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精神科医の町沢静夫医師による『「こころの居心地が」よくなる心理学』の前書きに現代の子どもをとりまく社会の象徴的な一文がある。『・・・このような「もの」の発展とともに、実は若者達を中心として人類の将来に希望が持てない、生きるのは重いといった嘆きがきわめて強くなりつつある。日本の子どもたちには、社会はなんら魅力がなく、責任と規則で窒息しそうなのである。』続いて『社会の発展は人の心を必ずしも明るくしてはいない。青年や大人、そして老人を含め、かつてより精神障害がますます増え、幸福とはほんの見かけでしかないのである。』発刊から11年経過した現在、町沢氏の懸念する事態は悪化・加速化している。不登校児童、引きこもり、家庭内殺傷事件の発生など自己統制力の未発達によって社会的不適応行動をとってしまう子どもが著しく増加しているのである。 文部科学省では、「不登校児童生徒」とは「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義している。1988年度の文部省(現文部科学省)の学校基本調査のまとめでは登校拒否(現不登校)児童は小学生が約6万人、中学生が36万人、合計42万人と過去最高であった。当時の様態内容には「学校生活に起因する型」として原因説が記載され臨床的見解と一致していないとの現場の批判があげられていたように記憶している。同省によれば2006年度に30日以上学校を欠席した不登校児童生徒数は小学生中学生合計19万7千人である。2001年度の合計13万8千人から大幅に増加しているのがわかる。不登校には友人関係をめぐる問題、教師との関係をめぐる問題、学業不振などの学校生活に起因するケースと病気によるもの、家庭の生活環境の急激な変化、親子関係をめぐる問題、家庭内の不和などの家庭に起因するケースなどがある。 またこれらのケースが重複することもある。登校拒否と呼ばれた時代には母子関係の密着や心理的な父親不在など家族関係の病理が不登校の土壌を作り出すといったステレオタイプ型の原因説と、親子間のコミュニケーション欠如による、親への反抗、攻撃的傾向から不登校に陥るとされていた。また子どもの性格的な面での未成熟、自己中心性、欲求不満耐性の欠如、非協調性など非社会的性格特性が要因となっている場合も多かった。こうした性格特性の主な原因は自己概念の歪みに起因するともいわれる。さらに学校教育の中で、個性を考慮しない学習内容や生活管理、偏差値至上あるいは競争主義なども、後述するいじめなどとも相互に影響しあっている。 小中学校期に学校生活を楽しむためには、まず友達との健全なコミュニケーションが必要不可欠である。そのため友達と円滑に交流することが困難であれば、同時に学校生活の中で自分のポジションを確立することが困難であるということを意味する。義務教育では個々の学習過程と並行して集団活動を学ぶ場でもあるため孤立状態になることはその集団活動への参加意欲を失いやすい。自分を過小評価し他人を過大評価するために自己概念の歪みを益々強化することになる。 支援方法としては面接相談を中心としたカウンセリングが有効である。面接を通して客観的に自己を把握し、感情・情緒の暖かい交流によって真の自己を洞察してくためのプロセスでもある。ただ子どもといえども、かけがえのない個人として受容・理解・共感の姿勢を持って応対しなくてはならない。子どもが自己尊厳を守るために不登校という手段を選択した可能性も汲み取るべきである。また根本原因を追うあまりに、環境の操作に走ると子どもはやがて大人を意のままに扱うすべを覚え何度でも不登校を繰り返す。毅然とした態度とともに周囲の大人が子ども自身の健全な社会性や自発性と自己統制力を育成することも重要なプロセスといえる。そのために必要不可欠なのが家庭教育の現状把握と、心理療法である。登校拒否サポートのさきがけとなった吉岡康雄氏によれば、『家庭教育の誤りと子どもの性格因子、親の性格因子が融合することではじめて不登校児となる』のである。私個人の活動においても不登校児童の相談では、まず母親の心理的ストレスの解放とストレスのセルフケアマネジメントを指導させていただいている。実習と称して家族を対象に簡単なマッサージを専門講師が指導し宿題として出すこともある。被害者意識から家族の一致団結の好機会へと転換させる第一歩である。その後母親自身のコミュニケーションの特性とそれによって引き出された子どもの反応(言動)についての理解を深めていくのであるが、殆どといってよいほど、コミュニケーションに関する課題を母親自身が持っている。子どもの頃にいじめられた体験がある、友達を作りにくい、親の影響で自己評価が低く対人不安や場面緊張があるなど負の体験を子どもが鏡として再現していることも多々ある。不登校の以前にいじめがあり、母親が自己の痛みを我が子に投影し過剰に反応しすぎたために子どもの友達との関係性を壊し不登校にならざるを得ないと思えるようなケースもあった。親も子も変化する勇気を持つためにはいくつものステップを経なければならないのである。もちろん子どもが学校や友達に過剰適応しようとすることが善ではない。友達の言いなりになり、ひいては自殺に至るという痛ましい事件も起きている。家庭内での関係性について見直すタイミングを不登校によって子どもが提供しているという考え方もある。 1998年の現代教育研究会による「不登校に関する実態調査」では、平成5年度の不登校生徒で中学校を卒業した者を対象として、不登校当時の状況、当時の心境、不登校時の援助体制、その後の進路状況等について追跡調査を行った。その内容として、不登校のきっかけ・継続の理由は「友人関係をめぐる問題」(45%)、「学業の不振」(28%)、「教師との関係をめぐる問題」(21%)など学校生活に関わるものが多い。不登校の態様(不登校継続の理由)についても、「学校生活の問題」が最も多く挙げられている。 本人の性格的理由やいじめなどの要因以外の不登校分類には、神経症的登校拒否といった従来学校恐怖症とよばれたものを含む優等生の息切れ型や過保護など親からの過干渉や無関心によって自立心の育つチャンスを奪われたタイプがある。また協調性の欠如から社会的情緒的に未成熟で、困難や失敗を避けて安全な家庭内に逃避する。無気力になり引きこもるケースもある。このほか統合失調症、精神分裂症、うつ病、神経症などの病理によるものがある。先日厚生労働省の研究班が中学生の4人に1人がうつ状態という調査結果を発表したが不登校児童の中にうつ症状を発症している子どもがいる可能性がある。学習意欲に乏しく、時折休む無気力な子どもや学校や家庭に適応できす、非行グループに入り、学校にこない子どもは怠学タイプに分類される。登校することに価値を見出せず、積極的に不登校を選択するタイプ。転校・病気その他客観的に明らかな原因があり、それが解消すると登校するようになる一過性の不登校などがある。 現代は不登校児に対して、適応指導教室や各種相談所、フリースクールから通信制の単位制高校、定時制昼間部高校、大検等進路選択の幅は増え、父兄の間には学校に行く事がすべてではないという風潮が不登校を長引かせるという側面もある。
2007.10.14
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人間としての個人差について考察するに当たり様々な視点を考慮しなくてはならないだろう。人間の身体の内側へ向かい、肉体、心、精神、霊性(WHO世界保健機構の認めるところのスピリチュアリティ)の総合体として捉えようとすれば、肉体は臓器、組織、細胞、DNA、RNAさらにそれを構成する化合物とその元素、分子、原子、量子化学的に加えれば素粒子からクォークの集合体である。人間を身体の外側へ向かっていく見方をすれば、身体に接する自然環境、あるいは生活環境を含めた社会環境、地域社会から国家という組織、そして地球に生息する人類という無限大に広がる構成の中における存在としての人間という視点もある。個人差はそのマクロとミクロの間に、何がしかの尺度をもって2つ以上の事象を比較したときに観察されると私は考える。人間としての構成要素を分割してある角度からまとめて見るといった比較によって深く理解することが可能になる面もある。西洋医学や教育の領域ではそのような専門的な分類によって発達発展してきた経緯がある。しかし、分割したために全体が見えなくなりその個人の存在意義よりも従属する素因に意識が注がれるようにもなってきている。各パーツの集合体として人間を見ようとすれば個人としての個体差は観察・数値化可能だろうが、自我(あるいはその成長とともに確立過程にある自我)をもった個人性としての存在意義が軽視される。個人の差を考察する場合には、比較が個人の存在意義を揺らがす可能性があるといった危うさを踏まえた上で進める必要がある。
2007.10.14
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心理学心理学における発達(en:development)とは、一般に受精から死に至るまでの人の心身、及びその社会的な諸関係の量的及び質的変化・変容をいう。外国語の development、あるいはドイツ語の die Entwicklung は、巻いた絨毯のようなものを開いていくような行為、様子をいうもので、開ききってしまったところが人間の終焉になる。発達の三要素発達には三つの構成要素があるとエリク・エリクソンはいう。彼が挙げているのは、次の三つである。 成長(Growth) - この反対が老化。生涯発達のピークを分水嶺としては、前半が成長、後半が老化となる。 成熟(Maturation) - 性交渉によって生殖可能になる事。その可能時期の終わりを告げるのが、女性では閉経。男女共に更年期というものがあり、様々な更年期障害を呈する。 学習(Learning) - 経験により獲得した知識、理解により、自分の行動、態度を微調整していく事が出来る事。この特殊なものは、学校教育の中で得られる。学習は人生の前半にのみあるものではなく、健忘症、物忘れなど人生の後半では負の学習というものも存在する。 医学医学、特に小児科学に於ける発達とは、機能的な成熟の事。物的な成熟である「成長」と対比している。身長や体重が大きくなる事は成長と言い、言葉や運動を覚える事を発達と言う。発達段階(はったつだんかい、developmental stage)とは、他の年齢時期とは異なる特徴を持っている年齢時期のまとまりをさす。個体の発達過程がなだらかな連続的変化だけでなく、飛躍的に進行する非連続的変化をも表すと考える時、相互に異質で独自の構造を持つとされる一定の区分された時期。発達課題(はったつかだい、developmental Task)とは、「人間が健全で幸福な発達をとげるために各発達段階で達成しておかなければならない課題」であり、「次の発達段階にスムーズに移行するために、それぞれの発達段階で習得しておくべき課題がある」とされる。又、各段階には健全と相反する危機(crisis)が存在し、健全な傾向をのばし、危機的な傾向を小さくしなければならない。教育心理学者のロバート・J・ハヴィガーストが最初に提唱し、その後エリク・H・エリクソンなど様々な心理学者がそれぞれの発達課題を提言しており、その内容は一様ではない。一般に、発達課題は次のような意義と特徴を持っているとされる。自己と社会に対する健全な適応にとって必須の学習である。 本質的には一定の期間内で学習されなくてはならない。その後も存在し続ける課題もあるが、その意義は弱化していく。 発達課題は、子どもから高齢者に至るまでの各年齢段階にある。 エリク・H・エリクソンの発達課題エリク・H・エリクソンが提唱した発達課題の各段階とその心理的側面は、以下のとおりである。ちなみに左記が成功、右記が不成功した場合である。Stage One:乳児期 信頼vs不信 Stage Two:幼児前期 自律性vs恥・疑惑 Stage Three:幼児後期 積極性vs罪悪感 Stage Four:児童期 勤勉性vs劣等感 Stage Five:青年期 同一性vs同一性拡散 Stage Six:初期成年期 親密感vs孤独感 Stage Seven:成年期 生殖性vs自己吸収 Stage Eight:成熟期 自我統合感vs嫌悪・絶望 発達障害(はったつしょうがい/Developmental Disorders, Developmental Disabilities)は、一般的に、乳児期から幼児期にかけて様々な原因が影響し、発達の「遅れ」や質的な「歪み」、機能獲得の困難さが生じる心身の障害を指す概念。学術的には知的障害(精神発達遅滞)を含むが、一般的には、知的障害を伴わない軽度発達障害だけを指す場合も多い。発達障害児の示す発達の「遅滞」や「ゆがみ」は、決して不変のものではなく、適切な療育により発達を促し、改善していけるものであるとされる。発達障害児が有する特徴を遅滞や歪みとは捉えない考え方・立場もある。心理的発達に関する障害というと、愛情や育ち方が悪かったために正常に発達しなかった、というような印象を与えるが、発達障害に含まれるのは全て生物学的要因による障害であり、養育態度の問題など心理的な環境要因や教育が原因となったものは含めない。大多数は先天的であり、そうでないものも比較的低年齢に生じた他の疾患の後遺症による。分類精神発達遅滞 軽度精神障害 中等度精神障害 重度精神障害 最重度精神障害 精神遅滞、重症度特定不能 広汎性発達障害 自閉性障害 レット障害 小児期崩壊性障害 アスペルガー障害 特定不能の広汎性発達障害 学習障害(LD) 読字障害 算数障害 書字表出障害 特定不能の学習障害 運動能力障害 発達性協調運動障害 注意欠陥及び破壊的行動障害 注意欠陥・多動性障害 特定不能の注意欠陥・多動性障害 行為障害 反抗挑戦性障害 特定不能の破壊的行動障害 コミュニケーション障害 表出性言語障害 受容―表出混合性言語障害 音韻障害 吃音症 特定不能のコミュニケーション障害
2007.10.08
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統合教育では障害児、健康児を一緒に教育するが、現場の子どもたちは障害児の表現がそういうものだと学び、納得すればそれはそういうものとしてとくに反応するでもなく、協力する場面が出てくる事でクラスの一体感が生まれたりしている。実のところ授業の進度や他の児童への対応などについて苦慮するのは親と教師の関係性であるとも聞く。障害児の現存能力の維持向上のための専門教育の必要性についてはここでは問わないとして、個々の児童の個人差がそのままその地域で伸ばし活かされる事も地域福祉の一環であり、ノーマライゼーションの理念のベースを育成することにつながるかもしれない。 子どもたちに接して気づくのは差に対して良くも悪くも敏感なことである。変わっている、と相手にしない排除しようという空気も感じられる。その一連の暗黙の負の共感が差別的な言動に発展することもあろう。親密さが排斥によってもたらされるという捉え違いが、個人差を認めない事に端を発しているように思う。すなわち他に認められなければ自己の不安定さを解消できず誰かとつながりながら、その不安定さを排斥した相手に投影して安心するのである。つまり子どもが子供自身の個を認められる経験の積み重ねが欠如していることの表れではないかと考える。教育の質的向上が望まれる以上に平均値志向や能力分析ではなく個人差を考慮した支援解析が必須といえよう。
2007.10.08
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性格(せいかく)は、その者の性質を表す。(人だけとは限らない)性格という用語はcharacterの訳語として心理学で用いられるようになった。ゴードン・オールポートが述べているように、characterという単語には価値的な意味合いが含まれている。一方で性格という用語には価値的な意味合いが薄いということもあり,日本語の「性格」と「人格」という用語は混乱しやすいので注意が必要である。感情面の個性は気質(temperament)という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよく似た言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い。なおこの気質はヒッポクラテスの医学における四体液説に由来する。個性日本では往々にして肯定的な意味で用いられるが、本来は存在する上での差異を指して居るだけに、必ずしも有益であったりするものばかりではない。近年では、身体障害者の身体的特徴や精神障害者の症状をも、その人の個性であるという考え方も生まれている。いずれにせよ、たとえ客観的には不自由を強いる特徴であっても、それがその人らしさを形成する上で、必要不可欠な要素と成って居るのであれば、立派に個性の一端と呼ぶ事が出来る。広義では工業製品などの大量生産品であっても、他社製品とは違う機能やデザインをしている事を指して個性的であると表現する事もある。画一的な工業製品から逸脱したデザイナーズ・ブランドに顕著な傾向ではあるが、中には奇を衒い過ぎて、本来の機能が損なわれている場合もある。シンプルで余計な付加価値を持たない製品が、近年の多機能化傾向の強い風潮の中で、逆に個性的とされる皮肉な逆転現象も起こっている。個性を大切にして、個人個人の性質を最大限に生かそうという考え方が一般的になってきたが、単に「人とは違う」という面のみを持って尊重されるとは限らない。例えば「他の人ならまずやらない」ような不快な癖を平気で披露する者や、あるいは年甲斐も無く異なる年齢層向け・性別向けの商品・サービスを好む傾向や、あるいは外見とマッチしない趣味・嗜好を持っている、かつそれを隠そうとすらしない者への風当たりは厳しい事も少なくない。単に珍奇・珍妙であるのか、個性的だと評価されうるのかについては、当事者の価値観にもよるが、少なくとも評価の可否にはマナーや道徳・あるいは極大なものでは人道といった社会的価値観にもからみ、一定の傾向も見られる。その点で「他人がそれをしていない」と言う行為・行動・傾向が、「能力的に出来ないのでしていない」のか「価値観に沿わないから出来るけどしていない」のかは大きな違いを含むといえよう。特に個性の発露となりやすい趣味やファッションという分野は、他人が個性を評価する上で注目されやすい要素でもある。全体主義的な社会では、個性とは不要か、むしろ害に成ると云ってもいい概念である。しかし個性を認め得ない社会は、アリなどの昆虫の群れに等しく、変化や発展に限界が存在する。というよりは、完全に個性をなくし、全体化した状態の社会はそこで固定化され、変化など生まれるはずがない。社会学的に見れば、常に変化は個人から集団に伝播し、やがては大きな革新へと発展する。つまり、個性がありすぎれば社会の維持にとって害になるが、個性がなければ社会の進展もありえない。個人が個人である必要が無いのであれば、往々にして個人の価値は、消耗品以上には成り得ない。欠損した故人の椅子に、誰か代わりを持って来れば、集団のうちに何割かが稼動できれば良い、という状態を維持できるわけで、人命は極めて軽んじられる。
2007.10.08
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知能は幅広い概念であり、論理的思考、構成力、問題解決能力、抽象的思考、言語機能、学習機能などさまざまな知的活動を包括する。因子分析による分類によれば、知能には一般能力と特殊能力の2因子があるとスピアマンは提唱し、エドワード・ソーンダイクは、CAVDという4検査によって知能4因子説を唱えた。サーストンは、57種類のテストを大学生に実施し、知能には9因子があるという説を提唱した。ギルフォードは、180の因子があるとしている。ガードナーは、言語的知能・論理数学的知能・空間的知能・音楽的知能・運動的知能・社会的知能・博物的知能・実存的知能といった多重知能を提唱している。知能の比較のためには多種多様な知能検査が考案されているが、知的能力のすべてを数値化し判断することは不可能である。また昨今では能力開発ブームであるが、大脳新皮質である左脳の活動が優位なタイプと右脳の活動が優位なタイプといった分類をすれば、左脳の言語的能力と数学的能力の特性と右脳の芸術的能力の優位性を比較することも可能であれば、大脳生理学の利き脳のプロファイルで子どもの個人差を特定することもある。また前頭前野の領域における言語的知能、数学的知能、空間把握の活性化により知的活動が活発になるのであれば知能の個人差は、脳の活動領域の差とも言えないだろうか。実際に学習障害児と情緒障害児あるいはアスペルガー症候群の疑いがある児童の相談を受け脳のプロファイルを作成するにあたり利き脳と諸活動を行うための機能の連携がとれていないことが多々ある。脳器質的な問題を医療機関で検査する前段階で発達過程における感覚運動機能と脳の情報処理システムを再構築することで著しく改善するケースが多々ある。子どもの個人差において知能あるいは性格を尺度とする場合は、その表出している事象にとらわれず発達課題の成熟と環境の相互作用によって機能的な訓練の不足が生じたという背景も考察しなくてはならないと考える。訓練によって構築された能力が環境、とくに親の負の働きかけが繰り返される事によって再び失われるケースがあることからも知能の獲得には子どもの成長発達に好ましい環境を提供する保護者という要因は切っても切れない。経験的知恵と知識をバランス良く使いこなすことが知能が高いといえるかもしれない。ちなみに先天的な障害を持つ子どもに関してはこの限りではない。知能による子どもの比較は発達的特徴をふまえなくてはならない。前論理的に振舞う幼児期であっても諸条件を整えれば論理的な思考が可能だということがわかっている。論理的な能力を潜在的に持っていてもそれを発揮しにくいという説もある。好奇心をくすぐられる場面では非論理的な行動を示す。かといってそれがと知能が劣るというものではない。事象の言語化、具体化、概念化、抽象化といった思考は成長とともに発達する。この場合、個人の持つ生得的能力の優勢あるいは劣勢によって個人差が生じればそれは遺伝による個人差となる。また発達過程によって様々に影響を与える環境要因によって個人差が特化していくとすれば環境説と言い換えることもできる。遺伝説は生物ごとに組み込まれた遺伝的要因を重視する。乳児は様々な反射行動をもって生まれ、月齢とともにほぼ一定の順序で近く。運動的な活動ができるようになっていく。発達とはこのように成熟によって生得的で潜在的な能力が開花していくことであると考えられる。この見方では人間の個人的能力の差も遺伝的にある程度決定されると考える傾向がある。一方環境説では生まれたばかりの状態では人間の知識は新規作成の状態であり学習によって認知や行動のパターンを獲得していく過程が発達であると考える。生まれてまもなく人間社会から離れ、野生の狼に育てられた少女の事例によれば発見後かなりの訓練を行っても通常の人間のように言語を使うことができず、知的能力も低いままであったという。これは明らかに後天的な学習の重要性を示している。しかし現在では遺伝説と環境説は、単一に影響するものではない。遺伝的メカニズムと環境条件の相互作用としては、鳥のヒナが生まれて初めて見たものを母鳥と思い込む『すりこみ』という学習である。自分を保護し養育してくれる親鳥を認知する能力を潜在的に持ちつつ、その学習能力が発揮される臨界期と生まれた直後の環境が一致すれば後からの変更が殆ど難しい学習がなされる。人間の幼児においても、言語獲得の要因として可聴領域の発達時期にその言語(母国語)を聞くという条件がある。イギリス英語はアメリカ英語と比較して子音による高次倍音が多いがその子音を聞くための聴覚刺激の時期が3,4歳以下であることが望ましいという。このようなことからすべての生物は遺伝的に規定された成熟の過程で、環境と相互に作用しながら発達していくという説に落ち着いている。遺伝と環境の要因をどちらも考慮しながら現代の発達や学習の代表的な理論を三つあげてみたい。行動主義的学習論は生後の経験を重視する考え方である。刺激と反応との連合が次第に形成されることが学習であるとするものである。学習の基本的なタイプとしてはパブロフの犬を使った生得的反応による条件反射の実験に代表される古典的条件づけと、スキナーによるネズミを使った生体反応による報酬的による学習といった道具的(オペラント)条件づけがある。行動主義では学習成立の条件として報酬や罰を重要視していた。しかし、動物ですら報酬や罰は不可欠ではないことを示す事実があげられるようになった。トールマンは報酬を与えられていないネズミも潜在学習を行い認知能力を用いた自学習を行っているとした。とすれば、こどもの個人の能力が報酬や罰だけで活性化するのではなく、外部情報を取り込むことを辞めない限り、内的に構成を続けているということがいえる。ハーロウはパズルを解くと報酬を与えていたチンパンジーに報酬を与えないような条件にするとパズルに対する興味を失うという実験により内発的動機づけという知的好奇心が物質的報酬によって減少することを証明している。教育において人間の子どもについても報酬を与えれば一時的に遂行を高める事は出来ても学習内容への興味は減退してしまい学習への意欲がそがれるのであれば個人差が人為的になされたといわざるを得ない。
2007.10.08
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個人差について発達・教育1.知能 知能とは一つの能力ではなく、いろいろな能力の集合である。その一つひとつの能力を知能因子と呼んでいる。「知研式」知能テストでは、以下の1~5の知能因子を分析し、それぞれの能力測定を行われる。(1)知能領域1概念:言葉の意味で考えたり、憶えたりする能力2図形:物の形で考えたり、憶えたりする能力3記号:数や音、色などで考えたり、憶えたりする能力(2)知能活動4記憶:憶える能力5思考:考える能力2.性格 3.遺伝と環境 (1)反応性の相互作用 同じ環境にある異なる個人は、それを別々に経験し、それを別々に解釈し、それに別々に反応する。(2)誘発性の相互作用 個人の人格は、他人から特有の反応を引き起こす。(3 )順向の相互作用 個人は彼ら自身の環境を選択し、創造する。子供が成長するにつれて、順向の相互作用の影響は、ますます重要になっていく。 双生児研究は、多くの不可解なパターンを産出した:ばらばらに育てられた一卵性双生児から見積もられた遺伝率は、一卵性双生児と二卵性双生児の間の比較を基礎として見積もられたものよりも、高い;ばらばらに育てられた一卵性双生児は、一緒に育てられた一卵性双生児と同じぐらいお互いに似ているが、二卵性双生児や双生児ではない兄弟は、時間がたつにつれてより似てこなくなり、それはいっしょに育てられたときも同様である。これらのパターンは、おそらくある部分は遺伝子の相互作用によるものであろう。それゆえ、すべての遺伝子が共通している人は、半分の遺伝子が共通している人の二倍以上に影響があるであろう。そのようなパターンはまた、ある部分は人格と環境の相互作用の三つのプロセス(反応的、誘発的、順向的)によるものであろう。 それらの遺伝的類似性が減じられた後、同じ家族からの子供たちは、母集団からランダムに選択された子供たちよりも、ほとんど同じであったと思われる。このことは、心理学者に典型的な研究(子供の養育経験や家族の社会経済的地位のような)が、実質的に人格における個人的差異にまったく寄与していない変数の種類を含んでいる。4.教育 「個性を伸ばす」という表現を拡大解釈されている論調がある。「自由」、「民主主義」、「人権」、「個性」など、どれをとっても束縛や条件あってのもので、「個性を伸ばす=個人の欲求を満たす」という無制限なものではない。最近議論されている「個性を伸ばす」ということは確かに今後の教育の流れにはなると思うが、今後考慮されるべき事は、そういった個性をいかに活用して教育の幅を広げるかということではないでしょうか。 「絵を描くのが好き」という子供に、好きなだけ絵を描かせるというのは「個性を伸ばす」ということになるだろうか。ただ、そういったイメージによる物事の捕らえ方が得意な子供の特性を活用した柔軟な教育方法も当然あるわけで、そういった子供の特技や興味に便乗した形で幅広い教育を施すことは可能である。勿論この場合、現行のように一学級多人数のクラスでは容易な話ではない。そういった分野は現在まで殆ど未開拓で、今後重要になってくると考える。5.発達 子供の発達については不安が伴う。同年代の子供がしゃべっているのに自分の子はしゃべらないなど落ち込み、心配する。ただ、ことばが順調にしゃべれている場合はその子の知能の発育は順調ということは言えるが、逆に、ことばが遅い子供の場合は知能が遅れているということではない。ことばの発達には個人差が大きく、知能などにまったく問題がなくてもことばの出現の遅い子が多い。しかし、我が子が他の子供より遅れてないか、劣っていないか、親として心配は絶えない。大人の社会の尺度によって、優劣を付け、子供の混乱を招くことは、避けなければならない。今後、子供の発達・成長について、親の理解を深めていくことが急務であると考える。
2007.10.08
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類型論類型論とは、人をある基準によって分類することによって性格を捉える考え方のことである。分類された人々の中の典型的な性格を類型的性格という。性質を分類するための分類としてて代表的なものにはクレッチマーとユングの気質論がある。以下の分類以外にも「シェルドンの分類(クレッチマーと同じ分類)」、「ツルゲネフの分類(ユングと似た分類)」などがある。類型論は人を分類するという点で理解しやすい性格の捉え方であるが、中間のタイプが無視されやすい、一度ある類型に分類されると別の類型への移行が生じにくい、典型的な人物像に完全に合致する人が存在する可能性が低いなどの問題点もある。これらの問題点を解消するためには、特性論的な見方も併用することが望ましい。気質類型論*クレッチマーの気質分類循環型気質:社交的なときと静かなときが交互に出る 分裂型気質:非社交的、気づかないところと気づくところ両方が出る 粘着型気質:几帳面、やることは凝る *ユングの分類カール・ユングの考案した分類。 人の心的エネルギーが向かう方向として2つ、心理機能として4つの機能を挙げこれらの組み合わせで合計8つの性格類型を考える。 外向 外界の事物に関心が向く。環境適応が早い。 内向 内界の主観的要因に関心が向く。思慮深い。 思考 知性によって物事を一貫的に捉える機能 感情 好き嫌いで物事を捉える機能 直観 物事の背後の可能性を知覚する機能 感覚 生理的刺激による知覚機能 *ルドルフ・シュタイナーの分類シュタイナーは古代ギリシアにおける粘液の分類を取り入れ、子供を分類して指導法を変えている。胆汁質:自我が優勢 多血質:アストラル体が優勢 粘液質:エーテル体が優勢 憂鬱質:肉体が優勢 *ディルタイの分類英雄型 官能型 瞑想型 *シュプランガーの分類理論人 経済人 審美人 権力人 宗教人 社会人 *エーリヒ・フロムの分類世界に対する関係のありかたとして5つを挙げる。受容的 搾取的 貯蔵的 市場的 生産的 *カレン・ホーナイの分類対人関係における不安に対する防衛様式として3つを挙げ、この様式が性格を規定するという。依存的 攻撃的 隔離的 *エニアグラムの分類批評家:剛直。完全主義者。鑑識力が高い。曲がった事が大嫌い。 援助者:人当たりが良い。八方美人。天気屋。 遂行者:柔軟。行動的。価値や目標に拘る。 芸術家:我道を行く。孤高の志士。センスや芸術性が高い。 観察者:默考・分析・調査が得意。内向的。皮肉屋。有益性を重んじる。 忠実家:安定性を望む。寄らば大樹主義者。趨勢に流されやすい。 情熱家:冒険的で楽天的。好奇心が強い。ピーターパン。 挑戦者:独裁者根性。武闘派。破壊主義者。他人に操られるのを嫌う。 調停者:葛藤を嫌う。平和主義者。 *野口晴哉の体癖分類整体指導者野口は、感受性傾向および、身体運動習性にもとづいて、1種から12種までの体癖に分類する。体癖は2-3つが混ざっていることが珍しくないとする。 上下型(1種、2種)、毀誉褒貶に敏感な頭脳型。 左右型(3種、4種)、好き嫌いの感情に敏感な消化器型。 前後型(5種、6種)、利害得失に敏感な呼吸器型。 捻れ型(7種、8種)、勝ち負けに敏感な泌尿器型。 開閉型(9種、10種)、愛憎の情に敏感な生殖器型(骨盤型)。 遅速型(11種、12種)、体が過敏または鈍感なタイプ。 *岡田斗司夫の分類王様タイプ:人に注目され認められることを喜びとし、無視されることを嫌う。目立ちたがり。 軍人タイプ:勝ち負けに拘る。勝つことを喜びとする負けず嫌い。 学者タイプ:ものごとのしくみや法則を理解・発見することに喜びを感じる。 職人タイプ:自分の思い通りに物事をやりとげることを重視する。人から見てどうかより、自分の理想に近づくことを喜びとする。 * 特性論いくつかの特性を単位として性格が構成されているという考え方であり、心理学者ゴードン・オールポートが代表的な論者である。1つ1つの性格の構成単位を特性という。 特性は次元的に表現されるため、類型論と比べ、ステレオタイプになりにくいという利点があるが、類型論に比べて一般にはなじみが薄い。 しかし現代の心理学においては、統計的に詳細な検討が可能であるという点で、性格を特性として量的に測定する研究手法を採用することが圧倒的に多い。量的に測定しておけば、ある得点で調査対象者を分類すれば類型的に捉えることも可能になるという点で利点も多い。5因子モデルゴードン・オールポートが辞書中の性格用語を抽出したことに端を発し,その後多くの研究者が人の性格特性がいくつの要素で成り立っているのかを検討してきた。現在のところ,5つの特性によって人間の性格をおおまかに記述することが可能であるという説が最も有力であるとされる。この5つはあくまでもおおまかな記述であり、5因子モデルの性格検査の1つであるNEO-PI-Rでは、5つの特性の中にさらに細かい特性が設定されている。 5つの特性は以下の通りであるが,日本語訳が定まっていないものもある。Neuroticism(神経症傾向,情緒不安定性) Extraversion(外向性) Openness to Experience(開放性,知性) Agreeableness(調和性) Conscentiousness(勤勉性) ロン・マギー博士、デイビッド・エイラー博士、ジョー・バッカホルト博士により、5因子モデルを基本とした新しい心理テストがアメリカで出版された。テストの対象年齢は9歳から19歳で、テスト名はFive Factor Personality Inventory - Children (FFPI-C)。Pro Ed社から2007年に出版されている。現在出版されているテストは英語のみ。
2007.10.07
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支持法は、やる気や自発性を高めるために 表現法は、これまでの自分の殻を破るために 洞察法は、自分を理解するために 訓練法は、自分の行動力を高める学習のために 山中康裕、S・レーヴェン=ザイフェルト、K・ブラッドウェイ編集『世界の箱庭療法――現在と未来 』新曜社 2000年 徳田良仁・村井靖児編集、内山喜久雄・高野清純 監修『アートセラピー』日本文化科学社1988年
2007.10.04
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転移・逆転移と治療者との相性 また、治療者は、患者との関係がどのような状態にあるのか、常に意識している必要があります。たいていの患者は、治療者に対して、「転移」(感情転移)を起こします。この転移がどのようなものなのか把握していないと、精神療法自体が危険なものになってしまう可能性があるからです(感情転移につきましては、きまぐれコラムの「感情転移と転移性治癒」をご参照ください)。 特に「スーパー・バイジー」(教育分析)をきちんと受けていない、言いかえれば、自分の心の問題を解決できていない治療者の場合、患者に対して、転移を起こしやすくなります(このような転移を、特に「逆転移」と言います)。 転移と逆転移が複雑に絡み合うと、治療者が患者に振り回されて感情的になってしまったり、患者の症状がひどくなったりして、治療が進まなくなってしまいます。 負の転移(陰性転移)と正の転移(陽性転移) 精神療法でよく言われる患者と治療者との相性の問題は、この転移によるところが大きいと言えるでしょう。特に怒りや憎しみの感情が転移する「負の転移」(陰性転移)が強く出たときは、治療は困難になりがちです。 プラスの感情である愛情や尊敬の「正の転移」(陽性転移)の場合でも、治療者が逆転移を起こしてしまうと、非常にややこしいことになります。 このように治療者は、いつでも患者の様子を観察しながら、どのような問題があるのか理解しようとつとめ、さらには会話のなかから、患者自身が気づくようにし向ける必要があるわけです。転移についても、うまくコントロールして、治療が進むように絶えず注意をする必要があります。治療者の力量は、このへんにあると考えていいでしょう。 患者の方は、治療者に対して嫌な感じがする、落ち着けない、などの気持ちを感じたとしたら、素直に話すべきです。このような感情の動きを治療者と共有することで、治療が進む場合があります。 また、ほかの治療者と交代してもらうことも、もちろん可能です。
2007.09.30
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転移・逆転移と治療者との相性 また、治療者は、患者との関係がどのような状態にあるのか、常に意識している必要があります。たいていの患者は、治療者に対して、「転移」(感情転移)を起こします。この転移がどのようなものなのか把握していないと、精神療法自体が危険なものになってしまう可能性があるからです(感情転移につきましては、きまぐれコラムの「感情転移と転移性治癒」をご参照ください)。 特に「スーパー・バイジー」(教育分析)をきちんと受けていない、言いかえれば、自分の心の問題を解決できていない治療者の場合、患者に対して、転移を起こしやすくなります(このような転移を、特に「逆転移」と言います)。 転移と逆転移が複雑に絡み合うと、治療者が患者に振り回されて感情的になってしまったり、患者の症状がひどくなったりして、治療が進まなくなってしまいます。 負の転移(陰性転移)と正の転移(陽性転移) 精神療法でよく言われる患者と治療者との相性の問題は、この転移によるところが大きいと言えるでしょう。特に怒りや憎しみの感情が転移する「負の転移」(陰性転移)が強く出たときは、治療は困難になりがちです。 プラスの感情である愛情や尊敬の「正の転移」(陽性転移)の場合でも、治療者が逆転移を起こしてしまうと、非常にややこしいことになります。 このように治療者は、いつでも患者の様子を観察しながら、どのような問題があるのか理解しようとつとめ、さらには会話のなかから、患者自身が気づくようにし向ける必要があるわけです。転移についても、うまくコントロールして、治療が進むように絶えず注意をする必要があります。治療者の力量は、このへんにあると考えていいでしょう。 患者の方は、治療者に対して嫌な感じがする、落ち着けない、などの気持ちを感じたとしたら、素直に話すべきです。このような感情の動きを治療者と共有することで、治療が進む場合があります。 また、ほかの治療者と交代してもらうことも、もちろん可能です。
2007.09.09
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(仮定のケースです)★★★★★事例から学ぶ事 平成8年の『国民生活基礎調査』(「厚生白書」ぎょうせい1996 年)厚生省大臣官房統計情報部によれば、介護者は、子の配偶者(大半が嫁)34.2%配偶者27.0%子20.2%である。 このうち「寝たきりへの介護者の年令」50歳代28.1%、60歳代28.3%70歳以上24.22%。介護労働で1995 年の自殺者のうち、65歳以上が5500人いて、原因は病苦となっている。介護政策の強化で基本的人権である幸福追求権と労働権を守る福祉が定着するために福祉従事者はどのような技術が求められるだろうか。事例を検討しながら社会福祉活動で行われる支援の留意すべき点を考察してみたい。 冬田春子さんのケースを時系列で整理してみる。1989年ペースメーカー挿入のための入院時初めて徘徊や幻覚症状が出た。昼夜を問わず徘徊行動欲求がある。介護者は次男夫婦で主たる介護者は次男の妻である。介護疲れが顕著。次男は定年退職後再就職したが介護のため1993年夏に退職し在宅。1989年よりS病院に通院するが内科で薬処方のみ。援助の経過は以下の通りである。・民生委員より在宅介護支援センターへ連絡・市の担当ケースワーカー→保健所精神相談→市の健康課保健婦(ここでソーシャルワーカーは冬田さんの相談の件を伝え聞く)・ケア計画の作成・在宅介護支援センター,デイホームの参加、老人ホームへの入居申請、特別擁護老人ホーム、ショートステイの利用、ボランティアかヘルパーによる散歩の付き添いの検討を行う。・併設病院の受診、痴呆専門医の受診を勧める。(受診後、最終的には入院する)・訪問看護要請のため市の健康課、在宅福祉かケアの連絡紹介を行なう。 このケースから受けた私の印象は『悪意のないたらいまわし』である。相互の関係は紹介・依頼により市役所の相談業務はただの伝言となり連携が混同されているように感じた。各地方公共団体の特質や体制により、行政との協力体制には大きく隔たりがあり殆ど行政の中に組み込まれているかのような福祉・保健サービス体制もある。このケースでは協力体制が取られていないようである。その一番の弊害は高齢者及び家族が受ける事となり、適切な処遇を確保することは難しい。次男は在宅での介護を望む反面妻の体調も心配であるし、経済的不安もあるため再就職を希望している。福祉サービスを受けることは家族の救済そのものなのである。冬田さんが徒歩で通園できるほど近隣にホームがあったのならば、直接相談にいくことは念頭になかったのだろうか。施設で行われているサービスや職員の仕事の理解、入所者の理解が地域に届いていたらまた異なる展開もあったのではないだろうか。社会福祉施設 においては施設活動が地域住民に納得されており、運営態度が地域社会に向かって開かれていることが大切である。地域社会に開かれた施設は住民の理解につながる。施設が備えている機能や情報が、地域住民の生活に役立ち、地域社会の福祉を高める施策の企画や実施を広報することと共に、社会福祉機関、施設、援助者が身近になるための創意工夫が必要である。医療に関してはかかりつけとみられるS病院の主治医の「専門医への受診は必要ない」という診断がなされている。この主治医との関係性は文章からは読み取れないが、パターナリズムがあるとするとセカンドオピニオンをつけることは躊躇するに違いない。その後次男夫婦と看護婦立会いの下診療所の精神科を受診し精神薬が処方されている。診療所の精神科の医師の紹介状により痴呆性老人専門病院のH病院を家族と健康課の保健婦立会いで受診した際、重度の脳血管性痴呆との診断が出て家族が驚いたという。 今でこそ認知症の周知と医療の専門科の増設がみられるが、十数年前に認知症老人専門病院を受診することはそうそう一般的ではなかったと考える。 医療機関の姿勢や相互協力が支援を必要とする家族を翻弄してはならない。とくに年配者は医療従事者を立場の上の者とし絶対的な存在とする傾向にある。自分の意見や考えを伝え難いこともあるならば、看護婦や保健婦、ソーシャルワーカーに付き添ってもらうということも可能だと伝えていかなくてはならない。 家族や高齢者に対して、ノーマラーゼーション実現のためのサービスが定着するにはソーシャルネットワークの構築は重要である。医療・保健・福祉のケア・カンファレンスにおいて現場の声を直接聞いた中では、大抵は「ドクターが多忙で現実的に無理。」という声が最多であった。次に多いのは「関係者の日程調整」や「担当者責任」であった。症状や対処の方針が変更したケースはそれぞれの担当者が対応し、それ以外は文書上のやりとりで済ませる。というものである。被介護者あるいは要支援者の行き先が決まれば次に取り掛からなくてはならない。医療・福祉現場の人手不足は常であることは今更指摘するまでもない。介護保険体制下では、ケア・カンファレンスが義務付けられている。 2000年4月より開始された制介護保険制度は2006年に改正された。財政負担軽減を目指しサービス提供者の淘汰のための行政主体の改正ともいわれている。介護保険制度改正は、介護予防にかなりの力点が置かれたが介護予防そのものの実態を分かりにくくし、現場の混乱を助長している。だが、冬田さんの事例では2000年より以前の1993,4年時の福祉体制である。窓口の一本化や初期相談の導入の簡便さや気易さは必須であり、益々繁雑になる介護保険制度は認知理解の能力が衰退する高齢者にとって利用しにくくなる。 ソーシャルワーカーの所感に、「家族が今後本人をどのように介護していきたいかということが伝わってこなかった。」とある。「そういう支援センターの印象を家族に表明することは介護に苦しんでいる家族を精神的に追い込むようでできなかった。」しかし、そのような本音を素直に伝える事により家族も踏み込んだ話をして、よい意味の異なった展開をしていたかもしれないと振り返っている。 支援を求める人々に保健・医療・福祉等の社会福祉機関、施設のケアに結びつけるために状況とニーズを的確に把握することの難しさは一辺倒ではない。相談にくる家族の身体及び心理状態、背景にある家族関係、社会福祉に関する基本的情報の有無によってその訴えは希求する現状課題と情緒的葛藤は混在しニーズの把握は困難を極めることもある。介護に疲弊した状態で適切かつ冷静な判断を求める事そのものが可能か否か想像はたやすい。精神不調による症状にも配慮する必要もあろう。介護者による被介護者への暴力や殺害などが社会問題になっている。ソーシャルワーカーには、追い詰められた状況の介護者の気配を察するだけの観察力が必要不可欠に思う。 ソーシャルワーカーにとって相談に来る相手と接するのは一時であるが、相談者は毎日という連続の時間の中で被介護者と向かいあわざるを得ないことを推察する能力も求められる。カウンセリングの現場であれば、まず誰を休ませるのかを判断するように相談者の置かれた状況にソーシャルネットワークを反映させるのであれば、今必要とされている最優先は何かを問うだけの観察力や洞察力、判断力が必要である。 様々な分野に渡り、しかも多様なニーズに適切に対応するには福祉と保健・医療にわたる様々な面での連絡調整を図り、機能させることが重要であると言われているが実際に動かなければならないのは「福祉の人材」である。介護問題のみならず、経済問題や家事、ケースによっては家族調整にまで及ぶため、介在する福祉・医療関係者の人間性すなわち専門性と誠実さにつきるように考える。
2007.07.16
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臨床心理学における人間理解の必要性および面接場面における留意点について述べよ。高度経済成長に伴い様々なストレスを生み出している現代、「真に健康である」とはどういうことであろうか。また価値観の違いなどから「人を理解する」ことは大変難しい。受容・共感・傾聴といった言葉を用いる。健康とはどういう状態あるいは様態をさすのであろうか。身体的健康、精神的健康、環境的健康などがあげられよう。『health(健康)』という言葉の語源はギリシャ語の『holos(全体)』であり、そこから派生した言葉はhealth以外にwhole,heal,holy,があるという。1998年にWHO(世界保健機構)では憲章の健康定義修正変更を採択しスピリチュアリティが組み込まれたが、holy(聖なる、霊性)がhealth(健康)と語源を同じくするのは興味深い。人間理解とは成育歴生活履歴原体験環境要因内的要因心象風景の表出外界事象の認知パターン現状に至るまでの責任の所在を追及したり、本人を切り刻むような分析や心理検査は人間理解とはいえず、また治療の目的である来談者のQOLの向上を含む自己実現への支援どころか二次的ハラスメントにさえなりうる。先のWHOの憲章による健康の定義は「病気や疾病の不在のみならず、身体的、精神的、社会的、およびスピリチュアル的に健康な力動的状態」とされている。この内容は現代社会の課題に心理的ケアだけでは不十分で、人の深いレベルに基点をおいた関りが必要であることを意味する。このスピリチュアリティやスピリチュアルの邦訳には「霊的、たましい的、心性的、実存的、宗教的」などがあり、リポートには「人生の意味」と捉えることも説明がある。現在欧米での実際的な臨床ケアには、パストラル・ケア、宗教的ケア、そしてスピリチュアルケアがある。人間理解とは来談者の外的世界と内的世界の全体にふみこんでいくだけの勇気と中心軸のぶれない人間性を背景とした技術者としてのプロ意識が求められると考える。2、臨床場面で来談者を理解するとは治療者と来談者の間に求められるコミュニケーションの確立コミュニケーションの定義言語、非言語、手話、筆記、メラビアンの法則NLP医学における治療は部分を見る臨床心理学では機能回復・改善だけではなく相手の全体性を見ているホリスティック医学の視点に近いあるいは交錯している支援する立場としての理解力=自己覚知 =自分を知っているという事=意識的に表出しているもの、無意識に表出しているもの面接場面で求められるもの= 知識・論理・モラル・態度・自己認識・精神的・身体的・情緒的健康 等に基づいた受容・共感・傾聴カール・ロジャーズ「共感と寛容」東洋にもともとある考え方の一つ技術としての受容的あるいは共感的態度が果たして来談者に受け入れられるかどうか疑問であるそこに治療のための作為的なパーソナリティの演出が表出すれば、心理的不安定下にある来談者は過敏に反応するマズローバイスティック相互支援、相互依存しあうことの出来る社会は一朝一夕には構築し得ないだろう。しかし、予防のための何らかな行動の選択は可能であるし、セルフケア、セルフヘルプの重要性は、メタボリック症候群の対策やうつ病治療の理解、うつ病による自殺者防止キャンペーンなど医療・行政各機関でも啓蒙啓発活動に取り組んでいる様子がみえるようになってきた。こうしたコミュニティ・アプローチについて
2007.07.01
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非公開レポート
2007.05.06
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スパムメール(迷惑メール)のほとんどが出逢い系ですよねたまに英文でメールがくると、読めない文章の中に《VIAGRA》 というお薬の文字を発見して「そんなもの要りません!!」とこのときばかりは眉間にたてじわが入ってしまいますえんもゆかりもないのにとっても不愉快です!(いえ、VIAGRAではなくて迷惑メールのことですよ。ことですったら)先日、翻訳機能の使い方をマスター(大げさ)して調子にのり迷惑メールの中にあった英文を翻訳してみましたすると、「おめでとうございます!!あなたが当選しました!!」という宝くじの販売サイトでしたもちろん、当選したのはそのメールを配信した業者が用意したくじを下さるということでそのくじを使って改めて応募する権利ですう~~ん、う~~んこれは、わたしに置き換えると「あなたは当研究会の講座受講の権利をゲットしました学びや成長、気づきを得たい方は挑戦してみてください。」というくらい、図々しい内容ですこんな迷惑メールを翻訳する時間がもったいなかったです(;;)迷惑メール対策のフィルター機能に”こんぐらっちゅれーしょん”(←つづれない)を設定しましたですので、私に個人メールを下さる場合はタイトルにも文章にも”おめでとうございます”(←英単語)を入れないでクダサイネ(←なぜカタカナ変換?キーのどこを押したんだろう・・・ワタシ?)まぁ・・・とくに何か達成したこととか、する予定はないのですが・・・・・・・・はっ! お正月はどうしよう!!!あっ違ったハッピーニューイヤー・・・・いや~~~~~ぽりぽり*******今日、初めて情報商材の宣伝のスパムメールがきましたどこでメルアドを手に入れたのか追求したくなるくらいムカムカ調べてみたら・・・メルアドを自動集積するシステムが販売されているということも情報商材の特典についていることもあるらしく、なんだかな~それでいいのかなぁ・・・という気持ちになりました私の仕事用のサイトもトップページにメルアドがあるのですが対応策を教えてくださる情報企業家の方のすすめで(私個人に勧めてくださったわけではないですが)○○○*(@のかわりに*マークを置く)yahoo.co.jpメールを送っていただく時に送信者さんに@マークに置き換えていただくとサイトのトップからメルアドを回収されることがないそうですみんなが使えるようになってきただけに、情報発信についてちゃんと学んでおこうと再認識した今日でした*****ムカムカメールだけではありません涙がぽろぽろこぼれる文章にも出遭いました病気を理由に離婚をつきつけられ、十代の娘さんを二人抱え余命半年とされたお母さんが、残していく子供達の生活費や治療、つづく親族間肝移植のために情報起業家に助けを求める本当の話にネットの可能性を再び感じ始めました私の所属しているNPOでも県の委託で在宅障害者の自宅へ出向き障害者用のパソコン指導をするというボランティア部門がありますまだ、情報収集やコミュニケーションを主体とした内容ですが残存能力を活かした収益方法ができないものでしょうかそして、障害者だけではなく、今このブログを読んでくださっている皆さんが自分の能力を十分に発揮したり、そのエネルギーがお金に限らずさまざまな生きていく力のネットワークにつながっていったらどんなにか豊かな生涯ではないかと思うのです本当に、みんな自分らしい台本が見つかればきっとしっかり必要とされている自分自身を生きることができるんじゃないかなって思います講座にこれない人、近くに素敵なフリースクールがない人も安価に手に入って元気になれる教材が作れないかな・・・って考えはじめました先日最終回だった青少年育成事業の生涯学習講座に参加してくださった受講生さんから「もっと学びたいです!自分のことを知りたい、磨きたいです!」とメールをいただき、とても嬉しかったのも理由のひとつです人生一回(この体と設定でね)20代も一回30代も一回40代も一回50代も一回あとは省略(もちろん他の年代も大事です 笑)楽しく しあわせに 生きていきたいですね泣いたメッセージが入っている文章です
2006.12.06
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明日買い物に行こうと思います。。。。。。(と、つまらないタイトルにしておけば、だれもいらっしゃらないでしょう。たぶん^^;)福祉援助利用者の自己実現のを支援するために、ソーシャルワーカーが提供可能な専門技術のひとつに個別援助技術(ケースワーク)があげられる。個別援助技術はソーシャルワーク、ソーシャルケースワークとも呼ばれ、心理カウンセリングが心理的問題の解決を目的とするのに対し、生活問題の解決およびクライエントをとりまく環境の改善が目的である。支援方法は面接による福祉ニーズの発見と問題解決の模索、社会福祉援助を初めとする社会資源の活用であり、社会環境への適応や参加を基盤とする自己実現を目標としている。個別援助技術の特徴は『個別化の原則』である。福祉援助技術は救貧的な思想を背景にした民間の社会福祉が発達しセツルメント運動等の社会改良運動を経て1900年前後から専門化へと発展した。その後アプローチの変遷を経て、現在「人」「環境」「相互作用」をより緻密に分析した統合理論は1970年代以降『ライフモデル・アプローチ』として社会福祉援助技術論の基礎モデルとして注目されてきた。1990年代には社会福祉援助技術を進めるための専門家の力量と社会的責任性を積極的に提唱する『エコロジカル・ソーシャルワーク』をC.ジャーメイン、A.ギッターマンが定義づけている。個別援助技術の理論や原則には様々なものがあるが、まずあげられるのがケースワークの母と呼ばれるM.リッチモンド(1922米)の存在であろう。著書『ソーシャル・ケース・ワークとは何か』の中で「ケースワークとは、人間とその社会環境との間を、個々に応じて意識的に調整することによって、パーソナリティの発展を図ろうとするさまざまな過程からなるものである」と定義した。パワーズの定義(1949年);ケースワークはクライエントとその環境の全体または一部分との間に、より良い適応をもたらすのに役立つような、個人の内的な力、及び社会の資源を動員するために、人間関係についての科学的知識及び対人関係における技能を活用する「art」である。パールマンの定義(1957年);ケースワークは個人が社会的に機能する際に出会う問題を、より効果的に処理できるよう援助するために、ある人間福祉機関によって用いられる一つの過程である。バイステックの7つの原則 バイステックは、心理・社会的問題をもった人びと(利用者)に共通する基本的欲求を七つに分類した。そしてこれらの「七つの欲求(第一の方向)に対して、ワーカーは敏感であり、理解し適切に反応し(第二の方向)、クライエントはワーカーの感受性、理解及び反応を覚知する(第三の方向)」という、ワーカーとクライエントの力動的関係の中に含まれる要素を七つの原則とした。(バイステック『ケースワークの原則』) 七つの原則の名称は以下の通りである。 ☆個別化;クライエントのもつ問題が、例え他の人の問題と類似のものであるように見えても、固有なものであることをワーカーが認めることである。 ☆意図的な感情表現;クライエント自身が表現することを避けようとしている感情を大切にしながら、ときには刺激を与えながら感情表現を促すことである。クライエントが否定的感情を表現するためには、大きな不安と苦痛を伴うものである。ワーカーがそのことを認め、心理的支えになることによってこそ、その表現は可能となる。 ☆統制された情緒的関与;ケースワーカーがクライエントから投げかけられた感情を敏感に受けとめ、その表現されている感情やその感情やその底に潜んでいる意味を理解しながら、そのクライエントの感情に適切に反応することである。 ☆受容;クライエントを理解するために、クライエントをひとりの人間としてあるがままの姿-態度、行動、感情など-を認め受け入れることである。☆非審判的態度;クライエントを受容するための前提となる原則であり、ワーカーがクライエントの行動や態度に対して、ワーカー自身の持つ価値観や倫理的価値判断によって批判したり、評価したり、また、ワーカー自身のそれをクライエントに押付けたりしないことである。☆クライエントの自己決定;クライエントの選択と決定の自由を認め、そしてクライエント自身が、自分の置かれている状況の中で、進むべき方向を自分の意思と力によって決定し、行動できるよう援助することである。☆秘密保持;ワーカーが、クライエントによって打ち明けられる問題の情報を他の誰にも漏らさないということである。秘密を守ることは、福祉の専門職者として当然の義務であり、ケースワーク援助をより効果的にするため、つまりクライエントとの信頼関係を保持するためにも重要である。(1)過程の意味 ケースワークは要援助者と援助者との対人関係を軸に展開されていく。その「過程」は、援助活動の時間の流れに沿った「一定の手順と方法」で提供される。 診断派はケースワーク過程を「インテークスタディ→社会的診断→社会的処遇」という枠組みで考え、機能派は「初期の局面、中期の局面、終結の局面」という時間的経過にしたがって区分する。また折衷派で知られるパールマンは、ケースワークを問題解決の過程としてとらえ、「開始期→診断期→問題解決」と考えた。このように「過程」については、さまざまな論議がおこなわれてきたが、それらの今日における共通点は、1、援助が開始されてから終結までの時間的な段階が重視されているということ、2、要援助者が問題の解決過程における主役である、という二点である。 (2)ケースワークの構成要素 ケースワークは、1、「クライエント(要援助者)」、 2、「ソーシャルワーカー(援助者)」、 3、「援助目的」、4、「援助関係」、5、「社会資源」の5つから構成されると考えられる。 効果的な援助のためには、クライエントとソーシャルワーカーの「援助関係」に良好なコミュニケーションと、互いの信頼関係が不可欠であり、「援助目的」を達成するためには、社会的に存在し、また利用することのできる物的・人的な要素が必要である。 社会資源とは、社会制度・機関・組織・施設・金銭はもとより個人・技能・知識・専門職やボランティアなど、社会的に存在する一切の物的・人的な要素である。 (3)援助関係における原理・原則 バイステックケースワークの展開過程社会生活上の諸問題に直面して困難な状況におちいっている個人または家族(利用者)に対する社会福祉援助の提供は、援助活動の時間の流れに沿って「一定の手順と方法」を持って提供される。この手順と方法を「過程」とよぶ。ここではこの過程を「インテーク→調査→診断→処遇」と考え述べていく。 1.インテーク(intake‐受理) 利用者の抱える問題が、社会福祉機関にもちこまれる最初の段階を「インテーク」という。機関としてその問題を取り上げるか否かを決定する段階である。ここで行なわれる面接をインテーク面接という。 〈事例〉母親がストレスケア講座参加後、個人相談を持ちかけケースワーカーと面接した。 事例は、相談を受けた心理カウンセラー(私)が、会場が福祉センターという専門機関だったためその場で職員(保健婦)と確認し、相談室にて対応。。このような場合、母親の気持ちを無視して他機関へ紹介すると、自己開示が滞ってしまうこともある。まず母親の葛藤している気持ちを共感的に受けとめ、ともに支えていこうとする姿勢や態度で接した。(1)インテーク面接インテーク面接では問題の概略を把握し、援助の大まかな見通しを立てる。具体的には次のようなことをおこなう。 1、利用者の話を傾聴し、主訴、要求、問題点を明らかにする、2、利用者は何故来談することになったかを明確にする(例えば、母親の問題を本人を含め家族がどのように受けとめているのか、家庭・園などの教育関連・地域社会での状態はどうか、これまでどのような援助を受けてきたのか、等。)、3、用者の主訴、要求、問題に対して、この機関ではどのような援助が行えるかを説明し、ケースワークの進め方を伝える、4、ケースワークを受ける意思があるかどうかを確認する(最終決定は利用者本人がおこなうことが重要である。)、5、その機関で援助することが適切でないと判断した場合は他の機関を紹介する、等である。(2)インテーク段階での留意点問題は利用者本人が持ち込む場合と、本人以外の他人が持ち込む場合があるが、問題解決の主役は利用者本人であることを忘れてはならない。他人が相談を持ち込んだときは、本人に問題解決の意思を形成させることも課題となる。インテーク面接では、利用者の話を傾聴し、共感的理解が必要となる。ワーカーは、利用者の心の動きに敏感になること、利用者が自分は尊重されているのだと実感できるような心づかいを忘れてはいけない。こうしたワーカーの態度に支えられ、利用者は安心して鬱積していた思いを打ち明けることができ、信頼関係も樹立されていく。2.調査 利用者の援助を求める意思が確認されると調査をおこなう。そのため、本人や家族に来てもらうか家庭訪問をし、より詳しい話を聞く。必要に応じて医師や福祉職員(保健婦)などの関係者からも話を聞くが、この場合は本人の了解を得る必要がある。医師の診断や心理テストが必要なときは、その理由をよく説明し、本人が不安を持たないように配慮することが重要である。 1、生活歴・生育歴(健康等含む)、2、社会的活動の場(職場、教育関連等)での様子、3、家庭の状況、4、経済的社会的状況、等である。3.診断 調査でわかった多くの事実を総合的に判断して、問題の原因を見出すことを診断という。正確には「社会診断」といい、利用者の問題解決に役立てるためのものである。 正しい診断をするためには問題を、多くの異なった角度から考えることが大切である。例えば、前述の母親は単純に子育てのストレス下にあるからではないかと診断することは誤りである。心理面、環境(家族関係、社会的環境)、身体面など多くのことが関係している。 診断はまず、記録をよく読み問題の原因は何か、問題の相互関係はあるかまた生活歴(生育歴)の検討、経済的・社会的要因の検討、などをおこなったうえで、援助計画をたてる、ことになる。調査によりわかったことは母親の体調、夫が休日に家事・育児に参加せず一人で外出してしまい孤独感と子育ての責任を一人で負うことのストレスによるものであると自己確認。次のような援助が計画された。 1、子育て支援の利用で子供を数時間託児プログラムを利用しその間身の回りのことを行う。2、医療機関で検診を受け体調の確認をする。3、週1回、母子サークルのプログラムに参加する。4、生活習慣の見直し(本人の気づきから) 4.処遇(treatment) 調査・診断に基づいて、利用者の問題解決のための援助計画が立てられ、具体的な援助活動が展開される。この段階を処遇という。 ケースワーク処遇を大別すると次の二つになる。 直接処遇:利用者に対し直接働きかける援助のことで、利用者自身の問題解決能力を強めることを目指す心理的援助がその主なる手段である。直接処遇として、母親には、「グループ・ワーク」がトリートメントされている。 間接処遇:問題解決の模索として家庭や職場・学校・地域社会等における対人関係の調整と、社会資源を活用して問題解決のために役立たせる援助を想定している。後者には、経済的援助や各種の機関・施設の利用などの具体的サービスの提供が含まれる。実際のケースワーク援助においては、直接処遇と間接処遇を有機的に関連させて用いることになる。すなわち、利用者自身が持っている能力と彼の環境に含まれている社会資源を最大限に用いて、利用者の社会に生きる人間としての力が強められるよう働きかけていくのである。
2006.05.13
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