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東京文化会館 14:00~ 4階右側 イヴァン・ホヴァンスキー公:アレクセイ・タノヴィツキー アンドレイ・ホヴァンスキー:エフゲニー・アキーモフ ゴリーツィン公:アレクセイ・ステブリャンコ シャクロヴィートゥィ:ヴィクトル・チェルノモルツェフ ドシフェイ:ゲンナジー・ベズズベンコフ マルファ:ズラータ・ブルイチェワ 代書屋:ワシーリー・ゴルシコーフ 指揮:ワレリー・ゲルギエフ このところ大物の歌劇場引っ越し公演は大抵パスしているのだけれど(だって高過ぎますがな....)、マリインスキー劇場だけは是非にも行きたかった公演。 まず第一に、私は実はロシアオペラが好き。第二に、それなのに、ロシアオペラを観る機会は限られているから。今シーズンは、キエフ・オペラがイーゴリ公を年末に持ってきたりして(でも観損ねた!)、割と恵まれてますが、ムソルグスキーを日本の団体で公演してくれるということは殆どありません。この10年でも、新国立劇場で「エフゲニ・オネーギン」をやったくらいか。演奏会形式でなら、他にもありますが、ムソルグスキーやボロディン、リムスキー=コルサコフは上演されません。 というわけで大枚叩いてチケットを押さえたのでした。実はホヴァンシチーナを舞台で観るのは初めての筈。 正直、ロシアものを旧ソ連系の歌劇場が持って来る場合、歌手の誰がどう、というのはよく分かりません。区別がつかないんですよね。いや、没個性である、というわけではありません。例えば、イアーゴ張りに悪辣なシャクロヴィートゥィ役の悪辣さ加減は見事だったね、というような感想は、勿論あります。でも、だからその歌手が格別、とか考える前に、各々のスタイルが良く似通っていることの方が目に付くのです。 いけないのではありません。良く似たスタイルの歌い方で揃っている。それが一種独特の魅力になっている、というのは言い過ぎでしょうか?グレギーナとかホロストフスキーなんかは、やっぱり特殊なんだろうなと思うのです。 まず何よりも感心させられたのは、音楽のねちっこさ。合唱もオーケストラも、幕の最後までねちっこくしっかりと演奏していて、それがピアニッシモの時でも、ディミヌエンドして行く時でも、きちっと聞こえるのです。勿論会場が東京文化会館ということもありますが、それにしても大雑把のようでいて隅々までよく意識が届いていて、丁寧です。だから、聞いていて最後の一音まで聞き尽くせる。 勿論ご想像の通りパワフルな演奏です。が、単にパワフルなだけではない。日本のオケなんかがやる大音量というのは、「大きな音を出す」ことでしかないので、時には自分達で自分達の出してる音をコントロール出来なくなっていたりする。マリインスキー劇場の場合、勿論そんなことはなく、大きな音も出すのだけれど、それがちゃんと音楽上の表現として必然性があって、しかもコントロールされている。だから、「ああ、大きな音だ」とは思わない。よくよく考えてみると大音量だな、という風にしか感じないし、むしろそのことよりも、それに伴う表現力に気が惹かれます。 合唱は更に輪をかけて見事。デュナミークのコントロールは勿論、良く揃っていて、綺麗。いい合唱です。なるほどこいつら見事なもんだ、と改めて感服。 演出は、まぁオーソドックスと言っていいものだと思います。このオペラ、簡単に言ってしまえば、ピョートル大帝によるロシアのヨーロッパ化(前近代化、という言い方があるのならそう言ってもいいかも知れない)を排除されゆく者達の側から描いたもの、としてもいいかも知れません。 ピョートル大帝は、言わばアジア的であるロシアの旧態依然としたツァーリが、ヨーロッパ的な王・皇帝に転換していった分岐点を選択した人。銃兵隊を率いるホヴァンスキー公、分離派教徒が古いロシアの代弁者であり、その点で鋭く皇帝と対立する存在。それを際立たせているのが、放埒にして無頼の徒である銃兵隊の一種猥雑な雰囲気に対する、統制の取れた西欧式の軍装に身を固めたピョートル大帝軍。そのトップであるピョートル大帝は最早「ツァーリ」の衣装ではなく、帝国軍の制服に身を固め、部下との差は本質的には見られない。この軍装の差は実に分かり易く端的にこのオペラに通底しているテーマがなんであるかを見せてくれます。 この光景を見るにつけ、機を見るに敏とばかりに地位を確立したシャクロヴィートゥィすら、大貴族でありながら皇帝に付いたことを後悔する時が来るやも知れないことを思わせます。ピョートル大帝以降の道は、啓蒙主義に先立つ、絶対君主制の確立期に当たるのですから。 まぁ、演出としては良く練れている、と言っていいのでしょう。 それにしても、やはりロシア史劇は面白い。歴史そのものも面白いけれど、そうした背景を巧みに使ったオペラの出来がやはり秀逸。 これでチケット代としては、まだしもベルリンやらウィーンやらよりは安めで、しかも悠々買えてしまうというのだから、コストパフォーマンス高いな、と思わざるを得ません。
2008年01月29日
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紀尾井ホール 19:00~ 2階右手 元々ダブルヘッダーの予定ではなかったのだけれど、10日ほど前に急遽知人から行けなくなったとのオファーがあって、入れてしまったコンサート。 中川英二郎と小曽根真とでは実は一回り以上も歳が違うのですね。小曽根さん、若く見えるから、一見そうは思えないのだけれど。 今回は、中川英二郎が年末にリリースしたアルバムと、同じ日のYAMAHAの新作トロンボーン発売を記念して行われたツアー。 曲目は特段発表無く、ちゃんとメモしてた訳でもないので、うろ覚えであります。順不同ですが、基本的にはその年末発売のアルバムからの楽曲中心。 ・エンドレス・サマー ・ジャーニー・オブ・ア・ローズ ・ユー・アー・ノット・アローン ・チャルダッシュ ・イントゥ・ザ・スカイ(だったかな?) ・G線上のアリア(アンコール) この他に、No Name Hoses アルバム収録曲から1曲。休憩後の1曲目は、小曽根さんソロで、ドラマのサウンドトラックから1曲及び即興。更に、アンコール1曲目は、塩谷哲飛び入りで連弾+トロンボーンによる「インディアナ+ドネリー」。 Blune Noteなんかのライブハウスに比べるとコストパフォーマンス高いですね~。ライブハウス2セット分近い時間を使っての演奏会ですからね。 いやー、トロンボーンって面白い楽器だったのね~、というのが正直な感想。勿論、ビッグバンド・ジャズのイメージに近い、「インディアナ+ドネリー」のような演奏もあれば、「ユー・アーノット・アローン」のようなメロディックで情緒豊かな演奏もあり。 アンコール2曲目の「G線上のアリア」は、最初、意表を突いて旋律線をピアノ演奏で入り、次のバースからトロンボーンが旋律を引き継いで、更に即興で展開されて、という演奏。 思えば、トロンボーンのソロって、あまり聞いた覚えが無いんですよね。確かに金管だし、結構メロディックな役割もするとは思いつつ、この楽器が主役で色々とバリバリ演奏しまくる、というイメージは無かったんですよね。スライド楽器だから、音の高低差が大きいとキャッチアップするの大変そうだし、物理的に速いパッセージは向かないんじゃないかな、とか思ってたんですけどね。どんな楽器でも、腕の立つ人にかかれば、いろんな表現が出来るものなのね、と改めて感心しました。 正直、小曽根さん目当て半分以上、ってとこでしたが、失礼ながら思いの外トロンボーンが楽しかったです。次はNo Name Hoses でお会いしましょう、ってところかな?
2008年01月28日
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いやもう今日は不快この上無し。隣に座った団塊くらいの夫婦が最悪。男が隣だったのだけど、開幕直後から足は広げる肘掛けは我が物顔で占拠する、占拠するだけじゃ飽き足らず肘を出して来るので第3幕まで応戦、ところが最終幕は大人しいなと思ったら、プログラムが無い。さては!と問い詰めたけどよくある壮年の逆ギレ。「持ってる訳無いじゃないの!頭おかしいんじゃないの!」と言いつつ鞄の中身の上の方だけ出してみせて奥は見せようとしないという常套手段。 まぁいい。神様仏様閻魔様が見てる。プログラムでも盗みは盗み、罪は罪。しかしまぁ、こういう連中にはもう公共の場には出て来てもらいたくないですな。でも、この世代、非常識というか社会性を欠いてる連中多いしなぁ。いやな世の中です。 新国立劇場 14:00~ 3階右手 ミミ:マリア・バーヨ ロドルフォ:佐野成宏 マルチェッロ:ドメニコ・バルザーニ ムゼッタ:塩田美奈子 ショナール:宮本益光 コッリーネ:妻屋秀和 新国立劇場合唱団、TOKYO FM 少年合唱団 東京交響楽団 指揮:マウリツィオ・バルバチーニ 演出:粟国淳 とまぁ不機嫌だからという訳でもなく、大喝采ではあったけど、いまいちでした。 あのねぇ、声はあるのですよ、確かに。ただねぇ。 「冷たい手を」に入る直前、キーががくっと下がる。短、いや、多分長2度。それで「冷たい手を」を大音声で歌い上げる。それは不見識というものですよ。昔酷評して嫌がられた、ジャコミーニのパリアッチを思い出します。声量があることは決して悪くない。伸ばしてみせるのも悪くない。でも、それならその前に、本来の音程で歌いましょうよ。 それでも、下げないと歌えないからと下げてしまうのは、それはそれであり得ることだから、全否定はしない。でも、それなら、得々と大音量で歌うんじゃありません。それは、みっともないのですよ。こないだのニューイヤーでは結構相対的には良かったのだけど、これはダメダメ。それと、こないだは結構良かった歌い回しが、今日は時々崩れてる。 一方、ミミのマリア・バーヨ。いや、こちらも確かに声量はあります。ただ、ねぇ..... この人聞いて咄嗟に「あ、誰かに似てる」と思ったのです。聞くことしばし、思い出して、同時になんとなくの違和感の理由に思い至りました。つまり。この人の声、森山良子に似ているのです。ハイ、あの「この広い野原いっぱい」とかの森山良子。声が明るくて、極めてポップなのです。ニューミュージック、或いはフォークと言っていい。但し、中島みゆきや松任谷由実とは違う。屈託はあまり無い。よく抜ける声。でも、これは、オペラ声じゃないぞ......敢えて言えば、ミュージカル声なのです。 好みの問題ではあると思いますし、私、決して森山良子嫌いではありません。でも、この声、歌い方は、ミミには向かないと思うのです。この声でミミは聞きたくないな、というか。 後の人達も大抵は声はある。大音量。ただ、その分、繊細感が無い。全体に、歌ってはいるけど、歌心が不十分。そんな感じでしょうか。 それを助長しているのがオーケストラと指揮者。今日の東響は、ピアニッシモが無かった。だから、繊細に歌って欲しいところが全然歌えていない。そりゃぁ確かにボエームとしてよく出来てはいます。でも、歌手も含めて、フォルティッシモとフォルテとピアノくらいしか無い、しかもフォルティッシモ多用気味の進め方では...... 一気に楽しく聞けた、という声はあるかも知れませんし、確かに声量・音量はある。でも、これは頂けないな。 去年、運命の力で、このバルバチーニ&東響という組み合わせは聞いていて、その時は「ちょっと物足りない」という感じだったようなのですが、今回ははっきり「歌心が足りない」「繊細感が足りない」。確かにボエームはこのように演奏することも出来るし、それはそれで立派な演奏だけれど、決して美しくはないと思うぞ...... 演出は再演。粟国淳の演出ですが、これも前回同様の中途半端感は否めない。多少整理してよくなった部分もありますが、基本的に、まだ練り切れてはいないです。第二幕の人の動き方は、その中では、100点とは言わないけれど、改善されている方ではないかな。もうちょっと上手くやれ、という気はするけれど。
2008年01月26日
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副題:~フルートとオルガンで贈る春風のささやき~ タイトル長過ぎるって........ 神奈川県民ホール小ホール 19:00~ ルフェビュル=ヴェリ:ボレロ・ド・コンセール ゴセック:ガヴォット ボッシ:ソナタ・アル・オッフェルトーリオ チャイコフスキー:「くるみ割り人形」組曲 ~"行進曲" "こんぺいとうの踊り" 塚谷水無子:フルートとオルガンの為の二つの日本のミニアチュール「春の海」「ロンド・カプリチオーソ」 サン=サーンス:白鳥 フォーレ:パヴァーヌ リムスキー=コルサコフ:くまんばちの飛行 塚谷水無子:即興演奏 - 猫踏んじゃったの謎より - ラター:フルートと弦楽器の為の古典組曲より「プレリュード」「オスティナート」「シャンソン」「ロンド」 <アンコール> 赤い靴 バッハ:管弦楽組曲より オルガン:塚谷水無子 フルート:マリアン・ヤスパース・フェイヤー 木曜日。珍しく、横浜でお仕事。夕方18時過ぎには上がりで、さぁ、こんなに早く街中でフリーになるのは珍しいしどうしよう.......... と考えて、中華街で海員閣にでも行くか、コンサートに行くか、と考え、まぁ一人で行ってもな、と思ってコンサートに。たまたま県民ホールではこれだったので。 開演前に、ホールの人が出て来てご挨拶。 神奈川県民ホールには、小ホールの方にオルガンがある。で、月一回ほど、昼間に、このオルガンを使った無料のプロムナードコンサートというのをやっているらしい。でも、最近は、みなとみらいホールが出来る、MUZA川崎シンフォニーホールが出来る、どっちも大ホールででっかいオルガン装備の今時のホール、ということで、神奈川県民ホールとそのオルガンの存在意義を模索した結果の今回のコンサートだそうで。今回も、全席自由で一人500円。安いよな...... まぁ安けりゃいいってもんじゃないですけどね。でも、自分の前には、高校生というより中学生じゃないか、というくらいの制服の女の子4人組が並んで座ってました。まぁ、500円なら、今時の子ならお小遣いで十分聞きに来られるよな。そういう意味では、こういう試み、決して悪くないと思います。 で、今日のコンサートは?うーん。まぁ、悪くはない。というか、「何々を聞いた」という意味での満足度は正直薄いんですけどね。でも、どういうんでしょ、ふらりと立ち寄って、500円ほど払って、ちょっとした音楽を聴いて、というスタンスとして考えるに、まぁ悪くはないな、と。 失礼ながら、演奏者のお二人は、決して「一流」の演奏家というわけではないし、結構間違えてるし、おいおいとも思うのだけど、ちゃんと「音楽」してるんですね。だから、聞いてて厭な感じはしない。気楽に楽しめましたでしょうか。途中、フルート楽器の紹介があって、ピッコロやバスフルートが披露されたりと、なかなか工夫もあって面白かった。耳慣れたチャイコフスキーなんか危なっかしいのに、華麗で技巧的なボッシの曲が淀み無く一気呵成に演奏されちゃうのも御愛嬌というか。 元々、平日にコンサートをされてもまず行けない身なので、「また行きたい」とは言えないのだけど、こういうのも悪くないなと思うのであります。 勿論、同じ日に、大ホールで結構な催しがあれば、まずそっちに行ってしまうのが哀しい性ではあるのですが.......
2008年01月25日
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オーチャードホール 15:00~ 3階左側 747か..............どうせなら、380とかの方が...........(謎) ブラームス:交響曲第3番 交響曲第1番 <アンコール> ブラームス:悲劇的序曲 うーん.......... まず、一般的に言えば、いい演奏、だったのかも知れません。 でも、正直言うと、個人的には結構引っ掛かってるんですよね。 かつて、東フィルの良さ、というのは、音色にありました。今でもそうですが、日本のオーケストラで、独自の音色というのを確立出来ているところはない、と言っていいでしょう。要するに、曲により、指揮者により、色々に演奏出来るのだけれど、○○トーンとか、そこまではっきりせずとも、そのオーケストラが基本に持っている音、というものがない。 東フィルは、少なくとも、そういうものの萌芽を持ち始めていたオーケストラでした。決して「上手い」オーケストラではなかったけれど、このオーケストラには他の日本のオケが持ち得なかった「自分達の音」というのが出来かかっていた。金管が弱いとか、アインザッツが揃わないとか、そういうことはあったけど、その代わり、綺麗に嵌った弦セクションの均質で溶け合った音色は、ゾクゾクするような魅力があったのです。それがあるから、このオーケストラは、ここ一番での底力があった。ほんの数年前までそうだったんですけどね。 ところが、この二年ばかり定期演奏会など聞いて、どうもおかしい、と思っていました。ある意味、「上手」にはなったのだけど、音色が、他所のオーケストラと変わらないのです。弦の音がくすんでいる。均質に溶け合うということがない。「合って」はいるのです。でも、個別の音が聞こえはするけれど、溶け合わない。 それぞれの声部が対立するような音楽にあっては、各々の声部がバラけて聞こえるのは重要なことです。でも、そういう音楽はポリフォニックな音楽には有効だけれど、19世紀の、ホモフォニックとは言わずとも、ハーモニーを重視する傾向の強い音楽では、必ずしもそれだけではやっていけません。ロマン派以降の、合奏による和声の積み重ねと推移を重視する音楽、必ずしも声部の対比が中心に据えられている訳ではない音楽の場合、合奏「団」としては、溶け合わすことが出来ることというのは重要なことなのです。特に、均質に整えることが出来る弦合奏というのは、音楽の礎石を築く上で基本中の基本。 残念ながら、それが崩れてしまっているのです。今の東フィル。これが、東フィルがつまらなくなった理由。 今の方が「上手」になりました。音は大きくなった。「弦五部の各部が何をやっているか」「分かる」ようになった。でも、有り体に言えば、音楽としての魅力は明らかに減退しているのです。 このブラームスで言えば、全体に、音楽に潤いがないのです。ブラームスは意外といい旋律を紡ぐ人です。だから、ほっておいてもきちんと合奏すれば自然と歌い出す旋律が結構仕込まれているし、かつての東フィルなら、渾然一体とした溶け合った音色で悩殺してくれそうなところが全然だめなのです。無駄に各部が聞こえて来るばかり。昔以上にお互いを聞いていないのではないかしらん。 困ったことに、この辺何か勘違いが蔓延しているのですよね、最近。そもそも、各声部がバラけて聞こえるなんてのは、上手くハーモニーが和していないということだし、個々の楽器が聞こえるよう、なんてのはダメダメなのです。何の為に沢山の同じ楽器を使うのか。 そういえば、今回のプログラムで、交響曲1番のアルプホルンを模した旋律について、「CDでしか聴いていない方がよく誤解されるが、このホルン旋律は独奏ではなく「2人」で交互に吹くように書かれているのでご注意を。」(東京フィルハーモニー交響楽団2008年1月定期演奏会プログラム16p、筆者:野本由紀夫)などと書いているのだけど、これなど勘違いも甚だしいのである。 あのねぇ、この旋律、アルプホルンのメロディーを借りているのだけど、その元の曲は、ちゃんとアルプホルン一発で吹いているのですよ。これは、ClavesからCDで出ている録音があります。(Claves CD50-500) で、それを転用する際に、恐らくは安全を考えて(この旋律、この楽章の中で重要なポイントですし。ブラームスはナチュラルホルンが好きだったし。)2本で吹かせたのだろうけれど、その意図は決して「2人で吹いていると分からせること」なんぞには無い訳です。むしろアルプホルン一発で朗々と吹き上げる、そのイメージを考えれば、ここは2人でやるけど綺麗に分からないように演奏すべきなのです。 「御注意を」? 何を寝惚けているのか。ここは真っ当な音楽家なら、必死になって2人でやっているとは分からないようにやるべき箇所です。で、東フィルは?ハイ。見るまでもなく吹き繋いでいるのが丸分かり。それじゃいけないんだって。 プログラムの解説が、こんな半可通量産の為のアンチョコと化し、演奏する方もこのていたらくでは、ねぇ。 演奏としては、今時としては立派なもんなんだろうと思います。でも、これは、かつて東フィルが持っていた音色の残滓でしかない。 今、東フィルに必要なのは、もう一度オーケストラの音を作り上げてくれる、オーケストラビルダー。N響みたいな名指揮者シリーズじゃ実力はつきませんよ.......
2008年01月21日
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東京文化会館 17:00~ 5階右側 タンホイザー:ヘンドリク・フォンク エリザベート:ダナ・プレショヴァー ヴォルフラム:ウラディミール・フメロ ヴェーヌス:ポロシュ・チルラ ヘルマン:マルティン・グーバル 牧童:テレザ・メルクロヴァー チェコ国立ブルノ歌劇場管弦楽団、合唱団、バレエ団 指揮:ヤン・ズバヴィテル 演出:ラディスラフ・シュトロス というわけで、昨日の続き。 そそくさと錦糸町のすみだトリフォニーホールを出て、上野の東京文化会館へ。秋葉原で乗り換え一発で着くので、それほど遠くはないんですよね。16時半過ぎに出て、なんとか17時の開演前には到着。 最上階の席に着いてみて、愕然。うわぁ、人が居ない。というより、哀れにも5階の各ブロックや、4階の2列目以降は埋まってるのだけど、それより下の高めの席ががらがら。1階はそれでも埋まってるけど、通路を挟んだ後ろ側や両サイドの方は全滅とまでは行かずとも.....という感じ。土曜の夕方で、演目はタンホイザーなのに、これしか入らないの?全体的には、6割、よくても7割の入りかなぁ。 確かに、先週の神奈川県民での公演は半額券を出してたみたいだけど、それにしてもなぁ........ 最初結構居た自分の周りは、二回の休憩の度に潮が引くように居なくなりました。下に移動したんでしょう。 オケは、6-5-4-3-2.5プルトの編成。ワーグナーにしては結構絞った編成なのは、元々そのくらいしかいないんじゃないかな、ここは。その分、ピットを浅めに取ってます。それでも、どうしても音は上に向かって来るので、何処でもそれなりに見える東京文化会館なら、何処で聞いてもあまり変わらないので、こちらは面倒なので移動せず。 序曲の最後の処理とか、バレエ音楽とか、一部「あれ?こうだっけ?」と思うところもありましたが、まぁそのくらい。全般に、オーケストラは「田舎劇場の腕のいいオケ」という感じ。つまり、見たまんま。ピアニッシモからフォルティッシモまで、ちゃんとデュナミークもある。ただ、一部ひっくり返ったり、合わなかったり、ピアニッシモがちゃんと聞こえなかったり(音量がピアニッシモだから聞こえない、というのではなく、"聞こえるピアニッシモ"になってない、ということ)、ということはある。こうしたところ、特に前二者は、一線級の日本のオケの方がちゃんとやろうと思えばやれるでしょう。 指揮も、決してブリリアントではない。フレージングの処理など、どうかなと思ってしまうところもある。 ただ、それにも関わらず、この種の「田舎劇場」のいいところは、根っこのところで、習慣的に「歌えてしまう」、「音楽してしまう」ところ。多少の傷があっても、フレージングの不具合すら、取り敢えず気にならない程度に音楽として整えてしまう。だから、楽しめてしまうのですね。ブルノ歌劇場は何度も来日していて、ある程度のレベルではあるというのは分かっていたので、期待通りではありますが。 もう一つの「田舎劇場」の楽しみは、合唱。地力が違うのが常なのですが、今回のブルノ歌劇場の合唱は、少し物足りないかな。決して人数が著しく少ない訳ではないのですが、もう一歩、もう一息欲しかった、というのが本音。最終幕の幕切れに向けて抑えていた、というのはあると思いますが、その部分も、もうちょっとあるととてもいいんだけど、という感じ。まぁ、力不足というわけではないのですが。 普通、この種の公演は、歌手を前面に出せるようなビッグネームで無い限り、大きく宣伝もしないし、実際期待は出来ないのですが、これが今回は思いの外。そうは言っても、元々それなりの人を引っ張ってきたようですが。 エリザベートのダナ・プレショヴァー。声量では一頭抜きん出ていました。声量だけというわけでもなく、声質もいいし、きちんと歌えている。元々、プラハの国民劇場で活躍している人のようで、まぁそれならばそれなりにちゃんと歌えるのも納得。と同時に、若干ドイツ語の発音がしっかりしないのも、これまた納得。「田舎劇場の座付き歌手」ですね。でも、これは拾い物。ちゃんと歌えるなら多少のことは不問にしましょう。 外題役はヘンドリク・フォンク。ベルリン国立、ベルリン・ドイツでもタンホイザーを歌ってるそうですが、確かに歌えているけれど、線が細い。ヘルデン・テノールとしては弱い。後半に入って多少上がってきましたし、ローマ語りはオケ伴奏は静かですからそれなりに聞けますが、全体としては まぁなんとか歌えます、というレベル。もっとも、今時は圧倒的なヘルデン・テノールなんてなかなかいませんから、これでも十分とするべきでしょう。 ヴォルフラムのフメロも、あちこちで歌ってるようですが、やはりちょっとパワー不足。フォンクにしても、歌はしっかりしてるんですけどね~ もうちょっと届いて欲しい。取り敢えず文化会館でならちゃんと歌えてなんぼだし..... 歌い回しは悪くないだけに、惜しい。 声で言えば、ヘルマンと牧童はよく声が出てましたが、ま、この辺の役柄は、「よく出来ました」という以上のことは無いしなぁ。 演出は、ある意味オーソドックス。いろんな意味で注目の冒頭のヴェーヌスベルクは、御家族でも御覧頂けそうな、怪しくはあるけどせいぜいR15くらいのレベル(謎)。あまり禍々しさは無かった。 全体としては、ちょっと眠い演出ですね。人の動かし方も決して洗練されてはいないし、奥に映像を出して情景を作っているようなのだけど、舞台上はシンプルで、あまり大道具も小道具も出ない。引っ越し公演にぴったり。東欧系の簡素な舞台ですね。 解釈としても特に奇を衒った訳ではない。巡礼に合わせて、大きな十字架を背負った、下帯姿の3人の男がいるのだけど、恐らくは巡礼の一員ではなく、彼等と共にキリストがあるのだ、という象徴なのでしょう。エリザベートの処理は、もう一つはっきりしませんが、これもまぁオーソドックス。 このエリザベート、よく歌詞と経緯を考えると、実は必ずしもエリザベートの死が救済に繋がったとは限らないのでして(だってタンホイザーがローマで拒絶された直後に奇跡は顕現したのでしょう?)、そう考えると、本当はエリザベートは自身同様の罪を心中で犯し、それを償う為に祈り、最終的には召された、と考えるべきかも知れないと思うのですが。2幕でのエリザベートの振る舞いをどう解釈するかが問題なのですが..... まぁ、そういううるさいことを言うのは野暮でしょう、この場合。 全体としては楽しめたと思います。これで5万円とか取られるんだったら勘弁してよ、というところでしょうが、これだけの歌唱を聞けて、文化会館で、一番安いところで8千円ってことであれば、まぁいいんじゃないかな。
2008年01月20日
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すみだトリフォニーホール 15:00~ 3階中央 ブルックナー:交響曲第8番 指揮:ヴォルフ=ディーター・ハウシルト 今日は鬼のダブルヘッダー。まぁ、確信犯的にやってるのだから仕方ないんですが、ちょっときついぞ。 あ、先に書いときますが、ダブルヘッダー後段の「タンホイザー」、当たりです。20日に茅ヶ崎でダブルキャストのもう一方で公演あるみたいですが、損はしない、かと思いますよ。もう一方の方を聞いてないのでなんともですが、どうもあまりお客が入ってないみたいで気の毒なので。 新日の定期公演、ハウシルト指揮のブルックナー。ハンスリックな私(謎)としましては、やめとこうかなとも思ったのですが。正直、8番でなければ、例えばこないだN響で聞いた4番とか、3番とかだったら、「タンホイザー」の為に途中で出ていたと思います。 開演前に終了予定時刻を確認。最後まで聞いても大丈夫とみて、腰を落ち着けることに。 オケがどうしたとかコンサートマスターがどうしたとか、普段あまり気にしないのですが、今日はいつものコンマスの頭が爆発してました。いや、さぁ。まぁ、別に構わないんだけど、それって、ひょっとして、後ろの演奏者、指揮者見えにくくならない?いや、それだけなんすけどね。 で、感想は、まぁ最後まで聞いて正解、というところでしょう。ま、ブルックナーはよく分からないので、あまりどうこう言えた義理ではないのですが。 流石にこれ一曲の休憩なしという公演なので頭っから気の入った演奏です。 私は定期会員で、中央付近の席なのですが、見ると、両脇3人くらいは知らない顔。むくつけき年配のおじさんばっかり。ううむ、きっと俺も同類に見えるのね.....と思いながら聞いていると、ものの5分と立たずに両脇から高いびきが....... お蔭様で毒気を抜かれて、こちらは全く寝られませんでした。「ブルックナーファン」なんてそんなもん? 日本のオケは爆音大好きで、日本のオケを盛んに聞きに行く人にもそういうの大好きな人が結構居て、意外とそういう人がブルックナー好きを標榜してたり。さて、今日の演奏はお気に召したのやら...... というのは、エネルギーはあるけど、爆音系ではないな、というのが今日の演奏。元々8-7-6-5-4プルトという弦5部の編成なので、このクラスのホールにしては巨大とは言えない編成。更に、それを割合に良く指揮者がデュナミークをコントロールしていたようで、爆音は好きでない私としましてはそれだけで評価高し。 寝られなかったのにはもう一つ理由があって、非常にすっきりした演奏だったこと。よく、ブルックナーの音楽を評して「延々とうねるような」みたいな言い方をすることがありますが、今日の演奏はそうしたものとは全く違って、フレーズの切れ目、楽式上の構成が見え易いものでした。決してぶつ切りなのではなくて、句読点がしっかりしている、と評すべきでしょう。うねるように、というのは、結局音楽上の句読点をしっかりと打てていない、ということなのではないかな、と思わせる演奏です。 これだけ訳が分かると、なかなか寝られません。次にこう来るか!というのに付き合えてしまうのです。面白いのですね。ワーグナーのいい演奏に付き合うのに似て来ます。 やはり、ブルックナーは後期の方がいいと思います。演奏も良かったと思うのだけれど、次々やって来る楽想に、整合性があるのですね。あまり極端な楽想の振れも無いし、まとまりもある。まぁ、だからといって自分から一生懸命聞きに行く訳ではないですが....... これだって定期会員だから行くんであって.........ごにょごにょ。 終楽章、リタルダント気味に曲が終わるや否や、「ぶらぼー」と拍手が。 別に腹立てるほどのことは無いんですが、今日、気付いたことがあります。あの種の人達というのは、要するに、リズム感が悪いんだろうな、と。 つまりですね。これはあくまで個人的な感じ方ですが、曲が終わると、「ああ、音楽が終わったな」と腑に落ちるまでに、1小節分か半小節分か、或いは1フレーズ分くらいの「休符」が掛かるんじゃないかな、と思うのです。で、今日のブルックナーの8番なら、最後は「チャーン チャチャチャン♪」で、この最後をリタルダント気味に終わるので、まぁ、2拍分くらいの間があるのが普通じゃないかな、と。 そういう感じが、あの人達、まるっきりないんじゃないかしらん。いい演奏なんだから、少し静かにしてろ!空気読め!みたいなことではなくて(空気読めっての私は大嫌い)、音楽としてちゃんと聞いていれば、ごく自然にそういう間の取り方をするんじゃないかと思うんですよね。それが出来ないのではないかと。 とまぁいろんなことを考えつつ、そそくさと上野へ向かったのでした.......
2008年01月19日
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http://www.bunkamura.co.jp/museum/lineup/07_anker/ 渋谷・Bunkamuraのザ・ミュージアムで、来週末、20日までやっているアンカー展に行って来ました。 オペラを観に行くので、以前からチューリッヒにはよく行っているのですが、オペラハウスから電停で1つ行った所に、チューリッヒの美術館があります。立地が便利なのと、セガンティーニが何枚かあったりして、結構いい美術館なので、チューリッヒに行くと大抵寄っています。 で、やはりスイスの画家の絵も多いのですが、どうにも緩い感じの絵があるな、と前から気になっていました。タッチははっきりしているんだけど、可愛らしい女の子を描いたりしていて、如何にもスイスの田舎、って感じなのですが、ちょっとぬるいな、という。光の使い方は見事だけど、ちょっとセガンティーニみたいな厳しさが無いな、というか。それがアンカーだった。 アルベール・アンカー。1831年生、1910年没。スイスのベルン近郊のインス村出身の画家です。パリで制作に勤しみながら、題材は故郷スイスの情景を中心にしていて、作風も印象派全盛の時代に、写実主義かつ自然主義、と言ったところでしょうか。まるで写真に写したかのようにくっきりとしたタッチ。けれど、細密に描き込むというのとも違って、あくまで絵画らしい適度な描写が見る者をほっとさせる、てなとこでしょうか。 とかなんとか言ってますが、まぁ、分かり易く言うと、写実的な「アルプスの少女ハイジ」の絵画、てなとこでして。うん、まぁ、確かに、可愛らしい女の子の絵や、微笑ましい家族の情景などを描いていて、心和みます。 でも、個人的には、一枚しかなかったけど、本の挿絵用に描かれた鉛筆によるデッサン画が一番良かったかな。それと、静物画。光の描き方が上手いので、普通の静物画なのだけれど、とても活き活きとした印象を与えるのです。 例によってチケットショップで入場券を買ったのだけど、殆ど当日券と変わらず。人気あったのかな?
2008年01月13日
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NHKホール 18:00~ 3階最後方 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」 ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」 今日は天気が悪いし、色々都合もあって、結局予定していたスケジュールをキャンセルして、N響を聴いてきました。明日行っても良かったんだけど、色々あるので..... ヘルベルト・ブロムシュテット。既に80歳ながら、未だ矍鑠として、なんて表現すらバカバカしい程の若々しさ。70前で通りそうな雰囲気です。年寄り大好きN響ファンもさぞや多かろう....と思いましたが、生憎の天気も相俟ってか、割合空席もあったようで。 前半は「プラハ」2楽章の所で途中から来た客がガサガサ煩くて(途中から来た立見客は壁際に立たせるべき!前に出て来させるな!じっとしてられないなら諦めて外で待ちましょう!)大変不愉快でしたが、演奏は大変結構。ヴィヴラート控え目なのは世の趨勢として、がっつりレガートが掛かってるし、音も厚め。だらしなく響かせているのとは違う、筋肉質の演奏、という感じ。演奏中、「アポロ的演奏」というフレーズが浮かんだくらい。勿論、重厚というのとも違います。しっかりした演奏、というのが一番近いかな。 終わってみたら35分くらいかかってましたが、あれってそんなに時間かかる曲だったかなぁ?でも、決してテンポ遅めという訳でもないし...... まぁ、ともあれ聞き応えのある演奏でした。 後半のブルックナー。 ええと、私、ブルックナーはよく分からないんですが............. まずは、こちらも演奏自体は大変よかったんじゃないかと思います。って、よく分からない奴が言うのもなんですが。 で、じゃぁよかったかと言うと.......うーん。あのですね、やっぱりですね、この曲、どうかと思うんですよ。というか、今日気付いてしまったんですが。 昔からブルックナーは苦手ですが、以前、ラトル指揮のベルリン・フィルで7番を聞く(まぁ、ベルリン・フィルを聞きに行ったらそれだった、ということですが)機会があって、その時に「ブルックナーは生演奏で聞かないとつまらない。それもいいオケの生でないと」と結論して、一応折り合いを付けたという過去があります。 で、その後ラジオで心ならずも?聞かされたりもしたので、まぁ、8番だの9番だのはそれなりに聞いたことはある(でも好きとは言わない)のですが。でも、思い返せば、4番は昔っから「何が面白いのかよく分からん」の代名詞だったのですね。 今日改めて4番を生で聞いた訳ですが、まず、演奏自体は決して悪くない、むしろ見通しの利く、程良く明晰な演奏で、良かったと言っていいと思います。 ただ、聞いていてどうしても気になってしまったのですが、この曲、自分としては、とても「気持ち悪い」のです。何か、音楽として非常に不自然というか人工的で、それが鼻につくのです。 ブルックナーの欠点として構成の問題がよく言われます。長過ぎるとか、反復が多いとか、いろいろ。で、人によっては「いや、それがいいんだ」とか「それを適当に力抜いて聞いて、美味しい所に注力するんだ」とか仰る方も居るくらい。 でも、今回のように見通しが利く分かり易い演奏だと、4番は比較的短めでバランスはいい方なので、大体あらましが見えて来ます。すると、とても「気持ち悪い」のです。 例えば、第1楽章。いきなり第1主題とされるホルンのフレーズが演奏されます。すると、そのまま盛り上がっていって、全く違うフレーズでファンファーレのようにクライマックスを築いてしまう。で、その後、第2主題が出て来る。これが「ソナタ形式」だ、というんですが、んな全然関係ないフレーズでぽこーんとクライマックスを作っておいて、何をどう展開させたい訳あんたは! 第3楽章のスケルツォも同様。「狩の音楽」なんていうけれど、こんな風にオーケストラが雄叫びを上げて「狩り」でもないだろう。で、トリオ部が狩りの合間の舞曲で、で、「狩り」の度に金管が雄叫びを上げる訳? だんだん自分がハンスリックになったような気分になってきましたがもう止まりません。 この曲を今日聞いていて気持ち悪くなって来た主な理由は、この音楽が、頭の中で考えたとしか思えないからなのです。そりゃどんな音楽だって頭ん中で考えます。でも、ブルックナーは「狩り」なんてまるっきり知らない筈です。それを「これは狩りの音楽だ」なんていってしまう。で、そこで書かれたものは、とてもそういうものではない。それらしくあればいい、というものではない。別にこれが狩りと関係なくたって一向に構わない。ただ、この音楽はとても不自然で、整合性がなくて、長くて、そのことを全然自覚出来ていない。金管が叫ぶ、叫ぶ以上のことが何もない。空疎な音楽。平たく言えば音楽がさっぱり歌っていない。それが、「気持ち悪い」人工的な感じの正体なのです。 例えばマーラーの交響曲、あれは本当にとっ散らかっていて、まるでコラージュのような音楽で、人工的の極みだったりします。一つ一つのフレーズはそれなりに歌っていても、全体はちょっと勘弁して、と言うくらいバラバラだったりします。でも、マーラーは、明らかにそういう音楽を作っているという自覚を持って作っていた。だから、彼の交響曲は、別に私は好きとは言わないけれど、気持ち悪くはないのです。いや、気持ち悪いとすれば、それはマーラーが狙ってやっている可能性が十分ある。 「ソナタ形式」ということにしても、例えば形式にこだわり過ぎた先例にシューベルトが居ます。でも、シューベルトには天性のメロディメーカーの才があった。だから、冗長とも言える長さのソナタ楽章を書いても、それが単に長く鬱陶しいのではなく、むしろ延々と美しいフレーズを聞き続ける至福の時に転化し得た。否、むしろプリミティヴな形式を墨守することで、単純な形式・冗長性・旋律美というものが上手く融合することが出来た。たまたまであるにせよ。 同じブルックナーでも、7番以降の各曲は、もっと音楽的だと思うのです。冗長性と旋律美 - ブルックナーの場合は旋律美ではないけれど - の融合がある。頭でっかちに無理矢理作ったのではない、自然な音楽的美しさが相応にある。けれど4番は...... まぁ、また機会があれば、試してみてもいいけれど、当分は聞かなくていいや、と改めてよく分かったのでした。 決して、ブロムシュテットが悪い訳ではなかったと思うし、これがN響でなくベルリン・フィルだったら違った、ということも多分無いと思います。冒頭申した通り、管弦楽の演奏としては、吠える所はきちんと吠えてるし、いい演奏という部類だったと思います。掛け値無しで。 よく「ロマンティック」はブルックナー入門にいい、なんて話がありますが、とんでもないと思います。比較的短いから、なんて話もありますが、どうせ長いんだから、4番よりは8番や9番の方が最初に聞くにはいいんじゃないかと思います。少なくともヘンな思い入れの無い人にとっては、4番あたりで頭捻るよりは余程いいんじゃないかなぁ。
2008年01月12日
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この間、「マリインスキー行けないぢゃん.......orz」と思っていたのですが、仕事の予定が組み変わって、マリインスキーの週は出張しない方向にまとまりそう。やれやれです。行けなきゃ行けないで仕方ない、とは思っているけれど、そうは言ってもやっぱりそれなりの額ですからね、チケット代にしても。 実は、意外と無駄にしているチケットというのは、あります。譲れる限りは譲るようにしていますが、急に体調が優れないとか「眠い」とかいう理由で、やっぱやーめた、となることもあります。勿論仕事で止む無く、なんてこともありますが。 まぁ、仕事で止む無く、なんてことを除けば、そういうチケットは概ねそれほど入れ込んでない公演、或いは割とどうでもいい公演だったりします。んなら最初から買うなよ!という突っ込みはこれはもう至極ごもっともなのでありますが、取り敢えず安いチケットがあれば買っておこうか、みたいな話なのでして。我ながら随分いい加減...... でも、「やっぱやめた」というのは、どちらかというと「時間の問題」であることが多いですね。コンサートに行く、というのは、お金に加えて特定の時間を費やす行為。ですので、幾ら払ってしまったお金が勿体無くても、時間が無ければどうしようもない。泣く泣く諦めざるを得ない、ということになる。 今年はもうちょっと時間的余裕を作りたいな、とも思うのであります。もうチケット買ってるくせになんのこっちゃ、という話ではありますが。でも、実際、昨年はコンサートに時間を割き過ぎたな、と思う部分もあるので。もう少しいろんなことに時間を振り向けないと。 ラ・フォル・ジュルネにしても、5日間びっしり、なんてのはもうちょっと止めにして......と思ったりしている今日この頃です。だって、人と会っても酒も飲めないんだもの、少しは空けとかないと。 と言いつつ、結局埋めようとしてしまう自分が見える~.......(^^;
2008年01月08日
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東京ミッドタウン 富士フィルムスクェアhttp://fujifilmsquare.jp/detail/071228.html 南川三治郎という写真家の写真展。たまたまミッドタウンで食事をする機会があったので、そのついでに寄って来ました。正式のタイトルは 「日・欧巡礼の道」展 欧州編/カミーノ・デ・サンティアゴ スペイン北西のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ至る巡礼路は、それ全体が世界遺産として認定されています。その巡礼路を巡る写真展。 空がねぇ。青いんですよ。綺麗な青。そうだよなぁ、欧州の夏はこうだよな、特にイベリア半島はそうだよなぁ、きっと、などと思ってしまうのでした。流石に写真は綺麗です。プロが撮ってフィルム会社のギャラリーで展示してるだけあって、とても綺麗。サンティアゴ・デ・コンポステーラの聖ヤコブ像には思わず涙してしまいそうでした。何がどう、というわけではなく、数百年に渡る巡礼者の重みを感じる、とでもいうのでしょうか。 いつも言うことで、私はクリスチャンではないし、特段帰依する宗教も無いと言えば無いけれど、キリスト教のような長年の、想像を絶する数の人々の信仰の積み重ね、というのにはやはり畏怖の念を持つと言うか、重みを感じてしまうのであります。別にそういう宗教的な写真展では全然ないのだけど、ついそんなところに思いを馳せてしまった次第。 1月30日まで、毎日20時までだそうです。入場無料。
2008年01月06日
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新国立劇場 14:00~ 4階中央 然し毎度のことながら誰か止める奴ぁ居なかったのかねこの名前<オペラパレス<まだ言ってる 第1部:バレエ J・シュトラウス:「こうもり」序曲 「アンド・ワルツ」(ラヴェル "高雅で感傷的なワルツ") J・シュトラウス:チクタクポルカ(間奏) 「こうもり」より グラン・カフェ 第2部:オペラ 「私は町の何でも屋」(ロッシーニ「セヴィリヤの理髪師」:A) 「麗しい光が」(同「セミラーミデ」:B) 「オレンジの花は香り」(マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」:合唱) 「星は光りぬ」(プッチーニ「トスカ」:C) カタログの歌(モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」:A) チャルダーシュ(J.シュトラウス「コウモリ」:B) 「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」(ヴェルディ「ナブッコ」:合唱) 「ああ、そはかの人か」(同「椿姫」:D,C) 行進曲と合唱(ビゼー「カルメン」:合唱) 宝石の歌(グノー「ファウスト」:B) <アンコール> 乾杯の歌(ヴェルディ「椿姫」:全員) ソリスト:真忠久美子、山本隆之 他 新国立劇場バレエ団 ソプラノ:アンネッテ・ダッシュ(B)、天羽明恵(D) テノール:佐野成宏(C) バリトン:ドメニコ・バルザー二(A) 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー管弦楽団 指揮:マウリツィオ・バルバチー二 結論的には、一昨日のNHKガラより流石に良かったな、と。(あれは全席3千円くらいで見せるべき内容だろう......事実上番組制作費客に出させてるようなもんだし) 前半のバレエは、私はあまり色々言えるような者ではござんせんので..... どちらのプログラムも初めて観るものでしたが、楽しかったですね。こうもりの方は、観る機会も無くはなかったのに観そびれてただけに、ちょっと嬉しい。ただ、音楽的には、舞踊としては抽象的でも、前半のラヴェルの方がいいかなぁ。こうもりはやっぱり「オペラ」ですからね、自分にとっては。(「こうもり」再演やってくれぇ) バレエとしては、あまり明るくない自分としては、分かり易い、いつもより余計に回っております~♪いつもより余計に飛んでおります~♪系の見た目派手な踊りの方が好きなのでいずれにせよちょっと.......(おひ) 後半の方は、まぁ、どうだろう.........いけてないのは変わらないです。 日本に限らずなんだけど、歌手のレベルというのはやはり右肩下がりで来てるんだと思うんですよね。加えて日本の場合、オペラバブルみたいなものもあるので、粗製濫造気味で、尚更なんだと思います。 何がそんなに?と言われそうですが、やはり、基本的な事項のレベルが落ちてるんですよね。声量、声域(安定して出せるという意味での)、歌い回し、表現。その全てに於いて。市原太朗とかやっぱり上手かったよなと思うし、私はヴィヴラート多用気味なのが嫌いだったけど林康子だって確かにそれなりのものだった。現役組でも高橋薫子は勿論今でも素晴らしいけど、その後がねぇ... 一昨日のガラに出て来た面々でも、やっぱり福井敬(あまり良くなかったけど)や堀内康雄あたりを標準に置くと、その後の世代の「下手さ」加減が目についてしまうのです。女性陣だって、林美智子や幸田浩子だって、あれ、下手ですよ。今の歌手の中で見ると確かにいい方だけど、やっぱり詰めが甘い。高音域の処理、歌い回しがやっぱり粗い。声量にも問題がある。でも、あれで舞台に十分立てるし、あれで拍手は貰えるから「いいや」ってことになってしまう。改めて思い返しても、まともだったのは森麻季と砂川涼子くらいじゃないかな。選曲については色々あるけど。(いやだから砂川涼子ならミミくらい歌えるに決まってるだろうと) いかんいかん。今日の話だ。 で、今日も佐野成宏が登場。3日は「妙なる調和」で今日明日が「星は光りぬ」。うん、良かったですよ。良かったというのはつまり、声がきちんと出ていて破綻を来さず、音程も安定していて、歌い回しが綺麗に出来ていて歌のフォルムが崩れない、ということ。 「プロなんだから当たり前や!」って突っ込み入れたいんですけどね。本当は。でもそうは行かないという現実............ ドメニコ・バルザーニは、その点、声がちょっと薄かったですかね。バリトンならもう少し深みを持って歌って欲しい。それが歌い回しの破綻にも繋がる。固い感じだったし。代役というのはあるにせよ、残念。 天羽明恵は盛んに喝采を浴びてましたが、この辺が今日の愚痴に繋がるんですよね。 ていうのは、ああは言ったものの、責められないんですよ、拍手喝采する側を。だって、確かにあれだけ歌えれば見事は見事なんだもの。声量はあるし、一応転がってるように聞こえるし、高い声も出てる。声量に載せてそれがびんびん来る。 でもねぇ、やっぱり詰めが甘いんですよ。歌い回しが宜しくない。高音がびんびん来る、その脇をきちっと歌わなければ、ただ「でかい高い声が出る」だけになってしまう。それはやっぱり許せないのですよ。だって、私は歌を聴きに来てるんだから。そこは、潔癖過ぎるかもしれないけど、ちゃんとやって欲しいんです。幾らガラコンサートでも。多少声量を犠牲にしても、きちんと歌として細部まで詰めて欲しいんです。加えて言えば、その「びんびん来る」声が、やっぱり固いんです。本当に声量も音域も余裕のある人なら、そこに柔らかさ、しなやかさが加わって、ああ、凄いなぁ、綺麗だなぁ、となるわけです。そう。この「凄さ」には「凄く綺麗」という美的要素が弱みとしてあるのです。 でも、今は、この人くらい歌えることはやはり「凄い」ということになるわけです。それは仕方ないと思うんだけど、でも、なぁ。 アンネッテ・ダッシュは、確かにあまりよくなかったですね。ただ、これも選曲の問題があるんじゃ?という気がしていて、元々この人はソプラノ・リリコくらいなんじゃないかと思うのです。それを、「麗しい光が」ってのは無理あるんじゃないかと。チャルダーシュも、あまり歌ってないんじゃないだろうか。いい歌い方じゃなかった。ただ、最後の"宝石の歌"は見事でした。歌い回しも良くて、ああ、いい歌を聴いたな、という気持ちにしてくれました。 多分これって一般的な評価じゃないと思うんですよね。特に天羽とダッシュならば、普通は天羽ベタホメでダッシュはダメじゃん、になると思うんです。でも、個人的には、やはり、いい歌を聞かせたのは、打率3割3分だけどダッシュだったね、と言いたいのです。
2008年01月05日
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MUZA川崎シンフォニーホール 15:00~ 3階中央 今頃になって気付いたのだけど、月末月初のマリインスキー劇場、行けそうにないぢゃん......<出張予定 最悪...... 実のところ、年末年始は出掛けられない可能性が少なくなかったので、埋め合わせのつもりで3日はダブルで入れていたのでした。実は出掛けてしまったので、若干疲れ気味もあって強行軍になってしまいました。時差ボケも無いではないし。 ヴォーン・ウィリアムズ:「富める人とラザロ」の5つのヴァリアント J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番 サン=サーンス:ファンタジー ドヴォルザーク:弦楽セレナード <アンコール> エルガー:(すんません、曲名忘れました....) 東京交響楽団弦楽合奏団 ヴァイオリン・MC:高木和弘 フルート:甲藤さち チェンバロ:曽根麻矢子 ハープ:山崎祐介 新年早々考えさせられたと言うか........ MC(会場整備の為の場繋ぎとは言えちょっと喋り過ぎ?)の高木和弘、この人は東京交響楽団のコンサートマスターでもあるのだけど、最後のドヴォルザークの「弦楽セレナード」の前に表れてMCを。ま、話の内容はともかくとして、年越しになんで「千の風になんちゃら」を聞かなあかんねん、という、それはまぁ至極ごもっともなお話というか愚痴なのですが、「こちらはスラブの野を渡る爽やかな風」とかなんとか言うのでちょっとびっくり。 そういう音楽だっけ?爽やかな風?スラブ? で、演奏を聞いて、何となく納得。いや、確かに爽やかっていやぁ爽やかなんですが........ ドヴォルザークの弦楽セレナードは、割と好きな曲で、古くはマリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズとかで聞いていたし、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2007でもオーヴェルニュ室内管とかで聞かせて頂きましたが、決して第一印象は「爽やか」じゃないと思うんですよね。何故かと言うと、二つ理由があります。 一つは、低弦ががっちり響いて来るのです。冒頭、第2ヴァイオリンが非常に印象的なテーマを奏でると、すぐに受け答えるように第1ヴァイオリンと低弦部が返して来る。この部分から、がっちりと低弦が響いて来るのです。 そしてもう一つは、特にマリナーなどの録音で顕著なのですが、非常に粘っこいフレーズなのです。スコアを持ってないのではっきりとは言えないのですが、この部分、レガートで繋いで行きながら、音が最後まで持続したまま受け継がれて行くのです。弾きっぱなしではなく、息が長いのですね。だから、濃密な音楽が展開されて行く。 ついでに言うと、セレナードは、夜曲であります。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のナハトムジークと本来的には同義。あれだって「セレナーデ」と題されているのだし。確かにドヴォルザークの穏やかな出だしは夜曲に相応しいが、爽やかではないだろう。 でも、この日の演奏は、確かにまぁ仰る通り、「爽やか」でした。 つまり、低弦は響いて来ないし、フレーズの息が最後まで持続せず、最後の所で抜けるから、ぶつ切りではないけれど、粘っこい感じではない。低声部の軽めの伴奏に乗ってヴァイオリンが旋律を奏でて行く感じ。 普段だと、この時点で「ちょっとねぇ」と言ってしまうんですが、考えてしまったのは、最初っから演奏する側が「爽やかな曲」って言ってしまっているところ。つまり、「そういう曲」として当たり前に捉えて演奏してるってことですよね。 フレーズを切らずに繋いで行く、というのは、実は欧州のオーケストラではどんな曲でも結構当たり前に聞かれる傾向です。敢えてそう言う言い方をするならば、あまり音楽上の句読点を入れないのです。いや、日本人の演奏家が入れ過ぎるのだ、と言うべきでしょうか。昨日の演奏も、けっしてぶつ切りではないけれど、もともと切れ切れの演奏に慣れてしまっているから、繋ぐ意識がないんでしょう。 で、聞く方もそういうものだと思っているんじゃないかと思うのですね。それが心地いいと思うから、それを求める。特に「繋いで行け!」という風には思わないし求めない。だから、演奏者の方も、そうしようとは強く思わない。 これは、低弦が弱いというのにも通じるのでして、つまり、元々低弦が響いてこないのが当たり前だから、響かなくても気にならない。で、聞く方もそういうものだと思っている。同じ循環があるのだと思います。 そんな風にして聞かれる音楽というのが、比較的軽い方向に向いて行くのは道理だと思います。 結局、音楽の良し悪しとかは、あくまで主観の問題になってしまいますので、それがいい、と思う人が多ければ、それがいいことになってしまうんですよね。よく「クラシック音楽は流行に左右されない」なんてことを仰る方がおられますが、思うにそれはあくまで幻想で、現実には思いっきり流行に左右されるものだろうと思います。アニバーサール・イヤーなんていうのは明らかに人為的に流行を起こしている訳ですし。地域性というのも、流行の一つの要素ですし。流行というのにあくまで抵抗があるのならば、聴衆の趣味の傾向、と言い換えてもいいでしょう。それが決して一定ではなく、むしろ比較的揺らぎ易いものだ、と。 私個人は、こういうあっさりした演奏が必ずしもいいとは思っていない訳で - 特にこのドヴォルザークの弦楽セレナードは - 、その意味では不満ではあるのですが、そもそも「そういうもの」と認識して演奏してよしとしている以上、言ってみても仕方ない訳でして。だって、これは「自他共に認めるいい演奏」なんだもの。外野が色々言ってみてもねぇ...... といって、納得しているわけではないんですけどね、決して。とはいえ、「そういうもの」として聞く分には、確かに好感の持てる演奏であったのは事実であります。 その他では、元々この日のお目当てだったブランデンブルク協奏曲が聞き物。チェンバロが曽根麻矢子で、第5番ですから。面白く聞かせて貰いました。ただ、やはりMUZAはコンサートホールとしては大き過ぎます。音が響くようには作られているけれど、チェンバロのように元々響かない楽器だと、バランスは悪くなる一方だし、直接音は届きにくいし、というわけで、ちょっと厳しかったですね。まぁ、そのへんは言っても詮無いこと、のレベルでしょうか。 東京交響楽団を母体にしたこの合奏団、全部で20人ほどの編成ですが、全体的にドヴォルザークで感じたようなスタイルです。それ故、現代楽器使用ながら、バッハではナチュラルに古楽器的アプローチになっていて、それはそれでバッハでは都合がよいのやも。 全体としてはそう悪くない、というところでしょうか。
2008年01月04日
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NHKホール 19:00~ 3階中央 細かいことはめんどくさいのでNHKのサイトででも調べて下さい<やる気無し <コンサートの案内> <放送の案内> 同時中継で放送されてたらしいので、観た方も居られるでしょう。13日午後に衛星ハイビジョンで再放送予定だとか。 で、やる気無い程度に、正直しけしけでした。 まず、人選と選曲がいけてなさすぎ。いや、主に人選でしょうか。アリアについては14曲、それをそれぞれ一人一曲ずつ歌う(二重唱が一つあり)。この時点で無理があるのに、半分くらいは人と曲が合ってない。選ばれた曲自体は悪くはないけど、これ、どういう調整をやったのだろう? 前半は正直力が無い。水口聡、頑張ってはいたけど、やはり力量不足。幸田浩子は何故か「鐘の歌」。いや、歌うのはいいし、一応歌えてるけど、高い所は回避してるし。てか、そもそも何故これを歌うの?合ってないでしょ。そんなんばっかりです。最後の「ダッタン人の踊り」はそれなりに楽しめたけど。 後半は割と歌手の陣容はそれなりでしたが、結果に関しては、女性陣はほぼ全滅。要するに合ってないのです。砂川涼子の「私の名はミミ」は、それなりに歌えていたけど、そりゃそうでしょう。森麻季はモーツァルトの「羊飼いの王」のアリア。それはそれでそれなりに歌えていたけど、やっぱり声量無いなぁ。勿論NHKホールではあるんですけど、それを割り引いてもね。臼木あいは「ハムレット」を歌って、なんとか頑張ったけど最後に引っくり返してしまってお里が知れてしまった。林美智子は「今の歌声は」を歌ってこれまた高音が出ない。これも選曲が合ってない。 男性陣はもう少しましで、佐野成宏(「妙なる調和」)と堀内康雄(「悪魔め鬼め」)はきちんと声が出ていたけれど、後は、ちょっと厳しいなぁ。 いや、放送用なんで仕方ないんでしょうけど、それにしても、これはちょっとどうかなぁ。自分は3階席で2500円なんだけど、S席は8500円だったそうです。それにしてはこの内容はちょっとね。で、これを放送用に仕立てているのでして、とすれば、公開放送の内容をお金取って見せてる訳で、そう考えるとちょっとふざけた話です。 二期会系の歌手は全滅だな.....と思いながら出て来たら、大声で電話で報告してる人が。曰く、女性陣は皆素晴らしくて、海外のアンコ型体系の歌手なんかより見た目も含めて素晴らしい。そこへいくと男性陣は技巧に走ってしまって全然だめだった。だそうです。 んなこと言ってるから日本では歌手が全然育たないんだって......あのねぇ、 ・歌手は声が出て、きちんと歌として歌えてなんぼ。高音が出せない、ひっくり返る、てのは論外 ・男性陣で技巧を披露した人なんて居たの? ・でも、男性陣の少なくとも幾人か(上記のような)は、最低限「歌」として成立させていた ・そういう、「歌」にする技術を「技巧」と呼んで非難するなら、NHKのど自慢を聞くべき でもなぁ。二期会の公演もこのレベルで盛んに行われてるし、こういう放送を聞いて「オペラってこういうものなんだ」と理解して聞く人が増えれば、これが標準になっちゃうんだろうな。 お前如きが何を偉そうに、とは自分でも思うのだけど、この状況はちょっとね、と思ってしまうのです。中途半端な演奏家と、それをべた褒めしてしまう甘い聴衆との共犯関係による負のスパイラル。 いや、本当に、演奏家はやっぱり聴衆が求めるものを生産していくのだと思うのです。そんな風に思ったのには、実は今日もう一つ聞いたコンサートがあって、そこでの話があるのですが、それは又明日。
2008年01月03日
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今更ですが、明けましておめでとう御座います。 というわけで、今日帰国しました。いやはやフライトはキャンセルされるわ、無理矢理経由便に振り替えさせるわ、その後の予約変更処理が不十分で帰国便はスタンバイにされるわ、えらいことでしたが、まぁ全体的には - 特に音楽関係は - 上々かと。 例によって海外ネタは書かない主義ですが、オペラに関しては期待してたところが期待外れで、予想外のところで盛り上がった、としておきますです。グルベローヴァはまぁこれは予想通り。いろいろあった1年の締めくくりにはよかったかな。 というわけで明日からまたコンサート巡りです。控えるんじゃなかったのかね、全く.....(苦笑)
2008年01月02日
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