パクス・ジャポニカ Vol.2

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2009/09/19
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カテゴリ: 東海道五十三次
東海道の起点である江戸日本橋から数えて4番目の宿場が程ヶ谷(保土ヶ谷)宿です。

旧東海道の街道筋は、相鉄線の天王町駅前に残る帷子橋跡から、南西方向に直線に延びていました。
程ヶ谷宿帷子橋.JPG
復元模型となった帷子橋跡
昭和31年に帷子川の改修と相鉄線の立体工事でなくなってしましました。

天王町駅前からは片側二車線の道路が続きますが、沿道には寺院や旧家もところどころに残っており、旧街道の面影をわずかに残していました。


JR保土ヶ谷駅の西口まで来ると、西口商店街の一車線の道路へと変わりました。
程ヶ谷宿旧街道1.JPG
保土ヶ谷の旧東海道。
道幅もほぼ当時のままだと思います。

この辺りが程ヶ谷宿の中心地だと思うのですが、問屋場や高札場などがあったようです。
程ヶ谷宿問屋場跡.JPG


程ヶ谷宿助郷会所跡.JPG
助郷会所跡
宿場だけではまかない切れない人馬は、周辺の村から動員されていましたが、これを助郷と言って、指定された村のことを助郷村と言います。

各助郷村の人馬を手配するために設けられたのが助郷会所です。
助郷村の代表はここに出勤して、問屋場の指示に従うとともに、手配した人馬が不正に使われることのないように監視も行っていました。


さらに旧東海道進むと、金沢・浦賀に至る脇往還の分岐点があり、四辻の角に道標が4基建っていました。
程ヶ谷宿金澤横町道標.JPG
金沢横町の道標
左から
・「円海山之道」(1783年建立)、左面に「かなさわかまくらへ通りぬけ」とあります。
・「かなさわかまくら道」(1682年建立)
・「杉田道」(1814年建立)、「程ヶ谷の 枝道曲がれ 梅の花」の句がありました。
・「富岡山芋大明神社の道」(1845年建立)、それにしても「芋大明神」が気になる…



交差点のある場所には、当時本陣が置かれていました。
程ヶ谷宿本陣跡.JPG
現在は塀の向こうに門が残っています。

本陣は参勤交代の大名と幕府の役人だけが宿泊を許された公用の宿場でした。
程ヶ谷宿の本陣は、小田原北条氏の家臣であった苅部豊前守康則の子孫が代々努めています。
1870年に苅部姓から軽部姓に変わったのですが、表札を見ると軽部氏の名前がありました。



程ヶ谷宿脇本陣.JPG
現在は碑が建っているだけで、うっかりすると見落としそうな感じです。

脇本陣は本陣がいっぱいの時に予備として代用された宿場です。
本陣・脇本陣とも、大名か幕府の役人専用の宿場でしたが、そんなに数多く泊まるものでもありません。
そこで脇本陣は、通常は旅籠屋と同じく一般の旅行客も泊めていました。
脇本陣は一般客も宿泊出来たのに対し、本陣は要人以外の宿泊は認められていなかったため、深刻な経営難に陥る本陣もあったようです。


脇本陣からしばらく行くと、旅籠屋が残っていました。
程ヶ谷宿旅籠屋(本金子屋).JPG
旅籠屋「本金子屋」
建物は明治になってから建てられたものです。


旧東海道の跡を探りながらさらに行くと、いよいよ程ヶ谷宿も終わりとなり、上方見付と一里塚の跡に来ました。
程ヶ谷宿一里塚と上方見付.JPG
現在は松並木がわずかに復元されていました。
古地図を見ると、一里塚と上方見付はほぼ並んで建っていたようです。


ここから先は「権太坂」と呼ばれる坂道となって、次の戸塚宿へと続いて行きます。
程ヶ谷宿安藤広重.jpg
歌川広重「東海道五十三次 保土ヶ谷新町橋」


関連の記事
東海道~神奈川宿(その1)→ こちら
東海道~神奈川宿(その2)→ こちら





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最終更新日  2022/03/09 11:06:57 AM
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