パクス・ジャポニカ Vol.2

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2009/01/31
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テーマ: 城跡めぐり(1287)
久々にして今年初の城めぐりは、戦国の山城、東京都八王子市にある滝山城です。

滝山城は滝山街道に面する南側を大手とし、多摩川が流れる北側を搦め手とする、標高160mの丘陵上にある山城です。
滝山城縄張り図.jpg
滝山城縄張り図。
写真は上が南(大手)で、下が北(搦め手)になっています。

南側の大手筋から登って行くと、まずは三の丸の曲輪がありました。
滝山城三の丸.jpg
三の丸の曲輪

三の丸の周囲には空堀の跡も残っています。
滝山城三の丸空堀.jpg
三の丸の空堀。はっきりと残っていました。

さらに本丸方向へ進んでいくと、「千畳敷」と名付けられた大きな曲輪がありました。
滝山城千畳敷.jpg

戦国の山城にしては、かなり広い曲輪です。
家臣団の屋敷などが建っていたのでしょうか。

やはり千畳敷の曲輪の周囲にも空堀が巡らされていました。
滝山城千畳敷の空堀.jpg
千畳敷北側の空堀

千畳敷からさらに本丸方向へ進むと、眼科にL字型に曲がった曲輪もあります。
滝山城曲輪.jpg
曲輪の名前はありませんが、写真右側に曲輪が曲がって続いています。
本丸のすぐ南側にあるため、馬出か何かでしょうか。
この四角い曲輪に北条流の築城術を見たような気がします。

大手筋は途中で二手に別れ、東側に二の丸へと続く道があります。
滝山城二の丸.jpg
二の丸。周りに土塁の跡が残っていました。

二の丸の周囲には、さらに深く大きな空堀が巡らされていました。
滝山城二の丸空堀.jpg


この空堀には土橋が架けられ、喰違い虎口となっています。
滝山城喰い違い虎口.jpg
土橋と喰違い虎口(外側から見たところ)


再び分岐点に戻ってさらに進んで行くと、大きな堀底道があって、曳橋が架かっていました。
滝山城堀底道.jpg
写真の左右に曲輪があり、右が「中の丸」で左が本丸です。

まずは中の丸へ。
滝山城中の丸.jpg


中の丸からは、北側の搦め手を流れる多摩川が一望できました。
滝山城中の丸から多摩川.jpg
背後の搦め手は、多摩川が流れる急斜面となっており、天然の要害を形成しています。

そしていよいよ本丸へ
滝山城本丸.jpg
本丸。これでも「千畳敷」や「中の丸」の曲輪よりも狭かったので驚きです。

滝山城跡碑.jpg
本丸の城跡碑。

本丸北側の搦め手には、もう1つ独立した曲輪があり、金比羅社の祠が建てられていました。
滝山城金比羅社.jpg
金比羅社のある曲輪。
ここからは眺望がきいており、搦め手を見張る物見台があったのかも知れません。
滝山城金比羅社から多摩川.jpg

この曲輪の周囲には腰曲輪が巡らされ、さらに厳重な印象を受けました。

滝山城は比較的アクセスが良い上、城の遺構がよく残っています。
手軽に戦国の山城を楽しむには、いい城だと思います。


滝山城は1521年に武蔵国守護代の大石定重が高月城から移って築城したと言われています。

大石定重の子の大石定久の時代に、小田原の北条氏康の支配下となり、北条氏康の子である北条氏照を養子に迎えました。
北条氏照は滝山城を改修し、現在の城郭は北条氏照の改修によるものです。

ちなみに北条氏照の兄が、北条家の第4代当主北条氏政であり、北条氏照の弟には上杉謙信の養子となった上杉景虎がいます。
(ちょうど大河ドラマの「天地人」で、上杉景虎が登場していますね)

北条氏照が城主の時代には、上杉謙信や武田信玄・勝頼の猛攻を受けました。
(後に弟の養父となる人から攻められるとは、戦国の皮肉としか言いようがありません)

武田信玄や上杉謙信の猛攻にも耐え抜いた滝山城ですが、特に1569年の武田信玄・勝頼による攻撃は、三の丸が落とされるほどの激しい攻防戦でした。
この攻防戦で危機を感じた北条氏照は、防御を固めるために、居城を滝山城から八王子城に移しています。


滝山城の前身である高月城や、滝山城の後に居城を移した八王子城も訪れたので、後日紹介したいと思います。





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最終更新日  2018/01/14 09:51:20 AM
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