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SFの名作「INTER STELLER」を撮ったノーラン監督の新作「TENET」を観て来ました。「INTER STELLER」に関しては6年前に記事で取り上げています。「インターステラー」を観てきました インターステラーは「重力と次元」にフォーカスされていました。TENETは「時間」がテーマになっているという前振りだったので可成り期待していたのですが・・・結論を先に言うと私の鑑賞後の評価は★一つです(-.-) 以下なるべくネタバレを避けますが、予断を入れずに観る予定の人は読まないで下さい。 この映画の着眼である「時間の逆戻し」は面白いし専門的でもあります。今回も科学者の監修が入っているのでしょう。基本物理法則である古典力学・相対性理論・量子力学が「時間の方向」を考慮しないという解釈をSF的に利用して、我々観客の常識と実感である「時間の矢」を否定し、「スピーディーな逆戻し」による急展開のテンポを楽しみ、遡及因果的感覚と意外性を堪能させるのを狙った作品だったのは理解出来ます。ネタも着眼も良かった・・・では何が駄目だったか?身も蓋も無い話になりますが、SFジャンルとかネタとかを語る以前に、単純に「物語が詰まらなかった。」「人物設定も構成も駄目だった。」という事なのだと思います。時間を順行しようが逆行しようが当事者にとっては順行でしか無いのですが其処が上手く処理されていなくて、ただ騒がしく時間を行ったり来たりするだけの理解不能の物語になってしまっています。エントロピーとかアルゴリズムという用語も観客に効果的に説明する科学者的役処がこの手の物語には必要不可欠なのですが、其れも無く消化不良感が残ります。終盤にインターステラー的な「結局自分だった話」の展開を盛り込んで無難なエンディングを図った形跡が見えるのですが、最早修正不可能という感じのまま終わってしまいました。 ノーラン監督作品のコアなファン層には高評価をつける人も結構居られるので「ならではの楽しみ方」もあろうかと推察するのですが、少なくとも「インター・ステラー」の物語としてのクオリティーを称賛した人間が同じセンスで評価するのは不可能です。映像作品なので言葉と理屈で説明出来る必要は無いですが、おそらくこの作品はアイデアと監督のセンスが勝ち過ぎて「本」がちゃんと出来なかったんでしょうね。勿体無いな・・・と思います。
2020.11.07
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私の超重いノートパソコンがクローンSSD換装一発で蘇りました^^・実質作業時間4時間程(内コピー待ち2時間)・費用総額12,079円・HDD320GB⇒SSD500GB・メモリ4GB1枚⇒4GB×2枚8GB 心元無いですが暫くは大丈夫でしょう^^; PCのハードに触るのはメモリー増設位しか経験が無いのですが、「面白そう!」も手伝ってクローンSSD換装にトライしてみました。次機としてデスクトップ購入を視野に入れていますのでセカンドマシンとしても延命させたい処です。しかし、事前に観まくったノウハウ実践動画では結構失敗している人が多くて最後の最後まで不安でしたね。準備に怠りは無かったと思いますが一回で成功できたのは僥倖でした。お手軽に費用の大幅な圧縮が出来たと嬉しく思っています。何をやっても忘れてしまう年頃?なんで覚書と行程をUPしておきます^^; ●オリジナルスペックの記録・機種:dynabook SatelliteT571/W3TE・型番:PT5713TESFBW・CPU:インテル® Core™ i7-2670QM 2.20GHz 4コア/8スレッド スマート・キャッシュ 6MB・メモリ:4GB/最大8GB デュアル・モニターー:17.3型ワイド・ハードディスク:320GB:MBA(重要) <換装前の症状と改善点>・起動から実質ノンストレスで入力/検索出来るまで約6分30秒⇒換装後は約50秒・メモリー不足でタスクビューがほぼ使用不可⇒換装後全くのノンストレス起動パスワード設定+ONEDRIVE+通常作業用のアプリを複数スタートアップさせていますので、それを切れば起動時間は半分以下にはなると思います。しかし・・・何故今まで放って置いた?と自分でも呆れます^^ <大まかな作業の流れ>:1)メモリーだけ増設して再起動(起動時間変化無し/タスクビューは改善を確認)2)SSDフォーマット3)SSDクローン化4)既存HDを取り外してクローンSSDと交換5)SSDの未割り当て領域を論理化して使用可能に解放。こんなところです。行程の詳細は以下に書いておきますので興味のある方はご覧ください。 ●換装作業工程★事前に準備したもの 費用総額:12,079円税込・Komputerbay増設メモリ4GB×2 3500円 4GB実装してますがデュアルという事もあり同じもので揃えました・CrucialクルーシャルSSD500GBMX500SATA3/2.5インチ 7580円 実装の容量より大きいモノを選びます。・ELUTENG2.5インチハードディスクケース 999円 外付けHDとしても使えるので換装後も無駄になりません・Ease US Todo Backup Free ダウンロード無料 クローン化に必要な無料ユーティリティ・Ease US Partition Master FREE ダウンロード無料HDディスクがGPTなら必須ではありません。・精密ドライバー PCネジに対応していれば何でも ★実作業①HDケースにSSDをセットしてUSBへ接続②PCのディスク管理から不明ディスクを右クリックしてメニューに従ってSSDをフォーマット。・この時、実装のHDがGPTタイプなら必ずSSD側もGPTを選択・ドライブの割り当ては現状で使用していなければ何でもよい。③フォーマット終了 デバイスマネージャーで認識しているか確認④Ease US Todo Backup Freeを起動 クローンを選択してメニューに従う ⑤ソースは実装HD ターゲットはSSD⑥高度なオプションでSSDに最適化を選択⑦実行でクローン作製開始(待ち時間は2時間程)⑧完了したらPCの裏蓋を外して物理的な交換をします。クローン作製が成功しているか如何かはSSDを実装して起動してみなければ分からないのが面倒な処です。私は運よく一度で成功しましたが手順が合っていても失敗するケースも多い様で、フォーマットとクローン化を繰り返す根気の良さは必要の様です。⑨換装成功していたらもう一度ディスク管理でSSDを確認。⑩換装前のHDがMBRタイプだった人はここで未割り当て領域を確認。クローン化というだけあってHDの記憶領域もSSDに完全コピーされています。MBRはパーテーション数の制限があるため有効化出来ない可能性があります。私の場合はナント500GB中170GBが利用不可能になってました。これはクローン化成功の証であり作業の失敗ではありません。⑪Ease US Partition Master FREEを起動して未割り当て領域を論理化して利用可能にします。 有料バージョン(5千円程)を使用するとMBR自体をGPTに変換出来るので簡単みたいです。 以上です
2020.06.26
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用紙LABOさんより無料サンプルを送っていただきました。 我が家のプリンターは仕事兼用でEPSONPX-1700Fというインクジェットプリンターを使用しています。契約書や打ち合わせの写しでノーカーボン紙はとても便利なのですがレーザープリンター専用という事で永らく利用は諦めていました。 それがどうも非公式ながらインクジェットプリンターでも使えそうだということでテストの為にサンプル請求した次第。最高品質の設定で印刷したら結構イケてますね。カメラの性能と光源が悪いので解り難いと思いますが中々のものです。漢字の鬱は良くテストで使うのですが潰れてませんね。一枚づつ手差し印刷になるのと、高品質印刷は若干時間が掛かるのが難点ですが、契約書や写しといった使用目的を考えると少数印刷が殆どなので問題無いだろうと判断しました。 販売元では「インクジェットプリンターには適さない」と念を押しているので当然自己責任ですが、100円ショップで購入したスティック式の付箋糊と併用すると「即戦力」となりそうです。
2020.06.24
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久しぶりの更新になります。本日は最近身近にあったお金に纏わる私の体験を備忘録がてらに書いておきたいと思います。債権者にも債務者?にも、少し参考になるかもしれません。個人間の金の貸し借りの殆どは「貸した側のデメリット」の方が大きいという教訓です。 話の発端は三十数年前のお話になります。新婚間もない頃、家内が遠い親戚の女性(Aさん)に20万円のお金を貸しました。Aさんの家庭の事情を聞いて貸した訳ですが、その後こちらから幾度か催促した後に連絡が途絶えて、まぁ、良くある話でそのままドロンされて今日に至っている訳です。当時の私達に20万円は大金であり口惜しい事でありましたが、個人間の貸借の時効は10年という事なので、現在となっては諦め、忘れていた話でした。 ところが、そのAさんが2020年になって連絡をして来ました。現在は隣の区に住んでいるといいます。電話口で家内には「お金は少しずつ返すから。」と言った様ですが、私が電話に出ると無言で切るし、私が在宅の時は要件も言わずに帰ってしまいます。その後の状況から、どうも前の借金が時効である事を確認した上で再び「金を借りたい」「盗人に追い銭をしてくれ」という事らしいのです。まったく・・・・・なめとんのかゴラァーーー!!というレベルのふざけた話です。こうした超クセの悪い人間が一定数存在する事は致し方無いのかもしれませんが、貸した金は返って来ないとしても纏わり付かれるのは不愉快極まりなく、精神衛生上も良くないものです。しかも、相手は還暦過ぎの老女(家族は居る様です)ですので私が恫喝でもすればコチラの立場の方が悪くなる可能性すらある訳です。家内は泣き落としに掛られると断れないだろうし・・・そこで、こんな1枚の書類を作成してみました。>時効完成後の債務承認が成された旨の確認通知書内容証明で送って本人・家族を慌てさせ、周囲の人間を巻き込んで一枚の事実の書かれた書類を元に話が進めば一先ず成功です。「時効援用の主張」と「時効完成後の債務承認」という二つのワードを応用してみました。まぁ、金はいいから(当然返って来た方が良いですが)近くをウロウロするなという静かで優しい恫喝の様なものですね。相手の生半可な時効の知識を叩いてから、法的(擬き)な用語と文面で改めて「借りた金を踏み倒す自分」を自覚させます。状況は債務者に圧倒的に有利なので出来るのはこの程度の事です。Aさんが自ら「踏み倒す」と宣言した相手に近づこうとは思えないレベルの常識がある事を祈りたいですね。 かように安易に個人間で金の貸し借りをすると、貸した方が要らぬ苦労をする事になるのが世の常です。本当に相手を思っての上でなければ控えるべきですね。特に断る勇気に欠けた(弱気の貸し借り)は、理不尽ですが債権者が「貸した自分を正当化する為」にその後の人生に暗い影を落とす事例が圧倒的に多い様です。 *「時効援用の主張」=債務者は債権者に対して「時効だから踏み倒します」と宣言する必要がある。*「時効完成後の債務承認」=時効成立後に返済行為や返済の意志を見せた時、時効後も返済義務を継続するものと見做される事がある。 私、死ぬまでに一冊は小説を書いてみたいと思っているのですが、このAさんは是非登場人物の一人に加えたいと思っています。
2020.05.22
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思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから。 人生は運・不運の影響を完全に避ける事は出来ないが、それでも、かなりの高い蓋然性で「時間をかけて積み重ねたもの」が人生の質(満足感)を決定する事を否定する人は少ないでしょう。ニヒリズムを気取ってみても、それこそが無意味で詮無い事である事は、私程に生き続けてみれば否が応でも分かる事なのです。 現在の自分の運命に満足していないなら自分の性格を、、、我ながら性格悪いなと思えば習慣を、、、と、遡りながら自分に不利益を齎している「思い込み」に迫っていける「究極の自己啓発の言葉」だと思う。私を含めて殆どの人間は「思考」まで遡るのでしょう。 マザーテレサの言葉だと言われている様ですがどうも違う様です。ブッダやガンジーにも同様の言葉があるらしいし、「7つの習慣」の習慣で有名なR・コヴィー博士や「サイコサイバネティクス」のM・ウェルツ博士に代表される多くの大家達の言葉からも読み取る事は可能です。つまり、宗教・科学を問わない「より本質に近い言葉」なのだろうと考えます。そして本質とは常に抽象的なので私達は迷う。 良い思考から素敵な運命へ、迷いながら繫げる行為こそが「生きる」という事なのかもしれませんね。
2020.03.15
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中学数学からはじめる相対性理論話題の「ヨビノリ動画」の中でも「神回!」の動画ですね。そして、恐らくここ等辺が難解な数式を伴わない文系的理解度?のマックスなのだろうなと思います特殊相対性理論での①動くものの時間は遅れる②動くものの長さは縮む③エネルギー=質量といった「人間の直感に反する事柄」は、数式を伴わない「物語り」のファンにとって無条件の前提として理解出来ないまま受け入れるしかないものです。物理学者に成りたい訳でも、それ程深く探求したい訳でも無いのですが、それでももう少し、「この面白い世界」に近づけないモノか・・・」という願いそのものが、「市井のアインシュタインロマン?」なのだろうと思います。講師のたくみ氏は、物理学の博士課程を終えた優れた専門家であると同時に、そうした市井の科学ファンが「何を求めているか?」を良く理解していて、「その為に最低限必要な道具」を「最適なレベル」で提供してくれる超優秀なマーケターでありプロデューサーなのです。 三平方の定理でここまで説明出来るという事に感動さえ覚えます。一科学ファンが「次のステージ」に移行するための契機となる動画であり、中学や高校の授業でも取り入れて欲しいなと思いますね。
2020.03.11
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長男が読んでみろと持って来た本です。The Arbinger Instituteという米国研究所に関しては知りませんでしたが、あの金森氏が目を付けて監修したものなら間違いなさそうだという事で読み始めてみました。仕事と食事の合間の時間を使って1日で読み終える事が出来ましたのでボリューム自体はそんなにありませんが内容は非常に濃いものでした。 ●箱の中では、やる事全てが自分の望みとは逆のベクトルを向く「箱」とか「殻」という表現はディスコミュニケーションの象徴として他でも頻繁に使われたりしますが、大凡抽象的な認識のままで放置されている事が殆どです。本質というのは常に抽象的な概念である事が多いのですが、この本ではその「箱」の存在を明確に認識して、自分や相手が「無意識に箱に入ってしまっている時の欺瞞性」の弊害と、箱の外に居る時に人間が如何に理性的で、効率的に生産性に富んだ存在であるかを繰り返し会話形式で語り続けます。多くの人間が自分でも気付けない「箱の中の自己欺瞞」の状態は、他者だけでなく自分をも傷つけ、全ての言動・思考が自分の望む結果とは逆方向に向いてしまう無限ループ状態を作り出します。その状態から如何に自分を、周囲をも救い出して良好な人間関係・家族関係・職場関係を創り出すか?というのがこの本の肝となります読み進む程に読者は想定外の切り口が自分の生活実感と合致する事に大きな感銘を受け、新たな自分の可能性も感じるとる訳なのですが、同時に、この本の内容を他者に伝える事の難しさに誰もが気付かさせる面白い展開をもった本だと思います。ネットで他の読後感想を検索すると、内容は「ネタバレ禁止」にして「読んで貰えれば解ります」的な記事が多い理由はそこら辺にあるのでしょう。 故に私が象徴的だと感じた一節だけ引用しておきます>「箱」の中に居る人間は不安定な状態で暮らしている。なんとしても自分を正当化(自己欺瞞)しなくてはならない。自分は思慮深い人間だとか、価値ある人間だとか、高貴な人間だとか、しじゅう自分の徳を見せつけていなくてはならないのだから大変だ。実際、手に余るという点では他人に対してすべき事(箱の外に居る事)よりも、箱の中で自分を証明してみせる事の方が余程に手に余る。「箱の外に居る時よりも、箱の中に居るときの方が、はるかにしなければならない事が多く、負担が大きい」(こうして書くとシェイクスピアの台詞のようですね😀) ●The Arbinger Instituteセミナーのフロントエンド的書籍かもしれません 実は既存の心理学・認知行動学、サイコサイバネティクスや哲学でも同じ様な事を言葉と手法を変えて伝えようとしはているのですが、その殆どが「頭に入り難い言葉」「実感し難い文章」で書かれています。この本は一度それらをバラバラにして、より現代社会において実践的・具体的に身に付く形で解り易く組み直したものだと思われます。それでも、実際に読んでいない人に間接的な文章や言葉で「この感じ」を理解してもらうのは難しいでしょうね。だから私は親しい人間には繰り返し「読んでみろ!」とだけ言い続けるつもりです。The Arbinger Institute Japanはこの本メインのセミナーも開催しているそうです。実際に本を読んで「自分は箱から出ている!」と自認した人間がセミナーに参加すると「俺はまだまだ箱から出てなかった」と改めて感動を覚えるそうなので、現状の私が的確にこのマインドセットについて語れるとも思えませんが、従来の啓発本、マインドセット本とは一線を画す内容である事は間違いないと確信します。 私的にはThe Arbinger Instituteセミナーのフロントエンド的書籍の様にも感じますので機会をみてセミナーも受けてみたいなと思いますね。
2020.02.12
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本日の日曜美術館の特集は、私が今日の今日まで名前さえしらなかった今は亡き写真家ソール・ライター。一度聴いたら絶対に忘れそうに無い名前ですが、彼の作品も一度観たら忘れ難いものばかりで・・・人間生きていればこうした出会いもあるのだという事を実感させてくれる素敵な放送でした。数日中に渋谷まで行って来ようと思います。
2020.02.09
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「自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐えがたい。」byチャーリー・ブラウン哲学的ですねぇ~😀自分の延長線上に無い「全く違う自分に成りたい」!」という欲求は自己否定と現実からの逃避行動であり、それは「夢」では無く「妄想」。「失意・喪失の状態」だけでなく、こうした状態もニーチェなどは「絶望」であると分類していますね。なんか解るわぁ~~~夢と妄想は線引きが難しいですし、実は妄想を捨てて本当の自分の夢と向き合う事は非常にシンドイ事なんですね。妄想を抱き続けて現実逃避していた方が楽なんですが、それは虚しい時間が流れる事と同義なのです。「思っている・考えている」だけで、その為の具体的な行動や努力が出来ない状態が続く時は、その考えている事が「その人にとっての妄想」である事が大凡の様です(実感)。「そんな妄想は置き去りにして、前に進みましょう!」というチャーリーからのメッセージですね。スヌーピーの達観セリフもひとつ、、、「配られたカードで勝負するしかないのさ・・それがどういう意味であれ」byスヌーピー男前やのぉ~還暦の歳になっても「手札が悪い」と文句ばかり言っている自分が恥ずかしくなります。認めるしかないですね😀手札がブタなら降りるかプラフをかけるしかありませんが、その判断にも結果にも自分が責任をとれば良いだけの話なんです。起業家心得に「雨が降っても自分の責任と思え!」というのがありますが、気概も習慣化してしまえという強いメッセージだと私は理解しています。還暦を迎えて現在哲学の学びをやり直しております。若い時は「社会と人間を良く諦める」事にしか役立てる事ができませんでしたが、先が見える年齢になってから見えるものもあるようで楽しみです😀
2020.02.07
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●いま、こんな話で盛り上がっていますが・・・「謎だらけのダークエネルギー、実は存在しなかった?」●4年前にこんな記事も拙ブログでシェアしていました・・・「ダークマター存在せず? - 「エントロピック重力理論」と観測データが一致」●当時の拙ブログ「重力は見掛け上の力?」 宇宙を語る上で、合わせて95%超を構成すると言われて来たダークマターとダークエナジーのどちらもが「無い可能性がある」「無くても計算上は困らない」という事になっているんでしょうね。セオリーとなっている「膨張宇宙」まで疑わしいなんて・・・ 私達が存在する次元から漏れ出している重力の行き先が大きな鍵になるのではなかろうかと個人的には思ったりもしますが・・・何とも面白い事態になってきましたね 日々、己のニヒリズムと格闘の連続ですが、少しだけ「もう少しだけ長生きして見届けたいな」という思いに駆られています
2020.02.06
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新年のご挨拶を申し上げます。まったく更新が滞っておりまして、昨年の記事に新年のご挨拶を頂いたkopandaさんには全くもって失礼をいたしました。本年もよろしくお願いいたします。
2020.01.19
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なんか釈然としませんね。「元々廃刊寸前の雑誌が、炎上商法で最後に爆発的な部数を売り抜けた!」とゲスの勘繰りをされても致し方がない展開です。経営的な休刊というだけなら妥当性は感じますが、外圧も考慮しての休刊なら其れこそが「言論の死」だと私は思います。掲載したからには反論と批判の応酬で傷だらけになる覚悟を持つべきですね。騒動の発端を開いた水田氏もダンマリを決め込んでいますが、彼女は応答可能性という言葉を知っているのでしょうか?言論の自由を唱えながら口を閉ざす行為は合理性に著しく欠けています。この休刊劇に一番ホッと出来るのが新潮社と水田氏というチグハグな構図のお話です。 現代社会において、反左派擬きスタイル、ナンチャッテ右派スタイルは日本だけでなく世界規模で大きなマーケティング対象となっています。今回の水田氏も新潮45の編集者も其処を狙って遣り過ぎたという観が否めないですね。その程度のレベルの人間に槍玉に挙げられる身になれば溜まったものでは無いのですが、それが今回はLGBTであったという事なのだという理解をしています。こうした不合理な話は、いつ想定外、イレギュラーな形で自分に飛び火してくるか解らないという認識が必要です。新物入荷!【送料無料】自然派クルミ (無添加-1kg)ナッツの中でも特にビタミンE・αリノレン酸などの高い栄養価を持つ食材。無添加なのでそのまま食べても料理・スイーツづくりにも幅広くお使いいただけます|くるみ 胡桃 無塩 無油 無添加くるみ楽天で購入
2018.09.27
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先進国の中で唯一GDPの伸びが見られ無かった、所謂「失われた20年」の原因に関して、極めてシンプルに「インターネットの本質を捉え切れなかった事である。」とする此の記事は興味深く、全てでは無いが核心を突いていると思われます。 日本の「失われた20年」を招いた決定的な弱点東洋経済オンライン 筆者はインターネットの本質を「自立」「分散」「協調」と定義している。日本的な省庁や企業の縦割り組織(ピラミッド型組織)には其れが単なる方法論としか認識出来ず、インターネットに最適化する為の「自立・分散・協調型組織」への構造改革が遅々として進んでいない事を停滞の原因と筆者は分析しています。甚だ一般論の域を出ない感じでもありますが、実感として肯定出来る今までに無かった論点だと思います。安倍政権発足以来提唱し続けている「第三の矢」は放たれず、逆に抵抗勢力による規制緩和潰しにマスコミや国民が挙って同調するという絶望的な有様を眼にする時、今更ながらに自分の国の閉鎖性と経路依存症の酷さを再確認します。よく言われる「既得権益の堅持」なんてもの以前の、もっとプリミィティブな性質が関与しているのでしょう。ネット依存症が社会問題になる程にインターネットが普及しても、その本質を捉え切れずに停滞しているのは組織だけでなく、我々日本人一人一人が同様であるのだと思われます。
2018.09.01
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高杉晋作の辞世の句であるとか、下の句は野村望東尼の作であるとか諸説諸々ですが、面白い句である事は間違いないですね。何事も自分の心次第だという当たり前の事が書かれているだけの句なのですが、その当たり前が人間にとって如何に難しいかという意味も背後に潜んでいます。 ラス前の年齢に到って道程を振り返れば、「遣りたい事」より圧倒的に多い「遣りたくない事」に時間を支配されて来た様な気がするのですが、正に「すみなしものは心なりけり」であり、後悔はしてはいませんが「勿体無い事をしたな」と思う事頻りな今日この頃。【自分の人生に、自分が積極的に関わらなくて如何するんだ!」と、自分の事は棚に上げても若者達には言わなければいけないんだろうねぇ・・・私が言っても説得力は無いけどさ^^;
2018.08.26
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金足農「投手の玉砕」を賞賛する甲子園の病いったい誰のための高校野球なのか?東洋経済オンライン 随分と昔から言われ続けている事ですが、一向に改まる気配すら無い「古くて新しい話」ですね。インターネットが普及する前のパソコン通信の頃の話ですから40年も前の事ですが、こうした状況も踏まえた上で「学生スポーツに全国大会はいらない!」という様な記事を書いた覚えがあります。これは球児やプレイヤーの問題ではなく、競技をとりまく周りの大人達の意識・リテラシーの問題なんですね。球児の一心不乱さに感動する市井のファナティシズムは一先ず致し方ない事としても、組織の長やマスコミまでが情緒優先で定量的な理解を欠く在り様は、やはり山本七平も指摘した空気が支配する国柄であり、司馬遼太郎が「日本の通弊」と懸念した不合理が未だに日本社会を支配しているのを感じます。 色々な意味合いで、子供達を守る事以上に大切な仕事など大人には無いと思いますけどね、、、
2018.08.24
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復活を機にマイナーチェンジ。デザインもかえたいですね。もう少し更新頻度も上げたいと思っております^^;
2018.08.19
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昨年の正月に新年のご挨拶をしたきりで楽天ブログにはご無沙汰で失礼をしております。本日、NHK日曜美術館の来週予告で久保克彦作品に触れ、久しぶりにブログ記事としてUPしたく思い立った次第です。「遺(のこ)された青春の大作~戦没画学生・久保克彦の挑戦」 私は絵画には疎いですし画学生のまま戦火に散った「久保克彦」という名も知りませんでしたが、日曜美術館の予告で流れた遺作の画像に心が奪われました。芸術分野に限らずアバンギャルドという表現が安直に使われて閉口する事も多いのですが、彼の作品に触れて「これはっ!」と唸りました。 この時期になると、戦争で逝ってしまった「才能」達に思いが及ぶ機会が多くなります。
2018.08.19
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新年のお喜びを申し上げます^^今年も恒例のテレ東放送のジルベスターカウントダウンで新年を迎えました。今年のカウントダウン曲はボロディー作曲の歌劇「イゴーリ公」より「ダッタン人の踊り」作曲家も曲名も馴染みが無いと思いますが、冒頭部がCMやドラマに良く使われていますので聴いてみれば「ああ、この曲か」という感じだと思います。毎年の事ですがカウントダウン曲は楽しむという感じでは無くて最後はハラハラするのですが、カウントダウン指揮が三度目となるマイスター大友直人氏ですので見事に0時ピッタリで治めてくれましたね。 昨年は母親の介護が始まったりして大変な事もありましたがマァマァ平穏でありました。今年も特に大きく望む事もありませんので平穏な一年である事を願うのみであります。皆様にとっても今年一年が良き歳でありますように・・・
2017.01.01
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ダークマター存在せず? - 「エントロピック重力理論」と観測データが一致ポピュラーサイエンスファンのレベルでも、ソコソコ本や雑誌・ネット記事を追っていたつもりだったんですが「エントロピック重力理論」なんて全く初耳なんですけど!^^;2010年に発表されて物議を醸した新理論らしいですね。これって、重力が自然界の「4つ目の力」だと目論んで進められている超弦理論(M理論)や他の理論を纏めて棄損(或いは大規模な修正を要する)する様なものなのだろうか・・・数値が同じなら重力が「自然界の基本的力」でも「見掛け上の力」でも計算上は問題無い様な気もしますが・・・「ダークマターが在っても無くても構わない。」だなんて、何ともワクワクする展開です^^「情報量のエントロピー」というのは如何いう状態をいうのでしょうねぇ???本を読んでいると熱力学だけでなく時間や空間を扱う理論にもエントロピーが良く顔を出します。昨晩のNHK「時空を超えて」の再放送でも時間をエントロピーで語る部分がありました。最近では人文系の論文でも見掛けますが、コチラは抽象的で誤用や意味不明が多かったりします^^;「M理論」が獲得しそうな「人類の聖杯」のシーンに少しでも立ち会いたくて、手遅れ覚悟の50歳過ぎで科学関係の本を読み始めて知識収集にあたっている訳なのですが、こうした記事に触れると科学の世界には嘗ての「ニュートン⇒アインシュタイン」の様なパラダイムシフトの可能性が常に存在しているのだなと感じますね。
2016.12.23
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本日は久々に結婚式に出席して参りました。別々に知る我が家と縁深い二家族の長男長女が、私の全く関与しないシーンで偶然巡り合い結婚する・・・何とも不思議な感じです^^;新婦側共に鬼籍に入っている私の父親と新婦の祖父は若かりし頃から同じ町会に住む親友で、お墓は同じ寺で向かい合わせという仲。私と新婦の父親は同じ歳で幼馴染み。 新郎側私が中学2年の時に越した先のご近所さん家族。偶然にも新郎の母親と私の母親が同郷旧知の間柄で数十年振りの再会となり、それ以来の家族ぐるみのお付き合い。新郎のご両親が私共夫婦の仲人さん。 今年の初めまで何の接点も無かったこの二家族にご縁が出来た。私の存在を排除すると普通の縁に見え、私の存在を組み入れると奇遇な縁に見える・・・何とも面妖なるご縁のお話^^
2016.12.17
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小学生の時、担任が語った「個性」についての例え話が分かりやすい!と話題に先生>「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この記事を読んで私も「上手いな!」と感じたんですが、如何にも違和感を感じたので先程まで徒然に考えておりました・・・ 小学生という年齢、小学校という共同体、教師という立場からの此の時点での最善手であった事は間違い無いのだろうと私も考えます。ただ、これは「世間の常識」という枠組みを諭したという事であり「個性」とは無関係の話でもあるのだと思います。「個性」はシンプルに「違い」と翻訳されて使われる事が多いので致し方無いのかもしれません。 「個性」に定量的な線引きがあるという認識自体が「没個性」の社会を形成してしまう・・・これを突き詰めてしまうと自己言及的に無限ループする話に成りかねないのですが、それに飽く事無く耐え続けるのが個性の尊重という事なのかもしれません。「個性」なんてマトモに定義し説明できる様なものでなく、極めて個人差のあるパーソナルな「単なる許容範囲」というだけの事なのだろうと考えます。昨今の日本でのダイバシティ論議が痛々しいのは、この定義し難い「個性」と「多様性」を混同して話す傾向にある為なんだろうな・・・
2016.12.11
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日本で生まれ育ったタイ人高校生に強制退去、二審も覆らず「悔しいし悲しい」久方ぶりの更新となります。如何にも憤懣遣る方ないニュースでしたので此れを機会にブログも再開したいと思います。 不法在留を承知していた母親の強制退去は現状では致し方無いとも思われますが、日本で生まれ育ち高校入学まで許されて来た彼に「強制退去」を言い渡す事の不条理さを感じます。正確な表現は忘れましたが、フランス国民戦線のルペンの親父(前代表)が「我々はせめて日本並みの入管制度を求めたいだけで極右では無い」という様な事を言っていました。まぁ、日本の現状は「そういう事」である事は間違いないのです。私自身は野放図な移民に警鐘を鳴らしている立場ですが、今回の様なケースでは国の恣意的な対応で長期に渡って出来上がってしまった「既成事実」への日本国の責任性は免れないと考えるべきであると思っています。何を根拠に日本で生まれ育った青年が見も知らぬタイへ送還されて「退去強制で著しい不利益を受けるおそれがあるとは認めがたい」と考えるのか理解に苦しみますが「タイ語での意思疎通ができる」と裁判所がお墨付けを与える青年は日本にとって有益な人材でもあるのです。他の法律にも見られますが、法の弾力的運用が苦手なのは日本人の特性かもしれません。硬直的な実定法主義を私は支持しない。彼が「日本国が容認すべき個人」である事が法解釈の基にあるべきだと考えます 彼を支援する人々の中には根本的な部分で私とは相容れない層の方々も居る様ですが、「ウティナン君に在留特別許可を与えるべきである」という一点で連帯したいと思います。今後の事も考えると最高裁の判断を仰ぐのも一策ですが、その前に法務大臣の迅速なる配慮を望みたい。 ウォン・ウティナン君
2016.12.09
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奇跡の「水の惑星」地球しかし、その地表の水を一カ所に集めてみると・・・えっえっーーー!!そうなの???「地球にはどれくらいの水があるかご存知ですか?」これは衝撃の映像と言っていいと思いますね。曖昧なイメージに支配されない為にも「データの視覚化」は大切ですね。たしかに言われてみれば、海でさえ地球の表層の薄皮の其のまた上に「薄っすらと水が塗られている」程度のものなんですよね。地球は「水の惑星」というイメージが在り「奇跡の惑星」というのも真実ですが、其の真実が如何に危ういものであるのか・・・特に水が無尽蔵に在ると思っている私も含めた日本人は目に焼き付けておいた方が良いかもしれませんね^^;
2016.02.29
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家内が図書館から山頭火の句集を借りてきました。特に山頭火ファンという訳でも無いのですが、「究極の一人ぼっち」を目指してきた様な私には「放浪の禅僧」でもあった彼の句は妙に琴線に触れます。寂寥感を詠みながらも暗い印象を受けないのは、彼独特の「ありのままの力」の為せる業なのでしょうねぇ。この本は版画句集の体裁で、秋山巌氏(棟方志功のお弟子さん)が山頭火の一句一句に自分の絵を添えて一緒に版画として起こした味わい深い仕上がりになっています。>「歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでいるとさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作っていることはさみしくない。」山頭火孤独を愛し、寂寞の情を味わい愛でる事は「人ならでは」の在り様だとも思われます。「さみしい」があるからこそ「さみしくない」に意味があるんでしょうね。
2016.02.25
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久しぶりの更新となります。「<働かない働きアリ>集団存続に必要 働きアリだけは滅びる」私は間違いなく常に70%に身を置いている^^;「働きアリの抽出実験」のネタは20年程前から私も組織論として使っているので此れは追証実験成果ですね。、1)アリは皆忙しく働いている様に見えるが実質は30%のアリだけで集団を支えている。2)各集団から実働部隊の30%を抽出して集団化しても、やはり其の内の30%しか働かなくなる。3)各集団の働かない70%を抽出して集団化すると、その内の30%は働き始める。というもの、高度な知能を持つ人間にそのまま当て嵌まるかは解りませんが、妙に思い当って溜飲が下がる人も多いのではないでしょうか^^;、随分と昔の話ですが、私の所属する組合の書記に此の話を振ったら「常に30%でありたいよね」と返されて驚いたことがあります。私は「組織の本質なんてそういうモノなんだから、大凡でいいんだよ!」と言ったつもりだったのですが、真面目な彼にとっては30%に居る事がアイデンティティーだったのですね。ちなみに此の彼は現在埼玉県内の某都市で市会議員として日夜職務に邁進しています。、斯様に此の「働きアリの抽出実験」による「非効率の効率性仮説」は、私の様な怠け者には自己正当化に利用され、彼の市会議員にとっては働く動機としての強いインセンティブにもなります。「取り扱い注意!」ですね^^
2016.02.17
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あけましておめでとうございます^^例年通りのテレ東のジルベスターのカウントダウンコンサートを観ながらの年越しとなり、シルヴィ・ギエムの「最後のボレロ」で感動的な新年を迎える事が出来ました。輝かしいキャリアの最後を日本で締め括ってくれた彼女に感謝したいと思います。新年早々あまり御目出度くない私事で恐縮ですが、昨年末から実家の母親の腰の調子が悪くなり現在二階から一階に部屋変えの真っ最中。大晦日から年明け3日間位は片付けと大掃除(プチゴミ屋敷状態です^^;)で正月休みは返上となってしまいました。しかし、それでも昨年は概ね平安な1年であり、本年も年明け早々に纏まった仕事が決まっておりますので一人親方の個人事業主としては有難い年越しであったナと思っております。本年も平凡で平安な1年間であって欲しいですね^^
2015.12.31
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「不可逆的な解決」という表現を使う事自体が、この合意が形式的で不可能性に満ちたものである事を物語っていますね。此の無理筋は「対北朝鮮」を睨んだ米国の意向が大きく働いているのだと思いますよ。安倍政権が国内からの批判覚悟で此処まで譲歩した背景には米国の大きな介入があった事は容易に想像できます。韓国でも朴政権に対する非難の声も大きくなっていますが、日韓政府は米国の意向が考慮すべき一番の重要項目であるという部分では一致しています。特に韓国政府は中国に寄り過ぎた政策の失点を回復する必要性に駆られていると思う。核武装したと言われている北朝鮮の動向を鑑みれば、日韓間の関係悪化が続く事は双方と安全保障条約(米韓は相互防衛条約)を締結している米国の利益も損なうので「何とかしろっ!!」という事なのでしょう。今回の外相会談で慰安婦問題が和解に至るなどと誰も信じていないと思いますが、日韓両国が対北朝鮮での共同歩調をとる為の当面の体裁だけでも整えようという事であるのだろうと私は考えております。
2015.12.29
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お坊さんネット手配「中止を」 アマゾンに仏教会要請へ色々と考えさせられる事案ですね。私はアマゾン手配肯定派かな・・・頼む方が「それで良い」と思うなら構わぬ事柄であると考えますし、手続きとしてのネット手配が仏教の本質を棄損するとも思えない。檀家は減少の一途を辿り葬式や法事等の仏事其の物を行わない家庭が増えている昨今、仏教離れに歯止めを掛けて仏法を布教する意思があるのなら、逆に仏教界側から利用する知恵が必要でしょうね。宗教として「守るべきもの」を間違い続けて来た故の狼狽感も感じます。明治維新で廃仏毀釈に至った歴史的由縁と経緯を仏教界は顧みた方が良い。葬式仏教と揶揄されながらでも「僧侶に拝んで欲しい」と願う人間が多い内に・・・(参考記事)江戸時代になぜ排仏思想が拡がり、明治維新後に廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたのか
2015.12.28
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映画「貞子VS伽椰子」もともと「エイプリルフールのネタ」だった架空映画が現実化したという事で現在撮影真っ最中だそうで、12月中にクランクアップする様ですね。ホラー映画の宣伝ですが「貞子VS伽椰子」というタイトルだけで失礼ながら思わず[如何戦うんだよっ?」と突っ込みを入れて笑ってしまいました^^;少なくとも相手に恐怖心を与える事は不可能だと思うのですが・・・互いに呪い合われても観ている方は良く解らないだろうし、「フレディーVSジェイソン」や「エイリアンVSプレデター」みたいなドライな格闘シーンは想像しがたいですよね。私はホラー系映画はTV放映で観る程度ですが、此の対決は少々気になります^^劇場で観る事は無いと思いますがレンタルリストに入れておきたいですね。「リングVS呪怨」ですから、湿度全開で日本的質感の映画に仕上っている事を期待したいと思います。
2015.12.11
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いよいよクルマの自動運転技術の実現が目に見える形になって来た用ですが、それに伴う問題として提示されたている記事群が興味深く考えさせられるものでした。「完全自動運転自動車とトロッコ問題について」「自動運転車の法律問題を総括すると見えてくる難解な課題」全て自動運転になれば便利だな、、、程度にしか軽く考えていなかった自分の迂闊さに落胆もしたのですが、この問題は人間社会が「理性の限界」として解答不能(してはいけない?)としてきた問題に対して、技術革新其の物が人間理性の限界(パラドクス)を超える新たなパラダイムを要求している様な気がします。「トロッコ問題」は人間にとって本当にパラドクスなのでしょうか?事後であれば確率的にステークホルダーになってしまった人間の責任性や便益は分配される事なのですが、それを事前に人間が決定する事は不合理な事なのか・・・「トロッコ問題」をパラドクス足らしめて来たのは人間が「倫理観」「道徳」「宗教」「正義」等と呼んで「共有すべき認識」として来たものなのだと思われますが、科学技術の革新が迫る人間社会における観念的理解の変容は不道徳な事なのか・・・この問題を公に話し合い、また個人でも考える事は非常に意義のある事の様に考えています。私自身にとっても知的好奇心をあらゆる方向に拡張してくれる切っ掛けになる予感がします。余談ですが、「トロッコ問題」自体は我が家では良く話題に挙がります。以前にTV番組で取り上げられた時に私が娘達に説明して以来ツボにハマった様で、設定を変え、ある時は本来の趣旨を外れて「究極の選択的悪ノリ」で盛り上がったりするのですが、詳細は炎上すると困るので書けませんので悪しからず^^;
2015.12.06
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「破綻した「NOTTV」の見せた電波行政の深い闇」電波社会主義」が国民の電波を浪費するこの馬鹿げた事態も、大騒ぎして本来必要無かったTVのデジタル化を行って以降の流れの中にある様ですね。一見関係無いようですが、TV局と通信キャリアは「通信事業」という括りでみれば同じ土俵で稼いでいます。バカ高い機器代金と通信料を払わせ続けられている利用者は遣られっ放しという事ですね(~_~メ)。「電波社会主義」とも言えるし「電波封建主義」と言ってもいいかもしれません。
2015.12.04
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Windowa10の無償インストールを行ってから2か月経ちました。お毒見役というか、当初のバグや不良を覚悟で私が家族のPCを代表して人身御供になった様な形ですが「案の定の結果」になっております^^;本日もエクセルで見積もり作業中に3度も強制再起動を食らいました。ワードで食らった時には保存していない作成中のデータも保護されていましたがエクセルでは消えてしまう様です。以前のバージョンは強制再起動をコントロールパネルから阻止する事が出来たのですがwindows10では出来ないみたいですね。ネット接続中のフリーズもwindows7の時は殆ど起きなかった症状ですが、大概は予告メッセージも無くネットから勝手に落ちてしまっている場合が殆どです。自分で再起動をかけて対処する時に初めて「応答がありません」というメッセージが出てきますが「遅っせーよっ!」という感じです。既存プリンター等の周辺機との相性の悪さはwindowa10用の64ビット版ドライバーが用意され始めてからは今のところ問題無いようです。Updataを繰り返して最新の状態でも此の有様で、有償で配布されるものが同じものなら大問題ですが如何なんでしょうね???Windows7や8で問題なければ後一年位は様子を見た方が良いかもしれません。特に仕事でも使用する様なPCにはインストールしない方が良いですね。私の周りでも一度インストールした後で7に戻している人が多い様です。私としては乗りかかった船ですし、少々意地にもなっておりますので此の侭使い続けながら改善をしたいと思っております^^;
2015.10.16
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10日土曜日に放送されたNHKスペシャルの録画を見終えました。ドナルド・キーン氏に関しては日本文学を研究する翻訳家・親日的米国人学者(2012年に日本国籍取得)という概要を知る程度で、雑誌記事や折々にTVで拝見する位で著作にもあたった事は無いのですが、今回の番組は氏の半生と其の仕事は多くの日本人が知り、評価し、感謝すべき人物である事を改めて認識させる内容でありました。青年期に母国で偶然手にした源氏物語の翻訳本との出会いが、彼が日本に興味をもつ切掛けだったといいます。その後に彼が米国兵士として日本軍が玉砕したアッツ島に赴いた時に手榴弾で自決する日本兵の在り様に衝撃を受け、尚且つ其の日本兵が自決前に十数粒の豆を「最後の晩餐」として数粒づつ分け合ったという日記を目にした事が「日本人とは何者か?」を探求する彼のその後の人生と仕事のインセンティブになった様です。日本人を理解する上で、日本人自身も自覚が希薄である「儚さ」や「曖昧さ」という心象的情景への「無意識の共有・共感」の理解は如何しても必要だと思われますが、此の部分を「不合理なもの」として一蹴してしまうか、「アイデンティティーとして欠くべからざるもの」として理解しようとするかで外国人の日本観は大きく違ってくると思われます。番組のドラマ部分でキーン氏が川端康成と対談した際に「雪国」の表現の曖昧さを質問する下りは象徴的で、川端は「その曖昧さこそ日本人が共感する余白であり、余情である。」と返します。キーン氏は其の日本的余情を理解し、世界に共感される言語として日本文化を発信し続けた稀有な存在であったのです。ノーベル文学賞に関するエピソードも面白かったですね。キーン氏がノーベル財団から受賞候補の推薦依頼を受けていたという話から、昭和30年代の段階でキーン氏の業績が如何程の国際的な評価を受けていたかが伺い知る事が出来ます。氏は谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の順番で候補者を挙げましたが、実際には三島由紀夫が最高峰に在るという認識はあったそうです。日本の年功序列意識は文壇も例外では無かった様で、キーン氏の推薦順序は其処を慮ったものであったらしいですね。結局は谷崎は受賞前に亡くなってしまい川端が受賞した訳ですが、現在になって思えば三島も唯一の受賞期を逃してしまった事になります。私個人的には川端作品は「雪国」しか読んでおらず谷崎と三島が受賞出来なかった事は至極残念に思うのですが、此れはキーン氏を責める筋合いのものでもありませんね^^;蛇足ですが、三島が受賞を逃した経緯にはキーン氏の思惑を離れた部分の逸話があります。キーン氏の翻訳「宴のあと」を読んだ財団側の選考委員が「政治小説」と判断し、しかもあろう事か三島由紀夫を「左翼」と誤認して選考委員会に報告して非常に三島に不利な状況を作り出してしまったという事実があった様です。現在となっては何とも馬鹿らしい話ですが「後の祭り」で致し方ありません”(-“”-)”キーン氏は東日本大震災を機に日本に骨を埋める覚悟で日本国籍を取得し、米国での生活を清算されて来ました。多くの外国人が福島原発の被災を恐れて帰国する中で「日本への愛」を敢えて示されたという事で、一日本人として有難い事だなと感動いたします。氏は多くの日本人が自分達の伝統に興味を示さぬ事を嘆き斯う語っています。「伝統は時々見えなくなるが続いている。伝統を知り、其処から楽しみを得る事が大切だ。」と・・・
2015.10.12
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昨日の記事を書いている時には気づかなかったのですが、先週の土曜日から着工している千葉県野田市のお寺さんは利根川を隔てて茨城県常総市の直ぐ近くのお寺さんでした。初日に仕事をしただけで雨が続いて5日間お休みをしておりました。今日になってやっと雨が上がったので仕事を始めたのですが、ヘリコプターが引切り無しに上空を行きかいます。ご住職にお聞きしましたら大災害に見舞われた常総市は直ぐ近くだとの事。埼玉県・茨城県・千葉県の県境が入り組んでいる地域ですので埼玉県南に住んでいる私には気づけませんでした。ヘリの音は結局一日中鳴り響き、夕方5時過ぎに仕事を終う時間になっても止むことはありませんでした。
2015.09.11
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私の住む埼玉県でも被害が出ていますが、お隣の栃木県と茨城県では大雨特別警報が発令されて大変な状況になっています。鬼怒川が決壊して多くの家が流され、取り残された被災者が建物の屋根で救助を待つ様子には3・11の津波の映像が思い起こされ緊張の心持にされました。私も物心ついてから関東地域での大雨による被害でこれだけ甚大なものは記憶にありません。50年に一度、100年に一度と言われるレベルの自然災害が此の処日本全国で頻発していました。鬼怒川が前回決壊したのも70年以上前の事だといいますので「此処でもかっ!」という思いが過りますが、現場ではそんな事はお構い無しに現在進行形で被害が拡大している最中であり、夜になり地域住民・被災者の皆さんはさぞかし不安な心持でいる事と思われます。ただただ、これ以上に現場に不幸な状況が増えぬことを祈るばかりです。
2015.09.10
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境内内にある社務所(町会集会所)の屋根も若干の修理をしましたので簡単に記録しておきます。三州の釉薬陶器瓦を使用した比較的新しい入母屋造りの建物です。社殿と同様に降り棟の影盛鬼が脱落しかかっており、一カ所は落下破損したらしく下屋根の種類の違う汎用の鬼瓦を外して来て応急処置で縛り付けてありました鬼瓦の脱落の原因は社殿と同じく支持銅線の釘一本留めでした。建築時期は違いますが同じ職人による仕事かもしれません。鬼瓦・鬼台と降り棟の先端部を仮外し解体して、社殿と同じく垂木にビス止めした厚手の貫木からステンレス線を出して鬼台と鬼瓦を結束します。 上記の様な施工を東西2面の降り棟鬼瓦部4カ所に行い、下屋根汎用鬼の取り付け直しも1カ所行いました。 他に 1)面戸漆喰の若干の補修 2)棟結合部の処理 3)雪止め金具の取り付け 4)谷板金の簡易塗装 5)雨樋の全面架け替え 6)入母屋トンネル部の掃除 7)脱落して保存されていた家紋の再取り付け4カ所 8)脱落していた銅製桁端隠しの再取り付け 等を行いました。漆喰の全面補修は予算の都合もあり今回は必要無しと判断して今回は見送りました。 以上で町会神社の屋根補修工事は全て終了です。こうした原状回復の修理工事は終わってみると何処を修理したのか分かりにくいものですので施工途中の映像記録は矢張り大切ですね。一応写真では此の様な感じです。
2015.09.09
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蓑甲破風下の水切り熨斗を解体してやり直します。今回の工事は原状回復工事が基本ですが一度崩落して素人手で漆喰を塗りたくってある此の部分だけは形状を変えて瓦も全て新規のものに交換いたします。解体してみるとやはり結束が無く粘土の上に熨斗瓦を乗せて漆喰を詰めてあるだけでした。 瓦を留める木下地がありませんので足場金具と貫木とシリコンで下地を自作します 一段目は紐熨斗瓦で踏ん張らせて白南蛮仕様で水切り熨斗を仕上げます 続いて幣殿に移ります。幣殿の銅製の雨樋とアンコウ(集水マス)には写真の様に多量の枯葉と泥埃が溜まっています。此れを掃除し、板金周りの瓦を水返し用のスポンジ面戸を使用しながら調整します。 幣殿の棟も仮外しして解体し、白南蛮仕様・ステンレス線中通し結束で積み上げます ここまでが社殿の当初予定工事全てですが職人の自己判断で幾つかサービス工事をしましたので記録しておきます。1)拝殿の大棟も取り直しをしたい処ですが其れだけで見積もり額が倍額を超えてしまいますので今回工事に関しては見送りました。若干のズレを補正してから目立たないように大棟に使用されている瓦全て一枚一枚の結合部上部にスポット付けでシリコン処理をしておきました。屋根に上がって余程近くで見ないとわからない程度です。一般家屋で棟の取り直しまで予算が組めない時の手法で若干の強度UPとズレの防止が担保できますが充分な工事では無い事の事前の確認をお願いします。 2)今回は本殿屋根は全て施工対象外となりました。状況は拝殿と同様ですので立ち入り規制で対応して頂く事にしましたが、降り棟鬼瓦と風切り丸の巴瓦に若干の落下防止策をしておきました。 南面の鬼は目立たないようにステンレス線による補強、北面は急勾配ですので足場金具とシリコン、アルミ材を使って「つっかえ棒」をしておきました。巴瓦は南面・北面共にステンレス線で吊り込んでおきました。充分な工事では無い事の事前の確認をお願いします。 本殿の降り棟は元来余計で必要無かった思われます。次の機会があれば撤去廃棄してしまっても良いと思われます。 次ページに続きます
2015.09.08
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棟に積み上げられている此の瓦は熨斗瓦といいます。焼成時に反ったり剥れたりしてクセがありますので解体時に選別するのですが・・・降り棟を解体してみて殆どが写真の様な両端下がりのかなり剥れている熨斗瓦でした。通常は両端上がりの反り熨斗瓦(天神熨斗)と半々位には使われているものですが珍しい事例です。寺社の棟は反らせますので天神熨斗が適しているのですが今回は現存瓦を再利用する原状回復工事ですのでこのまま使用します 解体風景。粘土は風化して顆粒状態・瓦礫状態です 鬼瓦の脱落の原因はこの部分。鬼瓦の支持銅線の固定部は細い銅釘一本で薄い野地板に打ちこんであるだけでした。降り棟の通りには垂木がありませんので釘での一本留めは通常はいたしません。24ミリ厚の貫木を垂木に渡してビス止めし、貫木からステンレス線を出して鬼瓦を固定します。社殿は全て鬼台がありませんので 従来通りに熨斗瓦二段積み漆喰仕様で対応します。利根丸も仮外しして結束用ステンレス線を出して白南蛮仕様で取り付け直します 平瓦は施工対象外ですが降り棟下だけはズレを直しながら南蛮葺きで調子をとっておきます。降り棟の途中にステンレス線を結び付けた雪止め金具を入れて降り棟と絡め、下方向のズレを中間でも防止します 棟を反らす為の「削ぎ熨斗」と反りを若干緩くする為の半端熨斗を自作して結束しながら棟を積み始めます。三段目は天辺の丸瓦まで届く長いステンレス線で結束します 隅棟も仮外し解体し白南蛮で結束しながら積み直します 上記の様な工事を拝殿の表裏(降り棟+利根丸+隅棟)×4セット いたしました。 次ページに続きます
2015.09.08
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降り棟・隅棟・利根丸は繋がっていますのでワンセットの工事となります。 まず、施工前の状況の把握からこの拝殿降り棟の鬼瓦が倒れて「棟の劣化」に気が付かれた様です。セメントと針金で応急処置がなさていますが参拝者の頭に落ちなくて幸運でした。他の鬼瓦もこんな感じ・・・ 棟積みに利用している粘土の劣化、棟瓦を結束している銅線の腐食消失などが相まって崩落寸前という処です。本来は雨水が通り抜ける入母屋トンネル部には永年の枯葉と泥埃が溜まってダム状態となって草が生えていました。隅棟・降り棟・利根丸共に重力方向に潰れるようにズレ落ちていて、チョットした切っ掛けで崩落寸前の状態なのですが、よく3・11でバラバラと落ちなかったものだと思います。「落ちそうで落ちない、落ちなそうで落ちる」・・・ここ等辺の外部衝撃と重力・摩擦といったエネルギーのバランスの加減は「永年の勘」でもよく解らないところがあります。 「今日まで落ちなかっただけめっけもん!」というのが正直なところでしょうか。 さて、いよいよ 修理にかかります。既存棟は結束銅線が棟瓦の外側を大回しで回して結んでありましたが此れは一般家屋向けの汎用工事法です。昨今の酸性雨を直接受けて腐朽し易く見栄えも良くありません。今回施工では棟の内側にステンレス線を中通ししなから結束していきます。既存の棟瓦は中通し用の穴が開いておりませんので解体しながら同時にドリルで穴を開けていきます。剥がした瓦はブラシで一枚一枚こすってこびり付いた粘土や漆喰を掃除してステンレス線を事前に通して結んで置きます。次ページに続きます。
2015.09.07
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小ぶりながら町会管理の神社としては拝殿・幣殿・本殿を構えるナカナカの社殿ですね。今回此の社殿と社務所の屋根の補修修理をする事となり現在施工中です。町会関係のお仕事は窓口となりご苦労されている役員さん方が建築の専門家で無い事が殆どです。しかも当方からは複数の役員さんへのご説明となりますので予算の制約も相俟って事前のインフォームドコンセントが不十分になる可能性があります。施工詳細は見積書には明記されていますが保険の約款と同じで遍く説明する事は不可能なのかもしれません。私はブログやSNSで自分の仕事について書く事は殆ど無いのですが、今回は地元町会のお仕事という事もありブログに写真と記録を残しておく事は必要だなと感じて掲載する事にいたしました。後々に今回施工部の確認が容易にしていただけると思います。社殿概略図はこんな感じ説明に必要な各屋根部位の名称ですので押さえておいて下さい。他にもありますが説明を加えながら進めていきます。社殿工事対象部の確認(全て現在葺かれている瓦を最大限再利用した現状回復工事となります)1)拝殿の降り棟4カ所の積み直し 2)拝殿の隅棟4カ所の積み直し 3)矢切下水切り熨斗2ヶ所の積み直し 4)幣殿棟1カ所の積み直し 5)利根丸4カ所取り付け直し 6)その他補修等雑工事となります。今回は急勾配で足場費用のかかる本殿には一切手を付けない事としました。本殿降り棟の鬼の脱落が懸念されますが立ち入り規制等で安全対処して頂く事になります。拝殿と幣殿も漏水が確認されていない平瓦部と軒先瓦部、費用の嵩む大棟部は施工対象外としました。次回より施工前・施工中・施工後の写真を参照しながら説明をしていきます。
2015.08.17
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個人的には全く馬鹿げた行いだと考えているのですが、本日ギリシャで国民投票が行われます。ギリシャが不当に国家財政を粉飾してEU通貨統合に参加し、実際には国家破綻状態であった事を一般の私達が知ったのが4年前の事。当時にこんな記事を書いていました。February 10, 2012「デフォルトさせるべきでは」June 16, 2012「秩序的なギリシャEU離脱の道」責任先送りで現実から目を背け「なんとかなるだろう・・・」と考えるのは日本の専売特許でも無いと言うことなのでしょうが、ソフトランディングの可能性を逸し続けて来たであろう事は間違い無いでしょうね。EUの理念は理解しますが国家の枠組みを残したままの通貨統合はやはり理想に走り過ぎであり、国別に通貨政策が取れない事の弊害は想定以上に大きなものだったという事なのだと思います。元々ユーロは決済用仮想通貨であり、国家独自の通貨の価値をベースに運用していたものを収斂する全体最適基準など端から在るハズも無かろうというのが私の思いです。しかし、ギリシャの様な小国の破綻でこの騒ぎではイタリアやスペインのケースでは如何成ってしまうのでしょうね。現実的にはギリシャを前例にして「秩序的な離脱例」をつくり、離脱後のギリシャを支援していくという事以外に道は無いのではないでしょうか。EUとしてはロシア・中国の支援は避けたい処でしょうが、其れも視野に入れなければいけないかもしれません。
2015.07.05
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「ドッジボールは暴力」に賛否この手の論議は昔からあるのですが、私が大人に成ってからつくづく自分の体験した「学校教育」というもののデタラメさを実感したのも斯うした部分に関連するものです。ドッジボールのシンプルな競技性は非常に解り易いので論じる事例としては良いかもしれないですね。競技である以上、攻撃側が相手チームの弱いところを集中して狙うのは当たり前ですね。 一方、守備側は自チームの弱点をカバーし合いながら攻撃に転じるのが合理的で当然な事なハズなのです。戦略的にチームが勝つ為の施策を皆で考える内に包摂的な意識も生まれ、チームメートだけでなく相手チームへのリスペクトも生まれるものだと思いますね。そして終わればノーサイド。運動能力に劣りカバーされるだけの子供は少々情けの無い思いもするでしょうが現実は現実として認識して、自分が置かれた状況で最善の道を探らせる事が重要なんですね。運動能力に余裕のある子供には頭を使わせて「全体最適」を図る様に仕向ける。「不得意」は恥では無いですし、「得意」も広く生かさなければ本人にとって真に有効なものにはならないんですね。私自身は幼児・児童の段階での「ドッジボールの教育的有効性」はあると感じますが、能力がバラバラな体育授業に加えるのですから当然に教師の指導方針や指導力は問われるのですね。自分の体験もありますので言葉が汚くなりますが・・・「漠然と生徒にやらせとくんじゃねーよ、バカ教師!」と少々声を荒げて私は言いたいですね^^;
2015.06.06
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知り合いが8回が限界だと言うので、もう少し行けるだろうと実際に手元のA4用紙で試したら6回が限界でした。理論的には際限なく大きな紙を用意出来れば無限回となるのでしょうが103回目で可視宇宙の直系とほぼ同じ930億光年(28ギガパーセク)の厚さになるそうです。恐るべし指数関数^^; 随分と昔に「初日に貯金箱に1円入れて、翌日は2円、翌々日は4円と倍々貯金をすると1ヶ月で幾らになるか?」・・・という例のヤツは経験済みのハズだったのですが人間の感覚というのはアテにならないものです。ちなみにコチラは計算済でして1ヶ月(31日)で1,073,741,825円になります。大体2か月で世界を征服できますネ^^
2015.06.05
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安保関連法案は「違憲」… 3人の憲法学者が国会で別に3人もの法学者にお伺いをたてなくとも憲法を拡大解釈せずに集団的自衛権を行使すれば「憲法違反」という事は誰にでも解る事なのです。それでも彼等が現行条文のままで自衛隊の存在を違憲としない拡大解釈の根拠は、日本国憲法条文にどんな表記があろうと自然権として主権国家が自衛権(個別的自衛権)を保持している事は自明であるという認識があるからですね。しかし、そこから集団的自衛権の定義と違憲性を導くロジックは現実的な実効性を考慮しない机上論だと私は考えています。元来が不可能である個別的と集団的の線引が論議を混乱させています。拡大解釈を可能とするなら尚更に線引論議など無意味化してしまうのです。何処の国も自衛権の根拠は「国益」に依る判断が現実ではないでしょうか?それでも、私自身は自衛権を個別的と集団的に分ける事自体に合理性を見ないのですが世間に倣って敢えて分けて考えてみましょう。現在問題とされているのは「自衛権を集団的自衛権まで拡大解釈する事が危ない」という解釈の裁量域の話なのですね。ここで良く考えて頂きたいのですが、実際には「一国平和主義の状況下で個別的自衛権が発動される事態が最も危険である」という事を認識出来ているでしょうか? これは当事2国間でのガチンコ対決という図式で最も戦闘を避け難いリスクを生むのです。 集団的自衛権行使は個別的自衛権に先立つ抑止力としても考えるべきものなのですね。尖閣を例にとれば「従米ポチ」の誹りを受けながらでも日米安保があるからこそ中国も米軍の顔色を見ながら「あの程度」で済んでいるのだと考えるのが妥当です。「戦争やテロに巻き込まれる危険性」ばかり叫ばれますが、「他国を巻き込んで抑止力とする効用」は誰も語らないのが不思議です。「テロの対象になる危険性」は否定しませんが、そのリスクをとらない事はシニシズムに侵された「無責任な一国平和主義国家」としてのリスクを背負う事なのだという覚悟が必要なのだと思われます。キーワードを使って「行使する危険度」を大雑把な解り易い直線的イメージにしてみます。イニシャルをとって日米安保:S 集団的自衛権:C 個別的自衛権:I 平和状態:P 戦争状態:W と置きます。現在の反対派のイメージは(P<I<I+S<C<C+S<W)なのではないでしょうか。此処には確証バイアスに支配された認識の錯誤があると私は感じています。抑止力を考慮して日本国の利益が最大化されるのは全く逆の(P<C+S<C<I+S<I<W)となると考えます。私が此れまで改憲の立場をとって来た根拠の一つこそが「拡大解釈の不合理性」でした。過去に拙ブログでは「9条を現実に則したものに変えないと、現行条文のまま集団的自衛権まで拡大解釈はすすむ。」「護憲派こそが拡大解釈を防ぐ改憲案を出すべき。」と書いてきました。当記事は安保法制案反対派だけでなく、従米ポチからの脱却を図る「自存自衛論」の賛成派からも糾弾されそうですが、同盟国と共同歩調をとる事によって互いに補完しあい抑止力を効率的且つ大きなものとする事こそが日本国の平和を維持する道だと私は思っています。
2015.06.05
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ビニール袋に絡まっている子供のイルカが、人間に助けてもらった後にとった驚きの行動が超話題!!子イルカ君、カワイイ!、賢い
2015.05.16
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メール便廃止から一ヶ月半が経ちましたが、こんな記事を拾ってきました。ヤマトのメール便廃止、「宅急便も違法」批判封じ目的?日本郵政と奇妙な談合個人向けのメール便が廃止になって本当に不便になりました。同じ様な思いの人は多いと思うのですが、ネットでも大した騒ぎにはならなかったのは不思議です。メール便廃止の背景に「JP+国」の圧力があったであろう事は誰もが想像していた事ですが、民間宅急便事業そのものが人質になっていたらしいという話には驚きますね。筆者は「談合」という表現を使っていますが其れは少々気の毒で、民間許認可事業業者はどの業界でも同じ様なもので弱い立場なのです。「お客様の違法性が問われる事態を回避する云々・・・」というメール便廃止の際の言い訳は致し方の無いものだったでしょうね。問題は国民一般の利益を損ねる様な民業圧迫があったという事で、変えるべきは郵便法であり、法改正までは弾力的運用をするという判断がされなかった事です。金融緩和など子供騙しの様なものでアベノミクスの成否は100%規制緩和に掛かっているのですが、個人にも企業にも許可規定が骨の髄まで浸み込んでいる日本社会で其れが難しい事はメール便の例一つとっても解りますね。
2015.05.15
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海外の著名な学者による「日本の歴史家を支持する声明」が出され、国内で賛否両論入り混じって論議になっている事は衆知の事だと思われます。既に多くの当該声明に関する分析と意見が出ていますが、其処で論点とされていない点の指摘をしておきたいと思います。声明文中にこうした文章があります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「多くの国にとって、過去の不正義を認めるのは、未だに難しいことです。第二次世界大戦中に抑留されたアメリカの日系人に対して、アメリカ合衆国政府が賠償を実行するまでに四〇年以上がかかりました。アフリカ系アメリカ人への平等が奴隷制廃止によって約束されたにもかかわらず、それが実際の法律に反映されるまでには、さらに一世紀を待たねばなりませんでした。人種差別の問題は今もアメリカ社会に深く巣くっています。米国、ヨーロッパ諸国、日本を含めた、十九・二〇世紀の帝国列強の中で、帝国にまつわる人種差別、植民地主義と戦争、そしてそれらが世界中の無数の市民に与えた苦しみに対して、十分に取り組んだといえる国は、まだどこにもありません。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「日本以外も問題は抱えている」とする一見は日本を慮った様なこの文章其の物に誤りはありません。しかし、欧米各国が歴史的に謝罪し易い人種差別問題に関する指摘はありますが「性差別・性暴力問題」を其の陰に隠し、韓国や欧米各国にも存在したはずの「売春婦」「慰安婦」という単語を意図的に使っておりません。彼等也の欧米先進国が過敏に反応する「性差別・性暴力の歴史」への配慮だと思われますが、その配慮が当然日本国にも払われるべきものであると彼等が気付いていれば声明文は違ったものになった事でしょう。あるいは朝鮮戦争やベトナム戦争における慰安婦問題に一言でも声明に触れてあればと考えますが、それを出来無かった理由への自問も彼等に要求したいと思います。「性差別・性暴力の歴史問題」は世界中の国家全てに共通する敏感な問題だという事です。日本国政府と日本国民の殆ど(全てでは無い様ですが)が先の大戦への反省の念を持っておりますし「慰安婦」そのものの存在も認め政府は謝罪も行っています。強制性を根拠としない人類普遍の「性差別・性暴力問題」への声明であるというのなら此の声明文自体に意味はありませんし、元々が歴史的に売春という行為は経済的・社会的な問題を契機とする直接的間接的な強制性をもっているもので此れは日本特有のものではありません。慰安婦問題として日韓二国間の懸案となっていた部分は「慰安婦の存在」そのものでは無かったハズなのですが、此の声明文も何時の間にか人類普遍の「性差別・性暴力罪」のど真ん中に日本だけ置いて非難を一身に受けさせる構図にしています。遅れてやって来たマヌケな最後の帝国主義国家はカラードだったから全て尻拭いさせてしまえという事なのでしょうか?私自身は韓国併合を「韓国の為だった」等という様な言説に組しませんし、先の大戦も「アジア侵略戦争」と「日米戦争」は分けて考えている立場です。しかし近年の韓国の反日プロパガンダ、とりわけ欧米各国へ向けた活動は明らかに節度を越えたものであり、日韓の歴史を知り、これまで嫌韓意識の無かった良識ある日本人の意識まで変えてしまいました。私は共産党系の産別組合で地域役員などしておりますが、組合員の中からも反韓的な発言を多く耳にする様になっております。結局、この親日学者の皆さんは声明文を通して日本に如何しろと言いたいのでしょうか?「偏見なき清算」とは村上春樹氏の言う様に、相手が「もういい」と言うまで謝り続けろという事なのでしょうか?
2015.05.11
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題名はAll is wellがインド訛りになっている様です。長女が借りて来たDVDで期待せずに観たのですが、観る者に元気を与える頗る面白い映画でした。検索してみたら5年も前の映画で、スピルバーグやブラッド・ピットも絶賛したハリウッドでも話題になったインド映画らしいですね。映画の舞台となるインド屈指の難関大学ICEは、米国MITを凌ぐと言われるインド工科大学(IIT)がモデルの様です。其処に新入生として入って来た天才主人公ランチョーと落ちこぼれのファルハーン、ラジューの凸凹3人組が繰り成す「青春・学園・サクセスストーリー」という感じですね。ブラジル人やイタリア人にサッカーがある様に、今やインド人に数学や工学がある観であり国も国民も挙って理系脳の育成に躍起ですが、学生の90人に1人が自殺するというインド教育界の競争原理の歪や、インド社会に根深く残る家父長制度や貧困問題をベースにアンチテーゼを盛り込みながらも決して暗くならずに観る者に希望を与える青春ドラマになっています。主人公である天才ランチョーが「マヌケの定義」を「せっかく工学を学んだのにMBAを獲って金融に行く奴」とする台詞があるのですが、大いに賛同したい気分にさせられましたね^^; インド映画には歌とダンスも付きものですが、それがストーリーを邪魔せずに映画に華やぎを加えて旨く収まっている様子には毎度の事ながら感心するばかりです。「涙あり笑いありのエンターテイメント」と言ってしまうと陳腐な観もありますが、映画はシンプルに楽しめるのが一番だなとインド映画を観る度に思います。シンプル故に此処であまり感想をストーリーで追ってしまうと直ぐにネタバレしてしまいそうで興味を削ぐ恐れがあります。中盤からの思わぬ展開から至る結末は最高に爽快であり「観て良かった思う事必至ですよ。」とまで書いて締めたいと思います。劇中で困難が立ちはだかる度にランチョーが呪文の様に繰り返す「All is well」「きっと うまくいく」は私もあやかりたいですね。人間逃れられない事態に遭遇したら不安や疑念は無駄な感情であり、そんなものは払拭してAll is wellを信じて行動する以外に道は無いと考えるのが合理的・・・なんですが、まぁ、「解っちゃいるけど止められない」という不合理性こそが人間其の物なんですけどね^^;.だからこそAll is wellと言い続ける事が必要なんだろうね。
2015.05.10
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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が思わしくない様です。前々回の「八重の桜」も「地味である」という何とも切ない理由で良い数字が取れなかったらしいのですが「花燃ゆ」も松陰・久坂の義兄弟ラインの地味さが災いしているのでしょう。幕末から維新の歴史上の人物の市井での人間像を作り上げているのは其の殆どが司馬遼太郎氏の歴史観によるものですが、司馬氏に限らず歴史家や市井の歴史マニアにとっても初期攘夷派の松陰や久坂という存在は関心の薄い、或いは反意さえ感じさせる存在の様です。今夜も放送がありますが、前回の放送など一見相反する思考がぶつかり合う、可なり深くて考えさせられる内容だったのですけどねぇ・・・幕府老中の間部詮勝の暗殺計画の露呈を機に師である松陰が獄に繋がれ、松下村塾を潰された塾生達が松陰の最大の理解者を自認する小田村伊之助に直談判するシーンがありました。小田村は松陰の影響によるファナティシズム(熱狂)に魘された塾生たちの浅慮を嗜めます。「この中の一人でも自分の頭で老中暗殺の是非を考えた者があるか?」「己の本心から動こうとするものがあるのか?」と。真に何かを守ろうとする者は血気に流行らず、周りを知り藩を知り発言力を増す事に尽力せよと諭します。理性的・知性的な意見であり、何となく今年の東大の卒業式で話題になった学長のスピーチと重なったのですが、一方ドラマの終盤では松陰に此の様な台詞も吐かせます。獄の松陰を見舞い「お前の死に場所はこんな場所では無い」と反省を促す小田村に対して「お前は僕を止める事しかしない」と断じます。「死ぬ覚悟はあるが、しかし無駄死にはしたくない。」「時は来るが、それは今では無い。」そういう事は全て嘘であり、立派な事を言いながら傍で見物するだけで何も事を成さぬ人間の言い訳に過ぎないと喝破します。「声を挙げぬ者に、声が届かぬ者の気持ちは解らない」「事を成さぬ者に、事を起こして失敗した者の気持ちは解らない」そして自分自身も結局は事を起こせぬ役立たずだと・・・実は小田村も松陰も双方どちらかが間違っている訳でも無い相反する意見であり、井伊直助の現実路線から複雑にうねりながら紆余曲折して明治維新に至る過程で無駄死にしたものなど居ないのですね。維新を観る事無く死んで行った志士を司馬遼太郎は花神と読んで悼んだのですが、其れには井伊直助だって水戸藩の過激浪士だって含まれるのです。小田村は維新後まで生きますが、松陰の存在が無ければ維新が成されたか解らない。歴史はワンシーンを切り取ると善玉と悪玉を設定しやすいですが、ある程度のスパンで考えると必然性が見えて来てそうした設定の無意味さを知る事になります。歴史的に影の薄い松陰や久坂という存在もそうして見ると、愛おしささえ感じられるのですね。自分の生きる現在も何れ過去となり歴史と成る事を考えると現在に悪とか不合理の役回りを演じている事象にも必然性が在り其処に真理が在る可能性さえあります。当然その逆もあるのですね。お茶の間でTVドラマ見ながらそんな事を考えられる日本の環境は可なり民度が高いと思いますよ。「花燃ゆ」もっと皆で観て盛り上げましょうよ^^
2015.04.19
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こんな記事を拾ってきました。「村上さんのところ」・・・小説は生産性が低いと貶されます村上作品は如何にも馴染めなくて小沢征爾氏との対談本しか完読していないのですが、この村上氏のご意見は支持したい。ここ二十年程の間、ほぼ実用書の類ばかり読んで来た私自身も「薄っぺら」な自分を実感しています。歳の所為もあるのでしょうが「心の動く幅と深さ」が小さくなった様な気がするんですよね。「元々が薄っぺらじゃねえか」と言われれば其れはあえて否定はいたしませんが^^;村上氏は否定しませんでしたが、小説を読む事が「生産性が低い行動」だと私は思いませんね。他者の人生を間接的に疑似体験出来る小説は「人間と社会を読み解く力」を養い、自分と社会の接点を再認識させてくれる様に思います。作者の意図する処まで俯瞰して読めれば完璧かもしれません。これはジャンルを問わずあらゆる分野の人間にとって効用であると考えます。それでという訳でもないのですが、アンチエイジングの意味合いも込めて今年は文学回帰をしようと思い立ちました。先ず好きだった作家の全集の読み返しを一本軸に置いておくのが良いかなと考え当初は三島由紀夫を読み尽くそうと考えていたのですが、ネット記事のお奨めで谷口ジロー氏の漫画「坊ちゃんの時代」を読んでまことに面白く、私の漱石熱が懐かしく思い出され・・・で決定っ^^電子書籍kobo「夏目漱石全集・122作品⇒一冊」250円250円て・・・良い時代になったものです。私が過去に読んだのは20作品に満たないと思いますので楽しみ。漱石に限らず、明治の文豪の作品は漢字や単語の意味で躓く事が多いのですが電子書籍ならそのままクリックしてネットで検索しながら読み進められるので便利です。これを軸に古今の作家の作品など織り交ぜながら今年はリハビリですね。出来れば村上春樹氏を一冊でも完読できれば・・・^^;
2015.03.06
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