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2006年12月28日
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年末で慌しくなってきた。前回は、ブログを書いている途中で会社の会議が始まって途中になった。こんな道を通りようやく見えてきた。下って行ったら感激のご対面。冬桜だ。今年は無理かなと考えていたけれど竹寺に咲いているとは。 幼子のえくぼ見しごと冬桜 冬桜夢の向ふの人想ふそして竹寺の由来の竹林。 百幹の竹のそよぎや冬桜 砲弾が平和の鐘に聖夜来るフィリピンに落とされた砲弾を鐘にしたと書いてあった。そしてまた冬桜。 人の世のわびさび咲かす冬桜 冬桜美人薄命の彩をして この命賜りたるや冬桜 ラッキョウてふ竹ある寺や冬日濃し 竹筒を覗きて円い冬景色所々に竹眼鏡が置かれていた。デコボコの世を円く見ようということらしい。 神仏の混淆の寺に年惜しむ竹寺の由来が書いてある。 落ち葉降るうぐいす張りの石段に 参拝の石段がうぐいす張りになっているとのことで気をつけて登ったが良くわからなかった。 数へ日に茅の輪くぐりて参拝す本堂だ。前に火事にあって平成15年に再建した。そのとき偶然にも竹寺見学に来てお祓いの行事を見れたのは幸運だったが、もう3年過ぎている。昼食を摂って一時間ちょっとの子の権現に向った。ここは昨年の年末にも行ったが足腰の神様がいる。皆様の足が来年も健脚でありますようにと祈ってきました。とりわけ「サンカヨウさん」(足を悪くしているらしい)、「KIKIさん」(もう大丈夫そうですが)の足が良くなるよう祈ってきました。 願掛けの草鞋冬日を吸ひ尽くし 鉄草鞋冬日に光放ちけり 冬晴れの視線の高みに奉納下駄 仁王立つ拭ふほどでも冬の汗それでは皆さん来年もよろしくお願い致します。良い年をお迎えください。もう一枚冬桜。
2006年12月27日
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12月23日(土)晴れ。埼玉県飯能市にある竹寺から子の権現のある山に向った。通常コースは、子の権現から竹寺コースだが何年か前にこのコースを歩いたことがあったので逆コースをとった。飯能駅からバスで40分位だが途中の山上に大きな仏像があり見とれていたら乗り越してしまった。右上の山頂から左に降りたところに仏像が立っている。運転手さんに聞いたら「大分遠くかなりかかります」というのでどうしようか迷ったがバス停2つというので降りて戻った。いつも歩いている人間と歩いていない人間では相当感覚が違っているなーと感じながら戻った。途中、「机(つくえ)」という面白いバス停がありどんな由来か知りたくなったが誰も歩いていない。 机てふバス停に降り年惜しむ10分ほどで登山口に戻った。この登山口から薄暗い杉山を登る。20分位で見晴らしの良いところについた。本当は、写真で遠くに見える山に登ろうと思ったが、ちょっとした山で朝早くないと登れそうも無いので断念した。この見晴らしの良いところに来たら突然「ばふ!ばふ!」という声(音)がした。すぐ近くに真っ黒い大きい犬がいてこちらを見ている。首輪をしているので繋がれているかと思いかまわず登っていったら、犬も上の方に向った。「え!繋がれていない!」と思ったがどこかへ行ったのだろうと思って登って行ったら。山道の上に待っていた。 野良犬に付き纏はれて冬の山「あ!これはだめだ!」と思って下山を決断し少し下り見晴らしの良いところで考えた。しばらく立って煙草を吸い「せっかくきたんだから」と思い直し、手袋をして大きい石を両手に持って登り返した。もし、襲ってきたら石で思いっきり殴ってやろうと考え登った。登り始めたら犬が見当たらなく、しかし何時現れるかと思い両手に石を持ったまま登った。しばらくしたら手が重くなったので小さい石に取り替えたが20分位歩いたので大丈夫と思い捨てた。山道は続く。最近、整備されたようだ。 新しき木段登り聖夜来るここを登るときは、こんな気分になっていた。会議が始まりますので。
2006年12月25日
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枯木と落ち葉の道を上り下りしながら陣見山山頂に着いた。そして山頂はこんなところだった。テレビ埼玉のテレビ塔があった。 冬山の声を集めてテレビ塔何も無い。見晴らしも無い。 電波塔地獄耳かももがり笛場違いだがこんな俳句が頭を過ぎった。早々と急な坂を下って舗装の林道に出た。先ほど会ったマウンテンバイクの人と又あった。林道から山道に入ったらマウンテンバイクの人も自転車を持って登りはじめた。後を一生懸命自転車を引き摺りながら登ってきたがかなり急なこんな山道で気配が無くなった。諦めて戻ったようだ。落ち葉がふんわかとなっている道の真中に座って昼食とした。 日の当たる落葉に座して昼餉食ふ熊とか猿とかが出てこないか周りをきょろきょろ見ながらの昼食で落ち着かなかったが。その先に城跡があるようなので先を急いだ。「虎ケ丘」といういかめしい名前の城跡だ。 家一軒ほどの城址に枯葉散る狭い。ここにどんな城が建っていたのだろうか。ちっちゃい城を想像するのに十分な狭さだ。あずま屋で休憩しようと思ったが 城跡の夢を吸ひ取り冬蚊飛ぶやぶ蚊のようなのがいて休憩できなかった。又、天気は良いのだが靄がかかって見晴らしが悪い。虎ケ丘城址があった山だ。おくのぴょこっとでた山が鐘撞堂山だ。ここから訳の解らない道を勘に頼って(標識が無いので不安を感じながら)下山した。駅の近くに竹林があって光がまぶしい。 冬日射す竹百幹の反射光おおよそ4時間の山歩きでした。先日、健保組合からいただいた万歩計(業界の人みんな持っている)が17000歩を記していた。この前6時間くらい歩いたときは、28000歩だったので一時間で5000歩弱が目安のようだ。
2006年12月21日
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12月17日(日)陣見山にいった。近くの山は、ほとんど2回以上登っているので登っていない山を探した。五万分の一の地図に見つけたのが、前回行ったみかん山の対極にある陣見山だ。秩父鉄道の樋口駅でおり波久礼駅までのおよそ4時間コースだ。駅員に聞いて山道までの舗装道路を歩いた。民家のある舗装道路を歩いたが標識が無く勘で歩き、ようやく林道(舗装道路)を見つけた。桑畑を見ながら歩いていったが登山口が見つからず舗装道路をテクテク歩いた。途中で登山口と思って迷い込んだ道で行き止まりだった。電波塔が立っているあたりが山頂らしい。後から分かったがこの舗装道路を歩いても山頂にいけたようだが、後から自分を呼ぶ声があったので振り向いたら登山口はこっちだと言う。話を聞くと今登ってきたところでと言う。そしてこんなの山じゃないよとか愚痴をこぼしていた。その後、丁寧に山頂までの道を説明してくれてようやく山道に入ることができた。うわぁ~藪道だ!人気の無い山のようだとすぐ分かった。こんな枯れきった藪の中を歩いた。 枯れ山の光の明暗分けてゆく途中、林道を右に曲がってと聞いていたので林道に出たので右に行ったら首輪の無い大きい犬がいたのであわてて元に戻ったら山道があったのでそこを登った。 標識の無き山歩く年忘れ一時間ちょっとで榎峠に着いた。 冬ざるる崩れさうなる祠立つ峠といっても舗装道路の分岐に出ただけで、そこから山道を登ったり下ったりしたら又同じ林道にでた。林道を歩いたほうが数段早いようだ。マウンテンバイクに乗った人がいたが、次の山道を登ったり下ったりして林道に出たら同じ人たちが又いた。時々、視界が開け高崎方面の街並みが見える。 鴉の声枯木の隙間かいくぐりこんな枯木の中を登り下りして進んだ。とにかく小さなアップダウンが多い。 枯れ山の風ひとつなき松並木松並木というほどではないが緑を見てホッとした。つづく
2006年12月20日
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両神山の稜線がくっきり浮んだ姿を見ながらまた落ち葉の道を歩いた。ところどころ倒木があって道が塞がっていた。ここまで誰とも会わない。 山道の木枯らしを切りバイク来るそしたら突然、バイクが2台この細い道を走ってきた。人と会うことはあると思ったがバイクと合うとは思わなかった。挨拶を交わし通り過ぎていった。倒木のあるところはどうしたんだろうと思いながら歩いた。植平から葉原峠に向った。葉原峠は車道がありここから風布のみかん山や小林みかん山に出ることができる。昼食を摂って、風布みかん山は何回も行っているので小林みかん山に行くことにした。車道を行かないで山道を登っていったらハイキングの団体さんと出会い道が間違いでないことを確信した。が、山頂で行き止まりになっていた。木々の間から日光男体山が見える。写真では見えないですね~。強引に道のないところをおりて林道にでた。午後になって木枯らしがすごい勢いで吹き始めた。 自己主張貫き通す木枯らしかな 木枯らしを帽子でかはし山歩くようやく標識があり道が分かったが、この行き止まりのほうから歩いてきた。関東平野が一望できた。道の落ち葉を大きく撮ってみた。ほぼ葉が散った状態だ。 銀杏散りレントゲン写真見るごとく山から下りてくる小林みかん山の入口に立っていた。 みかん小さき北限のみかん山この山は、みかんの北限にあたる。北条の殿様が来て植えたそうだが粒が小さい。 自己主張できぬ北限のみかんかな山を降りて民家のある道路を波久礼の駅に向った。畑には冬菜(大根、白菜、ねぎ)が植えられていたが 冬菜畑荒れ放題と言ふべきか何となく冬の畑は荒れているような感じを受ける。反対側も撮った。 列なして渓流れ行く落ち葉かな駅に着いたらちょうど電車がきた。間一髪間に合った。運が戻ってきたようだ。 柚子嗅いで産地直売を自慢せりみかん山で買った柚子の匂いを嗅いで新鮮さを話している客がいた。
2006年12月15日
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12月10日(日)長瀞方面の野上駅から金ケ嶽を経て葉原峠を越えみかん山を歩いた。天気は上々だ。まずは途中の弁財天にお参りをして歩いた。比叡山別院高砂山妙音弁財天と書かれていて比叡山と関連のある弁財天らしい。こんな渓流の流れる橋を渡っていく。 落ち葉降る渓走りゆくカヌーかな橋を越えて金ケ嶽への登山口に着いたが鎖があって、その横に薄れた文字で「まむし」「いのしい」「さる」が出るので注意とかかれた木札が立っていた。薄暗い道で誰も通った跡がなく不気味だ。 この道のほかに道なき落ち葉踏む入口の写真を撮るのを忘れ、ちょっと明るくなった道で写真を撮った。 コーヒー缶押しつぶされて落ち葉道歩き始めてなぜか筋肉通がする。前日慣れない襖張りをしたので普段使わない筋肉を使ったようだ。落ち葉がきれいに敷かれた道を歩いて金ケ嶽に向った。しばらく歩いてようやく標識がありハイキング道とわかりホッとした。更に登って春日神社に着いた。この裏が山頂になる。 戸の硝子割れし社や神の留守覗いて見たら 木枯らしや社の中にスポーツ紙社の中にスポーツ新聞が無造作に置かれていた。一応手を叩いてお参りをして山頂へ。 山頂は木札一枚冬ざるる猛烈な風が吹き始めた。 木枯らしや太郎次郎に三郎も繰返し木枯らしが吹いてくる。 木枯らしや山頂に来て意地通す寒くなったので葉原峠に向った。右奥が両神山、左奥が雲取山だ。とりわけ両神山がすっきり見える。こんなに見えるところは今までなかったように思う。 凍空に鉈(なた)の刃型の山聳ゆニ子山か? 山々のつんと尖がる冬の空こんないい景色を見ながら葉原峠に向った。ここまで1時間半くらいか。
2006年12月14日
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長々と書いています。このところ時間がなくてちょっとしか書けないので分割になってしまいました。さて陣馬山の山頂につきました。陣馬山のシンボル「白馬像」です。そしてその後に県境があります。右が東京都、左へ行けば神奈川県です。その日は、何回も東京都と神奈川県を行き来しました。陣馬山は360度の展望があります。緑の濃い山の奥にピョコンと突き出た山がこの前登った大岳山です。そしてその左の生藤山。大岳山の右手にあたる方面が関東平野。そして白馬像の反対側が富士山。肉眼でも見えなくなってきています。陣馬山頂の音入れです。 冬山の県境に立ち富士眺む360度見て陣馬高原下まで下山に向いました。ちょっと分かりにくいのですが舗装道路を通らないで下山できます。こんな枯木山から杉山に入り下山しました。 隙間から故郷見えさう枯木立その後の大木があったので 耳寄せて冬木の思ひ聞いて見る高尾山口から陣馬山高原下まで6時間ちょっとの縦走でした。運良くバス停に着いたらバスがいてすぐ乗れました。バスの中で一升瓶を持って酒盛りをするグループがあって。暖かくて眠気がでて気持ちよくなりそうでしたが眠れませんでした。
2006年12月11日
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小仏峠から景信山に向った。小仏峠はよく中央高速の渋滞に出る名前で近くを高速道路が通っている。ここから景信山までは登りになる。お腹が空いて来たが休まず登った。 冬の汗したたり落ちぬ九十九折汗を拭き拭き登った。一時間はかからなかったような気がする。昔ながらの茶屋がある。ここで昼食を摂りながら 冬山の茶屋に一椀なめこ汁電波塔が立っているのが城山で高尾山はその奥にあたると思う。かなり不確かだが景信山の音入れ!下まで下る気力がなくて上から撮った。茶屋の裏側を通って明王峠向った。途中、マラソン選手がスイスイ走っていく。と思えば自転車で登ってきた人もいる。歩いている途中大きな声で話しながら歩いていた人がいた。かなり遠くまで聞こえる。お医者さんとその知り合いのようだ。 世間話登り来る冬晴れ間さっさと追い越しても聞こえてくる。 眠る山起しさうなる会話してそして明王峠に着いた。富士山がうすくしか見えない。近くにいた人に声をかけたが 凍て富士や口の重たき山男歩いてきて疲れたので自分も大分口が重くなってきたようだ。 冬晴れの光纏ひて富士聳ゆ5分ほど休んで陣馬山に向った。首輪のない犬に出会って一瞬立ち止まった。その横を恐れもしないで女性が抜き去っていった。勇気あるなぁ~!と思ったら飼い主が来て首輪をかけたので前に進んだ。ようやく陣馬山に着いた。3時を過ぎていた。
2006年12月08日
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高尾山から一丁平を過ぎ城山に向った。紅葉から枯葉に変わり始めている。 散り初めて青空広ぐ木立かなそんな感じもするが わが晩年彩り欲しや冬紅葉随分と年寄りじみてきたような感覚を持ち始めたようだ。城山に着いた。大勢の人が昼食を摂っていた。時間は、12時ちょっと前だ。 山茶屋にハイカー囲むおでん鍋おいしそうにおでんを食べていた。自分を追い越していった外人さんのカップルがバナナを食べていたのを見てリュックにバナナが入っているのを思い出しバナナを食べた。どうも人に影響される性格らしい。ハーモニカを吹いている人もいたが何の唄か忘れてしまった。 山眠るハーモニカの唄聞きながらここでは富士山はうす~くしか見えない。真中の木の右に薄く見える。バナナを食べて小仏峠へ向った。 冬晴れの山に汗よどみなく落つ汗を拭き拭き。 朽ち果てし茶屋門潜る落葉道この朽ちた茶屋を向こうから潜ってきて小仏峠についた。 小仏峠から東京方面が良く見える。もう12時を過ぎお腹も空いて来たが次の山・景信山へ向った。ここから200mくらい登る。
2006年12月06日
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12月2日(土)陣馬山から富士山を見ようと登山口を調べたが面倒なアプローチになるので高尾山口から登ることにした。大分前になるが陣馬山から高尾山まで歩いたことがあったが、そのときは帰りが真っ暗になったので念のためヘッドライト持参した。当日は、天気快晴。冬晴れの中を高尾山口に着いた。 朝日射す寒気ゆるびて山の道高尾山はいくつかのコースがあるが一番楽なコースを選んで登った。大勢の人が登っていく。 冬滝や修行にテープの太鼓音この滝の横を通って山頂へ向った。 山上からお経の聞こゆ神の留守神の留守・・・神様が出雲に出かけ留守になることを言う。 旧暦11月1日(今年は12月20日)に神迎えを行う。一時間ほどで山頂に着いた。いつもの富士山が見えるところに行き富士山が見えるか確かめた。上々だ。 山並みのV字の中に冬の富士紅葉が美しい。 一年の想ひ尽くして冬紅葉ここから一丁平、城山に向った。どこからも富士山の見える冬晴れの道を歩いた。 冬山に植樹の一団をりにけり5、6人の人が一本の木を植えようと穴を掘っていたが、今ごろ植えて根付くのだろうか。こんな気持ちのよい道をのんびり歩きながら城山に向った。
2006年12月05日
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富士山を眺めて、その反対側に下った。日当たりの無い薄暗い道を下る。 枯葉散るお役御免と言ふごとく誰もいない淋しい道を下る。 落葉踏む行き着く先にあるものは途中から渓流の音が聞こえ出す。 渓流の寒気を浴びて山下る一時間下ってようやく大滝に着いた。すごい飛沫を上げて落ちてくる。 冬滝や一直線てふ流れかな真直ぐにすごい勢いで一直線と思ったが、写真を見ると曲がっていた。この後は、下りも終りバス停まで舗装道路を歩く。所々で錦の山が逆三角に見える。 一年の一念尽し冬紅葉と思えば 彩りを忘れ散りゆく木の葉かな枯葉にならないで散っていく木の葉もある。バス停に三時頃着いたら何人かいてひそひそしている。バス時間を確かめたらもうすぐ来るようだ!と思ったがこの日は、土曜日だった。土曜日と日曜日の時間が違うことが分かってしまった。その後も同じような人が何人かきて同じことを言っていた。 紅葉空ふたつに分けて飛行雲空を眺めながら、また近くの神社に行ったり、同じ所を行ったり来たりしてバスを待った。 吐く息の白くなるまでバスを待つ暗くなってきて、だんだん寒さが増し息が白くなってきた。バーナーを取り出す人もいた。寒さから次のバス停まで歩く人もいた。 バス停に頬被りして峡の暮寒かった。最近、運勢が落ちてきているようだ。
2006年12月04日
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11月25日(土)小春の中を奥多摩・大岳山に登った。大岳山は、御嶽駅からバスに乗り、ケーブルに乗り御嶽山頂駅から歩く。ケーブルは、御嶽山の登山コースと交錯しながら登る。 ケーブルに手を振る人や山小春ケーブル駅から御嶽山を通り大岳山に向う。山頂駅から御嶽山方面の写真で途中、御師の家や仲店がある御嶽神社の境内を通った。 小春日に日を照り返す茅葺かな神代けやきと呼ばれる大木から楓の木が伸びている。 神代のけやきに楓紅葉かなその先に鴉が一羽止まっていた。御嶽神社には寄らないで大岳山に向った。 青春は戻らぬものよ落葉踏むこんな戯言を思いながら歩いた。長くは続かないが岩道もある。 はるかまで旅の夢見て朴葉散る岩道を抜けると大岳山荘にでて展望台がある。 岩道を抜けて山小屋小春富士富士山がくっきり見えた。展望台には、山荘の布団がずらりと並んで干してあった。写真の真中右よりの白い帯が展望台で白いのが布団、分かり難いが山荘も写っている。 小春日を吸ひ尽くしたる布団かな暖かそうな布団だった。山頂までは行かず馬頭刈方面に下った。下りはこんな道を歩く。 樹間透く小春の山を登り行くしばらく歩いて展望台があった。 冬帽の視点定まり富士の山富士山が真正面に大きく見える。 白富士や小春の光弾き照るでっかく。 凍て富士のこだま返らぬ夕暮れかなちょっと情景が違うが。ここから大滝に向った。
2006年12月01日
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