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2005.07.18
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カテゴリ: 美術
ティントレット最後の晩餐1566


ィアの画家ティントレットについて書いた文章が出てき
ました。日付は1981年2月4日。私の出発点となる
文章なので、日記に掲載することにしました。

私は、「イタリア・ルネッサンス展」(1980年11
月1日~12月21日、国立西洋美術館)で、ティント
レットの「最後の晩餐」(1566年制作、油彩、カン
ヴァス、220㎝×420㎝、ヴェネツィアのサン・ト
ロヴァーソ聖堂所蔵)を観て、その圧倒的な迫力に惹か

か、ということを少し考えてみたい。

私が西欧の絵画を鑑賞するとき、とまどうのは、神話や
聖書からとられている主題をどのように考えたらいいの
か、という問題である。13世紀後半イタリアにおいて
ジョットやその先駆者たちが創造した、形体や空間を3
次元のイリュージョンによって表現する方法は、一応宗
教的主題の世俗化の傾向(その当時の世俗生活において
解釈しなおすという意味)を示すものとしてとらえられ
るが、アッシジのサン・フランチェスコの思想との関連
も見逃せない。このような問題は、芸術(この場合、近
代的な芸術概念として使っているわけだが)における宗

念の再検討という問題へと拡大していく。私にとってヨ
ーロッパの中世・ルネッサンス期は未知でありすぎるし
、ここではそういった地域差や時代差を超えて私に訴え
てくるなにものかについて何かしら述べられればいいの
だが。


1594年)は、新大陸の発見によってもたらされたペ
ルーの金と銅によって欧州市場は混乱していたし、とり
わけヴェネツィアは15世紀半ばのトルコ人によるコン
スタンティノープルの陥落によって東方貿易に打撃をう
け、スペイン・ポルトガルによる東洋への長距離航路の
発見はヴェネツィアを衰退へと導く不安をかきたてた。
そこで、高級ラシャの製造、造船業といった新しい産業
の発展を見るのである。

また、精神面では、腐敗しきった教会組織に対して北方
ヨーロッパでは宗教改革が始まったのに対して、カトリ
ックの側でも、トリエント公会議(16世紀中期)基本
綱領をもとに教会の立て直しが行われつつあった。つま
り、世界の転換期であり、あらゆる価値が相対化される
混乱のなかで、人間の行為もいろいろな形であらわれた
のである。

ヴェネツィアは、その地形のみならず、商業都市国家と
いう性格からも、ローマ教皇権の支配より世俗権力が優
位であり、自由な雰囲気をもっていた。その黄金時代を
象徴するのがティツィアーノの絵画であり、人々はいま
だにその豊麗な色彩に満たされた理想美の世界に酔いし
れようとしていたのであった。そこに登場したのがティ
ントレットというわけである。

まず、この作品を古典的なレオナルド・ダ・ヴィンチ
「最後の晩餐」(1499年、ミラノ、サンタマリア・
デルレ・グラツィエ修道院)と比較してみる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐復元

レオナルドの作品においては、線遠近法の収束する一点
は、ちょうどイエスの額と重なり、すなわち神の子イエ
スによって統一された世界を示す。そしてイエスの背後
には、二階の広間の窓から外の明るい風景が望まれる。
ティントレットの作品においては、やはりイエスを画面
構成の中心に据え、背景には外界の風景が夕方の光のな
かに望まれるのであるが、作者の視点はレオナルドの作
品に比べて高い位置にあり、イエスと使徒たちを俯瞰す
る形になっている。

さらにテーブルの形は、レオナルドでは伝統的な細長い
形であるが、ティントレットでは正方形に近く、それに
伴って使徒たちの配置もレオナルドでは12人の使徒が
3人ずつ組になっているのに対して、ティントレットで
はその配置・身体の運動ともにより複雑であり、また伝
統的な図像に出て来たことのない人物たち――果物を持
った皿を手に食卓に近づく一人の少年、階段の上で糸を
紡ぐ老婆、さらには柱廊のまばゆい光に包まれながら、
キリストの背後に歩み寄る二人の小人物像が見られるの
である。

ここで、このような画面構成の変化を導き出した要因を
考えてみる。当時レオナルドらによって確立された絵画
の古典様式に対して、後期ミケランジェロをはじめとす
るそのあとの世代によって新しい絵画様式が創造されて
いた。この動向は、一般的には直接「自然から」画面を
構成するのではなく、先行する巨匠たちの「美しいマニ
エラ(手法・様式)」によって画風を構成するところから
「マニエリスム」と呼ばれ、1520年前後のフィレン
ツェ、ローマに源を発し、1530年~1550年には
ヴェネツィアにも多大な影響をもたらし、16世紀後半
には全ヨーロッパへ国際様式化した。

アーノルド・ハウザーは、その基本的様式原理を「あの
特徴的な細長い形体、丈高い細い人物の好み、空間の不
均等な充填、緊密な中央集中を捨て、主要な情景を前景
または中央から、後景または片隅へとしりぞかせる方法
、むらのある人物配置、短縮法による強烈な奥行き表現
、前景に暗く表現された人物、あるいは対角線・大きさ
・照明・姿勢などの強烈なコントラスト、題材や線や形
体の反復、平行、押韻、そして主人公を画面中心から移
して、個人よりもグループの価値を重んずるなどの原則
」とまとめている。

マニエリスムの影響は、ティツィアーノの作品にもみえ
るが、ティツィアーノとの比較からティントレットの特
徴をみいだせば、ティツィアーノの作品の依頼者が、外
国の宮廷や王侯であった(ティツィアーノ自身もピエー
ヴェ・ディ・カドーレからヴェネツィアにやってきた画
家であった)のに対し、ヴェネツィアの染物屋の息子で
あるティントレットの作品の依頼者は、主に教会と、本
質的に宗教的な団体である同業組合(スクオーラ――そ
の目的は(1)聖職者以外の市民のための共同の宗教的訓
練の場、(2)慈善や相互扶助を行うこと)であり、彼の
活動範囲もほぼヴェネツィアに限られていたことである
。このスクオーラは、ヴェネツィアで下から盛り上がっ
て広汎な層をとらえるにいたった新しい宗教生活深化の
動きを象徴するものであった。

このような背景を頭にいれて、先にみたような前の時代
との絵画技法の変化が、どのような新しい意味をもたら
したかを考えてみる。

この作品では、画面はまずキリストの背後の柱廊から外
界の風景にいたる明るい空間と、前景の室内のより暗い
空間に分かれている。さらに前景の空間にやってくる光
は、キリストの背後の明るい空間だけではなく、中央の
テーブルをほぼ照らし出すような大きさのあかり窓が、
やや上部むかって右側手前(私たちの俯瞰する視点より
上部右側)にあって、そこから斜めに光線がさしこんで
いるようである。

リドルフォによれば、このような仮構の空間における構
図・照明効果の研究にあたって、ティントレットは蝋と
粘土でできた小さな彫像と、舞台のように光の具合が調
べられるようになっている暗箱の一種を使っていて、衣
の襞の具合、遠近のようす、照明効果を調べたという。

明暗のコントラストによる空間の分裂に加えて、人物に
おいても、このような分裂がみられる。おそらくこの場
面は<イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒
ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っ
ておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろ
うとしている」弟子たちはだれのことを言われたのか察
しかねて、互いに顔を見合わせた>(ヨハネによる福音
書13-21~22)という記述に対応するものであろ
うが、ティントレットは、この作品で、この情景をマニ
エリスム的なむらのある複雑な人物の配置・動作の表現
によって、神の子イエスに対する使徒の裏切りというよ
りも、その逸話を当時の世俗社会に重ねあわせての再解
釈、つまり神を失いつつある当時のヴェネツィアにおけ
る人間と人間との間の不信な関係(当時のヴェネツィア
において人間関係は信仰よりも金であった)の象徴とし
て描いているようにみえる。

先に指摘した俯瞰する視点によって、画面はイエスを中
心とするというよりも、テーブルを中心(光もそこにあ
たっている)とし、そのまわりの人物は、その風俗画風
の描写とともにイエスもふくめて、前の時代よりもそれ
ぞれの人物に同等の価値が付与されて描き分けられてい
るようにみえる。マクス・ドヴォルシャックのように、
前景に後ろ向きでまだ半分ほど入っている盃と葡萄酒の
瓶をつかんでいる人物をユダとし、イエスとユダの垂直
の対照に、この作品の主題をみいだしていくこともでき
るが、ティントレット独自の表現を考えた場合には、聖
書の伝統的解釈からより逸脱した点に特徴を求めるべき
だろう。

そして、この前景の室内の世界と対照的に、イエスの背
後に描かれた後景の柱廊は光に満たされ、前景の人物像
と対照的な半透明の二人連れの人物像がみいだされるの
だが、ティントレットの諸作品にしばしば登場するこの
半透明の人物像の解釈は難しい。ここでは、前景を現世
の苦悩の象徴、後景の光に満ちた世界を天上の楽園の象
徴、そしてその二つの世界を架橋する者としてのイエス
、と解釈しておく。

しかし、この天上の楽園を満たす太陽の光も傾きかけて
いるようである。それは柱廊の柱の長くのびた影や、た
そがれの空の色によってわかるのだが、これは、この最
後の晩餐が夕刻に行われているということを示すだけで
なく、それまでの西欧のキリスト教的世界観が崩壊しつ
つあることを示しているのではないだろうか。ちなみに
、彼のこの後の「最後の晩餐」の諸作品では、もはや外
界の風景は描かれていず、全体が異様な光線で照らし出
されているのである。

さて、この作品の表出力の強さは、どこからやってくる
のだろうか。それは、前の時代においてはキリストを中
心に統一されていた「最後の晩餐」の画面が、いま、み
てきたように分裂、崩壊にひんしながらも、それを画面
全体としてなんとか統一させようとするティントレット
のくわだて、この崩壊と統一との間にバランスをとろう
とするところに生まれる緊張、そこに、この作品の美が
成立しているのだ。それはまた、彼の作品の依頼者であ
ったヴェネツィアの市民や職人たちの危機感と祈りを代
弁しているのではないだろうか。





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Last updated  2019.05.16 02:54:02
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