全27件 (27件中 1-27件目)
1

三度目のエジンバラ。いつ来ても、いい街です。大通りがあったり、狭い路地裏があったり。旅人を飽きさせません。とにかく話している言葉も、何か音楽を聴いているように響きます。スコットランド出身選手がオリンピックで金メダルを取ったことを記念して造られた金色の郵便ポスト。この日(29日)はエジンバラ市街を散策して一日が過ぎて行きました。(続く)
2014.07.31
コメント(0)

28日は実質的に移動日です。ストラットフォード・アポン・エイヴォンから一気にスコットランドとの国境近くのカーライルまで北上します。ただし途中でストーク・オン・トレントに立ち寄りました。ストーク・オン・トレントは陶器産業の町。ロイヤルドルトン、スポード、ウェッジウッド、ミントンなどはここで生まれています。ここにある、大きなモールに立ち寄って、ショッピング。その後もいくつかの陶器専門店に寄りますが、全部を見る時間はありません。次に来るときのために詳細な地図だけもらって、先を急ぎました。そして3時間ほど車を飛ばして着いたのが、カーライルのそばにある農場のゲスト・ハウスです。この農場に泊まるのは三回目。私たちのお気に入りでもあります。ただし、その日の午後は雨。丘の向うのスコットランドに沈む、いつもの夕日は見られませんでした。晴れていれば、遠くに見える丘の向うに日が沈みます。まあ、こういう日もありますね。駐車場に止まっている赤い車が私たちが借りたレンタカー。レインコートを着た馬が、雨にもかかわらず草を食んでおりました。この日はこの農場で田舎料理の夕食を楽しみました。(続く)
2014.07.30
コメント(0)

ウォルベリー・ヒルの取材が終わり、これで取材旅行前半の日程を終了しました。結構盛りだくさんでしたね。それにかなり強硬スケジュールでした。後半は少し緩やかなスケジュールとなります。この日(27日)宿泊したのは、イギリスのイングランド中部、ストラトフォード・アポン・エイヴォン。イギリスを代表する劇作家・詩人のウィリアム・シェークスピアが生まれた場所でもあります。彼の生家(とされている所)です。5000年前の遺跡とは関係ありませんが、ちょうど450年前の1564年に皮手袋商人の子としてこの町で誕生したとされています。ただしシェイクスピアについては別人説もあり、わかっていない部分が多いんですね。フランシス・ベーコンや第17代オックスフォード伯など他の作者だったとか、"ウィリアム・シェークスピア"という共有のペンネームを用いた作家集団がいたのではないか、といった説もあります。このテーマに関してもいつか取り挙げたいと思っています。(続く)
2014.07.29
コメント(0)

あるパフィンの行動を目撃しました。誰も見ていないのを確かめて・・・パクっと花の蜜を吸います。蜜を吸った後は、だれも見ていなかったよね、と心配してキョロキョロ。実は魚よりもお花が好きなパフィンだったりして。禁断の蜜の味を知ってしまったのでしょうか・・・なんて。
2014.07.28
コメント(0)

次に向かったのは、ウォルベリー・ヒル。ここを見つけるのは苦労しました。標識も案内板も一切ありません。なぜなら普通の観光客なら、まず行くことのない場所でもあるからです。たぶんこの辺だろう、という場所に車を止めて、歩きます。このようななだらかな丘を歩きますが、いったいどこにウォルベリー・ヒルがあるのでしょうか。ようやく反対側からハイカーがやって来たので、ウォルベリー・ヒルはどこにあるのか尋ねます。すると、「今、たっているところだよ」と教えてくれました。そう、歩いていた丘がウォルベリー・ヒルだったのでした。ちょっと離れたところから全体像を写します。なだらかな丘陵であることがわかりますね。鉄器時代には溝と土手が築かれ、自然の丘の要塞として使われた時期もありました。遊歩道を横切るように溝と土手が走っています。この丘の重要性はこの地域の最高峰であることにあります。標高297メートル。以前紹介したエイヴベリー複合体遺跡のミルク・ヒルが次鋒で295メートルです。この二つの丘はほぼ同じ高さにあり、測量上の重要な拠点であったことが容易に推察されますね。(続く)
2014.07.27
コメント(0)

翌27日は天気が回復します。そこでもう一度、オールド・セーラムの写真撮影に出かけます。少し遠方から撮影。綺麗な円形の丘という感じですね。次に向かったのは、フィッグスベリー・リング。イチジクの生えたリング状の古墳とか丘という意味でしょうか。平らで何の変哲もないような丘に見えますが、やはり丘全体が加工されています。一部は新石器時代に建造されたとみられる、丘を利用した環状遺跡。土手の外側の溝のほかに内側にも堀状構造物が見つかっています。遠くにオールド・セーラムとみられる丘も見えます。ここも5000年前の重要なラインになっているんですね。ただ、牛さんたちにとっては、5000年前の遺跡かどうかはどうでもいい話。のんびりと草の中で休んでおりました。(続く)
2014.07.26
コメント(0)

この日、最後の訪問先となったのは、ソールズベリー平原にあるオールド・セーラムです。ハンブルドン・ヒルから下りてきたころから、段々雲行きが怪しくなり、オールド・セーラムに着いたころには、結構強い雨が降っていました。しかし、雨天中止というわけにはいきません。雨の中でもちゃんと写真を撮影します。こちらがオールド・セーラムの全体図です。外側に巨大な二重の溝と土手が構築され、丘の中央部にも土手と溝が造られています。こちらがその巨大なヘンジ(土手と堀)。丘の中央のヘンジの中には、中世の時代にはお城が造営されました。その廃墟です。この丘は5000年前から重要な拠点として使われていたことがわかっています。巨大な土手の上を歩く人。土手がいかに大きいかわかりますね。(続く)
2014.07.25
コメント(0)

サーン・アッバスの巨人の後は、ハンブルドン・ヒルです。上空から見ると、ブーメランのような形をした丘です。案内板に上空から見た図が書かれていました。紀元前2850年ごろの新石器時代に、丘の頂上付近にヘンジ構造物が構築されたことがわかっています。ほかに長塚も頂上付近に築かれており、ちょっとした複合体遺跡があったようです。石器時代にはさらに丘は加工され、幾重にも土手が張り巡らされ、要塞として利用されたようです。このような斜面を登って行きます。登りきれば頂上だと思いきや、次の斜面が待っています。つまり人工の土手が丘全体に何重にも張り巡らされているわけです。ようやく頂上に到着。丘全体が弧のようになっていることがわかります。頂上付近から下を見ると、ミステリー・サークルが・・・でもちょっとそれほど出来はよくありませんね。人間の悪戯に思えました。頂上付近にはこのようなヘンジ状構造物がありました。まるで巨大な半円形、あるいは三日月形のスタジアムのような加工丘でした。(続く)
2014.07.24
コメント(0)

次はドーセット州の丘の中腹に描かれた巨大な地上絵「サーン・アッバスの巨人」です。比較的緩やかな丘の斜面に描かれているので、「アフィントンの白馬」と同様、下から見るとちょっと全体像が見えづらくなっています。一応拡大して撮影してみましょう。これがやっとですね。身長は55メートル、右手には長さ37メートルの棍棒をもっている巨人です。股間にはちゃんと男性シンボルも描かれております。ついでにそばにいたカラス君も撮影。ちょっと日本とは種類の違う小型のカラスです。サーン・アッバスの巨人の全体像はやはり上空から見るのが一番。幸い案内板に航空写真が載っておりましたので、それをご紹介しましょう。結構、芸術性の高い作品ではないでしょうか。制作年代は不詳です。(続く)
2014.07.23
コメント(0)

メイドゥン・キャッスルはとにかく大きいので、航空写真でないと全体像が見えません。ちょうど案内板に上空から見た写真があったので、それをご紹介しましょう。凄いですね。丘全体に二重三重の堀と土手が張り巡らされています。丘自体は、サッカー場50個分の広さがあります。これだけ複雑な砦になったのはBC800年ごろの鉄器時代ですが、この丘に最初の人工的な囲いが築かれたのはBC4000年ごろ、今から6000年前の新石器時代のことだとされています。まさに6000年の歴史を持つ聖地であると言えるでしょう。このような土手と堀がめぐらされています。丘の上まで到着すると、そこは牧草地。羊たちの楽園になっていました。仲良しの子羊ペアを発見。見知らぬ来訪者に興味深々です。そして見事なシンクロを披露してくれます。丘の上から下を見ると、平原には円墳も見えました。ここも複合体遺跡になっているのだと思われます。(続く)
2014.07.22
コメント(0)

翌26日も晴。宿屋を出る前に、もう一度部屋の窓から遠くに見えるブレント・トールを撮影します。本当に存在感のある山です。この日は再びダートムーアを越えて東に向かいます。目的地はドーチェスターそばのメイドゥン・キャッスル。遠くからでも見える巨大な目標物ですが、行き方を間違ってちょっと右往左往。ようやく標識を見つけて、その通りに進むと、現れてきました、メイドゥン・キャッスル。この遺跡は空から見ないとよくわからないほど巨大です。(続く)
2014.07.21
コメント(0)

取材を早めに切り上げたため、デボン州イエルバートンの宿屋に着いたのは、午後4時ごろでした。コーンウォールからデボンに戻ったこともあるのでしょうが、そのころには雨は上がり、晴れ間が広がっておりました。宿屋でティータイムを楽しんだ後、部屋でくつろいでいると、部屋の窓から遠くに見覚えのある、尖った山が見えます。これが部屋から望遠で撮った写真。以前訪れたことのあるブレント・トールであることがすぐにわかりました。頂上に建っているのは、例によって聖マイケル教会です。10キロ以上離れているのですが、これだけはっきりと見えるんですね。とりあえず、近くのパブに早めの夕食を取りに行きます。夕食後に宿屋に戻ってもまだ午後6時台。太陽は依然として高い位置にあります。そこでこの10キロ離れたブレント・トールに写真を撮りに行くことにしました。ブレンと・トールは二度目です。前回は上まで登って、360度の見晴らしを楽しみましたが、今回は麓からの写真取材だけにします。昼間のように太陽は輝いていますが、なにしろもう午後7時を過ぎた夜ですから、無理はしません。まずは西側から撮影。西側から見ると、まるで二上山です。次に南東側に回り込んで撮影。南から見ると、グラストンベリー・トールに少し似ています。中世の時代には狼煙台として使われていたという記録が残っていますが、もちろん歴史はもっと古いはずです。キリスト教徒が聖マイケル教会を造るはるか以前に、グラストンベリー・トールとバロー・マンプ、ハーラーズ・ストーンサークルなどを結ぶ、聖なるラインは存在していました。その長大なラインの距離は、実に500キロ近くに及びます。もちろん、このブレント・トールもそのライン上にあります。(続く)
2014.07.20
コメント(0)

崖の上のチーズリングから見下ろす丘の中腹にハーラーズ・ストーンサークルがあります。登って来た道を戻って、今度はそのストーンサークルを見に行きました。その途中で遭遇した馬の親子。こちらがハーラーズ・ストーンサークルです。手前に一つ、奥にもう一つストーンサークルが写っています。さらにその奥に三つ目のストーンサークルがあったのですが、今はその残骸が残っているだけです。もうちょっと近づいて撮影します。三つのストーンサークルの真ん中のストーンサークルからやや南西に数十メートル離れた場所に、パイパーズ(バグパイプ奏者)と名付けられた二つの立石があります。普通の旅行客は気づかずに立ち去ってしまいますが、実はこの立石には非常に重要な意味があります。この二本の立石の間に、先ほど登った崖の上のチーズリングが見えるからです。中央奥の丸い小山がチーズリングが立っていた崖です。このことから何が言えるかというと、チーズリングとハーラーズ・ストーンサークルは一体として、つまり複合体遺跡として見なければいけないということです。このストーンサークルは、チーズリングのある聖なる山の、いわば拝殿の役割をしていたことがわかるわけです。そしてさらに巨視的に見れば、このハーラーズ・ストーンサークルがグラストンベリー・トールとバロー・マンプを結んだ聖マイケルライン上にあるということです。すべてが、あるグランド・デザインの下に設計されていたわけです。撮影をしていると、再び雨がパラパラと降り始めてきました。しばらく止みそうになかったので、この日はこれで取材を切り上げ、タヴィストックそばのハラビアにある宿屋に急ぐことにしました。(続く)
2014.07.19
コメント(0)

ダート・ムーアの後はボドミン・ムーアのミニオンという町に向かいました。この町の丘の中腹には三つのストーンサークルが並ぶハーラーズ・ストーンサークルがあります。ここを訪れるのは二度目ですが、今回はストーンサークルのほかにチーズリングという花崗岩でできた風変わりな巨石を見に行きました。雨宿りを兼ねて、町の喫茶店で少し休憩。「コーンウォール州で一番おいしいスコーン」と書かれていたので、スコーンを注文します。お店の人からいろいろ情報を仕入れて、チーズリングへの行き方を聞き、雨が止んだころを見計らって出発。しばらく歩くと、遠くの崖の上にチーズリングが見えてきました。崖の左上に見える巨石がそうですが、まだちょっと見えづらいですね。もっと近づいて撮影します。崖の上の巨石の塔といった感じです。長年の歳月かけて浸食した結果、このような奇妙な巨岩となったとか。名前のチーズリングは、チーズの丸い厚切りを重ねた形を連想させるからのようです。何かちょっと人工的な気もしますが、一応自然の造形ということにしておきましょう。(続く)
2014.07.18
コメント(0)

この日(25日)は一気に西のコーンウォール州まで進みます。途中、ダートムーア国立公園の北東にあるドルメンに立ち寄ります。スピンスターズ・ロックという石墳です。小さな道を行かないと現場に付けないので何度か「荒野」を迷いましたが、何とか到着。案内板もあり、紀元前2500~3500年前のものだと書いてありました。そしてこちらがスピンスター・ロック。かなり見晴らしのいい丘の中腹にあることがわかりますね。このドルメンは、グラストンベリー・トールとバロー・マンプを結んだ直線のそばにあります。近づいて撮影。5500年の歴史を刻む巨石遺構です。(続く)
2014.07.17
コメント(0)

バロー・マンプの後は、雨も激しくなってきたこともあり、それ以上の取材はしませんでした。早々にその日泊まる宿に向かいます。宿泊地は、ブリッジ・ウォーターの宿屋。長旅の疲れを癒すべく、早めに休みます。翌25日は快晴。美しい庭の宿屋を後にしました。(続く)
2014.07.16
コメント(0)

別の木枯し紋次郎的パフィンを見つけました。こちらが咥えているのはまさに楊枝?葉の付いた枝を咥えていました。皆至る所で植物や枝を咥えて、巣作りの最中でした。ところで、昨日のブログで説明し忘れましたことがありました。こちらが昨日の写真です。グラストンベリー・トールは北や南から見ると、スフィンクスか二上山のように見えます。しかし上の写真ではグラストンベリー・トールが綺麗な円錐形の山のように写っていますね。これは、グラストンベリー・トールの傾いた直線上にバロー・マンプがあるからです。つまり二つの丘は、ある方角から見るとピラミッド型に見えるように建造・配置された可能性があるんですね。バロー・マンプもまた直線に沿って楕円形になっています。こうした手法は、古代においてよく見受けられます。つまり横から見ると、スフィンクスか二上山や三上山のように見えるのですが、ある直線上から見ると綺麗な円錐形のピラミッドに見えるんですね。それは古代人がその直線に意味を見出していたからなんですが、伊豆の下田富士なんかはまさにそのいい例です。実は相模湾の湾岸には、こうした山が非常に多いんです。古代人の叡智がそこにあるように思われます。
2014.07.15
コメント(0)

グラストンベリー・トールに登っている間は大丈夫だったのですが、下りてきたころから雨がかなり降り始めます。その雨の中、次の目的地へ向かいます。グラストンベリー・トールから17キロほど離れた場所にあるバロー・マンプです。道路わきにあるから見つかるだろうと思ったら、一度気づかずに通り過ぎてしまいました。慌てて引き返し、地元の人に場所を聞いてようやく見つけることができました。こちらがそのバロー・マンプ。規模は小さいですが、グラストンベリー・トールの姉妹丘のような丘です。やはり4段か5段の階段ピラミッド構造になっています。そして頂上にあるのは、廃墟となった聖マイケル教会。この丘の上からは今しがた立ち寄ったばかりのグラストンベリー・トールが東北東の方角に見えるはずです。小雨が降りしきる中、グラストンベリー・トールをカメラの望遠レンズで探します。すると、見つけました、グラストンベリー・トール。雨に煙るグラストンベリー・トールです。(続く)
2014.07.14
コメント(0)

グラストンベリー・トールは、イギリスの一大聖地です。どうしてこの丘がそれほど特別かというと、そのユニークな山容に秘密があります。上空から撮影するとわかるのですが、全山が七層の階段構造になっているんですね。上空からの写真は著作権上掲載できませんが、案内板に描かれていたイラストを写真撮影したので、それをご紹介しましょう。これは北側の上空から見下ろしたグラストンベリー・トール。北側が見事な階段構造になっているのがわかります。この反対側の南側も同様な階段構造になっています。つまり左右対称に階段構造になっているわけですね。この階段構造が長年の風化などによって自然にできたと考える人もいるようですが、風化の場合はどちらかの側だけが階段構造になることがわかっています。全山にこのような対称的に階段構造があるのは、人工的な構造以外にまずありえないんですね。ところで、七層の階段構造と聞いてすぐに東北のある山を思い出した人は、かなり通の人です。実はその山も地中レーダー探査によって七層の階段構造になっていることがわかっています。その辺の話も次の本には詳しく書くつもりでいます。(続く)
2014.07.13
コメント(0)

またやって来ました、グラストンベリー・トール。確か前回来たのは2010年ですから、4年ぶりです。下から見上げたグラストンベリー・トール。ここから見ると、二上山みたいに見えますね。ご覧のように、七層の階段ピラミッド構造になっています。頂上が見えてきました。あと、もう一息。登って来た方を振り返ると・・・かなり遠方まで見ることができます。そして、ようやく頂上に到着。頂上には聖ミカエル教会の塔だけが残って、建っておりました。(続く)
2014.07.12
コメント(0)

次は5500年前の長塚です。サマセット州ウェロー村のそばにあります。羊が放牧されている草地を歩くこと20分ぐらいでしょうか。小雨が降るあいにくの天気の中、ようやく紀元前三五〇〇年ごろに建造されたとみられる新石器時代の石室古墳ストーニー・リトルトン・ロング・バローに到着しました。この長塚がマーリンの丘と関係があるなんて、だれも想像すらできないでしょうね。(続く)
2014.07.11
コメント(0)

翌24日は再びナップ・ヒルとミルク・ヒルの間を通り抜けて、マーデン・ヘンジを探しに行きました。このヘンジは、ストーンヘンジ複合体遺跡とエイヴベリー複合体遺跡の中間地帯にある、紀元前二四〇〇年ごろ建造された新石器時代の周壁遺構です。現在わかっているイギリス最大のヘンジですが、訪れる人はほとんどいません。というのも、農地開拓などにより破壊されてしまったからです。周壁内には巨大な円形のマウンドと土手に囲まれた環状の窪地、それに立石あったとされています。村の人に尋ねて、ようやく場所が判明します。その場所に立っている案内板。「ハートフィールドの土塁」と書かれています。面積は35エーカー(14万平米)と広大です。今ではこのように、土塁の跡がわずかに残っているだけです。(続く)
2014.07.10
コメント(0)

木枯し紋次郎を演じるパフィンを見つけました。「あっしには関わりのねぇことでござんす」と言っているかどうかは不明。もちろん咥えているのは、楊枝ではなく、巣作り用の木の枝でした。
2014.07.09
コメント(0)

再びナップ・ヒルとミルク・ヒルを目指して北上。ナップ・ヒルのそばの駐車場に車を止めて、ナップ・ヒルを撮影します。これがナップ・ヒル。紀元前三五〇〇年ごろ造られたとみられる周壁遺構のある標高二六一メートルの丘です。その周壁遺構。丘の頂上を取り囲むように溝と土塁が築かれています。近くには長塚や古墳群があり、約一・五キロ離れたミルク・ヒル、約四キロ離れたタン・ヒルと、ほぼ一直線上に並んでいます。ミルク・ヒルの中腹にある「アダムの長塚」辺りからナップ・ヒルを撮影。ちょうど太陽がナップ・ヒルに当たり、綺麗です。放牧している牛たちが侵入者に気付き、興奮してきたので、再び駐車場へと戻ることにします。古墳(手前)とナップ・ヒル。北西の方角を見ると、ちょうどミルク・ヒルの山頂付近の空に、ドーナッツ型の雲が出ていることに気が付きます。とりあえず、OKマークだったことにして、本日(5月23日)の撮影取材は終了。ワウルズ・バンクから始まった、盛りだくさんの一日でした。(続く)
2014.07.08
コメント(0)

毎年この時期に欧州取材旅行の日程を組むのは、日が長いからです。夕食後、ウィンドミル・ヒルを訪れた後は、ミルク・ヒルの撮影に出かけます。このころにはすっかり雨も上がり、快晴に。写真撮影にはもってこいです。ミルク・ヒルとナップ・ヒルの間を抜けて、南側に出て、とある町から遠景でミルク・ヒルを撮影します。もちろん、どの丘がミルク・ヒルでどの丘がナップ・ヒルかわからないので、地元の物知りそうな方に教えてもらいました。その方は初老の男性で、古い地元の写真などを集めた小さな博物館を開いておりました。そして丁寧に教えてもらった後に撮影したのが、次の写真です。左奥の丘の木の茂っているところがミルク・ヒルの頂上があるところです。右の丘の中腹には白馬の地上絵が描かれています。白馬のアップ。ただしこの白馬は、アフィントンの白馬と異なり、200年ほど前の作品だそうです。(続く)
2014.07.07
コメント(0)

ウェスト・ケネット・ロング・バローを訪ねた後、エイヴベリー大ヘンジの中心にあるパブ「レッド・ライオン」で夕食を取りました。夕食後、パブの人にウィンドミル・ヒルへの行き方を尋ねます。ウィンドミル・ヒルは、エイヴベリーの北西約二キロの場所にある、周壁遺跡のある小高い丘。紀元前三三〇〇年ごろ頂上付近に同心円の三重の溝が掘られたとされています。一番外側の堀の直径は三六五メートルもあり、イギリス最大級の周壁遺跡でもあります。言われたとおりに道を進んでいくと・・・このような悪路となり、車で行くことを断念。歩いて、頂上を目指しました。そして到着。ウィンドミル・ヒルの標識が立っています。頂上付近には古墳も見えます。エイヴベリー複合体遺跡のひとつですが、ここまで訪れる観光客はほとんどいません。地元の人でも、滅多に訪れることのない遺跡でもあります。頂上及び頂上付近からは、シルベリー・ヒルを木立の向うに見ることができました。(続く)
2014.07.06
コメント(0)

パフィンを撮影している時に見つけたのが、こちら。巣穴から顔を出したパフィンの向うにいるのは、ウサギですね。ウサギがのんびりと食事をしておりました。天敵がいない島で共存しているようです。昨日、近畿取材から帰ってきましたので、イギリスの遺跡巡りのブログを再開します。
2014.07.05
コメント(0)
全27件 (27件中 1-27件目)
1


![]()