言えなかったのだろうと、私自身は答えを聴いて結論付けた。けれども、この本を読み始めて、彼女の本心が伝わってくるように思われた。表現のどこかに憎しみも感じてしまう。それが自然だと思うから、読み始めてすっきりした気がする。そして、本の題名「あちらにいる鬼」がずばり心境を言い当てているのでは・・と思う。結婚によって、互いに成長し合うのが夫婦だとしたら、今の夫を作り上げているものは、妻の存在を抜きにしては考えられない。ならば、愛人もまた、その向こうに妻の恩恵を感じることなく生き続けることはできない。彼女が仏門に入った理由ははっきりわからないけれど、そういう人の心の複雑さに限界を感じたのかもしれないと思う。不倫への憧れは、妻という別の人物が作り上げた作品への憧れであって、そこにあるのは、自分の結婚を継続することへの自信の無さなのかもしれない。仏門に入ることで初めて、この人は自分の人生を切り開く自信が持てたのかもしれない。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月16日
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点訳講座を受けたくて、第一関門の漢字のテストを受けた。小学生の頃から高校卒業まで、漢字テストを受けた回数は数えきれないだろう。あの頃は、漢字テストの勉強ばかりしていたことになる。今回のテストは、範囲もないから勉強することもなかった。書くことは少なくて忘れているものも多いけれど、読み仮名だから日頃から目にするものも多い。答案に向かって漢字をみたら、シャーペンの先がどんどん指先を引っ張っていく。答えを埋めていくことに楽しさを感じた自分に驚いた。学生時代の習慣だった漢字の勉強が、今、記憶の奥で心躍るものへと変わっていく。こうやって、楽しい記憶が増やせたら、幸せの種も増えていく。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月13日
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あっちこっちをぶつけることが多いとか、動作がスローモーになってきただとか、いろんなことが億劫に思えるだとか、やる気がないのかなあ・・・って感じたら。身も心も「疲れてる」と思うのが一番みたい。無理に気合を入れて動かない方がいい。最初のサインを見逃せば、もっと大きなサインに変わってしまう。どんな時も、誰にだって、大事な場面でサインは出てる。サインが出たら、立ち止まって振り返ればいい。そして、答えが見つかるまで、時間の無駄遣いをしてみるといい。やがて、無駄遣いも実になっていることに気付く。身体には血と気が共に流れてる。元気、気象、気性、大気、空気、気合、気分、気温、二十四気、生気、精気・・・気の付く熟語は多いけど、「気」は天地間を満たすものと広辞苑には出ている。まずは、気を整えて、元気(万物生成の根本となる精気)を取り戻すことだ。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月12日
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子供は褒めて育てる・・というのが、世の中の正論らしい。父に否定されてばかりいた私は、自信のない時代を永く過ごしてしまった。そんな私が息子に、「お母さんはなんで否定ばっかりするん?」と言われている。理由は、その考えがあまりに幼稚すぎるからだけれど、それは言えない。否定されて良かったと、今の私は思っている。それを道標にして、いろんなことを学んでこられたと思う。八代亜紀がお墓の前で「お父さん、あの時、錯覚してくれてありがとう。」と感謝の言葉をかけるという記事を見た。歌手になりたくて、14,5歳のときにキャバレーで歌っていたのがばれて、「不良はいらん。」と、家を追い出されたらしい。けれども、そのことがあったからこそ、歌手になるまで頑張れたようだ。子育ては、難しいと思う。親の意図がそのまま子供に届くわけでもない。三人姉妹の妹の曲がりくねった生き方が、私にそれを教えてくれた。それでも、自分が信じる子育てが一番いいのかなあと思う。人に左右されがちだった頃の子育ての不安定さは、やっぱり、長女に影響している。今も謝るしかないというのが、私の本音だ。父は思ったままを口にするだけの人だということを、息子を育てて気が付いた。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月11日
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マリオットホテル大阪のランチビュッフェに行った。もう何年も前から、友達からデザートがおいしいから一度は・・と勧められていた。料理とデザート、飲み物、全てを味わうことは無理だ。まずは、パンプキンスープ、グラタン、チーズフォンジュ、フランスパンを席において味わう。この後、いきなり、デザートとコーヒー、人気のジェラートになる。余裕のある間に食べておきたいのだ。そして・・・私の好きなブルーオーシャンでもある。「混雑」が苦手なのだ。デザートを味わったら、ほぼ満腹状態。思い付きで、一品ずつゆっくりと・・が続く。私は子供の頃から、人並みにはできないと思っていた。だから、最小限のことだけを選択してきた。随分、もったいない時間の使い方をしたと、後に後悔もした。今、好きな服を着て、好きなものを食べて、好きなことをしてる。人生は無制限のビュッフェのようだ。まだまだ味わっていないものがいっぱいある。満腹になれば、少し休んで、別のものを味わって。選択も 味わい方も すべてが自由だ。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月09日
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スーパーのレジで。両手が不自由なおばあさんが、レジで牛乳を開けてもらっている。レジの人が開けづらそうだったので、「私、それ得意だからやりますよ。」と言った。レジの人は、焦っていたので、余計に開けづらかったのだろう。商品の一つ一つをショッピングバッグに詰めていく作業は手間がかかる。私もこのスーパーでレジをしていたから、経験がある。ショッピングバッグに自分で詰めることのできる方は、ぜひ、自分で・・とお願いしたいなあと思う。サッカー代にもう一つレジかごを置いて袋をセットすればいい話だから・・このおばあさんの場合は違っていた。自分でするのが不自由だから手助けがいる。レジの担当者とおばあさんに「待たせてすみません。」と何度も謝られて、複雑な気持ちになった。私は、「急がないので、いいですよ。」と何度も言ったけれど、イライラする人もいるのだろう。独居者も増えているし、リュウマチ患者も脳梗塞も増えている。レジをさっさと済ませ、サッカー代で別の担当者が対応するとか、大きなスーパーであれば、レジに「ただ今、優しさ対応中」みたいなマークを表示するとか、店の人にも、お客さんにも優しい方法があればいいなと思う。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月09日
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相続税の納付には連帯納付義務がある。相続する財産があるのだから、それを差し押さえるなりして本人に納付させればいいのに・・と、普通に思う。こんなことが気になるのには理由がある。兄弟姉妹と言えども、お金にルーズな人間もいるからだ。先日、労災の話でまた疑問を持った。休憩中に買い物に行って怪我をしても労災にはならない。それだけなら 仕方ないかなあとも思う。けれども、ほとんどが外交の営業の仕事ならば、食事も休憩も外でということになる。そうなると、似たような状況でも労災になるらしい。どちらの出来事も 法律に則って処理されるのは当然のことだろう。けれども、どこか腑に落ちない。NHKの受信料を払わない議員の話じゃないけれど、法律や規則には従わなければ、秩序は乱れる。すべてをクリアにした上で、腑に落ちないことを変えていけば、理想には近づけるに違いない。ひとは心があって生きている。法律が心を置き去りにしていいはずもない。強い意志があれば、法律は変えていけるのだ。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月08日
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ずっと前、自転車に乗っていて、見通しの悪い曲がり角でぶつかりそうになった。たまたまだけど・・相手も私もゆっくり走っていて、お互いに難なく避けることができた。あの時から、曲がり角はゆっくり走ることに決めている。乗り物も、人も、どんどん速度を上げていく。電車の事故も、工場のラインの事故も、悲惨さを増していく。スピードを緩めれば、避けることのできる事故は、どれだけあるだろう。自転車の事故で死者が出るなんて、昔は想像もしなかった。速度がもたらす豊さの本来の目的はいったい何だったんだろう・・追われるような生活の中では、それすら考える余裕もないだろう・・この歌が一番好きかもしれない。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月06日
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「いいなあ。」と言われることが、ずっと嫌だった。その要因が自分の努力とは無縁のところにあるものだと指摘されてるようで心地が悪かった。今は、「人が羨むくらいに 自分が輝いているんだ」と思うことにした。人の言動に一喜一憂するのもやめた。自分の中にある誠実さがブレていなければ、それでいいと思ってる。言葉の行き違いで怒る人がいたとしても、人それぞれの感じ方でしかない。意図的に人を傷つけたり、人に迷惑をかけたりしなければいいと思ってる。子供の頃から感じていた上下関係の違和感も解消していこうと思い始めてる。在る時、またしても「いいなあ」と言う友達に、「それを言われると気分が悪い」と言ってしまった。あれからずっと、「いいなあ」という人の心理を考えてきた。世間の評価というフィルターを通してしか得られない幸せに執着してるから・・?子供の頃、どうしても自転車に乗りたかった。私の記憶の中で、親に買ってとせがんだのは、これが生まれて初めてで一度きりのことだった。自転車に乗れたときの幸福感が、今の日常茶飯事の幸福感と似ている。ストレスの多い毎日だとしても、自分の「好き」を選択する機会は度々ある。私の幸福感は、「好き」を世間の評価のフィルターに委ねないところにある。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月05日
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学生時代、次世代の健康食品として研究にかかわったユーグレナ。今は、航空機のバイオ燃料としての実用に向けて研究されている。今が教授になっている後輩の発表が聴けるというので、大学へ出向いた。学生時代はフラスコで培養していたユーグレナが、遺伝子組み換えで速く大きく生長する。栄養源となる糖も想像を超える大量の産業廃棄物だ。コスト面も施設面も徐々にクリアされていて、実用化も近いようだ。40年前、まだ始まったばかりだったユーグレナの研究が、健康食品で終わらず、次世代のエネルギーへとバトンが渡されている。この間にどれだけの人たちが関わり、どれだけの実験が為されたのかと思うと、きっと気が遠くなるだろう。スピードばかりが取り沙汰される時代の中で、じっくりと時間を掛けて実を結ぶ研究があって、それが次世代の担い手になっていくのだと知れば、待つことの大切さも同時に気付くことになる。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月04日
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前日のストレッチをサボったからか、夜中に身体のやり場がなくなり目覚める。取りあえず・・と起きだして軽くストレッチをする。寝不足気味だから、ゆっくり歩こうかと外に出て一歩進めたら、身体は自然に走り出す。前日に読んだ本によれば、脳で何かを始めようとすれば、意外と続かないことがあるらしい。意志の力も腸にあるのだとか・・私のランニングが何の苦労もなく続いていくのも、腸の調子がよくて健康が保てているからかもしれない。脳を活性化するために始めたランニングだったけれど、先導していたのは身体であり、腸だったということになる。都市の発達が、脳を先導させてしまう現代人の心の闇を作り出したようだ。脳で考えたことが、「ねばならない!」のストレスばかりを増やしていく。空腹になると、脳のエネルギー源であるブドウ糖が減るらしい。この時、運動すれば、ケトン体がエネルギー源になる。これは、脳のエネルギー源にはならないから、人間本来の直感などの本能が研ぎ澄まされるようだ。空腹のいう状態は脳を休ませてくれることでもあるのだろう。脳を休ませるのには、自然の中に行くのが一番だろうけど、余裕がないときは、空腹に頼るのもいいかもしれない。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月04日
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「和顔施」という言葉がある。この言葉を知ってから、仏教というものを快く受け入れることができるようになった。「お布施」というと、お金だと思ってしまうけれど、笑顔で施す方法もあるのだ。なんと素敵なことだろう・・と思う。斉藤一人さんは、「上機嫌」の魔法という表現もされている。誰でも嫌なことがあると、不機嫌な顔や怖い顔、悲しい顔をする。私は子供の頃から、大人の表情に振り回されてきた。なんとか笑ってもらいたくて、懸命に方法を探す。或る時、機嫌をとる自分が嫌になった。表情なんて気にしないことにした。自分だけは笑顔でいることにした。自然に心も明るくなって、人の心にも灯りがともる。だから、「和顔施」なのかなあ・・と思う。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月03日
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スーパーでアスパラを見ていた。今年はアスパラが安く手に入る。その日も、ひょろひょろと細いアスパラが98円。細いから、柔らかそうだなあ・・と思いながら。「これは一年物やね。」と、おばあさんが・・「えっ、アスパラって何年物とかってあるんですか?」と、びっくり。北海道のアスパラが太くて価格も高いなあと思っていたけれど、産地によるものだと思ってた。「一年に一回しか採れないけど、また、一年たったら太くなって出てくるんよ。アスパラをプランタンで育ててみたら面白いよ。お茶とかコーヒーのかすを肥料にしてね。」とおばあさん。スーパーで、野菜を眺めていると、時々、こんな風にいろんなことを教えてくれるおばあさんに出会う。決して広くない街のスーパーだけど、一期一会の出会いも多い。人は皆、一人であって独りではないのだ。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月03日
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最近よく見かける「私道に付き」確かに、固定資産税の欄にも 「道路敷」とかという言葉のものがあったりもするけれど。実際にそれは、税金もゼロ円になっている。道路が狭い土地や、もともとひとつの土地だったところに家が建てば道も要る。行き止まりではない限り、道路になっているところはすべて非課税ではあるらしい。遠い昔から土地を道路に寄付している人は多いのではないかと思う。そんな道を知らずに通っているけれど、私道に付き・・と言う人もいない。いつから、私道に付き・・なんて言葉が始まったんだろう。寄付した土地なら、税金も払っていない。差し出したものはもはや自分の所有物ではないのに、未練がましく聞こえて仕方ない。世の中が縛りでどんどん狭くなっていくような気がする。いったい、人は何を求めて生きているのだろう。選択肢がどんどん増えていく一方で、縛りもどんどん増えていく。全てを自分が選び取ればいいはずなのに、それさえも支配したい人が居る。人に委ねることは、自由を捨てること。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月03日
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少し前、主婦にも休みが欲しいけれど、無理・・という記事を見た。もう30年以上も前のこと、専業主婦の給料の試算額を新聞で見たことがある。当時、18万円だったと思う。その額は、確か、当時の大卒の初任給を超えていた。月日が流れても、事態は変わらない。「誰が稼いでいるのか・・」という、ある種のモラハラが主婦の立場を弱くしているのではないか・・?働く友人が、「家事はタダやからバカバカしくてやる気にならない。」と言う。そういう私も、働いてる時は強気でいられた。子供を放っておいてでも外で働くほうが得じゃないかという過激な発想をしたくなるときも過去にはあった。若気の至りだけれど・・・自営業の今、「たまには家事にも休みが欲しいな。」と言えば、「こっちも休み無しで働いてる」と返される。ならば・・と思い、交通費のかからない大阪近辺のシティホテルで一泊朝食付きの休息を主人と一緒に。もちろん、夜も外食で。私の家事を放棄の苦肉の策だ。子育てはゼロにはできないだろうけど、宿泊費もバイキングも無料の乳児を連れて、近場の休息もいいかなあと思う。費用の捻出は、外食、昼食をせずに何回分かを貯めればいいと思う。私の場合、外食しても帰って翌日の準備でまた疲れるので、こっちのほうが楽だと思う。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月02日
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「浮世絵ねこの世界展」を見た。ねこは昔から人気者だったようだ。もともと、犬のように鎖でつないで飼っていた時代もあったらしい。そういえば、犬も昔ほどは鎖でつながれて飼われてる様子を見ることがなくなった。ところで、江戸時代、表現の自由というのは度々制限されていたようだ。一時は盛んだった歌舞伎のブロマイドも、美人画も禁止された時代があった。そんな時、美人の顔は猫になった。歌舞伎の顔は、お面になって猫が被った。表現の不自由さから、新しい自由が生まれている。浮世絵には化け猫も多数描かれている。不自由さに負けない、遊び心満載の発想に、江戸時代のゆたかな遊び心を感じる。やっぱり、芸術作品は楽しめるものが好きだ。不自由さがいっぱいだった子供の頃、描きたい物語が溢れていた。不自由にもがく心が、物語の中に楽しさを求めようとしたのかもしれない。RADWIMPSの野田さんも、ずっと抱えている「異物感」から逃れる居場所が音楽だったのだと語っている。芸術って不自由だからこそ、生まれるものなのかもしれない。にほんブログ村別窓で開きます日常の小さなできごとを愛する生活
2019年09月01日
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