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1月11日は小雪が舞ったり晴れたりの天気でしたが、翌12日は快晴。桜島だけでなく、霧島も青空を背景にして鮮やかに浮かび上がっておりました。この日は宮崎県に入り、狭野神社、東霧島神社、弥五郎どんの館を訪問。その後、宮崎・日南地方の海岸線に出て、鵜戸神宮、青島神社、宮崎神宮を回りました。日向地方には、記紀神話とは少し異なる神話・伝承が残っており、とても興味深いです。正統竹内文書の口伝でも、日向国ではヒコホホデミ王朝が8代続いたことになっています。五瀬命が本当に神武の兄なのか、もし神武4兄弟が実は兄弟ではなく親子の縦の系譜だとしたら、山幸彦(ヒコホホデミ)、ウガヤフキアエズ、武位紀命、五瀬命、稲飯命、三毛野命、佐野命と七代続いて、その後に神武が出たのではないかとも解釈できますね。まだまだ、隠された歴史の部分が多いようです。写真はこちらをご覧ください。
2012.01.26
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九州の旅の始めは鹿児島でした。空から見た鹿児島は、緑の森に覆われた、それはもう美しいところでした。鹿児島空港からは、鹿児島神宮、隼人史跡館を訪問。そして最後は霧島神社と、さらに山の上のほうに登った斎場跡(霧島神宮跡)を訪ねました。斎場跡の鳥居の向こうに霧島がそびえていました。少し小雪のぱらつく天候でしたが、空には巨大なボール状の雲が滞空しており、太陽光によって浮き彫りになっておりました。結構迫力のある雲と太陽でした。写真のほうはこちらをご覧ください。
2012.01.24
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今から一年ほど前の二〇一一年一月のある日、私のところに突然、「第七三世武内宿禰こと、竹内睦泰に会いなさい」という“直感”が降りてきました。それを聞いた私は、竹内睦泰氏には失礼な話ですが、「何をいまさら」と否定的に反応してしまったんですね。竹内氏にはこれまで四、五回取材させてもらっていましたが、肝心要(かなめ)な話になると口を濁すし、政治信条も主義主張もまったく私と異なっていたため、わざと何年間も連絡を取らずに距離を置いていたのでした。ところが、その“直感”はそのような私の心情を見透かしてか、「お前は竹内とは主義主張が合わないし、まったく別の道を行くものだと考えているかもしれないが、私たちから見れば、お前たちの相違点はコーヒーが好きか、紅茶が好きかの違いにしか見えない。それだけの違いのために会わないのはおかしい。とにかく会ってみろ。そうすればわかる」と私に告げたんですね。「コーヒーが好きか、紅茶が好きかの違いにしか見えない」という言葉に私はすっかり感心して(笑)、「まあ、それほど言うなら、騙されたと思って会ってみるか」と半信半疑でありましたが、竹内氏に取材をさせてほしい旨をメールで伝えました。そして実現したのが、同年一月一九日、新宿・早稲田のリーガロイヤル東京における第一回目の取材でした。その取材内容は新著『「竹内文書」の謎を解く2--古代日本の王たちの秘密』に詳しいですが、非常に興味深く、多くの示唆に富んでいるものでした。それに竹内氏も、以前取材したときの印象とも違い、とても打ち解けて取材を楽しんでくれているようにも感じられたんですね。私も取材をしていて楽しかったので、このとき初めて「コーヒー党」と「紅茶党」はお互い信頼し合えるようになったのだと思っています。それに意外なことに、右と左に歩く姿が違うだけで、目指すところは一緒だったんですね(笑)。その後数か月にわたって、私と竹内氏は何度か会って取材を重ねました。その際、私にとって非常に都合のいいことに、面白い現象も起こりました。私は東京へは隣県の神奈川から二時間ぐらいかけて取材に出向くのですが、竹内氏の取材が終わった後、長年の友人であり取材先でもある国際気能法研究所所長の秋山眞人氏に電話をすると、普段は忙しくてなかなか会えない秋山氏が「今日なら空いていますよ」と必ずといっていいほど取材に応じてくれたんです。はるばる二時間かけて都心に取材に来る私にとっては、一度に二人に取材できることはとてもありがたいことでした。こうして二人への取材を重ねて出来上がったのが、『誰も知らない世界の御親国日本』(ヒカルランド刊)と、二〇一一年一二月一七日という、奇しくも竹内睦泰氏の誕生日に出版された『「竹内文書」の謎を解く2――古代日本の王たちの秘密』(成甲書房刊)であったわけです。今日は「新著誕生秘話(その1)」をご紹介しました。
2012.01.23
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古代日本とケルトが関係あると、ある人物に言われて、「本当かいな」と疑いつつ調べてみると、なるほど結構納得のいく事柄が出てきます。その中で私が特に興味を持ったのは、九州隼人族の盾の紋章です。そう、あのケルトの渦巻文様が描かれているんですね。そして隼人といえば、記紀神話に出てくる海幸彦。弟の山幸彦に半ば脅されて「番犬」として弟に仕えるようになったと記紀に記されている「お兄さん」ですね。彼が隼人族の祖であると記紀には書かれています。この海幸彦山幸彦の話はどうみてもおかしな話ですよね。悪いのは釣り針を亡くした山幸彦なのに、いつの間にか話は逆転して、海幸彦が悪者にすり替えられてしまいます。旧約聖書のエソウとヤコブの物語のようで、その背後には面白い歴史が隠されているのは間違いありませんね。その隼人族ですが、現在でも南九州地方で開催される、隼人族の族長とされる「弥五郎どん」のお祭りの中に、彼らの特徴の一端を見て取ることができます。その祭りでは4メートルもある巨大な人形が使われるんですね。隼人族は大人伝説、すなわち巨人伝説とも密接にかかわりがあるようです。連想ゲームで行くと、隼人、犬、巨人と来れば、巨人族の宇宙人で犬や熊から進化したとされるゲルが浮かんできます。のちに熊襲と呼ばれた人たちが隼人族であったとすると、余計にゲルと関係があったのではないかと思わずにいられません。仮に隼人族が、犬や熊から進化した巨人族ゲルから農耕や生活に必要な技術を教えてもらっていたとするならば、番犬扱いされたり、熊襲扱いされたりする理由も何となくわかってきます。ではそれとケルトがどういう関係があるかというと、アイルランドを旅してわかったのですが、ケルトの前にダーナ神族と巨人族が共生していた時代があったと思われることです。私の推測ですが、ダーナ神族と巨人族の宇宙人ゲルは友好関係にあり、ダーナ神族はゲルからいろいろな知識を伝授された。そしてその一部がケルト族にも伝わり、渦巻文様が使われるようになったのではないかと思っています。紀元前4000~3000年のアイルランドの巨石遺構にも渦巻紋様はたくさん見つかっています。この渦巻文様にこそ、実は彼らだけにしかわからない秘密があるのだと私はにらんでいます。写真はこちらでご覧ください。
2012.01.18
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この一週間、九州地方を旅しており、先ほど無事帰ってきました。昨年は本を二冊出すなど結構忙しい年だったので、今年は早々からのんびりモード。今回の旅行のテーマは古代史がメインだったのですが、霧島、湯布院、阿蘇など九州の温泉地も巡っており、温泉地のガイドでも書こうかとのんきに思ったりしています(笑)。それにしても、17日の由布岳の美しかったこと!前日は吹雪の中、阿蘇から峠越えして湯布院にたどり着いた甲斐がありました。その九州の古代史と温泉めぐりの旅の写真は18日以降、次のサイトで順次アップする予定です。
2012.01.17
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1月4日未明のしぶんぎ座流星群こそ見逃しましたが、1月2日は虹色の光のカーテンを見たり、毎日のように壮大な雲の輝きや神秘的な夕焼け空を見たりするなど、天体ショーを楽しんでおります。本来ならこのブログでも写真をご紹介したいところですが、写真の容量がきわめて限られているため、こちらではアップいたしません。私の写真をご覧になりたい方は、いつもfc2のブログにアップしておりますので、お気軽にご訪問ください。
2012.01.05
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今日から、と言っても、もう昨日ですが、仕事始めですね。小雨がぱらつく中、歩いて1時間ほどの場所まで買い物に出かけました。4日付の朝日新聞朝刊には拙著『「竹内文書」の謎を解く2』の広告が掲載されています。今のところアマゾンの日本史のランキングでは50位ぐらいでしょうか。シリーズ一冊目のほうも同170位と健闘しているようです。さて、のんびりとした正月も終わり、そろそろ次の本の執筆活動を進めましょう。
2012.01.04
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元日早々地震があり、珍しくこちらも震度3ぐらい揺れましたが、被害もなく、何事もなかったかのように正月の第一日目が過ぎて行きました。初詣は歩いてゆける近くの神社。祭神はオオクニヌシとなっておりますが、もともとの「ご祭神」は、縄文の山の神であったような気がします。縄文人が神の使いと信じたアメノヒトツメノミコト、つまりサイクロプス、大仁さんですね。犬頭の巨人であるともいわれているようです。その初詣から戻ってきた空には、UFOの母船のような雲が、大きいのが3つ、小さいのを入れると10個くらい空に停泊しておりました。写真は別のブログにアップしておきましたので、ご興味ある方はご覧ください。2012年。本年もよろしくお願いいたします。
2012.01.01
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