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諫早市を流れる本明川沿いに鎮座する、九州総守護の神社。「四面宮」とも呼ばれる。御祭神は天照大御神(アマテラスオオミカミ)、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。九州総守護の神として白日別命(シラヒワケノミコト)、豊日別命(トヨヒワケノミコト)、豊久士比泥別命(トヨクジヒネワケノミコト)、建日別命(タケヒワケノミコト)を祀り、配祀に猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)、八幡神、天満宮、御霊宮、稲荷神社、太子堂、四面上宮を祀る。九州総守護の神社ということもあり御神徳は広大無辺と言われ、特に開運、厄除、健康、病気平癒の御利益が有名。728年(神亀5年)に聖武天皇の勅願により、行基が当地へ赴いて石祠を祀ったのが始まりと言われている。元々は九州総守護の神々を祀る四面宮という名前の神仏習合の神社だった。古くから諫早の氏神として歴代領主の祈願所に定められ、西郷氏、龍造寺氏、諫早氏から篤く信仰された。建長年間に領主の西郷氏が社殿を建立し、1587年(天正15年)に新たな領主となった龍造寺氏が境内地を整備し神宮寺として荘厳寺を創建。1868年(明治元年)の神仏分離令によって並祀していた荘厳寺が分離され、社名を諫早神社に改称した。現在では地元の人々から「お四面さん」の愛称で親しまれ、この地の中心社寺として崇敬されている。毎月1日と15日に月次祭が行われている。1月に初詣、2月に祈年祭、10月に例祭、11月に新嘗祭、6月と12月に大祓が行われている。飛び石。神社の前を流れる本明川に設置された飛び石。古くは本明川を渡る唯一の通路だったそうで、川面に2ヶ所あった。1957年(昭和37年)の諫早大水害によって流出したが、1985年(昭和60年)に放送されたテレビドラマ「親戚たち」の収録で一時的に仮設されたことをきっかけに、地元住民の要望によって1988年(昭和63年)に復元された。石鳥居。手水舎。新型コロナウイルスの影響で改造が施されていて、近づいたら自動で水が出る仕組みになっていた。近頃の手水舎もハイテクになったものだ。狛犬。伏せの体制になりお尻を上げた格好の狛犬と、年季の入った玉乗りの狛犬が一対ずつあった。拝殿。木造入母屋造の銅板葺。現在の拝殿は大正時代初期に建立されたもの。本殿。木造入母屋造の瓦葺。社伝の周りは玉垣で囲まれている。現在の本殿は明治時代初期に建立されたもの。社務所・授与所。日本一のアマビエさま。今となっては懐かしさも感じるアマビエの木像。諫早市在住でチェーンソーアート日本一に輝いた嶋田克海氏が神社に保管されていたクスノキを活用して製作し、奉納したもの。高さ115cm、幅80cmと大きさも日本一だそう。諫早神社のクス群。県指定天然記念物に指定されている。境内のクスノキ群は全体がまとまった景観的にも良好なもので、その中の6本のクスノキが天然記念物に指定されている。このクスノキが1号とされる境内で最も大きなクスノキで、樹高約25m、幹廻り7.8m、樹齢不明。諫早神社の御神木として崇敬されている。2号、3号のクスノキ。2号の幹廻りは7m、3号は6.6m。3号は根の部分が根上がりしている。どちらも1号と同様に注連縄をつけている。5号のクスノキ。幹廻りは4.5m。本殿を挟んで反対側に4号のクスノキがあるが、全貌は見れなくなっている。6号のクスノキ。幹廻りは4m。6本のクスノキの中では最も小さなもの。桜と四面菩薩坐像の磐座。四面菩薩坐像は諫早神社の御神像で、かつては九州総守護の神々が宿る御神体として祀られていた。しかし神仏分離令によって神宮寺の荘厳寺が廃止され、四面菩薩坐像は天祐寺に移された。この石はその四面菩薩坐像に見立てた磐座と、その御加護を宿した桜の木。諫早神社御神苑。創建1290年を記念して、2022年(令和4年)に造られた神苑。自然石を配して造られた池泉式庭園で、雲仙塚、龍池、三柱鳥居、雲舞台の4つで構成されている。龍池。元々江戸時代に作庭され、県内三大名庭と呼ばれていた庭池が諫早大水害によって消滅。神苑の作庭にあたり、今回新たな形の庭池として蘇った。池の中央奥に見えるクスノキの根のうねりを龍に見立てた庭池で、右手に蓬莱山と枯滝の石組、水面に鯉魚石、左手に亀島が見られる。水際には玉石を敷き詰めて州浜を造り、穏やかな水際が表現されている。雲舞台。雲に見立てた石で造られた舞台。諫早市で産出された諫早石で造られている。巫女舞や雅楽を奉納する神楽舞台として使われる。猿田彦の石碑。雲仙塚の登り口にある猿田彦神(サルタヒコノカミ)を祀る石碑。雲仙塚。諫早神社の御神体である雲仙岳をかたどった築山。高さは約3m。築山は全て石で組まれており、寄進された石や雲仙地獄の石などが用いられている。中心には天気を司る鯨の姿に見立てた鯨石があり、その鯨石を囲むようにして三柱鳥居が建っている。三柱鳥居。雲仙塚にある鳥居。かつて諫早神社には全国的にも珍しい陶器で出来た鳥居があったが、諫早大水害によって流失。2024年(令和6年)に訪れた時はまだ鳥居ができておらず、木でできた仮の三柱鳥居が置かれていたが、現在は完成した白色の陶器の三柱鳥居が設置されている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.05.18
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当ブログ『金田政宗の旅の記録』は2026年(令和8年)4月24日をもちまして、6 周 年を迎えました。これまでに25都道府県、749件の記事を書きました。気付けばもう日本の都道府県の半分以上を旅していて、西日本はあと1つの県を旅すればで完全制覇といったところまできている。各地の観光スポットの写真と共に書き連ねてきた旅の記録も、だいぶ彩りのあるものになってきた。旅の記録の完成…といっても旅をやめない限り更新は続いていくが、日本全国の記録を記した旅の記録の出来上がってきているのを実感している。誰もが知る定番・有名スポットから、ほとんどの人が知らないであろう穴場まで全国各地の名所を紹介していき、より多くの人に日本の魅力を知ってもらえればと思います。これからも『金田政宗の旅の記録』をよろしくお願いします。今年のGWは大阪に行ってきました。観光で行くのは小学生以来、大人になって1人で旅するのは何気に初めてだった。初めてということで定番スポットをメインに見て回った。新世界、通天閣、道頓堀、大阪城…などなど。大阪と言えば日本の第二の都市。難波や梅田の方にも行ったが、人だかりがすごい。新世界なんか、毎日昼夜祭りが行われているようだった。都会というのはどうも苦手なのだが…大阪は街中が賑やかで楽しい街で、あまり息苦しさを感じなかった。3泊4日と長旅になったが、あっという間に時間が過ぎていき、旅運にも恵まれて、楽しく、美味しい旅になった。また行きたいなぁと思ったほどである。これで旅の記録にまた新しいページが刻まれる。西日本はほぼ制覇。残るは和歌山県のみ。次の旅先はもう確定かな?↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.05.17
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市内に現存する数少ない楼門がある神社と、境内にある征西大将軍が奉納したと伝わる藤の木の巨樹。主祭神は天児屋根命(アメノコヤネノミコト)。脇祭神に武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、住吉三神を祀る。健康長寿、病気平癒、災難除けの御利益があると言われている。740年(天平12年)に藤原広嗣が創建したと伝わる。平安時代に書かれた筑後国神明帳に「西福童大中臣神」の神名が記されており、1000年以上の歴史があることが分かっている。1359年(正平14年)に征西将軍宮懐良親王が大保原合戦で負傷した際、大中臣神社の加護で全快したことに感謝し、藤の花を奉納したと伝えられている。1670年(寛文10年)に楼門が建立される。将軍藤は前述の通り宮懐良親王が奉納したと伝わる藤の巨樹。県指定天然記念物に指定されている。4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎え、見頃の時期には藤まつりが行われている。参道入り口。鳥居はない。神橋と神池。注連掛石。手水舎。楼門。市指定文化財に指定されている。高さ約10.6m、奥行き約4.6m、幅約22.4m。木造入母屋造の瓦葺で、両脇に回廊が伸びている。1670年(寛文10年)に建立されたもの。1828年(文政11年)に発生した台風によって倒壊し、1835年(天保6年)に改修工事が行われた。小郡市内の神社に現存する楼門は3つしかなく、その中でも特に規模が雄大かつ美観で学術的にも貴重な価値を持つことから、1991年(平成3年)に市指定文化財に指定された。楼門の天井絵と彫刻。拝殿。入母屋造の瓦葺。正面に千鳥破風と唐破風を持つ。拝殿に掛けられている神額。御祭神が記されているが…真ん中の大中臣大明神は何を指しているのだろうか?本殿。流造の銅板葺。「将軍藤」征西将軍宮懐良親王が奉納したと伝わる藤の巨樹。県指定天然記念物に指定されている。根元周囲3m、胸高周囲2m、藤棚の面積約360㎡、樹齢630年以上。開花すると1m近くの花が藤棚の一面に垂れ下がり、見事な花の暖簾を作り出す。藤が見頃の時期になると藤まつりが行われ、屋台が出る他、夜にライトアップがされる。幹。複数の幹が絡み合うような形になっており、鉄骨を全て埋め尽くすように枝を広がらせ、立派な藤棚を形成している。陽が沈む頃、提灯の明かりが点灯しライトアップされた藤棚。その光景は春の夜祭といったところだろうか。地元の人々が多く集まり、夜の藤を楽しんでいた。藤の花が掛かり、かんざしを挿したようになった狛犬。提灯と藤。竹あかりも飾られていた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.05.15
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猫尾城の城主が創建した神社と、その境内に広がる広大な藤棚。黒木の大藤は国の天然記念物に指定されている。御祭神は素盞嗚尊(スサノオノミコト)と稲田姫命(イナダヒメノミコト)。神社の御利益は不明だが、境内に広がる黒木の大藤は長い歴史の中で大火や災害に見舞われても生命力を維持し続けていることから、厄除、長寿の御利益があるとも言われている。猫尾城主であった黒木肥前守により、元応、元亨年間に社殿が創建されたと伝わる。かつては祇園社と呼ばれていた。1584年(天正12年)に大友宗麟の家臣によって襲撃を受け、猫尾城が落城しその時城主であった黒木家永が切腹。神社も兵火に呑まれた。その後家永の子である延実が旧領を奪還し、当社を崇敬した。1587年(天正15年)に社殿が再建され、元文年間に社殿を造営。1821年(文政4年)に町の大火により社殿などの建造物が全て焼失。1823年(文政6年)に本殿が再建され、翌年に拝殿が再建される。1910年(明治43年)に村社に昇進した。黒木の大藤は素盞嗚神社の境内に広がる広大な藤棚。国の天然記念物に指定されている。4月中旬から下旬に見頃を迎える。1395年(応永2年)に征西将軍良成親王が手植えしたものと伝えられている。藤の花が見頃を迎えると大藤まつりが開催され、屋台が出て物産展やイベント等が行われ、夜にはライトアップも行われる。正面鳥居。国道442号線。黒木の大藤に沿った車道の上にも鉄骨の藤棚が設けられている。手水舎。藤の花でできた輪が飾られていた。人と人との繋がりその先に続く想いを輪として表現しているそう。参道。拝殿。1905年(明治38年)に改築されたもの。本殿。拝殿と同じく1905年(明治38年)に改築されたもの。元々は西に向いていたそうだが、改築された時に南向きに移された。境内社の淡島神社、恵比須神社。稲荷神社、庚申塔。藤の花がかかった裏の鳥居。国指定天然記念物 黒木大藤の碑。團伊久磨のパイプのけむりの碑。パイプのけむりは作曲家である團伊久磨によるエッセイで、1969年(昭和44年)に発表された内容に黒木の大藤の情景が描かれている。碑には実際に掲載された文が刻まれている。「黒木の大藤」素盞嗚神社を覆うようにして広がる広大な藤棚。国の天然記念物に指定されている。幹囲2.2m、藤棚の面積約3000㎡、樹齢630年以上。満開時には花房が1m以上に伸びることもある。1395年(応永2年)に征西将軍良成親王が手植えしたものと伝えられている。1584年(天正12年)の兵火や1821年(文政4年)の大火によって焼損したが、幸いにも生を保ち600年以上の樹齢を数えている。1928年(昭和3年)に国の天然記念物に指定された。幹と根。太い枝は地面スレスレまで広く伸ばしているものもある。写真撮影スポット。広大な藤棚。これほどの広さを持つ藤棚も大変珍しい。4月下旬に訪れた時は既にところどころで色褪せていたり散華していたものもあったが、社殿左手の藤棚は綺麗な紫に染まったままだった。良い香りがしていて、長く伸びた花房はまさしく花のカーテンそのもの。夜のライトアップは和傘が飾られたりして、より一層美しい景色になるようだ。大藤まつりの期間中、藤棚の下に出ている屋台。辺りでは民謡が流れていて良い情緒を作り上げている。広く立派な藤棚の中の縁日という独特な風景。どうやら昔から行われている伝統のものだそうで、その様子は前述のパイプのけむりにも描かれている。歌碑。大藤まつり物産展。八女市黒木町の特産品や地元で採れた野菜・果物やその加工品の販売が行われており、キッチンカーも多く出店している。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.05.14
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桜と自然に包まれた、市内最大の都市公園。「埴生公園」と表記されることもある。広さは約15万㎡。園内には公園広場や展望台等があり、1周1300mのウォーキングコースも整備されている。園内北側に広い池を持ち、池には反橋が架かり鯉が泳いでいる他、春の期間のみボートに乗れるようになっている。他にも見どころとして埴生神社や垣生羅漢百穴がある。約2000本の桜の木があり、県内有数の桜の名所として知られている。4月下旬から5月上旬にかけてはツツジも綺麗。桜が見頃の時期に筑前中間さくら祭が開催されており、多くの花見客で賑わう。祭りの期間中は屋台が出る他、夜間に桜のライトアップがされ、昼とはまた違った雰囲気の中で夜の花見を楽しめる。新鮮市場さくら館。公園の近くにある。地産地消の食材が販売されており、食事処もあり。訪れた時はちょうど筑前中間さくら祭の期間中。沢山の花見客が来ていて屋台も出ていた。埴生神社鳥居。池。公園の北側に広がる池。埴生神社の参道になっているところには朱塗りの延壽橋が架かっており、池には鯉が泳いでいる。4月上旬から5月上旬まで土、日、祝日のみボートに乗れるようになっている。料金は30分330円、超過10分ごとに110円。垣生瑞祥石。埴生神社参道途中にある。思いを込めて石に水をかけると願いが叶うと言われている。埴生神社。御祭神は仲哀天皇、神功皇后、應神天皇。相殿に天照皇大神(アマテラスオオカミ)、十五社神社を祀る。開運、家内安全、縁結び、安産、交通安全の守護神として崇敬されている。昔、仲哀天皇と神功皇后が熊襲征伐の為に御船でこの地に訪れ、航海の安全を祈念し船魂を祀られたのが始まりとされている。10月13日に例祭が行われている。埴生神社の御神木であるヤマザクラ。園内にある約2000本の桜の中で最も古い桜の木。樹齢は不明だが老木なのは確かで柱で支えられおり、幹の内部はコンクリートで補強されている。園内の桜。ちょうど満開を迎えていた頃だった。垣生羅漢百穴。県指定文化財に指定されている。公園内に点在する横穴群で、古墳時代に作られた墓(横穴墓)。園内にある羅漢山を中心に約50基が点在している。多くの副葬品が出土しており、それらは中間市歴史民俗資料館に展示されている。周辺や横穴墓の内部には多くの石仏が安置されており、信仰の場にもなっている。遊具広場。遊具やステージがあり、家族で楽しめる場になっている。遊具はどれも新しいもので、大型複合遊具の他に乳児・幼児向けの遊具もある。国鉄C11形蒸気機関車。1944年(昭和19年)に製造されたSL。現役時代は長崎県や熊本県を走っていたそう。以前は内部の見学もできたようだが現在は展示のみとなっている。忠霊塔。ウォーキングコース。埴生神社近くにスタート地点があり、1周1300m。公園の豊かな自然の中でウォーキングを楽しめる。中間仰木彬記念球場。公園のすぐ隣にある市営野球場で、旧称は中間市営野球場。中間市出身の元プロ野球選手で、近鉄バファローズやオリックス・ブルーウェーブの監督としても活躍した仰木彬氏の功績を称え、2017年(平成29年)に現在の名称に変更された。第1展望台。第2展望台。第2展望台前に咲いていたシダレザクラ。ソメイヨシノよりも濃い桃色の花びらをたわわにつけていた。福北ゆたか線沿いにできた桜のトンネル。文学のこみち。中間市や福岡県にゆかりのある詩人や歌人の作品を刻んだ碑を集めた広場。夜のライトアップ。桜の木と木の間に吊り下げられた提灯が点灯され、綺麗な夜桜を映し出す。19時を過ぎた頃、昼とはまた違う雰囲気の中、多くの人が集まって夜の花見を楽しんでいた。夜に突然現れたランプの森。ライトアップされた園内の桜。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2026.05.13
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