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3月は、結局ほとんど走らず。しょっぱなに12キロ走ったほかは、11日に皇居の周りのハーフを走っただけ。そのあとは、少し足に痛みがでたこともあったけど、要するにサボってしまった。結局、月間走行距離は、わずかに33キロのみ。走り始めてから最低ではなかろうか。
2007.03.31
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さて、庭の夏みかんの木が、今年もいっぱい実をつけたが、どうも食べきれない。そこで、奥様が実家に帰ったのを、これ幸いと、ママレードづくりに挑戦。 5,6個皮をむいて、水につけておき、それを何回か捨て、そして一回湯でこぼした。でも、そこで面倒くさがって、一回しかやらなかった。あとは、実を絞ったジュースと、適当な量の砂糖をぶち込んで煮て、一応、それらしきものの出来上がり。 でも、もともといい加減な性格。どれだけ、砂糖を入れるのか、ロクに調べもせず、とにかく適当にぶちこんだ。汁の量もいい加減。もう一度同じものを作れといわれても、作れない。失敗しても、次に作るための反省材料も得ることができない。 それでも、けっこう苦味はあるものの(個人的には、苦味のある程度あるものの方が、それらしくて好きだが)らしきものが完成。 でも、その後、奥様も娘ども(この2人は、もともとママレードは好きでない様子)が、これを食している様子は見られない。ほとんど、ワタシ一人で食べている。くそ~。
2007.03.30
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鎌倉時代って、どうしてこうも血生臭いのか。北条氏による他の有力御家人の一族討滅事件の多さ。梶原氏、比企氏、三浦氏、和田氏、安達氏・・・。最初から最後まで、その手の事件が続いている。一時的に安定した時期もあったようだが。 この本を読む限り、純粋に暗愚な執権(あるいは得宗)もいない。これだけ、激しい権力闘争があっては、暗愚なトップを戴いてるヒマもないということか。 鎌倉幕府自体が、頼朝すら直属の兵力をほとんど持っていなかったのではないか。もちろん、4代目以降の将軍が、そのような直属の兵力を持てるわけがない。そして、北条氏は、権力を握る正当性に欠ける。と、いったところなのだろうか。 それにしても、これだけ北条氏の恐怖政治?が行われながらも、決定的なクーデターへとつながらなかったのはなぜか。鎌倉近辺の軍事力だけがモノをいったのはなぜなのか。よう、わからんが。
2007.03.29
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ゴッホの8枚目のひまわりが、日本にあったという話。そして、その争奪戦が繰り広げられるのだが。 面白いといえば、確かに面白いのだが、ちょっと偶然に偶然を重ねすぎではないだろうか。徐々になぞが解き明かされるのはいいのだが、最後の方では、あらゆる人物が、あまりにも一点に集中しすぎるきらいがある。そんなに偶然が重なるかよと・・・。もちろん、フィクションだから、あまり気にしないで読めばいいのだろうが。
2007.03.28
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ヒットした三丁目の夕日にみられる、高度成長期直前の日本には、活気があふれ、みんなが希望を持っていたというのは「神話」に過ぎないという本。今は悪い、昔は良かった論がはびこる中、その傾向を皮肉っている。 確かに、昭和33年(別にその一年に限ったことではないが)そんなにすばらしかったわけではない。集団就職がまだ盛んだった時代。多くの貧しい少年少女が地方から東京などへやってきた。彼らに約束されていたのは、決してばら色の職場などではない。低賃金で、長時間労働、基本的人権なども無視されることがおおかったであろう。犯罪の被害にあうものもたぶん多かったのではないか。今の中国の民工と比較するのは、大げさだが、彼らがばら色の夢を持って働けたわけでないことは確かだ。 結果論からすれば、その後、飛躍的に生活水準は上がった。だけど、それらが実現するとして、夢を持てたわけでもなく、不安が大きくのしかかる生活であったという著者の指摘はあたっている。 そう、それほど今は悪い時代かという著者の指摘はそのとおりだ。この著者は、商社で海外生活も長い。それも先進国だけではなく、ナイジェリアなど、途上国での暮らしも長く、非常に視野は広い。海外生活が長いといっても、先進国だけの人間の論評だと、その偏りに本人が気づかずにいることが多いので、これは貴重なこと。 ただ、ワタシも心配性の日本人の一人。確かに、昔はよかった論に問題が多いのは確かだが、あの時代と今の違いの最大のものは、地球が有限であるということが明確になっていることではないだろうか。それを考えると、やはり不安の方が大きくなってしまう。
2007.03.27
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近頃のお子様たち、生意気というか、卒業旅行なるものをするとか。もっとも、旅行といっても、泊りがけではなく、友達とディズニーランドへ行くといったものだが。 親がケチなので、ディズニーランドに行くといっても、基本的にお金は出さない。行く人によっては、あっちの友達、こっちの友達と、卒業式が終わってから何回も行く子供もいるらしいが・・・。 「みい」は、結局学校の友達とは行かずに、塾、それも以前行っていた大手塾の友達と行った。入学できた学校の説明会などで、かつての友達と会えて、そのまま、一緒に行く約束をしたとのこと。まあ、一円も出さないといっていたが、算数の宿題を一気にやり終えたので、交通費と、食事代だけは出してやったのだが。 でも、それなりに楽しんだ様子。塾の友達は、みんなしっかりしているので、交通手段などもみんな把握していて(「みい」も、その手のものを調べるのが大好きだが)帰宅が、夜けっこう遅くなったが、基本的に安心してみていられた。 で、「くう」。こっちは、学校の友達と「みい」とは別の日にディズニーランドに行ったのだが、こっちはどうも頼りない。誰と、誰で行くというのが、最後まであやふやなまま。そして、一部の子供の母親が6時までに帰ってらっしゃいということになると、みんな結局その子供に引きづられて、4時過ぎには、出なければならなくなってしまった。その子供があとから仲間に入れてもらったのに。 心配するのはわかるのだが、そんなに心配ならば、自分の子供を迎えに行って、ほかの子供のスケジュールに影響を及ぼすようなことをしなければいいのに。 で、こちらは、「くう」に、もう少し遅くまで残りたい子供同士で、残ってもいいと、けしかけたが、残りたい子供たちはいずれも交通手段などがよくわからないあまり「しっかり」とした同士でないので、結局、みんなと一緒に早帰りということに。 ああ、情けない。
2007.03.26
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中学での勉強に危機感を抱いたのか、「また進研ゼミをやらせて」と頼んで再開した「くう」2月分はなんとかこなしていたのだが、やはりというべきか。早くも3月号で挫折の色が濃くなってきた。まだやっていないところが多い。「やらんと、小遣いやらないぞ」と、脅すが、全然進める様子がない。ああ、頭が痛い。
2007.03.25
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プラムの花の季節。ここ数年、大石早生がだんだんと花をつける数が増えてきている。どの程度効果があるかしらないが、隣接するソルダムとの間の受粉がやりやすくなる。でも、今年は見ていると、虫の数が少ないように見える。やはり、マメに人工授粉をしなければと思うのだが、どうも手を抜いてしまう。
2007.03.24
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この著者の小失敗シリーズ。面白いといえば面白いのだが、なんか同じことが何回も書いてある。この本では、第二次大戦だけでなく、イラク戦の米軍軽車両の無装甲の問題点や、フォークランド紛争にも触れているのだが。 それはさておき、もちろん、失敗はいろいろあるのだが、ないものねだりの部分も大きい。その国、あるいは軍隊の基礎体力の問題だ。第二次大戦中のドイツの空母の問題など、そりゃ、つくるだけの余裕があれば、作りたかっただろうが、なんせ、建艦計画がスタートしたばかりの時に、戦争が始まってしまったんだから。空母なんて、無理。一隻や二隻あったところで、資源の無駄遣い以外のなにものでもない。それは、小失敗ではなく、所詮国力の限界を考えられなかった、あるいは短期戦で終わると思った、大失敗中の大失敗に起因することなんだから。
2007.03.23
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一冊まるごと、日本のニワトリの写真で埋め尽くされている。そう、日本の鶏ってこんなに種類があったんだ。たぶん、ここに掲載しきれないものがもっとたくさんあるに違いない。基本的には、食用でなく、尾長鳥、シャモ、チャボなどいわゆるペット用。それにしても、みんな品評会用のようなポーズで写っているのが面白い。特にシャモがほとんど人間のように直立している姿は笑える。 1キロにも満たないチャボなど、ウチの「れん」に比べれば、三分の一。飼ってみればさぞやかわいいのもだろう。 でも、このシャモに、ほとんど死ぬまで闘わせるわけだから。しかも、中には手っ取り早く勝負をつけさせようと、足にナイフをつけるやりかたもあるらしい。スパッといけば、首が吹っ飛ぶこともあるとか(この本には、そんなことは書いてはいないが)。
2007.03.22
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「みい」の学校、入学前から、算数の宿題が出ている。当たり前なのかな。それが全然進んでいないので、「(卒業旅行?に)ディズニーランドに行くのなら、あと、三日で全部終わらせれば、昼飯代と交通費ぐらい出してやる(入場料なんか、出す気はまったくない)」と、けしかけたら、やってしまった。ん~、問題自体は大して難しいものではない。もし、算数が得意で、ちょっとやる気のある子供だったら、一日でやってしまってもおかしくはないだろう。 でも、やっぱりわかっていない。だいたい、すぐに考えるのを放棄してしまう。それでも、こちらがある程度のヒントをやれば、それなりにできる。やっぱり、ちゃんと、意欲を持ってやっていればできるのに、やってないからダメなんだよなと痛感。エサを与えるのはよくないといわれるのだが・・・。
2007.03.21
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生き物関係の本はいろいろあるが、鳥類の中で一番多いのはカラスではないだろうか。それほど、身近で、しかも頭が良く、そのうえ都市生活のなかで迷惑でもある。では、二番目とすると、やはりスズメか。でも、スズメの本というのも案外多くはないものだ。 あまりに当たり前にいる鳥で、しかも人間の周辺で生きることによって繁栄した鳥なのに、いや、それだからなのか、非常に警戒心が強い。庭に来る鳥たちを見ていても、ヒヨドリやキジバトなどはけっこう近寄っても逃げないのに、スズメの警戒心の強さは群を抜いている。 人家にスズメが近くすんでいるのは、穀物のこぼれものなど餌にありつける確率が高くなることもあるが、人間の家が、巣を作れる隙間が多いこともあるようだ。屋根の隙間などが一般的だが、石灯籠の中や、鬼瓦の中、中には家の中の柱時計の上にまで巣作りをしたのもいるらしい(もっとも、その巣のヒナは、侵入してきた蛇に食べられたというから、その家がよほど田舎のしかも、おおらかな家だったということなのだろうが)。 そのほか、ヨーロッパではスズメを人家の周辺から駆逐してしまったイエスズメが、シベリアを経由して、北方から日本に上陸しつつある気配があることや(そうなったら、スズメが人家の周辺から追い立てられてしまうかもしれない)、スズメについてのさまざまな話が盛り込まれている。 こういう本を読むと、庭に来るスズメをよく観察して、個体識別でもできたらと思うのだが、いくらみても、同じスズメに見えてしまう。注意力が散漫なのか、根気が不足しているのか・・・。 でも、身近な自然の本は、読んでいても楽しい。
2007.03.20
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「れん」を、庭に放牧する時間がけっこう長くなっている。もう、彼もだいぶ強くなっており、侵入する猫などを見かけようものならば、羽をばたつかせながら、猛然とダッシュして敷地内から追い払ってしまう。アンチ猫。猫の糞よけにもなる(自分の糞は、そこら中にしてくれるが、これは鶏糞として、お許しを)。 さて、この間は、大きなネコが入ってきた。が、われらが「れん」、このネコにも猛然と襲い掛かった。そのネコ、体長170センチ。直立二足歩行。そのうえ、お届けものまで持っていた。「れん」が襲うと、「わ~、なんだこれ」といいながら、門を開け逃げてしまった。 クロネコヤマト様。ゴメンナサイ。注意しますから。本人に悪気はないので。 保険の勧誘のおばさんも、ネコとは関係ないのに、襲ってしまった。 「れん」の縄張り意識の強さには、驚かされる。
2007.03.19
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近世考古学の本。江戸時代は、文献もかなりそろい、絵画資料も多いが、それでもやはり実物が発掘されて、初めてわかることも多い。 火事が大きな問題となっていた時代に、屋根を瓦でふくことは、防火上重要なことだが、これは金がかかる。単に瓦代だけでなく、その重さを支えるためには、柱の太さなども重要になってくる。そんなころ、その代用品として、牡蠣がらで葺くというのがけっこうあったとか。でも、なかなかその屋根を葺いた牡蠣がらが見つからないとか。ん~。不思議。 そのほか、食生活の痕として、いろいろな骨も見つかっているが、その中に、江戸の町ではニワトリが飼われても、それは愛玩、卵採取用、あるいは時を告げるものとして、鶏そのものを食べる目的としては飼われていなかったとか。卵を産まなくなった鶏は、神社などに奉納(用するに、境内に捨てるということか)されたという。しかも、参拝に訪れた人が、エサをやるなどして、それなりに幸福な老後を送ったとか。あるとき、そのニワトリを食おうと、絞めた男がいたら、悪者として、周りの人間に袋叩きにされたとか。 狭いゲージの中で、食肉あるいは鶏卵生産装置と化した現代のニワトリに比べてなんと幸せなことか。 でも、この本を読んで、いまひとつ近世考古学の成果が見えてこなかったのは何故?
2007.03.18
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ダイナミックな話の展開はひきつけられるものがある。だけど、切断した腕を保存しておいて、それを放置することで本当に身代わりの死体なんて制作できんの?。だって、専門化がみれば簡単におかしいと思いそうなものだけど。まあ、あら捜ししても、しょうがないか。
2007.03.17
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うりぼうずの卒業式。前日夜勤のワタシがおきると、二人が髪型の調整の真っ最中。なにが気に入らないのか、かんしゃくもちの「みい」がかんしゃくを起こす。それと、奥様が真っ向から衝突。晴れの日というのに。ついでに「くう」もふくれっつら。 家の前で記念写真を撮ろうとしたが、その間もずっと膨れっぱなし。とりあえず二人を送り出したが、奥様は泣き出す始末。もちろん、別に感激してのことではない。とにかく、精神状態が不安定なのだ。「もう、式に行けない」とか「みんなアタシのせいなのよ」とか、このところ鬱状態があまり良くなかったが、ここでまたこんなになるとは。奥様の精神状態がよろしくないことを、子供も気づいているだろうに、それに対する配慮が欠如。困ったもんだ。 どうにかこうにかなだめて、学校に向かったが、ほとんど遅刻寸前。大半の親はすでに着席していた。 式が始まるが、反日分子のワタシは、君が代斉唱のときに、それまでたっていたのに、着席する。ほかに・・・・そういった親はいなかったようだが(当たり前か)。 式はもちろん、そんなことにお構いなしに進行する。二人がそれぞれ名前を呼ばれて証書をうけとったが、まあ、幼稚園の卒業式のような感慨はなし。それよりも、今後どうなることやらという思いの方がはるかに強かった。 式が終わってそれぞれが記念写真をとったりしているときにも、うりぼうずはこちらをほとんど無視したような態度。カメラを向けると、わざと、顔を背ける。 いい加減なところで、夫婦で会場を後にしてしまった。 まあ、そんなものだろうとは思っていたけれど。
2007.03.16
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1961年に初版の全集の一冊。昔から家にあるが、いったい誰が読んだのか。ワタシは拾い読みした経験はあるが。買ったのは父のはず。でも、まともに読んでいるのを見た記憶はないが。 そもそもフランス革命の知識なんて、世界史の授業でやった域を出ることはない。それも、大半は忘却のかなただった。でも、読んで少しは思い出した。それにしても、なんと大量の血が流れたことよ。革命というものの、人間が熱狂した場合の恐ろしさが理解できるような気がする。その一方で、フランスの王制のむちゃくちゃさ。これは革命になってもしゃーないかなと。 でも、40年前のこの手の本は、非常に読みやすく書かれているが、現代の歴史の本だと、これがどうなっているんだろう。
2007.03.15
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小学校で、卒業生を送る会があった。この種の催しは、ほとんど参加しているはずなのだが、「みい」がしつこく「お父さん、こないでよ」というので、行かなかった。別に行けば行ったで、どうってことないのだが、なんか「みい」があまりしつこく言うので、こっちも面白くなく、「じゃあ、行かない」と宣言。 参観して帰ってきた奥様によれば、いつも来ているワタシがいないので、他のお母さんたちが「あれ、どうしたの」と言っていたとか。あほな親子喧嘩でした。
2007.03.14
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浅田次郎のものを初めて読んだ。まあ、一気に読めたけど。要するに、こういうものかという感じか。面白いといえば面白いが、ばかばかしいといってしまえばそれまでになってしまうのだが・・・。
2007.03.13
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ほぼ、ウィーン会議から普仏戦争までのヨーロッパの動き。中心になるのは、やはりフランス。革命の影響力は、大きいのか。多くの国は、この時代に国家、国民がはっきりと形作られたのだが、結局それらの国家像、国民像も、それぞれの属する階級によって異なるのだから、まさに同床異夢。多くはバラバラな動きとなってしまうのも無理はない。もちろん、フランスも同じか。 教科書にすれば、英、独、仏以外は、ほとんど一行で終わってしまうようなものだが・・・。読んだ端から忘れてしまう。
2007.03.12
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皇居周回のハーフマラソンに、会社の同僚らと3人で参加。朝から、かなり強い雨が。会場についても、勢いは収まらない。気温も低い。しかし、スタート30分前ごろから、なんとか小ぶりになってきて、アップもできる状態に。 スタート。それほど人数も多くないので、スタート時の混乱もなく、すぐに10番手ぐらいにつけた。それから徐々にペースを上げ、最初の一周が終わった時には21分台(時計を押し忘れた)。あとは少し前方のランナーを目標に走る。二周目が終わった時点でも、それほど苦しさはなく、43分台。時折雨が強くなるときもあり、けっこう風もあったが、走るのに苦になることはなかった。給水もそれなりにとることができた。三周目が終わったあたりで、多少足に来たが、1時間5分ぐらい。最後の一周と、思い、先行するランナーにも、あまり離されずにつくことができた。4周が終わった時点で、1時間27分台。残りは1キロちょっと。1時間半はさすがに無理。前のランナーを追い抜かそうとけっこうマジに走ったが、無理でした。結果は、1時間32分ちょっと。最低ラインとして、1時間35分は切ろうと思っていたので、まあ、なんとか目標はクリア。もちろん、ベスト(ハーフを走ったのは2回目なので)最後の落ち込みもなかった。それでも、やはりかなり足には来ていた。 このタイムを二倍してみても、サブスリーなんていうのはまだ遠い話。スピードもつけなくてはならないし、スタミナをつけなくてもいけないし。やることはいっぱいあるのに、何もやっていない。とりあえず、今年はフルで3時間15分を切るのを目標にしてしまったが、道は険しそう。
2007.03.11
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さて、ボタンインコの「そら」勝手にメスだと思ってきたが、本当だろうか。そう、卵を産んだことがまだないのだ。独身?だったら産まないのか。でも、ニワトリは産む。排卵と考えれば、人間だって月に一度は産んでいるではないか。もう、年齢も1年と4ヶ月ぐらいにはなっているわけだから、十分適齢期であろう。 普通のインコってどうなんだろう。本を読んでも、そんなこと書いてないけど・・・。 そもそも、メスと思っていた根拠もけっこういい加減。背中をなぜてやると(本にはあまりやるなとはあったが)翼を広げて発情行動のようなものをとったから、勝手にそう思い込んでいたのだ。 卵でも産めば、白黒はっきりするのだが。
2007.03.10
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結局、子供たちの小学校で、本格的に塾に通って受験したのは、うちの「みい」も含めると、5人ほどか。しかも、そのうち二人は、武運つたなく結局公立に通っている。そのほか、優秀な女の子で、国立の付属に行ったのが一人。あと、あまり受験が必要でないような(あまり、その辺は詳しくないが)私立に行ったのが、3人ぐらい。本格的に受験して行ったのは(必ずしも、それぞれが思い通りに行ったわけではないが)3人だけみたい。 まあ、いろいろと話は聞いたが、まだ受験熱というには、遠かったというべきか。
2007.03.09
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第一志望に合格してしまったので調子に乗って、ワタシが、正真正銘の高望み校の二回目試験を受けてみたらと、「みい」をそそのかしてみた。しかし、本人はもう気が抜けてしまったのか、それ以上に、「いくらなんでも入れるわけはない」と思ったのか、まったく乗らず。結局、双子枠のある学校も、そのまま受験料は払い込んでいたものの、受けることなく、あっけなく中学受験はおしまいになってしまった。いったいなんだったんだろう。 でも、親としてみれば、達成感、満足感が沸いてこなかった。これは、奥様も同じこと。「みい」は、とにかく入ったが、六年生になるときに、受験を放棄した「くう」は、この選択でよかったのだろうかと。そう、それは中学校生活が始まった今でも、ひっかかるものがある。
2007.03.08
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二日後に、最後に受験した学校の発表があった。別に見に行かなくてもよかったのだが、せっかく受けたのだからと、ワタシが発表を見に行く。無事に合格していた。 書類を受け取ったが。さて、そこで入学する意思がないことを伝えるべきだったか。その方が、二次試験などの合格者数の割り出しなどのためにも親切だったか。しかし、逆にその場で「行かない」なんていうのも、失礼にあたるような。結局なにも伝えずに、その学校を後にした。もう、ここにくることはないだろうなと思いつつ。 そういえば、「みい」もこの学校には一度も足を運ばなかったことになる。もともと学校見学や文化祭の時も、「くう」のためということで、こちらは足を運んだ。試験も、この学校とは別の会場で受けたのだから。縁が薄かったということなのか。 ヒマだったのでそこからランニング。一応、ランニング用のザックを持っていったので、そこから会社の方を目指して走っていく。しかし、やはり遠い。23キロほど、走ったり歩いたりしながら進んだが、時間も迫ったので途中から電車に。
2007.03.07
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さて、火曜日また、「みい」は奥様と一緒に受験会場へ。この日は、日曜日に受けた2校目の発表が10時からあった。「まあ、会社に行く前にヒマだから、一応見てくるか」と、出かける。学校の最寄り駅に着くと、反対側から、一番で発表を見に行ったらしい親子などがぞろぞろと歩いてくる。さすがに、みんな一番に見に行くんだなと感心。それにしても、子供も一緒とは。学校の授業はいいのかなと、心配もしてしまう。 見ていると、学校の名前の入った大判の封筒を持っている人がいっぱいいる。「ああ、あれは、合格者のものか」などと、思いながら歩く。それにしても、封筒を持っている人の多いこと。発表帰りとおぼしき人々の7~8割ぐらい持っているのではないかと思わせるほど。こんなにいるのに、手ぶらで帰るのも・・・と、思っているうちに、学校に到着。掲示板の前に行ったが、もうあまり人もいなくなっている。 なんだか、数字だけはいっぱい書いてある。名目では10倍ぐらいだった競争率だが、実際の番号を見ていると、二人に一人以上は合格しているように見える。「ん?、あれ、「みい」の番号か」。もう一度受験票と見比べる。たぶん、間違いない。封筒をもらうために、受付にいったが、なんか「これ違いますよ」と言われそうで、それなりに緊張してしまった。 駅へ向かう途中で奥様に公衆電話から電話(なんと、携帯電話なんてもの、イマダに持ってません)。奥様はいったん家に帰っている。「受かってた」というと「え~」と、いう。うれしいというよりも、「なんでまた。あんなのが受かっていいの?」という感じ。まあ、意外だったのであろう。 受験が終わるころを見計らって、奥様は「みい」をまた迎えに行く予定だったので、どうせなら、発表会場へ連れて行って本人に自分で受験番号を見せてやろうということに。それも、合格していると教えないで。 「みい」の受験会場の前で奥様と落ち合い、封筒を渡す。ワタシはそのまま会社へ。あとで聞くと、本人はピョンピョン跳ねて、喜んでいたとのこと。一応、受験校の中では,第一志望だったもんね。ただし、これがなければ、学校に行き、午後の授業は受けていたはず。ここまで一年から皆勤だったのに(もちろん、書類上は、受験が理由なので、休みにはならなかったけど)。
2007.03.06
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土、日と試験が続き、月曜日は試験なし。でも、土曜日の学校の発表があった。学校まで行ってみる気もなく、ネットでの発表を見る。見事に不合格(もしかして、掲示板を見に行っていたら合格していたとか・・・なんてことはないか)。日曜日の受験校は、さらに出来が悪そうだったから、これは滑り止め的存在の火曜日の学校しかないか・・・。まさか、ここは落ちないよなと願いつつ。
2007.03.05
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一校目の翌日、二校目の受験。またつきそいは奥様に。実は、この日に試験があることがわかっていながら、奥様は、ロードレースの出場申し込みをしていた。それほど遠くない学校なので、送り届けたあとで、レースの方に向かうことはできたのだが、さすがにそれはぜず、せっかくの出場料がムダに。この日に試験があることはわかっていたのに、なんとムダなことを。どうせなら、走ってしまえばいいのに・・・。 で、よくわからんが、帰ってきたら、算数がぜんぜんできなかったと。どれどれと、問題用紙をださせて、見直してみる。本人の言うとおり、まったくできていなかった。半分なんてものではない。4割、いや3割5分。イチロー並か。どう考えたってわかるような問題すらできていない。この学校、二回目の試験もあるが、「これじゃ受かるわけないから、二度目受けなくていい」という。確かに、今回は無理だろうが、まあ、たまたまできる問題が出ることもあるだろうと、二回目を受けることを勧めたのだが。でも、これで残る三校目は翌々日の火曜日。
2007.03.04
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レースがあったのは、1月25日のこと。昨年出場した近くの団地のマラソン大会が、今年は場所をかえて、少し離れて自衛隊の演習場の中で行われた。 自衛隊の演習場なんて入ったこともなかったので、けっこう興味津々。 さて、本来は5キロにでも出ようと思っていたのだが、今年は10キロの参加者も多く(演習場の中を走ってみたい人も多かった様子)40人ぐらいはいたので、急遽、10キロに参加(当日参加でいいのが、この大会のいいところ)。スタートは、それほど速くもなかったが、徐々にペースアップ。2、3キロいったあたりで、たぶん、4、5番目だろうなと思った。5キロぐらいまでに、3位ぐらいに。参加者が少ないので、だんだんと前にも後ろにもあまり人が見えなくなるような状態。途中の距離表示はこちらの推測だったが、5キロで20分12秒ぐらい。5キロだけで走れば、20分を切れるかも知れないが、そうとうきついペース。結局、10キロで40分56秒で3位。 本当に、手作りのローカルな大会だけど、初めて賞状とメダルなんてものをもらってしまった。少なくとも、スポーツで賞状なんてもらったのは、生まれて初めて。いや、スポーツじゃなくても、賞状なんてもらったことがない(まあ、勉強の賞状なんてないだろうけど。あってももらえないか)。もちろん、メダルといっても、たぶん、新聞の販売店が提供した、別にその大会の名称も書いていないメダルだったが。それでも、初めてなもんで。 さて、今年の目標として、10キロで40分を切るとしたものの、かなりのレベルアップが必要であろう。これでキロあたり5~6秒も縮めれば、40分は切れるだろうが、その5~6秒というのが難しい。最後の方は、かなりしんどかった。そのためには、スピード練習が必要なのか、それともとにかく走りこみをしなければならないのか。 まあ、スピードなんていい年をして追求しちゃうと、心臓がストライキ起こすかも。
2007.03.03
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なんてことをしているうちに、受験当日がやってきてしまいました。最初に受けたのは、マンモス受験で有名なところ。ワタシがついていくことは拒否されるので、当然、奥様が付き添いに。例のごとく、いろいろな塾の先生方が、会場前で激励してくれる。以前通っていた塾の先生も声をかけていたらしいが、本人は顔を合わせたくなかったようで、下を向いてこそこそと。 そもそも、ここは、本人はもちろん、奥様も一回も学校に行っていない。ワタシが願書を取りにいっただけ。せいぜい、以前通っていた塾の主催する説明会を聞いただけ(そのころは、あまり受ける気もなかったのだが)。過去問すら買っていなかった。 それで、合格するわけはないでしょう。偏差値的にも、一年前ならば、滑り止めにと思っていたのに、受験期には、高望み校にかわり果てていたのだから。発表は、翌々日。
2007.03.02
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今更ながら、今回の受験騒動のことを振り返って見るか。年末年始は、もちろん、塾。その間、ヒマなので「くう」は、奥様の実家へ一人で遊びに出かける。もっとも、だんだんと大きくなると、「おじいちゃん」「おばあちゃん」でもなくなるのだろう。それに、いつも一緒だった「みい」がいなくて、それなりに退屈だった様子。 そして、肝心の「みい」は、塾に行くことには、さして抵抗はないが、家に帰ってまで勉強をする様子は見られない。こりゃアカンというのが、ワタシ、奥様、さらには塾の先生の共通した感想だったみたい。
2007.03.01
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