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2009/09/10
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カテゴリ: 旧街道めぐり
江戸時代には、多くの人々が成田山参詣のために行徳街道を使い、徳川家康も軍事演習を兼ねた鷹狩りのために使っていました。

千葉県市川市から浦安市の間に旧行徳街道が通っていますが、現在も街道沿いのバス停には「下新宿」や「伊勢宿」などの地名があり、宿場町の名残を残しています。
行徳街道関ヶ島.JPG
関ヶ島付近の旧行徳街道。
当時は旅籠屋が12軒あったそうです。

現在も街道沿いには旧家が残っていたりして、旧街道らしい雰囲気がありました。
行徳街道笹屋うどん.JPG
「笹屋うどん」の旧家屋

行徳街道徳蔵寺常夜灯.JPG
行徳街道寺町の徳蔵寺に残る当時の常夜灯。

さらには途中で道がクランクのように曲がったところがあり、こちらも旧街道の宿場町ならではの光景です。
行徳街道本行徳.JPG
枡形か見付があったのだと思われます。



行徳街道権現道.JPG
徳川家康専用道「権現道」。


ところで行徳の地名ですが、「神明社」を建立した金海法印という人に由来しています。

山伏であった金海法印は、伊勢神宮の土砂を使って1527年に神明社を建立し、土地の開発と人々の教化に努めました。
金海法印は行いが正しくて徳が高かったことから、「行徳様」と呼ばれるようになり、そしてこの「行徳様」が行徳の地名の由来となっています。

「行徳様」金海法印が建立した神明社は、現在も行徳街道沿いに残っていました。
行徳街道行徳神明神社.JPG
神明社。


行徳の近くには「塩浜」の地名が見られるように、「行徳塩田」として塩の重要な供給地でもありました。
(質は赤穂の塩には及ばなかったそうですが)

塩田があったため、戦国時代には安房の里見氏や小田原の北条氏などの有力大名の支配下となり、江戸時代には幕府の直轄地となっていました。
行徳街道長松禅寺.JPG
長松禅寺には「塩場山」の号があり、塩田の「塩場」に由来しています。

また塩の運搬や成田山への参拝客を運ぶため、古くから「行徳船」が旧江戸川を渡っていました。


航路の安全を確保するために、日本橋小網町から移築された常夜燈が残っているのですが、「常夜燈公園」として整備中なので、今は見ることができません。
常夜灯0.jpg
旧江戸川沿いに建つ常夜燈
(以前訪れた時に撮影したものです)


行徳街道は途中で直角に折れ曲がり、寺院が数多く立ち並ぶ「寺町通り」へと続いていきます。

宗派も建立時期も様々ですが、由緒ある寺院も多く見られました。
行徳街道徳蔵寺本堂.JPG

元々は善光院と呼ばれる草庵に過ぎず、浄土宗勝願寺の末寺でした。
1610年に徳川家康が帰依したことから一気に名刹となり、徳川家康の徳と勝願寺の願をとって、「徳願寺」として開創されました。

さらには本尊の阿弥陀如来像は、源頼朝の妻北条政子が運慶に命じて造らせたものだと言われています。
徳川家康が鎌倉から江戸城に移していたものを、徳願寺が請けて本尊としたものです。
行徳街道徳願寺阿弥陀如来像.JPG
徳願寺の阿弥陀如来像

しかしながら徳願寺の本尊は1856年に火事で焼失してしまい、現在は1775年に造られた山門と鐘楼が残っています。
行徳街道徳願寺山門と鐘楼.JPG
徳願寺の山門と鐘楼

徳願寺には円山応挙の作と伝えられる幽霊画があるそうですが、開帳は11月16日の年1回だそうです。
さらには宮本武蔵の墓とも伝えれれる石地蔵があり、宮本武蔵筆と言われる書画もあるとのことです。


行徳の寺町通りには大小さまざまな寺院が建ち並んでいますが、小さな寺院の中にも興味深いものがありました。

妙覚寺には、キリシタン信仰の「キリシタン灯篭」が残っていました。
行徳街道妙覚寺キリシタン灯篭.JPG
キリシタン灯篭
灯篭の下部に神父の姿が彫られていますが、足は地中に埋まっています。
キリシタン灯篭は古田織部が考案したことから「織部灯篭」とも呼ばれますが、キリスト教禁制の時代、キリシタンたちはこの灯篭に祈りを込めたことでしょう。


「○○七福神めぐり」という言葉はよく耳にするのですが、それぞれの神様がいる七つの寺院を回らなければなりません。
行徳にも七福神があるのですが、七福神めぐりをするなら行徳がいいかも知れません。
行徳街道妙応寺行徳七福神.JPG
妙応寺には七福神が勢揃いしているからです。

行徳街道は成田山へと続く成田街道につながっていましたが、成田山に行く前に十分お参りが出来たのではないでしょうか。

その成田街道は船橋を経由して成田山へと続いていたのですが、昭和5年に江戸川放水路が造られたため、陸路は分断されています。

分断された陸路をつなぐため、昭和31年に架けられた橋が「行徳橋」です。
行徳街道行徳橋.JPG
「ローリングゲート」と呼ばれる可動堰を備えた珍しい橋です。
しかしながら交通量が多い割には狭いので、渡るなら下流の新行徳橋の方が無難だと思います。
(特に歩道が狭いので、自転車は注意が必要です)





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最終更新日  2022/03/09 11:56:04 AM
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