ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2007.01.09
XML
 クロニクル 米国原子力潜水艦の日本寄港を申し出

 1963(昭和38)年1月9日
 この日、ライシャワー駐日米国大使は、大平正芳外相に
 対し、原子力潜水艦の日本寄港を承認することを求める
 申し入れを行いました。
 原子力潜水艦は、原子力を燃料とするため、長時間の潜水行動が
 可能であり、核ミサイルを常時搭載した動く核兵器基地として
 知られる存在でした。また、常に移動しているために、捕捉が
 難しく、存在がわかっている地上、地中の核基地からの攻撃よりも

 潜水艦の大量配備を進めていたのでした。1960年に成立した
 日米新安保条約(1952年に日本の独立と共に発効した旧安保条約が
 一方的に米国が日本の安全保障を請け負う片務条約であったのに
 対し、新安保条約は極東における両国の相互安全保障を脅かす戦闘
 行為に対し、協力して対処することを約した双務条約となっていました)
 に基づき、対日要求をエスカレートさせたい米国は、日本国内の反対運動の
 大きさを考慮して、知日派のハーバード大学教授ライシャワー(ハル夫人は
 日本人でした)氏を駐日大使に引き抜き、2年程の期間を日本人の
 安保アレルギー解消の期間として、池田首相の低姿勢路線を是として
 きたのでした。しかし、米ソ冷戦下に核兵器開発競争が激化する中、原子力
 潜水艦の日本近海への進出が重要となり、この日の日本寄港の申し入れと

 しかし、寄港許可は実質的に核兵器の日本持ち込みを意味しますから、
 原潜の寄港に対する国民の反発は強く、同月26日に,官房長官が「首相は
 原則了承の考え…」とのコメントを発表したものの、国会審議でも次々と
 問題点が指摘され、日本政府が米国政府に正式に受け入れを回答したのは、
 翌64年の8月28日のことでした。この時も「政府は米国に対し、日本寄港の

 申し入れ、米国政府はその申し出を受け入れた、よって核弾頭を搭載しない
 形での入港である」という、苦しまぎれの言い訳をつけてのことだったのが、
 この問題の根の深さを示しています。
 原潜は核攻撃基地そのものなのですから、核弾頭を日本寄港の度に取り外し、
 出港後に装着するような面倒なことを、するはずがないことくらい、想像力を
 働かせるまでもなく、常識として理解出きることなのですから、
 この政府答弁も、まさに世紀の茶番劇でした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007.01.09 09:51:39
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ザビ神父

ザビ神父

カレンダー

お気に入りブログ

愛知県清須市 清須… New! トンカツ1188さん

夜中中の大雨。 New! naomin0203さん

びっくりした話(アメ… New! あみ3008さん

NHKが紅白特番からSM… New! 5sayoriさん

最後の13日の金曜… New! 歩世亜さん

コメント新着

トンカツ1188 @ Re:ウクライナ戦争を考える…2(06/21) こんばんは 体調如何ですか 心配してお…
葉月 生 @ Re:ウクライナ戦争を考える…2(06/21) ザビ神父さま お身体の調子はいかがでし…
nik-o @ Re:ウクライナ戦争を考える…2(06/21) その後いかが過ごしですか? リンダさん…
吉祥天2260 @ Re:ウクライナ戦争を考える…2(06/21) あけましておめでとうございます ご訪問い…
でぶじゅぺ理 @ Re:ウクライナ戦争を考える…2(06/21) 明けましておめでとうございます。 お互…

バックナンバー

・2024.11
・2024.10
・2024.09
・2024.08
・2024.07

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: