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なぜか無性に牛蒡の天麩羅が食べたくなった牛蒡は好きでもなければ嫌いでもない、あまり口にすることのない野菜それなのに、今日はどういうわけか食べたくて仕方ないという事で、晩御飯は天麩羅にすることにいくら牛蒡の天麩羅を食べたいといっても、さすがにそれだけ揚げるのも如何なものかと思い、牛蒡を多めにしながらも、人参、蓮根、さつま芋、アスパラガス、椎茸の肉詰めしたものを一緒に揚げたサックサクに揚がった天麩羅たち人参は甘いし、さつま芋はホクホクシャキシャキした蓮根に、椎茸の肉詰めはとってもジューシーどれもこれも、んまいなでも、やっぱり一番は牛蒡やね歯で噛み切ることがうまくできない、この繊維質な感じがたまらない昔は、野菜の天麩羅といったら蓮根が一番好きだったんだけれど、いつの頃かその座は牛蒡が奪ってしまった何なんだろうな?無性に食べたくなる魅力は…自分でもよくわからないやとにかく、欲求が満たされて満足したそれにしても、調子に乗って揚げすぎたせいか、だいぶ天麩羅が残ってしまった甘辛に煮て明日のお弁当の具にして、それから明日の夜は天麩羅そばか?しばらく天麩羅の日々が続きそう…
2009年01月31日

湯船に浸かっているときだけは、何も考えずに、頭の中は空っぽにしている自分にとって入浴は、日々の事を忘れる、リラックスできる貴重な時間なのであるなので、仕事が休みの日は、時間を気にせずに思う存分長風呂をしている今日はあいにくの雨模様心地よい雨音を聞きながら、ぬるま湯に浸かっていた…入浴が好きな自分は、入浴剤もちょっとこだわってみたりする最近のお気に入りは、『あんかけ湯』という入浴剤その名の通り、まるであんかけのように、お湯にとろみがつくのである料理にとろみをつけると、料理が冷めにくいという利点があるが、このあんかけ湯もまさしくその通りで、高分子(とろみ成分)が、お湯を冷めにくくしてくれる寒い冬の時期にはピッタリの入浴剤なのである あんかけ湯は、いくつかの種類があり、桜餅、白檀、柚子、緑茶葉、梅といった和のテイストがラインナップされていて、桜餅は薄墨桜色、緑茶葉は抹茶色と、それぞれの色のイメージをした“にごり湯”となっているその淡い色彩もさることながら、ほのかに立ちのぼる香りが、これまたどれも上品で、身も心も癒され、温まるお湯は、ドロッとしているわけではなく、適度に肌にまとわりつく感じ感覚的には、お湯に柔らかく包まれているかのようなんだか、とろみのついたお湯のなかにいると、自分がグツグツと煮込まれているような錯覚すら覚えるちょっと一風変わった入浴剤なのであるハマッている入浴剤ではあるものの、ただ残念なことが1つだけあるそれは、お風呂の残り湯が洗濯に使用できないこと残り湯は洗濯の水として利用している自分としては、これは痛い「ご使用の注意」として書かれているだけなので、詳しい理由は定かではないが、やはりとろみ成分が関係しているのだろうか?それから、その他の使用の注意として、“とろみ成分で大変滑りやすくなります”と書かれている確かに、湯船から出るときなど、とろみ成分が肌にまとわりついて、ちょっとヌメヌメしている言われてみれば、転倒の恐れがないこともないから、気をつけねば!そんなこんなで、今日もあんかけ湯温まるゥ~!!トロトロの湯船に浸かって、身も心もトロトロに解すのダ!【あんかけ湯】1袋 136円(税込み)
2009年01月30日

色々な諸事情により人員削減することとなり、アルバイト一人の解雇を決めた勤務は今月までということで、社長が当人に話をする筈だったのだが、まだ話を切り出していないことが判明もう今月も残り少ないというのに、何をしているのだろうか?ヤキモキした気持ちを抑えきれない自分は、社長と顔を合わすなり、一体どうなっているのか訊いたすると社長は、「あぁ…今日話すから」と、一言そののんびりとした態度に、自分は唖然としてしまったそもそも解雇の話は「誰を解雇するか決めてくれ…」と社長から切り出してきたことそれなのに、危機感どころか、余裕すら感じられるこの暢気な態度はどこからくるのだろう?社長に疑問を感じずにはいられなかった仕事が終わると、社長は今回解雇するアルバイトを事務所に呼びつけたすると、自分も一緒に居合わせてほしいとのこと社長、アルバイト、そして自分…それぞれが椅子に腰掛けると、ちょっとの間をおいて社長が、解雇の旨をアルバイトの彼に伝えたしばしの沈黙…重くどんよりとした空気が漂うこのなんともいえない沈黙の時間が、とても長く感じられるすると、渡された書類に視線を落としたままでいたアルバイトの彼が、重たい口を開き始めたそれは、突然の解雇予告を聞かされて驚いているというものだった落胆を隠せない表情、沈んだ声、それだけで彼の今の心情が痛いほどこちらに伝わってくるただでさえ、解雇という事実を突きつけられてもショックなのに、社長が話を早く切り出さなかったばかりに、彼がここで働けるのは、あと2日しかないのである(解雇予告手当として2月分の給与は出すが、勤務は1月末まで)消え入りそうな小さな声を精一杯振り絞り、「自分は自分なりに頑張ってきた」という彼の声を聞いたときは、無念の思いがストレートに突き刺さってきて、心が痛んだ自分も似たような経験をしたことがある高校を卒業してはじめて花屋に就職したときのこととある部署に配属され、自分なりに頑張ってきたつもりだったのだが、働きが認められずに、ある日上司に呼び出されて「お前は向いていない」と、左遷を命じられたのであるその時、自分というものが否定されたような気がして、しばらくはショックから立ち直れなかったし、と同時に社会というものの厳しさをまざまざと思い知らされた左遷と解雇では比較にもならないかもしれないが、少なくとも自分は、今解雇を言い渡された彼の気持ちはわかるつもりであるだからこそ、彼が苦し紛れに「仕事が出来ない人は他にいます」と、暗になんで自分だけがクビなのか?と言わんばかりの言葉を吐いても、その悔しさがわかるだけに、自分はただただ黙って聞くしかなかった結局彼は、「仕方ないです」と、解雇を受け入れたただ驚いたことに、「人手が足りなくなったときは、いつでも声を掛けてください」と言ったのである「この職場が好きだから」と…その言葉を聞いたとき、自分は彼を直視することができず、思わず目を逸らしてしまったここまで仕事が大好きだと言ってくれた彼を、解雇すると決めたのが自分だからである彼の運命を狂わしかねない出来事を招いた自分の判断の事の重大さに、恐れ戦くのであった社長は、「これで片付いた」なんて言っていたが、自分はそう簡単に割り切ることなど到底できなかった自分のなかで後ろめたさがあるからである今でも彼の一言一言が、頭のなかで谺しているかのように響いていて、耳から離れないどんなことであれ、自分はこの苦しみから解放されることはないだろうし、この悲しみを二度と繰り返さない意味でも忘れてはならない今はただ、彼が前向きにこれからの人生を歩んでいくことを祈るのみであるそして、彼が本当に戻ってくる気があるのならば、その日が来ることを願って仕事を頑張らねば!苦々しい思いのなかに、わずかな一閃の光を見い出すのであった……
2009年01月29日

世の不景気の煽りを受けてか否かは判らないが、昨年末あたりから我が花屋の業績は芳しくなく、また仕事が減少傾向を辿っているので、体制の見直しを迫られて人員削減をすることとなった誰かをクビにしたところで、問題の根本的な解決にはならないだろうが、現状においては人手が余っていることも事実社長から解雇するスタッフを挙げるように言われた自分は、その場で即答せずに、後日になってアルバイトの一人の名を挙げたそれは、個人的な感情は抜きにして、色々と考え悩んだ末に出した答えだった企業が派遣社員など非正社員の雇用を打ち切る“派遣切り”の話題が世間を賑わせているなか、うちも例外ではなかったことに、今更ながら強く危機感をひしひしと感じている労働基準法では、企業が労働者を解雇しようという時には、原則として少なくとも30日前に解雇の予告をするか、30日分以上の平均賃金(解雇予告手当)を支払わなければならないと規定されている今回解雇するアルバイトに対しては、1月中に解雇予告をし、実質の勤務は1月末までとして、2月一ヶ月分の賃金(解雇予告手当)を支払って2月末日付けの退職という段取りを組んだそれらの事情は、社長自らがアルバイトの彼に説明をするというので、後はすべてお任せしたそれは1月中旬を過ぎた頃の話だった…今月も残すところ、あと数日そろそろ来月の勤務表を作成しなくてはならないので作成していると、「2月に休みの希望があるんですけれど…」と、スタッフの一人が声を掛けてきたその声を聞いて、自分は我が耳を疑ったというのも、そのスタッフは、解雇予告を受けて、来月は出勤してこない筈のアルバイトの彼だったからであるこれは一体どういう事だろうか!?考えられる理由はただ一つ解雇の件を社長がまだ本人に切り出していないのだ!水面下でそんな動きがあることなど全く知る由もないアルバイトの彼は、来月も当然のことながら働くつもりで休みの希望を出してきたまさか、社長が解雇の件をまだ話していないとは思ってもいなかった自分は、不意打ちを喰らって、彼の言葉に対して何と言ったらいいのか返す言葉を失ってしまっていた彼の顔を見たら、さすがに「来月からは…」とは言えなかったので、彼から2月の休みの希望を聞いたそんな自分に、心の中で激しい嫌悪感を自身に抱いていた事実を隠して平静さを装う自分嘘だということがバレることを知りつつも嘘をつかなくてはならない自分言いたいことがあるのに、その言葉を言えない自分彼を解雇に至らしめる陰の首謀者が自分だという後ろめたさもあってか、自分でありながら自分でコントロールすることができない意思に、苛立ちと歯痒さと心苦しさといった苦い感情が、大きな渦となって身体のなかを駆け巡っていた事実を隠すばかりについた嘘どうせ遅かれ早かれいつかは明るみになる事なのだから、自分の口から明かした方が良かったのだろうか?いや、話が話しなだけに、やっぱり自分の立場で言うべき事柄ではないなぜ社長は早く解雇予告をしないのだろうか?きっと、早めに解雇を告げると仕事のモチベーションが下がるし、場合によっては翌日から顔を出さなくなる恐れがあるから、ギリギリまで引き延ばしているのだろうでも、遅れれば遅れるほど、事態は悪化するように思う社長!早く彼に解雇予告をッ!!解雇することになってしまった彼に対して申し訳ない思いで胸を痛める一方で、こんな事を願ってしまう自分に、またもや自己嫌悪結局は自分が大事ってことか
2009年01月28日

旧赤穂藩の藩士たち47人が、主君・浅野内匠頭の仇である吉良上野介を討ち取った事件を題材にした“忠臣蔵”は、映像や舞台などで度々取り上げられている作品それぞれの作品は、大石内蔵助や大石の妻りくといった様々な登場人物の視点を通して物語が展開したり、物語に新たな解釈などを加えるなどして色々な角度からスポットライトを当て、“忠臣蔵”という一つの題材でありながらも、そのどの作品もが違った趣を持っている今日観劇する舞台『冬の絵空』も忠臣蔵を題材にしたもの一体、どんな作品なのだろうか?生きることは絵空事、束の間の妄想にすぎないうつつか夢か、光か影か、桜か雪か…真を求めて偽に出会う舞台は百花繚乱元禄の世あの「忠臣蔵」が、今、虚実の狭間に蘇る(公演チラシより)この作品の特色といえば、松の廊下にて刀傷沙汰を起こして切腹を命じられた浅野内匠頭が、実は切腹をしたのは身代わりで浅野本人は生きていたということそして、浅野が生きていたことによって吉良上野介を殺す道理が無いと、討ち入りを拒む大石内蔵助に業を煮やした商人天野屋が、討ち入りを陰で操るという2つの点かなりの大胆なアレンジではあるが、それでも忠臣蔵の世界観が損なわれることはなく、新たな忠臣蔵を見たような気がした今回が初舞台という主演の藤木直人氏は、とにかく立ち姿が美しくて絵になる男の眼から見ても惚れ惚れするカッコよさちょっと硬さの残る実直な演技に好感が持てた橋本じゅん氏や中越典子氏らは手堅く安定した演技でまとめ、それとは好対照のように、生瀬勝久氏や粟根まこと氏の緩急自在な芸達者ぶりが笑いを誘い、目を惹く「冬の絵空」は独創的な忠臣蔵の世界ではあるが、さすがに吉良上野介が男色家という設定はいくらなんでも?と思ったが、そんな疑問を払拭するほどのパワーを持っていた粟根氏の怪演ぶりは実に見事色々な思惑が生み出した絵空事嘘が真になり、真が嘘になる…何が正しくて、何が間違っているのかその絵空事に翻弄される人々たちやがて辿り着くであろう行き着く先が真っ暗闇に包まれていようとも、今を必死に生きるせつなくて、悲しくて、やるせなくて、観終わったあとは、胸を締めつけるなんともいえない余韻が残るそれもこれも、絵空事がなせる業なのだろうか…サンケイホールブリーゼ 柿落とし公演『冬の絵空』世田谷パブリックシアター1月12日(月)~2月1日(日)まで出演/沢村宗十郎…藤木直人/天野屋利兵衛…生瀬勝久/大石内蔵助…橋本じゅん/おかる…中越典子/吉良上野介…粟根まこと・松尾貴史(Wキャスト)/順…加藤貴子/シロ…片桐仁/浅野内匠頭…中村まこと/大野九郎兵衛・清水一学…伊達暁/堀部安兵衛…内田滋 ほか
2009年01月27日

小さい頃からよく食べている“蒲焼さん太郎”どこが蒲焼なの?と疑問に思いながら食べている“蒲焼さん太郎”実物の鰻の蒲焼は苦手だが、それでも食べている“蒲焼さん太郎”久しぶりに食べたくなったので買ったのだが、封を切ってビックリ!!何これ?蒲焼さん、小さくなった!?タレでテカテカと艶っている蒲焼さん太郎を手にしたまま、しばらく唖然としてしまった3分の1強は小さくなっただろうか?この変化、ちょっと露骨すぎ…久しぶりに食べるという喜びはどこ吹く風、げんなりとしてしまったそういえば、去年、様々な食品が一斉に値上がりしたとき、安易に値上げをするのではなく、内容量を減らして値段を据え置きにしている食品があることを知ったきっと、それだ!蒲焼さん太郎は、昔も今も1つ10円で買うことができるしかし、様々な要因が絡み合って現状を維持することが困難となったそこで、値上げせずに、今までより内容量を減らすことによって、10円という価格を維持したのだ製造元にしてみれば、苦渋の選択を迫られたに違いない今までの内容量だけど、値上げ今までの価格だけれど、内容量が減るう~ん…消費者の立場としては、どちらが嬉しいのだろうか?この“蒲焼さん太郎”の場合でいえば、値段据え置きなのは嬉しいことだが、露骨に小さくなってしまったので、かなり複雑な気持ちかといって、量は変わらずとも値段が上がったら買うかどうかと言われたら、正直言って、そう容易くは買わなくなると思うどちらがいいのか?ほんと小っちゃなことだが、こりゃ究極の選択だな小さくなった蒲焼さん太郎を食べるうまッ!ウン、味は変わらないでも小さいから、一つじゃ物足りないなと、もう一つ食べたん!?値段は据え置きでも、量が少なくなったからもうひとつ食べてしまうという事は…内容量は同じで、値段が上がったほうが、自分的にはいいということか結論出ました!大好きな“蒲焼さん太郎”はたして大きさが元に戻ることはあるのだろうか?それとも、さらに小さくなってしまう可能性もあるのだろうか?この先どんな末路を辿るのか、行く末がちょっと心配なのであります
2009年01月26日

桜というと春の花の印象が強いが、冬の時期に花を咲かせる桜もある代表的なものでいえば『敬翁桜』山形県が有数の産地を誇っている桜で、真冬にも満開になる桜として有名市場ににも多く出回っている“支那桜桃”と“彼岸桜”を交配して生まれた敬翁桜は、本来ならば春に開花するのだが、気候条件をうまく利用した促成栽培によって、冬でも桜の開花を楽しむことができるのであるまた、敬翁桜には太い幹が無く、扱いやすい枝振りをしているので、花材としてはとても重宝している今の時期に桜を並べていると、季節感が感じられないのだが、物珍しさからお客さまの目を惹き、なかなかの人気商品となっているお客様から、一件の注文を頂いた法事で本堂に飾る花なのだが、「桜の枝を入れて欲しい」との事なんでも店頭に並べていた桜の枝を見て気に入ってしまい、今回の注文となったのだ法事の花に桜を入れるだなんて、ちょっと珍しい注文やな…と思いながら、お客様の要望なので、そのままお作りすることに桜の花以外には、菜の花もあったら入れて欲しいと希望されたので、白い大菊やストックの花、淡いピンク色をした小菊にくじゃく草、薄紫色のトルコ桔梗などを入れて、全体的に春を感じさせる優しい花束に仕上げた昔だったら、法事やお墓参りの花といえば、大菊小菊にカーネーションといった、いかにも仏様のお花といった感じだったが、時代の流れの変化とともに花も変わっていき、今では故人の好きだった花を供える方も増えた以前、自分の先祖代々の墓参りに行った際、チューリップの花が供えられていたのを見たときは、軽い衝撃のようなものを覚えたものであるしかし、どのような花を飾ろうとも、それは気持ちの表れであって、大事なことは先祖・故人を敬う気持ちを持つことなのだと思うそう考えたら、法事の花に桜の花を用いたところで何もおかしなことはないかほんのりピンク色をした可憐な花は、どこか儚さを感じさせるまだまだ寒いけれど、桜を眺め、心のなかに春の柔らかな暖かさを灯すのであった…
2009年01月26日

今の年頃になって、昔ながらの和柄がオシャレに思えるようになってきた若い頃は“ダサい”と思って見向きもしなかったのだが、この心情の変化はなんなのだろうか自分がダサいものが似合う歳になったということか?いやいや、決してそういうことじゃない…はず流行り廃りの流れが早い時代だからこそ、かえって昔からの普遍的な図柄が、自分の眼にはオシャレに映るのかもしれないそれに、服装や食事など、すっかり西洋かぶれのようなライフスタイルを送っているが、根本的には日本人なんだよねだから、和のデザインに親しみや落ち着きを覚えるし、またすんなりと自分のなかに受け入れることができるのだと思うオシャレな靴下を見つけた市松小花や矢羽といった、和柄がデザインされたもの靴下は長い丈もあれば、踝あたりまでのショート丈のものもあるが、一環しているのが、すべての商品が、親指と残りの4本の指を分けて穿くという足袋仕様になっていることこれだけで、グッと和のテイストが強まって、かなり感じのいいシルエットになっている気に入ってしまい、迷わずまとめ買いした靴下は普段は人目につかないものだし、割と痛むのが早いから、3足1000円とか安いものを愛用しているのだけれど、ちょっとは洒落たものを持っていないとねさりげなく足元から覗く、和の心意気靴下ひとつで粋がる自分なのであります【粋がる】粋だと思って得意になること(辞書調べ)
2009年01月25日

好きな映画のひとつに、レオナルド・ディカプリオ主演の『タイタニック』がある1912年のタイタニック号沈没を背景にした作品で、豪華客船の沈没というスケールの大きさや、そこで繰り広げられる人間模様もさることながら、画家志望の青年ジャックと上流階級の娘ローズの愛を貫こうとするひたむきな姿は、何度観ても泣けるそんな豪華客船タイタニック号をミュージカル化した作品を観るために、東京国際フォーラムへと出かけた…ミュージカル『タイタニック』豪華客船「タイタニック号」の出港から沈没までの5日間の乗客・乗員の姿を描いた群像劇作品タイトルは映画と同じだが、ストーリは全く関係なく、舞台では、松岡充氏演じるタイタニック号の主任設計士が主人公となっている2年前の2007年に日本で初演されたとき、興味はあったもののタイミングが合わずに観劇することができなかったので、今回の再演は心待ちにしていた豪華客船に乗り込む様々な階級の人々、そして携わる乗組員たちのキャラクターがそれぞれ息づいていて、夢や希望に満ちている姿から、豪華客船の船出の期待、そして楽しさがこちらにまで伝わってくる1幕目はそんな明るく楽しい場面が繰り広げられていくのだが、氷山に衝突して沈没する恐れが出てきた2幕目からは、一変して緊迫した展開に変わるしかし、その緊迫感がいまいちこちらにうまく伝わってこないというのも、ミュージカルだから仕方ないのだろうが、船が沈没するというのに、歌いながら乗客を誘導するシーンなど、そこは歌わなくてもいいのでは?というシーンがあり、白けてしまったのであるそれと、舞台には色々な制約があることは重々承知しているが、やはり最大の見せ場である船が沈没していくシーンの迫力が欠けたのも残念とはいえ、舞台で一体どうやって魅せるのか非常に興味深かったのだが、結果からすれば、なかなかうまく工夫されていた舞台版のタイタニックは、パニック映画のような船が沈没していくシーンがさほど描かれていない分、船に駆けた、船に夢や希望を乗せた人々たちをクローズアップした人間味溢れた群像劇に重点が置かれている人を愛するということ人を想うこと生きるということ死ぬということ死の恐怖を直面にした人間たちの、胸が詰まるようなシーンが次々と畳み掛けるようにして続く乗員乗客に対して救命ボートが圧倒的に数が足りず、やむを得ず上流階級の女性と子供を優先的に救出我先に助かろうと剥き出しになる人々、そして端から切り捨てられてしまう下級の人々たち…同じ人間のはずなのに、皆平等なはずなのに、生と死を分けたものとは一体何だったのだろうか?いつの時代も、世間は弱者に対しては冷たいんだなぁ…と、なんだか現代社会に通ずるものを覚えた映画のような激しいロマンチックなストーリーも無ければ、スリル感もない映画と舞台は別物と頭のなかでは判っていても、どうしても比較してしまうゆえに、ついつい辛口な見方になってしまうのだが、舞台版タイタニックは、全体的にあっさりと味付けされた感じでも、これは映画のタイタニックと比較してしまう自分の意見であって、舞台としてだけみれば、結構楽しむことができた出演者の方々はどなたも輝いていたが、特に、二等通信士を演じた岡田浩暉氏、一等船客に憧れる夫人を明るさで嫌味なく演じた入江加奈子氏、堂々とした風格を漂わせる船長の宝田明氏の演技が印象に残った素敵なミュージカルナンバーもいくつかあり、悲劇の物語ではあるが、生きることに懸命だった人々の生き様が目に焼きついているせいか、暗い気持ちにならずに、前向きに劇場を後にすることができたミュージカル『タイタニック』東京国際フォーラム ホールC1月24日(土)~2月8日(日)まで出演/トーマス・アンドリュース…松岡充/キャプテン・E・J・スミス…宝田明/ハロルド・ブライド…岡田浩暉/J・ブルース・イズメイ…大澄賢也/フレデリック・バレット…宮川浩/イーダ・ストラウス…諏訪マリー/アリス・ビーン…入江加奈子/ウォーレス・ハートリー…浜畑賢吉/ケイト・マクガワン…華城季帆/ウィリアム・マードック…戸井勝海/ヘンリー・エッチズ…藤木孝/ジム・ファレル…Kimeru/イジドー・ストラウス…光枝明彦 ほか
2009年01月24日

晩秋に植えた球根たちが、土の中からひょっこりと顔を出していたその愛らしい姿に、小さいながらも強い生命力を感じずにはいられないヒヤシンス、アリウムと、それぞれの球根は順調に生長しているようだったが、チューリップの球根を植えたプランターに視線を向けると、信じられない光景が目の前に広がった土の表面は常に平らにしている筈なのに、なぜか何者かによって掘り返されたあとが残っていたのだもしや?と思い、プランターの中の土に手を入れてみると、何も感触がないな、無い!そう、植えた筈の球根がひとつ残らず無いのであるこれはどういう事だ?と、深く考えることはない何者かが球根を盗んだのである一体誰がこんな事を?何の為に?犯行現場を目撃したわけではないから確証は持てないが、チューリップの球根が無くなったのは、どうやらカラスの仕業のようであるカラスは雑食のイメージが強いが、花の球根まで食べるのだろうか?調べてみると、自分と同様のケースはいくつもあるようだった今までもチューリップは育ててきたが、こんな被害に遭うのは初めてのことカラスの被害に遭うことがあるかもしれないことを知っていれば用心していたのに…後の祭りではあるが、今更ながらに悔やまれるそれにしたって、裏庭には、秋植え球根のヒヤシンスやアリウムも一緒に置いていたのに、それらの鉢は何の被害も無く、チューリップだけが荒らされたチューリップの球根は美味しいのだろうか?って、そんなこと疑問に思っている場合じゃないかゴミ漁りだけでは飽きたらず、花の球根まで食べるだなんて、ずいぶんと嫌な世の中になっちまったもんだねぇこの怒りをぶつけようにも、ぶつける相手がいないじゃないか!ちょっと珍しい品種のチューリップだったから、春の開花を楽しみにしていたのに…これ以上球根を食い荒らされては堪らないので、とりあえず球根を植えた鉢は、ガレージの中に仕舞うことにした西日が差し込む程度で、日差しはあまり当たらないけれど、カラスの被害に遭うよりかはましか腹を空かしているカラスさんには悪いけど、もううちの球根は喰わせないよ
2009年01月23日

毎日「寒い、寒い」と言っているけれど、今日も寒い!今年一番の冷え込みじゃないの?この寒さ尋常じゃないよ今の気温、5℃だって!?どおりで寒いわけだよだって、切花を保管している保冷庫の温度は7℃に設定しているんだけれど、その保冷庫の中の方が暖かく感じるぐらいなんだからとにかく、寒い日中だというのに、街中は深々と冷え込んでいる冷たい空気に晒されて、立っているだけでも寒くて辛いのに、冷たい雨と風が容赦なく追い討ちをかけるその寒さは、息を吸い込むと身体の奥の方がひんやりとする感覚が伝わってくるほどそして、吐く息は、まるで煙草の煙を吐き出しているかのように白い寒さのあまり肩をすくめて、ガチガチ震えながら、モクモクとした白い息を吐いては、その吐息の行方を目で追っていたその白い息を見て、今更ながら思ったことがひとつあったそれは、息が思ったよりも周囲に広がっていくということ自分の呼吸など、普段は目に映らないので意識したことなどなかったのだが、こうして白い息を吐いていると、自分の吐息の行方がよぉく分かる一瞬のことではあるのだが、スーッと前に向かっていくこともあれば、目の前に広がったり、風に流されるときもある面白いから、ハァ~ハァ~と、白い吐息を冬の虚しい空に向かって広げて遊んでいたその姿、傍から見たら、おかしな人と思われたに違いない
2009年01月22日

今日は、一年でもっとも寒さが厳しくなる時期と言われている“大寒”その暦に合わせたかのように、今日は凍えるような寒さ昨日が、今の時期としては割りと暖かめな陽気だったから、寒暖の差で余計に寒く感じているのかもしれないそんな寒さ厳しい今日この頃ではあるが、店には春先を思わせる花々が並んでいる水仙、スイートピー、フリージアにストックなど、どの花たちも甘い香りを十分に漂わせているその華やかな空間に身を置いている自分は、香りに酔いしれてちょっとした幸せな気分に浸りながら仕事をしていた屈んで花を手入れしているときだったふと、背後から、「そのフリージア、欲しいんですけど…」と、女性に声を掛けられたその言葉を聞いて、自分は、「いや、これは売り物では…」そう答えるべきところなのに、なぜか言葉を呑みこんでしまったお客さんが、フリージアをとても欲しがったからであるしかし、そのフリージアは、もう売り物にはならないだろうと思い、処分しようと思っていたものだった売り物にならないといっても、枯れていたり、萎れているわけではない花が咲ききって、満開を過ぎてしまっているのだ二、三日は楽しめるかもしれないが、そんなに日持ちもしないので省いておいたものをお客さんは欲しがっている「これはもう古いですから…」と、水を差すようなことを言うのもどうかな?と、自分勝手に解釈して、お客様が言うままにお売りすることに売れてラッキー!という卑しい気持ちと、できるだけ花を無駄にしたくないという思い、それからお客様自信が選んだのだから…という色々な理由が、自分の心のなかを支配し、その結果、お客様に対して「これは売り物にはならない」という言葉を呑みこんでしまったのだただ、若干鮮度の悪い花を売ることになり、ちょっと悪いなぁ…という後ろめたい気持ちはあったので、サービスとして値段を安くして提供させていただいたせめてもの気持ちである
2009年01月21日

“クレオパトラが愛した香りの薔薇”その謳い文句に惹かれて買ってしまったのが、『ダマスク・ローズ ペタルジャム』という薔薇の花びらが入ったジャム年に一度だけ咲くブルガリアのダマスクローズの花びらを、丁寧に手摘みしてジャムにした贅沢な一品です(商品パッケージより)世界にある一万種以上の薔薇の原種と言われる野生の“ダマスクローズ”のピンク色の花びらを使用しているんだとか香りといい、味といい、さぞかし華やかなジャムなんだろうなぁ…キャッチコピーや商品の説明を読んでいると、否応にも期待は高まるジャムは可愛らしい瓶に入っているのだが、これが凄いのなんのって何が凄いかって言うと、薔薇の花びらがギッシリと詰まっているのである花びらの合間をすべるようにして、ジャムがたゆらっている感じ見るからに贅沢やわ果たしてこんな高貴なものが、自分の口に合うのだろうか?「おお~ッ!」瓶の蓋を開けた瞬間、薔薇特有の華やかな香りが鼻先をくすぐったこれが、クレオパトラが愛したという薔薇の香りか…まるで女性の香水のような、甘ったるくそして妖美な匂いに、クラッと立ち眩みに似たような感覚を覚えたそれほど、薔薇の香りが凝縮されているのだダマスクローズの花びらがギッシリと入っているジャムを、ペロッと舐める「うはッ!!!」こりゃ凄い!すっごく濃厚!花びらはしっかりとした食感が残っているので、まるで、薔薇の花びらの甘露煮みたい花びらをそのまま口に入れている感じ噛めば噛むほど、口の中に薔薇の香りが広がり、それだけに留まらずフヮ~っと鼻へと抜けていくいくつもの薔薇の花が口の中で咲き競っているかのように、一口口に入れただけで、めくるめく薔薇の世界が繰り広げられるこの“ダマスク・ローズペタルジャム”凄いわ!ほんと、薔薇そのもの!薔薇好きの人には堪らない一品かもしれないう~ん、自分は薔薇の花は好きだけれど、食べるよりも見る方が好きだな味といい、香りといい、かなり主張が強いから、ちょっとトーストに塗って…みたいな軽い感じではいただけないと思うでね、調べてみたら、紅茶の中にこのジャムをちょっと落とすといいんだって薔薇の花びらが紅茶のなかで揺らめいて、いい感じなんだとかまぁ!お上品ですこと今、紅茶切らしているから、買ったら試してみようっと!【ダマスク・ローズ ペタルジャム】250g 1365円(税込み)
2009年01月20日

フラッと入った食器屋で、食器を買ってしまったちょっと覗くだけのつもりで、買う気はなかったのだが、アウトレット商品ということで値段が安かったのだ白い皿に料理を盛ると、色合いも鮮やかだし、料理が美味しそうに見えるだから自分は、何の飾り気も無い白い食器が好きそんな自分の好みを見透かしたかのように、その食器屋は白い食器ばかりを取り揃えていた小皿に大皿、小鉢から大鉢、楕円形に長方形の皿と、さまざまな大きさや形をした食器があり、見ているだけで、なんだかワクワクしてしまう自分が食器を見る際は、“この食器にはどんな料理が合うかな?”と考える食器を手にしても料理が浮かんでこないということは、その食器は自分の中では必要のないものを意味しているのだだいぶ手頃な値段なので、あれもこれも…と欲しかったところだったが、そんなに食器を買い込んでも仕方ないので、どうしても欲しいものだけをチョイスしたまず最初に選んだのは、ちょっと深さがある長方形の器これで、ラザニアを焼いたらいいんじゃないあかなぁ?と思ったのだそう思っていたら、皿の名前、“ラザニア皿”だった…ずいぶんとストレートなネーミングやなまぁラザニアに限らず、グラタンでも使えるね自分はラザニアが大好きなので、この器でラザニア作りたいなそれから、もうひとつ食器を買ったそれは、蝶の形をした皿大きさは、成人男性の掌よりちょっと大きいぐらい蝶のモチーフが好きな自分としては、見つけたとき「おッ!」と思ってしまったコレ、可愛くていいねでもさ、この皿、どうやって使ったらいいのかな?折角だから、蝶のシルエットを活かした盛り方をしたいよねとなると、広げた羽の四隅に、ちょこんと盛ったらいいのかな?何を盛る!?「……………」自分の乏しい想像力から出た答えは…「お漬物!」って、蝶の皿に漬物じゃ、いくらなんでもミスマッチかう~ん、これだけ形状が独特だと、どう使ったらいいのか分からないし、明らかに今の自分にとっては必要とはしていないでも可愛いし、それにほら、1枚税込みで400円と安いから…で、結局、ラザニア用の器と蝶の皿をお買い上げたまたま寄ってみた店だったけれど、いい買い物できた!!
2009年01月19日

自分の日常を綴っただけの拙いブログにも、ありがたいことに丁寧にコメントを寄せてくださる方々がいらっしゃる言葉を交わしたり、交流する為に相手の方のブログを拝見させていただいていると、顔が見えない者同士ではあるが、不思議と親近感が沸いてくるネット上だけで繋がっている関係は、希薄なような気もするが、自分は、これはこれで一種の関係を築けていると思うし、この場を通じて皆さんと交流できることを嬉しく思っている世の中には、ほんと沢山のブログが溢れている自分が生活しているなかで、知り合う機会が無い世代の方や、日本各地の方と気軽に交流が持てるので、限られた時間のなかではあるが、人様のブログを拝見しては情報を得たり、知識を得ているそこでは、自分が感銘したり同調したりすると、コメントを寄せているのだが、その行為に関して、自分のなかで些か疑問を持ち始めていたというのも、自分のコメントに対して何の反応も返ってこないからだ自分の場合で言わせてもらうと、初めてコメントを下さった方に関しては、必ず相手の方のブログへと伺い、その方にお返事を書くこれが、自分の中でひとつの礼儀だと思っているしかしながら、色々な所にコメントを寄せているにもかかわらず、一向に自分のところへは何の音沙汰も無いのである別に、相手に何かを望んでいるわけではない人それぞれブログに対してスタンスがあるのかもしれないから、礼儀だのルールだのと押し付ける気はさらさらないが、自分から声を掛けているのに、それに対して相手から何の反応も無いというのは、なんだか無視されているようで気分がいいものではないそれがあまりにも頻繁なので、まるで自分が否定されているような気がしてならないのだ確立からしたら、9割5分とかなり高い確率なのである相手に対して返事を書かない人なのかブログで交流する気がないのか自分に返事を書く価値がないのかたまたまそういう人に当たってしまうのか様々な要因が絡んでいるのだろうが、ブログを通じて浅く広く色々な方と交流を持ちたいと考えている自分としては、その仕打ちはあまりにも堪える「言霊」という言葉がある言葉に宿っていると信じられていた不思議な力のことだが、本当に言葉には力は宿っていると思う優しい言葉を掛けられれば心は和むし、汚い言葉を浴びせられれば心は荒んだり、痛む発言した人の魂が言葉に乗り移っているのだなにも言葉だけではなく、文章にも魂は宿るのでないだろうかましてや、文章だけだと、感情が伺い知れないだけに、その言葉の持つ意味がストレートに伝わってくるブログを書いているときは、思うまま、感ずるがままに一言一句、自分の言葉で丁寧に書いているので、少なからずとも文章に魂は宿っていると思う言葉は吐き出してしまうと、その場その時だけのものになってしまうが、こうして文章として残しておくとなると、その時に抱いた感情で綴った自分の言葉のなかで、色褪せることなく言霊はそのままに息づくだから生半可な気持ちで言葉を残しているわけではないたとえ短い一文であっても、そのなかには言霊が宿っているのであるそれなのに、相手から何の音沙汰もないとなると、自分の言霊は行き場を失って彷徨っているような気がしてならない「訪問ありがとうございました」そんな杓子定規な言葉だけでも救われるのに、それすらもないだからね、なんだか自分の言霊が軽んじられているような気がしてならないそんな事言うのなら、他人様のブログにコメントなんて書かなければいい!と思うだろうけれど、自分は普段は知り合うことのできない様々な人たちと知り合いたいわけ現に、こうして今交流を持たせていただいている方々も、ブログにコメントを残したことがキッカケとなってご縁が続いているわけなのだから…“数撃ちゃ当たる”じゃないけれど、たくさん言霊を吐き出すしかないのかな?あぁ…今日もあっちこっちで、自分の言霊が居場所を失ってウヨウヨしている…
2009年01月18日

まるでラメを振りまいたような、上品な煌めきを放つ花びらが美しい“セントポーリア”花の色も白、ピンク、赤紫、濃淡の紫に青色、復色とさまざまで、その色合いは、寒色系の色合いが好きな自分としては、小さく可憐な花を見ているだけで心くすぐられるセントポーリアは四季咲きではあるが、耐寒性は無く、寒さに対しては非常に弱い育成温度は最低でも10℃はほしいところところが冬の時期は平気で10℃を下回ることが多いので、セントポーリアを販売するにあたっては、非常に神経を使う市場から仕入れてきたセントポーリアダンボール箱から鉢を出したら、箱の底から使い捨てカイロが出てきたカイロは既に役目を終えたのか、今は冷え冷えとしているこれは一体!?初めは、生産者の人が防寒対策として使っていたものが、梱包している際に落としたのが紛れこんだのかな?と思ったのだが、すべての箱の底から2つずつ使い捨てカイロが出てきたのであるそれで判った!寒さに弱いセントポーリアの為に、出荷している最中にダメにならないよう、わずかの時間とはいえ、使い捨てカイロを箱の中に入れて保温していたのだって、どんだけセントポーリアは寒がりやねンッ!植物に使い捨てカイロ…考えもつかないそのミスマッチに、ちょっと苦笑してしまったと同時に、そこまでする生産者の方々の愛を感じずにはいられなかった寒さに震えているセントポーリア残念ながら、なかには寒さに耐えかねて、弱弱しくなってきているものもチラホラ…どなたか、セントポーリアに愛の手を差し伸べてくださいそして、暖めてやってくださいあなたのその心温まる優しさに触れたとき、セントポーリアは恩返しとして、キレイな花を沢山咲かせることでしょうセントポーリアの花言葉【小さな愛】
2009年01月17日

2009年最初の観劇は、花組芝居『泉鏡花の夜叉ケ池』“ネオかぶきのあるべき姿を予見し、「鏡花といえば花組」という呼び声のキッカケとなった衝撃の花組版夜叉ケ池”三國ケ獄の麓の里、龍神が住むという夜叉ケ池日に三度鐘をつく掟を破れば、村はたちまち全て水の底に沈むという諸国を旅する学者僧、山沢学円がこの里で出会った鐘守りの男は、行方不明の友人、萩原晃だった…(公演チラシより)今回の公演は、主要の役柄がWキャストとなっており、さらには日替わりゲストが出演するという自分のスケジュールの都合で決めた、今日観劇する夜の公演は、若手コンビの那河岸組の回で、日替わりゲストは、竜小太郎氏青山円形劇場というのは、舞台と客席がとても近く、間近でお芝居を観れるので、今日の観劇を密かに楽しみにしていた初演から十八年…再演を重ねている花組芝居の代表作と言っても過言ではない『夜叉ケ池』自分の想像力が浅はかなのか、想像を絶する奇奇怪怪な空間が目の前に繰り広げられた泉鏡花の原作を知らない自分が言うのはおこがましいが、一応粗筋は頭に叩き込んでおいたのだが、それでもちょっと自分には判りづらかったもう自分にはこの世界観が理解することが難しく思えてきたので、途中からは話の筋を追うことは止め、不思議で、妖しい、魑魅魍魎の世界を純粋に楽しむことにしたそれなので、観終わったあとも「楽しかった」とか、「面白かった」という一言で片付けられる感想ではなく、なんとも言いようがない不思議な余韻だけが、自分の中にまるでわだかまりのように残った青山円形劇場はその名の通り、丸い舞台が中心にあり、その舞台を囲うようにして客席がある演者はすべての観客に対して前を向いて演技をすることはできないので、どうしても見えづらいシーンが生じてしまうのだが、丸い舞台を活かした演出がとられていて、その点はさほど気にならなかったそれよりも、とにかく舞台と客席が近くて、間近で演技を観れるのが嬉しいあまりにも近すぎて、視線が合うものなら、こっちがドキドキしてしまうぐらい花組芝居の座長である加納幸和氏演ずる白雪姫間近で見たけれど、お世辞抜きでキレイだった年季も入っているせいか、舞台上での振舞いは堂々たるもの主演コンビの萩原晃と百合を演じた小林大介氏と二瓶拓也氏骨太で男勝りの小林氏、まだ女形に慣れていないのかぎこちなさが伺えながらも、かえってそれが初々しく映る二瓶氏のコンビは、好対照でなかなか他の役者さんたちも水を得た魚のように、それぞれの役を演じている日替わりゲストである竜小太郎氏は、百姓の与十と、博徒の伝吉の二役を務めた百姓のときは三枚目を演じていて、はじめは誰だか判らなかったほどだったが、後半に伝吉として登場してきたときは、粋に着物を着こなし、客席からは拍手喝采さすがは“流し目のスナイパー”という異名を持っているだけあって、立ち姿ひとつでも決まっている軽快にアドリブを飛ばしたり、自身の公演の宣伝をするために客席を回ってチラシを配ったりと、笑いを誘っていた芝居の途中、客席から数人ピックアップして舞台上にあげて一緒に踊って芝居に絡ませたり、歌詞カードを客席に配って劇中歌を皆に歌わせたりと、お客さんを巻き込んでの展開そのせいか、舞台上ではあまりにも現実離れした話が繰り広げられている筈なのに、不思議と隔たりを感じることはなかったこれが、花組芝居の魅力なのだろうかまた、ちょっとだけ好きになってしまった…花組芝居『泉鏡花の夜叉ケ池』青山円形劇場1月12日(月)~1月22日(木)まで出演…萩原晃…小林大介/百合…二瓶拓也/山沢学円…秋葉陽司/白雪姫…加納幸和 ほ
2009年01月16日

エレベーターを待っていた待っている間、エレベーターホールに置かれている、飲み物の自動販売機に、ふと眼がいった別に喉が渇いていたわけではなく、視線の行き先を弄ばせていたので、何気なく見たのである「自分が飲みたいと思うものは無いな…」と、商品のサンプルを眼で追っていたときだったあれ?何か違和感を覚えた普通、自動販売機の商品のサンプルは、真正面にデザインが向いている筈なのに、よ~く見てみると、一番右下に並べられていたカフェラテの缶だけが横を向いていたのであるなぜカフェラテだけが横を向いているのだろうか?しかも、2つが2つともである何故だ?カフェラテのサンプル缶が横を向いていようが、そんなことはどうでもいい話で、普通ならばサラーッと軽く流すようなものなのだが、自分は気になっちゃうんだよね推理小説を愛読しているのが、少なからず影響しているのだろうか?関心というか、好奇心というか、疑問や不思議に思うことがあると、興味が沸いてしまうのである人間、好奇心を抱くことは大切だよね今の自分が抱いている好奇心は、必要のないものかと思うけれど…それで、実にくだらないのだが、なぜカフェオレの缶は横を向いているのか、素人なりに考えてみたサンプルの缶をセッティングしたのは、商品を管理・補充に来ているスタッフの方に間違いないこの犯行は、確信的なものなのか、それとも偶然に起きたのかまずは偶然に起きたものと仮定してみるスタッフの人は慌てていたのか、なんらかの理由で、サンプル缶を適当に置いてしまったしかし、この設定には無理があるような気がするなぜならば、立ち去る前に最後に自動販売機を確認するだろうから、気づく筈であるそれに、2つの缶は、正面に向かってほぼ90度横を向いているとなると、これは意図的に置かれているとしかいいようがないそこで、確信的な犯行説である犯人は何らかの理由で、意図的にサンプルの缶を正面から90度角度を変えた状態でセッティングした肝心なのはその動機ある“単なる悪戯”“嫌々に仕事をしている”“カフェラテが嫌い”“缶の横に記載されている商品説明や原材料を購入者の方に見てもらいたかった”“ただ、なんとなく”う~ん、いまいち動機が見えてこない考えれば考えるほど、謎だまぁ気軽に推理ごっこ楽しめたからいいかこの出来事の真相は明らかにされることはないが、きっと深い意味はないんだろうねいや、実は深い意味があったりして…って、いつまでたってもこのままじゃ話が終わらないから、これにてこの話題は終了!!
2009年01月16日

秋に買った、MKオムの“キルティングブルゾン”さすが一目惚れしただけあって、自分が着こなしているかどうかは別として、すっごく気にいっている気に入ると、しばらく着続けるところがあって、昨秋、それから寒さが厳しい今の季節と、なかなかのヘビーローテーションで活躍してくれている何が気に入ったかというと、デザインや、深みのあるワインレッドの色、それから着たときのシルエットがカッコいいんだよねあまりにも気に入ってしまったので、同じものをもう一着購入してしまった同じといっても色違いで、黒のキルティングブルゾンはじめは、同じワイン色を購入しようかな?とアホなことを考えたりもしたのだが、この商品、とても評判が良かったようで、すべて売り切れ!で、もう一つのカラーの黒ならサイズがあるとのことでも、そこでちょっと考えたというのも、自分はあまり黒い色が好きではないのだなぜ?と言われても、自分のなかで明確な回答はないのだが、どうも好きになれないその好きな色じゃないという意識があるせいか、黒い服を着ている自分の姿を鏡で見ると「自分にはあっていないんじゃないか?」と思えてしまうので、黒い服は礼服以外、ほとんど持っていない若い頃は青が好きだったせいか、寒色系の服ばかり好んで着ていたしかし、歳を重ねていくと、自分のなかで好みも変わっていき、赤やオレンジといった暖色系の服装も好むようになったしかし、なぜだか黒だけには惹かれることは無いさて、どうしようか?デザインは気に入っているものの、あまり好まないカラーの黒のブルゾンを買うか、買うまいかたいして悩むような話ではない気もするが、悩んだ末、結局は商品の魅力の方が勝って、買ってしまったテッカテカに黒光りしているキルティングブルゾン黒って、主張が強い色だから、なんだかその迫力に着負けしそう…袖を通すと、部屋に置いてある等身大の鏡の前に立ってみた「うん、そんなに悪くはない…」やはりデザインのシルエットがカッコいいせいか、黒を身にまとっている自分が鏡に映し出されたとき、そう嫌悪感は抱かなかったでも、黒い服を着慣れていないせいか、なんだかこそばゆい感じは否めない黒が似合う男にちょっと憧れる自分であった…
2009年01月15日

ときどき無性に炭酸飲料を飲みたくなることがある喉のなかを駆け抜けていく刺激と爽快感がたまらないのだ喉が渇く夏の時期は、潤いを求めてコーラやサイダーなどを好んで飲んでいるが、さすがに冬ともなると、滅多に飲まない今日も身が縮まるような寒さなのに、なぜか炭酸飲料が飲みたくなったで、そんな自分の心を満たしてくれたのが『イチゴサイダー』見た目の可愛らしさに惹かれてしまったガラスの瓶といい、どことなく昭和の時代を感じさせるレトロ調のポップさがいい感じただ、無着色なのか、サイダーの色が透明なので、イマイチ苺の感じが伝わってこない見るからに体に悪そうな、毒々しくて甘ったるいピンク色をしていたら美味しそうなのに…「くぅぅぅぅ~ッ!」シュワシュワした炭酸が喉を駆け抜けていくと同時に、甘酸っぱい苺の香りが鼻から抜けた味はというと、サイダーの中に落としてしまった甘みの少ないイチゴを食べている感じわりとあっさりしているそれにしても、無果汁なのに、イチゴの味を出せるだなんて、すごいね原材料をみても、苺らしきものは何も入っていないん!?ひょっとしたら、香料が一番の立役者かな?試しに鼻を摘んでイチゴサイダーを飲んでみたら、炭酸飲料を飲んでいることは判るのだが、味は判断がつかなかったいやぁ、匂いって大事だね友枡飲料【イチゴサイダー】300ml 126円(税込み)
2009年01月14日

バタバタとした朝の忙しさから解放されたときのことふと何気なく外を見ると、お隣さんが箒と塵取りを持って外を掃いていたそれは、別になんてことはない、ごくごく日常の有り触れた光景なのかもしれないしかし自分には、その掃除をしている姿にどこか不自然さを覚えたのであった掃除をしているのは、うちの職場の隣に勤めている男性年の頃は30代ぐらいだろうか?自分とは、顔を合わせれば挨拶を交わす程度の付き合いであるその男性は、柄の短い箒を手に持ち、若干腰を屈めながら掃除をしているのだが、なんと、その掃いているゴミをうちの職場の前へと向かって勢いよく散らしていたのだ!!!!!一瞬、我が眼を疑ったしかしそれは、目の前で起きている現実だった朝一番に掃除してキレイにしたのに、なんでわざわざこっちの方にゴミを掃くねンッ!手に塵取り持ってるやろ!と、心の中で呟いてみた行動に腑に落ちない点がありつつも、全部掃き終わったあとに、ゴミをまとめるのかな?と思ったが、そんな淡い期待は脆くも崩れさったいや、ある意味期待通りと言ったほうがいいのかもしれない掃除をしていた男性は、自分の職場の前に落ちていたゴミを、こちらの職場の前へと掃き散らすと、ゴミを拾うことなく終了させたそして、そのまま奥へと引っ込んでしまったのであるハァ?何してンの!?左手に持っていた塵取りは見せ掛けか?端からゴミを掃き集める気が無いなら、塵取りなんか持つな!っちゅうねンすごく感じ悪ッ!偶然にも覗いてしまった、お隣さんの厭らしい一面外に出てみると、朝一番で掃除したのに、隣が掃き散らした落ち葉やら砂埃が散乱しているこれは嫌がらせか?こうなったら徹底抗戦の構えで、やったらやり返す意味でも、ゴミを掃き返してやろうか?ヤメタ、ヤメタ…そんな事したら、“あんな人にはなりたくない”と思ったお隣さんと自分は同等になってしまうではないか黙って、再び掃除をしたそれにしても、腹立たしいというよりは、なんだかガッカリだね毎日顔を合わせるお隣さん同士なのに、なんでこんな事するんだろ人の迷惑とか考えないのかな?自分さえよければ、周りなんてどうでもいいのか?相手の立場になって物事を考えられないだなんて、ホント悲しい人やねどんな意図であれ、見られていないと思ったからこそ、やったんだろうねでも、ちゃんと見てたぜ悪いことをしている時は、どこかで誰かが見ていることをお忘れなく…
2009年01月13日

今日は、成人の日昔は1月15日が成人の日だったが、ハッピーマンデー制度の導入により、1月の2週目の月曜日に移行したのだ花を配達するために、車を走らせていると、街のいたるところで、真新しいスーツ姿や羽織袴姿に身を包んだ青年、晴れ着姿の艶やかな女性の姿を見かける若者たちのなんともいえない初々しさは、自分の眼には眩しく映った若いっていいなぁ…自分も通ってきたはずの道なのに、彼らを羨望の眼差しで見るのであったカーラジオから流れてくる番組では、今日が成人の日ということで、ラジオを聴いているリスナーの方から届けられた成人の日の思い出を紹介していたそれを聞いていて、ふと、自分が二十歳を迎えたときの成人の日の事を思い返したといっても、何も思い出はない成人式には参加せずに、仕事をしていたからだもともと式に参加するつもりは無かったので、淡々と過ごしていたように思う高校を卒業して、ちょっとは名の知れた花屋に就職した右も左もわからない青年が、ひとり、放り出されるようにして社会の荒波に飛び込んだ自分からしてみれば、親や祖父のような幅広い年代の人たちとの人間関係はとても難しく、それに加えて、社会人としての責任、任された仕事の重圧、若くして色々な欲と陰謀が渦巻く世界を垣間見て、それまでの自分の世界観がガラッと変わった良くも悪くも、自分が変わらざる・受け入れざるを得なかったのである貴重な体験もいくつもして、色々と勉強になったことは事実だが、その反面、嫌な思い、辛い思い、厳しくそして汚れた現実にも直面してきた今にして思えば、それらのことは当たり前のように思えるが、当時の自分は若さゆえというか、受け入れる許容力がまだまだ足りなかったのだろうおかげで、すっかりと荒んでしまったそんなこともあってか、成人を祝う二十歳といっても、社会人生活2年目を迎えていた自分のなかでは“何をいまさら…”と、冷めているところがあった二十歳になったといっても、選挙権が与えられ、お酒が飲め、煙草が吸えるぐらいのもので、自分としては特別な線引きはなかっただから成人式といっても浮かれることがなかったのだと思う今年から、平成生まれの若者が成人式に参加するというニュースを聞いて、えっ!?と思ってしまった考えてみれば、今年は平成21年なのだから当然の話なのだが、その事実を知って、自分が生まれた昭和という時代が、ものすご~く遠くなったように感じたそれも当然のはずだって、自分が生まれてから、昭和より平成の時代の方が長く生きているんだもんね時々立ち止まりたくても、平成という時代の流れは容赦なく自分の背中を押し、平成生まれの若者たちの輝きに眼が眩む昭和生まれの自分のなかに、なんとも言いようのない一抹の寂しさと、翳りを感じずにはいられなかった
2009年01月12日

泥で汚れてしまったので、簡単に水洗いをして干しておいたデニムのパンツ仕事から帰宅し、家の中に取り込もうとした時だったあれ?無い!?朝出がけに、物干し竿に広げるようにして干しておいた筈なのに、無い!?????母に聞いても知らないという物干し竿から滑り落ちたのかと、辺りを見回しても見当たらない水を含んだ重いデニムが、風に吹き飛ばされたとは考えにくいという事は…考えられる理由はただ一つ盗まれた!!まさかとは思うが、これしか考えつかない敷地内に干していたといっても、侵入しようと思えば簡単にできてしまう通りに面してはいるが、人通りも少ないので、人目にもつきにくい犯人はいとも簡単に盗むことができただろうそれにしても、犯人は一体何の目的で、デニムのパンツを盗み出したのだろうか?バッファローボブズの“ビットヴィンテージデニム”1万7千円と、ちょっと値段は高いが、別に転売できるような高価な代物ではない第一、自分が気に入ってヘビーローテーションで穿いていたので、だいぶ色も落ち、自分の汗のニオイが染み込んでいるそんなデニムなんて売れる筈がないそれに、もし盗んだ犯人自身が穿くのが目当てで盗んだとしても、見ず知らずの他人が穿き古したデニムなんて穿こうと思わないと思うんだけれど…まぁ、人のモノを盗むという行為自体、自分には理解できないのだから、犯人の心情・動機なんて尚更理解することなどできないだろうあのデニム、気に入ってたのになぁ…チックショー!盗んだ奴、オレのデニムを返せッ!この野郎!!悔しいし腹立たしいけれど、泣き寝入りするしかないかパンツ1本ごときで警察に駆け込んだって相手にされないだろうし、面倒だからそんなことする気も更々ないもん洗濯物を盗まれるだなんて今回が初めてなのだが、こんな事が起こると、うかうかと洗濯物を外に干せやしないね
2009年01月11日

寒さに晒される手その手先は悴んで感覚を失い、冷たく、痛くて仕方ない青白い色をした手先は、血が通っていないんじゃないか?と思えるぐらいという事で、冬の寒さから手を守るために手袋を探しているのだが、これがなかなか気に入ったものが見つからない別にこだわりがあるわけじゃないのだが、今ひとつ自分の欲しい手袋に出会えないでいたそんななか、ようやく自分のお眼鏡に適う手袋を見つけることができたそのブランドは『新日本軍手』エッ!?軍手?軍手って、作業の時にはめる、あの安っぽい手袋?その通り!しかし、軍手は軍手でも、ただの軍手ではないオシャレな軍手なのだ軍手であって軍手でない“新日本軍手”とは!?新日本軍手は、従来の軍手の持つ機能や低価格を前提にデザインされ「作業手袋の世界から飛び出し、ファッション、生活の一部で活躍できるように」と制作者の熱い思いが込められています(新日本軍手ホームページより)その独特のデザインで、2007年度のグッドデザイン賞を受賞したという新日本軍手の商品は、見ていてどれも欲しくなるものばかり商品のラインナップは全部で28種類多種多様に揃えられている文字を大胆にあしらった漢字、ひらがな、それから家紋、唐草、花札、葛飾北斎などの和の色合いが強いものから、ゼブラ、ピストル、ピースサインといったポップなデザインと、実にバラエティーに富んでいるなかでも、1000ctという名のついた軍手は、アクセサリーをモチーフにしているのだが、中指のところにデザインされた指輪のところに、ダイヤをイメージしてスワロフスキーのビーズが取り付けられていたりと、斬新なデザインならず、その芸の細かさに驚かされた さてさて、これだけ種類が豊富だと迷ってしまうのだが、1双のお値段は1000円!軍手としてはかなりお高いから、そうそう気軽に買えるものではない結局、散々迷った末に、某ブランドを思わせるデザインの「モノグラム」と、蔦や葉っぱがあしらわれた「フローラ」の2つをお買い上げこれで、手先の寒さから解放される!とは言え、いくらようやく気に入った手袋(軍手?)を見つけたとはいえ、ちょっと自己主張が強めのデザインゆえに、冬の装いにオールマイティーには対応できそうもないので、引き続き、手袋は探そうっと!そうそう、気になることがひとつあったんだよねそれは、新日本軍手さんのホームページに書かれていた一文“もちろんプリント部分はスベリ止め効果を持ちますが、プリント部分を手の甲にすることもできます”プリント部分はスベリ止め効果があるプリント部分を手の甲にすることもできるえっ!?自分はてっきり、プリントされた方を手の甲にはめて、デザインを見せるものだとばかり思っていたでも本来は、プリント部分は掌の方になるのか言われるがまま、軍手を手にはめる外側が無地で、デザインされた方が内側だなんて、なんだか変な感じでも、これはあくまでも軍手なんだもんねうん、たしかに模様がスベリ止めになって、スベリはしなさそう…って、もったいなくて、この軍手はめて仕事なんかできないよ【新日本軍手】1双 1050円(税込み)
2009年01月10日

“東京で初雪が観測された”と、夕方の報道番組がトップニュースで報じていたが、全然気づかなかったなぁ今日は日中、朝早くから出歩いていたけれど、自分の眼には雨にしか映らなかった見逃したのかな?それにしても今日は一段と寒い雨も一日中降ってるしね…そんな冷たい雨が降るなか、夜は、上野にある東京文化会館へと足を運んだなんと、バレエを観賞するのであるう~ん…さすがはバレエの鑑賞という事で、いらっしゃる方々からはハイソサエティーな香りがプンプンしますワ自分、場違いやな…若干肩身の狭い思いをしつつ、いそいそと自分の席へとついたS席とは言いつつも、1階席のかなり後方でも客席がすり鉢状になっているから、遠いながらも舞台が見渡せて、すごく良い感じ開演時間が10分遅れるとのアナウンスが入り、手持ち無沙汰気味だった自分は、席に着く前に購入しておいたパンフレットに眼を通した今日観る演目は、東京バレエ団創立45周年記念公演『眠れる森の美女』薔薇の庭園で繰り広げられる、華麗なファンタジー2006年の初演時、バラの香り溢れる軽やかで美しい舞台が話題を呼んだ、ウラジーミル・マラーホフ版「眠れる森の美女」の待望の再演主演のオーロラ姫とデジレ王子はWキャストになっていて、今日自分が観るのは、吉岡美佳氏と後藤晴雄氏のコンビ本作品を演出・振付し、尚且つデジレ王子を務めているウラジーミル・マラーホフ氏は、今日は悪の精カラボスを演じるとのことで、話題を呼んでいる2009年はじめての舞台観賞は、初めてのバレエ観賞と、初めてづくしで幕は開いた…幕が開いた瞬間、眼に飛び込んできたその華やかな世界に、一瞬にして心を奪われてしまった薔薇の庭園の美しいセットに、鮮やかな色彩の衣装に身を包んだ演者たち明るく、美しく、楽しく、甘く…まるで動く絵本を見ているような感じこの世界観、好きだなぁオーケストラによる旋律のなかで、しなやかな肢体から繰り広げられる業の数々ただただ眼を瞠るばかり初めてバレエを生で見るのだけれど、ホント凄いね凄いって一言で片付けちゃいけないんだろうけれど、「凄い」としかいいようがないで、主演を務める吉岡氏と後藤氏の華麗なる肢体を見て、さらにビックリ同じ人間とは思えないほど、その美しさは超絶していたただただ見惚れてしまった…また言っちゃうけれど、いやホント凄いワ悪の精カラボスを演じるウラジーミル・マラーホフ氏は、表現力がとても豊か妖しさ、儚さをしなやかな姿態で巧みに演じていたただ、踊りの場面が無く、プリンシパルとしてのマラーホフ氏の姿が拝めなかったのは、ちょっと残念だった歌もセリフもなく、ただ踊りだけで物語が展開していくので、ストーリーが頭の中に入っていない自分としては、何を表現しているのかチンプンカンプン!?自分のなかでイマジネーションをかなり膨らませないと、世界観から置いてけぼりを喰ってしまう感は否めなかったが、自分はバレエ観賞初心者なので、この際ストーリーを理解するのは諦め、目の前で繰り広げられる華々しいシーンを純粋に楽しんだ初めてのバレエ観賞だったが、作品にも恵まれたのか、想像以上に楽しむことができた拍手するタイミングは独特だし、掛け声は「ブラボー!」って言うんだね色々な意味で新鮮だったし、興味が尽きなかったちょっとだけ、バレエの世界にも興味を持ち始めた今日この頃である東京バレエ団創立45周年記念公演ウラジーミル・マラーホフ振付『眠れる森の美女』全3幕 プロローグつき東京文化会館1月8日(木)・1月10日(土)主演/オーロラ姫…吉岡美佳/デジレ王子…後藤晴雄
2009年01月09日

昔から飲んでいるヤクルト甘い味が好きで、よく飲んでいるのだが、量が少ないことに不満を覚えていた“もっといっぱい飲みたいな・・・”子供の頃は、小さい容器に入ったヤクルトをチビチビ飲みながら、コップいっぱい飲める日をいつか夢見ていたそんなある日、夢のような商品に出会ったその名は『ピルクル』味はヤクルトに似ていて、甘くて美味しいしかも大容量の500ml!これなら遠慮せずにグビグビ飲める子供の頃に見たヤクルトをいっぱい飲みたい!という夢は、メーカーは違えど、こうして叶えられたのであった…あれから長い年月を経た今でもピルクルは飲み続けている最低でも3日に1回、多いときは毎日飲んでいるかな?殆どのコンビニに置かれているので、見かけるとついつい手が伸びてしまうのだちょっと前までは105円で買えたのだが、いつの間にか116円に値上げしていたまぁそれでも、ヤクルトに比べたらお買い得感は十分にあるからいいかピルクルを長く愛飲している理由は、やっぱり味!ヤクルトに類似した乳飲料はいくつかあるのだが、ピルクルが1番美味しいんだよね飲むと安心する安定さがある長く飲み続けているから舌が慣れてしまっているのかもしれないピルクルは、ただ甘くて美味しいだけではなく、厚生労働省許可の『特定保健用食品』に指定されている100時間という長時間丹念に発酵させた乳製品乳酸菌飲料生きたまま腸に届く乳酸菌“L.カゼイ NY1301株”がお腹の中で大活躍!(商品記載文より)という事は、頻繁にピルクルを飲んでいる自分のお腹の中は、“L.カゼイ NY1301株”が大活躍しているって事だよねどおりで、お腹の調子が良い訳だ!美味しくて、そのうえ健康にいいだなんて、ほんとありがたい飲み物これからも愛飲します!日清ヨーク【ピルクル】500ml 116円(税込み)
2009年01月08日

ここ数年、年賀状は年が明けてから書いている年末は仕事に追われているので、とてもではないが年賀状を書いているような悠長な時間が無いのだというのも、自分は年賀状を1枚書くのに時間がかかるそれなので、年が明けて落ち着いてから書くようにしている例年通り、今年も年明けに年賀状を書いたちょっと遅れて自分のところへ届いた方への年賀状を、今日書き終えたところ年賀状は買いそびれてしまったので、今年は、干支である牛のポストカードを代用した牛の鼻がどアップの、なんともおとぼけ感が漂っている感じが、すっごく気に入っているこれに、新年の挨拶と、一言二言、三言四言とメッセージを書いて、あとはちょっとした花模様の貼り絵をペタペタと貼り、新年の賑やかさを醸し出させて完成!そう、年賀状にあれこれ書いたり貼ったりして時間がかかるので、年末の慌しさのなかでは年賀状を書く気にはなれないのである毎年、毎年、年賀状が遅れてゴメンナサイその分、一筆入魂ではないけれど、思いをこめて書いているので許してください年賀状…年を重ねていくにつれて、届く枚数も徐々に減ってきている裏返してみると、子供の写真がデザインされているものが多い年を経るにつれ、成長していくお子さんの姿を見ると、“もうこんなに大きくなったんだ…”と、否応にも年月の流れの早さを感じずにはいられない今ではすっかりとご無沙汰していて、年賀状だけの付き合いとなっている方が多い自分のなかでは、昔の記憶で時間が止まっているのだが、それぞれが家庭を築き、仕事に励み、着々と人生を歩んでいるそんな年賀状を見ていたら、なんだか自分だけ取り残されているような気がしてならなかった「元気ですか?」「近況教えてください」プリントされた年賀状に添えられている、何気ない一言普段はまったく連絡を取らない間柄、年に一度だけの縁の繋がりを確認するとき一見すると社交辞令のような気もするが、それでもこうして年賀状が届くということは、とても嬉しい「元気にやっています」そうペンを走らせる自分その言葉に嘘偽りは無い…
2009年01月07日

今日の夕食はメロンのみメロンだけといっても侮ることなかれとっても大きなメロンなのだう~んと、大きさはバレーボールくらいかな?重さは、3.7kg!普通のメロンの重さが1~2kgぐらいだから、いかにBIGサイズのメロンか分かるでしょそのメロンとの出会いは、去年末のことスーパーで買い物をしていて遭遇した青果売場で売られていた、薄緑色をした丸い物体その大きさから察して、はじめ見たときはスイカかと思ったでもね、違ったメロンだったんだよねエエッ!メロン!?そんな大きなメロンなんて見たことなかったから、ほんとビックリ!で、値段を見てさらにビックリ!巨大なメロンなのに、なんと、1つ398円だったのだいくら手頃な値段で買える品種の“ハニーデューメロン”とはいえ、こりゃ安すぎでしょ手に取ると、ズシリと重さが掌に伝わってきて、持ち帰るのに難儀なことは分かっていたのだが、こんなお買い得品を買い逃す手は無い…と買ってしまったメロンって、いつが食べ頃か分かりづらいんだよね巨大なハニーデューメロン買ってから一週間以上は経ったかな?果皮の表面のいたるところが茶色く変色し始めてきているよっしゃ、今日食べよう!でも、こんなデカいメロンとなると、デザートというわけにはいかないよなメインディッシュ扱いでしょという事で、今日の夕食はメロンだけという事になったわけメロン入刀!ザクッ!ザクッ!とっても淡い黄緑色をしたハニーデューメロンどこまでが果実で、どこからか皮なのか、見た目わからないでも瑞々しくて、丁度いい熟れ頃なんじゃないかな?大きなメロンを前に、早速気合を入れていただいたスプーンで果実をすくうちょっと手応えがある硬さが残る果実パクッ!うん、淡白!ハニーデューメロンって、淡白な甘さなんだよねでも美味しいすくってすくって、味があるのか無いのかわからないような皮のギリギリまでいただいたいやぁ、さすがにこれだけ大きなメロンだと、食べ応えがあるワで、結局は2分の1を食べてギブアップ残りは、後日いただきますご馳走さまでした!
2009年01月06日

夏の茹だるような暑さのなかにいると、冬の寒さの方がマシだと思うしかし、こうして冬の季節を迎えて寒さに凍えていると、冬の寒さも身に堪えるだけれど、その寒さに震えながらも、「夏の暑さの方がマシ」とは思わないところからすると、やはり自分は夏の暑さの方が苦手なのだと実感する「寒い、寒い」と、身体をブルブル震わせている今日この頃寒がりではあるものの、ほとんど暖房は使用しない暖房の暖かさが苦手なのだ言葉ではうまく説明できないのだが、暖房が効いたところに長く居ると、心地の悪さを覚えるのであるとはいえ、暖房をまったく使わないわけではない仕事から帰宅して、冷え冷えとした部屋の中にいるのは辛いので、はじめだけ暖房を入れ、ちょっとでも部屋が暖まったかな?と思うと、すぐに切ってしまうもともと肌寒い陽気が好きなので、暖かいよりは、薄ら寒さを感じながら生活しているほうが、自分にとっては心地いいのだ今日は、定期健診の為に病院を訪れた待合室に入った瞬間、モア~ンとした暖かい風が勢いよく自分の身体にぶつかってきたもしや?嫌な予感は的中した待合室は暖房が効いていたのだが、それが尋常ではない室温なのである暖かいを通り越して、暑いぐらい一体設定温度何度にしてるの?半袖で過ごせるぐらいだよ冬の装いなので何枚も着込んでいたのだが、急いで服を脱げるだけ脱いだそれにしても、暖房が効きすぎていて居心地が悪い暑さのせいで、カーッと頭に血が上ったみたいに自分の顔は紅潮していたとにかく顔が火照ってしかたないそれなのに、足先や指先といった先端は冷えたままこの“頭寒足熱”ならぬ、“頭熱足寒”状態がイヤなのだあぁ…なんだか、頭がボーっとしてきたよ他の患者さんたちは平気な顔しているけれど、暑くないのかな?自分が暑がりなだけなのか?暑がったり、寒がったり、我ながら忙しい男だでね、改めて思ったやっぱり暑いの嫌い…
2009年01月05日

今日から仕事始め他のスタッフらは2日が仕事始めだったのだが、自分は正月三が日はお休みをいただいていたのだいつもなら年末に蓄積されていった疲労は新年を明けてもだいぶ先まで引き摺っているが、今年はゆっくりと過ごしたせいか、一切疲れは残っていないおかげで、新年早々の仕事始めからガッツリと仕事が待っていたが、ハリキッてこなすことができた占いを信じているわけではないのだが、目につくと、自分の運勢はどうか、つい読んでしまう今年2009年、自分の仕事面においての運勢を見てみると、あまりよくなかった「反りが合わない上司がいて、何度も仕事を辞めたいという気持ちに駆られるでしょう」との事ウン、ウン、確実に当たりそうやわ…って、ちょっと待てよ!?これってさ、仕事している人であれば、誰しもが思い当たるんじゃないのかな?まぁ仕事をしていると色々なことがあるのは当たり前のことなので、自分のなかでうまく感情をコントロールしていきたいと思います去年の末あたりから頻りに叫ばれている未曾有の不景気こんな世の中だから、我が花屋の業績も良いわけがない生活が苦しいところに、花を買うゆとりなどある筈もないのである暮らしのなかに花が無くても生活には困らないから、こういった不景気を迎えると打撃を受けてしまうなので、世の不景気の煽りを受けてか、書き入れ時であるはずの年末の花の売上は、昨年より下回ってしまった「今は不景気だから…」というだけで片付けられる話ではないのだが、去年の我が社の業績は下降気味で、あまり芳しくない世間では、大企業の派遣社員の契約打ち切り、新卒者の内定取り消しなどが大きく取り沙汰されているが、我が職場も例外ではなく、スタッフの人員削減に乗り出すようだう~ん…今は、いつになく厳しい状況を迎えていて、今年は正念場を迎えそう自分のことは省みずに暇さえあれば不平不満に愚痴をこぼしているスタッフ、ワンマン振りが祟ってか裸の王様になりつつある社長、無理難題を吹っかけてくる取引相手の方々、不景気の嵐、売り上げ不振による業績悪化…華やかな世界に差し込む黒い影が、自分のなかに翳りを落とし、暗澹とした気持ちにさせていた自分の歩む道には、数多の戦が待ち構えているようだこの戦を勝ち抜き、無事に危機を脱することができるのだろうか?その答えは、今は誰も知る由がない
2009年01月04日

我が家で犬を飼い始めて、そろそろ一年が経とうとしている飼っているのは、マルチーズとダックスフントのミックス犬で、名前は“チャチャ”自分とチャチャは、どうもいまいち相性がよろしくないようで、自分がスキンシップを図ろうとしても、かなりよそよそしいなので、そのうち馴れるだろうと楽観的に思っていたのだが、徐々に距離は縮まりつつあるものの、一年経った今も一向に懐いてはこないそんな自分には、ちょっとした夢があったそれは、犬と一緒に外を散歩すること犬を飼い始めたときから、夢見ていたんだよねところがだ、うちの犬は散歩が大嫌いらしいというか、極度の人見知りと、怖がりゆえに、外に出るのを嫌がるそうだたまに母が散歩に連れ出しても、すぐに家に帰りたがるらしく、今では殆ど外に出ないそうお墓参りを終えて昼過ぎに帰宅すると、折角の機会だったので、犬を連れ出して散歩することにしたただでさえ自分に懐いていないうえに、外を出歩くのを嫌がるチャチャとの散歩は、さぞかしうまくいかないだろうそれでも自分は、チャチャの首輪につけたリードを手に、家を出た自分の横をペタペタと歩くチャチャ胴長の体に、短い足を懸命に動かしている姿がなんとも愛くるしい夢にまで見ていた、犬との散歩が出来て満足!チャチャの姿を見た子供たちから、「ワンちゃん、可愛い」といった黄色い声が耳に飛び込んでくると、「そやろ?うちの犬、可愛いやろぅ」と、親バカぶりを発揮ちょっと鼻高々な気持ちになってしまった犬って、散歩するときはお決まりのコースがあるのかな?チャチャは、殆ど外に出ないせいか自分の行く道に従ってついてくる見知らぬ人や、大きな音などには過敏に反応するので、なるべく人目のつかない静かなところを散歩するふと、どこからの家から、犬が吠えたそれを聞いたチャチャは、突然体を翻し、今来た道を戻るために一目散に駆け出したその力強さにビックリ!手に持っているリードがどんどん引っ張られるので、自分も駆け出すハメに「チャチャ!チャチャ!」と名前を呼んでも、見向きもせずに駆け続けているちょっと待てッ!コラッ!!リードを手繰り寄せると首輪が絞まってしまうと思ったのだが、あまりにも早いスピードで駆けるので、強めにリードを手繰ると、ようやくチャチャは止まったほんと、怖がりなんだから…その後も、向こうから人が近づいてくると、避けるために道を変えようとしたり、かなりの臆病ぶりを発揮この肝っ玉の小ささは、どうしたら克服できるんだろうか?ちょっと心配…さてさて、散歩の途中、チャチャが茶色いモノを道端に落としたできることならしてほしくなかったのだが、まぁ仕方ないか飼い主の責任として、きちんと始末はしないとねところがだ、その茶色いモノは、かなりゆるかった…しかも、尻尾を内に巻いた状態でしたようで、ベージュ色の尻尾に茶色いものがベットリと付着しているあらららら…ほんと世話のかかる犬やな犬の散歩って大変なのねもっと優雅なものかと思った…もう十分散歩したから、疲れたやろっていうか、自分が疲れたそろそろ帰ろうかこうして、夢にまで見ていた犬との初めての散歩は、幕を閉じるのであった
2009年01月03日

春と秋の彼岸には、必ず墓参りをしている母自分も誘われるのだが、彼岸の時期は仕事が忙しく、一緒に墓参りをすることはできないので、その時は、お墓に供える花を自分が用意して持っていってもらっている今年の正月三が日は、珍しくのんびりと過ごしていて、「折角だから一緒に墓参りに行きたい」と母が言い出したので、お供することにした今日は、母の実母の月命日なのだそうだ車を走らせること1時間弱のところに、先祖代々の墓はあるお正月だというのに、お墓参りに訪れている人が意外といることに驚かされた供えられている花も、松が入っていたりと、いかにも正月らしいそれに比べると、自分が用意した花は、大菊に小菊、カーネーションとあまり見栄えはしない今日の墓参りは急に言われたので、特別に花を準備することができず、あり合せの花で用意したのだお墓や周りを掃除して、花を供えたうん、きれいになったふと空を見上げると、今日も雲ひとつない青く澄んだ空が広がっていて、実に気持ちがいいだけど、風が強いからお線香に火が点きにくいや冷たい風、ライターの小さな炎、なかなか点火しないお線香…格闘すること数分、ようやく火がつき、お線香のほのかな香りが冬の風に揺らめいた今日お墓参りに訪れて、強く思ったことがあるそれは、命のつながりだ普段は一丁前に生きている自分だが、それもこれもご先祖様があっての、今の自分がいることを思い知らされる遥か遠い昔から脈々と受け継がれている命のつながり…そう考えると、なんだか壮大すぎて、自分が自分でないような気がして不思議でならない生きているということ生かされているということ言葉ではうまく言い表すことのできない、重く尊いものを感じずにはいられない静かに目を閉じ、感謝の意と、今年一年無事に過ごせるよう手を合わせた…
2009年01月03日

初詣に訪れる人が多いことで知られている浅草・浅草寺一昨年の元旦に訪れた時、想像を絶する初詣客の多さに、ただただ圧倒されたことを鮮明に覚えている去年は、正月に京都を訪れたので、祇園の八坂神社に初詣したのだが、今年はふたたび浅草寺へ初詣に行こうと考えていたしかし、人混みが苦手な自分としては、混雑していることを分かっていながら、みすみす初詣客に揉みくちゃにされることは避けたかったので、あえて時間をずらして、日が沈んでから訪れることにした冷え冷えとした夜を明るく照らす華やかなネオンがなんとも賑々しい浅草の街は、大勢の人で活気づいていた時間をずらしても初詣に来る人は多いのかな?と思いながら、浅草のシンボルでもある雷門のところまでくると、思ったよりは混雑していなかったので、浅草寺へと続く仲見世をのんびりと歩いたいかにも浅草らしい風景が広がっている仲見世の土産物屋を眺めながら、人形焼や揚げ饅頭といった美味しそうな匂いに誘惑されつつ、人の合間を縫うようにして、目指すは浅草寺へと突き進んだ厳かな空気が張り詰めている浅草寺の本堂心なしか、ちょっと緊張してきたさて、お願い事を…既に願い事は心に決めていたそれは、“健康で一年を過ごせますように”そりゃあ正直言うたら、自分にも欲があるから、お金だって欲しいし、素敵な恋愛だってしたいけれど、身体を壊してからというものの、何だかんだ言っても、結局は健康が一番だな…ってしみじみ思うという事で、今年一年、健康で過ごせるようお願いしたとはいえ、こればかりは神頼みでどうにかなるわけでもないので、自己管理はしっかりとしていきたい願い事は、同時に自分への戒めの言葉なのであった初詣の参拝を終えると、お御籤をひいた結果は“吉”吉とはいえ、なかなか手厳しいお言葉が並んでいる家内に災いが起こる、家庭の不和と、家にまつわる事柄が書かれていることが気掛かりだが、その戒めの言葉を肝に銘じて過ごしていきたいお御籤に書かれていたのだが、病気に関しては「長引くでしょう」との事なるほどね自分が患っている病気は、なかなか完治するようなものではないので、焦ってもしかたないという事を言っているのだろうはじめの頃は、なかなか好転しない診断結果に、焦りや苛立ちを覚えていたが、今では考え方を変え、病気とうまく付き合っていくようスタンスをとっているだから、お神籤で病気が長引くと書かれていても、自分はのんびりと構えたそれから、お御籤には色々なことが書かれていたのだが、願望…後々叶うでしょう失物…遅くなって見つかるでしょう待ち人…遅くに現れるでしょう結婚・付き合い…まあまよいですが、後にはもっと善くなるでしょうと、全てにおいて、“後々・遅くに”というキーワードが登場してくる元旦を家でゆっくり過ごして、今年はスロースタートを切ったのだが、2009年は、どうやらスローな滑り出しみたい後半息切れしないように、とりあえずマイペースで行きます!!
2009年01月02日

師匠の僧がお経をあげるため、走り回るほど忙しくなることから“師走”と呼ばれているそうだが、自分も師走は慌しく働いていた“貧乏暇なし”という言葉があるが、まさしくその通り世の中が不景気のせいか、新年を迎えるための花を買われるお客様は、例年に比べると心なしか少ないように感じられたそれでもなんとか、そこそこの売上をあげることはできたが、がむしゃらに突っ走ってきたせいか、年末で燃え尽きてしまった…帰宅すると、日頃の睡眠不足が祟ってか猛烈な睡魔に襲われながらも、なんとかテレビの前で年明けを迎えると、そのまま吸い込まれるようにして眠りについた目が覚めると、出窓から光が差し込んでいた時計を見ると11時過ぎ久しぶりに長く眠ったせいか、いつになく気持ちがいい目覚めだったそのまま浴室へと向かい、冷えた身体を湯船に沈めると、気が済むまで長風呂を楽しんだ今年の正月三が日は、お休みをいただいた社長が、「罪滅ぼしだから…」と、三連休をくれたのである一体、何の罪滅ぼし?と疑問に思いながらも、素直に連休はありがたかったもうちょっと早めに言ってもらえれば、なんかしらの予定が立てられたのだが、如何せん大晦日に告げられたので、疲れも溜まっていることだし、折角だから家でのんびりと過ごすことに決めたのだそれにしても、年々強く感じることなのだが、ちっともお正月っぽくないなんだか、普通に休日の時間を過ごしている感じおせち料理の栗きんとんや伊達巻を食べても、テレビから流れてくる賑々しい番組を見ても、友人から送られてきた年賀状に眼を通しても、部屋に迎春の花を飾っても、なにか物足りないのだ子供の頃は、お正月というとワクワクしたものなのだが、その感覚はどこへ置き去ってしまったのだろうか?2009年の新しいスタートの日だというのに、自分のなかでは、どこか冷めた感情が身体のなかを支配していたとはいえ、やはり年も変わったことだし、気分を新たに入れ替える良い機会であるもうこの歳になると、今年の抱負!なるものを掲げるほどでもないのだが、強いて言うのであれば、「自分らしく生きたい」自分らしいとはどんな事か、自分自身わかっていないが、思うがままに、感じるがままに生きたい生きていると様々なことがあって、楽しいこともあれば嫌な思いもする、苦しみもするだろうし、迷いもする必ずしも自分にとって都合のいい人生なんて歩めないことは百も承知なのだが、そのなかでも自分を見失わずにいたいそうすれば、どんな結果に導かれようとも、決して後悔はしないと思う2009年が、自分にとってどんな年になるのか、皆目検討がつかないが、一日一日を大事に生きたい今年の第一歩はスロースタートとなったが、まずは疲れを取って、自分らしくぼちぼち歩んでいきたいと思います【今日という日は、残りの人生の最初の一日】(映画「アメリカン・ビューティー」より)
2009年01月01日
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