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元夫に 先日 息子の七五三で撮った写メを送ると
「ありがとうございます。」と、‘七五三のお祝いに‘と いつもの養育費より多くお金を振り込んでくれた
「カブトムシたくさんあるよ、要りますか?」とメールが来たので
もらってきた。
・・・・こんなに沢山いらねぇ~
売るほどあるな・・・
山で50匹くらい取って来たんだって。
どうせこれを お店によく来てくれるお客さんとかにタダであげちゃうんだよね。
カゴ代、腐葉土、餌代が損だけど その分お客さん喜んでくれるしね。
ヤツは そんな労力を使うのが好きな人だ。
ガソリンスタンドの営業所の最高責任者である元夫に
わたしの車のタイヤ安くならない?と聞くと
安くするからおいで、と。
比較的わたしは東京寄りの神奈川に住んでるけど
元夫の居る東京都の会社まで 昨日は土曜日で下の道も首都高速も全然動かないほど渋滞してて何と4時間掛った
途中で帰ろうかと思ったょ
スタンドに着いて ピットに車を入れると
若い男性スタッフが駆け寄ってきてくれた。
わたしが「〇〇さん(元夫)居ますか?」と言うと
「おねぇ!!俺ですよ!!」
ん?
(゚Д゚)ギャァァアアア!!!
彼は 昔、わたしと元夫と同じ会社で働いてた
わたしの元部下だった・・・・
わたしが所長になった時、わたしより4つ下で19歳だった彼はアルバイトから社員になって
わたしの右腕となり本当によくやってくれた。
人が居なくて 二人で営業所を回してた時もあったっけ。
2ケ月くらい休みが無い時だってあった。
朝から晩まで休みもなく時には お昼ご飯すら食べる時間がない日が続いても
全く文句も言う事なく頑張ってくれた。
そして仕事を覚えるのも こなすのも彼は早い。
わたしが所長で居る間、わたしに逆らった事もない。
いつも元気に頑張ってくれた彼のおかげでもあり、
わたしはあの時頑張れたんだね。
わたしは彼が可愛くて可愛くて(実際顔も可愛い子なんだけど)
彼がボケをかまそうとミスをしようと可愛くて仕方なかった(笑)
彼は わたしの人生の中でも忘れられない人物の一人でもある。
昨日は まさか彼がそこに居るとは思わなくて とても感動した
「何で あんた・・・ここに居るの?!」
「俺あの会社辞めたんです、んで〇〇さん(元夫)に頼んで
ここに入れてもらったんですよ!
俺 今は奥さんも1歳になる子供だって居るんですよ。
あ、〇〇さん(元夫)は今 本社から課長が来て中で話しをしてるから
タイヤ交換は俺がやりますね!」
と、相変わらず慣れた手つきで作業をテキパキこなしてくれた。
比較的営業が得意だった わたしがいつも仕事を取ってきて
それを君がテキパキとこなしてくれてたよね、懐かしいなぁ・・・。
会社であったタイヤキャンペーンも、わたしが所長の時は
うちの営業所が1位にもなった。
わたしが無理やり所長にさせられた時は そこの営業所は年間一千万近い赤字を出してたけど、わたしは一年で黒字まで持っていった。
前所長が残していった300万以上の不良債権もあり(未回収の売掛)
サラ金の取り立て屋のように朝から晩まであっちこっち走り回って
半年ほどで全ての不良債権も回収した(^_^;)
(残りあと僅かってところで倒産したお客さんも居たけど)
朝5時半に起きて 帰ってくるのが夜2時過ぎなんてしょっちゅうだった。
わたしが急性胃腸炎で倒れ緊急入院した時も彼は頑張ってくれてたなぁ。
昭和44年に建てられたそこの営業所では
平均年齢 若干18.5歳のわたしたちが 【過去に無い成績を収めた】と
表彰状と金一封を貰った事もある。
あんなにがむしゃらに働きまくる事は わたしはもう無いだろうなぁ
彼は 若かった女所長のわたしによく着いてくてくれたなぁ。
今でも感謝の気持ちでいっぱいだよ。
あの時 本当にキツくて過酷な仕事をしてたからこそ
今は大抵の事でも耐えられるんだと思うなぁ。
そんな君も もう30歳か。
会えて嬉しかったし、良かった。
タイヤ交換が終わって
隣の営業所の店長も遊びに来てたので
その人と元夫とわたしと息子の4人で ちょっといいとこのお寿司屋さんに連れていってもらった。
彼も誘ったけど「奥さんがご飯作って待ってますので!」と来なかった。
さすがだなぁ~いい旦那さんだぁ
元夫に息子が 保育園から障害があるかもしれないと言われて
検査を受けた事なども話したら すごく真剣な顔して聞いてた。
「このまま小学校に上がって授業受けられなかったら困るもんなぁ~
何か支援は受けられるの?」
「うん、その検査機関の人たちもこれから出来る事を考えてサポートしてくれるって。」
などと話した。
タイヤ代を渡したけど「いいよ、いらない。」と受け取ってくれなかった。
2万5千円くらい浮いた(笑)ヽ(*´∀`)ノヒャッホー
久々の高いお寿司もご馳走さまでした