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JR西日本・北陸本線から分岐する「JR氷見線」は、高岡←→氷見を結ぶローカル線です。この区間には「忍者はっとり君」列車が走っていますよ。(作者・藤子Aさんは氷身出身)富山湾の海岸線に沿って運行し中間駅は6駅(無人駅3駅)で走行距離は16.5キロの路を約30分で走っています。この氷見線は大正元年9月に開通し今年で全線開通100週年を迎えるのです。その記念行事は諸々ありますが、その一つとして「島尾駅=無人駅」駅舎をこの度、地元の小学校の5年生27人が、指導をうけて「ペインテング」を施しました。 絵は海中の鰤や人魚が泳ぐ珊瑚の生える中を走る「潜水艦列車」です。 デザインは高岡工芸高校デザイン科の制作ですね。(上手ですね) 「ペインテング島尾駅より先輩の越中中川駅です」 この駅は同じ氷見線上にあり高岡からは2つ目の駅です 越中中川駅は大正5年に、高岡中学(現高岡高校)・高岡工芸(現高岡工芸高校)の学生の乗降のみとして開業したのです。現在は文化ホールや高岡美術館もあり文教区 には欠かせない駅となっています。駅舎のボデイペインテングは2009年高岡工芸高校のデザイン科の生徒が画いたものです。 ・・・中川駅の近くの「名物ソフト」です・・。 このサイズの「ソフトクリーム」の値段は・・ ¥150です。 安くて美味くて冷たくて・・おとく・・ですね。 ~ ~ ~ ~ ~ ~ * * * * * 現在JR高岡駅は改築中です。駅地下も拡張工事である為に、長年店舗のシャッターに画かれていた高岡の観光場所のペンキ画・70枚が取り去りとなります。今辛うじて残っている「絵」がありました。「赤レンガの銀行」として親しめられている建物は大正7年に建てられて、今も「富山銀行本店」として現役活躍しています。 新駅は「橋上駅」で着々と工事進行中・来春には新駅ですね。
2012.08.30
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高峰譲吉(嘉永7年~大正11年*1922)は高岡市の生まれです。彼は日本を代表する科学者で薬学博士・事業者なのです。彼はタカジアスターゼやアドレナリンの発見抽出により世界的にも名を覇せている人です。「高峰公園」は彼の生家跡地に「生誕100周年」を記念して昭和30年に、「胸像」が建立され公園となりました。 「 高峰(譲吉)公園 」 市中心部地 1854年高岡の漢方医・高峰精一の長男として生まれ、翌年に加賀藩のご典医だった父母(高岡出身)と共に金沢へ移り、幼少から外国語・科学への才能をみせ現東京大学の前身の工部大学で学び応用科学科を首席で卒業したとあります。2011年に公開の高峰譲吉の自叙伝の映画「さくらさくら」主演「高橋雅也」には激動の明治期の日本とアメリカの架け橋になった「サムライ高峰」を語ってあります。タカジアスターゼは「胃腸薬・消化剤」として今や世界に普及しています。日本では「新三共胃腸薬」の主製品です。彼は・・古くから「餅」を食べる時に「大根おろし」をかけて食べると「胃」がもたれない事にヒントを得てこの発見をしたのです。そして事業として明治32年に現「三共」を設立しています。又アドレナリン(興奮を引き出すホルモン)はシカゴにある多数の食肉処理場で破棄される家畜の内臓からの抽出に成功し医学の発展に大きく貢献をしています。ワシントンDCの桜祭り100周年記念の日米の友好の証として2012年5月に「高峰公園」に桜の木が植樹されました。またワシントンDCの科学者の埋葬墓地に日本人として二人。高峰譲吉(NYで67歳で客死)と野口英世氏が葬られていると伝えられています。
2012.08.29
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市の繁華街中心部地に「孝子六兵衛の碑」があり石碑の前には古くから井戸があって「影なし井戸」と呼ばれていますカランをひねると冷たい水が竹樋を伝わってそれを柄杓でくんで飲むようになっています。 Entry No 17 番 「影無し井戸」 今から約240年余前、下町に住む「六兵衛」は幼いころ父や兄を亡くし、貧しい生活を送りながらも、日頃から母親に孝行を尽くし篤行を重ねていました。ある日、この坂を歩いていると、突然不思議な老人が現れ・・「近いうちにきっと良いことがあるだろう」と言うて、あっという間に姿を消しました。しばらくして無理に買わされた「冨くじ」があたりました。正直者の六兵衛はこの不思議なことに感動をし、その場所に井戸を掘ったところ、たいへん良質な水が出てどんな日照りが続いても水は涸れず、今の世まで道ゆく人や「茶道」にも利用されています。それで人々は「影無し坂」といい、「影無し井戸」は今も感謝されています。 余禄談 六兵衛の母は・・どうしてか・・大の「酒」好きでした。・・(ストレス解消か?) ある激しい雨嵐しの日・いつも買いに行く「酒屋」の前の川は大洪水です。 大変な日なのに「六兵衛」は首に「ひょうたん」を括りつけ母の為に怒涛の 中を泳ぎ着き酒を手にしたのでした。 現在もその酒屋「藤屋」が存在しています。よ。
2012.08.27
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名水の巡りでの「灯台下暗し」ではないのですがね。高岡市の中心部にも県指定の名水が2箇所もあるんですよ。県指定の名水は全部で55箇所です。英坊爺はその大半は訪ねていますが今回のご紹介する名水は「ブログ載せの16番目」となります。全部の紹介との意気込み・・気だけ満々ですが・・ ふ~~ひ~~の業ですね。 Entry No 16 「高岡古城公園の水濠」 濠の一つの 「 枡 形 濠 」 慶長14年(1609)加賀二代藩主前田利長公が、地形を巧みに利用して築いた高岡城の城址です。約21万平米の広さを持つ敷地のうちその1/3が水濠で、水は庄川の伏流水が湧出してると伝えられています。満々と水を湛える各濠のなかでも、この「枡形濠」は水深が深く、水も清く澄んで(伝えです。今は??)いてかっては葉一枚浮いたことがない?ことから「塵不溜」と呼ばれていた・・・そうです。 枡形濠の伝説です。 「龍女と枡形濠」お城は殆ど出来あがったが、濠(堀)はいくら掘っても水が出なかったという。能登の廻船問屋「中田屋」の娘お光は生まれてから一度も笑ったことがなかったがその話を聞き、両親にせがんで高岡までお城を見に来た。お堀に近づくと初めてニコリと微笑んで「私の住む所はここと決まっておりました。お父さんお母さん、今まで育ててくれて有難う」と言って、水の無い濠に身を投げたのです。すると空はたちまち曇り雷鳴とともに稲妻が娘の飛び込んだあたりに突き刺さりそこから水が湧きだしまたたく間に水がたたえられ、その後は涸れることが無くなった・・そうでありんす。よ。 後日談・・この濠の近くにあるお寺では、報恩講の日に必ず一人の娘がお参りに来る。娘が座っていた跡はいつもビッショリ畳が濡れていたと・・そうでありんす。あぁ・・長くなりました・・entry no 17番の 「影無し井戸」は次回に載せまッス。です。
2012.08.26
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2003年の再開発事業により市中心街に出来たポケットパーク「パセオガーデン」です。親方の下に妖精のアルチザン(仏語・職人)達が杜をモクモクと作っています。真面目に職分を生かす姿には幻想と夢とユーモラスを感じますね。 「設計・段取り・・・考慮or思案中?」 オヤツ!? 上がれない~い??背をかして!!・・。 二段目は OK牧場だぜ まかせて・・。 陽も暮れそうだぜ・・ 照明は おまかせ ・だね。 「・・・ふぃ~・・・ 疲れた 」・・(そうなんだ・・) 「俺は・・親分・・ やぁ ~~ お疲れさん・・」 杜の「ケヤキ」の高枝には「時の番人」・梟がいるが繁みで見えず。 剪定?の?・なら 「シルバー人材センター」へ頼むとすべいか。
2012.08.24
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知人Qさんの・・楽しい絵手紙グループの発表展示会・・の団扇絵でっす。 皆さん・・ とてもお上手です。 感心してしまいました。 うちわ絵が・・「いいことば」で語ってくれています。 載せた最後の「うちわ」は「八尾の風の盆」 二百十日の9月1日~3日の哀愁たっぷりの越中「おわら踊り」
2012.08.23
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泉鏡花の小説「義血侠血(ぎけつきょうけつ)が新派劇として外題「滝の白糸」の名で一世を風靡したことで、その主人公の村越欣也が「高岡の片原町」に住んでいたという設定になっていることからこの片原町の角に「滝の白糸」の碑文が建っています。 「 滝 の 白 糸 」 の碑文小説の書き出しは「越中高岡より倶利伽羅下の建場なる石動まで、四里八丁が間を定時発に乗り合い馬車あり」 で始まります。この碑文は近年高岡LCの50周年事業の一環として建てられ 70×100サイズです。 作家・泉鏡花(明6~昭14)は金沢生まれで明治後期~昭和初期にかけて活躍した小説家で幽玄華麗な作風であるとされ「尾崎紅葉」に師事し多くの名作を遺した人です。この小説は、後に検事代理に就任した若き主人公の「村越欣也」が大恩をうけた白糸を殺人犯として起訴する羽目になり、法と義理のなかで自殺するという悲恋の作品なのです。(大恩とは・・白糸が馭者であった村越の向学心の望みを叶えようと援助を申し出でて、断る「欣也」に援助する。が最後の仕送りの金100円が強盗にうばわれて、そ奴を殺めるのです)そして・・皮肉にも欣也は検事代理として最初の裁判で白糸の自白をもとに死刑を求刑し、その後欣也は自から自殺をするのです。この作品は過去4度も映画化され・・入江たか子・岡田時彦・1956年には若尾文子・菅原謙二主演。他にも「婦(おんな)系図」「夜叉が池」の映画化また歌も「石川さゆり」が出しています。往年の名作をふり返ることも大事ですね。まして高岡に「縁」のあることありがたいですね。
2012.08.22
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小二男児孫の夏休みの宿題の工作です。自由課題とはいえ「何」を作ろうかと、小さな頭を悩まして・・いる様子です。・・「何かないがけ?」の問いに爺は自からの幼少時を思い出し・・「そうだ・これが良い・・野田」と提案して「作ろうぜ!!」と準備にかかりましたですよ。作ったのは・・ ↓ ↓ 「 水 鉄 砲 」 ◎ 合作度 (孫10% 爺 90%) 学校にないしょにしてね。 ◎ 材料費 20円 (細竹 20円 ) 太竹は「物干し竿」を一節切断で ( 0円 ) ◎ 射程距離 1.3m ◎ 完成度・勢い度 100% ◎ 孫と爺の安心満足度 100% ◎ 依頼度 来年も「頼みますちゃ」の一言で100%だな・・。 ウヒヒ・・。
2012.08.21
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さるすべりの花の盛りのうちに「撮り溜めの名水の」を載せました・ス。 「 中 江 の 霊 水 」 南砺市 平村 村の鎮守の社に湧き出す水は古代より、夏冷冬温の霊水で 民の飲用や紙漉きの水として重宝されています。 「さるすべり」 ・・幹がつるつるで猿もすべる。 「百 日 紅」 ・・夏の日の次から次へと百日も咲く。 「 脇 谷 の 水 」 南砺市 利賀 R156号線沿いにあり昔から付近民の生活用水として 今は通行人にも親しまれています。ただ流しはもったいないですね。
2012.08.19
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さぁ~いざ行こう「名古屋城」へ・・と観光の門限は午後4時ですが「盆限定の宵まつり」で5時から再開門という事を聞き早速とでホテルを出ましたが「栄駅」が分からず右往左往。地下鉄役所前から早足で城門に4時に到着です。券購入の後は並びですがその列もまたたく間に長蛇の有様。人気は上々ですね。前の部の並びでしたので早くに天守閣に到着。 徳川家康の命により、慶応15年(1610)に築城。戦時下の空襲で 焼失したことにより、現在の城は昭和34年に再建されたものです。 英爺は?十年前にも訪れていますが、あらためて偉業を感じました。 甍の上の「金の鯱」・・「雌雄」があるようですが・これはどちらやら? 両方の大きさは似たようなもので・・ 高さ2.6m 重さ1300kg 金板 18K 金量 45kg 鱗枚数 126枚 (但し多少の相違あり) なんと・・サプライズで初お見えの「徳川英坊爺」です。(姿勢が悪いね恥ずかしい) 「シャイな爺」が清水の舞台から飛び降りた心境です。(動悸がしてます) 頭頂の「毛」が少なく・トホホ・・。ちょん髷が結えません。(悔しい) *5Fに設置展示の「実物大」のレプリカの金シャチです。誰でもどうぞです* やがて陽も暮れて・・振り返ると・・幻想の城のシルエット「感動」です。 帰りの道すがら 遠目には 「名古屋テレビ塔」 の絵が・・ 日本初の電波塔として昭和29年に建てられ、高さは180mです。 *ホテルに帰ったのは「英坊爺」が一番で・・コンビニ仕入れのビールで ウツラ々々と夢の世界に・・帰ホテル??の孫に起こされて・・孫の行き 先は聴くと「オアシス21」のポケモンセンターでしたよ* *翌日の帰途予定は「牧歌の里」でしたが15日は「郡上八幡の徹夜おどり」 に重なり「東海北陸道」の渋滞と山中の集中雨を避けて「名神経由」で 滋賀の「竜王アウトレッド」・・「北陸道」で帰宅でした。ガソリン代は爺持ち で堪忍してもらいました。よ。でした。 おわり
2012.08.17
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この暑い?中・今年も孫等にせびられて「東海の観光地めぐり」です。子供等家族とで総勢8人旅。昨年は「ラグーナ蒲郡」でした。初日は「長島スパーランド」です近辺の宿は満杯でこの日は四日市の「老舗旅館」に泊りです。。次の朝の雨の中「スパーランド」へ爺は一人「湯あみの島」でゴロ寝と湯浴びです。~さあ~つづいて「中部国際空港」への直行・・ 「駐機の デルタ航空機」 国際線は世界25都市を結び 国内線 80/日便 (最近資料) つづいて 「トヨタ博物館」 へ 長久手市 トヨタ自動車の創立50周年の一環事業として平成元年に開館しました。 トヨタの自動車ばかりではなく19~20世紀の各国・各メーカー毎の車が 100台以上展示されています。 「メルセデス・ベンツ」 「マツダ・キャロル」 英爺の社会人一年生の時に乗り回した 懐かしい車です。 「シビック」 この種の車は我が家のマイカー2号目です。 あぁ~・・「懐かしい」・・です。 都心に舞戻りました。・・今夜の宿は・・ 「名古屋 東急ホテル」です ホテルチェック・イン 後 は「自由行動」です。 英爺は単身で「お盆限定」午後5時からの名古屋城「宵まつり」 に大枚800円で入城・・で存分に観光見物をしました。(2)で 「サプライズ」の 〇〇と共にお伝えいたします。よ。 簡単「写真日記」でした。 つづく・・
2012.08.16
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「海王丸姉妹船」の「同時総帆展帆」の実現です。ほぼ二度とない展帆のシーンですね。両船は港内の埠頭に並行して停泊しての勇姿はお見事。 「 初代 海王丸 」の勇姿 午前10時より、ボランテァ80人の総力で帆の張り揚げ。 「両船の港内の停泊位置関係」 後方が「初代海王丸」手前が「二代目海王丸」 「 二代目海王丸 」の勇姿 午後1時頃から乗員70人の訓練の帆揚げで2時に終了。 風があり「タグボート」で船体の揺れを抑えています。 両船とも2時30分から帆を降ろし、30分だけの豪華シーン ですが、大勢の見物者の拍手は・カメラ撮影は止らず。です。 * * * * * * * * * * 余談です * ボランテァに方は地元者ばかりでなく、横浜・長野・近県 からの老若男女の方たちです。(常連者です) * ボランテァの応募しても、まず初めはメインマストの頂点に 登りタッチをして降りて来た者が登録できます。高所恐怖症 はNGなわけですよ。 * それから、今日は又偶然ですが、先日オフ会をしました みきさん・ひげ爺さん・レイちゃんと会場でお会いしましたよ。 「縁は奇なもの 楽しいもの」 でした。
2012.08.12
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富山県射水市「富山伏木新港」にある「海王丸パーク」に「初代海王丸」が平成6年から永久繋留されていますが、この度「新湊大橋」の今秋完成を祝い「二代目海王丸」が9日~12日までの日程で寄港しています。 「 初代 海王丸 」 昭和5年進水 平成4年引退 全長 97m 全幅13m マストの高さ 46m(水面より) 総トン数 2238トン 帆数 29枚 「新湊大橋」を背にした「二代目海王丸」 昭和64年進水 全長 110m 全幅 13.8m 総トン数2556トン マストの高さ43m (甲板より) 帆数 36枚 12日には初代・海王丸と帆を揚げる「総帆展帆」が行われます。 お見事ですよ。 海の貴婦人の姉妹船の競演は見ごたえがあります。
2012.08.11
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わしは「高岡古城公園小動物園」に棲む「フンボルトペンギン」だす。近頃は日照りも不順でありますが暑さには 「不感か耐暑かそれが問題だ」・・ 偽 沙翁 で・・ 「直立不動」 我が フアミリ~は18羽 ペア10組 小 8羽 「ブブ・イイイ~~」・・この鳴き声はわしの鳴き声・・ でも「足場」が「糞」で汚れているのに「憤慨」だ・・。 *・・本当ですよ。突然「牛か豚」が鳴いたのかと驚きでしたよ・・*
2012.08.10
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「丸 池」です。上平村の菅池合掌集落よりさらに南へ行くとP156号の左側に「丸池」があります。今から約500年前、道宗(蓮如上人の弟子)が、毎日の勤行の為、仏様の御給仕に使うきれいな水が欲しいと思っていると、ある夜、熊野権現様が枕もとに立ち「熊野権現にある七つの池のうち一つを与えるから穴を掘るとよい。そこえ水を送ろうといわれて穴を掘ると・・・滾々と水が湧き出したといいます。(由緒板より) ・・以来水は涸れることがないそうです。 あずま屋の下の丸い水井戸には塵覆いの蓋が・・ 汲み上げには「丸蓋」を開いていただきます。 この「丸池」は「極楽の花びらを吹きだす池」ともいわれています。
2012.08.08
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暑いですね~暑中お見舞い申しあげますの口伝と共に、孫男児(小2)より爺あてに「手渡し」で見舞い賀状を貰いました。よ。・・ ↓ ↓ です。 おお~ ・・そうですか?? 爺より暑さに強いのか・・。 ならば・・・爺は・・・負けられぬワイ。 たわいのない「爺・孫往還の便」・・でした・・。 ・・・ ホホ・ツ~~「ざりがに合戦」でした ・・・
2012.08.06
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今年も恒例の「高岡七夕まつり」が1日~7日まで高岡市中心商店街を中心に開かれています。道の両側に15mものジャンボ七夕飾りをはじめ約1000本の七夕笹がざりがあり「夏」の風物詩を醸しだしています。日本海側では隋一の歴史と伝統を誇っています。 高岡には7月7日にご紹介いたしました「戸出七夕まつり」がありますが 一寸・・スタイルが違いますね。
2012.08.04
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高岡市伏木地区の毎年恒例の「伏木みなとまつり2~4日」に海上自衛隊護衛艦「みねゆき」が入港しました。期間中は一般公開や「護衛艦に乗って夏の思い出をつくろう」の体験航海が行われ、また4日までの「まつりの行事」として埠頭での打ち上げ花火・町流し・小矢部川の左岸「如意の渡し」付近での遠矢も行われます。 護衛艦 「みねゆき」 の勇姿 総トン数 2950トン 全長 130m 全幅 13.6m 時速 29.7ノット (55km) 乗員 200人 舞鶴港属* 今年になって、寄港した自衛艦は「ひゅうが」「じんつう」に次いでの3艦目です*
2012.08.03
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この地区には二つの文化財があります。 「村上 家」 五箇山では最も古く天正年間(約400年前)に建てられたものです。4階建ての 合掌造りで結束部分は縄で結い、金具は一切使われていません。五箇山の主要産業の 養蚕・製紙・硝煙の生産と居住部を一つとした合理的な建物です。 国指定重要文化財 総体 高さ11m 幅 11m 奥行 20m 「流刑小屋」 五箇山は江戸時代に加賀藩の流刑地になっていて、この小屋は その一つです。この建物からは一歩も出ることが出来ず食事も牢番から20cm角 の正面柱の小穴から差し入れいられ、格子戸や便所も設けられています。 県指定有形民俗文化財 間口 2.8m 奥行 3.6m 昭和38年の壕雪により倒壊して、昭和40年に復元されました。 (4)へ つづく
2012.08.01
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