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2012年5月5日。子どもの日のこの日は水戸までの移動。まずは磐越西線で会津若松から郡山へ。会津若松の駅構内にはこんなポスターが函館です。駅弁を買い込んで乗車し、いざ郡山へ。会津名物のソースかつ丼。ネーミングにひかれた、会津のおばあちゃん。会津でとれる素材を使ったあいづふるさと弁当。磐越西線郡山行は、田園風景の中を進んでいきます。途中駅でみかけた桜。乗車時間1時間12分で郡山に到着です。郡山から次は水郡線に乗り換えて水戸へ向かいます。
2012年06月30日
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2012年5月5日。鶴ヶ城から会津若松駅へ向かいます。反対側にまちなか周遊バスがきましたが、あのバスだと時間がかかりすぎる・・・。結局、鶴ヶ城から会津若松駅へはタクシーで向かうことにしました。会津若松駅前に到着です。鶴ヶ城を回っている頃から、青空が広がり、ずっと雨だったこの旅もやっと晴れました。会津若松駅前にあったものをご紹介。こちらは会津の名物どでかい赤べこ。そして白虎隊士の像。曇っているのは、この写真朝飯盛山へ向かう時に撮ったものだからなんです。C57形蒸気機関車の動輪。会津若松駅名の由来。なんでも、幾筋もの大河の合流する地点ということでつけられたんだそうですよ。さぁ~磐越西線で郡山へ向かいます。会津若松の駅名表示。左に広田・堂島とありますが、右には何も書いてありません。会津若松駅は始発と終点の駅だったんですね。列車に乗り込む前にちょっとトイレタイムを・・・。そのトイレにはこんなかわいいものが飾ってありました。この日は子どもの日。郡山行普通列車は12:02発。列車が入線してきました。行先をしっかり確認。大丈夫、郡山ですね。列車のドア両側には赤べこが描かれていました。会津若松から郡山に向けて出発です。郡山までの普通列車は13駅、乗車時間は1時間12分です。
2012年06月29日
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2012年5月5日。駆け足で回った鶴ヶ城。走り長屋を見ながら表門へ。こちらが表門。扉や柱が鉄で包まれていたことから、鉄門(くろがねもん)ともいうそうです。その表門を出てお城を後にします。少し歩いて振り返ると、天守閣がど~んとそびえています。近くにあった八重桜と一緒に天守閣を一枚。名残惜しい天守閣。またまた石垣が見えてきました。北出丸から本丸へ続く大手門。案内に従って出口へ向かいます。おっと、こんなところに鶴ヶ城の説明が。こちらの石垣は北出丸。ここに侵入した敵は三方から殲滅できるので「みなごろし丸」とも言われていたとあります。鶴ヶ城公園の案内板。武道奨励のために建てられたという武徳殿。お堀を見ながら鶴ヶ城を後にしました。この後は、会津若松駅から郡山を経由して水戸へ向かいます。
2012年06月28日
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2012年5月5日。鶴ヶ城の天守閣に入ります。入り口には若松城となっていますね。内部は撮影禁止なので、天守閣からの眺めを。北側に広がる会津若松の街並み。南側の様子。東側。西側。天守閣から表門。赤い鳥居が見えます。撮影できない城内ですからついつい早足になってしまいます。
2012年06月27日
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2012年5月5日。まちなか周遊バスで、飯盛山から鶴ヶ城にやってきました。お堀の周りにはまだ桜が咲いていました。その先へと進んでいくと、ど~んと石垣が。若松城(鶴ヶ城)跡の看板が。鶴ヶ城は当初は黒川城と称し至徳元年(1384年)に芦名直盛が最初に築城したと言われています。お堀の向こうに橋が見えてきました。その橋を渡ります。この石垣、築城当時は表門として使われた本丸埋門。歴史の中で、城主が何人か変わっていきましたが、のちにここは裏門になったんだそうです。その埋門を抜けると、正面にど~んと鶴ヶ城の天守閣が見えました。入館料が500円。鶴ヶ城に入城します。残念ながら内部は撮影禁止なので、次は天守閣からの眺めをご紹介します。
2012年06月26日
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2012年5月5日。飯盛山からまちなか周遊バスのバス停まで戻ってきました。バス停前には満開のはなみずき。曇り空が残念です。バス停の後ろにこんなものを見つけました。放射能の測定器のようです。福島原発から100キロ以上離れている会津でも放射能の恐怖は身近に存在することを知りました。大型連休中は、通常20分間隔で走っているまちなか周遊バスの運航は15分間隔。やってきたバスに乗りこみます。バスは一度会津若松の奥座敷東山温泉へ。東山温泉駅にはこんなものがありました、電気のいらない自動ドア。どういう仕組みなんでしょうかね?20分ほど乗車したでしょうか。鶴ヶ城体育館が見えてきました。福島県立博物館。ここで下車です。鶴ヶ城の入り口はこちら。緑の中に城壁が見えてきました。列車の時間があるのでちょっと急ぎ足でまわらなくてはなりません。
2012年06月25日
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2012年5月5日。宇賀神堂・さざえ堂・厳島神社・戸ノ口堰水神社とまわって厳島神社の参道を下ります。まだまだあります、子育て地蔵尊。さらに鳥居を目指して歩きます。厳島神社の鳥居。奥州會津飯盛山本参道とあります。そしてこちらが霊牛神堂。説明板を読んだのですが、なんのことやら・・・よくわかりませんでした。さらにあるいていくと・・・。天然記念物太夫桜。たかさ13m、幹の周りが5.5m。江戸彼岸桜で、会津にある二大古木のうちの一本だそうです。残念ながら花は散った後でした。資料館白虎隊記念館。資料館前にはこんな像も。こちらは生存した隊士を出迎えた愛犬クマと酒井峰冶の像。飯盛山を後に。再びまちなか周遊バスに乗ります。
2012年06月24日
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2012年5月5日。さざえ堂を出て、飯盛山を下ります。緑に囲まれた中にまだまだ古い建物が見えますが。振り返ってみるさざえ堂。面白いものがありましたよ~。「天高し ピサの斜塔と さざえ堂」これは慈母子育観音。こちらは厳島神社。永徳年間に建てられたそうで、当時は宗像神社と言われ、飯盛山も辯天山と呼ばれていたそうです。神社のすぐそばにあったご神木。戸ノ口堰洞穴。猪苗代湖から会津地方へ水を引く為に掘られた堰で、元和年間から元禄年間まで工事が行われ天保3年から3年間は会津藩士である佐藤豊助が中心となり飯盛山の中腹からトンネルを掘り進みました。トンネルの長さは約150mとなり工事に刈り出された人夫は5万5千人に達したそうです。完成後は2500ヘクタールの灌漑が可能になり会津藩にとって大きな恩恵となりました。戊辰戦争の祭は白虎隊士中二番隊20名が鶴ケ城に戻る際通った洞穴としても有名です。そしてこちらはその戸ノ口堰を守る神社。戸ノ口堰神社から厳島神社を振り返ります。緑の中に建つ二つの神社。
2012年06月23日
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2012年5月5日。この旅の目的である、会津のさざえ堂。さざえ堂は寛政8年(1796年)に実相寺の郁堂和尚が建立されたとされ、記録的には「新編会津風土記」に「円通三匝堂」と記されているそうです。さざえ堂の全景。六角形で、右回りに螺旋状の廊下を登ると頂上には太鼓橋があり、それを渡ると下りの廊下になり建物を3回廻ります。上りと下りに道が分かれている事は参拝者がスムーズに参拝出来る為とされ、さざえ堂の構成の特異さは世界的に見ても珍しい建物と言えるんだそうですよ。六稜三層の形状がさざえに似ている事からさざえ堂と呼ばれ、内部には西国三十三観音が祀られていて一周すると西国三十三観音霊場を巡礼したのと同様の御利益があると信仰され、江戸時代には多くの民衆が訪れたそうです。明治初頭に発令された神仏分離令により仏像は撤去されています。それでは内部に入ってみます。まずはのぼりの廊下をぐるぐると上がっていきます。堂内のいたるところに参拝者の名前なんでしょうかね?貼られているのは。間もなくのぼりが終わります。どうやらここがてっぺんのようです。天井にもびっしりと貼られている名前。ぐるぐる回って、今度は下り。堂内を3周して出てきました。出てきたのはちょうど入り口とは反対側。このさざえ堂は建築的な特異性と、当時の民衆の宗教感を伝える貴重な存在として、平成7年に国指定重要文化財に指定されています。 この彫り物も歴史を感じさせます。観音様を、一ケ所のお堂に集約したさざえ堂。江戸の羅漢寺をはじめ、関東を中心として全国各地にさざえ堂と呼ばれる建物が建てらたそうです。やはりどちらのさざえ堂も観音像を安置し、一度にお参りするためのお堂だそうです。
2012年06月22日
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2012年5月5日。白虎隊士自刃の地でお参りをした後、お目当てのさざえ堂に向かいました。おや?ここにも白虎隊士がいます。見えます、見えます鶴ヶ城が。土産物屋さんの横の階段を下りてさざえ堂に向かいました。会津さざえ堂を紹介する看板です。おぉ~これがさざえ堂か~。と思って下りていくと、こんなところが。水塚・花塚・茶筅塚とあります。その中心となる花塚には、北海道道南から九州各地から集められた花が植えられているそうですよ。さざえ堂の看板がありました。拝観料400円です。その前に白虎隊士を祀った宇賀神社。白虎隊士十九の霊が祀られています。右の写真がただ一人生き残ったという飯沼貞吉さんのようですよ。そんな飯盛山に建つさざえ堂。今回の旅の目的がこのさざえ堂をみることでした。
2012年06月21日
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2012年5月5日。飯盛山、白虎隊士の墓から自刃の地へ向かいます。自刃の地へ向かう途中にあるのが飯沼翁の墓。40名の隊士のうち、ただ一人生き残った人だそうです。彼がいたから白虎隊の実録も知ることができたと記されています。彼のお墓からは会津の町並みをみることができます。飯沼貞吉氏のお墓から階段を下りていきます。ここが自刃の地。そこに建てられている慰霊碑。遠くに鶴ヶ城が見えます。この後はおめあての会津さざえ堂に向かいます。
2012年06月20日
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2012年5月5日。動く坂道で標高314mの飯盛山にやってきました。飯盛山といえば、白虎隊の墓がある所。まずはそのお墓に行ってみましょうか・・・と思ったら、なんだこれは?なんとも不釣り合いと思ったんですが、白虎隊の精神に深い感銘を受けたローマ市民から贈られたもので、なんとこの円柱はポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱なんだそうですよ。そればかりではありませんでした。こちらは、白虎隊精神を賛美してドイツのフォン・エッツ・ドルフ氏から贈られた碑。白虎隊のお墓はこちら。参道を上って左。白虎隊は主に10代の少年が主流となった部隊で、当初は40名で組織されていたそうです。戸ノ口原で銃撃戦となり20名が戦死、残りの19名が飯盛山で自刃。あれ?一人足りない?なんとそのうち、飯沼貞雄ただ1人が自刃したものの傷が浅く助け出されたんだそうです。次から次にお参りにやってきます。そんな白虎隊の悲話。この後は、その自刃の地へ向かいます。
2012年06月19日
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大型連休のぶらり旅続けます。2012年5月5日。この日は子どもの日。でも、相変わらず会津若松はどんより曇り空。午後から水郡線で水戸へ移動の前に、まずはまちなか周遊バスで飯盛山へ。まちなか周遊バス、あかべい号。飯盛山入口に到着です。あぁ~こんな便利なものがありますよ~、動く歩道ならぬ動く坂道。これは乗らなきゃ~と250円を払って動く坂道へ。結構急ですよ~。動く坂道を1号機から2号機へ。ありましたありました~この旅のお目当て、会津さざえ堂はこっちのようです。でもその前に白虎隊のお墓へお参りをしてから行きましょう。
2012年06月18日
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第三お花畑まで登ってきました。あとは稜線に沿って頂上を目指します。右側に目をやると・・・えぇ~あれはもしや~。摩周岳に摩周湖か~。ズームで確認、おぉ~あれが噴火口だな~。霧の摩周湖ならぬ晴れた摩周湖です。稜線に沿って山頂を目指すのですが・・・。イースター島モアイ像の切り出し場がこんな感じだったな~と。左手に広がる根釧台地。随分登ってきました。ごくらく平から見る摩周岳に摩周湖。頂上まではあと450mです。あともう少しだ、がんばれ~。そしてついに標高799mの西別岳山頂に到着です。いや~もう疲れたけれど、この景色を見たらその疲れも吹き飛んでしまいました。この先登山道は摩周岳まで続いていますが、この日の目的地は西別岳。遠くにかすんで見えるのは、雌阿寒岳に雄阿寒岳。天候に恵まれ、山頂からぐるり360度見渡すことができました。
2012年06月17日
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北海道百名山のひとつ、阿寒国立公園内にある西別岳に登ってきました。入山届を記入して。いざ出発です。「き」の抜けた手作り看板。心無いものによる高山植物の盗掘が多いんですね。登山口から600mのうぐいす谷。山頂まではまだ2.6kmもあります。見上げる頂上はまだまだ先。振り返ると根釧台地が広がっています。登山口から900mのがまん坂。頂上まではまだまだ2.3km。あぁ~先は長い。休憩~!雲の影が根釧台地の上に見えます。山の向こうに見えるのは斜里岳だ~。それまで見晴らしのいい登山道から、ダケカンバの林の中に入ります。視界が開けていないと疲労感も増します。でも、ただただひたすら登り続けるだけ。ダケカンバの林を抜けると、再び視界が開けます。登山口から1.6km登ってきました。でもまだ残り1.6kmで、やっと半分です。うつむいて歩いていると、突然たくさん花びらが落ちているのを発見。えぇ~もしかして~。おぉ~桜だ~。千島桜です。こんなところで見られるなんて、得した気分です。だいぶ登ってきましたよ~。お隣の山リスケ山との分岐に到着。ここまで登山口から2km。山頂まで残り1.2kmです。登山道に咲く可愛らしい花々。第三お花畑まで登ってきました。後は稜線に沿って頂上を目指します。
2012年06月16日
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2012年5月4日。この日の夕食はここで。やるき茶屋会津若松店。前日の失敗をいかして、予約を入れていきました。通されたのはカウンター席。この日もたくさん歩いたので、びーるがおいしい~。ジョッキもキンキンに冷えてます。お通しは筍の土佐煮。まずは野菜からと、大根サラダにシーザーサラダ。串の盛り合わせ。九条ネギの塩だれにきのこのサラダ。会津も馬刺しが名物なんですね。ここでは辛味噌がついてきました。牛タンの塩焼きに生ハム。豚しゃぶポン酢に脂ののった鮭ハラス。カウンター席の目の前にこんなのがあったので・・・。会津の地酒花春。お店の人がグラスに注いでくれたんですが、後残りがこれだけなのでとボトルに残っていたお酒をすべて注いでくれたんですよ~もうグラスからど~っとあふれてしまいました。つまみにはこれも会津名物というニシン漬け。これが結構おいしかったんです。せっかくなので、会津の地酒をもうひとつ。栄川と書いて「えいせん」と読むんですね。そしてつまみは納豆揚げに明太とろろ磯部揚げ。このお店もANAのマイルが貯まります。
2012年06月15日
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2012年5月4日。阿弥陀寺から徒歩でこの日宿泊するホテルへ向かいます。その途中にこんなものを見つけました。日本唯一御造酒地蔵堂。街灯もちょっとおしゃれ。間もなく会津若松駅前なんですけど・・・。これはなんでしょう・・・?このモニュメントの説明がみあたりませんでした。この日の宿泊は、東横イン会津若松駅前。チェックインをして部屋へ向かいます。部屋は704号。部屋の作りは全国の東横インどこも同じなのでしょうね。部屋の窓からは会津若松の駅前が見えます。そしてこの後は再び夕食を食べに出かけました。
2012年06月14日
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2012年5月4日。戊辰戦争の痕跡を残す阿弥陀寺を出て、会津若松の町並みを見ながら徒歩でホテルへ戻ることにしました。この通りは古い建物がたくさん残っている商店街。会津名物和ろうそくのお店も。こんな建物もありましたよ。呉服屋さんのようです。途中、七日町幸せ回廊七福神めぐりの6番目、めぐりあい観音とあったのでちょっと寄ってみました。なんでも京都宇治のお茶問屋の息子がいなくなり、観世音菩薩像を背負って探し回った父がこの地で息子と再会したということから、ここにお堂を立てて菩薩像を安置したそうです。そのめぐりあい観音のお堂があるのが常光寺。同じ場所には古峯神社もありました。再び商店街に戻ると、ここは造り酒屋のようです。そして道端にはこんなものが・・・。焙煎機なんでしょうか?ということはこの蔵は喫茶店?看板は出ていないので今日は定休日?仏具のお店もありました。店先に並んでいるのはろうそくを立てる物でしょうか?ファミリーマートも町並みに溶け込んでいます。石屋さんの前にはこんなかわいらしいものも。七日町では最も大きな旅館で、幕末には吉田松陰も宿泊しているという清水屋旅館跡。この旅館を有名にしたのは、新選組が逗留していたことからだそうです。会津若松といえばやっぱりこの人でしょう。野口英世通りと名前の付いた商店街。町のあちこちに「八重の桜」の文字が。来年の大河ドラマはこの会津若松が舞台なんだそうです。大河ドラマが始まると、さらにここ会津若松には観光客が訪れるのでしょうね。
2012年06月13日
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2012年5月4日。七日町駅舎内にある喫茶店で一息ついたあと、向かい側にあった阿弥陀寺に行ってみました。七日町「幸せ回廊」七福神めぐりの一番目になっているようです。枝垂桜の咲くひっそりとした境内に足を踏み入れると・・・。戊辰戦争の痕跡を残すものがたくさん。これは御三階。鶴ヶ城から明治3年5月に仮本堂として移されたもの。外側が三階なのに内部は四階となり、三階部分は天井が低く人が立つことは出来ないそう。一階から二階へ通じる階段は、跳ね上げ式となり、四階へは上ることが出来ないようになっているそうです。入口部分は、鶴ヶ城本丸にあった大書院唐破風の玄関部分を付け足したもの。境内にある梵鐘。その下にはこんな説明が。阿弥陀寺は1603年、蒲生秀行の時代、下野国に生まれた良然が開山。明治元年の戊辰戦争後、会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることを許されませんでした。幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのは明治2年2月のことでした。阿弥陀寺には1300柱にものぼる遺骸が埋葬されました。さらには、新撰組藤田五郎の墓も。この日もお参りに来ている人がいましたね。歴史の教科書に載っていたことがこの地であったんだ~としみじみ思いました。そうそう、ここ阿弥陀寺には大仏様もあったそうなんです。でも、太平洋戦争の時に供出して現在は台座のみが残っています。
2012年06月12日
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2012年5月4日。会津武家屋敷を出ます。出口にはレストランや土産物店がありました。土産物店には、ありましたよ~会津の赤べこ。会津武家屋敷限定のべこ太だそうです。土産物店を出た後には、喜多方ラーメンのお店もありました。会津武家屋敷の前で、まちなか周遊バスを待ちます。やってきました~まちなか周遊バス。通常20分間隔が、大型連休中は15分間隔に。まちなか周遊バスに揺られて20分。七日町駅に到着です。七日町駅には喫茶店もありました。ちょっと駅のホームも見てみましょう~。ちょいと歩き疲れたので、この辺で休憩を。水出しコーヒーをいただきました~。この後は、駅向かいにある阿弥陀寺へ行ってみました。
2012年06月11日
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オホーツク方面、昨日9日の日の出時間は午前3時41分です。ちょっと水平線には雲が多かったのですが、太陽が上ってきました。夏至の前のこの時期はオホーツク海からど~んと太陽が上ってきます。あれ~?気のせいかな?いや、やっぱりそうだ~。太陽が変形していますよ~。下が細くなって見えます。下の方が小さくくびれていたりするこれは、大気差によるものなんだとか。
2012年06月10日
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2012年5月4日。中畑陣屋から茶室を見て、くらしの歴史館へ向かいます。その途中には弓道体験ができる場所が。4射200円です。全て的を射ると刀セットがもらえるようですが、的が小さ~い。くらしの歴史館入り口。この建物は、天保年間に建てられた養蚕農家を福島市から移築したものだそうです。中に展示されているのは、古代から江戸時代までの会津の暮らしや人々の生活の様子が展示されています。中でも目が行った、会津の画人遠藤香村の作品。ちょうど子どもの日も近かったので。武者絵というのでしょうかね?こちらは獅子舞の頭。赤べこをはじめとした会津の玩具。会津塗の漆器もありました。江戸時代の裃と着物。くらしの歴史館をでます。するとなぜか鑑真の像が。説明を読むと、この鑑真像は中国彫刻界の第一人者の作で、中国との国交回復10周年を記念して中国との関係が深いここの館長が安置したものとあります。さ~て、会津武家屋敷をひととおり見て回りました。次はふたたびまちなか周遊バスに乗ります。
2012年06月09日
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2012年5月4日。中畑陣屋の裏手に回ります。こちらは台所。そして表座敷。そしてこちらが床の間のある奥座敷。中畑陣屋に隣接して茶室もありました。嶺南庵麟閣というそうです。茶室に続く鎖の間。そしてこちらがその茶室。窓から床の間にかけてある掛け軸が見えます。にじり口。茶室を後にして次へ向かいます。
2012年06月08日
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昨日は出勤途中、いつものように国道から右折して農道に入り、走ること200m。緩やかな左カーブを曲がると、目の前に突然ド~ンとエゾシカが。エゾシカと目が合った瞬間、シカくんはものすごい急斜面を駆け上がっていきました。そして帰り道。朝見かけた場所にほど近いところでまたまたエゾシカくん発見。おぉ~エゾシカくんだ~と、一旦車を止めてカバンの中からカメラを取り出します。エゾシカくん、こちらに気づいたようで、振り向いてこちらをみます。そしてゆっくりと林の中へ。ラジオのボリュームを下げ、窓を開け、ゆっくりとエゾシカくんが入っていった林へ近づくと、まだいました。こちらを見てます。一枚、二枚、三枚と撮り続けているときに、後ろから車がビュ~ンと走ってきて、驚いたエゾシカくんは林の中に消えていきました。
2012年06月07日
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2012年5月4日。家老屋敷に隣接する片長屋を出ると案内板が。案内板には、この関所を通過しましたら中畑陣屋の関所へお進みくださいとあります。案内板に従って中畑陣屋へ進んでいきます。この陣屋は、西白河郡矢吹町中畑の地に天保年間の代官陣屋として建てられたとあります。中畑陣屋の玄関です。玄関は「のつこみ」と呼ばれ、代官と身分の高い客の出入り口だったそうです。そしてここは、役所作りで時には裁判のお白洲としても使用されたそうです。中畑陣屋母屋への入り口。こちらは中之口。家族や家臣たちの出入り口だそうです。中をのぞいてみると、こちらは何に使われていたのでしょうかね。中畑陣屋の裏手に進んでいきます。
2012年06月06日
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昨日のオホーツク方面は晴れて気温も上がり、部分月食を見ることができました。午後7時過ぎ、斜里岳の斜面から昇ってきた月は既に欠けた状態。午後7時半ころにはあたりも暗くなり、一層月の明かりが際立ちます。ちなみに今日の日の出は、午前3時41分、日の入りが午後7時2分です。まもなく夏至を迎えますね~。
2012年06月05日
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2012年5月4日。家老屋敷から片長屋へ向かいます。江戸時代の武家邸宅には長屋を設け、下級の家臣を住まわせ、邸宅の警備をさせていたそうです。この長屋は表門の片側についているので片長屋と呼ばれているそうです。その長屋の中をのぞいてみましょう。中にあるかごは、江戸時代末期のもので重さは約30キロ。家老といえども特別な場合を除きそうそう使えなかったんだそうです。隣の部屋は家臣の居宅。独身で持ち家のない家臣が警備を兼ねて住んでいたそうです。こちらは酒ふな。この中にも醪の入った酒袋をたくさん入れ、押しブタを押すとそこの蛇口からしぼったばかりの酒が流れ出て、袋の中には酒粕だけが残るようにできているんだそうです。片長屋を出て次は旧中畑陣屋へ。この後は旧中畑陣屋へ行きます。
2012年06月04日
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2012年5月4日。順路に沿って歩いていくと家老屋敷の台所です。台所の外には洗い場と井戸。台所の中に入ります。台所は、土間・溜り・料理の間・配膳の間から構成されているそうです。ずらりと並んだ食器。こちらが配膳の間。天井にはタコが。屋根は雪の重みに耐えられるように緩やかな弧を描いているそうです。台所を出て歩いて行った角は若党部屋。来客の従者が、用件が終わるまで待っていた部屋。こちらは番所。屋敷内警備の家来たちが詰めていた部屋。続いて役人所。屋敷内の事務処理をしていた部屋だそうです。この後は、家老屋敷に隣接する片長屋へ。
2012年06月03日
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2012年5月4日。家老屋敷から資料館になっている蔵の横を通って歩いていくと。むむぅぅぅ、ここはなんだ~?藩米精米所とあります。今から170年前に建てられたそうで、当時白川藩で使われていたものを移築したんだそうです。水力を利用したこの精米所。一日に約60キロの玄米を16俵程精米していたそうです。精米所を出て再び家老屋敷へ。家老屋敷の裏手になるようです。こちらは女中部屋。行儀見習いの女中たち十数名が相部屋で寝食を共にしていたそうです。そしてこちらは女中頭部屋。女中頭一人に一部屋与えられていたそうです。この廊下の奥は何だと思いますか?厠だそうですよ。そしてさらに進むと、裏玄関。裏玄関とは言わないんですね、奥玄関だそうです。次は家老屋敷の台所へ向かいます。あぁ~井戸が見えますね~。
2012年06月02日
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2012年5月4日。会津武家屋敷のちょっと悲しい話。ここは自刃の間。慶応4年(1868年)8月23日早朝、西軍は会津城下に総攻撃を開始した。お城より全員登城の命が下ったが、西郷家の婦女子は「足手まといになるまい」と考えて、この部屋にて自らの命を絶ったそうです。祖母や女の子たちの部屋だったという奥二の間。こちらは、家老の寝室となっていた書院造の奥一の間。そんな部屋から見える庭の石灯籠。さらに進んでいくとこんなところがありました。ここはお風呂場です。お風呂は檜造り。竈がないので、お湯は台所で沸かし、手桶で運んだそうです。火災予防の点から、広い邸内で火を使えるのは台所に限られていたからだそうですよ。こちらは子ども部屋。一番右端の部屋は床の間があり、家督を継ぐ長男の部屋。次男・三男は真ん中の部屋を一緒に使っていたそうです。左端には女性が身支度を整えた部屋、化粧の間。家老の家族が生活していた部屋が続いていました。
2012年06月01日
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