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あるアーティストのCDを探す為に、大型のレコード店をハシゴしていたそのアーティストとはGreen2(グリーングリーン)という、女性4人のグループである日曜日、髪を切りに理容室に行った時に、ラジオからその曲は流れていた女性たちの力強くも繊細な歌声に魂が揺さぶられ、顔を剃ってもらう為に寝かされていた自分の身体には電気に似た衝撃が走ったその美しいメロディーはうろ覚えながらいつまでも自分の耳に残り、鼻歌交じりに口ずさんでいた彼女たち(Green2)の存在は、去年知ったNHKテレビの音楽番組で、新人アーティストとしてデビュー曲を歌ったのを見たのがきっかけである彼女たち4人は、それぞれが民謡の全国大会で優勝している経歴を持っている民謡で和音をつくる(ハモる)という独自のスタイルを築き、2005年5月“心を揺さぶる希望の唄声”のキャッチフレーズのもと、デビューシングル『ナミダグサ』をリリースしたテレビでナミダグサを聞いた時も、“いい歌だなぁ…”と思ったのだが、今回のラジオで流れていた新曲はかなり自分の胸に深く突き刺さる曲だったので、CDを探すことにしたのであるしかし、彼女たちはメジャーではないのか(失礼か…)、銀座の山野楽器やHMVに足を運んでもCDは置いていなかったネットやレコード店で注文すれば確実に手に入るのかもしれないが、どうしても今すぐに手に入れたかった自分(まるで駄々っ子)のレコード店巡りは続いた…そして、あまり期待していなかった渋谷のTOWER RECORDSで、ついにGreen2のお目当てのCDと遭遇したのであるGreen2のセカンドアルバムで、NHK・1月のユアソングとして、1ヶ月間毎日NHKラジオで流れているという『サヨナキドリ』である“生きる歓びを教えてくれたうたよ~いつか来る幸せな未来を信じ、サヨナキドリの歌声を聴く”なんとも壮大なテーマだが、彼女たちの美しい歌声や、耳に残る旋律と相まって素晴らしい曲に仕上がっている民謡の基礎がしっかりしているためか、彼女たちのやさしさ・力強さの緩急自在の歌唱力は抜群で、キャッチフレーズ通り、まさに心を揺さぶる唄声その唄声はどこか懐かしさを覚えさせ、まるで母が我が子に子守唄を聞かせるような優しさがじんわりと伝わってくる聞いていると、汚れた自分が浄化されていくような気がするから不思議である今では、通勤のマイカーの中で繰り返し繰り返しずっと聞いているので、一日中頭の中をサヨナキドリのメロディーが駆け巡り、気づけば無意識に口ずさんで仕事をしているほどデビューシングルはネットで注文し、今や自分の中ではちょっとしたGreen2旋風が起きている公式サイトを覗いて見ると、主に関西を中心に活動しているようだが、1月には東京でもミニライブ?を開いたらしいそれも、自宅から程近いショッピングモールの中のレコード店である日付を見たら、なんと、理容室でラジオを聴いた1日前!ニアミスと言うか、運命の悪戯というか…まあ事前に知っていたとしても、仕事で行くことは叶わなかったから、かえって終わったあとに知ってよかったのかもそれにしても、CDを聞いて熱いものを感じて感動するぐらいだから、生の歌声を聴いたら一体どうなるんだろう昇天してしまうかもしれない…『サヨナキドリ』の曲の終わりには、作曲家・チャイコフスキーの『弦楽セレナーデ』がほぼ原曲に近いかたちで引用されているそのことで、クラシック音楽を冒涜しているだの、表現のひとつだのと、賛否両論別れていて、公式の掲示板では熱い遣り取りがされていたまぁ人それぞれ感じ方は違うから、色々な意見があるのは当たり前だと思うただ、歌を聴いて、心を動かされている自分のような人間も少なからずもいるわけで、これからも魂に響く素敵な唄を歌い続けて欲しいと願うばかりである弦楽セレナーデの旋律に乗せて高らかに力強く唄われている最後の歌詞“♪生きる歓びを教えてくれたうたよ”『サヨナキドリ』という曲とこうして出会い、自分は生きる歓びを教わった【サヨナキドリ(小夜鳴鳥)】西洋のウグイスとも言われるほど鳴き声の美しい鳥で、別名・ナイチンゲールとも呼ばれている(ネット調べ)
2007年01月31日
昨日何年ぶりかに携帯電話の機種を変更したあまりにも機能が充実して操作が複雑になっているのと、長年NECの携帯を使用していたのだが、今回からシャープ製の最新モデルのものを購入したので、基本的な操作からして違い、扱いにかなり手間取っている機種変更する際、『今まで使用していた携帯電話はお持ち帰りされますか?』とドコモショップの店員の方に聞かれたので、『はい』と答えた長年愛用してきただけに、その場で廃棄してしまうのはなんとなく忍びなかったからである電源を入れても赤い文字で圏外と表示される携帯電話♪今は~もう話せない~自分の携帯~(大きなのっぽの古時計のメロディね)ちょっとせつない感じである電話としての役目は終わってしまったが、目覚まし時計の代用として今日から再スタートを切った自分は普段から、携帯電話はダイヤルロックをかけている見られてまずいものがあるわけではないが、なんとなく自分の人以外には踏み込んでもらいたくない領域だからである今は役目を終えた携帯電話も、ついいつもの習慣でダイヤルロックを無意識にかけていたそうとは気づかずに、寝る前に目覚ましのアラームを設定しようと、携帯電話のダイヤルロックを解除するためにいつもの4桁の数字を押したしかし、なぜかロックは解除できなかった“why?”押し間違えたのかと思い、もう一度数字を1つ1つ確認しながら押したが、やはりロックは解除されない新しい携帯電話で目覚ましのアラームを設定すれば事は済むのだが、なんだか気になって眠れそうにもないいったい暗証番号は何番なのだろうか???どうしても突き止めたいダイヤルロックの解除の番号が判らない場合、ドコモショップに持っていけばロックは解除してくれるらしいのだが、役目を終えた携帯電話を今更…と思われるに違いないかといって、0000から9999までの数字の組み合わせを1から1つ1つ試すなど、目も眩むようなことをしようとまでは思わない念の為ネットで調べてみると、似たケースを見つけた設定をした覚えはないのにダイヤルロックがかかってしまい、解除の仕方が判らないという人が助けを求めていた自分で暗証番号を設定していない場合、メーカーによって違うが、ドコモの場合、初期設定の暗証番号“0000”の数字を押せばロックは解除できるという駄目で元々で、0000と数字を押してみた“解除できたっ!!”自分は4桁の暗証番号を決めていたのに、なぜ初期設定に戻っていたのだろうか?推測するに、ドコモショップで新しい携帯電話にデータを移行する際に、古い機種は、電話本来の役割を果たさなくなるので、初期設定に戻されたのではないだろうかとにもかくにも、ロックが解除できてヨカッタ目覚ましのアラームをセットし、眠りにつくのであった
2007年01月30日

もう何年、同じ携帯電話を使っているだろうか自分の携帯電話を見る度に、周りの人からは『古いねぇ』とか、 『まだ使ってるの?』と言われる携帯電話に関しては無頓着で、通話やメールといった機能を果たしてくれればいいので、本体の塗装がだいぶ剥げようが、電話のバッテリーの消耗が早かろうが、その他はどこも異常が無いので使い続けていた故障しない限りまだまだ使い続ける予定だったのだが、急遽機種変更することにしたというのも、長い年月もの間、ポイントを貯めたままにしていたので、今年の3月いっぱいで、約3万円分ものポイントが消失してしまうということを請求書を見て知ったからである“えらいこっちゃ!使わな、勿体無いわなぁ”3ヶ月に一度の、持病である甲状腺の定期健診を終えると、その足でドコモショップへと足を運んだ平日の昼間だというのに、応対するカウンター席はほぼ埋まっていた機種変更の旨を伝えて、カウンター席に案内されると、若い男性の店員から『どの機種になさいますか?』と尋ねられたはて???機種変更する為に訪れたものの、消失してしまうポイントを使い切ってしまう事だけを考えて、最近の携帯電話事情を何も下調べもせずに来てしまったので、返す言葉が詰まってしまった『何も決めてません…』すると、店員は手早く、最近の機種をいくつも持ってきてくれた実際に手にとって操作してみるが、イマイチ選びきれない今までは“N504i”という機種を使用していたので、NECの最新モデルであれば、さほど基本的な操作は変わらないのだが、どうも見た目のデザインがいただけないで、結局最終的には、機能云々より見た目で選んだ宝石をイメージさせるジュエルカットデザインが美しいSH903i携帯電話を持ち始めてから、これが通算五台目となる携帯電話の本体価格はポイント内で収まってしまうので¥0その他、充電器やらもろもろ付属品をつけてもまだポイントは5000円ちかく残ってしまう自分としてはもう十分だと言ったのだが、応対してくれた若い店員は『勿体無いです』と、なんとか消失してしまうポイントを使い切ろうと、思慮した挙句、見事使い切ってくれたのであるお世話様でした…(ちなみに3月に期限が切れる3万円分のポイントを今回使ったわけだが、期限が残っているポイントは約1万円まだ残っている)最近の携帯電話事情に関しては何の知識もないので、これがどんな携帯電話なのかさっぱりわからないAQUOSの技術を採用したという2.8インチワイド液晶の画面は広くて美しい画面の下からは最新のニュースが流れている暫くしないうちに随分と携帯電話も変わったものだ…と、ちょっと浦島太郎な気分であるとりあえず分厚い説明書はさておき、メールを打とうと試みた今まで指が覚えていたボタンの感覚が違うので、関係の無いボタンを押してしまい、文字の変換の仕方なども機種独特の癖があって、なかなかスムーズにはかどらない文章を打っていて、ふと手元が止まった改行ができない!今まで長年使っていたNECの機種とは違うのだから、操作の手順が異なるのも当然である店員さんからも『慣れるしかありません』って言われてたし…説明書と睨めっこしながらだったので、1通のメールを送るのも一苦労だったメールだけでこれだけ手間取ったのだから、その他の操作方法を考えると、使いこなせるのはまだまだ先のようである
2007年01月29日

人は誰しもが夢を見ている夢を見ない…というのは間違いで、どんな夢を見たかただ覚えていないだけなのである自分が見て覚えている夢といえば、働いている夢が大半を占めていて、たまに学生時代に戻った頃の夢を見る現実味に溢れた夢ばかりである自分の見たい夢を自由に見られたら、どんなに素晴らしいことだろうか朝目覚めて、現実の世界に引き戻された時、世知辛い世の中と夢の中のギャップの差に落胆してしまいそうだが、せめて夢の中では楽しく過ごしたいものである枕の下に、好きな人の写真など見たい夢の写真を忍ばせておくと、その夢が見られる…なんて話を遠い昔に幾度となく耳にしたことがあるが、果たして本当だろうか?一度試してみたいところだが、枕の下に置いておくと、寝返りを打ったりして、なんだか写真が皺くちゃになってしまいそうでいまいち躊躇してしまうネットで調べると、自分の見たい夢を見る方法はあるにはあるようだが、なかなか実現するのは難しく、どうやら、自分の思い通りの夢を見ることはそう容易なことではないようで、こればかりは夢のまた夢のような話のようである今朝は気持ちよく目覚めたそれもその筈、いつになく良い夢を見たからである目覚めると、すぐに入浴する習慣の自分は、ぬるま湯の湯船に浸かりながらその日見た夢を思い返していたその夢とは、自分が胸の内に秘めている憧れの人と、2人きりで過ごしている夢であるその憧れの人は、自分からすれば高嶺の花のような存在の人で、現実ではお近づきすることすら到底叶わない自分の中で想いはどんどんと膨らみ、その恋の炎は我が身を焼き尽くしてしまうほど身体のなかで燃え上がり、時として叶わぬ届かぬその想いは、もどかしさのあまり息苦しささえ感じるこればかりはどうしようもできない事は頭では解っているのだが、心が納得できずにいて、いつまでも想いが断ち切れずにいるそんな胸に秘めたる思慕の念が、今日の夢へと結びついたのかもしれない夢の中で二人は、ただ単に向き合って話をしているだけなのだが、それはそれは楽しいひと時を過ごしていたなんだか夢とはいえ、それだけで自分は十分に幸せを感じ、満たされるのであった憧れの人が再び自分の夢に現れるかどうかはわからない…でも、二人が逢えるのは夢の中だけまた逢える日を信じて、今日見た夢を思い返す自分であった…
2007年01月28日

ファレノプシス(胡蝶蘭)、カトレア、シンビジューム、デンファレ……洋蘭というと華やかなイメージを抱くが、今日仕入れた蘭はちょっと一風変わっていた初めて見たその蘭の第一印象は、“小っちゃ!!”掌に収まってしまうほどの、親指サイズの小さな小さな蘭であるその名は『エンシクリア ポリブルボン』 メキシコからコスタリカに至る中米を原産とする蘭である小さく愛くるしくも、凛としたその佇まいは、蘭だけに風格が漂う茶色と黄色と白の色のコントラストは美しく、鼻を近づけると微かな芳香が漂うこのポリブルボン、“幸せを運びます”と謳っていて、恋愛・受験など、蘭に付属されているラベルの裏に願い事を書くと叶うかも?みたいな事が書かれているなにぶん鉢が小さいので乾燥に弱く、適度な湿度を与え、水コケの表面が乾く前に水遣りをするその際、願い事を唱えながら水をあげてください…と書かれている何かのおまじない!?ポリブルボンと願い事を結ぶつける、どんな言い伝えがあるのか調べてみたが、その由縁たるや掴むことができなかった察するに、販売戦略の一つとして謳っているのかもしれない現に、お客様はまんまと引っかかって……いやいや、物珍しい蘭という事も手伝ってか、仕入れた分はほぼ完売となった室内の明るい場所に置き、うまく管理していれば、通常で1~2ヶ月の間は花を楽しむことができるというお買い上げになったお客様たちは、珍しい蘭に興味を示したのか、願いが叶う蘭ということで興味を示したのかは判らないが、願いが叶うかどうかは二の次として、ながく花を楽しんでもらいたいと思う花を見ているだけで、人は癒されるものである……ポリブルボンが運んでくる幸せとは、ひょっとしたら、そんな癒しの時間なのかもしれない
2007年01月27日

最近の朝は、お風呂上りにヤクルトを飲むのが定番となりつつあるというのも、職場にヤクルトレディが週に1回、顔を出すようになり、購入し続けているので、我が家の冷蔵庫はヤクルト商品で溢れ返っているのである“ヤクルト400”は、身体本来のチカラを呼び覚ます400億個の“L.カゼイ・シロタ株”という菌が1本(80ml)の中に含まれており、ヤクルト商品群の中で最も菌数の多い商品である日ごろ健康に気を使っているつもりでも、乱れがちな生活サイクルや偏りがちな栄養などにより、現代人の毎日は、腸内菌のバランスが崩れやすくなっているそこで、ヤクルトの乳製品を飲む!すると選び抜かれた善玉菌(L.カゼイ・シロタ株など)が胃液や胆汁などの強い消化液に耐えて生きたまま腸まで届き、腸の中で生きた善玉菌が、良い菌(ビフィズス菌 など)を増やし、悪い菌(大腸菌群)を減らしてお腹の環境を改善よって、お腹の健康を保つとともに、さらに身体本来の力を呼びさます、というもの(ヤクルト冊子より抜粋)手のひらに収まるぐらいの大きさの容器の中に、400億個もの菌が入っているとは到底想像もつかないのだが、効果はどうであれ、味はヤクルトに変わりなく美味しいので毎日飲んでいるとは言うものの、週1回のペースでヤクルトを購入しているので、前回購入した分が残っており、毎日飲んでも追いつかず、そのうち消費期限切れ間近のものまで出てくるようになったすると、1本ではなく、2本、3本と飲むことになるヤクルト400は1本につき400億個ものヤクルト菌が入っているので、3本一挙に飲み干したともなると、1200億個ものヤクルト菌が生きたまま自分の腸に押し寄せることに…もう腸の中はヤクルト菌のワンマンショー状態であるその時点で、それだけの善玉菌で腸内が溢れ返れば、悪い菌は壊滅状態になりそうだが、容器には1日あたりの摂取目安量として1本を提唱しているので、くれぐれも過度な摂取は謹んでください最後に、このヤクルト400の商品の購入を勧める方として挙げているのが、“働き盛りの中高年”の方知らなんだ…この商品、お父さん向けなんだう~ん、若いうちから飲んでいていいのかな?まぁ働き盛りには変わりないからいいか……
2007年01月26日

仕事で朝が早いせいもあってか、時間に余裕が無く、髪をセットなどしたことなど今まで皆無に等しい自分の髪質は、ひとが羨むほど細くて柔らかいのだが、猫ッ毛なのでボリュームが全くないのが難点そこで何を思ったか、以前、はじめてこの歳になってワックスなるものを買ってみたSMAPの木村拓氏がイメージキャラクターとしてCMが流れていた、ギャツビーのムービングラバーであるスタイリングによって6つの種類があり、自分は“ふんわり持ち上げ、弾力感がつづく”というエアライズを購入した“揺れ動く毛束、ハードなのに軽やか”“動きのあるスタイルを思い通りにアレンジ”…読んでもイメージが湧かず、なんのことだかさっぱり解らない今日の明け方、わりと時間に猶予があったので、セットしてみた何しろ、あまり髪型に興味・こだわりが無い人間なので、手探り状態でセットするこんな面倒なこと、やはり自分には向いていない…と鏡と向かい合いながらなんとか形を作った格闘の末…髪をセットしたというか、掻き毟ったあとのようなボサボサの乱れた髪になってしまった(強いて言うなら、女性タレントのYOUさんのようなヘアスタイルの感じ)でも、鏡に映っている自分は、いつもとはかなり違った感じでなかなか斬新である出社して仕事をしていると、出勤してきた女性スタッフが開口一番こう言った『パーマかけました?』いつもはごく自然のストレートの髪の自分が、ヒッチャカメッチャカな髪型をしているのだからそういうのも無理はない“内心、笑ってるんとちゃうん?”それから、他のスタッフは自分を見るなり、皆“髪型変えました?”と言ってくるそのうちの一人、もう長い付き合いのせいか、お互い思った事を正直に言う、悪態を衝きあうスタッフがいるのだが、人の髪型を見るなり、『何、寝グセ?』と言った“やかましいわッ!”普段はナチュラルとはいえ、小奇麗にしているので、乱れた?髪形はかなりの衝撃だったらしいこの商品、ムービングラバー(新開発ポリマー)配合により、何度でも再整髪が可能というだけあって、かなり夜遅い時間でも、自在に髪型をセットすることができ、なかなかの優れものであるしかし、今日一日を終えて思ったことは、髪型ひとつで印象がまったく変わるということである人は見た目で相手を判断するというが、まさにその通りなんだと実感させられたそれからもう1つ、鏡を見る機会が異様に多くなるということ普段のごくごく自然体の髪型のときは、そうは気にならないのだが、髪をセットしていると、今どうなっているのか?変じゃないか?と気になって仕方なく、そんな自分に煩わしさを感じるのだが、気になって気になって、暇さえあれば鏡やガラス越しに自分の姿を映し、髪を弄くるのである結論…髪のセットは何もしないのが1番!明日からまた、飾らずに自然体の髪型でいきます
2007年01月25日

たくさんの多肉植物を仕入れてきた色々な種類の多肉植物は、容姿も色も多彩で、見ているだけで楽しいそのうちに、だんだんと自分も欲しくなってきてしまった 多肉植物の育て方は簡単で、種類によってマチマチだが、高温多湿さえ避ければ、たいていのものは順調に生育していくその手軽さから、気に入った多肉植物を見つけると購入していたのだが、買った時は見栄えはいいが、日が経つにつれて生長し、ヒョロヒョロっとした弱い株になってしまう要は、手をかけないのと、環境が良くないのであるなので、“どうせ駄目にしてしまうのだから…”と、最近は手を伸ばさなくなっていたが、値札を貼りながらたくさんの多肉植物を目の前にして、物欲が沸々と湧いてきて、またしても懲りずに購入してしまうのであったブロンズ姫という品種で、数ある多肉植物のなかで、容姿といい、品種名といい、一番のお気に入りである色々な種類の多肉植物を寄せ植えするのも可愛いのだが、生長してくると見た目のバランスが崩れてしまうので、自分はあまり好きではないなので、単品で窓辺に置いているブロンズ姫は、日の当たらない室内では深緑色に、日の当たる場所で乾燥気味に育てると赤茶色の、名前通りブロンズへと色を変える今日買ったブロンズ姫は、どれも緑がかっている色なので、ブロンズへの色の移り変わりが今からとても楽しみである
2007年01月24日
自分の仕事に対する姿勢を見て、社長がこう言ったそうな…『あいつは辛抱強いな』一心不乱に黙々と仕事するさまもさることながら、休みが少なくても、自分は“会社の為…”と、何一つ言わずに働いているから、社長はそう評価しているのだろう辛抱という言葉を辞書で調べてみた【辛抱】堪え忍ぶこと、我慢すること(辞書調べ)我慢という言葉も調べてみた【我慢】感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと(辞書調べ)辛抱と我慢は類義語で、辞書を見る限り、意味合いではどうやら同じ括りのようであるしかし、『辛抱強い』と言われ、確かに自分は辛抱しているところはあるが、我慢しているつもりはない辛抱と我慢は同じ括りではないような気がするでは辛抱と我慢の違いは何だろうか?違うといいつつも、それを言葉で言い表すのはとても難しい…ただ、両方とも自分の感情を抑えていることには違いないが、“我慢”の方は納得せずの不本意な形、“辛抱”はいまある現実を受け入れての受身の形だと自分では思っている当然、我慢という行為は自分からすれば不本意であるわけだから不平不満が募るばかりでいいことは無い一方辛抱は、“辛さを抱える”と書くように、今おかれている自分の環境が解っていて堪えているだけに、両方の置かれている心構え・姿勢には雲泥の差がある以上は持論ではあるが、そう考えると、『我慢しなさい!』という言葉は、頭から押さえつけているようで、なかなか残酷な言葉であるこれからは『辛抱なさい!』という言葉を使っていきたいと思うところで、自分は仕事の面では多少なり辛抱しているところはあるが、それが辛いとも嫌だとも思ったことはあまり無いもうそれが当たり前の生活になってしまっているからである人前ではあまりマイナスの表情を出さずに振舞っているのだが、辛抱という名のオーラが自分の身体から滲み出ているのか?、社長が辛抱しているというイメージを抱くほど、辛抱臭が自分には漂っているらしい(※臭いはしないので、悪しからず)できればそんなイメージは払拭したいのだが、周囲の人からは慰めや労りの言葉をいただくし、何気に満更でもない様子普通に生活していても辛抱しているように見える自分って、良いんだか悪いんだか、心中ちょっと複雑な気分である
2007年01月23日

数日前の早朝のニュース番組で、自宅からそれほど離れていない街を散策する放送が流れていたそのなかで、東京で唯一現存するレンガ造りのアーチ橋を紹介していたので、散歩がてら行ってみることにする日本水仙を見に葛西臨海公園を訪れた足で、そのまま目的地の橋・閘門橋を目指した東京都と埼玉県の県境に程近いところにある閘門橋は、車道専用の葛三橋と寄り添う形で並んで架かっているので判りづらく、はじめは見過ごして通り過ぎてしまった近くに車を停車するスペースが無かったので、すぐ傍の水元公園の駐車場に車を停める枝を剥き出しに晒したポプラの並木道を散策しながら、閘門橋へと向かう公園内は、犬の散歩やウォーキングやジョギングをするご年配の人の数より、カラスと野良猫の数が夥しく、ちょっと異空間な感じ駐車場から歩くこと15分程で、今回の散歩の目的である閘門橋(こうもんばし)に着いた閘門橋は、レンガ造アーチ橋としては、東京に現存する唯一の貴重な橋で、橋の名の閘門とは、水位・水流・水量などの調節用の堰のことをいう江戸時代、一帯は古利根川と小合川という2つの川が入り込んだ複雑な地形を有す氾濫地域であった為、この2つの川の逆流を防ぎ、水田の水源確保、さらに街道の流通路として閘門と橋が造られたと言われている現在の橋は明治43年、『弐郷半領猿又閘門』としてレンガ造アーチ橋が造られ、その後、本橋は別の場所に建てた水門の完成により閘門の役割を終え、また隣接する葛三橋に車道を譲り、現在では歩行者・自転車道に移り変わったその改修にあたっては、レンガのアーチ部分は原形のままとし、橋面上の修景のみに留めた(橋の袂にある東京都の説明板より)東京に現存する唯一のレンガ造アーチ橋と、橋の袂の碑には記されているし、ニュース番組でもそのように紹介されていたが、一部では橋は他にも都内に存在すると異を唱えているサイトもあるその真意は自分には分からないただ、レンガ造りの橋を間近で見ると、その風格ある佇まいは歴史を感じさせる長い年月を経て変色しているレンガは所々に苔が生し、見事なまでに美しいアーチ、たおやかな川の流れを見ていると、時の流れが止まっているかのように思えたその造形美たるや、見事としか言いようがないそんな歴史的価値ある橋の欄干に、“好き”だのとくだらない落書きが、スプレーで何箇所かされていたこういうのを見ると、ほんとうに腹が立つと同時に、情けなくて、悲しくて悔しい長い年月を経てきたレンガに、スプレーという塗料だけでなく、恥も上塗りしたのだやっている本人はあまり深く考えずに、その場のノリでやっているのかもしれないが、どれほどの影響や迷惑を与えることになるか考えてほしいものであるバルコニー部分で橋を眺めていると、ひっきりなしに通行人や自転車に乗った人達が行き交うそれは、ごくごくありふれた日常のひとコマで、この閘門橋が貴重な橋であることを忘れてしまいそうであるしかし、今いる自分の足元には、人々を水害から守った明治時代からのレンガが積み重なっているその歴史の重さをどれほどの人が判って、通行しているのだろうか…閘門橋のアーチの橋脚部の2人の男のブロンズ像は、荒れ狂う風雨と必死に闘いながら閘門の堰板を差込んでいる姿だという今の大場川のおだやかな川の流れを見ていると、命懸けで水害から護る男たちの勇姿は到底想像もつかないまさに、閘門橋は人々の水との生活史を今に伝えるものである本来の役目を終えてしまっている今では、人々の生活圏に欠かすことのできない橋となっているいつまでも大事に、そして語り継いでいきたいものが、そこにはあった普段何気なく目にしている光景、生活している地域など、ちょっと辺りに目を向けてみるのもたまにはいいかもしれない以外と身近に、新しい発見が潜んでいるかもそれが、散歩の醍醐味ともいえよう
2007年01月22日

朝方、小雨が降っていた折角の仕事休みなのに…と思っていると、天気はみるみる回復に向かって、昼前には太陽が顔を覗かせたやはり青空を見ると心も晴れる愛車のハンドルを握った目的地は、先週の新聞で、約3万1000株の水仙が見頃を迎えているという葛西臨海公園である“葛西臨海公園を水仙の名所に”という東京都公園協会の事業計画の一環で、海に隣接する埋立地でも育つような植物ということで、海風に強い水仙が選ばれ、水仙の名所で知られる静岡県下田市の協力を得て、2005年、日本水仙の三大自生地のひとつ、下田市爪木崎から寄付された球根を含めた1万3000株を、2006年も下田市や団体・企業、個人から寄付された1万8000株をボランティアの方々によって植えたという公園に着くと、平日のせいか広々とした駐車場は空いていた新聞記事では公園西側の畑と書かれていたので、西に向かって歩く思わず見上げてしまうほど存在感を誇示する大観覧車を横目に歩くと、水仙が見えてきた緩やかな傾斜地に植えられている水仙に近寄ると、水仙特有の甘い香りが漂っていて、自分の身体をやさしく包み込むその香りはまるで、自分のことを歓迎しているかのように思えた国産品種を見てもらいたいと、品種は日本水仙に統一しているというしゃがみ込んで水仙を眺めた全体的に背丈は小ぶりだが、凛とした花をいくつも咲かせていた明け方降った雨のせいか、葉には水滴がいくつも珠となっていて、柔らかな日差しに反射している数える程度しかいないが、お年を召した方や親娘連れの方は、カメラのシャッターを切ったり、花を間近で眺めたりと、思い思いに水仙を楽しんでいるまだまだ寒さ厳しい冬だが、緩やかな傾斜に植えられた水仙のなかをゆっくりと歩いていると、寒さも忘れて一足早い春を感じるのであった少し離れたところにも水仙が植えられているのだが、そこはまだまだ蕾の状態で、見頃はまだまだ先である水仙が植えられている畑の前には、球根を寄付された方や、ボランティアとして球根の植え付けに協力した方たちの看板が出ている何気なくその看板を見て、目が留まったボランティアとして、ある高校の生徒や教師、保護者の方が水仙の球根の植え付けに参加したのだが、なんと、その高校は自分の母校であったのである母校といっても卒業して10年近く経っているが、今か今かと開花を待つ水仙を見て、ちょっとだけ身近に感じるのであった全体的にまだ水仙の名所づくりは始まったばかりなので、水仙だけを目当てにここを訪れると少々物足りなさを感じてしまうことは否めないこれが、今日訪れての正直な感想である水族館や大観覧車、公園に散歩にきたついでに見る分には十分に目を楽しませてくれると思うこの葛西臨海公園の水仙名所づくりの事業は、平成22年までの期間で計画されており、今後も水仙の数は増えていくという今後どのような展開になっていくのか楽しみなスポットである甘い水仙の香りに名残惜しく思いつつも、公園を後にするのであった…
2007年01月22日

昔の記憶がドンドンとかき消されていく自分…日々起きた出来事を忘れないために、日記代わりにはじめたこのブログも今日で丸1年を迎えたこの1年間は、駆け足のようにあっという間に過ぎたような気が自分の中ではするのだが、ここに書き綴られている1年分の出来事を読み返すと、記憶の片隅にすら残らない平凡な日常が綴られており、1年365日を1日1日、確かに生きてきたんだなぁ…と実感させられたちょうど一年前…パソコンの前で、ブログのレイアウトに四苦八苦していた自分がいたブログのタイトルをつける時、自分の中では“花も嵐も踏み越えて”と決めていたのだが、同じタイトルのブログが幾つもあることを知り、なんとなく人と一緒なのは嫌だということで断念したさて、タイトルが決まらないと次の一歩が踏み出せない何にしようか?なかなかいい案が思い浮かばないブログといっても、日記の変わりなのだから、ごくごく平凡な生活を綴ることになるだろう“平凡なる我が人生”(仮)その頃は仕事が多忙で情緒が不安定だった事もあり、嘆きの言葉を頭に入れてみた“あゝ平凡なる我が人生”(仮)このタイトルだと、ただただ悲観しているだけなので、今の生活から脱却したい!という飛躍さ・願望を出してみようと思いたつ“あゝ平凡なる我が人生に幸あれ”これだ!!こうして、我がブログのタイトルは決まったのである自分からしてみれば第一希望ではない、即席で決めたタイトルだったので、当初は不本意であったが、日に日に気に入り、今では、我ながらよくぞ素敵なタイトルをつけた!と自画自賛このタイトルで良かったと心底思っているブログを始めた当初は、文字通り平凡な日常ありのままを綴っていたので、仕事の愚痴が多かったそんな内容が災いしてか、コメントが寄せられるようになったのはブログを初めてから2ヶ月経ってからのことだった別に期待しているわけではないのだが、コメントが寄せられているとやはり嬉しいものである共感したり、励みになったり、教えていただいたりと、ネットだからこそ日本各地の方たちとブログを通じてお知り合いになることが出来た空いている時間にパソコンに向かっている為、更新はなかなか儘ならないが、どんなに日にちが経っていようと、1日たりとて欠けることなく書くことをモットーに続けてきたこれだけは、破ることなく今後も日々を記録し続けていきたいと思うあゝ平凡なる我が人生に幸は来るのか?楽しく生きるも、つまらなく生きるも自分次第…たった一度の人生だからこそ、悔いのないよう一日一日を大事に生きていきたい現状と比べて、ついついあの頃は良かった…と過去を振り返ってしまうが、昔に戻ることは出来ない悲しいかな、人は老いていくのである歳を重ねて、年老いた自分の親を見たり、老後といった将来に言い知れぬ不安というものを身近に感じる今だからこそ、限りある今を生きたいそう、切に思う今日からブログ2年目スタートである……
2007年01月21日

若い頃は、見ず知らずの人と文通をしていたせいか、ちょっと小洒落たレターセットやシール、切手などを買い集めていた文通といっても恋愛感情が絡んだものではなく、自分の視野を広げるために普段は交流を持つことがないであろう人たちと文通をしていたそれはそれで、色々な刺激を受けたものだった時代は流れ、今や携帯電話やらパソコンのメールが主流になり、手紙を書く機会がまったく無くなった相手にメールを送れば、手紙とは違って日を待たずにしてすぐに返事がくるまったく便利な世の中である知り合いに伝えたいことがあったのだが、アドレスを変更したのか、メールを送信することができず、あいにく電話番号も知らなかったので、久々に手紙を書くことにした小引き出しから、もう久しく使っていないレターセットを引っ張り出すシンプルな無地のものから、桜や紅葉といった季節折々の模様が書かれた便箋などあるあいにく今時期の冬らしい便箋はなかったので、無難に水色のレターセットを使うことにしたさて、用件のみを伝えたいのだが、メールだと短い文章でも様になるが、手紙だとなんとも味気ない“ご無沙汰しています”と、書き出したものの、そこでペンが止まってしまったう~ん、何を書いたらいいのやら…久々に連絡をとるということもあってか、どうでもいいような自分の近況などを織り交ぜて、なんとか無地の紙に文字を埋めるのであった…手紙を貰うと、自分は嬉しい書かかれている文字や文章を読むと、機械的なメールとは違い、その人の人柄や感情が伝わってくるからだメールは気軽だし便利だから良いが、たまには手紙を書いてみるのもいいものだと思った
2007年01月20日

今日もヤクルトレディは、職場にやって来た…はじめは、遠慮がちに『ヤクルトいかがですか?』と、詰め合わせの袋をぶら提げて売りにきた他のスタッフは誰も相手にしないので、なんだかその姿を見て、折角売りにきたのなら…と1袋購入したのだが、それから味をしめたのか?ヤクルトレディは、それからもヤクルトを売り続けに来たヤクルトは嫌いではないし、 “強い菌で、強く生きる”と謳っているように、飲んで健康になるのなら一石二鳥であるが、相手はこちらの都合お構いなしに売りに来るので、時として不愉快に感じる時もある“今日は買わずに断ってやろう!”と思うのだが、ついつい“いかがですか?”と言われると、断れずに買ってしまう心優しい青年は、営業スマイル全開のヤクルトレディに完敗続き…まさに相手側の思う壺である年が明けてからは、ヤクルトレディは2人連れたって来るようになり、仕事で忙しいのに、ご丁寧にヤクルトの説明までしていくようになってきた“正直いって、うざい!!”なんか以前は、隔週で来ていたような気がしていたのだが、ここ最近は頻繁に来ているような気がするまだ飲みきっていないヤクルトがあるのに、さらに買ってしまうので、自分の冷蔵庫はヤクルトだらけである他のスタッフに聞いたら、自分が不在の時にヤクルトレディが来ると、社長が『○○(自分の名前)さん、今いないから誰も買わないよ』と言って、追い返しているそうであるそんな言い方したら、まるで自分がヤクルト好きだと思われるやんけっ!どうりで自分の顔を見つけると、ヤクルトレディは安堵したような表情で自分の方へ一直線に歩み寄ってくるわけだ…そして今日もヤクルトレディは、重そうにぶら提げている商品が入っているバッグをおもむろに自分の方に向けた気乗りしない目で見ていると、ジョアを発見したヤクルトの商品の中でも、ジョアが1番好きな商品で、今まで買っていた詰め合わせにはジョアは2つしか入っておらず物足りなく感じていたのだが、バッグの中にはジョアだけの詰め合わせが入っていた来る度に、今日は要らないから断ってやろう!と心の中では思っているのだが、『ジョアください!』と、気持ちとは裏腹に口は動いて、またしても購入してしまうのであった我ながら自分のアホさ加減に呆れてしまう…プレーン、ストロベリー、オレンジ、ブルーベリー、カロリーオフのライトにレモンと、沢山の味が出ていることに妙に感心してしまったさて、どれから飲むとするかいや、まだ前回買ったヤクルトがまだ残っているから、そっちから飲まないと……自分vsヤクルトレディの戦いは、自分が只今連敗街道爆走中である商品と一緒にヤクルトの冊子を初めて置いていったのだが、そこには“お客様の必要なときにだけご利用ください”と、断ってもいいんですよというような旨の事がご丁寧に書かれていたじゃあ、次は遠慮なく断らせていただきますね!冷蔵庫のヤクルトが全て無くなったら、また買います
2007年01月19日

不二家が、消費期限切れの牛乳などを使った洋菓子を製造・出荷していたことが判明し、世間を賑わしている自分はタイムリーにニュース番組を見ておらず、新聞で記事に目を通しただけなので、世間の人ほど詳しくは知らない今回、洋菓子が問題になったわけだが、近くに店舗が無いせいか、不二家の洋菓子を口にすることはまず無いので、この報道を知った時も、正直言って『そうなんだぁ』ぐらいの感想しかなく、どこか他人事のように感じていたが、今回の不正は、様々なところで波紋が広がりつつあるウェブのニュースで気になる記事を見た『不二家ネクターが無くなる?』桃の果汁飲料は数あれど、一番ネクターが好きな自分にとっては聞き捨てならない話題である記事によると、不二家ネクターは、現在サッポロが全面的に業務委託をされているが、今回の騒動をきっかけに、自販機オーナーから不二家製品の撤去を求める声が増えたため、不二家ブランドのネクターやレモンスカッシュから、サッポロの自社製品の缶飲料に交換をおこなっているというものほとぼりが冷めるまで、ネクターは飲めなくなってしまうのだろうか?そう思うと、いてもたってもいられなくなり、職場から一番近くにあるネクターを売っている自販機へと向かった“もしや、もう手遅れか?”と思ったが、サッポロの自販機には、ネクターとレモンスカッシュは健在していたが、いつ交換されてしまうかわからないので、ネクターを2本購入した缶を開けると、桃の甘い香りが広がった…独特の舌触りの飲み心地は、厳選された白桃を丸ごと潰したピューレを使用しているネクターでしか味わえないさすがは1964年発売から長く愛されているだけある洋菓子での不正が原因で、不二家ブランドの菓子などの製品はスーパーやコンビニから姿を消しつつあるという洋菓子以外の製品に関しては品質に問題は無いと唱えているが、会社が持つイメージが、すべての商品でも不正が行われているのでは?と思わせてしまったのだろう恐ろしいものであるが、その一方で、好きなものであれば問題を起こした会社の商品でも、自分のように買う人もいる確かに不二家製品の売り上げは落ち込むかもしれないが、小売業者もイメージダウンだからと商品を回収するのではなく、消費者に選ぶ権利を与えてほしいものであるとりあえず、近くにあるネクターを売っている自販機では、他の飲料に換えられないように、ささやかな抵抗ではあるが、毎日1本はネクターを買い続けようと思う“問題を起こしても、不二家製品を買う人がいるんですよ”と判ってもらう為に…その日帰宅すると、新聞に『不二家 全面減産』という記事が載っていた多方面で販売中止が相次いでいる為、チョコレートやクッキーなどの菓子、ネクターやレモンスカッシュといった飲料を減産するというどうやら、ネクターは全く姿を消すわけではなさそうである買う場所が少なくなることは免れないが…とりあえずは、ひとまず安心するのであった
2007年01月18日

知り合いの方から、とらやの和菓子をいただきましたとらやといえば羊羹が有名ですが、いただいたのは『御代の春』という小ぶりな最中です梅と桜を模ったいかにも春を思わせる最中で、白色の梅形にはこし餡、淡いピンク色の桜形には白餡が入っています青山通りを車で走らせていると、とらや赤坂本店が見えます永年にわたる伝統と格式、その重厚な店構えに慄いしまい、普段なかなか口にすることができないので、こういったいただきものは素直に嬉しいですはじめて“御代(みよ)の春”をいただいた時、その美味しさに、かなり気に入ったことを伝えると、その知り合いの方は、手土産というと必ず御代の春を持ってきてくださるようになりましたなので、その方がお見えになると、“御代の春が食べられる!”と思うわけです薄皮の中には、ぎっしり餡が詰まっており、ねっとりしているけれど、しつこくない甘さが上品で、小ぶりな大きさが丁度いいです梅と桜、目で楽しみ、舌で楽しむ…二度おいしい最中・御代の春ですものをいただく度に思うのですが、物を贈るときって何を選んだらいいか迷いますよね?幸いなことに自分はお中元やお歳暮を贈り贈られるような立場ではないのですが、御一方だけお世話になっている方で、中元歳暮時になると物が届くのですその方は四国に住んで居られるので、その地方の特産品や名産品を送ってくださるのですが、そこで困るわけですはて、自分は何を贈ろうかと…東京名物だからといって、人形焼や浅草土産で定番の雷おこしを贈るわけにもいかず、考えて考え抜いた挙句、自宅近所にある味が評判の煎餅屋さんで、贈られてきた物と同等の金額分の煎餅の詰め合わせを毎回贈ることにしていますたぶん、先方さんは『また煎餅か!』と思っているに違いませんいつもいつも色々美味しいものをいただいているのにすみませんほんと、相手が喜んでもらえる物を贈ることって難しいですね
2007年01月17日

“秘密”という言葉を辞書で調べると、【隠して人に知らせないこと】と載っていた秘密って何だろう?人に喋ってしまったら、それは秘密ではなくなってしまう『何か秘密ある?』なんて会話を友人としたことはないし、たとえあったとしても、秘密なのだから言う筈もない人はどれだけの秘密を抱えているのだろうか…自分には秘密があるそれは、愛する人にも、家族にも、親しい友人にも、誰一人として決して明かすことはない誰にも語ることなく、自分の胸のうちだけに秘めて、墓場まで持っていく秘密である(断っておくけど、犯罪ではない)若いころはその秘密を守り通す為に、悩み、もがき苦しみ、時には人をも傷つけてしまったそんな自分に重く圧し掛かった秘密を背負うことになった運命に、 “どうして自分が?”と深く嘆き悲しんだりもしたが、不思議なことに人は歳を重ねると考え方や生き方、様々な思考が変わる今では、その秘密を胸の奥にしまい込み封印し、運命を呪うことなく、事実を受け入れているそれでも時折、ある場面に遭遇すると思い返されることもしばしばだが、与えられた試練だと思い前向きに生きている人は誰しもが秘密を抱えていると思う誰々が好きだとか嫌いだとか、仕事のミスを隠したとか、嘘をついただとか、内緒で人の分のおやつを食べてしまったとか…どんなことでも自分の中で隠し通していれば、それは秘密になるそんな浅はかなものではなくて、決して誰にも言えない、言うに言えない秘密を果たして人は抱えているだろうか?もし誰しもがそんな重く暗い秘密を抱えているのだとしたら、自分だけではないのだと、多少なり救われると思うバラには、色はもちろんのこと、棘や枝など、さまざまな部位に花言葉がある咲き方1つとっても花言葉は変わり、“3つの蕾に1つの花”のバラの花言葉は…【あのことは永遠に秘密】である
2007年01月16日

たくさんの花や植物に囲まれて仕事をしているせいか、自分の部屋には余程気に入った植物でないと飾らない普段から家を空けていることが多く、植物の世話をしたり、自分の部屋でゆったり眺めるなどといった悠長な時間は残念ながら無いので、切花を活けたり、あまり手のかからない多肉植物やサボテンを育てていたが、月日が経てば植物は成長するが枯れもする西日しか差さない部屋の窓からの光では日照は十分ではないし、朝から晩まで仕事で留守にしているので、夏場は蒸し風呂のような高温、冬場は心底凍えるような低温の部屋の中では植物にとっては良い環境とは言い難い植物を飾っても駄目になってしまうので、今では部屋に鉢物は一切置いていないベランダに1鉢だけ生き残っている観葉植物のガジュマルそれは、およそ1年前に、植えられている陶器の鉢とガジュマルのバランスが気に入って購入したものであるガジュマルは、沖縄では木の精(キムジナー)が宿り、多くの幸せをもたらすと言われていることから、『多幸の樹』とも呼ばれているガジュマルは熱帯・亜熱帯植物であるが、耐寒性もあり丈夫な植物なので、あまり手をかけない自分でも、育っているのだと思う買った当初は出窓に置いていたのだが、西日しか当たらないので、日照不足のせいか葉は黄色に変色してしまい、それからはずっとベランダに置きっぱなしの状態雨風が強い日には、鉢が倒れていることもしばしばである長くどっしりとした太い幹には不釣合いなぐらいの小さな陶器鉢に入っているので、さぞかし根は窮屈な思いをしていることだろうと、分かっていながらも1年が経ってしまった1年経ったとはいえ、あまり見栄えは変わっていないようだが、太い幹から出ている枝振りがだいぶ不恰好になっているので、多少なり伸びているのだと思うこれだけガジュマルに手をかけていないと、木の精など宿るはずもないだろうが、このままスクスクと育ってほしいものである観葉植物を部屋で育てる際、乾燥は天敵で、湿気を好むので葉水をやるとよい葉が湿る程度に霧吹きするだけで十分ゆえに?自分の部屋には霧吹き器が3つもあるいや、1つもあれば十分なんだけど、雑貨屋で気に入った霧吹き器を見つけると、買わずにはいられなくなってしまうのであるどれもガラス製で、綺麗に青く澄んだ色が気に入っている3つそれぞれは別々の雑貨屋で購入したのだが、形がどれも異なり色も微妙に違うので、実用性もありながら、置いていても画になる日ごろは棚に3つ並べてディスプレイしていて、ベランダのガジュマルに水遣りをする際、“今日はどれを使おうかなぁ…”なんて、他人からすればどうでもいいような事で時間を費やしているそんなくだらない時間が、ちょっと好きな自分である
2007年01月15日

母が墓参りに行きたいというので、お供することになった今までは墓参りに行くことなど皆無に等しかったが、昨春に祖父を亡くしてからは、盆・彼岸には行くようになった墓参りに訪れていたのは自分たち以外にはいなかったが、墓地の供花を見ると、まだ真新しいものや、松が供えられているところがあり、新年明けて早々にお墓参りに訪れた人たちはいるようであった霜柱ができていたのか、不自然に盛り上がっている土の上を一歩一歩進んでいく墓地の敷地内には大きな桜の樹が植えられていて、周囲は木々に囲まれているので、枯葉の量がすごい墓の周囲や墓石を掃除すると、花を供え、線香を焚き、手を合わせた母と祖父は仲が悪かった歩いて数分のところに、お互い居を構えて住んでいたが、長年の確執からか折り合いが悪く、顔を合わせるたびに口論をしていただが、こうして墓前の前で手を合わせている母の姿を見ていると、なんだかんだあっても、親子の縁は断ち切ることができないんだなぁ…と思った家を出た時間がそもそも遅かったのと、墓参りの帰り道の途中で見つけたリサイクルショップを母が覗いてみたいというので寄り道をしていたら、辺りはすっかり夕闇が迫り、気づけば東京への道のりは、遊ぶ帰りの車の長蛇の列で大渋滞していたその混雑振りたるやら尋常ではなく、ノロノロ運転どころか微動だもしない何より渋滞が嫌いな自分は次第にイライラしてきて、足元は貧乏ゆすりが始まった車内が自分1人きりなら、意味もなく声をあげてみたり、ハンドルを叩いたりと、やり場の無い渋滞へのストレスを発散することができるのだが、助手席には母が乗っているので、そうもいかないとりあえず、クラシックのCDをかけて心を落ち着かせるかれこれ1時間ちかく経つが、一向に車は先に進んでいない街道のすぐ傍には私鉄が併走していて、その電車に乗れば30分もあれば家に帰れるが、車窓から顔を出して前を覗き込んでも、車の無数の赤いテールランプが見えるだけで、長蛇の列の中に埋もれている今、いったい何時に帰れるかわからないいっそのこと、車を停めて電車で帰りたい気分であるそんな自分をあざ笑うかのように、空いている電車が横を通り過ぎ、都心方面へと疾走していく…いったい何本の電車を見過ごしたことだろうか今まで黙っていた母がポツリと言った『お手洗いに行きたい…』コンビニやパチンコ屋に寄ることも考えたのだが、そういう時に限ってなかなか見当たらないもう少し先に進むと、大型のショッピングモールがあることを知っていたので、そこに立ち寄ることにした一目散に目的を済ませると、折角寄ったのだから…と、中を見て回ることにした中途半端な時間帯ということもあったが、中は改装工事をしていたり、閉店しているテナントがあったりと、かなり閑散としているそれでも、家具屋や雑貨屋、ペットショップなどを見て歩くこういうところを見て回ると、女性の場合買い物時間が長いので、男性は退屈しがち母も例外ではなく、かなり時間をかけて見て回るタイプなのだが、幸か不幸か自分も買い物が好きで、さすがは親子か嗜好も似ているので、二人して“ああでもない、こうでもない”と言いながら買い物するのであるロマンティックでエレガントな生活雑貨・家具・アクセサリーを世界中からセレクトしているという雑貨屋『RUE DU BAC』遠目からでも、自分の感性をくすぐるラブリーな商品を扱っていることがわかる店の雰囲気からして男性ひとりだとかなり入りづらいが、母と2人なので構わずに入った華やかなバック、緻密な細工が施された数々のアクセサリー、シルクフラワー、天使をモチーフにした置物や人形、その他厳選された小物などと、どれも素敵な商品ばかりで見ているだけで楽しいさらに嬉しいことに、今なら値札の表示価格より30パーセントOFFだという欲しいものが沢山あるのだが、あいにく今日は財布の中身が少ないので、吟味した結果、アイアン製の薔薇のモチーフが施されたキャンドルベースを購入したぶら下げるので、ゆりかごのように揺れるのが良いし、なんと言っても薔薇好きの自分にとっては見逃すことのできないアイテムであるそのお値段、なんと1050円(税込価格)この価格ですら安いと思ったのに、そこから30パーセント引きになるので、なんと735円であるう~ん、安すぎ!あまりにも安すぎるので、エナメルのフォトスタンドも購入するのでしたちなみに、母はというと…自分より早く買い物を済ませていて、天使の人形を2つ購入したそうな…十分に時間を潰したので、そろそろ渋滞は解消されたかな?と街道に戻ると、相変わらず車は列を成して渋滞していた帰宅したのがかなり遅かったのは言うまでもない
2007年01月14日

仕入れた木瓜(ボケ)の鉢が、箱に入ったまま山積みになっている年末年始は花卉市場のセリも休みの為、年始に店を開いた時、品物が無いということにならないように、花持ちが良いボケの鉢を去年の年末に沢山仕入れておいたのである去年はほんとうに咲くの?と思ってしまうほど、ガチガチに堅かった蕾たちも、いまはどれも膨らみ始め、正月らしい赤や朱色、淡いピンク色、白と、色とりどりの木瓜の花が咲き競っているかれこれ仕入れて約3週間…花も見頃を迎えている状態で、早く売ってしまわなければならないのだが、これが如何せん売れ行きが伸び悩んでおり、まだまだ沢山の在庫を抱えている新人の女性スタッフが手持ち無沙汰にしていたので、『そこのボケ、水遣っといて』というと、その新人女性は、不愉快そうな顔をして『今なんと言いました?』と聞き返してきた自分『そこのボケに水を遣っといてくれる?』新人『ボケ?』自分『そこに山積みになっている箱に書いてあるでしょ』新人『あ~、ボケって花の名前なんですね』その新人の女性は花の仕事は未経験なので、当然花の名前もわからず、自分はボケの花に水をやってと言ったのだが、新人女性は、“木瓜(ボケ)=花の名前”とは結びつかず、“ボケ=自分”と思い、『そこのボケ、水遣っといて』という言葉を、“そこにいるボケ(新人女性)、ボーっとしているのなら水を遣りなさい”と解釈したらしいいくらなんでも、そんな暴言吐くわけないから!自分では当たり前の事でも、知らない人にとっては、きちんと説明しないといけないんだな…と痛感させられた、職場でのひとコマであったまぁ何より、最終的には笑い話で終わってヨカッタ、ヨカッタその新人女性は甲斐甲斐しくボケの鉢に水を遣るのでした
2007年01月13日

今日は、色々なことがあって疲れたそんな日は酒でも呷って、憂さ晴らししたい気分なので、仕事帰りにウイスキーを買って帰宅する買ってきたのは『FOUR ROSES』四つのバラという名のバーボンであるフォアローゼズの生みの親であるポール・ジョーンズ氏は、ある舞踏会で絶世の美女と出会う一目で恋に落ちたポール氏は、迷わずその女性にプロポーズしたでも、彼女は彼に『どうか次の舞踏会までお待ちください、プロポーズをお受けするなら、バラのコサージュをつけてまいります』と答えたのでしたそして約束の舞踏会の夜、彼女は4輪の深紅のバラを胸に、彼の前に現れたのでした…そんな素敵なエピソードから『フォアローゼズ』と名付けられ、ラベルにはふたりを結んだ深紅のバラのコサージュが描かれたと言われています(FOUR ROSESのラベルの裏側より)さて、帰って一息ついたところで酒を飲むのかと思いきや、飲む気配を見せませんそうです、何を隠そう自分はアルコールが1滴も飲めないのでです正しく言うと、飲めることは飲めるのですが、お酒が美味しい!とは思わないし、何しろ少量のアルコールで記憶が無くなってしまうので飲まないようにしているのですでは、なぜこのバーボンを買ったのか?それは自分がバラの花が好きで、前々からバラの名がついたFOUR ROSESを買いたいなぁと思いつつも、飲まないから…と手を伸ばさなかったのですが、今日店で見かけたら“心とろける香りの原酒”という非売品の小瓶がついていたから買ってしまいましたほんと、非売品という文字に心動かされてしまう自分です…決して飲むことはないけれど、ラベルがお洒落なので棚に飾っておきます
2007年01月12日
1本の電話が鳴った受話器をあげて応対に出た途端、声から察するに中年と思しき相手の男性は名前も告げずに、激昂した様子で捲し立てた『車が邪魔だから退かせ!!』と、言われたものの、配達に出ているスタッフは何人もいるので、場所がどこかも言わなければ、ドライバーに連絡を取ろうにもこちとら検討がつかない自分『車輌のナンバーお教え願いますでしょうか』相手『○○―○○だよッ!』半ば予想していた答えが返ってきたなぜかというと、我が社が所有する数台の配達車輌のナンバーは全て同じ番号で取得しているので、ナンバーだけ言われても判らないのであるそんな事を相手は知る由もないので、自分がその旨を伝えて、『ナンバーの前のひらがなも教えていただけますか?』との問いに、“オレのことを馬鹿にでもしているのか?”と言わんばかりに、さらに激昂した声でひらがな一文字を吐き捨てるのであったやっと該当する車輌のナンバーが判ったところで丁重にお詫びを申し上げると、急いで担当ドライバーに連絡を取り、事の次第を確かめたするとそのスタッフは、今日携帯電話を家に置き忘れて出社してしまったので、配達の帰りに自分の家に立ち寄たっという自分の家の前の道は狭いので、ほかのところへ…ということで、よその家のガレージの前に停めていたという会社には無断で勝手な行動をしたうえに、人様に迷惑をかけて仕事を何だと思っているんだか!!怒りを通り越して呆れてかける言葉すら見つからないで、この話には続きがあって、自分からの電話のあとに、当のスタッフが慌てて車輌のところに戻ると、ガレージの主が現場で待ち構えていて色々と小言を言われて、初めは謝っていたそうなのだが、あまりにも相手がネチネチ言うものだから逆ギレして口答えしたというバカか!そもそも、お前が悪いんだよ!この一件だけでも余計な労力を使わされてグッタリだったのだが、まだまだ我がスタッフ共は遣らかしてくれた以前に花束の注文を受けていたのだが、お届けする日にちを間違えていたり、配達に出たのに花を配達し忘れてそのまま戻ってきたり、商品を違う値段で売ったり…もうありえないミス・失態の連続が今日一日で沢山重なったその時、今年の初詣の時にひいたお御籤に書かれていたことを思い出した【雷發庭前艸】わが家の庭先に雷が落ちるとは、身分の下の者や使用人による災いが起こることです新年明けてまだ間もないというのに、こんな事で1年を乗り越えられるのだろうか…かなりの不安である頭を抱えている自分の傍らで、一人の若い男のスタッフが声を掛けてきた『あのぉ~、今日飲み会に誘われて遅くまで飲むので、明日休めますか?』握り締めた自分の拳がワナワナと震えていた何なのお前ら?数日前のブログに、“どんなスタッフであろうとも共に頑張っていく”と書いたばかりだが、今日の数々の失態は勘弁ならぬ敢えて言わしてもらう阿呆ばっかり!!!
2007年01月12日

“カジュアルスタイリッシュ” をコンセプトに、素敵な家具や雑貨を取り揃えている『Franc franc』どれもが素敵なアイテムばかりで、購買意欲をそそられてしまうが、あまりにも洗練されているので、ちょっと自分には敷居が高い感があった雑貨屋を見てまわるのが好きな自分にとっては、別に買う目的はないのだが、ダラダラと雑貨をひとつひとつ物色している一時が好きな時間である低い台に何気なく山積みされた、成人の男性の握り拳大ほどの大きさのキャンドルを手にしたそのキャンドルの名は『サンゴキャンドル』珊瑚に見えなくはないが、例えは悪いが、骨そしょう症の方のスカスカな骨のようなキャンドルで、なんともいえない造形美は、見ているだけでも楽しめて、キャンドル本来の役目である火を灯してしまうのが勿体無い感じ値札に目を向けると、1000円というシールが貼られていた“いくらなんでも、1つのキャンドルが1000円は高いでしょ!”と、そこは冷静に、手にしていたキャンドルを元に戻そうとした時、もう一つ1600円という値札が貼られていることに気づいたん!?本来は1600円で販売しているサンゴキャンドルだが、セール中につき1000円になっていたのである安いじゃん!不思議なものである今さっき、1000円のキャンドルは高いから要らないと思っていたのだが、普段なら1600円もする商品が、今のセール期間中なら600円値引きされて1000円で買えると知って、安いと思ってしまったキャンドルの販売価格は同じ1000円なのに、こうも受ける印象が違うのであるもともとの値札を剥がさないでおいたのは、少しでも安いものを買いたい!という客の深層心理をついた、ある意味商売上手な手段かもしれない現に、こうして自分はまんまとその手口に嵌ったわけだから…(スタイリッシュなここの雑貨屋は、そんな卑しい気持ちでやったことではないと思うけど…)まさに、値札が持つ魔力であるすっかり買うことに決めて、ピンクベースや白ベースといった何色か色違いのものがあったが、自分は青が好きな色なので、青いサンゴキャンドルを1つ購入するのであった
2007年01月11日

正月の間、実家がある長崎に帰省していた友人からお土産を戴いた去年の夏にいただいた長崎の銘菓『一口香』は珍しいお菓子だったので、今回はどんな銘菓かちょっぴり期待していた長崎銘菓シリーズ第2弾となる今回のお土産は、長崎に色濃く漂う異国文化に想いをはせ、真心で造りあげたというロマンの銘菓『長崎物語』である全体を黒でまとめたシックな箱に、“じゃがたら文”が綴られている更紗の継ぎ布が映え、中を開けると煌びやかな金色と、なんとも絢爛豪華な箱に入った銘菓は、見るからに上品に感じられた包み紙を開けると筒状のバウムクーヘンに、真ん中の部分にはクリームがぎっしりと詰まっている甘い香りが食欲をそそる早速、ひとついただいた美味でございますぅぅぅ!割と固めのしっかりとしたバウムクーヘンに、フワッとしたしつこくない甘さのクリームがマッチングしていて絶妙クリームの中にはオレンジピールが入っており、クリームの甘さの中に爽やかな柑橘の味がほのかにして、味に一層の深みを与えている地方特産のお土産というよりも、洋菓子として通るような一品で、紅茶をいただきながらゆっくりといただきたいものである“まろやかでリッチなクリームと、優しく焼き上げたバウムクーヘンが見事に味のロマンを奏でながらくつろぎの時をひろげます”自分の舌の上で、ロマンが奏でられたかは判らないが、異国情緒漂う長崎らしい銘菓をいただき、リッチな気分に浸れたのは事実美味しいものをいただいて大満足なのでありました【じゃがたら文】寛文16年(1639)、切支丹禁制でジャガタラ(ジャワ)に追放された混血児が乳母に宛て、更紗の継ぎ布に望郷の思いを切々としたためたもの(長崎物語の箱に同封されていた案内より)
2007年01月10日

一人の女性スタッフが1ヶ月半足らずで職場を去っていった我が職場では、最後の日に、在庫である切花や鉢物のなかから、辞めていくスタッフが欲しいものを選んでもらい贈るのが恒例となっており、三十代半ばのその女性スタッフにも声を掛けたのだが、にべもなく、『いりません』と断られてしまった無理強いも出来ないので、あっさり引き下がると、その女性スタッフは『私、花に興味ないんですよねぇ』と苦笑いしながら言ったはぁ?その時、声を大にして言いたかった『なんで花屋で働こうと思ったの?』と……彼女の今までの働きぶりからして、淡々と仕事はこなしていたが、花を触っていてもあまり楽しそうではなかったので、花に興味が無いことは薄々感じてはいた自分に興味・関心が無い分野の仕事に就こうとは、普通の人は思わないだろう自分がやりたい仕事ではないにせよ、稼ぎが良ければと、仕事云々より金銭面を重視する人もいるが、我が職場の待遇面は別に秀でている訳でもなく、その女性スタッフはわざわざ通勤に1時間以上かけて来ていた一体、何のメリットがあったというのだろうか?まぁ結論からしていえば、長続きせず1ヵ月半という短期間で辞めることになったわけだが、花に興味が無いのに、何を目的で花屋で働いていたのかは全くもって謎である女性スタッフ『○○(自分)さんは、ほんと花好きですよね』自分『だから花屋で働いているんです』女性スタッフ『私、性格が男っぽいから…○○(自分)さんは女性らしい一面が多々ありますよね、繊細さとか』自分『そうですかぁ?』女性スタッフ 『私たち、少し性格が入れ替わればいいのかも』自分『真っ平御免!!』彼女が最後の挨拶として言った言葉が、『仕事、楽しかったです』ほんまかぁ!?もはや、そんな言葉は社交辞令で、自分の耳には白々しく聞こえたのは言うまでもない今度は、自分が興味ある仕事に就いてくださいね木瓜の花の花言葉は“指導者・先駆者”責任ある立場の指導者である以上、どんなスタッフであろうとも共に頑張っていく所存であります
2007年01月09日

目覚めると、空は気持ちがいいほど青く澄んでいた朝風呂にゆっくりと浸かり、外支度をすると、カバンに1冊の小説を忍ばせて電車に乗りこんだしばらくは乗り換えやらで乗車時間が短いので、車輌の扉に寄りかかり、車窓からただ風景を眺める乗換えを経て東京駅に着くと、東海道線に乗り込むここからは約1時間ものあいだ電車に揺られることになる早々と座席に着くと、小説の世界に浸った電車通勤であれば、その乗車時間を利用して行き帰りに小説を読むことができるのだが、自分はマイカー通勤なのでそんな時間は持てず、読書しようものならば、わざわざ少ないプライベートな時間から割かねばならないゆえに、電車に乗る機会がある時は小説を1冊持ち歩くようにしている休日のせいか家族連れやらで賑やかな車内は、横浜・大船・平塚と主要な駅を過ぎると段々乗客も少なくなってきたそろそろ降りる駅に近づき、小説を閉じて車窓に目を向けると、海が見えたいつも目にしている高層ビルだらけの景色とは違い、のどかな風景が広がっている長らく電車に揺られること小一時間…降り立ちましたるは、東海道線・二宮駅でございます何をしに、この地を訪れたかと申しますと、数日前の新聞で、駅から程近いところにある吾妻山公園でおよそ3万株の菜の花が見頃を迎えているという記事を読んで、訪れた次第であります駅舎を出ると、狭いロータリーには客待ちのタクシーがたくさん列をなしていた下調べでは、目指す吾妻山公園は駅から徒歩5分と書かれていたが、目の前には小高い山が見えるだけで、それらしき公園どころか、案内の看板も見当たらない(のちに自分が見落としていたことに気づく…)まあ全国紙の新聞に載るくらいだから、歩いていけば見つかるだろうと思い、直感を働かせて歩き出す駅前の閑散とした商店街を歩いていると、晴れ着や袴、スーツ姿に身を包んだ若者たちとすれ違った今日は成人の日であるその初々しい姿を見て、自分の成人式の時は、休まずに仕事をしていた事を思い出し、すれ違っていく若者の楽しげな表情を見て、少し妬ましくも羨ましくも思いながら歩く程なくして、街道沿いの道端に“700メートル先を左”という小さな看板を見つけて、さらに歩くたおやかに流れる川のせせらぎ、家々に植えられている千両や万両の実、水仙の花、木造平屋建ての建物などを見て歩いていると、なんとも旅情に誘われる気分であるなんの表示板も無いが、住宅街の間の道から人がゾロゾロと出てくるので、その道を逆に辿っていく緩やかな坂道を上がっていくと、次第に緑が多くなり、それにつれて坂道もきつくなってくるほどなく歩くと、吾妻山公園の入口と案内看板が見えたその看板を見ると、公園のメインの入口は駅からすぐ傍にあったようである自分は何も確かめないで歩いていたので、公園とは正反対の方向を歩き、かなり遠回りしてしまったので、現在地から見ると、公園の脇から入ることとなった吾妻山公園と聞いて、普通の公園を想像していたのだが、行く手に見えるのは、登山道のようなくねくねとした上り坂であるなるほど!公園は公園でも、吾妻山という山にある公園なのであるそうとは知らず、自分はコートにマフラー、足元はブーツと、おおよそ山道を歩くには相応しくない格好で、ちょっぴり後悔したが、ここまで来て今更ここで引き返すわけにはいかないので、今にも土に返りそうな朽ち果てた落葉が敷き詰められた道を進む脇から入園したせいか、登ってゆくのは自分だけで、すれ違うのは下山する人々ばかり年配の方や、子供を連れた家族連れが多く、皆、カジュアルな服装に足元はスニーカーと準備万端の装いであるそのなかでの自分の出で立ちは、やはり異色である息を切らしながら一歩一歩進んでいくと、子供たちの賑やかな声が聞こえてきた声の先には数々のアスレチックの遊具があり、子供たちが疲れも見せずにはしゃいでいるそのアスレチック広場を抜けると、目の前に吾妻山公園の展望台が見えた今まで来た道は裏手にあたるのか、さほど人と出くわさなかったので、人気が無いのかと思っていたが、展望台がある広場には大勢の人が休息していた菜の花の写真を撮っている人、風景を見ている人、弁当を広げている人、まったりとしている人、各々がそれぞれの時間を過ごしている展望台につくと、一番初めに水仙の花が目についた見頃はまだ先のようで、花を咲かせているのは数える程度であった水仙を沿うようにして展望台を山側に廻ると、遠くに聳えるは丹沢山系の山々その左には、富士山が見えた頂は雲に覆われていて全体を拝むことはできなかったが、さすがは日本一の山だけあって、そのスケールの大きさは十分に肌身に感じることができた展望台を海と山との中間に位置する西側に廻ると、斜面に咲く菜の花の群生が目に飛び込んできたなんとも目にも鮮やかな黄色である菜の花自体に匂いを感じたことは今までなかったが、3万株もの花が咲き乱れるここでは、甘い香りが疲れた身体を労わってくれるようにやさしく感じた眼下に広がる町並み、午後の日差しを一心に受けて眩しいばかりに煌き輝く相模湾、見上げれると青い空、そして黄色い菜の花…まるで一枚の絵のなかに迷い込んだかのように、その鮮やかな色彩に酔いしれるのであったゆっくりではあったが、20分足らずで登り詰めたというのに、眼下に望む家々は小さく感じ、とてつもなく高い所にいるような気がするのだが、標高は136.2mしかないというこの程度で息切れしてしまう自分を“歳取ったな…”と実感しつつも、360℃パノラマの展望で繰り広げられる、海、山、そして花と…一見の価値はある風景がそこにはあり、十二分に満足するのであった帰りは、縁結びのご利益があるという吾妻神社を通って帰ることにした下りは楽だろうと思っていたのだが、大間違いであったことはすぐに思い知らされたここの道は石段になっていて、その段は自分の歩幅に合っていないので、歩くペースを乱されて、足元はブーツなので何度も段を踏み外してしまい、登りよりも疲れてしまった公園を後にする頃には、すっかり日も西に傾き始めていた帰りの車中、小説を読み始めたものの、思いもしなかった山道歩きで疲れたせいか、小説を手にしたまま眠り込んでしまったのはいうまでもない…
2007年01月08日

18時以降に配達してください…というお客様の依頼で、花の配達で横浜・鶴見方面へと車を走らせるいつもなら配達には会社の車で出るのだが、今日はこの仕事が最後なので自分の車で出て、配達終了次第直帰するつもりであるいつもなら混雑している国道も、今日は日曜日とあってか車の流れはスムーズで、配達は滞りなく終えたいざ家路に向かうために、住宅街のなかのT字路を曲がると、目の前には長い坂道が見えたはじめのうちはスムーズに走っていたのだが、徐々にアクセルを踏んでもエンジンの回転があがるばかりで、車のスピードが出なくなっていた坂道が驚くほどに急勾配で、車の中でハンドルを握っていると、それは、まるでジェットコースターがはじまりの上る走路をゆっくりあがっていくさまを連想させるこの坂道は上がりきる前に信号機があるこんな勾配のキツイ坂の途中で止まってしまっては、発進が難儀であるとはいいつつも、なかなか思うように車は登っていかず、そうこうしているうちに、今ままで青だった目の前の信号機は無情にも赤色になってしまった坂の上りきる手前で、通常では考えられない角度で車を停車させる傾斜があまりにもきつすぎて、前の道が見えない青信号になってアクセルを踏み込んだら、このまま空に向かって発射してしまいそうである無事に発進できるか…まるで免許取りたての頃のように、今か今かと信号機の色が変わるのをひたすら待つ信号が青に変わった右足をブレーキからアクセルに踏みかえるとき、車が引きずられるように後退する慌てて、いつもの感じでアクセルを踏むが車は前に進まない思い切りアクセルを踏んだ!ブォォン!!勢いよく車が飛び出したと同時に、ダッシュボードに置いていた携帯電話やら雑誌が散乱したバックミラーで見ると、坂を下りていく車は、吸い込まれていくようにあっという間に闇に消えてしまうそれは、まるで地獄への入口のように見えた車を安全なところに停めると、滑り止めの為か丸い輪の窪みが無数にあるその坂道を歩いてみたその勾配のきつさは、とてつもなく、上っていると息が切れてしまうほど上る際には真っすぐの普通の姿勢では歩けず、前屈みにならないと登れないこんなきつい坂道でも、物凄いエンジン音を立てて車は頻繁に行き来するし、両側には住宅がびっしりと立ち並んでいる程近くにはスーパーがあり、買物袋を提げた人たちがゆっくりと坂を上っていく近時の人々には、生活に欠かせない坂道のようである坂道のある光景ってなんとなく好きだが、ここの坂道は見上げるのも見下ろすのも怖い
2007年01月07日
仕事柄、水をよく使うので、日頃から腕時計をする習慣がない日常生活のうえで時間を知りたいときには携帯電話を見ればいいし、職場に居る時は、会社にある時計を見ているので不自由することはない事務所にある何の変哲もない壁掛け時計は、自分のデスクの真後ろにあるので、時間を確かめるにはいちいち振り返らねばならない机の上には、自分の携帯電話を置いているので、それを見れば早いのだが、なぜか大きな壁掛け時計で時間をチェックする癖がついている今日も一人で事務所に残って、売上の入力やスタッフのシフトを組んだりと、デスクワークをしていた必要最低限の灯りだけつけて、パソコンを前に、静かな事務所でひとり仕事に没頭するふと、“今何時だろう?”と振り返って時計を見ると、思ったより時間は進んでいないいつもは時間が経つのが早く感じるのに、今日に限ってはなぜかゆっくりと感じるこんな時間ならもう少し頑張って、仕事を片付けてしまうと、再び仕事に取り掛かる1本の電話が鳴った…スタッフの一人からで、急な用事ができたので明日休ませてください…という旨の電話であったしぶしぶ承諾すると、スタッフはまるでご機嫌でも取るかのように“遅くまで大変ですね”と言った自分『20時には終わるから』相手『もうすぐ21時ですけど!?』自分『?????』頭の中が軽く混乱していた振り返って壁掛け時計を見たが、着実に時を刻んでいる時計の針が指しているのは20時10分前である念のため、自分の携帯電話を見てみた!!!!!画面に表示されていた時刻は21時10分前職場の別の時計も、暗闇に青白く浮かぶ上がっているタイムレコーダーの時刻も21時10分前…つまり、そんなに時間が経っていないと思っていたのは、実は時計が遅れていただけで、実際は自分が思っていた時間よりも1時間ちかく経過していたのであるそうと知って、時間を無駄遣いしたようでなんだか物凄ぉぉく損をしたような気がした昨日まではたしかにほぼ正確に動いていたし、今日も見ている限りでは、秒針は普通に時を刻んでいたそれなのに、今は1時間も遅れた時間を示している時計が止まっていれば異変に気づいていたであろうが、秒針は規則的にしっかり可動していたので、今の今まで遅れているとは疑いもしなかった時計って、こんな急に不意に遅れるものなのだろうか?それにしても、四方を壁に囲まれ外の状況がわからず、テレビやラジオなどの情報が一切得られないと、時刻を知りたければ、時計が示している時間を信用せざるを得ないまさに、今日の自分がそうであった時計が刻んでいる“時間”って、とても大事である【日本と比べて-1時間時差がある国】シンガポール・台湾など1時間、時間を勘違いしていたからといって、ひとり事務所のなかで、シンガポールや台湾の雰囲気を味わえたわけではない
2007年01月06日

何気なく立ち寄った、とある雑貨屋で素敵なものを見つけてしまいましたジャジャ~ン!!大きなダイヤモンドであります(勿論ニセモノ)幼子の握り拳大ほどの大きさのこのダイヤモンド、いったい何カラットあるのでしょうか?その妖しいまでにも輝きを放つダイヤにすっかり虜になってしまいましたいくらするのか、恐る恐る値札を見てみると…1050円也(税込)や、安すぎる…目を擦って値札を再度確認しましたが1050円で間違いないようですもうこれは買うしかないでしょう!無色透明のダイヤとピンクダイヤの2種類あったが、迷わずに無職透明のダイヤを手にするさて、このダイヤを購入するのはいいが、いったい何に使うのだろうか?ペーパーウェイト?う~ん…あとは用途が思い浮かばないどうやら、自分の部屋の片隅に置いておいて、ときどき眺めるだけのようですん!?そう考えると、あまり必要ないかもでも欲しい…なんてったって、1050円だもんほんの僅かな間迷った挙句、結局ダイヤが入った箱を握り締めレジに向かうのでありましたこれって無駄遣い!?【無駄遣い】金銭などを必要のないことや役に立たないことに使うこと(辞書調べ)
2007年01月05日
正月の3連休もあっという間に終わり、今日から仕事初め職場に顔を出すと、正月用で仕入れた門松や若松といった松の売れ行きが、年末は思ったより伸びなかったので、大量に残っていてゴミの山と化していたそのゴミを整理していると、午前中、会社から持たされている携帯電話が鳴った電話の相手は社長からで、新年の挨拶も早々に、開口一番『何かあったのか?』と訊かれた朝から会社に電話を入れているのだが、ずっと話し中だという今朝から会社の電話は一度も鳴っていないもしや受話器がはずれているのかも?と、事務所に行って確認してみるが、どの電話も受話器ははずれていなかった社長は電話をかけているというが、一度も鳴っていないなんとも不可思議な話である社長から用件を聞き電話を切ると、確認の為に自分の携帯電話から会社の番号にかけてみたプルルルル…受話器からコール音が聞こえる“繋がるじゃん!”しかし、目の前にある会社の電話は一向に鳴る気配は無いやはり何かがおかしい…今、この電話どこに繋がろうとしているのだろうか?そうこうしているうちに、相手が電話を取る音が耳元でした誰も出る筈がないものとばかり思っていたので、反射的に耳元から携帯電話を離す時、トーンが低い男性の声がかすかに聞こえたのだが、この電話がどこに繋がっているのかの確認や好奇心よりも、恐怖のほうが先走ってしまい、電話を思わず切ってしまったどこか間違えたところに電話したのでは?と思い、念のために発信履歴を調べたが間違いなく会社の番号に電話をかけているそれなのに、目の前にある会社の電話は鳴らないどころか、今職場には自分以外誰もいない筈なのに、誰かが受話器を取ったのである受話器の向こうにいるのは誰ぇぇぇ!?この不可解かつ奇妙な出来事、果たしてどう説明がつくのだろうか新春早々、しかも仕事始めから恐怖に慄いていると、ふたたび携帯電話が鳴った“もしや今さっき繋がって、切ってしまった相手が電話をかけなおしてきた?”恐る恐る手にすると、相手は社長からであった社長『今電話切れたけど、何か要?』自分『は?』その社長の一言を聞いて、さすがは迷探偵!推理小説を読んでいるだけに、自分にはこの電話をめぐる謎がすべて解けたのであります今回の事件の犯人は、社長あなたです!人手不足が祟ってか、時々事務所を留守にすることがあるので、そういう場合は転送電話を用い、会社にかかってきた電話を社長が所有する携帯電話に転送するのです昨日まで自分は休みをいただいていたので、社長が事務所に一人居たのですが、急遽外出する用事が出来、転送電話にして、解除せずにそのままにしていた模様故に、社長が朝から会社に電話をかけても、かけている携帯電話に転送されているわけですから話し中な訳です真相がわかると、社長苦笑いしてました…こうして、新年早々に起きた不可解な事件は幕を閉じましたこれにて一件落着!!
2007年01月04日

職場の床は、コンクリートの打ちっぱなしなので、冬の時期はとにかく底冷えが堪える普段はスニーカーを履いている事が殆どだが、あまりにも底冷えが酷くて、スニーカーだとダイレクトに冷えが伝わってくるので、少しでも寒さを和らげようと今時期はブーツを履くことが多くなってくる相変わらず嵌っているネットオークションを覗いていると、1足のブーツを見つけたそれは自分がいま一番愛用して履いているブーツと同じブランドで、形もよく似ていた今履いているのは、あまりにもハードローテーションで履き続けている為に、靴の底の部分はゴムも無くなってヒール部分も削れてきていたので、他のブーツを探さねば…と思っていた自分にとっては願ってもいないタイミングであった出品者の方はあまり履いていなかったようで状態も良好人によっては、見ず知らずの人が履いていた靴を履くだなんて…という人もいる若干潔癖なところがある自分も初めは同じような考えの持ち主であったが、店頭に売っていない昔のモデルを手に入れようと思うのであるならば、少しの事は目を瞑るようになった自分は黒色があまり好きな色ではないので、出品されているブーツの色が黒なのがいささか気にはなった何しろスーツや冠婚葬祭用の革靴でさえ、こげ茶色か黒味を帯びたワインレッドのものしかなく、革靴はもとより、そのほかでも黒い靴は1足も持っていないほどであるそれでも靴の形が気に入ったので入札し、無事落札することができた去年の暮れに手元に届いてはいたのだが、仕事が忙しかったせいもあってか箱すら開けて見ることもせず、今日ようやく日の目を見ることとなった『whoop’EE’』というブランドのブーツであるお気に入りのポイントは、ブーツの先端が角ばっているところゴツくて野暮ったく感じるところがお気に入りである早速履いてみたう~ん…想像以上にいい感じ!かなりご満悦であるお気に入りの靴を履いて、年甲斐も無くウキウキしてしまったなんだか背中に羽が生えたように足取りは軽く、軽やかにステップを踏みたい気分である人によって歩き方は千差万別で、当然靴の踵の磨り減り具合も違うので、人が履いた靴を履くのはあまり良くない…という事を以前耳にしたことがあるオークションで落札したこのブーツも多少なり踵は磨り減ってはいたものの、あまり違和感は無く、歩いていても何も問題は無い様子さて、折角お気に入りのブーツを履いたのだから、どこかに出かけることにする久々にとれた連休は今日が最終日!遠出をするのもいいけれど、明日からまた仕事なのでパワーを充電しようと、少し車を走らせて名も分からぬような少し広い公園を散策した園内は、お正月ということもあってか人影は見えない日頃、都会の雑踏のなかに身を置いている自分としては、この静寂さがまるで別世界のように感じられる日頃から人に囲まれ、接していると、無性に一人になりたい衝動に駆られることがある誰一人としていない園内に一人佇み、うす曇の空をただただ見上げるいつもは時間を区切って自分のやるべき事を段取りしている時間に支配されている生活だが、今はただ何も気にせずに、自分の思うがままに時を送ることができる今自分は、とてつもなく贅沢な一時を過ごしているなぁ…と、目を瞑り冬の風を頬に感じながらそう感じていた心身ともにリフレッシュして充電終了!これで、明日からまた仕事が頑張れる
2007年01月03日

『一富士、ニ鷹、三なすび』初夢に見ると縁起が良いとされているものであるさて、自分はどんな初夢を見たのか?ぬるい湯船に身を沈めて、思い出していた初夢は、やはりというかなんというか、夢の中でも仕事をしていたもう、根っからの仕事人間であるもう頭の中から仕事のことが離れないのだろう自分の店ではないのだが、夢の中でものすご~く楽しそうに花を売っていたのが印象に残っているそしてもう一つ覚えているシーンは、場所はわからないが、なぜか平屋が立ち並んでいるのどかな風景広がる田舎道を歩いている自分ちょっと先には、終着駅なのか、貨物ターミナルと混合しているようで、車庫と沢山のレールと、プラットホームが見える旅をしているわけでもなく、帰省しているわけでもなく、ただ宛ても無く歩いているそんな夢を、初夢として見た自分がどんな心理状況かはわからないが、おおよそ縁起物とは程遠いような夢の内容であることには違いない見ていて怖かったり、不快に感じる夢ではなかったけれど…風呂から上がると、部屋の模様替えを始めた常日頃から、ソファーの廃棄を考えていたのである座りもしないのに窓際に大きく陣取っていたソファーを捨てることにしたので部屋から移動させ、ポッカリ空いたスペースに、去年の秋に購入したまま箱からすら出していなかった組み立て式の書棚を組み立て配置する水色の壁に白の化粧板の書棚が生えて美しい昨日大掃除をして、ゴミ袋にしてギュウギュウ詰め2袋分の衣服は躊躇なく捨てたのだが、本だけはどうしても捨てられず、いつの間にか溜まってしまい、今では狭い自分の部屋には書棚が5つもあるまるで本棚に囲まれて生活しているようなものだソファーを置くことによって、今までは壁一面のスペースを潰してしまっていたが、取り払った今はとても広々と感じる書棚を置いてもまだ十分スペースは空いているので、出窓に飾っていた鉄砲ゆりを活けた花瓶を持ってきた年内に活けたときはどれも固い蕾だった鉄砲ゆりも、花言葉である純潔そのもので、白く清らかな花を沢山花開かせていた鼻を近づけなければわからない控えめな香りも上品で良い模様替えを終えて、清清しい気分でゆりを眺めていたしかし忘れてはならない自分の部屋は片付いたが、不要になったソファーは廊下に放られていることを…処分どうしよう…
2007年01月02日

新年明けましておめでとうございます本年も宜しくお願い申し上げます今年は亥年だけに猪突猛進でまいります先月まで仕事が多忙を極め、ずっと睡眠時間が平均3時間だったが、今日は仕事が休みなので、目覚まし時計をかけずに思うがままに眠りについたら、お天道様はだいぶ高いところにおられたまずは、年内に大掃除ができなかったので、新年早々から掃除にとりかかった殆ど家を留守にしているのに、どうしてこれほどまでに?と思ってしまうほど埃が溜まっている掃き掃除に拭き掃除と一通りの作業を終えると、浴室に身を沈めて身体の冷えと疲れを解し、軽い昼食をとった昼食はお正月だけに、おせち料理!といっても、お重に入っている立派なものではなく、自分の中でおせちの三種の神器と呼んでいる、伊達巻・栗きんとん・紅白のかまぼこのみであるそれらを軽く口に運ぶと、身支度を整えて初詣へと向かった車のフロントガラス越しに見る初日の出は、すでに西の空に傾きかけていた目指すは浅草寺皆家でのんびりしているのか、近所では人影は皆無であったが、浅草は初詣客で賑わっていた浅草近隣の駐車場やコインパーキングはどこも満車で、路上駐車も多く見られる自分は、一駅離れたコインパーキングに車を停めて浅草寺へと向かった雷門通りは歩行者天国になっており、元旦だというのに初詣客相手に、どの店も営業していて賑わっていた浅草寺に参拝する為には、参拝客の混乱を防ぐ為か交通整理が行われていて、雷門をくぐって、仲見世を通っていかねばならない一方通行となっていたその人の列たるや、全長340メートルはある浅草寺から仲見世まで人で溢れかえっていて、最後尾は雷門通りにまではみ出していたその人込みを見るや一瞬帰ろうかと思ったが、最後尾に並ぶことにした雷門と書かれた大きな提灯をくぐると、両手には様々な土産物屋が並んでいる雷おこし、煎餅、揚げ饅頭、人形焼といった食べ物から、簪、扇子、羽子板といった和装小物まで、日本らしい土産物屋がずらりと並んでいるあまりの混雑で、さほど進まない参拝への道のりも様々な土産物屋を見ていると苦にはならない参拝客も老若男女さまざまで、色々国の言語が飛び交っていたそうこうしているうちに日も沈み、辺りはすっかり暗くなってしまったようやく参拝できたのは列に並び始めて1時間30分後であったそれでもお賽銭箱の周りには人で溢れかえって近寄ることができない後方から小銭が飛ぶ光景も見られたが、あいにく自分は肩が強くなく、小銭が賽銭箱に届く自信がなかったので、近くまで寄ってからお願いをした初詣を終えると、おみくじを引いた結果は…凶【雷發庭前艸】わが家の庭先に雷が落ちるとは、身分の下の者や使用人による災いが起こるということ【炎火向天飛】炎が天に向かって飛ぶように、上下関係が不和となって争いごとがあるでしょう【爭奈掩朱扉】少なくとも、使用人や部下などを大切にして災難を防ぎましょう(引いたおみくじより)読んでいると、どれも仕事に結びついている内容だけに、空恐ろしくなってしまったが、よくよく読んでみると、今の自分に欠けているもので、それを指摘されたような気がする新年が明けて、晴れ晴れとした気分で出かけたというのに、新年早々ちょっぴりブルーな気分でご帰宅それでも、おみくじの最後に書かれていた“凶が出た人も畏れることなく、辛抱強さをもって誠実に過ごすことで、吉に転じます”ということを胸に秘め、2007年頑張ります!
2007年01月01日
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