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2005.06.05
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テーマ: 本日の1冊(3795)
カテゴリ: Henry Miller
Staircase


メージとして残っているのは、アメリカ大陸のすみずみ
まで歩きまわり、見つめつづけるヘンリー・ミラーの姿
です。

ミラーは、15歳のとき、ブルックリンの高校で出会っ
たユーナと恋におちます。しかし、ミラーは、彼女とは
2、3度、遠慮がちな接吻のよろこびを味わっただけで
、二人だけで会ったことも数回しかありませんでした。
ミラーは、ニューヨーク市立大学に入学しますが、2カ

スのような女性と2年間一緒に暮らしますが、ミラーが
愛していたのはユーナでした。女性との生活に耐えられ
なくなったミラーは、ユーナにも別れを告げ、カリフォ
ルニアへ逃げ出します。

ミラーは、アリゾナで、汽車の車窓から、ある峡谷にか
かっている橋を見て、おどろきます。

「いままで一度も見たことのない橋――何千年も昔に、
地球の大変動によって、とつぜん自然にできあがったよ
うな橋だった。インディアンのような格好をした男が一
人、その橋を渡っているのが見えた。彼は、馬にまたが
り、あぶみの横に長い旅嚢をさげていた。澄みきった大

ぎり最も新しい、最も若い橋のように見えた。しかも、
その非常に堅固な橋の上を、ありがたいことに、一人の
男と馬しか通っていなかった。それがアリゾナだったの
だ」

それは、ミラーの夢でした。実際に、日が暮れたアリゾ

まる、とある町はずれに立って泣きます。また、あると
き、ミラーは、テネシー州境に近い北カロライナの橋の
上にいます。

「私は、大きな峡谷の上にかけられた、ぐらぐらゆれる
木造の橋の上に出た。そこは世界の果てであった。どの
ようにしてそこにたどりついたのか、なぜそこにいるの
か、私には、さっぱりわからなかった。おれは、どこで
、どうして食べものにありつくつもりなのか。たとえ想
像しうるかぎりどっさり食事をすることができたとして
も、私は依然として悲しいだろう。私はそこからどこへ
行くべきかを知らなかった。その橋は私の果てであった
。この橋は狂気そのものにちがいなかった。そこにかか
っていなければならぬ理由は、まったくなかったし、そ
れを人々が渡らなければならぬ理由もなかった。近くに
低い岩壁があった。私は、それにもたれながら、どうす
べきか、どこへ行くべきかを考えた。私は自分がいかに
文明化された人間であるかを静かに自覚した――私は、
周囲の人間を、会話を、本を、劇場や音楽や酒場や飲み
ものを、その他多くのものを必要としていることに気づ
いた。文明化されるということは、じつにおそろしいこ
とだ。なぜなら、世界の果てへ来たとき、孤独の恐怖に
対して、まったく無力であるからだ」

ミラーは、チュラー・ヴィスタ市のオレンジの林のなか
で、奴隷のように働きます。

「なにもかもうしなってしまったような気がした。私は
もはや人間ではなかった。動物に近かった。荷車を挽く
2匹のロバのうしろについて終日歩きつづけている私。
私には、なんの思想も夢も欲求もなかった。体はすこぶ
る健康なのだが、頭はからっぽであった。人間の屑みた
いなものだ。生気溌剌として健康的でありすぎるために
、カリフォルニアの果樹林にぶらさがっているあの甘美
な人工的な果物に似てきたらしい。もう少し太陽の光に
あてられたら腐ってしまうかもしれない。熟する前に腐
ってしまうのだ」

ミラーは、何千マイルもの道を歩きつづけ、メキシコ湾
に到達すると、そのまま、まっすぐ海のなかへ入ってい
きます。「私は、このニセモノの文明人の生活をつづけ
る口実のために、メキシコ湾に身を投じなければならな
かったのだ。自分の神聖な肉体から私自身を追放しなけ
ればならなかったのである」と、ミラーは書いています
。

「新世界は、純粋なるものの破滅の上に、ごうかんや掠
奪や殺戮の上に築かれたのではなかったか? 私は、わ
れわれの祖先のことを思うと、顔があからむのをおぼえ
る。われわれの手には血と罪悪がしみついているのだ。
しかも、私がこの大陸をすみずみまで旅行したとき、ま
っさきに発見したのは、依然として虐殺と掠奪がくりか
えされていることであった。最も親しい友人にいたるま
で、あらゆる人間が潜在的な殺人者であった。私にとっ
て一番つらかったのは、せっかく口から出かかった言葉
を、とたんに抹殺されてしまうことであった。私はこの
巨大な暴力の半球のなかで孤立していた。私は自由とい
うものに必然的にともなうさまざまの刑罰に、しだいに
自分を馴らしてゆかなければならなかった」

ただし、ミラーは、まったく孤立していたわけではあり
ません。

「人々は、かげで、いや、ときには私の目の前で、あい
つはおかしいぞという合図をかわす。私は友人や、家族
や、それまで愛していた人たちから、グッド・バイを余
儀なくされる。ごく自然に、またしても流れにのってた
だよう自分を発見する。だいたいは、夕陽に顔をむけな
がら、ハイウェイを歩いている。私は、はなはだ愛想の
よい、ものやわらかな、抜け目のない動物であり――同
時に、聖なる人間と呼べるようなものとなる。私は適当
に、ある地位にとどまり、ある人間との交際をつづける
が、必要なものを獲得したら、さっさとおさらばを告げ
る。私にとっては終着点というものがない。無目的の放
浪は、それ自体充足したものなのだ。私は小鳥のように
自由であり、軽業師のように自信に満ちているのである
。マナは天から降ってくる。私は手をさしのべてそれを
受けとりさえすればよい。私は、行くさきざきで、この
上もない悦楽の思いをのこす。まるで天から降る贈りも
のを受けることによって、他人に真の恵みをあたえてい
るかのようだ。私は、いつも泥棒や、ごろつきや、人殺
し連中とつきあってきたが、彼らは私に対して、なんと
親切で思いやりがあったことだろう! 彼らはまるで私
の兄弟のようであった。私もやはり、あらゆる罪をおか
し、そのために苦しんできたのではなかろうか。その罪
ゆえにこそ、私はこうした仲間と、ごく密接に結びつい
ていたのではなかろうか」

ニューヨークへ戻ったミラーは、成熟して生まれかわる
まで、真の自己を冬眠させます。ふたたび人間の行動の
流れのなかに身を投じ、人間性の潮が白い大きな波浪と
なって、ミラーを洗うのに身をまかせます。それは、ミ
ラーを疑問から疑問へとみちびき、すでに海面から没し
ていた真の自己を、ますます見うしなわせることになり
ます。

「私は自分が社会によってガトリング銃を手にもたされ
たあやつり人形であることに気づいて、凍えるような絶
望感におそわれたことがあった。たとえ私が善良な行為
をしたとしても、究極的には、悪質な行為をした場合と
、なんら異なるところがないのだ。いかに私が有能にな
ろうとも、私は絶対にプラスないしマイナスの記号に変
ることはできなかったのだ。私だけではなく、すべての
人がそうであったと断言してもいいと思う。私たちのあ
らゆる生活は、この等式の原理の上に築かれていた。整
数は死のために踊らされている記号と化してしまってい
た。同情、絶望、情熱、希望、勇気――それらのものは
、さまざまな角度から等式を見ることによって生じる一
時的な屈折作用であった。それに背をむけ、あるいは、
まともに相対して、それを書くことによって際限なく糊
塗することをやめたところで、なんの甲斐もなかった。
鏡の広間のなかでは自分自身に背を向ける方法はないの
だ。全然なにもしないでいることができるだろうか。な
にもしないということについて考えるのをやめられるだ
ろうか。完全に静止して、虚心担懐に、自分の真理をひ
ろめることができるだろうか。この考えは、いつも私の
脳裏をはなれず燃えつづけていた」

ミラーは、自分の内部に湧きたぎっている熱い溶岩を、
なんとか流出させようと呻吟します。なんとか通路をつ
くって、ただの一字でも一句でもいいからとらえてやろ
うと、何千回となく努力をくりかえしますが、うまくい
きません。ところが、ある日、奇妙な調和感、神秘的な
静止の状態を感じます。ミラーは、家へ飛んで帰り、机
に向います。

「私がなにを書いているのか、なぜこんな書きかたをす
るのかを、だれひとり理解してくれるものはいなかった
。私が新しい世界について書いたのは、不幸にも時期が
少々早すぎたようである。それはまだラッパ管の中にか
くれている卵巣の世界であった。わずかに背骨の芽ばえ
が見られるだけで、脚も腕も髪も爪も歯も、まったくな
かった。それは極微時間の世界であり、各分子がそれぞ
れに不可欠であり、驚くほど論理的であり、絶対に予言
しえない微分子の世界であった」

「じつはそれは古くも新しくもなく、ただ刻々に変化す
る永遠に真実なる世界であった。夜、私はしばしば机に
向って、オーストラリアの奥地人や、ミシシッピー渓谷
の原住民や、フィリピンのイゴロート族などに手紙を書
いた。どんな古い年代の人間でも私を理解してくれたに
ちがいない。ただ私の周囲の人たち、この大陸に住む1
億の人たちだけが、私の言葉を理解することができなか
った」

「子宮の世界は、生命のリズムの所産である。生の究極
の意味は、ごく簡単な身ぶりひとつで十分伝達すること
ができる。全存在で語るならば、ただの一語でも生命を
あたえることができるのである。行動そのものは、まっ
たくなんの意味もないばかりか、それはしばしば死の徴
候にほかならない。単純な外部的な圧力によっても、環
境や慣例の力によっても、あるいは行動を生む雰囲気そ
のものによってすら、人間は――たとえばアメリカのよ
うな――おそるべき死の機械の一部になりうるのだ」

「生の根源たる子宮へ帰る道を発見していることを自覚
した人間が、彼の先史的な机から世界の古代人と通信す
るのに用いる粗雑な暗号、そこから新しい言葉が生まれ
るのである。その言葉は無線電信が嵐をつき抜けてゆく
ように現代の死の言葉をつき抜けてゆく。私自身のよう
に、口をひらいて語るものだけが――イエス、イエスと
言いつづけてきたものだけが――死に対して大きく腕を
ひろげることができ、なんの恐怖も感じないでいること
ができるのである。いかなる人間でも、自己を発見し、
生命のリズムである自己のリズムを発見したとき、最初
に書く文字は、イエスなのである。その後に書くあらゆ
ることも、すべてイエス、イエス、イエス――千差万別
のイエスなのである。いかに巨大な発電機でも――たと
え1億の死者の発電機ですら――イエスと言いつづける
人間に立ち向うことはできないだろう」

ミラーは、ブルックリンの街を歩きながら、はじめて愛
した女性ユーナのことを思い出し、ひとりぼっちである
ことの際限のない辛さを感じます。星は、明るく、遠く
、輝いていて、ミラーに語りかけます。「わしらはね、
何百万年、何千万年も、こうしてここにいるんだよ。わ
しらは、あらゆるものを、ひとつ残らず見た。けれども
、あいかわらず毎晩おだやかに光を放っているのだ。道
を照らし、人の心を静めているのだ。あたりを見まわし
てごらん。万物が、いかに静かで美しいかを、きみの目
で確かめてみるがよい」。ミラーは、非常に考え深くな
っていきます。

「私は世界じゅうのあらゆる人を愛しはじめた。私の家
? この世界が、全世界が私の家なのだ! どこにいよ
うと、そこが私の家なのだ。もはや境界線なぞはない。
そんなものは最初から存在しなかったのだ。私が勝手に
つくっていたのだ。私は幸福感にひたりながら、ゆっく
りと通りから通りへと歩いて行った」





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Last updated  2019.05.16 02:54:38
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