2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全81件 (81件中 1-50件目)
そら、まだあまりカゴがすきそうでないので、プラケースが家になっている。そんなわけで、エサもしょっちゅうケースから出して与えている次第。そして、水の入れ物も中に入れてないのだが、スプーンを使って飲ませている。 最近、大き目のコップに水を入れて、スプーンで飲ませていたら、コップにアタマを突っ込んで、自分で飲みたがる。好きにさせていると、アタマごと、水に突っ込んで、ばしゃばしゃとやり始める。よほど気に入ったのか、何回も繰り返し、そのたびにアタマをふるわせるので、あたり一面、水しぶき。「この寒いのに、カゼひくぞ」と、言っても本人はまったく気にする様子なし(気にしたら、コワイ)。別に屋外で飼っているわけでもないので、いいか。 本には、あまり水浴びなんてしないと書いてあったけど。まあ、いろんな趣味のボタンインコがいるのかも知れない。
2006.01.31
コメント(0)
日露戦争が終結し、ポーツマス条約が結ばれる。しかし、大勝利と信じていた国民、そして新聞は「屈辱的内容」と怒り、日比谷焼き討ち事件などが発生した。 そのあたりの動きを描いたもの。著者によれば、これらの動きを陰で演出したのは、首相の桂太郎だったとする見解。ガス抜きの意味もこめて、黒龍会などの右翼(正確にいうと、現代的な意味の右翼とは違うのだが・・・)を巧みにあやつり、暴動を起こさせたとする。そして、その後は反政府的な新聞を弾圧する・・・。そういう見方もわかる気はするが、そんなに、何もかも、桂が操ったとみてもいいものやら。 そして、その後、軍隊の凱旋、同盟国イギリス艦隊の訪問などのイベントを企て、一気に国民の不満をどこかに雲散霧消させてしまったという。そのあたりなら、そう、桂の政治的なテクニックが優れていたであろうとは思う。なんせ、日本の歴代首相の中で、一番長くその座にあったのが桂なのだから。 でも、内地で「勝った、勝った」と興奮しているころ、満州の兵士たちの中には、あまり勝利の実感はわいてなかったとのこと。それだけ、砲弾は撃ち尽くし、補給も細るような状態だったということだろう。彼らは、講和に反対する国民の様子を聞き、反対しているような連中を連れてきて、戦わせればいいと思っていたという。ある意味で、厭戦気分も広がっていたのだろう。 それにしても、よくこの講和反対の国民の動きを、愚かな大衆として、逆に小村外相らを冷静で道を誤らなかった政治家として賞賛する向きがある。しかし、大衆を動員するために真実を隠していたツケが回っただけではないか。いつまでもだましおおせると思うのが間違いなのだろう。 そして、その後の満州開発に対する小村の姿勢を見ていると、見事なまでに帝国主義者であったわけだ。当時としては、それが「悪」でもなんでもなかったかも知れないが、彼らの引いた路線が、その40年後の破局につながるわけだから。なんか、本の内容とはだいぶ離れてしまったが。
2006.01.31
コメント(0)
きょうで、一月も終わってしまうので、一回ぐらいは練習をしておこうと、やっと重い腰を上げた。 1周520メートルのコースを10周。痛みが出てきたら、そこでやめようと思ったが、幸いにも痛みは出ず。おっかなびっくり走ったせいか、タイムは28分ちょうど。あと、3分は速く走りたいものだが。 確かに、ひざに痛みはでなかったが、「違和感」があるのは事実。しばらくは、一回に走る距離は今回ぐらいに抑えておくことにする。 これで、1月の月間走行距離は15キロ(レースも含めて)。12月の十分の一よりは走ったけど。ちょっと、休みすぎたかな・・・。
2006.01.31
コメント(4)
会社に行く途中の電車の中で。それほど混んではいないが、それなりに立っている人がいる車内。ボックス席をバーサン(60代後半か)3人組が占拠。そして、独り分の座席の上には、例によって荷物を座らせている。 ホントに、立っている人がいるのに、まったくそれを網棚の上にのせるなり、自分のひざの上に乗せようという考えがないんだから。いったい、今まで何を考えて生きてきたのやら。 近頃の年寄りは、まったく・・・・。その荷物をどかして、網棚の上にでも放り投げてやろうかと思ったけど。 ホントに、近頃の中年のオッサンは怒りっぽくなってるんだから。マッタク。
2006.01.30
コメント(2)
ワタシも祖母(母方)は、教育バーサンだったようだ。戦争中、中学生(旧制)が、勤労動員なんかでほとんど勉強ができない時代、これではダメだと、数学の家庭教師をつけていたらしい。それもかなり高額な報酬を払って。 それも、単に受験だなんだという理由ではなく「人間、学問がなければならない」との信念があったようだ。まあ、当時としては恵まれた階層だったからこそできたことなんだろうけど。 やはりその伯父も、父と同じ兵学校に進んだが、その中でも数学ができると一目置かれたらしい。そりゃ、そんな時代にそこまでする親の子供だからな・・・。その後、研究の道を進み、日本で初めて人造○○を作ったとかいうのだから、まあ、学問は大事なんでしょうな。 でも、祖母はやはり明治の女でしかも男尊女卑の鹿児島出身。「男子には教育を」と、思ったらしいが、女子(つまりワタシの母)には、そんなことはほとんど考えなかったようだ。そのせいか、今でも、「少しは娘の教育を考えればよかったのに」との思いは母にはあるようだ。 まあ、祖母(本人が刻苦勉励型で、高等師範にまで進んだ)にしても、やはり学校不信があったようだ。今の教師がいろいろと言われているが、聞くところによると、当時の教師の学力の低さは今の比ではなかったところも結構あるようだ。ただし、権威だけは高かった。それがいいのか、悪いのかは知らないが。 ちなみに母によれば、自分の父親(ワタシの祖父)は、非努力型だったとのこと。母は自分はそのDNAを受け継いでいると、公言。それは、そのままワタシ、そして「みい」「くう」にも受け継がれたようだ。 本日の格言「悪貨は良貨を駆逐する」
2006.01.30
コメント(0)
貸与されていた防犯ブザーを、会社に行く途中に、返しに行った。塾では、最後のアドバイスなのか、スタッフが(多分6年生)に対して、面談のようなことをしていた。真剣な表情で。 防犯ブザーを返しに来ましたというと、記念にくれるとのこと。新入生にも渡すのだろうが、それは、やはり新品を渡すということのよう。 結局、記念にもらってくることに。だけど、マーク入りだと、ランドセルにつけるわけにも行かないだろうな。ポケットに入れておくだけでもいいかな。どうしよう。
2006.01.29
コメント(0)
経営という視点から見て、どんなに太平洋戦争というのが愚かな行為であったかを、イヤになるほど数字を列挙して指摘している本。いや、数字だけでなく、道義的にも当時の日本の支配層が腐っていたかも。 「もし・・・・だったら」という、歴史のifについては、言われるが、この戦争に関しては、あらゆるifが通じようのない戦争であったか。仮にミッドウエーですべての幸運が日本の方に転がりこもうが、結局は日本は負ける戦争を戦ったと。生産力の違い、組織面を含めた国力の違い。そして、生産力だけでなく、その運用についても、日本がいかに劣っていたかも。 最近、架空戦記が人気を集めているらしいが、ああいったものがはやっている限りでは、ホントにダメだろう。 著者自身が戦時中に海軍航空隊に籍をおいていただけに、よほどそのことが身にしみているのだろう。特に、安全な場所に自分たちの身をおきながら、特攻に多くの若者を駆り立てていった連中に対するコトバは、厳しい。彼自身も、特攻隊だったのだろうか。 ただ、あまりに旧軍に対する表現が厳しすぎるのが、難点かも知れない。そっちの方の人間から、感情的な反発を招きかねない。いや、彼らは、いくら批判しても、しすぎることのないような存在なのだが。
2006.01.29
コメント(0)
この本、なんでというほど、誤植が多い。ちゃんと校正してるんだろうか。中央公論ともあろうものが・・・。 内容は、項羽、関羽、木曽義仲、ロンメルなど、悲劇的な名将といわれた連中の事跡を簡単に紹介するようなもの。しかし、ほとんどは講談本を引き写してきたようなものばかり。あまりにオソマツ。途中で放棄してしまった。 著者名を見ただけで、読まないと判断した方がよかったかな。
2006.01.29
コメント(0)
きょう、最後のカリキュラムテスト。これで、塾とは完全にサヨナラ。でも、朝、なかなか起きない。ようやく起きたが、水曜日に授業をうけていないからとか、ブーブー言って、行くのをしぶる。後日でいいかと思ったが・・・。今回は、後日がないことが判明。結局、二人とも最後のテストを放棄してしまった。 最後のテストが終わったら、ご苦労様と暖かく迎えてやろうと思っていたのに、「最後ぐらい、意地でも受けろ」と罵声を飛ばすことになってしまった。まあ、消化試合に全力投球しろといってもムリといえばムリかもしれないが。それにしても、この根性のなさ。 もちろん、きのうスキー教室から帰って、家に帰るとすぐに塾に出かけて行ったのは、大変なことだが。 つまらんことで、怒鳴ってしまったという思いと、なんで最後ぐらい・・・との思いが交錯する。 しまった。貸与品の防犯ブザー返してないじゃん。会社に行くついでに、ワタシが返してこなけりゃいけないかな・・・。
2006.01.28
コメント(0)
空母ホーネットから中型爆撃機B25で発艦し、初めて東京空襲をしたドゥリットル。その事実は知っていたが、その伝記。 「華麗なるヒコーキ野郎」(ジョージ・ロイ・ヒル監督)という映画があったが、最初はそんな飛行機バカかと思った。しかし、飛行機バカではあるが(曲技飛行、スピード競争などでかなりの無茶をしている)、ただのバカではなかったマサチューセッツ工科大で博士号をとり、飛行機の進歩に対し、文字通りに体を張った実験をしながら、貢献した人物だったとは。 でも、こういった人物を、軍縮時には民間に出せて、いざ有事というときには、呼び戻してそれなりの地位を与えられる米軍の柔軟性。先日読んだ「ノモンハンの夏」に見られる硬直した日本軍に比べると、その差は明らか。このこの日本空襲にしても、非常に柔軟な発想から生まれている。いわゆる勇気という面からみても、日本の兵士と遜色はない。 しかも、日本の特攻は、最後には死ぬこと、それ自体が目標となってしまったが、そういった非合理性もアメリカには無縁なのだろう。 まあ、上巻は、そんなところ。ただし、欧州、日本に対する無差別空襲が激化する下巻では、どうなるか。被害自体は軽微といっても、この東京空襲でも、ちゃんと民間人も死んでいるのだから。
2006.01.28
コメント(0)
江戸川乱歩賞受賞作。これが村野ミロシリーズの第一作になるのだろうか。読む順番がめちゃくちゃなので、「ローズガーデン」や「水の眠り・・・」を先に読んでしまったが。でも、時系列からすれば、最初に「水の眠り」次いで「ローズガーデン」を読んだのだから、ちゃんと順番になっているのかもしれない。 ここの登場人物で、ベルリンの「シンリ」のように、また別の短編(中篇?)を構成するものも現れていたとは。 でも、どうしてもミロの夫の博夫のイメージが固まらない。
2006.01.27
コメント(1)
お子様方、本日帰還予定。二泊三日は短い。「もう少し行ってれば楽できるのに」とは、奥様の弁。うりぼうずがいなければ、「そら」とゆっくり遊んでいられるということ。ワタシ、どうせ平日ならば顔を会わせることも少ないので、関係がないよう気もするが。 しかし、本日の学校への帰着予定が午後5時半ごろ。それから、塾に行かせるのだから。うりぼうずも大変だ。でも、きょうが最後の授業。まあ、最後だと思って、「しっかり行って来い」。
2006.01.27
コメント(0)
ノモンハン事件と、日独伊三国同盟の交渉経過、さらに独ソ不可侵条約の成立過程を同時進行で描いた。日本外交の拙劣さ、そして、なによりも陸軍参謀本部というエリート集団の独善的で視野狭窄な体質を糾弾している。ま、昭和天皇や海軍に対する評価が高すぎるのが難点か。 それにしても、辻政信や服部卓四郎といった、いわゆる関東軍A級戦犯参謀だけでなく、明確な指示を出さずに、現場に引きずられるままになった大本営の参謀たちのなんとも愚かしい失策の数々。結局、この連中は身内でのかばいあいに終始、結局なんの責任もとらなかった。 昨今、エリート教育の復活を唱える声が高まっているが、これらの参謀を育てた日本のエリート教育に対するまともな総括もなしに、ことを進めると、再び同じ過ちを繰り返すことは間違いない。 ソ連のジューコフがスターリンに「日本の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」と報告しているが、まさにこのコトバですべてを言い尽くしているといっても過言ではない。
2006.01.26
コメント(0)
いや~、ナベツネ様が、ライブドア新社長の仲人をやっていたとは。世の中オモシロイ。なんでも、ナベツネ氏がワシントン支局長をしていたときに、平松氏が支局の助手をしていたとか。まさに縁は奇なもの・・・。 さて、ライブドア事件をどうみるか。まあ、言われている容疑が事実だったとしても、こういった、株をめぐるさまざまな事件。決して今に始まったことではないだろう。昔、乗っ取り屋なんてものはよくあった。ニュージャパンの横井なんてのもいた。今や東急グループとして名をはせている五島にしても、その始まりは強盗慶太なんて言われていたんだし。堤康次郎だって、ピストル堤とか。ようするに、今は上品な顔をしていらっしゃる方々も、先代、あるいはその前あたりには、とんでもない連中がいたわけだから。 同じように株主をだましたのなら、堤義明だって、カネボウ経営陣だって、みんな同罪なんだから。ただ、彼らとホリエモンが違ったのは、一種のアイドル的に持ち上げられたかどうかといったところぐらいではないだろうか。 それにしても、あのコイズミという人物。なんでこういう場合に必ず開き直るという対応しかとれないのか。人生いろいろの時も、靖国でも、こんなホリエモン程度のことなら、見る目がなかったとでも言って置けばいいものを。やはり、この人物に反省を求めるなどということはもとよりムリな注文なんだろう。
2006.01.26
コメント(2)
相変わらず、ひざの痛みが抜け切れず(どれでも、一時に比べたら、普通に歩く分にはほとんど支障なし)今年に入って走ったのは、15日の10キロだけ。2月に隣接する地区の自治会主催みたいなのが一つあるが、それの3キロぐらいでも走ってみようかな。 でも、またムリすると今度こそ走るのイヤになりそうで。 会社の同僚が、やはり最近走り始めたので「どこかで一緒に走りましょうよ」なんて誘いをかけてくる。ん~。
2006.01.25
コメント(2)
少しは飛翔力のついてきた「そら」。しょっちゅう人の頭や肩に飛んでくるようになってきた。特に、肩の上が好き。そして、耳のところにカオを近づけて、耳たぶをかみかみし始めるのだ。 つい数日前までは、咬むといっても、痛さはなかったが、きょうあたり、かなり咬む力も強くなってきて、けっこう痛くなってきた。 でも、なんとなく「親愛の情の表現なのかな」なんて思ってとがめだてをせず。 でも、このままもっと力が強くなってきたら、流血騒ぎになるのでは。果たして、「耳を咬まないように」などというしつけがボタンインコにも可能なのだろうか。「みい」「くう」のしつけにことごとく失敗してきたものとして、けっこう不安。
2006.01.25
コメント(0)
お子様方スキー教室へ出発。午前6時前に家を出る。外はまだ真っ暗。こちらもヒマなので、奥様とお見送りに出かけるが、ヤツラは来なくていいと、人のことを追い払う。追い払われれば、余計に行きたくなるのが人情。でも、早く着いた割には、バスはなかなか出発しない。 コドモの座っている側の窓の方へいくと「ギャー、変質者が来た」とでも言わんばかりに、手で「しっ、しっ」とばかりに追い払う。 こちらも面白がって、わが子との別れを悲しんで、泣くマネをして差し上げる。 バスが出発しても、他の子供たちは、素直に「行ってきま~す」と手を振るのに、ウチの連中は、追い払うので、最後に投げキッスをしてやった。「ざま~みろ」。だからオヤジは嫌われる?。
2006.01.25
コメント(6)
いまさらお年玉の話もなんだけど、先日、どこかの新聞に、今年のお年玉の平均額(小学生だったか)が2万円台とか出ていた。まあ、別にこの金額驚くほどのものではない。ワタシが子供のころに比べて、経済水準の上昇を考えると、むしろ少ないような気もする。 もっとも、これは数十年前から進行している少子化によって、おじさん、おばさんの数が減っているせいかもしれない。 さて、ウチのお子様方。一人当たりのもらったお年玉の額。多分3000円。これってかなり少ない方だろう。 ようするに、くれる人がいないのだ。あまり正月に親戚があつまるようなことがないせいもあるのだろう。だいたい、親がお年玉をやっていないのだから。 昨年、ワタシの兄弟がその子供たちを連れて集まったが、特に示し合わせてもいないのに、誰一人としてお年玉をやらなかった。 なんと、かわいそうな子供たち。 でも、親がコドモのお年玉を取り上げて貯金してしまうというのは、やっぱり反則。上げる限りは、その使い方まで指導しなければ。よって、指導力のないワタシはあげない。どちにしても、気の毒なお子様方。
2006.01.24
コメント(2)
きのう元気のなかった「そら」。奥様など「もしかしたら・・・」なんて思ったほどだったという。原因を、日曜日に子供たちがいじくりすぎた(かまい過ぎた)からではなどといっていた。糞も通常のものと色が違っていた気がする。 しかし、きょうは元気を回復。プラケースから「出してくれ」という、お得意のポーズもとるようになった。 何が原因だったか知らないが、一安心。でも、なにかの時に備えて、行きつけの病院でもつくっておかなければいけないのかなという感じも。 まだ、エサはアワタマをやっているが、徐々に大人のえさに切り替えるべきなのだろうか。本を何冊か読んでみたが、あまり的確なことが書いてない。
2006.01.24
コメント(2)
「有終の美」には程遠いが。先日の最後の公開模試、「みい」は偏差値59。前回の53に比べれば、それなりに上げて終わらせることができた。これで5年後期の平均は57。前期の平均が63を越えていたことを考えれば、やっぱりかなり落ちていることは確かだが。それでも、やめることを決めて、モチベーションが落ちていることを考えれば、まあ、よくやったというべきか。 でも、考えてみれば、もともとモチベーションが高かったわけでもない。本人とすれば、同じようなペースでやっていたのかもしれない。ただ、周りが徐々にペースを上げているのに。本人が上げることをしなかった(親もだけど)だけなのかもしれない。 勉強自体、それほどキライなわけではない。塾の授業で新発見があれば、それはそれで楽しそうに話していたのだから。 でも、6年になってからのカリキュラムを見ていると、本人も親も、このペースについていくだけの気力を持ち合わせていなかったということか。
2006.01.24
コメント(4)
正式に塾の退室届けを出してきた。「みい」は2年、「くう」は1年半お世話になりました。 室長さんから今後、「中学受験は・・・」と聞かれたが、「することはないと思います」と返答。 まあ、ザンネンな結果になっちゃったけど。 コドモが甘いのはもちろんだが、親も甘かったんだろう。入るときに「受験するかどうかわからない」などといいながら入ったんだし。そういえば、4年の時の学校の先生に「保護者が揺れるのが一番よくない」といわれていたのに、ずいぶんと揺れ動いてしまった。 二人を同じ塾にしたのも、ミスだったのかもしれない(二人目割引制度があったので、それに目がくらんだのか?)。 また、改めて、この顛末をまとめておこう。
2006.01.23
コメント(2)
南北朝というのも不思議な時代。ヘンなやつだとは思っていたが、ゴダイゴに対する批判なんて、北畠親房なんかもけっこうやっていたんだなと。実行力はあるが、まだに人徳に欠けるというやつか。 そして、中世の惣村などにおける、結束力の強さ。そしてその裏返しとしての、処断の厳しさ。現代のように、個人として人間を見ていると、まったく当時の状況がわからないだろう。個人同士の争いのようなものでも、報復は相手の集団の誰に対してもかまわないというようなところ。ある意味で、ヤクザ社会にはこれに近いものが生き残っているようだ。
2006.01.23
コメント(0)
別にうりぼうずのけんかは、珍しいことではない。こんどのスキー教室に、どちらがドライヤーを持っていくか、一個しかないと思ってけんかをしていたようだ。うちでは、風呂上りに特に使いもしないくせに。 ケンカするのは、いつものことだからどうでもいいのだが、学校からのプリントで、ドライヤーを持ってきても可となっている。昔、高校の修学旅行でも、そんなものもって来ているヤツいたんだろうか。たしか、どこかの高校で、ドライヤーを持ってきた生徒の頭を、ドライヤーで殴って死なせてしまった教師がいたような記憶がある。時代が変わったのか。 小5の女の子がみんなドライヤーを持ってくるのだろうか。みんなで風呂上りに一斉に使って、宿舎のヒューズ(いま、ヒューズではないか)が飛んだりして・・・。 まあ、禁止することもないような気もするが、「ガキの癖にナマイキ」というのが、ワタシの偽らざる乾燥。でも、小学校の方でも、そんなこと書かなければいいのに。こういう風習が広がると、意味もなく荷物が多くなったりするんだから。あげくの果ては、宅配便で荷物を運ぶようになったりして。グランドツーリズムの時代じゃないんだから。
2006.01.22
コメント(6)
きょうは再び雪かき。そこらじゅうの家から、人が出てきて雪かきを始めている。しかし、ウチの両側の家は、主を失ったまま。三軒分あわせれば、50メートルぐらいの長さの道路の除雪をした。と、いっても、人が通れるぐらいの幅だけだが、一日経っているため、けっこう凍りになっていて片付けるのに骨が折れる。ああ、腰が痛い。 ついでに、あまり人がいないように見えるのもなんなので、隣の家の駐車スペースの雪を使って、「みい」と雪だるままで作ってしまった。シュロの葉をアタマに刺して、モヒカン雪だるまの出来上がり。 ついでに、出勤途中に除雪の具合を見ていると、アパートの前などは、住人が除雪という意識を持っていないので、ほとんど雪が片付けられていない。また、商店街も、シャッター通りのようになっているので、除雪仕切れていないところが目立つ。そして、家の近所だと、高齢者の住む部分は、除雪されていない部分が目立つ。 「災害」というほどではないが、いかに街が脆弱化しているかを見分けるリトマス紙のような雪であった。
2006.01.22
コメント(0)
桐野夏生の直木賞受賞作。面白かった。 カスミは、OUTの雅子にもどこか似たような。そう、桐野夏生の登場人物は、このての魅力的な(お友達にはしたくないタイプだが)人間がペアになって出てくる。この作品では、内海元刑事か。 最後に、内海の末期の目が犯人はそれまでちょい役に過ぎないと思わせていた脇田巡査だったことを見抜く。そして、それを告げられぬまま死んでいく。 この部分も含めて、彷徨していたカスミの魂が、最後に行き着いた場所が、憎んでいた生まれ故郷。そこで、再生していく。こういう結末があったのか・・・。
2006.01.22
コメント(0)
それほどたいした雪にはならなかったけど、家の近所はほとんど雪かきがなされていない。やはり高齢化だからか。さきほど、未明に帰宅したが、けっこうじゃりじゃりとなっていたところが多い。明け方にかけて、凍りつくところも多いのでは。年寄りが多いのだから、滑るとあぶないよな。午前中に、家の前と、両隣の空き家(高齢のため、病院に入っている)の前の雪を簡単には片付けておいたけど、そのあと、降ってしまったから・・・。 あした、もう少しやっておいた方がいいかな。
2006.01.21
コメント(0)
17歳へタイムスリップなんていうバトンをいただいてしまいました。十七歳といえば、南沙織という年代。そんなの知らない人も多いだろう。あるいはセブンティーン。雑誌の名前というよりも、大江健三郎の小説を思い出す。絶版になった続編「政治少年死す」を、大学の図書館で探して読んだっけ。さて、設問。【Q1】17歳の時、何をしていた? 要するに、高2から高3にかけての時期なんでしょうか。まあ、部活をやって、いましたが、それなりにはやってたけど、全身全霊を傾けてというには程遠い状態でしょうか。ただ、17歳になるちょっと前だったか。ある党派とかかわりを持っていたことがあり・・・。そこにはついていけないと、離れていったことがあって。石を投げることはなかったけど、もし、そのまま突き進んでいたら、火炎瓶でも投げていたかもしれない。 ただ、相手を傷つけるということへの疑問と、自分を守りたいという意識がごちゃまぜになっていて、自分に対して「オマエは裏切り者だ」という意識にさいなまれていたような記憶があります。 いずれにせよ、苦しかった頃なんでしょうね。その数年後、その接触していたという党派が管制塔を占拠したニュースをテレビで見たとき、涙がでてきました。【Q2】17歳の時、何を考えてた? 「裏切り」「小市民である自分に対する情けなさ」「おれ、もてないな~」「記録が伸びないな~」ってとこでしょうか。そう、「数2bがわからなくなったな~」も。【Q3】17歳のイベントといえば? イベントというようなもの、何もないです。【Q4】17歳でやり残したことは? あの頃、もう少し勉強していたら・・・。【Q5】17歳に戻れたら何をする? あのころ、もう少し本を読んでいたら。なんて、建前で、女の子と遊べていたら・・・ってとこでしょうか。【Q6】17歳に戻っていただきたい人まあ、戻りたい人がどこかにいらっしゃいましたら・・・。 でも、何をかけばいいんだろうかと考えているときに、ちょうど、横山秀夫の「出口のない海」を読んだ。 ここでさんざん、コケにしている父のことだ。彼は昭和3年生まれ。十七歳は昭和20年。20年の四月に海軍の兵学校に入っている。17歳のときに、二十歳の自分なんてものを想像したことが出来たのだろうか。近いうちに、自分も兵器の一部になって四散すること以上の将来を想像できたのだろうか。暴力の嵐が吹き荒れる軍隊生活の中で、いったい何を見て、何を考え、どんな将来を想起していたのだろうか。 自分の十七歳と比べて、その間に横たわる闇の深さを考えてしまった。
2006.01.21
コメント(5)
きのうの夜で、ワタシが塾帰りの二人を迎えるのは最後となった。 きつかったかどうかわからないが、いつもホームからの階段をのぼり、出迎えに来ている姿をみつけると、小走りに駆け寄ってきて、その日に塾であったことを二人で競うように喋りまくっていたのだが。 そこから、家に帰るまでの、わずか6、7分の時間がけっこう楽しかった。道を歩いている猫にちょっかいを出したりしながら。 あと、夜のお帰りは二回あるが、いずれもこちらは仕事のある日。最後の日だったら、ご苦労さまとでも、言ってあげられたのだが・・・。
2006.01.21
コメント(0)
「南関東にしては」との注釈つきだが大雪。そう、きょうはセンター試験の日。もう何年前のことだったか忘れたが、ワタシの受けた共通一次の時も、雪が降ったことを思い出した。だいたい、共通一次にしろ、センター試験にしろ、どうもよく雪が降るような気がする。 学校の試験ではないが、就職浪人しそうだったとき、一月に狙っていた業界の某社の二次募集のようなものが、一月に東京で会ったときも、当時、東京で10年ぶりぐらいの大雪があって、足を滑らせながら会場に向かったことがある。足だけでなく、ものの見事に、その試験にも滑ったが。 そういえば、共通一次も(まあ、あれはすべるとか滑らないんじゃないんだろうが)いずれにせよ、国立には行きそこなった。 やはり、雪はすべるもの。なんていったら、受験生の皆さんには失礼か。でも、定員ってものがあるんだから、他の人がすべるとか、先に滑っちゃったから、もうこれ以上滑らないと確信してりゃいいんだけど。 禁句を連発してスミマセンでした。
2006.01.21
コメント(0)
風邪で寝てなければいけないのに、たまっていた本を読んでしまった。 9つの短編が収録されている。緩慢な自殺のように、売春を続けるOLと幽霊の対話「デッドガール」、同性愛の男子高校生との電話での会話を偽りの結婚の間の唯一の息抜きにしていた会社員が、高校生が実は女子だったという「六月の花嫁」、いい人だった井戸川さんの死のナゾを追及していた綾部クンの前に明かされた井戸川さんの真実を描いた「井戸川さんについて」。 気軽に読める話がそろっていた。これは、通勤電車で読むのが一番。
2006.01.20
コメント(2)
けっこう、引力に逆らうようになった「そら」。人の手の上から、ばたばたと、現在のお住まいのプラスチックケースまで、50センチぐらいの飛行をする。しかし、ケースには入れない。そこで、奥様が、ダンボールで坂道を作って、そこに足をかけられるように、割り箸を貼り付けて階段を作った。 そらが、それをトコトコと上がるので、こちらがケースのふたを開けてやると、ぴょんと、ケースのなかに飛び降りる。もちろん、芸というほどではないが、そのしぐさがとってもラブリー。 40なかばのオッサンが、ラブリーだって。オエ。
2006.01.20
コメント(2)
読んだ本がたまっていたので、続けて書いてしまおう。 警察小説の横山秀夫が別の分野に挑戦した作品。テーマは人間魚雷「回天」 元、甲子園の優勝投手で大学に進んだが、肩を壊した並木。もう、力の落ちた並木が夢見たのは、新たな魔球の開発。しかし、その途中で学徒出陣。時代の奔流に巻き込まれた並木が志願してしまったのは、回天の部隊だった。 潜水艦を離れれば、あとは故障が起きても生きて変えることはない自殺兵器。母艦との連絡ハッチを閉めたあとも、故障によって二度も死に場所を失った並木。基地に帰還した並木に対する上官の、「死に損ない」に対する罵倒。そして、三度目の出撃を前に、訓練による事故死。 戦争に、そして回天という戦術に疑問を持った並木が戦友に伝えた、死ぬための理由付け。天皇や祖国を守るためでははなからない。愛するものや家族を守るためにも、自分の死が役立つものではないことも知ってしまった。そして「回天を伝えるために死のうと思う」と理由付ける。 「俺たちの死が、人間が兵器の一部になったことの動かしがたい事実として残る。それでいい」と言って。 多分、彼を死地に送り込んだ上官たちの多くは生き残っているはずである。生きて、アメリカの虜囚の辱めを受けながら、堂々と生きていたであろう。 そんな連中の思想を受け継ぐものたちが、「公の精神がない」と、若者を批判する。なんといい世の中なんだろう。
2006.01.20
コメント(0)
横山秀夫の警察小説。某県警本部の警務課(一般社会で言えば、人事課とでもいったところか)の警視である二渡を狂言回しにした、4つの中篇が収録されている。ミステリーというより、警察という組織そのものがテーマ。 組織というものは、それが強固なものであればあるほど、組織防衛が最重要な目的と化してしまう。そして、その防衛のもっとも重要な部分が人事ということになろうか。 万年警部の、昇進をかけた最後のかけ、婦人警官という警察組織には必ずしもつかりきっていない部分の悲哀、さらに、議会というもう一つの権力との駆け引きと、それに付随する足のひっぱりあい。 普通の警察を舞台にしたミステリーなどと違い、警察さのものを外部から観察できた作家ならではの作品。 短期間ではあったが、警察という組織を垣間見たことがあるだけに面白さが違う。
2006.01.20
コメント(0)
かぜが、けっこう本格的になってきた。幸か不幸か、あしたは休み。会社、サボれなくなる。もっとも、入社してから、病気を理由に会社を休んだ記憶ってない。 やたら咳き込む。うるさいぐらい。ここ何年か、風邪をひくと必ずのどをやられる感じ。高い熱が出ることはないので、ふらふらになるようなことはないのだが、咳き込むってけっこう体力を消耗するものだ。そして、そこら中にバイキンを撒き散らしているのではないだろうかと、ちょっぴり反省も。あした(正確にはきょうか)は、マジメに寝ていよう。そう、こんなもの打っていないで。
2006.01.19
コメント(14)
コドモの学校で現在比喩について勉強しているとのこと。ある文章の中で、どんなところに比喩が使われているか、子供たちに捜させていたらしい。いろいろ挙がったところでウチのは「これで終わり」と思ったが、先生はまだあると、いったとか。しかし、当該箇所についてこどもは「比喩ではない」と思ったという。ワタシが見ても、そうだと思った。 どうも、学校のセンセイの学力に、疑いをもつことが多くなってきた。高学年になって、学ぶことがフクザツになると、目立ってくる。 これを、公立の教師の力量低下とみるのか。いや、必ずしも昔の教師の力量が高かったとも思えないが。 これが私立だったらどうなのか。そもそも、小学校の高学年になれば、教科担任制でなければ対応できないのかも知れない。 確かに、塾の講師を見ていると、個々の課目の力量は、学校よりも上と思われることが多い。しかし、それは教科担任だからこそ。その点、不利な競争を強いられる学校のセンセイは気の毒だが。 こういう事例を目の当たりにすると、私立中というコトバが再びちらついてくる。
2006.01.18
コメント(1)
「そら」が飛ぶようになってきた。奥様が「風切り羽根」を切ろうと言い出した。狭い家の中、あまりむやみに飛び回ると危険だというのはわかる。万が一、外に飛んでいってしまえば、「そら」自身も生きていけるわけがない。 人間の感傷から、飛ばせたいというのは違うのかもしれない。でも、やっぱり「そら」は鳥。飛ばなくてなんの鳥か。3冊の本を見てみた。二冊はきるべきではないと。一冊はやむを得ない場合はと。 中途半端にしか飛べないと、落下などによるけがの危険性も高まるようだ。 きのう行ったペットショップの話だと、本格的に飛べるようになってからきると、飛べないストレスがたまってかわいそうとのこと。そうしたら、もう、切るとしたら今なのか。 外に逃げてしまうのは、人間の注意次第。やっぱり、鳥は飛んでこその鳥だと思うのだが・・・。
2006.01.18
コメント(5)
毎日新聞の夕刊に牧太郎氏のコラム「キレの良いのが珠にキズ」というコラムが載っていた。豪雪で孤立している新潟、長野県境の秋山郷がテーマだ。40年近く前の秋山を取材したときの経験を書いている。そして、昨年再訪したときの感想も。 そこで、二人の児童に教師、用務員が一人づつの分校をみて「ゼイタクな行政サービスが異常に思えたと書いている。 そしてこの冬。「この地域に投入されるインフラ費用は・・・家代々の土地を離れろ!とは言わない。だが、代々の畑を通勤耕作して、家屋は平地に集団移転する方法はないのだろうか(中略)。豪雪僻地で高齢化が進み、国自治体の彼らを支える財政は底を突く。集団移転の知恵を考える必要があるのかもしれない。自然との闘いは永遠に続くのだから」と、結んである。 ワタシも秋山郷には何回も足を運んだことがある。秋山郷に限らず、豪雪地の山間地の集落までの除雪に、自治体などがいかに苦労しているかも知っているつもりだ。財政的にも厳しいのはわかる。 しかし、経済合理性にあわなければすべて切り捨てるという発想。竹中平蔵あたりが言うのならわかるが。秋山郷などを取材した経験のあるジャーナリストが書くとは思わなかった。 平家の落人部落とも言われる(まあ、あまり根拠はないと思うが)秋山郷には、さまざまな民俗文化が根付いている。ワタシが通ったころにも、焼畑(もちろん、実際に収穫を上げるというより、習俗、技術の保存のためだろうが)などもやっていた。日本の山村には、平地の稲作民とは全く違った文化が存在する。それを、簡単に「絶滅させる」ことに、牧氏は疑問を覚えることはないのだろうか。通勤耕作なんていうが、そんなものがまともに続くなんて本気で思っているのだろうか。そんなものは、十分な収益が上がってこそ成立するもの。 山村の文化は、モノは博物館に、習俗はビデオに収録すればそれでよしとされるものではない。そこに生きた人びとが継続することによってのみ、生命が与えれれるものではないのか。 例えが適当ではないかもしれないが、絶滅危惧種がいるために、大規模な公共事業が中止されたことなど、枚挙に暇がない。あれだって、市場原理主義者からみれば、きわめて愚かなことにうつるかも知れない。しかし、いくら不景気が続いたからといって、日本はそこまで落ちていないし、余裕だって失っていないはずだ。 「集団移転」の原理を進めれば、三宅島なんて無人島にして、米軍の訓練場にでもすれば、合理的だろう。いや、日本中の離島、山村をすべて強制的に移転でもさせれば、さぞやお国は富み栄えるだろう。いや、めでたいこと限りない。
2006.01.18
コメント(1)
一戸建てを購入した。もちろん、「そら」の。引力に逆らい始めた「そら」。いつまでもプラスチックケースというわけには行かないであろう。 前日に下見しておいた店で、決定権を持つ奥様と出かけた。 まあ、こちらがめぼしをつけておいたものに、すんなりと決定。かわいそうに、コドモたちが希望していたハート型だの屋根型は却下された。 まだ、早いがためしに入れてみようとしたが、本人はいやがる。それども入れてみたが、まだとても止まり木から止まり木に移るような技術もなく、入居はしばらくお預け。 それでも、これで完全に飛行可能になってもいいように準備だけはできた。ついでに、エサも購入。なんか知らんが、いろいろな種類の種が詰まっている。こっちもしばらくしたら与えてみよう。
2006.01.17
コメント(2)
室町時代のイメージは、ともすれば幕府が弱体で、混乱を続けていた時代というもの。しかも、戦国時代になれば、各地に英雄が割拠したが、それ以前は、一般にはあまり注目されない。そう、NHKの大河ドラマでも、室町時代が取り上げられたのは、足利尊氏が主人公になったやつと、日野富子が主人公になったものの二回だけ。ともに、戦前ならば逆賊として扱われた尊氏と、金の亡者富子。いずれも、視聴率からみれば、さんざんだったようだ。 しかし、著者によれば、中央の統制が弱まった時代というのは、逆に土民が生き生きと輝いていた時代という。もちろん、今で言う生き生きとは違うかもしれないが。 村落の、あるいは都市的な地域でも、自治的な仕組みができ、それぞれに大名、荘園領主などの権力と渡り合い、裁判などでも堂々と渡り合う強さ、そして狡猾さを発揮している様が、新鮮なものにうつった。 これらから見ると、戦国の英雄なるものは、これらの自治的な動きを叩き潰す勢力だったともいえるのだろう。 たまには通史を読んでみると面白い。
2006.01.17
コメント(1)
もともと、きょうは阪神大震災の日。そんなところに、ヒューザー社長の証人喚問と、宮崎勤被告に最高裁の判決が下る日が重なった。さらに、ライブドアの家宅捜索、豪雪の死者が100人を越える・・・。 こんな日には、新聞もテレビも大変だ。なにをトップニュースに持ってくるか。ほかにまた大きなものが発生すると、どうしようもならない。 もし、なにか企業が不祥事を発表するのなら、こんな日。よほどのことでなければ、扱いが小さくなる。 昔、21年前に、当時、戦後最大といわれた三光汽船の倒産。同じ日にジャンボが墜落してニュースがほんの片隅に追いやられたことがあった。
2006.01.17
コメント(0)
村野ミロシリーズの短編(中篇?)集。収録は、「ローズガーデン」「漂う魂」「独りにしないで」「愛のトンネル」の4編。
2006.01.16
コメント(2)
今までは、はばたいて降りるといっても、飛び立ったところよりも上に行くことはなかった「そら」。でも、きょう見ると、ほぼ水平なところでは30センチほどのところに飛び移るようになってきた。 今、巣にしているプラスチックケースのところに戻るのがお好きなようで、そこから30センチぐらいのところに持っていくと、すぐにバタバタと羽ばたいて飛び移るようになってきた。 もうそろそろと思って、一人で鳥かごを見に行った。やっぱりホームセンターよりも、ペットショップの方がいろいろあって迷ってしまう。コドモは、ハート型がいいとか、アーチ型がいいとか、小鳥の飼い方の本を見て言っているが、そんなもの、かさばる割には、内部のスペースも狭そう。ワタシなら、有無を言わせず、安くて大きいのに目が行く。でも、ワタシには決定権がないので、買わないで帰宅。なんという、権威のなさ。
2006.01.16
コメント(2)
きょう、父はデイケア。嫌っていないので助かる。お荷物が外出しているとあって、母ものんびりとしている。 少し話していたら、父がこの間相撲中継を見ていたときに「おれが相撲を引退したのっていつだったけ」と。母は「えっ」。 そりゃそうだ。父が相撲取りだったなんて話は聞いたことがない。本人だって、そりゃ知らないだろう。 それを聞きなおしても、同じことを言ったらしい。自分の定年と間違えたのだろうか。しかし、間違えたにしても、指摘されてもそれに気がつかないなんて。何回かやり取りがあって、ようやく気づいたという。 まあ、母も半分は笑って話してはいるけど。内心は・・・。
2006.01.16
コメント(0)
一夜明けて、おきたらなんと11時30分。よく寝てしまった。ま、走った疲れというよりも、夜勤で3時過ぎに寝て、6時半におきて走って、また夜勤で寝たのが3時なんていうのが悪いんだろう。 それでもひざの痛みは、少しは和らいでいる。当分は安静。 それにしてもきのうの大会。怨みに思っていることが一つ。出走前に「お汁粉のサービスがあります」と、場内放送で言っていたので楽しみにしていたのに、走り終わって、足を引きずりながらもお汁粉サービスのテントに向かったら、「すみません、もう終わっちゃたんです」・・・・。そ、それだけを楽しみに苦痛に耐えて走ったのに・・・。のろまには、お汁粉を食べる権利もないのか!。 まあ、全体としてみれば、着替える場所とスタート地点も近く、参加人数もこじんまりとしていて、走りやすい大会ではないでしょうか。だけど、食べたかった。
2006.01.16
コメント(4)
考えてみると、久しぶりの重松清の本。 舞台はニュータウン。定年になった会社人間が改めて、自分の終の棲家になるであろう、街を見てみると・・・。 ウチのある場所も公団の大規模な団地で、ある、一定の年齢層が一度に住み着いて、同時に歳をとり・・・という、まさに本のとおりのパターン。世代的には、ウチの親よりも10年ほど若くて、ワタシより20年歳をくっているというぐらいか。 なかに、週刊誌で女性の大学助教授がニュータウンの成れの果てを切るコーナーが取材に来る設定があった。そう、どこでも、開発するときには、その時のことしか(せいぜい10年後までか)考えられず、二十年、三十年あとには街がどうしようもない状態になってしまうことをおちょくる企画。それをニュータウンを開発した担当者(彼も定年者)が「その評価を正しい」としながらも「しかし後だしじゃんけんみたいなもの」と語る場面がある。 将来予測って、ほとんど、占いみたいなものなんだろうなと思った。でも、主人公たちは、それでも前向きに、ニュータウンで生きていくようだ。そうでなければやっていかれないだろうが。
2006.01.15
コメント(0)
「そら」の食欲が落ちてきている。口の中に押し込もうとしてもいやがる。数日前までなら、がっついていたのに。 別に元気がないわけではない。もう、自分で拾ってえさを食べたいのかも知れない。それに、そう、彼女(彼かもしれないが、なんとなくウチの三女という雰囲気)鳥だったのだ。デブのままでは飛ぶことができない。アホウドリのヒナも最後の一ヶ月ぐらいは絶食するという。親がどこかへ飛び去ってしまうのだ。減量しなければ鳥になれない。それがいやならば、フォアグラになってしまう。 でも、ウチの奥様。いつまでもヨチヨチとしていた方がかわいいらしく、いっぱいエサを食べさせようとしている。子供の自立にストップをかけてしまうような行為。まあ、コドモ以上に思う通りにはいかないだろうけど。 でも、本当に鳥としてのダイエットなんだろうか。よくわかりません。ただ、本には、エサを食べさせられるのを嫌がるようになり、拾い食いをするようになると書いてあった。
2006.01.15
コメント(2)
一月になってからまだ一度も走らず、ひざの痛みを抱えながらの初レース。 それほど規模の大きな大会ではないので、男女一緒のスタートだ。トラックを一周するが、さすがに足の痛みはない。もしかしたら快調にいけるかもとの思いがよぎる。とにかく最初は自分のペースをつかもうとするだけ。徐々に人の塊がほぐれてきたあたりで、「目標を定めよう」と。 「どうせなら、きれいなお姉さんのあと」と思う(後ろからしか見えないが)、が、中々ペースが合わない。もう少し早い人は・・・などと探したが、今度は自分がついていけない。 そんなアホなことをしているうちに、徐々にひざが痛み出す。ここは、途中のキロ数の表示があまりない。初めてあったのは関門(一定時間内に通過しないとダメ)の5.2キロ。その辺で、ひざは痛むものの、心肺機能には余裕があると思い、すこしペースを上げる。それが悪かったのか。ひざの痛みが強くなってくる。足を上げるとよけいに痛むので、ほとんどずるような足運びに。 ゴールの競技場が見えてきたので「あれ、こんなに近かった?」と思ったが、そこにはあと3キロの表示。また、競技場からコースが遠ざかる。ひざがもつか心配になってくる。お姉さんに抜かされると、必死についていこうと思うが、どんどん、離される。60過ぎと思われるおじいさんにもどんどん抜かれるこの辺から後、抜かした選手は一人もいないのではと思われるようなペースになってきた。 そして、残りあと2キロぐらいのところでものすごく急な下り坂。のぼりだったらまだいいが、ひざに激痛が走る。一応、走っているポーズはとるが、ほとんど歩くのと大差ないスピードに。さらに公園を一周して、競技場に入る。そこでどっかのランニングクラブ?の人が51分とか、声をかけられていた。「はて、そんなに速いはずはない。こっちは1時間ペースで走っているつもりなのに(実は、時計もせずに走っていた)。」 よそのコドモが、「お父さん頑張って」などと声援を送っている。「さて、ウチは?」と思うが、子どもも、先にゴールしているはずの奥様も影も形もなし。左足を引きずり、ヘロヘロになりながら、ようやくゴール。 現代の大会、電子化が進んでいる。ゼッケンのウラのICチップをはずし、係の人に渡すと、即座に結果がプリントアウトされる。 「えっ、53分台?」そんなばかな。 一歩あるくごとにひざに痛みが走る中、着替える場所に。 奥様のタイムを見てみる。ワタシより9分も速いタイムだ。でも、奥様も「ベストより、こんなに速いなんて。距離が違うんじゃない?」と疑問。 距離疑惑まで出て、いったい自分が速かったんだか遅かったんだか。よくわからない初レースでした。
2006.01.15
コメント(6)
何の気なしに図書館で借りたのだが、すこし読み始めて、あれ、「読んだことある」。後付を読んで、読売の夕刊にかつて連載していたことを思い出した。そう、最初の数回は読んだが、すぐに読み続けることができなかったのだ。 別に、面白い、面白くないじゃなくて、新聞小説を読むのは、けっこう根気のいる作業だ。 これまでに最後まで読み通したことのある新聞小説は、加賀乙彦の「湿原」と、井上ひさしの「偽原始人」ぐらいだ。 「恋する家族」そのものは、非常に軽い小説。通勤電車の中で2日で読み終えた。この主人公たちの世代は、もう30ぐらいか。つい最近ぐらいまでワタシの職場にいた若い連中が、ちょうどそんなぐらいだよななどと思ってしまった。自分からすれば、たいして世代が離れているような気もしないのだが、ほとんどコトバが通じないような、ビミョーな距離。その違和感が、連載時に、数回で読むことをあきらめさせたのかもしれない。作家はもうオッサンだが。
2006.01.14
コメント(1)
戦国時代とは、どんな時代だったのか。英雄たちの駆け巡る時代だったのか。 そこに横行したのは、略奪であり、奴隷狩りであり、陵辱であった。ただし、百姓が一方的な被害者というわけでもない。あるときは、飢餓からの脱出を図るために、兵士となり、他国を襲うこともあり、また、七人のサムライにでてくるような、愚かで臆病な烏合の衆でもなく、攻撃があれば自分たちが築いたとりでにたてこもり、落ち武者がいれば容赦なく略奪もした。 奴隷狩りといえば、九州では特に島津などによる奴隷狩り戦争がすさまじく、戦いで得た奴隷(別に捕虜となった兵士だけではなく、戦場となった村々の女子供を分捕ったもの)は、ポルトガル商人などに売り渡され、遠くと東南アジアへ連れて行かれたという。 秀吉のポルトガルなどに対する禁圧の理由の中に、このような奴隷貿易に対する危惧もあったという(別に、秀吉軍が人道的な戦争をやったわけではない。朝鮮出兵では、大量の奴隷狩りを行い、日本に「強制連行」しているのだから)。 英雄史観に陥りがちな戦国時代を知るためには、非常にいい本だった。
2006.01.14
コメント(0)
きょうの読売に、中学の内申書の話が出ていた。市進によれば、学校の英語の評価で5をもらった生徒の、模擬試験の結果をみると、偏差値で70台から30ぐらいまでの開きがあったという。これは、以前神奈川県でも問題が指摘されたこと。 ようするに、絶対評価で、センセイがどんな成績をつけても、理論的には正しいがゆえに生まれた結果。 これで、内申重視の流れがあった(これで内申の比重が下げられるかもしれないが)が、やっぱり内申なんてみなければいいのだろう。テストの一発だけでもかまわないのではないだろうか。 その点、中学入試で内申をまず見ないというやり方は正しいのだろう。
2006.01.14
コメント(0)
全81件 (81件中 1-50件目)
![]()
![]()
![]()