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29日夜、送別会に招いていただいた。教員になって30年。最初の10年はバスケットの指導と専門である国語科の実践研究に燃えた。バリバリの20代であった。次の10年は「部落差別の現実」に出会い、同和教育の推進に燃えた。怒りに突き動かされた30代であった。そして40代に入ったあたりで現在の学校に転勤。希望通りの異動でありがたいと思った。動機は「同和教育で学んだことを同和地区を有していない学校で生かすこと」であった。連続13年間も「有地区校」に勤務していたから、意を決しての異動希望であった。当時から本校はさまざま教育課題を抱えていることを他校にいながら聞いていた。それは保護者の生活課題によるものであった。だからこそ、教育の建て直しに少しでも寄与したいという気概を持っての転勤であった。しかし自己の内部で大きな変化が起きていた。燃え尽き症候群とでもいえる状況であった。教職について20年間、夢中で走り続けた。少しペースダウンしなければ壊れてしまうという警告だったのか。理由はさまざまだった。同和教育から人権教育へという時代の流れに了解しながらも、「何もしなくても人権教育」という風潮に、そして部落問題をなかったことにしようとする勢力の台頭に苛立ちを覚えていた。いとこが自殺した。3人の幼い娘を残して。なぜ死を選んだのか、直前に会っていながら、なぜ気づけなかったのか。生きることにどんな意味があるのか・・。さまざまな出来事が内部で矛盾を起こし、やる気を喪失させていった。もう学校をやめなければ、生きていけない・・。そこまで追い込まれていた。しかしそんな私を9年間も、見守り育ててくれる地域があった。保護者や先生方があった。そして子どもたちとの出会いが私に元気をくれた。特別支援教育のありようが、私の中核になっていった。特別支援教育を特別ではない教育へ。これが命題であった。なぜなら、教師はプロだから。特性をしっかり理解し、適切な手立てを考える、これは当たり前のことで、特別のことではない。めまいや吐き気を覚えながらも、1日の欠勤もなく通い続けられたのは奇跡であった。終わりの2年間は教務という立場で学力向上、進路保障を核とした学校改革に直接携わることもできた。強烈なリーダーシップを発揮する校長が原動力となった。校長は「現実を見据えること、現実から学ぶこと、一歩も引かず、前向きに実践し続けること、すべての子どもの進路を保障すること、それが公立校の責務だ」と檄を飛ばした。私はその教育理念に共感し、教育実践として具体化していくつなぎ役に徹した。学校は目に見えて変わっていった。先生みんなが元気になり、子どもたちが明るくなり、成績が全国トップクラスまで伸びた。9年前の挫折感、無気力感を思い出すと今も胸が苦しくなるが、今日まで何とかやってこれた。明日から新しい学校に変わる。児童数は本校より多い580名と聞いている。この学校も希望したとおりである。ありがたい人事だと思うが、9年前の無気力感が悪夢のように思い出され少し怖い。自分の中の変化に気をつけながら新しい環境に溶け込んでいけたらと思う。まだ校内分掌は発表になっておらず、どきどきわくわくといった感じで明日を待っている。下町にあり、大規模で混沌とした状況は現任校と似ている。私を支え、見守り、育ててくれたことに感謝しつつ、新しい学校でも力を発揮したいと思う。
2011.03.30
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今月初め、自宅駐車場から左折で勢いよく出発したら、左側のコンクリートブロックに後方激突、後ろのドアからタイヤホール?のあたりまでがりがりとこすってしまった。右側にあったミニバイクをよけ、もう大丈夫だと思い込んだのが運の尽き。右ばかり気をつけていたので、左の内輪差を忘れていたのだ!かなり深い傷で、見積もりしてもらったら何と10万円。今年は夏タイヤを交換しようと考えていたので、予算が足りない。思案し続け、結局自分で修理する決意をした。車大好きの高1の息子の反対を押し切って。購入してもう5年経っているということも決意の裏にはある。新車ではないから・・・。でも息子はこの車を磨くのが大好きで、今日まで新車のようにピカピカに保ってくれていた。それで反対したのだ。「父さんにできるわけない」と・・。まず修理キットを1万円強で購入、特にスプレーはインターネットで特注し、色を合わせた。ここからは「修理マニュアル」に忠実に修理・塗装を行う。第1工程は「打ち出し」。金づちでタイヤホールのあたりのへこんだところを打ち出し、なるべくもとの形状に近づける。第2工程として、粗めのペーパーで地金が見えるまでこする。第3工程は「パテの厚塗」。へこんだり傷ついたりしたところを埋め、元の形状に近づける。第4工程は、完全に乾燥させたのち、こすること。この作業が大変だった。このパテのにおい、プラモデルに似てるなあ・・。子どもの頃夢中になったことを思い出す。そんなことを考えながら、ひたすら腕一本でこする。耐水ペーパーなので、水をつけながらこする。高1の息子と交代しながら、徐々に細め、極細とペーパーを変えていき、滑らかになるまでこする。ようやく、色こそ違うが、ぶつかる前とほぼ同じところまでたどり着く。第5工程は「うす塗りパテ」で、細かい気泡が発生したところを埋め、乾燥の後、極細のペーパーで、つるつるに仕上げる。第6工程は油成分を飛ばすスプレーで下準備。定着を確実にするためだ。第6工程は「プラサフ」といわれる、灰色下地の吹き付け。この前準備として、広めにマスキングすることが成功のコツ、とマニュアルに書いてあったので、忠実に。余計なところにスプレーの飛まつが飛んでいくのを防ぐためだ。第7工程は、液体状のコンパウンドでこすること。プラサフの乾燥を待ち、マスキングをはずして、つるっつるのすべすべになるまで、元のボディーとパテの境目が全くわからなくなるまで、ひたすらこする。形状が完璧になったらもう一度油成分を飛ばし、またまた広めにマスキングをしていよいよスプレー噴射。しかし「プロの技」として紹介されていた「ぼかし剤」スプレーを周りに噴射しておく。こうすることで、スプレーの細かい粉末が滑らかに定着するらしい。これが第8工程。ぬめっとした新車のような仕上がりが期待できるという。1分経ったらいよいよ第9工程の色塗りスプレー。約30センチ離し、1秒間に30センチ程度のスピードで移動させながら噴射する。ああ、またプラモデルに夢中になった子どもの頃を思い出した。マスキングされたところから噴射を初め、ボディーに入っていくのが、ムラなく仕上げるコツ、と書いてある。そういえばそうだったなあ・・。一度に厚塗りしないことも重要なポイント。塗ったところは10分程度乾燥させ、重ね塗りしていく。でもこの時間が待てない。ついつい塗ってしまう。子どもの頃と同じように・・そうこうするうちに、何層かの色塗りが終わり、元通りの色でプラサフが覆われる。乾燥しないうちに先ほどのぼかし剤を境目に。「スプレーダスト」といわれる、細かい飛まつ、粒を滑らかにしてくれるスプレーを噴射。これが第10工程。最初にも塗った例のスプレーだ。10分ほど乾燥させたら、第11工程の仕上げ、「クリアスプレー」噴射。色の表面をクリアの皮膜で覆うことで、光沢を取り戻そうというわけだ。まあ、ニス塗りみたいなものか。ここまでの工程を2週間かけて仕上げた。まあ、週末しかできないからだが、結構楽しんだ。完全に乾くまで1週間。最終的に、コンパウンドで磨き上げていく作業が残っているが、今日は雨。来週の週末完成をめざそう。10万円浮かせるために、がんばるぞ。
2011.03.21
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昨日は雪が降り続け、20センチは積もっただろうか。冷え込む体育館での最後の練習。被災者の寒さを想像しながら・・。2年生、3年生と担任した子どもたちがいよいよ卒業。私自身も転勤の内示があった。9年間もお世話になったこの学校ともお別れ。うまく司会進行できるだろうか。いろんな思いが複雑に入り混じり、説明できない感慨・・。とにかく泣き出して司会できなくなることなどないよう、気を引き締めていこう。でも自信ないなあ。何せ去年もやんちゃな6年生のりりしい姿を見て、思わず涙し、最後の最後、言葉に詰まってしまったからなあ・・。今日の予報はかろうじて晴れ。足元びちょびちょだから、見送りのルートも変更になるだろう。73名、みんな元気で出席できますように。
2011.03.17
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昨日、姉が病院訪問、その場で治療を依頼、介護病棟から治療病棟に今日午前11時に移動することになった。そんな説明を受けた後、母に会う。目も口も開いたまま、痰がのどに絡み、呼吸のたびに大きな音を立てる。しかし苦しそうな表情さえできない。目はうつろで、中空をただよう。ただただ、息をしている。やせ細った腕や足には、点滴による大きなあざのようなものができている。皮膚は筋肉から離れているような感触で、さすってもさすっても、体のぬくもりは伝えられないし、伝わってこない。姉の選択はやむを得なかっただろう。私もあきらめ切れないし、奇跡の回復が期待されるかもしれない。でも、本当に生きているってどういう状態をいうのだろう。直接血管にカテーテルをつなぎ、栄養剤を直接注入して生きるエネルギーを供給し続ける・・。子どもの私が言うのもなんだが、とっても美しかった母はこんな姿をみせること、望んでいただろうか。しっかり話し合っておくべきだった。私自身に関して、妻や子どもに話している。「いろうは必要なし。口から食べられなくなったら、死を覚悟する。点滴も治療上最小限。薬なら仕方ないけど、延命治療としての栄養剤の点滴はいらないし、長期治療のあと、もし呼吸停止しても、人工呼吸器はつけなくていい。心臓マッサージも必要ない。むろん、人工的な心臓はいらない。それが自分の寿命だと思うから。こんなこと、母のことがなければ具体的に話せなかっただろう。最近「遺書を書こう」と考えるようになった。子どもや妻で見解が統一できないとき、治療方針についても具体的に書いておいたほうがいいなと、真剣に思っている。海外に住んでいる兄は「お前に任せるが、急変に驚いている」とメールしてきた。急変じゃないんだけどなあ・・・。ゆるやかに、紙に向かっている母の状況をこまめに知らせなかったからなあ・・。県外に住んでいる兄からは返信なし。きっと仕事が忙しいんだろう。まあ、きょうだいといえども、その人生はさまざまで、考え方もばらばら、当然といえば当然。母のそばにいる姉と私で決めていこうと思う。特に身近で下の世話もしてきた姉の考えに従おうと思う。それが自分の寿命だと思うから」やむを得ないときだけで、母のように日常的に必要となれば、
2011.03.15
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もう1年以上入院し、介護病棟でお世話になっている実母。14日の月曜日、緊急に主治医に呼び出され、母の状況とこれからについて説明を受けた。口からの栄養補給ができなくなり、直接胃に管を通して栄養剤絵お注入していたのだが、多分尿を排出する管からばい菌が入ったためか、熱が上がり、肺炎になってしまった。その後熱が下がらず、体力も落ちてきているため、「いろう」による栄養剤さえ逆流しはじめ、気管に入り込むことによる「嚥下性肺炎」になる恐れあり。そのため今度は点滴をしようとするが、点滴の針が入らない。今はどうにかこうにか血管を見つけて細々と点滴しているが、継続は難しい状態。これ以上の医療行為をするには、3階に降りる医療病棟に行く必要があり、その場合は、皮膚を開いて、直接点滴の管を血管につなぐということになるそうだ。しかしこの場合も、そこから雑菌が入り込み、重篤な状態になるかもしれない。その場合は、体力が落ちているため、積極的な治療は、もうない、とのこと。端的に言えば、どこまでの治療、つまり延命治療を望むのか、何と、今日までに教えてという、あまりに唐突で無理な話・・・。看護師をしている姉に連絡。「このままあきらめたくない」と言い、今日姉が病院に電話することになった。海外と県外に住む兄にも連絡した。姉の気持ちは痛いほどわかる。でも、ほとんど意識もなく、やせ細っていく母を見てきた。「いろう」は母にとって厳しい選択だったようだ。点滴もできない。でも、血管に直接注入する延命治療、本当に必要があるのか。むしろ母がかわいそうな気もしている。自分で食べることもできず、点滴だけでつながれる命、「生きている」というのは、どういう状態をいうのか。やせ細って死んでいくまでの時間が伸びるだけ、そんな気もする。優しく、やんちゃな私をいつでも私を守ってくれた母を思うと、苦しくなる。私はどう考え、行動したらいいのだろう。
2011.03.14
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想像を絶する事態、時間の経過とともに増える死者、行方不明者、避難者・・。地震発生のメカニズムがわかっていても防ぎようのない自然災害、そして状況を最悪にする「人災」その一つが「福島原発」事故である。クリーンエネルギーの第一人者として全世界で見直され始め、スリーマイル島の原発事故以降、30年間も封印してきたアメリカも最近では開発に積極的だったという。ヨーロッパも同様だ。唯一の被爆国日本の中でもさまざまな反対意見がありながらも、資源がない国だけに、最も安価で効率のよいエネルギー源として認可されてきた。遅々としてすすまない、代替エネルギー開発。国民一人一人に呼びかけられた「節電」と計画的停電。しかし今、根本的にエネルギー問題に向き合わなければ、とんでもない事態に発展しそうで・・。いろんな小説で「原発事故」を想定した近未来を想像するとこわくなる。やはり人間は踏み込んではならない領域に踏み込んでしまったのではないかと考え込んでしまう。今日から本格的な卒業式練習。校長先生に、子どもたちの不安解消のメッセージをお願いしようと思う。そうでなければ、卒業式練習どころではないと、私自身が思う。そして6年生の「社会科論文」も出来上がったところで、今度のことについて語り合おうと思う。「私たちに何ができるか」これが今日のテーマになりそうである。私自身がしっかり考えておかなくては。
2011.03.13
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昨日、卒業式の役割分担のことで図書館司書と衝突してしまった。職員会で提案したときは、勤務時間外なのでその司書はいなかった。翌日自分が式当日「接待係」になっていることに気づき、「学校主事さん(現業の方)も入れてください。私は日ごろ接待に関わっていないので、わかりませんから」と、紋切り型で主張。いきなりのその言い方にかちんときた私は、「主事さんは、玄関周りの清掃とか雑用がたくさんあります。だから、事務の先生と二人で校長室に来られる来賓の接待、お願いしたのです。よろしくお願いします」ときっぱり。でも司書は食い下がる。「本来の業務と違います。主事さんとやらせてください。やらないとは言ってないです」ここで本当なら「わかりました。」というところだが、日ごろの不満もたまっていた私は大人気なく言い切った。「先ほど言いましたが、主事さんは当日雑務がいっぱいです。二人でできると思います。何とか提案どおりしてください」「以前の主事さんが男性だったから接待から抜けているだけじゃないですか?」今度は提案そのものを疑っているような言い方。頭にきた私は、「そのときは確かに駐車場係していただきました。ではあなたが、駐車場係されますか?」すると今度は「私は女ですから、駐車場係はできません」ときた。何言ってるんだか、わけがわからない。「だから、接待してください!」図書館司書の仕事ではないことは重々承知している。しかし卒業式当日は「手一杯」なのだ。まさに全職員体制で協力し合わなければできない。このようなトラブルを「業際トラブル」という。職務と職務の間の業務があった場合、特に校務分掌にのっていないような業務をいったい誰がするんだという話。みんなが自分の職務のみに専念したら、学校は運営できない。お互いが気を配り、支えあってこその学校。しかも勤務時間外のお願いではないのだから、ここは素直に受け入れるべきだし、わからなければ、事前に相談すればいいだけのこと。大体日ごろから「割り切りすぎ」のその司書、私は実は今年図書館にほとんど行っていない。「人柄」といっては何だが、行く気にならないのだ。教材研究の際、昨年度まではよく相談に行っていた。しかし今年は一度も相談していない。本来の業務でさえ、満足にしていないじゃないか!参観日のちょっとした子どもの世話もせず、さっさと帰っていくその司書。まあ、勤務時間外だから仕方ないけどね、お願いしますぐらい言って帰ったらどうだ!!それに来校者が出入りするドアの正面に座っていながら、対応もせず、顔も上げずに自分の仕事としてるじゃないか。失礼な態度だろう。なぜ一番遠くにいる事務や教頭や私が走っていって対応しなければならないんだ!!ふざけるな。心の中でそう叫びながら「では、卒業式の練習があるので、失礼!」と言って私は体育館に急いだ。何だか気分悪いし、職員室の雰囲気を悪くしてしまった。ああ、もうじき年度が終わると言うのに、大人気ない対応をしてしまった。主事さんを接待係に加えるだけで済んだ話なのに、日ごろの鬱憤をぶつけてしまった私・・・。情けない一日だった。
2011.03.10
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表彰式に参加した。おとなりは「最優秀賞」獲得の小学校長。副賞は10万円。本校は「優秀賞」なので半額の5万円。今度受賞論文が冊子になるので、じっくり検討してみよう。「最優秀賞」めざして来年度再挑戦するか・・・個人研究の部門もあるので、今から考えてみよう。予定通り近場の温泉でゆっくり過ごす。家に帰ったらぐったり。つい先ほどまでうとうとしていたので、この1週間の疲れが取れた気がする。
2011.03.05
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今日、50キロくらい離れた町で表彰式がある。3年間の教育改革についてまとめた教育論文が「優秀賞」を獲得したため。主催は教育公務員弘済会。校長に「応募してみない?」と薦められ、昨年夏休みに執筆し、応募した。残念ながら全国に進めなかった。県の代表論文に選考されれば、何と50万円もの現金がもらえる。ひそかにねらってたんだけど、やっぱりムリだったか・・。それでも今回5万円の賞金がもらえる。もちろん学校代表で執筆したので、私の懐に入ることはない。50万円なら学校備品などの整備に使おうと思っていたが、5万円なので、ちょっと中途半端。思案中である。まあ、その表彰式会場は県内でも大きな温泉街にある。せっかく遠出するので、温泉につかってゆっくりしてから家に帰ろうと思う。それにしても口内炎は痛かった。まだ痛みは続いているが、少しずつ痛みは和らいでいる。温泉で疲れがとれれば治るかも。
2011.03.05
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学年末を迎え、何かと忙しい。授業や生徒指導、成績処理というよりも、やはり報告文書の山にうんざり・・。確かに検証は必要だ。しかし文科省・県教委・市教委がそれぞれにそれぞれの課題について各学校の状況がどうであったかきめ細かく報告を求める。背景に「教育予算」があり「議会答弁」の資料集めという側面がある。公立校として当然ではあるが、報告のための報告と思える内容もあり、正直気持ちが向かない。「学校評価」もその一つ。教育関連法規の改正により、「開かれた学校」をめざし、義務付けられた。学校関係者評価に加え、第3者による評価も必要で、それぞれに評価委員会を作り、意見を募り、データにまとめ、公表していく義務が課せられている。繰り返すが、PDCAサイクルを否定するつもりはない。プランし、実行し、チェックし、新たなアクションを起こす、このサイクルは学校教育の質向上に欠かせない。しかし、である。評価の精度を上げるために、年々緻密になっていく。緻密になればなるほど、アンケート作成や集計、統計処理などの事務量が増大する。これが「評価のための評価」になる恐れがあるのである。それよりも今は、子どもに向き合いたい。次年度の進級を控え、放課後指導も含め、ていねいに接していきたい。報告文書は最低限にしてもらうことにより、そんな時間を生み出したい。そのために、市民・県民・国民学校への信頼を勝ち取ること、これが一番効き目がある。学校が何をしているか、不信感が強まれば強まるほど、市や県への直訴が増え、「どうなってるんだ」ということでさまざまな項目について、学校への報告義務が増大する。信頼を得るためには、実績を上げ、実績を上げたことを情報として発信することが必要、それはがんばっている。しかし県教委や市教委から「貴校はどのように情報発信に努めましたか」と問われ、詳細なデータをもとに報告しなければならないのである。ああ、隘路だ・・・今、私は口内炎に苦しんでいる。疲れがたまったのだろうか・・。痛みが強すぎて、食事がのどを通らない。ダイエットにはいいが、卒業式まで体が持つかどうか・・・
2011.03.02
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