全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
そっと手をつなごうお奨め度:6.0ポイント(10点満点中)大好きな廣瀬裕子さんの本です何度か紹介している廣瀬さんの本ですのばした手の先にあるのはずっとさがしていたもの。なくしてはいけないもの。思いがあふれる30の恋のことば。 これが楽天ブックスでの紹介文です大切な人との出会い、別れ、そして新しい人との出会い今回は、そういった流れに沿ってストーリーが展開してるようです大切な人と手をつなぐのが好きな人なら、「あぁ、そうなんだよ~ その通りなんだ~」って言葉がちりばめられていると思います何を隠そう・・・俺も手をつなぐのが好きなもので・・・ (///∇//)テレテレそれでは、少しだけ紹介を今回は自分なりの注釈をつけてみました最初は、幼い純真な恋愛から始まっていきます一緒にいたいという、ただ、その想いから・・・そっと手をつなごうさしだしてくれた左手右手をのばしそっとふれるそのとき時間が止まったまばたきするくらいの短い間そのとき知ったさがしていたものがここにあることをこれからの時間のすべてをかけて大切にしていくものがあることを指先に感じるかすかなぬくもりは何よりあたたかいのばした右手の先にあるのはなくしてはいけないものこのままずっと手をつないでいたいどんなときもどんなことがあっても大切なものにふれるようにそっと手をつなごういつまでもこんなふうにいつかふたりでほしいのは距離に負けない思い消えてしまわない気持ち1分でも1秒でもふたりでいられる時間が長くありますようにそのときだけが距離をわすれさせてくれる思いをたくした言葉を何度もくり返すわすれないように確かめるようにこころにきざむようにその言葉がはなれている間思いを強くしてくれる信じる力をあたえてくれるいつかふたりで見たいものがある移りゆくそれぞれの季節まいにちのようにくり返される当たり前の日々そしてさよならを言わない夜しかし、時として時間は・・・人の想いは、うつろいゆく遠いところへ何かが変わっていたしずかに思いがこわれていたとり返せないものがあるとわかっていたのにちがう選択もあったのに見えなくなっていたやさしさのむこうにあるものに気持ちの変化にどんなことを思いすごしていたんだろうどんな痛みを感じていたんだろう大切にしようとあのとき決めたのにそれももうできない気持ちは知らないところへ手のとどかない場所へ人の心は絶望に堕ちても、絶対にそのまま変わらないということはありません時間や気持ちが移ろいゆくように、哀しみの気持ちもやがて移ろいゆくものです記憶の底に忘れたくないと思ったことさえわすれていくいつまでもと願ったことが消えた日からあのときどうしていまはその理由さえ思い出せないいくつもの朝をむかえ眠れない夜をすごしその時間のなかでわすれたくないこともわすれたいと願ったこともおなじようにうすれていく引き出しにいれた写真の色があせていくように今度その人を思い出すのはいつだろうわすれたくないと思ったこともわすれたと思っていることもすべて記憶の底にそして、いつか心には新しい何かが芽生えはじめます新しい思いだれもすきにならないそう思っていたいつの間にかこころのなかに新しい思いがはいりこんでいたふたりでいると笑顔でいられるかなしいことをわすれてしまういくつもの痛みを思い出さなくなっているまたきずつくかもしれないつらいことに出会うかもしれないこのままでいいだけど気持ちは動きはじめているその人へむかって目の前にいる人へむかって走りだした思いあふれだす気持ちいまそのことに気づいたばかり今度の新しい想いは、以前と同じように見えて、少し違ったものです少しだけ・・・哀しい経験をした分だけ、大人になり成長した想いに育てることができますふたりの時間その人の時間が手のなかにあるいままで持っていたのはひとりだけの時間それを手放すことを選んだ糸をつむぐようにふたりの時間をつくっていく切れないように確かめながら投げだしてしまわないようにあきらめてしまわないようにふたりでいることの意味がわかるとき手のなかに何が残るだろう答えがわかるのはずっと先のこといまこの場所からもそこは見えないそこまでならんで歩いていくゆるし合いながらおたがいの時間を手にしながらそして・・・決心ふたりで生きていくことに決めた別々に生きていく理由が見つからないからいっしょにいることは最初から決められたことのようで何の迷いもなく答えを出したいままでちがうところで生きてきたことが不思議なほど答えはひとつしかなかった考えることもないことだった最後に、あとがきで廣瀬さんは書いていますさしだしてくれた手の大切さをかけがえのない大切さを初めて好きな人の手にふれた時の気持ちそれを思い出すことの大切さをすきな人の手は、大きな力を持っています。誰かをすきになったことがある人なら多分、その力のことを知っているはずです。たくさんいる人のなかで手をつなげる人は、ひとりだけです。だから、その人と出会うことができたら迷うことなく、その手をとってください。そして、あたたかさを確かめながらいつまでも、その人と手をつないでいてください。大切なひとりと出会えることを願って。ふたりの思いがつづくことを願って。廣瀬裕子
Feb 23, 2006
コメント(6)
![]()
日記の更新はほとんどできていないけど、その時々に読んだ本のことはここに書き留めていきたいなと思っています本の中身についての、詳しい紹介はできないかもしれないけど・・・でも、自分自身が読んだあとの、お奨め度を独善的にポイント化してみますハードカバー人間というもの文庫はこちら人間というものお奨め度:6.5ポイント(10点満点中)好き嫌いが分かれると思うので興味のある方は是非ともどうぞ!先週読み終えたのは、司馬さんの「人間というもの」という本文庫で買おうと思ってたんだけど、ついつい買い過ごしてしまい、たまたま図書館で見つけたので借りてきて読みました内容は、司馬さんの作品の中に出てくる言葉や台詞を抜き出してまとめたものですタイトルにあるように、日本と日本人ということをテーマにして、彼の作品からテーマ事に抜き出して書かれたものです例えば、表紙にはこんな言葉が書かれています「人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない」(峠 上)なんて風にね好きな言葉を少しだけ抜き出してみると「人生の大事」こういうのを人物というのかもしれない。同じ内容の言葉をしゃべっても、その人物の口から出ると、まるで魅力がちがってしまうことがある。人物であるかないかは、そういうことが尺度なのだ(竜馬がゆく 一)「生死などは取り立てて考えるほどのものではない。何をするかということだけだと思っている。世に生を得るは事を成すにあり、と自分は考えている」「事とは何ですか」「しごとのことさ。仕事といっても、あれだな、先人の真似ごとはくだらぬと思っているな。釈迦や孔子も、人真似ではない生きかたをしたから、あれはあれでえらいのだろう」(竜馬がゆく 六)「弱さとおろかしさ」人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、いまも気づいている。仏教にしてもそうである。人間は王侯であれ乞食であれ、すべて平等に流転する自然生態のなかの一自然物にすぎない、人間は自然界において特別なものでなく、本来、無意味である、と仏教は見た。これが真理なら、たとえば釈迦なら釈迦がそう言い放っして去ってゆけばいいのだが、しかし釈迦は人間の仲間の一人としてそれでは淋しすぎると思ったに違いない。(ある運命について)「悪人と善人」「つまるところ、あの人には百の才知があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、知謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない」(最後の将軍)「男子の本懐」幸村は、男はだれでも、自分の才能を世に問うてみたい本能をもっている、といった。男が世に生まれて生きる目的は、衣食をかせぐためではなく、その欲を満たしたいがためだ、ともいった。「むろん、煎じつめれば、それも屁のようなものさ。しかし、その屁のようなものも当人にとってみれば、たいそうなことだ。ひらずに死ぬのかと思うと気が狂いそうになる」(風神の門 上)「戦略とかけひき」うそは、誠実につかねばならない。だまそうとする場合、誠心誠意だまさねば-必要なら相手と心中するほどの覚悟でだまさねばだませるものではないことも、信長は知っていた。(夏草の賦 上)「サムライの国」小さな躾でいえば、侍は雨が降っても走らない。そして、道の真んなかを歩く。雨に濡れないように軒先を歩くのは、見ていて浅ましいものでしょう。曲がり角など、直角に曲がるそうですな。直角に曲がるのが侍というものなんです。ぼくらは、ちょっとでも早道しようと、角のほうをさっと曲がりますけれど、侍はそれをしない。つまり、侍には、どうやればシビライズドされた人間ができるか、つまらないことまできちんとした取り決めがあったわけですね。それらが、集積して、普遍化していくと、文明の姿となる。(歴史を考える)幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にはうまれなかった。サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。また明治後のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものをうみだしたことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。(峠 上)武士の道徳は、煮つめてしまえばたった一つの徳目に落ちつくであろう。潔さ、ということだ。盗賊を働いてもいい。殺人をおかしてもいい。それらの罪は世の法によって検断されるが、たとえ検断されても武士の武士たる所以のものはほろびはしない。それがほろび去るのは、その法をおかした者が、潔くなくなる瞬間からであった。(竜馬がゆく 六)「諸外国と日本」日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、あるいははっきりと嫌悪されるかのどちらかであった。(坂の上の雲 七)人間というもの、日本人というものそれらをわかりやすく、類型的に我々に示してくれた司馬さんは、今の日本をどう見てるのかなぁ
Feb 21, 2006
コメント(0)
きみの涙はきらいじゃないよそれは いつもきみが 心の底から流す涙だからきみの涙を見るとねつらくなることもあるんだそれでもやっぱりきみの涙は きらいじゃないよきみが流す 涙はきみの優しい心のあらわれだからきみの優しくて やわらかい心にぼくはいつも驚かされて 感動しているよきみの優しい心はたくさんの人を優しい気持ちにさせることができるんだよだからね悲しいときは思いっきり 泣いてもいいよつらいことがあったらぼくが精一杯 受け止めてみせるからそのかわりさ思いっきり泣いたあとはとびっきりの笑顔を とりもどしてねきみの笑顔を 見たがっているたくさんの人たちがきみを 待っているんだからきみの優しさに 救われる人たちがまだまだたくさん いるんだからそしてねぼくもそのたくさんの人たちのひとりなんだからねそんなきみの優しさがぼくは 大好きなんだから
Feb 9, 2006
コメント(7)
一応、毎日このページ(管理画面)は開いてるんだけどね・・・どうしようかなぁって思うんだけどね・・・それでもやっぱり書けない筆が進まない(って言うのかな?)書けないのか、書かないのか書こうと思わないのか、思っても書けないのか最近では、それすらわからないっていうか、考えなくなってきた (>_
Feb 8, 2006
コメント(8)
全4件 (4件中 1-4件目)
1