ザビ神父の証言

ザビ神父の証言

2015.03.02
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カテゴリ: 日本史
クロニクル 中国残留孤児初来日

1981(昭和56)年3月2日

中国残留孤児とは、1945年の敗戦時、特に1945年8月8日のソ連参戦以降、ソ連軍に追われ、捕まることを怖れた、「満州」に入植した民間人の皆さんが、現地に遺棄した子ども達を指します。

集団でソ連兵に見つからないように、昼間はどこかに隠れ、夜間に移動したそうですが、子どもの泣き声は見つけられてしまうもとですから、御法度です。親としては連れて行きたくとも仲間を道連れにするわけにはいきません。

こうして、現地中国の人達に子を預け、帰国した人たち、子どもを手放しはしなかったけれども、栄養不良で乳が出ず、貰い乳も出来ないために子を死なせてしまった人達が大勢出たのです。

旧満州以外の地方にも、数は少なくなりますが、現地に残された残留孤児たちがおりました。ここに記す1981年は、今日から見ると34年前、敗戦から36年目です。孤児達は40歳前後に達しています。親御さんの年齢を考えるとぎりぎりのタイミングだったといえましょう。

この残留孤児達の肉親探しの第1陣が、この日日本に到着したのです。来日した孤児達は総勢47人、推計1万人はくだらないとされる孤児総数からすると、微々たる人数でしたが、代々木の青少年センター(東京五輪の選手村を改装した施設です)に宿泊して、僅かな記憶を手懸りに肉親探しを続けました。



残留孤児及び残留邦人の来日事業は、1999(平成11)年の30回目の肉親捜しを最後に、一応打ち切られたのですが、その後も、新たに残留孤児、残留邦人が判明する毎に、集団一時帰国と調査が行われており、一番最近は2012(24)年に25名の方が来日しています。

孤児達の大部分は日本に永住帰国していますが、言葉と習慣の壁に悩み、生活面の悩みも多く、低賃金に甘んじた最低辺の暮しを強いられているのが現実です。平成24年度の調査によれば、帰国した方々のなんと8割強が、生活保護を受給して、かろうじて家族の生活を支えているのが現実です。

そして今もなお、中国で暮す残留孤児やその2世、3世が存在していることも忘れてならないことです。ここにも隠された戦争の1面があることを忘れてはならないと、私は考えています。

当時の軍部が自分たちのメンツに拘らずに、連合国の発表直後にポツダム宣言を受諾していれば、ソ連の参戦も、2発の原爆投下もなかったことになります。とすれば、中国残留孤児も大幅に減っていたか1人も出なかったことになります。勿論北朝鮮と韓国という分断された国家が分立することも起こり得なかったのですから、当然拉致問題などが発生することもありえなかったのです。

そう考える故に、私は旧軍部の戦争責任の追及は、今日でも緩めてはならないと考えています。





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最終更新日  2015.03.02 12:20:46
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