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2013/06/17
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テーマ: 城跡めぐり(1260)
一乗谷の城下町

城下町とは一乗谷川を隔てた近い距離にあり、居館も方形の一重堀と土塁に囲まれただけの造りになっていました。
一乗城遠景 (500x375).jpg
朝倉義景館跡

一乗城遠景 (1) (500x375).jpg
内堀

一乗谷城一乗谷川 (500x375).jpg
城下の方向
意外とすぐ近くにあります。


居館の入口には唐門がありましたが、こちらは現存するものではなく、移築したものを江戸時代になってさらに再建したものだそうです。
一乗谷城唐門 (500x375).jpg


一乗谷城内堀 (500x375).jpg
唐門の前の水堀


唐門の先に朝倉氏館の敷地があり、その背後には山があって、三方を土塁に囲まれていました。
一乗谷城朝倉義景居館跡 (1) (500x375).jpg


一乗谷城朝倉義景居館跡 (2) (500x375).jpg


一乗谷城朝倉義景居館跡 (3) (500x375).jpg
背後の丘陵部から見たところ

一乗谷城朝倉庭園 (500x375).jpg
義景館庭園の跡
昭和43年の発掘調査で見つかったそうです。


最後にここに住んでいたのは、第5代で朝倉氏最後の当主朝倉義景でしたが、居館跡には墓所が建てられていました。
一乗谷城朝倉義景墓所 (500x375).jpg
織田信長との戦いに敗れた朝倉義景墓所


朝倉義景館の背後には高台があり、湯殿庭園と名付けられていました。
一乗谷城湯殿跡庭園 (500x375).jpg
回遊式の庭園で、当時は池や水路があったようですが、戦時には空堀の役目を果たしていたのかも知れません。

その湯殿庭園の先、中の御殿との間には、空堀にも水路にも見える掘削地がありました。
一乗谷城湯殿跡庭園 (2) (500x375).jpg
どうしてもこれが空堀に見えます。

一乗谷城中の御殿跡 (500x375).jpg
中の御殿跡
朝倉義景の実母光徳院の屋敷跡と伝えられ、朝倉氏当主の妻子などもここに住んでいたと思われるようです。


一乗谷城中の御殿跡土塁 (500x375).jpg

元々庭園や造作だったものを、防御用の空堀や土塁に改変したとしか思えないのですが、諏訪館の跡もそんな感じでした。
一乗谷城諏訪館跡 (3) (500x375).jpg
これも空堀に見えてしまいます。


一乗谷城諏訪館跡 (500x375).jpg
諏訪館跡

一乗谷城諏訪館跡 (2) (500x375).jpg
諏訪館跡から見た城下

朝倉義景館・湯殿跡・諏訪館・南陽寺跡の4庭園が「一乗谷朝倉氏庭園」として国の特別史跡に指定されています。



実際は将軍足利義昭と共に和歌を残すなど、相当な教養人であったことがうかがえます。
さらに城下全体を見た印象で言うと、領民と一乗谷を守る名君でなかったかとも思いました。


山麓部の居館の他、標高440mの一乗山山頂には、戦時の詰め城として戦国山城も築かれていました。
城郭の遺構もよく残っているようですが、残念ながら今回は訪れることができませんでした。


1471年に朝倉氏初代の朝倉敏景が本拠地を移して以降、第5代の朝倉義景に至るまで、約1世紀に渡って繁栄を誇ったのが一乗谷です。

朝倉義景は将軍足利義昭による信長包囲網の一翼を担っていましたが、武田信玄亡き後はその包囲網も崩壊し、1573年に織田信長の前に一乗谷の城下町も焼失してしまいました。

(財)日本城郭協会「日本100名城」





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最終更新日  2022/02/02 05:14:41 AM コメントを書く
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