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ようやくきょうから子どもたちも本当の冬休み入り。やっと、心置きなくいとこたちと遊べる(それでも、奥様に勉強といわれそうな気もするが)。 例年ならば、奥様の実家にでも行っているのだろうが、今年はいとこたちがあふれているので、行けそうもない。義父母は、さびしいお正月になりそう。奥様の妹も多分、実家には帰らないだろうし。こちらの両親は疲れ果てることになりそうだが。
2004.12.31
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子どもたちと合流する用事があったので、冬期講習のテスト中のN研へ。終わる5分ほど前に到着したが、開けられたドアから教室の中が見えた。子どもたちは、机に突っ伏せたり、天井を見上げていたり、あまりテストの緊張感はない。カリカリと鉛筆を動かしている子どもはほとんどいない。「えっ、こんなもんなの」 時間が終わり出てきた二人に聞くと、社会だったから早めに終わって、見直しもやったという。まあ、信じるとしても、親とすると「もう少ししっかり考えろよ。百点取れるわけじゃないだろ」と突っ込みたくなった。 でも、毎週のようにテスト、テストの連続では、そんなに緊張感を持って毎回臨むことはできんだろうなとも思う。自分だって、中学の時のテストなど、はやく終わってしまえば、同じような状態だったような気がする。 同時に、次期のクラス編成の紙も張り出された。「みい」はマスター残留。「くう」も受験2組残留。「みい」など、けっこう危ない成績を取っていたような気もしたが、塀際の魔術師とでも言うべきなのか。もしかしたら、「みい」を基準にクラス編成されていたりして。 「くう」は、この間のカリテでは、二科目でクラス1位を取っていたが、やっぱり算数がネック。まあ、下がることはないと思っていたが、上がるにはもう少し時間がかかるかな(時間ががかかって落ちたりして)。 あんまり頑張ったとは思えないが、クリスマスプレゼントも買っていなかったので、N研を出たその足で「人生ゲーム」を買ってやった。イトコたちと遊ぶのに、ちょうどいいかなと思って。 その後、イトコたちと合流。待望の回転寿司へ。どれだけ食べるかと思っていたが、熱望していたドイツ組は、あんまりナマ魚に慣れていないのか、思ったほど進まない。所詮は子どもたち。結局、ワタシと「みい」が結構食べたが、思いのほか安上がり。もしかしたら、貧しそうな格好をした叔父さんに遠慮したのかな。★奈良の事件 容疑者が逮捕され、胸をなでおろした人も多いでしょう。兄の所も、隣の学区とあって、毎日送り迎えをしていたと言っていた。それにしても、容疑者の職業、「ん~」と考えてしまった。同じ職種でいろいろな店を転々としていたようだ。たまたま毎日だったが、その前には朝日、読売、サンケイと全国紙を制覇していたんだから。真面目に働いている人たちには迷惑この上ないことだろうな。でも、いろいろと思われてしまうことも多いんだろうな。 そういえば、一日だけ新聞配達をしたことがある。あの自転車、重い新聞を載せてもひっくり返らないような丈夫なものなんだけど、重いんだよね。やったことのある人ならわかるかも知れないが。そういえば、同じ職場だった後輩で、奨学生として新聞配達をやって一橋を卒業したのがいた。関係はないが、日経の敏腕政治記者の田勢康弘氏も新聞少年だったと、どこかに書いていた記憶がある。
2004.12.30
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きのう、ドイツから姉とその子ども二人、大阪から兄とその子ども二人が、隣の両親の家に来た。ウチの「みい」「くう」とも、楽しみにしていたイトコたちの来襲。まあ、2家族とも、しばらくいるので、まだ遊べるが、双子はまだ冬期講習が終わっていない。本格的に遊びたいのに気の毒なこと。 それにしても、リーダー格の姉のところの姪、2年ぶりぐらいにみたが、15歳ともなるとえらく大人びて見える。さすがにもう「お姉さん」という感じ。それに比べると、ウチの連中は、まだほとんど赤ちゃんと言ったところか。 1日には遅れて兄のところの奥さんとそこの一番下の女の子(まだ2つ)が来る。それまで仕事があるとのこと。働くお母様はご苦労なことで(ワタシも31日深夜までだが)。少子化といっても、最終的には総勢14人も集まると、けっこう壮観。でも、これだけ集まれるのも、あと一体何回あることか。もしかしたら最後にもなりかねない。 ★甥が日本でしたかったこと、それは回転寿司に行くこと。カウンターでは嫌らしい。回らなければダメとのこと。まあ、たっての願いを聞いてやらねばと、もちろんうちの二人も。そして、なぜか兄のところも連れて行くことになる。いくら回るとはいっても、バカにならないだろうな。それに、わさびがだめとか、貝は食べられないなどといろいろと御託を並べるような連中を引率するのは大変そう。30日にワタシと奥様で、お子様6人を引率して回転寿司ツアーに行って来ます(その間、兄、姉はゴロゴロしていることになりそう。まあ、姪が保母役を務めてくれそうだが。 ★津波被害5万人とも7万人とも イラクでアメリカや武装勢力が一生懸命に殺しあっても、一つの地震でそれをはるかに上回る人間が死んでいく。なんと言うべきか。
2004.12.29
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子どものころ、同じクラスのこどもでも、勉強ができない子どもはいっぱいいた。算数などでも、苦手な級友に教える役目をやらされたことも多かった(子ども同士の教えあいって、教わる方のプライドを傷つけることはないのだろうか)。 でも、こちらとしては「なんでこれが理解できないのか」と、まったく理解できないことも多かった。 近年になって、学習障害など、脳のなんらかの都合で漢字だけができない、計算が苦手、あるいは落ち着きがない、多動など、努力ではなかなか解決できないような障害が(ほかの面では問題がないので、本人の怠けなどと誤解されやすいというが)あるとのことになっているようだ。そういえば、「のびた、ジャイアン症候群」なんて名前をつけた本もあった。 まあ、とりあえず、科学的になに名前でもつけてもらうと、安心するようなところも人間にはあるようで。もっとも、症状によっては、つけるクスリというのもあるらしい。 自分の子どもが、特定の教科を苦手にしているのを見ると、もしかしたら、こういった症状の名前でもつけられるのだろうかなどとも思ってしまう(もちろん、症状といっても、かなり程度の違いはあるのだろうが)。別に名前をつけることが重要というよりも、「なんでこれがわからないのか」と、「親がカリカリしなくて済むのでは」などともふと思う。本人も「努力不足だ」などと思われても気の毒だし。あるいは、そうならそうで、それにあった教え方でもあるのではなどと思ってしまう。 もちろん、なんでもレッテルを貼ることができれば安心するというのは、これまた危ない気もするが。 ★学習障害などの概念について、いまひとつ理解できないことが多いので、ちょっと乱暴な書き方になってしまったような・・・。詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授ください。
2004.12.28
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今年最後のカリテも終わり、きょう結果が出ていた。まあ、二人とも、悪くはないかな。冬期講習から帰って来たときも、ニコニコして、結果を言っていたから。心配な「くう」も、算数は相変わらずだが、受験組みの中で、二科目で名前が出ていたと喜んでいた。「みい」も久々にクラスでベスト10入り。一喜一憂するなというが、「喜」の方ならば、子どもたちも意欲がでようというもの。もちろん、相変わらず自ら進んで復習などするわけもないが。 あすから、隣の両親の家に、いとこたちがやってくるので、そんな中、自分たちだけが冬期講習というのも気の毒だが、まあ、がんばってください。 津波被害の情報を聞いていると、あらためて、世界中どこへでも日本人が出かけていることに気づかされる。娘たちの塾仲間でも、どこか、リゾートへ行ったとかいう話を聞いたが、この地域だったかどうか。 不謹慎といわれればその通りだが、こういった災害のニュースなどを聞くと、妙な高揚感がある。テレビを見ていると、被災地から帰って来た人たちの体験談も、「すごいものを見てきた」という、躁状態とでも言えるような話方をする人が多い。いいとか悪いとかではなく、人間ってそういうものなのかも知れない。自分が生きていることを確認しているのかも。
2004.12.27
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子どもたちが、算数で集合を習っていた。今を去ること三十ん年前、日本の小学校の教育に集合の概念が導入されてとき、賛否両論が沸きあがったとの話を、当時聞いたことがある。算数とは「読み書きそろばん」と思い込んでいた大人が多く、「こんなのは算数じゃない」「こんな難しいことを子どもに教えなくても」と言ったもののようだ。 でも、習った小学生の側からすると、けっこう面白かった。読み書きそろばん以上に、集合的な概念は実生活で必要になることが多いとも言える。 大人が教育について語るとき、気をつけなければいけないのは、自分たちが受けた教育のみを基準に判断すること。時代が変わっても、それは気をつける必要がありそうだ。 国語はけっこう得意だが、算数の苦手な「くう」などには、「集合」など、気分転換にもなっている。 ★スマトラ沖地震の津波被害は、ものすごい規模になっているようだ。 どうも、日本の報道では(いや、どこの国も同じかも知れないが)、日本人が被害にあわないと、瞬く間に扱いが小さくなる。日本人を特別扱いするのは、それなりに理由はあると思うが、アメリカの災害で10人死ねば、それなりに大扱いに。しかし、それと同じ扱いを期待するためには、韓国、あたりで、20人、中国で100人、バングラデシュ、エチオピアで1万人死ぬ規模でないと。 これが、テレビになると、「絵」になるか、ならないかという判断が加わるため、映像の量が豊富なアメリカと、その他の国の扱いはさらに差別的になる。 悲しいことだけど。
2004.12.26
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子どもたちが、クリスマスプレゼントをくれた。生まれた星座のキーホルダーみたいなもの。子どもたちからもらったのは、初めて。 アッ、子どもになにもあげていない。人非人と言われそう。でも、靴下をぶら下げてくれないんだもん(言い訳にならんかな)。
2004.12.25
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パソコンを導入して、ほぼ1年。その収支決算は? 電車の時間調べ、旅行にあたっての資料収集、暇つぶしなどのプラス面は、ある。 しかし、ヒマつぶしということは、それだけ貴重な時間がうすなわれるということ。子どもがゲームに費やす時間もけっこうある。結局、ほとんどプラスマイナスゼロか。しかも、初期投資に加え、ランニングコストもそれなりにかかっている。 くわえて、もっと広く活用できるのに、腕を磨こうとせずに、未だにインターネットを使うのにとどまっている。所詮は、努力不足の、つまり、自分の使い方の問題だ。 ★ついでに きのうは、子どもと一緒にTVチャンピオンを見てしまった。新聞好きの小学生による、今年の重大ニュース。 断片的な知識なら、ウチの「みい」あたりも結構あるが、彼らはいちいちその事件の背景まで説明してくれる。テレビをちょっと聞きかじっているのとは、やっぱり情報量が違う。「ニート」なんて、自分でも意味は知っているが、それが英語の何の略称か、すっかり忘れていた。 出場者の中には、漢字王や地理通などにも出ていたのがいると、「みい」が言っていたが、確かに、それだけ新聞を読みこなすには、地理も漢字も知らなければならないだろう。 ワタシも、小学生時代、家で朝日、読売、毎日の三紙を取っていたので、朝飯を新聞を読みながら食べるなど、お下品ながら、結構新聞は読んでいた気がするが。
2004.12.24
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子どもたちは、もう冬休み。もっとも、新学期も6日ごろからと、早いから、しょうがないか。たしかに、23日が休みになってしまったから、24日だけ出るわけにも行かないだろうし。 休みといっても、冬季講習があり、それほど休んでいるわけにも行かないだろうし。 まあ、今年はいとこたちが来るので、講習が終わったら、好きなだけ遊ばせてやらなければ。
2004.12.23
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娘たちが通う小学校、今、4年生は2クラス。N研に通うのは、うちの2人を含めて3人だけ。塾に行っているこどもの話はけっこう聞くが、いわゆる受験型の塾に行っている人の話は聞かない(通信教育の話は聞いた気もするが)。それでも、今年卒業した生徒あたりで見ると、けっこう受験しているのはいるみたいだ。でも、それほど戦果を挙げているような話も聞かない。 皆さんが秘密にしているのか、ほとんどオープンにしてしまっているウチがアホなのか。秘密っていっても、別にみんなが同じところを受けるわけではないだろうし、同じところといっても、一対一で勝ち負けを競うわけでもないのに。 まったく興味がないわけではないようですが。 ★先日、朝日の投書に「子どもの安全のため、送迎しよう」という趣旨の投書があったが、「外国では子どもだけで小学生が帰っている所はない」ということが書いてあった。 えっ、外国ってどこのこと?。中国でも?、マルタでも?メキシコでも?、イラクでも?、ブルキナファソでも?。このヒトが言っている外国とは、多分アメリカなんだろうけど、なんで国の名前をださないんだろう。世界の200以上もある国(と地域)で、それぞれ事情は違うだろうに。もちろん、たとえアメリカでも地域によって事情は異なると思う。投書を掲載する方も、どこの国ですかとでも、確認すればいいのに。 そんなことを書いておきながら、姉の話だけから「ドイツでは」などと書いている自分に気づかされてしまいます。スミマセン。
2004.12.22
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ここのところ、子どもたちが風邪気味と思っていたら、どうやら自分にうつった様子。きのうの夜にかなり具合が悪くなりかけだったので、「翌日はかなり悪化して、会社を休めるのではないか」と期待して(アンタは小学生か)いたのに、一晩寝るとだいぶ回復。「これじゃ後ろめたくて、とても休む気にはなれない」と、しぶしぶ出勤。それでも、仕事をしていると、やはり体調は良くない(単なる怠け病か)。 それにしても、ウチのお子様。「みい」は幼稚園の年中に一日休んだだけ。「くう」にしても、3年、4年と今のところ一日も休んでいない。自分のことを考えても、「病気」を理由に会社を休んだ記憶がない。そういえば、昔は39度5分あって、出張して徹夜で仕事したこともあったような。若かったのか。 今なら、「やった」といわんばかりに「死にそうだ」と会社に電話をかけて三日ぐらい休んでしまうのに。
2004.12.21
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たまたま、図書館で借りてきた「信長と十字架~「天下布武」の真実を追う」という本。著者は立花京子氏。知り合いでもなんでもないが、裏表紙の経歴をみて感心した。1932年生まれで、東京教育大(現筑波大)の修士をでているが、専攻は数学。その後はわからないが、朝日カルチャーセンターの古文書講座を9年間受講、その間、一橋大、神奈川大のゼミに参加しながら独学で戦国史を研究。1991年、「信長への三職推任について」で信長研究のパラダイムを一変させる。2002年、博士号取得。 実は、立花京子氏の名前は、これまでにけっこう目にしていた。足利義満の王権簒奪で知られる今谷明氏の本でも、「信長が天皇家を滅ぼす意図を持っていた」いう説を唱えている立花氏」などという感じで、取り上げるなど(今谷氏は、それを否定し、信長は結局天皇に屈服したとの立場を取っている)けっこう、信長関係の本の中では、取り上げられていた。「パラダイムを一変させた」かどうかは、それぞれの立場によって異なるとは思うが、とにかく、非常に注目されていることは確かなようだ。 大学教授ではなく、どこかで「主婦」(はっきりしませんが)というようなことを読んだ気もしていたが、カルチャーセンター出身だったのか。 「主婦の暇つぶし」的な視点で語られることの多いカルチャーセンターだが、考えてみれば芥川賞作家も何人かセンター育ちの人がいるはず。この立花氏も、実はまだせいぜい40代かと思っていたが、すでに72歳。「~三職推任について」にしても、書いたのが91年だから、60歳の時。失礼だが、「いい年」(いろいろ検索していたら、54歳の時らしい)になってからカルチャーセンター通いをして、これだけの研究をするのだから恐れ入る。 54歳といえば、伊能忠敬が、隠居して、天文学を始めたのはこのくらいの年ではなかったかな。若いころ数学を専攻して、その後どういう経路をたどったのか存じ上げませんが、人間たかだか40を過ぎたぐらいではまだまだ可能性があるもんだ(あくまでも可能性だけど)。カルチャーセンターでも通おうかしら。
2004.12.18
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あかちゃんの名前のベスト10なんてものが発表されていました。数年前に某地方紙のコラムを読んでいたら、東大の学生の名簿と某短大(そのコラムには実名で書いてあった)の女子学生の名簿を比べると、東大の方がはるかに「子」のつく名前が多かったと。その傾向は何年も続いているとのこと。まあ、暴走族の名前のような、当て字の羅列のような名前を見ると、思わず噴き出してしまいたくなるようなものもありますが。 ワタシの子ども時代は、「子」のつく名前が圧倒的に多かったような気がする。でも、その十年後ぐらいには、非「子」の勢力が逆転したような。奥様によれば、「子」がつくかどうかも、年齢を知る上の目安になるとか。 たしかに、やんごとない家庭では、あまり流行にとらわれずに、古風なネーミングを考えるのかもしれない。 ちなみにウチは、二人とも「子」は付きません(暴走族風ではなく、二人ともひらがなですが)。「二人組み合わせると、笑いを取れるもの」というようなものです。そういえば、親戚の夫婦そろって東大というイトコの子どもは、「子」が付いていたな。ネーミングからして破れたり。 それにしても、そのコラム、陰険といえば陰険ですね。 ★それにしても、この冬は暖かいのか。紅梅も早かったような気がするが、イチゴも花が咲き始めている(途中で、寒さにやられそうだが) ★十日ほど前に「くう」に買ってやったオランダシシガシラ。一時は下の方に着底して、ほとんど動かず、「こりゃすぐに死ぬかな」と思っていたが、徐々に元気を回復。相変わらず泳ぎは下手だが。
2004.12.17
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子どもの塾のテキストの国語の問題を読んでいて、疑問が。「ヤマメ」を主人公にして、人間と自然のかかわりを描いた話だが、「人間もヤマメの役に立っていることがある」との一節。 「もし、山に大木が生い茂ってしまうと、どうなるかな」と、ヤマメの仙人は言ってね、こんな説明をしてくれたんだ。「地面に日がささなくなるだろう。そうすると、日陰で芽を出す木が生えてくる。わかるかな。針葉樹(マツ、スギ、ヒノキなどの種類)が生えるのだよ。針葉樹はどんどん上に伸びていくからそのうち前に生えていた広葉樹の上に出て、広葉樹に日があたらなくなってしまう」 と、言った内容。 ん?、マツって代表的な陽樹じゃなかったけ。やせた土地でも生えるけど、だんだんと土地が肥えてくると、他の樹木に負けてしまう。それに、植物の遷移では、日本における極相林は、ブナ、カシなどの広葉樹林ではなかったか(もちろん、地域、地形などによって差異はあるだろうが)。 国語の問題文の中には、ちょっと、国語としてはともかく、他の分野から見ると、ん?という文章を時々見かけることがある。 良く知られるのは、ワタシたちの世代の教科書に載っていた「最後の授業」。教わったときには感動もし、名作だと思ったが、トンデモ本の一種だったことがわかり、最近では教科書には載らなくなったようだ。 もっとも、長野オリンピックにおける自然破壊問題の議論の中で、ある信大教授が、「イヌワシ保護というが、ゴルフ場などがあったほうが、イヌワシは生活しやすい」と発言し、顰蹙を買ったことがあった。 でも、単に、イヌワシだけを考えると、見渡しの聞く草原的な環境(ゴルフ場)があったほうが、餌となるウサギなどを捕りやすいのは事実名ようだ(もちろん、生態系全体のことを考えると、別だが)。ヤマメと人間のかかわりの中で、人間の手が介入した方が、ヤマメにとってプラスになることはあるのかもしれないが。 話は飛ぶけど、昔インドネシアで見た、熱帯雨林の巨木というのはすごい。とにかく「日照権?」を得るために、他の高木が倒れた隙に、何がなんでもという勢いでひょろひょろとでも成長し、他の樹種よりいち早く、日照権を獲得する。また、やせて薄いラテライト土壌に対応するために、巨大な板根で体を支える。子どもにも見せてやりたい。理解できるかどうかわからないが。
2004.12.16
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昨日は、N研の冬季講習説明会。例によって、ヒマなワタシも参加。けっこう、男性の姿も。孫のためなのか、高齢者もいるのには驚いた。 国語は、「ひたすら漢字を書かせるような家庭学習は慎みましょう」「本をよみましょう」など。算数は、四則演算や逆算など、「どこからやるか、ナンバーをつけるなどの工夫をすること」「鶴亀算などは、面積に置き換えて考えることができる」といったテクニック的なこと(これは、親が教えてもらうことなのか)。 社会では、旅行に行くなどして、実際にその土地を経験することの大切さ(そんなに行っていられないけど)、理科でも、博物館、科学館などでの体験の重要さなども指摘していた。 当然といえば、当然なのだが、学校などでも、博物館などの利用についてのアドバイスが親などにあってもいいのではと思った(それぞれの家庭環境を考えると、休みの日に親が子どもをどこかに連れて行ってくれなどとは言いがたいのかもしれないが)。 ちなみに講習中は、昼もまたぐため、基本的には弁当持参だが、近くのマクドナルドに、登塾前に予約すると、昼飯時にお届けサービスがあるとか(絶対に食わせたくないが、子どもは喜ぶだろうな)。さらに、一度塾に入ると、休み時間でも外に出すわけにはいかないので、コンビニでおにぎりを買いたいようなときには、「職員が代わりに買ってきます」と。そこまでサービスしなくてもいいのでは。
2004.12.15
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双子座流星群を見ようと、午前2時に起き、子どもたちも起こして、寒い中、窓を開けて外を見ていたが、全然見えない。「くう」は、「1個見えた」と言っていたが、ワタシと「みい」は見えずじまい。オリオン座は見えたので、方向としては、そんなにずれていないのだろうけど、やっぱり外が明るい。快晴というほどは晴れていなかったせいもあるのだろうが。 数年前に甲府でみた、獅子座流星群はすごかった。あのときも子どもも叩き起こして見たが。これが、西表やエアーズロックあたりで見たら、すごかったんだろうけど。 まあ、子どもがこういうものに興味を持ってくれるだけでもよしとしなければ。
2004.12.14
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教育問題は、だれでもが、経験していることだけに、きわめて参加しやすい論争だろう。自分の経験だけでなく、自分の子どももかかわるため、時代による比較もしやすい。大きな関心を呼ぶだけに、報道なども他の問題よりも扱いが大きくなることは確かだ。 でも、それだけに、それぞれの経験だけによって語られることも多く、その問題の実像が明らかになることも少ないように思える。 学力低下、教師の質、公立校の教育能力の低下など、問題はさまざまだが、「●●が悪い」と、その責任を押し付けあっているようにも思える。 学力低下は事実あるとは思う(何が学力か、という問題になると、複雑になるが)。では、学力が高かったのはいったいいつのことなのか。国際的な「順位」は、あくまでも相対的なもの。他の国が努力をすれば、順位は下がる。「外国では」と言っても、少なくとも日本より上位に来るのは、比較的小国が多い(韓国など、人口などを考えると、小国とは言いがたいが)。少なくとも、サミット参加国の中では、まだ日本がトップであろう。フィンランドなど小回りが効く小国と、日本のような図体のデカイ国は、問題への対処方法も、異なるところがあるように思える。 では、昔の教育を受けた世代の学力は、どこまでホンモノか。半年ぐらい前に新聞に出ていた調査結果だと、子どもの学力がまだ上位をキープしているのに比べ、成人の科学的知識を調査したところ、日本は非常に低かったという。受験勉強で得た知識は、すぐに忘れるということなのか、それとも、日本の教育が「真の知的好奇心」を育てないものなのか。はたまた、調査自体がいい加減なものなのか。もし、すぐに忘れるような知識なら、子どものころに高かったといっても自慢にもならないだろう。謙虚なのかどうか知らないが、保護者会などで4年生ぐらいになって、「自分の子どもの勉強を難しくて見てやることが出来ない」と、言った声も聞く。多分みんな高校までは出ていると思うが、今の親世代の教育もたいしたことがなかったということか。 先生の質はどうか。淫行を初始め、先生の非行が大きな話題となるが、昔の先生はそんなに質が高かったのか。 そもそも、先生の非行(公務員全体でもあうが)が明らかになるようになったのは、情報公開制度によるところが大きい。始めは、その切れ味がわからなかった制度だが、90年代に市民オンブズマンが食糧費問題でその効用を証明し、それ以降、マスコミが使い方を覚えたために、急に実像が明らかになったともいえるのではないだろうか。 以前、問題教師の多くは養護学校などに回されていた(今でもそうかも知れないが)。比較的被害者が声を立てにくい場所に配置することで、その問題が明らかにならなかったとも考えられる。 昭和30年代には「デモシカ」教師という言葉があった。「先生にでもなるか」「先生にしかなれない」という意味のようだ。そのころが、そんなによかったのか。今の30代以下の先生は、かなり採用試験が難しくなってからの先生だと思うが。 自分の、あるいは兄弟の教わった先生を考えても、いい先生もいたが、どうしようもないのもいた。親の前で「弟は優秀なのに、兄は・・・」などと、兄弟の比較をするのもいた(ウチの兄が被害者)。「目つきが気に入らない」などと、殴るのもいた。中学受験をする児童に「そんなことをする必要はない」などと、内申書を書くのを拒否するのもいた(この先生、ワタシはけっこう好きだったが、後になってから、ウチの母親がその問題点を指摘していた)。ある会社の社宅の子どもたちのことを「あそこは出来が悪いのが多い」などと生徒のワタシに漏らす先生もいた(この先生も比較的好きだったが、その発言の問題性に気づいたのは後々のこと)。 給食を食べられないからといって、放課後までそのお膳ごと残された子どももいる(ウチの姉)。 戦後教育が悪いというなら、戦前の教育はどうか。教条的な言い方をすれば、「お国のために死ね」といった教師が、そのまま、戦後、職を辞することもせずに、教科書に墨を塗らせたのが戦前の教師。母親によれば、そもそも、旧制の中学、実業学校を出ただけで代用教員になったものも多く「円の角度は360度」だという生徒に「円に角度なんてない」などと算数を教えるような低学力の先生もいたという。 母親の話によると、30年以上前の学校で、校長が「●●大(地元の国立の教育学部のある大学)出の教師など、生意気で使いにくいが、××短大の先生なら。言われたことをそのまま聞くから採用したい」などと発言したという。まあ、その当時の先生が今、50代ぐらいに滞留しているから、今の教育が悪いのかもしれないが。 もちろん、今の教育界に相当な問題があることは確かだと思うが、単純に「昔は良かった」的な発想だと、何にも問題は解決しないような気がする。 私立中高にも、けっこう表に出ない問題がいろいろとあるのではないだろうか(なんせ、情報公開制度なんてないんだから)。
2004.12.13
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学校で子どもたちが百ます計算をやっているようだ。保護者会などで、熱心なお母さんなどから、百ます計算をやってくださいなどという声があったからなのか。それとも流行だからなのか。決して悪いとは思わないが。 ただ、ある程度学年が進んでくると、3年生ぐらいまでならいいが、子どももあきてこないのだろうか。これが勉強と思われても困るような気がする。百ますでなくても、普通の二桁かける三桁の計算などの方が実践的な気もするが。 ついでに、美大での奥様からの苦情。なぜ、最近の学校の図工の時間で、写生などをしないのか。確かに、昔に比べると、工作のようなものが多く、また絵にしても抽象画とまでは言わないが、写生、静物などではなく、想像的なものなどが多い。絵画の基本として、モノを見て描くという行為がなおざりになっているのではとのご意見。ごもっとも。ワタシも、絵は下手だったが、写生など、けっこう好きだったような気がする。
2004.12.10
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知らないうちに紅梅が咲いていた。これから冬なんだけど、春も始まっていた。 ★読売の人気コーナー人生相談。「初孫に義父母がなんにも買ってくれない」。世の中には、いろんなことで悩んでいる人がいるもんだと、笑ってしまった。 ★朝日の家庭欄(だったかな)。引きこもりだか、ニートの娘に、老後のたくわえまで注ぎ込んでしまう老父母。子育ての失敗なのか、時代なのか。昔だったら、バカと一言で終わってしまったが、なんとなく、その父母の気持ちもわかるような気がする。別に推奨するわけじゃないけど。 ★東大合格者の地方公立高校の巻き返し(時事通信)。親の世帯収入も減ったとか。だれか、もっと詳しい報道でもするのかな。地方の公立なら、首都圏の公立はどうなのか。でも、あんまり東大合格者だけでしかモノを語れないのもさびしいが。 ★社説 つい最近まで、毎日がやっていた社説が面白かった。イラク問題について、それぞれの論説委員(だったと思う)が、自分の意見を主張していた。かなり違う意見もあったが、なんでもかんでも一枚岩というのは、うさんくさい。それを怪しまない人もいるが。
2004.12.09
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12月8日だから12月8日。「本日未明西太平洋上ニ於イテ帝国陸海軍部隊ハ・・・」だったかな。63年も前の話。今、子どもが10歳。ワタシが10歳の時点で63年前というと、1913年。なんと、第一次世界大戦の前年じゃないの。今の子どもにとって、太平洋戦争とは、ワタシにとっての第一次世界大戦の感覚か。ウチの親からみれば、10歳の時の63年前とは。西南戦争ときたもんだ。 ちなみに、ワタシの曽祖父は、西南戦争に参加しているらしい。15歳ぐらいの時に、賊軍として。 ★本田靖春氏死去。新聞によって扱いが異なる。読売新聞、べた、朝日新聞3段(見出しの話)。そういえば、黒田清氏のときも、同様、いや、朝日は4段だったかな。自分のところのOBは、謙虚に扱うということか。 ★続学力調査 子どもに、OECDの学力調査の問題をやらせてみた。やっぱりできない。見ただけで、拒否反応。できなくてもいいけど、拒否反応示さないでよ。 ★
2004.12.08
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公開模試の結果判明。二人の偏差値の差は、20以上。もちろん、先月から始めたばかりでは、習っていないところが大量にでる公開模試では、あまり点がとれないのはしょうがないから、とやかく言ってもしょうがないが。 二人が、偏差値なんてものの意味も、平均の意味もあまり理解していないのだけが救いといえば救いか。 もちろん、年の離れた兄弟でも、これだけ離れていれば、それなりに感じるところはあるんだろうが。(そういえば、ワタシとワタシの兄、中学2年のころの業者テストの偏差値を比べれば、15以上、差があった。だけど、その後の人生で、いつの間にか逆転していた。もちろん、逆転されたのはワタシですが。 まあ、長い人生、いろいろあるでしょう。
2004.12.07
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先日、仕事でチョンボ。顛末書を書きに、休日出勤した。帰って来ると、娘が「おとーさん、また失敗したの?。お給料なくなっちゃうんじゃないの」と、キツイ一言。「なくなっちゃうから、小遣いなしね」と返してやったが、「このクソガキめ」。 しかし、きっちり確認作業をしなかったがためのミス。子どもの計算ミスぐらいで、文句を言ってはいけませんと痛感いたしました。
2004.12.06
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子どものマラソン大会のごほうびに、金魚をかってやることに。いまでも5匹いるが、いずれも金魚すくいで生き残った、たくましいことはたくましいが、若干、情緒にかけるもの。「くう」が選んだのは、オランダシシガシラ。頭の上におできみたいなのがついていて、あと、ひれは必要以上にヒラヒラ。 買って来たのはいいが、たくましい和金に比べると、どうも競争には勝てそうにない。しょうがないので、ヒメダカの水槽に(こんな組み合わせでいいかどうか、よくわからないが)。 まあ、それなりにかわいいし、ヒレもひらひらしているんだけど、いかにも鈍くさそう。和金など、体をくねらせ、尾びれで泳ぐのに、コイツは胸びれをひょろひょろ動かすしか推進力がないみたい。尾びれは、あまりにもひらひらして、ほとんど役にたっていないようす。こんなの、野生でいたら、まず生き残れないだろうな。 でも、人間が交配したものとは言っても、これも一つの進化みたいなものなのだろう。人間に一種の寄生することで、数を増やすんだから。ホルスタインなんかも、地球上に、本来牛としていられる数よりも、はるかにたくさん生息しているのは、人間の手を借りたとはいえ、大量の乳を出す能力を獲得したために、その数を増やしたのだから。 いくら人間に食われようとも、大量の遺伝子を残すことには成功したわけだ。なるほど、女三十代子どもなしは、生物学的に言えば、確かに負け犬ということか。
2004.12.05
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7日の分を、あいているところに書いています。 先進国の学力比較調査(OECDの15歳対象、41カ国で実施)の結果が発表されていたが、また、これも議論を呼ぶことでしょう。フィンランドが強いこと。むかし、中曽根だったかが、「日本は、フィンランドのような、ソ連のお情けで生きる国になってはならない」と、言うような、歴史、地理的な状況を把握しない発言(暴言か)をして、フィンランド化などという言葉が、言われた時代もありましたが、隔世の感。 「フィンランド様には及びもせぬが、せめてなりたや韓国、シンガポール」とでも言ったところでしょうか。 でも、なんやかんや言っても、まだ結構いいとも言える。数学的応用力や、科学的なものなど、思っていたより、日本が高かったんだななどと思ってしまった(もっと、危機感を持たねばならんのでしょうが)。 そういえば、読売新聞の夕刊に載っていた数学?の問題。小学校4年の算数で、同じような問題が出ていた。算数を鍛えるだけで、この15歳対象の問題も、かなりの部分クリヤできるということなんでしょうか。やったはずなんだけど、ウチの娘、出来るかな?。 朝日の夕刊を見たら、もっと詳しい問題が出ていた。問題自体は難しくない。いわゆる知識がなくても解ける。15歳対象だが、進学系学習塾に通う子どもなら、だいたい解けるだろう。それぞれの正答率がわからないが、確かに、慶応の戸瀬教授のコメントのように、単純なグラフの数字を読めないのは、衝撃でしょうな。 ただし、このテスト、2000年に第一回が行われ、今回が昨年行われた2回目。こらが、学習指導要領改定などとどれだけ関係があるのか、あるいは、数十年前の学力との関係を計る物差しになるのか、その辺は考えなければならない気がする。
2004.12.04
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別に、ジーコがボールにつばを吐いたわけじゃなく、本当は事件でもなんでもないんだけど。 先日、最寄り駅のホームで、二十歳前ぐらいの女の子か。ジーパンで駅のホームにべったりと座っていた。ほ~っと見ていると、いきなり、ホームに「ペッ」とつばを吐いた。つばを吐くのがいいとか、悪いとか言うんじゃないけど(決して良くはないが)、自分も、つばを吐く、他人もつばを吐くような場所に、よく平気で座っていられるものだと。 もっとも、冷静に考えれば、つばなんて衛生的にみれば、それほど汚いわけではない。それをなめるわけでもないんだから。乾燥してしまえば、それまで。彼女も、他人が吐いたばかりのつばの上に座ることはないだろう。 科学的にみれば、彼女の行動は、それほどヘンなこととは思えない。しかし、自分の娘がやったら、絶対に眉をひそめる(顰める前に、一喝するか)。 衛生観念なんて、所詮は気分の問題であるところが非常に大きいんだろうけど。 どちらにしても、考えさせられたというか、興味深かったというか。
2004.12.01
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