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来るってよ.......昨日何も流れて来なかった時点で、中止だと思ったんですけどね...... https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201031/k10012689681000.html 首相が政府宛に書簡送るくらいのつもりだったら、よっぽどやりたいんでしょうね..... そういうことなら、受けて立たねばなりますまい.........
2020年10月31日
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https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/austria/ フランスは事実上再ロックダウンだとか、相変わらず大変なことになってますが… オーストリアの感染者数は1日あたり3千人を超えてるそうですよ… 日当たり犠牲者数も30人とか… 人口あたりでは感染者も犠牲者数も日本の50倍はいってる計算になるけれど… 演奏会やったら感染するとは思わないですよ、そんな風には。でも、向こうが来たいというなら止めないけれど、今はそれどころじゃないのじゃないのか君達、と思うし、日本側がどうしてもとか言ってるのなら、やめろ、と思いますよ。 疫病から逃れる為にほとぼりが冷めるまで日本に逃げて来たいとか言うんだったら、まぁ、わかるけど、あり得ない…
2020年10月30日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.61 交響曲第5番 ハ短調 op.67 「運命」 <独奏アンコール> クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ ヴァイオリン:服部百音 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:チョン・ミン 元々はどういうプロだったか、チョン・ミュンフン指揮で、Vn協奏曲と「英雄」という筈だったのが、チョン・ミュンフンは来られないということで、東フィルのアソシエイト・コンダクターでミュンフンの子息であるチョン・ミンが登壇。 まぁ、ねぇ。しょうがないわね。こういうことになると、「ウィーンフィルは来ない方がいいんじゃないか」なんて勇ましい?ことを言っていても、一方でこれはどうなのよ、と思ってしまったりするのであります。 今月が東フィルとしては今年最後の定期演奏会。東フィルは1〜12月で1シーズンにしているので、これが最後の定期演奏会ということになります。結局今回も1席空けの再配席で、それでも全部埋まってるわけではない、という。 悩ましいですよね。こういう実態を見ると。昨日書いた、この公演の後に行った仲道郁代も、おそらくは一席空けの2回公演で、それでも埋まりきってはいませんでしたから。皆苦しいのだと思います。 きっと、急激に悪化せずとも、春になるまではこんな感じだと思うんですよ。なんか、こう、「ウィーンフィルだぁ!」って言って大騒ぎする気には、ちょっと、ならないんですよね。或いは、飽きちゃったのかな。この騒ぎでそれに気付いてしまったということなのかも。まぁ、なんとも。昨日の仲道郁代みたいに、改めて気付いて考えながら帰ってくる、なんてことだってあるので、多分、音楽に飽きてはいないんだろうとは思う訳ですが。 東フィルの話。 ともあれベートーヴェン・プロの前半は、ヴァイオリン協奏曲。ソリストの服部百音は、1999年生まれ。若いですねぇ、とか言ってしまう歳なのだよなぁ..... いい演奏ではあったと思います。ただ、なんというか、毒がないなぁ、と。 あの、よくこういう時に、色気が足りない、みたいな言い方をすることはあるんですが、今回直感的に思ったのは、むしろ「毒気」なんですよね。それは我ながら面白く思いました。今までこの曲をそんな風に思ったことはあまりなかったのだけれど、なんでしょうね、綺麗だとかなんだとかとは別の次元での、ざらりとするような触感があるのかな、と思ったりしたのですが、何でだろう.... 演奏自体は悪くないんですけれどね。あ、あと、カデンツァが「あれ?」という感じだったのだけれど、何というか、元々あるモチーフを繋いでるねぇ、というのが前に出てる感じで、なんだか物足りない感じだったかなと。よくあるカデンツァって、これだったっけなぁ? 後半は運命。 何というか、久々に「現代オーケストラらしい演奏のベートーヴェン」を聞いた気がします。編成は恐らく12-12-10-8-6の、ベートーヴェンとしてはフル編成。で、レガート上等フェルマータたっぷりで、遠慮なくオケを鳴らす。最近はこういう演奏結構少なくなった気もしますが、やっぱり、現代のフルオーケストラをきっちり鳴らすというのは行き方としては間違ってないと思います。大体が、ピリオド演奏というのは、「正しい」演奏ではないのであって、こういうアプローチは決して間違っていないと思います。現代のフルオーケストラでベートーヴェンをやるべきではない?そこまで言うならそれはそれで間違ってもいないかも知れないけれど、むしろ現代オーケストラを聞きに行ってはいけない気がします。無論このアプローチが唯一無二の正解ではないのだしね。これはこれで良い。 そういう意味では、チョン・ミンの指揮も決して悪くはないと思います。英雄から運命に切り替えたのか、と思ったけれど、ちゃんと練れた演奏だったと思います。
2020年10月26日
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東京文化会館小ホール 18:00〜 ドビュッシー:前奏曲集 第一巻 映像 第一集、第二集 喜びの島 <アンコール> ドビュッシー:ベルガマスク組曲 〜 月の光 ピアノ:仲道郁代 ウィーンフィルは来ない方が....とか言いながら、今日はダブルヘッダー。どーゆーこっちゃ、と。いや、矛盾はしてないんですけれどね。私の中では。端的に言ってしまえば、ウィーン・フィルは来日しなくたってウィーン・フィルたり得るけれど、東フィルや仲道郁代はここで演奏会しないと存亡の危機に立たされるかも知れない(立たされないかも知れないけれどね)、というね。 それはともかく。 この公演があるじゃないか、と気付いたのが1ヶ月ほど前。東フィルの定期があるからな、と思ってよく見ると、2回公演で2回目は18時から。これなら行けるな、と思って、結構お高いチケットだったけれどフラフラとつい出来心で買ってしまっていたのでした。もうちょっと落ち着いてると思ったんだけどなぁ... 東フィルの方を先に聞いたのだけど、そっちの話を書かずに先にこっちを書くのは、まぁ、こちらの方がちょっといろいろ考えさせられてしまったから。 いや、演奏は良かったですよ。面白かった。仲道郁代の演奏は、ふんわりした演奏ではなくて、いっそベートーヴェンでも弾くかのような、骨太の芯の通った演奏。明晰でもある。ごく真っ当なピアノの演奏だったと思います。東京文化会館の小ホールというのも良かったのかも知れないですね。どうしてもチケット代は高くなるのだけれど、この大きさのホールはやっぱりリサイタル向き。特にここの小ホールはいいですね。ピアニストは無理しなくてもきちんと音が通るし。 前後半で言うと、前半の方が個人的には良かったなと思います。仲道郁代の力強さ、明晰さがより生きる曲が、前奏曲の方に多いように思いましたので。実は「帆」なんかも明晰に弾かれると魅力的ですし、「西風の見たもの」なんて素晴らしいですよ。 演奏はいいんです。ただ、久々にドビュッシーを生で聞いて、思ってしまったのだけれど.... ドビュッシーって、一般的には印象派なんて言われて、それこそふんわりした曖昧な、掴み所のない音楽、って思われる部分があると思うんですね。或いは構成がはっきりしないような音楽。でも、生で聞くと、やっぱり、こうした明晰で力強い部分もあって、むしろ生で聞く際には、そうしたところこそが聞きどころになるようにも思うし。それが顕著なのは「沈める寺」でしょうか。この曲も久しぶりに聞いたけれど、やはり生で聞いていると、幾重にも立ち上ってくるような音の積み重ねが、いわば物理的に迫ってくるのが楽しい、とも言える。 のだけれども。一方で、いや、もっと掴み所のない響きというのもあるよね、とも思うわけです。でも、そういう響き方というのは、こういう風に聞いていると、ちょっと座りが悪かったりするわけです。「映像」なんかには、そういう響きも少なからずあるのでして。「喜びの島」なんかになると、そうしたものと力強さとが相俟って迫ってくるわけで。あるレベルを超えるとなるほどこれは難しい、と思う訳です。決して仲道郁代の演奏がダメなのではなくて、ただ、他の可能性も見えてしまうのですね。聞く側の問題だと思います。 ドビュッシーは、難しいのだな.....直前に聞いてたのがベートーヴェンだけに、久々にこういう演奏を聞くと、ドビュッシーは実は難しいのだな、と改めて思います。 「喜びの島」が終わるや、立ち上がって拍手してる人がいたけれど、ああいう人って、きっと、何聞いてもああいう風になるんだろうなぁ。ある意味幸せですね。うらやましいといえばうらやましい....
2020年10月25日
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いえね。 今日の昼間に書いたエントリーを挙げた後も、なんかすっきりしないなぁと思いながらいろいろ考えてたんですけれどね。 これはあくまでごく個人的な意見なんですけれどね。 やっぱり、今回は、ウィーン・フィルは来ないほうがいいんじゃないかと思うんですよ。 ちょっと説明し切れるか、なんとも言えないんですけれどね。先に言ってしまうと、私、チケット持ってます。持ってるからああでもないこうでもないって言ってるんですが.....もっと言うと、やればきっと行くんですよ。なんだかんだ言っても。でもね。 まず、端的に言ってしまうと、ウィーン・フィルの来日公演って、結局娯楽だと思うんですよ。あのぉ、ウィーン・フィルの来日公演には芸術性が無いとか言ってるわけでは無いです。ウィーン・フィルの来日公演なんぞに行く奴は芸術が分かってないとか言うつもりもないし。娯楽がいけないとも思わない。 ただね。日本は未だ鎖国に近い状態だけれど、それって割と全世界似たような状況にある訳ですよね。日本はたまさかそれほどひどい状況にはないということで、割といろいろ戻りつつあるけれど、じゃぁ何もかも元通り、というわけにはいかない。その日本よりもオーストリアだけでなく欧州全体は総じて酷い状況にあるわけです。 そんな中で、音楽なんてやってる場合じゃない、とは、思いません。ただ、今は決して平常時とは言えないと思うんですね。この状況下で、来日して演奏会やることの意味が、ちょっとよく分からないんですよ。 娯楽だ、というのは、消費対象である、と言い換えてもいいと思います。ウィーン・フィルが来日して演奏をする、そのことに芸術的な意味がないとは、送り手と受け手のどちら側にも言えないとは思います。金銭的に儲かるのかどうか、これもよく分からないけれど、そこに需要があるならば、そこに意味はあるのでしょう。でも、それはやっぱり意味はあるんだろうか。 春先にウィーン・フィルのチケットを買った時、この事態も秋には落ち着いて、普通に来日公演なんかも行われて、いろいろ元に戻っていて、と思って、買ったんですよね。でも、とてもじゃないけれど、まだ事態は元に戻ったとは言えない。国内オケだって新国だって行ってますし、それなりに楽しんではいるけれど、決して何もかも元通りになっているなんて言えない。この週末も行くけれど。でも、出演者は変更に次ぐ変更の上だし、とても平常通りではない。 そんな中で、わざわざ日本に来て、公演を打つことに、どんな意味があるんだろう。殆ど日本人だけの公演を幾つも聞いたからこそ言わせて貰うけれど、そうした日本の公演だってとても埋まってるといえる状態ではないです。まだまだ戻り切っていない。そんな中で、娯楽としてのウィーン・フィルを聞くのか、と思ってしまう訳です。翻ってウィーン・フィルにとって、この状況下でわざわざ日本に来て演奏会をやることの意味はなんだろう、と。 いや、いいんですよ、それでも。そもそも「娯楽じゃない」という意見もあるだろうし。でも、正直いうとこの状況下でウィーン・フィル聞いて楽しいか?と思うんですよね。今、無理してやることに意味はあるのかな、と。いや、意味がなくたってかまやしないといえばそうなんだけど.... 東フィルや東響がやるのはいいけど、ウィーン・フィルは違う、ってのもおかしな話ですけれどね。でも、なんかそう思ってしまうのですよ....
2020年10月24日
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いやぁ...... 20日目処で開催可否発表すると言っていたウィーン・フィルですが、20日でなくて月末目処に、と発表し、更には、チケット再発売すると言い出しました。 https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20201114_M_2.html 引用しておきます。>本公演は引き続き、公演開催に向けての準備を進めており、開催は確定しておりませんが、お客様からのご要望も多く、また公演開催予定日が近づいてまいりましたので、公演準備の一環として、10月24日(土)10:00よりチケットの再販売を開始します。>今回の再販売は、政府方針のイベント開催制限により定員の50%で売り止めていた座席を、制限の緩和をうけ、公演の開催準備のために再開するものです。>いかなる場合でも、公演が中止となった際には、チケット代の払い戻しをさせていただきます。お客様にはご迷惑をおかけし申し訳ございませんが、公演開催可否の決定については今しばらくお時間をいただきたく存じます。>公演開催可否を決定次第、速やかにホームページ等でお知らせいたします。 いやぁ........ 正直言うと、中止だとばっかり思ってたんですけれどね......やるの?本当に?来れないと思うよ? 昨日、政府が「ビジネス目的で3日間の滞在について入国緩和の方針」とか報じられてるんですけれどね。ウィーン・フィル、特例で入れるの?でも、欧州は、今まさに拡大しつつある状況なんですが.... オーストリアは昨日今日あたりでは1日1,500人感染者が出てるとか。人口比100万人あたり80人くらい。日本は大体4人とかなので、20倍ですね。 いや、まぁ、大丈夫っていやぁ大丈夫なんでしょうけれど、この状態で入国OKにするのかねぇ.... つか、この状態で売りに出すとか、本気かと..... さて、東フィル。 東フィルも無茶って言やぁ無茶ですけどね。 https://www.tpo.or.jp/concert/2021season-01.php 何が無茶って、1月にバッティストーニ来るとか......怪しいぞ........まぁ、代役ももう考えているんじゃないだろうかと考えれば、取り敢えず計画しただけかなと。 来年は見事に声ものがありません。2月にチョン・ミュンフンがマーラーの「復活」を振るだけ。あとは声ものはなし。徹底してます。7月と9月の2ヶ月かけて、チョン・ミュンフンがブラームスの交響曲を全曲やる、というのが目玉って言やぁ目玉ですかね。バッティストーニは1 月は「ダフニスとクロエ」と「火の鳥」、5月にプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」とピアソラ、11月にチャイコフスキーの5番と自作のフルート協奏曲。あとはプレトニョフが3月に今度こそ「我が祖国」、6月に尾高忠明がラフマニノフ・プロ。 うーん....... 凄いのは、8回の内ソリストがいるのは3回だけ。これもあまりない組み方かなと。まぁ、分からなくもないですけれどね。お金も掛かるしリスクも増えるし.....とはいえ、ちょっとこれは緊急体制ですかね。 新国立劇場もそうですけれど、やっぱりそう簡単には落ち着かないですわな....... そういう意味では、まだまだいつの話だってところですが、LFJはどうなっちゃうんでしょうね...
2020年10月23日
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連日こんな話ばかりですが....というか、丁寧に拾えば幾らでも出てくるんでしょうけれど..... NYフィルが今シーズン、というのはつまりこの秋から来年春までの公演を全部キャンセルしたそうです。 https://www.cnn.co.jp/showbiz/35160887.html ストリーミング配信や街角コンサートは続けるそうですが、あのクラスでシーズン休止っていうのもなかなか凄い話ではあります。 でも、似たような話はきっと今あちこちで幾らでもあるのでしょう。流れて来ただけでも、アムステルダム・コンセルトヘボウ管は向こう一ヶ月、11/5までの公演をキャンセルしたそうです。 こうしてみると、日本は平穏無事な方なんでしょうねぇ。それでも自粛で経済が回らないとか、ひょっとするとよっぽど脆弱と言うべきなのか..... その日本。東フィルは、今月の定期演奏会は、チョン・ミュンフンのベートーヴェン・プロを予定してましたが、チョン・ミュンフンは来られないということで、アソシエイト・コンダクターでチョン・ミュンフン子息のチョン・ミンが代役として振るそうです。......ふーん...........どうせなら、尾高忠明とか........まぁ、しょうがないか。 演目も一部変更。ヴァイオリン協奏曲は予定通りで、後半の「英雄」を「運命」に差し替えるそうです。 座席は、既に1席おきの配置にしてあるのをそのまま継続するようです。S, A席には余裕があるようで、各公演追加販売もする模様。 https://www.tpo.or.jp/information/detail-20201005-01.php その東フィルの来シーズンの予定が発表になりました。 https://www.tpo.or.jp/concert/2021season-01.php いやぁ....なかなかアナウンスされなかったので、どうするんだろう、いろいろ頭を悩ませてるんだろうな、とは思ってましたが、これは.......やけくそ感すら漂うという...... バッティストーニは年明け早々を含めて3回、チョン・ミュンフンも3回、あとはプレトニョフと尾高忠明。そして、毎年2,3回は入ってる声ものは今回は1本だけ....それも、声楽入り、のレベル。 まぁ、継続するけどね。 細かい話はまた改めて書こうかと。
2020年10月14日
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https://www.operacity.jp/topics/detail.php?id=648 昨日どうこう言っていたそばから、12月に予定されていたドイツ・カンマーフィルの来日公演が中止だそうです。 まぁ、ちょっと早過ぎる判断なのか、それとも、現実的に判断した結果と言うべきなのか、実情がどうなっているのか分からないのでなんともなのですが、目に見えている範囲で考えると、「日本が入れてくれない」と言う方向性で妥当、ってことになるんですかねぇ.... 今日のニュースでは、UKで1日の感染者が1万人とか、フランスでは2万7千人とか、ちょっと桁違いになってますからね。シェンゲン域内って考えると、ちょっと躊躇するのでしょうね。まぁ、その辺も含めて知恵出していかないと、いつまで経っても何も開かないってことになりますけどね..... 次の来日ものは、ウィーン・フィル以外では、これまたサントリーのジルベスター&ニューイヤーのフォルクス・オーパーですが........結局どっちも無理じゃないかなぁ........
2020年10月13日
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ウィーン・フィルの2020年来日公演は、10/20目処に決行/中止を決定するそうです。 まぁ、このリンクも今時点での内容なので、後で消えちゃうかもですが。 正直言うと、現時点足下では、日本の方が余程感染者数が少ないのは確か。ドイツで10/8時点で2,972人、オーストリアは1,120人。日本は500 人くらいですからね。ドイツの人口が8,300万人、オーストリアは880万人。10万人あたりでいうと日本は0.36人、ドイツは3.58人、オーストリアは12.73人。そりゃぁ、まぁ、日本政府としては入国させたくないですわな.... 常識的に言うと、来たくないのではなくて、入れたくないのでしょうね。実際、まだ、欧州でビジネスに限っても入国制限を緩和する話にはなっていません。恐らくは、今、どうなるかという話をしているのでしょう。ウィーン・フィル来日公演は間違いなくビジネス案件ですからね。 ただ、まぁ、そんなにオープンにいろいろ出来る環境なのか、と言うと、悩ましくはありましょう。実態として、皆そう屈託なく聞きに行けるものかと。これは楽団ではなくて劇団だけれども、埼玉の劇団が恐らくは稽古で感染拡大して大変なことになってますし。どうしてもある程度生で見聞きしてもらう舞台というのは、こういう場合は危険性は何某か残ることは否定出来ないのでしょう。 いや、現実問題として考えると、危険性は非常に少ないんですよね。東京に限っても概ね1日あたり10万人に一人の感染者、として、仮に7日分が街に居る可能性があるとして、1万人に1人もいないわけです。理屈では。でも、現に感染は続いていますからね。オーストリアだと、その12倍だから、そうすると、サントリーホールに一人二人はいるだろう、ということになる。 まぁ、来日して入国するにあたって、検査もするだろうし、となれば、まぁ大丈夫じゃないの?という気はしなくはないですが、でも、入国させるにはリスクはないわけではないですよね。となると、これはどちらかというと、政治的判断、それも、いつ、どこで入れるか、の判断になるのだと思います。 正直言うと、現時点では、無理なんじゃないかなぁ、という気はします。現時点でウィーン・フィルを入れるには、あまりにいろいろ国境を開いていない。この状況で欧州向けに「開国」は難しいだろうし、といって、「特別に」ウィーン・フィルだけ入れると言うのも難しそう。前にも書いたけれど、やっぱり、この「鎖国」をどうやって開放するのか、迂闊に答えが出せない状況になってしまっているのでしょう。 なんだけれど、でも、Go toはやってるわけでして。まぁ、Go to トラベルは予算配分で揉めてるし、Go to イートは錬金術とか言う話になってるし、相変わらず詰めの甘い事ばっかりやってる訳ですが、こっちの問題としてはGo to イベント。今月下旬には始めるとかいう話ですが、どうなることやら.... 大体が、対象が広過ぎるんですよね。で、業界によって、全然インパクトが違う。映画なんて、指定席でも今精々2500円くらいだから、2割上限2,000円に対しては500円くらいしか安くならない。一方、こちとら1万円まではフルマックスで効きますからね。問題は、公演期日に制限はないのか。フルマックスで効くんだったら、来年の定期演奏会の会員券は対象になるのか。なるとして、1回MAX2,000円引きなのか、年セットに対して2,000円なのか。今時分だと、もう、来年の春から初夏にかけてのチケットは出てますからね。そこまで効くならいろいろ買おうと思うんだけれど......どーなるんでしょーねー..... 今の各Go toの騒動を見ていると、ちょっとどうなるのかな、という気はします。まぁ、それで事業者を支援する、という趣旨なのだから、それでいいっていうことならいいんでしょうけれども。でも、ねぇ....そもそも、じゃぁ行こうか、ってなるんですかねぇ......確かに関係なく行くつもりの私みたいなのにとっては、4公演くらい行くつもりが+1公演、ってことになるんでしょうけれど。でも、例えば、新国立劇場が事業者として選定されれば、放っておいても来るお客が普通に2割引されるだけですよね。或いは、ぴあが事業者として2割引きなのかクーポンやポイントで還元するとして、それって、新国立劇場にとって利益になるのかしらね。そして、だからといって、行こうかどうしようか迷ってる人の背中を押すことになるんですかね。 まぁ、Go to ってどれも生臭い話ばかりだから、こんなものと言ってしまえばそれまでなんですが、冷静に考えるとこれって誰得なんだろう、という気はしますです。ハイ。
2020年10月12日
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テアトロ・ジーリオ・ショウワ 14:00〜 モーツァルト:ドン・ジョヴァンニ 基本的に、このブログは批評のようなもの、まぁ、そんなご立派なものではなくて、精々が乱暴な感想文なのですが、一応そういうつもりなので、アマチュアの公演は俎上に載せないことにしています。良くも悪くも言及しない。アマチュアというのは、つまり、最後の最後の一線で、不特定多数の人に聞かせることを目的とはしていない、というところに線引きがされると考えています。だから、例えば、いつぞやから二期会は取り上げない主義にしています。基本観にも行かないけれど。如何に公演数を増やして大組織になろうとも、最後の最後の最後に、これがパブリックのものである、不特定多数に向けて聞いてもらうものである、という覚悟が不十分な内輪向けのものは、プロと認めません。どんな演出を持ってこようが、どんな指揮者やオケを持ってこようが、アマチュアはアマチュア。というよりは、職業倫理に抵触していると言った方がいいですかね。演奏家としてプロの演奏をするのなら、内輪に向けてやっちゃぁいかんのですよ。演奏家とやたらつるみたがる聞き手も信用しないんだけれども.... 何が言いたいかと言うと、今日の公演は本来書かない部類のものだということ。非難しているのではないですよ。ただ、プロとしてやっていくつもりはあったとしても、これはあくまで大学教育の一環としての公演なので、ここで取り上げるには適さないな、ということ。ポリシーとして。いい悪いではないんですね。なのでキャスト等も上には挙げません。もし万が一誰か関係者が検索してこれを見つけても、悪く思わないで下さいませ。まぁ、何も言わないのもなんなので、ちょっとだけ言及するなら、つまんないから席立って帰ろう、とは思いませんでしたよ。義理を抜きにしても。その上で、敢えて言うなら、やっぱり、ドン・ジョヴァンニってオペラはある種の色気ってものがね、やっぱりね、欲しいんだけど、なかなかその域にまで達するのは難しいよね.....頑張れ..... で、なんでここで取り上げたかというと、つまり、コロナ下でのオペラ上演のスタイルの一つ、ということで。 昨日や木曜日に観た新国の夏の夜の夢は、限りなく通常の公演スタイルに近しいものでした。別に特別な格好をしているわけではなく、歌手の間に少し間を取る感じではあったかな、と思ったけれど、まぁそれほど違和感はありませんでした。合唱も少年合唱団の妖精たちだけでしたしね。客席もフルに使ってましたし。これは、正直、新国立劇場だから踏み切れたんではないかな、という気はします。 一方、今日の昭和音大公演は、ほぼ一席おきの配席。この辺は、やはり、ここでクラスターを出しては元も子もない、という判断でしょう。個人的には、まだどちらが正解とも言い切れない状況だよなぁ、と思っています。東フィルは既に年内、と言っても今月までですが、定期演奏会は一席おきで行くつもりみたいですしね。 で、今日の公演で特筆すべきは、歌手が皆フェイスシールド着用で臨んでいたこと。これは、8月に同じテアトロ・ジーリオ・ショウワでやった藤原歌劇団の「カルメン」と同じスタイルです。オケも同様にピットには入らずに舞台に乗って、舞台前面は歌手が演技をする場。合唱は舞台後方の高く設えたデッキで歌う。舞台最後方には映像を出す。演出は、ここ最近毎年昭和音大の公演で演出しているマルコ・ガンディーニ。 で、フェイスシールドですが、これ、なかなか難しいですね....はっきり、歌手によってそれが邪魔になっているのと、あまり邪魔していないのと、分かれるんですね。人によっては、音域なのかなんなのか、邪魔になっていたりあまり影響しなかったり.....あれはなんだろう?ポジションによって変わるのか、どうなんだろう?大まかにいうと、女声の方があまり影響されていない感じではありましたが。いや、大体が、フェイスシールド付けて歌うなんてのは、やっぱり平常ではないですからね。それで良し悪しが決まるなんてものではないでしょう。ただ、事実として、違いは出るので、それは何に依るのか、というのは調べていいと思います。 演出も、なかなか苦労しているなと思いました。何が一番違和感があるかと言って、抱き合ったりなんたりが一切ないんですよね。それがまたドン・ジョヴァンニで、ですよ。最初の騎士長が殺されて倒れてるところからして、ドンナ・アンナは駆け寄って....寄らない。ちょっと距離を置いて失神する。それをドン・オッターヴィオが駆け寄って助け起こ......さない。というか寄らない。騎士長は、黒い布を持った合唱要員か、4人ほどがやって来て、布に載せて、運んでいく.......うううううむ。大変だよね...... 舞台上に大道具は無く、小道具も殆ど無し。「セミ・ステージ形式」ということで、映像に頼る部分が多くありましたが、出演者の演技がきちんとしていて、決して演奏会型式ではなく、その点では(こちらの慣れもあるのでしょうけれど)違和感なく観られました。まぁ、言ってしまえば、最近の新国のドン・ジョヴァンニだってかなり簡素なイメージなので、舞台の広さの違いくらいじゃね?とまで言うと流石に言い過ぎでしょうが、これも十分ありだと思います。無論、やってる方にしてみれば、無念ではあったでしょうけれども.... そういえば、新国の演出同様、この演出も映像はヴェネツィアと思しきもの。ドン・ジョヴァンニとヴェネツィアっていうのは、親和性があるんですかね。史実のドン・ファンも確かヴェネツィアで投獄されてたのではなかったかしら。 多分コロナ下の生活というのは、もう暫くは続くのでしょう。そういう意味で、こういう時にどう対応するのか、という一つの事例として、記録しておこうと思いました。
2020年10月11日
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新国立劇場 14:00〜 4階左側 ブリテン:夏の夜の夢 (詳細は10/8) というわけで、2回目です。まぁ、元々この一回きりのつもりだったのでね..... 今回はちゃんと舞台も観ています。 で、やはり、これは「オペラ」じゃないよなぁ、と思うのですね。音楽劇。そういう意味では、これは新国立劇場のお客にとっては、かなり前衛的に響くんですかねぇ。 いや、とにかく、お客の反応が悪い悪い。前回も思ったんですけれど、そもそも、皆、「真夏の夜の夢」って読んだことも観たこともないんじゃないですかね、ひょっとして。それこそあらすじくらいは知ってるとしても。殆ど笑いも起きなくて、起きるのは、精々が最後の劇中劇が滑稽だと笑うくらい。1幕も2幕も、確かに幕切れが分かりにくいのではあるけれど、まるで当惑したような拍手だし。 まぁ、「オペラ」って視点で見ると、各幕の最後にフィナーレなりクライマックスなりが設定されているわけではないですしね。盛り上がらないのは確か。音楽も、如何にも「終わりますよ」っていう親切なものではないし。そういう意味で、前衛的に聞こえるのかも。無論、20世紀後半に書かれてるという意味では、相当「新しい」作品ではあるんですけれどね。 音楽「劇」として見ると、これはよく出来ていると思います。「真夏の夜の夢」としては、演劇の方で2007年にジョン・ケアードの演出で出した舞台が翌シーズンも含めて上演していて結構当たったと思うのだけれど、それとはまた全く違った内容で、正直言うと今回の字幕とか、もうちょっとそういう経験を活かせよ、と思うけれど、舞台としてはよく出来ていると思います。この辺は新国の地力でもあると思いますが。 原演出を、現状に鑑みて、リモートで演出を付けながらの「ニュー・ノーマル時代の新演出版」なんだそうです。 具体的には、舞台は「アテネ近郊の森」ではなくて、「森の中を思わせる大きな廃屋」と言ったところでしょうか。まぁ、この辺の舞台設定は、そもそもが妖精が出て来たり、人がロバ頭になったりする劇ですからね。それはそれでいいんじゃないでしょうか。正直、あまり格別な意図は感じなかったと言えばそれまでなんですが。突っ込み始めたらキリはないんです。お屋敷程度でそこまで皆が訳もわからずバタバタするものか、とも言えるし、まぁこの辺はたとえば大きな廃城だとかする手もあるし。むしろ、大きな月が掛かっているのですが、こっちの方がまずいといえばまずい。というのも、そもそも原作でもこの話の時節を「あと数日で新月」と言っているのですね。 ま、細かいことは言えば幾らでも言えます。問題はそれが物語を阻害するのかどうか。 そういう意味で言うと、物語そのものは損なわれてはいないんだと思います。 と言うよりは、そもそもブリテンのオペラ自体が、やはり原作にかなり忠実に作られているんですね。いや、むしろそれ以上に、シェークスピアの「真夏の夜の夢」という戯曲を舞台で上演するために書いた、と言ってもいいくらいなのではないかと。無論、これは、「歌劇」です。歌手はレチタティーヴォとアリア、というような、はっきりした「歌」は歌わないけれど、セリフを喋るのではなく、基本的には歌います。その意味では、音楽的な和声などはともかく、ヤナーチェクのオペラに近いかと思います。いっそベルクに近いと言ってもいいかも知れませんが。 ブリテンのオペラとしての物語は、かなり原作に忠実です。原作にあるアテネの街、宮殿での場面などは割愛されているし、幾つかの場面の順序を入れ替えたりすることはしていますが、台本は原作に忠実であること、たとえばヴェルディの「オテロ」なぞよりは遥かに上です。いや、「オテロ」もかなり忠実なのですが、ブリテンの場合はやはり「戯曲を上演するため」に書いている節があります。ヴェルディが「オペラ」を上演するために書いたのとは、多分、そこが違う。 それは、やはり、ブリテンが英語を母国語とするイングランド人である、というのと大きく関係すると思います。ブリテンには多分シェークスピアの作品自体を改変する気はなかったのではないか。それは、決して、ブリテンが自分の作品としてのオペラに興味がなかったということではないでしょう。「現代音楽」的ではないにせよモダニズム全開の(そりゃ1960年の作品なのだから当たり前と言えば当たり前なのですが)音楽で書かれているに関わらず、この作品は歌手の歌っている、或いは語っていると言ってもいいくらいに、何を言っているかがよく分かる。そういうものとして書かれています。 であるだけに、ちょっとね、英語の発音がね...... 元々は主役級を来日組に預けるつもりだったので、代役だから仕方ないとは言え、もうちょっと歌手は発音に気を付けて欲しいのですが、英語になってないとか、何言ってるか分からない人がいましたね。普通のオペラなら、まぁでもしょうがない、で済むかも知れませんが、この作品の場合はやっぱりそれではダメでしょうね。これはまずオペラである前に何よりも芝居であり、しかも、ひょっとするとオペラですらないかも知れないので。ま、殆ど二期会会員だし、多くを期待しちゃいけないというものですがね。 やっぱり、お客さん、あんまりよく分かってなかったんじゃないですかね。私は最初観に行った時に逆に舞台が見えない分だけその点が分かってしまったので、そういうものとして観てたんですが、「オペラ」を期待して来た人達はあまり面白くなかったんじゃないですかね。コロナ下だからキャスティングが、というのはあるにせよ、そもそも開幕にこれを配したというのは物凄くエッジの立ったことをやっていた、ということじゃないですかね、実は。ただ、それに対してお客がついて来ていたのかというと、ちょっとどうなのかなぁ。 以前から、日本のオペラのお客は、そもそも舞台というものに馴染みがなくて、見方がよく分かってないんじゃないだろうか、と思っていたのだけれども、これはそれがはっきり出てしまったような気もします。 でも、「オペラ」としては異色に見えるかも知れませんが、これはやや極端に芝居という要素が前に立っただけで、本来はどのオペラもこういう要素はあるものだと思うんですけれどね。
2020年10月11日
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新国立劇場 18:30〜 4階Z席 ブリテン:夏の夜の夢 オーベロン:藤木大地 タイターニア:平井香織 パック:河野鉄平 シーシアス:大塚博章 ヒポリタ:小林由佳 ライサンダー:村上公太 ディミートリアス:近藤圭 ハーミア:但馬由香 ヘレナ:大隈智佳子 ボトム:高橋正尚 クインス:妻屋秀和 フルート:岸浪愛学 スナッグ:志村文彦 スナウト:青地英幸 スターヴリング:吉川健一 TOKYO FM少年合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:飯森範親 演出:レア・ハウスマン 1年振りの新国です。エフゲニ・オネーギン以来。 実は今日行くつもりはなかったんですが、朝、思い立ってZ席取ってみたら取れてしまったので、行ってみました。 で、結論から言うと.....失敗でした。えーと、つまらなかった。面白かったんですけれどね。楽しんできたんだけれど。でも、Z席で聞くもんじゃないなと。いや、楽しめるんですけれどね。でも、これは、ちゃんと舞台が見える席で観ないと面白さ半減以下です。 ブリテンという人は、20世紀後半迄生きた中では随一の大作曲家と言っていいんじゃないかと思います。いや、そう言うと、現代音楽作曲家の数々だとか、ショスタコーヴィチだとかが出てくるんでしょうね。でも、正直言うとショスタコーヴィチなんて交響曲沢山書いたからもてはやされてるんであって...とか言うとめんどくさいんで、20世紀後半迄生きた最後のオペラ作曲家、としましょうか。こう言うとまたヘンツェだのなんだの言う人はいるんでしょうけれど、ブリテンは今でも上演されるオペラのレパートリーとして生き残っている人としては恐らく最後と言っても過言では無いと思います。ピーター・グライムズ、ねじの回転、ビリー・バッド、ヴェニスに死す、ルクレツィアの陵辱、真夏の夜の夢、この辺は今でもレパートリーとして、まぁ、英米系中心にでしょうけれども、十分生き残っていると思います。 それにはいろいろ理由はあるのでしょうけれども、ブリテンという人には声楽作品が大変多いのは間違いありません。UKの作曲家は、声楽作品多いんですけれどね。歌を扱うに巧みであったのは、オペラ作品だけでなく、合唱を含む声楽曲や歌曲を見ても分かります。 日本はなんとなくUKとの親和性がある - こっちが勝手に、だとは思いますが - のか、新国でも、ピーター・グライムズは前にやってますし、随分前ですが研修所公演でアルバート・ヘリングもやってますし。 で、今回は「真夏の夜の夢」。何故か今回の公演では「夏の夜の夢」としていますが、個人的には真夏の夜の夢、の方が「正しい」と思うので。オペラはもとよりシェークスピアの原題がMidsummer night's dream (原題はひょっとすると綴り違うかも知れませんが)で、夏至の夜の話なので、その潜在的な意味合いも含めて「真夏」とするのがやはり妥当だと思いますので。 正直、このオペラは観た事ありませんでした。録音で聞いたことはあるんですけれどね。 で、聞いて、まず思ったこと。そう、Z席なので舞台は殆ど見えません。だから「聞いて」になるんですが、これは、オペラじゃないんだな、と思いました。むしろ、音楽劇とでも言った方が当たってるんじゃないかと。 真夏の夜の夢は、シェークスピアの戯曲です。もちろん、シェークスピアの戯曲をオペラにしたものは少なからずあります。ヴェルディは、マクベス、オテロ、ファルスタッフを書いてますし。ただ、ヴェルディの場合、原作との一致というのはそれぞれあるにせよ、基本的には「シェークスピアを原作として材に取ったオペラ」なんですね、あくまで。 ブリテンの「真夏の夜の夢」は、確かにオペラだけれど、歌うことに焦点が当たっているというよりは、音楽に載せて台詞を進めていく、その台詞、それによって進められていく芝居に焦点がある。その意味で、これは、オペラである以上にまず芝居なんですね。細部はいろいろ改変はあるのですが、基本的に原作の物語に忠実で、歌を聞くよりも芝居が先に立つ。歌自身も、例えばヴェルディのオペラなら、最も「芝居に近い」と目されるであろう「ファルスタッフ」であっても、やっぱり「歌を聞かせる」「歌って聞かせる」部分が多い。それよりもかなり進んでいるのが「真夏の夜の夢」なのかなと。 一つには、英語の台本につけているというのはあると思います。原作の言語そのままですし。ただ、それにしても、本来なら非常にクリアに台詞が聞き取れるように書かれているのは確かだと思います。全編レチタティーヴォ、とまでは言わないにしても。「本来なら」と言ってるのは、それほどでは無いにせよ、やはり、発音というかこの場合ディクテーションと言うべきかもですが、ちょっと「?」な部分があったので。 ただ、それはともかく、こういうものだな、となった時、芝居を観ようとすると....Z席ではねぇ.... Z席で観に行かない方がいいですよ。きっと。 なので、演出に関しては、後日、行ければ土曜日に、一応舞台が見える席で観るつもりなので。 演奏としては、面白かったですよ。十分。ただ、いいのか悪いのか判断がついてるわけではないけれど。いや、ある程度出来ていれば、この場合、むしろ芝居の方に興味が向いてしまうのでね....
2020年10月09日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 ベートーヴェン:ピアノソナタ第30番ホ長調 op.109 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 ピアノ:小山実稚恵 小山実稚恵の「ベートーヴェン、そして...」公演の第3回。「知情意の奇跡」というタイトルです。 そもそもが6月に予定されていた公演でした。コロナ騒ぎで勿論延期、一旦払い戻しの上再発売。一席おきにして、2日と3日の2回公演で設定したもの。 本来定員の半分と言いながら、元々人気のある公演なので、かなりお客は入ってました。満席とは言わないけどね、というレベル。 なんですがね..... あのぉ、今日の公演もあるし、見るのはそのあとをお勧めしますけどね、これから聞かれる人は。 かなり調子悪かったのかな、と思います。 前半ベートーヴェンの時点で、ミスタッチというか、ミスが随分多かったように思います。それほどこちらも詳しいとは言えないので、あくまで聞き覚えですが、幾つかおかしいところがありました。単音でなく、和声進行的に「あれ?」というところが幾つか。 ゴルトベルク変奏曲では更におかしいところが。どちらも何度も聞いている曲ですから、殊更に予習なんてしなくても大体分かるのですが、やはり、和声進行上変だな、というフレーズが出るんですね。 書き方でお察し頂ければと思うのですが、「ミスタッチ」じゃないんですね。いや、ミスタッチの部分もあるのだと思います。ただ、音楽として、一応崩れてはいない。いや、崩れてはいる。崩れてるんだけど、なんて言うんでしょうね、音楽として、何をやりたいのか、はまぁまぁ分かる。ある意味、「変だな」と思えるくらいだから、グダグダではないんですよね。音楽として破綻してはいないとも言える。いや、ミスが出てる時点で破綻してるとも言えるのだろうけれども。 これはミスタッチじゃないかな、と思うような場面でも、そのミスタッチからおかしいなりに辻褄を合わせていってるような部分もあり。 ある意味不思議な演奏。 楽しめなかったとは言いませんけどね。ただ、決して、いい演奏だったとは言い難いよなぁ、という感じなんですよね。 アンコールはなし。この前の12年間のシリーズでも恒例のアンコールですが、今回はありませんでした。大体がゴルトベルクの後にコンサートやる必要もないと思うし、アンコールはやらなくて正解でした。 このプログラム、既に先月くらいからあちこちでやられているようですけれど、ここまでどうだったのか、多分この演奏会の調子が悪かったんじゃないか、とは思うんですけれどね。ただ、どうなんだろうなぁ.... ポゴレリッチ、いますよね。近年の彼の演奏、って、ここ何年も聞いてはいないけれども、彼の演奏、あれはミスとかいうのとはまた違うのだろうということになっているけれど、にしても、あれも相当自由というか独特というか、なものになっているじゃないですか。改めて思うのだけれど、自分の中に「こうだ」っていう音楽があるんでしょうね。それがどういう風に出てくるか、楽譜と、元の書かれた音楽としてのそれと、比較してどうなのか、でもとにかく自分の中に音楽はある。敢えて評価すると、こういう感じなんでしょうかね。
2020年10月03日
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